https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190214-00010009-nishinpc-sctch
古墳時代開始期前後(3世紀)に造られたとみられる前方後円墳・那珂八幡古墳(福岡市博多区)の形が北部九州独自のものであることが、
同市の発掘調査で明らかになった。
最古級とされる同古墳の形状が近畿とは違うことから、ヤマト王権に服属した証しとして地方の勢力がヤマトをまねて前方後円墳を築造したとする
古墳時代像に一石を投じることになりそうだ。
これまで那珂八幡古墳は「纒向(まきむく)型」とみられていた。
纒向型は、古墳時代開始期前後に近畿で築造された纒向石塚古墳(奈良県桜井市)のように、後円部と前方部の長さの比率が2対1で、
前方部の端が広がっている形状の古墳を指す。全国に分布し、ヤマト王権の勢力の広がりを示すとされてきた。
しかし、今回の調査により那珂八幡古墳は、従来75メートルとされていた全長は約86メートルに伸び、後円部と前方部の比率が
5対3となることが確認された。前方部の端の幅も30メートル程度で想定の約45メートルより狭く、纒向型と異なっていた。
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんは「近畿の古墳をまるまるコピーしたのではない」と話す。
一帯は魏志倭人伝に出てくる奴国の中心部で、同古墳に埋葬された人物は奴国に関わる有力者と考えられる。
似た形状を持つ古墳は、北部九州の戸原王塚古墳(福岡県粕屋町)や赤塚古墳(大分県宇佐市)などがあるとされるが、
いずれも那珂八幡古墳よりも新しい。
香川県に分布する開始期前後の前方後円墳も近畿とは形が違い、「讃岐(さぬき)型」と呼ばれることがある。
こうしたことから、九州大の溝口孝司教授(考古学)は
「古墳時代の初期は近畿が地方を支配していたわけではなく、近畿と各地の首長たちによるネットワーク連合という形だったのではないか。
各地域の古墳に独自性があった可能性がある」と話している。
那珂八幡古墳の現地説明会は16日午前10時から開催される。
奈良なんです 何度言ったら分かるんですか?
奈良には、卑弥呼様いがい次の一手がないのです 譲ってください orz
ティガレックス亜衣
ヤマト王権と言えば!みすず学苑もコスプレしている聖徳太子
この比率は去年福岡県田川郡赤村で発見された巨大前方後円墳とよく似てるな
日本の歴史をねつ造するため、ゴッドハンドは今日も行く!
>>11
赤村のは自然地形って断定されてなかったっけ?
まあちゃんとした調査はこれからって話だったけど そらそうだろ。征服した地域に自分たちの墓の形状を押し付けるとか聞いたことない。
お前らも先祖代々の四角い墓石を三角にしろとか言われても怒るだろ。
前方後円墳が始まった理由はともかくとして、別にヤマト王権と関係ないとは皆思ってた
>>13
九州が発祥で畿内で発展したんだよ
その過程で定型化したから九州にそれ以前の形式の前方後円墳があるわけ >>16
調査がされていないので断定もされていない
畿内説のやつが必死にケチをつけていただけ ま、九州に王朝があったの
そんなもん否定するのがおかしい
前方後円墳には違いないわけで支配されてたのか同盟国だったのかの違いだけ
3世紀に畿内が北部九州まで影響を及ぼしていた事実は変わらん
>>20
最古級が九州にあって、しかもそれが独自形状ってことはそうなるな 当たり前だ。
魏志倭人伝の記述を見れば、漢滅亡期の3世紀頭の倭国大乱で、
やまと(邪馬台)は負けて、どこか(多分、奈良)に覇権を譲り、
名目だけの倭国盟主に落ちた、ということが分かる。
男王(つまり覇権追及)を禁止され、女の卑弥呼が王位に就いた。
卑弥呼の死後、男王が復権を試みるも、戦争に敗れ、
また女の王になった。
要するに、覇権は永久に戻らなかったということ。
ここまで、魏の時代、つまり3世紀の前〜中期の話。
たしか九州の前方後円墳は円ではなく卵型で少し違うはず
>>20
頼みの綱の前方後円墳まで九州に取られてしまったか・・・ 纒向石塚古墳は3世紀初頭
那珂八幡古墳は3世紀中葉
これが現実だよ九州カルト
>>11
思ったよりモロに前方後円墳だな
コレは自然地形では有り得んだろう >>21
衛星からの地形図で全く古墳の形をしてなかった
明治〜昭和あたりで鉄道をひくときに壊した可能性もあるかな?とか思ったが >>20
まあ古代の文化は西高東低だからな
大陸に一番近い九州から他地域へと広がっていった
逆はない 日本書紀の記述が4世紀以前は唐の丸パクリであることを踏まえると
それ以前の日本は複数の国家が割拠していたと考えるのが自然
那珂とは、「奴国の」 という意味だ。 例えば、
那珂川 = ナ ヶ 川 = 奴国の川
奴国=みなと(水辺の国)。ここがかつての倭国盟主・覇権国。
半島貿易と朝貢を握って君臨してた。
だが、半島倭人と通じて奴国から倭人盟主の座を奪ったのが
九州にあった、やまと(山手の国=邪馬台)。
この史実は、海幸彦・山幸彦の神話として、記述されている。
半島の鉄利権(と朝貢関係)を押さえて覇権を奪ったことがわかる。
作った理由は水田工事の土らしく、奈良・大阪は後発なのと
広い湿地帯が存在したので、大規模な開発が行われたんだろう
これと箸墓、どちらの建造時期が古いかわかればいいんだけどねぇ
とりあえず副葬品に埴輪がないと言うのをどう捉えるか。これもどちらとも取れるから困る
邪馬台国は九州やろ
倭国大乱で畿内が勝利してれば女王をたてるとかややこしい事しなくていいわけだし
円墳と方墳の古代二大勢力がケコーンすて前方後円墳ができた
これ豆
銅鐸は近畿ばかり
銅鐸作るのやめたのは卑弥呼が共立されてから
古墳は流行みたいなもんで卑弥呼政権にはあまり関係ないだろ
>>43
まあ奈良県民が修羅の国に戦争で勝ったとかとても信じ難いわな >>4
こんなこともあろうと思って3/1に新星篇を用意しておいた。 >>1
昔から思ってたんだが
「前方後円墳」の「方」は本当に「前」なのか?
実は「前円後方墳」が正しいんじゃないのか? こんな微妙な違いがそれほど問題なのか?
奈良の前方後円墳は全て後円部と前方部の長さの比率が2対1なのか?
>>41
その理知的でない否定のやり方はおかしいだろ
赤村のはまだ調査さえされてない
衛星画像では自然地形にしかみえないから調査の優先順位がかなり低いのだろう
それでも興味さえあれば見に行くことくらいはできるし
盛り土か自然地形かくらいは専門家なら今頃わかってるだろ 俺が小さかったころ毎年のように凄い古いものが見つかったのに
いつの間にかそういうのが出てこなくなったよね。
前方後円墳は古代朝鮮に顕著に表れる様式。
日本においては海外から入ってきた流行みたいなもの。
今でいえば、パリコレで発表された洋服が日本で流行るみたいなもの。
したがって、王朝云々は関係ない。
建立できる力があれば誰でも作れた。
朝鮮半島南部と北九州山陰の一部を支配していた倭人に対し
九州の土着諸王朝が抵抗していたのは最初期の話
その後は制圧されたか恭順したかで倭人に取り込まれた
>>48
墓の入り口がある方が前
墓本体が後ろって見方だろ >>50
理知的じゃないのはお前のイチャモンだよ
前方後円墳と断定された山形の古墳は地形図では全く前方後円墳の形をしていないのだから
地形図を根拠に否定することは不可能
これが理知的な判断
>盛り土か自然地形かくらいは専門家なら今頃わかってるだろ
地権者に調査を断られて調べようがないのに分かるわけがない
お前のイチャモンは一ミリも理知的ではない >>53
そもそも大和朝廷が倭人か渡来人かさえ確定してない >>41
こんなのが前方後円墳なのかよ
まあ1500年以上も経過すりゃこんなもんなのかな >>56
嘘ばっかりだな
新聞社の取材では地権者は調査には乗り気だったが
大学の考古学の教授や教育委員会が全く重要視してないから
まだ調査さえされてない
なにかお前にはニダー的な嘘に嘘を重ねる癖があるように感じる >>11
いろいろ言われていたけどこの写真を見る限りマジで前方後円墳っぽいな >>59
そいつの言うことを真に受けると損するよ
本文には
「地形の特徴などから前方後円墳の可能性がある」となっている
1%でもあれば「可能性あり」と書くのが新聞記者 >>60
そのセリフはそっくりそのままお前に返すよニダーくん
https://www.news-postseven.com/archives/20180326_661883.html?PAGE=2
> ところが、高まる期待とは裏腹に発掘調査が始まる見通しは立っていない。「豊の国古代史研究会」の一人が事情を打ち明ける。
> 「発掘には文化庁に届け出た上で厳しい審査が必要とされる。丘陵地の地権者の方で発掘に反対している方もおり、
> 現状としては本格的な調査に取り掛かることができないでいる。たまたま遺物が出てきた、といったことでもあれば調査のきっかけになるのですが……」
> 丘陵地の地権者の方で発掘に反対している方もおり
> 丘陵地の地権者の方で発掘に反対している方もおり
> 丘陵地の地権者の方で発掘に反対している方もおり >>1
前方後円墳は宇宙人に対する何らかのメッセージ。という説もある。
火星に、前方後円墳に似た人工的な構造物があるらしい。 >>63
お前と同じレベルの返しをしてやるよ
>反対している方もおり、
>反対している方もおり、
>反対している方もおり、
お前は国語とか数学とかの論理的思考苦手だろ >>63
あ、やっぱり地権者反対してるんだ
遺跡が出るといろいろ面倒だっていうしね >>67
反対者がいれば掘り返せないわけだが
論理的思考ができないのはお前だな やっぱり卑弥呼は九州にいたんだね
なんか九州って高貴な感じするよね
だいたい、機内派のバカ共は平原王墓の存在は完無視だもんな。アホかっつーの。
>>70
バカ確定したな
古墳の可能性さえあれば、反対してない地権者の部分は調査できるだろ >>70
あと発掘調査になれば金銭絡むことも知っておこうな >>59
千ウン百年前の土盛りが現代まできれいに形を保てると思うほうがおかしいんだよ
たとえば大仙古墳なんて一時は埋葬施設が露出するほど土が流れてしまっていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3
> 埋葬施設
> 後円部はもっとも重要な人物が埋葬されるが、江戸時代には埋葬施設の一部が露出していた。
> 江戸中期の1757年(宝暦7年)に書かれた「全堺詳志」には長さ318cm幅167pの巨大な長持型石棺が認められ、
> しかも盗掘されている旨が書かれている[19][20]。
既知の古墳の形がきれいに地形図に出るのは、土盛りを補修して形を整えてあるからなんだな
近現代に復元された古墳のきれいな地形図を見て、これぞ古墳の地形図なんて思うのは、
エレベーター付きの大阪城をこれぞ日本の城だと思うようなもの >>74
まず反対していない地権者がいるというソースを出せよ嘘つきニダーくん
>>75
発掘して遺跡が出たら地権者なのに土地が自由に使えなくなって損することも知っておこうな嘘つきニダーくん >>76
なるほどねぇ、確かに重機を使って突き固めたわけでもない土盛りなんざ流れて当然だわな
当時は重機はおろか重いコンダラさえ無かったんだしな >>3
で、畿内説の証拠は「桃の種」ですか?www 九州の権威は無視できなかったから神武東遷を最初に持ってきたんだろうな。
とにかく記紀編纂以前の豪族時代はまだ混沌としていて
だから8世紀に記紀を編纂したんだろう。「日本」を名乗り始めたこともあるし
トンネル工事で最後にマイつるはし埋めるだろ、あれな。
職人の生き様を記憶するw
韓国人いわく釜山のあたりは言葉も性質も日本みたいだと言うし
福岡根拠の都民からみて福岡男の性質は半島に似てる
その中間の沖の島は神域なんでかな
薩長が江戸を占領して東北を監視するために東京を作ったように
九州豪族が畿内を占領して東国を監視するために軽島豊明宮・飛鳥宮を作ったのでは?
その前に仮行宮とされている筑紫橿日宮や穴門豊浦宮なんて諸に九州山口だし
>>2
むしろ奈良には卑弥呼以外に多くの史跡があって、
逆に九州のほうがない >>89
九州の北部と朝鮮の南部あたりで一つの国っぽいかたまりが
あったっぽいな。
朝鮮から文化がもたらせれたというのは覆ると思う。 日本文明発祥の地は九州なんだから当然だな
畿内に行った奴らが力をつけ増長し恩を忘れて裏切ったんだろ
>>28
最古級とは言ってるが最古ではないよ
普通に昔から知られていたが、最古ではないからそこまで有名でもない
しかも近畿には前方後円墳が形造られていった過程の古墳もあって、
前方後円墳が近畿発祥であることに異を唱えるのは九州人の学者でもほとんどいない
ね
在野の人は無知だから思いつきで言えるけど 中国の文献によると
遣隋使を送った大王のいる都は
邪靡堆といい、阿蘇山という
火を吹く山があるそうな
>>92
そりゃ縄文大和が優勢で九州から北上して半島沿岸部を支配して
縄文のオスが半島のメスと子供作ってたから
任那伽耶が百済・新羅より上で
任那伽耶が百済・新羅を監視管理監督してた 近畿と出雲と九州は同じ勢力だが、それぞれ服属関係ではないということ
血の繋がりはないにせよ同じ神を崇めていたということ。全てがヤマトだ。
卑弥呼も邪馬台国も一切関係ない。弥生時代の王国は全てヤマトの勢力に滅ぼされた
ヤマトを統一したのが近畿であり、それがヤマトという名前の政体に変わっただけ。出雲も九州もヤマト
宮内庁はさっさと天皇陵の調査を解禁すればいいのに
もう朝鮮半島由来の品が見つかっても問題ない時代だろうし
>>45
近畿の銅鐸はヤマト王権以前に住んでた人達の宗教用道具
ヤマト王権が認めなかったから廃れたんだよ
卑弥呼は九州で滅んだ 九州、出雲、近畿ともヤマトが征服するわけで
言葉も同じだし漢字も使う
邪馬台国には文字を使う文化は無い
それまで文字を使うチャンスがいくらでもあったのに卑弥呼らは文字を使わなかった
ヤマト王権ができあがるころにいきなり広まったとか、そんな都合の良い話はない
文字を使うヤマトに滅ぼされたんだよ
日本を支配する前のヤマトはおそらく朝鮮で扶余を支配してた
これが上手く行かなかったんだろう。気質的に乱暴だったから。
日本だとこれが上手くいった
これでファイナルアンサーだろ
昔縄文人が日本列島に満遍なく住んでいた
そこに朝鮮人が侵略してきて大阪に土着した
縄文人は朝鮮人を嫌って東西に逃げた
土着した朝鮮人は今の大阪人のルーツ
世界遺産にもなった宗像大社
神功皇后が三韓征伐の前に神に祈った宮地岳神社
その間に古墳群が存在する
北九州に宗教的な巨大集団があったのは間違いない
比率の数字がインチキ。
5:3と2:1なら、ずいぶん違って感じるが、
10:6と10:5なら、当時の土木技術なら誤差の範囲だろ
>>36
刀は逆だろ
直刀しかなかった大和側は蝦夷の反りの付いた蕨刀にバキバキ折られた。
その技術が後の日本刀に生かされている >>87
7世紀以前は日本は統一されてないよな
記紀の編纂された8世紀以降が統一日本の誕生だな。 >>12
ゴットハンドは、当時のことをよく覚えていないと言っている。今はひっそりと暮らしている。 もう完全に九州説の勝利だよな
これで学界内では近畿派が優勢とか
日本の歴史学のレベルが心配だわ
そのヤマト王朝も海外の大陸側の記録じゃ4家の大王の共同統治とかだし、
東方王朝や出雲王朝や、関東以北の蝦夷勢力が別途に存在していたことを考えると、ヤマト朝廷の影響力は小さいでしょ。
平安時代ですら影響小さいのは中央からの兵とドンパチやってる地方勢力が「皇」を名乗っちゃうことでもわかる。
>>122
権力者の副葬品として作られ
百錬の利刀を自称するオンリーワンと比べられてもねぇ >>124
一般に使用されてた蕨手刀のデータあんの? その当時から修羅の国として独自のハッテンをしてたってだけの事。
>>124
いや知らんけどな
材質が劣るならバキバキ折られたのはどちらの方かなと
デザインに関してはよく判らん >>123
>そのヤマト王朝も海外の大陸側の記録じゃ4家の大王の共同統治
浅学なもんで知らないんだが、それ、何に書いてあるの? >>120
旧唐書に倭国と日本は別種也、とハッキリ書いてあるからなあ こんなの誤差の範囲だろ
出雲の四隅突出型墳丘墓みたいに特異な形状してるならまだ分かるが
>>132
土木工事でこんな誤差出たらあかんやろ
ラオスダムじゃあるまいし 九州北部は吉備と遠賀川で石器作りをしていた集団の支配下やろ
吉備は近畿を征伐してヤマト政権を作った勢力の1つやけどな
>>131
そっちの方が面白いっちゃ面白いんだけど、倭国と日本は別種也の後に
「或いはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。 或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり」
とも書いてあって、断言する訳にはいかない。 古事記・日本書紀の記述にあわない山陰で見つかった貴重な遺跡はことごとく破壊されたしな
今回は日本書紀を補強する材料になりそうだから学会が発掘してたわけで
九州説は日本の古代史を故意に貶めようとしてる節があるよな
>>138
邪馬台国が九州だったとして、何か不都合があるか? >>129
元三井物産本社のところにある
平将門の墓地が正しい位置だぞ
江戸城の近くに鎮座する平将門 >>138
妄想を排除して事実を追求してるだけなんだが。 ヤマト王朝=大陸半島から渡来した渡来人の末裔
この事実は覆らないよ
邪馬台国はわからんがヤマト王権のもとになる勢力が東遷したのは確かなようですね
朝鮮半島南部の鉄を抑えた部族が九州で拡大してやがて近畿まで進出したのでしょう
ヤマト王権成立時点から朝鮮半島南部に勢力があったのはそこが根拠地だったからですよ
>>143
まともな学者で東遷なんていう人いるのか >>8
銅って鉄に比べて酸化皮膜が出来て腐食が進まないからな
そういうなんか護符的な意味で埋められたんだろうな
&twidth=1000&theight=0&qlt=80&res_format=jpg&op=r >>143
神武東征の話は、天皇家が、天孫降臨の地である九州から来た、天孫の子孫であるということを主張する重要な部分。
わざわざ記紀にそう書いたということは、倭国の正当な支配者を名乗るには、九州から来たとする必要があったということ。 鉄もない地名もない宝物もない
継体天皇という赤の他人の傭兵使って
やっと山口まで征服したのに今更
畿内とか
考古学学会は全員狂人
>>142
ヤマト王権は大陸からの渡来人ではない
関西地方には九州からの次々に何派もの植民活動があり
その最後の入植者が神武だ。 初期のヤマト政権はどのような勢力だったのか?
鎮魂歌にそのヒントがあるかもしれない
初期のヤマト政権は【矛】で象徴される勢力と狩猟民による征服王朝だろう
鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか?
邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える
また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる
初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力も関係していたのかもしれない
纒向遺跡の外来系土器から推測すると、これらの勢力は東海山陰吉備が主体だったと考えられる
石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの。
【アチメ】 オオオオ オオオオ オオオオ
天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
【石ノ上】 【布瑠】社ノ 【太刀】モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル
アチメ オオオ オオオ オオオ
【猟夫】ラガ 持タ木ノ【真弓】 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
上リマス【豊日霎】カ 御魂欲ス 本ハ金【矛】 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
【三輪山】ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
吾妹子ガ、【穴師】ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
魂筥ニ 【木綿】取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ
中国のドラえもんが丸々パクリではないと言ってるようなもの
>>139
今時九州説なんてさすがに朝鮮人の工作員くらいだぞ。 いくらなんでも半島から近い場所では無理があるだろ。
ヤマタイとは畿内ヤマト辺りの事で何の問題もない。
>>152
考古学で判明したことは関西地方では3世紀には文字が無いし鉄も殆ど使われていない
邪馬台国は北部九州地域に在ったと考えるのが妥当。 伝言ゲームみたいなもんだろ。
技術が理解できなくて仕方なくってだけ
>>152
魏志倭人伝はいい加減な部分が多い。
そのいい加減と思われる部分を取り除いて考えると北九州しかあり得ないってことだよ。 >>1
なるほど、これは頷ける。
なんとなく天円地方の宇宙観を共有してても、
それは別にどこか中心があっての服属関係じゃないよね。 卑弥呼は女王なんだし、天皇がずっと畿内にいたのなら、
畿内説だと、和の王は男なんじゃないですかね
>>153
同じことだよ
北九州人は朝鮮人の末裔だから >>155
君らのウリナラファンダジーは聞きあきたよ >>1
九州にヤマト王権より古い別王朝が有ったんだろ、前から言われてたじゃん エネルギー充填120%
おいおい100%になったら撃てよ、なんの為の100%だよ
意味ねー記事だろ そもそも日本に独自の古代文化など存在していない
例のゴッドハンドの一件以来 従前の日本古代史などというものはすべて否定されてしまった
古代日本の成立の実態とは8〜9世紀ごろ朝鮮半島から渡来したいわゆる「高麗神族」が
それまで文字も道具も言語も持たず火すら使えなかった倭原人を領導して
日本を建国したというのが現代の世界的共通認識であり
それ以前の遺跡遺物や伝承のたぐいはすべて偽物偽史だとみなされている
>>163
サービスだな。
飲み屋でコップ酒を頼んだら下の皿にこぼれるまで注ぐし。 その後の前方後円墳の放置っぷりから見て大和朝廷と前方後円墳の
繋がりも不明なんだよね。
前方後円墳を作ってた王朝を滅ぼして、律令体制で国を治めたのが大和朝廷じゃないの?
畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている
勾玉を大切にしていた畿内の国を滅ぼしたのが卑弥呼、邪馬台国、初期のヤマト政権ちゃうかな
池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。
>>132
四隅突出型墳丘墓に似たところもあるという話。
弥生から古墳時代の間に出現した古墳。
出てきた土器は弥生時代とほとんど変わらないという。
前方後円墳はヤマト王権となんらかのつながりはあったんだろうけど、
3世紀半ばだから「服属」ってほどでもなかったんじゃね?
よくはわからんがってくらいの話だな。
ここは墳頂に神社があるので第一主体部が未盗掘の可能性が高いから興味深い。 >>175
新しもの好きが見様見真似で作ってみた、ってだけかも知れんよね。
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
「那珂八幡さんとこのお墓、不思議な形よね?」
「旦那さんが変な宗教にはまってたみたいよ」
「まあ、奥さんもお気の毒にねえ…」
みたいな感じで。 ここは3世紀半ばに遡り、九州では一番古いだろうという話だった。
このあと近畿地方の古墳は巨大化していき、数も増えるのに九州北部は目立った古墳はなくなる。
奴国が衰退していったんだろうね。
>>177
九州では一足早く古墳で権威を示す土人文化を廃止して寺社を建てる方向にシフトしたのでは?
奈良最古の大神神社に相当するものが九州にもあって大己貴神社という。日本書紀には新羅征伐の際に神功皇后が建てたとある
もちろん祭神は大物主。これは三輪氏が磯城に住む以前に九州に住んでいた名残ではないか? >>178
こういう妄想してるのが頭のおかしい九州派なんだよな >>180
でも畿内に馬鹿みたいに大きい古墳作っている頃から
九州には寺が建てられているんだよな・・ まあ古代史はよくわからんし、決着つかない論争していても仕方ないってこと。
ただ、「皇室は九州出身」てのを内心少し誇りに思っている九州人は多いと思う。
日本の正史、日本書紀にそう書かれている以上まあ一応、それは誇りに思っても良い。
>>173
古墳文化と大和朝廷には明らかな断絶があるよな。 >>182
宮崎や大分出身の人が思ってるならいいが、それ以外の九州人が思ってるならアホとしか言い様がない
特に福岡と佐賀の奴らな >>182
>>184
皇室は九州出身を拡大解釈して県民意識醸成のため利用したのが宮崎県庁
中村明蔵氏の「隼人異聞史話: 縁の下の古代史」を読めばその経緯がよく分かる
全く迷惑な話
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>1
【天孫降臨】
・於是詔而此地者向韓國真来通笠紗之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也
・ここで仰られたことには、「ここは韓の国に向き合い、探し求めて笠紗の岬に通り来て、朝日のまっすぐに射す国、夕日の照り輝く国である 古墳文化の発祥こそ九州で、それの発展形がヤマト古墳だとなぜ気づかない
>>184
そいや、筑紫にかかる枕詞は「しらぬひの」なんだよね。
今じゃしらぬい(不知火)といえば八代海だが。 >>1
出ている土器は近畿の土器
三角縁神獣鏡が出ている
溝口さんは教員やめたほうがいいんじゃないの?w 延喜式祝詞によれば、皇御孫之命は高天原で事を始めた八衢彦、八衢姫、クナトであり、根の国底の国の侵略に抗ったとある
山陰の勢力による侵略の痕跡が残るのは畿内ヤマト
皇御孫之命は元々畿内にいたんじゃないかな
更に高天原で事を始めたということは天下りしていないということ
また皇御孫之命は天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
天照大神や天孫降臨神話も関係ないんだろう
道饗祭
高天之原に事始めて、皇御孫之命と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、
八衢比古・八衢比売・久那斗と御名は申して辞竟へ奉らくは、
根国底国より麁び疎び来む物に、相率り相口会ふ事無くて、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守・日の守に守り奉り斎ひ奉れと、
進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・辺高知り、・腹満て雙べて、汁にも穎にも、
山野に住む物は、毛の和物・毛の荒物、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、
横山の如く置き足らはして進る宇豆の幣帛を、平けく聞食して、
大八衢に湯津磐村の如く塞り坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂御世に幸へ奉り給へと申す。
又親王・王等・臣等・百官人等、天下の公民に至るまでに、平けく斎ひ給へと、神官、天津祝詞の太祝詞事を以て、称辞竟へ奉らくと申す。
>>185
うざいぞ韓唐生グソ基地外国賊チョンこエベンキ 済州島の先住民は、日本民族に近かったらしいんだよなあ
おそらく、山東半島から朝鮮半島南部や九州北部に移住した
弥生系及びその近縁民族と同じだった筈
異民族の侵入で民族的には消滅してしまったが
>>195
田道間守が垂仁天皇の命を受けて、トキジクの実(非時香菓)を探しに行った常世国が、
済州島だという説はあるよね。朝鮮半島から見れば温暖で、常春の国だ。