西都原古墳群の世界遺産登録を目指す西都市で、ガイドボランティアを養成するための講座が開かれました。
この講座は西都原考古博物館の運営を支援する団体「iさいと」が開き、約60人が参加しました。
きょうの講座では、考古学や古代史への関心を高めてもらおうと考古学者の北郷泰道さんが邪馬台国はどこにあったのか、当時の史料「魏志倭人伝」などを基に講演しました。
北郷泰道さんは「(『魏志倭人伝』の記述にある)一万二千里と水行十日・陸行一月というのは同じである、そうすると北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれることになる」と考察を述べていました。
現在、西都原古墳群のガイドボランティアには、およそ50人が登録しています。
iさいとでは、古墳群の世界遺産登録を目指し、ガイドの人数を増やしたい考えで、講座は8月まで毎月1回開催される予定です。
2019年05月12日 18時21分更新
https://www.umk.co.jp/news/?news=20190512&no=100201
北郷泰道(ほんごう ひろみち)氏
1953年、宮崎県都城市生まれ。立正大学文学部史学科考古学専攻卒業。1980年度から宮崎県教育庁文化課に勤務し、宮崎学園都市遺跡群発掘調査を担当。以後県内の発掘調査に従事。埋蔵文化財係長として西都原古墳群の整備・活用事業及び西都原考古博物館建設事業を総括。宮崎県埋蔵文化財センター所長を経て退職。元宮崎県教育庁文化財課専門主幹、南九州大学非常勤講師。著書に『熊襲・隼人の原像―古代日向の印影―』(吉川弘文館 1994年 第5回宮日出版文化賞受賞)など。
http://www.isaito.net/20190512/kou_20190512.html
★1:2019/05/13(月) 17:58:38.06
http://2chb.net/r/newsplus/1557982424/ 992 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2019/05/17(金) 01:40:37.27 ID:u8ciMETU0
卑弥呼も邪魔大国も無かったに決まってんだろ
歴史なんて全部仮説だし間違いだらけだ
こいつアホだな
魏志倭人伝は信憑性高い
中国の皇帝と卑弥呼のやり取りは記録されてる
普通に考えれば大陸に近い場所で文明が発展していったと考えるのが自然だろ。
朝鮮半島との交流を考えれば北九州に当時の近代的な文明があったとしても納得できる。
どこにあったとしても天皇制とは別の部族連合国家だろ
『魏志倭人伝』には、倭人は「鉄鏃(てつぞく
)」を用いる、などとある。
『弥生時代鉄器総覧』の鉄器出土地名表を見る
と、福岡県には49ページ割かれている。これ
に対し、奈良県には1ページも割かれていない。
「邪馬台国=奈良県存在説」を説く人々には
、この愕然とするほどの圧倒的な違いが目に入
らないのだろうか。
例えば、弥生時代の鉄鏃の出土数をみれば、
下記のようになる。『魏志倭人伝』に記されて
いる事物(鎧・絹・勾玉など)で、遺跡・遺物
を残し得るものはすべて、出土数において福岡
県が奈良県を圧倒している。
このような分布を示すいくつかのデータから、邪馬台国が福岡県にあった確率や、奈良県にあった確率を計算によって求めることができる。県ごとの確率は、下記のようになる。
邪馬台国が福岡県に有った確率 99.9%
邪馬台国が佐賀県に有った確率 00.1%
邪馬台国が奈良県に有った確率 00.0%
この確率計算にあたってご指導、ご協力をいただいた現代を代表する統計学者、松原望氏(東京大学名誉教授)は述べている。
「統計学者が『鉄の鏃』の各県出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています」 近畿の豪族が北九州の邪馬台国滅ぼした後末裔の振りして唐に行ったら思いっきり疑われたから急いで内外アピールの為に記紀を作ったってのが正しそう
なんかチョン大学の先生辺りが、邪馬台国は今で言う釜山港あたりにあったようニダ、なんて言
いそうニダだな。
『魏志倭人伝』には、倭人は「鉄鏃(てつぞく
)」を用いる、を根拠に鉄鏃の出土数で勝負する九州説
VS
桃の種とカエルの骨で勝負する畿内説
www
>一万二千里と水行十日・陸行一月というのは同じである
投馬国の水行二十日が間に入ってなければこの解釈もありだと思うけどね
やっぱり連続読みが正当だろうと思うよ
>>12
ネタで言ってるんだろうけど、
邪馬台国が九州北部と朝鮮南部に跨がった国家だった可能性は充分に有り得るよ いや、倭種が九州北部と韓国南部にいた事は
不思議じゃない
今の韓国人とは全く関係ないけどな
邪馬臺國とは魏志倭人伝には書かれていなくて、書かれていたのは邪馬台国ではなく邪馬壱国だろ。
どうしてもヤマトにしたい連中が発音が似ている邪馬台国としただけ。
>>20
朝鮮人は認めないけど任那日本府も有ったしな 福岡佐賀を中心に分布する甕棺は一時は熊本長崎まで分布を広げたが
2世紀ごろからは徐々に衰退し3世紀後半には完全に消滅した
畿内に移動した様子はない
卑弥呼(台与)=アマテラスと考えると邪馬台国=大和朝廷と考えやすい
エピソードが似てるし
もういいじゃんあったかどうかも怪しい集落の話なんて
>>27
アマテラスって、紀元前660年より前じゃね? >>27
こうやって、無理矢理 大和朝廷と結び付けようとするのが畿内説の本質なんだよなwww ネトウヨは万世一系とか言ってるけど天皇以前に日本の王がいたことははっきりしてるよな
>>31
それとは別
天皇家か、紀元前660年から続いているのは否定しない
ただ、邪馬台国とは別だと言うだけ
有象無象の王朝の中で良く生き残ったと思います天皇家は。それだけで尊敬に値する 紀元前660年に天皇がいたわけがないだろ
マトモな文献に出てくる日本最古の王は帥升だよ
>>34
皇紀って知ってる?
まあ天皇は居なかったが、天皇家は有った事になっている 水行十日・陸行一月で行ける北部九州…。
卑弥呼の時代にも雲助がいたのか(笑)
帥升は、中国の文献に初めて載った
と言うだけで、「初めての日本の王」
とは言えない
>>8
このインチキしつこく貼り付けてるが、何をしたいんだ?
・倭人一般の記述として鉄鏃が出てくるが、邪馬台国とは関係ない記述
・紀元前まで遡り、邪馬台国とは関係ない時代まで含めて、九州が有利になるよう水増ししている
・ホケノでは60本の鉄鏃が出土してるが、反映されてないのは意図的に古いデータを使っているのか
・伊都国や奴国は大陸との玄関口なので多いのは当たり前
・伊都国や奴国で出土が多いから邪馬台国は福岡という論理は誤り
百歩譲って鉄鏃で比較するなら、239年〜247年に入手できた量で比較しないと無意味 >>20
半島と跨ってはいないが、おそらく、影響圏内だったはず。
邪馬台国の覇権は、朝貢利権と半島との鉄貿易の独占による。
よって、半島にカウンタパートがいないとできないこと。
時代は下って、出雲は新羅と、奈良は百済と通じ密貿易で台頭。
最終的に、百済と組んだ奈良が鉄を押さえて、邪馬台に勝利。
新たな覇権国となる。後に邪馬台の名と権威を奪う。 >>27
天照大神はイザナギの左目から産まれた神話のお話し >>27
卑弥呼(+壹與)=天照は、間違いない。
邪馬台=大和は、どうしていきなりそうなるの?www さすがに実在した証拠が何ひとつないなら架空の存在だろ
九州が大陸に近かったため発展したという論理をもっと分解すると、稲作地帯を要する地域を手厚く守るよりも、流通を駆使して宝物や物産を各地域でやり取りする貿易主体の沿岸都市が富の蓄積に有利に働く
それを実践した海人族は列島各地の沿岸に都市を設けて流通拠点としつつも時には軍事をちらつかせて土着の稲作民との結び付きを深めたと思うんだよな
その痕跡は鉄器生産拠点ではなく祭祀の痕跡と土器分布で把握ができるだろう
>>42
大和朝廷の皇祖神のモデルが卑弥呼なら邪馬台国=大和(奈良)が自然じゃね? 始皇帝は琅邪臺から見える蜃気楼を2回も見に来た
徐福が蓬莱、方丈、瀛洲の三神仙へ向かった地
琅邪臺は狼煙台であるが、邪馬台とは狼と馬を入れ替えた違いしかない
邪馬台国の邪の字には侮蔑の意味は無いのではないかな
>>47
魏国は短里を使っていた
一里は70mくらいかな >>1
>一万二千里と水行十日・陸行一月
すでに何度か指摘されたことがあるが、
この数字がウソだな。切れが良すぎる。
つまり、中国の使節は、実際は日本(倭)に足を運んでいなかったということだ。
アトからの再調査などしないという確信があり、
日本への遠征費用を着服した可能性が高い。 帥升が個人名なのか官職名なのか定かではないが
周王朝時代、祭祀、祭礼を行う氏族に帥という姓を与えたそうな
邪馬台国は九州だよ。
なんでそう言えるかって?
おれのかみさんが卑弥呼の子孫だからだ。
実際目の当たりにするとびっくりするぞ。
何ももないところから、正しい道を見つけ出す。
「どうやってるの?」って聞いても、本人も解ってない。
でも、見つけ出すんだから、オレは実にラッキーだ。
>>1 . . 【朝鮮カルト】【日本会議】
別に王政続行でもいいけど、
◆朝鮮バスター 2大鉄則
. . . . ↓ ↓
■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■
■・神功皇后は朝鮮人 (=住吉大社=大阪依羅神社=朝鮮扶余王子 依羅=朝鮮人) ■
■・天皇家は朝鮮人 (=神武天皇=高句麗王 朱蒙伝説のパクリ=朝鮮人) ■
■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■―■
. . . . ↑ ↑
. .
. . http:/★★/goshuin.soragoto.net/ooska/oyosami.jpg
. . https:/★★/ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9D%98%EB%9D%BC
j0g- >>49の続き
まあ、数字がデタラメであれば、
九州説など吹っ飛ぶよな。
だいたい、卑弥呼が登場する900年前に、「神武東征」をやってるのだ。
神武が九州の田舎から、苦難の行程の果てに近畿を目指した理由は、
当時、その地が日本で最も豊かで繁栄した地であったからだろう。
当時の日本と大陸との交易は、人の背に担いで荷を運ぶ(まだ荷車は無かった)朝鮮半島経由より、
大型船(すでにあった。櫂が使われていた)で、大量にかつ安全、迅速、快適に荷を運べる海路を使っていたろうし、
その海路には、日本海を挟んで大陸と向き合う近畿が最適だったのである。 >>54
・韓国ではとっくに常識 !!
知らないのは情弱土人 日本人だけ
. . (扶余王 = 西日本 天皇家)
. . (扶余 依羅王 = 大阪依羅神社)
. . http:/★★/www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000302058
. . (扶余王 依羅が 西日本占領。 崇神天皇となる)
. . (大阪依羅池は 扶余の先進技術)
. . 「付与(扶余)のエクソダス」
. . http:/★★/gudaragouri.blogspot.com/2009/12/69.html
. . 「慕容广鬼 行って卑離を攻撃する」
. . http:/★★/qq4q.biz/LJaz
ちゃんと上記をカミングアウトしなはれ
できないなら、即日で共和制断行の一択
歴史を歪曲する皇室・日本会議など
国賊 反日分子でしかない
※ 日韓翻訳サイト
http:/★★/hot-korea.com/tool/translation/
sdi6 >>49
>>55
おい、そこのハゲ
上下のスレ見ろよw
神武は架空の人物で確定済み >>56
また、このアホかw
依羅は普通に使われる日常語だぜ。
「依羅」=よさみ。川の流れと海の流れが衝突する場所
大阪の依羅神社は、その地に建てられたってことだ。 >>57
チョン。
神武天皇が架空って言ってるのはオマエらだけだよw 武田邦彦と三橋貴明は神武は東征したと言ってた
三橋の番組最近古代史やってて面白いわ
アマテラスは北九州の海人族の祭祀を司る女王文化の総括でありヤマトタケルなどと並ぶ神話としての興隆譚であると思う
卑弥呼はその後継として新天地である畿内ヤマトに打ち立てた農耕弥生民と海人族の連合国の女王に推戴された
これにより三輪山祭祀が本格化する
これが三世紀半ばから後半の話
少し遡って、環壕集落は稲作開発を担った農耕弥生民の独自文化であり、海人族との接触により生まれヤマト連合樹立により消滅するが、その後生まれた古墳築造文化はその名残だと思われる
こう考えると唐子鍵や巻向の興隆に説明がつく
恐らくこの連合に至る混乱が倭国大乱
ちなみに初期の神社文化は王権祭祀とは切り離して考えた方がいいと思う
これは海人族が沿岸地域を交流拠点にするにあたり一族の祖先や自然神を祀ったことが由来となっているから
それらは初期の海人族の拠点である地域の神社に自然神信仰と神代以前の神が祀られていることが多いことで確認できる
宇佐神宮の比売大神が卑弥呼の正体。
邪馬台国は大分県。
邪馬台国が北部九州にあったのは間違いないんだが、奈良説の奴等はそれでは困るんだよ
九州説を支持しているのは単なる考古学マニアだが、奈良説を支持しているのはそれで
生計を立てている奴等だから絶対に引き下がる訳にはいかんのだよ。
宇佐神宮の宮司は
先祖はシュメールから来たと聞いていると言ってたな
スメル...ミ.カド
>>64
まあ、こいういうチョンが必死に九州説を唱えるよなw
近畿には、大型で有力な遺跡が多数存在することも知らんのだろうな。 宇佐八幡は神社庁に乗っ取られた
神社庁に朝鮮人が入り込んでいる
地域主体であるクニの概念は、まずは稲作によりその土地から離れず生活する文化から生まれている
対して海人族は九州から大陸の文化を各地に持ち込み市を開いて交流し、鏡に代表される祭祀に伴う物品の価値を高めることで富を蓄積し根を張っていった
海人族がその土地と結び付くためには祭祀による乗っ取りとも言える方法論が必要だったことが解る
それはキリスト教が軍事や西洋文化を伴って布教し植民地を増やした経緯と同じものだと思う
畿内はまず稲作開発によって富の蓄積が行われたが、住民は技術や文化が遅れていただろう
文化と技術と鏡祭祀を持ち込んだ海人族はその畿内に交流拠点を作ることで乗っ取りとも言える連合に成功した
何が言いたいかというと、畿内は新しい都市であり鏡祭祀の始祖ではなく持ち込まれた文化だということ
ここに卑弥呼やアマテラスの存在との関係を考慮する必要がある
後進地域だった畿内が隆盛して倭国の中心だった北九州に挑戦したのが倭国大乱
って構図だと畿内には無さそう
朝鮮半島全域が邪馬台国で
日本は単なる犯罪者の流刑地だからな
>>30
ホントこれ
桃の種が出てきたから近畿とか言い出した時はどうしようかと思った そもそも邪馬台国が
日本にあったかすら怪しいんだが
やっぱ邪馬台国ほどの文明が進んだ国は朝鮮半島しかないよな
三国志の劉備や曹操がいた、たった1800年前の事なのにな
日本じゃ国ができては滅び、歴史改ざんを繰り返してるだろうから、
奈良時代以前は信ぴょう性含めてなんも分からんなw
>>68
まあ、奈良辺りは、古来より日本で一番栄えて来た地域だろうな。
神武天皇(卑弥呼時代より900年前の人物)が、実在していたかどうかは別にして、
架空の人物であればなおさら、神武が九州の片田舎から目指すべき地は、当時もっとも栄えていた場所であろう。
もし、北九州がそのような繁栄地なら、神武は目と鼻の先にある北九州に向かっていたろうな。
また卑弥呼時代より200年前には、有名な「ヤマトタケル」が登場しているが、
その人物が実在していたかどうかは別にして、
何とヤマトタケルは、畿内にあったヤマト王朝から、九州の反抗勢力の討伐に出かけてるのだ。
これなども、北九州が日本の中心であれば不自然なこと。 >>73
当時、朝鮮半島は、ホトンドが人跡未踏の地。
その人口も多くて数万人程度。
日本(倭)から、中国王朝に向かうにしても、道なき道を行くがごとしの状況だった。 邪馬台国は韓半島にあったのは間違いないんだが、本土にあった訳では無くて
済州島が三十余国からなる邪馬台国連合国家だったんだよ、従って魏使は
九州には全く足を踏み入れた事が無いと言うのが歴史的事実だよ。
>>77
まあ、邪馬台国が九州にあったと寝言いうのは、
ホドンドがチョン。
チョンにとっては、何事も捏造するにはその方が都合がイイのだろうな。
しかし、日本の学会では、すでに九州説は完全に否定されてる。 なぜ4世紀に大型古墳が畿内から隆盛するのか
これは古墳を築造するために必要な要素を分解すると見えてくるものがある
まずは円墳に代表される北九州からの葬送風習
武器や宝物を副葬し郭の中に埋葬する権力者一族の伝統性
その次に祭祀形態
円墳に追加して祭祀場を設けることで祭祀重視という古来との差別化を図られた
この祭祀場の重要性が高まることで徐々に巻向型古墳から前方後円墳の形式が形作られる
これは鏡などの祭祀器が宝物的価値を持ったものだと認識させる効果を狙ったものだとも考えられる
そしてこの形式を壮大化する場合必要なのが土地の稲作によって培われた開発力
これは軍事動員力とも関連する
被征服者である土地の住民を最大限に駆使することができるというアピールであり、農耕生産量を示すものでもあると思う
そしてもうひとつの要素が埴輪
これは被征服民が盛った土の上に飾り立てるように配置されているが、こうすることで権力者が擁する技術集団と地元農耕民とのヒエラルキーを表しているものではないだろうか
文字がない時代、これらの要素により権力の強大化と革新性を視覚的に認められることが需要であり、記号化されたものが前方後円墳だと言える
そして何故これらがあえて作られ広められたかというと、それは元後進地であった畿内のヤマト王権を正当化かつアピールする必要があったからに他ならない
>>79
重症だなw
学会()とやらが学問じゃなくて政治やってるようだが、
なんだって? >>81
おい、
朝鮮半島にも、
日本の植民地であったと言われる地に「前方後円墳」があるぜw
朝鮮は一番遅れた地域だったのか?w >>82
チョン。
日本はな、オマエの本国と違い、歴史を捏造する必要がないからな。
日本の学会の説は、すべて遺物や遺跡などに基づいて打ち立てるものだよ。 >>79
邪馬台国=天皇家かどうかは知らんけど
神武天皇の東征の神話の話と進行ルートが詳細に残ってるんだよな
あれは作り話とは思えないレベルで
神武天皇は現在の宮崎県をスタートして奈良県の豪族を倒した話になってる
しかも1回目は負けて南に退いてるし
1回負けて逃げたって話にリアリティーを感じる >>83
古墳はある時期から形式化され被征服地域に造られることに意味があったと思われるんだよな
好太王碑以前の朝鮮半島の一部がヤマトによって一時的に支配されていたとしたら、むしろ率先して築造されるべき理念があったのではないかと思う >>84
捏造してないと言うらなまず人類の誕生がアフリカ大陸だったのは認めなさい
そこからどうやって人間が移動したんでしょうか?
赤道直下を海流に乗って船で東に移動してる
どう考えても九州→近畿なんだがな
俺は邪馬台国が九州にあったか近畿にあったのかは分からんけど
人間の移動は100%西から東に移動してます
だから太陽神を神だと崇めてたんじゃね?太陽は東から昇るしさ 佐賀の吉野ヶ里主張を担当する人はかわいそう、、、
お前やれと言われて仕方なく調査してるw
>>87
このチョンは、自分が馬鹿ってことも分からんのだろうな。
(ま、だいたいのチョンのアタマはこのレベルだが)
人類がアフリカから世界各地に拡散したのは、
すべて大陸を地続きに移動したのだよ。
船を使いだしたのは、人類誕生から数百万年も後のこと。 >>90
馬鹿はお前だろ
地続きってその頃は人類が誕生してねーだろがゴミ
地球誕生した時の話と人類誕生後の話を持ってくる馬鹿はお前だろ
恥ずかしいやつだな
言っとくけど俺は邪馬台国が九州だったとは言ってない
神武天皇の東征のスタート地点が宮崎県だと言ってるだけだ
天皇家は九州から近畿を征服してますねってそれだけの話 >>55
まだ皇紀なんて信じてるの? おっくれってるぅ >>42
卑弥呼≒天照大神と言うか卑弥呼時代の出来事の主体を天照に仮託しているんだろうな
卑弥呼が死んだのが3世紀半ば
神武はそれからだいぶ経った子孫だから東征があったとするなら4世紀
国譲りは2世紀でニニギ降臨はその直後で4世紀まで九州時代でそこから畿内に向かったことになる >>91
おい、チョン。
見苦しいから出て来るな。
朝っぱらから「ワタシは馬鹿です」ってアピールしてるのか?
人類が誕生したのは、今から400万年前。
そして東アジアにおいては、1万数千年前まで、日本列島は大陸と地続きであった。(朝鮮半島はもちろん存在していない)
神武が九州の南部から東征したのも、畿内がその時代、一番繁栄していた土地だったからだよ。
北九州ではなかったということだ。 邪馬台国は畿内の何処かに在ったんだろうと思う。
しかしながら卑弥呼は九州の人、、、が俺の推論。
つまり倭国の中心(首都)は畿内に在ったが大陸の窓口(外交の中心)となっていたのは北部九州。
倭国の女王は卑弥呼だが、たぶんこの人は独自の自分の国を持っていない。
各地の国王たちから選ばれし倭国連合の盟主(巫女)だ。
そう考えると中国側の文献との整合性が取れる。
>>93
正確に言うと卑弥呼の墓がUSAにある説。 邪馬台国の九州説って
九州だけで盛り上がってるよね
必ず神話と歴史がごっちゃになってるやつが出てくるんだよな
情報のない時代の事だからそのへんからも無理やりネタ持ってこないと話広がらないけどな
何も知らない素人だけどただ漠然と奈良だろうなぁと思ってる
>>96
本当にお前は馬鹿だなぁ〜
神武天皇がなぜ東征したかとかそんな理由は知らんけど
稲は熱帯植物だぞ
何で九州より寒い近畿で多く収穫できたって話になるんだよ
気候を無視とはどうにもならんな
神武天皇が東征したのは阿蘇山噴火とか桜島噴火でその近辺で生活できなくなったって考える方が自然だろ 卑弥呼の画、つり目で彼奴ら系。
だから邪馬台国と大騒ぎなんだろ。
>>100
皇記2600年とか言うから話がややこしくなるけど
それをまとめたのは聖徳太子時代西暦600年頃にまとめられたからな
しかも宗教的な理由で適当にな
さすがにそんな昔に神武天皇が東征したって話はおかしい
そもそも神武天皇の東征って言ってるけど最初は神武天皇の兄が東征軍の指揮官
近畿地方に入って戦いに負けて南に逃げた時神武天皇の兄は亡くなってる
そこでその敗残軍をまもとまたのが神武天皇 >>35
まあ一度岩戸隠れが有ったのだろうね
それで国が乱れ再度アマテラスに連なるものを立てたと >>49
記述されてる気候がそもそも日本じゃないしなw 邪馬台国は、北部九州を広く支配した領域国家だったわけだが、
起こりの地は、「やまと」の名の通り、山手のクニ、要するに盆地。
力の源泉・筑紫平野を支配できる盆地は、飯塚・田川の盆地か、
日田盆地。平野から盆地への水運を考えると日田盆地が有力。
要衝・大宰府を押さえやすいのは、飯塚・田川の盆地。ただし、
水運は一度海に出ることになるので、どうだろうか。
いずれにせよ、大宰府に軍事・物流の拠点を構えたのは間違いない。
こう言うスレを出すとチョンが朝鮮起源を言い出すから止めた方が良い
そんなことはどーでもええやろ。
2020以降どーするねん。あ?
邪馬台国とは直接関係ないけど、アマテラスはもともと男の太陽神がいて、記紀編纂当時の状況
(皇統を孫に渡す)をなぞらえて、卑弥呼や宗像三女神を参考に女神にしたものと思われる。
邪馬台国奈良説は学問、研究から生み出されたのでは無くて生活の糧として無くては
ならないものだから捨て去る訳にはいかんと言う事くらいは判っているよ。
ロマンがあっていいねえ
魏志倭人伝て三国志の曹丕の頃だよな
>>114
どう考えても無理筋だもんね
末盧國、伊都國、奴国とかが九州の北部に
比定されるのに、邪馬台国だけが近畿に
ワープするんだぜwww
あ!ヤマトだからワープ出来るかwww 7世紀の天皇家からみて神の名を贈られた天皇は3人いるけど
最後の応神天皇が4世紀の人でこの人の登場で天孫族が日本の支配者になったんだろし
畿内が中心になった時期はこの頃からじゃないのかな
まあ、謎の四世紀と呼ばれていて、その頃から古墳の形状が変わっていて騎馬民族に、その前の国は滅ぼされてるという説があるわな
「北部九州の女酋長が魏に朝貢した。それが、魏の文献に残ってた」ってダケなのに
無理に大和朝廷と繋げようと必死になる畿内説
大和朝廷が自分達で編纂した古事記や日本書紀には、全く記述が無いという皮肉な結果w
つまり、魏志倭人伝にある邪馬台国は大和朝廷とは全く関係ないって事
>>113
そうだよ
スサノオが暴れてたんで、岩戸に隠れたの >>119
まあ、神話の形態がおかしいんだよな
その時代に北海道もわかってる
本州、九州、四国、北海道、淡路島 水行十日って九州に着いて更に海渡るんだぜ?
なんで九州北部なんだよ!
九州北部のどこに海か湖があるんだよ
あるのは有明海
俺の予想では九州中部のトンカラリン遺跡があるところ
本来なら陸路で行けるが敵対部族を避けるために有明海を海路で渡って再度上陸して到着する
ここでは日本最古の漢字が刻まれた刀剣が発掘され国宝となっている
まあ、倭人伝という独立したものはなくて、三国志の東夷伝に出てくる
これが魏書と呼ばれていて350年ぐらいにあった魏という国のものであろうと言われていて、三国時代とは異なる時代のものだったかな?
1)箸墓は卑弥呼の墓
奈良県桜井市の箸墓古墳は全長280メートル
の初期の巨大前方後円墳で、卑弥呼の墓との説
もあった。ところが、箸墓の周濠から木製の
輪鐙(わあぶみ=乗馬の時に使用する足掛け)
が出土した。倭人伝によれば、卑弥呼時代は
日本に馬はいない。鐙自体は中国晋王朝時代に
発明され、邪馬台国より時代が新しい。記紀の
記録でも日本で馬の使用は早くても4世紀後半。
畿内説の牙城であった橿原考古学研究所さえ、
箸墓は卑弥呼の墓ではないと言い出しており
(台与の墓とか、台与の後の男王の墓と言って
いる)最近は完全にトーンダウンしている。
畿内説は卑弥呼の墓を新たに見つける必要がある。
>>118
遺伝子の流れからいっても今の日本人はもともと日本列島に住んでたわけじゃなさそうだしね 2)三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡
近畿地方を中心に全国から出土している三角縁
神獣鏡は卑弥呼の鏡と言われ、長らく畿内大和
説の支柱をなしてきた。しかし、三角縁神獣鏡
は日本国内で既に500枚以上も出土している。
卑弥呼が魏王朝よりもらった銅鏡100枚とは
数が全く合わない。しかもこの三角縁鏡は日本
以外から全く出土せず肝心の中国本土での出土
も無し、また鋳型も全く出土せず。三角縁鏡は
卑弥呼の鏡だと大合唱していた畿内派でも最近
は国産説を取る人が多くなっている。
>>119
まあ、オマエの言ってることは、
いつも通りのチョンのヒガミだな。
そもそも、「倭」という国名は、中国王朝が正式に「国家」として認める時に使う「一文字」国家。
しかも、「倭」は、日本を特定するためだけに作られた文字といわれている。
(アホが「矮小」の「矮」と勘違いして、「小さい」という意味があると思ってるようだがw)
そして、驚くべきことは、「魏」と「倭」とは、ペア文字になってるのである。
つまり、「委(ゆだねる)」という字を間にして、右に「鬼(当時は「霊魂」を意味する)」があるのが「魏」
また、左に「人(生きてる人間を意味する)」があるのが「倭」なのである。
これは、「魏」という国は先祖の祀マツりごとを政治の中心においてる国であり、
一方の「倭」とは、生きてる人間を中心において政治をしてる国ということなのである。
(日本に仏教が入る前は、「神道」では死者に政治的意味を与えなかった) スサノオは、皇位継承をアマテラスからのものを正統とするために悪役としてしたてあげられたとも言われてるわな
>>65
元伊勢といわれる日向の大御神社は、
シュメール文字で、刻まれたものあるし、
天照皇大神宮と江戸までいわれていたからな。
創建もわからないほど、古いらしい。 3)混一彊理図(混一彊理歴代国都之図)
世界地図として1402年に朝鮮で作図された
混一彊理図(こんいっきょうりず)では、日本
列島を南北に配置している。このことから、
古代中国では日本を朝鮮半島の南に南北に連な
る列島と誤認し、結果として邪馬台国は畿内
大和が妥当としてきた。ところが、この混一
彊理図はもともと中国での地図に日本から
もたらされた行基図を朝鮮で合成したもので
ある。
最近、別の混一彊理図が長崎県で発見され、
それでは日本列島は東西に配置されている。
従来の混一彊理図は地図のスペースの関係で
日本を南北に配置したのでは、と推測されて
いるのが昨今の状況である。このように、
混一彊理図は畿内説の根拠としては影が薄れ
ている。だいたい、1402年と言えば
邪馬台国から1000年以上も新しい。
邪馬台国から1000年以上も後世の合成地図
で畿内説の根拠とするのは本来ナンセンス。
邪馬台国の記録が中国父さん側の文書でちょこっとってなー
卑弥呼の遺骨も無いんでしょ?
邪馬台国自体神話だろ
>>132
まあ、魏の時代になんかあったんだろうな >>39
論理的にオカシイぞ
玄関口だから鉄鏃が多いに過ぎない、とかw
成田空港に金の延べ棒が埋まってるのかい 糸島市の平原古墳から出土した八咫の鏡も日本製だから、国産でも中国の鏡を似せて作る
技術はしっかりと持っていた訳だ。奈良から大量に出土した銅鏡も春日市で作った仿製鏡に
違いない、奈良のようなクソ田舎から大陸に行くなどあり得ない事
田舎者は田舎者らしく振る舞えば良いんだよ。
>>136
オマエが、ネゴトいうだけのチョンってだけのことだろう。
奈良辺りにある古代遺跡は、大きな遺跡を含め、遺跡総数は数百にもなる。
この数は、日本や東アジアのみならず世界史的にも非常に特別とみなされてる。 >>137
で?
4〜5世紀に作られた遺跡が邪馬台国と何の関係が? 最初は北九州にあって移動したんだろ
奈良の方が長いから墓もあるしいろいろ埋まってるわけだ
これ以外に考えられないだろ
>>135
鉄鏃は、倭人一般の事で邪馬台国とは関係ない
ってのも意味不明だよなw
邪馬台国は倭人じゃ無いんかい!?www >>138
はは、
チョンのアホ頭では、遺跡=古墳らしいなw 北九州は3世紀前からも3世紀以降も沢山古墳はあるんだがの
奈良土人が片田舎なのに3世紀必死で古墳製造に熱中したのは寒々しい纒向遺跡で明らか
心の支えはカエルらしいです
>>140
オマエ、朝っぱらから
日本の掲示板で 「ワタシは劣等民族のチョンです」とアピールしてるのか?w 邪馬台国は北九州の泡沫勢力に記録に過ぎんのよ。
たまたま地の利を活かし、遼東が平定され帯方郡が魏に収まったところで、我先に挨拶に行ったに過ぎない。
3世紀後半にはもう熊襲である狗奴国に滅ぼされてる。
単里を使い、放射読みを駆使して北九州、福岡に比定するという事は、邪馬台国の勢力圏が北九州全域すらカバーされない事の証明でもある。
邪馬台国九州論者の多くは、この辺りで思考停止して根拠なしにメルヘンやファンタジーなラノベ化する。
で?畿内説では卑弥呼の墓はどこなん?
まだ箸墓ニダーって言ってるの?
>>144
チョン。
奈良には,
それよりも数世紀さかのぼる遺跡(古墳に限らない)が大量にあるぜw 一生わかんないけど、勝手にここだと決めつけは出来るよな。歴史は謎だらけで、決めつけた事が間違ってても証明出来ないからね。
>>150
劣等民族のチョン。 日本語も満足にできねえようだな。
桃の種は、「遺跡」じゃなく「遺物」だよ。 覚えておきな。 邪馬台国とは や・ま・だ国 や・ま・だ とは山田
伊勢山田という場所に邪馬台国はあった。
伊勢山田は三重県伊勢市。伊勢神宮のすぐそばだよ
まあ、ここにある魏は、三国志時代の魏だと思うが、魏は、曹操の死後に建国されていて、曹丕が建てた
ここで、なぜ邪馬台国が魏へ朝貢したかが疑問となる
そもそも240年代は公孫氏も高句麗も魏に歯向かい
特に高句麗の東川王というめちゃめちゃな暴れん坊が魏と激突して大騒ぎなんだよ
そんな最も危険な時期にあえて魏を支持すると表明したから卑弥呼の使節は大歓迎されたんだよ
卑弥呼は魏との関係強化で遼東と朝鮮の鉄を何が何でも確保したかったわけよ
日本では全く生産できないのだからのう
.>>154
まあ、朝貢ではないな。普通に手土産持参して訪問しただけのとだよ。 >>155
いやいや、邪馬台国が何らかの被害にあってたと考えるのが妥当だろうな
魏が建国される前に まあ結論ありきの学説だね
朝鮮半島との関わりを主張したい人は九州北部にあったとする説を結論ありきに展開するだろうし
>>156
いやいや、その時代に日本という国の内情を知るわけだからな >>151
だから、おまえらチョンは科学が無理なんだよw
歴史科学では、数億年前の恐竜の生態であってもハッキリと知ることができるんだぜ。 >>160
そういや「恐竜の体表の色が実はカラフル説」はどうなったんだ? >>159
チョンの性情は、
「手土産」もってやって来た友人を、「コイツ、オレの手下になりに来たか」と思うようだなw まあ、中国に魏という国ができたよ、と邪馬台国に知らせたのは誰か?とか
このチョン連呼って何者?www
これが火病って奴?
ちなみに魏はこの公孫氏や高句麗との激闘で軍事的強権体制にシフトし大きく変質して晋に移行するわけだ
東アジアを揺るがす大事件の時期にあえて魏と友誼を結んだ卑弥呼は日本を真に考えた女王だよ
もし魏のバックアップがなければ朝鮮動乱で鉄の輸入が危険になるのだからのう
どう考えても畿内だろ 九州の人はなんでこんなにこだわるの
>>167
で?卑弥呼の墓は何処?
まだ箸墓?www 第一候補が熊本
次点で福岡
あとはどこも大差はないな。
ごめん素人だけど、邪馬台国と畿内王朝王朝が関係ある根拠は何ですか?
>>158
畿内説も当時の朝鮮半島の公孫氏とつながって
鏡や文化を取り入れてたというのが定説だぞ 邪馬台国は、大和国じゃないの?
倭の使者が、国名を聞かれて大和国と答えたのを
その発音から邪馬台国とあてて文章に残した。
日本人にとっては卑弥呼の時代から大和は大和。
日本の資料には邪馬台国の文字は出てこない。
卑弥呼だって日本名ではないから。
王の名前を聞かれた使者が、当時の大和の王にあたる
日巫女って役職名を答えた可能性もある。
卑弥呼の墓なんてあるわけない
卑弥呼はただの巫女だ
霊力が失われればお払い箱
かなり膨らませて諸説あるからな。俺がガキの頃は、邪馬台国は数ある小国のひとつで滅びそうだから支援を求めたと説明してあった。それにかなり善意的な解釈で学校では偽書扱いに近い。
内容はデタラメ取るに足らない。しかし2000年付近になると、真面目に考証する暇人学者だらけになる
>>176
倭地は周旋5,000里
倭人伝は 「倭地は周旋5、000余里」 とする。
この意味は「倭の領域は端から端まで5,00
0余里=400〜500キロ」、である。
仮に邪馬台国が畿内大和であれば、倭人伝は 「倭地は周旋10、0 00余里」 と記載したはずである。
全く畿内大和まで届きませんwww >>179
おい、誰も「卑弥呼の墓」のことを言ってねえぜw >>175
定説だとする根拠なんか持ってないんだろうけど
公孫氏と朝貢関係にあったのなら、何故、公孫氏が出す紀年銘鏡はまったくなくて、
三国呉の紀年銘鏡ばかり出てくるのだろうね? 邪馬台国がどこでも日本の中心は畿内なんだから
なんでそんなにこだわるんだろう 九州の人って
>>178
そのヤマトが山門だという説もあるのよね。それで、山門っていう地名は
全国にあって奈良だけに限らないわけ。 どこにあろうがなかろうが今の時代に関係ないわ
それより腐りきった安倍政府の現状をどうするかが先決
>>178
そう畿内に奈良が九州の地名移植をする前から倭は倭だし邪馬台国は邪馬台国
畿内ヤマトが自分達が外交するようになって漢字文書を学び編纂するようになってから
倭をヤマトなんて当て字で使ってる辺り畿内ヤマトは倭でも邪馬台国でもない >>178
邪馬台国は数行しか記述のない謎国家
しかし、大和朝廷は半島情勢を巡って折衝の多さは限りなし >>181
チョンの寝言だよ。
どこからどこまでが「倭の領域」と誰が決めたのだ?w
逆に、魏がそのように倭の領域を認識していたってことに過ぎんよ。 >>184
いや、チョンがこだわってるだけだよ。
九州に邪馬台国があったとする方が、「やはり朝鮮人が作った国」と捏造しやすいからな。 >>190
魏志倭人伝は、畿内説に不都合な事ばかりwww
涙拭けよwww >>183
当時の鏡を作るのは公孫氏ではなく
彼らは交易で中国国内の鏡を手にいれたからだろうとされてる
特に畿内で見つかる一部の鏡を邪馬台国と結びつけるために
そのように考えられるようになった
がそのルートは実際まだよくわかってない >>20
邪馬台国自体小国の国家連合だからな
その中には半島周辺の島や半島南部の国も含まれてても不思議はない
まだ標準語ができる前だから言語的にも近かったのだろう
近畿地方との繋がりを考えるよりもよほど自然 任那日本府について日韓政府間で凍結状態にしようって話だったからな。これに触れられたくないから魏志倭人伝の話をしてるだけと思うよ
>>192
九州説の人は「大和朝廷と関係ない」なんだから
捏造なんかする必要ないだろwww 日本のど真ん中は名古屋だで!
邪馬台国も名古屋以外有り得ん!
>>190
というか、そんなものは想像上の概数に過ぎず、
一度、二度来た程度でその国の大きさなんかわかるわけがないねw
倭人側でもおそらく自国の大きさはわかってなかっただろう >>178
単純にその通り、それだけの話なんやけど、いろいろヘンテコな理屈を言う人が多いんやで。
3世紀半ばにはもう大和で古墳作ってる 名古屋はないわ 石田君も名古屋はないわって思ったから信長を裏切ったんだろう
立地的に奈良のわけがない。
既に3世紀に連合国として成立した邪馬台連邦が
5世紀鉄も持たない奈良に小国王権国家化し九州平定するとかあるわけねえわ。
大陸からの使者が日本に上陸するのは先ず九州。
吉野ヶ里の規模、北九州の遺物からすれば紀元前より外交ができたのは北九州以外他に無い。
奈良の大和の元になる大倭は邪馬台の監視職の呼称であって国家を示すものではない
>>201
どうやって3世紀半ばってわかるの?
ゴッドハンド? >>178
無いな、それに関連するストーリーや全身入れ墨に関する情報も皆無
卑弥呼=日名御子で男じゃねのって見方もあるくらい >>205
箸墓古墳も3世紀半ばって言ってたけど
実際には5〜6世紀の古墳みたいだしな。 >>198
そこが、チョンがチョンであるユエンだよw
コイツらの妄想歴史では、
朝鮮人が北九州に足がかりを作って、その後に日本を征服したってことにするツモリだろうw >>195
そもそもなんで鏡を下賜したかだよな
別に中原ではそんなに鏡を信仰するわけでもないし
安いもんではないだろうけど春秋戦国時代以降は普通に生産流通してる
だから大量に下賜できたし
女王だから鏡をあげたというのも判らんでもないが女王用としては数が多い
どっちかっつーと既に邪馬台国では鏡を作るなり大陸半島から手に入れていて
邪馬台国は鏡を喜ぶと聞き取りがあっての事じゃねーかなと思うんだがなぁ >>209
魏の官人「オマエラ土人のとこに鏡なんか無かろ?」 >>195
されているのは、具体的に誰がしているの?
それと日本から出てくる238年8月に元号が赤烏と変更された紀年銘鏡が出ているが
公孫氏は237年から魏との交戦が始まり、ついに同じく238年8月には殺され滅亡している
そんな中、どうやって出来たばかりの呉の鏡を入手できたのだろうね?呉の援軍は届いてなかったし
不思議だね〜 >>210
倭人伝自体は全編通して倭国邪馬台国に対して好意的じゃん
皇帝が喜んじゃったとまで書いてある >>204
不思議なもんで、日本から出兵する場合は博多なんかの福岡近辺が拠点化されるケースが多いが
中国との交流となると九州が拠点という説は弱いんだよな >>213
倭には不老不死の薬があるかもしれなかったからな >>209
そこは祭祀に使う必要性から
邪馬台国側が要求したんだろう
鏡自体は紀元前から入って来てたし
当時でもある程度広まってて
使い方も固定されかけてたのかもな >>125
その辺は多種多様で、江南系の遺伝子が多いのは確かだが、それと同じくらいに土着の古い日本人の遺伝子も多い >>215
歓迎された理由はどうあれ
鉄鋤ももう使ってるとある倭人伝の倭に
銅鏡をくれたのは凄い事、これで初めて日本に鏡が来た
って考える日本の認識てちょっとちぐはぐだよな
大国の皇帝権威に下賜されたモノとしての価値はあるだろうけど >>204
やっぱり遺跡の物量が違いすぎる。吉野ケ里みたいな一拠点で奈良と張り合えるとか無理。
九州は田舎で重要な場所ではなかった、かつて栄えたみたいな寓話もない。 >>214
近畿はどちらかといえば
九州の食料受給を補う荘園だったんじゃないのか
そうであれば武装集団を置く必要もなく農耕民は増え、文字文化もなく邪馬台総人口の規模にはなる。
別荘として九州の王が往き来したとすれば、神を祀る儀式も繋がるし古墳を近畿に置き始めた移行理由にもなる >>219
糸島市の遺跡数だけで奈良県の遺跡数より多いからね
奈良なんて空っぽじゃん。 >>155
倭人伝の記述通りなら、邪馬台国は当たり前のように鉄器使ってるのだが?
習俗的には商の文化に近い >>212
三角縁神獣鏡が国産認定されてからは
畿内説の人は代わりを見つけるためにみなそういう主張を始めてるな
後漢や呉の時代に中国南部で製作された鏡が
どうやって畿内にやって来たのかは
まだ研究が浅いので畿内説の人でもよく分かってない >>192
DNA鑑定で日本人のルーツと韓国人のルーツは別ってなってるけどな
チョンとか別にして人類の移動は赤道直下を東に移動してる
俺は九州で定着した人間が朝鮮半島に渡って作ったのが任那日本府
神武天皇の東征で近畿を征服したのが天皇家ってだけだと思うけどな
邪馬台国=天皇家かどうかは証拠が無いから知らん
天皇家が九州の宮崎県から始まったのは神話に書いてあるし
神武天皇の侵攻ルートが詳細すぎて全部嘘とは思えない
その証拠が最初負けて熊野に逃げてるしそこで神武天皇の兄が亡くなってる
全部創作ならわざわざ負けて兄が殺されたって話まで無いだろうと思う >>188
魏志倭人伝では伊都国の説明に終始しているね
邪馬台国はメインテーマじゃない。 >>220
磐井の乱が典型に見えてしまうんだよな。気持ちは王のつもりだが小部族の集まりに過ぎず中央政権に踏み潰されると。
それを島津の時までやってたと思うよ。日本の文化は中国地方から近畿へつながり九州はあまり重要ではなかった、菅原公が
無念だったように永遠の僻地だったと思うよ >>184
日本の中心は畿内だろうが、それが邪馬台国ではないだろ
邪馬台国より東、海を渡った先に別の国が有るって書いてるし
畿内の東に海?? 邪馬台国は満州南部〜関東州にあった。
あそこを取りに行ったのはそういう理由。
>>228
まあ、別の国というのは、鳥取にあった、なんていう国だったかな?のことだろうと >>228
普通に考えたら九州に大きな勢力があったんだよ
邪馬台国かどうかは知らんけど九州のその勢力が神武天皇の東征で近畿地方を征服してる
どんな理由で神武天皇が東征したのか知らんけど実際勝ってるんだから
邪馬台国が畿内にあったとしても雑魚国だから気にしなくて問題無い
勝ったのは九州にあった天皇家の神武天皇だから 日本史にも顕教と密教がある。
天皇と軍部はそういうところを押さえたうえで動いている。
傍から見たら荒唐無稽なインド洋への海軍展開や
インパール作戦にもちゃんと意味があった。
>>219
じゃあ石器時代、縄文時代、弥生、古墳と継続的に群落遺跡が出て発展が見える地域ならええんか?
いきなり古墳が湧くような奈良よか継続的な社会や古墳もあったような所はそれなりにあるぞ
イチオシは富山だな姫川から流離した翡翠が海岸で採取できてそれが全国に古代から拡散してるし
様々な土器形質が混在して古墳も様々にあり
然程用事もなければ人が行かないだろう北陸の端っこにも関わらず文化の拡散流入の多さが見える
次点でのそれを西に中継する能登半島周辺、石川、福井 卑弥呼は倭国大乱の調停者だし
中国大陸にその威を頼らないとダメなほど
倭国内が荒ぶってたんだろ
>>209
そもそも、卑弥呼は、もう鏡を持ってたと考えられてるわな 呉の孫権が台湾、日本に兵を出して陸遜が反対してたって記述があるからな
台湾から石垣島まで現在船で40分の距離
普通に考えたら台湾、沖縄、、鹿児島のルートで稲作が広まったと考えるよな
ちなみに稲作が入って来たのは春秋戦国時代の呉、越が楚に滅ぼされた時に
奴隷にされるのが嫌で台湾、沖縄に逃げて来たと考えるべきだけどな
>>227
その磐井の乱でヤマト王は逃げちゃったから福井の気骨ある出雲文化圏で王様やってた
親戚連れてきて天皇やってもらったんだけどな
ヤマトはそういう立ち位置だったんだろうな 魏の使者が訪れた場所というなら間違いなく九州だろうな。
ただ、その時代には畿内に支配的な王権があって九州もその傘下だったと考えるのが自然かもしれない。
日本の首都は東京で国会も皇居も東京にあるが、外国人が九州に来ただけでも日本に上陸したことにはなるからな。
倭人伝は途中から伝聞調になるから、魏の使者は直接卑弥呼に会ってない可能性もあると思う。
そう、出雲、出雲
朝鮮半島に近かったから国があったともみられてるが、瀬戸内海で大きな天災があって、裏日本に逃げたという説もあるわな
吉野ヶ里遺跡は女王国ではない
伊都国と奴国も女王国でない
つまり女王国は北部九州ではない
もっと南にあるのだ
>>235
そうした根拠もないから困ってる。すべて本の中の話
金印くらいだろ証拠らしいものは、あれも偽物かもしれんが >>232
大嘘だな。戦闘では神武の軍勢は河内でぼろ負けしてるけど?
更に紀伊半島から回って吉野で全滅。
奈良の戦闘話だって単なる内紛だから
奈良盆地には戦闘の痕跡が何もない。
実際は婿養子として迎えられた話を
盛ってるだけだよ。 >>244
風が吹いてな
やはり気象的な知識があったとは考えられるわな そもそもこの3世紀の前半、非常に運の悪いことに東アジア北部の最大の鉄産地は、中国東北部なんだよ
遼東はその輸出元だからここを押さえる公孫氏が魏に反乱すれば当然大事件になる
そればかりかその横の吉林省・北朝鮮にいる高句麗までも反乱しやがって
結局、最大の鉄産地である中国東北部から楽浪から加羅、対馬、博多に至る鉄(鉄塊)の輸入経路の最初の半分が激戦地になってしまったと
だから慌てて楽浪を占める魏に友誼を願ったわけだよ
最大の戦略貿易品である鉄を見れば全く当然の話しである
>>234
古代は丹山、水銀朱の方が鉄なんかより遥かに価値が高いだろ。
だからわざわざ丹山かあると倭人伝にも記述がある。
三輪山一帯から伊勢辺りの山中は水銀朱鉱山があるから権力者が集中している。 >>40
大和朝廷も7世紀の白村江の戦いでの敗北まで
朝鮮半島との通商路というか制海権の維持は重要視して何度も出兵しているよな。 >>246
いやいや、出雲が鉄の産地だったらしいんだよ >>241
魏志倭人伝の内容の大半が伊都国の説明だから
伊都国が女王卑弥呼の都でしょ。 >>248
いやいや、ただ土地があったんで攻めてたんだろうが 結局、中国の歴史書とか記紀とかを合わせて考えて、ほぼ確実に西暦で示せるのは継体天皇あたりまで
遡れるのかな?
>>250
だったらそう書くだろ、伊都が女王の都なんて記述は勿論ない。あるのは男王の国としか書いた資料はない。 >>247
四国に水銀がとれるところがあって、佐伯一族が管轄してて、空海は佐伯一族の出だったかな?
でも、当たらし目の歴史だわな
古代史からすると >>243
書き間違いだとは思うけど一応突っ込んでおくけど
出土したとされる金印は「漢委奴国王」印であって
卑弥呼が貰ったとされる「親魏倭王」印は見つかってない。 邪馬台国は狗奴国(熊襲)熊本菊池あたりの勢力に滅ぼされて
九州南部勢力が東征して畿内へ入ったってのがおおまかな流れでしょ
邪馬台国は筑紫エリア 八女あたり
滅ぼされた国の女王の墓が無傷であるわけもなく
幻になってしまった
九州で発達してるエリアなんて地形的にも博多以外は久留米あたりしかない
>>95
だとすれば大和朝廷はどこまで邪馬台国のこと知ってるんだろうね。
日本書紀の神功皇后の章で補足説明として中国文献には朝貢した倭国の女王がいると書かれてて
日本書紀の編纂チームは魏志倭人伝も読んでて邪馬台国と卑弥呼のことも知ってるのは明らか。
なのだが中国文献に出るので名だけ知ってるだけで実態は知らないのか、
それとも大和朝廷の成立過程に邪馬台国が絡んでるところまで知ったらうえで意図的に隠したのか? 神武東征は西日本の地盤を固めたい大和王権の作り話
権威を得たいからすごく昔から王族は日本の代表であったことにしたけど
最初の王は10代崇神天皇
>>178
倭人伝に書かれた習俗が大和と全く違う
大和地方の出土品とも合わない
当時は邪馬壹をやまたいと読んでいない 色んなクニが混在する合衆国のような倭(ヤマト)国があって盟主をやるクニを都度決めていた
倭人伝の時代は卑弥呼のクニ邪馬台国(ヤマト)がそれをしていたその中に現ヤマト王のクニもあった
狩猟採取と山の斜面を利用した棚田のような稲作を中心とした時代
バカデカイ奈良湖に領土を専有されてる奈良盆地に居を構えるヤマトが盟主となれるようなアドバンテージは無い
しかし、3世紀以降奈良盆地のど真ん中にあった奈良湖は縮小して行く
自然変化だけじゃなく周辺から人為的に灌漑を行ったりもあるだろう
それにより普通の平地なら数千年単位の巨木が生え茂っている中で伐採開拓の必要のない取水、排水しやすく開墾しやすい土地が手に入る
平地での稲作を確立していった現ヤマトはその糧食を元に勢力を拡大していき勃興する事で
倭合衆国において盟主と言える地位に付いたこれが3世紀後半から4世紀
国力を付けつつ周辺から盟主と認められるには手柄が必要でそれが景行天皇やヤマトタケルの九州行幸熊襲征伐
九州の女王等と会見をしながら倭合衆国の軍事同盟として熊襲征伐に赴いた事が記紀からも伺える
熊襲征伐後景行天皇が読んだ
やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる やまとしうるはし
これは故郷奈良大和を読んだとされるが倭(ヤマト)の一員として乱を納めた誠実な愛国心が伺える歌とも言える
>>247
丹は中央構造線に沿って出るんだよこれは九州が西端
もしかしたらそれに沿って神武は東に丹を取りにエンヤコラと伊勢まで行ったのかもな >>258
自女王國以北 其戸數道里可得略載
其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳
百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有
對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇
奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次
有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟
國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
女王国より北、(国名)奴国が女王国の境界である
奴国は福岡市那珂川辺りなので
絶対に邪馬台国が畿内大和はあり得んなwww >>250
東南へ陸行、五百里。伊都国に到る。千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属する
南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。七万余戸ばかり
これだけはっきり書かれてそれは苦しい 倭人伝では、邪馬台国=倭国で、その中に女王国が入るとされているのでは…。
>>73
まあ仮に半島だったとしても今の韓国には全く関係ない話だけどな >>268
女王国が邪馬台国だよ
帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で北岸の狗邪韓国(こやかんこく)に到着する。
狗邪韓国ですら倭国の北岸そこから対馬 >>271
別に国の中に国があるのは普通
中国でも地方をの号を国としてたりするし
日本でも江戸時代までは藩の自治領を国と言ってただろ
合衆国制が長いんだよ日本は それは269への反応。
倭人伝については反省して再読中w
>>266
別に一例に各国が並んでいる訳ではない。
戸数を考慮すればどうみても畿内しかあり得ないないだろw >>260
知った上で意図的に隠してるんじゃないかな
神功皇后なんてモロに創作臭い逸話の注釈に邪馬台国のことを書く事自体両者を結びつけたい意図が伝わる
そもそも大和朝廷が邪馬台国が関連あるとしたら直接的な記録が残っていたはず
外国への使者を派遣するにあたって何の文書も残さないわけはないし、当然新書も用意したと思うから当時から漢字を使った記録があると考えるのが自然
しかし国内で現在残っているのが7世紀の記紀からだというのは甚だ不自然
それ以前の記録をあえて抹消したのだろう
なぜ抹消したのか?
その答えは大和朝廷と邪馬台国は直接の関係がないから
直接関係があれば古い記録も抹消せず堂々と邪馬台国の後継者を主張するはず
それをしないのは直接の関係がないから
具体的には大和朝廷は邪馬台国の臣下、それも僻地の小国の末裔だと思う
それが邪馬台国が大乱で勢力が弱まったのちに台頭してきた、または裏切って主導権を握った
邪馬台国の記録がすべて消えたのはそこに大和朝廷の前身が臣下であった証拠があったからだろう >>266
遠くて詳細がわからないとされるその邪馬台国連合の構成国、個人的には九州北部の内陸部や佐賀平野、有明海の方だと思う。
というのは邪馬台国へ行程で人口もリーダーの名も書かれる国は女王国の北との記述。
倭人伝が日本の地理を傾いて認識しているため対馬、壱岐、伊都国、邪馬台国は南北の関係と読めるが実方向は北西南東の関係。
だから邪馬台国は大分。
倭人伝の行程は海まわりで大分まで行くルートだから九州内陸部や有明海側の情報は入りにくい。 >>274
戸数は誰が数えたの
そういうふうに聞いたってだけだろ
方角は自分が歩いたんならわかる
方角を無視して、戸数を信じないと成立しない説 纒向遺跡はやはり宗教施設のような感じだな。
土木用具、残飯、桃の種、カエルの骨、と出てきて何を想像する?
>>274
7万戸って30〜40万人?
流石に此れは多すぎてリアリティないわ
平安京ですら10万ちょいの時代だよ
多分見聞のみで中国の事例から想像で推測したとか程度のものに過ぎないんじゃないかと >>275
まぁ古事記って名前が示すとおり編纂時ですら正しく話が伝わってないというのもあるだろう
日本書紀ですら倭人伝を注釈に引いて解釈、異説合わせなんて俺たちみたいな事してんだからw 魏志倭人伝には「邪馬台国」という言葉は書かれていない
魏志倭人伝に書かれているのは「邪馬壱國」(壱は一の旧字体)
それを江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで
邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
「邪」「馬」は東夷に使うのにふさわしい文字だが
臺(台)は玉座などを意味し、野蛮人に使うにはふさわしくない
魏志倭人伝には「壱」「臺」と言う文字が数十か所使われているが
他に誤用されている場所はない
昔、古田武彦の「邪馬台国は無かった」という文章で読んだ
>>274
当時の畿内でその戸数は絶対無理だろ
河内も大和も可住地域はまだかなり少なかった時代なのに
どこにそんな戸数を当てはめるんだよ >>280
記紀にも、倭人伝を参照したと受け取れるような記述があるという話であり、魏志曰く〜と書いてあるわけではない。 隋唐書で古の倭は今の日本とは別国で筑紫の小国であると断じたのは
五経博士や仏教僧に学び、三国志東夷伝倭人条を読んだ聖徳太子である。
聖徳太子は三国志、邪馬台国に関しては九州説の起源、
というより、王権を行使した解釈での、邪馬台国九州宣言の 当事者なのである。
この古の倭は、倭の五王の400年までに、半島を含んだ統一が為され、
313年韓四郡撤退、対高句麗戦争、350年百済新羅の建国、
という富国強兵を為し日本はこの間に、牛馬の移入と鉄の国内生産に成功している。
太子の600年当時は隋唐の成立で、任那割譲以降日本は半島利権の撤収に向かっている。
663年の白村江百済復興というのは、皇子など人質貴族や在日半島人の送還に海軍を付けた。
基本的には、日本豪族による半島投資の引き上げを目的としたものであり、
これには唐も納得し天智天皇時代には、捕虜の返還による戦後処理を実行した。
開国派たった聖徳太子の遣唐使外交から、白村江の百済復興は百済王の逃亡で敗戦であっても
天智天皇の遣唐使外交は、古代の対馬での日本固有国境の成立で政治的に成功している。
これが歴史の真実であり、邪馬台国が九州なのは倭人伝の記述 ママ なのである。
邪馬台国論争の間抜けっぷりには呆れてモノも言えない。
というか、相手にするほど馬鹿にはなれない。
>>275
東征は史実の反映で決してウソじゃない説は有力だね。
神武は日向出身で邪馬台国でも狗奴国でもなく第三の九州勢力とされてるんだよな。
ところがアマテラスは完全に卑弥呼のイメージなんだよな。
自分たちの権威づけにかつての女王の実態を反映させた?
だとしたらそなたの推測みたいに邪馬台国の影響下にあった小国というのは整合性がある。 >>279
戸数はほぼ確実に盛られてるよ。
今の佐賀市全体でも10万世帯23万人しかいない。
吉野ケ里は佐賀市ではなく佐賀県吉野ヶ里町だが、そんな小さなエリアに、今の佐賀市並みが居たという無茶苦茶な設定になる。 狗邪韓国今の朝鮮半島の一部も倭国だったなんて
今の韓国の歴史で教えてるんだろうか
>>286
アマテラスの何が卑弥呼のイメージなのか?
別に卑弥呼は岩戸に隠れたなんて記述もない。
占いオババで人前に出ず、弟が一人居ただけ。
卑弥呼のアマテラス説は、はじめからフィルタがかかってるからそう見える程度のものよ? 今さっき虎ノ門ニュース見てたら武田邦彦先生がこの話してた
最近の研究で人間のDNAだけじゃ無く稲のDNA鑑定も進んでる
100%日本の稲は朝鮮半島経由じゃないのがDNAから証明されたって言ってた
どこの研究機関なのか気になるなw
これが事実なら朝鮮半島から日本に稲が伝来したって日本の教科書は嘘を書いてるとも指摘
戸数はほぼ正確な数字だよ
方角は当時の技術では無理
実際にほとんどの記載が間違ってるからね
狗古智卑狗
「菊池彦」に通じるとし熊本県菊池郡との関連を指摘する説がある(倭名類聚抄には「菊池」と書いて「久々知(くくち)」
近畿のでる幕はないな
>>291
そもそもだが朝鮮半島で稲が育つわけがない >>279
近畿地方一帯が広義のヤマト国だろうな
筑紫平野より広い範囲に共通の文化圏ができている
まあ戸数は盛られてる可能性はあるが
>>292
方角は原始人でもわかるだろw
ゆとりかよw >>291
昔から植物としての稲の伝来はそうだと分かってたけど
いくつかの栽培方法に関しては同じ道具が見つかってるので
これが朝鮮半島経由なのはどうやっても覆せない 3世紀 倭国を治めたとされる邪馬台国
4世紀 畿内大古墳
7世紀 畿内中央集権
8世紀 大宝律令で九州から関東まで畿内勢力が及ぶ
重箱の隅突いた
文字の解釈なんかでは圧倒的な史実は覆らんよ
邪馬台国は神武天皇以前の存在で卑弥呼死去の後の大乱がおさまった後に神武天皇が東遷して奈良に至ったんだろ
JR西は新幹線延伸を取り止めろ
九州旅行など行く必要はない
>>292
戸数が正確なら九州説が吹っ飛ぶ
国等は九州に当てはめる事が可能だから九州説の補強材料に出来るが戸数は距離等と同じく不正確と言う事にしないと駄目
by九州ロマン派 >>296
倭国内の方角については実際にほとんどの記載が間違ってるのに、
オレ様の先入観をごり押ししても無意味 弥生時代を通して唐古・鍵があるし、河内、近江、紀伊とかと大交易してるし、
僻地って決めつけるのはどいうかな、奈良をw
>>291
九州説論者が狂い始めるのが稲作の話し。
何故か稲作は九州以外では行われていなかったと頑なに信じる。
現代人は稲作が南方から伝来したことを知ってるし、縄文時代晩期には日本で稲作が始まってる事を知ってる。
縄文時代晩期と言うのは2800年ほど前。紀元前10〜9世紀の話し。
そこから1300年程、稲作は九州で門外不出だっとかあり得ん。
少なくともADが始まる頃には、日本中に伝播してたろうさ。
古代日本の文化レベルを物凄く低く誤解しすぎるのが、九州論者に多い欠点。
俺も邪馬台国は九州だったとは思うが、イマイチ思想的に賛成できないやつが多い。 >>299
GoogleEarthで巡る天皇陵
100代にも渡る
畿内の朝廷の歴史を顧みず
なんかちょっとした記述だけで
歴史を弄ろうとする感じしかしない >>278
一番大きな機能は倉庫と市場だったはず
祭祀の名のもとにここに流通拠点が築かれた
「大市」と墨書きされた土器も出土してるしね
経済活動が行われていたんだよ >>301
畿内説が吹っ飛ぶんだよ
当時の遺跡の分布の研究から畿内と大和は可住部が少なかったことが
分かってるので100%無理 結論から言うといわゆる邪馬台国などという国家は何処にも存在しなかった
当時の調査員がカラ出張をごまかすためにでっちあげた嘘である
日本列島のどこかが想定されているようだが行程の記述がおかしいのはそのせい
そんないい加減な調査報告をかの陳寿がよく裏も取らずに真に受けて採用してしまった
ついに東夷伝における邪馬台国のくだりは信用ある公的文書としてお墨付きを得てしまい
後々の世まで続いてやまない混沌とした論争の種となってしまった
文献至上主義の弊害である
だが文献を尊重するならばその内容も尊重するべきである
行程の不自然さを誤記であるとばっさり斬って捨てるのはいかがなものか
また行程の一部が誤記だと断ずるならばその他の作文もおおいに疑わしいと言わざるをえない
女王国の以北にある、狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国と投馬国、邪馬台国の他に、
遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、
蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国が記録されている。
また、南の狗奴国の男王卑弥弓呼とは不和との記録もある。
南の狗奴国より以南は国名さえも記述されていない
交戦ばかりでまともな交流がなかったから
それに引き換え
遠くに在って国名だけしか分からない国は佐賀や長崎 福岡東部や南部など
女王国の周辺の境界にある国が記述されている
中国地方や四国 近畿とはまた別の王朝だったのはこれだけでわかる
中国地方から朝鮮ルートいくならその港
近畿なら福井から船で韓国に行っただろう
記紀を信じるなら、崇神が戸数調査をしたとあるからね
当時、方角をはかるのは半日さぎょう
>>289
アマテラス=太陽女神
は卑弥呼=日巫女=太陽を拝む巫女王
というイメージと合致する
さらに天の岩戸事件は、卑弥呼の死の暗示
それによって後を継いだ男王の時に国が再び乱れたという歴史の暗示
岩戸から再びアマテラスが現れたという逸話は
壱与が再び女王として後を継いだことによって混乱が収まった事の暗示、と言える 九州説とか近畿説とか争いめんどくせーから、間とって出雲説でいいじゃん。
>>1
>一万二千里と水行十日・陸行一月というのは同じである
これは前々から思ってた
帯方郡から邪馬台国までの行程は「距離」で説明されてるのに、途中から「日数」に変わることに違和感があった
一万二千里=全行程の距離
水行十日・陸行一月=それにかかった日数
と考えるとスッキリする
>>18
投馬国の水行二十日も「ある所」から投馬国までの全行程の日数
と考えると理解しやすい >>297
道具も日本から朝鮮では?
朝鮮から日本の証拠あるの? >>312
方角なんて太陽確認するだけの作業だぞ
曇りや雨や夜を除けば確かに半日作業とはいえるがな 邪馬台国が九州だとしたら
邪馬台国が畿内の勢力に吸収されたこと
九州自体が畿内の律令に従ったこと
これが記されたものが見つからないといけない
大異変だからな
無いなら太古から中央は畿内だったということ
> 北郷泰道さんは「(『魏志倭人伝』の記述にある)一万二千里と水行十日・陸行一月というのは同じである、
> そうすると北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれることになる」と考察を述べていました。
考古学者がなんで文献を根拠にしてんだよw
発掘しろw
魏志倭人伝の邪馬台国の風俗の記述は南方的だから九州説押しだったが
卑弥呼架空説もあるんだよね
実は邪馬台国の風俗の記述は中国以外の野蛮国の雑多な情報を適当にあわせたもので
実態を反映していない可能性もある
>>223
すべてが国産認定されたとは初めて聞いたが、誰が認定したんだ?それも一つの仮説というだけだろうに
それはともかく、鏡というのは当時においては宝器だ
ましてや紀年銘鏡は外交関係においてはいってきた可能性が高い
赤烏元年は卑弥呼が魏に朝貢した年(景初2年)にあたる(ここでは2年か3年かの議論はおいておく)
もし女王国が北部九州であるのなら、この鏡はどうやって入ってきたと言えるだろうか?
また、何故九州から出てこないのか?(将来出てくる可能性はありえるが)
そう考えれば、既に公孫氏が滅亡したあとの赤烏七年鏡の存在も含め、公孫氏と倭国の間に冊封関係
などなかったと言えるのではないか? 呉と倭国とくに畿内との独自の外国ルート(遠距離になるので、
そう頻繁ではなかっただろうが)はありえたのではないか?ということだよ
つまり女王国は畿内ではなかった可能性があるということだな >>306
なにが言いたいのかさっぱりわからない。
神武は初代ですぐに畿内に都を移した人なんだが。 >>319
邪馬台国がどうなったかなんて何もわからないのに
勝手に大異変の歴史を決めてつけて、それが記録されてないから間違いだって電波か >>314
どこの世界でもゼウスとかラーとか最高神にして太陽神は男性なのになぜ日本だけ女神なのか?
実はもとは日本でも最高神は男神で、日本書紀を編んだ当時の女帝である持統天皇に忖度して
伝説を歪めたのでは?という説もある 卑弥呼が女王の時代は狗奴国と戦争真っ最中だが纏向遺跡から出土したのは関東から
瀬戸内にかけての土器、犬の骨、桃の種などで武器などは出土していない
吉野ヶ里遺跡の甕棺墓からは矢が刺さったままの遺骨や首が無い遺骨が出土している
吉野ヶ里が邪馬台国とは断定出来んが邪馬台国の同盟国であった事は間違いないし
平和そのものの纏向遺跡は邪馬台国とは無関係。まだ遺跡が出土してはいないが
久留米〜八女にかけての地域が邪馬台国に最も相応しい、卑弥呼の墓は高良山の
麓にある祇園山古墳だな殉葬跡もあるから間違いない。
>>319
その当時の大和側の史料が何もないからな
大和が邪馬台国だったら大陸と交易した記録くらいあるだろ
少なくとも文書をやりとりしたわけだし 九州が邪魔だから出雲日本海ルートができたんじゃね?
記述の内容はどうみても九州だろうよ。
つまり九州まで行ったがそこを大和と勘違いした。それだけ。
>>322
ただ、弓の記述について上が長く、下が短い(和弓の特徴と一致。当時の中国の弓は上下対称)やら
親子兄弟は別の部屋で寝起きする(縦穴式住居に、中央の穴から花弁のように部屋があるものが見つかってる)等
現地に行かないと判らない風俗も記載されてるし
中国南部の風俗と混じっている可能性もあるが
全くのでたらめでもないと思 >>322
南方的というより海の民の特徴
これは海人族由来の特徴なので畿内でも北九州でも不思議はないんだなこれが
稲作弥生民は土地から離れられないけど、海人族は軍事や貿易を担うことで国家的権力を得ることができたからな
その後大陸との交流て野蛮な文化が消え高貴さの概念が変わったものと推測されるな 九州が本当に国家として一大勢力を築いてたなら
その勢力の大きさを表す痕跡が無さすぎるんだよ
そしてほぼ瞬間的にその勢力が畿内に移らないと
その後の日本史が説明がつかない
九州が大陸と交易をしてたのなら
そのことも伝わるだろうしな
その違和感をもっと持つべきだね
>>322
そこまで疑うと行程も適当に作ったんじゃないか?と疑わなきゃな
風俗が適当というとこは実のところ行って記録してない=行ってないかもしれない=行程も捏造 >>319
景行天皇、もしくは日本武尊が九州征伐をやってる訳だが
その後、仲哀天皇や神功皇后も九州征伐をやってる >>335
邪馬台国=畿内
というのは変わらんが
記録自体は九州の人にちょっと聞いたぐらいだと思うw >>329
山陰では吉野ケ里産の銅鐸が見つかるなど
九州とのつながりは強いのでそれは考えにくいな
畿内は丹波ルートでの交易が想定されてるぐらいで
出雲は古墳時代までは畿内や九州と同等の交易関係にあったと思われる >>329
それを支持する
大和と邪馬台国は別勢力だったので大和勢力は大陸との交流に日本海ルートを使った
日本海ルートを押さえるために出雲の国譲り神話が生まれた ここで女王というものを考えてみる
現代の先入感でいうと女王ってのは神秘的で特殊なイメージだが
日本の習俗的には女王が当たり前とも考えられる
皇統や一部周辺氏族を除くと(これも後世の価値観で上書きされてる可能性もあるが)
日本の婚姻は「妻問婚」、女は生家にあって旦那がやってきて求婚し子を為し財産は妻から子へ渡される
つまり領や金を預かるのは常に女で男子は良家の女子を口説いて
氏族同士の友好、連携を持って版図を拡大するというフィクサーの役割を常にする事になる
自然が未整備な古代では食料調達、外交、争いで男なんか簡単にポックリ逝ってしまうリスクが遥かに高い訳だから
これは合理的な事だったし平安貴族文化のヨバイ等に至るまでそれは続いているし
平安時代も3日男が通って問題なければ婚姻成立というような婚姻方式だった
となると奈良こそ日本の不動の中心!男系男子!万世一系!を掲げ
文書としてそれを裏付けてる近畿ヤマトは女王国の候補から外さざるを得ないという事になる残念だったね
箸墓と纏向遺跡が非常に重要な場所にあることがわかる動画。
箸墓と纏向遺跡は、第10代崇神天皇陵と第12代景行天皇陵の近くだよ。
これは物的証拠なので非常に重要なことです。
・箸墓は「四段築成」
・天皇陵は「三段築成」
この動画に映ってるすべての天皇陵よりも格上の形状をしているのが箸墓。
当時の人々は箸墓に眠る女性は、天皇より偉いと思っていたことは間違いないのです。。 >>311
まあ、いずれも、音に卑しい漢字を宛てられたとしか見えないわな >>336
大和朝廷は九州への遠征繰り返しているよね。
なのに天皇家は日向国出身で東征して建国した。
大和国の先行勢力に戦をして勝った後発勢力だと明言している。 今まで神武天皇の実存を唱えてる人たちって
神武天皇は始皇帝みたいに古代の日本を統一した最初の王で
それ以来ずっと天皇が支配してきたって言ってるのかと思ったけど
天皇の遠い祖先が九州の端の方で馬小屋王子みたいに誕生したのを
神武天皇って言ってるんだね
それってさすがにひどすぎだと思うけど
>>314
卑弥呼はそもそも巫女ではないんだがな。
鬼道を用いる呪術師や占いオババ。
仮に巫女だとしても、神と神に仕える側では全く別物。
岩戸隠れが死の暗示までいけば立派に創作。
こじつけようとすればどうにでも繋げられる。 そもそもそのくらいの時代で九州以外厳しい
徐福ですら九州なんだからその辺りでしかない
>>336
記紀では反乱を起こしたから鎮圧したことになってるが
初めて行ったような記述で、そもそも支配なんかしてないっぽい
このときにやっと九州を征服したのを元から領土だったことのようにしたんじゃないの 遺跡の発掘から判明した伊都国王と奴国王の年表
紀元前2世紀 奴国の吉武高木遺跡
紀元前2〜1世紀 奴国の須玖岡本遺跡 ←金印「漢委奴国王」を授かった王の時代
2〜3世紀 衰退時期 ←邪馬台国ではない証拠
紀元前1世紀 伊都国の三雲南小路遺跡
1〜2世紀 伊都国の井原鑓溝遺跡 ←この時期に、伊都国が漢鏡流通の核としての機能停止し、倭国の中心都市では無くなったことが判明
2〜3世紀 伊都国の平原遺跡
2〜3世紀 衰退時期 ←邪馬台国ではない証拠
※『日本書紀』によると伊都国の王は、仲哀天皇の時代(4世紀頃)に完全に家来になった ←伊都国王家滅亡
>>304
いやいや、今みたいに寒冷地には、たえられなかったんだよ
徐々に品種改良して北へ
だろうな >>344
だって奈良に入ってやっと都建てたって公文書で書いてんだもん
先祖が神様なのは日本の氏族大体そうだし >>337
熊襲は、大和と敵対してた熊本だろ。
筑紫と伊都は大和の味方 >>344
神武実在説あるよね。大和国葛城地方の一村長にすぎず、卑弥呼時代の崇神天皇時代に大和国の王になって各地への進出を始めたという。
東征は九州出身の小国で王になれなかった王子が家出したとかもっとスケールの小さな話だったりしてな。 >>343
個人的には、神武天皇は紀元前から紀元後、丁度イエスあたりの頃の人で
九州から畿内に入植したのではないか、なんて思ったりする
その後特に何もなく8代続いた後(欠史8代は、畿内で豪族やってただけだから書く事が無かったんだろう)
10代崇神あたりから四方に勢力を伸ばしだし
12代景行で御先祖の土地(九州)に征伐かつ里帰り?したのでは、なんて思ったりもする 中国に近くて製鉄技術あるんだろ
九州で決まりじゃん製鐵技術を持った国同士で連合組んで戦争終わり
>>350
天皇家のみならず大和朝廷を支えた有力豪族もまた神の子孫とされてるよな。 >>353
まあ、稲作がMAXの時代だから、そう考えたんだろうが 纏向遺跡は倭の大王の都
邪馬台国は倭王を僭称した僭王の都で九州のどこかにある
つうか、九州から半島にわたるには2つルートがあるし、
九州以外からだと出雲から。
あとは出雲は幻といってたら荒神谷とか加茂岩倉からザックザク。
いろいろ古代史は動的。
>>347
景行記だと、山口まで景行天皇が来たら、筑紫の女首長がやってきて
九州を征伐してください、みたいに頼みに来るしね
んで九州に行ってあちこちの首長を滅ぼしてるし
景行が行くまでの九州は、まつろわぬ民だったと思う
その後の仲哀の時も、異説では合戦して怪我で死んだ話もあるし
嫁の神功皇后は在地の田油津媛を滅ぼしてるし
九州はヤマト政権からみたら、攻める対象だった気はする >>353
こちら352だがずばり同じこと言ってるな。 >>353
ちゃんと中を確認してから断言すべきだよ。 >>344
神武は実在
「漢委奴国王」が神武天皇。証拠もある。
・日本で編纂された『新撰姓氏録』には神武天皇の兄である稲飯命は新羅王の祖であると書かれている。
・『新羅本記』によると西暦57年に倭人の脱解尼師今が新羅王の祖になった。
・西暦57年、倭奴国王が金印を授かった。
※西暦57年に神武が初代天皇になり、神武の兄が新羅王の祖になった。
『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
昔氏の始祖が、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。 >>363
それで九州は女リーダーの国が多数出てくるんだよな。
そのタブラツ姫が邪馬台国系の国の後継勢力ともされるよね。
また倭人伝で知られるように伊都国が降伏したとあって日中の資料で裏付けとれてるし。 纏向の大王は呉とつるんでいたので、僭王卑弥呼は対抗して魏と通じた
魏の後継国家である西晋が中国を統一したので
僭王卑弥呼の記録だけが残った
>>368
初めて金印をもらった倭王を
初代天皇扱いしたっていうのは納得がいくわ >>353
欠史八代は日本書紀編纂時に少なくとも名前の確認が取れた大王なだけで、実際にはもっといっぱいいた可能性もある。
日本書紀編纂は、記紀以前の記録が焼けたり散逸したりしだしたので一つにまとめなさいという詔で始まってる。
記紀以前の記録はもう既に散逸しまっているが、旧辞、帝紀、天皇記の3つと、各豪族の記録があった。
物部氏が屋敷を焼いて、記録が消失したのが、大きなきっかけと考えられる。 >>363
力付けてきて倭国の幕府、将軍みたいに命を受けて働いてたのを
後から主体的にやった事にしただけだよ
勿論その働きを他の同盟国に認められて倭国の宗主国として成立して
ヤマトの名前を首都だった九州の地名ごと奈良に襲名するんだろうけど >>369
箸墓と関係性が深い黒塚古墳は発掘調査されてるが
難升米が授かった「黄幢」と思われる金具が出土したよ 邪馬台国は北九州にあった
やがて、南方の騎馬民族に追われて畿内へ落ち延びて再起
その後、力を取り戻して九州へリベンジって感じだと思うわ
>>373
『日本書紀』では箸墓はモモソ姫の墓
モモソ姫は大物主神の妻なので『日本書紀』の中でも天皇より偉い人
民間伝承でも箸墓は女性の墓 邪馬台国は九州吉野ヶ里
しかし占い女王にまとめられる連合国家という変則的な形態だったために衰亡
邪馬台国とは別個に畿内に大和政権ができる
これが真実
入れ墨こそしなくなったが、いまでも海に素潜りして牡蠣とってる海女さんいるし
倭人は海にもぐって貝や魚とって食ってるの記述は伝聞だったとしても正しいんじゃないかと思う
売国左翼の佐藤浩市を起用している反日企業を叩き潰そう!
佐藤浩市を起用している反日企業はこの三社です
↓
CM キャノンマーケティングジャパン
CM 三井住友信託銀行
CM コカ・コーラ『特選 綾鷹』
そりゃ売国左翼より愛国者の方が圧倒的多数派なのは当然であって、
ああいう大作映画のプロモーションで国民の圧倒的多数派を敵に回す佐藤浩市という低能左翼が愚かすぎる
ああいう大作映画の製作には何億とかかる
1つの企画をダメにしてしまった佐藤浩市の責任は重い。
リスク高すぎて二度と起用されないのではないか?
国民は永遠に佐藤浩市は下劣な売国左翼だという事を忘れないよ
業界の売国左翼がほとぼりが冷めたらまた起用しようとしても無駄だよ
過去の売国左翼言動も次々に発掘されている売国奴の佐藤浩市。
こんなの起用する企業も同罪
↓
佐藤浩市、しんぶん赤旗の日曜版に出ていたことが判明 父親も… ネット「赤組とズブズブなら納得」「リテラや朝日新聞だけじゃなく…
http://2chb.net/r/seijinewsplus/1557910396/
佐藤浩市さん「この島国では残念ながら個人が自由に発言できる状況にはない」「日本はいま右翼化している」
http://www.moeruasia.net/archives/49631971.html
.
.0564 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
在日チョンの5ch運営が規制してリンク貼れなくなってしまったので、
「2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員」で検索してみてください
そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です
在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます
5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか?
売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です
そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主
在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党
↓
「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発…
在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない
↓
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
蓮舫、95年に雑誌で「日本人でいるのはそれが都合がいいからです。いずれ台湾籍に戻そうと思っています」 ネット「これが立民副代表」
安倍さんより以前は日本の保守派政治家はみんな親韓派だった
安倍さんが政界の保守派を改革してくれたんだよ
だからチョンは安倍さんを引きずり降ろそうと必死。
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない
.
.
醜悪な引退商法して無様に芸能界から逃げ出した負け犬安室のバックのヤクザバーニングやエイベックスを業界から完全に干しましょう。
メディアや芸能界が反社会勢力と繋がっているのが許される時代ではありません。エイべトップの松浦勝人の犯した脅迫という犯罪行為は上場企業のトップとしてありえない
バーニング系と癒着しているメディアの人間もどんどん逮捕していかないと
↓
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2781/
エイベックスの問題はブラック労働だけじゃない! 金、パワハラ、暴力団を使った恐喝...背景に松浦社長の体質が
https://jsaiji.com/?p=1454
モー娘肉弾接待をばらしてNHKとバーニング周防氏のズブズブの関係を明らかにしたヤクザサイト。
.
.6007957 >>368
新羅王の脱解尼師今は丹波国(京都)の出身で
神武は丹波国の近くに都を作った
兄弟だとしたら納得 >>371
>纏向の大王は呉とつるんでいたので、僭王卑弥呼は対抗して魏と通じた
こういうフィクション小説みたいなこと書く人結構いるけど
そんなルートが存在できると思ってんの?
当時は沿岸航行の時代で、東シナ海横断は不可能だったんだが 中国の史書等でも10m以上もあるような高い墓は墳で低いのは冢と記されてるから
30mに及ぶ立派な立派な箸墓は卑弥呼の冢の記述と矛盾するんだけどね
上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧のwikiでは、すじんは1世紀くらい在位期間になってるけど、崇神天皇のwikiでは3世紀後半になってる。どういうことじゃ
記紀の神武からなる東征記はそもそも半島侵攻の話で近畿などは初めから九州の開墾地だったんだよ。
神武東征にある近畿戦乱の跡など存在しないし、誰かを祀る祭祀場と倉庫ばかりが点在し武装勢力がいた都市の形跡もない
東征を半島の半分を支配した任那府に置き換えれば話がすんなりと通り、半島神話と合わせて任那成立時近畿に流れ込んだ倭人が須恵器と漢字と共に持ち込んだ伝承が任那崩壊後改竄されたんだろ
アマテラスの岩戸隠れの伝説でも確か機織りの娘が女陰を突いて死んじゃうんだよね
スサノオが機織り場に放りこんだ生皮剥いだ馬の死体に驚いて
で、それがきっかけになって激怒したアマテラスが岩戸に隠れることになったっていう
証拠的には関西が有力だが
なんとなく、身体の中の日本人のDNAが九州だと言ってるのは
たぶん多くの人が感じてると思う
まあ、よく奴の、ぬ、を使うのは、神への奴隷という意味なので自称してたのかもしれないんだが
ネクタイも首輪の意味で神への忠誠の意味なんだが
>>309
珍説過ぎてワロス
その遺跡の規模から見ても本土の方が人口が多く爆発的に九州の人口が遺跡ごと消滅した天変地異の地質学証拠でも無い限りあり得ない
ファンタジーでも一笑に付されるような珍説唱えるのは九州説が馬鹿にされるだけなのでやめてくれ >>353
わいも直感的に欠史八代はいたと思う。理由は人が記録を残すのは、大概真実を後世に伝えたいため。嘘をわざわざ記録する理由がわからん。系譜はちゃんとあるし。国生みとかはさすがに権威盛りのための嘘だとはわかるけど。 大阪の淀川の弥生遺跡は「安満」だしなw
子孫に磯良って人がいたくらしだし。
鯨面文身の人は各地にいただろ。
>>379
だから日本書紀自体の記述が間違ってる可能性もあるんですよ。
石室の中の遺骨が女性のものだとわかったりしたら信憑性が増し
ますがね。 >>388
少なくとも日本書紀にはそんな事は一文たりともないし
神武に逆らった土蜘蛛の塚は今でも残ってる。
そもそも古すぎて古戦場跡なんて見つかるわけがない。 >>394
欠史八代は神武即位時の干支を合わせたかったって説があるのよね。 >>368
新羅本紀って12世紀になって作られた書物をソースにして1世紀の話すんのか
信憑性薄いよ そもそも邪馬台国は7漫湖
連合国を構成する国の一つでしょ
女王がそこから出されたのかどうかもわからんね
>>392
当時の大和で7万戸可能だと言いたいなら
それらの具体的な場所や住居跡等を教えて
珍説だと貶す前にまずそれを出すのが先だろ >>374
大化の改新で蘇我を倒した
天智天皇と藤原が都合のいいように記紀を操作したってのは本当? 交流があったのにその後100年記録ないとかおかしい
邪馬台国なんて存在しないよ
神武天皇と同じ
新羅本紀は、本朝の新撰姓氏録を参考にして書かれている、とかそういう話だろw
日本書記の背後には藤原不比等がいる。
でも古事記はまあ物部系伝承を大和言葉で書いているわけで。
イザナギとイザナミはそれぞれ
伊 伊都国
邪 邪馬台国
那 奴国
岐 壱岐国
美 不弥国
ってどっかで見てスッキリした
奈良の唐古鍵は4ヘクタール規模で、九州の吉野ヶ里は1ヘクタール規模だっけ。
>>404
それこそ本当かどうかはわからんけど、まあそんなことも
あったかもしれないと考えてもいいかも。
ちなみに実際に記紀を編纂させたのは天武天皇と藤原不比等
だと思うよ。 >>405
神武天皇はいただろ
日本じゃなく奈良の近辺だけ治めていた王 邪馬台国は九州にあってもいいけどな。一方で畿内にも王朝が存在して、後に邪馬台国を中心とした九州の国々は畿内につぶされたりもありうる
初代ジンム天皇ってその前に神話の時代があってつながってるんだけどね
>>389
神話をどこまで合理的に解釈できるか
洪水話のように 出雲の >>401
ボッーと生きてんじゃねぇよ!
と岡村が怒られます >>404
まあ蘇我天皇説もあるからな
それだと皇統が断絶しちゃうから後付けで推古が天皇だったことにした
ただ女帝の前例がないと嘘くさいので神功皇后の逸話を入れた >>410
三内丸山が40ヘクタールだからなんか縮小してるんだよな
農耕で富が蓄えられるようになったはずなのに >>418
こじき読んだ事ないやつほど作られたとか妄想するよな >>376
だからあ、箸墓は未調査なんだから何も断言できるものは無いんだという自覚が畿内説には足りないという意味。 >>420
フィクションは読んでも読まなくてもフィクションだよ
指輪物語読んで現実の歴史だと思うか? >>405
今更邪馬台国がなかったとか言えない
まああと30年したらなかったということになるかもな >>353
神武天皇が紀元前はないな
4世紀以後の人だよ。 >>376
>難升米が授かった「黄幢」と思われる金具が出土したよ
正体不明のU字型の金具が出土してるだけね。 >>385
福建省からオーストロネシアンが太平洋中に進出してるので海の道存在は確定 >>414
日本書紀だと
天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが東に美しい国があるそうだからそこへ行って都を作りたい
とか言ってるけど繋がってんのかなwってのは野暮だろうなww
にしても179万年ってどんだけよっていう >>404
それは改編したと言ってる人に、明確な根拠を出してもらった方が良いかもね。
改編したとするだけの明確な根拠も、してないとする明確な根拠も多分ない。
時の為政者に都合のいい解釈程度なら今でもあり得るから、当時もあったんだろうとは思うけど
解釈のレベルを超えた改編まで行くと、証明できない。
実際には日本書紀の大きなストーリーはそのままで、誰かの側に立った解釈と言うレベルじゃないかな?
ごっそり変えてしまうと、やはり反発を招くだろうしね。 >>404
記紀は天武天皇の命によって編纂が始められ天武朝の元正天皇の時代に完成している
天武朝の正当性を示す為に作られたんだ。 >>404
天智と天武は兄弟ではなく赤の他人
持統を嫁にもらい天武は天皇になった。 大河ドラマで邪馬台国を題材にしたのとかまだ無いよな?
やはり場所が特定されないからかな。
適当でいいから面白い脚本でやればいいのに。
>>428
その年代は?
別の地域のことは置いておいて、この時代に中国で外洋航海が可能だった証拠を出しからにしてくれ 関西の田舎もんがまだ現実逃避してるのか
邪馬台国は九州で確定
おらが村の九州以外では困る。が九州説のベース
学問ではなく妄想
何で中国中心のような時代に遠く離れた近畿にポツンと独自文化持った王国があんだよ、あるわけねえだろ、あって何で7世紀に突然、中国様式の朝廷できんだよ。逃げてきた渡来人がソコに幕府を開いたんだよ。でっかい建物とウソの歴史本書いて土人騙し初めたんだよ。
>北郷泰道さんは「(『魏志倭人伝』の記述にある)一万二千里と水行十日・陸行一月というのは同じである、そうすると北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれることになる」
1で結論が出てるwww
箸墓が卑弥呼墓なんてありえない妄想に浸るのはそこにすがらないと終わるくらい畿内説が脆弱だから
>>439
まとめだから最後は距離じゃなくて日数にしたんだな >>334
そりゃ、邪馬台国は滅ぼされてるんだから
自分が仮に敵国を滅ぼすなら徹底的に人も家も墓も破壊すると思わないか
だからこそ未だに邪馬台国が謎になった
そしてその政権をうばった勢力がその痕跡を資料ですら残さなかった
都合の良い記述の記紀だけが残ってる >>440
畿内説はなんの抵抗もなく仮説をベースにさらなる仮説を構築するからなあ。
話が噛み合わないのは当たり前だ。 邪馬台国論争に考古学必要ない。むしろ邪魔。中国文献の解読こそ邪馬壹国への唯一の道
>>437
邪馬台国の都は伊都国だよ
魏志倭人伝は伊都国に付いてだけ詳しく解説してるし
帯方郡から伊都国までで12000里だし
日数は帯方郡から12000里行くのに掛かる日数だよ。 畿内説は掘って出てきたものすべて邪馬台国のものにしてしまうからね
>>439
これはまったくおかしいだろ
なんで距離の例えに陸行を並べる必要があるんだよ
こんなインチキ学者もどきしかいないのが九州 >>443
検証も実証もされてない仮説を事実のように扱って
次から次へと仮説を積み上げてるからな
畿内説は妄想以外のなにものでもないよな。 >>447
江戸時代、日本橋から京都三条大橋まで
距離は492km
移動に、2週間ほどかかっていた >>446
カエルの骨は卑弥呼が祭祀に使ったものだそうだ。
学者がこんなレベルだもん。 >>1
どこでもいいけど、万が一、いや、ひょっとして、もしも、仮に邪馬台国が九州にあったとして、それ以後の様子を示す遺跡や埋蔵物など一切見つからないのはなぜ?
夢想花歌ったシンガーソングライターのような一発屋文化だったの?? >>445
魏志倭人伝に伊都国と記述されているのにそれはない
同盟国であって重要な接待ポイントであったのは間違いない
糸島あたりに7万戸も当時から人がいたら
現在は博多より繁栄してるはず
筑紫川沿いの久留米あたりが人工的にも有力 魏志倭人伝
距離表記→中国人が実際に行った
日数表記→倭人から聞いて行ってないし、倭人は方角を知らない
隋書「東夷の人は里数を知らない。ただ日を以って計っている」
水行20日投馬国からは方角の間違えで
日数は合っている
漢の書なのに倭人伝のみ日数表記なのはそれを持って里数表記に変換出来ないから
>>452
そりゃ、邪馬台国は滅ぼされてるんだから
自分が仮に敵国を滅ぼすなら徹底的に人も家も墓も破壊すると思わないか
だからこそ未だに邪馬台国が謎になった
そしてその政権をうばった勢力がその痕跡を資料ですら残さなかった
都合の良い記述の記紀だけが残ってる >>386
そもそも遠くの地方の記述は伝聞ばかりでいいかげんなものばかりだろ >>413
ありうるどころかこれが一番可能性高そう
邪馬台国の情報が消えて無くなってるのは後の大和王権と関係ない証拠 >>445
邪馬台国の都って何なん?
南至邪馬壹國 女王之所都 水原希子に聞け
12 名無しさん@恐縮です sage 2019/05/17(金) 09:43:41.28 ID:y75IR0Nn0
みすず学苑かよwww
458 名無しさん@恐縮です sage 2019/05/17(金) 10:20:47.75 ID:O+Trnyk10
>>12
関東以外の人には面白さがわからんだろうから、一応貼っとく。
関東人は電車で毎日これを見ているのだ。
>>454
魏志倭人伝
距離表記→公孫氏時代に中国人が実際に行って公孫氏の里(1里80m)で計測していた資料が基。
日数表記→魏使(張政等)が倭を訪れた時の記録を参考にした。
里数は公孫氏の時代、日数は魏の時代だよ。 その後に近畿の豪族たちが全国制覇したことと整合性が取れない
>>452
他の地方に見つかってるならともかく他にも見つかってないんだから
まだ発掘されてないだけだろ >>450
だからそこに水行を付け加えてるようなものだぞ
おかしいだろ >>458
これは投馬国には女王の都は無い
邪馬壹國側に女王の都があるとの意味だよ
投馬国は朝鮮半島南岸の倭地
邪馬壹國は対岸の北部九州地域。 >>455
九州説おもしれー
あるときは、九州はどこを掘っても遺跡が出ると言い
あるときは、九州で邪馬台国の遺跡が見つからないのは破壊されたからだと言う
30ヶ国連合の伊都国(糸島)や奴国(博多)は当時の遺跡が出てるんだけどな
伊都国や奴国で九州邪馬台国なるものに結び付く痕跡って何がある? 魏と交流してたのは九州にあった邪馬台国一派であったというだけで
その後敵対勢力に邪馬台国が滅ぼされて
熊襲から東征した一族かもしくは半島系の渡来人が勢力をつけて
九州王朝を中央政権に巻き込んでいったってのが自然だな
最後の戦いは筑紫磐井の乱
磐井の乱(いわいのらん)は、527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした
近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井(『日本書紀』は筑紫国造だったとする)がはばみ、
翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、
または王権間の戦争。この反乱もしくは戦争の背景には、
朝鮮半島南部の利権を巡るヤマト王権と、親新羅だった九州豪族との主導権争いがあったと見られている。
普通に考えて中国人はまず九州に上陸してそこの人たちと交流するわな
それで邪馬台国人は中国人の強さにビビって近畿に移ったのではw
>>465
30ヶ国連合の伊都国(糸島)や奴国(博多)は当時の遺跡が出てるんだからこそ
九州に邪馬台国があったことになるんじゃないか
遠い中国地方や四国や近畿に伊都国や奴国なんてなかったんだから >>379
1)箸墓は卑弥呼の墓
奈良県桜井市の箸墓古墳は全長280メートル
の初期の巨大前方後円墳で、卑弥呼の墓との説
もあった。ところが、箸墓の周濠から木製の
輪鐙(わあぶみ=乗馬の時に使用する足掛け)
が出土した。倭人伝によれば、卑弥呼時代は
日本に馬はいない。鐙自体は中国晋王朝時代に
発明され、邪馬台国より時代が新しい。記紀の
記録でも日本で馬の使用は早くても4世紀後半。
畿内説の牙城であった橿原考古学研究所さえ、
箸墓は卑弥呼の墓ではないと言い出しており
(台与の墓とか、台与の後の男王の墓と言って
いる)最近は完全にトーンダウンしている。
畿内説は卑弥呼の墓を新たに見つける必要がある。 >>464
もっと普通に読め。
投馬国の次の行程が
南至邪馬壹國 女王之所都
普通に読めばこうなる。
投馬国から南に邪馬台国に至る。女王の都とするところである。
九州論者ではあっても、糸クズの頭のおかしさと、勝手な創作だけはベドがでるほど嫌い。 九州の人たちが中国と交流して強い武器を手に入れて近畿にまで勢力を広げつつ
中国が怖いので首都的な場所は近畿に移した
これが俺の説
>>469
意味不明の理屈
というか筋の通らない屁理屈で言い訳してるだけ >>465
俺は魏志倭人伝の方角だけで九州説を正当化する事を否定してる ヤマト=奈良はどのタイミングで成立したんだ
九州から遷都っておかしいだろ
>>464
対馬国と間違えてないか?
朝鮮半島南部には狗邪韓国(こやかんこく)があってこれも倭国の一部
投馬国は薩摩あたりだと思う
なぜ水行ルートになったかというと
邪馬台国と投馬国の間に敵対勢力狗奴国があったから 九州倭国と近畿日本の二つの国があって、
後者が強大化し前者を併呑して、名前も騙った。
旧唐書にある通り。
>>465
自分で言ってて気付けない?
そもそもお前も認めてるように九州の記述しかないじゃん
九州以外と考える方が無理があるわ
九州倭国と
近畿日本の二つの国があって、
後者が強大化し前者を併呑して、
名前も騙った。
旧唐書にある通り。
邪馬台国は南の狗奴国と戦争している
邪馬台国の東、海を渡って1000里に和種がいる
これだけでも、奈良盆地は無いwww
>>475
日本書紀には日向国の高千穂から東征したと書いてあるが?
わざわざ畿内土着勢力が、東征を捏造する必要性がないだろ? 近畿の人たちが中国と交流して
「九州通ってきたけど、あそこのヤツら弱そうだったよ」って聞いて
すぐに攻め込んで首都的なものを九州に移転した
これが俺の第二説
>>481
邪馬台国の必須条件は伊都国や奴国をその傘下に収めていること
考古学的にこの条件に当てはまるのは畿内ヤマトだけ
九州説を主張したいなら
・どこかの九州勢力が伊都国や奴国を傘下に収めている証拠を見つけること
・さらに、伊都国や奴国が二股をかけていた証拠を見つけること >>438
ちょっ幕府とか言ってると国籍バレんぞ!
日本の歴史教育受けてたらそれはありえない >>484
考古学的な部分でなく、
「なぜ日向から来た設定になるのか」
という部分だよ 畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、
学説として成立していないことは証明済み。
邪馬台国畿内説などと言う学説は、そもそもこの世に存在しない。
>>463
おかしくない
12000里を水行10日・陸行1ヶ月かけていったという説だろ
水行は帯方郡から海岸沿いに南下するものまで含んでるんだろう
おかしいのは投馬国
これがなければ、上の説もじゅうぶん説得力があったんだが
このせいで支持されない >>478
これ
畿内の大和は邪馬台国の外交実績が欲しかった
だから神話で九州由来を騙る必要があったんだろう 邪馬台国が存在した最大の根拠は魏志倭人伝の記述だけど中国の研究者が魏志倭人伝を読むと場所は北九州で一致する
近畿の大規模な遺構は別の国なんじゃないかと
>>463
こんな感じかな
ソウル市から釜山市まで700km
釜山市から唐津市まで300km
唐津市から熊本市まで100km
熊本県まで水行27日陸行3日700
ソウルから熊本市まで1000km >>475
地名も国名も邪馬台(ヤマト)から襲名したものだろうな
自分の氏神である筈の天照大神に祟られるとかいう訳の判らん事が起こって
宮中祭祀から追い出して伊勢神宮の造成を始める崇神〜垂仁天皇辺りが怪しい
4世紀頃かな 689年 飛鳥浄御原令が施行
律令制の初期段階
次の天皇になるはずだった草壁皇子が死去
690年 草壁皇子の母の持統天皇が即位
694年 持統天皇、夫の天武天皇が作った倭京(藤原京)に遷都
日本発の条坊制(碁盤の目状)の都
697年 草壁皇子の息子の文武天皇が15歳で即位
鎌足の息子、藤原不比等の娘が文武天皇の后になる
701年 藤原不比等が作った大宝律令を施行
豪族との連合国家から天皇中心の国家へ変貌や
国号を倭から日本に変更し唐との国交正常化など
新たな国家体制を目指す
707年 文武天皇が崩御
草壁皇子の妻で文武天皇の母の元明天皇が即位
710年 元明天皇、平城京へ遷都
712年 古事記できる
713年 風土記できる
718年 藤原不比等が大宝律令を改正した養老律令を発表
720年 日本書紀できる
藤原不比等の死去により
養老律令の施行は757年まで延長することになる
1. 邪馬台国畿内説は否定証明が完了している。
2. 東遷も東征も無い。考古学的に否定済み。
九州倭国と
近畿日本の二つの国があって、
後者が強大化し前者を併呑して、
名前も騙った。
旧唐書にある通り。
>>493
投馬国は朝鮮半島南岸
陸行1月が陸行1日の誤記だな
この誤記のせいで辻褄が合わない。 そもそも金印が畑から見つかるということは
そこを支配してたヤツが誰かにブチ殺されて
殺したヤツも金印に気付かなかったということ
つまり九州勢は近畿勢にしばかれる程度のヤツら
>>450
江戸時代は1日に32キロぐらいが標準だったよね。
街道が整備されてる江戸時代の移動距離を持ち出すのはもちろん見当違いだぞ。
まだ近い唐の時代の中国は陸路1日28キロが標準だからと
これで1ヶ月と距離計算してた人もいたがこちらも明らかに整備された道やないか。 >>341
1)箸墓は卑弥呼の墓
奈良県桜井市の箸墓古墳は全長280メートル
の初期の巨大前方後円墳で、卑弥呼の墓との説
もあった。ところが、箸墓の周濠から木製の
輪鐙(わあぶみ=乗馬の時に使用する足掛け)
が出土した。倭人伝によれば、卑弥呼時代は
日本に馬はいない。鐙自体は中国晋王朝時代に
発明され、邪馬台国より時代が新しい。記紀の
記録でも日本で馬の使用は早くても4世紀後半。
畿内説の牙城であった橿原考古学研究所さえ、
箸墓は卑弥呼の墓ではないと言い出しており
(台与の墓とか、台与の後の男王の墓と言って
いる)最近は完全にトーンダウンしている。
畿内説は卑弥呼の墓を新たに見つける必要がある。 古事記や日本書紀ができたころの日本は
藤原不比等が律令制を確立するために必死だった
>>501
邪馬台、邪馬壹はヤマトとは読まない。
ヤバイ、ジャバイと読む。
卑弥呼もヒミコとは読まない。べミフと読む。
日本語読みすると、変なファンタジーにはまり込むから要注意。 >>504
投馬国はtuma国で西都原の妻のこと。
後半はいいね。その通り。 >>500
あった事は証明出来ても無かった事は証明出来ない
東遷も東征も考古学的に否定なんて不可能
貴方は大ウソつきですねwww
貴方の発言は信用ゼロですよ。 畿内説の牙城であった橿原考古学研究所さえ、
箸墓は卑弥呼の墓ではないと言い出しており
ここで何度見ても笑うwww
>>513
憲法つくるぞ議会つくるぞの明治と一緒か 九州全部掘り返して証明したら信じてやる。証拠もないのにがたがた言ってんじゃねーよ
>>523
出来ないことを出来たと言ってるからですよ。 ID:21/ZOBB40
こいつ近畿パー連呼してるいつもの荒らしだろ
纏向には西日本全域から土器が集まっているが、九州からのものは僅かしか無く、
征服者としての九州勢の面影を全く見つけられない。
東征や東遷の息の根を止めたのが、実は他ならぬ纏向遺跡。
>>457
まあ普通に考えたらこれでしょ
どうしても畿内にしたい奴ら以外 >>520
それは大和国の語源の話だよ。
波速に上陸した神武天皇ご一行が、はじめに生駒山の脇の大和川を遡上して山門を抜けようとした話し。
邪馬台をヤマタイと読んで、ヤマトに変化したというのは違うと。
1. 邪馬台国畿内説は否定証明が完了している。
2. 東遷も東征も無い。考古学的に否定済み。
九州倭国と
近畿日本の二つの国があって、
後者が強大化し前者を併呑して、
名前も騙った。
旧唐書にある通り。
1. 邪馬台国畿内説は否定証明が完了している。
2. 東遷も東征も無い。考古学的に否定済み。
九州倭国と
近畿日本の二つの国があって、
後者が強大化し前者を併呑して、
名前も騙った。
旧唐書にある通り。
記紀が捏造だらけなのを認めたくない連中が嘘に嘘を重ねているだけ。
>>533
魏志倭人伝には「邪馬台国」という言葉は書かれていない
魏志倭人伝に書かれているのは「邪馬壱國」(壱は一の旧字体)
それを江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで
邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
「邪」「馬」は東夷に使うのにふさわしい文字だが
臺(台)は玉座などを意味し、野蛮人に使うにはふさわしくない
魏志倭人伝には「壱」「臺」と言う文字が数十か所使われているが
他に誤用されている場所はない >>519
橿考が出した推定年代自体が卑弥呼とは合わないということらしい。
WIKIから
「奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を280〜300年(±10〜20年)と推定しており、
卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。」 >>535
そう思うのなら論破できるよう努力してみれば?
ただレッテルを貼ってるだけでは何の意味もないし、自分の無知無能さを晒してるだけになってしまう カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬臺。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれるようになった謂れの王で、王朝の始祖である、と言う意味。
>>514
んなこと言ったら本来どうやっても倭をヤマトなんて読まない
倭はし、もしくはしず
倭国は邪馬台が宗主国を務めていた文身民族の連合国の総称を
倭(文様を入れる)国としたので
倭=ヤマトと記紀編纂時に当て字して
神倭磐余彦を始めとして当て字しまくった
邪馬台、ヤマトが首都の名前だし国の名前だとみんな思っていたからだ
宗主国的な立場を得た時に首都もヤマトとして地名も旧首都に重ねた
後世でいう京のようなもの >>540
江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
www 事実を知ると
あらびっくり
邪馬台国=ヤマト説 完全崩壊www
>>541
自分が言われたわけでもないのに、横入りしてくるほうが頭がおかしいのではないかとw カッペ田舎関西猿は嘘を100回言えば本当になると思ってるからな
>>544
以前から邪馬台国と大和王権は無関係って書いてたけど、最近同じ考えの人が書き込んでくれて嬉しい。
半年ほど前まではほとんど畿内ガチと糸クズ、糸クズ東遷派ばっかりだった。
卑弥呼のいた三世紀半ばは、西日本は近畿や吉備や出雲などいくつかの有力豪族が割拠し、緩やかに連合していた状態で、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全なる常識で、異を唱えるものなど居ない。
ところが、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと考えることは、近畿は自分の周りの勢力を軍事的に統括出来ずにいるのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はバカが言う説であって、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
大和と書いてヤマトなどとキラキラネームのような読み方をするようになったのはかなり後世になってからの事だよな。
3世紀は中国の影響が大きかった時代なので大和、大倭はダーワと読んでいたはずだよ。
>>498
そーなんだよな。
出雲を発祥の地とする大国があったんだよな。 その主が大国主。 遺跡とか見つかって確定してから発表してくれ
ぼくんぼかんがえたせつ
とかどうでもいいわ
>>550
いや、なんで死に体の畿内大和説が生き残ってるのかを考えると、どうにかして大和朝廷と結び付けようとする勢力だと気がついたwww ぶっちゃけ大阪城の下に埋まっている古墳が卑弥呼の墓じゃねえかと思っている
>>537
邪馬臺でよい。
恐らく、臺が皇帝の居る場所と言う意味なので避けたのだろう。
或いは単なる写し間違いか。 >>501
やっぱり天照や豊受のモデルは卑弥呼や壹与で征服したor名前を騙った事で天罰下るのが怖くて三重の僻地に祀ったんだろうな
日本は昔から消えた側を神様にして祀る伝統あるし >>542
倭に関しては中国語ではウォ
日本語読みで「わ」になる。
これをヤマトと読んだのは、日本側の読み方。
邪馬壹や卑弥呼は魏の書物にしかなく、当時の日本語読みに漢字を当てたもの。 >>429
昔の人は長命だったんだな。
とは言ってもアダムやノアでさえ950歳くらいで無くなったというのに179万歳はちと長すぎるな。
卑弥呼のいた三世紀半ばは、西日本は近畿や吉備や出雲などいくつかの有力豪族が割拠し、緩やかに連合していた状態で、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全なる常識で、異を唱えるものなど居ない。
ところが、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと考えることは、近畿は自分の周りの勢力を軍事的に統括出来ずにいるのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はバカが言う説であって、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
絶対に解決しない問題で
延々と飯を食っていく学者商売
>>570
お前はファビョンなバカチョン。
糞食ってろ。 >>559
畿内説お得意の写し間違いwww
目的地の国名を写し間違い
邪馬壱國は何箇所も出てくるのに
全て写間違いwww
畿内説ウケるwww きりがないから
「邪馬台国はどこにあったのか」禁止!
倭はヤマトと訓じるけど、倭の1字を当てるとワと誤読されかねないので、
大をつけて大倭と書いてヤマトと訓じた、んじゃなかったっけw
卑弥呼のいた三世紀半ばは、西日本は近畿や吉備や出雲などいくつかの有力豪族が割拠し、緩やかに連合していた状態で、
どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。
これは古代日本史の完全なる常識で、異を唱えるものなど居ない。
ところが、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと考えることは、近畿は自分の周りの勢力を軍事的に統括出来ずにいるのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
このような説はバカが言う説であって、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
>>573
解決してるとおもってる2種類の馬鹿の論争ww 邪馬台国論争は関西だと京都人は割と静観してる
奈良の人は奈良以外ありえへんと確信して熱く語る
>>572
お前話あるならつけてやるから
いつでも出てこい >>537
>「邪」「馬」は東夷に使うのにふさわしい文字だが
当時中国には始皇帝の地方制定以来、琅邪郡、琅邪国という地名があって夷どころか
諸葛亮孔明を排出した琅邪諸葛氏
後に書聖王羲之を排出し2〜3世紀においてもクソ名門貴族だった琅邪王氏
夷どころか秦の頃から時代も国も超えて優秀な人間が出る名門氏族の治める地名、氏族名にもある文字
蛮族だから貶める字を付けたんですよーwwとか言ってるアホ学者の本は読まん方がいいぞ >>585
書き間違えとか言い出す奴よりマシじゃね? >>565
億年単位で生きられる微生物が地球で発見されたから年齢は事実かもしれない。
あと、日本では名前を何代も受け継ぐのが伝統だから年齢ではなくその名前が何年受け継がれたかを記しているだけの説もある。 神武東征は単に邪馬台国の外交実績欲しかったから自分達が末裔だということにしたかっただけだと思う
邪馬台国は南の狗奴国と戦争している
邪馬台国の東、海を渡って1000里に和種がいる
これだけでも、奈良盆地は無い
畿内説は即死しちゃうねwww
九州説馬鹿と関西説馬鹿
決定的な決め手がないのに不完全な結論出してるとこが
ともに大馬鹿!
九州なのは確定で九州のどこにあったのかしか論点は無い
あと後の大和とは関係無いから考えるだけ無駄
>>580
今の高校生は畿内説が有力と書かれた教科書で学んでるけどな
学術的にはほとんど決着したからようやく教科書も書き換わってきたんだよ >>1
地形的に八女〜広川辺りだと思う
あの辺古墳も多いし地図見たら地名も意味有りげなものが多い >>592
真実には「有力」もくそもないんだよ
「有力」で決着とおもってる馬鹿発見ww まあ文系の典型的な馬鹿さだとおもうわ
「この材料だけでは結論出ない」といえない知ったか馬鹿ww
>>581
むしろ奈良県民は、関係ないものを寄せてくるなと思ってるよ。 >>592
根拠は全く示されてないけどなw
慰安婦で「証拠は無いけど心証では有ったニダー」と言う彼の国の人とそっくりwww 『猿でも分かる。中華人民共和国、日中共産党がゴッドハンドした魏志倭人伝とは』
1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が、
1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、日中共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島が邪馬台国であり、中華人民共和国、共産党の領土であるよと、
魏は他民族他文化であり現代中共と関連が無いにも関わらず野心丸出しで、強引で、筋が通らない主張をしている。
現代中共の野心丸出しの偽書を他国侵略、日本侵略への野望と分析できずに、 九州だ!いや奈良だ!と論戦している東京大学と京都大学の偽物学者達は知恵遅れ平和ボケここに極まりけり!
知的障害者偽物学者に出す無駄な予算を国防に廻せ!
日本の古事記には邪馬台国の字も存在も無しであり、日中共産党が歴史を捏造したのは明らかである。
共産党の敵、台湾(中華民国)が邪魔だから、台湾国が邪魔→邪魔台湾国→邪馬台国 と日本のあらゆる古史古伝、文献に存在しない邪馬台国の文字を、共産党が捏造しゴッドハンドしたことが証明できた。
反論があるなら証拠を見せろチャンコロアカ偽物学者東大京大の知的障害者野郎!( ^ω^)おっと失礼。
売国左翼日教組が、学校で邪馬台国論争は江戸時代からと歴史をゴッドハンドして教えてきた。
今、現在進行形でシナ(China)が沖縄、尖閣諸島、そして南沙諸島で問題を起こしアジアの覇権、植民地化を計画していることからも100%捏造を証明した。
>>596
意味わかってないな
外堀が全部埋まってしまい、九州説の逆転の可能性がなくなってるんだがな
ここの九州説とかおまえは考古学を宝探しとしか考えてないだろうから
永遠に意味がわからんだろうが なんで九州説信者っていちいち罵倒しないと気が済まないのだろうね(苦笑)
まあ、その程度の知識レベルなんだろうということなんだろうけど、昼間はとくに酷いなw
仕事しよーっと
>>596
彼の国の「闘声」ってヤツだな
マスコミを使って既成事実化すれば勝てると
思ってるwww 邪馬台国は南の狗奴国と戦争している
邪馬台国の東、海を渡って1000里に和種がいる
これだけでも、奈良盆地は無い
畿内説は即死しちゃうねwww
九州から奈良まで支配しちゃう強大な邪馬台国と戦争を続けてる狗奴国はどこよ?
幾つもの藩があった時代を考えると
邪馬台国と言われてるだけで、そこが日本の国
亀で占うのは今の王朝もやってるから邪馬台国の後継国であってる
じゃあ、その時代の豪族や他の王がいたかいないのか?
奴国と言うが倭国なんだから
全体で言えば日本の国
それが九州でも近畿でも倭と言われる以上は
邪馬台国が日本の事だと思われる
>>601
畿内説は既に死んでいるよ
自分達が死んでいる事に気付いてないゾンビが地獄から呻き声を上げているだけ。 >>608
魏志倭人伝では、亀じゃなくて骨なんだけどな 邪馬台国と王朝とつながりを思わせる出来事が、聖徳太子の時代にあった
ひいずる国と言うのは、邪馬台国と思われるのが国辱に感じたからだろう
それ以来中国の物真似をして日本国を名乗るわけだ
>>579
卑弥呼のいた三世紀半ばは、北部九州地域に倭人の国があり
その他の日本列島全体の大半は縄文系弥生人の世界
この後神武が東征して関西に殖民し大和朝廷を築いていく。 文献無視して自分たちの都合いいところしかつままないとか、マジで日本のの考古学は擬似学問カスの巣窟だ。町おこしかよw
そもそも畿内なんか問題外だろ基地外w
九州も畿内よりはマシなだけだから調子に乗るなよ。
どっちにしても記述には合わないから、魏の一里は70メートルちょっとニダ!とかのアクロバットつじつま合わせしてる詐欺師みたいな学者もいる始末。
しかも畿内バカ九州アホのどちらも、
自郡至女王國萬二千餘里
という大事な部分はなぜかガン無視wwwwww
なんでそこスルーなのお?
バカなの?
詐欺師なの?
両方なの?
おまエラ遊びでやってるならまだしも、国からカネ引っ張って町おこしレベルの歴史詐欺するの即刻やめろよな。
こんなくだらん研究こそ、AIの出番だろうに。
中国、半島の歴史書全てデータベースにいれてガラガラポンすりゃ、そもそも百済の位置が良く教科書に出てくる半島の一部じゃなくて遼西なんだから、邪馬台国とやらの位置は記述まんまで今のソウルあたりだと丸わかりだ。
霊媒師の女酋長がいた一土人国など、別に日本になかったとしても無問題だよ。
邪馬台国の遺跡が杉並区で発見されるだろうね
おそらくここ一年以内
見栄をはるところは日本人らしいから
千数百年前から続く日本の気質
>>611
畿内説はまだ考古学的裏付けのない江戸時代の国学者が読みだけを頼りに考えたからね
その目的は朝廷権威の強化
魏志倭人伝の記述に合うところが全くない 「廣志曰く、〜魏志と同じ道程〜到伊都国五百里、又南、至邪馬臺国」という記録もある。
廣志がいつの時代を記述しているのかわからないが、伊都国のすぐ南にあった時代もあるようだ。
邪馬臺を置いて都とするとも書かれているので、邪馬臺という何かが移動すればそこが邪馬臺国になるんじゃないかな。
その最終移動地点が奈良だという畿内説なら、理解できる。
>>616
長々と書いたけど、倭国に渡るのに
対馬、壱岐を通ってる時点で崩壊だなwww パクりまくっているのが中国だからな。中国という名もパクり。漢字も日本からパクり。
日本の中国地方、葦原の中国というのを日本に留学してきたシナ人がパクった。
>>623
流石にネトウヨもそこまで拗らすと韓国を笑えん >>622
そもそも倭って言うだけで日本だと思ってるとか、義務教育レベルかよw 流石に三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だと
言う畿内論者は絶滅してしまったかwww
Googleの中国訳は今も倭=ヤマト
だから、もう言い逃れできないのにな
邪馬台国=ヤマト
>>399
もっと古い資料を参考にしており
ある程度信憑性あるっていうのが定説 もう畿内説で確定してるよ
こないだNHKの番組でみたけど
銅鐸の出土品が畿内しかなくて
そこらでいくつかの国が争って最終的に1つにまとまって今の滋賀に
銅鐸をいくつか祀った施設と姫巫女をたてた
それ以降は鏡に変わったって結論
大和と姫巫女が邪馬台国と卑弥呼なんでしょ
九州説はテレビでよくある
※諸説あります
とかいって放送するでたらめなやつで
九州での観光目的とかそういうやつでしょ
言ってる人もそもそも信じてない
あほだませて論争させればいいやってかんじ
>>593
九州の北半分くらいは邪馬台国だろうから単なる小国とは言えないな。 >>627
だから邪馬台じゃなく邪馬壱
原文で読もうよwww 邪馬台国共通町おこしバカ
ここでいう一里は70メートルちょっとニダ!
こいつらの百里はたった7キロだぜw
相手にするのもバカバカしい
>>626
出土した数が多すぎるし扱いも雑だからな
作られ時代も4世紀以後がもう定説だな。 >>295
魏志倭人伝のデタラメな記述から何処をチョイスするかによって味方が変わってくるね。
鉄がない、絹もない畿内を邪馬台国とする根拠が何処にあるか
更に言えば、温暖で熱帯に近い気候風俗の女王国の何処に日本とする根拠があるのか >>630
銅鐸なんて、魏志倭人伝に一言も書いてない
逆に言えば、銅鐸が出るって事は邪馬台国では
無いって事、皮肉だね♪ >>632
ヤマイツ国ってほとんど聞かないなあ
なんでだ センスの良し悪しは理屈ではないだけに、分からん奴には分からん
>>630
情報古いね。
銅鐸、銅剣の話は今は間違いだったとされてるよ。 倭国のことに関して書いてあってヤマト国がどこにあるか
ヤマト=倭国で倭国がどこにあるか論争になるとか
そもそも漢字は日本人がシナ地域で殷(商)を建国し、甲骨文字を広めた。殷の遺跡から貝殻がでてくる理由は日本人が住んでいたから。
その甲骨文字を日本人の秦の始皇帝が編纂した。
意味を変えずに編纂できるのは漢字を作った日本人しかできない。
日本には古典があるがシナには古典がない。シナ人には古典古文、漢書が読めないのだ。
理由は簡単、本物の漢字を使う民族は日本人だから。
今の中華人民共和国という国名も日本人が作った現代漢字で100%作られている。
今のシナ人が日本文明を排除したら何も書けないし何のも作れないし何もできないのだ。
>>633
東夷伝の記述に従って実際の地図で測ると1里80mくらいですからね。 >>638
江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
www 2世紀や3世紀、倭人伝の言葉を借りると
卑しき皇子はどこにいたかだな
学会では畿内説でほぼ確定してるらしいな
九州説は町おこしでキャンペーン貼ったから地元民が引くに引けないだけとか
>>312
中国の天文学舐めすぎ
地球が球体で有ることを考慮してない分の誤差が出るが、星の位置からかなり正確に距離方位割り出してた >>644
お前それなんでも韓国起源説と一緒だろw
日本人を貶めるんじゃないボケが >>639
畿内説の人の想像力、妄想の力には脱帽するなw 当時の日本に複数国家があったというだけじゃないのかねえ
>>335
その通りだと思う
唯一つ確かなのは、邪馬台国と呼ばれる国が有り、そこの女王からの使いが来たという事 >>649
記紀の方が魏志倭人伝よりも一京倍は嘘くさけどな。 >>648
畿内説は論拠を示せないから、この手の
「決めつけ」を始めた
もう、断末魔状態ですwww >>624
お前は韓国人だろ。日本人ではないな日本では当たり前に習う常識。 >>630
あの番組見たなら、2つの別系統の銅鉾が合体した
って覚えてるよな
片方が征服したならそっちの銅鉾になるはず。となると同盟を結んだってこと。
なぜ同盟を結んだか
もっと強力な敵が西からやってきたからだろ
神武東征だ。
そして直後に銅鐸は消えて、鏡文化になった
同盟側が征服されて、鏡を祀る西の文化に征服されたってことだ >>327
邪馬台国はさておき、纏向の情報はもっと欲しいよね
こっちの方がより大和の国に近いと思う
纏向の団地をブチ壊せば全ては明らかにw >>662
纏向は倭人じゃなくて縄文系弥生人遺跡だな
言葉も日本語とは異なる言語を話してたはずだ。 今なら日本の王はどこにいたかでもめてるようなもの
歴史的な建物の遺物は京都だから日本京都説
何やら残骸と瓦礫が多く遺構も多いから大阪説
この二つで争ってるようなもの
>>658
頼むから、学会の論文は、みんな英語で書いてほしいよねw
世界が唖然とするだろうなwww 九州説はもう異端学者のみ
ほとんどファンタジーみたいな妄想を書き込むスレになったね
>>658
根拠は偉い人が言ってるから
完全に思考停止状態だなw >>632
その読み方はヤバイ国が正しい
つまりヤバい国=修羅の町=福岡
九州説の勝ち >>665
普通の学会論文は日本語と英語両方表記。
偽者学会は英語併記しないのかw >>344
ウガヤ朝の話とか面白いと思う
偽書とされてるものだが、全くの作り話でもないのではないのかな
記紀以前の痕跡を消された伝承を寄せ集めて作り上げた古代日本の残滓 >>636
鉄も絹も出ないが銅鐸はたくさん出るでw >>643
倭国自体は朝鮮半島南部の狗邪韓国が北岸とあるからそれ以南
倭人伝の記述内では別に奈良の地名でもなんでもないのは確定している
倭や大倭にヤマト読みを当てるのは当時の事を無視して
記紀編纂時に日本広域を示す倭人伝の表記に畿内ヤマト王権の読みを当てただけ >>663
西から畿内までは、縄文人の人口がまばらで、
どんどん弥生人に人口比で圧倒されていったらしい。
日本語が弥生人渡来とともに最初から「渡来」したのか、
弥生人の最終グループとともに渡来たのかによって、
畿内の言葉が何だったのか、代わってくるかもな。 >>669
英語は、要旨だけだろw
全文英語で書けってのw >>653
銅鐸制作集団が愛知とか奈良とか畿内周辺にしかないという話だった
国がくっつくと銅鐸の形も合わさってきて制作集団も2つの派閥になり
最後は1つにまとまって巨大な銅鐸なり
国が一つになって銅鐸をいくつか安置して姫巫女たててそれ以降は銅鐸やめて
鏡にかわったって話 日本東京説、これは古くから植民されて日本人は少数派だった事から
日本京都説が有力
また、東京には日本固有の遺物が出土されないことから否定された
>>659
日本は倭
首都邪馬台国は何処にあったかだよ
今風なら東京と京都でもめてるようなもん
実際、天皇は御所を引き払って遷都してないから都は京都だろ!って話もたまに見るし 2世紀に外国人がたくさん集まり、遺跡に縄文や弥生の跡がない遺跡があるなら
その地域が有力な候補地
【猿でも分かる日本の歴史】
縄文文明の時代に世界中を高度な航海術を持ち航海していた。
約7900年前に阿蘇山火山帯の大噴火があり、九州〜名古屋あたりまで地震、溶岩に溶けて残っていなかったり火山灰の下に眠っている。
九州の山や富士山は縄文文明の時代と現在の時代とは形が違う。
縄文人は火山の大噴火で北海道や東北関東、
そして太平洋の島々、南米北米大陸【インカ帝国、ナスカ帝国】、ユーラシア大陸【古代殷文明、黄河、長江文明】、
メソポタミア地域【スメル(シュメール)文明】、インダス地域【インダス文明】、イスラエル地域【古代イスラエル文明】、エジプト地域【古代エジプト文明】へ避難移住して世界中に日本人が大古代文明を作った。
キリストはアジア人で有色人種であり、30歳まで日本で古神道を修行して学びたったの3年間の布教活動で伝説になった日本人である。
キリストは白人ではない。
古代イスラエル人ユダヤ人は縄文人のD2遺伝子を持つ日本人である。
キリストは十字架に架けられたあと、生きて日本に帰ってきたことが日本では伝わっている。
→噴火と地震がおさまり海路と陸路シルクロードで日本に帰ってきた。
→BCからADの時代をまたいで日本に帰った縄文人系同族部族間で戦争が始まり、ホツマツタヱや古事記、日本書紀に書かれる無血国譲りの歴史。
→ヤマト大王が大阪高槻市に世界中を制した王権の証であるヤマト大王聖杯いわゆる今城塚前方後円墳を建設。
→ヤマトタケが九州のタケルを成敗しタケルの名を受け継ぐ。
→神武(神になったタケ)が大阪から九州に転勤→九州から神武が大阪の神々の本拠地世界王都に淀川から攻め込むが強くて兵を引き和歌山側(大和)から攻めた。
→神武天皇の歴史は縄文文明文字オシテ文字で書かれた。
ホツマツタヱで正しく書かれた。
古事記や日本書紀は暗号化されて権力者により都合よく編集された。
ホツマツタヱではアマテラスは海テラス神の男神。
古事記、日本書紀ではアマテラスは女神。
>>418
それはない
天皇陛下の立ち位置からして、政権握った権力者が天皇に成り代わるなんて事は起こり得ない
もしあったのなら今のような形が残ってるわけないのだから 仮に九州の都を捨てて、農民や女子供も引き連れて東征したとして
その後、元の九州の都は1度も顧みられる事がないのはなぜw
九州から物部が逃げてきて大和湖を干拓し
その後逃げてきた神武側と同族と分かり和解
鹿島百済の鉄利権を持つ藤原氏の力で全国制覇
大和の出先機関が邪馬台国じゃないかと
さっき思いつきでAI使えと書いたが、ここの馬鹿ども見てるとマジで良いかもなw
邪馬台国もとい邪馬壹国が唯一出てくる魏志倭人伝の記述すら無視する基地外ども見てると、考古学や経済学みたいなエセ科学に陥りやすい学問は、可能な限りのデータベース構築してあとはAI任せというのが最適だろうとの結論。
AIは邪馬壹国バカどものように
「自郡至女王國萬二千餘里」という重要部分をワザとスルーしたり、一里を70メートルとして計算したりとかのアホな辻褄合わせなどせんからなw
俺自身どっちでもいいんだが
九州説支持者は、書き込みがいつもファビョってる。
この一点で九州=朝鮮説を感じてしまうw
>>621
翰苑にはズバリ書いてある。
伊都国の南が邪馬台国と。
もう1点、伊都国と斯馬国が連なっているとも。
斯馬国=志賀島かな? 銅鏡の出土から初期の王朝は、北九州一帯に住んでいたと考えるのが自然
それが2世紀後半や3世紀の頃には畿内に銅鏡が増え始め
このどこかで遷都してる
>>666
九州説のファンタジーは、邪馬台国と何ら関係のない、邪馬台国東遷説や卑弥呼=アマテラス説の部分だよ。
糸クズ族ファンタジー派の主張はキモい >>676
銅鐸製作は九州でも山陰でも見付かってるから
今その考え方はあり得ないな >>636
>鉄がない、絹もない畿内を邪馬台国とする根拠が何処にあるか
魏志倭人伝には邪馬台国に鉄があるとか、絹があるとか書かれてないんだが
倭国一般、倭人一般の記述で出てくるだけ
ちなみに、畿内勢力が北部九州に本格的に進出した3世紀前半の直後からは大和でも鉄も出土するようになる
魏と交流の結果もたらされた可能性のある高品質の絹も出土してる
>更に言えば、温暖で熱帯に近い気候風俗の女王国の何処に日本とする根拠があるのか
当時の地理観では、倭国は南北に長い島だと誤解されてた可能性が高い
会稽東冶の東に位置するだとか、(風習や産物など)有無するところは?耳朱崖(海南島)と同じだとか
台湾の猿や雉がいると書かれていたり
倭国が亜熱帯の気候のように書かれているのは、そういう誤った地理観から来てると推測できる
倭国が日本列島にあるという根拠は、伊都国や奴国が北部九州の考古資料で裏付けられているから
逆に言えば、伊都国や奴国に痕跡のない地域は倭国の範囲からはずれる >>671
鉄がない。この段階で覇権国ではない。
やまと(邪馬台)は、半島南部の倭人と組んで、貿易を独占。
鉄の独占と朝貢秩序の地位で列島の覇権国になった。
畿内が鉄を確保するのは、やまと(邪馬台)の目を盗んで、
半島の異民族系の百済地区と通じてから。2世紀末頃?
これで3世紀頭の倭国大乱に勝利した。
魏志のやまと(邪馬台)は、機内から覇権を奪われた姿。
男王(=覇権)を禁止され、女王(卑弥呼)が即位した。 >>682
万葉集には北九州の歌もあるみたいだから >>676
日本の習俗的には基本平安時代まで妻問婚だから
卑弥呼に限らず財産や神殿みたいなもんを継承するのは女で
女王的な氏族の代表の女が割と普通に居るはずなんだがな
そんな制度で日本を統一するってのはだいぶ後世って事になると思うんだが 邪馬台国は南の狗奴国と戦争している
邪馬台国の東、海を渡って1000里に和種がいる
これだけでも、奈良盆地は無い
畿内説は即死しちゃうねwww
全く答えられないwww
>>514
それは当時の魏の発音に照らして?
そんなの分かってるんだ? >>689
それな
九州説は必ず遷都遷都東征東征を連呼する
宗教かよw >>698
中国の北の発音だね。
南部はまた違う。 >>699
江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に書き換えた >>682
都つっても当時のほとんどの建物は竪穴式住居だぞ
九州だろうが奈良だろうが平安時代の始めでも庶民は竪穴式住居
上モノの茅葺きテント焼いたら地面に穴ボコ残るだけ
何を省みるのかね 聖徳太子が日本を名乗るなら
首都が北九州にあると都合が悪いだろうな
官吏が来たとき邪馬台国と同じ場所に首都があっては嘘がバレる
>>698
当時の魏の支配層は完全に滅亡して途絶えてる。
今のシナ人読みにするとそうなるという意味だろう。 >>700
まぁ遷都じゃないよな畿内が偉くなった後に自分の土地に九州の名前付けただけで 江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りで 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
魏志倭人伝の原文は邪馬壱國
>>661
銅鐸に描かれた紋様が文化の伝承のためだったわけだから
紙で伝えることができるようになったら要らなくなったんでしょ 銅鐸(神様)に祈る
いくら拝んでも一向に社会不安が収束しないため神様をだんだんと巨大化させていく
巨大化が頂点に達したとき(つまり社会的緊張がピークに高まったとき)祈る人達は消えてしまった
北九州に今の関西弁を話す勢力が居たなら
関西人はいったいどこから来たのか?
江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りと言い出し 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
魏志倭人伝の原文は邪馬壱國
ま、畿内説お得意の捏造&印象操作www
>>691
いやいや
邪馬台国を中心に語られてるのに?
倭人一般が使ってるものを邪馬台国が使用してないって?
それって変だと思わない?
交易すら行われてないって事になるのに
まあそれはいいとして、記述内容がデタラメだから、それを根拠とはなし得ないって事が言いたいわけでして >>691
>ちなみに、畿内勢力が北部九州に本格的に進出した3世紀前半の直後からは大和でも鉄も出土するようになる
>魏と交流の結果もたらされた可能性のある高品質の絹も出土してる
初耳だな、ソースは? 当時の古墳は、総工期15年、述べ680万人工
この時代、平均寿命が30年かそこらしか無さそうだが
墓を作ってる途中で死んだらどうなるんだ
畿内説の人は根拠も無く自説に都合のいい事を断言してるな。
【継体天皇の怪しい話】
アニメ映画「君の名は」の元ネタである大阪交野市、枚方市にある天の川伝説、大阪7月7日七夕伝説が大和大王の首都が大阪高槻市〜枚方市〜交野市あたりで、隕石がそのヤマト政権の中心地に落ちて滅んだ科学的歴史的事実を元につくられた。
ヤマト大王政権は世界中を支配していた。大阪高槻市にある今城塚古墳は墓ではなく、稲作田んぼをつくる際に出た土を利用してつくられた聖杯(マナのツボ)であり、暦カレンダーである。
その世界中を支配していたヤマト政権支配層の縄文人物部一族の天皇が隕石で死んだあと、国体を継いだから
継体天皇というのが名前の由来であるが、その継体天皇の血筋が怪しい。
>>716
唐古鍵だったかな?
赤い土を見てこれは鉄錆だと言いはってたらしい。
もしくは、鉄剣を持った九州勢力が奈良に押し寄せ、唐古鍵の住人は逃げ去ったという話だろう。 邪馬臺國(ヤマト国)と書かれていて
現代人も邪馬臺國って全く読めも書けもしないから台と書いて略すの何とかしてほしい
邪馬臺國(やまたいこく)と言い続ければ皆も邪馬臺國やまたいこくと言い続けるだろう
絶対に書けない、書く気にもならないが
長年武力で争うも決着付かずの膠着状態なので
鬼道なるものを用い国々を服属させたという記述は
文化レベルは少なくともお互いに同等だったという事
鉄器を使わない後進国にわざわざ付き従う道理がない
絹織物を着ていたかもしれない王達が麻織物を着た女王
にあえて付き従う道理なんかない
海路で東に行くと倭人の別の国があるんだろ?
倭が現在の日本列島だとすれば、九州しかあり得ないのでは?
個人的には服装の描写を見る限りでは九州よりもっと南の台湾あたりじゃないかと思ってしまうが
>>703
最初期においては、都があるから栄えるんじゃない
豊かな土地だから人口が増える
人口が増えるから、そこに王朝が誕生する
その土地を捨ててみんなで引っ越しとかw 鉄剣を持った九州勢力が奈良に押し寄せ、唐古鍵の住人は逃げ去った
そうなのか、知らなかった
唐古鍵の場所はよく知っているが、縄文人が住んでいたのか弥生人が住んでいたのかは全く知らなかった。
うーん、倭人伝の邪馬台国が大和朝廷なのは無理があるねー。
>>692
畿内の勢力が増大するのは鉄が国内で生産出来るようになってから
3世紀だと鉄は朝鮮半島からの輸入だから北部九州の勢力に適う勢力は日本国内にはいない。 >>703
神話における東征は大遠征だけど、
現実は九州の小国の王位争いに負けた王族が僅かな部下と共に
放浪してたどり着いたのが奈良だったのでは? >>714
>邪馬台国を中心に語られてるのに?
どこをどう解釈してそういう判断になるんだ?
>倭人一般が使ってるものを邪馬台国が使用してないって?
それを言ったら、九州は「丹」だけで否定されるがw
あと、九州には鉄が多いということを誤解してるだろ
あれは「九州の数百年の累計」と「畿内の数十年の累計」のグラフを並べて見せるインチキ野郎がいるからだ
>まあそれはいいとして、記述内容がデタラメだから、それを根拠とはなし得ないって事が言いたいわけでして
考古資料から日本列島の盟主であったヤマト国が魏と交流していたことはもう確実になってるけどな >>729
だが、3世紀頭に邪馬台は負けたわけだ。
邪馬台以外の勢力が、鉄を半島から手に入れられないと勝てないよ。
後の大和朝廷と百済の特別な関係は、この頃に出来上がったんだよ。 >>725
年中野菜果物が取れるとの描写だけをみたら沖縄や熱帯みたい思えるけど
倭人伝の元資料書いた人が初夏に渡来し、秋に帰国してたとしたらどうかな? 朝鮮半島から船で玄界灘をはるばる渡って来るよりも
北九州から堺まで瀬戸内海を楽々船で来る方が
波も穏やかで圧倒的に楽だという事を今の子らは知らない
難波から奈良で滋賀行って奈良だからな、逃げ回っとったことは確かだな。
>>722
そもそも、邪馬臺國(ヤマト国)って書かれて
無いんだが? >>626
当時の量産古美術品だったようだな
いわゆる田舎大観(横山大観の贋作)みたいなもの
逆に沢山出るほど正統ではない証拠になるww黒塚はどうだろねぇ >>730
4世紀に奈良がやまと(邪馬台)を滅ぼし、その権威を簒奪した。
それを正統化するストーリーが東遷神話。
重要な点は、東遷以前を「神代」、以降を「人代」に分けてる点。
つまり、西のやまと(邪馬台)は滅ぼされた、ということ。 >>724
怪しいも何も事実だよ。大阪枚方市〜交野市に天の川という実在の川があり、隕石が落ちたのも事実。
隕石が落ちた場所に神社もある。その神社には宇宙船に乗って降りた姫にヤマトの民がひとめぼれして、姫との間に子供を作った。神社に書かれている事実。
七夕まつりは大阪のヤマト大王の首都が隕石で滅んだことを後世に伝える祭り。 >>717
大君が産まれたらすぐ作りはじめてたか(笑)
作ってる最中は特に誰の墓とか決めてなくて、
誰かが死んだら順次完成してる古墳に葬っていったとか ありえそう >>733
邪馬台国が狗奴国に負けた証拠はない。
だけど鉄が国産できるようになっても大和朝廷は朝鮮半島とのパイプ維持のために何度も派兵しているよな。 >>726
いやその頃には移動すんのはある程度の官位持ちだけだろ
古代日本で稲作はそうそうできないんだよ数百、数千年の樹齢の樹木が平地には生えてるから
そこを開墾からしないといけないし
水を引く工事も未発達なので山の斜面で落差を利用した棚田をしている
狩猟採集の豊かさに頼る人は元々季節毎に引っ越しながら生活してるし
しかし畿内ヤマトは奈良盆地の奈良湖の水全部抜く企画をやって
樹木のない平野を手に入れて耕作したから発展し豊かさのレベルがその時変わった
それまでの豊かさがゴミになった
奈良湖の消滅が3世紀頃だからそのくらいだろう >>743
邪馬台国は、狗奴国に負けたのではない。奈良に負けたのだ。
当然、奈良の存在は、魏には秘密だ。魏の書物には出てくるはずもない。
漢の時代、邪馬台の存在が秘密だったのと同じ。奴国しか出て来ない。
重要な点は、鉄を国産化する前に、奈良は、大和に勝ったのだよ。
邪馬台に気づかれずに、或いは干渉できないように政治を駆使しつつ、
半島の鉄産地と通じたということ。 江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りと言い出し 邪馬壱國→邪馬臺國(ヤマト国)
と勝手に変換した
魏志倭人伝の原文は邪馬壱國
ま、畿内説のゴッドハンドはここから始まったw
>>714
>>732の
>「九州の数百年の累計」と「畿内の数十年の累計」のグラフ
これだと言い方がおかしいか
大陸と本格的に取引を開始してからの期間って意味 >>740
大阪府枚方市の国道1号線に「天の川」と言う交差点があるが、そんな話があるのは全く知らなかった。 >>732
いやーなんつうか
これ以上続けても貴方とは会話が成り立たなそうだわ 九州説のファンタジー小説は今日も絶好調www
邪馬台国が狗奴国に負けただの、ヤマト王権に負けただの妄想が捗る
「南」へ向かう邪馬台国の行程を無理やり「東」に置き換えるのに
女王国の「東」の海を渡って千里先の倭種の国に対しては
最初に置き換えた方角との矛盾が出てくるのでダンマリの畿内信者w
>>730
というか畿内ヤマト国と女王国は倭国の中に並行して有ったと思うよ
東征はずっと前、奈良湖のほとりをコツコツ灌漑して他の狩猟採取国と
国力が逆転した所で熊襲征伐やら蝦夷撃退やら買って出て
畿内ヤマトさんに倭の代表をお任せしようとなって
そこで首都になるから元の首都の地名移植もしようとなってヤマトを名乗りだす
天皇に通じる帝政、自治国の合衆国制は昔からあったと思うよ 九州だろな
奈良なんかの山の中から中国行こうってなる訳ないだろ
九州だから航海に慣れ親しんでて中国のことを朝鮮のやつとかから聞いてて
じゃあ朝貢しようか、道案内お願いねってなったんだろ
そういう繋がりが奈良じゃ絶対ありえないでしょ
そもそも奈良の山の中から出てきて航海しようなんていきなり出来る訳もないし
それも他の勢力の土地から出航とか無理
>>749
むしろどうしたらいきなり平地で稲作出来るかが聞きたいな 大和朝廷は大和朝廷で出雲や邪馬台国を征服した強国なんだから別に邪馬台国に執着しなくても良いじゃん
>>752
それもあるけど畿内説で東の海を伊勢湾だとすると
途中にあるはずの伊勢や名古屋あたりを完全に無視することになるから
東海とのつながりも薄らぐことになるし矛盾が多すぎる >>750
あっそー
九州説のインチキが見破られて、捨て台詞を吐いてるだけにしか見えないけど
好きにすればいい >>758
狗奴国の菊池彦も比定出来ないしなwww >>762
海で東に行くと倭人の別の国があるんだから邪馬台国畿内説はこの時点であり得ないんだよ
まだ沖縄の方が可能性高いくらい
距離はいい加減だと思うけど、さすがに方角については適当なこと書いているとは思えない >>754
海の民全般を倭人としていたのなら、或いは見えてくるものがあるかもしれんね
彼らの広い活動範囲の中には沖縄辺りも含まれていただろう
案外その辺りで邪馬台国の根拠となる史跡が発見されるかもw >>758
あと倭人伝を語るにあたり狗奴国の存在が無視出来ないが
畿内論者達は狗奴国の比定地もフワフワしてて統一性が全くないのな
北部九州論者はほぼ一貫して狗奴国は南部九州で一致してるのに >>760
狗奴国を伊勢や東海とみる説もあるけど
それも東の海の記述と完全に矛盾してる
畿内説はこういう矛盾点が多いのは厳しいね 熊本川はくねくねしてる
クナ国 → 曲な → 隈 → 熊本
>>767
すべてでたらめと考えるだろう普通の日本人はw >>767
それは逆やろw
方角なら太陽や星見ればわかるけど、距離はそこまで正確に測れるものじゃない そもそも九州説って九州のどこかってだけで
どことは言わない、言えないのか、言いたくないのか、いや言う度胸もないのか
>>767
太陽が昇る方向に進んでこれは南に向かっているとか思うわけないだろw >>765
学問の世界ではよくあることだけど畿内説のように結論ありきで研究すると
こういう矛盾や不一致はよく生まれるしそれを放置するんだよな 九州説から行程パズルを取ったら何も残らんしな
ひたすら南、南と言い張る
魏志倭人伝の方角の記述が当てにならんことさえも知らないのかも
早稲田大学が所蔵している1970年代後半に中共により作られた原書を見れば、
九州説も畿内説も100%なしと普通に分かるだろww
邪馬台国はヤマトって読むニダ!
ってのが、畿内論者の唯一の支え
だったのに、調べたら江戸時代の
捏造でしたってwww
哀れすぎだろwww
神武東征神話は、熱烈プッシュするくせに
その先代の日向三代は完全スルーかw
神武東征神話によれば邪馬台国は日向の宮崎だろ
>>773
九州説は候補地を出した瞬間に否定されるから九州のどこかと言い続けるしかない >>745訂正
× 奈良は、大和に勝った
〇 奈良は、邪馬台に勝った この先東京は崩壊し
首都は大阪になる
そしたら九州は独立してそこで
邪馬台国九州説をごり押ししたらいいと思う
しかし、江戸時代に捏造した
「ヤマト読み」が未だに通用する
なんてwww
近畿説は余程ネタが無いんだなぁwww
日本最古の桃の種(縄文時代)はやはり九州みたいだし
>>776
>ひたすら南、南と言い張る
↓
ひたすら南を東に置き換える 倭人伝に九州の国の位置が書かれてて
素直に読めば邪馬台国は九州の北部〜中部になる
どう考えてもこれしかないけどね だから宮崎だろ
西都原古墳群
日本最大級の古墳群である。3世紀前半〜3世紀半ばから7世紀前半にかけての築造と推定されている。
だそうだし
てかモモソ姫って桃太郎のモデルの吉備津彦の実の姉だったんだな
>>788
根拠も証拠も無いのに、大和朝廷に関連づけるほうが日本人として恥ずかしいわwww >>788
シナ共産党の思惑だったら畿内説のほうが都合いいだろ
皇室の祖先が大中華様に朝貢していた事になるから >>792
シナのターゲットは機内ではない。
沖縄、九州、北海道がターゲット。
北海道はアイヌ関係を捏造。 >>789
俺もその辺だと思うんだよな
倭人伝の位置関係読めば九州中部辺りかと 先週放送の諸説ありでは邪馬台国の一特定のために中国台湾の4人の研究者に取材していて
内3人は九州派、1人が畿内派
九州派は文献学や歴史学の権威で、魏志倭人伝を疑うべき所は疑い
「今でも残る九州の地名が多く出てくるのにそこからいきなり畿内にとぶのはおかしい」
「現在の糸島市であるイト国には複雑な官位制度があり馬もいない国で畿内のような遠方から
九州諸国を管理するのは無理」
「文化風俗はクマソや隼人のものと見受けられる」
など非常に論理的
畿内派の根拠は洛陽で出土したという(詳細な経緯は曖昧)鏡一枚だけで今でも真贋論議がある代物
もし言い伝え通り箸墓古墳がモモソ姫の墓だとしたら
桃太郎の鬼退治(吉備国平定)と同じ時期
中国は九州狙ってるからね
邪馬台国が九州なら大和の日本とは別もの、としたいわけだ
>>795
>畿内派の根拠は洛陽で出土したという(詳細な経緯は曖昧)
>鏡一枚だけで今でも真贋論議がある代物
その鏡も骨董市がどこかで買った代物だったよねw
実況版見ながら視聴していたが「これ偽物じゃね」の投稿が多数だったw >>789
畿内の方が早いからな
畿内より300年前以上に古墳が出来てたのならロマンだが 畿内もしくは九州以外なら
ちんたら北九州陸路行かずに
船で日本海側ルーティングしてるよ
魏志倭人伝に記載された内容に該当するものの出土率は圧倒的に九州が多い。
邪馬台国の描写にほぼ合致する吉野ケ里遺跡は、その規模が文献記録よりも小さく、邪馬台国とは別の集落とされている。
畿内説は前方後円墳の広がりを根拠に、箸墓古墳を卑弥呼の墓と見て、近くの纒向遺跡を邪馬台国に比定している。
が、それら遺跡の年代が合わない可能性が拭いきれず、調査は続いている。
また文献に反するような出土品が多く、邪馬台国である可能性は下がる一方である。
箸墓古墳は宮内庁の管理下に置かれており、内部調査が困難。
よって仮説だけが独り歩きしている状況である。
>>789
7世紀までぶれてたらあかんやろな
むしろ邪馬台国衰退滅亡あとだろう >>782
関西のド田舎猿ってこんな妄想ばっかりしてるのな >>802
九州説は小さなモノでごり押しし
畿内説の圧倒的な遺産の数々を何とか小物で否定
って感じですな
そのあとの日本の勢力図を考えると
そんなややこしい見方をする必要全くない
結論を出させたくないだけにしか見えんね >>805
畿内で古墳がでるのは、また別の話
出るから邪馬台国があったとか関係ない
畿内には畿内の勢力があったのは事実だろう >>805
なんの根拠も示さない駄文www
彼の国の様に、心証で結論を出すwww >>807
同じ様式だろ?
円墳から前方後円に移る時代も >>805
遺物の数や規模でなくどれだけ倭人伝の記述と整合性がとれているかなのよ >>805
それは畿内説も一緒。
纒向遺跡も4世紀半ばで消滅している。
4世紀半ばから6世紀末までの空白の150年が謎であることは変わらない。 >>808
根拠というより
ただいちゃもんつけてるだけだよw >>805
良く読んだら遺産てwww
流石の畿内説さん 国家の成り立ちと整合性が無ければいけないと思うし
そこから答えを導き出すのが道理だと思うね
人が書いたものなんて間違いがある
どこまで客観的に正確で納得しうるものなのか今更分からんだろ?
ここの馬鹿どもと自称考古学者が同じレベルで笑える
自分には都合がいい部分だけつまんで、都合が悪いところはスルーとかエセ科学そのもの
それにしても、倭とか倭人が日本や日本人だけを指してるとか思ってる義務教育レベルや、
邪馬壹、邪馬台が江戸時代に書き換えた当て字なの知らず、ヤマトと読むニダ!とかわけわかんないアホが跋扈しててオモロイけど日本のレベルが存外低くて哀しい
>>815
ヤマト王権の成り立ちについては記紀という正史があるじゃないか。
そしてそこには前方後円墳統一だの土器様式がどうのこうのという記述はない。
畿内説は一体何を探しているんだ? >>817
圧倒的な現物があるから
邪馬台国に拘らずと言う感じ
というか九州説まだ言うの?とさえ思える >>815
それって魏志倭人伝必要ねえってことか?
もう日本の自称考古学 バカってそこまできてんのかw
勝手に妄想歴史ラノベでも書いてろよもう。
古代日本には超科学駆使して世界征服していた
スーパー王朝があったニダ!とかさ
今時ムーの愛読者でもそんなやついないけどなw >>818
>圧倒的な現物があるから
その現物を絶対に出さない定期www 九州にあるというのもどこに史実があるの
そもそも邪馬台国なんてものがあったのかどうかも怪しい
>>815
物証と古代正史の記述が一致してもそれは関係ないって事?
それおかしいだろ >>818
↑
畿内説消滅宣言で試合放棄。
よって九州説のTKO勝ち。 >>619
畿内説は死んでるどころか最初から産まれてすらいないからな >>818
おいバカ
邪馬台とか邪馬壹とかは江戸時代からの当て字ってなんでスルーしてんの
何が何でもヤマトニダ!ってかw >>818
圧倒的物証が箸墓は孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫命の墓であると確定させてるし
記紀にも卑弥呼も鬼道女王も居ない
女王国邪馬台国は奈良以外 邪馬台国は南の狗奴国と戦争している
邪馬台国の東、海を渡って1000里に和種がいる
これだけでも、奈良盆地は無い
畿内説は即死しちゃうねwww
九州から奈良まで支配しちゃってる強大な邪馬台国と戦争を続けてる狗奴国はどこよ?
www
>>816
邪馬台国は向こうが勝手につけた名前かもしれん
それは置いとくしかないんだよ
何しろ1700年以上前の話だからな
それに関しての記述で場所を特定しようとする方が無理がある
ただ結果として
日本を支配してた勢力=邪馬台国
でいいんじゃないかと
簡単だと思うがね
何の解決もしない外交交渉をやってるのと同じだよ
このままじゃ >>795
日本史については門外漢で知識ゼロ同然の中国人学者らしい意見だな
>「今でも残る九州の地名が多く出てくるのにそこからいきなり畿内にとぶのはおかしい」
ただの主観だし、60日かかると書かれてるのを無視w
>「現在の糸島市であるイト国には複雑な官位制度があり馬もいない国で畿内のような遠方から
九州諸国を管理するのは無理」
北部九州は3世紀中頃には初期ヤマト王権の傘下に入るのが日本の歴史なんですがw
>「文化風俗はクマソや隼人のものと見受けられる」
など非常に論理的
入れ墨のことだろうけど、当時、南九州に入れ墨の風習があったことは確認されてません
実際に入れ墨の物証が多いのは吉備や尾張ですが
さすがに日本史の知識なさすぎでしょw >>830
狗奴国?
江戸城を乗っ取るような強靭な連中の祖先。
しか考えられんやろ? >>829
なんとか面白おかしい摩訶不思議な国が
魏の東方にあると言うことにしたかったんじゃないかね?w 記紀なんて8世紀に大和朝廷が成立した時に創られたもので内容は略創作だな
先祖が九州から来ましたくらいが真実だろうな
鉄が国産化されないと関西の勢力が九州の勢力に敵う筈がないから
大和朝廷の勢力が拡大されたのは鉄が国産化された5〜6世紀以後。
>>822
1日中5ちゃんねるやってるキチガイやん つーか当時関西に強力な色んな国々があったんなら行程等含めて倭人伝に書いてるだろ
先ずは倭人伝を素直に読めば書かれてる国々は九州に行き着くと思うんだけども
>>833
根拠の無い事を何で断言できるんだ?
君の頭の中はどうなってんの? >>836
だったら九州はとっくに畿内を制圧し
巨大な古墳は畿内より九州に出来てると思うが? >>16
だから纏向と桃つながりのあった吉備国にやってきた鬼が
鉄(金棒)を使った九州の武力集団(鬼)だったんじゃないのw >>836
>鉄が国産化されないと関西の勢力が九州の勢力に敵う筈がないから
畿内説の皆さんが言うにはその強大な九州勢力を鬼道の力で服属させたんだってよw 動員力が高い地域とそうでない地域があって
言い換えればそれは、地域住民に対する支配者の強権度なのだが
その強権度が地域を超えて列島に及んでいるのかと言えば必ずしもそうとは言いきれない。
むしろ畿内は全国(特に初期は九州)に労働力を供出しているようにも見える
>>838
女王国より以北は、其の戸数.道里を、略載することができるが、其の余の旁国は遠絶で、詳しくは分からない。と一応、畿内勢力に関する記述と考えることもできふ >>839
神話であるけど歴史上の出来事を神話の形に変えて書いてるのも十分あるんじゃないか >>841
畿内論者程の巨大さに価値を感じてないんだろ
畿内の古墳自体も奈良湖の水抜く灌漑治水工事の副産物で
盛土が邪魔でデカく出来たからしたってだけかもしれんしw >>822
今度、仁徳天皇陵が世界遺産登録だぞ。遺跡も多いし、古代で九州にコンプレックス抱く要素なんてねえよ w 関西人がコンプレックス爆発させてるやん
おもろいで
>>854
少しは勉強しておいた方がいいぞ?
もし既に社会人ならやばい発言だ。 >>845
日本の中心地は関東やで
小学校からやり直せ 畿内論者が圧倒的劣勢だなwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>836
いや、魏志倭人伝にあるとおり、3世紀頭に邪馬台は負けて、
考古学では、3世紀には、畿内の影響が九州北部にも出てくる。
要するに、九州北部に邪馬台があったということをく強く示唆。
鉄の国産化前に、畿内は鉄を手に入れたんだよ。 >>848
畿内のことだと考えると意味不明だよな
女王国って何?何処?
女王国より以北ってどの辺?
全く分からん文だなwww >>854
ということは乗り継ぐ船も宿も道中の食事すら取れないから
近畿と大陸が交易通使とか絶対にありえないな >>850
もうそれ自体が国の規模を表してるからな
現代で言うと高層ビルの数と高さを競い合うようなもんだ なぜデカい古墳がたくさんあるから邪馬台国は畿内だというのかがわからんな
そもそも邪馬台国がヤマト王権と関係しているかどうかは誰にもわからん
確かに当時既に支那には巨大帝国が存在していたわけだが、文字があったかどうかすらわからないような文明レベルだった当時の日本に
九州から畿内までを全て支配下に置くようなデカい国家があったとは思えない
>>859
考古学者でも流石にそんな事を言ってる人いませんけどw >>858
圧倒的劣勢でもないのに圧倒的劣勢とか使うやつは、強がってるだけで、自分の主張に自信がなさそうにみえる >>864
魏の使いは取るに足らん村レベルを邪馬台国と
大げさに書き記したと言うのなら分かる >>861
お前は、女王国の意味も知らないなら、このスレにくる人ではないだろうな >>859
今は昔、当時からスパイや情勢をみては寝返る奴(国)もいたんじゃないかと思ってる
製鉄技術を一国が独占し続けるなんて無理だと思う >>859
>邪馬台は負けて
負けたってどの程度の基準を指しているのか知らんが
少なくとも狗奴国に敗戦したとは書かれていないよ >>863
それは流石に何かの思い込み
何処かの王さま個人がそういう事を考えた事はあっても
別に古代の社会通念でもなんでもない
仮にヤマト王がそう考えてどんどん巨大化させたとしたら
墓のデカさなんかで張り合う別の国が倭国にあったという事になるが 朝貢があったのは事実だろう
で、当然大帝国である魏としては立派な国から朝貢があったということにしたいだろうことは容易に想像がつく
実際にはショボい国だったけど、立派な国だと思ってもらえるような記述にわざわざした可能性だってある
いずれにせよ、船で東に行くと倭種がいて、南に敵対する国があったのはさすがに事実だろうから、
この時点で奈良の可能性は消える
学者が畿内って言うから畿内。みたいなのが畿内説派だしねw
>>873
大きなものに憧れるのは
古代だけじゃなく現代にも通用する価値観だと思うがね
そういう意味で古墳の巨大さで競い合いがなかったのは
日本が早くから一つの勢力に染まってた証拠なのかもしれない 九州説の人はどうしても邪馬台国を小さな国にしたいようだけど
魏が金印を渡して、東夷伝でも韓伝以上に文字数使って破格の扱いだからな
金印を渡す国がしょぼかったら金印の威信が落ちるだろ
今でも熊襲の名残が残るのは
熊本の人吉市、宮崎のえびの市、鹿児島の霧島市辺り
この辺りが狗奴国だと思われる
狗奴国と戦争状態にあったとすると
この地域の隣或いは北方面になると
女王国は宮崎の西都原や高千穂辺りになるな
奴良さんが主張すればいいのは律令制度以降なのに
邪馬台国まで欲張るからややこしい
対馬 壱岐 松浦 糸島 博多 と細かく道中表現はあるのに
遙か彼方の畿内邪馬台国があるはずもない
畿内にいくなら
もっと海路で出雲やら福井の敦賀まで行ってただろうに
『魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄鏃(てつぞ
く)」を用いる、などとある。
『弥生時代鉄器総覧』の鉄器出土地名表を見る
と、福岡県には49ページ割かれている。
これに対し、奈良県には1ページも割かれてい
ない。「邪馬台国=奈良県存在説」を説く人々
には、この愕然とするほどの圧倒的な違いが目
に入らないのだろうか
>>877
魏志倭人伝には、倭国は領域周囲が5000里
(300〜500キロ)とあるよ
九州とほぼ同じたね >>877
旧唐書読んでみた?
むかしの日本国(畿内勢力)は小国だったと遣唐使自らそう言っている。 というか、金印はなぜ志賀島からでたんだ。邪馬台国に渡したんだろ?
>>878
そこは、投馬国
日向国都萬(つま、都萬神社周辺、現西都市妻地区)説 ▼吉田定房奏状(京都府・14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西武士じゃ、一騎当千の関東武士に勝てるわけないざます』
▼人国記(長野県・16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼甲陽軍鑑(山梨県・17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(東京都・17世紀)曰く
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀県・18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼古川古松軒(岡山県・18世紀)
『関西侍は根性無しの軟弱者。薩摩武士は古の鎌倉武士を見るようで頼もしき限り』
▼清河八郎(山形県・19世紀)
『関東は剛直にして人を憐み、上方は柔弱にして人をあざむく』
▼司馬遼太郎(大阪府・20世紀)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県・考古学)
『平安末期の関西人は、ほんとうに男でも女のような体質ですね。関節が小さいんです。つまり肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
▼池田次郎(山梨県・人類学)
『畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている』
▼埴原和郎(福岡県・人類学)
『私どもが行った分析から見ても近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼松村博文(兵庫県・人類学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼中橋孝博(奈良県・人類学)
『関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い』
▼仲尾宏(京都府・前近代日朝関係史)
『大阪、兵庫、京都の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める』
▼原田伴彦(佐賀県・日本近世史)
『全国の部落人口は近畿が半数の50%を占め、九州、中国、四国がそれぞれ12%、関東、中部が5%となっています』
ウンコキーワード: 旧唐書
ずっと同じ話
ウンコ
↓
樽悶 ★
日本の書物には邪馬台国なんてないのになんで信じるかな
当時の九州一の国なんだから金印もらってもおかしくないだろう
南へ水行20日で、投馬国に至る
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る
投馬国と邪馬台国の間に南の狗奴国があるから
投馬国へは陸路を使えずに水行になったんだろう
>>883
志賀島から出たのは漢が奴国に下賜した金印
卑弥呼が貰ったのは魏から 畿内にあるなら途中にあるはずの瀬戸内海または出雲あたりの描写がないのはどう考えてもおかしいわな
それに旧唐書には「日本国者倭国之別種也」と書いてあるのだから、日本と倭は別の国だと支那は考えていたということ
だから倭の邪馬台国とのちの大和朝廷とは直接の関係はない
>>882
それが巨大古墳やその後の歴史に繋がらんのよな
想像以上にいい加減なのかもしれんぞw
中国の使い >>883
玄関口 港だから通行するための部署でもあったんじゃないか >>882
旧唐書?
あぁ、評判悪くて書き直しせれたやつね 万葉集にも日本書紀にも 卑弥呼なんて言う女は書かれてない
俺は畿内こそが邪馬台国ではないと思うがな
朝貢したなら権威を見せるために大陸風に従った葬送方式を選びそれを拡張するはず
独自路線の追求を図ったヤマト王権は邪馬台国の敵であった可能性の方が高いわな普通に考えて
>>887
だから大和王権と関係無いとわかる
九州の一国だからな >>897
倭と日本は別種なんだから、出てくるわけがない。別の国なんだから >>874
西の大国大月氏の朝貢は曹真の功績(親魏大月氏王を印綬)
曹真の政敵である司馬懿は同等の功績を得る必要性があった
邪馬台国からの朝貢にあたり司馬懿は西の大国に対抗して
東の大国として演出する事を画策(親魏倭王を印綬)
その司馬一族は魏を滅ぼし西晋を興す
その西晋に仕えた陳寿は三国志を書き下ろす >>1
最後の部分は総距離だよなぁ。
チマチマ移動して○○国とか書いてるのに、
一気に飛びすぎ。無人の荒野かよ。 皇紀ってただのこじつけだからな
昔の天皇がそんなにアホみたいに寿命が長いわけがない
あと邪馬台国は普通に考えて九州だろ、朝鮮半島も近いし
>>1
邪馬台国は四国だろ
天皇家は四国から近畿に移ってる
九州は前線基地と通過点なだけじゃん 連続性を嫌がるからあの金印は贋作だと畿内論者は言うよねw
旧唐書からのチェリーピッキングは九州説の定番ネタwww
インチキしてる自覚ないんかな?
記紀はともかく本当にいたなら万葉集には残ってるはず
>>904
見たことないぐらいの大きな釣り針じゃんw >>876
というか日本は平原や荒野や砂漠じゃないんだから
デカさを求めるなら山に葬れば良いんだよ、何処にでもある
でもある時期日本中で古墳が造成された何故か
便利な所に川を通して田んぼを作りだしたからさ
治水灌漑工事の土砂を積んだので古墳になった
田んぼで民草が豊かになる功績を讃えてるのも兼ねて
沢山の人間を動かす以上環境の必然というのもあるだろう 畿内説が必死で隠滅しようとしている文献
「旧唐書(くとうじょ)」
日本国(畿内)は倭国の別種であると書かれており、畿内説が発狂する箇所。
「翰苑(かんえん)」
伊都国の南が邪馬台国と書かれており、畿内説が誤字を理由にシカトする箇所。
>>874
晋の時代に書かれてるわけで
魏の功績を増やしてやる立場かなぁ。 >>897
九州にあって、漢の時代の倭国の覇者だった"やまと(邪馬台)"
魏の時代には、奈良の覇権の下、権力無き権威だった"やまと(邪馬台)"
四世紀、奈良が"やまと(邪馬台)"を滅ぼし、その名を継いだ(奪った)から、
神話を作って、有名な邪馬台の女王・卑弥呼を天照大神に昇華させ、
天皇の「祖先」と位置付けた。 >>909
九州説が粘れば粘るほど
調子に乗って四国や岡山が出てくるんだよw
このままじゃ
うやむや路線やで 関西人でも九州人でもないからどうでもいいんだけど
なんでそんなに必死になるんだろう
銅鐸を作っていた連中と大和王権は繋がらないからな。
大和王権は古くないな。
ニギハヤヒが先に王だった訳だからな。
神武より前に王朝が有ったわな。
>>913
江戸時代の学者松下見林が「壱」は「臺」の誤りと言い出し 邪馬壱國=邪馬臺國(ヤマト国)と勝手に変換した
魏志倭人伝の原文は邪馬壱國
ま、畿内説お得意の捏造&印象操作www 邪馬台国は非常に多くの国々を統治している
これが九州の話なら、それぞれの国が村レベル
中国の使者がそんな小さな村落を国とは表現しないやろw
>>911
当時の日本の時代背景と照らし合わせて考えた?
書物鵜呑み派? 邪馬台国なんてのが本当にあったとして
地方の一村落だろ 何処でもどうでもいい
ウンコキーワード: 旧唐書
ずっと同じ話
ウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
>>920
九州説信者は書き込み量で勝負するしかないもんな
中身すっからかんでも、書けばいい >>910
明らかにそういう意図で丘が作られたと言う
存在ではないんだよね
必要以上に集まってるとか
異常なほど分散してるとか
土地を有効活用する意図があるならもっと整然としたものになると思う >>926
中国共産党は邪馬台国を九州にしたいんだ
書き込みの多さ、あとは分かるな >>918
原本はもう現存しないんだ
全て写本
魏志倭人伝を参照して書かれた他の書は
みな臺(台)の字が書かれている
なので壹(壱)が写本の際の間違いだろうということだ >>921
書物鵜呑み、って言うけど、それ言い出したら歴史を考えることができなくなるんじゃないか?
正式な歴史書として残されているものをまずは史実として認識するのが大前提やろ?
邪馬台国の東方に倭の別の国があるのも嘘、南に敵対する国があるのも嘘、日本と倭が別種の国と書いてあるのも嘘
と言い出したら何も信用できなくなるが >>928
それ逆
中国も半島も邪馬台国を大和朝廷と結び付け
皇室が中国に朝貢したい事にしている 中国からしたら大和朝廷が邪馬台国であってほしいだろう。あの大和朝廷が属国だったとかワクワクするじゃんw
無理矢理に大和を邪馬台国にしたいのは日本を中国の属国だった!と、したい人達かと思ってたよw
地理学者の観点で古代中国で使われていた天文距離測量法「1 寸千里法」で
読み解くと宮崎平野南部に邪馬台国が位置するってのもなかなか面白い。
『古代中国における地の測り方と邪馬台国の位置』、野上道男、東京地学協会伊能忠敬記念講演会
>>919
当時の邪って邑の意味だから字面的には邑って書いておいて国って表現してんのやけどな >>927
それ逆だろ
場所によって治水、灌漑工事で掘り起こせる土砂の量が違うから
古墳が集中してる箇所と分散している箇所が出てくる
集中してる箇所→掘り起こした土砂の量が多い
分散してる箇所→掘り起こした土砂の量が少ない このあと、大和朝廷による三韓征伐だ
卑弥呼の時代には大きな大和朝廷が存在してないと難しい
>>930
だよね。
どこにも書いてない物ばかり並べてコレが証拠ですなんて言われてもねえ。
なんの話ですか?って感じ。 >>937
畿内説を唱える人は結局都合よく歴史を捏造したいだけとしか思えない
歴史を検証するならもっと客観的な視点で見ていかないと >>938
無関係でしょ。日本と倭は別種なんだから >>937
畿内説がそもそも何も無いところからのこじつけだからな
歴史書信じたら畿内なんか出てこないからなw 邪馬台国がどこかなんてどうでもいい
九州の人必死すぎだろ 関西は日本の中心でたくさん歴史がある
ID:ttrzwSSp0 [24回目]
ID:D8AAO7QD0 [19回目]
関西猿は頭おかしい
>>935
宮崎の古墳群の配置だがそういう風に見える? キチガイなのは九州のほうだと思うけど すごいどうでもいい
関西の人もどうでもいいと思ってるんじゃないかな
関東人もどうでもいい 必死なのは九州の人だけ
卑弥呼が歴史に残ってないのも当たり前だよな
その後滅ぼされた敗戦国なんだから
>>930
当時の時代背景と合わんでしょ
自国の史記なら分かるが
よその国だからな こいつ一人の頭がおかしい
ウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
河内の古墳群は大和川を西に付け替えたときの土砂なのかな?
九州に似たような河川改修の跡はないのだろうか
わしが学者なら間違いなく畿内派になるw
長いものには巻かれないと生活が出来んわいw
>>951
君の捏造した歴史上の時代背景と合わないだけやろ?
自分の主張に都合のいいところだけ正しいと信じて、都合の悪いところは全部嘘と考えるのは
科学的なものの見方とはいえんぞ >>955
そいつに触れない方がいいぞ
真性キチガイだから >>946
だからそんなイラストじゃ全然分からんから
造成当時の河川の位置とか地形状況とか
高低差とかそういうの提示してよ >>954
長いものに巻かれては真実はわかりませんね >>930
チェリーピッキングが捗るなw
東に海だからもちろん筑紫平野説は否定するよな 1人ヤベーのいるなw
ウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
じゃあ、隋書にある大和は魏志倭人伝の邪馬台国ってのを鵜呑みにしようぜ
灌漑として古墳が出来上がってるなら
もっと全国的にアジア的に巨大墳丘が存在しないとな
日本にしても局所的すぎる
ただ古墳の大きさや数がその地域の勢力の大きさに
比例するのは疑いようがないけど
自国の史記に頼るならそれこそ邪馬台国の記述が残って無いんだから
畿内説がありえなくなるわな
>>953
大和川の付け替えなんて何時の時代だよw >>965
伝わってるような邪馬台国じゃないけど
大和朝廷がそれに当てはまるというのはアリだよ >>966
関東に強烈なコンプレックスがあるみたいだなw 素人でもここまで推理出来るのに
専門家が特定せず、畿内説までもちだして撹乱するにはよほどまずいことがあるんだろ
>>963
隋書の場合、もう邪馬臺国という国は出てこない。
邪靡堆と記述されているが、これが邪馬臺であるなら「古の邪馬臺也」と書かれるはずだよ。
「所謂」と書かれたということは、それに相当するが別もの、という意味だ。 >>911
倭国伝にある、古の邪馬台国はヤマトだと書かれているのをスルーしてる九州説がどうした?
そもそも倭人伝の倭に丹山有もガン無視して鉄が多いから邪馬台国wとか
トンデモ理論ばっかりだしな。 邪馬台国が大和朝廷のことじゃないなら
それも記紀に記されてるはずだからな
それがないってことは
他国が勝手に邪馬台国と付けた大和朝廷のことしかない
中国の使いが九州の村レベルを
隣国の中枢として認めるはずがないからな
>>881
或いは絶え、或いは連なり、差し渡しが約2000kmのどこが一体九州だって?
寝言は寝てるときに言え! 畿内説を唱える人は文献的な裏付けが全くないのに、古墳が多いことだけを拠り所にしている印象だな
その古墳から邪馬台国との関連が推察できるようなものが出土しているなら話は別だが、そういうわけでもないし
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。
世有王
@ 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有搗ケ。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載) 魏の世には増減があったの意味
A 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。
B 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
現在、貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についている、つまりこれも魏の世には冠をつける役職についているの意味
C 三国志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十
>而公孫淵、仍父祖三世有遼東。
父祖三代に渡って遼東を領有した。(189〜238)
D 三国志蜀書黃李呂馬王張傳第十三
>當世有聲名
当時は名声が高かった。
C は三世(三代)の意味、Dは当世(当時)の意味で、世有の用例ではない。
@ は代々の意だが、魏代ではある。Bも代々の意だが、魏代ではある。Aは一般的な言葉を引用しているのでこの世の中の意、用例としては不適切
以上からは、世有王は、特別な使用でない限り魏の世の王が、と訳すのが妥当である。
>>972
つまり畿内にあった邪馬台国が実質的別の国体になってしまった、という事だね。
狗奴国の残党が主導権を握ったんだよ。 文献は裏付けるモノじゃない
参考程度w
古いモノになればなるほどね
裏付けるのは現存してる
当時の勢力の大きさを表す遺物で推測するしかない
2か所目は「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」の文である。
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた 。
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では、「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」の意味となる。
全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた。
皆とは倭の国々を指しているのであって、皆が絶対に伊都国を指さなければならない理由はない。
だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし、伊都国に付いては特に詳しく説明されているにも関わらずそれらし記述も一人の王名ない。
伊都国は郡使が滞在するところで、伊都国に付いては特に詳しく記されている
「官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚」と官、副官の名前は記されているのに、伊都国の王の名前は一人も記されていない
また倭人伝は張政が持ち帰った情報を最新として張政が帰国した時点で書かれていて
既に倭王が魏より任命されているのに、伊都国の首長を王と呼ぶこと事態がおかしい
伊都国の王は伊都国には居なかった、伊都国に居た王は伊都国の王ではなく、倭王の卑弥呼や壹與としか考えられない。
水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りであり、魏志倭人伝は全て矛盾なく解読することができます。
・・・・・・・・・・・狗邪韓国
帯方郡├─海─┼─海─┼─對馬國─┼─海─┼─一大國─┼─海─┼─末廬國─┼─伊都國─┼─奴國─┤不彌國
・・・・・国境・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・国境
・・・・・・・・7000里・・1000里・・・・・800里・・・・1000里・・・・・600里・・・・1000里・・・・・500里・・・・・・・100里・・・・・・・100里
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(方400里)・・・・・・・・・・(方300里)・・・伊都国と奴国の国境で合計12000里┼
魏使の旅は帯方郡の海岸から始まり狗邪韓国の南岸へ(7000里)
狗邪韓国の南岸から対馬国の北岸(1000里)
対馬国の北岸から対馬国の南岸(800里)
対馬国の南岸から一支国の北岸(1000里)
一支国の北岸から一支国の南岸(600里)
一支国の南岸から末盧国の北岸(1000里)・・・呼子、名護屋浦付近が末盧国への上陸地点
末盧国の北岸から末盧国と伊都国の国境(500里)・・・糸島市中央部
末盧国と伊都国の国境から伊都国と奴国の国境(100里)・・・ここまでで12000里になり日向峠付近、女王国の中心地
1里は80mくらいで計算が合う。
女王国とは伊都国と奴国のこと。
投馬國での滞在や投馬國内での移動日数は0日
狗邪韓國が投馬國の中心であり七千餘里に水行二十日掛かる
狗邪韓國には上陸せずにそのまま次へ水行
水行十日で朝鮮海峡を渡り陸行一月(日)で伊都國(邪馬壹國)へ。
投馬国から邪馬壹国は4400里。10日。
呼子付近に上陸・・・「濱山海居」
東松浦半島内を通過・・・「草木茂盛 行不見前人」
二丈付近を通過・・・「好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之」
不彌國は那珂川町、春日市方面。
>>977
脳内倭人伝かよ、卑弥呼が伊都にいたなんて記述はないぞw >>1
このネタ、無限ループだからイラネw
次スレ立てないでねー(^.^) 邪馬台国は九州にあって、畿内のヤマト王権に滅亡させられたんだろう。魏志倭人伝は九州メインの話でもいい。
糞スレを立てつづけるウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
糞スレを立てつづけるウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
・・・
糞スレを立てつづけるウンコ一匹の自演
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ccc
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www
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↓
樽悶 ★
あああ
>>980
>裏付けるのは現存してる
>当時の勢力の大きさを表す遺物で推測するしかない
畿内説を裏付けるものも何もないけどな
畿内説を唱えるには現存する歴史書の記述をかたっぱしから嘘認定しないと成立しない
いくら何でも無理がある 糞スレを立てつづけるウンコ一匹の自演
↓
樽悶 ★
zzz
>>976
畿内説 「も、桃の種が出たんだぞー (`・ω・´;) (シャ、シャキーン 」 畿内にしてたほうが邪馬台国の価値が上がって
良かったんだがな
だれも見向きもしない小伝説になってしまった
もう滅茶苦茶だわ
lud20220303153114ca
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