0001次郎丸 ★
2019/03/07(木) 00:09:02.74ID:zdTocXwp9毎日新聞 2019年3月6日 20時54分(最終更新 3月6日 21時33分)
https://mainichi.jp/articles/20190306/k00/00m/040/229000c
国史跡・斎宮跡の発掘調査で見つかった初期斎宮の宮殿を囲っていた塀跡=斎宮歴史博物館提供
天皇に代わって伊勢神宮の祭祀(さいし)をつかさどる「斎王」の宮殿などがあった三重県明和町の斎宮(さいくう)跡(国史跡)で、飛鳥時代後半(7世紀後半〜8世紀初め)の宮殿を囲った塀跡と宮殿の一部とみられる大型建物跡などが見つかった。同町の斎宮歴史博物館が6日、発表した。
天武天皇の娘で、初代斎王の大来皇女(おおくのひめみこ)の宮殿跡の可能性があり、同博物館は「天皇の権威付けとして伊勢神宮と天皇家との関係が強くなる時代に、天皇を中心とした国の形が定まっていく様子が分かる貴重な発見だ」としている。
斎宮跡は東西約2キロ、南北約700メートルで、面積約137ヘクタール。史跡西部(同町竹川)で昨年6〜12月に行った2回の発掘調査で、宮殿を囲った塀の北東角とみられる東西約8メートル、南北約10メートルの直角に折れた掘っ立て柱塀と、区画内部に東西約5メートル、南北約7・5メートルの大型掘っ立て柱建物跡1棟が見つかった。
宮殿を囲った区画は、過去の調査で確認されていた塀跡につながるとみられ、東西約40メートル、南北55メートル以上の長方形だという。
このほか、区画西側に隣接する場所から斎王の調度品や衣装などを収めたとみられる計15棟の高床倉庫跡も見つかった。数回の建て替えがあり、斎王の交代などを機に新しくなっていた可能性があるという。
斎王制度は飛鳥時代後半〜南北朝時代の約660年続き、未婚の皇女ら60人あまりが斎王に選ばれたとされる。1970年から始まった発掘調査で、奈良期や平安期の宮殿跡は確認されていたが、初期斎宮と鎌倉期以後の具体的な宮殿の位置は分かっていなかった。
同博物館の担当者は「今後、区画内部の発掘を進め、宮殿の構造の全容などを調べたい」と話している。【田中功一】