いま「はくたか」といえば、北陸新幹線の列車名である。
最速達の「かがやき」に次ぐ2番手列車という位置づけなのでいくらか影は薄いが、「かがやき」の本数がさほど多くないので長野や北陸に向かう際に利用する機会も多い。
北陸新幹線の金沢延伸からはや4年、すっかり「はくたか」は新幹線列車として定着している。
■国内最速の在来線だった
ただ、新幹線列車になる前の「はくたか」も思い出してほしい。
北陸新幹線延伸前、東京から北陸に向かうなら上越新幹線で越後湯沢に向かってそこで在来線特急「はくたか」に乗り換える。
ひと手間はかかるが、首都圏と北陸はこういうルートで結ばれていた。
最高速度は国内の在来線で最速の時速160km。
1日に13往復という高頻度運転も相まって、北陸に行くなら「はくたか」で、というあたりは今も昔も変わっていない。
そしてこの特急「はくたか」が通っていたのが、第三セクター鉄道の北越急行ほくほく線である。
上越線の六日町駅から西に分かれて魚沼丘陵を貫き十日町、そして東頸城(ひがしくびき)丘陵を抜けて高田平野の犀潟(さいがた)駅で信越本線と接続。
1997年に開業してから新幹線延伸までの18年間にわたり、特急「はくたか」が走る路線として大活躍していた。
ところが首都圏から北陸まで新幹線で直接行けるようになった2015年3月、ほくほく線の「はくたか」はその役割を失った。
そして列車名も新幹線にゆずり、特急などは走らない一介のローカル線になったのである。
そして北越急行の経営環境は激変した。運輸収入は2014年度の約38億8000万円から「はくたか」の消えた2015年度には約4億1000万円までに大激減。
もちろん赤字転落である。
「定期収入はほとんど変わっていませんから、『はくたか』のぶんがすっかり減りました。開業した頃から北陸新幹線の延伸はわかっていたことではあるのですが」
こう話してくれたのは、北越急行営業企画部長の大谷一人さん。
大谷さんに聞くと、当然こうした収入の激減は想定の範囲内。そこでそれ以前からの「はくたか」の利益をプールして運用、赤字の穴埋めに当てているという。
2018年度末の時点での純資産は約115億円にも及び、20年くらいならば赤字が続いても経営に与える影響は少ない計算だ。
先見の明というべきか、最初からわかっていたのだから当たり前というべきか。ただ、そうは言っても安穏とはしていられない。
首都圏から北陸への大動脈からローカル線へと変貌した北越急行ほくほく線の今は、どうなっているのか。
■ほくほく線を取り巻く環境
ほくほく線沿線には六日町駅を中心とする南魚沼市や十日町駅を中心とする十日町市、そして高田平野では大半の列車がほくほく線から直通する直江津駅中心の上越市がある。
これらの町はいずれもそこそこの規模を持っていて、さらに間には丘陵地帯が横たわっていることもあって相互の交流は少ないという。
そうしたこともあって、日常的にほくほく線を利用する沿線住民はほとんど学生に限られる。
「ほかには……そうですね、なにかの用事があって東京に行く人がほくほく線で越後湯沢に出て新幹線に乗り換えて、といった形で使っていただくことがあります。
絶対人数は少ないですから、やはり学生さんが中心になります」(大谷さん)
数字を見ると、実は日常的に利用している通学などの乗客は横ばいか長期的には微増傾向にある。
人口減少が進む中で多くの地方ローカル線が乗客の減少にあえぐ中で、なかなかに珍しい。どのような背景があるのだろうか。
「別に沿線人口が増えているというわけではないんです。新潟県が高校の統廃合を進めまして、さらに学区も取り払った。
そうした改革の影響で鉄道で通学する学生さんが増えたんですよ。
それでほくほく線にも乗ってくれるようになった。ですが、その効果ももうそろそろ限界でしょう。今後は利用者も減っていくだろうと考えています」(大谷さん)
そうした環境の中で、多くのローカル線で取り組んでいるのが観光だ。
特別な観光列車をしつらえて車内で食事を提供したり、沿線の名物を楽しませるようなサービスをしたりと、遠方から客を集めることに力を注ぐ。ほくほく線でもそうした取り組みは進めているのか。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190331-00273517-toyo-bus_all&p=2
3/31(日) 5:30配信