九大フィルハーモニー・オーケストラが1924(大正13)年、福岡市でベートーベンの交響曲第9番を演奏した際に使った楽譜が見つかり、当時の演奏の詳細が明らかになった。「歓喜の歌」で知られる第4楽章から、合唱とともに10分ほどの演奏だったという。
この演奏は24年1月26日、摂政宮(のちの昭和天皇)の結婚を祝う音楽会で、九州帝国大学フィルハーモニー会が披露した。当日のプログラムから、日本人による初めての「歓喜の歌」の演奏と知られていた。第4楽章の一部が奏でられたことは分かっていたが、どの部分をどう演奏したかは不明だった。
今回調べたのは、九大フィル顧問の松村晶・九大工学研究院教授。今秋完了した九大のキャンパス移転作業に伴い、オーケストラの古い楽譜786点を所蔵していた九大文書館で、手書きのパート譜10点を見つけた。当日の合唱用総譜は、東京芸術大付属図書館が所蔵。両者を照らし合わせ、合唱譜への書き込みなどから演奏部分を特定した。
松村教授によると、演奏は331小節目から始まり、627小節から654小節をリピートした。その間にあるテノールの独唱はソプラノ歌手が担い、10分ほどの演奏だったという。
九大フィルの設立は1909(…
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2018年12月30日11時16分
https://www.asahi.com/articles/ASLDT3Q0VLDTTIPE00P.html
福岡市記念館で1924年1月26日に行われた「摂政宮殿下御成婚奉祝音楽会」の様子(九大フィル提供)
1924年1月26日の音楽会で実際に使われた第1バイオリンのパート譜(九大フィル提供)
公演当日のプログラム(九大フィル提供)
ふるさと納税で「ヤートモダチ」をもらおうとしたら品切れだった
>>1
朝日新聞なのだから、「楽譜は韓国人が書いたもので、日本軍に強制連行された時にいっしょに持ってきた」くらい書けよ コンパクトディスク(Compact Disc、CD(シーディー))とはデジタル情報を記録するためのメディアである。光ディスク規格の一つでレコードに代わり音楽を記録するため、ソニーとフィリップスが共同開発した。
現在ではコンピュータ用のデータなど、派生規格の普及により音楽以外のデジタル情報収録(画像や動画など)にも用いられる。音楽CDについてはCD-DAも参照。
CD初期の最大収録時間(74分42秒)が決まったいきさつについて、開発元のソニーによれば以下の通りである。
開発の過程でカセットテープの対角線と同じでDINに適合する11.5cm(約60分)を主張するフィリップスに対し、当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄が
「オペラ一幕分、あるいはベートーヴェンの第九が収まる収録時間」(12cm、74分)を主張して調査した結果クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることからそれを押し通した[1]。
その大きな要因となったのが、指揮者のカラヤンであった。
開発当時、大賀典雄は、親交のあったカラヤンに、11.5cm(60分)と12cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは「ベートーヴェンの交響曲第9番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。
指揮者によって変わるが、カラヤンの「第九」は約63分–69分であり、ほとんどのヒストリカル指揮者による演奏時間は60分を超えていた。
\\ Freude, Schoner Gotterfunken, Tochter aus Elysium, //
\\ Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum. //
\\ Deine Zauber binden wieder, Was der Mode Schwert geteilt; //
\\ Bettler werden Furstenbruder, Wo dein sanfter Flugel weilt.//
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あの頃はギターの代わりに三味線使ってたなあ(´・ω・`)ピアノがまだお琴でさあ。
>>10
こんなAAもあんのか…
たまに5ちゃんもいいもんだなと思う >>16
明日の晩、紅白の裏のEテレの第九の実況スレ行けば
乱舞するのが見られるよ >>4
それはバッハのBWV565の方の
「トッカータとフーガニ短調」。
ニ短調のトッカータには別に
BWV538(通称ドリア調)も
あるからね。 2003年からあるらしいコピペ
「第九」とは、ベートーベンが真実の音を探し求める旅です。
第一楽章、第二楽章では次々と出だしから激しいメロディーが演奏されます。
それは「これがお前の言ってる音だろ?」という問いかけです。
しかし即座にそれらの音は「違う違う、そんなんじゃない!」とうち消すメロディー。
真実の音は見つからず途方に暮れつつ、第三楽章では地平線をぼんやりと眺めます。
ですが、第三楽章の最後で「お?ひょっとして!」とヒントを見つけました。
そして「うおーっ!!」と怒濤のように思いを巡らせるのが第四楽章の冒頭です。
頭が冴えてるベートーベンは第四楽章の冒頭で「これだろ?」「これだ!」と
次々と真実の音を提示します。しかし「まだまだ」「惜しい」「ちがーう」と否定されます。
そういう問答を繰り返している内に、おや?とある旋律を発見します。
まだ自信がないのでおそるおそるコントラバスでこっそり弾きます。
否定されないようなので、バイオリンでも弾いてみます。お、もしかしてこれが?!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
ついに真実の音を見つけました。真実の音とは「ファ」でした。
これだと確信してオーケストラ全体であの有名なテーマを演奏します。
「ファファソララソファミ レレミファファーミミ ファファソララソファソミ レレミファミーレレー」
(続く)
喜んでオーケストラ全体で演奏したメロディーですが、「ちょっと待ったーっ!」と異議を
唱える人物がいます。バリトン歌手です。
「おまいさん、それは違います。まだなんか足りませんねー」と。
そこで、楽器だけじゃあ真実の音は表現しきれないんじゃないかと考え、
男声コーラスを加えてみます。「フロイデ!(サイコー!)」と呼びかけるバリトンに
「フロイデ!(サイコー!)」と返事をしました。
すると、バリトンはさっきよりも力強く「フローーーーーーーイデ(超サイコーーーー!)」と
切り返してきました。どうやらコーラスを入れて正解だったようです。
続いてアルト、ソプラノと女声も参加していき、やがて歓喜の大合唱へ。
真実の音がついに見つかったのです!
>>1
これほどどうでもよく価値の無いのをよくニュースにしたな 徳島には沢山資料が残っているし、元捕虜の子孫とも交流しているし、
九州のこういうネタなんて価値ないのではw
>>12
するどい
もともと4楽章にちょっと付け加えて一曲の
予定だったけど、寿命を察して別の完成してた
1ー3楽章をくっつけた ところで何で年末に聴くの?(´・ω・`)?
元吹奏楽部だけど知らんねん
>>1
日独戦争した時の捕虜で伝わったんだからな
ドイツは日本に、謝罪求めるべきやろ あの、これは第九のスレのたびにいってんだけど
アレの歌詞さあ、まあ和訳がそこら中にあるから読んでみてほしいんだけど
あれってネトウヨくんが歓喜随喜法喜できるような歌詞じゃないからねwww
歌詞の中に「友達のいないボッチ野郎はむせび泣きながらここから出て行けよm9(^Д^)プギャー」って
ウリでもネトウヨの心中を察すれば軽々に言えない煽り文句があるわけでねwww
まあそういうことをベートー、おっと失敬、作詞者はシラーか。当代一の詩人がいうところがすごいw
こりゃシラーじゃなくてネラーだねwww
あとついでにいえば第九といえば『時計仕掛けのオレンジ』だよなドルーグ?w
ウリはもう第9きいてもウルトラバイオレンスにトルチョック制裁しか思い浮かばないねwww
あの、ルドヴィゴ療法受けると本当はベートーベン聞くたびにガリバー痛や吐き気が起こらにゃ嘘なはずだがw
この親愛なる読み手のウリは第九を聞くと寧ろ好戦的になるから困るwww
まあ最後のセリフじゃないけど、頭の中に第九のコーダを流しながらこういうしかないんだろうな。
"I was cured,Allright"ってさwww
ゲラゲラw
第九は第九だろ。
大正の第九って、それなら昭和の第九、平成の第九とかあるんかいw
第一次大戦時はドイツのシナと太平洋領土を火事場泥棒的に奪った。
ベルサイユ体制の擁護もなし。
天文学的賠償で困窮したドイツに英雄ヒトラーが出てきて、
こっちも孤立して、イタリアのムッソリーニとドイツのヒトラーで枢軸組んだ。
徳島・鳴門の「バルトの里」、ロケ現場が残っていた頃に行ったことがある
カルチャーショックと言っていいほど感激した
まだあの時代は、「戦争にもルールがある」「俘虜も兵役の一つだから、人権を」
が機能していた時代だったということだな
いろいろ資料は残っているとは思うけど、肝心な「男声版第九」の楽譜は残っているのだろうか?
>34 ナッドサッド語だな。
それにつけてもプリティポリーの欲しさよ
>>28
「第九」は戦後貧しかった時期に楽団が年末ボーナス獲得のため始めた。
「第九」は当時から人気曲だったが演奏するにはオーケストラ以外に百人以上の合唱団が必要。
オーケストラと合唱団のメンバーが一丸となって親戚や知人にキップを売りさばくほどコンサートは大入り満員になった。
トリビアでも放送してたw >>24
ドイツ兵俘虜ゆかりの地
http://www.dyden.co.jp/images/csr/local/pdf/vol15_german.pdf
全国最大規模の収容所となった久留米には1,319名が収容されました。
久留米収容所では、5年3カ月の収容期間に、11名の俘虜が亡くなっていますが、
当時世界中で多くの犠牲者を出していたスペイン風邪による死者はおらず、
収容所の衛生管理が一定の水準を持っていたと言われています。
「収容所」というと強制的なイメージですが、この頃の収容所は俘虜を人道的に扱うよう定めた
ジュネーブ条約に基づいて運営されていました。階級に応じて日本政府から給料も支払われ、
手紙のやり取りや新聞購読、運動・音楽活動にもある程度の自由が認められていました。
5年3カ月におよぶ収容期間の間、音楽会や芝居、スポーツを楽しんだり遠足や花見、
川遊びなどにも出かけていた当時の写真が数多く残されています。
日本で初めて一般市民が聞いたベートーヴェン「第九」
収容所には2つの楽団があり、大正8年、久留米高等女学校(現 明善高校)で演奏された
ベートーヴェンの「交響曲第九番(歓喜の歌)」は日本で初めて一般市民が聞いた「第九」と
言われています。このように文化面での交流もありました。
解放後も日本への残留を希望する俘虜21名中12名が企業と雇用契約を結びました。
このように、ドイツ兵は、後にゴム産業で大きく発展する久留米市に重要な貢献をもたらしました。 >>21
>>22
そうそうw毎年の事だがこのコピペ好きだわww
明日の第九実況スレ楽しみだww 第九はいいよね、日本レコード大賞何それ?だもんね今は
紅白もなんだかなー
除夜の鐘が砦
>>37
なるほど、お祭り騒ぎとして昇華した感じか〜 合唱の位置がおかしいな
モノラル時代にステレオ効果でも狙ったんか?
NHKって何で毎年、大みそかに第九の放送してるんだろうね。
作家の許諾が無くてこんな事やっていいのかな?
もう死んでるから良いって?
まあ最近の商業公演でも独唱者は第二楽章終わってから入場、なんてふざけたのが多いし、
第四楽章の2回目のでーんでろでろからやってバリトンが立てば満足なんだろ、なんてレベルのが正直多いわな。
>>5
お前はアホか?
当時日本へ併合の朝鮮人はいても
韓国人なんて存在しないぞ >>46
元祖としてのこだわりだろ
そもそもN響が端を発したんだし よく見たらほとんどガイドだね
やはり弦楽器奏者は休みの小節数を数えられない
当時、地方大学にもアマチュア楽団ってあったんだな
時期的に日本にプロ楽団が創設される前だろう
>>12
まあ、1〜3楽章があって、「こんな音楽じゃねええええ!!!」って全否定するとこから4楽章が入るからなぁ。 ☆ 改憲しましょう。総務省の、『憲法改正國民投票法』、でググって
みてください。国会の発ギはすでに可能です。平和は勝ち取るものです。
拡散も含め、ぜひよろしくお願い致します。🎵ーー
>古い楽譜786点
ツタヤ図書館だったら、こういうのは真っ先に捨てられそうだな。
>>35
へぇ、そういう時代のことがわかるの。
行ってよかったね。 ソプラノ歌唱だと
他にそのバージョンあるなら聴いてみたい
第九大っ嫌いだわ
オペラの高音がホントヤダ
昔はCMでも結構あってスゲえストレスだったわ。