これが欧州人なんだよ
自分らの過ちは絶対に認めない
■オランダの植民地経営■
オランダとの独立戦争は昭和24年12月までの4年半も続いた。(イギリス軍は昭和21年に撤退していた)
オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、インドネシア側は80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる。
インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事会や米国議会も撤兵勧告を行った。全世界の世論に押されて
オランダは再植民地化を諦めたのである。
オランダはインドネシアの独立を許すにあたり、その代償としてインドネシアはオランダに対して60億ドルを支払うこと、
オランダ人所有の土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用を弁済することなどを要求し、呑ませた。
★これがオランダの350年間にわたる植民地支配の決算の仕方であった。
■日本とオランダ
日本は米英に対して宣戦布告をしたが、オランダに関しては、逆にオランダから日本に宣戦布告してきた。アジア解放を旗印に
蘭印への進軍が予測される日本軍の機先を制しようと、先に日本に宣戦布告してきたのだった。
オランダにとって世界の海を駆け回った植民地時代が「栄光の時代」であり、その象徴が本国の40倍という広大な植民地
「蘭領東インド」であった。
財政的にも国家の基盤を支えた輝かしい領土が、突然日本軍に占領され、しかも現地のオランダ人は“醜い劣等人種”
から支配される側に回ってしまったのだ。
その屈辱感たるや半端なものではなかった。
日本降伏後、オランダはインドネシア独立軍と戦いながら、連合国の一員として日本人のBC級戦犯を裁いた。
蘭領東インドの軍政に当たった日本軍軍人・軍属、236人に死刑判決を下し、226人を処刑した(10人は減刑)。
★これは連合国の戦犯裁判のなかで最高の数である。
さらに日本はサンフランシスコ講和条約とその後の日蘭議定書で、軍人捕虜補償・オランダ国民への見舞金として約48億円
を支払っている。現在の価値に直すと2400億円以上であり、復興途中の日本にとって大変な負担であった。
それなのに、いまでもオランダからは補償と謝罪の要求が続いている。そして、それに従おうとする日本人がいる。
戦犯処刑による「血の償い」と賠償金の支払いで、日蘭間の戦後処理は完全に終わっているのだ。先人の生命や苦労を
何だと思っているのだろう。
オランダは、敗戦国日本に対しては謝罪を要求しながら、350年もの間、過酷な植民地支配を続けたインドネシアに
対しては一言の謝罪もせず、金銭的賠償にも一切応じていない。
★平成7年、インドネシアを訪問したオランダ女王は、謝罪はおろか「植民地支配は互恵的であった」とのスピーチをかまし、
インドネシア国民を仰天させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog036.html