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【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 ->画像>20枚


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1樽悶 ★2019/06/08(土) 19:50:30.68ID:jDFVyjSj9
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚

邪馬台国の有力な候補地とされる桜井市の纒向遺跡で見つかった大量の桃の種に、動物にかじられた跡がまったくないことがわかりました。

専門家は、祭祀(さいし)で供えられたあと、すぐに穴に埋められたためだとみていて、桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だとしています。

桜井市の纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、女王、卑弥呼が治めた邪馬台国の有力な候補地のひとつです。

9年前には卑弥呼の宮殿との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばに掘られた穴の跡から、2700個以上の桃の種が見つかりました。

桃は古代の中国で神聖な果物とされ、種の一部に果肉が残っていたことや祭祀用の土器なども出土したことから、祭祀で供えられた桃ではないかと注目されていました。

その桃の種を桜井市教育委員会がさらに調べたところ、すべての桃の種に動物にかじられた跡がまったくないことがわかりました。

遺跡などで見つかる桃の種の多くは、ネズミなどの動物にかじられ穴が開いているということで、古代の祭祀に詳しい同志社大学の辰巳和弘元教授は、「祭祀で供えられたあと、すぐに穴に埋められたため、動物にかじられなかったのだろう。桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」と話しています。

06月05日 18時46分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20190605/2050002390.html

★1:2019/06/06(木) 19:49:22.21
http://2chb.net/r/newsplus/1559914022/

2名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:52:06.05ID:t7FHu1/m0
────────────────確定
対馬国 (対馬)
一大国 (壱岐)
────────────────九州北部
末廬国 (海千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東行 百里)
────────────────不明
投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)

3名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:52:07.06ID:0XsZ9P6K0
2なら以後畿内派は最初に書いてもいいですか?と書いてからネタ書け

4名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:52:28.62ID:bzUhFXph0
九州説の人かわいそう

5名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:52:29.05ID:t7FHu1/m0
────────────────確定
対馬国 (1000戸)
一大国 (3000戸)
────────────────九州北部
末廬国 (4000戸)
伊都国 (1000戸)
奴国 (2000戸)
不弥国(1000戸)
────────────────不明
投馬国  (5万戸)
邪馬台国 (7万戸)

6名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:52:37.69ID:VzdqaW7D0
かじるとイラっとするから丁寧に食べたのでは

7名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:53:16.33ID:wkN66Cjm0
神話の桃は投げるもの

8名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:53:30.83ID:n5bSFbX10
決着済みです
九州説みたいな俗説はどうでもいいです

国立歴史民俗博物館FAQ
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

9名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:53:40.24ID:/znN/NIN0
落ちて腐っただけかもしれないし、
食べても種に歯型はつかないしw

10名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:54:48.79ID:J09NVOSy0
遣隋使で運河を作って国力が落ちてまもなく滅亡する煬帝に
対等の立場を要望した倭国と
白村江で唐に逆らってボロ負けした倭国が
同じ国だとは思ってなかったんじゃないか
しかも負けたら手のひらを返して唐の冊封体制に入れてもらえるように
嘆願のための遣唐使を送った 天智天皇中大兄
でも5回の遣唐使の結果全部同じ国だと唐は理解した

対等要求→反発戦争→子分にして これが同じ国だった
唐が勘違いしても仕方ない

11名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:54:53.80ID:DAIA0TbB0
しつこいなw

邪 馬 台 国 へ よ う こ そ

■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
https://imgur.com/bmslFbs

■アクセス
伊都国の南 徒歩すぐ

12名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:55:05.27ID:RkSlCQ3k0
徳島説あるけど今と違って船移動だろ?あんな不便なところにあったとは思えないな

13名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:56:18.67ID:0XsZ9P6K0
前スレ1000ワロタ
畿内派の奴が自分で首絞めてることに気づかないのかな
意味分かっててその文貼ったのか?

代々王は築紫城に居て、神武のときに天皇を号して大和に移った
って書いてあるんだぞ?

致命的だろw

14名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:57:03.13ID:mT88rJYU0
桃の種がかじられていないと邪馬台国らしい
なんか色々すごいね
人の争いが絶えないのもよくわかるわ
かじられてないと邪馬台国なんだもん
まじで、ううんすげぇ

15名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:57:09.85ID:B9u8xcch0
>>9
纏向から出てきた桃の種は2800個
なおかつ、人為的に掘られた遺構から出てる。

明らかに儀式的な用途

16名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:57:39.19ID:DAIA0TbB0
>>13
畿内説は発掘は下手だが、墓穴を掘るのは得意だと言われてたなw

17名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:59:12.26ID:7gjM7s/I0
支配層は朝鮮人との別スレあり

18名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:59:44.60ID:RD9790EJ0
>>10
遣隋使の数が日本側の記録と中国側の記録で一回違っているのとか
遣隋使の態度が激変していていて、本当にこいつは倭人かと疑われたり
わざわざ「日本は倭の別種」であるとか書かれてこととか
日本は小国だったが倭国を併合したとか書かれたり

倭人と日本人は別の民族集団というか、別国だろ。
当然、所在地も別。邪馬台国の周辺には日本なんて小国は無い。
邪馬台国(九州)日本(畿内)でしっくりくるじゃん。

19名無しさん@1周年2019/06/08(土) 19:59:57.14ID:IVtIfaGi0
邪馬台国=大和、卑弥呼を敗死させたライバル・狗奴国の王家=熱田大宮司家・尾張氏で決着だな

20名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:01:01.35ID:7gjM7s/I0
こんなど田舎に卑弥呼は行かない

21名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:01:03.79ID:3pyFGwbe0
卑弥呼以来しばらく国交がなかったんだから
いきなり訪中して「初めまして!(近畿の)大和であります」って言うより

関西人得意のハッタリかましで
「久しぶり!元気しとった?倭やでー!」
中国人「え?前回来た人ヤマタイって言ってたけど・・・」
「そうそう!それ!前回そう名乗ったんでしたわ!わいがヤマトィやでー!」
「ほなそういうこって、次回からヤマトィって呼んでな〜」

まあ背乗りしたんでしょうな

22名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:01:27.39ID:boiQoNgL0
>>13
お前の方がわかってないだろwww
明らかに邪馬台国滅ぼしたから日本代表になったと書いてるんだから
邪馬台国は畿内だろうがwwwwww

23名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:02:18.53ID:7gjM7s/I0
>>22
ますます記紀と合わないが

24名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:03:41.53ID:0XsZ9P6K0
ここまでアホだと議論にならんね 不毛だな

25名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:03:42.29ID:B9u8xcch0
記紀と魏志倭人伝、邪馬台国にはなんの関係もねーよ

26名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:03:58.66ID:Eh9lW2Rg0
桃塚かw

27名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:04:00.86ID:boiQoNgL0
>>23
同じ文化圏だから同じ国の領主という認識だったんだろw
神武東征の記述にもにもそう書いてあるじゃねーかwww

28名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:04:04.06ID:krp7Tac/0
>>11
そんな間違いだらけの文献をドヤ顔で持ち出してくるってギャグとしか思えない
晋代に成立した文献だが、元ネタは魏志倭人伝なのが明白
しかもバラバラに分解されて、ほんの一部の欠けらを寄せ集めただけw

29名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:04:07.80ID:3pyFGwbe0
>>13
中国と国交築くのには「倭」に背乗りするのが一番簡単だと考えた畿内人集団が
倭(九州)から来た神輿(神武)を祭り上げたのかな

30名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:05:17.06ID:7gjM7s/I0
>>27
もはやキチガイだな

31名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:06:31.08ID:0XsZ9P6K0
>>29
新参者の日本を名乗る輩はまるっきり信用されないので
すでに中国の信用を得てる倭国の後継ですと名乗った
のは自然やろね

32名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:08:40.16ID:8bx2wUU10
>>20
まあそう言うな
福岡なんて、纏向遺跡以下の小さなショボい遺跡しかないんだからさw

33名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:08:47.05ID:JZo8pWEX0
天智天皇率いる九州倭国が
白村江で48000の兵を投入したが壊滅的敗北。

急遽、近江大津京を建てて畿内に疎開した。
しかし、すでに畿内でそれなりに力をつけていた
天武天皇がクーデターで政権を奪取。
大和朝廷が設立される。

その後九州は白村江の被害から復旧し
再び大勢力となり、
その国力を背景に再び天智系が
天皇の系譜に戻る。

34名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:09:19.51ID:7gjM7s/I0
ついにキチガイ投入してきた畿内説

35名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:10:00.94ID:V/GYtHD80
>>31
易姓革命の中国にそんな概念ないぞ
李氏朝鮮に国名変えろと要求してるし
同じ国なのに国名を変えたから不思議がってただけだよ

36名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:10:49.41ID:U6Tyrxv50
よく考えてみろ
日本は小国だったが倭を併合したと
神武は筑紫にいたが近畿に来た
この二つを意味するものは
クーデター起こしたってことだろ
正統な倭王朝じゃねえじゃねえか

37名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:11:25.14ID:krp7Tac/0
国家が別の国を騙り背乗りするとかフィクション小説の話
そんなアホなことを本気で主張してる九州爺い
脳みその構造がどうなってるか見てみたい

38名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:11:49.70ID:BkMifXzK0
クルミの様

39名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:11:54.68ID:3pyFGwbe0
>>31
まあ神代は完全に創作で半島から来た一族が政権握って
ただ書紀編纂で九州から来たことにしてるだけって可能性もあるけどな

40名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:12:01.59ID:0XsZ9P6K0
>>32
ほんと未だに大きな勘違いしてるやつが絶えないね
大和朝廷の偉大さを誇るなら纏向等は最適だが
邪馬台国語るには最も釣り合わないってこと中学生でも
分かりそうなもんだけどね 情けない

41名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:12:10.95ID:2gd0KyM10
九州説なんてチョンだろ

42名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:12:21.05ID:gI2lJUtW0
>>前スレ997
壹岐から末盧國までは方角指定はないのよ? まあ沖津宮や中津宮はなくても神湊にたどり着いた
可能性はなきにしもあらず。

43名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:13:02.11ID:E1uCmP4o0
当時の邪馬台国は戦をしていたのに纏向からはその痕跡すら無いのはおかしい

44名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:13:36.46ID:krp7Tac/0
>>20
おまえ日本で教育を受けてないだろ
小学生でも知ってることを知らないようだ

45名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:14:32.98ID:mVcvLGPQ0
>>15
モモソ姫が儀式に使った桃を儀式の後もとっておいて、モモソ姫が死んだとき、一緒に
まとめて埋めたってのか?どういう儀式なんだよ。そんな奇妙な説明せんでも、モモソ姫が好きだった
桃を死んでからも食べられるように死者と共に葬ったと考えるほうが自然だろ。あるいは
桃が不老長寿の薬だから、もしかしたら蘇るかもしれないと思って一緒に葬ったんだろ

46名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:15:32.55ID:5jmHUDZn0
高木彬光の邪馬台国の秘密と成吉思汗の秘密は面白いよね

47名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:15:41.60ID:7gjM7s/I0
>>39
継体、天智、天武、蘇我氏

このへん全部朝鮮人でも不思議ではない

48名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:15:54.52ID:boiQoNgL0
>>40
ヤマトの読みを無視して九州に存在しない地名の九州説を主張し続けるとか馬鹿かよ

49名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:15:58.17ID:gI2lJUtW0
>>15
そもそも2800個も儀式に使うもんなのか?

50名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:15:58.37ID:JZo8pWEX0
大分と思われる百済系の秦王国と
何度も波状的に移住が行われてきた
畿内地域。

大和朝廷は新羅との交易の色が濃い。

51名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:16:39.35ID:9axs1qvI0
>>47
今の朝鮮人とは関係ありません

52名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:16:50.85ID:gI2lJUtW0
>>46
おお、ここでいろいろ書いてるのはその二つがベースだ。

53名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:17:02.58ID:0XsZ9P6K0
>>39
譽田天皇と謳われた応神天皇がハッキリ福岡近辺に居られた
形跡がある以上九州蔑ろにはできんわな

54名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:17:27.96ID:CLM933I60
邪馬台国と大和朝廷はちゃうねんで

55名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:17:41.29ID:gI2lJUtW0
>>46
あ、違った。「古代天皇の秘密」のほうだった。もちろん「成吉思汗の秘密」も読んでるけど。

56名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:17:48.21ID:krp7Tac/0
>>46
小説家が根拠www

57名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:17:53.11ID:5jmHUDZn0
>>52
歴史ロマンっすな

58名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:18:23.17ID:gI2lJUtW0
>>56
誰も根拠なんて言ってないぞ。

59名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:18:48.87ID:0XsZ9P6K0
>>48
すまん 俺に安価つけんでね 君の知識低すぎる 議論に値しない

60名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:19:07.87ID:JZo8pWEX0
ヤマトの読みが確定するのは平安時代以降で
記紀にヤマトと読むように注釈が加えられている。

逆に言えば当時でも倭や大和を
ヤマトと読むのは一般的ではなかったことがわかる。

というか、現代でも当て字を教えられなければ
ヤマトとは読めない。

61名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:19:18.19ID:8bx2wUU10
>>40
弥生時代の福岡にショボい遺跡しかないのは事実だろw
だから邪馬台国は某県だ、某市だと、曖昧なことしか言えないんだしな。

虚栄心満載で無理やり見栄を張るのって、弥生時代に朝鮮半島から輸入したんだろ?

62名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:19:21.09ID:9axs1qvI0
倭迹迹日百襲姫命やまととももそひめ
が謎を解く鍵かも

63名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:19:28.96ID:spxSucU70
まあ正直言って、種の近くの果肉は繊維質が多いし、酸味があるから残すな
デパートで売られてるような桃は残さず食べられるけど
かじった跡が無いからと、祭祀に使ったと結論付けるのは早計かと

畿内説とか九州説とかよく知らんけど

64名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:19:31.64ID:5jmHUDZn0
>>56
ちゃんと読め。面白いと書いているだけだ

65名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:20:34.72ID:JZo8pWEX0
弥生遺跡数
福岡県4000
奈良県600

66名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:21:19.93ID:ke9y//Tl0
邪馬台国は福島にあるんだっつーの

67名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:21:20.84ID:boiQoNgL0
>>59
逃げるんだな
日本の建国話を否定する朝鮮人、論破されて逃亡ですか

68名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:22:15.46ID:gI2lJUtW0
>>57
理屈の組み立てが良く出来てるんだよね。あと梅原猛の一連の著作も
いろいろおかしなところはあるけど、基本的に理屈を上手く組み立ててる。

69名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:23:30.42ID:4BJ7qoui0
子供のときは、古墳の池で釣りしたりカブトムシ取ったな

70名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:24:01.85ID:RD9790EJ0
>>27
倭国と日本(畿内大和)の文化は大違いだぞ。

神武東征の話にも畿内で神武一行が嫁探し(平たく言えばナンパ)をした時に
大和の乙女が神武の部下の久米命の顔に刺青が入っているのを見て不思議がったという
記述がある。倭人は刺青を入れるが畿内人は入れない。

71名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:24:06.41ID:hdg85vs20
誰も種なんか食わねーよ

72名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:25:22.05ID:krp7Tac/0
九州説の嘘コピペ貼り付け係のやつ、どこ行った?
スレ進行してしまうぞ

73名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:26:00.80ID:mVcvLGPQ0
モモソ姫が引きこもり状態で、桃ばかり食って掃除もしないで放ったらかしの
ゴミ屋敷だったから。死んだとき、ゴミも一緒にまとめて埋めたんじゃないか

74名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:26:04.64ID:krp7Tac/0
>>70
九州に入れ墨なんかねーよ

75名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:26:10.87ID:7gjM7s/I0
騎馬民族説はもちろん誤りだが
朝鮮人は大量に来て5世紀の日本を一変させる多大な貢献をした

奈良4世紀末の立派な大壁住居オンドルはその朝鮮人の最初ぐらいの一派であろうな

76名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:26:20.50ID:slYygqAA0
邪馬台国は四国だよ?

77名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:27:09.39ID:5jmHUDZn0
>>68
ふむふむ、梅原氏のは未読なので読んで見るわ
梅雨の読書が捗りそうだ。サンキュ

78名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:28:26.96ID:rVlSi9qp0
>>36
日本とは神武の国じゃなくて饒速日の国だよ。饒速日が名付けたんだよ。
神武は倭の代表なんだろうな

79名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:29:01.50ID:ZsNxfDzD0
九州説なんていかにもチョンらしいねw学者は異端者扱いなのに

80名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:30:07.00ID:gI2lJUtW0
というわけで、高木彬光の

「成吉思汗の秘密」
「邪馬台国の秘密」
「古代天皇の秘密」

は読んでみても損はないと思うぞ。

ついでに梅原猛の

「隠された十字架」
「水底の歌」

あたりも(信じなくてもいいから)読んでみると面白い。

そのあとで井沢元彦の「逆説の日本史」あたりを読むとなかなか興味深いぞ。

81名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:32:07.43ID:HRvveA/I0
どう食べたら種に噛み跡がつくの?
野生に近いタイプで実の部分が堅くても滅多につかないと思うが…

82名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:32:33.21ID:RD9790EJ0
>>61
九州北部には吉野ケ里遺跡があるじゃん。弥生から古墳律令時代にまたがる
大遺跡だぞ。九州福岡の志賀島からは漢委奴国王の金印が見つかっているし。

畿内は古墳だけじゃん。適当な古墳を卑弥呼の墓とか恥ずかしくないの?
ねえ墓とかモモの種があると邪馬台国なの?

83名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:32:50.63ID:35IrZ11r0
3世紀半ばに奈良で前方後円墳を造った勢力がそのままその後の倭国統一の主導的な立場にありヤマト王権につながった

箸墓古墳は古墳時代と弥生時代を画する重要な遺跡
さて邪馬臺国はどこなんだろう

84名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:33:02.81ID:rVlSi9qp0
天武あたりがたぶん饒速日系の血を受け継いでて日本に変えたんじゃないかね?

85名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:33:23.23ID:rVlSi9qp0
天智かもしれんが

86名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:34:29.71ID:/znN/NIN0
モモの種が大量に見つかったって、
貝塚とかと同様ゴミ捨て場だったのかもしれんしw

87名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:34:42.58ID:7gjM7s/I0
この時代桃は苦くて固い
むしろ薬用とかだったのか

古代桃は吉備が本家だから吉備から貰ったのだろうな
あまりの僻地で可哀相だからあげたのかも

88名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:35:52.12ID:gI2lJUtW0
>>83
例えば前方後円墳を近畿で作っていた頃に九州から崇神天皇が移ってきて
地元(ナラ)の王権を簒奪したとして、それ以降、権力を確立維持するために
それまでの前方後円墳による儀式は存続させたと考えても不思議じゃ
ないと思うけどね。

89名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:36:02.04ID:rVlSi9qp0
>>85
あごめん孝徳天皇だった

90名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:36:02.14ID:/znN/NIN0
苦くて固いなら、なおさら種までかじったりしないわw

91名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:37:00.17ID:3pyFGwbe0
>>53
いろんなとこの実在人物の伝承や逸話から記紀の内容引っ張ってきたら創作だろうが実在の人物と紛らわしくなるわ

92名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:37:19.02ID:ZO6pJDfD0
>>83
箸墓古墳は槨があるから卑弥呼の墓とは完全に掛け離れてるけど
畿内派はどう思ってるの?

93名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:37:43.30ID:boiQoNgL0
『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」
俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌
姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌という

其地勢東高西下都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
「邪靡堆」を都としており魏志の邪馬臺である

 新唐書卷220 列傳第145 東夷
其王姓阿每氏 自言初主號天御中主 至彥瀲 凡三十二世 皆以 尊 爲號 居築紫城 彥瀲子神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州
日本の王の姓は阿毎氏、筑紫城にいた神武が大和を統治し天皇となった

亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通
隋の開皇末に天皇家の目多利思比孤が初めて中国と通じた

邪馬台国、畿内確定

94名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:37:51.70ID:gI2lJUtW0
>>84
今の所、ワシは天武はニギハヤヒ以前にナラにいた王権の
後継(か地元の豪族)じゃないかと思っている。

95名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:38:30.99ID:JBpTA3V90
>>87
百襲姫が葬られてるという箸墓の円墳部分から吉備の土器が出てるから
箸墓には吉備人が葬られていて、この吉備人が桃を畿内に伝えたのかも?
だから名前もモモソっていうんじゃね

96名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:38:49.88ID:9axs1qvI0
三穂津姫命も何か関連してるかも

97名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:39:32.00ID:0XsZ9P6K0
>>91
記紀の狙いはそこ どっちが先なのかあやふやにさせて
あたかも史実の如く後世の人に思わせる構成

98名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:39:37.44ID:gI2lJUtW0
>>95
あー、それ(桃そ姫)はあるかもしれない

99名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:40:16.39ID:7gjM7s/I0
桃の種、カエルの骨、鹿の角

三種の神器(ゴミ)が揃った

100名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:40:45.91ID:krp7Tac/0
>>88
夢物語って楽しいねw
フィクション小説ばっかり読んでるから荒唐無稽な発想になる

101名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:41:24.18ID:7gjM7s/I0
前方後円墳も吉備に造ってもらったもの

102名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:42:04.96ID:rVlSi9qp0
>>94
となると出雲になるが

103名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:42:13.23ID:eumP9Jf70
>>74
一方近畿はお歯黒だった

104名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:42:42.90ID:ZO6pJDfD0
奈良は銅鐸時代、古墳時代、仏教派の乗っ取りと弥生以降に覇権が3回入れ替わっている
だから仏教派の大和朝廷以前の歴史が抹殺されている

105名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:43:58.45ID:hUz7lx250
桃の種なんか噛む奴いねーだろ

106名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:44:21.36ID:6QPT4Eck0
>>46
面白いよね。特に『成吉思汗』の方の最後は、『えっ!』って思ったわ。

107名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:44:22.38ID:9axs1qvI0
>>96
倭迹迹日百襲姫命と三穂津姫命は大物主神の妻神とされている

108名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:44:32.11ID:7gjM7s/I0
信じないと畿内説が逆ギレします

109名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:46:36.07ID:6QPT4Eck0
>>105
好きな人もいるみたいだぞ。シアン化合物が入ってるから、人を選ぶ可能性はあるけど。

110名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:46:57.67ID:UmdqoErB0
害獣発生を抑えるために
生物の処分に厳しかっただけじゃね?
(´・ω・`)

111名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:47:19.73ID:gI2lJUtW0
>>97
記紀の狙いは色々組み合わせて天武系の元明天皇から孫の聖武天皇への皇位継承を正当化
して、いわば天武×藤原系の権力の確立が目的なわけよ

112名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:48:15.68ID:gI2lJUtW0
>>100
君は論理がわかってないな

113名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:48:24.16ID:9axs1qvI0
三穂津姫命と大物主神を主祭神として祭る
村屋神社がわりと近くに鎮座する

114名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:48:29.14ID:mVcvLGPQ0
>>87
苦くて硬いって何でわかるんだよ。だいたい、古代人の味覚を現代人と同じように
考えること自体ナンセンスだろ。仮に苦くて硬かったとしても、他の木の実より
おいしかったから、古代人は賞味したんだろ

115名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:49:29.05ID:RD9790EJ0
>>74
あるよ。

沖縄の女性は明治期まで刺青を手に入れていたし、台湾の少数民族は
刺青を体に入れる風習があった。刺青は黒潮流れる南方民族の特有の習慣。
九州も例外ではない。
それから揚子江流域の江南人(日本に稲作をもたらした民族だ)も刺青を入れる。
日本文化の照葉樹林文化との共通点は古くから指摘されているが、九州人は
色濃く刺青文化の影響を受けている。

畿内人は北方大陸文化のツングース文化の影響下だよな。
刺青とは無縁の倭人ではない民族集団

116名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:49:53.80ID:wPVUg8+F0
こういうのって意味があるように考えるけどさ、
子供が遊びで桃の種集めてたとか考えないの?
貝殻集めるみたいにさ

117名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:50:20.90ID:6QPT4Eck0
>>114
『味は悪くても、毒がなければ食う』って事もあり得るからな。植物は結構毒のあるのが多いし。

118名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:51:19.91ID:tE5pAJl+0
蘇我氏は優れた水道技術を持っていたので
ローマ辺りから来たのかもしれない
新羅は暫く駐屯したところなのでしょう

119名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:51:31.79ID:3pyFGwbe0
>>93
推古天皇の時代じゃ、4世紀以降にきた半島人が政権握ったとしても背乗り終わってるじゃん

120名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:51:38.15ID:7gjM7s/I0
吉備は桃祭祀の本場

僻地奈良が吉備に憧れて真似っ子したと見える
又はそもそも吉備の植民地か

121名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:52:23.76ID:6QPT4Eck0
>>114
言い忘れたけど、桃には魔除けの効果もあるからな。中国では食ってたんだから、苦い訳では
なかったとは思う。今の桃とは大分違うだろうけどね。

122名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:53:11.26ID:gI2lJUtW0
>>120
吉備も良くわからんのだよなあ。桃太郎伝説の鬼は牛頭天王とかツヌガアラシト(角がある人)の
伝承なのかねえ。

123名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:53:31.79ID:7gjM7s/I0
>>121
いやいや甘い桃は品種改良で生まれたもの
この時代は苦いはず

124名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:53:55.33ID:6QPT4Eck0
>>120
豊かに暮らしてた吉備を大和が襲って富を奪ったのが桃太郎の物語、って話もあるね。

125名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:55:27.26ID:dG56EXnQ0
一番歴史が近い隋朝と平安朝が邪馬台国=大和政権って認識だから覆すの無理

126名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:58:48.56ID:7gjM7s/I0
そもそも沼地と原っぱで土蜘蛛が洞窟にいる日本屈指のスラムが奈良

ここに町を作る資本は吉備が出したと見るのが妥当でしょ
だから前方後円墳の土木も吉備だし中身も吉備人だよ

127名無しさん@1周年2019/06/08(土) 20:59:09.59ID:6QPT4Eck0
>>122
中国の西王母の桃も苦かったのかな。今よりかは味は相当落ちるけど、そこそこ食えたモノじゃ
なかったのかな。

128名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:00:19.70ID:gI2lJUtW0
>>125
わたしの説では仁徳(=応神)天皇が邪馬台国の後継で、その後も表向きは一応皇統が続いているという
ことになっているので平安朝の大和政権=邪馬台国なのは全然問題ナッシング。

129名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:05:02.10ID:mVcvLGPQ0
>>121
魔除けの効果があったなら、モモソ姫が儀式で使ったと言うよりは、モモソ姫の
死霊を恐れて、魔除けとして大量の桃を墓に埋めたという方が自然。無理やり
卑弥呼の奇道と結びつけるから不自然に感じるんだよ

130名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:05:33.83ID:hIlvAtyv0
邪馬台国が本当に実在したと思ってるのか?
オマエら

131名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:06:12.83ID:V/GYtHD80
>>127
品種改良で味は違うだろうけど
人名に使ったり、桃園の誓いとか西遊記に出てきたり
おいしい果物の代表だったんだろ
メロンなんか瓜の一種でキュウリと変わらなかったらしいし

132名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:07:36.16ID:7fzAqDon0
普通種かじるか?

133名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:08:09.09ID:tCYibo/v0
>>6
九州は桃の種子をかじるのかw

134名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:10:22.15ID:os57qcnf0
>>93
畿内説は否定証明完了済み。





 

135名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:10:53.74ID:os57qcnf0
>>130
畿内説は否定証明完了済み。





 

136名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:11:50.30ID:os57qcnf0
>>79
涙拭けよチョンww

137名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:12:04.25ID:8bx2wUU10
>>82
吉野ヶ里ですら纏向の足元にも及ばんのだよ。
北九州人の思ってる大規模遺跡や巨大古墳ってのは、畿内じゃ全然大した規模じゃない。

138名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:12:23.79ID:os57qcnf0
>>137
畿内説は否定証明完了済み。





 

139名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:13:09.35ID:3pyFGwbe0
>>122
単純に天之日矛から始まる嘘つき関西人の歴史の始まりの発展形だろ

140名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:13:09.74ID:mVcvLGPQ0
苦くて硬かったら、桃太郎の伝説は生まれないよな。おばあさんは、桃が流れてきても
見向きもしなかったし、桃太郎は海まで流れていって、黒潮に乗ってアメリカのインディアンに
拾われていただろう

141名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:16:00.54ID:6QPT4Eck0
>>129
古事記にもイザナミの放った鬼(?)にイザナギが桃の実を投げて追い払った、って話があるから、
魔除けだよね。

142名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:16:08.62ID:0XsZ9P6K0
>>137
なんで遺跡や古墳の大きさ競ってんの?
未だにようわからんわ

143名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:17:10.97ID:J09NVOSy0
静岡の登呂遺跡は1世紀で8万平方メートル
水田、竪穴式住居他で王がいた形跡がないから共和制?

144名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:17:23.53ID:3pyFGwbe0
>>125
隋は、半島人に背乗りされた大和政権から(胡散臭い)と思いながら聞き取りしてるんだから信憑性は低い

警察でいう供述調書だね
犯人はこういってました、との書き取り記録
犯人が矛盾だらけの嘘言おうが真実言おうが関係ない

145名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:19:23.36ID:6J62A0YN0
邪馬台国はさ、埼玉古墳群にあったんだと
思うよ

146名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:20:00.73ID:os57qcnf0
>>145
間違い。

147名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:20:55.47ID:os57qcnf0
>>141
つまり桃は邪馬台国じゃ無いってことじゃんかwww

148名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:22:08.07ID:os57qcnf0
>>141
結論出たな。
桃はヨミの国の証拠。
邪馬台国ではない。



はい、結論出ましたwwwwwwwwwww


 

149名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:22:27.40ID:fdrw7uWd0
>>137
副葬品が九州の方が豪華で豊富

150名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:22:53.54ID:3pyFGwbe0
>>145
時代が違いすぎ
畿内人みたいに学会の実権握って、古墳群の比定年代を無理やり前倒しするしかないな

151名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:23:19.21ID:MJeoeFvN0
丁寧に種をとって食べたということはないのか ?

152名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:23:23.18ID:8bx2wUU10
>>142
奈良はど田舎で、じゃあど田舎以下のものしかない北九州はなんなんだという話し。

当時の最先端で一番発展してる地域の実態は、掘っ立て小屋を王城と呼んでたって事だろw

153名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:24:31.02ID:UITgnFhr0
古墳が一番大きい=列島で一番強い権力を持っていた。
しかし全国から人が動員されているなら別だが、確かに言えるのは
畿内とその周辺の住民が強権的支配の下にあったという事実だけ。

154名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:28:04.04ID:6QPT4Eck0
>>147
邪馬台国は魏と行き来はしてたから、中国の伝承が入って来た可能性はあるよ。

155名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:28:58.47ID:OIg9cpeN0
畿内説ってなんでも有りなんだねw

156名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:29:02.62ID:9axs1qvI0
>>148
黄泉の国と関連するのは出雲と熊野なんですがね

157名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:32:03.24ID:6QPT4Eck0
>>156
出雲はまだしも、熊野は違うだろ。神武天皇は黄泉の国を通って大和に入ったのか?
おかしいんじゃないか?

158名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:32:16.38ID:XMNdNZiA0
>>1
ものすごく頭が悪くて感心するわwww

159名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:32:27.79ID:dG56EXnQ0
漢字文化を自由自在化した平安時代の邪馬台国=大和政権の見解こそ正解。でも神武東遷以前の大和政権の王達は筑紫なんだから九州説も間違いじゃない。

160名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:34:47.66ID:rVlSi9qp0
>>157
たぶん伊勢から大和に入ったんだと思うが
伊勢も常世の重浪が打ち寄せる場所だけどね

161名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:35:25.73ID:A60rHdNR0
>>87
古代中国の桃って、日本の品種とは違うんじゃね?
てか、魏よりももっと古い殷時代から中国では桃食ってたやん?

162名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:35:31.64ID:9axs1qvI0
>>157
イザナミが葬られた地を日本書紀は熊野の有馬村の花の窟であるという
(ウイキペディアより)

163名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:37:08.53ID:A60rHdNR0
>>159
神武東征以前の神武の一族は宮崎県だろ。

164名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:37:13.59ID:0odMluke0
延喜式祝詞には、
皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある

また道饗祭の祝詞には、クナトが高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。

これが平安時代の朝廷の認識

魏志倭人伝で言うなら、狗奴国の勢力が600年の内乱を経て倭国大乱前の有り様を取り返したと言えるだろう。

記紀なら神武東征として描かれた芦原中津國、ヤマト征伐の被害者である畿内の在地の勢力が、600年の内乱を経て平安を取り戻したと言える。

165名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:37:53.43ID:zm2KUnMg0
九州のその辺のオバはんを魏はうっかり倭国全体の代表と思って親魏倭王にしたの?

当時の奈良には倭国最大の勢力がありその影響というか情報は北九州にも及んでいたんだけど、魏はヤマトのことを全く知らなかったの?

166名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:38:00.49ID:mVcvLGPQ0
>>141
モモソ姫は死霊となって祟るくらい、非業の死を遂げたのかもしれないな。
モモソ姫の逸話は愛する男と引き裂かれて、その後、何らかの理由で陰部に鋭利な刃物を
突き刺されて死んだように読める。陰部に突き刺すこと自体が汚れた血を持つ子どもが
産まれないようにという一種の魔除けだったのかもしれない。

167名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:38:20.28ID:boiQoNgL0
>>159
つまり邪馬台国の場所は畿内だろ

168名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:38:25.08ID:UW+zx9JO0
たぶんねずみとかが冬眠用に集めて隠した種だと思うけど

169名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:39:21.91ID:0odMluke0
倭国大乱前に存在した畿内の国は滅ぼされたのだろうか?

畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている


池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、褐鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。

これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか?
仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。
弥生時代の勾玉勢力と何か関係があるのだろうか?

170名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:42:04.23ID:9axs1qvI0
>>162
実はこの前、花窟神社に参拝したとこだから知ってたのだよ

171名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:42:22.43ID:0odMluke0
古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。

聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首

押し照る 難波の国は 葦垣の 
古りにし郷と 人皆の 
思ひ息みて つれも無く ありし間に積麻(うみを)なす 
長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食国を 治めたまへば 沖つ鳥 
味経の原に もののふの 八十伴の緒は 廬して 都なしたり 旅にはあれども

172名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:43:40.29ID:6/4ZmL8Q0
公平に考えると、
九州説が有力だな。

173名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:43:59.99ID:A60rHdNR0
>>165
うっかりという訳ではなく、公孫氏の討伐が終わって、真っ先に帯方郡へ挨拶に来たからヨシヨシって話しだろう。

遠路遥々よく来たな。お前の忠孝をいとおしく思うから親魏倭王にしてやるって魏志倭人伝に書いてあるやん。

174名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:45:34.84ID:rVlSi9qp0
人は自分にやましい事があればあるほど祟りが怖くて懇ろに祀る。
日本の支配者は出雲、伊勢、宇佐、太宰府、大神神社、賀茂、法隆寺などに相当えげつないことしたと思う。

175名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:46:14.60ID:boiQoNgL0
>>172
おいおい
例え日本史を否定しようとも中国史で畿内説が確定しているのに何を言ってるんだ

176名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:46:35.62ID:UduZbjBA0
イザナギ「喰ってから投げてたらイザナミに捕まっちまうだろ」

177名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:46:42.41ID:0odMluke0
押し照るはなにわの枕詞

そしてもう一つのなにわの枕詞が【芦が散る】

倭国大乱で敗れたことを表しているんだろう
八十神がいた芦原中津國
大国主とスクナヒコナが国作りをしたクニ
1世紀後半に建国されたクニ、対外的には倭国のことだろう

178名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:48:47.14ID:pvOYyiyy0
今時、畿内説なんて信じてる人がいるのが驚きwww

179名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:49:05.70ID:3pyFGwbe0
>>152
奈良に吉野ヶ里の年代で吉野ヶ里より立派な建屋ってあったっけ?
まあ九州に邪馬台国があったとしたら吉野ヶ里も支所みたいなレベルで
本所はまだ見つかってないところだろうけどな

180名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:49:08.91ID:gUIYVDXw0
>>175
確定していないよ。

181名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:49:28.76ID:0odMluke0
芦原中津國はなにわを中心とした近畿地方なんじゃないか?
芦原醜男は大国主の別名
大国主とスクナヒコナが【一体】となって国作りをしたクニはなにわを中心とした芦原中津國では?

芦原はアイヌ語で【サル】
サルで思い出すのがサルタヒコ

そしてサルタヒコは出雲の姫神である幸神とクナトの神の子

芦原中津國とクナトが結びついたな
芦原中津國は狗奴国のことかもしれない

182名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:50:50.96ID:6QPT4Eck0
>>162
そんな話があるんだ。どうもありがとう。オレ奈良に住んでるけど、それは知らなかった。
住んでるところは、神武天皇の金鵄伝説のあるところの近く。

183名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:50:57.15ID:tE5pAJl+0
祟りが怖くて征夷大将軍を置いておくんだから
外国人勢力だったのだろうな
出雲の復活にビビりまくっていたのだろう

184名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:52:20.67ID:0XsZ9P6K0
>>152
まさかそんな答え?田舎とド田舎のどんぐりの背比べしてるわけか

呆れた

185名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:53:11.25ID:0odMluke0
崇神の代に建てられた廣瀬大社

【若宇加能売命】が祀られている

かなり重要な存在と思われる。一説によると稲荷神と関係あるとか

若、【ワカ】

インカ帝国では、【ワカ】は川や泉などと結びついた聖なる存在
アイヌ語で【ワッカ】は清らかな水

インカ帝国はy染色体ハプロタイプはQ系
殷もQ系だったらしい
日本にもQ系は1%弱いる

インティはインカ帝国の太陽神
殷の王族は太陽の末裔

太陽信仰の起源は殷にあるのかもしれない

殷の王はシャーマンであり鬼神を崇拝していた

稲荷はイネカ→インカ

廣瀬大忌神、稲荷は殷系の渡来人と関係あるのだろうか?
神上がりしたということは滅ぼされたのだろうか?
崇神の前は卑弥呼、男王、台与の時代
邪馬台国の勢力は稲荷の神様を倒してしまったのだろうか?

186名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:53:55.72ID:pvOYyiyy0
>>175
根拠は無いけど「確定してる」が畿内説www

187名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:54:53.44ID:3pyFGwbe0
>>165
当時の畿内って三韓から半島人が押し寄せてきて魏と対話するどころじゃないだろ
わざわざ政情不安から逃げてきた渡来人が「魏に使を送りましょう」なんて言いそうにないし

188名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:56:56.12ID:boiQoNgL0
>>165
倭国=邪馬台国=大和
隋書に書いてある

189名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:57:36.40ID:0odMluke0
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になる
級長津彦命 級長戸辺命
しなは息が長いという意味
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない

壬申の乱
記紀を編纂させた天武は息長タラシ系を滅ぼしたんじゃないかな
そして鎮魂したと
龍田神社
天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。
祭神
天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。

万葉集にも以下のような歌が残っている
【にほ鳥】の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも

息長タラシ系の最後は大津皇子かもしれない
辞世の句
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
磐余と鴨を恨んで亡くなったのだろうか?

金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向

草薙剣に祟られた天武
こういう経緯があったからかもしれない

190名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:59:02.94ID:9axs1qvI0
>>182
日本史の史跡巡りし放題の場所ですね
羨ましい

191名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:59:30.58ID:0odMluke0
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ

日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子スクナヒコナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな

神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話

この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します

192名無しさん@1周年2019/06/08(土) 21:59:36.54ID:6QPT4Eck0
>>183
征夷大将軍は東北の討伐だと思ったが。

193名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:00:34.71ID:rVlSi9qp0
>>192
東北と出雲て同族と言われてるからなあ

194名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:00:59.93ID:rVlSi9qp0
夷=事代主だし

195名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:03:49.81ID:aAaUVzXT0
3c半ばに卑弥呼が死ぬが、その後も半世紀くらいは邪馬台国は存在したろう
河内湖が存在し日下まで船で行けたのは400年くらいまで
且つ最古の古墳が3c半ばくらいだとすると
神武東征の下限も3c半ばくらいか
なのに日本書記に邪馬台国の記憶はない
やっぱ大和に邪馬台国は無かったんじゃないか?

196名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:06:48.30ID:0XsZ9P6K0
>>195
そゆことです 畿内派がどうひっくりかえっても言い返せないのが
記紀に記載が一切無い この事実です

197名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:07:29.86ID:rVlSi9qp0
>>195
吉備くらいまでは東遷してきてたのかもしれんけどな

198名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:07:43.64ID:boiQoNgL0
>>195
日本人が日本を下卑する名称を嫌ったと隋書に書いてある
どう考えても日本人向けの書物に使うわけがない
つまり、中国史どおり邪馬台国=大和

199名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:09:54.12ID:rVlSi9qp0
>>196
あるとすると斎王が一番卑弥呼に当てはまるのだと思うが
つまりその場合朝貢を勝手にしていたのは伊勢であり大和王権ではない事になる。
だから知らないのではないか?

200名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:10:00.56ID:A60rHdNR0
>>172
西暦200年代の日本の総人口が59万人と推計されてる。
公平に見て九州じゃ無理じゃね?

邪馬台国だけで7万戸、投馬国で5万戸、奴国で2万戸
他の国の9千戸と合わせて14万9千戸

1戸5.5人平均として約8万2千人

鬼頭宏の計算だと、当時の北九州には4万人くらいしか住んでなかったし

201名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:11:39.42ID:4sZVG5yg0
博多駅でタクシーに乗って「邪馬台国まで」っていうと、吉野ケ里に連れてってくれる
奈良駅でタクシーに乗って「邪馬台国まで」っていうと、運転手が困って「どこですか?」という

だから邪馬台国は九州にある

202名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:13:35.73ID:zDRUdZSH0
「あーあ、蛆湧いちゃったね」
「食えないね」
「捨てよ」

203名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:14:54.68ID:0odMluke0
杵築大社の天井図、八雲が一つ欠けて七つしかないだろ?
出雲地方でオオナムチ以前に信仰されていたのは幸神、東から来て文物をもたらした【クナトの神】、そして二神の子【サルタヒコ】
追放されたんだろうな。八雲が欠けた理由

【八雲を出た一族、出雲】

逃れたサルタヒコが見つかったのは、天の【八衢】
道が幾つにも分かれるところ、【方違】
堺に方違神社があって、方違【幸】大神が祀られている
その近傍にイシズ川がある。サルタヒコが消えたのはイスズ川の川上。

サルタヒコが溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小阪。

伊勢でサルタヒコの荒魂が祀られているのが阿射加、大阿坂、小阿坂
伊勢と同じものが揃っている

204名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:15:32.82ID:0XsZ9P6K0
古事記は日本人向けだが、日本書紀は外人(当時だから中国向け)向けってことも
知らない人がいるみたいだな

>>199
伊勢とかはずっと後のこと、でも朝貢してたのは九州にあった国々で
大和王朝とは無関係

205名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:18:20.15ID:0odMluke0
サルタヒコが見つかった【八衢】

サルタヒコの父【クナト】

道饗祭の神と関係があるかもしれない
道饗祭

【高天之原に事始めて】、【皇御孫之命】と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、
 【 八衢比古・八衢比売・久那斗】と御名は申して辞竟へ奉らくは、
根国底国より麁び疎び来む物に、相率り相口会ふ事無くて、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守・日の守に守り奉り斎ひ奉れと、
進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・辺高知り、・腹満て雙べて、汁にも穎にも、
山野に住む物は、毛の和物・毛の荒物、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、
横山の如く置き足らはして進る宇豆の幣帛を、平けく聞食して、
大八衢に湯津磐村の如く塞り坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂御世に幸へ奉り給へと申す。
  又親王・王等・臣等・百官人等、天下の公民に至るまでに、平けく斎ひ給へと、神官、天津祝詞の太祝詞事を以て、称辞竟へ奉らくと申す。

206名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:18:22.78ID:rVlSi9qp0
でも伊勢はいかにも中国と交易しそうな渡来人がいたっぽい雰囲気漂わしまくってるけどな
猿田彦の風貌とか度会とかいう地名とか

207名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:18:43.57ID:A60rHdNR0
>>200
桁間違えてた

魏志倭人伝の通りだと約82万人いた事になるな。

208名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:18:43.94ID:V/GYtHD80
公孫氏とも交流してるし、魏と交流したことのみが伝承として残るとは思えない
魏志倭人伝に邪馬台国として紹介されました。やったね!
みたいなことを記紀に書くと思ってるの?

209名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:19:57.86ID:6QPT4Eck0
>>190
こんな感じのところ。
https://www.travel.co.jp/guide/article/31790/

ナガスネヒコの首塚とか、近くにニギハヤヒの乗ってきた天磐船を祀った磐船神社とかもある。
近くに『富雄(とみお)』『鳥見(とりみ)』『登美(とみ)』って地名もあるけど、これは
鵄から来てる、って話もあるらしい。

210名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:20:52.82ID:pvOYyiyy0
畿内説はトンデモ珍説だな

邪馬壹國←読み方不明を

無理矢理「ヤマト」と読むのが唯一の根拠www

それも、江戸時代の町医者の捏造www

211名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:20:55.45ID:0odMluke0
殷最後の王である紂王の愛した天智玉
鏡ではなく玉
いつの時代の話なんだろうか?
最後の神産巣日の子
弥生時代後期〜末期か

古事記でスクナヒコナは神産巣日の子
ガの服を着ていた
神産巣日の命で大国主と国作りを行った
日本書紀ではミソサザイの服

神産巣日の子スクナヒコナ(ミソサザイ=サザキの服を着ていた、神産巣日の命で大国主と国作りを行なった)
→倭国大乱
→仁徳天皇(大雀命、オホサザキの命)
→天智天皇(殷最後の王である紂王の愛した天智玉=最後の神産巣日の子の末裔)

延喜式祝詞にも
高天原に神留り坐す皇睦神漏伎命・神漏弥命以て
皇御孫之命が祭祀を行うという内容が書かれている
また皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
道饗祭の祝詞には、皇御孫之命は高天原で事を始めた八衢彦、八衢姫、クナトであり、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている

212名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:24:17.32ID:A60rHdNR0
>>209
ご近所さんこんばんはw

213名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:25:02.63ID:boiQoNgL0
>>210
日本史を否定したい朝鮮人が50年くらい前に創作した九州説のほうがトンデモだろwww

214名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:25:54.42ID:pvOYyiyy0
随分昔に結論は出てたんだな。

(旧唐書 倭國条)
倭國者,古倭奴國也。
倭国は昔の倭奴国である。

(旧唐書 日本条)
日本國者,倭國之別種也。
日本国は倭国の別種である。

215名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:28:10.02ID:0odMluke0
ナガスネヒコか
石切さんと何か関係あるのかな?

葛城の土蜘蛛は脛が長かったと言われている

何か関係あるのだろうか?

216名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:28:48.36ID:pvOYyiyy0
>>213
は?大和朝廷の成立は8世紀なのに、無理矢理
3世紀までゴットハンドしようとする皇国史観が
まかり通ったら、そっちの方が日本人は恥ずかしいわwww

217名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:30:50.39ID:0odMluke0
畿内から環濠が消えていく1世紀後半〜2世紀中頃の、守山の伊勢遺跡
政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう
国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろう

中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。

伊勢遺跡の祭祀は夜に行われていたと言われている。
夜の食国を治めたのは月夜見
農作業に使う暦を作って、首長たちに伝えていたのかもしれない

魏志倭人伝の魏略からの引用に女王国には暦がないという記述は興味深い

万葉集の奈良時代後半の歌を読むと、月やホトトギス時鳥の来訪の期待感が、次第に高まっていくのが感じられる
桓武朝で神代の王統が復活したのだろうか?

信長秀吉家康の例え話
ホトトギスは何を指すのだろうか?
ホトトギス、時鳥、
又の名は【玉むかえ鳥】

218名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:31:43.06ID:boiQoNgL0
>>214
そうだな
畿内で確定だな

(旧唐書 日本条)
以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
倭という名称をきらって日本へ改称した

219名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:32:51.06ID:boiQoNgL0
>>216
日本の歴史を意地でも短くしたい朝鮮人www

220名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:33:31.79ID:VC/dJ4U50
桜桃の味

221名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:35:36.01ID:0odMluke0
前漢の時代は日本は未だ100余国に分かれた状態だったからね
国としての始まりは、大国主とスクナヒコナの国作りからだろう
1世紀半ばくらいか

222名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:36:43.62ID:rCZV8VfJ0
魏志倭人伝に出てくる九州北部には、古事記で九州が生まれたときからあると伝えられてる筑紫国がない。
なので、邪馬台国は古事記の国生みより古い時代のお話であって大和なんかまだできてない。

大和=邪馬台国はさっさと諦めて、大和政権ができるときに、邪馬台国がかかわった可能性について研究するべき。
まずは、北部九州がなぜ筑紫国と呼ばれるようになったのか、そこが最大の鍵になるはず。

223名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:38:42.85ID:pvOYyiyy0
>>218
日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを
以て、故に日本を以て名とす。
或いは曰う、「倭国自らその名の雅ならざるを
悪(にく)み、改めて日本となすと。
或いは云う、『日本は旧(もと)小国、倭国の地を
併せたり』と。 その人、入朝する者、多く自ら
矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に
中国焉(こ)れを疑う。

故に中国焉(こ)れを疑う。
故に中国焉(こ)れを疑う。
故に中国焉(こ)れを疑う。

224名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:39:16.80ID:jX9V6Xp00
いや種なんか食わんだろ

225名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:39:41.23ID:RD9790EJ0
>>213
九州説を最初に唱えたのは本居宣長だが。
いうまでもなく江戸時代の純日本人

226名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:41:02.07ID:pvOYyiyy0
>>219
ほら、畿内説信者は捏造してでも長くしたい朝鮮人メンタリティwww

227名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:42:36.59ID:boiQoNgL0
>>228
その通り
明確に中国は小国なら併合できるわけがないだろって疑ってるんだよな
だから倭を改称した日本はつまり邪馬台国なわけだ

228名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:42:47.63ID:J09NVOSy0
昔は天皇が神だったからな
朝貢した事実を除外する制限付きで考えないといけない歴史学者

229名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:43:09.67ID:A60rHdNR0
>>216
何を持って大和朝廷の成立とするかは、人によるんじゃね?

230名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:44:19.70ID:rL6C1ges0
>>223
自分のレスを自分で否定するアホ

231名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:45:58.39ID:Sx3Wv3zD0
●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。


 このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。


 マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説 。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。


 日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。


 なぜか?


 明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。


 例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」


 とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」


 とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。

232名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:46:19.59ID:Sx3Wv3zD0
●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?

ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。


 日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。


 Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず 、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。


 どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。

233名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:46:41.39ID:Sx3Wv3zD0
◎日ユ同祖論の年代矛盾。

ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。

◎日ユ同祖論の方位矛盾。

メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり 。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。

イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant

◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。

公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。

◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。

本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。

◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。

神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。

234名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:46:52.73ID:tE5pAJl+0
出雲王朝滅びて津軽へ逃避したというからね
征夷の夷は夷人であるところの出雲王朝の勢力をも意味しているよね
征夷大将軍を設置して常にその監視と制圧を行うってわけだよ
出雲の勢力による報復や出雲王朝再興を心底怖れた
出雲を滅ぼしたのは唐王朝だろう

235名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:47:03.01ID:Sx3Wv3zD0
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。

RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。

RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです。

RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです 。

RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。

RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?

ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm

ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)

236名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:47:04.23ID:RD9790EJ0
>>227
いやいや日本の使者は昔は倭国と名乗ってましたと自己申告してきたが
あまりにも態度が尊大で不誠実なんで、こいつら本当に倭人かよと疑ったって
ことだろ。

237名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:47:28.94ID:pvOYyiyy0
>>230
日本国は倭国の別種なり。
日本国は倭国の別種なり。
日本国は倭国の別種なり。

238名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:47:52.28ID:0odMluke0
丹後半島、丹波、丹庭の歴史は興味深い

紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、朝鮮半島に類似した墓、朝鮮半島製と思われる鉄刀が出土するようになる

丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
化け鳥のオロチ、八衢のオロチ、風の神、息長

239名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:49:47.17ID:0XsZ9P6K0
>>222
隋書倭国(タイコク)伝 読んでない?筑紫国出てくるよ

明年 上遣文林郎裴C使於?国 度百濟行至竹島 
南望?羅國經都斯麻國?在大海中 
又東至一支國 又至竹斯國←ここ 又東至秦王國 
其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於?

240名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:50:25.95ID:3pyFGwbe0
>>204
邪馬台国は魏に朝貢してるよ

241名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:50:46.75ID:boiQoNgL0
>>236
それが理由なら尊大なら自慢しているわけだから事実だろうと普通は思うだろ

>>237
別種の呼び方ってことだわな
お前は否定したくてバイアスがかかってんだよ

242名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:52:27.22ID:0XsZ9P6K0
>>240
そだよ してるよ
だから邪馬台国と大和王朝とは無関係

243名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:53:27.18ID:6QPT4Eck0
>>215
石切神社は明治に出来た神社だぞ? それよりも、近鉄の奈良線にあった『孔舎衛坂(くさえざか)』って
駅が謎。『孔舎衙坂(くさかざか)』だったら分かるんだけどね。今は、日下って記述する事が多いけど。

244名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:57:06.95ID:RD9790EJ0
>>241
どうしてそう思うんだよw
遣隋使の回数が中国と日本とでは違のは知っているよな。
たぶん倭国が派遣したのが失われた第一回目で、その時は誠実で中国を立てていたが
なぜか二回目以降、尊大で自慢ばっかする不誠実な人間に変わった。
中国側としてもこいつら本当に倭人かよと疑うだろ。

てかまともな人間ならそういう違和感を持つほど日本人(大和王朝?)の連中は
夜郎自大だったってことだ。

245名無しさん@1周年2019/06/08(土) 22:58:11.65ID:rCZV8VfJ0
>>239

その文章の解説さがしたら609年の話みたいだけど、当時は大和政権で邪馬台国はとっくになくなってるよね?
邪馬台国は200年代のお話なんだが。

明くる年(大業四年、608)、お上(煬帝)は文林郎の裴世清を派遣して倭国へ行かせた。
百済へ渡り、竹島に至る。南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、
また東のイキ国へ至る。またチクシ国へ至り、また東の秦王国に至る。その人は中国人と同じで、
夷洲と考えるが、はっきりしたことはわからない。また十余国を経て海岸に到達する。
チクシ国以東はみな倭に付属している

246名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:00:02.60ID:boiQoNgL0
隋書列傳第四十六 東夷 倭國

自竹斯國以東、皆附庸於イ妥
筑紫国より東はすべて倭国に属している。

なぜ九州説は中国史を意地でも読まないのか

247名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:00:07.55ID:0odMluke0
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で見つかっている

島根の神庭地方の人々も紀元前後、畿内に逃れてきたんだろう

島根のカンバ、丹後半島のタンバ、大阪のナンバ、クナト

畿内に集結した人々が協力して国作りを行ったんだろうな

248名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:00:17.13ID:pvOYyiyy0
>>241
あのね
旧唐書は「倭人の条」と「日本の条」と
別々になってるんだよ
別種の呼び名だったら分ける必要性は無いだろ?

249名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:00:59.98ID:LSQqA5yi0
>>241
別名と別種じゃ意味が正反対やん

250名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:01:45.34ID:V/GYtHD80
>>248
あるよ

251名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:06:48.86ID:Wo8XEW+P0
1000年以上前の中国から疑われ
現在では日本中から疑われてる大和って
全く変わってないくて笑えるな

252名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:07:28.20ID:pvOYyiyy0
>>250

中国の世界地図
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚

拡大図
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚

倭国と日本は別の国

253名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:10:22.42ID:0odMluke0
>>243
現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、
延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。
宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。
その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。

明治維新の際に色々細工されたようだな

254名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:10:54.57ID:0XsZ9P6K0
>>245
同じ順(経路)辿ってるからだよ 魏志だとそこが伊都や奴国あたりってこと
それが後に筑紫になって永らく王が居住してた筑紫城があったところ

255名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:14:11.87ID:V/GYtHD80
>>254
裴世清も筑紫から難波まで2ヶ月だから
倭人伝と同じだよね

256名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:16:09.19ID:pvOYyiyy0
末盧國、伊都國、奴國、不弥國は確定していて邪馬壹國だけ確定出来ない九州説

邪馬壹國が纏向だと言い張って、末盧國、伊都國、奴國、不弥國がどこにあるのかもわからない畿内説

257名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:17:08.42ID:rCZV8VfJ0
筑紫国の場所なんかわかってるよ
邪馬台国へ行く魏志倭人伝の時代に筑紫国が出てこないということは、邪馬台国があった当時、九州北部は大和政権の系統ではないということ。

なんたって大和政権が作らせた古事記で最も古い時代の国生みで九州は筑紫国とされてるんだからな。

258名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:17:57.09ID:0odMluke0
魏志倭人伝
邪馬台国の官

官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。

伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。

出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。

出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。

259名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:19:27.00ID:0odMluke0
邪馬台国の南の狗奴国
魏志倭人伝の狗奴国の版図は南河内と和泉だろう

元々狗奴国は畿内くらいの版図があったんじゃないかな
2世紀末の畿内征伐で、なにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力によって征伐されたんだろうな

狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦だろう

260名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:20:25.77ID:boiQoNgL0
>>257
つまり九州説は四国説や関東説にすら劣る駄説であることが確定したな

261名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:20:55.12ID:eumP9Jf70
>>255
水行で30日その後陸行で一月ってこと?

262名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:21:50.47ID:0odMluke0
魏志倭人伝には、伊都国が千戸しか人がいないと書かれている。漢数字で千と万は間違えるはずはないので、実際千戸程度しかいなかったんだろうね。
もう一つ魏志倭人伝には、一大率が伊都国に置かれているとある。
3世紀半ばに大兵団が置かれていた場所の候補地は博多那珂地区しかない。
博多も区域としては伊都国に含まれるが、一大率が支配していたのだろう。
つまり伊都国は、平原周辺(王とその取り巻き)以外の大部分を一大率に召し取られたと考えると矛盾がない。

魏志倭人伝によると、
伊都国から奴国までは百里、奴国から不弥国まで百里とある。また不弥国からは南へ船で20日進むとある。
不弥国は周防灘に面した国と考えるのが妥当。

奴国は不弥国と伊都国の中間にある。地図を見ると遠賀川がその辺りにある。

遠賀川流域は、縄文時代〜弥生時代にかけての石器の一大製造拠点。その石器は九州全土に広がり、特に九州北部に強い影響力を持っていた。
また遠賀川流域の飯塚市から、行橋市には古くからルートがあり、関門海峡が通れなかった当時玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路であった。
奴国は2万戸の大国であり、遠賀川流域一帯の国であったと考えられる。

問題は不弥国である。
魏志倭人伝によると伊都国と同じように千戸しかないとある。壱岐ですら三千戸であることを考えるとかなり不自然。
行橋市の北は京都郡、苅田。
石塚山古墳など早期の前方後円墳がある。

巨大古墳のあるところは、労働力の集積地(非農業人口集積地)。つまり拠点地域。

不弥国も伊都国と同じように、大部分の領地を女王国に召し取られた可能性がある。
その地域支配の拠点が苅田辺りに作られていた可能性がある。

263名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:23:40.01ID:ulxSfcre0
纏向遺跡っていったいなんなの?
卑弥呼邪馬台国じゃないと死んでしまう?

264名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:24:53.37ID:0odMluke0
九州北部から船で20日の投馬国は何処だろうか?

宮崎、大淀川流域、生目古墳群。
円形周溝墓、前方後円墳、三世紀後半〜。

魏志倭人伝と近い時代に、宮崎鹿児島にかなりの労働力(人口集積)があったことが分かる。
畿内、ヤマトの旗印を同じくする勢力だと分かる。
女王国メンバーの投馬国だね。

投馬国より北が一大卒の管轄域

265名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:25:07.32ID:pvOYyiyy0
>>263
多分死ぬ
研究費が出なくてwww

266名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:26:11.90ID:rCZV8VfJ0
>>260
いやいや、おかしいのはあなたの頭です
なんでわからんかなー
大和政権が認識する最も古い九州北部地域は筑紫国なの。
魏志倭人伝には、筑紫国であるはずのところにまったくその地名が出てこないの。
だから、邪馬台国があった当時は、九州北部は大和政権の影響になかった時代なの。

したがって、邪馬台国=大和みたいな認識はさっさと訂正して
大和政権が認識する筑紫国が北部九州に生まれた経緯あたりが、邪馬台国の消滅に関係してるだろうって話。

267名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:36:52.48ID:V/GYtHD80
>>261
水行陸行の内訳は分からないけど
記紀に日付があるから2ヶ月と分かる

268名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:42:04.03ID:boiQoNgL0
>>266
お前日本語能力やばそうだな
自分の文章読み直して行程に当てはめればそれが九州にないという根拠になってるぞ

269名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:42:23.09ID:vHz/zhHe0
九州説信者はネトウヨ

270名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:44:20.44ID:70WY9VXB0
九州説はチョンってバレたな

ざまああああwwwwww

271名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:44:24.24ID:G7/Xqnf50
すごい桃好き達がそこにいたのかもよ

272名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:46:36.44ID:tE5pAJl+0
白村江の戦いで負けた後、劉仁軌が倭の占領支配を確立し、唐に凱旋帰国するわけですが
劉仁軌伝に665年劉仁軌は、新羅、百済、耽羅、倭国の4国の酋長を連行し
高宗は甚だ悦んだとあります
その囚われた倭王は671年に帰国したと日本書紀にもあるわけですが
この倭王は筑紫の君薩夜麻なのかな?

273名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:51:46.52ID:pvOYyiyy0
畿内説とは

1.研究費の為に無理筋だとわかっていても邪馬台国と結びつける朝鮮人の様なメンタリティの人々

2.皇国史観や、少しでも日本の歴史を長く見せようと邪馬台国=ヤマト王権としたい朝鮮人の様なメンタリティの人々

274名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:54:43.26ID:eumP9Jf70
>十六年の夏四月(608.04)、小野臣妹子、大唐より至る。即ち大唐の使人裴世清、下客十二人、妹子臣に從ひて、筑紫に至る。
>六月の壬寅の朔丙辰(06.15)に、客等、難波津に泊れり。
>秋八月の辛丑の朔癸卯(08.03)に、唐の客、京に入る。

裴世清って筑紫から京まで4カ月かかってんの?

275名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:56:20.35ID:2/47UwvC0
神武東征によって瀬戸内海の群雄割拠が解消され、
穀倉地帯のヤマトが九州の武装勢力を奉戴する形で、大和朝廷が誕生した

この大和朝廷の母体が邪馬台国で、後の伊勢神宮の原型じゃないかな?
そして、九州のタカマガハラ支配地域も、ヤマトの本貫地としてヤマタイを名乗ったはず

276名無しさん@1周年2019/06/08(土) 23:58:17.96ID:DAIA0TbB0
お金が無いニダ!!!

ソース
読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会

奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。

277名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:00:43.71ID:GwLZkp5P0
乗っ取られたニダ!!!

・〜2世紀 : 唐古鍵遺跡
・(〜3世紀末:邪馬台国消滅)
・〜4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末〜:↓奈良・高取

■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」

「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」

http://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html

278名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:03:28.88ID:GwLZkp5P0
3世紀の奈良はジリ貧だったニダ!!!

「3世紀の鉄は半島で調達していた」
■魏志韓伝より
國出鐵韓穢倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、穢、倭がみな、従って
これを取っている。 諸の市買ではみな、中国が
銭を用いるように、鉄を用いる。 また、楽浪、
帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を利用されていた。
・この時代の畿内からは鉄が出土していない。

■推測されること
・畿内は取りに行ってない
・畿内は九州に鉄を分けてもらえなかった
・畿内説によると北部九州に一大率を置いて
 収税まで行っていたと言うが、鉄は畿内まで
 流通していなかった。←矛盾
 
■結論
・北部九州と畿内の関係は希薄だった。
・一大率や大倭は畿内政権とは無関係だった。
・畿内は鉄が不足していたので海外と交易できなかった。
 
■関連
 纏向遺跡では九州や半島産の土器が出土していない。
 

279名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:04:09.16ID:Zf9By7yH0
>>276
掘っても貼っても何にも出ないニダ!
こうなったら印象操作で国民を騙すニダ!

280名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:05:10.00ID:GwLZkp5P0
前方後円墳体制など無かったニダ!!!

横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に大きく
分けられる。「九州型」は4世紀末頃から
福岡・佐賀県沿岸部を中心に前方後円墳の
埋葬施設として築造され、その後5世紀には
九州各地へ拡がっていく。
普及する過程で「肥後型(熊本県)」や
「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、
地域色がみられるようになる。
九州外へもわずかに拡散するが、肥後型石室の
構造をよく残しているのは岡山市の千足古墳である。
「畿内型」は5世紀終わり頃に出現するが
6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。

「6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。」
「6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。」
「6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。」

281名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:06:04.72ID:aisPzywa0
>>273
もっといえば、先進国の出雲を征服した、後進国の大和朝廷は、
既に数百年あった出雲歴を捨てることができず、
神武天皇以下が何百年も生きたという神話をでっちあげた
これが昭和になって、起源2600年というファンタジーに再利用されたんだよ

282名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:07:54.28ID:GwLZkp5P0
箸墓古墳築造の年代は4世紀以降ニダ!!!

■箸墓古墳の年代
@四世紀の中ごろ(西暦350年前後)
 関川尚功氏(元奈良県立考古学研究所員)
A三世紀のおわりごろ(西暦280年〜300年ごろ)
 寺沢薫氏(桜井市纒向学研究センター所長)
B三世紀の中ごろ(西暦250年前後)
 白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館長)
C五世紀(西暦400年以降)
 俺が輪鐙の年代と堆積層の堆積年数から推定

<年代変動予想>
B希望的観測結果

A←今ココ

@(2019年3Q)

C(2020年1Q)

283名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:16:45.30ID:aisPzywa0
朝鮮半島南部の諸国からみれば、ヤマト朝廷の成立は驚きだったでしょうね
神武東征まで、瀬戸内海は海賊国家が群雄割拠する海で、物流どころか安全航行すら不可能でした
(中世・ライン川における群雄割拠と同じ状況です)

現実的な対日交易は北九州までで、瀬戸内海には危なくて立ち入れなかったのです
ですから、伝聞としては経済大国ヤマトを知っていましたが、それが脅威になるとは考えなかったのでしょう
だから、大陸から見た倭とは、北九州のことですね

問題は神武東征です
これにより、瀬戸内海が平定されて安全航路になり、
遠くの穀倉地帯だったヤマトが、九州の武装勢力を奉戴して、
突如、覇権国家として名乗りを上げたのです(瀬戸内最強の吉備ですら、たった8年で敗北しました)

そして日本を名乗る大和朝廷は、無防備だった朝鮮半島南部を征服してしまったのです

284名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:21:10.04ID:Zf9By7yH0
三角縁珍獣鏡の経緯

三角縁神獣鏡が出た!魏から貰った卑弥呼の鏡ニダ!邪馬台国は畿内ニダ!

あれ?景初4年が出たニダ!

あれ?500枚も出たニダ!

あれ?中国では1枚も出ないニダ!

あれ?無事死亡ニダか?w

285名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:22:29.35ID:+t+m0JMQ0
普通は種かじるもんなの?

286名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:25:56.86ID:PMq7LVAZ0
纏向にあったら困る人が、誹謗中傷、研究費がどうたらまで捏造して叩いている。
何故こんなに執拗にたたくのか。
邪馬台国が畿内では困るのは誰か?
三世紀の日本が関西以西が統一された国で税や令や整ったまともな国だと困るんだよな。
九州の片隅にあった小さい野蛮な小国じゃないと困るわけだ。
そうじゃないと某民族の出る幕がないからな。
文字も知らない野蛮な土人に文字や文化を教えてやったらしいからな。

「日本に教えた」っていう根拠は、なんと日本書紀w
何故これほど「教えた」ことにこだわり、捏造するのか。

王仁博士が来るまで文字も知らなかった??
そんなことは日本書紀のどこにも書いていないのに勝手にでっち上げる。
「朝鮮人がぜんぶ教えてやった!」と言い張る。
織物も知らず裸で暮らしていた原始人!とか。

287名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:31:15.67ID:AnrDTIbi0
>>135
いやいや、何処にもそんな国は存在しなかったと思うよ。
畿内も九州も。そんな国があった訳ないだろ。
出土品だって、完成品ばかりだし、鉄鏃や鏡だって、製造工程や製造場所を示すものが何も出ない。
加えて、邪馬台国だっけか? どうしてその国の存在を示すような遺構など、国の存在そのものを示す痕跡がどっからも出てこないんだよ?
ムラや集落に人々の生活の跡を示す痕跡が見つかって、その辺りから彼らが生きた時代の土器や装具の欠片が出て、それら全体の繋がりを解明出来て初めて邪馬台国だの言えるんだよ。
鏃が出たとか、後漢鏡が出たとか、いちいち都度騒いだって、つまらん論争になるだけだろ?

288◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 00:33:04.45ID:xiEWBATS0
>>209
富雄は良いよなあ。
村井康彦「出雲と大和」によると、近世まであったナガスネヒコを祀る神社は
明治政府に潰されたらしいが、今は首塚が復活しているのか。

直接の関係はないが、民俗・神話板の名物スレ「富雄地方の世界」に漂う
柔らかな狂気もまた素晴らしい。もちろんそこにはナガスネヒコもニギハヤヒも居ないが、
その危ないおっさんの狂気の中に、重層する歴史の襞を感じるのだ。

289名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:33:27.25ID:aisPzywa0
>>285
それは桃と言うにはあまりにも小さすぎた。
小さく酸っぱく軽くそして大雑把すぎた。それは正にスモモだった

290名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:39:21.37ID:3CsTpyeT0
井上光貞氏が戦後、皇国史観の反発から自虐史観を進める
記紀は信用できないとし、中国の文献のみを正しいとする
その中で古代朝鮮半島南部を倭人が支配していたことを隠した

291名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:39:21.57ID:1WcAT9Fw0
>>185
甲骨文字を使っていた殷の人々は
神が天界から階段で降りてくると思っていた。
それを解き明かしたのが
白川 静である。
天孫降臨は殷と大和の共通点

292名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:40:44.15ID:aisPzywa0
注意しないといけないのは、
畿内に邪馬台国があったとしても、神武東征以前のヤマト土着勢力(いわゆる邪馬台国)は
まだ覇権国家じゃないんだよ
大和が覇権国家になるのは、九州出身の神武が大和に入り込んで、大和がこれを奉戴した後の話

だから、邪馬台国が大和朝廷のような大国だと思い込むと、規模の差を間違う
邪馬台国(畿内)は、背後の尾張と美濃の穀倉地帯を擁するものの、兵隊はとことん弱かったのだ

293名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:53:03.10ID:aisPzywa0
もうひとつ、航路についての注意
畿内から大宰府へ行くルートは、邪馬台国時代には日本海だった
畿内からだと京都(当時は未開)から丹波や若狭へ陸送し、大宰府までは大型カヌーでの大量輸送
その先は朝鮮の船に乗るか、そのまま大型カヌーで渡ったのでしょう
このルートは縄文時代から続くものです(沖縄まで往復してた)

この日本海航路が廃れたのは、神武東征で瀬戸内海が安全航路になった結果です
関係ないけど、琵琶湖を含む対馬暖流沿いには、魚を米で発酵させる寿司の文化が存在します
ベトナムの魚醤と江戸前寿司が、同じ先祖だというのは不思議ですね

294名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:54:46.48ID:lEDJjnWH0
>>277

朝鮮半島のオンドルやカマド、様々な品物など、日本各地で見つかってる。
ただし、継続性がない。
次のいずれかなのだ。
1 辺境の地でポチとなり、日本に同化し消滅した。
2 逆らってぶっ殺されて消滅した。(例:820年の遠江・駿河の新羅人の大量粛清など)

295名無しさん@1周年2019/06/09(日) 00:55:51.35ID:5t2E00Rf0
桃太郎じゃん

296名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:00:14.86ID:SMzAN8uo0
>>19
尾張氏の祖・天火明命は近畿地方出身らしいよ。

297名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:16:39.78ID:F5iDawUg0
纏向は初期大和朝廷の遺跡?だが愛知静岡の土器が多く出ている。
大和朝廷のバックには愛知静岡の勢力がいて
倭人伝で言う南東に海路一年の黒歯国、裸国が実は愛知静岡の国?

倭人伝は方向がずれてるから南東と書かれてても実は東、
また一年も倭人は1日を午後午前で2日と数えるから実際は180日だとか。

298名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:22:59.62ID:zemz1ClU0
>>252
なんと!
日本海は昔は東海って読んでたのか!

299名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:37:35.25ID:jitC5rOd0
考古学者って、なにかあると馬鹿の一つ覚えのように
「祭祀用」だの「呪術的に用いられた」だの言い出すよな

土偶とか火焔土器とか、ようわからんものはそういっとけば
専門家っぽい説明が出来た気分になれて
学者としては非常に都合がいいんだけどなw

300名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:41:16.47ID:1WcAT9Fw0
>>243
近くの小学校は孔舎衙(くさか)小学校
孔舎衛は読み間違いが元で書き間違いした。
【衙】は漢文は中国語口語体で役所を表す「衙門がもん」の「が」で
隋唐時代の中古漢語、広東語でngaンガと発音し厦門(アモイ)語と日本語で「ガ」と読む。
北京官話ではyaヤーと発音する。
モンゴル語は詳しくないが支那がモンゴル人に支配された時代に漢字の頭子音の
ngが徐々に発音できなくなった。朝鮮発音記号いわゆるハングルでも
頭子音のngをを表す記号を作ったが誰も発音できなかったので
頭子音の無い母音始まりの発音を表す記号となっている。
ちなみに孔舎衛は小泉構造改革の旗振り役を務めた「塩爺」こと
塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう)の選挙区であった。

同じような例で有名なのは兵庫県明石市の国道2号線と175号線が交わる
「和坂」交差点 国土交通省の地名表示はローマ字でWASAKA。
実は「和」という漢字は中国語でも
ホーhe2 ホーhe4 フオhuo2 フオhuo4 フーhu2と5つの発音が有る多音字で
専門用語で「破音字ポーインツー」と呼ばれる。
趙恵文王、嘗得楚和氏璧。
趙の恵文王、嘗て楚の和氏の璧を得たり。
秦昭王、請以十五城易之。
秦の昭王、十五城を以つて之に易(か≒交換)へんことを請ふ。
※漢文の「城」は砦、要塞ではなく城壁で囲まれた都市である
欲不与畏秦強、
与へざらんと欲すれば、秦の強きを畏れ
欲与恐見欺。
与へんと欲すれば、欺かるるを恐る。
藺相如曰
藺相如(りんしゃうじょ) 曰はく
願奉璧往。
願はくは、璧を奉じて往かん。
城不入則臣請、完璧而帰。
城入らずんば、則ち臣請ふ璧を完(まっと)うして帰らん。
【和氏璧】はクヮシノヘキと読む
【和坂】もクヮニガサカと読むのが正しいのだが
国家公務員試験に合格しても国土交通省の役人は
高校の漢文の教科書にしばしば取り上げられるこの故事成語を読んだことが無いらしいw

301名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:43:58.78ID:zemz1ClU0
>>286
>三世紀の日本が関西以西が統一された国で税や令や整ったまともな国だと困るんだよな。

ネトウヨまさかの隠謀論!
纏向遺跡で九州と繋がりが深い出土品がまだほとんど出ていないし
関西以西が統一されているって言うのは厳しいんだよなー

302名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:56:00.79ID:1WcAT9Fw0
>>274
魏の都洛陽から遼東半島付け根の公孫淵の根拠地まで
四千里の行軍が100日と魏書に書いてある。

303名無しさん@1周年2019/06/09(日) 01:58:29.79ID:jitC5rOd0
>>286
反論に対して「〜だと困る人」とかいうレッテル貼りしないと戦えない時点で
学問的には敗北宣言みたいなものなんだがねえ

304名無しさん@1周年2019/06/09(日) 02:00:37.63ID:7CK6O/Gn0
学生時代に畿内:九州は3:7くらいで九州説が優勢だと教わったが
情勢に変化はあったのか

305名無しさん@1周年2019/06/09(日) 02:06:47.40ID:5t2E00Rf0
1里が400メートルの時代か

306名無しさん@1周年2019/06/09(日) 02:12:17.64ID:zLjMbs830
>>264
投馬→とうま→とやま→富山

307名無しさん@1周年2019/06/09(日) 02:45:10.71ID:Q7AiN5m80
>>304
1:9で九州有利になってるよ
畿内は妄想とゴッドハンドに逃げるしか無い状況
前スレでも畿内説のゴッドハンドが思いっきり暴かれてたし

308名無しさん@1周年2019/06/09(日) 02:53:46.83ID:1WcAT9Fw0
天理市櫟本(いちのもと)町にある東大寺山古墳から後漢の劉宏(霊帝)の年号「中平」の紀年銘を持つ長さ110センチの鉄製の刀が出土
中平は倭国大乱時期のAD184〜189年で、この間に作られたものと見られる。
この鉄刀は中国製で九州邪馬台国連合によって馬関(関門)海峡が通行止めになってた時期に
大和浪速摂津播磨但馬備前備中備後出雲同盟のルートで日本海航路で持ち込まれたものか。
邪馬臺国論争が面白くなってきた。

309名無しさん@1周年2019/06/09(日) 03:24:17.96ID:WEicIu8r0
つーか、こんなこと研究して何の意味があるの?w
古代の祭祀がどうたらこうたら、知らんがなwww
まじで何の意味があるんだよw

310名無しさん@1周年2019/06/09(日) 04:11:16.57ID:y5SOTP1k0
【三国史記】脱解尼師今が立った、一説に吐解という。時に年六十二歳、姓は昔。
妃は阿孝夫人。脱解は、本来は多婆那国で生まれた。
その国は倭国の東北一千里に在る。初め、その国王は女国の王女を
娶って妻とした。
懐妊から七年、大きな卵を産んだ。王が言うには「人にして卵を生む
のは不祥である。適当に廃棄せよ」。その王女は忍び難く、絹布に卵を
包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く
先を(潮流に)任せた。

【解説】多婆那国ですが、実在する国と考えた場合、倭国の東北一千里ですから、
日本列島以外に想定できません。具体的には、丹波国が有力です。
8世紀に丹波国は丹波と丹後に分割されます。 
卵や棺(ひつぎ)は当然、「船」を意味します。卵生・箱舟神話です。
三国遺事には「船」と明記されています

以上のように、新羅の第四代王の昔脱解は、倭国の丹波(現在の丹後半島)から出航し、
対馬島を経由し、金官国への侵入に失敗した後、慶州に至り、倭人大臣から城を奪い、
ここで新羅王に成った日本人でした。

新羅は日本に人質を送っていただけで無く王自体が日本人だったわけです。

韓国人の祖先が自ら三国史記にそう書き残したのだから仕方無いですね。

311名無しさん@1周年2019/06/09(日) 04:14:41.33ID:y5SOTP1k0
・稲作が九州から朝鮮半島に伝わったこと
・唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと(足袋(たび)に入れて足を温めるものとして朝鮮半島に持ち込まれたのが唐辛子)
・半島南部の先住民が日本人(倭人)であったこと
・新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても日本人説(倭人説)があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・朝鮮半島における文化的独自性が欠落していること(あらゆる分野での古典の不在)
・属国として歩んできた歴史であること(漢民族・モンゴル民族・満洲民族のどの民族からも朝鮮民族は格下扱いされてきた)
・中国の属国になってから、みずから改名して、中国語の姓名であること

312名無しさん@1周年2019/06/09(日) 04:16:21.45ID:y5SOTP1k0
・新羅16代の王のうち半数が日本人であった(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫)に全文間違いの訳注がある。日本人(倭種)は4代目のみとする訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗)

313名無しさん@1周年2019/06/09(日) 04:36:10.96ID:rssVJNmJ0
>>299
今の時代でも、特に何に使う訳でもない、オブジェっていうか部屋の飾りみたいなのがあるよね。
古代にもそんなのがあってもおかしくないよね。文化度が高いほど、そんなのも作るだろ。

314名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:15:54.55ID:j+yc85fB0
>>312
稲作は後期縄文人が海洋交易で東南アジアから入手した技術だと思う。アイヌが飼ってた犬ってもともと東南アジアから持ち込まれたものだし。
それから半島の金属加工技術を持ったしゅうだん勢力に北九州から分断されて行ったと考える。

315名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:33:08.43ID:O3nZqd9o0
>>162
つまり畿内じゃ無いね。


はい、終了wwwwwwwwwwwww


みんな、畿内じゃ無いってさwwwwwwwwwwwwwwwww



 

316名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:33:39.85ID:O3nZqd9o0
>>292
畿内は否定証明完了済み。




 

317名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:34:00.33ID:O3nZqd9o0
>>287
畿内は否定証明完了済み。




 

318名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:34:39.35ID:O3nZqd9o0
>>273
ですな。
つまりチョンw

319名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:35:19.39ID:O3nZqd9o0
>>269
>>270

orz

320名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:35:53.30ID:O3nZqd9o0
>>263
ウソついてないと死んじゃう病

321名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:36:40.92ID:O3nZqd9o0
>>255
水行だキチガイが

322名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:37:34.90ID:O3nZqd9o0
>>246
お前脳みそ腐ってるだろ?

323名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:43:16.75ID:6e5H23/e0
>>216
そうすると飛鳥浄御原宮やら難波宮などの大極殿跡やら七支刀など単なる地方豪族の邸宅やら家宝にすぎんと言うのか?

324名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:43:22.80ID:3djFsWZJ0
桃の種って囓るか?

325名無しさん@1周年2019/06/09(日) 05:55:53.90ID:ddcOm/i40
>>292
神武東征以前は、出雲勢力の時代だよ。

大国主、少名彦、大物主の三者体制と言う方が良いけど、中心勢力は出雲の大物主。

少名彦は詳細は書かれてないが、海を渡って大国主に協力したとあるが、これは九州勢力じゃないか?と俺は思ってる。
共通点は背が低いって事ぐらいしかないけどね。

また、少名彦の九州勢は途中でこの国造り連合から脱退して九州に戻ってる。
その後、大和の大物主勢力が大国主に協力して国造りを進めた。
記紀の大国主の国造りの記述からは、関東以西の本州四国九州をカバーしてた事になるけど、少名彦の脱退後の九州までがカバーされていたのかは謎。

大国主は素盞嗚命の子供だし、少名彦も同じ両親の子供とされてるので素盞嗚命の子供。
素盞嗚命は高天ヶ原から放逐されて日本各地を放浪して出雲に行くわけだけど、高天ヶ原の所在地は奈良県葛城とされている。

結局また振り出しに戻って奈良かよ!と言う、記紀巡りのループに陥るけど
大和、出雲、九州の3地点は何が出だしなのかわからんぐらいに絡み合って、カオスになってるのが日本誕生の物語。

326名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:00:30.85ID:rsHDRDam0
>>308
半島と日本のルートは2つ有った
まず魏志倭人伝にある邪馬台国連合の対馬壱岐ルート、次に宗像出雲連合の沖ノ島ルート。
完全ではないが、どちらかというと邪馬台国連合は百済と、宗像出雲は新羅と繋がりが深かったように思う。
やがて出雲でたたら製鉄が始まると邪馬台国連合は廃れ、宗像出雲が勢力を強め奈良大和も制した。
その後、三輪山神道派だった大物主から蘇我氏の仏教派に乗っ取られたのが国譲りで、その後の大和朝廷になり、大物主は出雲に左遷され、たたら製鉄名誉会長に。

327名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:07:27.80ID:6e5H23/e0
>>326
蘇我氏以降だっていうんなら、じゃあ稲荷山鉄剣のワカタケルや大彦ってのは何なんだよ

328名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:10:40.96ID:rsHDRDam0
三輪山は古代神道の頃よりヘビを祀る。
奈良ではその後、銅鐸勢力に統治されたり古墳勢力に統治されたが、スサノオが三輪山に討ち入りしたのがヤマタノオロチ伝説。

329名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:21:40.70ID:NXm+Emj50
大阪は九州倭国の植民地になった
ので奈良も九州倭国支配された
時代があった

330名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:30:37.44ID:Ezz6LMaw0
>>277
朝鮮人の弓月君の郎党による高級邸宅町だろね

現代で言えば田園調布

331名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:38:37.42ID:rsHDRDam0
>>330
土木工具ばかり発掘されていて半島労働者が多かったみたいだから現代の西成やな

332名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:44:44.86ID:Ezz6LMaw0
>>331
大壁にすみオンドルまで設置してる

現代で言えば高級マンション

333名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:48:16.97ID:Ezz6LMaw0
ちなみに奈良土人は記紀の時代でも
洞穴に住む土蜘蛛がいたぐらい

大壁オンドル邸宅に住む先進朝鮮人との差は凄い

334名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:52:39.41ID:77Vy4B7I0
>>298
それ東シナ海

335名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:53:51.38ID:77Vy4B7I0
>>303
いや、だからちゃんと学問的に戦えよ

336名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:56:37.81ID:rsHDRDam0
>>333
オンドルといっても火を焚く跡があった程度の話でオンドル跡か竃跡かもわからない。半島系の考古学者がオンドル跡にしただけだし、北朝鮮のボロ家にも有るから邸宅でもなんでもないし。

337名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:58:01.60ID:6ZuSEbWt0
>>326
ほ〜ぉ、妄想の展開が素晴らしく面白いな。
新大阪新聞で連載でも書けよ!

338名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:58:40.07ID:oWVy1cX90
>>252
九州説で決まりやんけ

邪馬台国論争終了のお知らせ

339名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:59:33.71ID:Ezz6LMaw0
先進朝鮮人が5世紀に奈良を飛躍させた
それ以前は単なるど田舎

ちなみにわざわざど田舎に先進朝鮮人地区を作ったのは
できるだけ戦乱の朝鮮から離れたいという
亡命者特有の心理

しかし先進文物は長距離輸送で朝鮮から運んだ
この長距離貿易ルートの確立も先進朝鮮人

四條畷では朝鮮から馬を運ぶ貿易拠点が見つかっている

340名無しさん@1周年2019/06/09(日) 06:59:54.20ID:6ZuSEbWt0
>>338
で、九州の何処にあったと?

341名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:03:04.62ID:6ZuSEbWt0
>>339
今の朝鮮人と言われている人達は、2世紀くらいのあの辺りの住民とは血統も民族も違う!

342名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:03:26.98ID:rsHDRDam0
>>340
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里で東側に海。その千里東側に別種の倭人の国がある。
宇佐しかない。

343名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:10:05.45ID:SmtlQWiQ0
後漢が滅んで霊帝の孫の子孫が朝鮮半島に移住して
その子孫が応神天皇のときに帰化して
高取でオンドルと大壁の13.5mのほぼ正方形の建物を作ったんだろ
その高取の辺りに住んだ帰化人は東漢氏と呼ばれるよ

344名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:10:13.10ID:rsHDRDam0
記紀の国産みで筑紫島=九州と並んで宇佐沖の姫島があり、大和朝廷成立後も天皇が即位する度に宇佐に神託に来ている。
神武東征では、日向を出て最初に向かったのは宇佐。
そんな場所は他にない。

345名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:10:43.05ID:oWVy1cX90
>>340
うーん、八女あたりじゃねえかな
山に囲まれて国防に適した立地、その西に広がる筑後佐賀平野は穀倉地帯の条件に満たしてるしな

346名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:14:41.39ID:N+IqEeOj0
>主流の考古学や歴史学では邪馬台国=大和がもうほとんどなのに
南京事件でもそんなこと言えんの

347名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:17:47.43ID:rsHDRDam0
宇佐神宮の本殿が建つ亀山は径百歩。
本殿の地下には石棺が埋められている。
魏志倭人伝の槨が無く棺のみで土を盛っただけという記述と合致する。
箸墓みたいな槨が有る前方後円墳では卑弥呼どころか女王国連合の墓では無いことが魏志倭人伝を読めばバカでも理解出来る。

348名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:20:53.96ID:BZF8KRft0
>>308
作られてから埋められるまでの200年間
いつどう動いたのかが面白い点

349名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:22:44.69ID:y5SOTP1k0
建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、
瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字漢語を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。
宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支配した。
(参考文献:三国史記、三国遺事)

350名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:25:17.47ID:rsHDRDam0
宇佐神宮の奥宮の大元神社の山頂には古代神道の太陽を使った祈祷所跡がある。
纏向のような5世紀以降の中華道教の桃の種やド田舎のカエルの骨とは祈祷パワーレベルが違う。

351名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:25:46.84ID:m8MGi0C50
倭は九州〜畿内征服、日ノ本は東国征服を果たしたヤマト国の国号になった。

352名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:27:56.37ID:SmtlQWiQ0
応神天皇の頃後漢の王族の子孫、
阿知使主(あちのおみ)、都加使主(つかのおみ)父子が
一七県の党類を率いて渡来 日本書紀
一七県の党類が何人かは不明だがたぶんたくさん

父子に呉に行って縫工女を4人連れてこさせる 呉服?日本書紀

684年八色の姓制で忌寸(いみき)に改姓
のちに分家が役職名で枝分かれ 川原直、坂上直、文直

8世紀になると一族で坂上が優勢になって宗家の地位に

坂上田村麻呂が薬子の変と蝦夷征討でがんばって征夷大将軍

がんばった漢民族は日本でそこそこの地位になったのでした

353名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:29:08.66ID:Ezz6LMaw0
そもそも応神が朝鮮人ではないの

354名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:35:33.38ID:rsHDRDam0
>>348
東大寺山古墳は失われた4世紀後だから、邪馬台国勢力から別の勢力に移った間に何が有って後漢から奈良までやって来たのか興味あるな。

355名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:37:55.35ID:jqXo7y020
邪馬台は筑紫から佐賀に抜ける平野部
河川による交通と水源に恵まれ7万戸は優に確保できる。そこから有明に抜ければ真珠や鉱石の宝庫で諫早から雲仙にかけてが女王国。温暖にして薄着で一年を通して生活でき海産資源豊富な楽園。
そこから南下すれば筑後入江から20日行程の投馬国である薩摩に着く。
これは原文が草書体による解読間違いの表記であり、正確には殺馬。
元来倭国の大陸最初の表記は倭面土国であり、これはワイド国と読みワは国名でイドは伊都が訛ったもの。
その後金印に刻まれる委奴国はイド国であり
伊都国を指す漢代よりの中心地が伊都であったことを示すものである。

356名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:44:22.71ID:SmtlQWiQ0
4世紀の応神天皇の漢民族の王族の帰化と
7世紀の天智天皇の百済滅亡からの百済王族の帰化が有名だが

記録として残ってるのは元王族レベルの帰化人の話だけど
4〜7世紀の間にも大陸の先進技術を持つ人たちを
非公式に受け入れてたと思うよスカウト

357名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:49:46.28ID:Ezz6LMaw0
神功皇后(応神を懐妊中)の夫が神の怒りで急死
神のお告げはボヤボヤせんと今すぐ新羅を侵略せえや
という意味不明で過激なもの
早速新羅に大軍を送り朝鮮半島を荒らし回った

さてさて、ここまで神功が(というか神という名の本当の権力者)が朝鮮侵略を急いだ理由は何か
夫は急死ではなく暗殺だろう
つまり本当の権力者が、朝鮮人あるいはその家族で、何が何でも新羅を攻めないと自分の一族郎党が危険である
という緊急状況の以外には考えられない

この時期皇室も朝鮮勢力の影響が濃く、時には言いなりなのである
この新羅侵攻は4世紀の中盤から後半と思われる
まさに奈良に朝鮮人高級邸宅が現れる時期である

358名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:51:55.69ID:SmtlQWiQ0
高麗は30年モンゴル侵攻を防ぐ すごいよ仏教国高麗
でも1392年の女真族の李氏朝鮮になって民族が入れ替わるエラ
国教も朱子学(儒教)となり

平民以下には名を上げる機会を与えられず
社会が進歩しないから衰退が始まり
中国に助けてもらって当たり前というのが清朝まで続き
今は日本にたかるチョン

359名無しさん@1周年2019/06/09(日) 07:58:29.07ID:t5i+mHAv0
>>356
帰化なんか自国よりも進んだ国にしかしないよ普通
日本って中華や朝鮮よりすすんでたってことかな?

360名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:00:27.83ID:BaXXxWhL0
6世紀辺りまでは、天皇というより妻がわの権力を地盤として夫が遠征をする様な文化があった気がするんだよな
女系相続まではいかなくてもね
古代において大王が都を移動するという根拠もそこにあったかもしれない

次代の王となる子を生み育てるにふさわしい安全な場所の確保とすると合点がゆく
北九州で女王が多いのは遠征の多かった倭人の王に代わって地盤を固めるために女王文化が自然と構築されたのだろう

それが倭の伝統でありヤマトはそれを引き継ぎつつ伝統はやがて祭祀と結び付いて形骸化する

361名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:02:23.03ID:y5SOTP1k0
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。 
後に倭人の四代目新羅王、脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
朴氏初代の朴赫居世朴氏=瓠公は倭人であり。

金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)説話では、
鶏の鳴き声を聞いたので瓠公が調べると、金色の小箱なかから小さな男の子が現れた。
金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。

新羅の王族3姓(朴・昔・金)の起源は倭人であり倭人が支配した。

362名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:05:59.55ID:dfVp8AnB0
自国より遅れた国に移住する場合は軍事力で侵略
進んだ国に移住する場合は帰化だろ

363名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:06:07.52ID:4F7Ah+O+0
>>340
御井だよ。
祇園山古墳が卑弥呼の墓。

364名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:07:05.38ID:4F7Ah+O+0
>>286
>>335

畿内説は否定証明完了済み。




 

365名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:08:02.51ID:4F7Ah+O+0
>>351
東征も東遷もない。
考古学的に否定済み。
九州倭国と近畿日本は無関係な別王朝。




 

366名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:08:47.54ID:6rzQwSOPO
天孫降臨って半島や列島でしょっちゅうやってたんじゃないの?

367名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:11:53.15ID:4F7Ah+O+0
天孫降臨も捏造ね。

368名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:11:56.78ID:oy/jhVd50
放射読みでたどり着いても納得してるのは自分だけだよ
自己満解釈
常識的に文章のあんな場所に薩摩国とか入れるわけないわ

369名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:13:21.68ID:NQkjkGE30
>>368
お前みたいな非常識な人間の語る「常識」になんの意味が?

370名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:14:27.52ID:MLXYYCfi0
中国人が原文読んで納得するのが熊本あたりらしいじゃん

371名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:14:47.12ID:6rzQwSOPO
だからさ
天孫降臨は物部さんが考えた植民なんじゃないの?

372名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:16:29.40ID:jqXo7y020
>>365
土井ヶ浜から青谷上寺地遺跡にかけての集団虐殺は九州から北上した軍事組織の痕跡を残しており、その後に続く山陰北陸にかけての鉄剣の分布は東遷というより東征されてるけど

373名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:19:20.04ID:30qZKdBT0
やつらは遺留品を残していきました 鉄です

374名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:21:29.34ID:BaXXxWhL0
>>365
その上で畿内でのヤマト王権成立には別の興味が湧くよね

九州での倭王権が渡来人の開拓を担わせるために移住させた地が畿内で、初期は唐子鍵の住民との共同経営みたいな側面があったのだと思う

それを管理した物部などの海人系勢力が結果的に力を付け、九州由来の鏡祭祀の普及と渡来技術由来の巨大古墳を築造する独自の文化が生まれたのがヤマト王権なのではと考えてる

375名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:30:51.50ID:wEY536Oj0
柿の種だけでピーナッツは出なかったのか

376名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:43:24.61ID:4F7Ah+O+0
>>368
お前自分だけで納得してるよなww

377名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:44:37.87ID:4F7Ah+O+0
多分、
神武東征、「倭皇」への国書、天孫降臨
この三つは記紀の三大捏造。

378名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:45:46.70ID:jqXo7y020
天日槍は半島まで進出した九州邪馬台倭王。
そもそも天氏は倭王につけられる姓であり
記紀にある記述は列島王権の後代に書かれたプロパガンダ史書であるから、実情は天氏が王家のシンボルである鉄剣を見せ、侵略していった足跡が書かれているんだろう。
でなければ余所者に自由に移動し国土をとって良いなどと言う国王はいない
記紀は朝敵を貶す記述で表現するため、新羅人などと書いているが、九州にあった半島間を行き来する邪馬台のことを書いている。

379名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:50:01.54ID:l7oaPE2m0
>>360
興味深い指摘だね。都が転々としている説明なんだが、
外戚(皇后の実家)によるというよりは、長子相続の制度がまだ整えられておらず、
皇位継承権が複数の皇子に平等にあると考えられていたからではないか?
つまり、権力闘争で皇位を勝ち取った皇子の居宅がそのまま都になるということ。
これが転々とした理由ではないかな?

(註:使用用語は時代繁栄していない。後代の用語を使用している)

380名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:50:18.13ID:5XN8A+Sf0
>>374

初めに大和に住んでいたのは葛城氏などの一言主の系譜。一言主は雄略天皇によって土佐に流された。
土佐には一言主を祀る土佐神社というのがある。

381名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:56:30.58ID:Ezz6LMaw0
葛城襲津彦が弓月君を朝鮮から招聘した

葛城 襲津彦の父は武内宿禰らしいね

382名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:57:57.59ID:iwgCiV930
フランク王国のカール大帝の宮廷が常に移動していたという話を思い出したw

383名無しさん@1周年2019/06/09(日) 08:58:42.81ID:Ezz6LMaw0
やっぱり皇室は朝鮮系ではないのかなあ

朝鮮の先進文化で一気に奈良を文明化した
それは4世紀中盤ぐらいか

384名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:00:40.72ID:4F7Ah+O+0
>>383
神武は投馬国(妻国)出身なんだから全然違う。

385名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:02:55.72ID:Ezz6LMaw0
神武は九州人だけどその子孫が色々とね
そもそも万世一系じゃないし

386名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:03:27.55ID:rsHDRDam0
>>383
物部の神教派が蘇我氏の仏教派に乗っ取られて大和朝廷になった

387名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:04:42.73ID:t2W2WKDi0
>>377
捏造の根拠は?
考古学的、地理学的には否定より肯定の可能性の方が遙かに高いんだが。
例えば、天日矛の行程と考古学遺構は記述そのまま。神武の場合、書記編纂時点では
既に分からない地形や地名が出現するし。交野にある天孫降臨神社やその他の地名も。

388名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:07:22.41ID:rsHDRDam0
仏教派が大和を乗っ取り、自分達を神格化したのが記紀。
それ以前の歴史は自分達に都合の良いように書き換えられ現在に至る。

389名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:10:02.96ID:BaXXxWhL0
>>379
そこを考慮すると、権力が九州由来から畿内に移動したことも説明がつくよね

征服の概念自体が土地の権力者との結び付きを意味している
だがそれを記紀などの説話として明かすことは憚られたのではないだろうか
一種の秘訣みたいなものだからね
だから記紀では軍事的な征服として表現することで偉大性を持たせたのだと思う

390名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:10:51.46ID:rsHDRDam0
邪馬台国と大和朝廷は実質的に繋がりは無い
せいぜい名前や歴史に背乗りして神格化に利用したことくらい。

391名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:12:34.96ID:Gtx5h3TH0
>>209
前から気になってた場所ですね
磐船神社はニギハヤヒを探す旅で参拝したことがあります
すごい巨岩がたくさんありました
機会があったら、金鵄伝説の地見てみたいです

392名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:15:35.94ID:NXm+Emj50
ダイワ 国をヤマトと言うようになった
のは訓読み文化
訓読みは奈良以降だろ

393名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:25:01.05ID:NXm+Emj50
九州倭国を滅ぼして九州倭国の歴史を
奈良の歴史のフリをした天才ペテン師が
藤原

394名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:28:38.17ID:BaXXxWhL0
九州では渡来系の移住地を充分に与える余地がすでに無かったのだろうな
だから出雲勢力や海人系沿岸拠点によって移住地を斡旋されたのだろう

畿内の渡来系の拠点は大和の本拠ではなく外周に散在している
河内とか信楽とかね
これは明らかに指示により管理された場所と言ってもいい

吉備は鉄生産や土器生産の渡来系本拠地が利便性が高く中心地に近かったため勢力が大きくなったのでは
その結果渡来系勢力が乗っ取るかたちとなったため吉備津彦により再征服されたのではと思ってる
先進地だったので埴輪や鉄製品が畿内に送られて古墳文化の一助となったのだろう

395名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:34:31.15ID:Ezz6LMaw0
4世紀に武内宿禰は実質的に大王だったのじゃね

そしてもちろん朝鮮人

396名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:40:39.29ID:VXt+f5jD0
>>359
世界に広がる日系人って先進国にしか移民してないのか?
ハワイ、ブラジル、ペルーは先進国か?

397名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:52:32.55ID:Ezz6LMaw0
武内宿禰が仲哀天皇を暗殺し
その嫁には妊娠中なのに新羅での虐殺を指揮させるという
結構強烈な事実を正直に書く記紀

この当時の皇室は朝鮮人に乗っ取られていたんだろね
これは4世紀かな

398名無しさん@1周年2019/06/09(日) 09:56:22.25ID:VXt+f5jD0
>>397
倭の五王は5〜6世紀に比定

399名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:00:30.22ID:Ezz6LMaw0
そんで武内宿禰の子である葛城襲津彦がわざわざ朝鮮まで軍隊連れて出向いて
何年もかかって救援したのが弓月君とその郎党
どんだけ重要な大物か分かろうもの

この弓月君の一族郎党が日本にあらゆる産業を持ち込んだ
奈良のど僻地に王都が誕生するのはこれが原因だよ

400名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:06:26.05ID:FjuihQL50
文系はすぐ祭祀に使われたとか言い出すけれども、
桃を置いておくと凄く良い匂いするから、芳香剤として
使ってたんじゃないのかな?で、腐るとハエが来るから、
痛むと直ぐに埋めた。そういう事だと思う。
この仮説を否定できないのなら、祭祀だと言うなって思う。
と書くと文系はこの仮説を拒否(否定じゃない)して、話聞けとか納得しろとか言いだすから
日本は駄目な社会になって行くんだよね。

401名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:07:35.26ID:FjuihQL50
祭祀であった事の証明が一つも無いのに、祭祀に使われたとか書いちゃうのが文系。

402名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:08:29.51ID:w93IhYIX0
実は食うだろ

403名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:11:40.86ID:Gtx5h3TH0
>>339
日本人は弓月君の一族の子孫とも言える
ちなみに弓月君は今の朝鮮人とは無関係です

404名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:17:52.72ID:lhrQi6ZP0
卑弥呼の墓は箸墓古墳なんでしょ

405名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:24:47.10ID:4F7Ah+O+0
>>404
もう諦めろよ近畿パーww

406名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:26:05.45ID:4F7Ah+O+0
>>372
東遷も東征も無い。
纏向遺跡が否定済み。



 

407名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:26:49.41ID:4F7Ah+O+0
>>342
宇佐はトヨな。

408名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:27:44.49ID:4F7Ah+O+0
>>390
ですな。ただ神武は実在だよ。
東征がウソなだけ。

409名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:28:25.90ID:4F7Ah+O+0
>>387
捏造乙

410名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:28:42.35ID:Ezz6LMaw0
神武の血統は仲哀でおしまい

411名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:29:54.10ID:4F7Ah+O+0
多分、
神武東征、「倭皇」への国書、天孫降臨
この三つは記紀の三大捏造。

神武東征→近畿日本に招かれて頭に座った雇われ店長
倭皇への国書→実際は倭王で、九州倭国の奴国王に送られたもの
天孫降臨→妻国出身の神武の血を飾るための創作


 

412名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:31:12.98ID:4F7Ah+O+0
多分、
神武東征、「倭皇」への国書、天孫降臨
この三つは記紀の三大捏造。

神武東征→実際は近畿日本に招かれて頭に座った雇われ店長で、東征したのでは無く単なる旅行
倭皇への国書→実際は倭王で、九州倭国の奴国王に送られたもの
天孫降臨→血筋は良いが所詮は傍系である妻国出身の神武の血を飾るための創作


 

413名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:40:23.58ID:jqXo7y020
まあ近畿は東征されたと言うより
剣で脅されて服従したとする方が合うな。
東遷でも東征でもなく
なき寝入って服従だろうな
その九州から来た支配者層の墓地が前方後円墳だ

414名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:40:51.82ID:3y/3tszo0
>>1
いちいちうるせぇ 桃ぶつけんぞ

415名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:44:22.29ID:4F7Ah+O+0
>>413
それ東征w

416名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:51:33.45ID:ldLbj+tK0
関西人は桃の種をかじるのか?
かじらないだろ?

417名無しさん@1周年2019/06/09(日) 10:54:43.54ID:dXwfuCYb0
>>416
種が2400個分もあれば、もし食用なら勢い余って歯が当たる事くらいあるだろ?

418名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:01:16.75ID:BaXXxWhL0
巻向はムラではなく大市と言われることからも元は交流拠点だな

これが意味するのは、弥生文化がすでに各地の交流なしには成り立たない都市構造だったこと
特に奈良は内陸の開拓湿地帯なので農業生産を集約化して各地の物産と交換する施設の必要性があった
小邑の農産物を持ち込み交換する文化は近江伊勢遺跡あたりからも伺い知れるしね
村長がそこに行って交易の相談をするのが市であり出雲の集う神の元になっていると思う

巻向は場所的にも大和川の源流である初瀬川を押さえて東海方面からの物資を運ぶ街道に関を設けるのにも最適な場所だしね

419名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:01:49.58ID:jqXo7y020
元々古墳てのは、九州王族が半島外交から水銀種を交易で入手し王墓の石室に使ってた物だったが、入手量が限られており貴重だったため列島各地に開拓使を送り鉱脈を調査させたんだよ。
それが列島開発の始まりで、奈良に丹朱が見つかったため、近郊に大型古墳の着工が始まったんだよ。
纏向はそのための海路とを繋ぐ運河経由の拠点で、この場所へ九州から王族遺体がピンク石と共に運ばれてきたんだろ。
よって纏向は3世紀の時点ではまだ整備もされておらず、古墳時代の幕開けとともに整備された中継点。
桃や蛙は九州から来た遺体に供えていたものだろ。
今でもある死後四十九日という区切りの基準は九州から近畿まで遺体を安置する期間のことでその間を喪に服すとしたわけなんだよ

420名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:03:34.01ID:ddcOm/i40
>>416,417
2つほど訂正したい

見つかった桃の種は2700個

かじられた形跡と言うのは動物に齧られた形跡の話しで、人間の話しではない。
他の遺跡から見つかってる桃の種は、大抵鳥やネズミに齧られた形跡が残ってる。
それが全く見られないのは、司祭で使用された後、直ぐに地中に埋められた証拠となる。

そう言う記事なんだよ?

421名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:04:33.72ID:ry5ZFUsG0
不死の薬なら食べても不思議ではない。むしろ何故食べなかったのか

422名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:05:17.13ID:l7oaPE2m0
桃の種もいいんだが、アレは出たのかね?
カメの甲羅や鹿の骨の占い焼骨。
卑弥呼なら必須アイテムだぜ。

423名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:08:03.62ID:jqXo7y020
纏向は都市ではないため何も出てこないよ
桃や蛙は遺体への供物
古墳建設のための葬儀場だよ

424名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:09:05.22ID:DMgFH/mB0
九州と近畿
文系と理系
日本と朝鮮

対立煽りが好きだねえ

425名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:09:41.38ID:yAF17fOw0
日本は、日本人(本州四国人)倭人(九州人)琉球人(沖縄人)アイヌ人(北海道人)の4種族で構成されてるのか
そこに帰化した朝鮮中国などの種族も混じると

426名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:09:43.98ID:Ezz6LMaw0
掘れば掘るほど朝鮮人貴族の遺物が出てきそう
まあ纒向はその前の4世紀半ばには放棄されてるがな
逆に言うと纒向が放棄された時期に朝鮮人が支配層になった

427名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:14:35.58ID:jqXo7y020
纏向が放棄されたのは
古墳建設事業が終わったからだろ
いわば日雇い労働者を集め指揮するための建設土木事業所。
纏向周辺に古墳が多いのは纏向に古墳事業の部が置かれたからだよ。
従って都市ではない

428名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:23:34.40ID:1WcAT9Fw0
>>333
しかしその頃の朝鮮人はオンドル以外の文明の痕跡を残さなかったw

429名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:24:18.52ID:ddcOm/i40
>>422
亀の卜骨はまだ弥生時代のどこの遺跡からも出てないね。
亀を使った卜は今の所古墳時代から広まってるようだよ。

纏向からはイノシシの肩甲骨による卜骨は出てる。

魏志倭人伝には、骨を焼いて占っている姿は、中国の令亀法に似ていると書かれてるので、素材的に亀である必要はないけどね。

其俗 擧事行來 有所云為 輒灼骨而卜 以占吉凶 先告所卜 其辭如令龜法 視火坼占兆

430名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:25:55.64ID:3CsTpyeT0
百済や新羅の王子を人質にしてたんだから住居跡があって当然じゃない?

431名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:26:15.11ID:1WcAT9Fw0
>>378
邪馬台國王≠倭王
そこんとこのケジメ、ヨロシク

432名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:26:50.23ID:BaXXxWhL0
面白いのは畿内のこの時期の直前に銅鐸文化から急激に銅鏡祭祀にシフトしていること
これは出雲系の経路による交流から瀬戸内東海方面の勢力に交流がシフトしたことを物語るものだと思う
巻向の発生がこれに影響している
ちなみに畿内の銅鏡はほとんど仿製鏡だと思われるが、これは交易価値として貨幣のように使われた可能性が高い

その後河内では渡来人による庄内系土器の生産が隆盛するけど、これも当時の畿内の権力者の意向が影響しているだろう
交易製品や物質運搬のために大量に必要だったのではないだろうか
これは文化革命と言っても良い

433名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:36:40.22ID:qGF21PEh0
纏向に卑弥呼の宮殿があると言ったり、
箸墓が卑弥呼の墓と言ったり、
考古学者って研究者の面汚しだな。

434名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:38:06.43ID:jqXo7y020
>>431
天多利思比孤は倭王だろ。

435名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:39:22.41ID:ddcOm/i40
>>427
東京ドーム66個分の広さを誇る土木事務所って、控えめに言ってもも巨大だね。

436名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:39:32.38ID:BaXXxWhL0
>>419
四十九日の着目点は面白いね

ここまで畿内の3世紀頃の文化を考えたとき、到底アマテラスの源流とはなり得ず北九州由来だということがあぶり出されるんだよね
征服などの急激な変容ではなく文化侵食と言った表現の方が近いと思う

437名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:45:48.97ID:rsHDRDam0
銅鐸が古墳時代に銅鏡になり、大陸との交易で銅銭になり交易が増えると仏教をツールにした渡来系に大和朝廷が乗っ取られる。
宗教が国家侵略の重要なアイテムなのはキリスト教にしろイスラム教にしろ、いつの世でも共通。

438名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:48:30.93ID:asarSOOA0
>>383
中国の真似をしたと思うよ
都の作り方とか

439名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:48:32.69ID:FjuihQL50
>>432
銅鐸文明の実態って殆ど明かにされてないんだよね。
銅鐸文明=和、銅鏡文明=日本で、日本が和をのっとったのが
纏向もしくは箸墓なので、ここは本当に面白いと思うんだ。
卑弥呼は和の側にいたのか、日本の側にいたのか?という点においても。
九州説は、日本の王朝が連続しているという前提なのでお話にならないんだ。

440名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:49:13.97ID:FjuihQL50
>>437
仏教にとってかわられるのはもっと後でしょ。

441名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:50:04.84ID:jqXo7y020
>>436
もう一つ面白いのは天子死後遺体を船に乗せ太陽の登る東へ海上輸送するってとこ。
いかにも神が天に帰る神話的宗教儀礼に思えるんだよね。

442名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:52:35.20ID:asarSOOA0
>>396
それはいやいや行ったんだと思う。
政府にだまされて
つまり金持ってる王族が亡命しようとするときに後進国に亡命しようとするかってことだと思う。

443名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:52:52.05ID:5XN8A+Sf0
銅鐸は出雲文化圏でしょう。葛城族も出雲族の一種。鴨族も。

444名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:52:56.98ID:FjuihQL50
>>383
朝鮮系というより、任那日本府の引き上げ組が、
中央政権を簒奪したんじゃないのかな?
皇室の異様なまでの古代の文化は半島から。
という言い分を見てるとそんな感じがする。
実際の考古学的な分析だと半島由来物は殆どなくて、
大陸からの直送、そして半島へという流れでしか
説明できない物しか存在してないのが考古遺物の現状。

445名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:53:30.95ID:3CsTpyeT0
吉野ヶ里からも銅鐸出てるよね

446名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:54:06.79ID:rsHDRDam0
>>440
6〜7世紀の話ね
邪馬台国とは全く関係ない時代

447名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:57:05.51ID:asarSOOA0
>>441
ほう
それで伊勢が常世の重浪が打ち寄せる場所と言われるゆえんか

448名無しさん@1周年2019/06/09(日) 11:57:23.31ID:FjuihQL50
戦後の日本でも政財界に大陸引き上げ組が跳梁跋扈暗躍してたでしょ。
そのママ政権中枢を簒奪する可能性もあった訳で、任那日本府撤退組を
和が保護したら、その連中が皇室を簒奪した。(文系は平気でそういう事やる)
から、銅鐸文明文化が断絶していると考えると、色々説明がつくし、簡単になるんだよね。

449名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:05:03.77ID:BaXXxWhL0
>>443
銅鐸は出雲の影響が大きいね
というよりも3世紀以前の弥生時代の隆盛度を物語るものだと思う
出雲勢力は北九州とは別経路の大陸交流ルートを持っていたと思われ、文化的に北九州と二分している

鉄器により稲作を発展させたのも出雲勢力で、北陸の平野は3世紀までに軒並み開発されていってるよね
その後半島情勢の推移により交流ルートが弱体化したのではないかと考えている
一方北九州勢力は海人族により瀬戸内、太平洋、東海ルートで沿岸地域を点で押さえていて興味深い
畿内はまさにその推移に晒された地域と言えるな
ただし渡来系には厳しかったようだ
最近渡来民を虐殺した痕跡が出土したりしてるしね

北九州文化圏と出雲文化圏の勢力推移を図示化するとこの辺りが見えてくると思うんだけどね

450名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:05:06.24ID:jqXo7y020
>>447
これかなり古くから天子を太陽とする太陽信仰は倭王の生活自体を制限してたと思うんだよ。
例えば卑弥呼は人前に姿を現さなくなったり、天多利思比孤は夜に政務を執り、日が昇る日中は弟に任せたと記録が残る。
これはつまりは天子が太陽そのもので太陽が昇ると外に出るわけいかなくなるんだよね。

451名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:06:51.78ID:4F7Ah+O+0
>>424
涙拭けよ近畿パーww



 

452名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:07:18.08ID:4F7Ah+O+0
畿内説は否定証明完了済み。   



 

453名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:07:48.55ID:3CsTpyeT0
吉野ヶ里も出雲系か
北部九州も出雲系ということでいいのかな

454名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:10:46.68ID:1WcAT9Fw0
>>391
磐船と巨岩は同音異義の言葉というだけで無関係。
巨石の舟が海に浮かぶ訳がない。
イワはハワイ語で軍艦鳥を表わしている。
珍敷塚古墳の壁画に鳥を乗せた舟が描かれている。
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚
船に載せた鳥は軍艦鳥

鳥船塚古墳にも鳥を乗せた舟が描かれている。
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50057822.html
アマはアウトリガーカヌーの転覆防止用の浮きの事。
アウトリガーカヌーはマオリ語ではワカ (waka)と呼ばれる。
和歌山のワカはアウトリガーカヌー。
和歌の浦はアウトリガーカヌーが並んだ浜辺、海岸を意味する。
日本語ウィキのアウトリガーカヌーを参照

冬十月に、伊豆国に科(ふれおほ)せて、船を造らしむ。長さ十丈(とつゑ)なり。
船既に成りて、試に海に浮くるに、便ち軽く泛び疾く行くこと馳するが如し。
故、其の船に名(なづ)けて枯野(からの)と曰ふ。
船の軽く疾きに由りて枯野と名くるは、是、義(ことわり)違へり。
若し軽野と謂へるを後人(のちのひと)訛(よこなま)れるか。(応神紀)

枯野(からの)はカヌーが訛った物
伊豆にある狩野川の「狩野」もカヌーが鈍った物

455名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:17:03.74ID:1WcAT9Fw0
>>416
動物にかじられた痕跡がないという話なのに
九州野郎は池沼か

456名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:18:09.68ID:r7xCt0Fo0
>>453
出雲が北九州系なんだよ
北部九州を拠点とする海人は古くから沖縄から北海道までの日本海交通を制していたからね
出雲もその中継地点の一つということ

【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚

457名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:26:11.01ID:F5iDawUg0
>>449
諏訪大社には鉄鐸というプロトタイプ銅鐸なものがあるけど
国譲り神話で力比べに負けた出雲側の建御名方が逃げたのがその諏訪大社なんだとな。

大和を制圧した後発の神武天皇は大物主の子孫と結婚して出雲系の大物主を大神神社に祀った。

記紀の記述が事実と驚くほど裏付けられてないか?

神社東征の畿内制圧で銅鐸文化圏が消えた説は有力だけど
出雲地方だけじゃなく大和も九州勢力が乗りこむまでは出雲の勢力圏にだったのか?

458名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:27:02.23ID:3CsTpyeT0
北部九州が出雲文化圏なら邪馬台国が九州はおかしいよね

459名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:29:17.32ID:3CsTpyeT0
>>457
>出雲の勢力圏にだったのか?
お国の言葉出てますよ

460名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:33:58.94ID:BaXXxWhL0
>>453
銅鐸は2世紀には国産がガンガン作られていてその頃から本来の意味よりも威信材として存在している
よって貨幣的価値とは別物と言える
2世紀後半までの地域の隆盛度を物語っていると言えるな
あと大型化したあと急激に消失する経緯は後の古墳の隆盛とリンクする部分でもあるね

興味深いのは銅の組成自体は6世紀まで国産は存在しないことで、輸入された銅は銅鐸生産から仿製鏡生産に移っていったこと
2世紀に銅鏡が威信材及び交流物資としての価値が増大したことを物語っていると考えると、鏡祭祀の起源もそのあたりから導き出されるのかもしれないね

461名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:34:41.52ID:vDA8knI40
畿内だろ。
その背景となる生産力や人口あったからその後連綿と続く都の舞台になった訳で。

462名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:35:19.31ID:jqXo7y020
近畿も王墓を安置する領域としては邪馬台の傘下にあったのは確実だと思うし九州に都市基盤は置かれたが近畿は邪馬台倭の属領だよ。
空調機器のない古代においては温暖で海流が交差する九州はミネラル豊富な海洋産物の宝庫だし一年を通して住みやすい温暖な気候は長寿にも貢献したんだろう。
そんな環境が遷都するのは白村江の敗戦くらいしか理由が見つからない。

463名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:35:31.84ID:b+fyncPY0
まあ取り敢えず箸墓掘ろうぜ

464名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:38:04.60ID:1WcAT9Fw0
>>460
>銅鐸は2世紀には国産が
支那に銅鐸は無いから国産なんてわざわざ書く必要は無い

465名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:43:19.82ID:r7xCt0Fo0
>>458
いや全然
魏志倭人伝に倭国はもともと100余国に分かれていて現在中国と通交があるのは30国と書かれている
>>456の画像にある「貝の消費地 北部九州の弥生のクニグニ」が邪馬台国連合30国で、
それ以外のオレンジ色の地域が倭国大乱で中国と通交を失った70国だろう

466名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:47:44.28ID:n4uDKpCH0
>>456
これを見ると、九州が他地域を支配することはあっても逆はなさそうだな

467名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:50:36.97ID:F/+xDzXV0
>>457
>大和を制圧した後発の神武天皇

畿内を九州から来た勢力が制圧したと言えるのは崇神垂仁の頃からではないか?
もちろん神武がなんとか畿内入りした時、そこに君臨していたのは大物主で、「国譲り」などされていない。
そして、神武自身は大物主系の娘をあてがわれて葛城にすんでいる。

その後、安寧、懿徳と、いかにも穏やかそうに過ごしたと思われる名前の後に
孝昭、孝安、孝霊、孝元といきなりトーンが変わって「孝」の字をもつ天皇が4代続く。

タケミナカタと力比べをしたタケミカズチは古事記によると天之尾羽張神(伊都之尾羽張)
の子供とあるが、孝昭天皇の奥方は尾張氏である。

おそらくは、神武の子孫は孝昭以降4代の間に尾張氏と共に出雲系にクーデターを起こし、
覇権を握ったのではないか?

その為、垂仁は我が子ホムチワケが言葉を発さなかった時に、出雲の祟りという事を信じたのだろう。

これらの下りは記紀には「神代」として書かれているが、実際には欠史8代に起こった事だろう。

468名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:51:38.61ID:hzvh4ewY0
種はかじらないだろうjk

469名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:52:24.02ID:5XN8A+Sf0
銅鐸はおそらく、大陸の小銅鐸に縄文土器の文様がMIXしたものでしょう

470名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:52:54.44ID:BaXXxWhL0
個人的感想としては、
銅鐸は各地域が地域の威信材として買い求めたもので長年使用されるもの
地域の共同財産としての側面が強いため神社などの公益施設などに埋蔵
古き良き弥生の姿が垣間見られる

銅鏡は祭祀対象として買い求めたものが個人的財産として確立したため古墳などにも埋葬された
北九州の古墳が割れ鏡を埋葬するのも死んだ権力者の財産として流通しないよう処理された物だと思う

471名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:56:06.67ID:+dqGnlXx0
>>456
すごくわかりやすい
ヤマタノオロチは九州邪馬台から派遣されてた監視者か何かの隠喩だったのかな

472名無しさん@1周年2019/06/09(日) 12:56:46.10ID:SQewXKAy0
>>466
貝で他地域を支配できるなら、沖縄が支配したって言えよ
屁理屈こねるにしてもまったく筋が通ってない

473名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:01:20.28ID:4F7Ah+O+0
>>461
いいから死ねよ

474名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:01:32.44ID:fY1MKAHK0
>>472
バカすぎw
海上交通を抑えられたら大陸からの文物も手に入らんだろがw
流通を抑えているというのは圧倒的強みなんだよ、現代でもシーレーンが重視される意味が分からんのかこのバカはw

475名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:02:02.98ID:4F7Ah+O+0
>>472
お前屁理屈こねんな近畿パー

476名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:09:54.21ID:3CsTpyeT0
>>456
九州説が成り立つためには
・魏が本州のことを知らない
・魏が会った倭人も本州のことをよく分かっていない
が絶対条件
その図はそれを否定している

477名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:11:44.17ID:30qZKdBT0
>>456これみて思うことは
筑後の人たちが瀬戸内海にでて近畿に到達した
関門海峡がちょっとした境界

478名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:12:15.57ID:SQewXKAy0
>>474
バカはおまえ
北部九州が海上交通を押さえていたと勝手に決めつけている
自分の妄想を根拠にしてるだけだ

479名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:13:03.88ID:SQewXKAy0
>>476
その通り
九州説は自爆している

480名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:14:17.02ID:ik2pkmk30
>>476
この図から魏の把握していた地域なんて分かるわけないじゃん
自説に都合よく妄想しすぎ
畿内説はこんなんばっか

481名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:15:30.82ID:SQewXKAy0
>>456
この図は日本列島全体で活発に流通が行われていたことを示す
倭国が九州だけだという言い分を完全否定

482名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:15:44.69ID:ik2pkmk30
>>478
図の左上の解説に海上移動してたのは九州人だと明記されてるじゃん
海流に逆らって航海するのは誰にでも出来る技術じゃないんだよお馬鹿さん

483名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:16:30.44ID:rsHDRDam0
>>467
では国譲りはいつ?

484名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:16:48.77ID:jqXo7y020
>>476
纏向は4世紀以降だから何ら問題ないけど

485名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:16:51.15ID:ik2pkmk30
>>481
その交易をしていたのが九州だと明記されていますね
当時の盟主が九州だった何よりの証拠

486名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:19:34.09ID:F5iDawUg0
邪馬台国は北九州確定でも、纏向と大和朝廷成立云々は本当にわけわからない。

出雲が現実の出雲地方の地方政権ならいざ知らず、なんでそれが大和国の先行勢力扱いにされる?
もしかして出雲が日本海北陸経由で大和国もおさえてた?

また纏向遺跡からは東国の東海地方の土器が多い。
東海地方勢力の西の前線基地が大和国?

大和朝廷の正史で天皇家は九州勢力の出でそれが後発組として大和国にやってきたとされるが
それは決してウソじゃない説濃厚なんだよな。

487名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:24:49.77ID:Ezz6LMaw0
>>448
児玉誉士夫とか岸信介とかね
大変分かりやすい

488名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:26:33.86ID:qVOXF3390
すげー綺麗な形のまま遺ってんのな。綺麗過ぎてホントにそんな昔の物なのか疑わしいくらいだ(´・ω・`)

489名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:29:34.75ID:Rd4DSnlm0
出雲は縄文人系でトップに大陸系のスサノオを迎える
九州も大陸系で出雲と同盟関係
畿内は神武東征のときに天磐船でやってきた同じ大陸系だったことが判明
神武が畿内を治めて出雲と大和政権を確立する

490名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:33:45.95ID:b+fyncPY0
景行天皇が制覇行をした土地には、最初期の前方後円墳が何故かある
石塚山古墳(福岡県京都郡)、赤塚古墳(大分県宇佐)
小熊山古墳(大分県杵築)、生目古墳(宮崎県宮崎市)

491名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:37:23.28ID:92GVTo/Q0
>>486
>出雲が現実の出雲地方の地方政権ならいざ知らず、なんでそれが大和国の先行勢力扱いにされる?
>もしかして出雲が日本海北陸経由で大和国もおさえてた?

出雲は西は出雲から東は信濃川を遡って関東甲信に至る大国だったんだよ。
諏訪大社、氷川神社、大國魂神社などは出雲系の神様と言われてるらしい。

出雲系の勢力は畿内にも植民し、その痕跡が纏向遺跡だろう。
神武が九州からやってきたのは、出雲が開拓し、大物主がその大国の主だった畿内だったんじゃないか?

先行勢力というよりは、政権をクーデターで乗っ取られてしまったのだろう。

492名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:38:51.23ID:/Gwkm8NH0
>>486
>大和朝廷の正史で天皇家は九州勢力の出でそれが後発組として大和国にやってきたとされるが
>それは決してウソじゃない説濃厚なんだよな。

皇室の宮中祭祀に南国の習俗が入ってるんだよね
ビロウは椰子の仲間で南国の植物、北限は福岡で瀬戸内海地域には生えていない
践祚の儀に使うってことは、新陛下もビロウ葉の屋根の小屋に入ったのかな?

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>なぜ、ビロウが手掛かりになるのかというと、このビロウという植物の古代天皇制から現在の天皇家にいたる祭祀上の特殊な位置づけがあるからです。
>まず第一に、古代天皇制においてビロウは「最も神聖な植物」とされたということです。
>皇族の中でも特に高貴なものに許された乗りものに、ビロウ毛の牛車というものがあります。屋根材をビロウの葉で覆っているものだそうです。
>なぜこのような牛車が高貴なものしか許されなかったのか?
>おそらくそれは、天皇の即位式である大嘗祭に由来しているのではないだろうかと思われます。大嘗祭においては、天皇として即位する
>儀式のため百子帳という小屋を建て、そこが天皇になるための禊の場となるのだそうです。
>この百子帳の屋根材は、なんと今でもビロウの葉でなくてはならないのです。
>ビロウ毛の牛車とは、おそらくこの百子帳を日常にアレンジしたものであろうと思われます。
>ならば、その使用は天皇にごく近い血筋をもったものしか許されなかったことは、想像に難くありません。
>
>第二に、ビロウは古代から続く信仰のシンボルでもあった可能性があるということです。
>折口信夫によると、ビロウの葉は風を起こす呪具であり、扇の元となったといいます。風は航海や海戦にとって、命を左右する自然現象です。
>古代において、呪術と科学は同じですから、ビロウの葉はシャーマンにとって風をあやつることができる(とみせることができる)、
>重要なアイテムだったのです。
>また、吉野祐子によるとビロウの葉は扇の原型でもあるが、幹は男根の象徴であり、蛇信仰のシンボルでもあったといいます。
>実にビロウは、日本の風土と信仰に深く根ざす植物でもあるのです。
>そもそも、ビロウ祭祀を行っていたのは、南方から流入した系統の民族であり、沖縄・南西諸島のには必ずビロウが自生しています。
>宮崎県の天孫降臨伝説が残る青島は、まさに北半球最大のビロウ自生地であり、青島神社の元宮は縄文時代からの遺物が発掘されます。
>古代天皇制に南方の習俗・祭祀が取り入れられているのは、古墳時代の遺物からもゴホウラガイの腕輪などからも推測されますが、
>山幸彦・海幸彦伝説の起源を考える上でもとても興味深いのです。

493名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:43:10.68ID:l7oaPE2m0
また、くだらん場所当てクイズに堕しているな。
そうじゃないだろ。九州支持派も畿内支持派も、政治の中心が
北九州から畿内へ移ったプロセスを説明してみろよ。

空白の4世紀の説明だ。
現状の考古学の知見をフル動員してだ。

(プロの)学者にも難しいようで、こういった本にはお目にかかれない状況だ。

肝心なのは初期ヤマト王権の発生の説明だ。寺沢氏は卑弥呼が纏向に居て、ヤマト王権につながると
おっしゃっているようだが、なぜ4世紀末に放棄された?合理的に考えると、大都市なんだから
ずっと王宮として使えばいい。記紀によれば初期ヤマト王権の王宮は居宅に毛の生えた程度の小規模なものだろ?
このギャップは大きい。

九州説にしても、卑弥呼の居場所もさることながら、初期ヤマト王権の萌芽をどう見るのか?

いずれの支持派にとっても、文献ではもう限界だろう。考古学の知見が頼りだ。
だが、まだまだ結論を出すには時期尚早だろう。お互い悔しいね。

494名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:49:37.79ID:b+fyncPY0
当時は天皇の代毎に都を変えているが、いわゆる死穢を避ける、という考え方もあったろうし
衛生観念が発達してなかったから、下世話に言えば
汚くなったから引っ越す、といった面もあったんでは、と思う
(中世ヨーロッパにも似た面があった)

495名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:50:27.14ID:gX4aSpDS0
>>486
>邪馬台国は北九州確定でも

世の中の流れに逆らって、この先入観のかたまりはどうなってるんだろうな
カチカチの脳みそなんだろうけど

496名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:56:21.44ID:4u1SX22M0
>>495
もう邪馬台国は北九州確定ですよ
纏向と大和朝廷成立云々は別の問題
記紀に漬かりすぎて先入観のかたまりは君でしょ。

497名無しさん@1周年2019/06/09(日) 13:58:33.08ID:y46K3v630
九州でかじられていない桃の種が発見されないかぎり、
九州邪馬台国説はあり得ない。

498名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:02:00.00ID:79QPXDCE0
>>497
んじゃ出雲の方が桃の種たくさんででるから
邪馬台国は出雲ってことだな

499名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:02:54.10ID:NXm+Emj50
ごみ溜めの桃の種
が残ったのは
水害で埋もれた

500名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:05:20.82ID:ddcOm/i40
>>488
纏向の桃の種2700個が綺麗すぎる状態で出てきているから
その数とかじられた形跡がない特異性に理由付けが必要になる。

長崎?とか他の遺跡でも人が食べた桃の種が出ることもあるけど
そういうものは大抵鳥やネズミなどの動物にかじられた跡がついてる。

桃の神秘性は中国は殷の時代から連綿と続いているものだし
儀式で使ったというこの推測の筋自体はそんなに悪くはないと思うよ。

というか、桃2700個の種が動物にかじられることなく出てきた事実に対して
他に建付けの良い解説なんて見当がつかんよね。

501名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:06:56.82ID:b+fyncPY0
纏向遺跡は初期ヤマト政権の跡だろな
崇神天皇やら、纏向に都を構えた天皇も何人か伝承されてるし
その後、景行や仲哀、神功あたりで九州まで遠征・支配下に置いたんだろう
ついでに半島にも勢力を伸ばした。時期は好太王碑からみても、四世紀末から五世紀だろな
邪馬台国はそういったヤマト政権の征服行中に滅ぼされた国々の一つ、と考えられそう

502名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:08:07.65ID:0B46yq7L0
願望が多分に含まれてるという

503名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:15:53.83ID:Gwy5rA8S0
>>476
魏史倭人伝にも本州の話は出てくる
海を東に渡った先も倭地だと書いてある

504名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:16:30.44ID:Ezz6LMaw0
>>494
3キロもある都市を放棄
しかも生活遺物が全然出ない

纒向は倉庫とか市場だろね
トシではない

505名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:16:40.91ID:2aZ53dVF0
近畿式銅鐸 近畿、福井、四国東部
三遠式銅鐸 東海
特殊器台  吉備
四隅突出型墳丘墓 出雲
銅剣     北部九州、四国西部

これらが緩やかに同盟 前方後円墳、銅鏡

506名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:17:01.55ID:Zf9By7yH0
>>503
倭地じゃなく、倭種な

507名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:17:48.52ID:Gwy5rA8S0
>>503
×魏史倭人伝
○魏志倭人伝

508名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:18:35.72ID:Gwy5rA8S0
>>506
そうだったすまぬ
まあ、本州の記述があるのは間違いない

509名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:18:38.32ID:dTKehOSE0
ただの桃好きのゴミ穴だったかもしれない

510名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:18:53.21ID:DMgFH/mB0
邪馬台と大和が繋がってないと都合の悪い連中っているのかね

511名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:19:33.49ID:2aZ53dVF0
緩やかに同盟するが女王への貢物を押収
女王がいる地区の王が力をつけてヤマトへ

512名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:20:45.10ID:FjuihQL50
>>500
桃でワイン作ってたとかは?
と僕レベルの教養があれば、別の仮説が
わんさか出てくるんだけど、考古学者はバカなの?

513名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:21:01.36ID:05kLaNUv0
あったという確証もない架空の集落に偉いご執心だなwww
まあ、ジャップってそれがなくなったら何にもないからな

514名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:21:13.74ID:lF5luayc0
>>510
おそらくつながってると思うよ
卑弥呼の象徴みたいな鏡が、九州から大和に移っているわけだから
どっかで東遷があった。
それが卑弥呼の前か後かが分からないんでこんなカオス状態になっているわけで

515名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:22:31.27ID:F5iDawUg0
>>508
だから倭人伝をでいう黒歯国や裸国が纏向にも勢力伸ばしてた愛知静岡の国のことだったはあり得ると思う。

516名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:23:22.03ID:lF5luayc0
まあ東遷といっても王だけ担がれた可能性が高そうだが
それも大陸との橋渡し的な役割を期待してだろうと思う。

517名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:25:12.56ID:Zf9By7yH0
邪馬台国と、ヤマト朝廷は全く関係無さそうだな

518名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:28:09.25ID:b+fyncPY0
三世紀末から四世紀にかけて、九州にはあちこちに初期型の前方後円墳が出てくる
(福岡、北九州、宇佐、大分杵築、宮崎等)
この時期は東遷どころか、畿内勢力に九州勢力が帰服しているように見える
記紀云うところの九州征服行が行われた時期なのでは、と思えるな

519名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:28:45.17ID:JaS2K+Ta0
どこにあるかわからないくらい過大評価されてるってことだな

520名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:30:06.24ID:I6XETFAI0
>>374
古代史も学べば一貫して

朝貢
強制連行
親日派

倭人は
征服
命令

この関係ばかり

521名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:30:43.62ID:rsHDRDam0
>>515
風習が違い過ぎるし南に水行1年とかだから
トカラ列島や伊豆諸島、小笠原あたりやろな

522名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:31:16.63ID:F5iDawUg0
>>514
関わっていても神武と東征した九州勢力のうちの1人、程度だと思う。

523名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:31:53.30ID:ddcOm/i40
>>512
桃で酒を作ったとするだろ?
当然桃の種は酒にならないから捨てるよな?
そうするとやっぱり動物にかじられるよな?

524名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:36:00.66ID:rsHDRDam0
>>518
東征したけど残っていた隼人征伐に九州に来た
つまりそういうことだ

525名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:36:04.32ID:ry5ZFUsG0
自然に落下したんじゃなく、埋めたからかじられてないんだろう

526名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:39:46.93ID:rsHDRDam0
>>523
中韓人は、机以外は4本足が有れば何でも食べたという諺がある
その動物も食べてしまったのだろう

527名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:40:39.89ID:I6XETFAI0
>>524
南部九州出身の神武親族が故郷の親戚征伐するってストーリー

矛盾て言うんだ
そーゆーの

528名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:42:33.33ID:rsHDRDam0
>>527
隼人と神武は敵対してたのに何言ってるんだ?

529名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:43:43.80ID:b+fyncPY0
>>524
東征という意味では、前方後円墳のルーツと言われる円形周溝墓は
紀元前後あたりに瀬戸内で生まれ、徐々に畿内に入ってる
吉備には前方後円墳の前身と言われる楯築遺跡があり
纏向は吉備の影響を強く受けてる
ついでに言えば、神話では神武天皇は吉備で八年過ごして力を蓄えたりしてる

神武東征があったとしたら、九州を出た勢力が
瀬戸内や吉備の勢力と合わさりつつ、畿内に入って国を打ち立てた話の神話化であり
時期としては一世紀から二世紀あたりでは、と思ったりする

530名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:52:04.06ID:4F7Ah+O+0
>>476
畿内説は否定証明完了済み。 


 

531名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:52:19.91ID:4F7Ah+O+0
>>479
畿内説は否定証明完了済み。



 

532名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:53:18.81ID:F5iDawUg0
大和朝廷自身がその成立に邪馬台国が関与していたことを知ってるかつ、
大和朝廷は記紀編纂時は日中は対等な関係という立場上、
かつて中国の臣下になった卑弥呼は認めなられないで邪馬台国のことを一切消した説あるよね。

これって外国からあんたらヤマタイの後継だろ?と言われたら言い訳しようがないから消したのか、
大和朝廷は連合政権で主導権争いで天皇家が勝った、それ以外は触れる必要なし、程度なのか?

533名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:53:53.28ID:4F7Ah+O+0
>>486
簡単。
九州倭国と近畿日本の二つの国があった。
終了。

534名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:54:16.84ID:4F7Ah+O+0
>>516
そう。それ。

535名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:54:20.78ID:jhN9J8v30
>>488
金印なんか「2000年前のものと思えない、綺麗すぎておかしい」とかたまに言われるよな
まあ金印は国宝で重要な物なので人の注目集めるからあらぬ疑いをかけられることもあるが
桃の種なんかどうでもいいから疑われることも少ない

536名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:56:36.19ID:U36cdpwL0
桃って時点で中国由来の鬼道祭祀に使われたことなんて明らかで、たしかに裏付けとしての意味はあるけど大々的にニュースにするようなことかよ
大体今まで何千個出土してると思ってんのよ

537名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:57:59.21ID:F5iDawUg0
>>529
昨日も書いてる人がいたが倭国大乱(卑弥呼が王位につく前の北九州の話)の時に
そこを逃れた人が東征した説あったな。その年代なら畿内のから銅鐸の消えた2世紀と重なる。

538名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:58:42.64ID:b+fyncPY0
>>532
日本書紀には、神功皇后の記事に魏志倭人伝の記事を組み込んでたりするから
卑弥呼を抹消しようとはしておらず、むしろ積極的に取り込もうとしてる
ただ266年の(恐らく台与が送った)晋への使者まで
神功皇后の記事に取り入れてるので、却って矛盾が出てるけど

539名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:58:49.94ID:FjuihQL50
>>532
そうじゃなくて、簒奪政権という事実を隠してるんだよ。
だから銅鐸も古墳すらなんか良く判らんものになっている。

540名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:58:55.82ID:ExJCyEha0
古代は都が移動してたんだろうね

卑弥呼の時は、当初伊都国にいたが、いつか中国の覇権争いからの侵略を恐れ、筑後地方方面へ後退していった。
後の筑紫国が邪馬台国の中心地(250年くらいまで)

卑弥呼後期になると、魏も衰え熊襲からの襲撃が増え、卑弥呼も絶命し、混乱期に入るが、2代目台与が中津付近に陣を構えて落ち着いた。
後の豊国が邪馬台国の中心地。(200年代後半)

邪馬台国後期になると、晋の統一によって、中国との交流を絶たれた邪馬台国は中国からの侵略を恐れ
大和連合国の必要性を、説いて回り、最終的に奈良地方にその拠点を築くことになった

そうした経緯から古事記に出てくる神々の名前は、当時の九州系の名前であり、後ろに位を表す敬称みたいなのが付いている
邪馬台国の名前や九州の話が詳しく書かれてないのは、新たな中国勢力との交流にあたって敵対視された九合ためだろう。
それで九州の主な地名も書き換えられ、人名も畿内系統の付け方が主流となった。

541名無しさん@1周年2019/06/09(日) 14:58:56.33ID:d3AIZrXF0
古代史も戦国時代みたいにタブーなく議論できればいいんだがな
勇気ある歴史学者はいないのだろうか?

542名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:00:15.06ID:FjuihQL50
>>538
ですです。魏志倭人伝が言う倭の正当な政権ですよ。
と糊塗したけど、じゃあ銅鐸なんやねんって言う事にはちゃんと答えられない。
こういうのは簒奪政権の特徴。

543名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:03:01.45ID:4F7Ah+O+0
>>537
東征は無い。

544名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:03:54.53ID:4F7Ah+O+0
>>541
畿内説を潰せばいいだけだよ。

545名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:04:22.77ID:U36cdpwL0
>>541
今の古代史研究にタブーなんてのはないだろう
自説に固執した大物研究者への忖度みたいなものはあるだろうけど

546名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:04:34.08ID:4F7Ah+O+0
つか潰れてることを言えばいいだけ。
畿内説は否定証明完了済み。


 

547名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:04:59.55ID:4F7Ah+O+0
>>545
それタブーのこと。

548名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:06:48.70ID:4F7Ah+O+0
あと九州説は畿内説など相手にしないことな。
畿内説と論争するなんてのは地球が平らだと言ってる連中と地球学について議論するようなもの。
そもそもまともな議論にはならない。
畿内説は否定証明完了済み。



 

549名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:07:41.05ID:3CsTpyeT0
>>571
タブーなんてないよ
前は遠慮してたかもだけど、はっきりと畿内で確定というようになってる

550名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:07:58.98ID:4F7Ah+O+0
それから東征だの東遷だの、伊都国が邪馬台国だの
決着のついてるデタラメをいつまでもいつまでも言うのを止めること。

551名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:08:21.54ID:4F7Ah+O+0
>>549
死ねキチガイw

552名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:09:51.63ID:4F7Ah+O+0
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。
よって邪馬台国は卑弥呼の時代は御井。

553名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:10:01.40ID:d3AIZrXF0
東征はないな
ヤマト征伐の主力は東海勢だろう

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

朝日遺跡の変遷は興味深い

元々畿内と同じ木棺、玉作り、銅鐸勢力だったが紀元前後に銅鐸が埋葬され、甕棺など日本海側と共通点が見られる勢力に変わったみたいだな

神庭や丹波の王族を追放した朝鮮半島色の強い勢力が倭国大乱前に東海まで勢力を広げていたのかな?

554名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:10:19.01ID:7VOtdn350
>>537
うん、多分それがニギハヤヒ(のモデルの一族)。で、その
一族はナラまで逃げていって現地の王権に食い込んだと。
さらに卑弥呼が亡くなってから、トヨが立つまでの戦乱期に
同じように逃げていったのが崇神(=神武)なのでしょう。

555名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:10:53.72ID:F5iDawUg0
宮内庁が天皇陵指定している大古墳を掘れないってもどかしいよね。

仮に天皇家が万世一系じゃなく、前王朝の王位を簒奪したことが証明されたところで何が問題だ?

556名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:11:37.12ID:U36cdpwL0
>>543
東征と呼ぶのかどうかはさておき、北部九州にあった邪馬台国の一族、卑弥呼=天照の子孫である九州の有力土豪=神武が呼ばれたなり担ぎ上げられたで奈良へ赴いた、
もしくは政権簒奪のために奈良へ向かったとするならば寧ろ東征(と呼ばれるもの)が無かったとする方が無理があるくらい整合する

557名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:11:58.76ID:4F7Ah+O+0
 

卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

558名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:12:53.31ID:I6XETFAI0
>>542
銅鐸妄想

559名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:14:22.42ID:/RJk7Wa60
>>1
巻向は記紀に出てくるから、ヤマト政権の都市だからね。
邪馬台国は書かれてないから別物。

560名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:14:25.07ID:I6XETFAI0
>>553
新羅を征服した倭人が戻って来たのかな

561名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:16:22.88ID:/RJk7Wa60
>>514
神武の時代は河内の地形で邪馬台国より数世紀過去らしい。

562名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:17:09.23ID:d3AIZrXF0
万葉集の以下の歌は興味深い
真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧

照るはずの月を、
白い雲が隠しているのでしょうか。【倭国大乱】
それとも天の霧が隠しているのでしょうか。【壬申の乱】

を表しているのかもしれない

563名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:18:59.81ID:4F7Ah+O+0
 

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

564名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:19:00.32ID:3sUsJtgyO
素直に記述を読めば台湾か沖縄あたりにある国だよ

565名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:20:46.54ID:d3AIZrXF0
崇神の代に創建されたと言われている白山比め神社

その神紋は三子持亀甲瓜花
亀甲が三重になっているが

三子持が気になる
崇神の前は、卑弥呼、男王、台与
何か関係あるのだろうか?
白は古代史の重要なキーワード、何を指すのだろうか?

566名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:22:03.50ID:ExJCyEha0
奈良は邪馬台国の国造りのノウハウを受け継いではいるが、当地ではない、遺跡がそれを顕著に表してる。
奈良の遺跡からは魏や九州との交流の跡がないし、年代が4世紀以降のものばかり。

しかしながら、宗教による洗脳や武や国の防衛の必要性と大国との交流など国つくりに必要なノウハウは受け継いでいると思う。

567名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:22:22.81ID:FjuihQL50
>>529
てか前方後円墳にしろ円墳にしろ大陸のクルガンと
そっくりなのに500年ぶりに日本で復活しているのが
本当に不思議なんだよ。
クルガン文化の需要だけじゃ語れない何かがあるんだよ。

568名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:23:08.35ID:jqXo7y020
>>521
それ草書体からの書き間違い
陳寿の原文は草書体で書かれており
草書体は月と年が見分けがつきにくく
本来一月が正解

569名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:24:32.53ID:GcWEx1Ga0
魏志倭人伝を読んでいて思うのは、魏の木っ端役人どもが倭を訪れたころには

出雲が築いた大国があったはずなのに、倭人伝の中に出雲を思わせる地名も役人名も

登場しない事なんだよ。 ちなみに出雲の範囲は、出雲〜畿内〜関東甲信越な。

570名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:24:42.32ID:thNZubH50
神武の血筋は第2代・綏靖天皇までは上記で確認できるが
それ以上は分からない
血筋は断絶していると思う

571名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:27:05.52ID:I6XETFAI0
>>565
倭人が征服した新羅のシラだね

572名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:28:26.15ID:F5iDawUg0
>>556
卑弥呼はアマテラスと被るよね。

日向出身の神武はかつて邪馬台国のあった北九州勢力を味方につけるために正当な後継者を名乗ったのはアリとみる。
もちろん完全なウソならプロパガンダが信用されないのでなんらかの接点はあったとみる。

邪馬台国連合の一構成国の出身で連合崩壊後に日向国に逃れた(それ天孫降臨)人物の子孫だとか。

573名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:28:46.31ID:FjuihQL50
大陸のクルガンって言っても中国じゃないんだよ中央アジアのクルガンと
日本の古墳がそっくりなんだよ。
考古学者はこれになんて答えてるのか文献探しても誰も何も答えてないんだよ。
ちゃんと仕事しろよ。

574名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:28:59.27ID:I6XETFAI0
>>569
古代は少人数の決闘的な話ばかりじゃん

575名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:29:38.75ID:4zfWK5wE0
弥生式円墳、方形周溝墓、古いタイプの
纒向型前方後円墳、銅鐸、内向花紋鏡、方格規矩鏡、初期の鉄刀などは、
地域によって多い少ないはあるが
九州から関東まで、支配とは関係なく
広く伝搬しているように見える。

そういう広く緩やかな自然交易関係の中で、4世紀頃に出てきた三角縁神獣鏡と定形式前方後円墳の文化。
これはそれ以前の全国に広まった文化とは
少し異色ではあるが、5世紀後半には
九州にも広まっており、同じように
全国に溶け込んでいくのであろう。

576名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:29:48.98ID:U36cdpwL0
>>561
それだと記紀と矛盾する。まず記紀を嘘と断じるのを疑わなくちゃならない
神武は仁徳天皇までの一年二期説を元にするならば3世紀後期の人物で整合性が取れる
歴史を長く見せたいだのなんだののために年齢や在位年数を誤魔化すのに中途半端な代にする意味がない
大和政権成立=神武天皇即位は3世紀後期〜4世紀前期でOK

577名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:30:52.75ID:ExJCyEha0
>>569
出雲も大和連合国の中心地としては有力だったと思うよ。
しかし、大陸側に面してる点で適地ではなかったんじゃないかと。

578名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:32:21.02ID:4F7Ah+O+0
  

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

579名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:34:19.90ID:d3AIZrXF0
【祓戸四神】は邪馬台国、初期のヤマト政権の主体を示しているのかもしれない

瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売

『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。
また『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』では豊受大神荒魂の別名は伊吹戸主とある

瀬織津比売は卑弥呼
速開都比売は瀬戸内海の海人、卑弥呼の次の男王、饒速日
気吹戸主は台与
速佐須良比売はスサノオ系の母

台与の後のヤマト政権はスサノオ系の政権だったかもしれないね
事代主系とかね

580名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:39:50.76ID:qGF21PEh0
>>460
銅鐸は集団祭祀に用いられるアイテムで、
階級制度が未発達な地域に見られものだと
指摘されている。
北部九州型の首長祭祀に移行した地域は
銅鐸から銅鏡に祭祀アイテムが変化している。

581名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:43:22.60ID:d3AIZrXF0
倭国大乱で畿内を征伐した東海や山陰の勢力は、畿内を平定後四道将軍などで各地の平定に向かったのだろうか?

そして神功皇后応神の時代、初期のヤマト政権に虐げられていた近畿や九州北部の在地の勢力と関東の先住民が手を結び、神功皇后応神を旗頭にしてヤマト政権の旧勢力から主権を取り戻したのかもしれない

582名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:45:23.92ID:4u1SX22M0
>>529
神武一行は難波の碕から白肩の津へ遡ったとあるが
5世紀以前は難波の碕の東には河内湾、河内湖が存在し流れがなく
難波の碕から白肩の津へ遡ることは不可能
神武の東征は淡水で流れのある草香の江が出現した5世紀以後の出来事

583名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:47:13.20ID:F5iDawUg0
>>568
となると大分の邪馬台国より海を渡って東の100里の和種の国が四国西岸の八幡浜、
そこから小人の国とされる南の侏儒国が足摺岬まわって高知平野(女王国から4000里)、
そこから東南に海路一月が室戸岬まわって徳島や淡路島なんだろうか?

分かってると思うが倭人伝の方向は45度はずれているので東は北東、南は東南、東南は東な。

584名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:47:27.13ID:ExJCyEha0
大和連合国を作るのに、征伐とかそういうのはなかっただろ
そんなことしてたら、中国の覇権争いみたいにもっと戦闘の痕跡や言い伝えが残るし時間もかかるしクーデターも起こる。
大陸の外敵と脅威を基軸に宗教を使って連合国として統一していったんだよ

585名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:47:39.60ID:I6XETFAI0
>>581
新羅を征服して新羅王となった倭人が故郷に返ってきたのか

586名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:50:07.91ID:lF5luayc0
>>537
しかしそんな亡命人に銅鐸祭祀を変えさせるほどの力があるとは思えんがな

587名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:52:32.01ID:I6XETFAI0
>>537
単に中国流行に乗ってるだけだろう

588名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:54:18.23ID:F5iDawUg0
>>583
書いてて思ったが中国人や和種の国や侏儒国に行ってるのか?
だって里数表示だから。倭人は里という単位を知らないため日で距離を測ってると書いてる。

そうか。国の正式な使節は送られてないから文献資料が残ってないだけで
商人のような民間人は行ってる可能性あるよね。

589名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:57:02.88ID:Zf9By7yH0
>>583
>分かってると思うが倭人伝の方向は45度はずれているので東は北東、南は東南、東南は東な。


45度ズレてないと、話しが成立しないから
ズレてるに決まってるニダ!って事ですね

590名無しさん@1周年2019/06/09(日) 15:58:14.78ID:jqXo7y020
>>583
大分起点でなく長崎佐賀島原辺りを起点にすると大体合う

591名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:13:36.91ID:YLTjSLvx0
筑紫の磐井の乱というのがあるがこれが先天津神物部氏の反乱
邪馬台国は神武以前の大君である物部氏系統なのだろう

ニギハヤヒはナガスネヒコと大和で連合している。ここにイワレヒコ神武が背乗りした

592名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:24:19.82ID:/gT6Bmfy0
考古学も学んでない人らが思いつきで色々言わばれてますがなもう場所はハッキリしとりますんやわ

593名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:24:21.68ID:iwgCiV930
言葉はどうだったんだろう
少なくとも列島内では方言はあっても通じてはいたんだろうか
だとしたら大きくは同族だったんだろう

594名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:26:00.98ID:ILDfbD0j0
そんなことはドーデモいいから、
九州説派は、かじられていない桃の種を
発掘しろ。

595名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:26:09.93ID:jqXo7y020
投馬国は馬の草書が海と酷似するから
投海国として東海国だとすると出雲かもしれんね

596名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:30:28.82ID:/gT6Bmfy0
コレだよ

597名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:32:42.63ID:FjuihQL50
>>592
考古学者って言い訳の固まりだから、
これは嘘。

598名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:36:48.48ID:7VOtdn350
>>596
それは出雲と吉備なのか?

599名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:39:46.73ID:/gT6Bmfy0
大和大国は朝鮮から九州にかけて勢力持ってた邪馬台国は徳島とか近畿地方そこから東は
国としてのまとまりをまだ持ってない地域だっただけど強いて言うなら土蜘蛛や蝦夷などと呼ばれてた

600名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:43:11.38ID:Ezz6LMaw0
>>594
そうだよな、桃の種のかじられの有無が王都の有無を決定だよな!

601名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:44:08.69ID:/gT6Bmfy0
まだどこもはっきりとした住み分けじゃなかったからいろろまじってたがこんな感じの勢力分布だったんだよだいたいな

602名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:52:56.64ID:UttpoFxD0
なんか宮崎と高知とかも一番楽天的なイメージだけどな
あくまでも外野からのイメージだけだけど

603名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:56:27.24ID:7dPdbLss0
貝塚と同じだろ。桃食って種を穴に捨てただけ。

604名無しさん@1周年2019/06/09(日) 16:58:16.63ID:eiNNVLcn0
九州王朝説・多元王朝説 

弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。

なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。


わかりましたか?

605名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:03:14.41ID:4F7Ah+O+0
>>604
畿内説は否定証明完了済み。





 

606名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:03:55.21ID:4F7Ah+O+0
   

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

607名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:04:26.51ID:/gT6Bmfy0
604ヤマトと邪馬台国出雲など強い勢力はあったよでも他はバラバラだったしそれらの勢力も一枚岩じゃなかった

608名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:08:01.76ID:ddcOm/i40
>>600
それよりも九州説は魏志倭人伝の15万戸の帳尻をどうやって合わせるのか?だろうな。

当時の人口推計で、北九州には40万人程しかいなかったわけだし
さらに敵対勢力もいた訳だから北九州では狭すぎて収まりきらん。

609名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:09:34.84ID:4F7Ah+O+0
>>608
何遍も同じこと言わすなよ。
女王の領域は筑紫平野+山陰。
七万戸は余裕。

610名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:10:30.72ID:ddcOm/i40
>>609
それは魏志倭人伝の旅程と合わないんじゃないの?

611名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:10:35.42ID:/gT6Bmfy0
当時一番力を持っていたのが大陸に近い九州の勢力つまりコレが大和大国
次にじゃあどこが力を持っていたかコレが近畿地方になるわけだつまりは邪馬台国
何故呼び名が似てるかだって?それはね大和支配の証に付けられたからさ
つまりコレらは別物京都と東京みたいなもん

612名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:10:49.95ID:ARI9wt4k0
張角の娘または孫娘という設定にしたら面白いのに、太平道の生き残りとして

613名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:12:23.49ID:2aZ53dVF0
卑弥呼は九州出身で王族
邪馬台国は纏向

卑弥呼は九州から共立の女王として奈良に招かれた
纏向の建物郡は卑弥呼についてきた九州の技術者が作った
九州から纏向への貢物が絹が多かった

この内容で和解をすすめます

614名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:14:47.42ID:4F7Ah+O+0
已百支国はこのままでは該当がほぼない。
翰苑の巴百支が恐らく正しい。
これなら事実上ハハキ(甲音)としか読め無いし、それなら
伯耆ハハキ(甲音)とピタリとあう。
伯耆国でまず間違い無い。
あと、恐らく為吾も宇迦(ウカ)で出雲のことだろう。
女王の領域には山陰が含まれる。
またそう考えたほうが国譲り神話とも合う。

615名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:15:18.09ID:4F7Ah+O+0
>>610
???
(何を言ってるんだこいつわ?)

616名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:16:20.44ID:ExJCyEha0
>>604
最初は連合国家から始まっただけやで、いきなり統一されるわけないじゃん。
効率する過程で天皇制やら行政区ができて統一していくんだよ。

617名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:16:39.02ID:4F7Ah+O+0
    

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

618名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:18:37.15ID:MLXYYCfi0
>>610
むしろ奈良の方が合わない

619名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:18:56.03ID:ExJCyEha0
>>613
卑弥呼の時代には筑紫国が存在しないんだよ
奈良に建国するのはそのずっと先

620名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:21:18.04ID:/gT6Bmfy0
>>610むしろ会う必要がない自分の位置的になるやつに教えることになるかもしれないし記録させないよ
勢力も敢えて少し盛って書くでしょうね

621名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:23:25.14ID:5t2E00Rf0
作物と人口が力の時代だから九州は無理でしょ

622名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:24:02.50ID:vbfkiBoK0
>>597
考古学者が憎いのうwww
ばーか

623名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:24:37.49ID:6rzQwSOPO
よく半島を含めて倭の勢力圏とか言うけど
それって倭の勢力圏は多元王朝なんじゃないの?

624名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:24:38.57ID:4F7Ah+O+0
>>613
畿内説は否定証明完了済み。



 

625名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:24:52.87ID:2aZ53dVF0
伊都国平原の王族がやっていた銅鏡を使う儀式を
その子孫卑弥呼が受け継いで奈良で銅鐸を廃止して
銅鏡で儀式をする宗教改革を行う
箸墓古墳の近くにある14の古墳は九州時代から卑弥呼に仕えた人たち
そのなかでも鉄器がたくさん出るホケノ山の被葬者は九州の一流土木職人
鉄の土木作業の道具は九州から持ち込んで
石塚古墳の西側に鉄の道具を修復するための炉を置いた
(炉は未発見だが砥石と鞴とクラックはみつかってる)

626名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:25:04.17ID:4F7Ah+O+0
>>621
畿内説は否定証明完了済み。




 

627名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:25:59.34ID:4F7Ah+O+0
>>619
国産み神話は欽明以降の創作だね。
狗邪韓国が無い。

628名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:26:32.28ID:/gT6Bmfy0
>>621稲作が始まるにつれ首都が東に移っている初期の頃は稲作まだ本格的には始まってないから九州の方が栄えてた

629名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:33:46.89ID:7VOtdn350
ナラから銅鐸が消えたのは古墳時代に入る頃?

最先端のマツリゴトをしていた九州から人が流入してきて、ナラの人は
それに従ったって感じかね?

630名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:34:46.87ID:ExJCyEha0
>>627
日本書紀や古事記は700年代に大和朝廷によってまとめられた史書
そのときに過去の参考になる歴史書はいろいろと調べて参考にしたうえで、天皇や大和朝廷を敬うように脚本したため
史実については事実が多く見られるものの、年代や登場人物はまったくあてにならない。

631名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:35:03.62ID:4F7Ah+O+0
また恐らく烏奴国はアナ国で穴門(アナト)国、後の長門国のこと。
つまり、女王の領域の二十一カ国は伯耆国、出雲国、長門国の三国を含む。
なら、七万戸は別にあり得る数字。

632名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:36:06.18ID:ddcOm/i40
>>615
魏志倭人伝に書かれた、戸数の記載された国は8つで、これらは北九州内にあると言うのが九州説。

この戸数の合計が15万戸ある。

この他の詳細のわからない21国まで入れて、山陰までが女王国の範囲だというのはそれはそれ。

北九州内にあるはずの国だけで、最低15万戸必要になるが、当時の北九州には40万人程しか人がいない。

虚偽だと言うのは簡単だけど、そんなこと言い出すと何でもアリになって、どこでも邪馬台国にできる。

633名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:37:48.92ID:2aZ53dVF0
石塚古墳の西側で見つかった鞴羽口ふいごはぐちは
かまぼこ型だったので九州由来と思われる
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚
青い台の左のやつ 右は鉄滓(溶かしたときに出た不純物を多く含むいらないやつ)
左はの大きいのは砥石

634名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:39:08.56ID:rwHdhiZE0
北九州に最初に植民したリーダーが アマテラスで高天原人と称した
彼女の弟が 出雲に入植した
高天原と出雲の二か所が植民地として栄えたが
のちになって 高天原勢が 出雲を征服した
最初の入植者たちは 神扱いされた
子孫が 船で 宮崎に進出 建国 巨大化した
大分宇佐→安芸→吉備→飛鳥ヤマトを征服
大和国を建国した
卑弥呼女王国は北九州で続いてたが 神功皇后に滅ぼされた
卑弥呼女王国と飛鳥ヤマト国とは 直接関係はない
アマテラス神とトヨ神信仰と 卑弥呼 台与信仰は類似してるが別
当時の北九州や和人の間では 神功皇后のように 女性をリーダーにする
思想が流行っていたんだな

635名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:39:51.96ID:/gT6Bmfy0
首都は稲作とともに東に移っていったこの事実を忘れてはならないそして稲作のノウハウを持っていたのが誰なのか?

636◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 17:40:23.32ID:xiEWBATS0
>>1
> 巳和弘元教授は、「祭祀で供えられたあと、すぐに穴に埋められたため、動物にかじられなかったのだろう。

かじられはしないだろうが、フレッシュな実をそのまま埋めたら芽が出ちゃう気がする。
そこらへんは 巳和先生はどう解釈してるのかしらん。

637名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:43:24.95ID:F5iDawUg0
>>632
使者は邪馬台国本国の大分へ玄界灘関門海峡、国東半島を進んでる。
だから名だけあげて詳細の分からないとされる21カ国は九州内陸や佐賀筑後有明海側とみてる。

638名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:43:25.48ID:jqXo7y020
そもそも3世紀、奈良に7万の集落はないよ。

639◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 17:46:47.93ID:xiEWBATS0
>>360
横からすまんが、谷川健一「青銅の神の足跡」によると、
天孫族の男が海神族の娘と結婚するたびに「ミ」「ミミ」のつく海神族の子が生まれている
ことから、海神族は母系または双系で、天孫族は入り婿状態だったと推測しているよね。
だから海神族の神話(たとえばアマテラス)が天孫族に取り込まれたのだと。

>>379
> 長子相続の制度がまだ整えられておらず

神武のあたりは末子相続だよね。
一般に、農耕民は長子相続、狩猟民は末子相続の傾向らしい。

>>454
おお、谷川先生の「枯野=カヌー」説か。懐かしいw

640名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:46:55.10ID:zyHFNHzx0
九州説って学問を全否定してるけど、通説になることを自ら否定してるんだよな
月刊ムーの中で生き延びればいいという意思表示なんかな

641名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:48:08.95ID:/gT6Bmfy0
人が生活するには米がいる米をたくさん盛っているところがその時代の首都なんだよ昔は今みたいに運搬も楽じゃないし地産地消だからね
時代時代の田畑の後見ればハッキリする

642名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:52:49.02ID:ddcOm/i40
>>635
稲作の伝播は紀元前の出来事だよ?
あなたの言い分だと、紀元前に既に首都は移動してたことになる。

最初に稲作が唐津の菜畑に伝わったのが紀元前10世紀頃で、畿内までの伝播は紀元前3世紀頃。
関東甲信越までが丁度ADが始まる頃で、本州に行き渡ったのが3〜4世紀頃

643名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:53:17.70ID:ExJCyEha0
>>640
反論するなら何か根拠をもって議論すればいいんじゃない?
その中で新しい発見ができればそれはそれでよし。
だれだれがそう言ってるからとかそういう話はいらない。

644名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:53:31.62ID:jqXo7y020
九州は温暖だから家など建てずに路上で生活する下戸や生口が居たから13万の人口くらい余裕だろ。
寧ろ近畿にそこまでの人口がいた痕跡がない

645名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:56:02.92ID:zyHFNHzx0
>>643
九州説の場合、根拠のない反論しかしてないだろ
魏志倭人伝を珍解釈してるだけ
裏付けのない珍解釈はデタラメと同じ

646名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:56:21.53ID:/gT6Bmfy0
>>642あのさあタイムラグが有るのは前提でしょその地を治めて外的排除して安定して今の首都より大きな成果あげれるようになってから
だんだんと移り住んで行くのだよ

647◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 17:56:51.64ID:xiEWBATS0
>>640
そもそも九州説などというものは存在しない。
八女説や御井説や朝倉説や宇佐説や西都原説やトンカラリン説なんかがあるだけだ。

このあたり、サッカーワールドカップで「イギリス代表」がないのと同じだねw

648名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:57:41.35ID:d3AIZrXF0
平安時代ぐらいまでは家は女系で相続することが多かったんじゃ無いか?
相続するという概念すら無いかもしれん
代々一族が同じ場所に住み続けるだけだからね

649名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:59:15.46ID:ddcOm/i40
>>644
畿内説の場合、各国を奈良盆地内に押し込める必要がないから大丈夫なんじゃね?

650名無しさん@1周年2019/06/09(日) 17:59:58.08ID:4F7Ah+O+0
>>645
畿内説は否定証明完了済み。




 

651名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:00:26.14ID:4F7Ah+O+0
>>649
畿内説は否定証明完了済み。



 

652名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:00:43.67ID:4F7Ah+O+0
>>647
畿内説は否定証明完了済み。




 

653名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:00:59.21ID:ddcOm/i40
>>646
それって稲作そのものではなく、物流の都合で変わっていったという話ではないかな?

654名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:03:09.95ID:/gT6Bmfy0
>>653卵が先か鶏が先かじゃ無いけど稲作が先です

655名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:03:22.36ID:4F7Ah+O+0
>>632
そんなことは無い。
奈良時代の人口と三世紀の人口は、従来言われていたほど違わないと言うのが最近の研究結果。
恐らく、三世紀の日本の人口は400万人程度。
奈良時代が600万人くらい。

656名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:04:50.48ID:rsHDRDam0
畿内説は魏志倭人伝を完全否定が前提だからなぁ

657名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:05:45.78ID:4F7Ah+O+0
人口は指数関数的に増えると思っている人が多いのだが、
実際は双曲線関数的に伸びる。
裾野が指数関数よりずっと緩やかで、増え出すと指数関数より大きく爆発的に増える。

658名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:06:21.68ID:zyHFNHzx0
>>655
そんな珍説、誰が唱えてる?
九州説のためにでっち上げたデタラメだろ

659◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:06:21.82ID:xiEWBATS0
>>657
畿内説が否定されようが知ったこっちゃないわいw
問題は八女がそれ以外かなんだから。

660名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:06:31.91ID:rsHDRDam0
奈良は今もド田舎だから無理だ

661名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:07:10.77ID:4F7Ah+O+0
>>658
否定証明済みの近畿パーが何をほざくかキチガイ野郎。

662名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:07:44.86ID:4F7Ah+O+0
>>659
畿内説は否定証明済み。



 

663名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:08:54.28ID:4F7Ah+O+0
因みに>>657はちゃんと論文あるよ。
大体、人口少なけりゃ畿内説だって困るだろがキチガイが。
カタワかこいつらは。

664◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:10:48.90ID:xiEWBATS0
>>657
なるほど、言われてみれば指数関数ってのは単なるネズミ算だもんな。
ヒトの人口の場合、農耕の開始や産業革命やペニシリンの発見などのイベントで
指数部の係数が書き換わっている。

665名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:13:43.16ID:4F7Ah+O+0
三世紀の頃の耕作面積と奈良時代の耕作面積とを比べて見ると、それほどは違わないとか、
そういうことも分かって来ている。
従来考えていたよりももっとずっと人口増加の裾野は緩やか。

666名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:15:44.43ID:jqXo7y020
畿内は纏向の女王国要素だけで邪馬台と言い出しただけだしそれ以外何の要素もない。

667名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:17:15.09ID:/gT6Bmfy0
纏向は女王を尊ぶ地だぞ俺が言うから間違いない

668名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:17:57.11ID:4F7Ah+O+0
>>666
纏向に女王要素なんか無いが?
箸墓は崇神の墓だし。

669名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:20:32.29ID:/gT6Bmfy0
奈良県民の俺は嬢王様大好きだぞ遺伝子レベルで感じるんだよまぁこの感覚他の地方の人にはないかもね

670名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:21:01.07ID:Ezz6LMaw0
>>629
多分、土蜘蛛という奴隷階級になってる

671◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:21:08.31ID:xiEWBATS0
>>667
でも肝心のモモソ姫さまは、せっかく三輪の神と結婚したのに
正体を見て驚いた拍子にマンコに箸が刺さって死んじゃった、
ちょっと(かなり?)ドジっ娘だぞ。

672名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:21:57.92ID:rvN9JX7m0
>>576
神武は九州から大和に来た人でしょ確か

3世紀後半は纒向に巨大古墳が造られヤマト王権が日本各地に勢力を伸ばしていく時期かと思うけど、
神武が九州からヤマトに来たのが3世紀後半というのがよくわからない
九州勢力が西から東へ勢力を広げたのなら分かるけど

673名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:24:32.21ID:/gT6Bmfy0
>>671ドジっ子の嬢王様も悪くない鞭が跳ね返って自分の太ももに当たって痛っー顔必死に隠したりな

674名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:26:42.97ID:Ezz6LMaw0
>>671
万個と箸と死とは縄文系の神話だろね

おそらく土蜘蛛の神話を神武らが背乗りしたのだろう
ちなみに神武の地元嫁の母も万個に矢を射られて出産してるな

神武らの背乗りで先住民族文化は全滅したのである

675名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:28:18.66ID:4F7Ah+O+0
     

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

676名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:30:28.66ID:/gT6Bmfy0
マンコに箸つまりは中絶手実に失敗したんだよ

677名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:31:58.99ID:Ezz6LMaw0
そう言えばモモソヒメを卑弥呼とする愚説があるんだったね
どこのキチガイが言ってるやら

678名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:32:16.92ID:eiNNVLcn0
マンコつまりホトは豊穣の象徴

記紀でも禁忌をおかすと
いつもマンコを大けがして死んじゃうことになる

スサノオが畑を荒らすひどいことをすると
機織り♀のマンコに機が突き刺さって機織り♀は死んでしまう

調子に乗って火の神カグツチを産んだイザナミは
マンコやけどして死んでしまう

神にハジかかせたヤマトトトモモソビメは
びっくりした拍子にマンコにハシが刺さって死んでしまう

新嘗祭は五穀豊穣に感謝する重要な祀りごとになってる
大嘗祭は即位一度目のそのもっとも重要な祀りごとになってる

つまり大嘗祭は日本ではものすごい重要な儀式


低学歴知恵遅れ童貞には分からない

679名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:34:33.34ID:Ezz6LMaw0
>>678
むしろ正反対なのだがな

まあ、ネリー・ナウマンの「山の神」でも読んで勉強したまえ

680◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:34:59.16ID:xiEWBATS0
>>674
縄文かどうかは知らんが、スサノオがアマテラスの神殿に
皮剥ぎ馬を投げ込んだときも、アマテラス配下の女性(一書では本人)が
マンコに杼を突き立てて死んでるよね。

てなこと書いてたら>>678に先を越されたけど、イザナミの火傷も含めて
どうも記紀が書かれた7世紀ごろにその手の下ネタが流行ってた
だけなんじゃないかと、俺は思ってるw

681名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:36:40.20ID:4F7Ah+O+0
奈良時代の九州の人口がザックリ60〜70万人くらい。
三世紀の九州の人口がその2/3くらい。
上で言ったが、邪馬台国は山陰も含んで七万戸。
別にあり得ない数字では無い。

682名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:37:17.02ID:ddcOm/i40
>>655
それは九州邪馬台国説に合わせ、戸数から人口を推計した結果
日本の総人口が約400万人になると言う邪馬台国人口論だよ。

魏志倭人伝に書いてある戸数から北九州の人口を76万人と推定
日本全体の人口は九州の約6倍と見繕えるので
76万 × 6 = 456万

勿論これは九州説論者の人の主張

研究成果というよりも、九州説ありきの大雑把な机上計算の結果だよ。

683名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:37:45.77ID:Gwy5rA8S0
>>540
台与は晋にも使者を送って朝貢外交してるよ
むしろ恐れるなら晋が滅んで中国がバラバラになった時代
後ろ楯を失って狗奴国に圧迫されて、滅んだか、それとも東へ逃げたかはわからないけど

684名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:38:45.43ID:eiNNVLcn0
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer
(-略-)
私(佐原)は
(-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。

  大 多 数 の 考 古 学 者 は 大 和 説 で す。 

参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真)

685名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:38:48.57ID:4F7Ah+O+0
>>682
畿内説は否定証明完了済み。




 

686名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:39:03.06ID:4F7Ah+O+0
>>684
御井だよ。

687名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:39:06.98ID:eiNNVLcn0
たな大型の鉄器工房跡 国内最大級か

毎日新聞2017年1月25日 17時03分(最終更新 1月25日 20時46分)
https://mainichi.jp/articles/20170126/k00/00e/040/001000c

弥生時代後期 鉄製品57点と工房含む竪穴建物跡4棟発見

 兵庫県淡路市教委は25日、弥生時代後期の舟木遺跡(同市舟木)から大型の鉄器工房
跡を確認したと発表した。遺跡中心部の状況を把握するため狭い範囲で溝(トレンチ)を
掘って調査した結果、鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。同遺跡全
体の鉄器工房の規模が、南西約6キロにある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長
垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。

 舟木遺跡は約40ヘクタールの大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方メー
トルを調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、
鉄器工房は確認されていなかった。

 2016年度は遺跡中心部の尾根沿いに7本の溝、計128平方メートルを掘り、弥生
時代後期後半(2世紀後半)の竪穴建物跡4棟を確認した。3棟は直径10メートル前後
の大規模な円形で、うち1棟から床が赤く焼けた炉跡4カ所が見つかった。もう1棟は四
隅が丸い隅丸方形建物だった。


イザナミとイザナギがセックスした島に古代 最 大 規 模 の 鉄 器 工 場 もある
※ 弥生時代後期後半( 2 世 紀 後 半 )の竪穴建物跡4棟を確認済

国産みのはじまり淡路島 

こおろこおろのすべての始まりの場所だからな
ココが国産みの最初の場所だからな
九州土人みたいな夷人雑類と一切関係ない 

わかった?

688名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:39:23.63ID:4F7Ah+O+0
奈良時代の九州の人口がザックリ60〜70万人くらい。
三世紀の九州の人口がその2/3くらい。
上で言ったが、邪馬台国は山陰も含んで七万戸。
別にあり得ない数字では無い。




 

689名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:39:40.14ID:eiNNVLcn0
【平成27年度】
・中国鏡の発見

【平成29年度】
・大型の竪穴建物跡1棟の発見

・104点の鉄器の発見
 その中に鉄製ヤス(あるいはモリ)があります。弥生時代のものとしては、九州北部や山陰地域での出土例はあるものの、
 そ の 数 は 少 な く、他の地域では極めて 稀 な 鉄 器 といえます。

つまり淡路島は
新羅系のチョンコもどきの土人(北部九州、山陰、北陸)とは一切関係ない

690名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:40:19.99ID:eiNNVLcn0
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式

倭国大乱(146年-189年)
卑弥呼(-242〜248年

垂仁天皇(壬辰→西暦212年)
┣景行天皇(辛未→西暦251年)
┃┗倭姫命(トヨスキリヒメ)
┗豊鍬入姫命(ヒミコ)

ぴったり一致

AD 238
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 明帝
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(倭王とか一杯いろんなもん)← 明帝「いいもんくれた オマエを倭王にしてやる」
AD 240
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(仮の倭王とかいろんなもん)← 斉王「まえのヤツは死んだ 挨拶だ おまえのことよく知らんから一旦仮の倭王にしてやる」
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →(お、ありがとな)→ 斉王
AD 244
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ドレイとかいろんなもん)→ 斉王「おい だれか黄色い旗刺しでもやっとけ ん? もってけるやつがいないのか?」
AD 247
 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →(クマソどもぶっころしにいった キャハ)→ 斉王
AD 248
 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 斉王

以後、ずっと交信記録なし

コレもぴったり一致

691名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:40:23.80ID:4F7Ah+O+0
間違えた。邪馬台国の人口じゃ無くて女王の領域の人口ね。

692名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:41:12.51ID:4F7Ah+O+0
>>684
畿内説は否定証明完了済み。




 

693名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:41:23.70ID:eiNNVLcn0
東海 54,400 ← 大和朝廷の版図内(景行天皇が美濃でセックスしまくってる)
畿内 30,200 ← 大和朝廷の版図(そのまんま)
畿内周辺 70,300 ← 大和朝廷の版図(そのまんま) 
山陰 17,700 
山陽 48,900 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
北九州 40,500 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
南九州 64,600 ← 大和朝廷の版図外(班田収受で隼人の乱がおきて鎮圧するまで放置)

九州土人(プッ

694名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:41:47.08ID:ddcOm/i40
>>681
邪馬台国の7万戸以外の奴国2万戸や投馬国5万戸、その他の国の9千戸はどうすんの?

695名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:42:24.07ID:Ezz6LMaw0
>>680
むしろ正反対でもっと古い神話が起源なのだよ

女性が酷い死に方で死んでその死体が豊穣をもたらす
というタイプの非常によくある神話で
特に南方に多い

696名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:42:40.03ID:4F7Ah+O+0
>>694
どうもしないが?

697名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:42:50.67ID:4F7Ah+O+0
>>693
畿内説は否定証明完了済み。




 

698名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:43:11.45ID:l7oaPE2m0
>>675
オレも九州説だが、アンタの言い分はおかしいぞ。
「畿内説は否定証明完了済み。」にどんな意味があるんだ。
まるでチョンだ。チョンの声闘だ。全く無意味。

ここがおかしい、あれも考古学知見から矛盾だ。さらにこのことが事実と反すると
詳細を語り、おかしいと言わないと、アウフヘーベンしないぞ。わかってんだろうな?

相手を罵倒することが論争だと誤解していてはダメだ。チョンに堕する。サイテーだろ?
チョンにならないよう、相手に何がおかしいか知らしむるべきなんだ。チョンじゃないんだろ?

自信があるんだから、畿内説をその卓見で相手を打倒してやれよ。くれぐれもチョン方式ではダメだゾ。

699名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:44:23.13ID:Ezz6LMaw0
>>698
そもそもカエルや桃のタネでマウントできると
考える畿内説はキチガイ

700名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:44:29.38ID:4F7Ah+O+0
>>698
畿内説は否定証明完了済みだよ糞食いチョン。




 

701名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:45:03.02ID:eiNNVLcn0
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式

纏向の発掘進捗は5%もいってない 
これだけでもこんな広範囲な年代の遺物が検出されてる

チンカスみたいな九州の土人遺跡集落とは規模が違うからな

卑弥呼の時代
奈良には超巨大な帝都があったからな

新羅系のチョンコもどきが群がってた未開の土人地域の北部九州に
そんなんあったの?

702◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:45:36.31ID:xiEWBATS0
一昨日位もやりとりした気がするが、
「可七萬餘戸」なんだからいいんだよ。

「すごく都会だから7万戸くらいあってもおかしくない」てなニュアンス。

703名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:46:54.52ID:l7oaPE2m0
>>700
あははは。オマエ、チョンだな。

704名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:48:27.76ID:Ezz6LMaw0
桃も吉備のほうが有名なのに
奈良で出ると卑弥呼の証拠とキチガイじみた報道

本当に奈良はキチガイが多い

705◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:48:35.65ID:xiEWBATS0
>>695
ハイヌウェレ型神話は記のオホゲツ姫や紀のウケモチ神の形な気がする。
アマテラスの織女にしてもモモソ姫にしても、「その結果、食糧(豊穣)もたらされた」
という記述がない。

706名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:50:14.21ID:eiNNVLcn0
禁忌をおかしたら
災いがおきる
という神話そもまんまだからな

豊穣の象徴に災いがおきる

707名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:50:14.53ID:xpLq3k4C0
>>701
哀れの一言 デカければでかいほど渡来人の力が巨大だったという証左
従来から居た日本人が奴隷の如く虐げられ労働力化されてた
惨めな時代が目に浮かぶ、、、渡来人が倭人だと考えても気が滅入る

708名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:52:11.31ID:ddcOm/i40
>>702
それくらい凄いんだーって、余りにも投げっぱな説だな。

709◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:52:20.16ID:xiEWBATS0
>>706
「見るなの禁忌」は、モモソ姫の場合だけだよね。
アマテラスの織女は関係ない。
つまり、「見るなの禁忌」とマンコ突きエピソードとは別の神話素だと。

710名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:52:25.13ID:eiNNVLcn0
栲衾  志 羅 紀 の三埼を、国の余りありやと見れば、国の余りあり、と詔たまひて、
乙女の胸取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別て、三身の網打ち挂て、霜黒葛闇や闇やに、河船の毛曽呂毛曽呂にき国来国来と引き来縫へる国はや 


出雲風土記の国引き神話からも
出雲が新羅の半島系なのがわかる


宇佐神宮Webページ
http://www.usajinguu.com/shinbutsu.html
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。

北部九州も
出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神

北部九州も新羅の半島系


福井にも大量の新羅神社がある
北陸も新羅の半島系

711名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:52:34.87ID:Ezz6LMaw0
>>705
そもそもモモソヒメは、大物主の嫁なので
酷い死に方をしたほうが古いタイプの豊穣神話に合致する

地元民ガ納得する豊穣神話を付与したに過ぎないと見るけどね

現代でも天国で幸せにしていると子供に言うのと何ら変わらない

712名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:52:44.77ID:4zfWK5wE0
熊本肥後国なら
七万戸くらいは入るよ。

江戸時代の実石高は80万石以上なんだから
七万戸×4人=28万人の3倍あるから
弥生時代ならそれくらいはいけるだろう。

713名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:55:00.16ID:ddcOm/i40
>>704
桃で有名と言う話よりも、その特異性の問題
2700個もまとまった数が埋められてたとしたら、それは特異な状態だろ?

714名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:55:36.21ID:eiNNVLcn0
スサノオは畑荒らしまくってる
こんなんダメにきまってるだろ

イザナミは、
調子に乗って火の神カヅチを産んで
罰を受けてる
火はどこの神話でも禁忌になってる

715名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:56:23.38ID:DcUK2RDL0
それより鹿のフンを何とかしてくれ

716名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:56:25.28ID:Ezz6LMaw0
>>713
そもそも種が2700個なので畿内産かどうかも分からんのでわ

717◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 18:56:57.83ID:xiEWBATS0
>>711
ある種の豊穣神話にしても、>>695

> その死体が豊穣をもたらす

というハイヌウェレ型神話とは別物だと思うぞ。
モモソ姫などの場合は、マンコを突いて死ぬことだけが語られていて、
「その結果」がないわけで。

718名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:58:02.90ID:Gwy5rA8S0
ID:eiNNVLcn0
またあんたか
このスレ終わったな

719名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:58:24.87ID:eiNNVLcn0
ギリシア神話でも
プロメテウスが人類に火を与えて
罰を与えてる

720名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:58:27.05ID:Ey/Ri3C10
>>713
吉備の遺跡からは一万個も出てるのを知らない無知w
2700個くらい特異でもなんでもないわ

> 686 :名無しさん@1周年 :2018/06/23(土) 11:58:47.58 ID:W+tyEJzC0
> >>681
> あまり知られてないけど、吉備の上東遺跡からは纏向をはるかに上回る1万個近い数の桃核が出土してる
> この事実を知っていれば纏向の桃核を見て「卑弥呼の鬼道がー!」とかバカらしくて聞いてらんない
>
> http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/toukaku-syutudoiseki.html

721名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:59:25.46ID:ddcOm/i40
>>716
そりゃ産地はね。

別に機内が桃の産地だったという話でもないし、逆に畿内でない地域から2700個もの桃を運んできてたとしたらそっちの方がさらに凄い。

722名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:59:36.97ID:Ezz6LMaw0
>>717
女性が酷い死に方をして初めて豊穣になる
という神話上の因果関係だよ

因である無残な死が起きたことで結果である豊穣が当然約束される
豊穣の象徴であるホトが出てくるのもその意味だよ

723名無しさん@1周年2019/06/09(日) 18:59:49.44ID:rsHDRDam0
当時の中国の戸は人数
家の数だけでも7万は余裕だけど

724名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:00:17.95ID:ddcOm/i40
>>720
出土総数って書いてあるじゃん、、、

725名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:00:20.68ID:eiNNVLcn0
死は穢れだからな
そもそも根本がわかってない

726名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:00:54.66ID:4F7Ah+O+0
>>703
畿内説は否定証明完了済みだよ糞食いチョン。




 

727名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:01:09.81ID:s1xmZjC70
で?
魏志倭人伝に桃がどうこうなんて記述があったの?

アホなのかな巻向畿内説論者は

728名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:01:40.62ID:R+I2pe600
>>724
上東遺跡の一箇所だけからじゃん屁理屈野郎w

729名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:01:44.24ID:eiNNVLcn0
死  黒不浄
メンス 赤不浄
出産 白不浄

だからな

730◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:02:03.42ID:xiEWBATS0
>>723
それってマジなん?
字義から考えて変な気がする。

731名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:03:52.34ID:eiNNVLcn0
倭 在帯方東南大海 中、依山島為国 。(魏略)
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。(魏志)

帯方より女 国に至る万二千余里。(魏略)
郡より女王国に至る万二千余里。(魏志)

自帶方至女国万二千余里(太平御覧・倭条)

百女国以北其戸数道里可得略載(翰苑)
自女三國以北其戸數道里可得略載(紹興版本魏志倭人伝)


と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
もともと酷いシロモノだからな

こんなシロモノに書いてある数字をいちいち正確に真に受けるほうが
どうかしてるからな


つまり魏志倭人伝の数字をまにうけてるヤツは池沼

732名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:04:20.03ID:Ezz6LMaw0
>>721
そこで桃で有名な吉備が浮かび上がる
前方後円墳の土木も吉備が関与してるようだし

733名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:04:38.45ID:rsHDRDam0
箸墓は前方後円墳で槨が有るから論外
魏志倭人伝に槨がなく土を盛っただけと書いてある
魏志倭人伝には桃支という文字があるがそれは竹の一種で桃について一切記述がない
そんなに重要なら必ず書いてあるはず
畿内説は何一つ魏志倭人伝と合致することがない

734名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:04:43.42ID:ddcOm/i40
>>712
邪馬台国九州説だと、筑紫平野に15万戸収まらないとね?

735◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:05:14.07ID:xiEWBATS0
>>722
アマテラスの織女の場合はどうなん?
彼女が死んだことによってアマテラスは岩戸にこもって
世に災いがもたらされている。
最終的にはアマテラスは出てくるが、それはオモイカネの智慧によるものだよね。

736名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:06:14.94ID:eiNNVLcn0
ギリシア神話の場合
♀自体が災いになってるからな
パンドラをみれば分かるとおり

737名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:07:37.38ID:ddcOm/i40
>>728
弥生時代から古墳時代の出土総数と、同時期の一箇所の穴から2700個じゃ特異なのはどっちだと感じる?

738名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:07:41.20ID:ogh6x/950
> 2700個以上の桃の種

ジャムとかジュースの加工場のゴミ捨て場の遺跡と見た
2700ものお供え物なんて不自然
古代の不二家ネクターの工場としか考えられない

739名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:08:29.50ID:Ezz6LMaw0
>>735
織女の死に方がホトを痛めての時点でこれも出産(すなわち豊穣)の暗喩だよね

スサノオの暴行が実は豊穣神話の論理では
豊穣に至る前提条件としてどうしても必須なわけである

740名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:10:27.97ID:ddcOm/i40
>>738
ループしてる感もあるけど、普通に捨てられてた桃の種は動物に齧られるので噛み跡が残る。
纏向のはまったく齧られた形跡がない事がわかりましたと言うのが>>1

741名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:10:36.60ID:4zfWK5wE0
>>734
私は奴国を佐賀市付近
投馬国を大牟田付近に置きます。

倭人伝の行程は肥前、(筑後)、肥後の領域で
肥、筑、熊襲はそれぞれ敵対していたという
意見です。

742名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:10:47.74ID:MLXYYCfi0
>>734
九州全域じゃだめなん?

743名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:12:10.31ID:4zfWK5wE0
桃を発酵させて酒にするなら
その残渣に大量の種があるのが妥当ですね。

744◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:12:49.29ID:xiEWBATS0
>>740
>>636にも書いたが、かじられていない種が土に埋められたら
普通は発芽するじゃろがと思う。なにがあったんだ。

745名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:13:14.59ID:eiNNVLcn0
まず斎戒で穢れを清める意味が分かってない

祭祀が確立されてる古事記が記述された時代に
死が豊穣とかありえないからな

746◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:14:16.14ID:xiEWBATS0
>>743
なるほど、酒を醸した残りかすなら、発芽能力が喪失していて当然か。

747名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:14:33.50ID:eiNNVLcn0
やっぱりな九州説は
低学歴知恵遅れしかいない

748◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:16:03.69ID:xiEWBATS0
>>745
うむ。
ここんとこは同意。

749名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:16:08.61ID:Ezz6LMaw0
そもそも吉備での桃儀礼を見れば分かるんだよ

吉備の弥生遺跡では桃を井戸に慎重に埋めている
明らかに宗教祭祀としか思えない

これが桃祭祀の完全形で、単に埋めただけの纒向は真似っ子あるいは完全形を知らないと思われるね

750名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:18:10.56ID:F0IEtj4F0
>>733
また宇佐厨が罵ってるだけか
度量衡を捏造して、妄想を根拠にし、魏志倭人伝を曲解して、一人で喚いてろ

751名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:18:33.66ID:ogh6x/950
>>749
纒向「最近桃埋めんのマジ流行ってるらしいよ?ウチらもやんね?インタ上げよ」

みたいな感じ?

752名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:23:59.31ID:4F7Ah+O+0
奈良時代の九州+山陰の人口がザックリ百万人強。
三世紀の人口は多分ザックリその2/3。
つまり70万人くらい。
一戸=四人とすると、17.5万戸。
九州が古代日本では先進地域であったことを考えるともっと多かったかも知れない。

女王の領域は筑紫平野+山陰で七万戸。
その他奴国が二万戸、投馬国(妻国)が五万戸、
狗奴国(球磨国)は分からないが、多分三万〜五万戸。
その他諸々で一万戸

別にギリで入るが?



 

753名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:26:09.50ID:4F7Ah+O+0
女王の領域の七万戸が荒唐無稽と言うのは、
山陰を入れて考えて無いことと、
>>657を知らないせい。

また、陳寿が如何に天才だったかも分かる。

754名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:26:26.04ID:5FRLBm5t0
邪馬台国はヤマト国やろ
普通に考えればええだけやん

755名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:26:40.85ID:p3kBUfgh0
>>720
吉備圧倒的だな
マキムクしょっぼwwwww

756名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:27:32.62ID:2XOMeN7A0
ヤマト朝廷のはじまりの地らしいね

757名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:28:30.28ID:jqXo7y020
近畿に都らしきものが建つのは天智が半島戦に備えた難波宮を作ってからだからな。
唐書に日本人が言うように九州に筑紫城という都督が存在しそこが倭国の中心地だったのは事実だろう。
天智が近江へ敗走するまで近畿に都など存在しないが其れ迄の陵墓属領として地理は把握されており近江宮遷都はスムーズに移行された。
あくまで近畿遷都は半島外交の悪化からであり邪馬台の指揮系統が近畿に置かれることはない

758名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:29:03.24ID:u7Yr0n6h0
>>754
普通に考えたら九州以外ありえませんが
中国の学者も大半が九州説です
ネイティブが普通に魏志倭人伝を読めば九州という結論にたどり着くわけです

759名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:29:29.41ID:E8Asx2IS0
>>732
チョンコは日本から出ていけカス

760◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:30:00.62ID:xiEWBATS0
>>754
それはそうなんだが、纏向ヤマトと筑紫ヤマトと日向ヤマトがあってな…(以下略

761名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:30:14.05ID:4F7Ah+O+0
>>754
畿内説は否定証明完了済み。




 

762名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:30:17.80ID:4zfWK5wE0
単純に後の生産量から見れば
邪馬台国七万戸28万人のキャパシティがあるのは
肥後
肥前
筑前
に限られます。

大和国は江戸時代でも13万人程度で
全時代を通じて必要な生産力がありません。

763名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:30:25.40ID:mTKad9NY0
>>752
投馬国を山陰とするなら九州に戻る行程はおかしいだろ
畿内とする方が自然だ

764名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:30:26.81ID:E8Asx2IS0
>>758
シナチョンは日本から出ていけアホボケカス

765名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:30:55.34ID:Ezz6LMaw0
>>755
桃の本家は完全に吉備だよ

桃で決まるならとっくに吉備で決着ついてる

766名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:31:48.59ID:8TPZWULM0
種かじるやつはおらんやろ…

767名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:32:59.43ID:jqXo7y020
伊都国は衰退するけどそれは筑紫に機能を移転したからで以降も倭京筑紫城が日本の中心だよ
よって天智天皇までは九州は邪馬台

768名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:33:28.25ID:E8Asx2IS0
>>720
馬鹿だろ
桃が出ればいいんじゃないんだボケ
巨大な宗教施設から出てきたことが重要
小学校からやり直せアホボケカス

769名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:33:45.73ID:Ezz6LMaw0
>>751
そもそも纒向の土木は吉備がやってるような気がする

吉備人が故郷ほど完全ではなくとも神への儀礼として桃を埋めた可能性はあるね
まあこう見ると、むしろ卑弥呼の居場所は吉備であろうね

770名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:34:45.33ID:E8Asx2IS0
感じがする
だろう
かもしれない
チラシの裏にでも書いとけアホボケカス

771名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:35:03.09ID:ddcOm/i40
>>742
それで九州各地で罵り合いになっても知らんよ?

772名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:35:38.51ID:4zfWK5wE0
延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城   424,070
  大和   554,600
  河内   400,954
  和泉   227,500
  摂津   480,000  

西海道 5,990,581
  筑前   790,063
  筑後   623,581
  豊前   609,828
  豊後   743,842
  肥前   692,589
  肥後 1,579,117
  日向   373,101
  大隅   242,040
  薩摩   242,500
  壱岐    90,000
  対馬      3920

773名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:35:39.36ID:l7oaPE2m0
>>701
纏向編年なんているか?布留編年だけでいいんじゃないか?
こんなことやってるから桃の種じゃない、メシの種だと揶揄されるんだ。
纏向の異様性は2つ。
1)当時の「長崎出島」だった北九州との関係が極めて薄いこと。
その結果、鉄器がでないこと。邪馬台国らしくないだろ?=魏志倭人伝の記述から考えると、
北九州と密接な関係がなければならない。
2)4世紀末にはこの大都市が放棄されていること。ヤマト王権との関係も希薄だ。

九州説からも纏向は説明に苦慮するが、
当時の倭国が邪馬台国を含め30ヶ国ほどで構成されており、纏向はその1つ。
つまり魏志倭人伝で名前だけ紹介している構成国だと考えたらいいのではないか?
北九州のような先進地域でなく、ド田舎のクニ。祭祀センターの位置づけだ。
で、別系統のド田舎のクニが「ヤマト王権」こちらは腕っ節の強い軍事国家だ。
九州の邪馬台国は楽浪・帯方郡という当時朝鮮半島と倭国を手下にしたスーパーパワーに
いいコいいコされ、鉄交易を保証してくれていた。313年高句麗がこのスーパーパワーを亡ぼすと
倭国はパニックになった。鉄交易ルートの崩壊だ。倭国内ではもう「共立」は無理だと、
軍事国家が台頭する契機となった。ヤマト王権が頭角を現し、キビがその子分となった。
ヤマト王権の隣の葛城氏も当時はクニで、子分になった。ともに魏志倭人伝記載の名前だけの国の1つだ。
軍事力が弱い邪馬台国や纏向遺跡(当時はクニ)は滅ぶしかなかった。
313年以降軍事国家のヤマト王権は他のクニを圧倒し、弁辰の鉄確保のため、軍事進出をした。
364年七支刀を百済から献上され、イイ気になっていたが、390-400年頃朝鮮半島で高句麗に蹂躙され、
イッキに意気消沈した。そして倭の五王の朝貢へとすすむ。ボクはこんなシナリオを考えている。

774◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:38:29.57ID:xiEWBATS0
>>765とか
吉備の桃の種も。かじられた跡がないんじゃろか?

>>746に書いたように、「かじられていない」と「発芽していない」という
2つの条件を満たすのは、桃酒醸造しかない気がする。
それが祭祀なのか単なる楽しみなのかは判らんがW

775名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:38:39.70ID:Ezz6LMaw0
>>770
そもそも箸墓古墳の築造も吉備が関与してるとの報道もあり空想でもない

先進地吉備がなんもない僻地奈良に文物を持って来た

776名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:39:44.48ID:IOqw4agy0
>>772
人口論的に見ても九州しかあり得んなこれは

777名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:39:52.67ID:jqXo7y020
纏向は陵墓建設に使われた事業所と埋葬品を作る鉱物資材を日本各地から集める集積機能があったんだよ。
都市というより霊園

778名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:40:25.72ID:GbTGETBC0
奈良なの?
だとすると、天皇に滅ぼされた国つ神か

779名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:42:31.49ID:Ezz6LMaw0
纒向は北朝鮮のなんちゃってビルに似てるな
生活の形跡がなくろくな遺物もない

制圧した土蜘蛛から年貢を取るだけの集配所だったのではないかな
そしてこの地の徴税権力が衰退すると放棄された

780名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:42:53.47ID:4F7Ah+O+0
>>763
イミフだキチガイ

781名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:44:03.78ID:qnvgoo9g0
>>772
畿内ザコ過ぎやのうwww

782名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:44:03.83ID:+onyqPjR0
この桃、マズイから食べちゃダメ!
うっかる食べないよう
そっちに置いといて!

だったら
話は違った方向へ

783◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:44:34.88ID:xiEWBATS0
>>775
「昼は人が造り、夜は神が造った」だっけ?
こういう記述は他には出てこない。

784名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:45:28.14ID:4u1SX22M0
>>776
3世紀には奈良には未だ奈良湖が在った可能性もある
奈良湖は既になくとも未だ湿地帯で農業とか出来る様な土地ではないから
奈良には3世紀に人は未だ殆どいない無人地帯だからな。

785名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:46:50.59ID:Ezz6LMaw0
>>783
確かになあ
夜の神とは吉備人の暗喩かもしれんね

786◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:47:42.95ID:xiEWBATS0
>>784
唐古・鍵遺跡とかあるじゃんか。バカにしちゃいかん。

787名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:48:46.45ID:4F7Ah+O+0
>>778
畿内説は否定証明完了済み。



 

788名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:48:56.63ID:jqXo7y020
>>772
なにこれ
近畿の人口九州の半分以下じゃん

789名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:49:39.52ID:nTwsT0Z60
>>774
上東遺跡の約1万個の桃の種は波止場状遺構から出てる
つまり桃は海に沈められたらしい、種だけなのか沈めた時点では果肉もあったのかは分からないが
なので発芽しないしネズミにも齧られていない
おそらく航海の無事を祈る儀式にでも使われたのだろう

790名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:50:59.24ID:3CsTpyeT0
>>788
近畿じゃなくて畿内な
大阪、京都、奈良だけ

791名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:51:20.40ID:GbTGETBC0
桃ってさ
鬼に投げつけなかったっけ?

792名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:52:02.98ID:Ezz6LMaw0
>>789
水の神と桃儀礼の深い関係が見えるね
もちろん吉備の発明だがね

793◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 19:52:41.24ID:xiEWBATS0
>>789
おお、ありがとう。
なるほど、確かに海の中なら齧られずに発芽もしないよな。
ううむ悩ましい…。

794名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:52:50.91ID:pZrgp9dp0
>>772 延喜式は10世紀前半で
743年墾田永年私財法で東北・関東・九州で荘園がかなり増えてる
年代に開きもあるし3世紀の稲作の規模の参考にはならない

795名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:53:08.58ID:4u1SX22M0
>>786
奈良は遺跡数が少ない
糸島市の遺跡数より奈良県の遺跡数は少ない
糸島市は1000戸の伊都国に推定されてる
つまり奈良県全体で1000戸もなかったと推測される。

796名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:53:30.59ID:zj1yEM3t0
>>767
筑紫城ってどこにあったの?

797名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:54:43.25ID:Tji4NvEj0
>>772
食料にも事欠く貧しい畿内が縄文時代から畜産までやってた北部九州に敵うわけもないな
>>456の資料を見ると瀬戸内海も古くから九州の勢力下だったようだし、畿内もその流れで九州勢力に支配されたんだな
それが後の世に脚色されて神武東征として伝わったと

798名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:54:48.31ID:Ezz6LMaw0
>>794
その頃権力の中央部である奈良では私財法の効果は薄いのかい

799名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:54:51.40ID:jqXo7y020
>>796
太宰府の下でしょ

800名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:55:22.59ID:ws2G+/2H0
大和朝廷の前身の本州勢力が、当時の公孫氏や韓王朝の滅亡を知って
それまで、別国として関与しなかった九州フロントの邪馬台国の伊都に
一大卒を置いて外交貿易管理や軍事統一に乗り出した。
ってのは、想定できるわけだけど、

奈良の桃からわかるのは、モモタロウが居たかも知らんってことだけだろ?
記紀よりは、九州平定したモモタロウに魏を征伐してもらうために
桃を供えた、って方が信憑性があるなwww

801名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:55:35.01ID:4F7Ah+O+0
      

畿内説は否定証明完了済み。


東征も東遷も無い。纏向で考古学的に否定済み。


卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。


よそごとを言うなキチガイども。


 

802名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:56:40.45ID:zj1yEM3t0
>>799
遺跡ある?

803名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:58:46.99ID:Ezz6LMaw0
>>800
その頃貧乏奈良で必死だった神武と子孫には九州に手を出すパワーはないよ

本格的に九州に手を出すのは6世紀の継体が
ヤクザ恫喝で糟屋の徴税権力をぶんどった時からだわ

804名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:59:04.14ID:4F7Ah+O+0
 

心ここにあらざれば


視れども見えず、


聴けども聞こえず、


食らえどもその味を知らず。


大学


 

805名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:59:17.16ID:zj1yEM3t0
>>795
唐古・鍵遺跡で42万uあるようだけど糸島の遺跡ってそんな広いの?

806名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:59:40.27ID:ibwhWZPs0
>>802
太宰府政庁のある四王寺山は
神籠石山城と呼ばれる古い山城ですね。
もちろん麓は福岡でも屈指の大量遺跡地帯です。

807名無しさん@1周年2019/06/09(日) 19:59:57.33ID:Tji4NvEj0
>>794
それを言うなら弥生時代の奈良は沼地だし河内湖のせいで大阪の耕地面積もずっと小さかったわけだが
畿内は不利になる一方

808名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:00:59.55ID:zj1yEM3t0
>>806
福岡は邪馬台国じゃありえないからダメだよ
九州で纏向や唐古・鍵遺跡クラスの遺跡があれば興味あるが

809名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:01:29.57ID:GbTGETBC0
桃って中国原産なんだな
てことは、中国から日本に伝わってきたのか
いつ伝わってきたのかな

810名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:01:48.76ID:Ezz6LMaw0
>>805
田原本って山あいの寒い、寂しい土地で当時は沼地だったんではないかな
およそまともに農業できそうには見えない
冬は寒くて死ぬ

811名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:02:20.85ID:jqXo7y020
>>802
なんか立て直しの痕跡があるとか

812名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:02:28.44ID:Ezz6LMaw0
>>809
縄文遺跡から出る
最古の桃は長崎県らしい

813名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:03:54.94ID:Enq9YPKm0
ジャップは、人骨をかじるが種はかじらない

814◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 20:04:40.89ID:xiEWBATS0
「もも」の語源。
http://gogen-allguide.com/mo/momo.html

奥が深い。

815名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:04:58.12ID:LBsVDrYd0
桃の種には青酸配糖体が含まれていて有毒。動物でも種までかじることはない。
文系バカは基本から勉強しなおせ。

816名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:07:08.95ID:4zfWK5wE0
そういえば、太宰府を守るために
作られてるとされる水城。
最終的には1200mに伸びている。

何度も改築増築されており、
5世紀、6世紀、7世紀の改築の跡があるそうな。

あと周囲の山や丘の間を埋めるように
小水城と言うのも作られている。

817名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:08:24.73ID:NXm+Emj50
長崎の桃と同じ品種で
長崎の種をまいて増やした
のがわかる話

818名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:11:51.55ID:Ezz6LMaw0
縄文桃(最古は長崎県)を更に品種改良したのは弥生時代の吉備だよ
まさに吉備こそ桃の本家

なんもない奈良を憐れみ
箸墓古墳築造(これも吉備人)のついでに
吉備の立派な桃を分けてやった
これが一番あり得る話

ちなみに箸墓の被埋葬者も吉備人じゃないかい

819名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:11:51.94ID:4F7Ah+O+0
>>808
畿内説は否定証明完了済み。




 

820名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:13:35.56ID:jqXo7y020
>>816
磐井や天多利思比孤の時代と重なるし興味深いね

821名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:16:24.11ID:4u1SX22M0
>>805
唐古・鍵遺跡は0.1kuくらいだろ。

822名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:17:17.36ID:zj1yEM3t0
>>819
否定しててもいいんだけどさ
じゃあどこなのよ?って話なのよ。
新唐書にあるように東征する前は筑紫城にいたとあるから九州だろうけど
九州が筑紫島と呼ばれてたわけだから、行程から福岡ではないわけよ。
福岡の南側、むしろ東征の起点となった宮崎とか、熊本とか鹿児島に巨大遺跡が出てくれば
畿内説なんてひっくり返るわけよ。
だから遺跡に興味があるの。

823名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:20:11.60ID:Ezz6LMaw0
そもそも纒向って吉備と東海で造ったのじゃないかな

こんなど田舎に年貢の集配所を創ってもどうかと思うが
まあ新規プロジェクトと思えば先行投資であったろう

しかし1世紀ちょいで廃墟になってるからやっぱり無理だったと云わざるを得ない

824名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:24:26.03ID:NXm+Emj50
記録的な雨が降れば水没する場所で
米置けば全滅するのが纏向

825名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:25:20.88ID:pZrgp9dp0
九州の絹などに負けまいと
東海、吉備、出雲がこぞってささげ物をしてたと思うよ
吉備の箸墓の埴輪とか無理しすぎてるんじゃないか
でもヤマトにそうさせる何かがあった

826名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:27:22.61ID:Ezz6LMaw0
>>825
いやいやこの時代なんもなければタダの貧乏人やろ
現代以上にシビアやで

827名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:29:02.39ID:4F7Ah+O+0
>>822
御井。






 

828名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:29:23.09ID:4F7Ah+O+0
>>822
畿内説は否定証明完了済み。




 

829名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:29:48.03ID:pZrgp9dp0
卑弥呼によってささげ物のインフレが起きたと思うんだよ
他の地域よりもいいものをささげて后を受け入れてもらって
影響力を持とうとしたか
各地域が離れていて相手の出方がわからなかったのも
加熱した原因じゃないかな

830名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:31:49.09ID:pZrgp9dp0
吉備が送った箸墓に置かれた埴輪は3千点とも言われる
ノルマ的にはそこまでする必要なかったはずで
何かはあったと思うよ

831名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:32:54.23ID:4F7Ah+O+0
>>830
畿内説は否定証明完了済み。




 

832名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:33:23.51ID:+QIb/oYw0
>>815
漢方系のサイトで「桃仁」でググれ
自称理系は小学校から勉強しなおせ

833名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:33:42.24ID:XAxoAr8i0
これまでのスレの議論をまとめてみた

九州説「鉄鏃や絹の出土状況、九州での環濠集落の構成を見ると魏志倭人伝に書いてある邪馬台国は九州だよね?」
近畿説「いや纏向遺跡から大型建物が出て来て桃の種も出てきた」
九州説「それ倭人伝と関係ある?」
近畿説「桃は卑弥呼の鬼道に通じる」
九州説「桃の種は吉備の遺跡でも大量に見つかってるよ」
近畿説「それはそれこれはこれ」
九州説「邪馬台国は倭人伝が根拠ってわかってる?」
近畿説「前方後円墳の箸墓古墳は卑弥呼の墓にふさわしい」
九州説「あの、倭人伝のどこに前方後円墳の描写があるの?」
近畿説「卑弥呼の墓にふさわしい」
九州説「…」

修正の意見があれば受付ます

834名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:34:26.58ID:voN7RgQt0
記事をよく見なさい
関連付けてるのはエヌエチケーの記者
学者は卑弥呼とか言ってない

835名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:34:44.71ID:4F7Ah+O+0
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で間違い無い。
あんだけバチバチ魏志倭人伝の記述と合うものは
他に全く存在しない。

836名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:35:04.68ID:4F7Ah+O+0
>>833
畿内説は否定証明完了済み。



 

837名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:35:21.44ID:Ezz6LMaw0
>>830
そもそも吉備人が支配層やろ

838名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:38:26.28ID:4F7Ah+O+0
祇園山古墳は
1. 三世紀の造築
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの
3. 棺があって槨が無い(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている
5. ありふれた方墳である
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう
7. 100名近くの殉葬者がある
8. 位置が魏志倭人伝の記述とピタリと合う

また逆に、このように魏志倭人伝の記述と次から次へとバチバチ全部当てはまる古墳は、祇園山古墳以外全く存在しない。

卑弥呼の墓は魏志倭人伝古墳で間違いない。

839名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:38:37.15ID:F0IEtj4F0
>>833
そんな捏造して、何をしたい?

840名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:39:07.28ID:pZrgp9dp0
箸墓に3千の埴輪を置いてもらって見える形で
吉備の存在感を示したかったのかな
他国も納税しに纏向に来るから見るし

卑弥呼の銅鏡納税システムは
相当な効果をあげたと思うんだよね
最高神アマテラスになるし

841名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:40:04.21ID:4F7Ah+O+0
>>839
畿内説は否定証明完了済み。



 

842名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:40:37.97ID:NXm+Emj50
天智天皇も天武天皇の墓も奈良時代で不明になってたのを
明治になってこじつけて決めたのが 天皇陵
全部インチキ

843名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:40:48.29ID:Ezz6LMaw0
>>838
学会の重鎮の靴を舐め、編年を捏造し、カエルの骨を崇拝しないと卑弥呼ではない(畿内説)

844名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:40:49.17ID:0PZDN1Ly0
>>808
唐古・鍵は吉野ケ里よりも小さいよ

845名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:43:30.04ID:4F7Ah+O+0
(タイポしてたw)

祇園山古墳は
1. 三世紀の造築
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの
3. 棺があって槨が無い(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている
5. ありふれた方墳である
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう
7. 100名近くの殉葬者がある
8. 位置が魏志倭人伝の記述とピタリと合う

また逆に、このように魏志倭人伝の記述と次から次へとバチバチ全部当てはまる古墳は、祇園山古墳以外全く存在しない。

卑弥呼の墓は祇園山古墳で間違いない。


 

846名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:45:15.46ID:4F7Ah+O+0
尚、前方後円墳は卑弥呼の墓では絶対に無い。よって箸墓は卑弥呼の墓ではない。

何故なら、中国人は埋葬のされ方に非常に興味を持ち、一々記載している。
前方後円墳は朝鮮半島南部と日本にあるだけで中国には全く存在しない形のもので、三世紀は前方後円墳が作られた始めたものだから、
箸墓のような大規模かつ見たことの無い形の墓を、本国へ報告義務がある中国からの使いが目にしたとき、
その形について言及しない可能性など全くゼロと言ってよい。

前方後円墳は卑弥呼の墓では無い。

847名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:45:23.69ID:4zfWK5wE0
吉野ヶ里遺跡周辺は
吉野ヶ里町も神埼市も
ほぼ全域が遺跡だからなあ。

掘った回数だけ遺跡が増える。

きりがないので、遺跡を壊さない限り
発見してもほとんどが埋設保存で
発掘まで行くのはごくわずか。

そもそも、人も予算も足らん。

848名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:49:05.37ID:zj1yEM3t0
>>827
高良大社という謎の神社があったり、磐井が反乱したり古代から有力者がいた場所ではあるわな。
ただ北部九州の場合は行程の問題をクリアーできないと思うがな。

849名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:49:26.37ID:Ezz6LMaw0
そもそもこの奈良の支配層は饒速日

神武はなんちゃって雇われ店長
東征どころか無職の再就職である

そんな情けない一党に権限はない
実情は物部(饒速日一族)と嫁(大阪豪族)で決めていたのだろ

そこに仲良しの吉備と東海も加わったのが僻地纒向開拓プロジェクト
一番金持ちは吉備だから箸墓も吉備人が眠ってんじゃね

850名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:51:59.65ID:thNZubH50
新唐書は改竄に改竄が重ねて有り全く信憑性がありません
史家はなぜ新唐書は嘘をつくのか?を問わなければなりません
新唐書にあるように
初めの主は天御中主で彦瀲に至るまで32世、
皆『尊』を号として筑紫城に居むとあります
これは大嘘だと思います
明らかに過去を消し去りたかった勢力が書いた書です

851名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:52:47.16ID:xpLq3k4C0
有名な画像だがこれが真神武天皇陵
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3 	->画像>20枚

852名無しさん@1周年2019/06/09(日) 20:59:04.94ID:Ezz6LMaw0
そもそも応神、継体、天智、天武
この辺は本当に日本人かい
朝鮮人が入れ代わってないかな

飛躍するとき朝鮮人が支配層になる
これが奈良の覇権の秘密じゃね

853名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:00:47.24ID:mFEGqJTk0
まあ、桜井市は観光が桁外れに下手くそだけど、
三輪明神、安倍文殊院、談山神社、聖林寺等々
歴史上の名所だらけだからな
これ以上名物はいらないから九州ということにしよう

854名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:02:29.06ID:4zfWK5wE0
大和朝廷は初期の混乱というか
立ち上げの試行錯誤の部分があまりないからな。

天智天皇の九州倭国の官僚が
大和朝廷に組み込まれたから
天武天皇の大和朝廷がスムーズに
立ち上がったんじゃないかね?

855名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:02:46.76ID:ZkkPlask0
>>843 学会の重鎮の靴を舐め、編年を捏造し、カエルの骨を崇拝しないと卑弥呼ではない(畿内説)

顔つきも、皆、学者のそれじゃないよね

白石の淡々とした事務的というか官僚的表情
佐原の眼鏡の奥のニヒルな目つき

寺沢は例外だったが、やはりその説は変遷しているそうだ

856名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:02:50.02ID:1WcAT9Fw0
>>60
和名抄(930年代)はオホヤマトと読んでいる
論破

857名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:02:51.35ID:mFEGqJTk0
>>852
崇神(すじん)天皇って名前からして朝鮮人ぽいよね
スジン

858◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 21:05:03.45ID:xiEWBATS0
>>857
ミマキイリヒコだっつの。
「イリ王朝(三輪王朝)」の始祖ね。

859名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:05:53.77ID:4zfWK5wE0
>>856
ヤマトと読まれることが記録に出てくるのが
その平安時代あたりからなんだよね。
それ以前には、普通にワ ダイワと
読まれていたんじゃないかな?

860名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:06:22.92ID:Ezz6LMaw0
そもそもあまりの出鱈目でげんなりする記紀だが
これを書かせた天武の出自は極めて怪しい
高確率で朝鮮人だと思う

三国史記にも遥かに劣る出鱈目を書かせたのは
正直に書けない裏事情と見るのが自然だろう

861名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:11:35.65ID:rsHDRDam0
>>838
宇佐神宮の亀山は?

862名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:14:03.17ID:mTKad9NY0
>>859
記紀の時代の漢字は借字、つまり当て字だから、倭、日本、大和にしても
「これはヤマトと読め」と注釈をつけないと誰も読めなかった

863名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:14:09.17ID:1WcAT9Fw0
>>810
見てきたようなウソを書く九州池沼派
二重三重の環濠で囲まれた集落
弥生時代が稲作農耕の時代であることを証明した
画期的遺跡。

864名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:14:17.10ID:4zfWK5wE0
宇佐神宮は秦(ハタ)王国の首都じゃね?

全国の八幡神社の総本社

865名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:17:36.05ID:1WcAT9Fw0
>>813
クソチョンは日本の真似をしながら
慰安婦と徴用工を出汁にして骨までしゃぶる

866名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:18:36.67ID:4zfWK5wE0
>>862
平安時代に倭、大和、日本を
無理にヤマトと読ませる運動が始まった感じですね。

平安時代だとそういう運動を主導した
人の名前も調べれば分かりそう。

867名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:19:05.62ID:a0clYnu10
>>808
顔洗って出直して来てね

福岡平野は、弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。

比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。

868名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:22:52.86ID:mTKad9NY0
>>866
もともと「ヤマト」と言う名称にこだわりがあったと思う。
こだわりがないなら漢字を変えるなら読み方も変えるだろうし。
それだけヤマトと言う国号が定着してたてことだろう。

869名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:23:07.12ID:8PPpMGn30
>>148
なにこれ?レベル低すぎ
学問じゃなく感情論

870名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:23:11.12ID:1WcAT9Fw0
>>835
吉野ヶ里は楼観が有ったという証拠も無いのに
魏志倭人伝に合わせて物見櫓をゴッド・ハンドしたた

871名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:24:05.68ID:5PWxrRrm0
九州説は、民間伝承レベルだからな w

872名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:26:34.13ID:rRcHwFCI0
神武東征って日向の国から大和までだと本拠地から距離があり過ぎるので 淡路島の東岸の日に向かうとこらへんから 目の前の和歌山を経て大和へ至ったっちゅう淡路島高天原俺説

873名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:26:42.36ID:a0clYnu10
福岡の弥生銀座に比べたら纏向はスカスカ過ぎる。
纏向からは運河モドキとかクワしか見つからないから古墳作りの工事現場だろ。
卑弥呼の宮殿とか妄想してる建物も、せいぜい汚らしい土木作業員の詰所だよ。

874名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:28:39.70ID:gsVHb7GP0
日本でも桃は縁起いい食べ物だったんだな
これで邪馬台国かどうかは全然わからんが

875◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 21:29:10.50ID:xiEWBATS0
>>868
そうだと思う。
漢字表記が倭だろうが大倭だろうが大和だろうが、
訓みは一貫して「ヤマト」なのだ。
後に「日の本(ヒノモト)」が大和にかかる枕詞になってから
「ジッポン」「ニッポン」になるが、そこはそれ。

876名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:29:36.64ID:rsHDRDam0
>>872
紀伊半島を逆まで回って熊野から渡来系の八咫烏の助けを借りて奈良に入っている

877名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:30:04.75ID:y5SOTP1k0
4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身。
9代 伐休尼叱今(昔氏)←倭人 
10代 奈解尼叱今(昔氏)←倭人 
11代 助賁尼叱今(昔氏)←倭人 
12代 沾解尼叱今(昔氏)←倭人 
14代 儒礼尼叱今(昔氏)←倭人 
15代 基臨尼叱今(昔氏)←倭人 
16代 訖解尼叱今(昔氏)←倭人     

878名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:30:41.75ID:DMgFH/mB0
事実がどうであれ学会のパワーバランスで決まっちゃいそうなところがウンザリすんだよな邪馬台国論争は
仮に実は沖縄でしたなんてなっても黙殺されるだろうし

879名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:32:05.11ID:gsVHb7GP0
>>868
言葉だけが口伝で定着してたんかな

880◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 21:32:29.05ID:xiEWBATS0
>>867
奴国は1世紀に金印をもらったあたりがピークだよね。
3世紀になる頃は衰退してて、だから倭国大乱でまとまらず、
仕方なく卑弥呼が共立されると。

>>870
唐古・鍵は土器片の絵を真に受けて、望楼に「くるりん(蕨手)」を着けたw

881名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:32:43.80ID:4zfWK5wE0
>>868
筑紫は隋書などで別の漢字で当てている例があり
肥は火、日、肥など当てている漢字が
複数あるから、
先に音があって、それに合わせた音の漢字を
探していることが伺える。

しかしヤマトは、ヤマト音に合わせて
漢字を当てはめたわけじゃなく
ヤマトと読めない倭、大和、日本の字は
そのまま使って、それをヤマトと読むように
注釈を入れている。

だから記紀編纂時には、ヤマトと読ませる意図は無く、
平安時代にヤマトと読ませる意向が
働いたと考えられる訳です。

882名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:32:48.57ID:NXm+Emj50
魏志倭人伝に邪馬台国は東の国わからないと書いてるだろ
東征はインチキ

883名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:34:15.38ID:a0clYnu10
>>870
吉野ヶ里は柱穴の深さから建物の高さを推測して楼閣だと言ってるのだけど。
唐古鍵遺跡こそ土器に楼閣の絵が描いてるだけで、肝心の柱穴跡が見つかってない。
唐古の土器は吉野ヶ里の楼閣を見て描いたんだろ。
そして唐古鍵遺跡にも纏向にも城柵跡がない。

884名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:34:29.27ID:y5SOTP1k0
倭人が王になって王統を伝え、述べ8代の王を輩出した。

885名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:38:00.69ID:mTKad9NY0
>>881
日本書紀にある註釈は平安時代に加えられたものなのか?

886名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:38:11.94ID:y5SOTP1k0
縄文時代:日本の巨大遺跡=三内丸山       朝鮮=無

弥生時代:日本の巨大遺跡=吉野ヶ里・纏向遺跡 朝鮮=無

シナからの重要文物・金印 日本=2個       朝鮮=無

887名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:38:59.25ID:6rzQwSOPO
倭をヤマトと読むのは違和感あるよね!

888名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:40:32.89ID:aisPzywa0
九州北部の、大陸と往来のあった国が「倭」であり、
畿内の穀倉地帯で、南九州勢と合流して覇権国家化したのが「日本」

大和朝廷は九州の武装勢力を取り込んだので、高天原の本国も「ヤマト」領になった

889名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:41:57.13ID:NXm+Emj50
訓読みは ひらがな 作った平安時代以降
なので江戸時代に大和をヤマトと思ったのも間違いだった

890名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:44:36.30ID:y5SOTP1k0
>『三国史記』卷一・新羅本紀第一・始祖赫居世三十八年(紀元前20年)条

瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。

「瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。

初めは腰に瓢箪をぶらさげて、海を渡って来たことから、瓠公と称される。」

891名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:46:16.93ID:aisPzywa0
神武東征の最初の血祭が、大宰府攻略だったね
本当の所、大宰府を占領できたわけではなさそうだが、
「俺たちが大宰府を降伏させた」というハッタリは、瀬戸内の諸勢力を震撼させたと思われ

そして、名目上の降伏だけで食糧さえ差し出せば無害通行してくれる、ジンムという野盗は、
1冬超して翌年には、超大国ヤマトの勢力圏である、大阪湾に到達してしまった

892名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:50:05.77ID:d3AIZrXF0
瓢箪か‥鎮火祭の祝詞に出てくるね
水神匏、埴山姫川菜で火を鎮めよとはどういう意味何だろう
匏は瓢箪のこと、川菜は芹かな?

高天原に神留り坐す皇親神漏義・神漏美の命持ちて、
皇御孫命は豊葦原乃水穂国を安国と平けく知食せと、天下寄さし奉りし時に、
事寄さし奉りし天都詞太詞事を以て申さく、
 神伊佐奈伎・伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて、国の八十国・嶋の八十嶋を生み給ひ、八百万神等を生み給ひて、
麻奈弟子に火結神を生み給ひて、美保止焼かえて石隠り坐して、
夜は七夜昼は七日、吾をな見給ひそ、吾が奈^背乃命と申し給ひき。
此の七日には足らずて、隠り坐す事奇しとて、見そなはす時に、火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき。
如是る時に、吾が名^背乃命の吾を見給ふなと申すを、吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて、吾が名^背能命は上津国を知食すべし。
吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて、与美津枚坂に至り坐して思食さく、吾が名^背命の知食す上津国に、心悪しき子を生み置きて来ぬと宣りたまひて、返り坐して、更に子を生みたまふ。
水神・匏・川菜・埴山姫、四種の物を生み給ひて、此の心悪しき子の心荒びそば、水神匏、埴山姫川菜を持ちて鎮め奉れと事教へ悟し給ひき。
 此に依りて称辞竟へ奉らば、皇御孫の朝廷に御心一速び給はじと為て、進る物は、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物を備へ奉りて、
青海原に住む物は、鰭広物・鰭狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、御酒は�辺高知り、�腹満て雙べて、
和稲・荒稲に至るまでに、横山の如く置き高成して、天津祝詞の太祝詞事以て、称辞竟へ奉らくと申す。

893名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:51:09.05ID:NXm+Emj50
九州倭国が大阪を占領したのは大阪にチョン系多いのが
証明してる
古代チョンの末裔が大阪民多いだと

894名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:51:36.87ID:n7nW9P1e0
>>882
陳寿が、書いた後の事では?
九州、四国、近畿と移動
高天も高千穂、剣山、熊野と移動。

895名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:51:36.90ID:y5SOTP1k0
魏志東夷伝

 韓の項

「珍宝なし」

896名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:52:07.72ID:aisPzywa0
地域大国・吉備の失敗は、
徒手空拳の野盗集団の「ジンム」と戦うのを避けたことだね
食うや食わずの死兵と戦うのは、誰だって嫌です
しかもこいつら、食糧さえ出せば東へ行ってくれるのです

吉備が戦えば、激戦でこそあれ、野盗なんぞ正規軍の敵ではありません
しかし、吉備は戦いを避けてしまったのですね
これが8年後、正規軍化したジンムに吉備が攻め滅ぼされる原因となりました

897名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:52:32.97ID:qNmqXZAV0
支配層の朝鮮系が「これ食べんなよ」とジャップに命令したんやろ

898名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:54:26.46ID:6rzQwSOPO
倭の勢力圏は多元王朝でいいんすね

899名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:55:14.31ID:d3AIZrXF0
朝鮮半島系の人々はあくまで外国人扱いなので、根刮ぎ東国に移配されてるよ

飛鳥時代から平安時代にかけては、朝廷の政策により、朝鮮半島から多数の渡来人・難民が東国方面に移住・入植した経緯がある。六国史を始めとする記録からは、これら半島出身者の東国への移住が、朝廷により逐一把握されていたことが分かる。

推古天皇9年(601年)、対馬に到った新羅の間諜迦摩多を捕えて貢上し、上野に流す。
斉明天皇6年(660年)、百済が唐俘100余人を献上する。今の美濃国不破郡・片縣郡の唐人等である。
天智天皇5年(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。凡そ緇素(出家者と非出家者)を択ばず。癸亥年より3年間、同様に官食を給賜する。
天武天皇13年(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。
朱鳥元年(686年)、新羅沙門行心が謀反し、飛騨国の伽藍に徙す。
持統天皇元年(687年)、投化した高麗56人を、常陸国に居住させ、投化した新羅人14人を下野国に配する。又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に移住させる。いずれも土地と食料を給付し、生活が出来るようにする。
持統天皇2年(688年)、百済の敬須徳那利を甲斐国に移す。
持統天皇3年(689年)、投化した新羅人を、下毛野に居住させる。
持統天皇4年(690年)、帰化した新羅の韓奈末許満等12人を武蔵国に居住させる。又、帰化した新羅人等を、下毛野国に居住させる。
霊亀元年(715年)、尾張国人の席田君邇近及び新羅人74家が美濃国を本貫地とし、席田郡を建てる。

900名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:55:54.34ID:d3AIZrXF0
霊亀2年(716年)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1799人を武蔵國に移し、始めて高麗郡を立てる。
天平5年(733年)、武蔵国埼玉郡の新羅人徳師等の男女53人に請われ、金姓とする。
天平宝字2年(758年)、日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移住させ、はじめて新羅郡を置く。
天平宝字二年(758年)、美濃国席田郡の子人・吾志等、賀羅造を賜姓される。
天平宝字4年(760年)、帰化した新羅人131人を武蔵国に置く。
天平宝字五年(761年)、新羅征討に備え、美濃・武蔵各国の少年20人ずつに、新羅語を習わせる。
天平神護2年(766年)、上野国の新羅人子午足ら193人が吉井連を賜姓される。
宝亀十一年(780年)、武蔵国新羅郡人の沙良・眞熊等2人が広岡造を賜姓される。
延暦七年(788年)、美濃國厚見郡人の羿鹵濱倉が美見造を賜姓される。
延暦8年(789年)、信濃国筑摩郡人の後部牛養が田河造を賜姓される。
延暦16年(797年)、信濃国人の前部綱麻呂が安坂姓を下賜される。
延暦18年(799年)、百済姓の甲斐国人190人、高麗姓の信濃国人12人等、朝廷に願い出て日本姓を下賜される。
弘仁5年(814年)、化来した新羅人加羅布古伊等6人を美濃国に配す。
弘仁11年(820年)、遠江国・駿河国に配された新羅人700人が反逆する。(弘仁新羅の乱)
天長元年(824年)、新羅人辛良、金貴賀、良水白等54人を陸奥国に安置し、法により復を給し、乗田を口分田に充てる。
貞観12年(870年)、新羅人20人の内、清倍、鳥昌、南卷、安長、全連の5人を武蔵国に、僧香嵩、沙弥傳僧、關解、元昌、卷才の5人を上総国に、潤清、果才、甘參、長焉、才長、眞平、長清、大存、倍陳、連哀の10人を陸奧国に配する。

901名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:58:08.21ID:aisPzywa0
>>898
王朝の乱立どころか、瀬戸内海なんか群雄割拠ですね

九州に統一国家ができなかったのは、穀倉地帯が無く、大規模な軍隊が無かったからです
それゆえ、抗争に明け暮れた九州勢は、大陸からのハイテクと戦闘能力に秀でていました
それが畿内の穀倉地帯ヤマトに殴り込んで、しかし「オオキミ」として奉戴されて合流してしまった
ここから、大和朝廷の対外膨張が始まるのです

902名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:58:37.94ID:6rzQwSOPO
多元王朝の話をすると混乱コピペが始まるなw

903名無しさん@1周年2019/06/09(日) 21:59:39.80ID:d3AIZrXF0
噓をつく奴には事実を示していかないといけないからね

904名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:01:59.96ID:y5SOTP1k0
963 宋に服属
994 遼に服属
1126 金に服属
1259 モンゴル(元)に戦わないまま降伏・服属(王朝は逃亡、引きこもり)、
    無抵抗のまま、男の8〜9割が殺され、女は少しでも美人だと連れ去られる
1359 朝鮮建国(太祖・李成桂がモンゴル属国・満州女真族出身、
    しかも、明の属国)
    それでも国内に抵抗皆無w
    (明に国名決定も国政も何もかも決定権のある傀儡国ww)
    李成桂存命中から一族親戚などで内紛・近親殺し合いの日々

905名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:03:05.93ID:6rzQwSOPO
大(オオ)という副詞なのか?

ここだなポイントはさ

906名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:04:05.89ID:aisPzywa0
>>902 神武天皇はロイヤルニートってやつじゃないか?

彼は九州の母国を失って、名目上の王族だったのでしょう
兵も500人ぐらいじゃないかな?
これが大和王権のなかに、何らかの地位を保っていたのか、それはわからん
多元王朝というのは、外国の王族とも混在するものだったね

907名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:06:11.91ID:aisPzywa0
>>905
オオキミ という呼称って、畿内のヤマトの呼び方だよね?
他の地域じゃ、首長をなんと呼んでたんだろう?

むろん、天皇というのはずっと後のものです

908名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:17:15.23ID:lHlwtRsf0
ネズミも住めない貧しい国だったのな

909名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:21:33.89ID:Zf9By7yH0
>>846
正論過ぎて草

910名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:23:10.59ID:GwLZkp5P0
古墳の形式について

■魏志
・韓伝,夫余伝:「槨あって棺なし」
・高句麗伝:「石を積みて封となす」
・東沃沮伝:「大木の槨を作る、長さ十余丈」
・倭人伝:「棺あって槨なし。」←卑弥呼の墓

■畿内説が卑弥呼の墓と言い張る
 箸墓古墳(前方後円墳)の形式は

 「棺あって槨あり」

※ちなみにホケノ山古墳は
 「木槨あり木棺あり」


「棺あって槨なし。」

911名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:37:40.01ID:MLXYYCfi0
倭は倭国であって邪馬台国とは別もんだよな
これを何時の頃からか倭と書いてヤマトと読めと自称し始めた
これは倭国の他の何十カ国かを無視する暴挙

912名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:42:06.24ID:d3AIZrXF0
ヤマトは単なる地名だが卑弥呼が都を置いたところだからね

元は河内カワチとセットで大阪湾から見て山の向こう側の地で山外ヤマトと思うが

天武朝はヤマトという地名を嫌って奈良ナラという地名をつけた
大国主とスクナヒコナが名付けた地名が嫌だったのかもしれない

913名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:47:39.12ID:J2EkS8VA0
>>910
でどこが当てはまる?
それとも未だ発見されずにいるのか?
九州だと火山活動により消滅したのかな?

914名無しさん@1周年2019/06/09(日) 22:50:59.93ID:z9T47rli0
姶良カルデラができた時に消滅しますた

915名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:10:09.34ID:xpLq3k4C0
>>910
箸墓は日本書紀にはっきり倭迹迹日百襲姫命の墓と書かれてる
それを卑弥呼にしたいなら百襲姫は卑弥呼ってことにしなければならず
さらにやっかいになるぞ、結婚もしてたんだからな

916名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:10:16.20ID:GwLZkp5P0
現時点における畿内説の根拠は
・かじり跡のある蛙の骨
・かじり跡のない桃の種
・史書を無視した妄想
以上。
のこり3分です。

917名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:12:50.20ID:aisPzywa0
無い事を立証するのは難しいね
あと、文化ってのは拡散するから、災害地の外にも多数の古墳があるもんだよ

それが無い・・・・九州には大規模国家の前提となる『穀倉地帯』が無かった
補給無しに軍隊は動けないし、農村なしに徴兵もできない

918名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:16:05.03ID:jqXo7y020
纏向は4世紀以降だから卑弥呼の時代には存在しないよ。
だから近畿には銅鐸人遺跡しかないんだよ。

919名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:16:50.88ID:aisPzywa0
丘陵地帯の多い九州に、谷戸の水田が少なかった理由は、
火山というか火山灰のせいですね
熊本なんか、江戸時代に大規模な水路工事をやったから今の姿なのであり、
古墳時代、水の供給が無いシラスには、稲作なんか不可能でした

920名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:21:21.23ID:NXm+Emj50
ウリナラファンタジー

921名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:24:25.51ID:jqXo7y020
3世紀に存在しない纏向を隋書で古の邪馬台とは言わないだろ。
だから裴清も近畿には行ってないし、天多利思比孤は元より、倭の五王も外交してたから九州に居たんだよ。
近畿は難波か藤原京ができるまでなにもないんだよ。

922◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 23:25:05.14ID:xiEWBATS0
>>919
そこはそれ、筑後川の氾濫原に形成された筑後平野(とその西の佐賀平野)は、
無数の沼沢が存在し、葦が生い茂る湿地帯だったのだ。
葦と稲とは完全互換の生態系だから、葦を刈って稲籾を播けば水田になる。
ついでに刈った葦は屋根を葺くのに利用される。これが豊葦原瑞穂の国だね。

923名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:32:19.40ID:zWPjwWfDO
中華から見た百越の一部塊の30ヵ国で近畿なんぞ、そもそも知らんわ中華わ。こうろかんも北九州、真似て難波、京都に到ってはぼっかい様専用。高句麗に支配されとるよ近畿わ。

924名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:39:07.90ID:/HDrj4C/0
昔の稲は陸稲で山の田んぼ

925名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:42:24.30ID:d3AIZrXF0
大阪、奈良は弥生時代前期末、中期頃の低地の水田跡が沢山見つかっているよ

926名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:46:05.98ID:aisPzywa0
>>922
平野部の水田開発が可能になったのは、
東北のエミシを奴隷として大量動員できた、平安末期からなんだよね
平野部は洪水があるので、堤防や水路の大規模工事が不可欠だった

927名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:49:19.71ID:aisPzywa0
むろん、弥生時代の低地水田も存在するよ?
しかしそれは、常に洪水のリスクにさらされる稲作であり、安定的なものではなかった
(洪水で泥に埋まるから、遺跡が残されたのだ;)

古墳時代の稲作は谷と平野の境に限られており、そこが兵糧と兵士の供給源

928◆HKZsYRUkck 2019/06/09(日) 23:52:34.17ID:xiEWBATS0
>>924
それは系統が違うな。
天孫族が持って来たのは、最初っから水稲だよね。
古事記の天下りでニニギがアマテラスに託された稲籾を播いたのは
「狭田」「長田」なのだ。要するに等高線が密集した棚田。畑ならば狭くする
必要がないが、水田は水を溜めなければいけないから等高線に沿う必要がある。
最初期の水田である板付(福岡)や坂元A(都城)なんかは台地下の湿地で、
これに当てはまる。

>>926
エジプトのナイル川と同じように、人為的に施肥する技術がなかった時代は、
その洪水が生産性を約束していたのよ。上で書いた棚田と違って、氾濫原湿地帯の
水田にインフラは必要ないし、逆に氾濫原ゆえに遺跡としても検出されにくいのだ。

929名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:54:54.90ID:d3AIZrXF0
弥生時代に灌漑の整った平地の水田跡くらい沢山見つかっているんだけどな

930名無しさん@1周年2019/06/09(日) 23:56:14.54ID:aisPzywa0
連続になってすまん;

九州にヤマタイ国が存在した可能性でいえば、穀物生産で南九州は絶望的なんだよ
あってせいぜい、北九州の小国のどれかで、それなら大陸側の史書に詳しい記述があるでしょう

しかし、南九州が畿内ヤマタイの飛び地で、ここに宗教施設があった可能性はあります
そして、それは朝貢貿易の競争に出遅れていた、大和朝廷の利益とも矛盾しません

931名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:01:21.83ID:S+awG7tf0
中国の(特に呉)避難民が黒潮や対馬海流に乗ってただりついた九州
そこで土着の縄文人に水稲や金属製の漁具や農耕器具を伝え
日本最初の弥生人が形成されていった

932名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:03:37.16ID:EtbsgbEx0
>>928
ナイル川は小麦、日本は稲という違いがありますね
決定的な差は、ご指摘の『肥料』です
稲作というのは、水田自体が肥料の役目を果たし、必ずしも施肥を必要としないのです
(蛇や蛙を信仰したくなります)

洪水になれば流れてしまう、弥生時代の平野部では、
水田を作っても近くに住むのは危険です  命がけです
当然、家族は山に住み、集落には最低限の人しか住まないので、余剰人口が生じません
これでは徴兵できませんよね;

933名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:07:57.37ID:C8AnEtAH0
長江流域から直接畿内に渡来した集団もいてると思うよ
あるタイプの石包丁は、長江流域と大阪でしか見つかっていない
他のタイプは中国大陸や朝鮮半島、日本列島各地で共通のものが見つかっている

934名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:09:57.59ID:EtbsgbEx0
>>922
逆に、大和朝廷の時代になって広義のタカマガハラが神話化されたのは、
この地域が『瑞穂の地』であり、稲作に不向きだったことを意味していないか?

935名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:14:12.18ID:C8AnEtAH0
高天原は上町台地
押し照るなにわ、上様がいたところ

天安河原は滋賀の野洲川
辺りに伊勢遺跡がある

天の八衢は堺
仁徳天皇陵があるところ、近くに方違神社がある

936名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:17:41.94ID:EtbsgbEx0
江戸時代までずっと、河川敷の水田は『免税』が多かった事を想起しましょう
低地の水田で、水路や堤防が作れなければ、その水田は洪水のリスクにさらされます

低地の水田は豊かですが、洪水のリスクに備えて食糧を備蓄しないといけません
数年に一度は、洪水で全てが流されるからです
ゆえに江戸時代の大名たちも、河川敷の水田からは年貢を取れませんでした
取ったら百姓が逃散するからです

さて古墳時代・・・
江戸時代より桁違いに低い生産性、しかも土木技術無し
この状況で低地の水田から租庸調が得られたか・・・・無理だと思いますよ

937名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:44:39.01ID:OKYvNB0t0
>>936
お爺さん、頑張って研究した甲斐があったねw

938名無しさん@1周年2019/06/10(月) 00:54:21.50ID:BuB7Vmu00
>>15
なんの儀式か説明しろよ

939名無しさん@1周年2019/06/10(月) 01:32:23.56ID:LNlY9oYN0
畿内説って、皇国史観だろw
戦時中かよwww

940名無しさん@1周年2019/06/10(月) 01:49:39.46ID:HeWmDrLS0
畿内説=学問、ほとんどの学者が支持、考古資料により裏付け、魏志倭人伝に方角以外忠実
九州説=エンタメ、素人のみが支持、遺跡も考古資料もなし、魏志倭人伝にことごとく不一致(方角のみ一致)

941名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:03:45.84ID:Wtz0fSf80
>>940
畿内説学者は政治的作為入りすぎで信用できん

942名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:05:54.26ID:8WZZPaiX0
>>940
水行二十日、水行十日、陸行一月のルートでたらめじゃん
纒向までどういう旅程なのよ

943名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:08:09.53ID:U4sBnQHN0
>>940
もうデタラメな願望を書くことしか出来ない敗残畿内w
絹も鉄も無く温暖でもない畿内は魏志倭人伝に一つも一致しないよ

944名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:16:51.70ID:0HXBjsrU0
>>940
学者(ゴッドハンド支持者)が支持だしな

945名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:23:17.48ID:KbrWwkp80
ロイヤルニートの再就職を大遠征に書いたのは天武の指令でしょ
とにかく記紀は背乗りが大好き
貧困奈良を軍事制圧したのは親戚である饒速日
実際に経営したのも饒速日

その功績を神輿である神武に数百年後に書き換えただけ
それゆえ寡兵で大戦果というめちゃめちゃな妄想戦記にしているわけ
もっとも不自然過ぎるから饒速日も協力という更にイミフな付加がある
実際は同族の饒速日と長髄彦の内戦であっただけ

946名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:29:30.06ID:KbrWwkp80
そんでなぜ天武は祖先を背乗りさせたかと言えば天武も背乗りしてるからだろね
そもそも天武は出自が怪しいのでまるで古来からの神の血統のように粉飾したかった
こうして背乗りに次ぐ背乗りでなんともめちゃめちゃな記紀が誕生した
不可解な場所は全部背乗りのせいでしょね

947名無しさん@1周年2019/06/10(月) 02:37:35.51ID:v1mAM7by0
>>943
良いフレーズだな>敗残畿内
もう既に説としての体を成していないし今度から「畿内説」という呼び方はやめて「敗残畿内」にしよう

948名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:26:58.61ID:rEFBajI50
なめ回してフィニッシュしたかもしれんだろ

949名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:38:06.09ID:Cbo3Y6eT0
>>916
福岡県うきは市の珍敷塚古墳のカエルの絵は見なかったことにする九州派
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2017/03/23/204037
吉野ケ里にとって最大のライバル、驚異は纏向

950名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:42:14.87ID:Cbo3Y6eT0
>>905
大(於保)が副詞ならキミ(支見)は動詞又は形容詞でなければならない
というのが日本語文法

951名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:45:50.83ID:jewzte7B0
桃だ、蛙だと騒ぐ前に倭国大乱の痕跡を探すべきだと思うわ
武器とか戦傷遺体とか出てくるはずでしょ

952名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:51:09.62ID:Cbo3Y6eT0
>>943
畿内が温暖でないなら九州も温暖じゃばいわな

953名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:54:55.01ID:S+awG7tf0
>>949
この絵が解説通りだとするととんでもない発見だがな
高松塚古墳どころの話じゃねぇわ

954名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:55:25.16ID:i2bkMwFU0
そもそも応神孫の継体が正当な後裔と言えるかは疑問
この人が怪しいから神の血統と言い張ることに

もっとも応神の方も怪しくお父さんが暗殺後に生まれている
天智天武はどちらも変でそもそも日本人なのだろうか

955名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:55:28.08ID:Cbo3Y6eT0
打ち間違えた
>>943
畿内が温暖でないなら九州も温暖じゃないわな

956名無しさん@1周年2019/06/10(月) 03:59:54.88ID:S+awG7tf0
気温や古墳や土器なんてどうでもいいけどさ
なんでそこまで邪馬台国を畿内に持っていきたがるのかね
纏向や箸墓とかでかい古墳もあって大和王朝が
存在してたのは誰も疑わん史実じゃん

それじゃあかんのか?

957名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:02:12.83ID:i2bkMwFU0
背乗りやり過ぎで、何でも乗りたい病なのが畿内

958名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:18:13.75ID:pa59mCtd0
🍑もももももももも

959名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:48:02.78ID:jlUPpCT/0
ふとももか?桃尻か?

960名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:49:34.15ID:AsD/4NLF0
蛙の骨、桃の種、木製の鞘

これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)

悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ! (`・ω・´)

961名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:53:24.40ID:N0/ZjOcQ0
2700以上は数えられないほど損傷がハゲシイ

962名無しさん@1周年2019/06/10(月) 04:53:29.52ID:Wtz0fSf80
>>956
大和王朝が急に現れたことになると半島系渡来の出自を隠蔽できなくなるじゃん

963名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:05:42.82ID:FpS24pE40
>>960
九州四国でもよく出土しているけどね。

964名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:07:22.52ID:9hDxyPzD0
>>956
>>962
おいおい、学問の世界にチョンの妄想を持ち込むなよ。
アイツラ、歴史とは自分に都合のいい願望の実現、ファンタジーなんだよ。
学問じゃない。フィクション。だから都合の悪いものはなかったことさえする。
半島南部の前方後円墳の埋め戻しなんてその典型だ。

僕らにとっては(この時代の)歴史は完成型のわからないジグソーパズルだ。
どんな小さなピースでもああだこうだ考えながら位置決めしていく。これこそ歴史ロマン。醍醐味だ。

チョンを持ち込むな。鉄則だ。

965名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:23:19.41ID:M8J3naoN0
>>269 = >>301

汚らしいエラ張りブサイク整形レイプ民族チョン。
整形なしには人前に出られないほど醜悪なパンスト朝鮮顏をしてるくせに、
日本人のふりをして性犯罪を犯しまくりやがって。

朝鮮民族は、歴史的によそ様の国でも凶悪な性犯罪を繰り返してきたゴミクズ民族。
東南アジアの女性たちに最も忌み嫌われている。
ベトナムでは朝鮮人による連続強姦で生まれたライダイハンが大量発生して社会問題になってる。

日本人女性たちは戦中も戦後も、朝鮮人による性犯罪に苦しんできた。
いまも日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。


●●● 深刻化する在日朝鮮人の性犯罪 ●●●
http://seihanzai.tripod.com
.

966名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:27:24.01ID:JWUMWam+0
>>934
それじゃあ逆に聞くけど、弥生銀行と呼ばれる福岡平野や糸島平野に広がる弥生遺跡に住んでた人は霞でも食べてたの?
実際に畿内を圧倒する都市があったんだから、平野部に人が住んでいたんだよ。
福岡とか佐賀には米とか稲がつく地名が多いのも稲作が盛んだった証拠だよ。

967名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:35:02.50ID:tlV75mPM0
神武東征のモデルは卑弥呼お引越しで
九州からやってきたというのを考えた
日の出の太陽に向かって進むのは良くないと考えた卑弥呼は南から奈良に入った

968名無しさん@1周年2019/06/10(月) 05:43:32.60ID:tlV75mPM0
卑弥呼の墓造りで功績のある吉備には長めに滞在させた
健脚の道案内熊野人がヤタガラスのモデル
ちょっと遠回りして宇陀で辰砂が取れることを卑弥呼にみせた
朱色大好き卑弥呼は安心 纏向の向かう
戦いはなかったが纏向に卑弥呼受け入れに反対する
ナガスネヒコがいたので祟神が追放した
2〜9代天皇は適当に作った

969名無しさん@1周年2019/06/10(月) 06:23:23.61ID:FpS24pE40
統一国家ではなく邪馬台国中心の共和国、敵対勢力もいたのだからね。強力な中央集権は大和政権からでいいでないか?
過程で卑弥呼、トヨと関係ある説と邪馬台国が滅び全く別な勢力として大和政権説。

970名無しさん@1周年2019/06/10(月) 06:58:52.00ID:VYpF983d0
魏志倭人伝には邪馬台国は帯方郡から一万二千里で東側には海があり、その千里先には別の倭人の国があると書いてある。
帯方郡から九州北端の末盧国までで一万里なので九州以外は不可能。

971名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:06:44.80ID:VYpF983d0
箸墓は槨が有る前方後円墳。
魏志倭人伝には槨が無く土を盛っただけと書いてあり前方後円墳の可能性はゼロ。
畿内説には該当する墓がなく鉄器すらない。
土器は東海が半分で九州の土器はゼロ。
纏向は奈良の豪族の墓で九州や魏とは全く接点すら無い。
有るのは桃の種とカエルの骨といったどこにでも有るもの。5世紀以降の鐙も出土したが、後から投げ込んだと意味不明な供述をしているのが畿内派のインチキ考古学者。

972名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:08:07.91ID:S+awG7tf0
>>964
何わけわからんこと長々書いてんだ つまりおまえみたいなのを
持ち込まなきゃいいんだな 了解

973名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:14:06.77ID:MpP4mN990
>>970
度量衡の捏造

974名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:15:18.03ID:VYpF983d0
世界約50カ国で教科書を出版しているオックスフォード大学出版局が制作している教科書は「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した」と記述している。
プレンティスホール社が出版しているアメリカの教科書『世界文化』は「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、朝鮮南部の地域を統治するまでに至った」と記述してあり、カナダやオーストラリアの教科書もまた、同様の記述が存在する。
コロンビア大学のオンライン百科事典や米議会図書館には、「古朝鮮は紀元前12世紀に、中国人、箕子が朝鮮半島北部に建てた国だ。その当時、朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった」と書かれている。

中華人民共和国では、上海人民出版社が出版している教科書『世界史講』が「新羅は、半島南方で 早くから長期間にわたって倭人の基盤となっていた任那地区を回復した」と記述している。
中国外務省のホームページの日本史介欄では、「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその勢力が朝鮮半島の南部にまで拡大した」と記述していたが、韓国政府からの抗議を受け、日本紹介欄から第二次世界大戦以前の日本史の部分を全て削除した。

975名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:16:40.06ID:S+awG7tf0
>>973
残念だな 短里は科学的にも証明されてるぞ

976名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:17:14.51ID:VYpF983d0
一方、韓国では

2015年4月、韓国の国会は、日本の歴史教科書に任那の記述があることを糾弾する「安倍政府古代史歪曲に対する糾弾決議案」を採択した。

977名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:17:49.89ID:MpP4mN990
>>971
魏志倭人伝の歪曲
考古学的事実の捏造

嘘八百並べて畿内説にイチャモンつけてるのは宇佐厨だろ?

978名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:19:38.63ID:36cJjMPT0
>>936
古代の陸稲は連作が無理
安定した穀物の供給はできないよ

979名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:20:31.00ID:MpP4mN990
>>975
九州説がトンデモだと自ら宣言したわけだwww

980名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:21:33.89ID:VYpF983d0
灌漑が進んだ江戸時代でも陸稲が半数以上で弥生期は陸稲が大部分だったのに何言ってるんだ?

981名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:22:16.32ID:S+awG7tf0
今までは捏造捏造と騒ぎ、科学的に証明されてるというと
トンデモと言う

ガキか?

982名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:24:13.02ID:VYpF983d0
>>981
根拠が無くなった畿内派は病人しかいないので生温かく無視してあげてください。

983名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:25:41.15ID:S+awG7tf0
>>982
も少しまともに議論できるやつが来ないかね ほんとつまらんわ

984名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:28:49.76ID:MpP4mN990
>>981
短里は捏造
そんなものが科学的に証明されてると言い張るなら、証明すればいいだけの話だ
だが今までに、証明したものは一人もいない

985名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:30:28.02ID:MpP4mN990
短里厨は議論すると、最後は必ずトンズラか罵倒
例外は一つもない

986名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:33:00.88ID:S+awG7tf0
>>984
この講義の短里の部分 理論で覆せたらここに載せてくれ
今までに証明したもの居ないんやろ?
http://kodaiken.sub.jp/old_siryou/ronbun/ronbun_pdf/kagaku.pdf

987名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:35:15.71ID:S+awG7tf0
もひとつやろう
この人の計算も捏造っていうなら証明してみな
http://kingchin.jp/kunakokuPDF_2_2.pdf

988名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:38:23.73ID:VYpF983d0
マジレスすると近代の日本でも様々な里の基準が混在して統一しようとしたくらいに同じ国の同じ時代でも文献毎に里が異なる。
魏志倭人伝では魏志倭人伝の基準に合わせて距離を出せば良い。
魏志倭人伝では、帯方郡から狗奴韓国まで7千里。狗奴韓国と対馬と壱岐と九州北端の末盧国までがそれぞれ千里。帯方郡から邪馬台国まで一万二千里と書いてある。
つまり、九州北端から残る2千里が邪馬台国の場所。
対馬と壱岐の距離が千里と書いてあるから、その2倍の距離。
東側が海と書いてあるから九州の東側。
答えは簡単に出る。

989名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:43:53.69ID:S+awG7tf0
>>988
そういうこと 短里と一概に言っても倭人伝の中でも微妙に違うもんな
実数は倍くらい違うんだけど、やはり海上だと一律千里にしてるしね
地上だとしっかり分けてるみたいだけどね

しかしどうひっくり返っても九州から外には出ない距離なんだよな

990名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:56:16.07ID:MpP4mN990
>>986>>987
1つ目のゴミ
洛陽における影の長さが検証されてるだけ
必要なのは、南北千里の影の長さが信用できるかどうかの根拠だ
南北千里については何も触れてない
だらだら書いただけの騙し長文

2つ目のゴミ
距離を直線距離を前提に書かれている
3世紀には測定不可能なので論外

991名無しさん@1周年2019/06/10(月) 07:59:07.05ID:DX/wHrlm0
>>984
魏志倭人伝の記述と現実を比較すれば短里が使われてるのは明らか
証明するまでもない
当時は三国時代で統一政権が存在してないだから度量衡だって乱れる。
>>989
海上を一律千里にしてるのは陸上と違い歩測や紐で実測出来なかったからだろうな
地上だと1里80mくらいだな。

992名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:00:13.48ID:MpP4mN990
>>988>>989
バカ2人に尋ねる
魏志倭人伝の行程の中で、遺跡ベースで確定できるのは、伊都国から奴国の区間のみ
伊都国は現在の地名でどこだ?
奴国は現在の地名でどこだ?
伊都国から奴国の距離は何キロ?

993名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:00:35.63ID:S+awG7tf0
根本的に分かってねぇなw
ま、どういうレスがくるか想像ついたけどね
前回もおまえと同じような屁理屈書いてきたっけ

つまりどう証明されてても受け入れないんだから
意味なし

994名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:01:34.37ID:VlzIzkULO
>>962
九州にあった邪馬台国が畿内に遷都したって説

995名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:02:27.76ID:Bo/pf8q60
奈良県民は福岡倭国からの移民系
な自覚ないのも問題

996名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:03:18.97ID:S+awG7tf0
>>992
何出そうと屁理屈で返す奴に何を証拠として出しても
同じやろが、無駄なだけ

997名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:03:39.78ID:MpP4mN990
>>993
短里厨は議論すると、最後は必ずトンズラか罵倒
例外は一つもない
やっぱりそうなったらwwwwwww

998名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:04:14.64ID:DX/wHrlm0
>>940
畿内説=ファンタジー、文学者仲間内の楽しみ、考古資料の捏造、魏志倭人伝の方角も距離も戸数も合わない
九州説=サイエンス、真実を探求、方角も距離も戸数も一致し何の問題もない、遺跡も一致。

999名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:04:23.86ID:S+awG7tf0
哀れやな畿内 草はやすしか能がない

1000名無しさん@1周年2019/06/10(月) 08:04:40.97ID:MpP4mN990
そうなった
の間違い

mmp
lud20190620185835ca
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【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★7
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★3
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★8
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★2
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★9
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★6
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★4
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★10
【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」★3
【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」★2
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 [樽悶★]
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★5 [樽悶★]
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★4 [樽悶★]
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★3 [樽悶★]
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★2 [樽悶★]
【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★7 [樽悶★]
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【朝日】邪馬台国の有力候補地・纒向遺跡の論集に、奈良県桜井市がカンパを求める 返礼品は現地ツアー [みの★]
【朝日】邪馬台国の有力候補地・纒向遺跡の論集に、奈良県桜井市がカンパを求める 返礼品は現地ツアー★4 [みの★]
【朝日】邪馬台国の有力候補地・纒向遺跡の論集に、奈良県桜井市がカンパを求める 返礼品は現地ツアー★3 [愛の戦士★]
【奈良】邪馬台国の所在地有力候補「纒向遺跡」 ふるさと納税を整備に
【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露
【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露 ★3
【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露 ★2
【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」
【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」★2
【奈良】「半島などから人と共に渡来し、日本の犬の形質が変化した」 古墳時代初頭に中型犬か、邪馬台国の有力候補地で出土 [樽悶★]
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★11
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★3
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★7
【歴史】弥生時代の日本にバジルがあった? 邪馬台国の有力候補地で「花粉」見つかる
【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社
【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社★2
【奈良】飛鳥京跡苑池で「祭祀の場」流水施設遺構 水を使う祭祀、邪馬台国との関連指摘される纒向遺跡でも
【邪馬台国】纒向遺跡「古代都市」裏付け、外来系土器が10%超…東海、河内、山陰、近江、吉備など [樽悶★]
【邪馬台国】纒向遺跡「古代都市」裏付け、外来系土器が10%超…東海、河内、山陰、近江、吉備など ★3 [樽悶★]
【邪馬台国】纒向遺跡「古代都市」裏付け、外来系土器が10%超…東海、河内、山陰、近江、吉備など ★2 [樽悶★]
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★2
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★3
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★4
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★5
【奈良】邪馬台国の候補地調査10周年論集刊行へ、纒向学センター寄付募る ★2 [樽悶★]
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ★4
【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば、東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ
【歴史】「邪馬台国が纒向にあったとすれば東海地方とも何らかの交流があった」 弥生期の奈良知って…邪馬台国候補地、名古屋でシンポ★2
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