畿内や九州の遺跡の出土状況、邪馬台国の所在地について意見を交わす(左から)高島さん、橋本さん、白木さん=吉野ヶ里町の吉野ケ里歴史公園
邪馬台国について考えるフォーラムが7日、吉野ヶ里町の吉野ケ里歴史公園で開かれた。近年の考古学研究成果を基に有力候補地について意見を交わした。
福岡県久留米市文化財保護課長補佐の白木守さん、奈良県桜井市教委文化財課長の橋本輝彦さん、佐賀女子短大名誉教授の高島忠平さんが講演した。九州説では墳墓や山城、集落などを、近畿説では弥生土器の編年と古墳の規模・形状などを根拠とすることを説明。決め手となる文字史料が見つかっていない点も言及した。
中国の歴史書、魏志倭人伝に記された邪馬台国の集落について「環濠(かんごう)集落を思わせるが(卑弥呼の時代に)九州では増えるが、近畿では無くなる」と高島さん。白木さんが「卑弥呼の居住地であれば環濠はあってしかるべき」とする一方で、橋本さんは「同一様式の土器が大量に使われ、一つの水系に位置する点で奈良盆地が有力地」と答えた。
フォーラムは同公園管理センターと県立博物館が、開催中の特別企画展「よみがえる邪馬台国 倭人伝の道6」(11月11日まで)に合わせて開き、約130人が聴講した。
佐賀新聞 2018/10/10 09:26
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/286932
★1:2018/10/10(水) 17:12:04.17
http://2chb.net/r/newsplus/1539369653/ こんなもん予想して水掛け論するよりも
卑弥呼の墓探したほうがはやそうじゃねwww
>意見を交わす(左から)高島さん、橋本さん、白木さん
殺し合え
北九州は暴れ川と氾濫の土地。
治水ができるまで大規模な稲作ができなかった。
ずっと後まで小さな豪族が点々としてた土地で、当然古代も辺境。
723 :名無しさん@1周年:2016/03/04(金) 23:53:28.96 ID:esdpABAq0
20世紀後半をピークに、極東において、世界最大の都市として繁栄を極めたとされる都市「東京」。
その位置は、長く謎に包まれていた。
しかし、3018年、台湾島の台中遺跡の民家の跡から、東京を歌ったとされる詩の一部が見つかった。
作者は長渕剛。出身は九州島南端部と分かっている。
そして、「花の都大東京」は「北へ北へ」向かう先にあると記されている。
この意義は、大変に重要なことではなかろうか。
当時の九州島において、最大の都市は北端部の福岡であることが分かっている。
しかし福岡が東京と呼ばれたという事実はない。そして、「北へ北へ」とは、
当時の日本語における強調表現であり、福岡よりもずっと北にある、ということを示す。
「論理の示すところへ行こう、それがどこであっても」という、
われらの知性を貫く大原則に我々は従おう。(誰のことばか、わかる人はわかるよねww)
734 :名無しさん@1周年:2016/03/05(土) 00:01:03.67 ID:9FdJ9dZ40
さて、「東京」というのは、中国文明の影響を受けた名称であることは明らかである。
そして、同時代、中国大陸には、「北京」という都市と「南京」という都市があったことがわかっている。
ならば、「西京」と「東京」があっても不思議ではないだろう。この問題を、もう一つのカギとしたい。
同時代の中華人民共和国発行の地図を見ると、古代都市長安が、この時代「西安」と呼ばれていたことがわかる。
この都市は、その前代には「京兆」と呼ばれていたことが、モンゴル王朝の資料から推測される。
ということは、この都市は「西京」と呼ばれていただろう、ということが、論理的に導かれる。
ここで、地図を開いてみよう。北京と南京を結ぶ線の中点と、西安つまり西京を結ぶ線分を考える。
この線分を東側に伸ばした点、これが「東京」の真の位置として、幾何学的に導かれる。
この位置に、どんな遺跡がみつかるだろうか?
そう、黄海の対岸、ぴったりの位置に、巨大都市の遺跡がみつかるではないか。
今年出たばかりの本で中沢新一が、ヤマト王権は最初北部九州にあったが三世紀前半に奈良に移ったと書いていた
彼がそこまで言うなら学術的にもそれなりに根拠があるんだろうけど
もう答えは魏志倭人伝の中に暗号によって隠されているで良いじゃん
後は「ムー」に任せよう
>>1
魏志倭人伝は 支那の悪意ある 当て字 だからな
邪馬台国 = 大和大国
卑弥呼 = 日巫女
アマテラスの別名は(オオヒルメノムチ)
「日の女神」という意味がある。
卑弥呼(日巫女)も太陽に使える巫女。
卑弥呼と同時期の天皇が、10代目の崇神天皇。
邪馬台国と覇権を争っていた
狗奴(くな)国の男王が崇神天皇。
魏志倭人伝に邪馬台国との対立が描写される
「狗奴国」(熊本説などが有力)
初代「神武天皇」と第10代「崇神天皇」は、共に「ハツクニシラス天皇」。
第2代〜第9代までの天皇に関する記述は極端に少なく、「欠史8代」と呼ばれている。
古代史の定説では、初代〜第9代までの天皇はみな、架空だとされている。
つまり
実際には、初代(神武天皇 = 崇神天皇)という説が有力
神武東征
古事記では
日本統治のために本拠を東(大和)へ移そうという提案をし
宇佐(大分)、岡田宮(福岡)、安芸(7年)、
吉備などを経て高嶋宮(岡山)に入り、
8年もの準備期間の後に大和(奈良県)に入る。
しかし
大阪から大和に入ろうとするが阻まれ、
熊野に廻って大和入りを目指すが、
ここでも苦戦がつづき、兄弟を失い自らも重症を負う。
ようやく高天原からの支援(神剣を贈られる)により
大和入りを果たし、橿原宮で即位する。(古墳:橿原神宮)
つまり
大和には「狗奴国」を退ける巨大な勢力があった事になる 邪馬台国の記述は明らかに南洋民族をイメージした創作
>>17
アマテラスの別名は(オオヒルメノムチ)
「日の女神」という意味がある。
卑弥呼(日巫女)も太陽に使える巫女。
西暦248年9月5日に福岡や奈良周辺で、
早朝(午前5時~6時にかけ)大きな日食があったと記されている。
卑弥呼の没年は248年とされ、
その死の直前に、狗奴国王との争いがあったことが魏史に記されている
まず 伊勢← ここが重要。アマテラスは伊勢
つまり
纒向遺跡のある桜井からみて、日が昇る最果ての地が・伊勢
日が沈む最果ての地が、出雲
そして
卑弥呼 = 日巫女
であると考えれば
纒向遺跡のある桜井に存在する
日本最古にして、伊勢より格が高い
【大神神社】が存在する事は、諸説を圧倒するほどの見過せない根拠なんだよ 答え出てんじゃん。
環濠があるということは、防御陣地を兼ねてるということだろ。敵勢力が攻め込んでくる恐れがあるということだ。
それか増えるというのは勢力圏の端っこ、広範囲で減るということは一つの政治勢力の安定した中心域だということだで。
>>12
たまに見るが、中国も宋の時代に開封市が東京つって言われてたりした
(洛陽より東にあるかららしい) また次スレが立つとはww
盛り上がって楽しいが流石に前スレで終わりかと思ってた
>>1 乙! 俺の仮説
カササギは外来種として北九州に留鳥として居る
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある
倭国大乱期 100有余の国があり
邪馬台国(大和大国)は、
30国ほどの連合国の中心国 ← ココ重要
>>15
中沢って宗教学者じゃなかったか?
どんな論拠で本出してんだろな トンデモ本か? 魏志倭人伝は1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、今の共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島は邪馬台国であり、中華人民共和国の領土であるよと謎で、強引で、筋が通らない主張。
日本の古事記にも邪馬台国の字も存在も無しで、共産党がぬ
仮説、魏志倭人伝がにせ書ではなく、本物であった
九州から近畿への遷都
邪馬台国は九州、東征の途中で出雲やその他を平定、移動先の奈良で卑弥呼は死亡、血縁関係で大和(邪馬台国)にした。
金印が九州で見つかって
阿蘇山があったとかかれていて
どこにも奈良に有ったとの記載もないのに、どうして奈良に有ったというのか、意味がわからない
邪馬台国と、天照大神は関係あるのかどうか
そこをハッキリさせようや
>>35
関係があるなんて記載はどこにも無いのに、何言ってるの? >>36
親魏倭王の称号与えてるんやからそりゃいたでしょ >>35
全くないな
記紀すら卑弥呼をほとんど無視してるし ・・どうも場所がわからない。
九州の北部から、奈良京都大阪あたりまでを、漠然と指す言葉なんだろうさ。
飛行機とか陸路ではなく、海路を考えたらどうだろう。
瀬戸内海って、すごく楽チンな通路ではないのか。
魏志倭人伝は1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、今の共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島は邪馬台国であり、中華人民共和国の領土であるよと謎で、強引で、筋が通らない主張。
日本の古事記にも邪馬台国の字も存在も無しで、共産党が捏造した。
仮説、魏志倭人伝がにせ書ではなく、本物であった場合。
邪馬台国は存在せず、やまとうこくは存在し、徳島県が有力つ
>>39
政略結婚とか考えると
なんら、不思議でもない。 ファンタジーと学問は別だろ
歴史書が嘘だと言うなら物証をだせ
今夜の卑弥呼=綾瀬はるかのイメージで古代にロマンを…
奴国の福岡平野の南に位置し、それなりの距離がありそれなり広さをもつ領域なんてそう多く無い
久留米を中心とする筑紫平野に投馬国、その南の熊本平野に邪馬台国があった
水行で行けるし放射読みも必要ない
なんも難しくない
>>41
中国で王って日本で言う王様とは違うからな
王ってのは皇帝の下の位
魏国が卑弥呼を倭王に命じたって事 >>31
おまえの文章力はgoogle翻訳に劣る。 神崎の姉川の豪族の環濠集落の遺跡は歴史好きなら
面白いと思うよ 近隣なら見てみて 何にも店とかはないけどな
平安時代から邪馬台国はドコだったか?と議論され続けてはや千年か
シナ人の役人がテキトーに報告したに決まってんだろw
時の朝廷によって都合良く書き換えられるシナの歴史書なんぞ語る価値もねえよ
>>42
そこだよね
卑弥呼は後ろ盾を求めて魏国に使者を送り
魏国は属国にする為に卑弥呼を倭王に命じた
ってのが腑に落ちる 日本にあるペトログラフと
九州の古墳に書かれている古代文字を解読した方が早いだろ
天照と関係の深い宗像大社の宝物展に行ったが、ここの禁足地だった沖の島から出た遺物は
ほぼ四世紀以降のものでヤマト政権関連のものだった
三世紀以前の邪馬台国に関係がある遺物が出てないから
四世紀になってヤマト政権が北九州を勢力圏に収めた傍証になるかも知れない
当時の中国は、九州を和「日本」とみなしてて
本州のこは別と考えていたんじゃね?
佐賀の平野は農業しやすい土地柄で湿気を耐え得る体制あるなら自給自足可能だったから
他所に対して伸長しようという志向は薄いと思うんだよな 住人が喰うに困る地域は大言壮語吐きがちだから
近畿じゃねえのかなあ 邪馬台国は
まだ中国の表記がそのまま日本名だと思ってるのか馬鹿学者共
魏志倭人伝は1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、今の共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島は邪馬台国であり、中華人民共和国の領土であるよと謎で、強引で、筋が通らない主張。
日本の古事記にも邪馬台国の字も存在も無しで、共産党が歴史を捏造した。
仮説、魏志倭人伝がにせ書ではなく、本物であった場合。
邪馬台国は存在せず、やまとうこくは存在し、四国、徳島県が有力。
近畿説、九州説は無し。
もう面倒臭いから九州と近畿のどちらが邪馬台国だったのか1年に一回所さんに回転ルーレットにダーツを投げてもらって決めてもらえよw
>>61
国内で対立抗争があり、魏の力頼るて事もある。 卑弥呼が亡くなったのは、
魏志倭人伝によると248年
箸墓が築造されたのが259年
奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光X線で分析
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181013-00000526-san-cul
2018/10/13(土) 8:25配信
奈良県天理市の黒塚古墳(3世紀後半)から出土した
33面の三角縁神獣鏡
鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、
古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。
三角縁神獣鏡は、
古代中国の魏が邪馬台国の女王
卑弥呼(ひみこ)に贈った「銅鏡百枚」とする説がある。
中国製か国産かをめぐって長く議論が続いていたが
今回の調査結果により、
黒塚古墳の三角縁神獣鏡が中国で製作された可能性が高まった。 >>27
字と表している中身が入れ替わるなんてことはよくあるでよ、三国時代や魏晋南北朝時代の支那でいう「鵲」が、今でいうカササギと同じものなのか?
並べて書いている牛・馬・虎・豹・羊はどれもそれなりの大きさがあって、目立ち、良くも悪くも人の生活に深く関わってくる生き物だけれど、カササギは
それと並記していうほどの存在か?
鳩よりも少し小さいくらいの鳥で、特に色が派手とか、鳴き声が珍しいとか、食べて美味いとかいうほどのものでもない、並の鳥だぞ。
カササギと解釈するがおかしいと疑ってかかるべきものではないんかい? >>61
倭人伝でハッキリしてるのは、それだけと言っていいくらい
この重要な取引が成立したのは伊都国で行われたということ
後は事実関係が全く確証を得てない
一つ言えることは伊都国周辺じゃなきゃ、この取引は全く双方にとって無意味になる >>29
だが、倭国大乱後の邪馬台国は、滅びる直前の姿だよ。
大乱で負けて、たぶん王は殺され、女を王にすること
(=覇権を求めないこと)を強要された。それに従った。
名目だけの倭国盟主だ。実権は、奈良に奪われた。
おそらく、この大乱で出雲は滅ぼされた。
四世紀に入り、華北混乱で朝貢秩序が崩壊すると、
邪馬台国は滅んだ。 九州王朝説・多元王朝説
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。
なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。
>>43
楽ちんだよ。定期的な干満差を利用して、潮の流れに乗って進み、汐待ちをして休み、でどっちの方向にも動力使わずに往来できる >>77
その頃は新井白石も交えてほとんど九州で終わってた
それが明治以降東大VS京大がバトルし始めただけのこと どうみても記述では
卑弥呼:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
台与:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
コレですべて辻褄があう
※ 伝承によって記述が逆になった
卑弥呼:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
台与:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
だったのが伝承で変な伝わりかたして
記述の内容になった可能性が高い
>>65
7世紀の前半くらいまで、国造や県主というような地元発祥の在郷勢力に治めさせていての間接統治だからね。 そもそも当時のシナ人の役人が日本の首都らしきものを求めて
さらに険しい山々を越えて奥地まで必死こいて冒険続けるわけないだろ
仮に日本に上陸したとしても、せいぜい対馬海峡のドコかの島で
何となくの通訳を通して、村長に挨拶しておしまいだって
船の修復やら水食料を恵んでもらったら、とっとと帰ったろ
正直、九州か本州に上陸したのかさえ怪しいレベル
×伊都志摩(糸島)
○伊勢志摩
邪馬台国のヤマトは
倭姫のヤマト
ヒミコ:トヨスキイリヒメ
トヨ:ヤマトヒメ
コレでばっちり
建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」
時代までばっちり
すべて符号
>>80
考えてみろよ、九州のような辺ぴなところに王朝たてて、
どうやって海や山を隔てた本州を支配できたんだよ?
逆もまた真なりで、おれは多元王朝説 もありと思うがな。 豊鍬入姫命は、国が不安定になってアマテラス、オオモノヌシの2神を祀ってる
倭姫命は、アマテラスから神託をうけて伊勢初代斎王になってる
古事記にもちゃんとのってる
みこは
神の子の意味
日の本のみこ
尊、命、巫女、皇子、皇女、御子
はみな、神の子のみこ
日の本のみこは大和朝廷の皇族
みこはマツリゴトをしてる
>>77
中華人民共和国の捏造。
左翼教育、日教組が共産党の指示で江戸からと学校で教えた。 >>73
でも、肝心の中国では三角縁神獣鏡は
「一枚も」出土してないけどなw 邪馬台国は九州から畿内へ移った
もうこれで確定やろ
すでに大和朝廷が
九州北部を版図に治めてたのは明らか
大和朝廷が九州北部を版図に治めてないと
朝鮮出兵の説明がつかない
半島では、前方後円墳、日本様式の弥生式土器みつかってる
明らかに任那政府はすでにあったからな
カルト系工作員のマニュアル回答になってきたな畿内説
大和朝廷が九州北部を版図に治めてからも
大和朝廷と九州北部の一部の豪族と争いもおきてる
九州北部の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かった
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
北九州の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる
もうコタエはでてるワケ
九州から畿内の移ったのなら
遺跡等の文化が
まったく違う。関連性のない文化系統には、ならんと思われ
当時、日本が統一国家とも思えないわ
集落ごとに暮らしてたよ
そこそこ近ければまとまってた可能性はあるけど
遠く離れてら上も下もなく、交流さえ殆どなかったろ
九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから
隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい
隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった
当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる
それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな
↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
すべて北部九州はすでに大和朝廷の従属国だった
コレで十分に説明がつくからな
美濃でセックスしまくってた次の代の景行天皇は
熊襲が貢物よこさない土人だから熊襲討伐にいってる
こっからも北部九州はほぼすでに大和朝廷が征服してたとみるのが妥当
>>63
そんなこと言ってるのは大分県民だけだろw >>87
> 九州のような辺ぴなところ
アホか
世界地図で九州を中心にして見てみろ
中国南部にも朝鮮にも台湾にもほぼ等距離
まさにアジアの中心の海洋国家が首都を定めるとしたらここより他にあるまいが
二千年前の国家を語るのに、お前は現代の日本の形に囚われすぎてんだよ 日向と名付けたのは熊襲討伐した景行天皇
ヒミコよりあと
熊襲討伐するまえに景行天皇は美濃でセックス三昧だった
つまり宮崎は一切関係ない
どこにあったかも分からないのにあった事になってるのがすごい(´・ω・`)
普通逆だろ(´・ω・`)
奈良にあったとしたら
もっとちゃんと証拠が残っているはずだよ
謎の存在になってるはずが無いね
>>76
それは判らん。
トヨも卑弥呼の宗女、一族の女子というからね。
一族の男子もいると思う。
一族としての血のつながりの可能性はあるのよ。
ただし継体と同じで傍流と正統でかなり執着してるはず。 九州北部はすでに大和朝廷が支配してないと
美濃から熊襲征伐になんかいけるワケがない
22 弥生時代 応神天皇(15)
21 弥生時代 仲哀天皇(14)
20 弥生時代 日本武尊
19 弥生時代 景行天皇(12) ← ヒミコの時代
18 弥生時代 垂仁天皇(11) ← ヒミコの時代
17 弥生時代 崇神天皇(10)
16 弥生時代 開化天皇(9)
15 弥生時代 孝元天皇(8)
14 弥生時代 孝霊天皇(7)
13 弥生時代 孝安天皇(6)
12 縄文〜弥生時代 孝昭天皇(5)
11 縄文時代 懿徳天皇(4)
10 縄文時代 安寧天皇(3)
09 縄文時代 綏靖天皇(2)
08 縄文時代 神武天皇(1)
07 彦波瀲武盧茲草葺不合
06 彦火火出見
05 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵
04 天忍穂耳
03 天照の勾玉
02 天照
01 伊弉諾
>>73
>箸墓が築造されたのが259年
もともと4世紀半ばと言われていたのが
アクロバティックなゴッドハンドで
259年って言い出しただけだけどなw >>101
アホか
神武天皇東征がちゃんと古事記日本書紀に残ってるだろうが
九州に発した天皇家が、東征して近畿を支配下に置いた、これが歴史の事実
それともなにか?記紀はデタラメだとでも? こおろこおろの淡路島に
古代最大規模の鉄器工場がある
九州にいたような土人なんか
簡単に征服できる
どう考えても
シナ人の役人はあのチッコイ金印が発見された島でUターンして帰ったろ
日向と名付けたのは熊襲討伐した景行天皇
ヒミコよりあと
熊襲討伐するまえに景行天皇は美濃でセックス三昧だった
つまり宮崎は一切関係ない
コレが事実
神武東征とかお花畑もいいところ
魏志倭人伝には
> 南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。官を弥弥(耳)という。副(官)を弥弥那利(耳成・耳垂か)という。五万余戸ばかりである。
とある
古事記の景行天皇による熊襲討伐で記述されてるとおり
耳垂は御木にいる
つまり投馬国は御木
いまの福岡県三池郡あたりに相当する
この部分だけはほぼ間違いないわ
>>115
この先は、どこそこの誰が来訪したが疫病で死んだとか、
適当なこと言って脅して、体よくUターンさせたんだろうなw 倭(ヤマト)姫は斎 王 さま
つまりマツリゴトをするミコ
マツリゴトをするミコを
ヤマト国の女王と使節が勘違いしたに違いない
>>116
皇祖をお花畑と嘲るか
日本の国体に弓引くか
語るに落ちたなこのチョンが 伊勢斎王さまは
朝廷につぐマツリゴトの権威だったワケ
低学歴はな
そういった時代背景がわかってないからダメなワケ
イニシエの政はマツリゴト
記紀によると、筑紫が手狭になったので東征したことになってるが、これって弥生後期に発生した大飢饉と何か関係があるのかもしれないな
半島にも飢えた倭人が大量に逃げてきた記録があるし
>>96
なんで遠い方(西)の百済なん?
九州の反乱の鎮圧の出がけの駄賃で神功皇后の攻めたのは新羅だし。 >>119
シナの役人も
「じゃあ、これを一番偉い人に渡しておいて」
と金印置いて帰ったんだろうな 邪馬台は大和朝廷だろ
たまたま似てるとかそんな偶然ありえねーしw
だいたいカタカナ半角とかさ
もうヤケクソ工作員しか残ってないよw畿内はさw
>>121
別に天皇家に弓引くとかじゃなく
歴史的な真実は真実
皇紀2600年とかは、明らかにおかしいって >>112
記紀の神武東征は素直に読めば漂白の船旅の末、奈良の田舎の村長さんにおさまる話 台与:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
台(ト)与(ヨ)
だからな
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)で間違いない
>>110
卑弥呼って、神功皇后ではないんかい? 弟として神託を取り次いだのが武内宿禰だろ 新羅のチョンコもスサノオを信仰してる
それが八幡さま
>>128
えっと、、金印は「奴国」の国王であって
邪馬台国の金印ではないんだが、、 ヤマトへの道のりも、海を越え、数々の国を越え、水を行き、陸を行き、大変な旅程だ
九州な訳ないw
>>103
台湾がどうした?w
九州がアジアの中心の海洋国家の首都?www
世界の中心は朝鮮じゃなかったのか? 仲哀天皇のころから大和朝廷由来の文化が根付き始めた
仲哀天皇は熊襲をしばいてる途中で熊襲に殺される
日本人は魏の歴史書ごときに深読みしすぎなんだって
あんなもん王朝ごとに都合が良いようにテキトーに記されてるの知らないの?
弥生時代鉄鏃出土数
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
画文帯神獣鏡出土数
福岡4 佐賀0 長崎0 熊本7 大分0 宮崎10 鹿児島0
山口1 島根0 鳥取4 広島3 岡山6
愛媛2 香川8 徳島3
兵庫11 大阪16 京都15 奈良24 和歌山1 滋賀0
福井2 石川1 長野2
三重6 岐阜2 愛知3 静岡3 山梨4
千葉4 埼玉1 栃木2 群馬3
三角縁神獣鏡出土数
福岡50 佐賀5 長崎0 熊本4 大分10 宮崎3 鹿児島0
山口10 島根5 鳥取6 広島5 岡山23
兵庫43 大阪40 京都66 奈良99 和歌山2 滋賀13
福井1 石川2 長野2
三重15 岐阜17 愛知17 静岡10 山梨3
神奈川2千葉2 茨城1 群馬12 福島1
熊襲って
大和朝廷に恭順してるのを示すために
イヌみたいにおなか出して
おちんちんびろーんしながら
隼人舞踊るんでしょ
ちがうの?
宮崎は応神天皇の妃である髪長媛が諸県君牛諸井の娘として出てくるのが初めてじゃないか
景行天皇の時どこに上陸したか出てきたかな?
神武は武内宿禰じゃないの?
蘇我氏の始祖にして初代大臣らしいけど
大君と大臣はさ
結構、世界史的にも前後すんだよな
応神朝で立場が逆転したんだろうなぁ
卑弥呼より前の時代に
任那へ倭人が侵攻してないとかいってるのは
はっきりいってこのスレにいる知恵遅れしかいない
朝鮮出兵するなら、確実に九州北部を版図に治めてないと
説明がつかない
ちなみに半島では
日本の様式の弥生式土器の出土、日本独自の前方後円墳が次々発見されてる
そしてチョンコどもが発狂してる
大和朝廷が支配してた名残といっていい
コレを否定できるヤツはいないワケ
>>97
出土品から共通点も多い。変化していたんじゃないの? >>134
神功皇后の時世に百済が七支刀をあげてる記事があって、現存してる七支刀の銘文によると369年頃のことらしいのね(諸説あり)
そうすると卑弥呼の時代とは合わなくなってくる >>143
前も見たけど違うね
襲が曽になって同化されたと思うけど >>120
大臣主催の雨乞が失敗したのを見て、七日後、女帝自ら雨乞を始めたらほどなく土砂降り。
という圧倒的巫女パワーで大臣(蘇我蝦夷)を失脚させた女王兼巫女(皇極天皇)も居たでよ。 >>141
聖書だって誰がいつ頃書いたのか不明な部分が少なくないわな、
っつ〜か、ほとんどわかっていない。
そんなのに振り回される現代人ってw >>145
畿内銅鐸土人を征伐して鏡に変えたと聞いたけど
今でも神社に鏡は付き物だね 隼人は隼人の乱がおさまるまで
そもそも公民ですらない
つまり夷人雑類
陛下は百済とはユカリを感じるといったが
新羅とユカリを感じるとはいってない
白村江の戦いのとおり
東北だとたとえばな
田舎もんが住む区域と土人が住む区域の境界がコレ
柵より向こうは
ずっと日本じゃなかった
野蛮人が住むエミシ土人地域
コイツラは公民になるまでヤマトの民じゃなかったワケ
先にかいた隼人土人と同じ >>127
邪馬台(九州)は半島南部一帯の倭人地域の権益をもっていた。
これに対して、出雲が新興勢力の新羅と関係があったようだ。
残るは、百済しかない。これで奈良が百済に接近。
その結果、徐々に邪馬台(九州)は力を削がれていくことに。
大和朝廷と百済との特別な関係は、このころまで遡る。たぶん。 三角縁神獣鏡って、中国では一枚も
出土してない
中国からもらった銅鏡の訳ないだろw
九州説は主に九州の学者。
畿内説は主に九州以外の全国各地の学者。
これが結局すべてを物語っているよね。
>>161
だが阿多隼人と大隅隼人は大和朝廷に近習として仕えていたよ そもそも最初から正確な位置情報なんて書いてなかった、だと思ってるんだけど
>>158
そういうのもあってヤマトトトイモモソヒメ=卑弥呼ってのが時代的に合うかなって言われてる面もある
おれは個人的には記紀が時系列をちゃんと正しく並べてるとは思ってないけどな 八幡神のもともともの起源はスサノオだからな
で、スサノオは新羅のチョンコもどきも信仰の対象にもなってる
北部九州は新羅のチョンコもどきと関係が深かったことも影響してると考えられる
で、宗像三女神の神功皇后も
ついでのように祀られるように
いつのまにかなった
大きな勢力が生まれるには、地理的な条件がある
奈良は古代奈良湖と河内の水利に恵まれて稲作により
大きな人口を支えたのだろう
九州にそんな条件があったなら、その後衰退していくのが意味不明w
近畿はその後の歴史においても発展を続けた
エジプトがナイルで栄え続けたようにね
衰退なんておかしいw
>>159
スレチだが、聖書には、仏典の話がいっぱい入ってる不思議w 倭姫=ヤマトヒメ ⇒ ヤマトヒメの国 ⇒ ヤマトコク ⇒ 邪馬台国
いい加減スサノオは大陸渡来人の口伝だときづけよy馬鹿
>>30
中沢新一は東京アースダイバーと大阪アースダイバーって本を書いてる。 電通方式の権威煽りは
逆に権威そのものが崩壊するからなw
卑弥呼は皇族しかありえないワケ
特殊な存在なワケ
べつの説話で古事記でも
賎民(蘇我氏)と祈祷競争やって皇族が圧倒的勝利
皇族は祈祷力でもものすごいと書いてある
つまりヒミコの正体は皇族の倭姫命
当時、つい最近公民にいれてやった北九州の土人とは関係ない
>>137
卑弥呼よりさらに200年も昔だけど、その金印を送った後漢時代の
漢書の方が歴史書としての信憑性が遥かに高いとされてるけど
日本の王があんな島に住んでたの?
まぁ、あのあたりの島を統べてたのだろうけど違うよね
卑弥呼も同じだって
どうして邪馬台国=ほぼ日本として、卑弥呼だけ特別扱いするのか意味不明
つまり、魏に属したとする国(邪馬台国)の勢力を盛ってるだけだと思うぞ >>170
隼人が朝廷に使われたのは討伐された後でしょ。
征服された民族から徴用して朝廷で使役することで威光を示すため。 みこは
神の子の意味
日の本のみこ
尊、命、皇子、皇女、巫女
はみな、神の子のみこ
日の本のみこは大和朝廷の皇族
>>174
だからさ。邪馬台国は小さい勢力での中心。近畿となんらかな関係構築していたか? >>167
出土はしてるよ。それに、銅鏡という製品自体が中国由来の物であり、日本が独自に作れるわけない。 『中華人民共和国、日中共産党がゴッドハンドした魏志倭人伝とは』
1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が、
1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、日中共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島が邪馬台国であり、中華人民共和国、共産党の領土であるよと謎で、強引で、筋が通らない主張をしている。
日本の古事記には邪馬台国の字も存在も無しであり、日中共産党が歴史を捏造したのは明らかである。
左翼日教組が、学校で邪馬台国論争は江戸時代からと歴史をゴッドハンドして教えてきた。
今、現在進行形でシナ(China)が沖縄、尖閣諸島、そして南沙諸島で問題を起こしていることからも捏造を証明した。
『仮説』
魏志倭人伝がにせ書ではなく、本物であった場合。
邪馬台国は存在せず、やまとうこくは存在し、四国、徳島県が有力。
近畿説、九州説は共に北九州まで来たことは認めているが、その後の解釈が科学的ではなく、こじつけである。
>>99
そんなおらが村お国自慢史観に言われてもな
現代では遺跡遺物の他に遺伝子など推し測るための材料がたくさんあるのでね >>169
九州の学者で九州説を唱えてる人なんて数人でしょ? 銅鐸ダセー、やっぱこれ止めるわww黒歴史ねw
この時点で畿内勢力はアホじゃねえの?w
TVの邪馬台国討論会で「学者内ではすでに決着がついてるけど、
5%ぐらの変わり者が民間の議論の盛り上がりの為にあえて九州説に付いてるんですよ」って言われて、
九州説派についてた数人の学者が何も反論できずに笑ってたのが忘れられない
>>189
横レスだが、朝廷というとその定義次第になるが、ヤマト王権は5世紀には存在していたし、4世紀に遡ると考えてもおかしくない。
実在のオオキミは崇神が初代として、それを4世紀としてだいたいつじつまは合う。 >>174
奈良が都になったのは海と山に囲まれてた天然の要塞だから。当時は伊勢湾も大垣の辺りまで
海だったので東国へ行くには船で渡るしかなかった。
韓国のソウルや中国の北京を見ても内陸の盆地にあり、奈良が都になるのは適した土地だった。 和歌山(いまの死国)なんか
ヒデヨシが紀伊の雑賀衆とかいう山賊を
根来衆と一緒に征伐するまで
未開の土人地域だったからな
>>183
隼人は決起の前に宇佐神宮に戦勝祈願しているがこれは重要なことだろう
あとね警護役とは言え宮中に入れるかと
蝦夷にはそんな扱いはしなかった 秀吉だって他所もんだろ?
畿内は他所もんが来て支配層になるパターンしかない
それが応神から始まってると中世の人達も気が付いてるから
みんな応神をリスペクトする
普通に記紀を読むとそうなる
>>186
>出土はしてるよ
え?三角縁神獣鏡が?!
ゴッドハーンドww このスレ読んで奈良の古くからある神社に興味が出てグーグルマップとWikipediaで調べたら
石神神社は物部系
大神神社は大国主(出雲系)
橿原神宮は天皇系
のようだね
橿原、天理、桜井と狭い奈良盆地の中にそれぞれの系統の神社があって
神武東征を古代には奈良周辺でいろんな権力闘争があったんだろうなと
素人目でも想像できる
でも、なんでまた沿岸部から離れた山に囲まれた狭い盆地にこれだけの抗争があったんだろう?
不思議だ
前スレまでの流れ見てたら
圧倒的に九州説の勝利
畿内にも国があったが邪馬台国ではない
日本でさえ簡単に複製できるのに、コピー大好きな大陸では見つかってない!
とか、もう魏鏡ストーリーには色々と無理がありすぎるだろ…
もはや、ラノベといい勝負
>>206
古代は沿岸部から離れてないんだよ
河内平野が海だった
奈良は湖だった
大和川を少し下ればすぐに海 もともと東北の蝦夷土人のルーツが
山陰のヤツラだからな
山陰の負け組が
東北へ落ち延びてる
出雲弁と東北弁が似てるのは
そのせい
中国の三角縁獣神鏡は出所不明じゃなかったか
つか骨董市で手に入れたって話だが
邪馬台国の所在地について各教科書の記述
山川出版社『詳説日本史B』2016年
「奈良県の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、
邪馬台国との関係で注目されている」
東京書籍『新選日本史B』2018年
「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘結果や、漢の鏡の出土分布などから、
大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」
清水書院『高等学校日本史B』2017年
「初期の前方後円墳の一つである箸墓古墳の築造時期の見直しや、奈良県の纒向遺跡で
魏志倭人伝にいう「宮室」にあたるとも考えられる遺構が出土するなど、この問題に関する新たな発見が続いている」
蝦夷土人が住んでる場所との境目が
越後だからな
つまり辺境の地が越後
朝廷の公民と認められる田舎もんは越後まで
越後超えたら朝廷の公民と認められない土人の巣なワケ
こういう時だけテレビ屋の演出を信じるんだなw
スタップ細胞の時もこの方式でいけると思って大失態だったけどな
笹井のウシャウシャシャみたいなあれだろ?
唐津に上陸したとすると、そこは末廬国となる
そこから東南に500里のところに伊都国があるという
東南方向に進むとそこは佐賀平野である、博多方面では方向違いなのだ
佐賀平野から次の投馬国は南へ水行20日ということは
有明海を岸伝いに南下していくと鹿児島市辺りが投馬国になる
邪馬台国は、起点の伊都国(佐賀平野)から南へ水行10日、陸行1月であるから
有明海を岸伝いに南下し天草を抜け、熊本県八代市辺りに上陸
ここから陸行1月であるから、
八代市付近から人吉市〜えびの市〜小林市〜綾町〜宮崎平野と
最短ルートを辿ったのだろう
>>183
景行天皇の時に討伐されたのは熊襲
隼人族は武力制圧された記録なし
その後の仁徳天皇の時など近習として仕える
隼人の乱を起こしたのは霧島市のある場所だから元熊襲だね
他の地域でこれほど重用された例があれば興味あるから挙げて下さい 新潟でも沼垂城より先は
土人が住む魔界
概ね阿賀野川が境になる
新潟には渟足柵がある
コレで土人の侵入をふせいでた
渟足柵は
これより先は野蛮な土人が住んでたことを示す遺構になる
>>197
>4世紀に遡ると考えてもおかしくはない
意味不明なんですけどw 田舎もんが住む区域と土人が住む区域の境界が↓コレ
天孫降臨で出雲族は東北へ落ち延びてる >>212
へえ、そうだったんだ
一つ利口になった
ありがとう
奈良は湖だったんだ…なんか想像できん
湖だったところが湿地帯になり
ヤマト王権が発生したんかな 日本の歴史は畿内の歴史
わかった?
畿内以外の田舎もんと日本の歴史は無関係なワケ
景行からヤマトタケルと仲哀まで何回討伐してんだよ
最後は負けて死んでるしさw
南九州の奴らって毛深くて明らかに本土の奴らと祖先のルーツが違うよな
すまん、ズブの素人だけど質問がある
・畿内説だとすると、どこが有力なの?
・九州説だとすると、どこが有力なの?
まずはそこから教えてくれ
>>215
九州にもあるから、模範とした可能性もあるんじゃないの? >>199
そこで根拠にしている三角縁神獣鏡って卑弥呼の鏡ではないだろ
畿内の古墳で33枚出てその扱いがあまりに粗雑で >>197
山川の日本史教科書は3世紀中頃から後半としている
【ヤマト政権について】
「3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。
(一部略)
古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」 杵築にあるとか言ってる人いたけどそもそも杵築ってどこにあんだよw
>>230
金印の発見より酷い話じゃないかw
こういう時だけ現代の中国人を信じるとかw そもそも中国は昔の物はあまり残ってないんだよ。畑から遺物が出てくるということも多い。
>>218
まあ妥当やろな、そういう雰囲気も今も残ってるし。
朝鮮半島の一部がかなり前から日本だったのは驚きだよな。 地域起こしの一環で卑弥呼饅頭とか日本各地で作ってるけど
2018年現在で邪馬台国に立候補してる地域は全国で何ヵ所あるの?
>>222
ごく一般的な推定( の中でもやや保守的、慎重な言い方)を書いただけだが。
倭の五王との世代関係からも、箸墓古墳や纒向と初期王権成立との関係を考えても崇神は3世紀後半から4世紀が普通の仮説。
死んだのは318年というのが多数説ともいうがそこまで正確じゃないだろということで柔らかく書いた。
君は何が意味不明なの?
ただしトンデモ説は勘弁ね。 >>237
信じるも何も、中国人は日本の歴史や銅鏡のことなんてまるで知らないでしょ。しかも、贋作を
作ろうとして簡単に作れるものでもない。
畑とかそこら辺の空き地を掘ったら出てくる可能性は大きいよ。昔の農民は出てきても価値
を知らないから売ったり捨てたのでは? >>244
転売屋が怪しいだろw
だいたい農家のくだりが本当だという確証は、どこにもないだろよ >邪馬台国はどこ?
トゥームレイダーのララ様に聞け
ララ様は邪馬台国の場所を知っている
>>174
経済・貿易の状況と地政学の二つを考える必要がある。
@当初半島南部が広く倭人(元祖日本語話者)地域であり、
その倭人が海を渡って築いたのが、邪馬台国(九州北部)。
半島倭人との貿易(特に鉄!)を独占し、列島の覇権を握る。
この地域は、大陸との朝貢においても地政学的優位がある。
A北方系言語日本語と関係しそうな遺伝子(Haplogroup C2)は
九州と周辺にしか見られない。とすると、日本語は、「国際語」
として、列島に広がっていったようだ。
これにより、列島が一つの新たた「倭人」経済圏となっていく。
自ずとその地理的中心(近畿辺り)が力を付けてくる。
Bそのうち、半島の異民族系の新羅・百済が勢力を増してきて、
これに、列島内勢力、出雲・奈良が接近し、独自の交易を開始。
特に、百済が伸張して鉄の産地を押さえると、百済と交易する奈良
に列島内の経済・軍事力のバランスが傾いたのではないか。
これで、最終的に、奈良が勝利した。 >>218
対馬海流は北上してるから
魏の人からすれば下る=北上する
つまり北と南が逆に読んでいた可能性がある >>212
大和川は当時は大阪城の東側を流れていた。鴻池新田のある場所は昔は湖で湿地帯だった。
江戸時代に鴻池によって開拓された。 >>239
その資料に3000枚も鏡持ってるコレクターが何人も居るって書いてるけど
日中レベルのチーム作らないと科学的検証はさせないとか
腹抱える手前なんだがw 卑弥呼についての文献は中国にある
日本には無いと聞いた
by NHK
>>227
それなりの知識があって疑うのはいい
だが教科書レベルの知識もないド素人が教科書の記述を気に入らないから
という理由だけで間違ってると決めつけるのは問題外 「やまと」の口語が「やまたい」だろ
九州から大阪までは瀬戸内海の潮流を使えば簡単に往復できる
当時は大阪から「やまと川」を遡上して琵琶湖まで行けた
九州から機内まで統括する大国だったとおもわれ
だからな
こおろこおろの淡路島に
古代最大規模の鉄器工場がある
九州にいたような土人なんか
簡単に征服できるワケ
わかった?
>>251
古代人舐めすぎw
東から太陽が昇ることくらい知ってるだろw >>233
山川の学校教科書で反論されてもww
しかも、それ、とても曖昧な言い方を敢えてしているのに気付けよ。
崇神については、箸墓古墳と結びつける考え方がいちおう強い。
箸墓古墳が巨大古墳最古なので、初代オオキミとの関係が気になるわけだ。
だから3世紀末説も当然あるが、それだと時代がもう邪馬台国と重なるんだよ。
トヨの直後が崇神だとしても近すぎる可能性残る。だから保守的に言えば4世紀は手堅い言い方。 年代比定で変わる話だな
箸墓は半世紀繰り上がった感がある
他の前方後円墳も全体的に古くなった
前方後円墳はヤマト政権に共通する墓制といっていいだけに
年代比定でだいぶ変わってくるな
国東半島ってさあ、国の最前線からきた地名って聞いたんだけど
あれって九州側からみてなんか、畿内からみてなんかね
畿内側からしたらけっこう苦しくね?
邪馬台国もとい大和国が瀬戸内海を中心にした海洋王国だったのならまあ分かるんだが
謎がある2つをこう思う
邪馬台国=アラハバキ(信仰 だったんじゃないかって
江戸しぐさなんてトンデモあるからな
これも電通らしいけど
×伊都志摩(糸島)
○伊勢志摩
伊都志摩は伊勢志摩の
間違い
>>259
「西から昇ったお日様が東へ沈む〜♪
これでいいのだ〜♪」
バカボンのパパは違った はいはい
邪馬台国とか大和とかいらん
事実も江戸後半からでいい
織田信長1582いちごぱんつ
はいて死ぬだって間違えてんだろ?
もはや正確性なんて皆無
近代もっとやれ。バカウヨがいきって戦争まで溌剌としたアホ歴史を隠蔽するんじゃねぇっ
>>259
南北が入れ替わっても西と東は変わらない >>253
古墳を調査させない某国の政府と同じだなw >>256
あんた、今の歴史学会が何者なのか、そこを考えないと。
教科書なんて、その時の歴史学会の大本営発表だよw
政治の場だよ。まったく、科学の場じゃない。 >>260
君は山川の教科書を執筆した人より詳しいの? >>261
そうそう。
箸墓古墳がより古い年代に比定されて、なんだそれだともう卑弥呼かトヨの墓かよ、というのが最近の話。
まあそれだと面白いが、なぜ卑弥呼トヨが王権の系図に無いのかますます奇妙。 世界史的に一ミリの価値もない事に、素人、玄人入り乱れて、何十年も無益な論争を続けてるのには呆れる。知的、人的資産がほんと無駄。
九州からだんだん広がって大和に落ち着いたんじゃないの
>>254
理研はもっと最先端のことしかやらねえよ >>252
分からん人やな
上町台地の東は海
だから信貴山と二上山の間から出てくる大和川は当然、河内の海に繋がっていた
だんだん埋まっていって湖になり、池になって、平地になった
>>200
藤原不比等のワガママだよ
大臣になって権勢振るいまくり
当時、日本は、恒久的な政治都市としての京と、平時の天皇の在所の宮との、二首都体制。
京は交通の便の良い難波、宮は天皇自身の私領や生母の領地等々を転々。
平時には伝令が京と宮、貴族の領地、地方の間を走っていて、喫緊には京に招集がかかる。
交通の便は悪いが農業生産性の高い奈良盆地東部は貴族の所領としては一級だが、京の置かれる立地ではない。
にもかかわらず、権勢に任せて、自領の真ん真ん中、氏族の氏神・氏寺の真ん前に無理やり「京」の造営をおこなった。
これが奈良の都の平城京。
平城京は実質的には宮で京としては機能せず、陪都の名目で存続した難波京が京としての機能を保持した。
それどころか、造営された聖武天皇の時代には、宮としての機能すらおぼつかなくて、在位の殆どの期間、難波京と、
重臣の橘諸兄の領地の恭仁や信楽とにおわした。信楽が聖武天皇の宮だったわけだ。 >>248
列島の覇権まではいかないけど自分の考察と似てる。
地政学と交易拠点を無視しては語れない。 本当にこれらの人物が実在したのか
これぞ俺的ミステリー
・卑弥呼
・マリア様(イエスキリストのママ)
・イエスキリスト
>>279
卑弥呼や台与を斎王に比定するって話もあるな
ただそれでも、紀記にほぼ中国の話が無いのがあれだが
無いわけではないけど 廿五年春二月丁巳朔甲子 詔阿倍臣遠祖武渟川別 和珥臣遠祖彦國 中臣連遠祖大鹿嶋
物部連遠祖十千根 大伴連遠祖武日 五大夫曰 我先皇御間城入彦五十瓊殖天皇 惟叡
作聖 欽明聰達 深執謙損 志懷沖退 綢繆機衡 禮祭~祇 剋己勤躬 日愼一日 是以
人民富足 天下太平也 今當朕世 祭祀~祇 豈得有怠乎 ○三月丁亥朔丙申 離天照大
~於豐耜入姫命 託于倭姫命 爰倭姫命求鎭坐大~之處 而詣莵田筱幡 【筱此云佐佐】
更還之入近江國 東廻美濃到伊勢國 時天照大~誨倭姫命曰 是~風伊勢國 則常世之浪
重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國 故隨大~ヘ 其祠立於伊勢國 因興齋宮于五十鈴
川上 是謂磯宮 則天照大~始自天降之處也 【一云 天皇以倭姫命爲御杖 貢奉於天照
大~ 是以倭姫命以天照大~ 鎭坐於磯城嚴橿之本而祠之 然後隨~誨 取丁巳年 冬十
月甲子 遷于伊勢國渡遇宮 是時倭大~ 著穗積臣遠祖大水口宿禰 而誨之曰 太初之時
期曰 天照大~悉治天原 皇御孫尊 専治葦原中國之八十魂~ 我親治大地官者 言已訖
焉 然先皇御間城天皇 雖祭祀~祇 微細未探其源根 以粗留於枝葉 故其天皇短命也
是以 今汝御孫尊 悔先皇之不及而愼祭 則汝尊壽命延長 復天下太平矣 時天皇聞是言
則仰中臣連祖探湯主而卜之 誰人以令祭大倭大~ 即渟名城稚姫命食卜焉 因以命渟名
城稚姫命 定~地於穴礒邑 祠於大市長岡岬 然是渟名城稚姫命 既身體悉痩弱以不能祭
是以命大倭直祖長尾市宿禰 令祭矣】
倭姫命 = ヤマトヒメノミコト(ヤマトコクの女王と使節が勘違い)
ヒミコ ⇒ ミコ(命)
完璧
>>175
スレ違いだが
仏教は聖地から東に広まったユダヤ教が原形だからね
東に伝わるにつれインドや東南アジアや中国の土着の宗教と混ざって複雑化するけど >>287
イエスとマリアの実在性は同じことと思う。
イエスが実在したならその母親は必ず実在したww
俺的には推古天皇の実在は疑わしい。 推古天皇は実在してる
推古天皇は双六を禁止にしてる
イエスの周りにはマリアって女しかいない
つまりキリストはマザコンだ
父なる神の子とは仮の姿
中国人にとって卑弥呼は元中国人だけど日本国を作った最初の日本人
よって卑弥呼は日本人でありスーパーな元中国人
と言ってた
仲哀天皇が戦った熊襲は山口県から福岡県に点在していた
仲哀天皇が討たれたのは筑紫平野
景行天皇が怪しさ満点なんだよ
畿内の天皇が日向の高屋宮に6年所在した時点で99%嘘
これらは明らかに九州内の他人の事跡をくっ付けている
畿内人は平気で嘘をつく人種がかなり多い
マリア、イエスキリスト、を調べてもハッキリとこの世に実在したつーことを書いてないんだよな
>>285
覇権と言っても、邪馬台国と、大和朝廷じゃ、次元の違う話だな。
邪馬台国は、100か国ほどある国のうち、そのいくつかを束ね、
朝貢して、倭国の盟主として任じられていたに過ぎない。
各国を実力で支配していたわけではなさそうだ。
対して、大和朝廷は、実力で列島内をねじ伏せる政治力・軍事力
を持ち、ほぼ統一国家としての権力構造を作っていたようだ。 宗教学から言うと
古代神道は北欧神話やギリシャ神話と類似点が多くシルクロードで伝播したと見るのが妥当
仏教はユダヤ教と類似点が多くインド経由で日本に伝播したと考えるのが妥当
その証拠に日本人の足型はギリシャ型とエジプト型の2つが大半を占めており
俗に言う縄文人と弥生人と言う事になる
>>286
平気で嘘をつく人種って今のこの日本にもかなり多い >>287
イエスについては同時代に明確な記録が無いのが痛い
ただ、イエスの弟子については実在性が確認されているから
存在しない師の教えを広める、という行為はあり得ない、という論理により
イエスの実在性が担保されてる、て感じはあるみたい >>288
斎王かあ。まあ王族の女が最高の神官というパターンには卑弥呼のイメージが残ったのかもしれないけど。
超自然的な力を持つ王族の女は、神功皇后や倭迹迹日百襲姫とか色々あるね。
トヨの後に崇神が王になってそれがヤマト王権の始まりと思うけど。
何らかの理由で卑弥呼トヨは伝承から抹消。 恐竜はいたけどメガロドンは本当にいたのか
GTA5やっててそう思った俺
はやくしろよ
いつになったら卑弥呼の大河が
見られるようになるんだよ
オマエらさ、同時代の三國志とか一度読んでみ
古事記の国生み物語よりトンでもファンタジーだぞ
ファンタジーならファンタジーで読み物として別にいいんだけどさ
深い物語に入る前の設定段階で、身長3メートル弱とか
国土面積が30億平方キロメートルとか地球の表面積の6倍とか
ヤマタイコクガー!ヒミコガー!とか魏の歴史書から何かを紐解こうとするのがアホらしくなること請け合い
日本書紀、続日本紀
なぜ続のほうには書が消えたのか初めて納得できた
こんな整然とした理由があったとは目うろこやわ
単純に九州から奈良に遷都したって事じゃないの?
卑弥呼は九州の出身として
大陸から文化の影響最初に受けるのは九州が近いから有利なのは分かる
でも後々古墳が近畿に多い事考えたら
>>258
>古代最大規模の鉄器工場がある
そもそも鉄器保有の多寡で国力を測るのが
(「鉄は国家なり」で粗鋼の生産量を工業力の指標にするとか)
近代国家のイメージを古代に持ち込んでるって話
化石燃料の使用と結びついて大量生産できた事を
完全に失念してる
そのへんの頭の切り替えができないやつが
いまだに九州説に多い(多分殆どと言っていい?)
巨大ピラミッドを築いたクフ王の時代から約1000年
「黄金のマスク」で超々有名なツタンカーメンの墓からは
小ぶりの鉄ナイフが一本出てきた
古代エジプトで鉄なんてそんなもんで
一方そのエジプトと戦いを繰り広げたヒッタイトと言えば
俗に鉄器で帝国築いたイメージ持たれるが
実は神殿に奉納したり外国への贈り物に使われたりしたのがメインだったとか >>299
邪馬台国と大和朝廷は別の国だと思うけど
大和朝廷も国譲りでどっかから東征してるんだよね
そこがややこしい >>299
大和朝廷に対抗する為に魏と接触したとも考えられる。近畿に流閉され日食の
責任を取らされる。 >>299
>対して、大和朝廷は、実力で列島内をねじ伏せる政治力・軍事力
>を持ち、ほぼ統一国家としての権力構造を作っていたようだ。
それも信じていいのか、確実じゃないと思う。
聖徳太子時代だって、倭国がどこまで支配力及んでいたか。
我々はどうしても今の日本のような統一国家をイメージしがちだが、それは思い込みも多いだろう。 俺的に興味あるのはまさにこれ
本当に実在したのかベスト5!
・卑弥呼
・マリア様
・イエスキリスト
・恐竜いた頃のメガロドン
・アダムとエバ
邪馬台国も海に沈んだんじゃね?
昔は、もっと海水の高さが低かったんじゃないかな。世界各地で海底遺跡が見つかってるのも頷けるし。
むしろ我々が今住んでるところは山だったという説を提唱するよ。
イエスはユダヤ教
ユダヤ教が日蓮真宗
キリスト教が創価学会
みたいなもんだからな
イエスは大作みたいな存在
>>295
無能の烙印を押されて処刑されたただの占いばばあ
神性と捉えていた女がかかりやすい神憑りは現代では巫病という精神病 >>292
キリストが実存したら、キリストの母ちゃんはいただろうけど処女で懐妊はねーよ
それこそ、通りすがりの野蛮人にレイプ中出しされたんだろw >>311
倭国(九州地方)と日本(近畿地方)
二つの国が存在してたと旧唐書に出てくる 卑弥呼=天照大神(アマテラスオオミカミ)
よって、奈良県大和地方
>>258
鉄器を扱う須佐の王がどうなるか
八岐大蛇とは8つの部族の事だろうし
8つの部族を制し鉄器を制し鉄剣(天叢雲剣)を手に入れた素戔嗚尊
素戔嗚尊の7代後の大国主命から国譲りを受けた天照大神
天照大神は世襲制だよね?
大〇〇代天照大神みたいな感じて
だから女だったり、男だったり
天岩戸伝説は代替わりの話でしょう? 九州と半島の鉄権益に後発の邪馬台国が割り込んだが正解なんだろな
これが魏と物部が乗ったんだよ
物部が雇った女支店長くらいなんだろう
重要なのは邪馬台国より一大率のほうだったと見ていい
>>293
ワラタ
マジレスすると、その時代に隋から正式に派遣されてきた使者が、倭国の朝廷に迎えられ何ヶ月も滞在した後、倭国は男王が治めてると正式に報告してる。
女帝がいるなんて全く書いてない。 まあここに書き込んでる多くは邪馬台国に興味あるんだろうが
(こうやって今でも僅かながらとは言え「客寄せパンダ」としての効果が
「邪馬台国」の文字にはあるんだなw)
吉野ケ里の立ち位置が昔とは大きく変わってきてる
そもそも弥生時代の大型拠点集落のデフォが
イコール「環濠集落」ではないし
吉野ケ里なんかをモデルにした
弥生集落の発展プロセスも見直されてるんじゃないのか?
(中小規模集落)
↓
( 集落の大型化 )
↓
( 大型集落 )→(分村)・(分村)・(分村)
・・・こういう↑単なる量的拡充モデルが
>>316
出雲に大きな敵対する勢力があった。
その為、出雲大社置いた。
出雲には邪馬台国と同盟関係に国があったかも、ヤマタノオロチ伝説になる? >>319
可能性はあるよな
地域違うが沖縄海底遺跡とかもあるし >>303
10代崇神天皇の娘の豊鍬入姫命が巫女っぽいし、11代垂仁天皇の娘倭姫命が伊勢神宮を開いたとされてるから、この辺りの誰かが
卑弥呼、もしくは台与に比定出来るかも知れない
ただ、崇神天皇の事績では、四道将軍を畿内から派遣して領土を広げてるし
西に向かった吉備津彦は文字通り吉備と出雲までしか制圧してないから
まだ九州まで勢力は及んでなかった事にもなる
伝承だからあてにはならないかもだけど マリアのことで不信感に思えたのは、とある実際に起きたドイツでの事件
アンネリーゼ・ミシェル事件でマリアがこう言ったとされる言葉
■女将(お神)マリアの言葉
「悪魔に取り憑かれて苦しんでいる人が大勢居る
その為にもう一度悪魔に憑かれたまま、命を捧げてくれ」
人を救うマリアがなぜ悪魔によって苦しんでいるアンネリーゼに死んでくれ、と言ったのか
おまえ神なんだから悪魔と戦ってアンネリーゼを救えと!
俺はそう思って動画見てたw
解ったところで日本が滅びるまで何の影響もないし
これを一番知りたがってるのは観光系の奴らだな
邪馬台国が九州にあると困る連中が死ぬほどおるんやねと思った
ヒミコは天照大神を祀ってるだけ
天照大神とヒミコは直接的に無関係
ぜんぜん時代が違う >>292 >>302
イエスに時代が近い記録は、ヨセフス(フラウィウス)のもので、そこで処刑されたというナザレのイエスを奉じる新興宗派が出てくる。
イエスの死んだとされるのがAD30頃としてAD50-60には明らかに教団が存在してるから、たかが20年前のことで実在しない人物が神殿で騒ぎを起こしたり目立った後にローマ軍の手で公開処刑されたという作り話で信者を騙すのは無理だろうと思われる。
でも実在の直接の証拠が無いのはその通り。 ちなみに孝昭天皇の皇后(余曽多本毘売命)は尾張氏になる
ここで大きな権力の変動がおきたのが容易に推認できる
余曽多本毘売命
天忍男命
天村雲命
天香語山命
邇藝速日命 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
>>335
それだと布留0式の開始年代がだいぶ繰り上がってる感じ
三世紀は基本的に庄内式ってのが以前の認識だったし(三世紀末あたりから布留式に切り替わり)
この辺りは人によってかなりブレがあるように感じるかな >中国の歴史書、魏志倭人伝に記された邪馬台国の集落について「環濠(かんごう)集落を思わせるが
>(卑弥呼の時代に)九州では増えるが、近畿では無くなる」と高島さん
まあミスター吉野ヶ里としては死ぬまでこれを言い続けるしかないだろうな(苦笑
元々工業団地として埋め戻される予定だった吉野ヶ里が
一点保存に向ったのは邪馬台国ブーム様様だったからだし
今更
「邪馬台国とは関係ありませんでした」
なんて口が裂けても言えないとwwwwww
ちなみに吉野ケ里が倭人伝の宮室・楼観・城柵を持ったものだとして
地元の記者に吹き込み
吉野ケ里保存の動きの大元を作ったのは京大の某大先生(畿内説論者でもあるw)だったという
まことしやかな噂(本人は否定)は知る人ぞ知る話www
3世紀後半から4世紀にかけてのヤマト政権は祭祀連合みたいなもの
古墳の副葬品にも鏡が重要視されていて、それが5世紀になると武器や馬具の割合が多くなる
だから武断的になるのが5世紀以降と考えられている
記紀にはそのあたりの時期のことが書かれているのだろう
倭王武の上表文も同じ
そして、応神天皇の皇后も尾張氏
もうコタエはでてるワケ
魏志倭人伝だぞ
伝だからな…、タイトルからして妄想炸裂臭いんだがw
中国人ださえ、魏志倭人伝の
しかも東夷の章
あんなものの一字一句を気にしてる日本人が不憫だと思われてるのに
>>238
高麗? 今でいう高句麗のことね。(当時は高麗だったそうな。)
高句麗は、華北混乱に乗じ、半島付け根に侵攻し、
楽浪郡、帯方郡を亡ぼし、華北政権崩壊に追い込んだようだな。
この朝貢秩序崩壊の隙に、大和朝廷・新羅・百済が統一された。
で、日本の場合、統一されると、おきまりの半島進出w
戦後タブーとなって学校で教えてくれない三韓征伐。4世紀後半。
5世紀頭、そのまま調子に乗って高句麗と戦争して、ぼろ負けして、
それで大和朝廷は、徐々に大人しくなったようだ。404年かな。 神功紀にところどころ魏志倭人伝の引用がある。
39条とか43条とか。魏に朝貢した内容。
それで江戸時代まで卑弥呼=神功皇后って思われてたとか。
記紀の編纂者は魏志倭人伝の存在を知ってたわけだね。
当時手に入る史書から倭国の記述を探して引用したってのは興味深い。
>>344
ヨセフスのユダヤ戦記のイエスに関する記述は、後代の加筆が疑われてるって話もある
第三者の記録で確実なのは一世紀後のタキトゥスの記録では、と思う 卑弥呼の墓はもう見つかってる
名前がちがうだけでな
卑弥呼という名前の墓はない
祀りごと女王が統治した痕跡はあっても
政(まつりごと)で女王が統治した痕跡は
畿内からもでてくることはない
少なくとも九州からは
どっちもでてくることはない
アレクサンドリア図書館に実在のイエスの人物像が記された書物はあったんじゃないのかな?
キリスト教徒が執拗に攻撃して放火したのは
三位一体とか神聖性を否定されるから
歴史的なイエスを殺したんだよ
信者こそがイエスを二度殺した
>>290
(スレチだが)
何言ってんの。
仏典の方が、キリスト生誕より5世紀ほど古いよ。 >>346
結局、北部九州との年代のズレを修正したわけでしょ
畿内には絶対年代に使えるものが少ないから北部九州で出土する畿内系土器を基準にするしかない
そもそもアマテラスは無性に近い神
日本の神はほぼ無性といっていい
日本の場合、地におりて有性になる
それ以上の意味はない
有性になってから万世一系がはじまる
それ以上の意味はない
こういった神話は東アジアのいろんな場所で
似たようなのがある >>338
四道将軍は内陸を制圧するための軍団で、海はを通じて支配できる地域はすでに勢力下にあったと考えるほうが自然じゃない? >>335
>ヤマト政権の成立、つまり古墳時代は箸墓古墳の築造とともに始まるのだけど
このレベルで議論するなら、それは単純に書き過ぎ。
箸墓古墳の主が最初の大王だとは思うが。
そもそもそこまで古く比定するならもう邪馬台国なわけで。
邪馬台国をヤマト王権に含めるのか?
もっと慎重に論じないと。古けりゃ偉いわけじゃない。 東海 54,400 ← 大和朝廷の版図内(景行天皇が美濃でセックスしまくってる)
畿内 30,200 ← 大和朝廷の版図(そのまんま)
畿内周辺 70,300 ← 大和朝廷の版図(そのまんま)
山陰 17,700
山陽 48,900 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
北九州 40,500 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
南九州 64,600 ← 大和朝廷の版図外(班田収受で隼人の乱がおきて鎮圧するまで放置)
北九州だけの人口で(プッ
>>350
あくまでも「魏志」だからねえ
メインは曹操や夏侯惇といった曹魏の人物の伝
倭人伝なんて言えば本来巻末付録の一部でしかない
(それでも同時代の文字資料が日本側にないので貴重な資料にはなるが)
一言一句に固執するのはブームで
「それを読み解けばあなたにも古代最大の謎が解けますよ!」
とメディアが煽ったからなんだろうな
ちなみに中国で古文を解する学生に倭人伝と地図持たせて
位置を割り出せと言ったら大抵が笑いながら東シナ海の真ん中に沈むしかないと
苦笑したって話を聞いたことがあるが
まあ実際そんなもん
行程記事に固執する方が馬鹿
もっともそれで「
必ず正解(邪馬台国の位置)を解明できる」
という前提がなければ
暗号解読ごっこが成り立たないがwww >>358
>畿内には絶対年代に使えるものが少ないから北部九州で出土する畿内系土器を基準にするしかない
そうなんだね
逆に九州説の爺さんたちがいまだに必死に縋り付いてる
昔の年代感は実は京大の大先生(k林・s原)の
畿内説前提の説という皮肉wwwwwww >>358
北九州との編年を合わせてたのが今までで
最近の土器に付いてたC14測定から新たに編年をやり直した結果、年代が古くなったんでは、と思ったりする
寺沢曰く、土器だけでの年代決定はほぼ無理って話だし
熱ルミネッセンス法を精緻にすればいいのに、と思ったりするが 『中華人民共和国、日中共産党がゴッドハンドした魏志倭人伝とは』
1949年に建国した歴史の浅い中華人民共和国が、
1979年に国連の資源調査で、石油天然資源が大量に沖縄、尖閣諸島周辺に見つかり、日中共産党が魏志倭人伝をつくり歴史を捏造した。
共産党は魏の時代に邪馬台国が属国だったから、沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、南沙諸島が邪馬台国であり、中華人民共和国、共産党の領土であるよと謎で、強引で、筋が通らない主張をしている。
日本の古事記には邪馬台国の字も存在も無しであり、日中共産党が歴史を捏造したのは明らかである。
共産党の敵、台湾(中華民国)が邪魔だから、台湾国が邪魔→邪魔台湾国→邪馬台国 と日本のあらゆる古史古伝、文献に存在しない邪馬台国の文字を、共産党が捏造しゴッドハンドしたことが証明できた。
反論があるなら証拠を見せろチャンコロアカ知的障害者野郎!( ^ω^)おっと失礼。
左翼日教組が、学校で邪馬台国論争は江戸時代からと歴史をゴッドハンドして教えてきた。
今、現在進行形でシナ(China)が沖縄、尖閣諸島、そして南沙諸島で問題を起こしていることからも捏造を証明した。
『仮説』
仮説、魏志倭人伝がにせ書ではなく、本物であった場合。
邪馬台国は日中共産党による捏造と証明済であり、存在せず、やまとうこくは存在し、四国、徳島県が有力。
近畿説、九州説は共に北九州まで来たことは認めているが、その後の解釈が科学的ではなく、こじつけである。
天照皇大神宮をみれば分かる通り
すでに西暦200年頃には
大和朝廷が北九州を勢力の版図入れてたのは明らかだからな
卑弥呼の時代を戦国時代でたとえれば
甲州征伐、四国攻め、中国攻め、九州平定、小田原征伐
が残るのみぐらいのレベルの状態
ほぼ大和朝廷の天下布武は完了してる
つまり卑弥呼の時代には大勢は決してる
大和朝廷は朝鮮出兵までしてるからな
>>361
船だけだと補給も続かないし、仮に北九州を押さえれてもすぐに周りから
袋にされるだけでは
飛び地的な支配が出来たかは疑問 >>311
東征・東遷神話は、歴史的権威やまと(邪馬台)を亡ぼし、
名前ごとその権威を簒奪したので、それを正当化する虚構を
神話にしたもの。
やまと(邪馬台)を神々として祭り上げ、その神が東に移ってきて、
自分達、奈良の「やまと」は、神々の子孫ですよとw
みんな嘘だと知っている。だが、それを口にしたら滅ぼされる。
一同 「そ、そだね(震え声」
また、滅ぼしたものを神々にするというのは、出雲もそうだけど、
滅ぼされた者の怨念を沈めるという宗教的意味と同時に、
当地で生き残った者の怨念も沈め、また第三者の人心も掌握する
という、統治の安定を図る上で必要な政治的配慮でもあるな。 >>362
学者の一般的な見解がそうなってるから教科書とかでもヤマト政権の成立が3世紀中頃から後半となってるんだろうに
寺沢氏のように纒向型前方後円墳の段階から古墳時代とみなす考古学者もいるわけで
そうすると古墳時代のスタートは3世紀初頭になる >>335
箸墓より古いホケノ山でさえ4世紀だよw
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
> ■ ホケノ山古墳の年代
>
> 石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の小型丸底土器が
> 出土したことを述べている。
> 小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
>
> ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、それよりも新しい布留T式土器が出土したことになるので、
> 考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は布留T式の時代と言うことになる。
> 石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
>
> 報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちてきたのではないかと、
> 苦し紛れに書いている。
>
> これについて橿原考古学研究所の関川尚好氏に問い合わせたら「そんな馬鹿なことは絶対にありません。」ということであった。
>
> また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)のついた銅鏃が出土したことも述べている。
> このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、前期古墳の後半で布留T式以降と考えられている。
>
> 箟被(のかつぎ)つきの銅鏃が発見されたことにより、発掘当初から、ホケノ山古墳は新しいのではないかと見る専門家もいて
> 問題になっていた。
>
> ホケノ山古墳の年代を考える時、つぎのような新しい要素と古い要素とがある。
>
ホケノ山古墳を新しいとする要素 ホケノ山古墳を古いとする要素(320〜340年ごろ)
炭素14年代分析の今回の報告書 崇神天皇、箸墓古墳に比べ、前方部が発達していない。
(年代のピークは370〜380年ごろ?) 主に4世紀の古墳から出土する三角縁神獣鏡が出ていない。
小型丸底土器(布留T式)
箟被(のかつぎ)
画文帯神獣鏡
(5世紀の江田船山古墳に繋がる要素) >>313
やまと(邪馬台)は歴史的権威であったからこそ、
奈良にその名を奪われたのであって、
ということは、少なくとも漢の時代から邪馬台は朝貢して
倭国の盟主を任じられていた、と考えられる。
奈良を警戒して、魏に接近した、というわけではない。
その前から。 >>369
>飛び地的な支配が出来たかは疑問
無理
というかヤマト王権の萌芽を各地古墳の出現に見るなら
それは中央集権的な構図ではなくて
広範な緩い連合体からスタートしたと見るしかない
大小を問わず単に古墳の数だけ数えりゃ
実は奈良県はベスト5にも入らず
千葉県なんかが入ってたりする
前方後円墳は支配領域にできた
征服の証ではなく
むしろヤマト王権の中央集権化は
地方の古墳を作らせない(畿内に集中)ことに見られる 神宮がある宇佐説は信憑性あるのか?
隣には耶馬溪なんて地域もあるけど
>>364
現代日本人の視点から漢文の誤りだとか一言一句
読み違えだとか意味不明だよね。
日本人に読ませるためのものじゃないんだから。
提出先が読んで
「倭国ね、前からウチに朝貢にきてたのね。
代表者が卑弥呼で首都が邪馬台国。はいはい。
ちゃんと監視もしてるわけね。いいんじゃない?」
くらいなものだと思うよ。 >>299
大和朝廷だって、聖徳太子の頃にようやっとこ、全国で統一した政治制度になるんだけれどね。
それまで、国造や県主というような地方領主との同盟関係の盟主でしかなかったんだし。 >>369
そうかねえ
大王家は安曇族など海の民にささえられてたようだし、彼らのネットワークを利用すれば補給とか気にするようなことじゃなかったのでは >>376
耶馬溪は江戸時代の頼山陽が命名したものだから、邪馬台国とは関係ない
ただ宇佐は宇佐で、赤塚古墳みたいな最古級の前方後円墳があったり
その周りにも古墳が色々あるので、古代に強力な支配者が居たのは間違いないけど >>371
古墳時代開始とヤマト王権開始を同一視するのが既に粗雑な議論。
3世紀前半は卑弥呼の時代。
266年でも中国側の記録では女王がいて、これはトヨと考えるのが自然だ。
中国の記録もあれだが、古墳の年代比定みたいにクルクル話は変わらない。 >>383
そうだったのか…
国東(くにさき)なんて地域もあるけど、あれも最近だったりするかな? >>364
その学生は正しいなぜなら、石油天然資源がその位置にあるから。
中華人民共和国による捏造であると証明。 >>317
統一国家と書かずに、ほぼ統一国家、と書いたところがそこで、
当初の実体は、統一国家というよりは、連合国家だったようだが、
各勢力が牽制し合いながらも、一つの国家として機能するための
統治の枠組みを作っていたというところが、それまでとは違う。
邪馬台国の時代のように、バラバラの国家が、覇権国の言うことを
聞いてる、という状況とは、明らかに違う。 >>373
出ました、邪馬台国の会
それもう何度も論破されてるだろが
小型丸底土器が布留式としたのは関川氏がまとめた纒向旧編年でのこと
庄内式の最初からあったことがわかって新編年では修正されてる
石野氏がショックだったという発言も石野氏が発掘に携わってた20年前のことだろが
新編年ができる前のこと
時系列をぐちゃぐちゃににしてデタラメのストーリーを作ったらいかん 京都嫌いのアホが間違った学説垂れ流したせいで
末代までそれに踊る羽目になる九州の人、かわいそう
光武帝が金印贈った50年にはもう国と呼べる程度の規模のものが九州にあってその時代から200年後には邪馬台国の卑弥呼が同じく九州で一国を築いてた
壹与の代に移って300年位までは晋と親交があり恐らく引き続き邪馬台国を平和に維持してた
この後から邪馬台国は歴史から一旦消える
でヤマト王権が400年辺りに奈良の地で完成してた
恐らく古事記や日本書記を書かせた時に奈良の地で政治をした時代をヤマトの歴史の始まりにしたかった
神武天皇は恐らく3、400年あたりの奈良が政治基盤になって最初の王
それ以前の卑弥呼は伝説の神として描いた
だいたいこんな感じであってるだろ
>>384
ごめんもう付き合ってられない
君の言うような見解をとる考古学者が多ければ別だけど、現状そんな人ほとんどいないでしょ? >>389
都合が悪いから編年ごとゴッドハンドしましたって自白されましてもw
そういえば前スレで銅鏡の編年のゴッドハンドがバレましたねw
銅鏡が現在の岡村編年より100年以上新しいのだから、共伴する土器も当然100年以上新しいものですよw
そうすると関川編年の方が正しいとなっちゃいますねw >>378
聖徳太子時代だって、同時代の中国側の記録では、どれだけ統一支配に近づいていたか疑問。
北九州の奴国とかはまだ別の国のような書き方がされてる。
記紀は信用できないと津田に看破されてもう長いのに、いまだに古代史の具体的議論をするとまず記紀を頼ること自体が、学問的にどうなの?という話。
記紀の聖徳太子の記述だってあれだけ非現実的なのに。 中国って今でも三国志に出て来る○○○の子孫です!とか言い張る
フィギュアスケートの織田信成みたいなのが沢山わいて来るからな
>>391
いや纏向を発掘調査した当事者である関川尚功氏がそう言っているんだよ
掘った当人がここは違うと言ってるのに捏造ゴリ押しゴッドハンドなのが今の畿内説w
考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku335.htm
> 1.考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 (関川尚功先生)
> ・出土品と大陸系遺物の存在
> これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
> 大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
> (2)纒向遺跡の実態
> ・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
> 断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の
> 大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。纒向からは10本以上がみつかつている。
> 木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。
> 大陸系の土器が出てこない。
> 纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
> 九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F
> 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。 >>317 (388つづき)
統治の範囲は、当然、隅々まではいかない。
特に東は、関東まで。何世紀もかかって東北まで支配していくわけで。
一戸、二戸、三戸、(四は縁起悪いんで)八戸、五戸、六戸、七戸 >>390
キリストが体験した話とかが仏典の話があるのよ。
旧約聖書の内容じゃない。 >>379
当時の船だと沿岸航行が基本だから、寄港できる陸を抑えておかないと海だけでは厳しい気はする
交易ならいいけど、軍事行動の場合は結構な問題になるのでは
紀記にも景行天皇の時代に安曇氏についてそこまでの事を書いてないし
応神天皇になって出てくるけど >>394
都合が悪いのではなく、北部九州との年代のズレを修正したんだよ
東遷説は完全否定
オワリ そんな小さ過ぎるもんどこだっていいだろ
シュメールだって本州と同じくらい広くてどこだかはっきりしないw
>>399
いやおそらく聖徳太子時代だと、まだヤマトは九州は支配していない。
ついでに言うと推古女帝もいない。
中国の記録はそう言ってる。
中国の記録と記紀と、どちらが本当か。
記紀には古い時代の支配を誇張する動機がある。それを考えれば記紀は取れない。 >出ました、邪馬台国の会
この「東遷説」と「九州王朝説」は九州説の二大癌
が、これらが面白いからいまだに九州説に人が集まってるのも事実なんだろう
とくに5(2)ちゃんなんかだと顕著
一応今でも九州説は理論上はあり得るが
(が、それが「あった」ことの証明は九州説側の責任)
その二大与太話が入り込むと
「悪貨は良貨を駆逐する」
そのままに電波ゆんゆんしか残らない
>>386
国東半島はどうなんだろか。わからない
昔から国東で疑問持ってなかったからなあ、、 >>402
おいおい、銅鏡の年代はどうしたw
畿内説が採用している岡村編年は事実より100年以上ずれているんだぜ
共伴する土器の年代も、遺跡自体の年代も100年ずらさないとなぁw
そうすると一番的確なのが関川編年ということになるw
はい論破 >>400
日本仏教は中国で道教と儒教が混入した結果だし
後世に混入したんじゃないの? 九州での庄内式の広まり方や、前方後円墳の広がり方を見る限りじゃ
東遷は少なくとも三世紀には無かったのでは、と思えるな
むしろ畿内に押されてる
>>405
反論出来ないから罵詈雑言を並べるだけw
でも>>398の通り纏向は違うと言ってるのは纏向遺跡を発掘した本人ですからw
残念!
聖徳太子は皇統スーパーインブリードの危険な配合
しかし超人が産まれた
推古天皇は安全な配合 >>5
文字の無い時代だからな。特定が非常に難しい。せめて骨でも残っててDNA鑑定が許されるからまだしも
それなら金印探せってのが一番手っ取り早いとなるんだけどそれこそ移動したものかも知れんし結局のとこ金印ですら様々な要素を組み合わせるうちのひとつの証左にしかならん >>36
居なかった可能性はある。
邪馬台は、倭国大乱で負けて、王を女にすることを強要された。
女の王=覇権を求めない王、ということだな。
それで、卑弥呼を立てたのだが、卑弥呼は籠ってて、表に出てこない。
弟か誰かが、その意思を伝えていたという。
その部屋に、本当に、卑弥呼は居たのか??
誰もいない部屋に、石ころかなんかが置いてあったのかもw
そう、「女王を立てた」ことにしていた、という可能性はあるよな。 >>383
耶馬渓の頼山陽以前の地名は山国だから無関係とは言い切れない
個人的には違うと思うが >>1
幾ら素人がなんか言っても真実は不明。
歴史ってのは文字が無ければ歴史じゃないのに考古学先行なんてあり得ないのにw
邪馬台国って抜かす癖に卑弥呼は邪馬台国の女王でないことも利害してない馬鹿ばかりだからな。 >遺跡自体の年代も100年ずらさないとなぁw
とまあ邪馬台国の事で頭一杯一杯の馬鹿は平気でこんな事を言うが・・・
百年もずらせば奈良盆地に出現した初期の古墳と
河内平野の超巨大古墳の年代が一緒になってしまう
(その間に盆地北部の佐紀古墳群なんてのもあるが)
そんな感覚がこの連中にはない
所詮邪馬台国・自説に固執して視野狭窄おこしたアホの戯言
このスレの低学歴は
斎王がどれほどの権威があったのか分かってない
当時、朝廷に次ぐ権威があったからな
その伊勢斎王が倭姫
低学歴になるとそういった時代背景がぜんぜん分かってない
>>407
邪馬台国の会の中で独自の年代観を唱えてればいいよ
もちろん考古学者は相手にしないだろうけど >>417
河内平野の古墳も100年ずれるってだけだろw
バカはこんなことも分からんのか >>414
耶馬溪の辺りは文字通り山ばかりだしな
倭人伝にはその他の国として、邪馬国なんて国も載ってたりするが
まさか・・・? >>419
実に負け犬らしい捨て台詞ありがとうw
最高の気分だw >>404
邪馬台(やまと)が滅ぼされたのは、4世紀だろ。
その世紀末には半島まで攻めてたのは確かだ。
この時点で九州平定は問題ない。
だが、5世紀初頭、高句麗との戦争に負けて以来、
秀吉の朝鮮出兵と同じく、国内がすったもんだになって、
地方の統治が揺らいだ時期があったとしても、おかしくないな。 >>422
それは充分考えられるな
傍国のほうは国の規模が載ってないし 土器そのものの焼成年代を調べればいいのに
誤差はあるが、C14よりはマシな気がするが
校正曲線がめんどいのは確かだけど
>歴史ってのは文字が無ければ歴史じゃないのに考古学先行なんてあり得ないのにw
文字ってのは「嘘」もあれば「間違い」もある
特に単一史料においては比較検証ができないので
史料批判が必須だが
結果削ぎ落として使える部分はかなり少なくなる
どうしても考古資料に頼らざるを得なくなるのが現実
実際、講談社とか吉川弘文館とかの日本史全集で
古代邪馬台国の時代を執筆・編集してるのは
考古学者なんだよな
もっともまっとうな文献学者なら
あんな記事で邪馬台国の位置を割り出せるなんて
言わんだろうがw
今の宮崎を「日向」と名付けたのは、
景行天皇が九州へ行った時と古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://web.archive.org/web/20081012131440/http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html
宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかない。
ほとんどが九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日があると考えると、
それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接し、近くには耶馬溪もある。
耶馬溪は江戸時代につけられた名前だが
もともと山国(やまくに)と呼ばれていた場所。
頼山陽がそれに「耶馬」とあてたものだ。
また宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、
卑弥呼の墓説まであるところ。
道鏡事件のときも、天皇家の大事を、アマテラスのいる伊勢神宮ではなく
この宇佐神宮にお伺いをたてている。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中ツ国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。 >>5
まぁ〜個人で管理しているお墓を発掘調査するのは抵抗有るだろうが
公的機関管轄なら何の問題も無いだろう
ただし天皇家は別だ!
新しいお墓から順次神武天皇まで掘り進むべき、どっかで金印が見付かるはずだw >>424
そりゃ、ゴッドハンド藤村事件を超える世紀のゴッドハンド畿内説を自分の手で暴き立てられるんだぜ
こんなに興奮することがあるかよ
例えば>>398を見てみ、噂のマキムクなんて掘った当人が
「ここちゃいます、大陸との接点がありまへん」って言ってるんだからな
それを無理矢理にでも邪馬台国に仕立て上げようとするゴッドハンダー畿内どもと、歴史の真実を追求する九州勢のバトル
これで盛り上がらなきゃウソってもんだろ >>413
その辺は古事記に比定されるんだけどな
タカミムスヒなんかは明らかにアマテラスより権力が大きい。タカミムスヒ(達)の決定をアマテラスが口頭で伝えてたとしか思えん場面が何度も出て来る 箸墓の百襲姫が卑弥呼だった場合の
ハマり具合が凄いんだよなぁ…
崇神に神託を下す巫女って扱いだけど
正体が卑弥呼だ思うと崇神が一々
お伺いたたてるようにしか見えない
ドサクサ紛れて大分県とか割って入ってきてるけど
何かまともな物は出土してるの??地名だけじゃコジ付けだろ
>>373,398
後からこのスレを見る人のために赤くしておくとしよう 日本神話に限った話じゃあないけど
神や妖怪悪魔は、個人や集団や自然現象が元ネタになってるから
>>435
ハマり具合だけなら卑弥呼=天照にはかなわん
全てしっくりくる >中国の歴史書、魏志倭人伝に記された邪馬台国の集落について「環濠(かんごう)集落を思わせるが(卑弥呼の時代に)九州では増えるが、近畿では無くなる」と高島さん。
まあ吉野ヶ里は庄内併行土器で環濠が埋まっていくからなw
今の九州の考古学の成果を基にした年代観だと
吉野ヶ里は卑弥呼の時代には閉店ガラガラだったことになりかねない
九州を代表する有名な遺跡なのに
かつての近畿の年代観に頼らざるを得ない皮肉
無論本人(Mr吉野ケ里)は素人じゃあるまいし
そんな事百も千も億も承知でポジショントークしてるんだろうがwwwwwww
>>429
最近では欠損した部分の解析技術も随分と進歩した見たいだから
死海文書と竹内文書をDNA解析すれば今までよりは正確な歴史書が出来るだろうよW 中国の文献でしか存在を確認できないような低文明国家の存在なんてどうでもいいだろ
農耕がある地域の神官って暦を読む仕事が主だから
実際の卑弥呼はいつ稲を植えて刈り取るか指示するのが仕事やろ
俺も出てこないことには、いくら自己解釈の珍説を唱えられても信じられんわ
どこぞの古墳から親魏倭王の金印か、部下が貰った銀印かが出てくればほぼ比定出来そうな気はする
親魏倭王の陰影なら、何故か中国の印影を集めた本に載ってたりするけど(ただし説明は何故か銅印)
高島氏もある意味気の毒だと思うわ
九州説を唱える学者がいないから権威付けのため神輿に担がれて、もう降りられない
もういい年だから諦めてるかもしれんが
喪女王卑弥呼の没時と日食が被って当時の民衆はビビっただろうなあ
神に祭り上げられるのも必然
邪馬台国が九州で東に遍都だけは一番可能性低い、神武東征とも全く噛み合わないし
畿内の大和朝廷の前身か、大和朝廷の前身に滅ぼされた九州の国のどちらか
>>434
天照(=卑弥呼)より上位の神々の話は、
邪馬台(やまと)の神話を引き継いだが、
あるいは、奈良の神話とミックスしたか。
多分前者だと思うなあ。
高天原とか、絶対倭人が海を越えてきたストーリーだと思う。 >398
遺跡を発掘した当事者が否定って、とっくに終わってんじゃん畿内説
>>443
「津軽東日流外三郡誌」と世界中の図書館に眠る「ネクロノミコン」も忘れるなよ! >>413
女官1000人を侍らせていたのだからハーレムとしたら世界的にも大きい方
大物主が居たのだろうw 百襲、卑弥呼の死後に三輪山信仰を取り込む形で
神格化されたのが天照なんじゃないかねぇ
百襲の死因がまんま岩戸隠れだし
伊勢神宮の成立時期も合うし
百数十年で世の人間は全て入れ換わってしまうんだから
今を生きる人々に、それ以前の体験できない出来事なんてどうとでも摺り込めるよな
>>453
普通は自分が掘ったこの遺跡こそ、って思いたいだろうにな
まあよっぽど見込みがなかったんだろう >>451
来年の譲位で次期陛下が
全ての陵墓を検証せよとおっしゃってくれると思う
今まで秘密とされてきたすべてを国民の前に出すようにと
それで歴代天皇第一と成られるであろう 神道は縄文人の一万年近くに及ぶ経験則の蓄積からできてると思ってる
弥生人はそれを国家領域の支配に利用した
>>456
岩ど隠れがお隠れに成った事の表現なのは同意だが
開く方は無理矢理引き出したり周りで神事も行っていた裸she-からかなりの難産だったのだろう。
13歳処女の初産かw 国民の知る権利で前方後円墳を調査すれば何か分かる話やろうに
>>430
もし日田だったらあの鉄鏡は魏に朝貢したときに曹一族から直接貰ったことになるわw 俺はただ真実を知りたいだけなんだ
知ったところで如何こうするつもりは無い
自己満足で完結
時期がいつかは置いておくとしてなんらかの東遷は間違いなくあったんだろう
でっちあげにしても南九州から近畿まで来て正当とされる皇室の祖になったと書き記す意図が皆目不明だからな
素直に読み取れば邪馬台国(連合政権)から南九州の統治者として派遣されたニニギの一族である神武が九州を纏め上げ東遷した
途中で北部九州に一切触れられてないのは邪馬台国がどこにあったかの確信にも繋がるかも知れなくて、そこには個人的に触れたくないからさておくとして、とにかく神武は南九州からやってきたのだろう
そもそも神武は実在しなかったなんて話は定説化されてるけど俺は実在したと思ってる
卑弥呼=天照と比定するなら全ての辻褄が合うんで。問題は年代だけだ。年二期説だけだとちょっと根拠に欠ける
事実そうだったとしても現段階じゃ証明する手段がない
文字って大切よね。なんで使わなかったかなー
>>449
奈良が大乱に勝って、邪馬台から権力を奪い、女の王を強要したことで、
倭国の歴史始まって以来、初めて、権力と権威の分離が起きたのだった。
そのため、人々の間に、奈良が予想もしない権威の膨張が起きたと思う。
同時に、「まつりごと」 における政治と宗教の初めての分離でもあった。
倭国中に、もの凄いインパクトがあったと思う。
そのような権威の膨張が起きたからこそ、後に邪馬台を亡ぼした後、
神話において、卑弥呼を天照大御神にまで昇華させたのだと思う。 >岩ど隠れがお隠れに成った事の表現なのは同意だが
まあこういう
「夢ひろがりまくりんぐ!w」
な神話解釈(+歴史マゼマゼ)が邪馬台国古代史に電波ゆんゆんな連中が集まる理由なんだろうがw
ここを多少はまともなやつも見てるとして
まともな話をすると
比較神話学の世界でアッサムのカシ族だったか
洞窟に逃げ込んだ乙女をあの手この手で入り口までおびき寄せる話があり
日本神話との共通性が指摘されてる
元々招日射日神話は東南アジアに見られる南方系の神話で
「天孫降臨」「東征神話」はモンゴルや半島に見られる北東アジア系の神話
本来南方系の神話の神のアマテラスは
「天孫降臨」「東征神話」には関係ない
>>469
平成8年9月、松阪市飯南町の粥見井尻遺跡で縄文時代草創期の土偶が、ほぼ完全な形で発見されました。
今から時代をさかのぼること約1万2千年から9千年。土器や弓矢が使われ始めた縄文時代草創期のもので日本最古のものとみられています。
縄文はほぼ1万年前やぞ 何処にあっても構わん
そもそもシナチクの嘘かもしれん
古代中国人「ここどこ?」
九州人「(なんじゃお前?)邪魔たい!」
古代中国人「じゃまたい国か〜」
>>468
>でっちあげにしても南九州から近畿まで来て正当とされる皇室の祖になったと書き記す意図が皆目不明だからな
日本書紀でも読んでごらん
神武の東征コース上に古代氏族の祖が頻繁に出てくる
要は西日本の有力氏族を一つの神話に組み込み
提携を強化するのが目的
まあ世界中の始祖神話で
始祖王が遠方からやってきたなんてのは普通にある
何も得意なことでもない
逆に言えば東遷説信者のすがる根拠が
「わざわざそんな事書く必要がないだろう!」
だが話にもならんわw 邇藝速日命 - 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
邇藝速日命の血がはいる(母系)のは孝昭天皇からになる
邇藝速日命の子孫を自称してるのが、物部氏、穂積氏
天香語山命 - 邇藝速日命
天香語山命の子孫を自称してるのが、尾張氏になる
つまりぜんぜんあと
>>474
俺も金印とかこの可能性高いと思うわ、そもそも嘘ってなw もしくはちょろまかしたか
受け取ったと、古事記でもいいからこの辺ちょろっとでも触れていればなあ 孝昭天皇が余曽多本毘売命(邇藝速日命の子孫)とセックスして孝安天皇が産まれた
それまでは、ずっと天皇は師木県主の子孫とセックスして子孫つないでたからな
>>473
千代田区の馬鹿な神社が、神道一万年史とか言わないようにたのむわwww >>472
各地の似てるものを無理やり結びつけるナンセンスw
神話が、政治と独立して存在すると考えるナイーヴさw >>482
1万年以上前のは滋賀県からも発掘されとるで
まあ神道とかなったら知らんがな >>472
所謂バナナ型神話を指してるんだろうけど、神話の共通性なんかは古代ギリシャと古代南米でも共通するもんであって、ノアの方舟に類似した話なんか古代では世界各地にある
どちらかを原典とするならは両者の関係性を証明しなきゃならん=出来ない=無いんだからバナナ型伝播説は狭い地域でしか有効とされてないんだよ
しかもそれすら証明はされてない
アミニズムや普段見られない気候変化や天変地異を元にした神話ってのは古代に於いて自然発生的に出来上がるもの 神武東征は天孫降臨から179万2740年後
まだ観念世界の継続
現実の世界とは一切関係ない
魏志倭人伝なんて数ページの又聞き報告書なんかより、古墳暴いて記紀を検証する他ないね
どうせ当たらずも遠からずの結末だと思うよ
邪馬台国では寒いときジャケットや布団ないし大変。
出産が一番不思議。どうやって自然分娩できてたの?
>>476
>要は西日本の有力氏族を一つの神話に組み込み
>提携を強化するのが目的
自己レス
そもそも前方後円墳に大きな影響を及ぼしたと言われる
吉備の墳墓なんかもそこで行われた
共食共飲儀礼による
「擬制的同族関係」
の締結強化の場としての役割があったと考えられてる
古墳上の壺やその台(器台)はその名残
分かりにくければヤクザの親子・兄弟の盃を想像すればいいw
ヤマト王権が中央集権国家の版図拡大で成長したのではなく
緩やかな連合体とした場合どうしても
「よっしゃ今日から俺らとあんたらは義兄弟同族やで」
という儀式が必要だったんやなw 政教分離とかアホなこといってるヤツがいるが
伊勢斎王の権威はずっと継続してたからな
伊勢斎王のミコになれる資格は
とうぜん皇女(ミコ)しかいない
>>476
で、九州に組み込まなきゃならん氏族はあったのかい?そんなものは出雲の国譲り話程度で充分だ
世界中にある遠来神話伝播なんてのは根拠がはっきりしてるものばかりだよ。そしてそこには氏族の組み込みなんて意図は何一つない いい加減にしろ! 九州説のバカども
俺は中国地方だが奈良で決まりだろう
当時の支那語の邪馬台国の読みはヤマド国なんだぜ
後の大和だよ
>>466
権力欲や名誉欲、性欲金欲、、、、、、、入浴も大切だが性欲の次に大切なのは知識欲だわさw 草創期の神社は自然崇拝で石や山や海を神にして崇拝したが
弥生時代になって国が出来て国王などが出現したら優秀な国王が崇拝の
対象になった訳だ。従って海を信仰した海神社や綿津見神社、山を信仰した
大山砥神社などは人物崇拝の大神神社や鹿島神宮、香取神宮よりも古い創建
になる。
で、別の低学歴いってる強い儒教的なヤクザの主従関係は
もっと後になる
武家による封建社会がそれに相当する
朝廷はその権力に正当性をあたえる権威をずっともってる
征夷大将軍を任命して権力の裏付けを担保することになってる
それは今もかわらない
いまでも国事行為で内閣総理大臣、最高裁判所長官を任命したりしてる
>>483
>神話が、政治と独立して存在すると考えるナイーヴさw
馬鹿か?
神話に各地の氏族組み込むなんか政治そのものなんだが
>>485
>所謂バナナ型神話を指してるんだろうけど、
違う
それは日向神話の可愛い妹だけ娶った話だぞw
知識の修正しておいたほうがいい
>アミニズムや普段見られない気候変化や天変地異を元にした神話ってのは古代に於いて自然発生的に出来上がるもの
無論そうだ、だから
太陽(神)が隠れたって神話の元々は無論日食で
何も卑弥呼や持統に求める必要がないって話
所詮東遷説論者の無理筋牽強付会ヨタ話 そもそも当時日向なんかないからな
律令制ができたころでもまだ土人の巣だったわけだしな
いずれにせよ、魏代から大和朝廷の100年の間に邪馬台国がどこにあったかもわからなくなった
のがミステリーつかロマンだわ(SFアニメのトップをねらえ2を想起した)
ものごとの経緯とか殆どの人間は気にせんからな
人は歴史に学べない生き物
倭国大乱が小氷河期の食料事情から起こったって考えるなら
卑弥呼が王にたって治まるのも理で食料増産の期待が高まる王だし
水稲の先進国が九州か奈良かってとこやろ
わからないものはわからないんだからタイムマシンの開発に力をいれていきましょう
ちなみに日向が歴史上その存在をアピールしだすのは
古墳時代に入ってからだな
歴史の教科書で日向出土の船や家屋を象った埴輪とか
馬具を記憶してる人間も多かろうw
そもそも記紀神話なんてそれが歴史上の事実に当たるか以前に
各部が成立した時代も前後バラバラの可能性を考えるべきもの
面白くスレ読んでたけど
やっぱり九州なんだろうな
畿内の学者が鏡なんかの遺物の年代を
都合よく捏造してた証拠が上がってからは
もう決着したかのように思えた
政府・宮内庁が学者に箸墓古墳の調査を許可すればいい。
いつまで商売のネタにするつもりか。
>>505
倭国、邪馬台国はまず九州で間違いない
しかし同時期か少し遅れて近畿中心に日本(と呼称する)集団がいたことも事実 当時中国と交易してたんだから九州だろ常識的に考えて
>>499
綺麗事だけでは世の中治められないって帝王学の事だよw
別段ブスの一人くらい養う力はある。
怖いのは嫉妬神 まあ100年後も
「邪馬台国は九州!」
とか言ってるやつはいるだろうが
「じゃあ九州の何処か?」
については相変わらずバラバラで
バラバラなのはいいとしても真っ当な比較検証もできず
「素直に読んだら」
というなんの根拠もない自己申告を強弁するだけなんだろうなw
邪馬台国ブームから数えて約半世紀
何も進歩がないのが九州説
そもそも比較検証がしようがないから
進歩のしようがない
>>502
大陸との外交や交易も
博多辺りは弥生時代には吉野ケ里なんかより遥かに栄えて大きな勢力あったはず。
巨大な天然港、農業に適した広大な平地
どうせ吉野ケ里は滅ぼされて捨てられたから綺麗に遺跡残ってるだけだよ >>490
アホがw
伊勢なんて、見事に権威と権力、政教分離しちまってるw
伊勢が直接国の政治権力を握ってたんか?www >>510
交易の窓口ということなら博多だが
そこは「奴国」であって「邪馬台国」じゃないんだよね
ここで九州説のこじつけが激しくなるのが常なんだがwww 国内だと九州説と近畿説があるけど海外の研究だと文献から九州説しかないわな
>>509
畿内の学者がすることは年代の捏造じゃなくて
何とかして古墳内部を調査できるように尽力することなんだろうな
そうすれば四世紀以降畿内が大きく発展した様子が分かる >>503
ノストラダムスだかの歴史書に墓が暴かれるとか死者が蘇るなどの表現が有ったw
最近のコンピュータグラフィックにより縄文人とかネアン出るタール人が生き返ったw >>512
それは畿内も同じやん
ここかもね?ってだけやん >>1
倭国(九州)と大和国(近畿)は別の国だから
まずはそこからだ 初代邪馬台国(九州)が奈良に滅ぼされて奈良が二代目邪馬台国になったでOK
もう九州でええよ
九州って事にしてくれたら遺跡とか気にせず地下鉄とか地下駐車場とか作れてラクに開発できそうやしさ
by奈良県民
>>520
九州説は、倭人伝をたどってどこへ行き着くかだから
途中の比定地も含めてバラバラになるのは当然
畿内説は、まずここだと結論を決めて
そこに合うようにする >>517
そうゆうことですわ
旧唐書には日本から使節が来るが以前来た倭国は
日本に吸収されたとか名前が気に入らないから日本に改名したとか
なんか意味不明なことを言うと書いてある
ハッキリと倭国と日本という2大勢力があったってことやね 史跡と昔の地形と文化の発展の流れとか見たら
割と確定しそうなのに案外決まらんもんだな
>>516
大和国が魏の属国だったとしたい、政治的意図が有るため
国内のソチラ側の勢力が、近畿説を吹聴して廻ります。 >>514
ぶっちゃけ天皇は、神の命令を守る立場の人
神の体で命令をだすのは占いをする中臣、忌部 >>523
まあ奈良に邪馬台国があった場合
それは初期ヤマト王権が中国の史料に「邪馬台国」と書かれてただけって話で
邪馬台国を歴史の中の奇観
エキセントリック・ロナンチックな幻の女王国と見たがる大衆には受けないからな
観光資源としては九州にあったほうがいいと俺でも思うわwwwwwwww
九州説の爺さんらには死ぬまでに卑弥呼の墓を掘り当てて
一発逆転をして欲しいw 九州も奈良もどっちも邪馬台国で正解だろ
今は福岡も東京も奈良もみんな日本国だし
毎度九州説が発狂してスレが伸びるけど
現実の考古学の研究には何も影響を及ぼしてないしまぁいいか
>>525
>九州説は、倭人伝をたどってどこへ行き着くかだから
>途中の比定地も含めてバラバラになるのは当然
角度や距離でバラつくならともかく
「放射読み」「直線読み」なんでもありなんだがw
でもブームの頃は新しい奇抜な読み方のほうが
センセーショナルで面白く
ぶっちゃけ本も売れたw
面白おかしく
「オレ様流暗号解読術」
を競った結果多岐亡羊
グダグダで雲散霧消してしまったのが九州説
昭和の遺物 邪馬台国は島原半島だとテレビで竹中直人が言っていた
>>535
まあ爺さんたちが発狂しても九州説自体は
ブームから約半世紀経とうが1ミリも前に進まない
九州の考古学者には
「九州の考古学者で邪馬台国が九州にあったと考える人間は一人もいない」
と言い切る人もいる始末w
Mr吉野ケ里の心境や烏賊に蛸だがwwwwww >>505
頭大丈夫か?
世の中の学者が揃って捏造やってると本気で思ってるとしたら相当やばい 江戸時代から本居宣長さえ巻き込んでああだこうだ言ってるのだから
歴史学なんかじゃとてもじゃないが答えは出ないことは証明済み
おまけに、GHQの占領政策の影響を憲法学とやらとともに
もろに受けている分野でもある
だからもうこの分野での論争には意味は無い
決定的な現物か出てこない限りなんでもないんだよ
日本は元々は小国でのちに倭の地を併せると書いてあるからな。
日本最古の鉄器は、縄文時代晩期の
九州の田遺跡で見つかった鍛造の板状の鉄器
稲作と鉄器が始まったのが、この時期らしいな
魏志倭人伝って1里50mで書かれてるんだよな
でも実際は1里500mなのよ中国って
だからそこで間違いが起こってて
水行〇日に直すとき10倍で計算されてるのよ
だから実際は
投馬国までは水行2日
邪馬台国までは水行1日陸行3日
のはず
これ科学ニュース板でめっちゃ盛り上がってたな
詳しい人も結構来てたし
>>546
歴史学会の連中のことか?
その通り、だが彼らは確信犯というよりも
洗脳の伝統を受け継ぐ俗物だよ >>541
そうはいっても鏡や古墳の年代を捏造してたのはスレに証拠も出てたし
それ見てからはもう消去法で九州
どこにあるかは解らんが少なくとも奈良は邪馬台国とは関係ないだろ 奴国 20,000 福岡平野のほとんど 県
不弥国 1,000 宇美川沿いに限定 村
投馬国 50,000 上記の東にある広い場所 地方
邪馬台国 70,000 上記の東にある広い場所 地方
>>548
そこの板の流れもおもしろいな
こちらは畿内説だけど
↓
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★7 >>5
卑弥呼の墓の有力候補は見つかってる。奈良県の箸墓。
調査ができないだけ。
箸墓は、四段築成
天皇陵は、三段築成
当時の人々は箸墓に眠る人は天皇より偉いと考えていたことがわかる。
これは「物的証拠」である。
箸墓がと他の天皇陵と三輪山(御神体)の位置関係も
箸墓に眠る人が大王であることを意味している。 >>526
新羅(支那系)の台頭で倭の府が置かれていた任那が滅ぼされ、現地の兵や筑紫から送られた倭国の兵が、新羅と戦争状態に至ると、
倭国は同じ九州出身の大和国に対し、援軍を送るよう要請した。
大和国では新羅の使節が国内に居る状態で、新羅と戦争したくない。
大和国は、援軍を送ってみたり、送っても九州に留めたり、苦肉の政策をとり続けた。
欽明天皇の御代、ついに倭国と大和国は一つとなり日本が誕生する。
こんな感じでそ >>554
記述から円墳と推測されること多いがあくまで推測で、円墳とは書いてない。 歴史書のあいまいな記述よりも箸墓の形状
つまり「物的証拠」にほうが重要なのは言うまでもない
ホケノ山古墳は、箸墓古墳より少し古い3世紀中頃に造られた古墳です。
ご存じかと思いますが、前方後円墳の一番最初のものが箸墓古墳ではありません。最初の頃の前方後円墳として「一番大きいもの」だということです。ですから、箸墓古墳より古い前方後円墳はいくつかあります。そういうものの一つがこのホケノ山古墳です。
>>550
ほんとに捏造だったらとっくにニュースになってるわ
九州説が成り立つ余地がないから学者が揃って捏造やってると吹聴してるだけなんだがな
研究が進み以前発表した見解が間違ってたりする場合もあるが、批判する側はそれを捏造呼ばわりする
それだけのこと >>561
古代人ではなく、考古学者&関係者によるファンタジー。
論争に決着がつくと、ご飯が食べられなくなる。
殆どの日本人にとっては、どうでも良いこと。 >>562
根拠が魏志倭人伝に載ってるってのがメインだし、
魏志倭人伝がファンタジー、もしくは東方見聞録並の誇張文書って線が妥当じゃね? >>557
馬具は重要な物的証拠っすか?
それとも魏志倭人伝に書いてあることが嘘っすかw >>564
古文書の内容は結構誇張や模造あるもんだけどな >>558
古さはあまり関係ないのでは?
箸墓の形状(四段築成)が一番格上。
要するに当時の人々が箸墓に眠る人は一番偉いと考えていた。
これは最重要の「物的証拠」 日本全体で一番栄えていたのが邪馬台国
日本全体で一番偉いのが卑弥呼
っていう思い込みがそもそも間違いの原因よ
>>563
>東方見聞録並の誇張文書
そもそもマルコポーロは実在しなかった説が有力だっけ?
話半分にしてもそれだけ活躍した西洋人がいりゃ
中国側に史料が残ってそうなもんだが
それが一切ないとか・・・
まあ東方見聞録でいうと
畿内説
実在したのは日本という国
黄金の国ジパングはそれを基にした架空の存在
九州説
黄金の国ジパングは実在した
・・・と基本から違うんだよな
だったら九州説はさっさとその黄金の国ジパングを出せって話だが
いつまで立っても出せないひたすらイチャモンつけるだけの何処かの国みたいな連中 >>547
後漢の一里は300mちょっとじゃないか?
というか一里の距離が年代ごとに違いすぎるし奴国の一里も分からんのでしょ
記紀を読み込んだことはないし邪馬台国は奈良なんだろうけど
その基になった国はイト国や奴国なんじゃないの?
北部九州は文明の受け入れ先としては最適地
半島から対馬壱岐づたいに唐津から糸島、博多湾あたりが船の終点
北部九州でクニが乱立し統一した王朝が本州に渡って行ったんじゃないの?
半島から出雲まで当時の日本の技術で船の往来が出来たと思えん
後の年代になっても鴻臚館のような外交の場を置いているし
北部九州にルーツがあるとしか思えない
更に年代が新しくなって元寇、文禄・慶長の役などでも半島、壱岐対馬、北部九州が舞台になっている
中世になっても航海技術を持っていなかったことが分かる >>568
魏志倭人伝の記述の事で、馬とか言っている訳じゃない >>563
個人的には、魏志倭人伝の記述内容は信頼度ゼロだな。
浦島太郎や桃太郎のおとぎ話のほうがまだマシ。 >>570
なんでそこまで書いてて邪馬台国が奈良だと思うのよ 宮内庁は箸墓古墳の調査を早く行ってほしい
箸墓古墳の調査を早く実行させてほしい。
>>569
未開の地が多かった時代だから、
「俺スゲーもん見つけたっスよ!」
ってある意味言ったもの勝ちな時代。
自己利益の為に噂を誇張・模造して、見栄を張った文書が意外とウケて後世に伝わってしまった。
というのはあり得る話だと思うねw >>573
魏は卑弥呼に金印を与えてる(邪馬台国の国力を把握してた)し、
倭人伝って中国の正史の一部だし
さすがに信用度ゼロは無理があるわ。 >>560
いや鏡も古墳も学者が意図的にやってるでしょ
100年も時代を古く見せるとか悪意でしかない
もちろんそんな輩は一部かもしれんが
端から見ててももう信用はないよ 江戸時代から論争が続いているのはこの話では
知っておくべき初歩的なことだろう
誰もが知っている有名どころで言えば
新井白石と本居宣長だろう
新井白石は当初、日本書紀に照らして
卑弥呼を神功皇后とし畿内説をとった
が、後に魏志倭人伝の内容から九州説に転向する
本居宣長も九州説を主張した
だから、実は定説はずっとこちらだった
その定説に異を唱えたのが、明治期の終わりの
内藤湖南(京都大学)の畿内説
ここで振り出しに戻る(新井白石の初期)
それに対して白鳥庫吉(東京大学)が九州説を展開
そして戦後はGHQの影響が強い(これを無視することは出来ない)
>>577
単に周囲をことごとく従属させてたって見栄張ったって線もあるかと。
支那ってそういう文化だし。 >>1
【箸墓古墳】by Wiki
@.
築造年代は3世紀末から4世紀初頭
とする説もあるが、
卑弥呼が死亡したとされる3世紀中期との時期にずれがあることや、
古墳の規模および様式が魏志倭人伝の記述と異なっている。
A.しかし、
周辺の周壕から出土した土器の考古学的年代決定論により箸墓古墳の築造年代も
卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀の中頃から後半とする説もあるものの、
近年炭素14年代測定法では50-100年程度古く推定されることが明らかとなっている。
B.
墳墓からは種々の特殊埴輪類が出土しており、また周壕から馬具が出土していることから、
4世紀中期以降の可能性もある。
Aだけで大騒ぎw 某国かよ 超あやしいわ
Bだろうな せいぜい@ >>578
>100年も時代を古く見せるとか悪意でしかない
その現在通用してる年代館から100年下げろの根拠は?
「それらは間違いだ捏造だ」
「だから昔に戻せ100年新しくしろ」
って話ならちゃんと確認してから納得するように
昔の教科書にあった
「古墳時代は3世紀末から4世紀始め」
なんて三角縁神獣鏡舶載説や
高地性集落の研究がまだまだだった時代の
畿内説を前提にした学説が元だったって知ってるか? >>574
纏向がおそらく最有力なんでしょ?
だから纏向に至る過程を書いた
俺は博多湾から数キロの所に住んでいるので
吉野ヶ里や糸島、名護屋(秀吉)あたりしか見に行ったことがない
どう見ても吉野ヶ里程度だと統一王朝なんて夢のまた夢 >>538
オラげの方でも最近ではこんな母子家庭をよく見掛ける
@YouTube
きっとブスでもコウノトリでもエエと思っている思う
まぁ〜河原や山奥に捨て子探しにいき猫めか犬めでもめっけてくっぺ
キツネ女でもエエ >>570
ルーツ.ww
くにのなかたちのみこと
火玉の国
そもそもこれが何処なのかすらわかってないだろw
邪馬台国がルーツてw 金印が重要で 、当時の人々は「漢委奴国王」を
初代天皇として数えていたとすると年代が合うんだよな・・・
西暦57年 漢委奴国王(初代天皇)
西暦57〜137年 倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)
西暦146〜189年 倭国大乱、桓帝と霊帝の間(146年 - 189年)
西暦189年頃 卑弥呼が女王になる。
西暦193年頃 飢えた倭人1000人超が食料を求めて朝鮮半島に渡った。
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなった。
飢えた倭人1000人超が食料を求めて朝鮮半島に渡ったという記録があるから
大飢饉によって九州が壊滅的なダメージを受けて
奈良に首都を移したのだろう。
>>579
最初からピント外れ
そもそも新井白石や本居宣長の九州説は
歴史じゃなくて国粋主義・皇国史観から出てきたというのは
誰でも知ってる話
むしろそれ以前は邪馬台国と言えば大和というのが暗黙の了承 >>577
だから、個人の考えだって書いてるだろう。
魏志倭人伝をどう考えるかなんて、個人の自由。 >>578
いや、考古学者の年代観は今ではほとんど全員同じ
せいぜい10年20年の差しかない
もしあなたが捏造やってる学者は一部だけと思ってるなら、それは誤り
全員が捏造やってるとみなさないと整合性が取れない 歴史学者とやらが作り上げた歴史って本当にバカだなw
石器時代、縄文時代、白亜紀www
全部バカw
んな妄想、教科書に載せるなw
テストにすんなw
信じちゃうバカもいるしw
>>585
邪馬台国?
纏向のルーツは航海技術的に北部九州ではないかと書いただけ 倭国は元百余国あったが何らかの原因で三十余国になってしまったと記載がある
この意味は百余国とは北部九州〜近畿、東海あたりまでの国を指しており
その中から北部九州の三十余国が抜け出して魏国に自分達が倭国だと名乗った訳だ
従って倭国の東の海を渡れば亦倭人の国があると言う表現になる。
>>586
初代天皇ww
テンノウなんていねーよw
明治に出来た制度だってのw でもわざわざ魏王が金印を送るってことはよっぽどの国だったんじゃないの
隣の某国は銅印しかもらったことないらしいどw
ちなみに漢って中国の事じゃねーからw
あと、倭も魏も一緒や
奏や栄も中国の事じゃない
>>587
お前の言ってることがピントどころかド外れ
白石や宣長は皇国史観から畿内説取ってたんだぞ
それが魏志倭人伝熟読してからはどうしても無理
白石は九州説に変わり、宣長は卑弥呼は天皇を語った不届きもの
としながらも九州説を取ったんだよ
ついでにそれ以前の大和が暗黙ってソース頼むわ ネットのセンセーショナルな記事に踊らされてる馬鹿が多いこと
よしんば年輪年代とか理化学的年代測定が今後
「問題ありました一度白紙にします」
となっても九州説論者が妄想してるような昔の年代観に戻ることはないよw
>>581
>周壕から馬具
箸墓の完成後、数百年間は管理されてただろうから
周壕から比較的新しい時代のものが発見されても不思議ではない。
まさか箸墓の完成後すぐに箸墓は放置されたと思ってるの? >>587
こらこらw
その国粋主義・皇国史観とやらは
いつの時代の言葉だね?
だから占領政策の影響を今も受けていると言っているんだよ >>594
金印を送るwww
そもそもんな制度ねーよw 烏丸鮮卑東夷伝倭人条なんだから倭人伝と一つの伝が出来るほど
曹魏が情報持っていたわけではないんでしょ
どれだけ熱く議論してもいいから
邪馬台国はヤマト国と読むてことから始めようぜ
なんでいつまでたっても訂正されないんだ
九州の一豪族でしかなかった卑弥呼が畿内のヤマト王権の威を借りて邪馬台国とか吹いたんじゃねえの
それなら邪馬台国は九州にあったが遺跡として残るほど大きな国家ではなかったって事で辻褄合うわ
ちなみに学者達が縄文人って呼んでるのは、土蜘蛛の事だから
そら骨格やら何やら違うよ
この意味すら多分理解出来ない人いると思うけど
>>593
天皇制は、7世紀に天武天皇が作った制度だよ。 >>605
テンノウなんて居ないっての
アマノスメラ氏族の事?
アマノスメラ氏族なんて魏志倭人伝にも古事記にも出てこないよw ちなみにアマノスメラで一番偉いのは関白だ
秀吉が氏族以外で関白になったから、家康がそれを禁止した
ちなみにこの時代にもテンノウなんてのは居ない
>>606
倭人伝なんかない伝の中の条でしかないんだよ 魏の年号を持つ銅鏡が全国の古墳から出土してるんだから、邪馬台国とヤマト王権の関係がかなり深いことは明らか
>>602
それなら神奈川の大和市でよくね
まんまヤマトだし >>603
もしそうならヤマト王権とやらも魏に使い送るでしょ
そういうことは一切書かれてないから
仮に畿内に豪族は居たとしても使節を送るほどの
力はなかったんやろね 奈良は三十余国の内には入っていないから魏国との交流は無かった、従って
魏使が奈良に訪れる訳が無いと言う事だな。
>>611
ヤマト王権って何?w
江戸幕府の事?
そもそも日本民族の発祥はくにのなかたちのみことだぞ?
イザナミとイザナギの子供が日本民族 >>606
???
7世紀以降は7世紀以前の王のことも
天皇と呼んでるんだが 日本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており
漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時 九州北部に鉄を持った天孫降臨族が発生し
博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は ニニギのヨシタケタガギ 金印(カンノイトコクオウ)同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)
場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)倭の五王(都督府を大宰府へ) 岩井天皇の律令制度 サチヤマ白村の戦いでの敗戦および唐軍の大宰府進駐などがあり700年まで続いた
100年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがいまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け
神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 本来であれば神武の正統は大勢存在したが内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし
継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった
半島の高句麗との戦いの援軍を装い岩井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した
>>616
テンノウなんていない
アマノスメラ氏族の事?
そもそもアマノスメラは氏族の名前であって王じゃない
征夷大将軍が王だから
テンノウってのは明治政府が作っただけ >>589
自分に都合がいい年代に会わせたけど
後で元資料から捏造がバレたとか
一部の悪意ある人間の仕業と考えたかったけど
まさか学者がみんなその嘘に乗っかってるとすれば
本当に終わってるな 明治以前にテンノウがいたと言うのなら、明治テンノウの、一個前のテンノウの名前言ってみろって話w
ちなみに昭和天皇はヒロヒトさんな
これ、ダーレも答えられんw
だって明治以前にテンノウなんて存在しないんだからw
>>619
フルベッキ写真に大村寅之助が写っているやら
田布施システムやら主張している人ですか?
遣隋使が天子(天皇)と言ってるんだから天皇でいいじゃん >>619
お前のトンデモ説はそれくらいにしておけ(笑) 京都の御所にいた氏族の名前が天皇(アマノスメラ)な
これ、テンノウじゃないから
>>596
>ついでにそれ以前の大和が暗黙ってソース頼むわ
北畠親房「神皇正統記」とかな
それに湖南の神功皇后引き戻し説とか知らんのか?
(ちなみに湖南は本当に神宮皇后説を支持したんじゃなくて
もう一度昔に立ち返る意味で言った)
まあ九州説が皇国史観からスタートしたのを認めたくないんだろうがw 想像や妄想で話す馬鹿が増える一方やから
適当に奈良のままにしとけや。
見たわけでもあるまいし偉そうに語る奴ww
>>624
じゃ答えてみろって
ちなみに明治天皇はムツヒトな >>598
こじつけはやめてねw
総じて畿内の古墳時代のもののうちのひとつに過ぎん
弥生の終わりのものではない
畿内にはなにもない >>626
はぁ?おまえそれって南朝とか北朝とかの話だろが
それと邪馬台国が大和ってどうつながるんだよ
呆れるぞ >>620
>>612
無理でしょう。
奈良(大和)にしか三輪山(御神体)や
重要な天皇陵はないし。
まさかヤマトっていう音だけあってればいいと思ってるのか >>631
九州に邪馬台国があったとして
どこが有力地だと考えているの? >>626
皇国史観は長州政府が作ったよ
侍の国を滅ぼして、城や寺院を燃やし、イギリスからの援助を受けて、倭を滅ぼした訳だから
んで、統治するにあたってそういう歴史を作った
例えば因幡の白兎の場所はここだって事で因幡神社なんてのも作った
古墳も作った
皇国史観に合わせていろんなものも作ったよ くだらねえな。人格障害のサイコが書いた妄想世界の村がどこにあったかなんて探しても無駄だろ。
>>621
世の中の学者全員を騙せるとまだ思ってるのか
学者はそんなにバカじゃないよ
自分の専門分野や地域と整合性を確認する
流通が活発化してきた時代だし全国各地で同じ土器が出る
同じ土器型式なら全国どこでも同じ年代になる
近畿だけ100年ずれるとかないから だいたい因幡の白兎って、ウサギがワニの背中をピョンピョン、、なんて話じゃねーつーの
稲葉のアリトの話なんだから
ウサギ関係ねーつーの
>>637
中華の文明を宇佐までどうやって運んだの? 近畿の男系は縄文系の遺伝子は結構残っていて、他の地域と大差ない。
畿内の弥生時代の遺跡は縄文時代の遺跡に連なるものが多い。
渡来人が縄文人達の水源を奪った痕跡もない。
渡来人達が新たに住み始めたのは洲や井戸の技術がないと住めない水利の悪い台地。
2世紀半ば迄は環濠が要らなくなるくらい平和な時代になっていた。
神武東征前のヤマトの記述。
ナガスネヒコ、ヤソタケル、土蜘蛛、皆仲良く暮らしていたんだな。
温暖で河内湖の水資源も豊かで稲作も盛んになり、豊かな地域に発展したんだろう。日本書紀でいう食国、芦原中津國。 クニ、クナ。
スサノオが豊かな田に嫉妬して度々荒らしにきたとあるだろう。近畿周辺の東海や山陰の勢力が嫉妬したんだな。
そして征伐に来る。
倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だよ。
畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によってヤマト政権が始まる様子が記述されている。
畿内征伐によって誕生した邪馬台国、ヤマト政権の主体は、尾張、出雲、吉備。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
初期のヤマト政権に虐げられていた元々の畿内の人々と関東の先住民が手を結び神功皇后応神を旗頭に立ち上がったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子の討伐、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。
魏志倭人伝
> 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日 彌 彌 那 利 可五萬餘戸
日本書紀 巻第七
> 二曰 耳 垂 。殘賊貧婪、?略 人民。是居於御木木、此云開。
つまり投馬国は御木
いまの福岡県三池郡あたりと比定できる
この部分についてはほぼ間違いない
邪馬臺国は畿内
はいはい東遷説信者による
『 鐙 詐 欺 』
先ずwiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%99
>紀元前5世紀頃の古代インドで発明された物に、
>繊維製や革製の鞍の前方からぶら下げた2本のロープの先を輪っか状に結び、
>真っ直ぐ前へ伸ばした足の親指を引っ掛け楽な状態を維持する物があった[1][2][3]が、
>騎乗時の保持を目的とした物ではなく現在使われている鐙と直接の繋がりは無い。
「3世紀に鐙なんかない」
というのは乗馬中も姿勢を保持できた現代に通じる鐙
(だから三国志演義を基にしたアニメや漫画で関羽や張飛が
馬上でガンガンやり合うのはかなり誇張されてると見たほうがいいw)
単に馬に乗る足がかりなら紀元前にあったという話やな >>644
そもそも前方後円墳が作られたのが明治時代なんだけど
古墳時代なんてそのものが存在しないんだよ 鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか?
邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える
稲作民の国を狩猟民が侵略してできたのが、ヤマト政権と言えるだろう
また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる
初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力が関係していたのかもしれない
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル
アチメ オオオ オオオ オオオ
猟夫ラガ 持タ木ノ真弓 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
上リマス豊日霎カ 御魂欲ス 本ハ金矛 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
三輪山ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
吾妹子ガ、穴師ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
魂筥ニ 木綿取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ
東遷説に九州王朝説
今度はGHQ陰謀論
本当電波ゆんゆんだらけの九州説
まだ学術のテーブルに乗せることができる九州説って
こんな掲示板じゃあ100人に一人ぐらいか?(それもぁゃιぃが)
九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから
隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい
隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった
当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる
それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな
↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
わかった?
そもそも卑弥呼時代は大和朝廷が北部九州なんか征服してる
わかった?
三国志の東夷伝は色々嘘臭い
古事記の裏を読んだ方が真実に近いと思う
>>645
倭の徒が、九州いって済州島いって半島に渡って、九州や済州島や半島のソフリを開拓したって所から読めよ
けど九州からより新潟の方が近いよねって話だよ
海をわたってきた太秦ってのも ヤマト王権と邪馬台国が同時代だったのは必然。
そもそも本州四国が纏向に本部を置いて連合王権を作るきっかけが
北部九州(邪馬台国)が大陸の大国「魏」の冊封を受けたどころか魏を国内に招き入れたから
太秦ってのも外国人じゃないよ
海を渡った開拓者だよ
戻ってきたってだけ
邪馬台国の南の狗奴国
魏志倭人伝の狗奴国の版図は南河内と和泉だろう
元々狗奴国は畿内くらいの版図があったんじゃないかな
2世紀末の畿内征伐で、なにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力によって征伐されたんだろうな
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦だろう
狗奴国、卑弥弓呼は道饗祭と関係があるかもしれない
根国、底国の侵略に抗ったとある。
道饗祭
高天之原に事始めて、皇御孫之命と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、
八衢比古・八衢比売・久那斗と御名は申して辞竟へ奉らくは、
根国底国より麁び疎び来む物に、相率り相口会ふ事無くて、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守・日の守に守り奉り斎ひ奉れと、
進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・辺高知り、・腹満て雙べて、汁にも穎にも、
山野に住む物は、毛の和物・毛の荒物、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、
横山の如く置き足らはして進る宇豆の幣帛を、平けく聞食して、
大八衢に湯津磐村の如く塞り坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂御世に幸へ奉り給へと申す。
又親王・王等・臣等・百官人等、天下の公民に至るまでに、平けく斎ひ給へと、神官、天津祝詞の太祝詞事を以て、称辞竟へ奉らくと申す。
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和
>>654
魏も倭も一緒だっての
中国関係ねー
倭が色々と開拓してるんだよ
邪馬台国なんてのはそのうちの一つってだけで女王もクソもない >>640
>同じ土器型式なら全国どこでも同じ年代になる
>近畿だけ100年ずれるとかないから
そう
昔の年代に戻せと言ってる一部の頭おかしい連中にしても
年体比定に有効な舶載品が豊富な九州の考古学に
真正面から文句言うやつは見たことがないwwwwwwwww
つまり本州と九州の間に100年の時空の歪が
あるというのを放置したままの
漫画の世界なんやなwwwwww
まあこう言うと
「先進地域の九州と後進の本州(特に畿内)で100年の開きあってもいい」
とか抜かすバカが出てくるだろうが
土師器が「斉一性」をキーワードにしたものだと
理解してないか知らないアホばかりとwww 邪馬台国は北九州だろうな
それが滅んで生まれたのが大和政権の元
ただし、本当の意味での大和政権になったのは、近畿に進出してそっちの豪族と婚姻を結んでから
ちなみに国ってのは地域の意味だからな?
例えば中国
これ、なかつくにって読む
倭人にとってのなかつくにってのは、今の日本の意味で中国関係無いから
さっきから中国だのなんだのいってるバカがいるけど
魏も漢もそもそもが中国じゃねーよ
三国志も中国の話じゃないよ
>>647
明治時代に朝鮮が作られた歴史からすれば
そう見えるんだろうな
明治以前に朝鮮には歴史なんて「無い」からな >>661
ちなみにこの歴史観は満州国のもので、これも明治時代に作ったもんだよ
それを今の中国が引き継いでるだけで、本来は全然違う
三国志伝なんて中国の中国人の話じゃない そもそも中国の史書に書いてあることを無批判に受け入れることはできない
魏志に比べて新しい史書である隋書ですら当時の日本の政治体制を間違って記述してる
つまり、卑弥呼が実在したかどうかすら怪しいということだ
言えることは、畿内と当時の中国とに交流があったということ
>>640
型式が同じ土器でも同じ年代にはならないだろ
見本があれば古い型式でも継続して作成されることはよくある
そういう細かい検証をせずに杓子定規に当てはめるから
強引な年代捏造に繋がっていったんだな >>662
帯方郡は?
楽浪郡含めて向こうの連中は否定しているけど >>664
だからその時代に中国なんて国はねーつーの
満州国に住んでたのは五つの民族だっての
交流があったのはその辺りだよ
にしても倭は開拓してやった側であって、大陸様なんてのは無い >>664
魏は半島に攻め入ったけどさぁ
そこまで火病起こして魏を批判しなくても >>664
魏は卑弥呼に「親魏倭王」を与えている。
これは魏にとっても大きな出来事で
だから歴史書に書かれている。 >>657
中国の文献資料によると、魏皇帝が倭国の王に金印を授け親魏倭王の称号を与えたとあるから親密な関係ではあったが一緒の国ではない
邪馬台国の場所は間違いなく中国寄りの九州、九州全土は支配してたと思うのが自然 箕子朝鮮、衛氏朝鮮、楽浪郡、任那、加羅をれきしでは教えないんだっけ?
>>661
中国って中華思想の中心国のことだろ。
漢や魏を中華思想から切り離すのは無理がある。 >>664
ぶっちゃけ古代から中国にすりゃ東の海のその向こうなんてどうでも良かった
物珍しさだけの半分神仙の世界
(倭人伝によれば当時の倭国には100歳の老人がゴロゴロいるそうなw)
本当に太平洋なんかに興味持ち出したのは
ここ数十年だろうとw
こんな巻末付録のおまけの一部の記事で
正確に日本の何処かにたどり着けるとか
考えるほうが頭おかしいわw
でもその前提がないと
「暗号解読ごっこ」
が成立しないw
「行程記事に拘泥しない」と言ってる畿内説に
行程記事の解釈ふっかけるアタマオカシイ馬鹿が
九州説の連中
さっさと九州説で最有力説とか決めろよ
カスども 真相はこんな感じ。
我々はヘブライ民族。イスラエルからやってきた。イスラエルを出た後、秦の始皇帝が中国を統一(つまり始皇帝は日本人の祖先)。
始皇帝は、一族の徐福に日本行きを許可(旧約聖書イザヤ書の「東の島々で主を崇めよ」に沿った行動)。
徐福は、九州に上陸、佐賀に、吉野ケ里を築いた。そこから卑弥呼の一族が発祥し、代々、九州を平定して後、日本全体を手中に収めるため、
東へと勢力を拡大。最終的に都を奈良へと移した。それが邪馬台国(やまと=神の国、ヘブライ語)。
そこで卑弥呼は生まれ邪馬台国女王となった。
そもそも中国の魏志倭人伝自体中国語で書かれているわけで日本の地名自体漢字の当て字
邪馬台国自体漢字の当て字で本ならヘブライ語読み
そもそも邪馬台国の住民自体遊牧民のアイヌ達なのだから場所など移動しているわけで
祈祷文化もアイヌ達の文化なわけで
中国の魏志倭人伝自体に示す場所などから九州はありえない
しかも島なので本土の奈良もまずな考えられない
邪馬台国のある島の大きさそして周辺の国の数そして海と島を何度も渡っていく距離
示す場所などから四国なわけで山岳信仰のあった邪馬台国自体が剣山に示す場所こそが本当の意味場所では
そこから邪馬台国自体の住民が近畿の奈良に移っているかもしれないが
>>604
まぁ〜八つ裂きにしろ! とか嘘発百とか八百野鳥とか
ヤマタのオロチ退治も裏切り者馬鹿ガラスの手引でアパッチ続をだまくらかして追いやった話だんべw
阿部の生命のかーちゃんもキツネめ見たいだから秀吉と同じタイプだわな >>669
実は……大したことではない
朝貢の挨拶すれば大体貰えたから
わざわざ史書に書き残したのは、今まで接触がなかった新しい国という出来事が大きかったせい >>671
まあ、共和国みたいなだろうな。
その代表が邪馬台国。血縁関係が近畿開拓し台頭しそれが大和かも? >>674
7世紀には日本に攻めて来てるし
金印を与えているし、
金印をなんだと思ってるんだ。 まあ本題の吉野ケ里で言えば
保存された経緯が邪馬台国絡みである以上
今更邪馬台国の看板下ろすわけにいかんだろうが
それ以前に環濠集落が弥生集落のデフォではないというのが
もう立ち位置を何処に置くべきかって話だな
ここもご多分に漏れず赤字だそうだが
今後一体どうなるのやら・・・・
>>246
新作のトゥームレイダー、予備知識無しで観たら卑弥呼が出てきて面白かった! >>678
金印は簡単に与えないよ。朝鮮半島は銅印。
魏から倭の他に金印をもらってたのはクシャーナ朝(インド)
中華思想は、中国にとって最も重要な政治システムなので
金印を簡単に与えるとかありえない >>665
近畿地方固有の土器が九州でも出たとする
九州の土器年表に当てはめると西暦250年になったとする
ほとんどの考古学者は近畿で出る土器も250年と考える
しかし九州説論者はそれは350年だと主張する
近畿地方固有の土器であるにもかかわらず九州の方が先にその土器を使い始めてたという、おかしま話になる
これでも納得しないならお好きにどうぞ >>676
歴史研究家は九州と四国全土を支配しているという見方
愛知県の熱田神社にあった古事記以外は明治の長州政府に燃やされたからあれだけど、古事記を日本民族の歴史書だとした場合、日本の発祥はくにのなかたちのみことであり、イザナミ、イザナギの子供
で、その場所はどこか?っていえば、くにのなかたちのみことは火玉の国の飛騨だし
アマテラスが生まれたのが中国(なかつくに)の、今の岐阜の中津川市
岐阜や愛知が中心にはなってくるけど、そもそもが古事記がそういう土地の書物だからこれはし仕方ない事
そもそもまだ世界が海に覆われてた時代からの話だから
ちなみにその時代って今から2000年も前の話じゃ無いと思うけどなあ
世界中の歴史や伝承を見ても、古事記の世界がまだ混沌としてた時代ってのは、そんな大昔の事じゃ無いと思う
やがてカミナリが鳴り、雨が止み、水が引いていって今の大地が出来た
だから大国主やイザナミ達のいた頃ってのは水に浸かってない山間部だったわけで
>>669
魏も倭もヤマトだっての
託された人たちだっての 中華思想って別に何でもないよ
イギリスで言えばイングランドみたいなもの
それをイングランド思想とは誰も言わないだろ
金融街ロンドンを中心とするもの
ただ、それだけだよ
>>684
それは土器がどこで生産されたかが全く考慮されてない
やはり学者の考えは悪質で思慮も浅いんだな
いくらでも捏造するわけだ >>683
朝鮮は中国の一部って認識だから与えるわけがないw 魏志倭人伝かの記述に補足すると、倭国は乱れ大乱があった
戦うのに疲れた国々は中立的な盟主として卑弥呼を女王に祭り上げた
すなわち女王国は戦乱の中に生まれた連合国家だった
卑弥呼が死ぬと男王が立ったが中央集権を目指したのか反乱が続発した
そこで男王を廃して、卑弥呼の一族から再び女王を立てた
このほかに狗奴国と争っていたという記述もある
すなわち、女王国に所属する国々は常に緊張状態で国内どこでも戦備の必要があった
ということは環濠集落が増えていく九州のほうが所在地として合理的と思える
一方、この時期にはすでに畿内に初期大和朝廷があって、すでに勢力圏では中央集権を成功させていたという考えに至る
独立性のたかい勢力の排除に成功した畿内では環濠集落がなくなっていった
>>686
だから縄文時代だの古墳時代だのなんて時代は無いよ
一度地球は混沌としてる
ノアの箱舟もその時代の話
見つかる化石ってのもこの時に流された動物や人間達のもの
だから山奥からも化石が出る
白亜紀だのなんだのってのも全部嘘
シーラカンスが化石になったのもなん億年も前の話じゃない >>688
金融街はシティ
金融街東京ではなく兜町というでしょう 魏が一番強かったけど当時はまだ呉も蜀もあって孫権と劉禅生きてた
魏からは邪馬台国は建業の東で
倭の王たちを家臣にしておけば包囲できると考えてた
>>578
へえ、じゃあその「100年新しい正しい年代観」ってのはほんとに正しいのかい?
どうやって決めたの?
誰が正しいって決めたの?
キミが決めたのかい?
昔の学者が決めたことはすべて正しいわけ? >>696
朝鮮なんて国もねーよ
だいたい開拓時代の話
例えば大連を開拓したのは日本人だぞ?
与えるも与えないも無いよ
当時のヤマトはいろんなところを開拓してたよ
半島にまで渡ってたし >>688
違うよ。
中華思想っていうのは序列で
中華が社長だとすると金印は専務
銅印は一般社員
一般会社で例えるとそれくらい重要 >>689
近畿地方固有の土器を九州発祥だと強弁したければどうぞ好きにしてくれ
土器の形式変化も製作技法も全部無視して言い張ってればいいんでないか? >>694
そんな話じゃないよ
産業革命の地はスコットランド
だが、あくまでもイギリスの中心はロンドンだった
ずっと金融の国なんだよ
古代支那もそう
中華思想の中心は「金」「金」「金」金融なんだよ >>698
実際に朝鮮にあった国に銅印与えてたんだが >>675
まぁ〜祇園祭に知る苦労働の描写を描けるほど権力の中枢に入り込んでいながら
なんぼ長旅で文官の数が減ったとはいえへブラ以後を歴史の中から消し去った行為は誰が書いたか分からない正書を残した民族と矛盾する
明治維新以降漢字ヘブライゴモドキを使用したのにも何か糸が有るのだろう >>699
そんな史実ねーよ
愛新覚羅ってそんなに偉いか?
あれも今の中国と関係ないマンチェル民族だし
あとはモンゴル民族や朝鮮民族ぐらいだよ
日本民族と関わりがあったのは 邪馬台国が何処にあったか知らないが、「倭奴国」と書かれた金印が博多湾の出口にある志賀島から出土したことから、もともと吉野ヶ里遺跡あたりにあった倭奴国から津波で北に20kmくらい流されたと思っていいんじゃないの?
証拠は無いが、今でも佐賀県には「自分は卑弥呼の子孫じゃないの?」と感じる女性が結構居るんだ。
その力は女性の能力を研ぎ澄ませたようなもので、見当もつかない状態で、往くべき道を見つける力だ。
オレの近くにもそういう女性が居て、困ったときにはかなりの助けになる。
意外とこの「卑弥呼の能力」というのは、超能力に近いもので、遺伝するものではないかと感じる。
北九州だ近畿だと延々やるなら間をとって中間の島根でいいよ。やりとりあったんだし。
「女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、
侏儒国がその(女王国の)南にある。人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、
女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)
東南にある。船で一年行くと着く。」
要するに実際に言っていない所の数字はデタラメばかりと言う事だ。
倭人伝に記載している数字は半分も信じられんと言う事
>>702
どの国の事だよ
つーか、そもそもどの民族の事だよ
朝鮮半島にいたのは朝鮮民族として(この時代の後の移民って説もあるけど)、じゃあ君のいう当時の中国って誰だよ?
清朝の事か?
じゃマンチェル民族?
愛新覚羅達の先祖って事?
それともモンゴル民族?
誰のことだよ? 倭の定義は曖昧で、朝鮮半島南部も倭に含まれていたのは事実
古代中国に朝貢した倭王に、朝鮮半島南部の軍事権などを与えている
倭王武が与えられた称号は、「使持節都督・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」
>>697
その「昔の学者」ってのが
実は九州説にとってはラスボスに等しかった
京大の大先生だったってのが笑えるwwwwwwwww >>709
日本民族が海を渡って開拓した土地なんだから海渡るだろ
朝鮮半島の事なんだから
百済って日本民族の国なんだし
邪馬台国ってそこの事だよ 「日本」は民族名称ではありません
国家名称なので日本民族という言い方に違和感を覚えないのは
朝鮮人かなと思ってしまいますよ
なぜなら、朝鮮民族などという名称よりも日本国名称のほうが
はるかに古いからです
帯方郡(海岸)〜狗邪韓国(海岸) 7000里
狗邪韓国(海岸)〜対馬国(北岸) 1000里
対馬国(北岸)〜対馬国(南岸) 800里
対馬国(南岸)〜一支国(北岸) 1000里
一支国(北岸)〜一支国(南岸) 600里
一支国(南岸)〜末盧国(北岸) 1000里
末盧国(海岸)〜伊都国(末盧国と伊都国の国境線) 500里
伊都国(末盧国と伊都国の国境線)〜奴国(伊都国と奴国の国境線) 100里
合計12000里
奴国(伊都国と奴国の国境線)で丁度12000里になる
女王国とは伊都国と奴国の国境線付近(つまり女王国とは伊都国と奴国)
>>700
作成場所はどこでも畿内から作る人が移れば
同じ土器でも年代はバラバラになる
起源がどうとかの話じゃない
そんなことも頭に浮かばないほど畿内に取りつかれて
もう考えが凝り固まってるんだな >>711
百済ね
ソウルって名前は開拓した日本民族が付けた名前
その後、新羅とかと色々あって半島は三国に分かれた
これが三国志伝であって中国の話じゃない
その後、満州国建国に当たり、日本民族や朝鮮民族やマンチェル民族の話である三国志伝を満州国の歴史書にしただけで >>716
>作成場所はどこでも畿内から作る人が移れば
その場合畿内より新しいよね?w
もう少し考えて書き込みませう >>714
使ってて違和感あるよw
日本なんて名前がそもそも明治以後だもんな
元々は明治政府に滅ぼされた侍の国の大和民族やね
今後は大和民族って言い方に変えます >>697
年代を捏造してたと証拠つきでレスされてたんだからしょうがないだろ
責めるなら捏造してた学者を責めろよ >>719
日本の国家名称は
現存する国家中で最古の名称
朝鮮が出来たのは明治時代だから
そう思えるのかもしれないが 半島は置いといて、大陸はマンチェル民族の清と、モンゴル民族の蒙古ぐらいでしょ?
有名なのは
秦なんて中東の方なんだし
当時の中国中国言うけど、どの民族の事言ってんの?
漢ってのは韓と同じ意味で半島の事だぞ?
だから現在、中国大陸には漢民族なんてのが存在しないわけで
>>711
「漢委奴国王」の金印をもらった
西暦57年には新羅の王も倭人になってるから、
新羅の支配権も漢委奴国王に認められたと考えられる。 >>715
卑弥呼は伊都国に居たと魏志倭人伝には書かれてる。
「世有王 皆統屬女王國」
「(伊都国には)魏の世に王(卑弥呼、壹與)がいて、(倭の国々は)皆、女王国(邪馬壹国)に統屬していた」と記された伊都国に居して倭の国々を支配していた。
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国の北側の諸国には、(女王が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王が)伊都国で(一大率を使い自女王国の北側の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ。」 >>674
とびっきりの阿呆がおでましかw
当時の東アジア世界において、中華世界の拡大は最重要事項だろ。
忙しいさなかに蜀が南方、呉は公孫氏や南西諸島、最大勢力の魏も北方騎馬民族や
北東の半島情勢にコミットした。そんな中で、魏が公孫氏を滅ぼしたときにタイミ
ング良く朝貢に来た東の果て東夷の蓬莱から朝貢が来た。これは軍事的には勿論、
シンボリックな意味でも非常に重要な事項だった。これは常識じゃないか。三国は
軍事だけじゃ泣く、文化や科学の領域でさえ勝負してたんだよ。
お前のような反科学の不可知論が大手を振って歩き回ってるから畿内説が理系から
馬鹿にされてるんだよ。恥ずかしいから二度と出てくるな。 >>723
江戸時代の日本の事は何て呼べはいい?
そもそも江戸時代はまだ国家じゃなくね?
侍の国って自分たちのことを何て呼んでたんだろ?
やまと? >>724
当時の日本だってどの民族の事を指しているんだよ
邪馬台国なんかも東北や関東の原住民族にしてみれば西のローカルの一つだろ >>718
別にどちらが古いとかは元から言ってない
単に学者が畿内に都合がいいように
年代を捏造してたことがわかって腹立ってるだけ >>722
たかが5ちゃんの書き込みを盲信するのかよw
まあ信じる/信じないはお前の自由だが
それが事実かどうか自分で調べてからにしたら?
「根拠?5ちゃんのレスにありました!」
じゃあいくらなんでも馬鹿丸出し >>727
待てって
魏は大和民族だから
魏も倭も一緒
それに三国志伝って朝鮮半島の話でそもそもが中国の物語じゃ無いよ
百済、新羅とかあった時代知らないの?
あの頃の話だよ 魏志倭人伝くらいしか頼る文献が無い時点で諦めろよ
書いてあることがどこまで信用できるのかすらわからん
力で人を制圧するシステムの誕生地なんて知ってどうする
そこから統治が始まって人はコントロールされてきたんだよ
今の原点なんて知ったって無意味だろう
>>725
当時のネトウヨの上田秋成が
見つかった金印について何かいろいろ書いていたな >>206
時系列が・・・
橿原神宮は明治に作ったもの。
石上神宮は、元は武器庫でその管理者にされた物部氏が後に神官になった。
四世紀初めの時点で存在するのは大神神社だけ。 >>729
うん?
くにのなかたちのみことが降り立って、イザナミとイザナギの間に生まれた民族の事
それをルーツに持つその子孫の事を大和民族、、日本民族って前提で話してる
世界がまだ混沌としてた頃、イザナミとイザナギは子供を産んでも奇形児しか生まれなかった
けどある日、カミナリが鳴って空が晴れて、アマテラスが生まれた
そっから子孫が反映し、水が引いて、様々な土地を開拓していったとある
俺ら日本人はその末裔だよ
そっから日本全国に日本人は広がっていった
古事記読んだ事ないの? なんで邪馬台国の話になると、いつも変な統失やら宗教かぶれが湧いてくるんだ?
片っ端からアボーンしてるけど、ホント面倒臭い奴らだな
>>739
ちなみにアマテラスって太陽神じゃなく、カミナリの神様だよ
アマテラスが生まれた時、空を明るく照らしたのが神鳴りだから
この地域では雨乞いの時にアマテラスの神器とか使ってたし >>728
アホですか
日本国という名称が正式に発布されているのは
江戸時代よりもはるか昔のことです・・・はあ・・ >>739
大化の改新正当化のふることふみ成立以前のはなししているっていうのに 伊都国までは精度が高いけど
あとは防衛上の問題から正確な方角や距離を伝えなかった
>>260
崇神はトヨの直系じゃなかった。
だから、王位争いが起きた。 >>728
発言が小学生レベルだな
お前マジで知的障害あるだろう >>716
もう何を言っても無駄だとわかった
一部の九州説論者が学者を捏造呼ばわりするために作った資料を信じたいってことだろ
好きにすればいい >>743
何が?
大和民族の歴史の話をしてるんでしょ? >>746
は?
そのうち江戸時代なんてのも無かったことにされそうだなw
学者によってさ
侍は実在したんだけどなあ このスレちょっとヤバイのが多すぎるな
AIが書き込んでんのかこれ?
>>733
まぁ〜除服は大陸との連絡網を手放さなかったと思う
また日本には大昔からの海洋民族の血脈が初潮の様に流れていた思う
出そうで出ないはババーの月経 >>749
ワニ氏族は和邇氏族じゃん
アマノスメラ氏族とは関係ないじゃん
そういや秀吉がアマノスメラ氏族の関白になって関白政治やったよね
んで半島に攻めたんだっけ?
なんかその後、家康が天皇(アマノスメラ)氏族に、血族以外を関白にするの禁止
って御法度出してたしw >>731
証拠つきのレスは説得力が段違いでね
色々あったが特に鏡と古墳がひどい
関西人なのに一気に畿内説が嫌いになった
所詮畿内説もその程度かと呆れる 古代中国は朝貢した倭王に、朝鮮半島南部の軍事権などを与えている
倭王武が与えられた称号は、「使持節都督・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」
西暦57年 奴国(福岡県)の王に金印「漢委奴国王」が与えられた。
西暦57年 新羅の王が倭人になった。
金印をもらったと同時に新羅の王も倭人になってるから
漢委奴国王には新羅の支配権も認められたと考えられる。
金印が重要で 、当時の人々は「漢委奴国王」を
初代天皇として数えていたとすると年代が合う。
西暦57年 漢委奴国王(初代天皇)
西暦57〜137年 倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)
西暦146〜189年 倭国大乱、桓帝と霊帝の間(146年 - 189年)
西暦189年頃 卑弥呼が女王になる。
西暦193年頃 飢えた倭人1000人超が食料を求めて朝鮮半島に渡った。
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなった。
飢えた倭人1000人超が食料を求めて朝鮮半島に渡ったという記録があるから
大飢饉によって九州が壊滅的なダメージを受けて
奈良に首都を移したのだろう。
>>753
何言っているのこのバカ?
豊玉姫の事話しているのに? もういいよこんな水掛け論のくだらねえ研究に予算割くな
邪馬台国はみんなの心の中にあるってことでFA
>>754
任那や加羅諸国の帰属問題が生じるし
半島系は畿内説支持だよな 伊都国から邪馬台国までの
水行10日(+20日)+陸行1月が
1,500里(112km)なわけがない
伊都国から邪馬台国までは防衛上の理由から
長里で1500里=600kmということにして
魏に問い詰められても勘違いだったと言い訳できるようにしてたんだよ
>>727
>とびっきりの阿呆がおでましかw
自己紹介乙
>これは軍事的には勿論、
>シンボリックな意味でも非常に重要な事項だった。これは常識じゃないか。
まさにシンボリックなお話で具体性がない
単に倭人のそのタイミングでの朝貢を「瑞祥」とみなしたか
積極的にプロパガンダの材料にしようとしたか
魏が倭国に対し厚遇したのは
やれ呉に対する牽制だとか司馬氏に対する絡みだとか
大昔から諸説ある
いくら中身のない能書きたれても
じゃあそれで「行程記事は間違いないもの」と言う保証にならない
>お前のような反科学の不可知論が大手を振って歩き回ってるから畿内説が理系から
>馬鹿にされてるんだよ。
よろしい
じゃあ理系の立場で科学的に行程記事が位置を特定するに足るデータだと証明してくれ
(ちなみに個人的には5ちゃんで理系・文系と嬉々としてほざくやつはそれだけで馬鹿にしてるw) なぜいまだに邪馬台国どうこう言ってるのだろう
考古学以前の江戸時代ならわかる
だが、考古学どころか核遺伝子の配列すら解明されている現代にあってもなお
重要性があるとは思えない
実際、もう1万年以上前のことが次々と明るみに出てきているわけだよ
日本から朝鮮への稲作の伝播も確定したし
日本列島の人間と半島大陸の人間とは遺伝的につながりが無いこともわかった
卑弥呼どころじゃないんだよね
>>757
魏志倭人伝の邪馬台国は九州で結論出てるからね
日本列島の盟主である大和政権は近畿地方にあったから
また別のお話 >>761
ネトウヨと半島系は
任那や加羅諸国は日本が統治していたと認めないって点で協調しているよな
実態は同一の連中なのか? >>756
この時代の読み方や漢字ってむずいね
ほおりのみこと
って書いても当て字沢山ある
姫もこの時代は比売とか豊玉毘賣とか
けどまあ、〇〇こ、が男で、〇〇め、は女だよね
子が男、女が女
ひこ、ひめ、
もしかして「ひ」が付くとなんか位が違うのかな?
あまのうずめ
は、ひめじゃなく、め だし >>761
何とかって作家が書いた、幻の邪馬台国って本が売れて、そっからだよ
邪馬台国論争が起きたのは
それ以降、何故か邪馬台国ってのが日本の初期国家みたいな扱いになっとる
アホなだけ >>763
遺伝子配列で確定しているのは、日本列島の住民は縄文時代からの遺伝子を持ち
中韓にはそれが無いってこと。これはどんな論争も起こりようがない
未来永劫確定事実。半島の半分は古代は日本だというのは
考古学的に確定してるでしょ。縄文遺跡、前方後円墳が出土しているのだから。 >>769
そもそもが縄文時代なんて時代は無いから
あのさ縄文人、縄文人言ってるのは土蜘蛛の事でしょ?
貝塚とかもだし
壁に穴掘って住んでた奴らでしょ? >>643
それどころか縄文系翡翠が北九州の弥生や畿内の古墳前期の古墳で大量に出てますな 九州キチガイの主張
大和と邪馬臺、同じヤマトなのは単なる偶然
朝鮮半島から海を渡るだけなのに旅程がものすごく複雑で長大なのは魏志倭人伝が超精密に北九州の川や地形を描写してるから
昔は北九州は繁栄してたのにその後は不思議と衰退していく
不思議なことに北九州から近畿にみんな引っ越して行った。住民を引き連れて大移動。なぜなのか分からないけど引っ越し引っ越し。
>>762
大和政権が日本列島の盟主になるのは8世紀以降。 >>763
白村江の戦いって何で参加したんだっけ? 卑弥呼の墓は九州の日田、大和の箸墓は台与の墓だ 分かったら寝ろ
>>770
縄文時代があったら困るのはお前ら在日チョンだけだからw >>770
縄文土器が出土する時代を縄文時代というのだよ
土器に縄目のデザインがされたもの
小学校で習うことな >>767
『まぼろしの邪馬台国』宮崎康平1965年だな
それがブームの火付け役だが
正確には松本清張の『陸行水行』が62年だから
清朝の参戦が早いw
まあこの二人によりブームが起きたんだろうと
宮崎が情念の部分
清張が理論の部分ってイメージwww >>765
当時の日本では銅は産出しないから材料が中国産なのは分析しなくても分かってるw そもそも邪馬台国住民自体が中国の存在を知っていたわけでその理由も明らかに
それが一重に邪馬台国住民がヘブライ人の弥生人がいたからで
秦の建国自体中央アジアのメソポタミアのシュメールのヘブライ人が建国した国で始皇帝自体ヘブライ人
これが元で問題の中国がウイグルチベット族を弾圧のきっかけになってるわけで
中国が歴史の隠蔽をしてる要因だが
漢民族自体シベリア系が入ったのは2000年もなく騎馬民族系はずっと後
その秦が15年で中国をすて日本へ弥生人として入ったのが2300年前から1800年前
ヘブライ人が19万人も日本へ入ったことがそもそも争いの発端
元々いた日本人8万人も日本人達がいたわけでそこでの鳥取島根の出雲族との争いが元でこの人骨発見に
弥生人達ヘブライ人が日本での領土争いが元で文化的背景から今の日本かま生まれる
弥生人自体頭蓋骨が偉張ってなく顎が細い
これは食べ物の習慣以外に人種が違う
人骨遺伝子が中央アジアの遺伝子を持つことからも東アジアとは全く関係ない
シベリア系エベンキが弥生人自体頭蓋骨が偉張ってるわけで
シベリア系から南方系の稲作を持ってくることなどあり得ないわけで
弥生人自体が中央アジア系ヘブライ人自体がヘブライ語やヘブライ文字ヘブライ文化を日本に持ち込んでいる
だからひらがなやカタカそして神道文化が昔からあり漢字や仏教は大分後
そもそも中国の魏志倭人伝自体中国語で書かれているわけで日本の地名自体漢字の当て字
邪馬台国自体漢字の当て字で本ならヘブライ語読み
そもそも邪馬台国の住民自体遊牧民のアイヌ達なのだから場所など移動しているわけで
祈祷文化もアイヌ達の文化なわけで
中国の魏志倭人伝自体に示す場所などから九州はありえない
しかも島なので本土の奈良もまずな考えられない
邪馬台国のある島の大きさそして周辺の国の数そして海と島を何度も渡っていく距離
示す場所などから四国なわけで山岳信仰のあった邪馬台国自体が剣山に示す場所こそが本当の意味場所では
そこから邪馬台国自体の住民が近畿の奈良に移っているかもしれないが
弥生人自体西アジアの海ルートや中央アジアから陸ルートと入ってきてるわけで遅く邪馬台国住民自体海ルートからの弥生人ユタ族の末裔祈祷文化を持つ卑弥呼の存在
出雲族の物部氏系ヘブライ人文化を引き継いでいる邪馬台国住民
もう既に地方では弥生人のヘブライ人が九州や沖縄から近畿に掛けていたからこそ多くの国が形成されてる
>>780
日本で作ったら割合までは一緒にならない。 >>762
その大和政権の出自は近畿なのか九州なのか
記紀の建国神話では、日向に天孫降臨した天皇の祖先が、神武の代に東征したことになってる
考古学的には九州から畿内への大掛かりな民族移動があった証拠がないが、
大和朝廷は、正式な歴史として、蛮族とされた隼人が親族であることとか、畿内にすでに別の天孫族がいたことも認めてるわけで、
外部から畿内にやってきたことを明らかにしている 台与 とよって読むだろ
邪馬台国 やまと国
後の世になって たい と読むようになるが
当時は 台はと と読んだ
>>765
これで科学的に卑弥呼の鏡でほぼ確定したね。
年代も合うしね。 邪馬台国も卑弥呼も嘘www
実在しねぇぇぇwwwwww
ウチの近所にあるよ
てかこういう議論いつまで続けるのかね
>>767
>それ以降、何故か邪馬台国ってのが日本の初期国家みたいな扱いになっとる
「於國中有如刺史」とかを鵜呑みにして
3世紀の日本に封建制すっ飛ばして
既に郡県制が敷かれてたようなことを考えるのが九州説
もう邪馬台国云々じゃなくて
日本の歴史の理解の根底から
今の義務教育レベルにすら追いついてない
のが九州説 >>771
日本には三種の神器の勾玉の生産地や工房が北陸や北海道や中国地方や四国にあるのだが朝鮮半島には玉の生産地も工房も一つも見つからないのだ >>777
そんな時代ねーよ
世界は水に覆われ混沌としてて、そこに降り立つ所から今の日本人は派生してるわけで
ここの前提が違うとどうやっても話が合わない
ちなみに土蜘蛛ってのはアイヌではコロボックルって呼ばれてて、他に世界ではドワーフとか色々呼ばれてる種族
マレーシアとかで骨も発見されてるし
ただ日本で花が発見されても縄文人って事にしちゃってるでしょ?
土蜘蛛については色んな記述や伝承が残ってて、実在してるよ >>784
そもそも古代からヤマト民族の支配領域は大八島を含む諸島で構成されている
天孫降臨はあくまでニニギノミコトの生まれた場所だろうと思うよ
ヤマト民族の諸部族をまとめ上げたのが東征でしょう 文字をもたず、裸に入れ墨の土人が戦国時代と同じ版図で競い合っていたと考えないと成立しないのが畿内説
文明の発展段階とか、常識的かつ現実的な思考を完全に排除しないと理解しがたい
ようするにただのファンタジーなんだよ
文献だけからだと
7世紀まで、日本には
近畿の日本と九州の倭という国が有った
そして倭の国の王が、何らかの理由により日本を乗っ取ることに成功した
そして自分たちを正当化するために歴史書を書いて自分たちは、もっと昔から近畿にいたと装った
中国の歴史書からは、こうでないと辻褄が合わない
政権側が書いた一冊の歴史書だと、かなりバイアスがあるだろ。
>>789
九州説は無いよ
ニニギ達が九州を開拓した話あんじゃん
なんかヤマトタケルも九州から来たって事にしたがるでしょ? >>793
>戦国時代と同じ版図で競い合っていたと考えないと成立しないのが畿内説
脳内のキナイセツとのシャドーボクシングは止めなさいアホw >>792
ニニギは九州で生まれてないw
九州にわたり九州を開拓し、海を渡って半島を開拓した
済州島の伝承にもある <丶`∀´>海外の研究だと文献から九州説しかないわな
>>796
まあ、彼らは畿内がガチで奈良県だけだと思ってる人達ですし >>791
縄文土器は現存する
その年代は放射性炭素年代測定により約1万5,000年前から約2,300年前
だと確定している
それを縄文時代としており、それは日本全国北は北海道、南は沖縄まで
まんべなく大量に出土している。海外では朝鮮半島南部、そして
南米にまで及ぶ例がある 古墳を見ても近畿と九州では全く違うからな
九州に日本とは違う国があるという中国の歴史書の記載が正しい証拠だろ
>>798
それキチガイというかデモとかやってる在日朝鮮人の妄想願望 >>803
日本とは違う国ではなくて、ヤマト民族の国家が多数あったと言う話だな
それをまとめ上げたから「すめらみこと」「皇帝」「エンペラー」なんだよね >ニニギの天孫降臨
>建国の起源を、祖神の天上からの来臨に求める考え方は、北方アジア諸民族に広くいきわたっている。
>たとえば、ブリアート・モンゴルの神話には、至高神サガンの孫ゲゼル・ボグドゥが、六種類の神器を授かって地上に天下り、国を建てたとある。
至高神の子じゃなくて孫ってところが類似ポイントだなw
ちなみに赤子を布でぐるぐる巻きにするというのはモンゴルの風習であったとかw
もうすぐ大嘗祭だが新しい天皇が布団の中で一夜過ごすのは
布に巻かれたその状態の再現というせつがあったなw
卑弥呼のエロ画像でも見て落ち着け
>>802
炭素測定法は知ってるし、その測定で得られるもので年代が確定できるものじゃないってのも知ってる
ちなみにさ土蜘蛛って道具も使ってたし火も使ってたんだよ
んで、夜行性で身長は低く、全身毛で覆われてた
北海道ではでっかい蓮の葉で入り口を覆ってたから、蓮の葉を傘にしてるコロボックルって言う小さな妖精みたいなイメージがついた
炭鉱技術に優れて人間が水路を引いて貰ったって話もある
ハワイにも居たよ
縄文人とか読んでるのってこれのことだと思うけどなあ >>27
中国、朝鮮半島にいる鵲や八頭は
美しく高貴な鳥としているんだよな ◆卑弥呼は何者? 総合的に説明を
九州か近畿か。中国の史書、三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」の所在地論争は、古くは江戸時代から続き現代に至るが、諸説入り乱れて決着がつきそうにもない。
その中で最新の統計論を駆使して九州北部と推定し、卑弥呼=天照大御神(あまてらすおおみかみ)伝説へと論理を進める安本美典・産業能率大元教授(84)。
「邪馬台国の会」を主宰し、関連する著書は九十冊を超える。邪馬台国を熱く語った。
−邪馬台国問題を考えるうえで大切なことは?
古代史の全体を見て議論することです。私は九州説ですが、畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。
「長江はある岸辺で見ると南や北に流れ、別の場所では東や西に流れたりしている。しかし、全体としては西から東に流れている」。
これは毛沢東の言葉ですが、学問も同じです。ある特定の岸辺に立って観察して得られた事実が全体として正しいとはかぎりません。
「全体をうまく説明できるのか」が大事です。
−具体的には?
考古学的な議論では「魏志倭人伝」の記述から出発し、データ全体を総合的に公平に比較すべきです。
「倭人は、鉄の鏃(ぞく)(矢尻)を使った」と魏志倭人伝にあります。「鉄の鏃」の福岡県からの出土数は奈良県からの出土数の約百倍です。
弥生期の「絹」は九州からは出土するけど畿内からはほとんど出土していない。
「鏡」や「勾玉(まがたま)」でも同じ傾向が認められます。
全都道府県について、出土数を調べ、その傾向を公平に比較すべきです。
最近はビッグデータ処理の技術が、進歩してきています。
私は便利な確率計算法であるベイズ統計学によって確率計算をしました。その結果、邪馬台国が福岡県にあった確率は、99・9%以上となり、
奈良県である確率は、ほとんど完全にゼロです。畿内説の方に議論の出発点として検討していただきたいものです。
−纏向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないかと言う人もいますが。
纏向の大きな建物の近くからモモの種が出土して放射性炭素(C14)年代測定で分析すると、卑弥呼の時代を含む西暦一三五〜二三〇年代という結果が出たと報道されたことがあります。
しかし、この方法による場合、箸墓古墳から出土したモモの種で測定すると、四世紀を中心とする年代が出てきます。箸墓古墳では年代の古く出がちな土器付着物で測ると、三世紀という年代が出てくるのです。
C14年代測定法というと科学的な印象を与えますが、何を測定するかで年代がかなり変わってくるし、年代推定の誤差の幅も広いのです。
畿内説に都合の良い測定値はマスコミに持ち込み、都合の悪いデータは報道されていないのです。
またモモの種や大型建物のことは倭人伝に記載がありません。古事記・日本書紀(記紀)の記述と倭人伝の記述の擦り合わせも必要です。
−卑弥呼の鏡と騒がれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)はどうみるべきでしょう?
これは古墳時代になってからしか出土していませんし、わが国からは五百面以上出ているのに中国からは一面も出ていません。
日本国内でつくられたとみるのが妥当です。三世紀後半から四世紀はじめごろの、いわゆる「西晋鏡」でさえ、おもに福岡県を中心に分布しています。
「庄内様式」といわれる弥生時代の土器の時期が卑弥呼の時代と重なるといわれていて、この時期の鏡は奈良県からの出土は三面のみなのに対し、福岡県からは三十面も出ています。
もうひとつ、倭人伝に「棺(ひつぎ)あって槨(かく)なし」と墓制が記されています。
おもに三世紀ごろ福岡県を中心に分布する箱式石棺は、これにあてはまります。奈良県のホケノ山古墳からは、木槨が出土していて、倭人伝の記述に合いません。
−里程の問題からは?
帯方郡(現在のソウル周辺)から一万二千余里のところに邪馬台国があると倭人伝に記されています。一里が現在の尺度で何メートルになるかは議論がありますが、
同じ三国志韓伝には現在の韓国あたりを四千里四方としており、これから一里の距離が割り出せます。
記述では帯方郡から一万里で九州に着きます。残りは二千里ですから、これまでの行程からすぐ想像はつきますよね。
とても畿内まで行ける距離ではありません。九州しか有り得ません。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018072002000264.html とりあえず朝鮮は邪魔だということはわかった
ああ…邪魔大王国なんだな朝鮮は
九州王朝はファンタジーすぎてついていけない
幻の九州王朝はどこに消えたのだ
>>807
ただ、日本の建国神話では、南方の海洋系神話の影響のほうが強い
日向三代は特にそう。イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの話とか、海幸・山幸の話とか
海洋系神話に多くある「海の向こうから神が来る」というのも、出雲系でよくみられるし
建国神話で見るならば、南方海洋系の人間を中心に、北方大陸系の人間が一部協力したと考えるべきのような >>807
6大陸の話は世界中にあるよ
ムーさん(6山)伝承とかさ
ノアの箱舟の話もそうだけど世界中にあるのは、世界は一度、混沌としたって事
古事記もここから話が始まってるけど、それ以外には混沌とする前の世界の伝承もある
てか正確には古事記も混沌とする以前の話が書かれてるし
降り立ったのはくにのなかたちのみことだけど、それ以前の神様がいるもん >>785
日本でどう読むかなんて意味ない。
古代の中国人がどう発音したか
民族が入れ替わってるなら発音も激変だろうな >>817
漢文は表意文字だから、発音なんて関係ないと思うけどな 世界は一度混沌とした
これらを証明するものはたくさんある
例えば動物の死骸が石化するには洪水や何かで土などに埋まり強く圧迫されなきゃいけない
世界中で山奥とかで化石が発見されるのも、世界が一度混沌としたとすると全て辻褄があう
ピラミッドやスフィンクスが元々は半分土に埋まってたのも辻褄があうし
イタリアの地下都市や遺跡なんかも辻褄があうよ
>>811
また安本
九州説ってこの安本美典しかいないのかw 日本書紀にも古事記にも書かれてるし世界中で同じ伝承や言い伝えがある
世界は一度混沌とした時代があるよ
雨は降り続けほとんどの大地は水に覆われてた時代
これそんな昔の話じゃない
アマテラスの頃の時代だから
>>794
明治維新と同じようなパターンかな
初代文部大臣で一橋大学創設者の森有礼 鹿児島
慶応義塾大学創設 福沢諭吉 大分
北里大学創設、東京大学医科学研究所創立
慶應医学部創立 北里柴三郎 熊本
早稲田大学創設 大隈重信 佐賀
東京慈恵会医科大学創設者 高木兼寛 宮崎
東京理科大学 初代校長 寺尾寿 福岡
京都大学初代総長 木下廣次 熊本
大阪大学初代総長 長岡半太郎 長崎 ま、邪馬台国は
久留米辺りから日田にかけての何処かだな
北九州の平原遺跡の大型内行花紋鏡の分析はされてるのかな?
『ロンドン説』
『パリ説』
『ローマ説』
『ニューヨーク説』
『ベルリン説』
『モスクワ説』
『アテネ説』
『バグダッド説』
この中から選べば良い
邪馬台国の場所ならわかってるってば
海を渡って韓と隣り合ってるんだから百済にあったんじゃん
ちょうど三国時代の話だよ
それを邪馬台国は謎だの、日本の発祥だのって解釈してるからおかしいんだよ
ちなみに卑弥呼はその後日本に戻ってきてるよ
善光寺の近くの女山に本人の希望で埋葬されてるよ
>畿内説には部分的な事実をとりあげ、マスコミを誘導して世論をつくればいいといった雰囲気があります。
これに尽きるなw
邪馬台国も卑弥呼も全然分かってる
こんなの何が謎なんだって話
>>823
>>1 【朝鮮カルト】【日本会議】
◆ アマテラス は実在しません。ホラ話。
(中国の神 羲和 ギワ 伝説のパクリ)
. _∧∧_,
// 支\ \ 倭猿は朕を敬うアルヨ♪
./ ( `ハ´)、 `、
/ /\ \つ つ、ヽ
| | ,\ \ ノ | |
ヽヽ し \ \) / /
\ `\_____\' //
ヽ、 ____,, /
※ 日本の神として崇拝されていますが、
実際は一切実在しません
中国出身 よその神の 羲和 ギワ
を朝鮮人 藤原家が検閲改ざんして作り上げた
架空の妄想
※ 国家神道を国民に強制し
洗脳した主犯は、伊勢神宮です
※ 伊勢神宮は三重県発祥ではありません
西日本の孤島がルーツです
その孤島の島民も
渡来人=朝鮮人だと言われています
※ ハッキリ申しますと、
伊勢神宮は、日本の先住民アイヌや縄文人を差別し
虐殺することに全面協力してきた
独善的な宗教侵略者 過激派 テロリスト
日本でのナチスやユダヤ教 みたいなものです
m9ws >また安本
>九州説ってこの安本美典しかいないのかw
そもそも安本って甘木説だろ
それが確定して初めて
「邪馬台国が何処から来たのか」
がはっきりするわけで
それがいの一番になされにゃならんのに
もう死ぬまで畿内説評論家をやり通すつもりなんだろうなとwwww
消化器の押し売り
「消防署の方から来ました」
邪馬台国東遷説の押し売り
「九州にある邪馬台国の方から来ました」
>>825
そもそも安本なんて他の学者から相手にされてないやん。 >>833
これが史実
>>1 【朝鮮カルト】【日本会議】
▼梅原猛(京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている』
▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・福岡県出身の人類学者)
『私どもが行った分析から見ても近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
▼中橋孝博(九州大学大学院教授・奈良県出身の人類学者)
『例えば関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は少し背が低いものの、眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い』
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
sk9w 高句麗、百済、新羅、、
このうち倭が開拓して別宮置いてたのは百済だから
ソウルって名前もその時付けたものだよ
>>1 ◆西日本 天皇家・藤原家& 【朝鮮カルト】【日本会議】 =弥生人=朝鮮人
ワレらが自然とともに1万年以上も平和に暮らしていたこの列島に、ある日、朝鮮半島から一重まぶたでのっぺり顔の弥生人がやってきました。
「縄文人のみなさん、どうかお願いします。朝鮮半島が戦乱で逃げてきました。しばらくここにいさせてください」
快く迎え入れ、飢えているのを見かねて、魚や獣を差し入れてやったこともあります。
ところが、朝鮮半島より列島の方が稲作というものに適していることが分かると、やつらは恩を忘れ、ワレらに向かって、
「邪魔だから田に近づかないでくれ」などと言うようになり、遂には、「この土地は昔から俺たちのものだ」と言い出しました。
それからというもの、やつらは「福は内」と言って朝鮮半島から仲間を呼び寄せ、「鬼は外」と言ってワレらに石を投げつけました。
特にひどくなったのは、飾り付けられた馬に乗った人たちが来てからです。
そして、やつらは「今日からこの列島を日本ということにした。土蜘蛛、蝦夷は鬼は外」などと言いながら、ワレらを追い払おうとし、抵抗する仲間を殺しました。
本土で生き残った者は、前方後円墳造りを強いられ、耕作に適さない湿地や山地に追いやられました。
すぐに攻撃は東北や南九州にまで及びました。
東北では、ワレらの英雄がやつらに一泡吹かせましたが、騙されて京都に連れていかれ、殺されました。
ワレらの楽園は蝦夷地と琉球だけになってしまったのです。
それからしばらく、蝦夷地と琉球だけは平和でした。
ところが、千年ほど経つと、やつらは蝦夷地や琉球にまでやってきました。
蝦夷地の仲間はだまし討ちにあい、土人と呼ばれ、男は強制労働、女は慰安婦にされました。
琉球は王朝を築いて発展していましたが、これも征服されました。
その後、奥二重まぶたで出っ歯の弥生人は、世界に向けてワレらにしたのと同じようなことをしましたが、罰が当たって戦争に負けました。
その時、琉球のワレらの仲間は、「同じ日本人だから」というやつらの言葉を信じて協力しましたが、敵の弾除けにされたくさん死にましました。
スパイの濡れ衣で殺された仲間もいますし、泣き声で敵に見つかると言われ殺された赤子もいます。
挙句、やつらは、琉球を、戦争した相手の統治下に差し出しました。
今は日本に復帰したことになっていますが、基地はそのままです。
蝦夷地では、ワレらの仲間を土人と呼ぶのをやめよう、先住民族と認めようということになりました。
ところが最近は、アイヌはいない、アイヌは成りすましなどと言うのです。
それどころか、琉球のワレらの仲間も土人と呼んで侮辱しました。
蒙古襞があってのっぺり顔の朝鮮半島からやってきたやつらは、ワレらとは違う人種です。
ワレらには、本土日本人と韓国人は同じに見えるし、遺伝子的にも同じだそうです。
それなのに、本土日本人は、先住民のワレらと同じ人種だと嘘をつく一方で、ワレらを土人と呼ぶのです。
韓国人と同じクラスターの本土人は、「同じ日本人」と「土人」を都合よく使い分けるのです。
これが、日本列島全体の先住民であるワレらから見た日本の歴史です。
http://sp.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html
本土日本人は東京周辺でも、遺伝情報の約12%しか縄文人から受け継いでいない
mio6e 実は月でしたってのはどう?ちょっとだけ無理がある?
金印はお隣の国の自称通信使が盗んで殺された場所にあったんじゃないの?
>>830
宇佐神宮の参道の売店で買った煎り黒豆は美味しかった。
ほうろくで煎った黒豆を最近あまりみかけません。
全国規模で展開して、日本に煎り豆旋風を起こしてください。 >>841
混沌とする以前の話ならある
月から降ってきた砂や水が地球に降り注いだとか、金星は遊星で今の場所には無かったとか
暦に関してもさ、宇宙のどこを中心にするかによって暦は変わる
地球の日本を中心としてみた場合の暦である
って作られたのが和暦
今の新暦よりも月や惑星や季節なんかの情報がよっぽど正確なのが和暦
宇宙の仕組みを知った人しか作れないよ、これ >>841
アフリカ説や欧州説さえ無いのに
それはちょっと アマテラスが天岩戸に隠れたのが皆既日食というのもこじつけっぽい。
畿内説は最初から、畿内ありきでしか話を進められない
九州説は、中国や韓国の文献にハッキリと書かれている
古墳を見れば、この時代に日本が統一されていなかったのは明らか
>>849
岩戸って、例えばイザナミが恵那山に埋葬されてるように、聖人は死んだら山の中腹に埋めて聖山としてたんだよ
昔は
その扉をこじ開けたって話が天岩戸の話
長野の山で、その時の扉を隠した山もあるよ
猿田彦達じゃ無かったかな? >>837
と言うか本職心理学者やろ
あの先生wwwwwww
まあ邪馬台国ブームの頃は歴史以外の畑でも
歌人とか実業家まで邪馬台国本出してたからなw
その最後の生き残り? 畿内説だの九州説だの意味が分からんw
アマノスメラの貴族の朝廷なら京都にあったんでしょ?
だからなに?
邪馬台国は別に日本の発祥じゃないよ
>>850
天皇家が2700年前から日本を統一したとか
盛っちゃったから
邪馬台国を無理矢理、大和朝廷と結びつけ
なきゃならなくなった >>855
アホやん
古事記にある混沌とした時代って、2700年も前の話じゃないと思うんだけど
そもそもが今の文明人の歴史ってそんなに長くないと思うよ 天岩戸は関だよ
国境の防衛拠点
当時は敦賀〜伊吹山〜甲賀〜伊賀のラインだろう
ガは牙、意味は旗を立てた拠点
東海の勢力が近畿を侵略したんだろう
古代に繁栄し、忽然と消える九州王朝
アトランティスかよw
>>851
> イザナミが恵那山に埋葬されてる
イザナミの埋葬地は全国にあるんだね。
私が知っているのは三重県の「花窟(はなのいわや)」だよ。 もうめんどくさいから神奈川でいい。神奈川県に大和市ってあるし。
伊都国は伊豆半島の伊東であうし、久那国は神奈川であうし。
>>857
松浦潟まで船はつけへんで
よっぽどの水深と切り立った岸壁があって波が穏やかでないと、大船は入られへん
小舟で行くにしても、あそこいきなりぬかるむし
壱岐方向から大船で渡ってきて、小舟で上陸すんなら、唐津湾か草賀の浜海水浴場あたりが一番ええ >>858
天岩戸は色んな所なにあるよ
アマテラスが埋葬された岩戸は何処って言われりゃ長野だけど ほんで、「糸島の頂上」やのうして、伊都国の国境付近に着いたら、「伊都国に至る」なんやからな、ふつーの感覚だと
当時は糸島の南の平野部までほとんど海だったから、合わせて考えると、
使節は末盧国から北に向かう感覚やなかったのは確かに
>>861
巨石群ある?
そういう山ってさまず入り口の両端に巨石置いて、埋葬した穴は岩戸で塞いで、祭壇の為の神鳴り岩とか様々な巨石群があるよ
山岳信仰って言うけど単に先祖崇拝だよね あては近畿居るけど、近畿説に張ってるもんも敵対説の地形よう実地調査せんと、相手にされへんで
>>861
正確にはイザナミはそっちかもね
恵那山はアマテラスが包まれてたエナを納めただけだし
アマテラスを生んだ場所とイザナミが埋葬された場所が同じとは限らないし ・舗装道路をハイキングしました
・日和を選んで、コンクリの港から漕ぎやすい小舟出して海路の検証しました
こんなもん役に立たへんわ
>>864
そもそも古代の海岸線なんて、今とはまったく違うからな
どこに上陸したかなんてわからない。
倭人伝の距離も、半島から対馬、対馬から壱岐、壱岐から末廬国まで
ぜんぶ千里と適当。実際の距離じゃない。
なのに、末廬国は唐津、伊都国は糸島、奴国は福岡って
確定してるかのようになってる。
これは九州説も畿内説も同じ
ここから疑え 幻の九州王朝
幻の九州王朝消失
幻の民族大移動
全く史実を無視した脳内ファンタジー
アホかw
>>645
「魏志倭人伝」がのソースは何? いいか、ソースだよ。
誰から聞いた話が書かれているかだよ。その誰かが、なぜそれを知ってるか。
その人は信用のできる人か。嘘つきか。などなだ・・・そこから追及しようよ。
それから、「正史」が何のためにあったのか、それを知ることも大事だな。
大蛮(大陸の蛮族)に「正史」がある如く、本朝にも正史たる「記紀」がある。
記紀は「正史」を参考にした形跡がない。われわれは記紀に基いて過去を
認識し、それを尊重することがまず大事。学問の遊びとしてはなにをやるのも
自由だし楽しいが。 中国は夏王朝の遺跡?で4500年ぐらいまでは歴史が有りそうだ
インドもお釈迦様の時代には既にバラモンが宗教家として武士より高い文化体制だから5000年ぐらいはあるだろう
さらに古いのはエジプトとイラクの2つで6000年を超える可能性がある
2700年前あたりに神様が地上に降りてきて泥をかきまぜて国を作ったとかの日本昔話は、4大文明の歴史書からすると失笑されるレベルの話
あっちはそのころには既に生々しく戦争ドンパチやってるし
邪馬台国は九州にしとけよ。
漢をバックにする影響が、日本の内陸部まで及ぶって嫌じゃね?
こういうスレは面白い
良いまとめサイトある?
写真と少しの伝説アラカルトまぶしてあるとこ
>>867
「花窟神社」でググってみて。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されたらしい。
ちなみに、岩を信仰の対象にするのは「磐座信仰」と言うらしい。 >>877
アフィ系にはないと思うわ
あては実地調査と史料批判で書いてるから、まとめとかブログとかはよう知らん こういう歴史的な面白い話題にも現代の国家感や嫌韓で難くせ付けるやつほんとウザいわ…
>>874
大陸にもインドにも、世界は混沌としてたって伝承あるよ
四大文明だの何だの言いだしてるのは近代の学者なわけで
混沌としてた以前の文明人の話なら分かるけど
ただ現在の文明人は混沌としてた世界に降り立った所から文明が始まってる
世界的に同時期に >>878
磐座知ってるよ^ ^
色々見て回ったし^ ^
けどまあ先祖崇拝だね
死んだ人間は〇〇のミコトってそのミコトを祀ってるんだし
死んだ先祖達もみんなミコトだし >>48
>奴国の福岡平野の南に位置し、それなりの距離がありそれなり広さをもつ領域なんてそう多く無い
>久留米を中心とする筑紫平野に投馬国、その南の熊本平野に邪馬台国があった
アプローチはそれでいいと思うが、投馬国、邪馬台国に比定できる遺跡がない 三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し邪馬台国、ヤマト政権を作ったんだろうな。
>>878
調べたけど、めっちゃでっかい岩やねw
カクズチを産んだ場所って書いてあった^ ^ >>885
伊勢って元々は愛知県の伊勢神だよ
母木って知ってる?
アリの行列
めちゃくちゃでかい木
まだ切り株は現存してるよ
めっちゃ山奥だけど 鳥取の青谷上寺地遺跡で虐殺された渡来人の遺体が見つかっている
鳥取は、渡来人系の海神である牛鬼が石に倒された伝承が残っている
海神は石器作りをしていた勢力に乗っ取られ、以降牛鬼は石の子供を産むことになる
奈良には出雲族が住んでいて西日本を統一した(大国主)。しかし、北九州勢との協議の結果、
卑弥呼を女王とし奈良を天孫族に明け渡し、武器を回収して出雲の荒神谷遺跡へ封印し、
出雲大社を作り出雲へ引き上げた。
そうして、北九州の三種の神器の墓制を取り入れ前方後円墳が完成した。
しかし、4世紀に南九州から天皇家が大和へ進出。大和を乗っ取り巫女による女王政治は終焉を迎えた。
天皇家になってから北関東へ進出した。
>>889
天皇って祭祀でしょ?
天皇が他を責めるなんて無いよw >>860
忽然と消えたんじゃなくて、白村江の敗戦が最後の大ダメージで筑紫君薩夜麻
の虜囚により壊滅的打撃。唐軍に太宰府に進駐され、解体された。
それまでは南朝に正式に印綬を授かり、その権威で半島にコミットしていた。
北東方面での騒乱によって北朝の力を弱めようとした中国古来の遠交近攻策。
だが、奈良朝の台頭と分離主義の動きや長年の遠征による疲弊で、中国からの
印綬など意味を持たないほど弱体化が進んでいたのは確かだろう。
現天皇家の事実上の始祖である継体天皇と北陸勢の遠征で、最強の軍事力でも、
磐井を滅ぼして九州全土を手に入れることが出来ず、だまし討ちでようやく長門
までと筑紫の屯倉を得たにすぎなかった。鉄器の優位と直接支配地の兵力はまだ
拮抗していたということ。評は700年まで存在し、天神も祭祀としては仏教や
八幡神の付置までは中心として残存した。
この時の歴史と外交の新展開の結果、焚書と古事記風土記の禁書、唐書の書き換え、
九州呼称や九州年号の禁止などが起こったが、遠の朝廷としての太宰府や仏教聖地
でもある宇佐と国東には隠然たる勢力が残存したのである。
空海は、太宰府で三年足止めの罰を食らったが、これは唐王朝の密教最高位と最新
の膨大な文明知識を得て帰国した、喉から手が出るほど欲しい日本人初の受戒資格
を持つ大僧正に対する処遇としては全くあり得ない。あえて手放した憲宗も激怒だ
ろう。外交上も問題になる。
正しくは、仏教先進地域にも更に最先端の密教を布教させた後奈良に呼び返したっ
て事で、それだけ筑紫の脅威は隠然と存在したって事。 >>891
そもそもが当時中国なんて無いのに
半島付近に住んでたのは満州民族や蒙古民族や韓民族だ
どれのこと言ってんの? >>891
おお~
空海大僧正か
偉いよね 日本の中でも
いや 世界の中でも偉人中の偉人 畿内先住民は被差別部落民
福岡には神武東征の時に抵抗して奈良から連行されてきたというBがある
>>890
祭祀は卑弥呼から奪ったもの。そもそも卑弥呼は子供がいないから天皇家は卑弥呼の血はは引いていない。
また、ヤマトタケルの東征とか知らないの? >>894
密教を極めてるしね
金星を飲み込んだんだっけ?
森羅万象
千里眼
本当にそんな力があったんだろうな >>896
ヤマトタケルの話もスサノオの話も猿田彦の話も、俺、書き方が違うだけで同じに見える
恵那山超えて諏訪の辺りを開拓したみたいな話 伊勢神宮は卑弥呼を祀っていて奈良の三輪山の近くにあったが、天皇家の祖先ではないとして
伊勢へ追い出された。
イン土人みたいな人種社会で生まれた仏教などどうでもいい
葬式の役にくらいしか立たない
生臭め
>>897
密教というか
密教自体がインドのヒンドゥー、ヴェーダ
ヴェーダンタの中でも
より哲学的であるし
また
修行を重要視している一派
空海は唐へ行ったものの
実際は
インドのそれと同じものを会得体得したということなんだろうね
そして
日本へ持ち帰った・・・ そもそもが旧暦って九州や北海道を中心とした暦じゃ無いと思うけどな
季節がズレるもん
HLA遺伝子頻度%
*******A2**A24**A26***B7**B44**B46**B52**B54**DR9*DR14
青森*25.3*33.8*15.4**3.3**7.3**4.2**7.2**6.7*14.3**8.2 青森
東京*23.8*36.9*11.9**5.2**7.8**4.6*11.9**7.3*14.5**7.5 東京
奈良*24.5*38.8**9.7**6.1**8.8**4.4*12.6**8.0*14.9**5.8 奈良
大阪*24.2*37.0*11.2**5.8**7.3**4.8*11.3**7.8*14.8**6.6 大阪
島根*21.4*37.3*12.3**8.1**6.6**5.2*13.3**6.6*14.9**7.0 島根
福岡*23.3*37.3*11.8**6.3**7.3**4.2*12.8**8.3*14.5**6.0 福岡
熊本*23.4*36.7*11.8**6.6**7.5**3.3*14.1**8.5*16.0**6.4 熊本
大分*24.4*37.6*12.1**6.6**4.9**4.5*12.1**8.4*16.5**6.4 大分
宮崎*22.6*38.3*11.4**5.6**5.2**5.2*11.9**8.8*17.2**5.7 宮崎
鹿児*26.1*37.2*12.6**4.6**5.7**4.2*10.4**9.2*14.9**7.5 鹿児島
沖縄*31.6*34.2*16.6**2.3**2.9**2.9**3.6**8.6*11.4*10.8 沖縄
>>91
>肝心の中国では三角縁神獣鏡は
>「一枚も」出土してないけどなw
九州説の人はこれが大好きだけど
斜縁神獣鏡は出てるんだよ
多くはないけどね
そして日本で出る三角縁神獣鏡の初期のものとされるグループは、
実は煩いことをいえば厳密には斜縁だったりする >>1
歴史を紐解くときに
他の時代に起きたことを
あるいは他の場所で同時に起こっていることを
空間的にも時系列的にも
つぶさに広くそしてとても深く認識していくってことはとても重要
専門的だとしても狭い視野だけではいけない
歴史的三角測量を行わないといけない 原発と考古学は若者が離れどころか逃げ出してる
電通カルト方式の詭弁術はその場しのぎにはいいが
業界そのものが沈む
>>857
なんでそんなにエラそうなんだ
それだけで説得力なし 魏志倭人伝では国の端から端への移動が記され
国の端に着くことを至るとしている
郡治から海岸までの帯方郡内の移動は書かれていない。
帯方郡(海岸)〜狗邪韓国(海岸) 7000里(海上移動)
狗邪韓国(海岸)〜対馬国(北岸) 1000里(海上移動)
対馬国(北岸)〜対馬国(南岸) 800里(海上移動)
対馬国(南岸)〜一支国(北岸) 1000里(海上移動)
一支国(北岸)〜一支国(南岸) 600里(海上移動)
一支国(南岸)〜末盧国(北岸) 1000里(海上移動)
末盧国(海岸)〜伊都国(末盧国と伊都国の国境線) 500里(陸上移動)
伊都国(末盧国と伊都国の国境線)〜奴国(伊都国と奴国の国境線) 100里(陸上移動)
合計12000里
奴国(伊都国と奴国の国境線)で丁度12000里になる
女王国とは伊都国と奴国の国境線付近(つまり女王国とは伊都国と奴国)
卑弥呼は伊都国に居たと魏志倭人伝には書かれてる。
「世有王 皆統屬女王國」
「(伊都国には)魏の世に王(卑弥呼、壹與)がいて、(倭の国々は)皆、女王国(邪馬壹国)に統屬していた」
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国の北側の諸国には、(女王が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王が)伊都国で(一大率を使い自女王国の北側の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ。」
近畿だろうが九州だろうがどこでもいいんだけどさ、
魏志倭人伝読んで、近畿まで届くように読んでしまうってw
それ学問なの?
学者が残ってる文献を理由なく「方向や距離が間違ってる!」とかやるのがいいことなの?
俺には自分勝手な思いで、都合合わせしてるとしか思えない。
環濠集落が九州より早く終わったということは、近畿には統一権力が先進的にあったということ。
間違いなく、邪馬台国より先になにかしらの覇者勢力が近畿には存在した。
「九州には邪馬台国と狗奴国、近畿には謎の中央国があった」てのが、今のところわかってるってことでは?
先ず当時の海岸線で日本地図を作成し直してから検証すないと近づけないな
>>895
畿内先住民は被差別部落民みたいな願望を書く恒例の馬鹿チョンw 三角縁神獣鏡に描かれる龍は中国の想像の動物で日本にはないもの。鏡に描かれる紋様
自体が中国の影響を受けている。
>>912
九州近畿にかぎらず、出雲や他の地域にも有力な勢力はいただろうなあ
昔は100余国、当時は30国が使訳を通じてたそうだし >>920
女王国に属してると名前をあげてる国を
合計したら30
それ以外に、南に敵対する狗奴国
さらに
女王国の東は海。そのむこうにも倭人の国がある
と書いてる。 またも負けたか八連隊(大阪)
それでは勲章九連隊(京都)
大阪鎮台ヘボ鎮台
覇者勢力など生まれない
ただ中央に位置する地理から外部勢力の欲する所となり征服により支配されるだけである
外部勢力に抵抗する力も無く主導する力も無く
なされるがままにとうとう首都の地域さえ奪われたではないか
北九州は確かに遺跡も多いし最古クラスの神社も多いのに、記紀の扱いは一地方レベルに留まってるのは不思議な気がする
なんか意図的に除外してることがあんのかね
>>912
新井白石のが学者らしく間違いを認めたよなw >>918
畿内先住民が古墳をつくる奴隷として強制的に集められたのが部落の起源だろうな >>806
考古学的にはそうだとしかいいようがないらしいぞ
倭人条の卑弥呼のように皇室一族が共立されて不思議に2000年近く続いてる世界に類のない政治的権威といえよう 大雑把に言えば、畿内を征伐して初期のヤマト政権を作った勢力の末裔が同和だよ
昔大罪を犯し暴れ回ったんだから、百姓が恐れ忌み避けるのは当然
>>465
なんか、ひどい
-----------------------------------------
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)
大分県日田市日高町にあったダンワラ古墳から出土したと伝えられる弥生時代中期の鉄鏡
金銀を象眼した鉄鏡は、日本国内ではこの金銀錯嵌珠龍文鉄鏡しか出土していない。
また、中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』には、
魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたと記されており、
この種の鉄鏡は高位の支配層の所持物であったと考えられる。
1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で、線路の盛土を採集している際に
出土した石棺の中から発見されたとされる。
しかし、この鉄鏡は注目を集めることなく、行方も分からなくなった。
1960年(昭和35年)に京都大学の梅原末治が奈良の古物商からこの鉄鏡を買い取り
天理大学附属天理参考館に依頼して研ぎ上げると、1
962年(昭和37年)に金銀玉による模様が施されていることが明らかになった。
そこで、梅原は、発見者の渡辺音吉の案内のもとで現地調査を実施。
その結果、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出土したものと判断され、
その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。
ただし、発見から調査までの間に約30年が経過しており、
出土地点は前述の線路工事によって発見当時に破壊されていたため、
ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。 >>918
249名無しさん@1周年2018/08/04(土) 13:54:42.64ID:1T2lWeac0
>>239
横からすみませまんが、当時の国の律令制の中で朝鮮渡来人は集団居住させられていて
その集落の中で祖国の祖先神か先行渡来した同族の者をまつっていましたね
266名無しさん@1周年2018/08/04(土) 14:08:44.08ID:1T2lWeac0
>>256
それは多数あるうちのよく知られてる話ですが、たとえば琵琶湖周辺ならアメノヒボコ関係で
新羅系がどうしても多くなりますね
百済系にしても新羅系にしても自由にむらのなかでまつることを許していました
408名無しさん@1周年2018/08/05(日) 07:41:14.70ID:MCJGqge6O
>>396
日本の神社って朝鮮ルーツが多いよな
422名無しさん@1周年2018/08/05(日) 07:48:54.85ID:6I90TRPE0
ナニワ近辺は大昔から朝廷指定の百済系渡来の集落だらけだな
ぽつぽつと新羅系もあるにはあるが
443名無しさん@1周年2018/08/05(日) 07:54:56.10ID:usVpUnFV0
>>408
>>422
その渡来集落地域の渡来民の先祖神信仰の構築物が百済系や新羅系の神社だから数は多いよ
324名無しさん@1周年2018/08/05(日) 07:10:59.39ID:vMNFXs8g0
朝鮮半島の難民が大挙して押寄せて当時の法律で指定居住させられてるからその影響
その一部は亡命貴族として受け入れられたが大和河内の土着豪族の僕べだったな
761名無しさん@1周年2018/08/05(日) 11:48:46.49ID:Gg1a8SMF0
当時の日本政府に許されていた
渡来人集落の中でただ勝手に
自分の祖先神などをまつってる神社を
国津神だとか言ってる頭のイカレタ
連中がいるってことだなw
764名無しさん@1周年2018/08/05(日) 11:51:51.75ID:zl0TpFAv0
大和朝廷の時代から日本人は寛大すぎるんじゃね
渡来人の村で神社も信教の自由も認めたとかさ
309名無しさん@1周年2018/08/06(月) 09:06:54.26ID:y7w0AelC0
>>255
古代から編戸制で特定の場所に移住させられたり
移配を強制された朝鮮渡来人の部落が特別に隔離
されて現代まで続いてるわけなんだがな >>13
天照が卑弥呼説は有る気がするわ
面白いから信じるわ >>925
正史の文献資料によると渡来人がため池などの大規模な土木工事に動員されてるな 奈良も佐賀の吉野ヶ里も近くに海がないのが疑問だ
ただの田舎の集落じゃ無理
>>925
今日では古墳は整地で生じた残土を利用したというのが一般的
造営集団は専門の地域外部の中央政権土木部
被差別部落は旧体制側のいわゆる落武者である
土雲は出雲のうちまつろわなかった残存勢力である 九州勢の鉄文化圏に入ってから開拓が進んだからじゃないの?
中央政権土木部あるいは設計図や施工指南書を手に入れ自ら造営した
朝鮮半島の難民は、関東に集められていただろ
高麗郷とかさ
もし本当に日本の考古学者が邪馬台国自体のこと調べたければ調査することはできる
剣山が邪馬台国自体場所である可能性もあるのだから
その時代の唯一の証拠品の剣山の人骨や出土品
戦後アメリカGHQが剣山から邪馬台国時代の住民の人骨や出土品を発掘してアメリカの博物館に持ち込んでいる
アメリカ政府との話し合いで調査依頼すれば協力してくれるだろう
前からそのことはわかっていたわけで
しかし何故調査依頼すればいいものの調査せず
そこに日本国民に知られたくない事実が
ある意味日本の考古学者はほぼ在日朝鮮人が主流
調査によって事実が判明して朝鮮人達の嘘がバレることを恐れての話だろう
結局日本文化は朝鮮人からという弥生人朝鮮人説の嘘がバレることを恐れてのこと
もしスレ住民がその邪馬台国時代を知りたけれアメリカの博物館へ行って調べてみれば
コメみてると日本古代文化ネタにしたブログ主のコメが多いようだから
こんなところでグダグダスレ数増やしても何の解決にもならないと思うが
写真撮影は禁止だが
>>921
だから百済だってば
ニニギ達が開拓に海を渡ったじゃん >>942
書いてないよ
そもそもがテンノウなんて言葉出てこないもん 卑弥呼の魂は女の肉体を依り代に代替わりする
そして研究の名のもとに邪馬台国には人が集まり
卑弥呼の魂を守る信者と化す
>>929
当時の新羅は九族誅殺、つまり皆殺しするつもりで百済を攻めて
扶余系穢族の百済難民も必死で大挙して日本に逃げてたわけだが
それを大和朝廷が隔離して対処したのが穢土だわ 邪馬台国とヤマト政権は別なんだろ?
一緒に考えたらそりゃ話がこじれる
>>797
半島を開拓したのはスサノヲでしょ
ただしこんなとこに住みたくないって言って日本に帰って来たが
最終的に悪さをして出雲に島流しにされるけど そして新たな依り代に選ばれたのが
ララの親友のサマンサ・ニシムラ
>>950
邪馬台国は漢代の読み方だとヤマドになる
同じと考えるほうが妥当では? >>949
しかし遺伝子調査では半島由来の遺伝子が以上に高いのは近畿地方なんだな、これが
関東移民はどうも縄文系など土着系の方が強い 邪馬台国(大和大国) と 大和政権 は、基本 別物だが
この時代の背景と伝聞と記録から
神武東征、のち、 国譲り 後 大和政権 発足までの一連を考察すると
色々 合点がいく流れが出てくるから おもしろい!
当時は奈良も舟で近くまで行けたようだし、山の辺の道の近くまで湖だったりとかなり今と地形が違うな
>>945
中華帝国に穢れの多い穢族と称されたのが扶余系の民族だが、百済は日本書紀で穢族と言われた扶余と記されてたな
皇室が穢れた民族のわけないだろ 邪馬台国は中国の当て字。
本来は大和国。
卑弥呼も同様に日巫女が正しい。
韓国で大ヒットの【fUCk zAPAN】
おめえ、障害者か?
「元々、お前の国が障害者なのか?(はい)
ここ日本に住むチン○みたいなオ○ンコやろう
ジャップスはビッチ障害者馬鹿ビッチ達
お○んこ野郎ども!
食う?お前の母さんも食う?(ハイ)良いか? 目茶良いって
障害者ビッチよ!目一杯てんかんやってろ!
俺は百済。俺達宗主国。韓国はニッポンの宗主国
未開だったお前らにしてあげたこと覚えてるか?
御使して挨拶しな(ハイ)前で跪け(ハイ)
永遠に従え(ハイ)泣きながら祈れ(ハイ)
ジャップ!街にゃすっかり核をくらった爆弾たち
広島bomb!長崎bomb!東京bomb!ジャパンbomb!
ボン!ボン!ボン....
核落としてやるからな!核落としてやるからな!
@YouTube
>>830
宇佐は秦王国でしょう
秦氏は卑弥呼よりもうちょい後じゃないかな >>956
逆だろ
当時、朝鮮半島南部は大和朝廷が進出して支配していた
大和朝廷由来の遺伝子が半島に残った結果だ >>964
日本書紀はシルクロードで伝わったギリシャ神話が元ネタ
これ豆な >>849
岩戸に隠れたのはイエス
そっから生き返って出てきた。 >>959
宇佐は秦王国
隋書で倭とは区別して書かれているから邪馬台国とは違うだろう >>958
糸島半島のつけ根は浅い海だったんだよ
帯方郡から魏使を乗せて来た外洋船は座礁の危険性が高いから手前の呼子付近に接岸し
後は下船して歩いて来たんだ。 狗奴国が全部習合しただけの歴史じゃないのかこれさw
>>969
琵琶湖沿岸は渡来系の遺跡がごろごろ出てきてるし、特に大津なんかは渡来系の根拠地だった >>972
宇佐は豊の国
秦王国は、筑紫(福岡)の東だから、山口や広島あたりだろう >>969
文字も無い時代に関西から朝鮮半島南部に進出しなんて不可能
朝鮮半島南部に進出して支配していたのは北部九州の勢力だ。 あんな暗号みたいな文面いくらでも解釈できるし
いくらでもこじつけられる
まさにオカルト
>>956
日本は地理的に朝鮮半島の難民がちらほら流れ着く
百済や高句麗、新羅の難民は関東や東海に大勢の単位で移配された
移配や政府の管理からも逃れて「化外の民」となった半島難民は水田耕作や漁業が苦手なので山に逃げて鬼や土蜘蛛や山賊として生きるしか仕方がない 記紀は都市伝説と言えばそうだな
都があっちこっちに移動するしw
>>916
考古学のほとんどがオカ板みたいなもん。 >>956
朝鮮半島からの難民部落だらけだったからねえ
半島由来の遺伝子が異常に高いの当たり前 >>396
結構遅い時代、商船や海賊が盛んに往来する時代になっても、支那は日本の状況に疎かったじゃん。
たとえば、明朝。
遠くペルシャやアラビアくんだりまで使節船団を派遣するような航行能力を持ちながら、足利義満を日本国王、
尚巴志を琉球国王として承認したりしているだろ。 >>986
そんなことはない
ツタンカーメンもあったし
ピラミッドも存在する >>956
母系も含め朝鮮半島系が強いのは関東と奈良
大阪は中国南東部系の影響が大きいという遺伝子結果が出ている 当時最先端の国が中国大陸の王朝だったのは揺るがない事実
そこと交易をするのに有利だった九州北部がまず栄えたのは明らか
だが、どこかのタイミングで近畿に日本の中枢は移った
問題はそのタイミングだ
・倭国大乱を制したのが近畿の王国だった→初めから邪馬台国は近畿にあった
・近畿の王国が邪馬台国を征服した→邪馬台国と近畿の大和朝廷は別物
・邪馬台国が近畿に拠点を移した→邪馬台国は九州にあった
卑弥呼のミイラが見つかって
おでこに卑弥呼って書いてありゃ話ははえーんだがな
>>994
んなことーいってねーだろが!
元の物質的情報がなにもねーっていってんだよ >>992
倭国大乱を制したのは出雲の大国主。しかし、奈良に本拠地があった。 >>994
仮説なんて呼べる代物ではないな
妄想域をでない なんか不思議な結果があって
それに行着くプロセスを考えるのが仮説な
>>982
〇 文字が無かった
× 日本独自の文字が無かった
弥生の頃から文字は使用されてる。
ただし、文字の使用が極めて限定されてたので、
発見されてこなかっただけ。
昨年11月、弥生時代の硯が見つかったのがニュースになった。
文字が無かったは、完全な誤り。
周の時代に倭国から朝貢の記録があるらしいから、
最低でも、そのころには文字が使えていたということ。
文字書いたのは、お雇い外国人だったかもしれないけど。 >>912
ほんとこれ。
日本人の主観で読んでるからそうなる。
まず日本の発掘物ありき、年代が合う。
それがどうした。
当時の魏の人の視点で読まないと。
そしたら倭人伝で伝えたいのは何かわかるよね。
巻末の付録程度の記事だし。
自分も近畿に巨大勢力があったと思う。
ただ魏志倭人伝の邪馬台国はそこじゃないって結論。 lud20201231194903ca
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・【考古学】「長年、考古学ファンの想像をかき立ててきた区域」 吉野ケ里遺跡内の未調査区域を発掘へ 日吉神社一帯を 佐賀
・【邪馬台国論争】畿内説vs九州説、「邪馬台国は東遷したか?」テーマに議論 福岡・飯塚、古代史連続講座に150人
・【邪馬台国論争】畿内説vs九州説、「邪馬台国は東遷したか?」テーマに議論 福岡・飯塚、古代史連続講座に150人★4
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・【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★6 [樽悶★]
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・【奈良】邪馬台国の所在地有力候補「纒向遺跡」 ふるさと納税を整備に
・【奈良】「邪馬台国近畿説」柱の一つ「卑弥呼の鏡」大量出土 天理市・黒塚古墳
・【奈良】「邪馬台国近畿説」柱の一つ「卑弥呼の鏡」大量出土 天理市・黒塚古墳 ★2
・【邪馬台国論争】九州?近畿? 古代史最大の謎に挑む シンポジウム「邪馬台国の今」 ★2
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」整備費 「クラウドファンディング」で資金募る★4
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金
・【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金★2
・【奈良】唐古・鍵遺跡の古墳期に迫る、田原本で企画展 出土品など164点 邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係紹介
・【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露 ★2
・【邪馬台国】「ヤマト王権のルーツは、邪馬台国ではない」「纒向遺跡を有力候補地とすることに疑問」 奈良県の坂さん、新説を披露 ★3
・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄・鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」
・【奈良】唐古・鍵遺跡の古墳期に迫る、田原本で企画展 出土品など164点 邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係紹介★2
・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄、鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」★3
・【奈良】桜井市、「ふるさと納税」目標の1億円突破 寄付の使途、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」の調査研究・保存活用などに
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」
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・【福岡】邪馬台国九州説に新たな視点 「近畿は絶対的な王権で後のヤマト、隣接したクニとも調和を保った北部九州こそ邪馬台国」
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