古代史連続講座で意見を交わす登壇者たち 考古学者の高島忠平氏が監修とコメンテーターを務める古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く〜遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第6回フォーラムが27日、飯塚市で開かれた。関西外国語大教授の佐古和枝氏と、元佐賀県立名護屋城博物館館長の田平徳栄氏が「邪馬台国は東遷したか?」をテーマに議論。約150人が参加した。 邪馬台国の場所については、九州説と畿内説のほか、九州から畿内に移ったという東遷説がある。畿内説の田平氏は「東遷はノー。邪馬台国は魏が認めた唯一の政権で、一貫して畿内にあってヤマト王権に引き継がれた」と主張。 一方、九州説の佐古氏は「北部九州にあった論拠は、大規模集落や王墓が複数あり、大陸系の遺物が出ているからだ。ただ、九州説でも疑問点はある」と話した。 西日本新聞 2019年01月28日 06時00分 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/482459/ ★1:2019/01/28(月) 22:24:45.70 http://2chb.net/r/newsplus/1548756051/ ここは不毛な議論好きのハゲとチョンと生粋の日本人()が織りなす ハゲのハーモニースレ
「邪馬台国」は房総上総の地にあった? 最後に千葉が勝つのかいつものディズニーランドパターン
畿内説は神武天皇を否定するのか それは天皇否定でもあるのに
いろんな文献読み漁って、オタク並に調べまくった俺が言う 邪馬台国は福岡の朝倉。
福岡と奈良のそれぞれの地名が妙に一致しているのは何故なんだぜ?
彡 ⌒ ミ 彡 ⌒ ミ ( ´・ω・) ( ´・ω・) _(__つ/ ̄ ̄ ̄/つ/ ̄ ̄ ̄/ \/ / \/ /  ̄ ̄ ̄ カタカタ ̄ ̄ 彡 ⌒ ミ 彡 ⌒ ミ ( ´・ω・) .(・ω・` )ヾ < なぁ、これって _(__つ/ ̄ ̄ ̄/つ/ ̄ ̄ ̄/ \/ / \/ /  ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ 彡 ⌒ ミ 彡 ⌒ ミ ( ´・ω) .(・ω・` ) _(__つ/ ̄ ̄ ̄/つ/ ̄ ̄ ̄/ \/ / \/ /  ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ 彡 ⌒ ミ .彡 ⌒ ミ (´・ω・`) (´・ω・`) またハゲの話してる _(__つ/ ̄ ̄ ̄/つ/ ̄ ̄ ̄/ \/ / \/ /  ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄
, - 、 オハゲダゾー ヽ/ 'A`)ノ . - 、 { / 、('A` }ノ ヒャー ヽj )_ノ
魏志倭人伝には卑弥呼は伊都国に居たと書かれてるのに 何時までもめてんの?
そもそも邪馬台国のあった時代に大和は統一されてない あくまでも地方豪族のひとつが邪馬台国
>>6 記紀読んだこと無いだろ お話にならない と遊んでみるw >>8 大和から大宰府に派遣された人が付けた地名かもな >>6 神武天皇が生きたとされる時期は邪馬台国の時代よりはるかに昔。 そうすると九州にあった邪馬台国は魏の時代には畿内に東遷済みだったのかもよw 卑弥呼の居た三世紀半ばの頃は、西日本は近畿や吉備や出雲などのいくつかの有力豪族が割拠して緩やかに連合している状態で、 どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。これはほぼ異論のない古代史における定説。 しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。 つまり、邪馬台国が畿内にあったという主張は、 畿内は自分の周辺すら軍事的に統括することが出来ずにいるのに 中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括することが出来たと主張しているのと同じ事になる。 どう考えてもデタラメ。
>>18 このデタラメしつこく貼って恥ずかしくないの? 無知を晒してるだけだろうに ◆卑弥呼は何者? 総合的に説明を 九州か近畿か。中国の史書、三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」の所在地論争は、古くは江戸時代から続き現代に至るが、諸説入り乱れて決着がつきそうにもない。 その中で最新の統計論を駆使して九州北部と推定し、卑弥呼=天照大御神(あまてらすおおみかみ)伝説へと論理を進める安本美典・産業能率大元教授(84)。 「邪馬台国の会」を主宰し、関連する著書は九十冊を超える。邪馬台国を熱く語った。 −邪馬台国問題を考えるうえで大切なことは? 古代史の全体を見て議論することです。私は九州説ですが、畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。 「長江はある岸辺で見ると南や北に流れ、別の場所では東や西に流れたりしている。しかし、全体としては西から東に流れている」。 これは毛沢東の言葉ですが、学問も同じです。ある特定の岸辺に立って観察して得られた事実が全体として正しいとはかぎりません。 「全体をうまく説明できるのか」が大事です。 −具体的には? 考古学的な議論では「魏志倭人伝」の記述から出発し、データ全体を総合的に公平に比較すべきです。 「倭人は、鉄の鏃(ぞく)(矢尻)を使った」と魏志倭人伝にあります。「鉄の鏃」の福岡県からの出土数は奈良県からの出土数の約百倍です。 弥生期の「絹」は九州からは出土するけど畿内からはほとんど出土していない。 「鏡」や「勾玉(まがたま)」でも同じ傾向が認められます。 全都道府県について、出土数を調べ、その傾向を公平に比較すべきです。 つづく
>>20 つづき −纏向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかと言う人もいますが。 纏向の大きな建物の近くからモモの種が出土して放射性炭素(C14)年代測定で分析すると、卑弥呼の時代を含む西暦一三五〜二三〇年代という結果が出たと報道されたことがあります。 しかし、この方法による場合、箸墓古墳から出土したモモの種で測定すると、四世紀を中心とする年代が出てきます。箸墓古墳では年代の古く出がちな土器付着物で測ると、三世紀という年代が出てくるのです。 C14年代測定法というと科学的な印象を与えますが、何を測定するかで年代がかなり変わってくるし、年代推定の誤差の幅も広いのです。 畿内説に都合の良い測定値はマスコミに持ち込み、都合の悪いデータは報道されていないのです。 またモモの種や大型建物のことは倭人伝に記載がありません。古事記・日本書紀(記紀)の記述と倭人伝の記述の擦り合わせも必要です。 −卑弥呼の鏡と騒がれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)はどうみるべきでしょう? これは古墳時代になってからしか出土していませんし、わが国からは五百面以上出ているのに中国からは一面も出ていません。 日本国内でつくられたとみるのが妥当です。三世紀後半から四世紀はじめごろの、いわゆる「西晋鏡」でさえ、おもに福岡県を中心に分布しています。 「庄内様式」といわれる弥生時代の土器の時期が卑弥呼の時代と重なるといわれていて、この時期の鏡は奈良県からの出土は三面のみなのに対し、福岡県からは三十面も出ています。 もうひとつ、倭人伝に「棺(ひつぎ)あって槨(かく)なし」と墓制が記されています。 おもに三世紀ごろ福岡県を中心に分布する箱式石棺は、これにあてはまります。奈良県のホケノ山古墳からは、木槨が出土していて、倭人伝の記述に合いません。 −里程の問題からは? 帯方郡(現在のソウル周辺)から一万二千余里のところに邪馬台国があると倭人伝に記されています。一里が現在の尺度で何メートルになるかは議論がありますが、 同じ三国志韓伝には現在の韓国あたりを四千里四方としており、これから一里の距離が割り出せます。 記述では帯方郡から一万里で九州に着きます。残りは二千里ですから、これまでの行程からすぐ想像はつきますよね。 とても畿内まで行ける距離ではありません。九州しか有り得ません。 こういう議論には、ジャップの対韓コンプレックス、兄国への妬みと羨みがあふれていてかわいそうになる。
四の五の御託を並べてないで結論と根拠をずばーっと書けよ無能ども 火を付けるぞ
前のスレの議論をまとめてみた 九州説「鉄鏃や絹の出土状況、九州での環濠集落の構成を見ると魏志倭人伝に書いてある邪馬台国は九州だよね?」 近畿説「いや纏向遺跡から大型建物が出て来て桃の種も出てきた」 九州説「それ倭人伝と関係ある?」 近畿説「桃は卑弥呼の鬼道に通じる」 九州説「桃の種は吉備の遺跡でも大量に見つかってるよ」 近畿説「それはそれこれはこれ」 九州説「邪馬台国は倭人伝が根拠ってわかってる?」 近畿説「前方後円墳の箸墓古墳は卑弥呼の墓にふさわしい」 九州説「あの、倭人伝のどこに前方後円墳の描写があるの?」 近畿説「卑弥呼の墓にふさわしい」 九州説「…」 まとめ終わり
>>18 吉備や出雲とかそこまで大きな国は未だ存在してなかったようだよ 一つの国邑が郡、市程度の大きさで 国邑が20〜30個集まって地方毎に国が出来てたていど。 考古学を趣味としてる輩は結局調べてないよな だれかの日記()レベルで騙りだすからこまる
・「天皇」という呼称を使ったのは中国で武則天のみ ・神武天皇の「武」は武則天の「武」 (武勇伝がないのになぜ神武天皇は「武」の神という名前なのか?) ・天照大神の「照」は武則天の名前 (なぜアマテラスと読んで「照」は当て字ではないのか?) ・武則天は「神功」という元号を使った (日本書紀では神功皇后が重要人物で登場) ・武則天の活動時期と日本書紀の成立時期がとても近い
前スレの終わりの方で千葉の方が引き受けてくれた お前ら無意味な論争が終わる時がきたで 投馬国から旧東海道を進み、三浦の海を渡り、ようやく「水行十日陸行一月」を経て、 目的地とする邪馬台国、つまり上総(安房を含む)の清澄山一帯に着くのである。 そして、卑弥呼が住む地(首都)は、『日本書紀』や『古事記』の「高天原(たかまがはら)」で、 夷隅郡の「麻綿原(まめんばら)」である。この「まめんばら」の「ま」は「あ」の転化したもので、 この時代には「あめんばら」と呼んでいた。「あめ」は「天」を意味し、 それに「ん(の)」を付けて「あめん(の)」とある場合は高天原又は天上を表示するといい、 「あ(ま)めんばら」が高天原である。また、卑弥呼は天照大神である。>
投馬国は狗邪韓国を中心とした朝鮮半島南岸地域の国で倭人が住んでた 対して邪馬壹国は北部九州地域の国で卑弥呼の都の伊都国が在る倭人の国。
邪馬台国は九州だろ 天皇家とは一切関係ない地方部族の一つ
漢の時代は北九州に大陸と親交のあった倭国だったことは確定してるのに いまだに 魏の時代は北九州ではなくて畿内にあった倭国と親交してたとか言ってる奴は その政治の中枢が移動したという理由と時期はもちろん解ってるんだろうな?
普通に考えれば、魏に使いを送った「邪馬台国」は九州にあったんだろう でも、それと「大和朝廷」はまったくの別物と考えるのが自然
>>34 どうもそうらしい そもそもヒミコは邪馬台国の巫女だったのが、優秀だからってんで 周辺諸国の国までヒミコを巫女として奉るようになった それが大和という連合国家みたいね ◆(・3・) 山○・・・あめーよッ バーカ 今、世間からどんどん嫌われてるのは 山○ おめーなんだよwww
◆(・3・) 俺を追い込めば、追い込むほど 山○・・・おまえの人生も追い込まれるw さ〜〜〜これから30年続くチキンレースだよwww 男の俺より、女のおまえの方がダメージでかいぞ おまえの人生 もう終わりだよw 自業自得、因果応報 いつまでもイジメとかしてる自分が悪い ざまあねーーーーな 山○w m9(^Д^)プギャー
◆(・3・) 山○w m9(^Д^)プギャー 山○w m9(^Д^)プギャー 山○w m9(^Д^)プギャー 俺が追い込まれた分・・・おまえも世間から追い込まれる あひゃーーー いいぜー 俺は覚悟あるから さ〜〜〜一緒に地獄への道連れだわ〜〜〜 俺はどんどん追い込まれてやるwwww 山○ 同じだけ おまえも世間で白い目でみられる あひゃひゃ
◆(・3・) 山○・・・考えてもみろよ 人の・・・俺の人生から幸せを奪えば奪うほど 俺が被害者、おまえが加害者になる 日本人は加害者には厳しいよー 俺の人生 こんなに追い込んでしまって 山○・・・おまえ大丈夫かい? おまえも同じだけ 追い込まれるぜーw ざまあ ねーな おいッ
◆(・3・) てめーだよ 山○ てめーだけは一生、絶対に許さんwwwwwwwwwwwwwww
優秀な巫女であるヒミコを輩出した「邪馬台国」と 周辺諸国が大きく和する形で連合国家になって、優秀な巫女であるヒミコをみんなで奉るようになった「大和国」 これが別物で、後者は国家連合であり、ヒミコが九州から近畿に行ったのは、 邪馬台国の巫女から大和国という連合国家の巫女になったから と考えるとすべて話がまとまる 国同士が「大きく和する」、すなわち連合国家として生まれたのが「大和」
◆(・3・) あ・・・山○・・・ 芸能人とか政治家とか、他の人がやった俺への嫌がらせ、イジメも 全部、おまえの人生に返ってくるから わたしは関係ありませんって思うだろ ところが、世の中 そーはいかないんだなw お前が大元の主犯格なんだからw
◆(・3・) 実際に嫌がらせしてる実行犯より やらせてる主犯が一番嫌われるのよ そう・・・一番の主犯格は 松○、山○の2人な 俺の人生、こんなに追い込んでしまった分・・・ おまえらの人生も まだまだ同じだけ追い込まれるよw それが世の中ってものだから せいぜい、頑張って生きるんだな えーー おいッw
畿内説派「魏志倭人伝の記述は日数はあってるけど方角が間違ってる」 九州説派「魏志倭人伝の記述は方角はあってるが日数が間違ってる」 と、どっちもご都合主義過ぎるんだよなあ。 方角、日数、どちらも正解で、 邪馬台国は海底に没してしまった島or大陸にあったと考えるのが一番合理的
◆(・3・) 松○、山○ m9(^Д^)プギャー 松○、山○ m9(^Д^)プギャー 松○、山○ m9(^Д^)プギャー 因果応報、自業自得だよwwww (゚∀゚)アヒャひゃひゃひゃ (゚∀゚)アヒャひゃひゃひゃ (゚∀゚)アヒャひゃひゃひゃ
出雲に勝って国譲りされた方がなぜ宮崎に島流しされるか意味わからん
◆ (・3・) 松○、山○ m9(^Д^)プギャー 一生、苦しめーーーー 松○、山○ (゚∀゚)アヒャひゃひゃひゃ 一生、苦しめーーーー 松○、山○ (゚∀゚)アヒャひゃひゃひゃ
ああ、でも確かに、唐を模して大都を作る以前はよくドサ周りをしたんだろ? 神社の縁起などでもドサ周りの話って良く出てくるよね
魏志倭人伝には邪馬台国には 「成人の証にみな刺青を入れる」 「泣き女の風習がある」 と記述されている このどちらの風習も大和王権には引き継がれていない つまり両国の文化が断裂している訳で 大和王権と邪馬台国は別ものと考える方が自然 まあ邪馬台国は大和王権に滅ばされた地方政権のひとつだろうな
>>34 全くの別物は別物なのだが、 3世紀頭の倭国大乱で負けて、覇権を奪われ、 新覇権国で後に大和朝廷となる奈良政権に 朝貢*させられていた*のが九州のやまと(邪馬台)だわ。 >>46 魏志倭人伝の方角は意図的にフェイク情報が伝えられているって説がある 邪馬台国の正確な位置を中国に教えることは、 いつの日かどこかの王朝に侵略軍を送り込まれた時に不都合 なので、意図的に方角を変えて情報伝達した可能性があるって説ね 大和といえば、春日大社に茨城県から鹿に乗った神がいったっていう話があって 奈良に神が不在だったから、だ、と 奈良に神が不在ってのも、だから茨城県から勧進するってのも なんか意味がわからない そういうのをよく研究していくと、既存の朝鮮半島由来とか天皇一族だけじゃない 歴史って見えるんじゃね?
>>52 つづき 実は、九州やまと(邪馬台)も、その昔、みなと奴国から 覇権を奪っている。 漢代には、配下に収めた奴国に朝貢させていた。 その覇権奪取の経緯が記されたのが、海幸彦・山幸彦の神話。 神話を読めば、半島の鉄利権をものにして、 倭国盟主の座=朝貢利権を奪ったことが分る。 >>48 だよな。 記紀は出雲から畿内あたりの話がとてもリアル >>18 >どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずにいた。これはほぼ異論のない古代史における定説。 ↑ これとこれが矛盾しているのに気がつかないのかな ↓ >しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。 近畿は軍事的に統括できないけれど、九州は軍事的に統括してたとでも屁理屈を捏ねるつもりか?ww 伊都国の一大率は、片道二ヶ月の邪馬台国からの全権代理の派遣官・外交官みたいなものだろ? 何処から軍事的に統括とかいう話が出て来るんだかww 卑弥呼の共立は、祭祀連合であって軍事面では何の義務もないよ そしてその祭祀連合に北部九州の奴国・福岡の比恵那珂遺跡群も参加している 九州だけが倭国というのは、考古学的遺物の出土状況から完全に否定されている >>51 九州やまと(邪馬台)は、地方政権ではない。 東亞の朝貢秩序の中で、列島盟主の座にあった。 半島の鉄利権をめぐる攻防から、列島内で出雲・奈良の台頭を許し、 結局、後に百済となる地域の鉄利権を奪った奈良に 列島内の覇権を奪われたようだ。3世紀頭の倭国大乱だ。 これで、やまと(邪馬台)は形だけの盟主(男王禁止)に落ちた。 それで、奈良から*朝貢させられる*という屈辱を味わう。 >>46 >畿内説派「魏志倭人伝の記述は日数はあってるけど方角が間違ってる」 これは違う 日数が正しいか、方角が正しいか、どちらか不明というスタンス ウンコの日記帳 畿内説を否定せんがための珍説開陳の場
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>>31 >投馬国は狗邪韓国を中心とした朝鮮半島南岸地域の国で倭人が住んでた >対して邪馬壹国は北部九州地域の国で卑弥呼の都の伊都国が在る倭人の国。 この投馬国、半島南岸説のトンデモ度が高すぎて辛い 韓地は小国乱立の後進地帯だよ 後漢王墓や魏朝皇族墓(最大60mくらい) よりも遥かに巨大な箸墓(全長276m) を冊封国女王卑弥呼の墓とするカルト集団 が日本にいるらしいwww
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>>33 >魏の時代は北九州ではなくて畿内にあった倭国と親交してたとか言ってる奴は >その政治の中枢が移動したという理由と時期はもちろん解ってるんだろうな? その考え自体が、予断だけの思いつきなんだよ 政治の中心は移動していない 北部九州の中心が没落して、新たな中心が作られただけ 畿内説なんだったら邪馬台国の南にあったっつー侏儒国はどこにあたるんだよ 淡路島か?
>>51 (>>61 補足) 漢代は、やまと(邪馬台)が列島の覇権国で、 隷下の奴国に朝貢*させて*いたようだ。 当時は、覇権国は朝貢せず、つまり大陸の臣下にならず、 隷下の国を代わりに朝貢させ、朝貢利権を一手に握り、 それで列島に覇を唱えていたようだな。 >>36 >それが大和という連合国家みたいね そのヤマトが、邪馬台国として記録されているんだよ 簡単だろ? \(^o^)/バンザイ \(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
畿内から環濠が消えていく1世紀後半〜2世紀中頃の、守山の伊勢遺跡 政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう 国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろう 中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。 おそらく30もの首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。 面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。 神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。 伊勢遺跡の祭祀は夜に行われていたと言われている。 夜の食国を治めたのは月夜見 農作業に使う暦を作って、首長たちに伝えていたのかもしれない 魏志倭人伝の魏略からの引用に女王国には暦がないという記述は興味深い 万葉集の奈良時代後半の歌を読むと、月やホトトギス時鳥の来訪の期待感が、次第に高まっていくのが感じられる 桓武朝で神代の王統が復活したのだろうか? 信長秀吉家康の例え話 ホトトギスは何を指すのだろうか?
杵築大社の天井図、八雲が一つ欠けて七つしかないだろ? 出雲地方で【オオナムチ】以前に信仰されていたのは【幸神】、【東!】から来て文物をもたらした【クナトの神】、そして二神の子【サルタヒコ】 追放されたんだろうな。八雲が欠けた理由 八雲を出た一族、出雲。 逃れたサルタヒコが見つかったのは、天の【八衢】 道が幾つにも分かれるところ、【方違】 堺に方違神社があって、方違【幸】大神が祀られている 畿内に逃れてきた幸神一族、出雲族と元々畿内にいたクナト族が一緒に国作りをしたんだろう 1世紀半ば〜2世紀後半の出来事 倭国大乱前に畿内にあったクニは、この二つの勢力が中心となってできたんだろうな 【八衢】と延喜式祝詞にある道饗祭の神々との関係が興味深い 【八衢】彦、【八衢】姫、クナト 上記の神々は、高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。
\(^o^)/バンザイ \(^o^)/バンザイ \(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
ホツマツタエという真偽不明な言い伝えがある スズ(銅鐸?)は暦の源 とか物の化成の話とか色々書かれていて、結構面白い ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、 その中でもウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び(飛鳥か)、 カゼ(風)の勝る鳥は美声で囀(さえず)り(鶯?)、 ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ(鴨?)、 特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります。 スズという音で思い出すのは、サザキ スズは古語で小さいという意味らしい。 小、少、スクナい 仁徳天皇 大雀命 オオ【サザ】キのミコト 鳥の王様はミソ【サザ】イ 日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子スクナヒコナとある スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな 神産巣日、サザキで思い出すのは、 布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話 この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、 地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、 緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、 割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します 倭国大乱前に存在した畿内の国は滅ぼされたのだろうか?
畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落 弥生時代末期に営みが終焉 貴重な勾玉が放置されている 池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土 大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡 など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。 奈良の唐古・鍵遺跡、鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。 これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか? 仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。 弥生時代の勾玉勢力と何か関係があるのだろうか?
>>69 >畿内説なんだったら邪馬台国の南にあったっつー侏儒国はどこにあたるんだよ この部分は、信頼性が落ちる 女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至。 參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里。 少なくとも、裸国、黒歯国は淮南子の引き写しであり、古来の伝説で実在の国ではない 黒齒國は山海經にも出てくる伝説上の国だし、裸國も淮南子に出てくる世界の端の国 淮南子:墬形訓 自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民; 自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民; そんなのちょっと卑弥呼さんに電話して聞いてみればわかるんじゃないの
>>75 結局、歴史が学問になりえないのはそこだよねw どんな証拠があろうとも天皇家が万世一系の唯一統治家じゃなきゃ いけない国なわけだから じゃ、こんな議論ムダだわ 邪馬台国の南の狗奴国 魏志倭人伝の狗奴国の版図はヤマトの南の南河内と和泉だろう 元々狗奴国は畿内くらいの版図があったんじゃないかな 2世紀末の畿内征伐で、なにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力によって征伐されたんだろうな 狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦だろうな 狗奴国と道饗祭の神々は関係があるのだろうか? 道饗祭 高天之原に事始めて、皇御孫之命と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、 八衢比古・八衢比売・久那斗と御名は申して辞竟へ奉らくは、 根国底国より麁び疎び来む物に、相率り相口会ふ事無くて、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守・日の守に守り奉り斎ひ奉れと、 進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・辺高知り、・腹満て雙べて、汁にも穎にも、 山野に住む物は、毛の和物・毛の荒物、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、 横山の如く置き足らはして進る宇豆の幣帛を、平けく聞食して、 大八衢に湯津磐村の如く塞り坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂御世に幸へ奉り給へと申す。 又親王・王等・臣等・百官人等、天下の公民に至るまでに、平けく斎ひ給へと、神官、天津祝詞の太祝詞事を以て、称辞竟へ奉らくと申す。 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和
戦ってんのは事実とか説とかじゃなく薩長による皇国史観でしょ 日本会議が幅利かせてるうちは学術的な研究なんかできるわけもないわな むしろ江戸時代の方が進んでんじゃね?
前スレ>>924 >>>900 >観光客の多い盆地北部じゃなくて、邪馬台国の都は南東部だから一応は分散されている >アクセスが不便過ぎて、そんなに人来ないと思うけど こんな馬鹿な地理知識の奴がいるんだな 纏向は奈良県北西部だろ 延喜式祝詞には、 皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある 同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある また道饗祭の祝詞には、クナトが高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。 これが平安時代の朝廷の認識 魏志倭人伝で言うなら、狗奴国の勢力が600年の内乱を経て倭国大乱前のあり様を取り返したと言えるだろう。 記紀なら神武東征による被害者である畿内の在地の勢力が、600年の内乱を経て平安を取り戻したと言える。
箸墓古墳を調査すれば終わる話 金印出土してやっぱ邪馬台国は畿内だったねーってなる 後の歴史が証明してるように畿内説こそが王道の中の王道
>>61 「やまと」は大和国の地名 九州で勝手にパクるなよ 畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。 纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。 記紀にもヤマト征伐によってヤマト政権が始まる様子が記述されている。 畿内征伐によって誕生したヤマト政権の主体は、尾張、出雲、吉備。 次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。 初期のヤマト政権に虐げられていた元々の畿内の人々と関東の先住民が手を結び神功皇后応神を旗頭に立ち上がったんだろう。 神功皇后応神に該当する時代。 記紀や各地の伝承。 忍熊皇子の討伐、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。 神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。 纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。 全て牛というキーワードが共通する。 同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。
魏志倭人伝 邪馬台国の官 官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。 伊支馬は生駒。生馬。火の神。 弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。 弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。 奴佳鞮は中臣。 邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。 出雲地方には生馬神が祀られているんだな。 生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。 出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。 ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。 邪馬台国の官の筆頭 伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。 伊支馬、生駒、生馬、伊熊、猪熊、生目などの地名が、ヤマト、出雲、三河、遠賀川、宮崎に見られる。 何か関係あるのか?
\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
やっぱり万葉集のこの歌に古代史は凝縮されている 真十鏡 可照月乎 【白】妙乃 【雲】香隠流 【天津】霧【鴨】 まそ鏡、照るべき月を、白栲の、雲か隠せる、天つ霧かも 照るはずの月を、白い雲が隠しているのでしょうか。それとも天の霧が隠しているのでしょうか。 「まそ鏡」は、澄んだ立派な鏡というような意味です。この歌では、月を導く枕詞(まくらことば)として使われています。
畝傍とは「火がうねる」の意味である 畝傍山が阿蘇=浅間=火山を表しているのだろうな
\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
今だってさ、天皇家の御物は東京にあるんだろ? 何かがあって、書物の類と歴史が消失したらさ 地べたの痕跡だけをみて、京都や奈良が東京より前に都だったなんて わかるかな?わかんねーべさ
新作映画のトゥームレーダーが 卑弥呼を題材にしてた。
出雲国造神賀詞から抜粋 大穴持の命の申したまはく、 己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて、倭の大物主くしみかたまの命と名を称へて、大御和の神奈備に坐せ、 ◎八咫の鏡はオオナムチの和魂 八咫の鏡が今あるのは伊勢神宮 能の三輪に通じるな 三輪 能 思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。 三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。 天の岩戸は関。 関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し邪馬台国、ヤマト政権を作ったんだろう。 斎宮歴史博物館のホームページに面白い話が載っている。 神鳳寺縁起帳によれば、 天照大御神は蛇で、夜な夜な斎王の元に通っているらしい その度に鱗を一つ落としていくんだとか その鱗を櫃に収めているのだが、櫃が鱗で一杯になるとこの世の終わりが訪れるのだとか この話は蛇で有名な三輪の神さんに通じる 当時の庶民の歴史認識が垣間見れて、面白い なぜ明治維新以降、天照大御神が皇祖神になったのか? 歴史を書き換えたのは、どういう理由があったんだろう?
\(^o^)/バンザイ\(^o^)/バンザイ \(^o^)/バンザイ\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
鎮魂歌 卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか? 邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える また【矛】で象徴される勢力も関係していたようだ また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる 初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力も関係していたのかもしれない 纒向遺跡の外来系土器から推測すると、これらの勢力は東海山陰吉備が主体だったと考えられる 石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの。 【アチメ】 オオオオ オオオオ オオオオ 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ アチメ オオオオ オオオオ オオオオ 【石ノ上】 【布瑠】社ノ 【太刀】モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル アチメ オオオ オオオ オオオ 【猟夫】ラガ 持タ木ノ【真弓】 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ アチメ オオオ オオオ オオオ 上リマス【豊日霎】カ 御魂欲ス 本ハ金【矛】 末ハ木矛 アチメ オオオ オオオ オオオ 【三輪山】ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム アチメ オオオ オオオ オオオ 吾妹子ガ、【穴師】ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ アチメ オオオ オオオ オオオ 魂筥ニ 【木綿】取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル アチメ オオオ オオオ オオオ 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ
気多大社の謂れは興味深い。 孝元天皇の時代(台与の頃かな)オオナムチが【化鳥、大蛇】を退治して【海路が開けた】とある 倭国大乱の余波で日本海航路は安全が担保できない状況だったんだろう 四隅突出墳丘墓の分布 広島→岡山、島根、鳥取→石川、富山 舞鶴マイヅル、敦賀ツルガに無いのは興味深い 更に気多大菩薩は、孝元天皇の時代、従者を引き連れて渡来した異国の王子とある。 新羅の王子だろう。 オオナムチは異国の勢力の浸入を手引きしてまで、在地の勢力を討とうとした。 敦賀湾〜伊吹山の勢力は義に厚く最後までヤマト政権に抗ったんだろう。日本書紀にある伊吹山の荒ぶる神。 伊吹山は和歌に於いて一途な思いの代名詞 伊吹山にはヤマタノオロチの神霊が眠ると言われている。 伊吹山の麓の稲部遺跡、貴重な鉄が放置されている。 風の宮の神、級長津彦命 級長戸辺命 しなは息が長いという意味。 息が長い、吹子のことだろう。鉄。ヤマタノオロチ。
中華思想の武則天が日本で使われてる天皇を使わんわな。使うからには、今まで使われてないか、支配したかだな。
>>101 そりゃ、欧米の王権神授説とかに基づく法律だの政治だのを マネするためにそういう世界観が必要だったんでしょ 唯一絶対神+そこから王権を神授されている統治者、皇帝とかさ キリスト教世界の話を記紀と天皇家にどうにかあてはめようっていう事だべし >>103 このキモいコピペ貼ってる人は何説なの? 長文貼ってるが一度も読んだことがないんで してみれば、大和が重要なのは当の関西ではなく 薩長にとってなんだな 薩摩なんか邪馬台国が九州の方がええんじゃねーのかな
まあ2世紀に突然出雲文化と思われる銅鐸が姿をけし、3世紀には北九州の剣が古墳に入れられるようになったのだから、祭祀文化を出雲から九州に変更したことは確かだと思われる。 それもちょうど卑弥呼の頃なのでややこしくなっているが
隋書?の多利思北孤ってのとは随分音感の違うネーミングだよな そのヒコってのは なら、大和朝廷は朝鮮系で邪馬台国は九州なんけ?
>>88 こういう皇国史観の持ち主が畿内説の 特徴。 中華の冊封国のだったことを理解できない ちょうど2世紀に出雲文化と思われる銅鐸が姿を消し、変わって3世紀には剣や鏡が古墳に入れられるようになるのだから そのころ祭祀が出雲式から九州式に変わったのは間違いない。 運悪く卑弥呼の時代とちょうど重なってしまったので、どちらにいたのか分からない状況になってしまったが
文化的には越文化から呉文化に変わったという感じと思うが
邪馬台国は大和王権と全くの別物だろ マキムクは大和王権誕生の地 邪馬台国ではない
箸墓古墳を発掘調査すれば確実に九州説はおわる 完膚無きまでに跡形もなく終わる 九州派の連中は箸墓古墳調査したら終わるって内心ビクビクしてるっしょ?
銅鐸は潮岬を挟んで対称に、大阪湾と伊勢湾中心に分布しているんだよな
>>91 忍熊皇子は母親が吉備系なんだよねぇ 吉備型の甕が福岡でも巻向でも出土してるという。 神功応神は九州出産で九州勢を率いて凱旋。 吉備での抵抗はないとしてる。まだまだ謎だね。 \(^o^)/バンザイ\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ 天皇\(^o^)/バンザイ 皇室\(^o^)/バンザイ
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>>113 倭が支那の冊封国だったのは確かだが、 諸国連合を治めるためが他と違うな。 卑弥呼台与にしても倭の五王にしても。 銅鐸って言うのは、 中華思想で言えば楽とイコール。 孔子も楽を盛んに学んだが、 何よりも先ず古代王朝が楽を利用して、 民を治めた事が、 そのまま、日本の古代史にも当てはまると言う事だろう。
結局これだったんじゃないの 仲哀天皇 妃:大中姫命(おおなかつひめのみこと。彦人大兄の女) 彦人大兄命 景行天皇の皇子で、母は伊那毘若郎女(稚武彦命の女) 稚武彦命 第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖。「若建吉備津日子命」
>>18 同じ考えです 学会では支配的とか言ってマウントしてくるもやめてほしい 普通にまともな論拠を示してほしい >第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖 だから、吉備は大和朝廷が征服した後に皇族送り込んで支配したんだよ 皇別で、土着勢力じゃない
イザナギイザナミの話とか海幸山幸の話とか、記紀神代の話は南方にルーツがある話が目立つ。 天皇家が奈良で発生し、そこから勢力を広げた一族なら神話にこのような話が入り込むはずがない。 ましてや日向三代の話など入るはずがない。天皇家は明らかに南からやってきている。 これはもうどうしようもない事実。問題は、それがいつだったかということだけだ。
自分に都合悪いのは根拠無しにしてるだけだろ 野菜が冬に出来ないとかさ
大体ねえ、昔から畿内ならわざわざ記紀なぞ書かんよ。
>>131 初歩的な間違いを指摘されてるのに、同じ考えだと同意するのはさすがに自演だよな? >>34 けど神武東征はウソじゃない説濃厚だよね。 邪馬台国を含む九州の国が東征して大和朝廷を立てた説が否定できないのがなんとも。 >>137 どの辺が嘘じゃないの? 九州説の人はいつもその辺がすっぽり抜けてるの もしかして、キングファイル何冊分かの調査したのかもしれんけどさww `滋賀,すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー 【現代的新しい価値・文化の創造】 1.ゆるキャラ(ひこにゃん) 2.イナズマロックフェス (西日本最大) 3.オペラ 4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング 5.ラッピング(路面)電車 【著名な観光地】 1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ 2.彦根城、安土城 3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所) 4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数) 5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者 【美味名物・食文化】 1.近江牛、鴨料理 2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司 3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭 4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒 5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン) 大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑) .
>>114 銅鐸が出雲の文化というトンチンカンな知識はともかく、 副葬品は広まっているのに、王の墓としても使われた北部九州の独自の墓制である甕棺墓が姿を消した理由 (弥生時代を通じて)近畿など遠い他地域に広がらなかった説明が必須だな 基本的に、弥生後期の瀬戸内近畿の墓には破鏡も含めた銅鏡が副葬される場合がある また伝世鏡が古墳に副葬されることからも 中国や朝鮮に近く豊富に入手できた北部九州とは異なり、銅鏡や剣などの宝器は単に貴重過ぎて副葬できなかっただけという可能性も考慮に入れないとな >>138 なぜ神武東征が史実だとすると邪馬台国九州説になんの? つうかなぜ関連付けるんだ? >>141 九州説じゃないんだ 大体東征言ってるのは九州説の人に多いからさ。間違ったよ で、九州説じゃないの? 前スレ>>615 「道鏡を天皇に」の神託は宇佐神宮側が言った事。 阻止したい側は神託が本当か確認しに宇佐神宮へ行って、デタラメだと撤回させた。 昨日は仲間だと言ったが本当に神託があったかもしれないし、天皇はとても強い女帝だったから何やら考えていたかもしれない。 >>143 俺は137じゃないけど、九州説70%他30%って感じかな でも畿内は100%無いと思ってる しかし神武東征と邪馬台国云々は別の話っしょ 東征つーか、北部九州で追い出されたのが あちこち放浪して 隙間の多い畿内に住み着いただけやろ。
>>51 記紀で大和朝廷は九州に何度も遠征するのだが なんとかヒメという女リーダーの国が複数出てきて それが降伏したとか抵抗したので滅ぼしたと書かれている。 もちろん大和朝廷が九州にきたときには邪馬台国連合は崩壊しているようだが それでも女リーダーの国が九州に多いというのはポイント。 >>144 宇佐神宮の神託があったと言ったのは太宰府の人よ? 九州だと知らないかもだけど 神武の橿原市と纏向の桜井市は近いよ
>>147 一応、記紀では豊穣の奈良を目指せと成ってたような そういう夢だかなんだかを見た 銅鐸が何故山に隠されたかと言うと、 当時の日本は銅が算出しなかったせいで、 溶かされて、鏡や銅矛にされる可能性があったからだな。 そういった意味では、銅鏡や銅矛の次の時代は鉄器だったので、 それ等は隠さずとも残されたと言える。 先ずは銅鐸の銅の分析によって、 何処産の銅のか、明らかにしなければいけないだろう。
ちなみに漢書や魏志倭人伝には、 銅鐸や楽の記述がない。 そういった意味では、 古代の本州とチャイナとの交流は完全否定出来るだろう。
まあなんだ 正直、畿内説の人でも箸墓3世紀ってのは真に受けてないのが多いから あれは予算獲得のための口実が大きいでしょう
>>151 九州人はそんなの知らずに否定ばっかりしてるから 奈良奈良って当時存在しない地名で言ってるしね あと、日本書紀にも銅鐸や楽の記述がない。 そう言った意味では、 銅矛文化の九州の部族が東征した可能性が否定出来ない。
記紀の編纂が700年頃で 邪馬台国があったとされる時代が250年頃 400年以上前の話 今から言えば関ヶ原の頃の話 しかも、文字が無いし 色々厳しいよ
>>110 多分薩長も何ら血が関係するならオラが村じゃないと思うな。 オラが村の人達は、オラの地元が凄いっちゅう意識しかない。 皇族や昔の豪族なら日本全体を見てると思う。 九州しかない!奈良しかない!と言ってる人は農民。 そんな攻撃的にならず、日本は古代中国人が言ってた様に皆和種なんだから、もっと楽しんで話し合うべきだ。 >>161 そうだよ だから日本書紀もわかんねって態度示してるし 理解できる人が読めば、「卑弥呼なんて知るかぼけ」って態度がありありと見える >>154 銅鐸って記紀など大和朝廷サイドにも記録が全くないんだとな。 奈良時代や平安初期に畿内でそれが発掘されても当時の人間は何が何だか分からず。 畿内に銅鐸は多く出土するのだが3世紀にはいきなり出なくなる。 魏志倭人伝なんか本気にする時点で論外だ。 1300年後の明末清初に書かれた日本の戦国時代の記述でさえ、不正確なんだぞ。 中国の歴史書で日本の歴史を正確に掴もうとするのは無理だ。
倭国大乱が九州vs畿内なら 卑弥呼は九州が納得するような人で畿内の思い通りになる人やろな
>>163 あの時代に日本全体なんて大きさも知らんかったやろね 精々近隣の数か国だよ 5−6世紀でやっと少し見えてきたかなって程度 それまでは各地の豪族が覇を競ってた その地の伝承が物語ってる >>150 太宰府の誰? 悪いが何が言いたいのかわからない。 太宰府の人間も朝廷からの派遣だし、別国やら僻地とは違うよ。 卑弥呼と銅鐸に何の関係が? ウンコは時代を理解してるのかね
>>164 書紀では神功皇后のところの注釈で中国文献によれば使者を送った倭国の女王がいたと卑弥呼のことに触れてる。 これってただ三国志に載ってるってだけで大和朝廷は邪馬台国の実質は知らないってこと? それとも日本側文献で知ってるのに意図的に隠しているってこと? >>166 そもそも、付録の資料の一部で 数行あるだけなんだよ 魏志倭人伝って凄い大袈裟に言う人が居るけどさ 今の時代の論文でも嘘や捏造があるのに 300年頃の資料の付録の資料で、更にその中の極一部数行 どれだけ本気で書いてるかすら未知数 >>166 その頃の漢民族は科挙制度で記憶バカになった 後の支那人と出来が違うから >>85 >奈良に阿蘇があるかよ? このアオリ、見飽きたわww 隋書の頃は、都が大和なのははっきりしてるんだし、阿蘇山も大和朝廷に従っている阿蘇氏の 領分だぞww 仮に親魏倭王の印が発見されたら、そこが邪馬台国って事?
>>168 そんなことはない。 勾玉の翡翠は一部の地域でしか出ないんだよ。 それが縄文時代も弥生時代も古墳時代も、翡翠は全国で使われてるだろ。 帯方群の遺跡を調査すれば邪馬台国の何らかの痕跡が残っているかもしれない。
>>86 >こんな馬鹿な地理知識の奴がいるんだな >纏向は奈良県北西部だろ バカはお前だw 奈良県と奈良盆地を同一視するなよw 奈良県の北側三分の一くらいが奈良盆地で、纏向遺跡は奈良盆地の南東部に当たる 江戸を発展させたのは徳川家康 滑ヨ東でも関西でb烽ネい人が天下b謔閨A江戸に末虚{を開き、東緒ニ大権現様としbト祀られている 神武天皇もこういう感じかもしれないよ
>>176 間違いなく、滅ぼされた時に盗られたとか言い出すよ >>140 銅鐸が発掘されている領域が出雲の支配領域と完全に重なるのをどう考える。 >>106 >中華思想の武則天が日本で使われてる天皇を使わんわな。使うからには、今まで使われてないか、支配したかだな。 三皇五帝とか、天皇、地皇、人皇とか知らないんだろうな まあ、不思議なのは略式地図が、それ以前にあったらしいということだわな まあ、どうでもいいな 脱線
>>82 ほんとに? 河内王の墓は福岡県田川郡鏡山にあるよ 宮内庁の看板たってるわ、立ち入り禁止って。 河内王が狗奴国?ほんとかいな。 万葉集には死んでも河内王が帰ってきてくれないから 妻が悲しんでる歌があったような 河内王は自分の祖先ルーツを知ってて 死んだら田川に埋まりたい帰りたくなかったのよ 今日はここまで >>101 中世の本地垂迹説では、三輪のオオナムチも伊勢のアマテラスも 大日如来の権現だとされた、というだけの話だよ。 んで、同体だという話が膨らんで「実はここだけの話、アマテラスは蛇」 てなオカルト話になっちゃったと。 印は、律儀に返却されてたら永遠に見つからん オリジナルの鏡だな
>>171 そう、まさにその記述だよ 文注でしかもその、注はおそらくかなり古いものなので 日本書紀の編纂者からしても 「卑弥呼ってのがそういえばいたみたいっすね、この人(※神功皇后は神話性の高い人物として書いてる)かもねw」 ていう態度だよ 本文からはカットなんだもの あとその辺の念打破わざと120年ずらして書いてることからいって、気の利いた洒落みたいなものも感じるよ >>155 >正直、畿内説の人でも箸墓3世紀ってのは真に受けてないのが多いから それも嘘 標準的な編年では箸墓は260〜280年とされている しっかり3世紀だよ ただ、248年とされる卑弥呼の死には間に合わないかな?と考える人も多い ただ、260年なら12年差だし、280メートルの大墳丘を作るのに10年かかると考えれば ちょうどいいと考える人もいる 奈良は大和国という地名だった。 偶然のはずないだろう。 畿内だと考えるのが普通。
>>172 >そもそも、付録の資料の一部で >数行あるだけなんだよ 烏丸鮮卑東夷傳が付録なのは認めるが、数行ってことはないぞ 表意文字の漢字で二千文字以上ある 纒向遺跡はどうひっくり返しても伊勢東海系列でしょ。
しかし邪馬台国ってわざと場所分からなくしているとしか思えんなあ 年代もちょうど東遷があった時期 方向や距離がとんでもない 記紀の作者や天皇家ですら存在を知らない
>>192 それ神武天皇が建国した名前 奈良は出雲 >>182 >銅鐸が発掘されている領域が出雲の支配領域と完全に重なるのをどう考える。 それはないな 出雲よりも、大型銅鐸の出土地域の方が広い 銅鐸の分布の中心は、畿内と東海地方だよ >>179 で、奈良盆地南東部には飛鳥や橿原神宮、大神神社、山の辺の道、安倍文殊院や談山神社や長谷寺など観光地がたくさんあるんですがご存じないんですか? >>177 それは承知してる んじゃ奈良時代になると見向きもされなくなった理由はなに? ちなみに箸墓は槨が出るのは間違いないだろうから、 畿内説はそこでも完全否定されるだろう。
>>96 畝傍→畝尾だから 尾がうねる→龍のことだよ 漢方薬でいう竜骨(昔の中国では高価) 竜骨が取れた山だから畝尾山なんだよ 奈良の山で竜骨とれたのか? 福岡県田川の香春岳畝尾山は竜骨とれるんだよ だから邪馬台国は福岡県のこの辺りだよ 発掘の許可が出ないなら、せめて超音波測定とか、非破壊的な調査はできないのかね
ヤマトタケルなんて倭国が大和になった後でつけた名前だろ 奈良のヤマトがヤマトを名乗ったのは 700年くらいからだろ
槨があるかないか判断したのは、魏の人間 >>192 本当の読みはヤバタイかヤバイ。 ヤマダイかヤマイかもしれんんが。 >>193 論文書いた事があれば分かると思うけど 2000文字なんてあっという間だよ 所詮カウント出来る文字数しかないんだから 倭国大乱を出雲の大国主が西日本統一。奈良の三輪山のふもとに拠点を置く。しかし、北九州出身の卑弥呼を三十か国が共立し 大国主に退陣を迫る。大国主は三十か国の武器を回収し平和になるならと何百本の銅剣と 引き換えに国を譲る。そして銅剣を荒神谷遺跡へ封印する。 卑弥呼は三輪山のふもとで邪馬台国の女王となる。そして、岡山で勢力を誇っていた百済 の王子の温羅を弟を派遣し制覇する。 そうして、岡山の墓制と畿内の墓制、北九州の墓制が融合し前方後円墳が生まれる。 ここに、北九州と同じように、銅鏡や剣、勾玉などを副葬するようになる。
>>200 流行じゃないの 勾玉も使われなくなるでしょ なんで銅鐸だけ、そんなに拘るの? >>199 現在の福岡京都郡って「みやこ」ぐんって読むんだけど 由来はほんとに都(みやこ)だったからってご存知? >>193 あと追加しとくけど 2000文字未満みたいだよ すぐに嘘つくのなww >>210 へ?俺銅鐸なんて一言も言ってないし何に使ったかもわからない 代物に興味はない 興味は日本全土に権力をもった王権なんか5−6世紀にもなかったって ことを言ってるだけ >>213 本当かどうか知らんけど 中国って、北部と南部で言葉が通じないとも聞いた事あるけど どっちの言葉なの? 山東半島にいた弥生人の先祖が、他民族との勢力争いに敗れ朝鮮南部経由で九州北部に移住 その後、勢力を拡大し九州〜関東の大部分で多数派に、複数のクニが成立し戦乱勃発 第一段階として邪馬台国と狗奴国の2つの連合国家に纏まり、両国が対立 九州の大部分、山陽、四国、畿内中南部、東海の邪馬台国=天津神 宗主国が魏、友好or服属させた地域が朝鮮南部 山陰、畿内北部、北陸、関東甲信越を領有する狗奴国=国津神 宗主国無し、友好国は高句麗と熊襲、服属させた地域は蝦夷の一部 最終的に近畿地方に拠点を移した邪馬台国→ヤマトが勝利、北部を除く日本本土を統一
>>200 勾玉も流行りがあるようだよ。 弥生時代はともかく、古墳時代は仁徳天皇の頃から物部氏が失脚する頃までは勾玉は重視されていた。 物部氏といえば神仏戦争してた人。 勾玉が消えたのは仏教が中心になったからだろう。 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか? 在日チョンの5ch運営が規制してリンク貼れなくなってしまったので、 「2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員」で検索してみてください そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です 在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます 5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか? 売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主 在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党 ↓ 「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発… 在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない ↓ 在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党 5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない . . . 240560+344
>>213 中国語も古代漢語と今の漢語、または古代呉語など複雑だね。 魏志倭人伝なら古代漢語だろうか。 >>217 洛陽で考えると、どっちが近いのか良く分からんな 地理的にも 銅鐸は古い方が素朴で新しい方が派手ででかい 島根素朴 近畿、東海派手ででかい つまり島根から近畿東海に進出した
>>190 神功皇后は福岡の宇美神宮で応神天皇を出産した実在の人やん 神話時代じゃなく大和朝廷が日本統一後の人でしょ 卑弥呼とか知るかぁ失礼な >>222 流行り物なんて、大概そんなもんじゃね? そして、飽きが来て止める 近畿も東海もみな出雲だよ 奈良 事代主 熊野 五十猛 伊勢 伊勢津彦(出雲建子)
>>223 宇美神宮ではなくて宇美八幡ね 香椎宮は実は仲哀天皇の墓陵として建立された 香椎宮の神門は菊のご紋 いくつもの勢力があったのに全部大和朝廷って決めつけてるのはおかしいと思う
>>218 そう それが正解だと俺も思ってる つまり6世紀後半から7世紀にかけてやっと 日本を統一して神道から仏教へと推し進めた そのせいでどの古墳からも翡翠が消えていった つまりそれまではみな好き勝手に存在してたって証左 という素人俺理論 出雲の後に丹後の方から近畿や尾張に饒速日系が来たよ 大物主とか尾張氏とか高倉下とか
>>226 島根ってエベッサン信仰あった? 主に摂津で信仰されていたエベッサンは事代主だ。 和泉には原点の様な神社がある。事代主が上陸した地の神社。 >>22 魏士倭人伝は信用できない つまり卑弥呼なんて居なかった >>223 , >>227 神功皇后は腹に石を括り付けてお産を遅らせたが、今の宇美八幡宮は、 安産祈願の神社と化しとるな。 神殿の裏手におびただしい石が納められていて、それでお腹をさすれば 「するっと産まれる」んだと。ダメじゃんw >>234 知ってるけど、そういう伝承があるんだよ。 結局誰なんかははっきり分からん。 >>237 一言主はアジスキタカヒコネで、それも大国主の子だけどなあ 大国主が譲ったのは島根じゃなくて植民地の奈良だから 本国を譲るわけない
>>229 仏教推進は古参の蘇我氏だ。と渡来人。 蘇我氏は物部氏の力も理解してるし、けど新しい宗教にも惹かれてしまったんだろう。 統一云々とは関係ないよ。 勾玉など祭祀関連は物部氏が管理してた。同族と思われる忌部氏も関わってる。 大阪城の周辺にはそんな人達が住んでいたんだ。 >>233 島根どころか恵比寿さんは八福神の中の神様として 台湾でも信仰されている 台湾は一人多いw >>207 >論文書いた事があれば分かると思うけど >2000文字なんてあっという間だよ そういう言い訳はいいからw 2千字原稿用紙5枚以上を数行というのはやや悪質なミスリードだよ >>241 島根に追いやられたんだよ 国譲りに反対した者達は長野に移動した 諏訪大社だよ あそこの祝詞はヘブライ語らしいね >>240 うみょ? アヂスキタカヒコネって、アメノワカヒコと間違われてぶち切れた人だよね(いや神だけど)。 もう何が何やらw >>233 、>>243 事代主=恵比寿は、水死体つながりだっけ。 >>212 >2000文字未満みたいだよ ああ、句読点つきのテキストで数えてるからね >>242 いまいち通じてないな 全国に同じ意識を持たせない限り 同じような様式にならんってこと 中央だけ翡翠扱うの止めていっても、地方の豪族は そんなこと知ったことじゃないと思えば好きに副葬する それが全国一律翡翠が消えて行ったってのが 中央の力が地方にも及んでいったからじゃねぇのと思ってる ま、勝手な推論だから反論は要らんw >>223 神話的描かれ方をしているあの人を、実在と見るのはもはや誰もいないと思うが >>243 それは日本の影響で?それとも元々なんだろうか? 台湾とは道教でも似てるよ。 >>250 わからない 日本人の神様は恵比寿さん一人だけ あとはインドと中国だったかな >>248 君らは大きな組織の意味をわかってないんだよ。 世界中を見てみるといい。そこにもヒントはある。 まあ古墳文化の最果てが北海道(数は少ないが) みたいだからもしかした卑弥呼時代ある程度日本全国にまんべんなく人が住み着いていて ある程度の周辺地域国との交流や文化の伝達はあったんだろうね だからといって畿内を中心とした勢力圏と九州地方の豪族連合とおなじ旗の下か? て言われるとわからないかど
卑弥呼の実在は信じるけど 神宮皇后の実在は信じませんって凄いよな ここまでいくとダブスタ過ぎて 卑弥呼って何も残ってないんだぞ 理解してるか?
>>228 >いくつもの勢力があったのに全部大和朝廷って決めつけてるのはおかしいと思う そのいくつもの勢力が談合で共立した卑弥呼が、大和朝廷の元ネタなんだからしょうがないじゃないか 実は卑弥呼は2人いた。邪馬台国は2つあったでもいい どや?
戦争に勝ってたら今頃邪馬台国議論なんかなく 宮内庁主導で奈良のどこぞに遺跡と墓を造作し 仁徳天皇陵みたくデタラメに確定して歴史の教科書に掲載し 邪馬台国から続く万世一系の天皇陛下と国民に学ばせてたと思うと 戦争に負けて良かったんじゃないかと思うは 歴史学は過去の真実を研究する学問であって欲しいね
>>248 え、そうじゃねえの? 6世紀でも、重要地域の倉に物や武器運ばせるのさえ 大王自身が主管となる地域が限定されてたんだし 古代史の共通認識でしょ、中央の権限が弱く各豪族の推挙で大王になれたってのは >>252 うわっ、、出た大きな組織 そういうの言い出す奴と議論は無理〜 >>255 え、じゃあ誰が実在してるて発表してるの? これ何故か九州説の人の方が実在を唱えてる人がちらほらいるなと思うけど >>261 愛媛県土産に姫だるまってあるだろ あれ神功皇后って最近知った >>258 大仙古墳は秀吉も花見をしに行ってるんだよ。 その秀吉は大阪統治で仁徳天皇を大阪の主神の様に敬いお祀りしてた。 数ある古墳の中で歴史に何度か出てくる唯一の天皇陵だよ。 ,滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー 【現代的新しい価値・文化の創造】 1.ゆるキャラ(ひこにゃん) 2.イナズマロックフェス (西日本最大) 3.オペラ 4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング 5.ラッピング(路面)電車 【著名な観光地】 1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ 2.彦根城、安土城 3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所) 4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数) 5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者 【美味名物・食文化】 1.近江牛、鴨料理 2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司 3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭 4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒 5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン) 大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑) .
>>249 そいや、こないだ久しぶりに本屋さんに行ったら、 「神武天皇はたしかに存在した」という怪しげな本が売ってて、思わず買っちったw 著者は産経新聞取材班なんだが、神武東征のルート上に残る 伝承を丁寧に取材してて、これがけっこう面白い。 産経新聞はバカばっかりだと思っていたけど、ちょっと見直したw >>261 誰が発表してるかとか調べてないから知らんけど 源義経は存在しません並に各地に色々あり過ぎる 大半はたしかに伝説ではあるだろうけど、元となる何かがないと無理 義経は実は存在しませんってなら、神宮皇后も存在しませんは可能かもしれん あと、卑弥呼に至っては何も無い 卑弥呼は実在だけど、神宮皇后はいませんは、何かに毒され過ぎ >>258 どこの陵墓か忘れたけど国会でも質疑されたことあったわな どこそのこ陵墓は○○天皇の墓だと言われてるが 違うんじゃないのか調べればどうだと質問したら 菅直人だったかな、宮内庁は間違いないといってるので 調べませんとか素っ気なかったw >>265 いつも頑張ってるからたまには賛同してやる しゅららぼんはつまらん映画だったぞとw >>267 はい、やっぱり誰が実在を主張してるか出せませんと 安本美典だっけ?あの人なら実在唱えてそうだねw 証拠がないんだからしょうがない 書紀の書き方もドラマチックにして、それとなく呈示してるしな そしてそのような後付けかもしれない各地の伝承があって「モデルとなった人はいたから実在した!」とか言われても オカルトの域を出ない 卑弥呼は英山に拠点を置く巫女さんでカリスマ霊媒師であるが故、英巫女と呼ばれ各地の王が付き従った。 こういうことだろ。
>>270 じゃー卑弥呼はどうなるの? 何の確証も得られてない魏志倭人伝にポロッと一言書かれてるだけ もっと存在可能性低いよ >>271 うっすらだけど牛の名ついてたような記憶 曖昧で済まんw 斉明天皇陵墓、、、、、だったような これも違ってたら済まんw まぁ、神功皇后の伝承はさておき 該当する誰かは居たよ でないと、応神天皇も実在しない事に成るしな もっとも、サヨクはそれが狙いかもしれんが 本当にサヨクは姑息
どうして邪馬台国論争では関東は全く無視されているのでしょうか
神武天皇を実在と考えるには、万世一系を前提としてるわけだよな 弥生時代にはカツラギ地方のローカル首長だった一族の伝承を 赤の他人であるヤマト王権の大王が受け継いで後世に残したなんてありえない 実在説は厳しいと思うわ
>>273 史書に交流や地域の特徴等とともに淡々と書かれてるので(神話的記述ではない) 特に疑う必要もない 他にも、墳墓や鏡等裏付ける物証があるから てか卑弥呼と神功皇后の描写を同一次元にするとか、君やばいよww いやー日本の古代史や考古学の方々に喧嘩を売ることになるがまあなんか紀要に適当に投稿してみたらw 万世一系とかすぐそうやってサヨクは話をズラしてくよなよ 誰にも祖先は居るんだよ サヨクが醜くても、ボウフラですら親が居るんだよ 醜いからといって、学問に政治色絡めてくんな うざいから
>>278 宮崎神宮と樫原神宮が見事に合致するので いなかった説は無理 神話性を帯びるといけませんって 笑い話かよww 言い伝えを次世代に?いでいく以上、変えてく部分は当然あるよ あー最近は桃太郎はいけません運動やってんだっけ。サヨク 鉄の争いを元にした話なんだけど 動物は人の言葉は語らないから、桃太郎は嘘ですとか真顔で言われた事あるわww
>>275 ん?応神は実在したと見てる人が圧倒的に多いが 神功皇后はとりあえず崇神と応神を同族とするために描かれた人 まあ他にも説はあるが、概ね架空であることに異論唱える人なんて探す方が難しいけど あとサヨクガーって全く関連性の説明もないのでイミフだし もっというなら古代史の中でも保守派の吉村氏も非実在とみなしてるし 理解・解釈ができないのならつっかかってこないほうが賢明だと思うが >>282 まとめると 「檀君はいたんだ!」とか唱えるんですね、ハイハイ もうすぐに頭の中のサヨク領域とかに逃げ込む癖やめた方がいいよ 神功皇后が居ないと、応神天皇は生まれないだろ バカなのか? いくらキチガイサヨクだって、母親から生まれんだぞ
>>274 ああ、牽牛子塚古墳かな? だとするとかなり通だな、質問した議員さんは♪ >>276 ありがとう 終末期古墳だから、邪馬台国論争とは本来関係ないんだけれど、 斉明天皇の頃の白村江まで九州倭国とかいう人もいるからw わかった、サヨクの違和感は皇室を敬う意識が皆無な事か だから、皇室関係の該当者を簡単に加えたり消したり出来ると思ってんだ 無理だよ 記紀編纂は700年頃。当然人の寿命は知ってる それにも関わらず100歳オーバーとか簡単に書いてんだから
投馬国、官ミミ、ミミナリ 宮崎鹿児島やろ 投馬国には王がいないので卑弥呼を共立した国の一つやろな 投馬国のミミ、神武じゃないかな
100歳以上生きたのだから仕方ない 処女が妊娠するわけないとキリスト信者に言ったら ぶん殴られるぞ
神功皇后より、五百城入彦皇子の方がおもしろいんだけどな 景行天皇の三太子の一人で、イホキの王 イホキといってもピンと来ないだろうけれど、今も伊吹山にその地名が残っている そしておそらく、魏志倭人伝の已百支國 景行天皇の三太子は、ヤマトタケルと実際に景行の後を嗣いだ成務天皇と五百城入彦皇子 ヤマトタケルが命を落としたのが伊吹山の神の怒りに触れたからというのも面白い
>>277 その後の時代に東征伐?みたいな事があったから 東に住んでるのは縄文人とか未開人レベルの人らだっていう発想でしょ でも、春日大社ができたときにはすでに鹿島神宮があったかもしくは 鹿島の神性が聞こえていたってことだよねぇ あれかな?その後富士山噴火したり、阿蘇山噴火したりして残ったのが真ん中ら辺だけっていう ことなのかもしれんよ 俺は福岡の出身だが、福岡県にはいたるところの神社には、神功皇后に関する伝承が 濃密に伝わっている。たとえば俺が小学校の頃に遠足で行ってた池の横の神社には、 は村人が産気づいた神功皇后の輿を担いだ伝承があるし、大学の近くの神社には、 応神天皇の胞衣が埋まっているらしい。 他にも「皇后が雨宿りした」とか「水を飲んだ」とか「笠を木にかけた」とか、 「『わびしい』と言った」とか、しょうもないものも含めて枚挙にいとまがない。 たぶん、実在したから濃密な伝承が残っているわけではなくて、 濃密な伝承が彼女を実体化させているような気もするが、 「だからウソっぱち」ではないんだよな。
3世紀初頭に纒向に王都が造営されて、各地の勢力が卑弥呼を共立して連立政権を作ったわけだ その初期ヤマト政権の中では、カツラギ勢力は本流ではなく、その他諸勢力の一つに過ぎなかったはず 本流がヤマト国だったのか、吉備だったのか、その辺はいろいろ見解が分かれているが、 本流を差し置いて、何十もあったであろう諸勢力の中の一つのカツラギ勢力の伝承を残したというシナリオは無理があるわ
九州はびっくりするくらい王墓や古墳、銅鏡などの発掘品も多いし、 太古の昔からの謎も多いんよ。 祖母の田舎は、天皇の祖先となった人の居宅があったといわれる場所もある。
>>289 Wikipediaの「ミミおよびミ」の項を読んでみて 宮崎限定にする理由はないと思うよ 神武出航の美々津は有名だけれど >>277 畿内説があるなら関東説があっても全くおかしくない 誰かお願いします >>294 >本流を差し置いて、何十もあったであろう諸勢力の中の一つのカツラギ勢力の伝承を残したという 本流の磯城の豪族に、葛城勢力から婿入りして、それが後の大王系譜に繋がってるから、 男系原理で系譜を記すと葛城勢力の伝承に繋がるってことだろう 欠史八代の宮の所在地がほぼ葛城で、崇神天皇から纒向周辺に移動することから そんなシナリオが想定されてる >>288 古代史に関しての不勉強さを曝け出してるのに まだ居座るんですかw >>293 神功皇后と一口に言うけれど、オキナガタラシヒメの伝承は オキナガヒメの伝承とオオタラシヒメの伝承に分けられるそうだ 九州に分布するのは、オオタラシヒメの方 >>294 >>300 蘇我はカツラギですよ 推古天皇に蘇我馬子が「葛城は先祖の地なので葛城の県にして欲しい」と言ったと日本書紀に書いてある とにかく当時の日本人が倭人が文字でちゃんと残しておかなかったのが悪い
>>294 >何十もあったであろう諸勢力の中の一つのカツラギ勢力 奈良盆地の中は、狭義のヤマトとカツラギとサホ(曽於)の三勢力くらいだよ サホは開化天皇とその皇子、狭穂彦の勢力 畿内に九州と同じような地名ついてるのは 祖先が九州にいらからそっから名付けたんだろ? もしさ?畿内がずっと政治の中心で祖先からずっと畿内にいたのなら わざわざ畿内の地名を九州にもってきたりしないからなあ
>>303 その葛城は襲津彦系統であって、蘇我稲目系譜とはちと違う 婚姻関係を結んだみたいだけどね 雄略のごたごたした頃に没落した一族 邪馬台国の場所はハッキリしないが、魏で皇帝に会った使者は九州の人。そして邪馬台国の本当の名前は「やまと」。 皇帝に謁見の時にあまりに緊張しすぎたか長く待たされてイラついていたのかわからないが、「何処から来た」の問いに、つい方言が出てしまって「やまとタイ!」と。 しかも早口だったので「やまっタイ!」にしか聞こえなかった。
>>306 群馬王国は毛野国だよね ここも狗奴国の候補 蘇我氏は、葛城県蘇我里(現奈良県橿原市曽我町)が出自と推定されてる
>>307 ヤマトが奈良盆地南東部の初瀬川周辺、カツラギが盆地西部の二上山麓、サホは佐保川周辺いわゆる奈良市のあたりですねソフ(添)とも言います 神功皇后の出立の伝承が和泉に残っているのは謎だわ その前にヤマトタケルが鳥になって和泉に来たのもどういう意味があるんだろう
>>295 銅ではなく鉄鏡が出ている 漢の時代に流行したと思われる VIDEO >>297 古墳時代の関東は、房総から霞ヶ浦岸、武蔵に至る 海上国(うなかみのくに)がカッコいい。王墓は前方後円墳だけど、 副葬品の石枕は独自のものだ。 >>308 はい よく気が付きました そういう事なんですよね ただ出雲の名前はちゃんと残している >>296 美々津はいい加減やめて欲しいな 昭和になってからのキャンペーンだからな 宇佐神宮は信用出来ない 今日は眠い 日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮 宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている 今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う 続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった 記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている 日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している ちゃんと調べれば分かることばかり 木花咲耶姫の本名である神阿多都比売 海幸彦の子孫は隼人族の阿多君 神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹 代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島 旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話 高千穂地名の変遷 日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?) 宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。) 和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。) 大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。) (参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 葛城襲津彦は、4世紀末〜5世紀初めの人だから、かなり後の話だろ
>>315 九州から出土するのは漢鏡ですね 後漢以降の神獣鏡は畿内で殆ど出ますので九州では出ません つまり後漢の滅亡とともに九州の王権は滅んだのです >>242 蘇我氏は古参なのかよく分からんよね 物部、大友、和爾、葛城、中臣とかの古くからの豪族を抑えていきなり6世紀にいきなり頂点に立つという 蘇我氏は、武内宿禰の子、蘇我石川(応神天皇の時代)から始まるから古参とは言えんだろ
>>320 志賀島の金印も漢から授かったものだね 魏の前だわ そもそも天孫降臨した一族と大和の一族に血縁があるのかすら怪しい
>>319 葛城といえばその人で問題ないと思うけど もっと前だとよくわからんし 擬制同族制で他の臣達と結ばれた関係だったというのはみてとれる んでこの臣ってだいたいが地名由来なんよね、いや地名から臣をとったのかもしらんが >>321 継体の頃に朝廷に取り入って、渡来人から色々と知恵や技術を吸収していって拡大したんじゃなかろうか 東漢氏と蘇我本宗との結びつきは強かったみたいだね 茨城に鹿島神宮があるのでもしやと 調べたら鹿島の神様が物部と秦の仲裁に入ってた おしい
ウヨサヨってもうお爺ちゃんになってんだろ? サヨクの振りしたチョンがナニを喚き散らしてんのか
蘇我氏だけなぜか根拠地が不明という 蘇我氏の名前からして朝鮮じゃないかという噂も
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本書紀 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する 最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 律令制 大宝律令 その後の701年に、大宝律令が制定・施行された。 大宝律令は、日本史上最初の本格的律令法典であり、これにより日本の律令制が確立することとなった。 大宝律令の施行は、当時としても非常に画期的かつ歴史的な一大事業と受け止められており、 律令施行とほぼ同時に、日本という国号と最初の制度的元号(大宝)が正式に定められた。 さらに、大宝律令の制定後まもなく、空前規模の都城である平城京が、9年の歳月で建設された。 これらの事実は、律令施行があたかも一つの王朝の創始(または国家建設)に擬せられていたことを表している。 律令編纂に中心的な役割を果たした藤原不比等は、その後、大納言・右大臣へ昇進し、政府の中枢において 最大の権力者となり、藤原氏繁栄の基盤を作った。律令制定に伴って、正史日本書紀の編纂、風土記の撰上、 度量衡の制定、銭貨の鋳造などが行われた。これらは律令に直接の根拠を持つものではないが、いずれも 律令制に不可欠な構成要素であった。 >>641 >>642 >>643 >>644 >>645 >>646 >>647 イザナギの逃走秘話には小便をして川を作り「小便大河」によってイザナミを阻もうとしたとされるものも含まれる 日本の神話・伝説やらを調べた連中は、新生児殺しや、小便や大便の子孫(金山彦?ミヅハノメ?) と考えるのは嫌だったので、古来からそっと記憶を封印(禊?)していたと想像する 天皇家だけでなく、数千年間の血の攪拌によって日本人もイザナギ・イザナミの子孫と言えるため 日本人の先祖の中には直系ではないものの大便や小便、嘔吐物から生まれたものがいたと類推できる ベルギーの小便小僧は爆弾の火消しをした英雄らしいが、大人が小便大河で妻の霊と配下のモンスター軍団から逃げ切ろうとしたという挿話が記憶から消去されたのは致し方ない部分もある 神道が先祖霊信仰であるのに仏教と習合し、さらに儒教、そして明治に朝鮮朱子学と取り入れていったのは、ある意味では教義が開放的であったとも言えるが、裏を返せば古代・中世の日本人は割り切っていた部分があったと考える https://ja.wikipedia.org/wiki/ イザナミ 火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。 そして、カグツチはイザナギに殺された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ イザナギ アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。 >>911 >>12 >>13 >>14 >>15 >>16 >>17 やなぎ@hanahana182 2014年11月27日 日本書紀の異伝にヨモツシコメに追っかけられたイザナギが逃げるために小便をしたら川になって逃げきれ たみたいのあってふーん神ってすごいという感想を持ちました 朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4 2013年12月1日 イザナギの小便川化は日本書紀の黄泉国神話で見られるよ。古事記にはないよ。 朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4 2013年12月1日 スサノオは糞撒き散らしてたけど、イザナギも小便で川作ってたところ見ると親子だなあって僕は思うよ。 スサノオの直系子孫がヒメタタライスズヒメとなるらしい https: //ja.wikipedia.org/wiki/ヒメタタライスズヒメ ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛[1][注 1])は、『日本書紀』に登場する人物・女神で、初代天皇神武天皇の皇后[13]。 『古事記』のヒメタタライスケヨリヒメ[2](比売多多良伊須気余理比売[注 2])に相当する。 https: //ja.wikipedia.org/wiki/天岩戸 誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、 御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった[1]。 しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、 驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。 >>916 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 部外者による解釈が自由というなら、いくらでも妄想を書くことはできる ルピア@支払いしろ@rupia_tk 2016年5月24日 アマテラス男神説は面白いんだけどそれ以上にスサノオに乱暴=強姦された説があって神話ェってなる やなぎ@hanahana182 2015年12月1日 スサノオさんが高天原でいろいろやらかしたあげく驚いた女性が陰部になんか刺さって死ぬという衝撃の 結末もスサノオさんの強姦説と考えた方が自然だしオウスさんもいける 皇祖神は男だけでも子を作れるし、女一人でも可能らしいが、異説もある 🦑いもお 🦑@Imo0423 2016年1月6日 つーか有名な神話に出るような神キャラにハマった時点で地雷持ってて神話調べるとかになったらほぼ確実にどこかで死ぬ 和神は死ネタ殺伐多め、スサノオがうんことか臓物系多め インド神話はうっかり近親相姦うっかり殺人うっかり世界破滅宇宙規模 北欧は寝盗り浮気複数股卑猥ネタ多数 やばい 風邪奴@mohu081 2015年10月23日 スサノオってマザコンが祟って追放されそうになって優しい姉に助け舟出されて勢い余って姉をレイプして追放されそ の追放先でヤマタノオロチに襲われてた少女を助けた代わりにSEX三昧して、相手に子供が出来たら追放されてる身だ からといって逃げてそんなこんなで子供を200人程作った >>323 >>224 >>225 >>26 >>27 >>28 >>29 島国で数千年の世代を重ねた混血によって、イザナギの血筋が攪拌されたと考えるなら、皇位継承権が全ての日本人にあると主張するものも現れるだろう 神武天皇は神から生まれたのに人間とされている https: //ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇 神日本磐余彦天皇(神武天皇)の諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の四男として庚午年[注釈 1]1月1日(庚辰の日)[1]に日向国で生まれた。 母は海神の娘の玉依姫である。生まれながらにして明達で強い意志を持っており、15歳のとき(甲申年[注釈 2])に太子となった。長じて日向国吾田邑の吾平津媛を妃とし、息子の手研耳命を得た。 問題はこの神から人が生まれるというシステムそのものだ、であればイザナギ神話の大便、小便、嘔吐物から神が生まれ、その子孫がいるであろう可能性も否定できないだろう https: //ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ 岩の向こうからイザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと[7]、イザナギは「それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言い返した。 その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれた。最後に、 左眼からアマテラス(天照大御神)、右眼からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(建速須佐之男命)の三貴子が生まれた[8]。イザナギは三貴子 にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。 偽書の可能性も指摘されている「先代旧事本紀」が何を主張したところで、この出産システムだと「鼻くそ」の子孫がいたとしても常軌を逸した説ではない >左眼からアマテラス(天照大御神)、右眼からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(建速須佐之男命)の三貴子が生まれた[8]。 現実世界では顔面部分を洗うと目や鼻から出るのは「目やに」と「鼻くそ」、顔からは「体汗」なのだが、神話だから気にならないというだけで違和感が残る それが小便で河を作ったというイザナギであれば尚更だ >>521 >>522 >>523 >>24 >>25 >>26 >>27 つよい生き物@sabaaya 2015年3月21日 日本神話といえば、全身の穴から穀物出るダンス踊ってたせいでスサノオに切り殺された奴とか、 出産時にイザナミの(自粛)をブチ燃やして殺すマンとか、その後遺症で苦しむイザナミの ゲロ・ウンコ・小便から生まれた三兄弟とか、凄いのはいくらでもいる https: //ja.wikipedia.org/wiki/オオゲツヒメ 高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求め、オオゲツヒメはおもむ ろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメ の様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。 スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。 https: //ja.wikipedia.org/wiki/神産み 第五段の一書(二)では、日月がすでに生まれ、次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。 次に素戔嗚尊を生んだ。天磐櫲樟船を生んだ。すぐにこの船に蛭児を載せて 蘇我満智が半島に渡り半島の女に産ませた子供が韓子(一般名詞)だって考えもあるね 血筋としては武内宿禰の系譜に繋がるけれど生まれは半島
>>530 >>31 >>32 >>533 >>534 >>35 >>36 日本の神道は自然信仰というよりは氏神などの先祖霊信仰がより強い原始宗教の一例であり中国の儒教に近い 攘夷思想は中華発祥の朱子学由来だが、宋が攘夷に成功したかは歴史を見ればわかるだろう https: //ja.wikipedia.org/wiki/尊王攘夷 古代中国の春秋時代において、周王朝の天子を尊び、領内へ侵入する夷狄(中華思想における異民族。 ここでは南方の楚を指す。)を打ち払うという意味で、覇者が用いた標語を国学者が輸入して流用したものである。 斉の桓公は周室への礼を失せず、諸侯を一致団結させ、楚に代表される夷狄を討伐した。その後、尊王攘夷 を主に唱えたのは、宋学の儒学者たちであった。周の天子を「王」のモデルとしていたことから、元々「尊王」と書いた。 https: //ja.wikipedia.org/wiki/天子 王は天(天帝)の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とする。周代、周公旦によって 「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。王家が徳を失えば新たな家系が天命により定まる」 という「天人相関説」が唱えられ、天と君主の関係を表す語として「天子」が用いられるようになったという。秦の始皇帝 により、天下を治める者の呼称が神格化された皇帝へと変わると、天子の称は用いられなくなったが、漢代にいたり儒教精神 の復活をみると、再び天子の称が用いられるようになり、それは皇帝の別名となった。 宋学以前なら神道と儒教は先祖霊信仰において、おおむね重なり、律令制度などによって厳しい身分差別制度も導入される ただ「先代旧事本紀」などの氏神信仰は皇統の価値を希釈化していく要素もあり、中臣・藤原が天皇の血筋よりも格上と主張することも不可能ではない https: //ja.wikipedia.org/wiki/氏神 本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった[1]。 例として、中臣氏は天児屋命、忌部氏は天太玉命を祀った[1]。また、中臣氏と関係の深かっ た武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)を、藤原氏が春日大社に祀るなど特殊な例もあった[1]。 >>985 >>966 >>967 >>968 >>969 >>970 >>971 過去には神の子孫である神別氏族物部氏が殺され、その子が奴婢とされた事例がある https: //ja.wikipedia.org/wiki/奴婢 また蘇我氏物部氏の争いの時も聖徳太子が大連の首を切ってその子孫を四天王寺の寺奴婢[注釈 2]としたという記述がある。 https: //ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。 海人@umihito311 2014年1月17日 イザナミ悪者にする話を見る度に「ヒノカグツチ出産の際に撒き散らかした、大や小やらの 排泄物や吐瀉物からも豊穣神産んだイザナミ様を敬え!!信仰しろ!!あと、イザナギを文句 なしの善玉にするな!!あいつ問答無用で嬰児殺しかましただろが!!」と文句言いたくて言いたくてしょうがなくなる @mtsuzuki81 @___akarisan 出てこないけどなんかくだらない。 今日習ったことはイザナミの神がゲロを吐いてそのゲロから出てきたのが山の神。 その時した下痢から出てきたのが海の神らしい。おれらはイザナミの排泄物で生きてるらしいぞw >>237 >>238 >>239 >>40 >>41 >>42 >>43 猫路@_nekomiti 9月14日 イザナギが黄泉から逃げ帰る場面で、大量の小便でイザナミの手下押し流して千曳岩を置く時間を稼いでて これだから日本神話はってなった Goat, The First Mammal@Chi_k0m0ri_72 2015年8月8日 イザナギ「追ってくるwきめぇ」剣振り回す イザナギ「とりあえずなんか投げとけ」ぶどうになる イザナギ「小便したろ」川になる イザナギ「来てほしくないから岩で塞ぐね」 イザナミ「酷くね?お前の国民1000人殺す」 イザナギ「じゃあ1500人生ませるわ」 やなぎ@hanahana182 2014年11月27日 日本書紀の異伝にヨモツシコメに追っかけられたイザナギが逃げるために小便をしたら川になって逃げきれ たみたいのあってふーん神ってすごいという感想を持ちました 朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4 2013年12月1日 イザナギの小便川化は日本書紀の黄泉国神話で見られるよ。古事記にはないよ。 朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4 2013年12月1日 スサノオは糞撒き散らしてたけど、イザナギも小便で川作ってたところ見ると親子だなあって僕は思うよ。 >>272 >>273 >>274 >>975 >>976 >>977 >>978 珈琲ねむりや ☕田端のコーヒー豆屋@satojun56 2018年12月16日 nemlogの日本神話記事を更新しました。 今回は美女が大便をしているところに忍び込んで、お尻を突っつく話です。 たぬき@akemixxxxx 2018年11月9日 好きな絵本というか親が私に買い与えた怖くてかっこいい日本神話シリーズの やまたのおろちとか因幡の白兎などを何回も読んだけどお姉さんの職場に牛の生皮や大便を投げ込んでたあいつ何なんだろうね… 迫真お嬢様部@Yukaribashi 2018年9月8日 神の排泄物が自立してうんぬんって逸話は日本神話あたりにあるだろうし神々も小さい頃はうんこちんこで笑い転げてたんやろな >>996 >>980 >>981 >>982 >>983 >>984 >>985 🐻ポチコ 🐹冬コミ@mob84912 2018年9月5日 ギリシャ神話ってドロドロしてるけどオシャレだなぁ✨昼ドラ? 排泄物が食物になる神さまが鼻や尻から出した食物を調理してスサノオに食べさせた話 (それに気づいたスサノオに食物神は殺されました)と、野糞して姉を怒らせた神の話とかある日本神話のアレな感じも大好きだけど… (いっちゃった感) 内野肘騎(直腸射精)(田口) @gtgt_yamada 2018年8月9日 ま日本神話排泄物好きだしな 宮門(くもん)@isenokumon 2017年4月27日 日本は神の国 これは決して傲慢なのではなく、あらゆるものを尊重する謙虚な考え方。 日本神話ではウンコも小便も神様として扱われる。 宮門(くもん)@isenokumon 2017年6月14日 なんといっても、日本神話においては、ウンコや小便、ゲロも「神」だからな。 へこきむし@notom1080 2018年12月9日 日本神話のゲロ食わすイベント凄い。 七海ん@ポケGO引退@Nanamingress 2018年10月24日 日本神話の神々、脱糞しすぎ問題 (あとゲロも) >>86 >>87 >>988 >>989 >>990 >>991 >>992 ムギタロー(ポエトリーラップ東大生)@mugitaro_comics 2018年10月23日 インド人と神話の話してて 「日本神話ってあるの?」 って聞かれたから ・日本の国土は神のSEXでできた ・女神の弟が家で脱糞したり殺人したりして、女神キレて引きこもった ・ウンコ我慢して歩くのと粘土持って歩くのどっちが辛いかで喧嘩した2人の神がいる とか教えたら、嘘つき呼ばわりされた… >>393 >>394 >>395 >>396 >>397 >>998 >>999 タマノオ@c9171e_tama 2018年4月5日 日本神話は神が家で脱糞し神が殺した馬を女に見せつけて脅かし神がキレて引きこもり神が ストリップショーでテン上げし神が神を拷問の末放逐するクソミソてんこ盛りてんやわんや ハチャメチャストーリーやぞ、何が穢れやねん tcg@katze666 2016年7月13日 とりあえず困ったら脱糞しとくのが日本神話 もつ(もちゅう)@mothu05 2016年5月7日 日本神話といえば天照大神の岩戸隠れだけど ひきこもりの原因が、弟がママに会いたくて荒くれた上に脱糞したからで さらにそれをストリップダンスでひきこもりをおびき寄せるというなかなか奇抜な展開 >>291 >>292 >>293 >>594 >>595 >>596 一条真弓(さいかわ)@dereneko_ 2018年11月13日 あと面白いと言えば『日本神話には人間が何処から来たか書いてない』ってとこな。爆笑したよね。 171 : チェーン攻撃(dion軍)@無断転載は禁止:2016/04/30(土) 22:43:38.15 ID:jeG810fh0 色々と考えると個人的に面白い部分はいくつもあるね 例えば、天津神の降臨にしろ国津神との争いにしろ、天津神は最初に外交交渉を何度か行っていること 神話にしては人間臭い 更に全体で言えるのが長男より次男以下が大成しやすいこと 230 : ハイキック(茸)@無断転載は禁止:2016/05/01(日) 02:48:15.62 ID:Li5Le5zq0 >>39 神武は東征という名の、堂々たる侵略戦争にうってでてる ヤマトタケルもまつろわぬ民たちを謀略・暗殺等、手段を選ばず誅殺虐殺してるし 朝廷に従わない土着民たちはクズ・ツチグモ等、蔑視され従わなければ殺戮確定だし、 日本もやってることは他国と変わらん >>329 蘇我氏の出自は現在の奈良県橿原市曽我町あたりです 宗我都比古神社(そがつひこじんじゃ)というのがあります >>500 >>501 >>502 >>603 >>604 >>605 268 : ネックハンギングツリー(関東地方)@無断転載は禁止:2016/05/01(日) 10:52:06.95 ID:l+xLeWqBO ヤマトタケルを火責めにした悪い豪族は、逆に自分達の放った火で死にましたというのは後に加工された話で その場を逃れたヤマトタケルの軍勢によって皆殺しになったのが正しい古事記の記述 …普通だな! 300 : ハイキック(茸)@無断転載は禁止:2016/05/01(日) 19:36:11.35 ID:Li5Le5zq0 >>299 ヤマトタケルは有名大社を始め、全国各地で祀られる立派な神様だよ 日本は時代で著名な者(為政者や非業の死を遂げた者等)は、 人物神として神社に祀られ神の1柱になるケースが多い ヤマトタケルの時代は史実と神話の境界が曖昧な時代で、 ヤマトタケルは立派に神格化した、押しも押されぬ神と言える >>811 >>812 >>813 >>614 >>615 >>616 >>617 中国では封禅なる儀式があり、新嘗祭に似ているとの指摘があるらしい 昔は神儒仏なのだから別に不思議なことでもないが、日本精神を代表し、日本人を認定できると啖呵を切るのであれば これを否定できる根拠が必要だろう prastotri @prastotri 日本の新嘗祭は要するに、収穫物を天皇が味見をした上で天に捧げるための儀式であって、ただの儒教の儀式でしかない。 神主が持っているヌサも『礼記』に記述があるし、道祖神についても記述がある。道にある道祖神はあれは儒教のミームらしい。 >>721 >>722 >>723 >>624 >>625 >>626 >>627 日本は極東の島国という地政学上の立地によって侵略や国外での戦争を免れてきた、そのため卑猥で下品な挿話を含む原始的な先祖霊神話の宗教が残った 島国の中で争いの絶えない時期や、平和な時期もあったし、餓死者がいた時期もあるし、それらは普通の国の歴史で一部の者が言うところの神話的なダイナミックさはない 文明人が立ち寄らないジャングルの原始的生活をする部族の宗教がいまだに残っている状態と考えれば良い 神道を海外で奇妙・珍奇と考えるものはいても、尊敬しているものが多数派かと聞かれると疑問符がつくが、ただそのユニークさのため人類学の一ページとして 残した方が良いだろう 紗里野且力左衛門(侍)@A3M5LjZ6mpc5c6z 先祖を祭るということに関して、もう一つ言っておかなければならないのは、儒教には、 どんな場合でも子孫を絶やしてはいけない、という思想があるということです。 これは むしろ日本で重要視された考え方なのですが、(中略)子孫が絶えると、先祖のお祭りをす る後継者がいなくなるからです。(井沢元彦) ののまる@nonomaru116 まぁ、朱子学者の論理って、いわゆる儒教的価値観を古今東西に通底する倫理の大原則とした上で、 その観点から歴史上の出来事を分析・何が悪事・失敗の根本的な原因かを探して断罪し、後世の亀鑑 とするってものですからねぇ。そもそもがリアリスティックじゃないw >>431 >>432 >>433 >>634 >>635 >>636 >>637 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 奴婢 ヤマト王権では、もともと奴隷階級であったものを「ヤツコ(夜都古)」と呼び[1]、奴婢はそ の子孫であるか、前述の捕虜や帰化人、あるいは罪人で奴婢に落とされた者であった。律令法 においては、良民を奪って奴婢とすることは賊盗律で禁じられていたが、逆に言えば誘拐して 奴婢とする習慣があったということである。経済的理由で奴婢となる者もおり、債務返済では 役身折酬と呼ばれる返済方法が認められていたので、多額の負債を背負わされて奴婢に落とさ れて使役される者もいた。 奴婢はもともと売買の対象であったが、律令が整備される過程で田畑と同じような扱いを受け るようになり、弘仁式によると持統天皇4年(690年)に、いったん奴婢の売買が禁止されたが[2]、 翌691年2月にはあらためて詔を発して官司への届出を条件に売買が許可されることになった[3]。 ... 律令制崩壊後 律令制での身分制度としての奴婢は消滅したが、その後も日本では下男下女など隷属的な 年季奉公人が、奴婢と称された。また経済的な奴隷は中世を通じて存在して広く売買され、これら は用途によって様々な呼称があるが、総称としては同様に奴婢と呼ばれた。平安時代以降の歴代政権 も奴隷や賤民の存在を否定することはなく、法的に公認していた。人身売買はたびたび禁止されたが、 それはあくまで自由民の売買を禁じたものだった。戦争による捕虜や拉致された非戦闘員など、多数 の奴隷が発生した戦国時代には、スペインやポルトガルを通じて海外への輸出も行われた。このよう な身分制度は明治4年(1871年)の解放令まで続いた。 >生まれは半島 なんで、こんなぶっ飛んだ考えができるんだろうか? 韓子の子供は高麗だけど、当時、高句麗人女性が日本にいたとは思えない 蝦夷の母親が蝦夷なわけないだろうし ウンコの在日認定書
>>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 手紙をありがたう。しつかりとした精神をもつて、元気で居ることを聞いて、喜んで居ます。 国家は多事であるが、私は丈夫で居るから安心してください、今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど、 先生とあまりにちがつたことをいふことになるので、ひかへて居つたことを、ゆるしてくれ、敗因について一言いはしてくれ。 我が国人が、あまりの皇国を信じ過ぎて、英米をあなどつたことである。 我が軍人は、精神に重きをおきすぎて、科学を忘れたことである。 明治天皇の時には山県、大山、山本等の如き陸海軍の名将があつたが。 今度の時は、あたかも第一次世界大戦の独の如く、軍人がバツコして大局を考へず、進むを知つて、退くことを知らなかつたからです。 戦争をつづければ、三種神器を守ることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなつたので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである。 穂積大夫は常識の高い人であるから、わからない所があつたら、きいてくれ。 寒くなるから 心体を大切に勉強なさい。 九月九日 父より 明仁へ(昭和天皇が息子・天皇に宛てた手紙、平和からの願い、父から子へ) もし皇室の意向を少しでも理解しようとする忠誠心が一寸でも残っているのであれば、万世一系(万世なわけがない)皇国神話(イザナギ・イザナミ神話を正気で信じている?) などという、たわいもない反科学的な妄想を速やかに捨て去り、皇室を範として科学者や技術者を志すことで、島国なりの生き残りに貢献することだ 現代の日本神話は、旧皇族、旧華族、旧家、神道関係者が、脳を使わない癖がついてしまった底辺や自称愛国者を使ってマウンティングするための 道具に過ぎないので語るに値しないのだが、最大の問題は神話をファンタジーと断言できない頭の悪さにある >>121 >>122 >>123 >>124 >>125 >>126 >>127 >現代の日本神話は、旧皇族、旧華族、旧家、神道関係者が、脳を使わない癖がついてしまった底辺や自称愛国者を使ってマウンティングするための >道具に過ぎないので語るに値しない 旧皇族や旧華族は今は平民である点も重要で、年月が経過するごとにマウンティングできなくなり焦っていることも考慮すべきだ 日本には平民になった皇統の持ち主なんていくらでもいるし、平民としての自由を謳歌し好き放題してきた 平民が皇室の一員として国民に受け入れられるという安易な考えは、実情を知らないからではないのか? 旧皇族が戻る可能性を煽り、皇族復帰をちらつかせてマウンティングする意地汚い商法だと言える 無論、前代未聞の平民が皇族となる事態は未知の問題を生むことは間違いない 例えば竹田家の若年だと(ベンチャー起業後に入社)元電通(大麻で逮捕)、伊藤忠社員、TBS社員、非常勤講師がいるらしいが彼らは 平民であり、平民として教育を受け、平民として生活しているわけで、現時点で醜聞は聞こえてこないが、 ハタイたらホコリはいくらでも出てくるので、彼らを皇族に復帰させるのには壁が大きすぎる もう一つの問題は、日本人が皇統の血を受け継ぐとの通説では、平民からの皇位継承が可能になると 日本人の誰でも皇位継承権があるとの理屈も生まれて来ることだ 今後国民から絶大な支持を受ける強力な政治家や軍人が誕生したときに、その権威・権力を使って皇位を簒奪しようとするものが出るかもしれない >>131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136 >>137 キリスト教等の世界宗教がかなり早い時期から神話を史実でないとしているのに、日本には神話が史実と考えるものが多 くいることを考えると、やはり日本人には知恵遅れが多いのではないかとの疑念が深まる 1万年前に遡れば、神武天皇とエタ非人・部落民の祖先も同じ、または上下をつける意味がない原始部族民と考えるのが科学的な思考というものだ 朝鮮朱子学由来の上下定分の理を悪用して、皇統にあるものが特権階級だと主張したところで、神話はファンタジーで 人間の出自は平等なわけであり、この日本神話理論にすがろうとする連中は、自らに特権があるとマウンティングしたい連中の思想に過ぎない 神武天皇の血筋程度では論考としては欠陥だらけなので、皇統理論・皇位継承の理論も含めて再考し直すべきだ ID:YI3jafza0 ID:dBFNRcOv0 ウンコ覚醒
>>1 >1万年前に遡れば、神武天皇とエタ非人・部落民の祖先も同じ よって遠い親戚である神武天皇の子孫に毎朝感謝するという思考回路か、もしくは遠い親戚だから神武天皇の子孫に毎朝拝礼すべきという理屈らしい あるいは「先祖が同じで遠い親戚だから神武天皇の子孫」を神の子孫として崇拝するという理屈に落ち着く 天皇家はもとから担ぎ上げられた飾り 権力は蘇我、物部ら
>>361 >ウンコ覚醒 宮門(くもん)@isenokumon 2017年6月14日 なんといっても、日本神話においては、ウンコや小便、ゲロも「神」だからな。 >>361 お前、引きこもりニートすぎるだろウンコまん >>360 この理屈を正気で採用するのであれば、土民が酋長を選ぶ理屈とさして変わらないだろう 朝鮮朱子学の皇室との一体理論というのは脅迫によるヒステリーによって成り立つが、そもそも無理がある理論だから朝鮮朱子学という集団ヒステリー病に 一国が依存することになる 排泄物が神、神から人間が生まれるというような内容では史実と考えることは到底できない 神武天皇即位から10世紀以上経過した8世紀に書かれた日本書紀だけが根拠であるというなら、一体どこからどこまでが史実なのか、 なぜ皇室が成立したかを可能な範囲で知る必要がある こうした疑問に答えられるなら歴史書に価値はある 神武は渡来人 大陸から日本列島を支配しに来たことを東征という
>>329 奈良へ本拠を置く前は河内で石川姓だった。 >>366 一部の頭の悪そうなカルト宗派を除くと、世界宗教は神話は史実でない(隠喩や寓話としての真実は内包するが、史実ではない)としているが、 日本では今だに現地部族の文明以前の因習・神話を史実だと考えるものがいる 皇族も科学論文を執筆する時代なのに、今だに神話を史実とするような頭の回路がいかれてしまった連中がいるが 皇室の意図を理解していないのは明らかだ これは唯物論の問題ではなく思想の稚拙さの問題なのであり、排泄物から神が生まれ、そのような神から人間が生まれてくると信じていること 自体が不自然であり、唯物論を疑われても何ら不思議ではない もしくは宗教をわかったつもりで宗教気取りをしている、雰囲気だけで宗教をしていると信じている狂人の集団(実体は権力に狂った唯物論者)と言えないでもない 75名無しさん@1周年2019/01/09(水) 19:09:54.67ID:m8dy1xO20 ロシェ@roshe_mayuge 2016年4月16日 そういえば昔、本当の日本神話はそりゃあもう卑猥で神は威厳などない屑ばっかだから 稗田阿礼の話を聞いた安麻呂が改竄して現在の形になった、ってファンタジー小説を読んだことがあったな よ〜ふ@naoty_youfu 2011年8月13日 日本神話って卑猥な話ばっかで好き。日本列島なんてイザナギとイザナミがピーして出来たんだぜw こことり@sirosudume 2011年4月18日 申し訳無いが日本神話を学校教育でするのは内容が卑猥すぎるのでNG 徳明輝峰@lancelet1970 2018年7月27日 日本神話によればアメノウズメはアイドル歌手とストリップダンサーの元祖というように、 あらゆる文化・芸術は最初は卑猥で低俗なところから出発して発展してきている訳で、 そのうち深夜アニメの原作ラノベや主題歌が義務教育で採用される日が来ると思う。
荒らしてるのは嘘年表を必死に作ってた九州説のやつだろう
>>367 古代イスラエルから黒潮にのってやってきた 到着場所は宇土 そう宇土神宮のある宇土だよ そういえば前スレの宇佐の話だけど 「国前国造、志賀穴穂朝吉備臣と同祖。吉備都命六世午佐自命 定賜国造」『先代旧事本紀』国造本紀 とあるな。
>>302 オオタラシヒメの名だと景行系タラシ朝と関係が強くなるね。 景行の九州系の后や孫娘もあり得るんだが、 神功神話と少し違和感があるなぁって社伝,逸話とかあるかね。 それも見方次第なんだが、例えば 大和に帰った応神に皇后が三輪の酒を勧める時、 皇后の態度が奇妙なので応神を「庇うように」歌で返すとか。 闇深すぎじゃないのか しかしここまで出てる陰謀説で歴史を振り返ると確かに奇妙というか説明のつきやすい不思議な出来事が多々ある
>>370 神道の氏神や神話は儒教等の先祖霊信仰に近いが、黄泉の国や物理世界から切り離された霊存在があるため霊智主義(グノーシス派、新プラトン、その他)か霊能主義(オカルト) のいずれかに分類可能となる >これは関係ないけど、欧米では、未だに何故かクリエイショニズムを信じる人が >けっこういるよ。 アメリカの統計では創造論を有神的進化論と混同しているため、創造論が多いように誤解されているが、大半は有神的進化論支持であり創造論の支持者は1割程度だ 基本的に誰もが知っている宗派は有神的進化論を採用している https://ja.wikipedia.org/wiki/ 有神的進化論 有神的進化論(ゆうしんてきしんかろん、Theistic evolution)とは、進化論を受け入れ、神が進化によって人間を含む生物を創造したとする説。 少なくともインテリジェント・デザインおよび創造論については過半数の宗派は否定的だ 。またキリスト教の宗派数は20億あるとも言われており、各々の解釈が異なる >>379 18世紀後半から19世紀にかけての無神論の流れは今とは比較にならない。きちんと統計をとっていたら現在よりはるかにキリスト教に対して逆風がふいていただろう(イスラム、仏教では科学的知見が弱くおおむね無風) キリスト教の神は物理と一体でもあるため、物理世界から独立した霊智を重んじるグノーシス主義系の宗教と比べて科学から批判を直接受けたからだ 神(物理+高度技術者)がキリスト教主流派だとすると、神(物理から切り離された霊)が他宗教とする事ができる さらに位格的結合が裏でキリストの自律的存在(=神の部分)と人間存在という公式を導出するため、キリスト教でも三位一体論を支持しない宗派は霊知的だと言える 試練を受けたキリスト教に対して神道や二元論(地獄とか天界とか物理世界以外の世界に高位の真実があるという意味で似ているので多元論も含める)の 宗教の神仏は非物理の霊体であるため科学者からの批判を受けずにすんだ(逆に言えば迷信として完全に無視されている)。そのため霊能力者、霊能師の類がいまだに現れたり、まともな学術的考察ができない混沌状態にある 20世紀には司祭であるルメートルが提唱したビッグバン理論が受け入れられ、物理学・生物学の知見を受けたことで、トールキンの指輪物語やC.S.ルイスが描くような神・高位存在が科学者・技術者(ヴァラール、オヤサラ、エルディア)であるといったイメージが拡散された もしくはラブクラフトのように潔くエイリアン(旧神)にしてしまう者が増えた 高度な科学技術を持つ物理神は唯物論の観点から見ても高度な技術を持ち、ビッグバン以前の太古から存在する宇宙人・未来人という設定は比較的受け入れられやすいコンセプトとなり 批判者である史的唯物論・ニューアカが反科学・反合理主義でタコツボ化した泡沫勢力に弱小化した状況では、まだ伸びしろの余地さえある 科学の進展は長い目で見れば、キリスト教が宗教として漸進・成長するためには必要な過程だったと言える。それに比べ神道は原始宗教の中でも教義が劣るインディアンの古老が語るような神話と言える >>91 >>119 山海経の蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。 コレを支持するね。 斉・燕の騎馬系民族の属国海洋民族東テイ族が倭国。。 五胡十六国時代に漢民族ではない異民族が、山東省や河北省、吉林省あたりから、匈奴 鮮卑、羯、羌、氐日本へなだれ込んでいる。 その有力者が牛頭天王は疫病神なんだが、匈奴系の吉備や蝦夷にいた騎馬系ではないかなと。 >>995 >>996 >>997 >>998 >>999 >>1000 >>1001 キリスト教の考え方としては神の実体は一つで、その神の一部が人間として生まれたのキリストであるため、キリストは神の実体という考えとなる しかし創造主はキリストではなく、キリストも創造主ではない、しかし創造主(指輪物語の世界観で言えば創造の技術者)もキリストも一つの神性ではあるが同時に自立存在という性格を持つため、キリストは人間でもある https://ja.wikipedia.org/wiki/ 位格的結合 そのため今日ではこの語はしばしば「位格」と訳される。これは実際的・具体的な自立存在を指し、プラトンのイデアのような抽象的なカテゴリと対比される。 神が物理的実体であるとし、非物質的なイデアーや二元論を排斥した宗教は見当たらない 宗教にとっては、非物理的な霊とか魂、死後の世界に任せれば教義の辻褄を合わせるのは簡単だが、キリスト教はそれをしない 実際のところキリスト教カルトの大半はこの、二元論に戻った原始宗教になる点において、何がキリスト教を特別としているかが浮き彫りになったと言える ある意味、二元論化した宗教は、神道も含めて教義が新プラトン、グノーシス、マルキオン、ゾロアスター、ヒンドゥー、仏教のように洗練されているか、神道・儒教・アメリカ原住民の 部族の酋長が語るような非論理的で適当なものに大きく二分できる キリストの復活というのは言わば物理的に蘇る神の技術のデモンストレーションであり、神の高い技術力を示したものとすると 宗教の大半は、超常的な霊やイデアーのような霊的世界を必要としたが、キリスト教にとっては現存する人間の自由意志を霊体のようなものとし、しかも自由意志は物理とも切り離されていない 魂はあるにしても肉体との境界は曖昧であり、自由意志を持つならばなんでも魂があることになる 例えばクジラやイルカには自由意志があり魂があるはずだというのが、一部のキリスト教徒の考えとなるため、別の形の進化を持つもので大切にしようという思想が生まれる (C.S.ルイスのSFで定義されたハナウはクジラのような高度な知性保持者と考えると、クジラに対する異常なこだわりを日本人が理解できない事が説明できる) SF的に見ると高度な技術を持つエイリアン(ラヴクラフトの旧神、C.S.ルイスのオヤサラ、エルディア)、ファンタジーの創世のエンジニア(トールキンのヴァラール)はおおむねキリスト教の天使の世界観に沿ったものとなる。 >>380 >>382 創生紀はパウロの時代からファンタジーとして認識されている、アウグスティヌスも数学的直観や自然科学と合致しない解釈を否定している https://en.wikipedia.org/wiki/Allegorical_interpretations_of_Genesis Christian Bible reference to an Old Testament story as allegorical In the King James version of the Bible, Galatians 4:21-31, Paul describes the Genesis story of Abraham's sons as an allegory. Other translations convey a similar sentiment: Galatians 4:21-31. 日本神話と旧約聖書を比べたところで、比較対象はユダヤ教の教条原理主義であって、キリスト教との比較にはならない キリスト教の神は宇宙に遍在する(意思を持つという意味で)「人格を持つ」物理エネルギー体であるため、他の原始宗教と比較するのは無理があるが、二元論解釈の余地があるネストリウスや ギリシャ正教であるならキリスト教との部分的な比較神学は不可能ではない 日本神話にもイデア―の世界があるという解釈は可能であり、ゾロアスター教や仏教、マニ教等の東洋系の二元論(イデア―と物理宇宙論との対立)に近い 特に仏教はグノーシス主義と親和性が強く、物理世界を低俗と見なす傾向が強く、仏教と結びついた日本神話は反科学的、反物理学的な教条主義に陥りやすくなる https://en.wikipedia.org/wiki/Buddhism_and_Gnosticism ただし先祖霊宗教の要素を持つことで、マニ教、仏教、ゾロアスター教と比べて著しく教義が幼稚で不備であると言える >>383 >>358 >>359 >>370 SF作家Arthur C. Clarke の「幼年期の終わり」はマルキオニズム的な二元論を解体して、キリスト教やグノーシス主義をごちゃまぜにして作った小説だが、 グノーシス主義の根幹であるイデア―と対立する物理現象になってしまうので、グノーシス主義・二元論とは相容れない これは二元論のままでは科学フィクションとしては成立せず、キリスト教的な世界観がSFに適していることを間接的に証明している グノーシス主義・マルキオン主義において物質世界や物理法則を悪と見て、イデアーと物質が対立する世界と考えであり、両者が一致する世界観を持てないために反科学的と言える ビッグバンや進化論に生まれた世界が悪ならば、そこから生まれた人間も悪に過ぎないし宇宙におきた光であるビッグバンを悪とする道徳観なわけだ キリスト教的な世界観において、無限の時と空間において、宇宙が存在すること自体が物理現象的な奇跡なのであり、人間が持つ技術や科学的知識を神が保有しているのも当たり前となる https://ja.wikipedia.org/wiki/ グノーシス主義 グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ(英語版))[8]の世界である。しかし至高神の神性 (アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオート[9]あるいはデミウルゴス[10] と呼ばれる狂った神を作った。ヤルダバオトは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。グノーシス の神話では、このヤルダバオトの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界である、と捉えられる。 >>384 https://ja.wikipedia.org/wiki/ マルキオン まず、イエスはユダヤ教の待ち望んだメシアではなく、まことの神によって派遣されたものである。 ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたこ とがマルキオンには誤りと思えたのだ。また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの 人間性を否定した。このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を仮現説(ドケティスム)という[1]。 同時に彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、 旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。一方、イエスの示した神は、旧約の 神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている[2]。 このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループの ために本当に必要な文書のみを選択しようとした[3]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 仮現説 広義の仮現説 部分的に受肉を認める説を含める。イエスが人間に働きかけるための手段として仮に人間の身体を受けたとして、仮りそめの受肉を認める立場を含む (イエスの完全なる人間化は否定する)。 狭義の仮現説 イエスの肉体性を完全に否定する説。人間が目にしたイエスは、幻の如き存在であり、イエスは終始、霊的な存在であって、肉体をもつことはない。 仮現説は、しばしばキリスト教グノーシス主義と結びつけられる(ただし、仮現説とグノーシス主義とは同義ではない)。グノーシス主義では、 「物質的・肉体的なもの」と「霊的なもの」とを対立的に考える二元論をとり、前者を悪であると捉え、前者と後者は相容れない存在であると考える。 このような立場からは容易に、「イエスが神であるならば、神が劣悪な肉体をまとうはずがない」という教説が生まれることとなる。 >>384 ○グノーシス主義・マルキオン主義において物質世界や物理法則を悪と見て、イデアーと物質が対立する世界観であり、両者が一致する宇宙物理思想を持てないために反科学的と言える グノーシス主義の思想である「この世が悪で満ちているので宇宙は悪、それを創った神も悪」が成り立つとすると、世界が悪である事に変わりはないのであれば多神教の神は悪ということになる 悪の物理世界において人間だけが別格の神性を保持する高度な存在というグノーシス主義は反科学的となるよう運命づけられている >>249 奇跡を起こした人は実在しないのならキリストも架空の人物だなw >>88 調査して箸墓の被葬者が男だったら逆に畿内説死亡だなw >>384 >>385 シミュレーション仮説に二元論を混ぜた宇宙論も一応は存在する 物理的世界は確かに存在するが、世界が静止状態にあるという前提をたたき台にして (神による)シミュレーションの物理的復元・コピーという仮説だ シミュレーション内のエージェントの意思や作用の結果を静止状態にある物理的世界に対して更新・復元し、シミュレーション宇宙に対してフィードバックするというシステムと考えると良い しかしこれではグノーシス主義の二元論は壊れる プラトンの反科学的なイデアーの非物理世界を神の保有する物理的コンピューター内のシミュレーションと仮定しただけで、キリスト教の世界観に戻るだけだからだ https://en.wikipedia.org/wiki/Essence –energies distinction Orthodox theologians generally regard this distinction as a real distinction, and not just a conceptual distinction.[3] Historically, Western Christian thought has tended to reject the essence–energies distinction Orthodox criticism of Western theology Eastern Orthodox theologians have criticized Western theology, especially the traditional scholastic claim that God is actus purus, for its alleged incompatibility with the essence–energies distinction. Christos Yannaras writes, "The West confuses God's essence with his energy, regarding the energy as a property of the divine essence and interpreting the latter as "pure energy" (actus purus)"[23] According to George C. Papademetriou, the essence–energies distinction "is contrary to the Western confusion of the uncreated essence with the uncreated energies and this is by the claim that God is Actus Purus".[24] ギリシャ正教は東洋的な魂と物質を分ける思想を保持するが、魂と物質は西欧のキリスト教主流派では単なる修辞にすぎない カトリックおよび、カトリックから派生したプロテスタント宗派において魂は神が人間との契約のために作った、死後の状態を一次的に保持するための器にすぎない キリスト教以前においては、魂の世界なるもので世界を説明し、物質世界の生涯を仮の身とする自然信仰(先祖信仰)をベースにした多神教・二元論宗教が主流だったが 多神教・二元論宗教には物質世界と科学の否定とも言える要素によって、イデアーの世界を研究することはあったが、同時に物質世界を低次元と見なす傾向をうみ 観測不可能な魂に関する迷信を権力者が制限なく変えられる土壌を作り、科学的思想との対話はせずひたすら神話にしがみついた 始まりの光=ビッグバンはエネルギーであり、宇宙にはエネルギーはどこでもある、よって神の遍在(Omnipresent)も満たす 神がエネルギーと不可分という思想は、世界観を大きくばっさり2つに分けて安易な神話的説明を不可能とさせ、物理学と共存・対話しようという強い推力の源となった また宇宙物理学や、太古の宇宙人の存在蓋然性は、キリスト教の思想が本質をついていた可能性も示唆している >>387 まぁ諸刃の剣である事は認めるわ 限りなくゼロに近い可能性だと思うが万が一はある >>388 >>952 >>953 >>954 >>955 >>956 >>957 ジョージ・バークリー、ニック・ボルストロムのシミュレーション仮説と神学は相互排他的ではない ARE YOU LIVING IN A COMPUTER SIMULATION? BY NICK BOSTROM Faculty of Philosophy, Oxford University Published in Philosophical Quarterly (2003) Vol. 53, No. 211, pp. 243-255. https://www.simulation-argument.com/simulation.html https://thenextweb.com/distract/2017/07/06/simulation-hypothesis-and-the-search-for-god/ It’s also possible that the idea of God and simulation theory aren’t mutually exclusive. If we acknowledge – even hypothetically – that there is a creator, maybe the how and why of existence are more important questions. Consider Einstein’s observation on religious fervor: How can cosmic religious feeling be communicated from one person to another, if it can give rise to no definite notion of a God and no theology? In my view, it is the most important function of art and science to awaken this feeling and keep it alive in those who are receptive to it.(Einstein) スピノザもマルクス唯物論史観からすると無神論者に貶められるが、ニック・ボルストロム的な神(高度に発展した文明)のコンピューター内の出来事 とすると物理学と数学的観念主義の解決に過ぎない >>390 キリスト教の神、天照大神、梵天は教義的違いにも関わらず全て人格(神であるため人と同じではないので人格という時には注意が必要)を持つ 人格の定義とは知的生命体の特徴を持つだけのことで、最も重要なのは神が意思を持つ存在であることだ 高度に自立学習を行って人間の知性を超えるようなAIでも、意思や自我を持つべきとする意見が多くある以上は、意思とは生命体に限定されない 神が知的生命体である人間と特徴を共有するのは論理的だと言える 逆に人格を持たない神を主張しているのは唯物論史観の連中であるため議論する価値はない 単に意思のない物を崇拝しているだけなので、奇形唯物論の信者であると言える この連中は唯物論者に特有な自己崇拝・人間崇拝(独裁者崇拝、上位者崇拝)をする傾向がある 神が邪悪な性質を持つのは理屈に合わないとの論も偏向している 高度な知的生命体や機械が無限に生まれ互いに絶滅的戦争を繰り広げるであろう宇宙において、無限の過去の時間軸を生き残れる存在には善と悪の両面があるほうが自然だ 高度に発達した知性がエゴ・自我を持ち、敵を滅ぼすのは自然の流れだ 宇宙を作れるほどの力をもっていても、それに対抗できる知的存在が新たに生まれたら、弱腰、平和主義では滅びるだけだろう 神話の物語なんて面白おかしく書いたか 自分の嫌いな奴をある事ない事書いてるだけだから 当てにならんわ どうせ自分が正義で強大に相手は下品に悪党で小物にするんだ どっかの人たちみたいに
>>391 >イエスは最初から聖書の予言の成就のために >十字架にかかるために生まれたんだよ そして預言どおり復活した 神がコンピュータを駆使してシミュレーションした得た最適解だったとの説を読んだ記憶がある なぜ最適解になるかは、神(異性界の霊)から神(物理科学者)という思想に誘導するには、神が人間として生まれることで物理存在であることを示し(生命体であるかまでは明示しない) 復活によって人間に対して「物理的に」(新たな地球で)永遠の命を持つことが可能である事を示すことによって、二元論とは根本的に異なる宗教が誕生したからだ また神性の保持者である母親が人間として(高度な技術による介入によって)生まれることによって、悪いエイリアン(または機械)でない事も示した この中のどれ一つを欠いても、キリスト教が二元論から離れることは難しかった 初期キリスト教の議論を見れば、二元論的な惰性に流れて、どの宗教もおおむね二元論に陥る事が分かる 仮に霊に見える高度な技術を持つ存在であっても、それも物理的なもので、神が物理法則による設計をしないと死後の記憶・意識保管装置もなくなるのがキリスト教であり これに対して二元論宗教では黄泉の国や死後の世界に旅立つためには、超常的な霊世界の存在が必要となり、科学者は議論する必要さえ感じてこなかった >>1 >>958 >>959 >>960 >>961 >>962 >>963 宇宙を作ることができるなら、技術水準は人間を遥かに超えた文明を持つ知的存在ということになる そのような存在が人間以下の知能さえもたない物だというのは理屈が合わない 神と呼ばれるほどの知的存在(生命体ないし機械)が最低でも持つべき技術力は ・超巨大ブラックホールを作り出したり、時空間をワープする技術力 ・設計したパラメーターをもとに宇宙を作れる技術力 となる また死から蘇る技術というのは極めて面白い、なぜなら死者の状態・情報(意識・記憶)をセーブし物理的に蘇らせる技術を保持することを意味するからだ さらに思考処理といった情報に最適化された宇宙や時空(情報体宇宙)を作ることも可能であり、それを肉体を持たなくても存在できる天国と呼ぶこともできる しかし仮に生き返らせても神を信じない連中であれば、不平不満を言って神を怒らせたり、悩ませる不遜でトラブルばかり起こす連中も出てくるだろう ならば神にも情報体宇宙に入るべきものを選択する権利はある 面白いことにこれらの技術は人間が知識と技術を極めれば、実現が絶対に不可能とは言えないことだ SFの仮説として神が未来人であるプロットを示すことが良くあるのは、一定の技術発展を遂げれば、 未来人も神と見分けがつかない技術力を保持しうるとの合理的予測・仮説が成り立つからだ >>393 >>395 ユダヤ教改革派、キリスト教主流派において物理現象を超越した霊が存在する死後の世界(あの世)らしきものは厳密には存在する必要がない(死後の一次記憶装置らしきものはある) 神には(肉体かデジタルかは別として)物理的に意識・記憶を再生し蘇生させる技術があるというのが大前提で、それ以外は核心ではない 教義によると死後に蘇って新たな生命、新たな地球・大地を与えられ、神(宇宙の創造者)と一緒に暮らすということに過ぎない >>395 の高度な知的生命体ないし機械ならば実現は不可能とは言えない物理現象的な話だ 無量大数を軽く超え10E1000000....年以上前から存在する知的存在であれば造作もなく実現できる技術と推測するが、であれば想像不可能な太古から存在する知的存在が 暇つぶしをしていると解釈することもできる スタートレックの「管理者」を無量大数倍の長生きした高度な存在とでも考えれば良いだろう 幽霊やあの世を信じるような人間には理解できないだろうが、物理蘇生・復元は物理法則に反している魔術・霊能力ではなく、科学技術で行わないとできない ビッグバンを起こし、生命を蘇生・復元できる科学技術力がキリスト教における神であるための条件ということになる なんだ?この必死な荒らし方 触れたらあかんとこに誰か触れたのか?
蘇我氏ネタから急に沸いてきたな でもどうでもええ皇別の一氏族やからな なんかおもろい闇は出そうにもないしな
>>396 キリスト教における全知全能というのは、日本人の考えるそれとは異なる 全知は知る能力でありこれは技術力が途方もなく進んでいれば超感度センサーで可能かもしれないので、あえて議論する意味はない (全知を未来まで見通せることができると定義するのはカルバンの説だが、自由意志がないと単なるロボットに過ぎず主流派はこの説を採用しない) アウグスティヌスによれば全能は意思を遂げられる能力であって、何でもできることを意味しない Augustine of Hippo in his City of God writes "God is called omnipotent on account of His doing what He wills" and thus proposes the definition that "Y is omnipotent" means "If Y wishes to do X then Y can and does do X". この定義においては人間でさえも偶然に全能な力を発揮することもあり得る 日本人が考えるような、物理法則さえ捻じ曲げることができる存在とは見なされていないということだ https://en.wikipedia.org/wiki/Omnipotence_paradox For He is called omnipotent on account of His doing what He wills, not on account of His suffering what He wills not; for if that should befall Him, He would by no means be omnipotent. Wherefore, He cannot do some things for the very reason that He is omnipotent.(神の国、アウグスティヌス) https://en.wikipedia.org/wiki/Attributes_of_God_in_Christianity キリスト教の神というのは知的生命体なら保有するであろう属性をおおむね保有する これは人間に近いとも言えるが、上述の意思を実現する力によって人間の完全な上位互換と考えることもできる 例えばAIが自立学習をするようになって人間のように思考するようになったら、人間の良い面も悪い面も AIは保持するであろうことは容易に想像できるのであり、人間が望む(人間にひたすら都合の良い)平和的(で愛憎がない従順)なAIが生まれるとは限らないということだ また絶対神という概念はおそらくライトノベルや神道系の新興宗教(金光教、大本、生長の家)あたりから来たもので、 宗派にもよると思うがキリスト教で絶対を使う場合は「信仰が絶対の真実」というもので神に絶対という形容詞はそぐわない(前述したようにアウグスティヌス的な「全能」ならあり得る 枝葉だけど、このスレにはFAQになるので、、、 あ、いかめしい公式の説明しか聞きたくない人はスルーで (間違ってこのスレに来た人ぐらいだけどw) 銅鐸って何のための道具? はやし浩司(初期からのYouTuber) VIDEO 急に消えたのは合わせることができるようになったから >>396 >>399 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5 宗教というのは一点の疑問にいかに答えるかで全く姿勢や教義が変わる 科学的自然説を用いるなら時間軸としての未来が無限というのは理解できるだろうが、過去の時間軸も無限ということになってしまう 時間軸が無限ということは、今存在している空間の前には無限数の宇宙と高度な文明が存在したことになる (神がいないのであれば)空間にも無限の過去があったと推定できるが、これも科学では説明しえない領域ではあるし 無限の過去があるなら(人類以前に)知的有機生命体ないしは機械が何らかの知的・技術的臨界点に達するための時間が無限にあったということであり、 それだけの時間があれば例えば宇宙を作ったり他の宇宙に移動することさえも不可能ではないだろう そう考えると自然として考えてきたものが機械的にエンジニアリングされた環境であったと考えることもできる この疑問に対する宗教の答えを単純化すると3つに分けることができる 空間に無限の過去が無いという説においては永遠の全体を持つ神(時空間創造説) 存在と意識を小宇宙として限りなく細分化し死によって滅ばない主観と因果律(諸行無常、輪廻思想) 創造−存続−終末的破滅−創造を永遠に繰り返す(円環的時間) 始まりの存在を考えるのは科学の領域でもあるが、人類や(宗教も含む)文明の価値にも影響してくる 【物理学】「宇宙の終わり」について現代の物理学から予想される4つの可能性とは?[08/22] http://2chb.net/r/scienceplus/1534892224/85-105 >>393 ○また神性の保持者である母親から人間として(高度な技術による介入によって)生まれることによって、悪いエイリアン(または機械)でない事も示した >>1 >>2 >>3 自然崇拝(自然神、大昔の災害・因習等に由来する山・海・祖先等が神)は進化論とビッグバンで否定できる 残念ながら(先祖信仰から始まった)神道も含めた自然信仰系は進化論と適合しない 自然自体はあくまでもエネルギーであり、そのエネルギーがビッグバンで発生し進化しているとなると完全に説明ができなくなる 宋学以前なら神道と儒教は先祖信仰において、おおむね重なり、律令制度などによって厳しい身分差別制度も導入される https://ja.wikipedia.org/wiki/ 氏神 本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった[1]。 例として、中臣氏は天児屋命、忌部氏は天太玉命を祀った[1]。また、中臣氏と関係の深かっ た武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)を、藤原氏が春日大社に祀るなど特殊な例もあった[1]。 中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、 氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」と いい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺 には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せ て「氏子崇敬者」と総称する。 先祖霊自然信仰(多神教の共通項)の弱さはタブーと言い伝えという悪い教訓しか伝えないことであり、因習を導くこと タブーや因習は人間の悪さを抑制するが、人間を強くしないので、向上心や自己修養、 恵まれないものを助けることを強制せず、競争や破壊的イノベーションを嫌う文化を作る (自然信仰はキリスト教の聖霊にも含まれ、有神的進化論やビッグバンも受け入れたキリスト教主流派と比べ教義として劣る) 儒教も一種の自然信仰・先祖霊信仰から生まれたもので、少なくとも宋学以前では、類似する点が多くある 現代人はタブーを祖先の霊や地場霊が原因と説明されても多数が信じず、大衆消費文化の地方習俗として認知されるに留まる 反対に霊能力者や聖人を認定する第三者機関も存在しないため、信心深い人間は詐欺師の草刈り場と化している ローマの宗教が廃れた理由の1つとして、多神教は信仰対象を統一できず、1つの宗教として まとまり機能できないことだった。各地域ごとに神や祀る対象が異なるのでは統一ができるわけもない 地域問題は海外からの影響を受けない独自路線である本居宣長の「もののあはれ」が生まれたが、あくまで神話体系に過ぎない 情報を捨てるための整理がなく、膨大な情報を集積するだけであり、無用の長物と化したと見なすものが多くいる 古代日本文化の神話を集積した傑作として認められても、現代社会で省みられる兆しはない 今日の神道の凋落と沈滞を見るに、改革は失敗したと考えるべきで、手遅れと考えていいだろう 神道系の宗教が明治以降つぎつぎに生まれたが、今は見る影もなしだ 明治政府は辺境の弱小国である日本が強大なキリスト教国から睨まれることを回避するために、国家神道は宗教に非するものとし 朱子学的な妄想を国家主義に取り入れたが、日本全体が集団ヒステリーを起こす朝鮮化したのは記憶に新しい
>>400 そのじーさん、なんでもエイリアンにしてんだけど頭おかしいよね >>400 楽器じゃなくてただの半鐘だよなあ… 火事だとか敵が攻めてきたとき知らせるやつ いまでいう防災無線だ。 >>400 上の穴じゃなくて 本体に4か所穴あいてるし そこに紐を通したらいいんじゃあ…w 日帝ジャップは馬鹿だから 「ジャップは太古の昔から天皇に統一的に支配されていた」 という妄想を維持したい。 しかし『魏史』倭人伝の卑弥呼の記述は、 明らかにそれに都合が悪い。 卑弥呼は「倭女王」、とはっきり書かれてるからな。 だから、ジャップは「邪馬台国は近畿にあった」 という妄説を主張して、自分たちの妄想を守ろうと悪あがきをする。 邪馬台国ネタは、 ジャップの支配層の本質的な幼稚さを暴露する 格好のネタw だからネットでもどこでも 繰り返し話題にされる。
「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。 「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。 だから中国語で読むのが当然。 中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。 こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。 この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。 言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは 何の根拠にもならんからな。 だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で 「ヤマタイコク」と呼んで、 ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない! とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
永遠に馬鹿なジャップは例によって、 「卑弥呼」を勝手に「ひみこ」と読んで知らん顔。 しかし言うまでもなく「卑弥呼」は中国の史書に出てきた単語。 当然当時の中国語を基準とした読み方をすべき。 幾つかの可能性があるんだが、その中の一つは、 「ぴみは」 ないし 「ぴみか」 になる。 いずれにせよ「ひみこ」なんて読み方はありえない。 勝手に「ひみこ」を正当な読み方みたいにしてんじゃねーぞ、糞ジャップ
古事記、日本書紀が作られた理由。 中国様「おい猿ジャップ、お前らの集落の歴史を教えろ」 ↓ 猿ジャップ「御意!」 ↓ 猿ジャップ、『古事記』を献上。 ↓ 中国様「なんだこれは猿ジャップ、まともな言葉で書け、土人が!」 ↓ 猿ジャップ「ひええええぇぇぇぇ、御意! 御意! 御意!」 ↓ 猿ジャップ『日本書記』を献上(でもファンタジー)
岸本直文准教授(大阪市大)によると、 おおむね5世紀に在位した 天皇の「お墓」11基のうち、 9基は、別人か、古墳ではない、と考えられる。 ちなみに、15代応神から25代武烈まで。 仁徳は16代 古墳ではない??? ジャァァーーーーーーーーーーッッププ w >>325 北陸から大伴が推薦した継体と尾張連の娘である目子媛の子供の安閑宣化の即位時期が異常に短くて蘇我が推してた欽明がとって変わってるあたりこの時期だろうね何かあったのは >>242 物部と忌部は別族だぞ 忌部は中臣(藤原)が台頭するまでの祭祀系氏族 物部は穂積とか一説だと尾張氏や海部氏なんかもそうだな >>357 >>生まれは半島 >なんで、こんなぶっ飛んだ考えができるんだろうか? 韓子も高麗も、一般名詞だからだよ 固有名詞の本人の名前、諱が伝わってなかったんじゃないか、 というところから出てくる説 >>409 毛沢東は、「モウタクトウ」でいいんだよ ケ小平は、「トウショウヘイ」 アスペじゃなければ現地の発音で読まないとといけないなどとは言わないよ ジャップって響きがかっこいいよね。 ちなみに私は生粋のジャップ人です。
>>409 コカコーラを中国語で書いたら可口可? 可口可?を中国語で読んだらコカコーラじゃん 同様に、ヤマト国を中国語で書いたら邪馬台国 邪馬台国を中国語で読んだらヤマト国だよ 発音は同じでも表記が揺れることなんていくらでもあるだろ 蝶々は かつて「てふてふ」で、後に「ちょうちょう」になり、 今は「ちょうちょ」が多数派だぞ 100年もたたずにこの変化
てか伍ちゃん内にヤマイチコク論争してる場所他にないの
日本史板は邪馬台国スレ多いな。 専門板だから腕に覚えがあるなら面白いかも プラスで立った方がいろんな人がいて自分は好きだけど
日本史板は煮詰まりすぎてて新参の俺は何を議論してるのかすら理解できなかった
>>376 宇佐の話だったら 宇佐國造.橿原朝,高魂尊孫-宇佐都彥命,定賜國造.和名抄云,豐前國宇佐郡. の方じゃないか? 最後の水行十日陸行一月は部分行程じゃなく総行程 全部でこれくらいかかりましたよってことに過ぎない 倭人伝は道行きの記録でもあるので出発当初の大雑把な数字から徐々に記録が細かくなってきて、九州内で目的地が近づいてきてることがわかる これは道行きの案内としては自然というか当たり前のこと で、最後の最後で超大雑把に水行十日陸行一月かけて途中経過も全くなく方角も不一致、だけど大和に着きました!なんてことは100%ありえないのは子供でも分かる
神武東遷って紀元前660年で崇神の四道将軍が紀元前90年位だろ? 弥生時代に領域国家とか考えられない。俸給官僚が居て文書行政ができたのか? 大体邪馬台国は紀元後239年だから、邪馬台国東遷じゃなくて東遷後の畿内邪馬台国って話だろ。 挙句に神功皇后卅九年、是年也太歳己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守ケ夏、遣吏將送詣京都也。」だから神功皇后39年は明帝景初三年の紀元後239年になる。 でも 神功皇后49年、於是、其王肖古及王子貴須、 神功皇后55年、五十五年、百濟肖古王薨。 神功皇后56年、五十六年、百濟王子貴須、立爲王。 晉太元中(376-396)の百済王は須。「梁書諸夷伝」 374年、近肖古王三十年十一月 近肖古王が薨った。「三国史記」 376年、近仇首王一年 即位した。「三国史記」 つまり神功皇后39年は西暦239年で、神功皇后56年は西暦376年になる。 日本書紀って時間軸が無茶苦茶だよ。
>>428 >最後の水行十日陸行一月は部分行程じゃなく総行程 >全部でこれくらいかかりましたよってことに過ぎない これは九州説のご都合読み 同じ構文の投馬国へは、どう読めばいいんだ? とか 最初に倭人、在帶方「東南」大海之中と書いてあるのに、 総行程が「南」至邪馬壹國なのは矛盾するだろ? とか ガバガバな想定だよ >で、最後の最後で超大雑把に水行十日陸行一月かけて >途中経過も全くなく方角も不一致、だけど大和に着きました! >なんてことは100%ありえないのは子供でも分かる >>428 はお子様以下だな 漢以前 中国人「九州しか知らない」 魏以降 中国人「畿内を知った」「詳しいのは九州」 隋 中国人「畿内にも詳しくなった」 めっちゃ自然ですやん これだけのことだよ 隋 中国人「邪馬台国がヤマトのことだと分かったよ」
日本史板はIDワッチョイなしだからもうなにがなんだか笑 こっちの方が神話とか記紀とかの話もよく話題になるからいいよね
そもそも大和朝廷を邪馬台国と結びつけるから畿内説なんておかしなものが出てくる
隋 中国人「大和朝廷を邪馬台国と結びつけて、済まんかったの」
日本史板のテンプレは難しすぎて理解できないだろうな あれが理解できる人なら、九州説なんかとっくの昔に捨ててるはず
>>431 仮に多少ガバガバだとしても大和は100%ないから安心してくださいw 魏の時代に九州から畿内の先までの大きな王権があったかどうかだよね。
邪馬台国や倭の五王が本当に大和政権と直接の繋がりがあるかってのもあやしいがな
>>440 それだけ強力で長期にわたる王権があれば中国や半島ともっと交流があったろうし、 当然、歴史に残る 邪馬台国はそれほど強大な国ではなかったと思うよ。。。
中国の歴史書の記述は大和王権にほぼそぐわないよね こじつけてはいるけどw
草 > 3 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/01/31(木) 06:30:25.88 ID:LtmsRNHP0 > 韓国は紀元前8000年頃にパミール高原で発祥し、 > その後、紀元前5000年頃にユーラシア大陸の全てを支配する古代大韓帝国を樹立した > この古代大韓帝国は、後のモンゴル帝国を遥かに凌ぐ広大な領土を持ち、 > 後に五大文明として語り継がれるエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明、漢江文明の礎となった > > そのころジャップは類人猿同然の亜人種として下品な文化で生活しており、 > 韓民族によって文明を教示されるまで、野蛮人そのものの生活をしていた > > 高天原は、漢江文明発祥の地であるソウル郊外にあり、 > ホノニニギは古代大韓帝国の皇子の一人であり、 > この韓民族であるホノニニギがジャップを駆逐し、大和朝廷を作ったのは歴史的事実 > 現天皇はこの古代大韓帝国皇帝の血筋を引くので、 > ジャップ文明は韓民族文明の亜流であることもまた歴史的事実
>>446 ホツマツタヱのウリナラバージョン((笑))))) >>442 そう思うよな、歴史の空白が多すぎる。 でも九州説ならその後どうなっていくのかも非常に気になる。 >>445 大朝鮮帝国史 アマテラスも、卑弥呼も、応神天皇も朝鮮人らしいです 倭が朝鮮半島に進出して高句麗と争ったのも、朝鮮人同士の内紛ということらしいです >>450 それ割と事実なんだよ だけど朝鮮人なんてのは居なくて縄文人のことだけどな(笑) 白丁「日帝バンザーイ!」 と大喜びで「日本人にさせて貰った」癖にナニ暴れるんだかw
>>430 普通に考えたら、神功皇后は卑弥呼の100年以上後の人ってことだよね? >>441 701年が大和政権が日本の統治者となったとすると 邪馬台国や倭の五王は大和政権以前の話だからな。 >>454 3世紀の日本では郡、市程度の大きさの国邑が在って 地域毎に連合国家を形成していたようだね 邪馬台国も地域毎に連合国家で北部九州地域に在ったんだろうね。 >>428 >最後の最後で超大雑把に水行十日陸行一月かけて途中経過も全くなく方角も不一致、だけど大和に着きました! >なんてことは100%ありえないのは子供でも分かる これよく書いてる人いるけど、魏志倭人伝を邪馬台国旅行記だと勘違いしてるから、こういう感想を持つんだろう 伊都国は郡使の往来で常に駐する所と書かれているから、楽浪郡や帯方郡から頻繁に来ていたことがわかる 一方、邪馬台国へ行ったと解釈できるのは、梯儁のときと張政のときの2回だけ 頻繁に来てた伊都国周辺の情報量は多いが、2回しか行ってない邪馬台国周辺の情報は少ない 当たり前のこと さらに言えば、2回しか行ってないのは邪馬台国が伊都国から遠いことを示唆している 縄文人はスンダランドから来たんじゃね? 入れ墨の文化とか南方海洋民族だろう
そう 伊都国までは何度も行ってる だからずっと昔の記述をそのままコピペする 草が多くて前の人が見えなくなるほど曲がりくねった道を通るような場所に上陸したのも事実 しかしそれは過去の話で なので松浦国が唐津と決めつけるのもおかしな話 昔は壱岐から一番近い呼子に上陸して、そこから伊都国へ向かった 時代が進んで唐津が整備されたけど 記録文書は昔のままで更新していなかった そう考えるのが妥当じゃないかな?
隋書にも、筑紫国より東は全て倭に附傭す とあるから 裏を読んだら筑紫より西側は倭(ヤマト政権)には附傭していない、て 読めたりするかもw
>>460 呼子から上陸が非現実的な理由に 唐津を流れる松浦川の河口が昔はかなり内陸まで海だったってことなんだよね 糸島に行くのであれば10q以上の遠回りを強いられる 唐津には弥生時代の遺跡がたくさんあって 当時国として存在してておかしくない規模であることも考古学から明確 >>454 連合国家ならもうちょい強力な宗教が必要じゃないのかな シャーマンでは広域な国家になるには限界があるような気がする。 卑弥呼を共立した国々も邑単位かなあ >>464 命がけで航海してるときに、 壱岐から 呼子に行くか 唐津に行くか という違いだよ 俺なら呼子だな 記述にあるような、「山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。」 というのは、唐津の描写としては不適格 >>467 草木で前の人が見えないというのは、 曲がりくねった道だという事 深い入り江の多い呼子の方が妥当だよ 素直に考えたらヤマトが九州から東遷して邪馬台国等を平定し畿内に王朝を築くだろ
邪馬台国ってそんなしっかりした強権を持った集合国じゃないと思うの
九州説の人は地名の語呂あわせをよくやってるけど 畿内説の人は天皇名前の語呂あわせをするんだな 年寄りは漢字の語呂あわせが好きと 武田信玄(晴信)の子供とかどうすんだろうな 義信は実子だけど、勝頼は実子じゃないと
朝鮮半島から日本九州とか単なる観光旅行程度のクルーズでしょ ウィンドサーフィンやってる友達いるけど島伝いで朝鮮に行けるってさ
決定的な証拠が見つかるまでは水掛け論だな。無意味。
>>472 陣営関係無く古代から漢字の語呂合わせじゃないか もう漢字の音読み訓読みグダグダ過ぎるだろ バカばっかり 義信は嫡子だけど、勝頼は養子 ウンコ人間って、日本史知らんだろ
九州説でも色物と言われてた人達が認めないだけで 九州説の主流と言われてた人達すら、もう畿内に趨勢が決まったのは理解してるよ あとは大ドンデン返しがあるのかどうか それを固唾を飲んで見守ってるって感じ
魏志倭人伝の時代に唐津が栄えてたかどうかなんて話はしてないんだよ 魏志倭人伝の記述は、もっと昔の歴史書のコピペだと言ってるんだがな その昔の歴史書が書かれたころは、唐津ではなく呼子に上陸してたんじゃないかという話でしかないんだよ 「山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。」 という記述なのだから、 いくら後世に整備されて広くなった唐津平野だとしても そもそも河口なのだから山からの堆積物でいくらかは平野があるものなんだよ そうなると、 山海に沿って住む事は無いし 平野なので草木で前の人が見えなくなることもない
勝頼を養子と言う人が居ると思わなかった 勉強になるわww
>>476 >義信は嫡子だけど、勝頼は養子 そうだったの?新説だね 魏志倭人伝を素直に読めば九州しか有り得ない。 飛鳥や奈良と結び付かないから、近畿にしたいんだろうけど、 当時は国家が乱立してたから九州でいいんだよ。
>>482 だよな 当時は有象無象の国家乱立の時期なのだから その中に今の天皇家のもととなる小国家がどこかに存在してたとしても それが邪馬台国である必要は全くないんだよな 末盧國は、唐津、呼子込みの松浦地方じゃないの なんか細かいことで争ってるな
ID:dKBsd+1U0 ID:jD3hhqMS0 ダブルウンコスペシャル >義信は嫡子だけど、勝頼は養子 これの意味が理解できてないんだね 日本史知ってる人なら、わかるわな
>>485 勝頼は諏訪氏の名跡は継いだけど養子に出されたわけではない >>470 それで問題無いんだがヤマトの歴史に東征は無く いきなり時代不明の神武天皇が挿入されてて東征しちゃうから混乱する 畿内が他勢力に征伐された歴史は無いのよ 信濃とか関東が征服されてるの(長脛彦や平氏) 神武天皇が九州から出発したにしても熊襲が九州を支配してたみたいだし日本武尊までは九州は敵地だもんな 諏訪家を継がそうとしんであって養子には出してないよ っていうか、諏訪家自体を信玄が滅ぼしてるのに養子にだせんだろ
>>484 唐津も呼子も、長崎の松浦市も含めてマツラ国でいいと思うんだよ 彼が言いたいのは マツラ国は唐津 唐津から伊都国への方角は南東ではない だから魏志倭人伝の方向の記述は間違ってる だから都合のいい部分だけ信用して畿内説になる という論法なんだよ >>489 脳内仮想敵の話? 触れちゃいけない人だった >>479 文句あるなら具体的に書いてくれ 1行レスでケチつけるだけ=ぐうの音も出なくて反論できない という意味にしかならない 勝頼は養子じゃなかったな すまん 継いだのは、宗家じゃなくて、高遠諏訪家のようだ 関係ない話
>>437 >仮に多少ガバガバだとしても大和は100%ないから安心してくださいw 常にお願いしているんだけれど、何か言いたかったら 「具体的な論拠をつけて」書き込んでくれるかな? まあ、5ちゃんなんてチラ裏だからどうでもいいというならそれでもいいけれど、 その場合は>>437 のやっていることは「かなり稚拙な自己満足」ってことだ >>485 お前のチョンぽい感覚も俺からするとだいぶハゲてるけどなハゲw 04ID:hJf/NcCO0 ↓ ID:cfIVYBuh0 またIDころころ、ウンコころころ
>>492 なにそれ 畿内説か九州説には興味がないよ。わからないからね >>441 >邪馬台国や倭の五王が本当に大和政権と直接の繋がりがあるかってのもあやしいがな 結局は編年次第だが、現状の編年研究のコンセンサスでは、 邪馬台国の時代も、倭の五王の時代も、前方後円墳の分布域の大きさの「共同体」が存在し その中心が畿内であることは確実 この「共同体」が、軍事的強制力を伴わない、中央集権的ではない存在なのも、ほぼ共通認識 この「軍事的強制力がない」の一点で、別の国だから九州説って言っている人がいるだけ >>498 こんなところで時間潰してないでもっと有意義な時間をすごしたら如何? 虫けらゴミニートちょんksくんw >>495 生まれながらに武田家でなくて諏訪家継ぐことが決まってたから 武田家の通字「信」じゃなくて諏訪家の通字「頼」なんだな 勝頼の息子は武田家継ぐことが決まってたから信勝 >>500 そうか違うのか それは失礼したよ 昨日もおとといも呼子を否定してきたのは日本海ルートの変な人だったからね 勘違いしたよ >>498 君は今すぐハロワにでも行った方が幸せになれるんじゃない? >>498 おかーさんもおとーさんも心配してるゾw >>503 いずれにしろ実子で 義信か死んだからという理由があるにしろ 武田家を継いだ まぁ、信玄ファンの中には勝頼は認めないとか言う人も居るけどさ 最近の研究だと家督は継いでる そして、それは天皇家でも同様だよね 名前だけで全て決めるのは愚か過ぎる 結局、漢字の語呂合わせ 都市名の語呂合わせをバカにするのと大差ない 卑弥呼は 日巫女で 日の御子のことだし 中国系が 卑弥呼とかで わざと "卑"を使って 下げずんだ呼称してるけど ちがうからねぇ 邪馬台国だって "邪"などを使って 蔑称してるけど 普通に そのまま単純読みで、日巫女とヤマトだからね(笑) どんだけ 妬んでやがるんだ?とゆうぐらいの あからさまな当て字で 笑ってしまうわw
>>496 だって、貴方のかなりガバガバな想像はさ、反論にもなってないでしょ 魏志倭人伝のどこに大和って書いてあるの?w >>510 それな わりと東の海の先にある天帝の居るクニを知らないニワカの将軍が成りあがっただけだからなw >>510 想像で断言してるあたり糖質か?w 訓読みがいつ出来たと思ってんだ?w >>513 お前はどこの”ちょん”なのか 訓読みとか音読みも知らないバカヤローですか >>508 呼子が末盧国じゃなくて呼子は末盧国の北の端で魏使の上陸した場所。 誰もが見りゃすぐわかることをいちいち朴ちゃんみっけたよー!とかいう低能が居て草
松ラ国でwikiを調べるとこんな記述もあるわけで >
>>494 2回も行けば十分でしょw 魏志倭人伝のどこに大和って書いてあるの? 教えて >>510 違うと思うよ 本当に額を地面に擦り付けて土下座して贈り物山ほど届ける地方があったってだけだ それやってないと記録に残る事すらない そして日出国の天子聖徳太子・菅原道真に続いていく 松ら国でwikiを調べるとこんな記述もあるわけで >なお東松浦半島北端にある呼子には律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたが、 >ここには支石墓から支石甕棺、甕棺墓、箱式石棺を経て配石墓に至る、推定前8-7世紀から2-4世紀の連続した遺跡が残されており、 >抜歯を伴う縄文形質の人骨が出土した点でかつては話題になった。 呼子にも昔の遺跡はある 律令制の時代でも大陸交通の拠点になっている これで呼子はありえないと言っちゃうのはちょっと無理やりすぎる
最近 発掘調査で わかってきたことは 大和 奈良には 東からの流入者が 大量に移動してきたことが 新たにわかってるんだよ それは 食事の椀 つまり 土器類でわかった。 なにをするにも食い物だからね 大量の土器類が 発見されたんだよ しかも 東からの流入民なわけさ もしかすると 西側 近畿 東側と それぞれ 別々で統治してたのが 合わさったのが ヤマトかもしれんわけさ つまり、地方の豪族の集合体の合体版が、ヤマト いま1番の有力説。
>>528 おいおい事実を教えなくていいよ このスレの老害はそんなことより九州説と畿内説で不毛に喧嘩したいだけの暇つぶし爺さんだらけだよ >>489 濱山海居・・・呼子、名護屋浦付近 草木茂盛 行不見前人・・・東松浦半島 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之・・・唐津〜二丈付近 末盧國から伊都国への道中の風景ですね。 >>498 あれあれ?うんこまん君はお昼かな? 黙っちゃったね >>498 きみに身分相応の白いTシャツを送りたいのだが 住所を晒す勇気があるかい?w >>525 当時だって 大陸の噂は入ってきてるはずだから 大きな勢力に 土下座・朝貢する そうゆう層が 地方の部族には 一定数 いたのかもしれんね もしかしたら 必ずしも 倭の全員が それをしたとも かぎらないわけだわ 日本の、ある一部の勢力なだけだったのかもしれん バラバラだから >>461 遣隋使も九州から 日本書記には遣唐使は書かれてるけど遣隋使は書かれてない。 魏志倭人伝は距離や日数はいい加減だけど、 地名からしたら九州しか有り得ない。 畿内説や東遷説が出てくるのは、 九州説は天皇教信者にとって都合が悪いからだ。 日本書紀や古事記は天皇の権威にとって都合のいいように、 歴史が捏造・改竄されてるインチキ歴史書だ。 天皇の権力を正当化する為に、実在しない天皇が 10〜30代くらいにわたって出てくる。 特に古代の歴史は勝者によって完全に改竄されてる。 邪馬台国は九州しか有り得ない。
>>533 今もいるよな ハトぽっぽとか元沖縄県知事とかさw >>535 吾輩がお前を農林業にしてやる ふははは >>526 古墳時代に駅はあったし駅馬もいたから陸も道があったんだな。けどメインは港で船なんだ >>534 日本書紀って中国に見せようとしたんじゃなかったけか? 前の政権にも使者送っちゃったテヘッとか出来ないのでは? たまに米食うから旨いのであって 毎日喰ってたら脳みそやられて眠くて仕方ないだろ それが愚民には分からんのだ
>>529 どう考えてみても そうとしか思えんよ 当時は 中国大陸も気候変動が激しかったこと そして、日本列島は 火山活動期など 陸地も少ないしで 色々と、領土対立が激しかったはずだからね 甘く考えてちゃダメだったのよ 民俗学・地質学のほうだね >>542 残念ながら稲作を真面目にやるまでは大した争いは無いよ 植物の奴隷になった挙句、無駄な仕事が増えまくってお前らはヒキニートか ダメだこりゃ
とにかく 卑弥呼の当て字は 爆笑ものだよ 日巫女が真実で 天皇の支配には 中央集権には、都合が悪かったかもしれないから わざと蔑称を付けて 裏に隠した可能性がある
各地の土器が畿内で出てるのは誰でも知ってる話じゃんw しかも、どや顔で話してさwwww
>>543 領土争いに稲作ってそんなに関係なくないか? 縄文時代から貿易が行われてたことがわかってるから国は形成されてて ものをめぐる争いは起きてたって考えるべきだと思うけどね >>537 神武天皇が127歳または137歳まで生きたってことを信じる 知恵遅れのバカネトウヨでなければ 俺の言ってることは理解できると思うが。 >>547 お前は一所懸命って言葉も知らんのか 戯けか田分けなのか… 食い物が豊かだったら争いが起きるわけないだろ アホ 割と簡単に食料調達できるから開墾しようぜ!って焼き畑しちゃった結果だろマヌケ
>>539 魏志倭人伝の記述は魏よりも前の時代のコピペだよ >>548 その物証の1つが邪馬台国は大和王権だと学者は言ってるわけじゃんw でもそれは大和王権だから当たり前だろうって話でさw >>534 本当だ!辛巳、唐客裴世清、罷り帰るになってるね。 でもこれは遣隋使だよー。 >>487 >ヤマトの歴史に東征は無く ちょっと意味が分からない。記紀に東遷したって書いてあるのに。 九州は敵地ではない。九州というか北九州は。 四道将軍は九州に派遣されていない。九州は天皇家の故地で既にヤマトに恭順してたから。 それでも熊襲がちらほら暴れるのでヤマトタケルは九州に行った。仲哀も神功皇后もそう。 >>543 んじゃ 稲作層と、また他の 別の連中が争った。とゆう証しになるよ だって稲作層は、米作りに忙しいし それどころじゃないはずで 田畑を守らなければならなかったはず なら、他の屈強な誰かに頼むはず 股の間に箸さしたりとか 尋常じゃないよ? 完全に 犯されてますやんか! その別の連中て はたして誰? とゆうことになるよね? >>551 それは半島 日本で焼き畑の歴史とか続いてない 稲作が普及するまでは海産物メインだったでしょ >>539 大陸交通の拠点 と書いてる 駅と言っても陸路の駅という意味じゃなかったんだろ 登望駅で検索すると >古代から中国大陸へ渡る船の寄航地として知られた呼子浦は,《肥前国風土記》に見える〈登望(とも)駅〉の地に比定されている。 どう考えても九州しか有り得ないが、 天皇家が都合のいいように、歴史を改竄してるから、 出鱈目な畿内説や東遷説が出てくる。 天皇には権威や権力となる正当性などない。 右翼団体が恐いから歴史学者が真実を言えないだけ。
>>559 芦原の中つくには葦だけじゃなくて樹がぼうぼうなんだが? >>558 現状だと、戦で殺害されたと思われる骨は少ないって結果になってたような まぁ、日本の土壌故、骨が残らない可能性も高いけど >>559 >稲作が普及するまでは海産物メインだったでしょ そうなの? >>551 焼き畑だけやってたわけじゃないんだよ日本は 山焼きもやってた 四国などもやってた なにをするにも まずは飯 >>558 ホトからヤバいのが出てきたら困るからなんか蓋してたんだろ?w 不思議なんだが 佐賀の吉野ヶ里遺跡すげーデカイんだろ? なんであそこに邪馬台国説皆無なん?
>>566 焼き栗は美味いんだけど 喰ったことないのか? ドングリは鍋に入れてあく抜きしてたな >>569 そりゃアレだ 佐賀ってなんかむかつくじゃん? なにが肥前だよってな >>572 なんつーかなあ 吉野ヶ里遺跡は弥生時代を代表する遺跡 しかも広大 しかい邪馬台国はNO!判定なのが不思議でなあ やっぱり佐賀だからか >>572 スッゲー歴史の中心(九州でも中心)に相応しいんだが 住人が意地悪なんだろ?仕方ないね >>567 ホトを突くて おかしいやろ あの記事 朝日新聞じゃあるまいしぃ〜 なにをそんな中途半端な描写にするのか おかしい! あやしい! あの部分は 稲作層と、地方豪族層の 事案だった可能性が高いよね? >>575 そりゃ穢れた血の奴らが歴史に挑戦してるだけだから あんまりキニスンナ >>524 結局、言い張るだけ? 糸島周辺は弥生時代後期から楽浪土器が多数出ていて、楽浪郡方面から頻繁な往来があったことが裏付けられてる 何十年も長い期間にわたり積み重ねた情報があったわけだ 伊都国周辺が詳しく書かれるのは当たり前のこと もう、邪馬台国までの行程で途中経過の記載がないのはおかしいなんて、つまらんケチつけるのやめた方がいい 自分が恥かくだけ 魏志倭人伝に大和なんて文字は出てこない だが、記述内容と考古資料を合わせて判断すると、 邪馬台国とは中国語で大和の当て字だと解釈するのが妥当ということだよ >>574 読点をスペースにする輩は色眼鏡で見ざる聞かざる言わざるry 現代でも九州の交通の要である鳥栖ジャンクションの近くにある 超広大な弥生時代を代表する遺跡である吉野ヶ里遺跡 しかし佐賀 佐賀県民は因業積みすぎやな
>>573 有明海から入り込んでる可能性も無きにしも非ずだが 邪馬台国とか実はどうでもいよくね? >>460 >なので松浦国が唐津と決めつけるのもおかしな話 遺跡の分布と「松浦川」の存在、そして松浦川河口の潟湖が港として使われたことを 考えれば、こじつけ云々ではなく末盧国が唐津平野というのが最も妥当 逆に唐津ではないとする理由が魏志倭人伝の「方角が間違っていない」というためという 「20世紀の九州説の都合」しかない >昔は壱岐から一番近い呼子に上陸して、そこから伊都国へ向かった >時代が進んで唐津が整備されたけど >記録文書は昔のままで更新していなかった >そう考えるのが妥当じゃないかな? 妥当じゃないよ 遠回りすると、距離が半分になるという“不思議”ww 弥生時代の遺跡では国内最大級の吉野ヶ里遺跡が まったく邪馬台国説にかすりもせんのが草
>>585 発見されたのがわりと最近だから老害はもうめんどくさくて話のネタにするのも無理なんだよ 分かってあげようか 佐賀県は何も無い事を美徳としてんだから 何かあったらダメなんだよ 何も無いのが佐賀や。そいういう性
吉野ヶ里遺跡は、縄文時代後期が最盛期で、弥生時代には衰退傾向 時間軸が合わないとかすりもせん
>>577 ホトホト泣けてくる。ってゆう言葉があるでしょ? ホトは その ホト? ってことは まんまん泣けてくる。ってゆう意味になるじゃんか 朝日新聞じゃあるまいしぃ〜 なんか ちょっと キニナルワ キニシタクナイノニ それも全部、朝日新聞のせいだわ! >>484 >末盧國は、唐津、呼子込みの松浦地方じゃないの 律令時代の松浦郡はやたら広いけれど、元地名としての松浦は 松浦川のある唐津平野だよ >>588 へえ じゃあなんで便利なあそこが寂れたんだっけ?ウンコマン!教えて! >>584 >遺跡の分布と「松浦川」の存在、そして松浦川河口の潟湖が港として使われたことを >考えれば、こじつけ云々ではなく末盧国が唐津平野というのが最も妥当 すでに上で書いてるけど 「山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。」 という記述なのだから、 いくら後世に整備されて広くなった唐津平野だとしても そもそも河口なのだから山からの堆積物でいくらかは平野があるものなんだよ そうなると、 山海に沿って住む事は無いし 平野なので草木で前の人が見えなくなることもない >>586 老人連中は食い尽くしたよ。吉野ヶ里については 九州説がそれなりに多いのは吉野ヶ里を邪馬台国とした時代があったせい まぁ、研究者は初めから違うの知ってたけど そのせいで、後に大学関係者不信になる土壌も出来た >>589 まぐわいし過ぎて頭おかしくなったのかい? オレが子供の頃は、登呂遺跡が弥生時代の代表的な遺跡として学習系雑誌なんかに載ってたもんだけど 今は、こういうスレでもあんまり目にしなくなったね。重要度が落ちたの?
独り芝居やってて頭がおかしくならないのかね 既におかしいのか
>>595 こんなBBAが推してても苦しいからなw >>592 ススキとかあったんじゃね? そもそも、使者を何でそんなとこで降ろすんだろと思うけど >>511 >魏志倭人伝のどこに大和って書いてあるの?w 現代の表記で大和って書いているけれど、 魏志倭人伝に邪馬壹【臺】國って書いてあるよね? >>596 流石に独り芝居って思い込む方がどうかしてると俺は思うよウンコマーン ご飯何食べてきた? >>596 でさ、どうして吉野ケ里がその後は寂れたんだい? 君の意見を真摯に聞いてみたいのだが >>595 吉野ヶ里遺跡はまだ北側を発掘作業してて まだまだ広がるそうだ 現在公開中の部分でも充分広いが >>598 河口付近の堆積した平野なら道もそれなりにまっすぐ作られるよ ススキがあっても道がまっすぐなら前の人は見える 壱岐から一番近いので呼子に上陸する とても当たり前すぎて常識的な話だよ そして、魏志倭人伝の記述は当時よりも昔の時代の記述をコピペしたもの 魏の時代、邪馬台国の時代にどこに上陸してたかという話ではない >>593 多分さ 再現とか言って変な丸太小屋ログハウスを作っちゃったからじゃね? 立派な巨大神社の48メートルある太い柱だったとかだったら関心が持てた あの原始的な高床蔵じゃ誰も文明と認めないでしょ >>515 >呼子が末盧国じゃなくて呼子は末盧国の北の端で魏使の上陸した場所。 でも誰がなんと言おうと、目的地の末盧国は、千々賀遺跡等のある唐津平野 呼子に上陸して唐津平野まで歩いたなら、 渡一海千餘里、至末盧國ではなく 渡一海千餘里「陸行○里」、至末盧國と書かれるだろ? 海を渡るのが危険というなら、まず東松浦半島の先端を目指したあと 海岸沿いに船を回して唐津まで行けばいい 呼子が末盧国だと言い張る理由は、伊都国までが東南にならないからという、 九州説のご都合のみ そして、呼子を末盧国にしても、そこからでも伊都国は東だから、 「東南」という方角が間違っているのは変わらない 魏志倭人伝の方角は正しいとは限らず、あてにならない 科学検証とはいっても 炭素年代測定法の他に いろいろあって 5000年前〜10000年前まで調べられても それよりは わからなかったり 人々の移動様子、手段、天体・気象条件など けっこう難しい 日本の土は酸性だから なかなか残らない。とゆうこともあるしで 方法が 事実に確実に近づく やり方じゃないとダメなんよねぇ
登望駅に駅馬5匹って資料が残ってるから少ないなぁと思ったが 他の駅もほとんどが5匹か
>>534 >日本書記には遣唐使は書かれてるけど遣隋使は書かれてない。 つ 日本書紀巻第廿二 豐御食炊屋姬天皇 推古天皇 「十六年夏四月、小野臣妹子至自大唐。唐國號妹子臣曰蘇因高。卽大唐使人裴世C・下客十二人、 從妹子臣至於筑紫。遣難波吉士雄成、召大唐客裴世C等。」 裴世Cは隋書にも個人名が出てるよ >>591 海岸線が移動したから集落が移動したって話じゃなかったっけ 後の神崎 >>605 平野とは言うけど 古代は 平野が極端に少なかったり 逆に 陸地があったり 半島などがあったりしたはずなんだよ 地震が度々おきて かなり変動してる記録などもあるよ わりと大きな島にも 半島があったところもあるからね 鏡は王の象徴 剣は男性の象徴 勾玉は女性の象徴 違う?
>>610 お前はIDコロコロウンコマーンじゃないだろ? えっ?え おいおいおいおい >>614 逆だろwwwww 海岸線が後退してったんだよ そうお前のおでこのように >>12 邪馬臺国=伊都国なのか 南至邪馬壹國、女王之所都に 【南至邪馬壹(≒臺)國、女王之所都】 書いてあるんだが・・・・・ オマエ高校時代は漢文0点だったんだろ 倭人伝の原文なんか訓めないよなwwwwwwwwwwwww >>605 松浦国のwikiページには >なお東松浦半島北端にある呼子には律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたが、 >ここには支石墓から支石甕棺、甕棺墓、箱式石棺を経て配石墓に至る、推定前8-7世紀から2-4世紀の連続した遺跡が残されており、 >抜歯を伴う縄文形質の人骨が出土した点でかつては話題になった。 このように、紀元前8世紀から紀元4世紀までの遺跡があるわけで 遺跡があるから唐津だと言えるわけでもない 遺跡なら呼子にもある そして、呼子は大陸交通の拠点でもあったわけだ >>611 ああ、かなり前のスレで誰か言ってたな、弥生海進 我々は、ハマグリと栗を食べてた後に 米をたべだして… むかし ハマグリと 栗 食べてたんなら じゃあ、パンだって食べても おかしくはないよねぇ? ハマグリよりかは 現代は パンは 馴染みがあるし、無難じゃんねぇ?
>>609 小野妹子→蘇因高 訓読みしなければ「しょうの」だから「ショァー」ですか。 だから、文献が意味不明になるんだよな。 固有名詞なんだからそのまま書けっつのねw >>615 そんなことより ハニワと、縄文土偶の 落差は なぜなのか? のっぺり ひらたいハニワくん 深掘り 繊細な 土偶や、縄文土器は ぜんぜん ちがう 南極と北極ぐらい ちがうよ 奴国のあった福岡も、当時は博多駅やら天神や大濠公園あたりやその周り 博多区や中央区や城南区は海だった 福岡市と春日の境界に奴国の岡本遺跡があるが、その前の井尻から竹下あたりが奴国の領域だったんだろう
>>623 恥の上塗りつってな 土師氏が葬儀を司ってたわけだが 饅頭の話と一緒 ヲタフィギュアと謹製フィギュアの違いつったら分かるかなあ? 分かんねえだろうな
>>428 倭人伝を素直な気持ちで読めばそう読めるよね だって、筆者の関心は邪馬台国であって他の小国との距離はおまけ情報に過ぎないから トータルで何日かかるかっていう情報は基本かつ最重要な情報なわけで ドングリやクリならほっといても勝手になってくれるわけだが 米やら麦のなんとまあめんどいことこの上もなし 産めよ増やせよって誰が決めたんだよオイコラ
>>616 そもそも 古代の海岸線と、現代の海岸線は ちがうだろう 現代はコンクリで 韓国人の整形以上に日本列島は整形・改変されまくりだけど 古代の海岸線は、もっと ちがうんだろね 江戸なんかの古地図は書店で いまブームか知らないけど 古海岸線地図は 絶対に出版できないだろう? 絶対に 絶対に 作成するの難しいはずだよ? w ニヤリ 大体、朝鮮半島から北九州へというと対馬・壱岐経由で @名護屋 A唐津 B博多 特別、北九州を経由しないんであれば 朝鮮半島の東側から鬱陵島→竹島→隠岐みたいな経由で @山陰(出雲、敦賀)、 A北陸(能登、越後)にもなるよね。
>>628 素直に読めば、船旅が何故か里数で書かれていることに疑問を持つんだけどな >>630 唐津平野の古代の海岸線はかなり研究されつくされてるね >>630 昨日ブラタモリで豊洲の埋め立て前の古地図を普通にテレビしてたわけだが 古地図なんてそこらに出回ってんだろ 何を言い出した? >>628 古代だから 海賊や、山賊に、土下座謝罪しないと、通行できなくされてたりとか 海の途中に 渦巻きの渦潮があって 何日間か行方知れずになったりとか 海上に 古代のバミューダトライアングル地帯があって 行程を狂わせてた可能性とかがあったりしたとかさぁ〜 いろいろ考えられるじゃん? まだ、ボクの素直読みとかやってんだww 成長しないなww
>>631 朝鮮半島から出雲や能登半島へ行くのは 今の船なら可能だけど 当時の船だと無理なんじゃないかな? >>547 >領土争いに稲作ってそんなに関係なくないか? >縄文時代から貿易が行われてたことがわかってるから国は形成されてて >ものをめぐる争いは起きてたって考えるべきだと思うけどね 採集狩猟生活では、飢餓は生じないんだよ 農耕生活になって、豊作のときに人口が増えて、不作が来ると飢饉になる グリーンランドのコアでは181±2 年、南極の B32 コアとドームふじのコアでも 180 年代に、非海塩性の硫酸イオンのスパイクが認められている.つまり 2 世紀末に 噴煙が成層圏に達する地球規模の火山大噴火があった. ニュージーランドのタウポ火山(カルデラ)周辺には大量の流紋岩質噴出岩が 堆積しており、その C-14 年代は 2 世紀末〜3 世紀である. この頃に、大陸史書では異常気象が記録されており、それが黄巾の乱の原因とされている >>638 アホにあまり詳しく教えても時間の無駄だゾw 後漢書孝霊帝紀 光和四年181年 六月庚辰,雨雹 五年182年 夏四月,旱 六年183年 夏,大旱。秋,金城河水溢。五原山岸崩。始置圃囿署,以宦者為令。 冬,東海、東萊、珢邪井中冰厚尺餘。 183年頃に異常気象のピークがある 黄巾の乱は184年 日本書紀の崇神紀では 五年、國內多疾疫、民有死亡者、且大半矣。 六年、百姓流離、或有背叛、其勢難以コ治之。 とある これが、後漢書霊帝紀の異常気象に対応するものだとすると、 いろいろ話が簡単になるんだけどね
>>514 お前の頭の中野弥生時代には卑弥呼をヒミコと読んでたのかwww ちゃんと勉強してから書き込め糖質www >>622 末裔の小野篁は閻魔(はーですの元)とマブダチだったんだってなあ 古事記や日本書紀のようなファンタジーを信じているのか?
>>642 なんだやっぱりお前は音読みも訓読みも知らないハゲちょんかよ ダメだなお前は しかも統失とかwwwダメすぎ 縄文時代にほとんど戦争が無かったのは本当。だって本州と九州四国で人口30万とかのレベルだもの、1平方キロに1人なんて人口密度だし組織的な戦争にはならない。 ニュージニア高地人みたいな縄張り争いに数人単位で喧嘩する程度。まあたまには死人も出るかもって言う感じ。 弥生でも人口200万で岐阜の山の中程度の人口密度だけどまあ農地に適した場所ってあるから戦争にはなったかもね。でも県レベルの組織を維持する生産量は無いよ。 古墳時代の初頭でやっと先進地域で県位の組織ができるかもって感じ。1県での人口が10万とか20万だし魏志倭人伝に記述は数県レベルの国の大きさだよ。
>>635 あのな、俺が海賊なら土下座なんてしても許さねえから 甘えんじゃねえ >>549 >神武天皇が127歳または137歳まで生きたってことを信じる >知恵遅れのバカネトウヨでなければ >俺の言ってることは理解できると思うが。 だが、200歳を越える天皇はいないし、宝算を2で割ると、 不自然が年齢が一つもないことになる 年代の引き伸ばしをしたいのならば、400歳くらいの天皇を一人でっち上げれば それで済むし、不自然さを避けたければ、欠史八代と言わず16代くらい架空の 天皇を突っ込めばいい まあ、127歳という年齢はそのまま読めないのは確かだが、127歳だからでたらめというのも 頭のいい人間の言うことではない >>646 このスレのオデコが後退しまくったハゲ老害にそれを教えても意味わからんと思うよ だって低能過ぎるだろ 見てりゃ分かる >>644 でもお前はナンチャッテファンタジー景教を思い込んでるマヌケなんだろ? 俺知ってるよ >>569 >佐賀の吉野ヶ里遺跡すげーデカイんだろ? >なんであそこに邪馬台国説皆無なん? 簡単に言うと、年代が合わない 卑弥呼の頃には既にかなり推戴している(なくなった訳ではない) スサノオが豊かな田に嫉妬したという記述もあるけどな 天津罪も農地の破壊や稲作のやり方を知らず何回ももみを撒くとかだし
>>573 >しかい邪馬台国はNO!判定なのが不思議でなあ >やっぱり佐賀だからか 吉野ヶ里の近くに、米多郷という地名があり 旧事本紀の国造本紀に筑紫米多国造が見える 国レベルの勢力だったことは認めてよいが、卑弥呼とは時代が合わない この米多をメタと読み、面土国との対応を考える人がいる 107年の倭面土王帥升の朝貢と吉野ヶ里遺跡の盛期は年代が合う >>654 根の国の王「貴様は優秀なわしのソルジャーにしてやろうゾ(・∀・)ニヤニヤ」 紀国やら鬼ノ国なんてまんま樹だらけ それがハゲ(不毛な輩)には理解できんのです そう神なんぞお前の頭にはないのですw
陳寿本人は九州にすら上陸してない 実際に伊都国まで行った事のある人の話を元に書いてる つまり、伊都国までは信憑性があるって事 投馬国・邪馬台国に関しては眉唾 実際読むと、投馬国からの記述が急に怪しくなる笑
伝承やら口伝をまんま素直に読み解けず、苦し紛れの妄想を拠り所としてごちゃごちゃぬかしてる輩は やはりアホウなんかねえ そういうのを屁理屈っていうんだぜトンチキよ
本論でもないのに、そんなに気合入れて書くわけ無いだろ
>>632 >素直に読めば、船旅が何故か里数で書かれていることに疑問を持つんだけどな 渡海距離は測れないから、「遠くを意味する千里」に、一律でしてあるだけなんだよね 千里の名馬とか言うときの千里 半島の殉海岸水行七千里は、 倭国(本土)到着までを「万里の修交」を謳うために一万里にして、 渡海が千里で3回だから1万ー3千で、七千里にしてあるだけ 韓地方四千里は、この七千里に合わせたもの 西岸の南北移動が4千里、 南岸の東西移動が東の端まで行かないから3千里 これに合うのが方四千里 >>659 まあ錯乱してるウンコマーンが暴れてたからなあ >>652 日巫女の田んぼだしなぁ 太陽信仰だし 稲作は 神道グループだよ スサノオは ヤキモチを焼いたんだね たぶん >>662 だね、 だから数字はあまり信用しない方がいいよね >>657 でも邪馬台国と当時の中国は交流あったんでしょ? もういいじゃん奈良に譲ってやれ鹿と寺しかないんだから
>>645 お前の脳内弥生社会じゃ、大和と書いてヤマトと読むんだろ? 糖質は自分が見えてないから気づかねえんだよ、糖質www >>666 交流あったからと言って何から何まで知ってる訳でもあるまい ましてや中華思想だと、周辺なんて気にもしまい 海も隔ててるし >>668 大和と書いてヤマトって読むけどお前はなんて読んでんの ダイワハウスのアホですかw ヤマトを中国人の耳で聞いて表記したら倭面土になったってことは無いの?
>>668 果糖類はたまに飲むと脳にやさしい()んだよな でもお前は統失だなw ダメすぎ >>642 >お前の頭の中野弥生時代には卑弥呼をヒミコと読んでたのかwww >ちゃんと勉強してから書き込め糖質www 卑弥呼はやまと言葉の音訳だろ? そして、当時の音は万葉仮名で読むのが妥当なようだ ハ行が上代にはp音のパ行の発音だったのは確かだけれど、 母をpapaと発音したところで、今の「はは」と同じ単語なのは間違いないんだから 比売を「ピメ」と読んでいたのが確実であっても、 これを「ヒメ」と読んで解釈するので問題ないだろ? 卑弥呼はピメハであって、ヒミコじゃないとかいうのはあまり生産的ではないぞ ちゃんと勉強してから書き込めちょん質wwww ヤマトの民ならこう書かなくちゃなw
>>646 >本州と九州四国で人口30万とかのレベルだもの 西日本には、ほとんど人が住んでないでしょ 食べるものが無いんだし >>675 卑弥呼は呉語(上海語)と同じく、ペィミィフーと読む。 ちょんとかすいぃ〜とな甘ったれたウンコマン的なウジ虫どもは 統失レベルの記憶障害者 うん、間違いない
>>662 古語で 遠くを意味する地なら 遠い地で 『遠地』があるよ 現代の愛知県などのアイチは たしか、この「遠地」から きてるはずだったような… 何かの本で呼んだ記憶あるわ 遠い浅瀬とか 遠い州の意味だよ >>680 でも今の愛知県民を見てると愛痴なんだよなああ >>654 >狩猟生活で飢餓が生じない? >御冗談を ある食料が不作のときは、別の食料が豊作だから飢えないんだよ 人口保持力が小さいから、人口は増えないが生きている人間が飢えることはない 縄文時代の(というか採集狩猟生活の)、食料を得るための平均労働時間は 1日に2〜3時間 おなかがすいたら、食料探しに行けばいいんだよ 飢餓は農耕を始めてから、初めて発生するというのは、文化人類学では常識 >>682 非常識な知ったかバカタレにお前はとくとくと説明してやるとか やらしいなあ^^ >>682 野生のどんぐりとか貝を捕って食べるのは狩猟生活になるの? 採取・狩猟生活ってのを知らないんじゃないかな アホだからw
http://www4.nhk.or.jp/historia/ 「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」 弥生時代の日本で最高の宝とされた「銅鐸」。 その形状から「釣り鐘」のように鳴らしたことは推測できるが、 正確な使い方や製作目的は不明だった。 しかし4年前、7つの銅鐸が兵庫県淡路島で発見される。 そこには銅鐸の鳴らし方を解明する大きなヒントが! 銅鐸は何のために作られ、なぜ歴史から姿を消したのか… 最新研究をもとに銅鐸にまつわる謎を追い、 「女王・卑弥呼」の時代につながる日本列島のあけぼのの姿に迫る! NHK総合2/6 夜10時26分〜 >>656 >紀国やら鬼ノ国なんてまんま樹だらけ 紀国が余傍国の次有『鬼國』だと思う >>657 どうやら ウソっぽいなぁ ジャマする者らが 必ず居たはずだし 今でゆう 既得権益層が 古代の中国との関係を 煙に撒いた可能性があるよ そんな簡単に 直接 外交できたとは思えない 絶対に仲介者を立ててあるはずだよ 特にむかしは暗殺とか 当たり前だろうから >>659 >罵りあいのスレになっちゃったな。 邪馬台国のスレはいつもそうだよ 九州説が追い詰められてるからね 九州説で残ってるのも色物ばかりで 先鋭化してるしね あと、歳とり過ぎて、物事を考えられないから 繰り返しと罵倒しか出来なくなってるってのもある
>>391 知性の低い者が、単純に暴力に走る ってことが解ってきたんだよ現代は >>681 遠いから仕方ない 脳波も少し遅れる可能性があるのかもしれない もめる原因は中国人が魏志倭人伝なんかを書き残したからだ。 まったく迷惑なことだ。
畿内説も纏向しか残ってないしな あれがダメだったら今度はどこにするんだろう?
実社会で九州王朝説なんかを本気で主張したら、まともに教育を受けてない人間か、カルト人間扱いだけど こういう掲示板ではわりと多く目にする ネットはかなり偏ってると思うわ
>>694 1000年後なんとかの翁のせいでまたどうせ揉めるさ 歴史は繰り返すのだ(苦笑 てかさぁ なぜ里数で記述してあるんだろう? それって 支配者の下心があるんじゃないのかな? 里数をわざわざ数えながら 目的地に たどり着こうとするのは なんか野心的だし あわよくば全員 召し使いにしちゃうぞ的な下心なのでは…?
でもまあ当時の王都は富士の裾野なんだけど お前らまじで記憶喪失してんのか
食国ってなにわを中心にした畿内のことやろ 弥生時代末期は近畿は食べ物豊かな土地だったんじゃないかな 琵琶湖河内湖大阪湾で水資源も豊富で塩もとれる 水も豊かで稲作も盛んだったんだろうな 豊かさが原因で近畿地方討伐が引き起こされたんじゃないかな‥
朴は生粋の日本人だ!っていう日本人の顔した妙な輩が最近増えすぎてる様に感じるわ
>>684 >野生のどんぐりとか貝を捕って食べるのは狩猟生活になるの? 通常「採集狩猟」生活という言い方をするね 植物質の食料が採集、動物質の食料が狩猟 農耕以前の採集狩猟生活でも、食料の7〜8割は植物質とされているよ まあ、貝類は狩猟って感じではないけれどw 何の根拠もなく妄想で力説してる畿内説見てるともう宗教だよなコイツら。 大和統一政権が祭祀統一して使用する土器まで統一していたってかw 記紀にすらそんな節は書いてないだろw もう畿内統一教会って感じだなw
>>694 書き残すってことは 下心があった証じゃないのかな? 記録しておいて、いつか 我々のものになり、支配下に置くぞ!みたいな 残念ながらもはや畿内・九州は当時からするとド田舎!なんだけどな ほんとまじで記憶喪失してんだな
なんていうかもうね 田舎者同士が目くそ鼻くそで罵り合ってるだけの不毛なスレなんだよな 卑弥呼とかどうでもいいよそのニワカのクニに踊らされやがって この馬鹿門がー
>>709 そこまで行かずに台湾(小倭)説もあるけどな >>699 >てかさぁ なぜ里数で記述してあるんだろう? 曹操の一族の曹真が西域に遠征して大月氏国を朝貢させてる 大月氏国までが漢書西域伝で「大月氏國治監氏城去長安萬一千六百里」 公孫氏を討伐して倭国を朝貢させた司馬懿が、三国志が書かれたときの晋の高祖だから、 曹真の大月氏萬一千六百里よりも、倭国を遠くに見せるために萬二千里という里数が 重要だったんだと思うよ >>703 そっか 採集狩猟生活だよね 狩猟生活って書かれてたから気になってた >>710 台湾の先住民の高砂族は入れ墨の習慣があるからな。 ただ、魏志倭人伝では入れ墨を入れてるのは男だけと書いてるけど 高砂族は女も入れ墨を入れる。 >>713 秀吉の時代でも統一されてないみたいだよ 東遷説がでたらめだと言うなら、なぜ3世紀に銅鐸から剣に変わったことを説明できる。 どう考えても出雲が近畿を九州の王に譲ったとしか考えられないが
>>712 狩猟生活って書いてるのは、知識が足りないのに文句をつけてる>>654 だけだよ ほかは皆きちんと採集狩猟生活と書いてる >>716 デタラメといっても別に神武が九州統一王ではないってだけやろ >>716 俺のご先祖がありがたいお経やら隠遁の書やらあれやこれやを日本に持ち帰ってきたわけだけど その前から仏教徒は既に日本に入り込んで辻説法しちゃってたんよ んで、銅鐸は鐘になっただけだw >>717 まあそれなりの知識があれば狩猟(採取)って判るんだけど ちょんとか素人とかニワカのアホにはいちいち説明してやらないとまんまそれで素直に受け取りやがるわけで >>715 >普通は「狩猟採集」と言わないか? グーグルさんでは 採集狩猟生活 約 331,000 件 狩猟採集生活 約 323,000 件 どっちでもいいみたいだね ウィキペディアは狩猟採集生活で項目が立てられているけど 個人的には、植物質(採集)の方が生活を支えるメインだから、採集狩猟生活と いう言葉の方を使ってるよ いまどき九州説なんて信じてるヤツいないよ そもそも九州の「それっぽい」地名って戦国大名が箔をつけるために改名したものが多い とくに鹿児島、宮崎辺りの地名はこのパターンが非常に多い
>>593 一番不審にさせたのはゴッドハンドの件 しかもほとんどの人が責任をとらず、怪しい予算獲得に邁進してる >>716 今どき銅鐸が3世紀まで続いてたなんていってるのは安本一派だけだろ? >>654 お前のバカっぷりがさらけ出されて ねぇ今どんな気持ち?dd まあ仕方ないよな無知で無恥でも俺は咎めんよ >>717 うん、そのつもりでレスしてたんだが >狩猟生活って書かれてたから気になってた この部分を (彼のレスでは)狩猟生活って書かれてたから気になってた と書いてた方がよかったかな? >>721 >狩猟(採取) 誤変換だとは思うけれど、話題にしている単語なのに、 採集と採取の区別がついていないのだとしたら、相当に恥ずかしいぞww 割と古代(今どきの教科書で云う鎌倉幕府以前でなく)は人がもっとハゲしく流動していたのだよ それをなんか一所懸命とかいう田舎侍みたいなもの知らぬマヌケと同じで現代の目で古代を見るから 頓珍漢になるんだよアホw
>>728 採集で最終 やは!うええうぇうぇうぇーい! >>183 そうだな そもそも「天皇」という言葉が支那の道教の北辰=北極星を神格化した 「天皇大帝」から来ている。 地球の自転によって北半球の全星座が北極星の周りを回っているから 支那人も星の皇帝と見なした。 三角縁神獣鏡を始めとする青銅鏡(鋳造したての時には金色に輝いていた)を重要視するのも 道教の影響。 平安時代〜江戸時代まで道教に由来する庚申講というのがあった。 人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。 三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝(「閻魔大王」とも言う)に日頃の行いを報告し、 罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると言われていた。 そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この夜平安貴族は歌合せや舞楽を鑑賞したり 江戸時代には村中の人達が集まって神々を祀り、酒盛りなどをして徹夜した。 事程左様に古代支那発祥の道教の様々な行事をしてきたのが日本人だ。 >>467 糸島ではないな 伊都は田んぼばかりの平地だからな >>728 割とガチで昆虫採取って言ってたわ どうしてくれるんだ! >>605 末盧國は点ではない領土があり呼子も末盧国の範囲内 呼子に付けば至末盧国だよ 「始度一海千餘里 至對馬國」 「又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國」 対馬や壱岐でも遺跡等のある場所までではなく 海を渡って島の端に着けば至ると書かれてる。 >>711 それだったらなんで朝鮮は四方4000里なの? まあ仕方ないよな コンピューター コンピュータ この違いも解ってくれ
>>697 九州王朝説の批判は天動説の学者が地動説を批判したのと同じ 何時までも九州王朝説を信じることが出来ないのはコペルニクス的な発想の転換が出来ないだけ。 >>741 小倭(台湾)に平気に併記されていて沖縄は大倭 >>685 吉野ケ里は楼観が有ったという証拠が無いのに 唐古・鍵に実在したし、倭人伝には 卑弥呼の住まいは楼観、城柵で守られていたと書いてあるから エイヤッと楼観を捏造した。 吉野ケ里は遺跡捏造ゴッドハンドで 南海トラフ大津波の余波で水没して数百年後には楼観の柱跡が発掘され 卑弥呼の時代から楼観があったと日本史が書き換えられる予定wwwww >>742 ふむふむなるほど では最新の考古学の見地である古代王朝ムサ帝国(名前はわけあっててけとー)も認めるのかね?チミチミ 卑弥呼の時代の後に纏向型の古墳が九州やら各地に発生していることをみると、西日本で広域連合ができていたんだな、ということは推測できる 西都原の古墳なんかも相当古いし
>>737 仮に呼子に立ち寄ったとしても、末盧国から伊都国の方角を表すとき、 起点を末盧国の中心地ではなく呼子するのは、ありえないだろって話 何もない場所を起点にしない >>747 呼子にも遺跡はあるので何も無い事は無い >>578 裏付けもなにもその程度の遺物は単なる傍証の傍証でしかない 傍証遺物に妄想するのは大和好きの特徴w でどこに書いてあるのかな?近畿の話は 惚けてないで早く答えて〜w >>695 唐古・鍵大環濠集落遺跡 楼観もちゃんと有ったという証拠がある >>716 唐古・鍵から大型銅鐸の鋳型が出土してる >>747 道順を説明してるからでしょうね 呼子から東松浦半島内を南下して唐津市街地方面へ 唐津市街から東へと進むとの説明ですね。 >>750 なるほど そろそろ纏向が邪馬台国じゃないとバレるから次を用意してるんだね とにかくさ、日本国の始まりは九州。畿内説の連中もこれは認めてるんだろ? 認めてないとしたら邪馬台国九州説を馬鹿に出来ないカルトだと思うよ?
>>739 >それだったらなんで朝鮮は四方4000里なの? 周回遅れかな? つ >>662 半島の殉海岸水行七千里は、 倭国(本土)到着までを「万里の修交」を謳うために一万里にして、 渡海が千里で3回だから1万ー3千で、七千里にしてあるだけ 韓地方四千里は、この七千里に合わせたもの 西岸の南北移動が4千里、 南岸の東西移動が東の端まで行かないから3千里 これに合うのが方四千里 >>753 うんうん でも、どうでもいいけどお前は暇そうだな >>748 >呼子にも遺跡はあるので何も無い事は無い 千々賀遺跡クラスのものはないだろ? >>757 それがどんな遺跡かは知らないけど それと同じ規模である必然性は全くないんじゃないか? 当時の中国人たちも 倭人はウソつきで信用できないと言ってたんじゃなかったっけ? どうせ船で10日はかかるよとか陸で歩いて1か月くらいかかるくらい大きいよ て大げさに言ってたのそのまま書いたんだろう 本当に邪馬台国にあって卑弥呼にあってるのかも疑わしい 卑弥呼の容姿についてもっと詳しく書いて無い所とか
>>755 倭国を遠くに見せるために他国の伝記部分に作為を加えるとか正気じゃないな しかも朝鮮半島は地続きの直轄地だから当時の中国人もおかしいと思うよね 遠くに見せたいにしてもそんなとこの距離いじるよりも単純に航海距離でもでたらめにしたらいい 旧唐書に邪馬台国は二つの国から使者来たとかいてあります つまり、やまと国は二ヶ所あった
>>760 > 倭人はウソつきで信用できないと言ってたんじゃなかったっけ? ソースおせーて >>752 >唐津市街から東へと進むとの説明ですね。 それだと、背振山脈の南にしか行けないんだが? 呼子にしたところで、どうやっても東南にはならない 魏志倭人伝の方角は九州に上陸した時点で間違っているのが「確定」 そのまま読んでも、邪馬台国には行きつかないよ >>754 何時、どのようにして関西に政権が移ったかを研究した方が建設的だよな。 >>759 >それがどんな遺跡かは知らないけど >それと同じ規模である必然性は全くないんじゃないか? 同じ規模である必要はないが、呼子に国を想定できる遺跡が一つもない この時点で呼子を末盧国と呼ぶ妥当性はない >>765 方角の記述は寸分のずれもなく正しくないといけないとでも? 北東から南東の範囲なら東 東から南の範囲なら南東 そのくらいでいいんじゃないか? 当時の地図ってどのくらい正確だったの? 地図が正確じゃないのに方角だけは今でも通用するくらい正確じゃないといけないのかな? それはおかしくないか? >>754 奴国が金印をもらった時期は北部九州が中心 で、王権が九州から畿内にいつ移ったのかというのが論点になってる 最近の研究では卑弥呼の時代以前に中心が畿内に移っているというのが主流で、九州派はほとんどいない状態 >>767 上で書いたけど マツラ国でwiki検索すると >なお東松浦半島北端にある呼子には律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたが、 >ここには支石墓から支石甕棺、甕棺墓、箱式石棺を経て配石墓に至る、推定前8-7世紀から2-4世紀の連続した遺跡が残されており、 >抜歯を伴う縄文形質の人骨が出土した点でかつては話題になった。 このように、紀元前8世紀から紀元4世紀までの遺跡があるわけで 遺跡があるから唐津だと言えるわけでもない 遺跡なら呼子にもある >>765 道順を説明してるからでしょうね 呼子から東松浦半島内を南下して唐津市街地方面へ 唐津市街から海岸沿いに東へと進むとの説明ですね。 濱山海居・・・呼子か名護屋浦付近 草木茂盛 行不見前人・・・東松浦半島内の風景 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之・・・唐津〜二丈付近の風景 順を追って描かれてる。 オレは九州論だけど大和に注目すべき遺跡があることは認めてる でも魏志倭人伝の地理は朝鮮半島から壱岐対馬を経て九州まで、残念だがこれは仕方ない 例えば大阪から銀座に行く人に案内するとする するとまず大阪から新幹線に乗って東京駅まで 東京駅から山手線又は京浜東北線に乗り換え有楽町 有楽町から徒歩、となる このように道案内は長ー中ー短となるのが必須 魏志倭人伝もこの様式にかなってる こんなん語るまでもないごくごく平坦な当たり前の理屈 だから最後に水行十日陸行十日で近畿まで!とかw病的な発想に過ぎん
>>768 >方角の記述は寸分のずれもなく正しくないといけないとでも? >北東から南東の範囲なら東 >東から南の範囲なら南東 魏志倭人伝は、八方位で書かれているから、それは通らないよ 九州説の人が末盧国を呼子にしたがるのは、唐津だと伊都国の方角が 北東になり、東南陸行とは「反時計回りに90度回っていることになる」から この「90度反時計回りに回す」と南が東になるから、畿内説に対する唯一の 反論ポイントがなくなってしまう だから必死に、誰が見ても話にならない「末盧国=呼子説」を主張し続け、 間違いだと認められない きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで (詠み人知らず) わりと中二病全開 天岩戸を出たアマテルも「わーこんなに草生えて萌える萌えるもえー!」って言ってたからな
>>777 八方位だからそれでいいんだよ お前が呼子でも唐津でもいいから そこに立って糸島の方位を調べるにはどうするんだ? まともな地図もないのに正確な方位をどうやって出すんだ? 自分が立ってるのが地図上のどこ? 北はどこ? それらを正確にどうやって知ることができるんだ? ちょっとは真面目に頭使って考えろよ >>772 >このように道案内は長ー中ー短となるのが必須 そんなガバガバの例でいいなら、 ハワイから大阪に行く人には、 「成田空港まで長距離(末盧国まで千里単位)で 成田空港から東京駅までいろいろと乗換えがあって(九州島内の移動) 東京駅から大阪まで新幹線(水行30日+陸行1月)、 途中で名古屋(投馬国)に止まるよ」 っていう説明になるww >>780 俺ならGPSナビとグーグルマップで方位を把握w >>749 >その程度の遺物は単なる傍証の傍証でしかない それが何であるかどうでもよく、証拠は何であろうと一切認めないと白状したようなものだな 議論する価値なし >>780 >お前が呼子でも唐津でもいいから >そこに立って糸島の方位を調べるにはどうするんだ? その答えは簡単 伊都国のそばにある可也山を見れば方角が分かるんだよ グーグルストリートで見た呼子から見た可也山 全体の俯瞰図 東で間違えようがないだろ? >>780 地図なんて存在してないから 実際に自分達が通った感覚で方角を示してるだけですね 呼子か名護屋浦付近から南下して唐津市街付近から海岸沿いに東へ。 >>784 2000年前の俺なら太陽と星座を正座しながら測定しつつ 長年の経験とカンで方位を割り出す 「うーんやっぱこっちから来たから北じゃね!」 >>780 九州の倭人は 星空見れたんだよ 星空みて帰る方向をきめていたよ ソースは九州のとある神社の伝承 自分で探しな まあ纏向建築は 九州か半島の民族じゃないと建設できないよ。 運河なんて治水も同じ
>>785 呼子から唐津市方面も糸島方面は見えませんからね 方角の確認の仕様がありませんね。 末盧国から伊都国の方角が間違っているっていうのは、 九州説がぐうの音が出ないところまで何度もやりあってるから、 こっちは資料も含めて万全だよ 魏志倭人伝の方角はあてにならない、が結論 距離も、萬二千里は淮南子から引用した世界の果てまでの観念的な距離で 現実の地理上の比定地探しには使えない
つうかナビのせいでGPSロストしたり電波が切れたりすると 俺もキレそうなんだが
>>785 その山は呼子からは見えない 草木が生い茂ってるので時期は夏 夏の日の出は冬よりも北から太陽が昇る 山の方角を南東と判断してもおかしくないなwww >>780 >北はどこ? >それらを正確にどうやって知ることができるんだ? あれ?九州説は、日が昇るのを見れば方角を間違うはずがないって いう主張じゃなかったのか? 正確に方角を知ることができないなら、大和行きが南と書かれてもしょうがないよな? >>794 呼子に上陸して 南、東へ向かって糸島なので方角は南東で間違いない 南を東と見誤ることはないという事を言ってるだけだぞ なんで寸分の狂い無く方角が分かってることになるんだ? >>785 >伊都国のそばにある可也山を見れば方角が分かるんだよ 可也山と伊都国の在ったと考えられてる三雲や曽根、井原は10q近く離れているし当時は間に海が在ったから 可也山を見れて方角を知るとか無理ですよ。 >>793 上陸したとすると湾内ですから可也山は全く見えませんね。 >>796 魏人は方向音痴でないと畿内説が成り立たないから。 距離から考えて伊都国は伊都GC付近から東で、西は現在の糸島市と福岡市の境までだな。
>>800 屁理屈は必死に火消ししてる畿内説の人ですよ 理屈が全く通らないw お前ら真面目に騙りだすなら専門板でやってくれよ つまんねえよw
伊都国の範囲が明確ななったので奴国も不弥国の位置も特定出来る 奴国は福岡市付近で不弥国は那珂川町から春日市方面 不弥国へは国道263号線、県道56号線沿いに早良区を横切って行ったようだな。
>>791 魏志倭人伝の記述はもっと昔の歴史書のコピペ なので、卑弥呼の時代に呼子に上陸しなかったとしても問題ないんだよ もっと言えば、卑弥呼の時代は唐津に上陸しててもおかしくない 魏志倭人伝は過去の記述のコピペだから ぐうの音が出ないのは畿内説の方 >>789 まぁ渡来系はかかわってるでしょう 怡土の領主はアメノヒボコの末裔と名乗っているし、北部九州〜出雲・丹波までのルートが確立されていたのかもしれません この時代、新羅も、百済も小国の一つに過ぎない 半島にも統一国家はないんだよね
途中までは最小で隣の集落(国)まで100里とそんな細かい描写してるのに 途端に途中から水行で10日だの陸行で1月だの やっつけ仕事すぎるだろw つまり当時の魏の連中としては大陸や半島からすぐ近くの北九州あたりのことが大事であって 邪馬台国なるものの女王のいる場所についてはまったく関心が薄かったと思われる つまり邪馬台国が畿内説もあり…? だとすると邪馬台国が滋賀県でも岐阜県でもありじゃないだろうか? 東に海を渡ったところにまた国があるというのならば その海はもしかしたら琵琶湖の間違いだった可能性もある…奈良の東に海を渡った国なんてあるだろうか?
>>790 >呼子から唐津市方面も糸島方面は見えませんからね 必死に言い訳ポイントを考えてくれた>>790 には悪いんだが、 グーグルストリート画像を使うために陸地からの画像を貼っているだけで、 「呼子に上陸する前の海上から可也山は見える」んだww お疲れ様でした >>789 北部九州に弥生後期以前の宮殿的建築遺構や、運河の遺構でも発見されたのか? ないのなら、ただの願望だな そうであって欲しい、いや、そうに違いないというご都合主義w 伊勢神宮の天照が卑弥呼、天照(卑弥呼)の九州邪馬台国と畿内王朝は別勢力だが、天照の直系である神武を畿内王朝に婿入りさせることで擬似的に統一王朝となる 神武の畿内入りにより畿内で天照(卑弥呼)の御霊を祀ることになる 当時中国に日本の王として認められていたのは九州邪馬台国だが、畿内王朝は神武を迎えたことで統一王朝としての正統性を手に入れる 神武の死後、畿内における天照の系譜は弱体化する、その後、畿内王朝が目障りとなった九州邪馬台国を滅ぼす、その際、卑弥呼の祟りを恐れて御霊を伊勢に移した 箸墓古墳が卑弥呼の墓であるはずがないし、九州で卑弥呼の墓が見つかるはずはない、なぜなら卑弥呼の御霊は伊勢に祀られてるから
怡土の領主、五十迹手(いとで) 14代仲哀天皇を出迎えたことで、伊都県主に任命、伊蘇志(いそし)の名を与えられた 『筑前国風土記』では、アメノヒボコが祖としている
>>812 よくあるフィクションストーリー 平凡すぎる もうひと捻り欲しい >>793 >草木が生い茂ってるので時期は夏 >夏の日の出は冬よりも北から太陽が昇る >>810 でも書いたけれど、海の上から見えるから草木が生い茂っていても関係ない 日の出がどうだろうと、夜に北極星を見れば方角は分かる 末盧国から伊都国の方角が間違っているってのを否定するのは どうやっても無理だから、諦めな 誤認の理由を考えて、呼子で正しいと言うなら、その場合は 邪馬台国への水行の方角も同じように誤認しうるということにしかならないし どっちにしろ詰んでるんだよ >>808 里程を距離ではなく日数で表すのは倭人の特徴だと、どこかの文献に書かれてるんだよ なので、距離で表してるのは中国人がかつて調べた部分で 日数で記載推されてるのは倭人に聞き取りをした部分 という事だと思う >>814 もうひとひねりしても、妄想は所詮妄想だよw >>796 >南、東へ向かって糸島なので方角は南東で間違いない ブブー! それは通りません! 南、東へ向かっても、背振山脈の南にしか行けません! 南、東のあと「北」に向かわないと、糸島に着かないんだよ! 北に向かってるのに、南東はないだろ? >>815 海から見えてもなぁ 山が見えるという事は昼間なので北極星は見えない あっちの方角のあの山の近所なんだなくらいだから 正確な方位は分からないね あのあたりが伊都国だとは理解出来た程度で、 上陸した後に現地の住民に伊都国はどの方向か聞いたら南東を指し示しただけだろ そういう言い訳しかできない時点で詰んでるのは畿内説の方だという事が分かる 方角てさ?出発した方向だよな? まさか歩きながらずっと方位磁石で調べてたのか?
>>797 >可也山と伊都国の在ったと考えられてる三雲や曽根、井原は10q近く離れているし当時は間に海が在ったから >可也山を見れて方角を知るとか無理ですよ。 伊都国=三雲遺跡群から見た可也山はこんなに近くに見える >>785 で示した、「東に見えていた可也山」のすぐそばまで来ていることが分かるので 東だとすぐに認識できるだろ? 三雲遺跡群に着く前には、さらに可也山の近くを通るんだしw >>819 北には向かわないね 自分に置き換えてみろよ 隣の市はどっちだって聞かれたら 道路の方向を指すだろ 隣の市の市庁舎の方向は指さない >>821 それだよね 正確な地図もないのに正確な方角なんて分かるわけがない しかし、南を東に間違えたりはしない >>801 >距離から考えて伊都国は伊都GC付近から東で、西は現在の糸島市と福岡市の境までだな。 この、「伊都GC」が出てきたら、九州説も終わりが近い その辺は、人が住んでいなかった未利用地の丘陵だからゴルフ場になってるんだよ そんなところが伊都国だと言い出したら、狂信者以外は「あーあ、解散」ってなっておしまい >>822 >伊都国=三雲遺跡群から見た可也山はこんなに近くに見える すごく遠いです 「(お前からすると)東に見えた山」よりもかなり南だね >>825 俺はもっと可也山の山裾の海に近い場所だと思ってた 今の市役所のあたり 三雲遺跡が当時の海岸線に近いのか? 書いた本人にでも聞かないと分からん事を何を罵りあってんだ いい歳してww 確定してるのは誰も邪馬台国なる物に辿り付いてない事だけだよ ボクの素直読みとかでは無理 無理なものは無理なんだww という事は単純に間違ってるのか、意図的に間違えたか いずれにしろ何らかの補足資料でも見つからない限り無理 いい歳して、その位理解しろよww
魏志倭人伝なんてスタップ細胞の論文の様なものだろw
>>814 日本古代史は妄想でしかまとまらん そもそも記紀の大部分が史実を適度に散りばめた妄想だしな ただ、中国の史書にある女王卑弥呼に比肩できる記紀の人物は天照以外いないと思う >>805 >魏志倭人伝の記述はもっと昔の歴史書のコピペ これは正しい >なので、卑弥呼の時代に呼子に上陸しなかったとしても問題ないんだよ だが、過去においても呼子に上陸したことはないぞww 呼子には用がないから上陸する必要がない >もっと言えば、卑弥呼の時代は唐津に上陸しててもおかしくない 唐津に上陸したというのが過去の記録であり、そのコピペで末盧国が ここに記載されている 唐津に上陸したのは、佐賀平野〜米多郷へ向かうためなら合理性がある 卑弥呼の時代には、直接伊都国に船で向かっているし、 その後の奴国にもそのまま船を回している 西新町遺跡や博多遺跡が、奴国の港湾遺跡 >魏志倭人伝は過去の記述のコピペだから 北部九州まではコピペだけれど、そこから先の 投馬国・出雲五万戸と、邪馬台国・ヤマト七万戸は、魏使が倭国を訪れて 初めて得られた情報だよ >ぐうの音が出ないのは畿内説の方 九州説はさっきから、まともな反論一つできてないぞww 10代崇神天皇 山邊道勾岡上陵 242メートル 11代垂仁天皇 菅原伏見東陵 227メートル 12代景行天皇 山邊道上陵 300メートル 箸墓古墳 278メートル 卑弥呼は崇神天皇より早くに国家の代表になっていて立場が上だったけど 台与のころ西晋を後ろ盾にできなくなって巫女国家代表制は終了 景行天皇が東海や九州を巡幸して武力で支配する
>>803 >お前ら真面目に騙りだすなら専門板でやってくれよ >つまんねえよw ごめんなww 九州説がオワコンだから、話が通じないんだよww >>834 渡来人ってどこの人種かな? 当時の朝鮮人は航海術を持ってないから朝鮮人じゃないよね。 >>831 呼子に上陸する事はあった >なお東松浦半島北端にある呼子には律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたが、 >ここには支石墓から支石甕棺、甕棺墓、箱式石棺を経て配石墓に至る、推定前8-7世紀から2-4世紀の連続した遺跡が残されており、 >抜歯を伴う縄文形質の人骨が出土した点でかつては話題になった。 大陸との交通の拠点なんだよ なので呼子が正解 地図を見れば、魏使は普通に呼子に上陸したと思うなあ。
>>808 >途中までは最小で隣の集落(国)まで100里とそんな細かい描写してるのに >途端に途中から水行で10日だの陸行で1月だの >やっつけ仕事すぎるだろw 九州が小国分立状態なのに対して、 山陰の投馬国や、畿内の邪馬台国は、広域に号令できる強い王の下に広い範囲が 一つの国としてまとまっているんだよ だから、投馬国、邪馬台国で、女王の都まで着いてしまう 九州が奴国を除いて弱小国しかないことが示されているだけ そして、奴国は最も早くから畿内様式土器を作り始める畿内の協力勢力 九州倭国が倭国を代表するなんて無理だろ? >>771 この人の言ってることが正しいと思うぞ 濱山海居なんて呼子あたりだろ >>838 共立した王なのだから弱小国でいいんだよ そもそも北九州迄が本当に行った場所で あとは推測だの現地人から聞いただの そんなこと言ったら 邪馬台国は近くは九州や畿内はおろか 果ては台湾からフィリピン・もしかしてオーストラリア大陸まで いくらでも広げられる もしかしてさらに遠くの南米の文明とつながってしまうかもしれない それではキリがない ということで間を取って畿内説が正解にしておこうよ?
>>816 >なので、距離で表してるのは中国人がかつて調べた部分で >日数で記載推されてるのは倭人に聞き取りをした部分 >という事だと思う 魏人が実際に訪問していても、水行部分は距離の測りようがないから、 日数表記になっているのだと思う 実際、大陸の計算問題の書、九章算術でも、日数が道里として示してあるし 大陸でも日数で距離を表現するのは普通のことだよ どこまで言っても推測にしかならんからな、今の段階では 今のうちに稼げるだけ稼いどきたいよなぁ
何処の世界に道も無いようなとこ使者を歩かせるんだよ 何かが間違ってるだけだろww
>>833 おいおいまじつまんねえんだよ!!! ウンコマーン助けて!!! >>838 奴国と畿内の関係はそうかもしれん 那珂八幡古墳を見ればそう思うよな 今の時代の論文でも嘘や捏造があるのに 西暦300年頃の付属資料に、期待抱き過ぎなんだよww
>>844 当時はスターゲイトみたいなワープ装置がった ちょうど九州と畿内を繋ぐやつだ その大きさは全身が写るほどの大きな鏡だ! つまりそんな大きな鏡が出てくればそこが邪馬台国だ! ※その説だと鏡は二か所以上出てきてさらに論争がはげしくなります。 >>820 >上陸した後に現地の住民に伊都国はどの方向か聞いたら南東を指し示しただけだろ >そういう言い訳しかできない時点で詰んでるのは畿内説の方だという事が分かる この1行目こそ、「恥ずかしいレベル」の言い訳だって分からないのかな? 「現地の住民が指し示した方角が南東だった」って、「今思いついた憶測」だろ?ww そして、海の上では方角が分からなかったのに、 どうして住民が指差した方角が「南東だと分かる」んだ?ww ここを見ている人は、>>820 が踊り狂う様子を見て嗤わせてもらってるよw >>791 >魏志倭人伝の方角はあてにならない、が結論 >距離も、萬二千里は淮南子から引用した世界の果てまでの観念的な距離 その通り。したがって、邪馬台国が伊都国や奴国と境を接していても何も問題無いわけです。 邪馬台国は筑紫平野。シブがき隊じゃありませんが、シタバッタするっなよ!!って感じ。 京大の内藤が邪馬台国は畿内、魏が方角を間違えたと 言ったときには失笑されたが嘘も100回つけば何とやら あの民族と同じ
>>783 じゃあなんなの? 大和から親魏倭王の金印が出たら認めるけどw 末盧国から伊都国が南東なのはまあ陸路の順序がそうだから間違っても納得はできる 1日でたどり着く距離だから方位を確認するタイミングもそうはなかったんじゃないかと思うし でも邪馬台国までの水行10日ってのは寄港しながらそれこそ何度も地形を確認しながらすすむはずなのに方角間違えるかね 近畿説の人らの話を聞いてると中国人は朝鮮を実際より数十倍大きくしても嘘がばれないと思ってたり 方角をずーっと間違えつつけるアホなのが前提なんだな
>>836 >呼子に上陸する事はあった >>なお東松浦半島北端にある呼子には律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたが、 記紀は400年後だからって否定しておいて、律令制下の情報で卑弥呼の時代以前を語っちゃうんだww >>848 ピーターパンのネバーランドは実在する。それがどこかと探すようなものだなw >>850 >「現地の住民が指し示した方角が南東だった」って、「今思いついた憶測」だろ?ww いいや 何スレも前から言ってる 中心部じゃなく国境を指すだろうという事 >どうして住民が指差した方角が「南東だと分かる」んだ?ww 太陽の位置を見ればだいたい分かるだろ という事で、 お前の疑問はすべて解決だな 少なくても魏志倭人伝に詳しく書かれている地名(何里で書かれてる部分) までが当時の魏や朝鮮半島の人たちと交流やら交易が深かった場所の限界点だろうね 邪馬台国まで行くとさすがに大陸の人たちの数は減って…もしくはまったくいなかったから 邪馬台国の周辺の国々の詳しい話を聞けなかった可能性もあるよね 魏の使者が倭人の言葉をちゃんと理解してたのかもあやしい 魏の使者が倭人と話をするために間に倭人の国に住んでいた大陸や半島出身のひとたちを 通訳や現地情報の収集につかっていた可能性もあるしね
>>855 嘘つかれても誰も困らないだろうし 誰が困りそうなの? っていうか、これ嘘だろとか言う人が居ると思うの? まぁ、今の時代の人達は困ってるかもしれんなww >>806 >怡土の領主はアメノヒボコの末裔 出典は? >>834 播磨風土記には渡来系のアメノヒボコと戦った記録があるが、最終的には和解して棲み分けをしている 更に男王を立つ。国中服さず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。 復(また)、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。 国中遂に定まる。政等は檄を以って壱与に告諭す 卑弥呼が248年に死んだあと国が乱れて景行天皇が美濃を抑えて 纒向日代宮を都にして九州行って大陸までの経路を確保 台与を代表として西晋に朝貢したんじゃないか 景行天皇4年 美濃行幸 帰国 纒向日代宮に遷都 景行天皇12年 九州巡幸 景行天皇19年 帰国 景行天皇43年 各地を転戦した皇子の日本武尊命が病没 景行天皇53年 東国巡幸 景行天皇54年 帰国 景行天皇58年 大津滞在
>>856 紀元前8世紀くらいからの連続した遺跡 があるからなぁ 航海術が発達しているであろう後世でも交通の拠点だったのなら 航海術が未熟な時代ならもっと重要だったことは想像がつく そんな単純なことも気付けないのが畿内説 >>837 >地図を見れば、魏使は普通に呼子に上陸したと思うなあ。 地図を見れば、呼子を目指して船を進めた、とは思うが 呼子に上陸する理由がない 呼子に上陸してから延々と歩くより、船を回した方がどう考えても合理的だろう 大荷物を持ってきているのだし、大量輸送は船のほうが楽なのは昔も今も変わらない >>808 >奈良の東に海を渡った国なんてあるだろうか? 名古屋かな? >>865 何で歩きに拘るか不思議だよね 難破しそうだったとか言うのかなww >>860 朝鮮半島の大きさなんて当時の知識階級ならだいたい知ってるでしょ すぐわかる法螺吹いてバレたら恥ずかしいじゃんw 権威を示したいのにそんな馬鹿なことする? >>865 その理屈だと唐津に上陸する理由もない 糸島に直接上陸した方が合理的 なのでお前の言い訳は通用しない >>858 >中心部じゃなく国境を指すだろうという事 来た! 一番の矛盾ポイント! その「国境は何処」ですか? っていうか、嘘を付いたからといって 必ずそれ嘘だろと言えるって今の時代だからだろ 西暦300年頃にそんな事言える訳ないだろ 命かけて喧嘩売るようなもんだ お花畑過ぎww
まあ魏にとって大事なのは北九州の地理とそこにいる勢力のことだよな だからこそ邪馬台国やその周辺地域のことなんてどうでもよかったのかもしれない そう考えると邪馬台国は九州以外の場所にあった可能性もある
>>869 糸島は砂浜だらけだしなあ 大きな船だから接岸する場所に呼子が ふさわしかったのでは? 秀吉の出兵も呼子からだし >>869 >その理屈だと唐津に上陸する理由もない >糸島に直接上陸した方が合理的 >なのでお前の言い訳は通用しない 糸島に直接船を回すって、ずっと言い続けてるんだが? 末盧国上陸は、米多郷などへ向かうとき以外は意味がない このスレでも>>653 でその旨書いてるし、★2のスレでも何度も書いてるぞww >>872 >唐津と糸島の間だろ? その途中の「どこ?」 1.指差したwwと想定しているのはどこで、 2.その場所は南東とされるのが妥当な場所かどうか、 3.そこが国境で指差されるのが当然だと考える根拠や理由 をきちんと論じてくれないと、「言い逃れの思いつき」でしかないぞww >>876 なんで複数IDなんだ? レスをたどるのが面倒だろ >>875 魏の船が着ける港が呼子か名護屋浦付近にしかなかったんだ 唐津も糸島も直ぐ後に陸化してるから遠浅で大型船が近づけなかったんだ。 >>871 いやー行政区域なのに知らねーよはないね だいたい4000里四方なんて広大な土地があるとしたらそっちの方に目が行く 2,560,000キロ平方メートルだから韓は漢王朝の領土6,000,000キロ平方メートルの半分ぐらいということになる んなの誰でも嘘だと思うだろ、アホちゃう?? >>877 正確である必要はないと思うぞ 実際の国境がどこなのかなんて当時の人じゃないとわからないんだし 仮定として今の糸島市と唐津市の境でいいんじゃないか? おまえら >>875 >糸島は砂浜だらけだしなあ 船越湾がもっと東まで深く入り込んでいたから、 港としては十分に機能したと思うけどな この辺は推測しかできないけれど、いっそ糸島半島を回りこんで西新町遺跡に 上陸でもいいのかもしれない >>870 呼子や名護屋浦付近から500里 1里80mとして40km地点の伊都GC付近だな そこから100里(8km)で福岡市がある。 >>877 1.指差したwwと想定しているのはどこで、 呼子に上陸したとき、 あるいは上陸してから伊都国を目指そうとしたとき なので名護屋浦あたりでいいだろう 2.その場所は南東とされるのが妥当な場所かどうか、 南東だな 3.そこが国境で指差されるのが当然だと考える根拠や理由 今の市境だからそれほど不当ではなかろう 呼子にこだわってるのは九州説の中でも色物の2人みたいだな
>>883 >仮定として今の糸島市と唐津市の境でいいんじゃないか? つまり何処なのかも一切想定すらしていないけれど、 呼子の住人はその国境の場所を知っていて、南東方向を指差しましたと、 こう主張するんだな? デタラメもここまで行けば立派ww >>882 楽浪郡が漢の時代からあって魏の時代には帯方郡によって三韓を直轄してるじゃん 朝鮮半島の地理感覚は古代中国人にはあるに決まってる >>885 いやいや、秀吉の朝鮮出兵がなぜ呼子からだったのか それが物語っている >>889 普通の考えたら 伊都国と松浦国の境なのだから あのあたりになるのはおかしくないだろ >>887 >なので名護屋浦あたりでいいだろう 何処から指差したか、じゃなくて、『何処に向かって』指差したのかを聞いてるんだよ 伝聞ではあるが、伊都国までは実際に行った人の話を元に書いてあるのでほぼ正確 その後は全部ウソと断じて構わないと思う 要するに、魏志倭人伝の記述からは邪馬台国の場所など判りはしない
>>893 名護屋浦あたりから 唐津と糸島の市境 グーグルマップでみると包石というのがあるところが市境だな 市境だから点線が見えるので分かるだろう >>890 百歩譲ってあったとしても これは嘘ですとか言える訳ないだろ 脳内お花畑過ぎなんだよ 皇帝の為に嘘を付いてるとしたら、そんな事言ったヤツは死罪だよ あと、もう漢の時代じゃねーよ 三国時代の混乱期もあって機能してない可能性すらある >>893 >>>887 >なので名護屋浦あたりでいいだろう ついさっき、草木が茂っていてそっち(可也山)方向は見えないって言ってたのに 何を言ってるんだ? 草木の茂る見通しも何もない方向を指差したって主張するんだな? 言ってることがおかしいのは自覚できるか? 4世紀末には日本が朝鮮半島に進出する 広開土王碑 わざわざ稲が育ちにくい寒い半島の平地を取りにいったことから その頃には西日本を中心に支配がほぼ完了していたと考える
>>891 マジレスすると、色々な場所から出航してるよ もうさ?おまえらがタイムマシーン発明したほうが早いんじゃないか?
>>897 なんでそれがおかしいと言えるんだ? 地元民なら分かるだろ 自覚してないのはお前だぞ >>799 だから魏の人が方向音痴だったわけじゃなくて、 当時の邪馬台国の正確な場所がバレたらいつか攻め込まれるから、 巧妙にウソの方向を教えて記述させて、 邪馬台国を守ろうとしたわけ 確か後に呉が邪馬台国に攻めようとして、 魏志倭人伝に従ってその方向へ呉から大船団を送り込んだら、 その場所は太平洋が広がっているだけだったので 大船団のほとんどが全滅したって話がある >>896 まず嘘だと簡単に分かる記述をしてることがおかしいんだよ それこそ皇帝への不敬だろw 辺境のデタラメ書くならそれこそ渡海したあとの倭国の部分に虚飾を入れればいい そっちの方がばれないんだから >>899 それは知らん 名護屋城を築城してそこに拠点を置いた事しか んで、どこよ 朝鮮半島を取りに行ったわけじゃなくて、百済の救援目的でしょ
伊都は太宰府の吉備真備が怡土城を築いたりもしてるし、かなり後の時代まで海運の要衝
一つ言えることは、この問題はこのスレだけでは解決出来ないってことだな。 次スレも立ててくださいね、キャップさん。
そもそも近畿は神武は筑紫にいたと言ってるし 九州に与する勢力が東へ進出したのは否定しようがない
このスレのテーマは「邪馬台国は東遷したかどうか」だ。 しただろう。 神武が東遷したっていうことを唐の時代の天皇家が記憶し、それを唐に伝えてるんだから。 なんでこれを否定したがるの?
このスレのテーマは「邪馬台国は東遷したかどうか」だ。 なんで神武の話になる?
常世の国から田道間守が持って帰ってきたのは、黄憧と金印です。
>>909 九州からの東遷があったとしたら、邪馬台国よりも前の時代 しかも、大規模な武力進出ではなく、婚姻をによる同盟など比較的小規模な移動 >>913 お前が暇つぶししてるから荒らされてるんだよ ウンコマーン助けて! 秀吉の朝鮮出兵は名護屋から出航してる。呼子より西ね 神功皇后の朝鮮出兵は唐津から海伝いに呼子に行って出航してる
次スレ立っても、また荒らされるだけだぞ 若干一名のIDころころ 誤爆があったらすまんね
>>911 邪馬台国と神武は繋がりがあると思っているから。 ただ、神武が東遷したのは卑弥呼の時代より昔。 卑弥呼の時代には北九州と奈良に二つのヤマトがあったんだよ。 そう考えないと話がまとまらない。 >>917 てめえが妄想で誤爆するからムカついてんだよ こないだも言ったろハゲ 次スレ立っても、また荒らされるだけだぞ 若干一名のIDころころ、ウンコころころ 口癖 「ハゲ」
近畿に3世紀以前大規模都市は存在しない しかし神武は筑紫からきた。 これが答えだろ。
ID:Zim8PZ1l0のご尊顔w まあ大体荒らしってこういうよね 「次スレ立っても、また荒らされるだけだぞ」 お前が消えろよ落ち武者w
記紀を見る限りじゃヤマト政権が半島あたりに絡むのは、四世紀以降に見えるがな 記紀には三国志の帯方郡も百済新羅以外の三韓も出てこないし ただ、畿内で政権交代があり、魏や晋と繋がってた勢力が滅んで その後に今に続くヤマト政権になったのかも知れないが
>>908 神武の前に30数代と言ってるから相当長いよね? 記紀では神代の系譜を相当端折ってる。 >>926 既存の情報をもとにすれば普通はそういう結論に至る。 >>926 狗邪韓国までは倭人の領域だから、その前から関係はあったと思うけどね 本格的に進出しまくるのは倭の五王の時代だろうけど https://plus.google.com/+RayCrosmy/posts/25cWUaojuZd 九州が北で青森が南というのは、魏が呉に対して仕掛けたフェイク情報です。魏が金印を授けた同盟国はたった 二つしかありません。どちらも魏の敵国の背後に回って挟撃する位置関係にある国です。倭国を用いて呉を挟撃 するには、本当の位置よりもずっと南に位置している必要があったのです。事実呉の孫権はこの偽情報にまんまと 引っ掛かって、1万人も派兵して手痛い損害を被っています。魏は呉を攻めても海上に逃げられれば打倒できない と考えていたので、金印を授与するほどの大国の倭国は、呉の退路を断つように、台湾の東の海上に位置して いなくてはならなかったのです。いつ卑弥呼の軍勢が呉を攻めるか分からない、危機感を煽る状況を作って、 海岸線の防備に軍勢を裂かせておくことにも成功しています。実際にこの策は功を奏して、呉は海上脱出する ことなく降伏して終焉を迎えました。魏の軍師達の策にまんまと呉はしてやられたわけですが、歴史を冷静に 観察できる私達まで魏の軍師の策に惑わされて、邪馬台国が九州の南方海上にない!方角を間違えてる? などと真剣に悩む必要はありません。 自分で書いてて思ったけど 他人が書いた長文て 読む気がまったくしないな おれも注意しないとな
どうしても4世紀以降の話になるよ 345年頃 百済、国号を「百済」とする 367年 百済、最初の使節を倭に派遣 369年 百済、倭国に贈る七支刀を製作 372年 百済、東晋に初朝貢 377年 新羅、前秦に初朝貢。国号を「斯盧」から「新羅」に変えたことを言明
>>933 これまた古いネタだな。 紙面が足りなくて無理やり付け加えた地図だろ? その地図で列島の向きが正常なものがちゃんとあるのを知らないのか? https://hajimete-sangokushi.com/2015/07/29/post-4873/ 魏志倭人伝に記されている旅程距離のほとんどが里数で記されているのに、 何故だか突然、不弥国から邪馬台国までの距離だけが日数で書かれているのです。 どう考えてもおかしいですよね? この里数から途中、「何らかの理由」で日数を故意的に魏志倭人伝に記したという説。 魏が親密な関係である邪馬台国を敵対している呉に対して、 すぐ東方海上にあるように見せかけ呉の背後に魏との同盟国が存在するという牽制(けん制)するためという説もあります。 (略) 241年の夏には孫権が大規模な魏侵攻を行いました。 諸葛瑾を呉の大将軍に就任させ、荊州方面に軍を展開し、魏の柤中まで占領しました。 魏にとっては一大事の出来事です。 少しでも呉からの侵攻を牽制させるために、 邪馬台国を呉のすぐ東方海上にあるように見せかけたいので、 魏志倭人伝の里数を途中から日数に変え、現代の我々にとっては邪馬台国の場所が特定出来づらくなったという説があります。 邪馬台国には親魏倭王、大月氏国には親魏大月氏王の称号を送った魏の皇帝・曹叡ですが…. さて、司馬懿と曹真の各異民族の朝貢を比べてみましょう。 大月氏国(クシャン朝)は国の面積も広く、邪馬台国の日本の面積と比較してしまうと どうしても司馬懿の功績が見劣りしてしまいます。 魏志倭人伝を含む三国志の正史が作られたのは晋の時代です。 魏を正統な国家として扱い、魏から皇帝の座を引き継いだ晋の皇帝である 司馬氏の正当性を周知させるために作られた歴史書ですから、晋の礎を築いた 司馬懿の功績が曹真に見劣りしてしまうと、司馬懿による政権交代が不都合にもなります。 そこで、曹真の功績と比べても見劣りしないよう 邪馬台国がいかに遥か遠い国からやってきた巨大国であるというのを記す為に 里数を途中から日数に変えたという説です。 (※ >>935 にあるように、邪馬台国(夷州と亶州)の位置を正確に知らなかったから、孫権による日本出兵は大失敗に終わったという説あり) https://hajimete-sangokushi.com/2015/02/19/post-1575/ 魏志倭人伝によって描かれるのは、 卑弥呼からの使者が魏を訪れたという歴史的事実ですが、 実は、孫権(そんけん)も、対日出兵していたということは あまり知られていないかもしれません。 230年のことです。 孫権(そんけん)は、こんな話を耳にします。 「会稽(かいけい)の東方の海中を行くと、 夷州(いしゅう)と亶州(せんしゅう)があります。 ここの住民は数がとても多く、みな勇猛なのです」 会稽とは、現在の紹興(しょうこう)市のあたりです。 紹興酒の特産地です。 会稽の東方の海を渡っていくとある国は、そう、日本です! 夷州と亶州は日本のことを指しているのです。 もともと、日本の弥生時代に伝わってきた稲作は、 中国の江南地域からもたらされたものです。 孫権の治める江南地帯には、古くから日本とのつながりがあったのです。 孫権は、これから対魏、対蜀戦争に使える勇猛な戦士を手に入れようと 対日遠征を試みます。 衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)が日本へ派遣されます。 3000人の住民を捕らえました! しかし、疫病がはやってしまい、8000人の兵士を失いました。 大損をしてしまった対日遠征でしたが、 衛温と諸葛直は、現地の長老からこんな話を聞くことができました。 「昔この地には、始皇帝の命を受けて、不老不死の薬を探しに来た 徐福(じょふく)がやってきたのじゃ。 徐福はこの地にとどまり、今では一族は、これこのように 一万戸に達しましたぞ」 >>934 記紀にある、狗邪韓国的なものとしては任那だが これも四世紀末から五世紀の出来事を書いた好太王碑が初見だしな 記紀には中国との絡みがほぼ無いのも気にはなる 卑弥呼や台与はかなり使者を送ってる訳だし ただ、これも記録が失われただけという可能性もあるし、なんとも >>938 呉は280年まであったから、実は魏より長生きしてたりする (魏→晋は265年) >>942 卑弥呼が使者を送った見返りか剣を貰ったみたいだけど 中国の歴史書には書かれてないってのを何処かで見たような https://hajimete-sangokushi.com/2015/02/05/post-1353/ 三国時代の勢力地図を見ると、孫権の支配した呉は中国大陸の南東、太平洋に面した揚州を拠点にしていたことが分かります。 孫権が皇帝に即位した当時、呉は蜀と和睦し協力関係にありました。 蜀が支配した益州は呉から見て西方に位置します。 一方、呉の北方には強大な魏が存在しており、北方進出はままならない状況でした。 西と北を他勢力に抑えられている呉にとって、勢力を拡大できる余地が残されているのは呉よりも南方に 位置する交州、そして呉の東……台湾と、日本でした。 また、南と東の国境線を押さえて勢力を伸ばすことは、ちょうど蜀の諸葛孔明が南の異民族の討伐を行ったことと同様、 国の安全保障上、必要不可欠な政策であったとも言えます。 230年の春、孫権は配下の衛温と諸葛直という二人の将軍に命じ、兵士10000人を率いて夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)に向かわせました。 夷州と亶州は呉の東方、太平洋上に浮かぶ島国で、夷州は台湾を、そして亶州は日本を意味していると考えられています。 二人の将軍は夷州(台湾)にこそ上陸を果たしましたが、亶州(日本)へはたどり着くことができず、 その遠征の行程で兵士の実に9割を疫病で失ってしまいました。 1年後、二人は夷州の原住民数千人を奴隷として呉に連れ帰りましたが、孫権は勅命を果たせず貴重な 兵士を失ったことを咎めて二人を投獄、いずれも獄死してしまいます。 なぜ、呉の軍勢が亶州にたどり着くことができなかったのかは諸説ありますが、興味深い仮説のひとつに 『船出の季節』が原因だったとする説があります。 一旦、夷州への上陸を果たした軍勢が、亶州へ向けて出航できたのは夏を過ぎた、現代では9月以降の季節であったと考えられます。 この時期はご存知の通り日本では台風シーズンに当っており、洋上で艦隊が台風に直撃を受けたことが遠征挫折の大きな要因だったと考えられるのです。 この台風説は奇しくも、モンゴル帝国が日本への侵攻を企図しながらも台風によって頓挫したとされる、あの『元寇』と一致します。 >>943 魏志倭人伝の編纂は3世紀末 要は呉が滅びた位から >>890 >朝鮮半島の地理感覚は古代中国人にはあるに決まってる こういう決め付けって、どんな思考回路なんだろうか? 九州説を批判することでしか己を正当化できないのが畿内説 九州説の人は性格が良くて穏やか 畿内説の人は性格が悪くて攻撃的
>>942 魏まで使者を送るには少なくとも朝鮮半島西岸から山東半島を経由しないといけないので、まぁそれなりのルートが確立してたんだろう その前は公孫氏と交流があったかもしれんけど、記録が残ってない以上なんとも ぶっちゃけ遠く離れた倭国の内情なんてどうでもいいよな そもそも魏氏倭人の下りはその書籍のほんの一部分に ほんの少し出てくるだけで 当時の中国人たちにとって邪馬台国と卑弥呼なぞその程度の者
>>947 ああ、倭人伝を編纂してるのは確かにそうか。すまない ただ、元資料自体は魏の頃かな、とは思ったけど >>952 元々、本論じゃないし 別冊にちょっと載ってるだけ 何か大袈裟に考えてる人達が一定数居るんだけど 今の時代の論文でも、本論以外ならそんなに労力使わん 無駄だし まあ邪馬台国くらいは九州のどこかにゆずってやれよ 奈良・京都・大阪はいくらでも観光資源があるだろ? 福岡あたりはまだいろいろあるからなにもない いっそのこと佐賀あたりにしてみてはどうだろうか?
>>937 で、「百済」、「新羅」が東アジアの国際舞台に出そろったところで、 高句麗vs百済・倭戦争が始まる 391年 この時既に倭軍が百済にいた? 396年 好太王が百済に侵攻し、漢江以北、大同江以南の地域を占領。百済は降伏 397年 百済、倭に人質を送り、介入を求める。 399年 百済、高句麗との盟約破棄。好太王、平壌に侵攻 400年 好太王、新羅に侵攻、倭軍を駆逐 404年 帯方郡に侵入した倭軍を撃退 407年 好太王、百済に侵攻 これを踏まえて、倭の五王が出てくる 413年 讃、東晋に朝貢 421年 讃、宋に朝貢。「安東将軍倭国王」に任命 425年 讃、宋に朝貢 438年 珍、宋に朝貢。「使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」を求めるが、「安東将軍倭国王」に任命 >>942 3世紀だと未だ高句麗もは鴨緑江付近の戸数3萬戸の小国で半島南部までは勢力が及んでないから倭とは直接の接点はないな 三国史記の新羅には卑弥呼が使者を送って来たとの記録があるけど記紀には無いね。 というか倭は倭で中国が魏から晋に代わる頃までで そのあとから倭も内乱鎮静やら東に勢力拡大やらで 大陸と国交が途絶えたとも思えるしな 九州にずっと政治の中心があったのなら中国の国が変わっても その次の支配圏と国交を結びたがるだろうし 九州から畿内に移りやっと国内をまとまったから そろそろまた中国と国交を結ぼうか?と遣隋使おくることに決まったのだろう
>>954 基資料は公孫氏から押収した倭に付いての記録や、張政達の出張報告書ですね。 >>958 当時なら半島には楽浪郡と帯方郡があるしね、、南下は無理だろな もしくは魏のころからずっと政治の中心は畿内にあって 晋の初期までは支配下である北九州とおって大陸と国交があったが 九州勢の反乱によりながらく大陸との国交が途絶えてしまった… という風にも畿内説でも説明できる 不毛だな…
>>959 広島も原爆関係と宮島以外何も無いし 仙台も何も無いよ 札幌も ようはまともな観光資源があるのは100万都市では京都だけ >>959 大濠公園や海ノ中道、志賀島くらいかな 周辺には太宰府跡とかあるけどね。 >>935 https://plus.google.com/+RayCrosmy/posts/25cWUaojuZd のこっちのほうがわかりやすい 騎馬民族征服王朝説は、ほぼ否定されているにもかかわらず、なぜ今頃になって持ち出してきて、「朝鮮半島から 船団を率いて日本に上陸」と唱える必要があるのか、エンターテイメントの質の低さに笑ってしまいました。 ハッキリ言って出来ません!なぜならば、中国大陸側は、東の海にある島国がどこにあってどうなっているのか、 正確なことを把握していなかったからです。呉の孫権は1万人の大遠征部隊を東の海上に派遣しています。 ところが、台湾の沖にあると思っていた徐福の子孫が大勢住んでいる島≒女王卑弥呼達がいる日本列島は 影も形もなかったので、遠征部隊の8割以上を失って大失敗に終わっているのです。邪馬台国へのルートは、 魏志倭人伝を信じてしまうとトンデモない南方沖の太平洋上に行き着いてしまいます。倭人は海洋交易民族で、 日本列島から中国大陸に盛んに交易をしに行っていましたが、大陸からの侵略を怖れて正確な日本列島への 渡航ルートを教えなかったのです。だから、呉の遠征軍は1万人もいたにもかかわらず、誰一人日本列島に 辿り着くことが出来ないまま、海上で食料が尽きて伝染病が蔓延してほとんど壊滅状態に陥ったわけです。 当時は「南船北馬」と言って、南のほうが造船や操船技術は優れていました。呉の軍勢ですら日本への渡航 ルートを知らず、1万人が揃いも揃って大失敗したぐらいですから、北の騎馬民族が日本に渡って来れる筈が ありません。当時の中国大陸の北部の船は皆河川用で、船底がまっ平らで外洋の荒波を乗り切る性能が ないため、波を被れば呆気なく沈んでしまうのです。現代の船ですら朝鮮半島の沖で沈んでいるのですから、 それなりに性能の良い船でなければ日本には渡って来れないのです。もちろん、朝鮮半島には大軍が運用 できるような軍道はないし、軍船を量産できる拠点もありませんでした。 華北と華中の農業が3百年間かけて徐々に衰退していき、人口が激減してしまった時期に、日本には約2百万人の 古代中国系の難民が渡来しています。この勢力を上回る騎馬民族の渡来などありませんでした。 >>948 自分たちの行政区域で以前は戦争もしてるんだからおおよその地理と 生産力を知ってると考えるのが通常の感覚だと思うけど 少なくとも漢王朝の約半分の大きさなんて認識があるわけない >>934 狗邪韓国を含む朝鮮半島南岸地域が投馬国で後の任那 狗邪韓国が任那日本府だな。 >>970 東夷の里は1里80mくらいで多分公孫氏が制定したんだろう 魏に自国を大きく見せかけたかったんじゃないかな。 いくら大化の改新でそれまでの歴史文献燃やされた焼失したとしても 後の政権・権力者たちの力で歴史改ざんを行ったとしてもさ? 畿内中心で北九州まで勢力圏だった連中がすべての証拠を隠匿できるもんかね? 畿内説ならまずその説明ができないと?
>>974 邪馬台国と大和国とは同一ではないと考えるとわかりやすい >>970 実際に方四千里という間違った地理観持ってたのに何を言ってるんだか >>929 記紀では神武の前の30数代を復、神武の後に入れてる 神武と欠史八代の天皇が実在しその後に天武くらいが付くのが本当の大和王権の歴史だな。 >>976 公孫氏から押収した記録を基にしたので1里80mが使われているんだ。 >>973 里の長さの元はそうだと思う しかし漢代から統治してるんだから曹魏が騙されるとは思えないw >>976 なるほどねえ 前の人の観念的距離の萬里に合わせた数値じゃなくて本当に中国人はそう思ってたって別な主張なわけね それだと朝鮮半島が魏より大きくなるんじゃないw いつも不思議に思うのは九州説語ると、違う九州の地域を 支持してる人が否定するなら議論になるが 畿内説取ってる人とは議論にはならず罵り合いにしかならない なぜだ?それと畿内派の人は九州派の行程や比定地を disるだけで決して畿内までの行程や比定地を言わない ただ畿内とだけw なぜなんだ?
>>976 バカも休み休み 自国と接してるんだよ? 自国の国土を間違えるわけないだろ いわゆる短里を使ってただけ >>979 倭や韓についての距離の記録が公孫氏のものしか無かったんだよ 張政等は距離までは図ってこなかった 日数で報告したんだ 陳寿も距離が変だと思ったんで日数も併記したんだ。 >>983 そう思う 距離を誇張するにしても韓の面積だけじゃなくて対馬や壱岐の面積も誇張する理由はないしね http://www.eonet.ne.jp/ ~temb/16/gisi_touyokuso/yokuso.gif 三韓 方可四千里有 東沃沮 其地形東北狭西南長 可千里 高句麗 方可二千里 扶余 方可二千里 挹婁 挹婁在夫餘東北千餘里 日本神話は日本のバイブル。 しかし、嘘と裏切りと暴力と天候変動の対応で 連合を目指す新しい世界と新しい日本は 日本神話の新しい「新約聖書」の共有を必要としてる。
>>980 だって畿内説の論理だと その距離行けるどこにでも当てはまっちゃうからさ 四国でも中国地方でもよくなってしまう 学問と無関係なネットプロパガンダスレ そういうスレとして遊ぼう
>>987 九州説は潜水艦で来たって主張してるんだろ 3世紀に大和には巨大な勢力があった 邪馬台国もしくは大和朝廷のどちらか そして畿内の勢力が九州に進出し蹂躙し支配した
行程記事からは邪馬台国の位置を特定できないが正しい答え
>>992 それは誰理論っすか?僕理論ってやつですか? 陳寿は倭国が会稽東冶の東にあると思ってて、行程記事はそう書かれてるのに 独自解釈で行程を読み解いたつもりになって、畿内だの九州だの言っても無意味
>>863 120年ずれてるから景行の 九州制圧は4世紀前半だよ
mmp2
lud20190806165427ca
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