アルバニア人が多く住むマケドニアの首都スコピエの旧市街=2018年9月27日、三木幸治撮影
マケドニアでのアルバニア人差別について語るアルバニア人政党「アルバニア人のための同盟」のゼヤディン・サラ党首=スコピエで2018年9月22日午後5時48分、三木幸治撮影
旧ユーゴスラビア
「北マケドニア」への国名変更の是非を問う東欧マケドニアの国民投票が9月30日に実施された。賛成票は91.5%に達したものの、投票率は36.9%にとどまり、憲法上の成立要件(50%)を大幅に下回って不成立となった。
マケドニアは1991年に旧ユーゴスラビア連邦から独立して以降、国名を巡って27年間にわたって隣国のギリシャと対立してきた。そして両政府は今年6月、初めてマケドニアの国名を変更することで合意に達した。国名変更が実現すれば、ギリシャによって阻止されてきた北大西洋条約機構(NATO)と、欧州連合(EU)へのマケドニア加盟の道が開けるはずだった。
国名変更には議会の3分の2の支持を得た憲法改正が必要だ。国民投票は「参考」扱いだが、議会審議に大きな影響を与える。投票結果は、与党と、マケドニアのNATO、EU加盟を支援してきた欧米諸国に冷や水を浴びせ、国名変更に反対して「投票ボイコット」を呼びかけてきた野党に勢いをつけた。野党を「支援」し、マケドニアのNATO加盟を阻もうとしたロシアはほくそ笑んでいる。
一方、他にも国民投票の結果に大きく落胆した人々がいる。マケドニアで最大の少数民族、アルバニア系住民だ。「これでマケドニアがNATO、EUに入るのは難しくなった。特にEU加盟を強く望んでいたアルバニア系住民がマケドニアに失望し、今後、どのような行動に出ても不思議ではない」。アルバニア系ジャーナリストのナセル・セルマニ氏は深いため息をついた。アルバニア系住民はどのような思いで国民投票に臨んだのか。今回の記事では、ほとんど報道されていないアルバニア系住民に焦点を当てたいと思う。
■「EU加盟」への思い
マケドニアの人口約210万人のうち、約64%がマケドニア正教徒主体のマケドニア人、約25%がイスラム教徒主体のアルバニア系住民だ。
アルバニア人は、1912〜13年のバルカン戦争を経て独立したアルバニアと旧ユーゴのコソボ、マケドニア北西部に主に居住した。そして冷戦終結時のユーゴ解体の流れの中で、コソボとマケドニアのアルバニア系住民は別々の道を歩むことになった。コソボのアルバニア系住民はコソボ紛争(98〜99年)でセルビアと戦い、その後、独立を宣言したが、マケドニアのアルバニア系住民は91年にマケドニアが独立した際、自民族の独立を目指さず、国内で生きる道を選んだ。
だがマケドニア政府はアルバニア系住民を「2級市民」として扱い、アルバニア語を公用語として認めなかった。そのため、不満を持ったアルバニア系住民の一部が2001年2月に武装蜂起し、「マケドニア紛争」が勃発する。マケドニア人、アルバニア系住民双方が少なくとも数十人の死者を出し、半年後にNATOの仲介で和平協定を結んだ。協定は少数民族の権利向上に言及し、アルバニア系住民が2割を超える自治体に対し、アルバニア語を公用語として認める内容だった。
それ以降、マケドニアのアルバニア系住民の状況は改善されたかに見える。だが、アルバニア系住民は「差別の構造は変わらない」と口々に言う。アルバニア系政党「アルバニア人のための同盟」のゼヤディン・サラ党首は「今でも、我々は国家内の『植民地』に住んでいる。マケドニア人が過半数を占める地域に比べ、アルバニア人が過半数を占める地域への国の投資は少額だ。アルバニアの文化について言えば投資はゼロに近い」と顔をしかめる。
アルバニア語は半数以上の自治体でいまだに公用語として認められていない。全国の公的機関でアルバニア語の使用を認める法律は今年3月に国会を通過したが、大統領が署名を拒否し、いまだに施行されないままだ。
これらの「差別」によって、アルバニア系住民の不満はたまる一方だ。現状打開のため、アルバニア系住民が強く願っているのが、マケドニアのEU加盟だ。
(続きはソース)
毎日新聞 2018年10月13日
https://mainichi.jp/articles/20181012/mog/00m/030/004000c