◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
【茨城】「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」 徳川慶喜の大坂城脱出で論戦 水戸でシンポ YouTube動画>4本 ->画像>7枚
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/newsplus/1537986907/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
「明治維新と水戸」をテーマにしたシンポジウム=水戸市三の丸
■斉昭の役割も考察
「明治維新と水戸」をテーマにした明治維新150年記念シンポジウムが22日、水戸市三の丸の常陽芸文センターであり、最後の将軍徳川慶喜や水戸藩主徳川斉昭の果たした役割などを考察した。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、大坂城から脱出して海路で江戸に向かった慶喜について、専門家が「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」と論戦を交わした。
江戸城は1868年に無血開城されたが、戊辰戦争は翌年5月まで続いた。歴史小説家で「義烈千秋 天狗党西へ」の著者、伊東潤氏は「戦う勇気がなかった。死ぬのが怖かったのだろう。後に東北での戊辰戦争の犠牲者が出た。慶喜が混乱を引き起こした」と指摘した。
一方、水戸史学会副会長の久野勝弥氏は「大坂からの行動は敵前逃亡といわれているが、そのまま戦えば英仏の代理戦争に巻き込まれた恐れがあった」と反論。同会理事の但野正弘氏も「仏は幕府を支援し、英国は薩摩を支援していた。仏からの武器弾薬の支援申し出を慶喜は断っている。もし戦っていれば日本の国が消えていた可能性があった」と述べ、日本を救った行動だったと解説した。
慶喜の父である斉昭について、伊東さんは「江戸の教育は生ぬるいとして、子どもは水戸で教育を受けさせた。15の郷校をつくり郷士や農民の教育に力を入れた」と実力主義を掲げた英明な人物と評価した。水戸藩では天狗・諸生の戦いがあり、「水戸は優秀な人材を失い、明治維新の果実は薩摩長州が握った」と位置付けた。
シンポは水戸史学研鑽会吉田塾、水戸士魂の会、水戸観光コンベンション協会が主催した。定員300人を大きく超える入場者があった。(清水英彦)
茨城新聞 2018年9月26日
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15378732475181 水戸藩士は過激派だらけだったからなぁ…
水戸はヤベーやつら
明治維新って
こんなことが可能なのかってレベルだよな
関ヶ原以来200年余の間戦らしい行くもなく太平の世をむさぼっていた江戸幕府下の日本は丁度今日の腑抜けとなった日本と似たような状況だったということがよく判る。
国内対立を利用して植民地のパターンが通用しなかっただけでも稀有やわ
明治維新は非力な政権が倒されたというだけのクーデターだ。
十分幕府は勝つ可能性はあった。小栗上野の言うことを聞いてればね。
欧米に無条件降伏しただけだろ、攘夷って何なん?
長州は裏切り左翼。
もしあのまま江戸幕府が続いていたら間違いなく日本は列強の植民地としていくつにも切り裂かれていた。
>>13 慶喜が乗ってたら英仏に分割統治されていたということか
日本史上よしのぶは徳川慶喜と高橋由伸の2人だけ(・ω・`)
>>7 それまで各地の王様だった大名。島津家すら廃藩置県。
ありえんって。
って平成の今も大政奉還して欲しいけど。議員の私利私欲見ていると…
>>4 ていうか水戸藩士て寄せ集めだからな
取り潰した大名の縁者を取り立てて家臣にするとかな
忠誠心が低いw
>>23 借金で首が回らなかったから、借金と引き換えに地位返上ですんなり行ったとさ
>>1 本人が陣頭指揮して戦い続けてたら内乱が長引き植民地化されてたかもな
実際下に徹底抗戦指示して本人は敵前逃亡
薩長に戦争してる場合じゃないと思わせる為に一戦するのは必要だった
内容は最悪だが結果は最善
結果的に日本を救った行動は取ったけれどもその結果論のみを取り上げて動機や経緯を無いことにしちゃうのはねぇ
慶喜擁護論てのは揃いも揃ってそこに固執する
逆に慶喜ヘタレ能無し論者は結果には触れない
どっちもどっちじゃ
シンポジウムっても学者気取りの半シロートが慶喜ageしてるだけじゃん
>>29 どっちも小馬鹿にしてるオレサマが一番上って思い上がりが凄いw
ただ否定してるだけで何も言ってないのにマウントしたつもりの
典型的なネラー思考ww
そもそも幕末=明治新体制ってのはどの勢力も最初に思い描いてた方向や結末とは全然違う方向に行った結果の集合体みたいなもんで誰が功労者だとか邪魔したとか一概に語れんよね
水戸学知ってれば水戸藩の優秀さは嫌でも理解できる
会沢正志斎とか先見性あり過ぎて射精するレベル
慶喜は間違いなく某国を憂いて無血開城してる
慶喜=無能の印象は、津川雅彦の演じた昔の大河のイメージが定着したセイか。
渡(から松方へ交替)の勝海舟のヤツがあったじゃん。
あれで描かれた慶喜は、公家のように(これもステレオタイプのだが)癇の強い、無能な暴君。
(要はワガママ坊っちゃん)
実際は、強(したた)かな曲者だった。
昔は大河が大人気だったから、大衆はそれに洗脳されたもの――
西郷は徳川を武力討伐するつもり
だったが「せごDON」見る限りでは
慶喜は西郷が馬鹿だから自分の首
を取ることまではしないと読んでいた
だから西郷と戦う意欲が高まらなか
ったんじゃね
紀州と尾張が寝返ったんだから、側面と背後が崩れたら、さっさと逃げ出すしか道は無いよ
>>1 10代の頃から歴史学者の論文や歴史小説を読んでいるが、
大方が「鳥羽伏見の戦いは、徳川慶喜が逃げ出さなければ勝利していたであろう」と主張している。
>>23 でも中央集権じゃないと外国に対抗出来ないというのは全大名が身に染みてわかってたわけで素地は出来上がってたのよね
藩が存続してる限り完全な中央集権なんてのはありえないというのは賢ければ賢いほど理解してる
外的圧力がなきゃ奇跡的だとは思うけど
慶喜が日和った説支持者の方は、一回新論を読んで欲しい
水戸藩が維新前に何を調べ何を考えてたかが理解できるよ
>>38 そうかね。淀藩が寝返った時に決着付いたと思うけど
そんな簡単に日本が消えるわけねーだろw
水戸市の水戸真理教徒きめえw
天皇が主人で徳川は番頭って考えの水戸家出身者が
朝敵にされても戦い続ける勇気とか持ちようがないじゃん
尾張でさえ新政府に付いてんのに
>>45 それが当時は日本クラスの後進国はバンバン植民地化されていたのよねぇw
主に宗教と内紛利用して
もう少し世界史勉強しましょうね
太平洋戦争のアメリカへの降伏に向かう良い教科書になりました。
おそらく天皇も徳川崩壊の徳川の様子をよく学ばれて居たのだろう。
でなきゃあの判断は出来ないだろう。
はっきり言うけどさ
明治維新とは江戸の否定であり、日本の否定だったよ
慶喜については色んな意見があるようだが
利発である事に疑いはない
その頭の良さがいい方向に発揮されたのかそうでなかったのかは議論の余地はある
が
個人的には名君の部類に入ると思っている
負け方って重要で
余力を残したまま開城してしまうのは
ただの思いつきにしては大胆すぎるしな
慶喜は城を枕にして最後まで戦おうって部下を鼓舞したあとにこっそり脱出したのは擁護できないわ
>>51 うん、だから慶喜(水戸藩)の判断は素晴らしいねって言ってんのよ?
アメリカが南北戦争で忙しくなければ植民地になってたかもな
>>49 いつまでも同じ体制でいられる国なんて存在しないからね。必ず変化はある
日本はまがりなりにも800年近く体制を維持して文化も本質の体制もかなり残したんで頑張った方よ
まぁ大体は海のおかげだけど
小栗上野介が日本の首相になってたらよかったのになあ
Historyてあるじゃない
アレってHis Storyなんであって
観測者がみてる世界の一部でしかないのだよ
そしてそうね
サミットというのは
頂点という意味
>>53 あれも謎ではある
脳筋の輩を見下していたのかもしれないし
その時点で見限っているのかも
なんとも不思議な人間だ
人間は理解の及ばない人間を見ると 批判的に論じたくなる生き物なので 彼に対する意見が大きく乖離するのは致し方ないかも
どうかなァ
幕府が残ったまま近代を歩んだら、第二次世界大戦は起こらなかったかも知れない
明治維新で成立した政府は酷かったからね
へー、仏が幕府で英が薩摩ね。異国で戦わせて自分はねぇ
君と羊と青
群集日和か
誰も世界の全てを知ることは出来ないのだ
>>50 君もきっと数を数える時に日本語で良かったと思うはずだ
>>45 タイとカンボジアとラオスみたいに元は一つの国が分断されてたかもしれん。って話だろ。
カンボジアとラオスはフランスに切り取られた結果だからな。
町人の格好に扮して遊郭に入り浸ってたのは史実なん?
ウチの曾爺さんが内藤新宿から桜田門外の変の現場見に行ったって会社の上司が言ってたなぁ。
>>19 でも、最近の説じゃ幕府も開国と近代化を
検討していたという話もあるけど
列強の介入で日本が終わるから逃げは正しいとかジャップらしい言い訳だな
長州征伐や鳥羽伏見で勝てなかったのに今更なにほざく
>>35 俺はドラマの部類では大河の新撰組の慶喜しか知らんが
あれもわけわからん人として描かれていたな
カオス理論か
バタフライエフェクトか
ぬるま湯の冥利か
>>72 日本人のふりした外人は話題に入って来ないで、不快だから
顔も性格も人種として終わってんだから自覚して細々と生きてけ
76名無しさん@1周年2018/09/27(木) 04:46:44.47ID:+N1sw37N0
>>72 日本人のふりした外人は話題に入って来ないで、不快だから
顔も性格も人種として終わってんだから自覚して細々と生きてけ
日本人だけが誇りのトウシツネトウヨきめぇ
本気で外人とか思ってるんだろうな
>>62 北朝鮮レベルの貧しい国に収まってただろうな。
鎖国したままじゃ近代化に必要な石油などの資源が得られんし、
医療だけ進歩しても石油無けりゃ農薬や化学肥料が作れんから食糧問題は解決せず、
人口増を賄えないまま飢饉が常態化する。
世界大戦の前に、中国みたいに食糧奪い合って延々と内戦を続け最後は共産化だろ。
まーたまとめサイトのレス乞食か
あれもジャップなんだよな吐き気がする
グローバルという舞台じゃ
負け戦なような
まー背水の陣というのもありますし
何とかなるでしょう
内乱があったら英仏米露が涎垂らしながら介入というのはあっただろうな。
徳川慶喜は、日本人を愛した主君だったのではないか?
確かにフランスの支援を受ければ、薩摩に勝てたかもしれない。
でも、薩摩が勝てば、日本の一部をイギリスに、
徳川が勝てば、日本の一部をフランスに与え、
日本国内で、朝鮮戦争のように、英仏の代理戦争が日本国内で行なわれ、
死の商人である英仏の兵器が、日本人を殺しまくることになる。
徳川慶喜は、島津が勝つことよりも、徳川が勝つことよりも、日本が守られることを選んだのでは?
島津は、薩摩の民しか愛さなかったが、
徳川は、薩摩の民も江戸の民も愛したのでは?
>>78 幕府も開国の方向だし、現に開国していたヨ
>>62 廃仏毀釈を扇動した明治政府は無能だと思うよ
>>69 日が暮れて真っ暗になっても野次馬で溢れかえってたってくらいなんだから相当数が見に行ったんだろね
血溜まりどころか何一つ痕跡残さず片付けたから見るものなかったはずなんだけどとにかく見に行きたいってのはわからんでもない
てか日本人ほど野次馬根性ある国民はいないらしい。一部開国になって外国船が入るようになった時も船出して見物しに行く奴が溢れてた
>>80 先ずはオリンピックボイコットから始めよう
そんなに、日本人を殺してまで、徳川は島津に勝たねばならなったのか、
そんなに、日本人を殺してまで、経団連は、外国籍企業に勝たねばならないのか?
徳川が島津に勝ったところで、日本人が滅びて、何が嬉しいのか?
島津が徳川に勝ったところで、日本人が滅びて、何が嬉しいのか?
経団連が外資に勝ったところで、日本人が滅びて、何が嬉しいのか?
水戸の尊皇攘夷は過激過ぎたし、その教えに強く影響受けたのが慶喜
尊皇の慶喜が将軍になってしまったタイミングが悪かった
一橋派の敵だった南紀派の井伊直弼が暗殺されずに長生きして、徳川家茂も江戸で悠々自適に暮らしてたら、徳川幕府はもう少し続いてたかも
>>84 日本というか朝廷だな。イコールで繋げてもいいけど
水戸学+朝廷の血筋ってだけで充分動機になる。幕府内の反対勢力をまとめる気がないもんね。俺は、俺だけは朝敵にはならんぞと丸投げ
>>86 明治政府は統治システムが無茶苦茶で、江戸幕府の方が遥かにマシだったと思うワ
>>85 開国したとしても幕藩体制のままではタイがラオスやカンボジアを切り取られたみたいに分裂、内戦に発展してたろう。
徳川御三家でありながら子供の頃から尊皇思想を学んでいたため
無学な攘夷浪士よりもはるかに尊皇思想が精神に浸透していた
薩長vs幕府という形から朝廷vs徳川という形に移行したことによって
慶喜の中ではいわば自国のご先祖様vs自家のご先祖様という形になってしまった
グダグダの消耗戦になるくらいなら余力を残して降参して
戦後の影響力を確保しようってのは良い考えだったと思うんけど
>>92 お前みたいな奴が居るからだろ。
政府の言う事に大人しく従って、素直に働けよ。
従わないから内乱や戦争が起こるんだろ。
さて、吉田松陰である
吉田松陰の事を好いている人は主に右側の人間であるかと思うが
日本の左翼に言いたいのは、お前らが本当に尊敬し手本にすべき人間は
吉田松陰のような"狂っちまえお前ら!!!"と高らかに情熱だけを伝搬するあのカリスマ性だと思うね
お手本にすべき
あれは革命家の持つ資質だ
逆に坂本さんは商人であり小人だね
日本を征服したイギリスの傀儡政権が明治幕府だろ。
別に新しい素敵な日本を作ろうとしたわけでもない。
>>96 長州藩や薩摩藩なんかは外国と貿易して戦争までしているからね
確かに近代国家としての統治システムを強化する必要はあったが、江戸幕府のままだと不可能だったか?
にわかには言えないと思う
それよりも明治政府の統治システムが酷くて、およそ国家の体をなしていない方が気になるネ
慶喜の維新後は旧臣が来ても会わずにカメラ好きの昼行燈だったから
不満の核にもならず国益って考え方はあったんじゃねの
いやでも慶喜信者には悪いけど
ここで薩長の大規模テロに屈したからこそ
その後最悪の時代を迎えたのでは?
実質ここで日本終っちゃってる
なるほど。大阪から逃げ出したのか
歴史改竄は、大きな罪やで
民への誠実さは 無いわけだ
祟りはあるよ
>>102 過渡期なのでそこは仕方あるまい
昭和期のベースになってしまったという意味でシステムがおかしいとするならばまだしも、あの時代にあれ以上のシステムが存在しえるわけがない
あくまであの時代に於いてはベストだよ
後世の価値観で判断しちゃいかん
>>102 まず地方領主が独自に戦力を保有するのがダメ。
当時はアメリカの南北戦争などで急速に武器が発展してた。
どこかの小藩でもガトリング砲みたいな最新武器を購入すれば、自分より上位の藩を倒せる。
こんな状態で内戦が起きないわけがない。
ラストサムライてか
武士道とか
新渡戸稲造か
5000円札であった事も忘れ去られて行くのでは
没落するのみでは
明治政府になって、日本は、海外から買おうにも売るものが無い、
だから、最初に代金として明治政府が支払ったものは、女だったのではなかったか?
哀しい国民弾圧の開始点。
そして、今、安部晋三は、国民を、日本を諦めた。
「もう、国民なんて要らない、自分さえ良ければよい」。
だから、貧富の格差を拡大させる方向に舵を切った。
「自分は富める者の側、他の国民は貧しい者の側」。
それなら、その他、圧倒的多数の国民の犠牲を尻目に自分だけの繁栄を謳歌できるから。
【無理心中】経済的理由で将来悲観か、子ども3人と女性死亡 清掃業の夫が発見し通報
http://2chb.net/r/newsplus/1537946311/ 【社会】生活保護、67%世帯で減額 10月から、食費や光熱費
http://2chb.net/r/newsplus/1537948746/ 【アベノミクス】企業の内部留保、過去最高446兆円(+9.9%) 17年度・財務省★4
http://2chb.net/r/newsplus/1536008099/ 企業の内部留保446兆円、過去最高に ただし人件費の割合は伸びず [956093179]
http://2chb.net/r/poverty/1535943374/ 【アベノミクス】労働分配率の下落続く 43年ぶり低水準 2017年度は66.2% [財務省・企業統計]
http://2chb.net/r/newsplus/1536147284/ エンゲル係数 29年ぶりの高水準 16年25.8%
http://2chb.net/r/giin/1517473646/ なら戦っとけや
戦って日本さえ消えてりゃ
今ごろ世界ももっと平和だったのによ
>>109 戦前の日本は今の産油国みたいに石炭を輸出する資源国だったぞ。
もはや炭鉱は殆ど残ってないから知らんだろうが。
どっちにしろ
国(藩)は統一する必要があった
それをあの程度の内乱で収め
蝦夷共和国程度の反乱で抑えたのはちょっと奇跡的ではある
榎本武揚も勝海舟もこの情けなさをみて
勝負を投げた
>>106
明治の統治システムはこんな感じ
各機関が直接に天皇に繋がっているが、天皇は基本的に政治には関わらない
だから誰が最終的に決めるのか?全く分からないってシステム
ハッキリ言って小学校のクラスルームにも劣るシステムだと思うゾ
明治憲法は手本にしたプロイセン憲法の欠陥を継承してしまったな
徳川慶喜は、名君という見方と、ヘタレという見方
両方あるよな
>>113 地方軍閥が割拠し、更に共産化も進み、外国勢まで巻き込んだ内乱に発展した中国に比べたら遥かにマシだよな。
>>1 戦ってたら幕府軍が勝つだけで日本は消えないだろ?
>>107,113
> まず地方領主が独自に戦力を保有するのがダメ。
米国とか未だに州軍があるがなw
水戸光圀のおかげで、通夜に大勢の弔問客を呼んで
無駄金を使わないという良い風習が残っているが、
親に正義感をつけて育てられたため、いつも不利。
特に会津白虎隊系の末裔がおかしくする。
うそ800平気で言って、無責任。
>>119 いずれにしても水戸学を学んでいたことが、徳川慶喜の判断に影響したのだろうな
>>1 兵力温存して新政府の中核に入るってのはいい策やったと思うけどね
>>118 まあ中国は内乱大好きなんで
あいつらは本当にどうしようもない
どうやってもああなるし
独裁でしか統治できない場所だあれはw
でも諸子百家は好きよw
>>119 たしかに矛盾しないかも
そういう事なのかもなww
>>120 格藩は既に借金まみれでにっちもさっちもいかないから詰んでるだろ
ここだけの話、戊辰戦争はそんなガチじゃなくて、参加自由だったらしい(´・ω・`)
このあたりの話が、いまの大河ドラマの西郷ドンでやってるはず
>>53が事実だとするとそう言う恥知らずな
人間だったと言うことだよ。
少しでも自分が死ぬ可能性がある状況を許容出来なかっただけ。
戦ったら日本が、なんて結果論から無理やり人物評価して持ち上げるのはおかしいだろ。
>>128 世襲世の天皇陛下には無理だろ
江戸幕府も世襲というほど世襲ではなかったが優秀な部下にほとんど任せてる
慶喜は水戸家出身だから朝敵になりたくない
こいつを将軍にした時点で負け
省益あって国益なし、選挙区益あって国益なし、企業益あって国益なし。
長州藩や薩摩藩は、藩閥とまで言われるほど、藩益あって国益なし。
結局、戦前の国益とは、三井、三菱など財閥益のことで、
「ああ、野麦峠」のように、国民益は存在しない。
で、戦後も国益とは、トヨタなど経団連経営者益のことで、国民益は存在しない。
Trickle downなんて、その最たるもので、「経団連経営者益が自然に国民益になる」、と説く。
いくら、経団連の支援でも、勝手に国籍を外国人に無償贈与とか労働市場開放とかは、
完全に国民への背任行為だ。
私利私欲ばかりで、既に、日本人という存在が、日本人の頭から消えている。
つまり、今の日本人は、「自分に利益があれば、親戚よりも外国人を優遇する」。
「遠くの親戚より、近くの他人」という日本人は、もう既に滅んだ存在なのだ。
どの動物でも生物でも華僑でも、多くは、
「近くの他人より、遠くの親戚を優先する」。
自分の子供を、邪魔になると精神病院に棄ててでも、自分だけ酒池肉林を愉しむような日本人は、
既に、人ではなく、生物ですらない。
敗因は全て水戸だからなぁ
そりゃあ将軍排出できんわ
>>124 そうだな。
1大名になることを受け入れて、薩長と和解して、新政府の一員になればよかった。
>>128
コッチの方が明治の統治システムとして分かりやすい
全て天皇が決めるってのが建前だが、そんなことが出来るわけがない罠
薩長は、単なるイギリスの傀儡。
慶喜はフランスの傀儡になるのを拒んだだけ。
明治政府は天皇の権威をバックに元老が独裁するためのシステムだったから
元老亡き後は見事にグダグダになったな
日本の近現代史は、
イギリスの傀儡国家から、
アメリカの傀儡国家に転じただけ。
米英から独立しようとした一時期に、
米英からこてんぱにされた。
>>134 確かに
偽の錦の御旗にさえ過剰に畏れるぐらいだからな
>>138 そういうこと
つまり幕府も時が経てば、今のアメリカみたいになった可能性があった
藩に軍があること=州に軍があること
>>132 慶喜が将軍になった頃、その時点でわりと日本手詰まりなんだよ
もしそこを見通していたとしたらしゅげーと思う
張良くらいすごいとおもうww
明治維新の原因を作ったのも水戸
天皇陛下を祭り上げて新政権造る下地を作ったのも水戸
戦闘で負ける原因を作ったのも水戸
何が優秀な人材だよ
有事の時にもっとも意味不明な行動しやがって
>>117 死ななくてもいい人間が大勢死んだのに自分は逃げ回って最後は切腹もせず江戸城明け渡したヘタレだろ
>>141 薩長が真贋不明の錦の御旗を掲げたから、幕府軍の戦意が失せた。
ワタミの農業法人で作業員募集 月給「11万6600〜13万円」は安い?
http://news.livedoor.com/article/detail/8888683/ 【芸能】<ZOZO前澤友作社長>「手切れ金」も破格!?剛力彩芽は“将来安泰”か
http://2chb.net/r/mnewsplus/1537743977/ ZOZOTOWNの前澤社長、スペースXの座席9席全て買占め(700億〜1000億円)。
https://anonymous-post.net/post-1813.html こういった人々に、「同胞意識」など期待することは間違っている。
彼らは、到底、人とは呼べないような、他人の痛みを感じない、自己愛性人格障害者だ。
>>104 薩長がその後、国会でどういう扱い受けたかを知ると見方かわるかも
水戸市の中でも、天狗党vs諸生党はいまだに仲が悪いよ
大洗町vs那珂湊エリア、水戸市vs旧勝田市も同じ構図
>>142
だね
江戸幕府の反省としてなのだが、およそ近代国家としてありえない、統治システムを作ってしまった
それでも明治維新の元老が生きている内は機能したが、それ以降は大混乱に陥った
第二次世界大戦が止められなかったのも、元を正せば明治維新が作った不完全な統治システムが原因と確信する
水戸学は尊皇であり、将軍よりも天皇を尊ぶって感じだろ?
つまり、徳川慶喜がヘタレか名君か、そんなこと以前に、戦う選択肢はない
大阪城脱出、無血開城は必然の流れ
つまり、もともと戦うという選択肢がないとみるならば、名君か勇気がないか、という議論じたいが、意味をなさないだろう
禁門の変では、慶喜は勇敢に戦ったとか聞いたことあるけど。
臆病で片付く問題かな。
>>4 尊王攘夷の水戸学の発祥地なのに
天狗党事件で水戸藩内部でお互いに反目しあい
本番の維新活動には直接関与できずにそのまま地味で
暗い県になってしまったよね。
>>140 そう、南北朝鮮のように、イギリスの傀儡とフランスの傀儡の冷戦にならずに、
イギリス(アメリカ)の傀儡だけになった。
英揚陸艦「アルビオン」北東アジア派遣のねらい 英海兵隊は何しに地球の裏側へ?
https://article.auone.jp/detail/1/2/5/90_5_r_20180415_1523743832323717 イギリスが南シナ海に戦闘機、空母を派遣に…「よけいなおせっかい役」中国が反発!
http://blog.livedoor.jp/corez18c24-mili777/archives/49020191.html 香港を無血開城したイギリスが、また、黒船を派遣しに来たよ。
慶喜は恭順派の勝と抗戦派の小栗 どちらも嫌いだったらしいな
秀吉の朝鮮出兵の方が規模でかいみたい(´・ω・`)
兵隊が弱くて話にならんかったうえに、戦ったら朝敵呼ばわりされるからでないの?
今で言うソフトランディングを願ったというか
>>158 やってみたかった
とかそんな理由である可能性はある
>>117 水戸市民にとっては、徳川さんは人間として優秀だから、現在でも慕われているのよね
慶喜さんへのイメージも、大体一緒かな。まぎれもなく頭脳明晰な人物ではあった
>>163 朝敵になりたくない勢力は参加しなかったんじゃないかな(´・ω・`)
>>137 徳川が、フランスとの提携を渋っている間に、どんどん、イギリスとの提携を行なった島津は、
圧倒的な戦力差を背景に、徳川を責め潰す自信があった。
で、まさかの白旗(大政奉還)の策を授けた坂本竜馬が、裏切り者に見えて仕方がなかった。
と、聞いたが・・・?
>>160 幕府軍が勝つから南北朝鮮みたいにはならんだろ
武家の棟梁が死ぬのが怖いって笑わすな
そんなんじゃ初代に顔向けできんだろ
もし本当にヘタレだったら俺が叩っ切ってたわ
坂本さんが居なかったら
薩長が手を組む事はなかったと思うか?
>>157 会沢正志斎著作の書物
当時の国際情勢を調べた上で、日本このままじゃヤベーから天皇中心に中央集権早めにやらないと国滅ぶぞ!的な事が書いてある
ちなみにまだ黒船が来る前の日本が平和ボケしてた頃に書かれてて、水戸藩もその書物的な価値は高く評価していたが立場上(水戸藩も幕府の体制下)だから、公表していなった
後に、水戸藩下級武士が我慢できなくなって世間公表して爆発的に広まり尊皇攘夷志士のバイブルとなった
>>166 それは同意
薩長が天下を取って大日本帝国を作った事は、日本にとって最悪の選択肢だったと分かる
>>173 おお!ありがとう
ついでにどの本で読むと分かりやすいか教えてくれるととても嬉しいし
必ず買う
>>174 鳩山一郎は「佐幕派による大陸新天地」と言ってたよね。
元寇辺りからずっと日本は狙われてるから、お前ら遅すぎる(´・ω・`)
ひーさまと呼ばれてた頃はなんの実績もないのに、なんで斉彬から評価されてたの?
>>175 日本思想史新論―プラグマティズムからナショナリズムへ (ちくま新書)
URL長過ぎて貼れなかった
ゲーム:「信長の野望」で、あった戦法だが、
「敵から借金して、その金で軍備増強をして、敵を踏み潰し、借金も踏み倒す」という戦法があった。
薩長は、それみたいな感じだろうか?
「敵の資産を担保にして、その金で軍備増強をして、敵を踏み潰し、借金を敵の弾圧で返済する」。
俗にいうLeveraged Buyout。
どうせ、イギリスは密約を担保にして薩長に金を貸していたはず。
AIIBは中国のサラ金!中国は、借金のかたに領土や港湾を占領
https://blog.goo.ne.jp/hoichoi1234/e/ffdfa9b34164a9912a5c19b3aaef4bcf 「中国への領土譲渡必至」 モルディブ元大統領、現政権批判
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26811870S8A210C1FF8000/ 中国が「借金のカタ」にスリランカの有力港湾を99年間経営、インドと日本が連合して対抗―米紙
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171215/Recordchina_20171215005.html 多分、イギリスが薩長に持ちかけた貸し金のやり方が、今の中国が行なっていること。
頭脳明晰でリスクが見えすぎるから精神錯乱したんだろうな。
>>179 マジでありがとう
タイトルだけでどんな本か分かってしまったw
面白そうだな
買うわ
本当にありがとうございます
>>15 小栗上野は幕閣と対立しすぎ
幕末のロシアの対馬占拠事件でも幕閣と対立して外国奉行を辞職
最後も対立して慶喜か幕閣に職を罷免されられた
>>171 おそらく
>>172 家康は武田信玄にやられて逃げたりしていたんだっけ?w
>>178 さあ?史実は知らんが、水戸学を学んでいたから?
当時はどこの藩も借金まみれでピーピー言ってたから、多くの大名は藩がなくなると同時に借金の返済義務もなくなる廃藩置県を歓迎していた。
大政奉還が驚くほどスムーズにできた背景にはこういう事情もあったのだよ。
>>185 分かっとるでww
プラグマティズムからナショナリズムへって副題は
ナショナリズムへの批判に聞こえた
大坂からの行動は敵前逃亡といわれているが、そのまま戦えば英仏の代理戦争に巻き込まれた恐れがあった
そこまで考えて敵前逃亡したとも思えんがね
それは戦った場合の結果であって
戦うのが怖かったというのも現代的価値観だと思うが
朝敵になるのが嫌だったんだろ
代理戦争が嫌なら大坂から逃げるときに家臣たちにそう説明して
戦うのをやめろというのが先だろ
ひとりで逃げておいてほんとは戦えたけどしなかったなんてのは嘘だろ
>>169 うーん。
そうかもしれないが、英仏のような死の商人は、戦況が悪くなった側に、
さらに悪魔の取引を持ちかけてくる。
つまり、「もっと不利な条件で契約すれば、もっと強い魔法(武器)を授けてやるぞ」と。
だから、以外になかなか戦争が終結せず、泥沼のように国民が内戦で殺し合って、
完全に人間不信になってゆく。
慶喜は朝廷と徳川が対立したら朝廷につくと言われていたわけで
安政でいろいろひどい目にあった水戸が
なぜ徳川の為に戦うと思ったのが疑問や
>>154 第二次世界大戦の時には大本営の多くが東北閥に入れ替わってたな
戊辰戦争を起こした時点で犠牲は出ているし、東北とは交渉すれば良かったのに
わざわざ攻め込んで殺しまくった新政府軍が悪いだけだろ
>>192 各藩が借金漬けだったのはむしろ幕府の功績と言って良いぐらいだぞ
各藩が金満なら、内乱で戦国時代だよ。諸外国のように
>>194 付いた火を消すのは難しいからな
とかく日本人は熱くなりやすいし
ある程度の一応やってますよ的な戦闘しないと上様も怒られちゃうし大変だね
梟の城の中の秀吉さんも大変そうだったよ
>>194 話し合う前に周りの藩を巻き込んだの会津だぞ
勝手に海外に北海道売り渡しとかやるし
降伏したあとは殺しまくってない
徳川家康の責任だろw
関ヶ原の後島津と毛利を潰しておけばww
>>178 小泉進次郎へのオバサン層の期待のようなもの。
徳川将軍が身体不自由者で跡取りも居なかったから、テスト満点スポーツ優秀イケメンは次代候補として眩しく映ったのさ。
>>199 そりゃ君は切腹とかありえない時代に生きてるし
武士としての教育も受けてないし
>>189 もし幕府が戦ってたら薩長は負けてた
代理戦争なんておこがましいレベル
>>189 そもそも戦う前から大政奉還して領地の変換にまで応じてるで
他の部下に直接告げずに撤退するってのはこの時代の普通ではあるんだけど
それは絶対退却しなきゃ不味い状況だけであって慶喜の場合は説明せんといかんわな
戦っていれば薩長に大和政権が滅ぼされることもなかっただろうに
徳川の影に柳生ありで、銃が出て来て柳生が弱くなったから徳川も無くなった(´・ω・`)
(-_-;)y-~
あんま、言いたくないけど、徳川慶喜が戦う気あったとかなかったとかの問題じゃないねん。
明治天皇の政府との武力衝突を抑えきれなかったことがポイントなんやで。
>>202 個人的に言わせてもらえば
俺は朱子学からかなり影響を受けてる
が
戦争はしたくないね
そこは孫子からの影響だな
戦争は下策だと知ってるので
>>203 代理戦争という感覚になるのは
あそこで幕府がつぶれて新政府ができることがいいこと
ってそこの価値観があるからだろうなあ
戦って幕府が勝ってたら明治維新は来ないんですよ!
明治維新が来たのは慶喜公が戦いを避けたおかげ
みたいな価値観でものを言ってる感じ
主君として最低の事をしておいて尊皇で時代が見えてたから名君というのはおかしい
>>209 だから君がそんな価値観なのも現代に生きてるからだろう
自分ならってのがあまり意味がない
(-_-;)y-~
西郷隆盛だって、戦う気なかったかもしれんやん。
政治と戦争は結果が全て。
>>208 ないだろ
徳川より朝廷だし
もともと朝廷を上において徳川を動かすことを考えていたわけだし
>>210 藩を潰して中央集権する方法がほかにあったか?っていう事について
誰か答えられるのかな
どういう方法があった?
まあ、侵略の野望を隠さずに軍備増強を進める敵に資金を与えるのは、
もう、ほとんど、Terrorist Financeだね。
まあ、当時の英仏がTerrorist Financeをしていたから、日本も真似してTerrorist Financeをしようとしたら、
既存のTerroristである英仏が、追い抜くのは許せない、と海軍軍縮条約で、不利な立場を要求、
で、決裂して、Terroristとしての雌雄を決する戦い(太平洋戦争)になった。
で、戦後は、核不拡散条約で、優越権を認められた既存のTerroristの序列に挑んできたのが、
新参のTerroristである北朝鮮。
中国に、既存のTerroristの座を奪われないようにイギリスが動いているのでは?
>>211 大坂でいくさはやめだ!
ここで薩長と戦ってどうする
徳川の世をおわらせて新しい時代になるのもやむなし
家臣たちよ武器を捨てろと言って
自分は逃げた
慶喜が戦をやめろというのに家臣たちが暴走したというなら名君なんだけどな
自分だけ逃げておいて名君もへったくれもない
尊王教育に染まり切った水戸の人間が朝敵になって戦えるわけがない
やるなら禁門の変並みにやる覚悟持たなきゃならんし
>>212 意味はないのは知ってるからほっといてもらおうかw
言いたかっただけだwwww
薩長に倒されず幕府がゆるやかに近代化進めていれば、その後の暴走的な
軍国主義もなく、よって太平洋戦争もなく、今の日本は経済的にはるかに発展していただろうな
西郷も思惑通りにならなくて、西南戦争を戦う事になって負けた(´・ω・`)
>>213 実際西郷は最後は周りが熱くなり過ぎて嫌々腰を上げたって説あるしなw
西郷最後は嫌々よ
>>216 もう朝廷に政権を返上して徳川もただの雄藩になって
雄藩連合でやっていこうというのは
大久保一翁とかが言っていたんだよ
>>218 その説得は
余力が有り余る状態では100%無理じゃねーかな?
>>220 このあと言うのはほっとくがあの時点で
俺に言ってきてるんだから俺は
当然意味がないと君にいうだろ
>>211 水戸はその前に幕府に酷い目にあわされているわけで
徳川は終わらせるしかなかったわけだろ
徳川は残れたわけだし
>>225 そうだから慶喜はいくさをやめろと言ってるのに
家臣が暴走していくさ継続したっていうなら
名君だと言ってるだろ
>>170 すごく簡単に書くと今やってる大河ドラマにあるように朝敵になるのが恐かったんだわw
紛れもなく尊皇を標榜する水戸の教えがそうさせちまったんだな。死ぬのが恐いのは当たり前。
なぜなら死ぬということは無道の逆臣として未来永劫語られることになるに等しいからだ。
想像だが徳川家と皇室以外で尊敬する人物はと聞かれたら楠木正成と答えるレベルw
正成の死んだ湊川に墓碑おっ立てた後世越後のちりめん問屋としてテレビ賑わせた人物の家の出だからなw
家風に基づく教養が邪魔したわけだ。
>>215 (-_-;)y-~
そんなん、昭和天皇が戦う気なかった言うたら、
韓国や北朝鮮は昭和天皇のご威光マンセー!してくれるんかって話やで。
ここで一句
江戸幕府 キシュウでオワリ ミットもない
あと、水戸藩の徳川斉昭が阿倍や尾張藩同様、幕政の諸藩合議制への移行を主張しており、島津斉彬にとっては都合が良かった。
井伊直弼は「政治は老中や直参の権利」だったからね。
>>230 実際に大政奉還したが、薩長のクズどもが戦いたがった
まぁ、徳川幕府が残っててもアメリカとは激突してただろうな太平洋利権をかけて
>>213 >>223 いやそもそも武士階級が誇りをすべて奪われ苦しんでて
今更戦ったって歴史はもどらないのに
西郷さんは武士階級のために自分はやりたくもないのに
立ち上がったというところが
西郷さんが大人物ということなんだが
西郷さん自身があの戦争やりたがってたなら
西郷さんは大人物なんて評価を後世にもらえない
佐賀藩みたいにテクノロジーや、社会科学の素養がある藩士を教育出来てれば維新後でも勝ち組になれた
結局、水戸藩は新時代に及びじゃなかっただけなのに、没落を時勢のせいにするとはアホだなw
(-_-;)y-~
島津久光が、生麦ビールで英国人斬り殺すつもりはなかったで済むんか?
現に戦争になっとるやん。
政治の権力争いが戦争の火種になるのは世の常よ(´・ω・`)
大久保利通は死後、その財産が明らかになったが、
公共事業などに私財を投じていたらしく、借金していたらしいな
今のお金大好きな政治家や経営者は、大久保の一面を見習ってほしいね
>>237 太平洋に利権なんか無かったで
日本は近海で艦隊決戦するだけの近海海軍だったしな
太平洋諸島をいくらか信託統治はしたが、別に利権は無かった
>>236 血に飢えた長州を止める事は誰にも出来なかったのだ
>>245 あいつら攘夷やらかしで何度も幕府に尻拭いしてもらってんだけどなぁ
(-_-;)y-~
現場は殺し合いしてるんやから、慶喜一身には不本意で済むわけないがな。
本気でそう思ってるなら、明治天皇の御前で切腹するのが武士やねん。
せんかったやろ、本質は貴族で、どうとも思ってないねんで。
日本人は外国の事情をよく勉強していたから列強が内紛を利用したり不平等条約で弱体化させたりして植民地にしていたやり方も知っていた。それを避けたとしても不思議ではないね
>>245 だからそれは長州が悪いんであって
雄藩連合にしようとしてるのに
徳川つぶすというのは正しいとはならんだろ
>>243 今の政治家と気概が違う
20世紀初頭までの政治家は武家出身者が多くて、教養も気概も今じゃ考えられない程優れていたんだろ
慶喜が愛人船に乗せる為にわざわざ皆と船待たせて、
部下が刀抜いて切りかけたって話ほんと?
>>248 アヘン戦争の話もすぐに日本にきていたからな
アメリカが南北戦争やっている間に内戦終わらせたのはよかったかもな
(-_-;)y-~
なんか、勘違いしてるよな。
慶喜の時代って、法治国家やないねんで。
武力がもの言う時代なんやで。
生き延びることに賭けたという意味では、慶喜は偉いと思うよ。
>>245 長州とかヤバ過ぎた
日本には穏健な保守が一番良かったのにな
>>243 大久保さん以外にもそんな話聞いたな
誰だったか
>>250 教養も気概も劣化していたとまでは言えないと思うよ
ただ、意図的に専門分野を分断されて交流も失われたから、分裂しやすくなった
基本、米の力よりも銭の力だったんだよ。
食足りて・・。
>>246 それだよな
賠償金を幕府に肩代わりさせて幕府に反抗とか、倫理的にも狂っている
>>258 長州ってフリーダムだよね
若い奴らを放置し過ぎw
ヘタレ将軍が糞漏らして降伏する中、会津だけが最後まで忠義を尽くして戦ったんだよなあ
薩長テロリストを滅ぼして会津が中心の政権を作っていれば日本は悲惨な敗戦を迎えることもなかった
>>249 徳川も含めた雄藩によるオールジャパンの議会政治になる寸前で、薩長が倒幕に走った訳だからな
その影響で明治政府は穏健な保守ではなく、かなり先鋭化してしまったし、徳川側の有能な人材も活用されないマイナス面が大きかったよね
慶喜は将軍やめた後、ロード系の自転車で街中を走る姿があったらしい。
自由人なんよ
(-_-;)y-~
外交権と通商権を独占しているはずの幕府が、
島津家と直接交渉してくださいなんて言うてしもたから、薩英同盟が誕生したんやで。
>>251 斬り掛けたかは知らんが、
徳川慶喜の愛人「町火消し新門辰五郎の娘」は京都に居宅を持ち、
鳥羽・伏見の戦いでは徳川慶喜と共に榎本艦隊で浜離宮に上陸した。
この際、徳川慶喜は本営の馬印を大阪城に放置し、
「愛人は連れ、馬印は捨てた」と批判された。
年寄りに金を貸すより若者に金を貸す。
ロジックな。
>>252 アヘン戦争のずっと前から列強のやり方把握しているよ
例えば、1820年頃からロシアの捕鯨船が頻繁に食料や水を求めて日本の漁村に来てたらしいけど「ロシア近海に良い捕鯨スポットあるのに何故わざわざ太平洋まで出てきとんねん、あれ絶対捕鯨船やなくて調査目的の軍艦や」って突っ込み入れてる書物もあるし
実際そいつら捕鯨目的じゃなくて調査目的で日本に来た露助だったそうだ
オランダやポルトガルからも積極的に情報仕入れてて、植民地支配のやり方やどの国がどの列強から植民地化されたとかかなり幕府は把握していた
>>250 最初は武家が政治家する方が良かったんだよ
それなのに明治政府は急進的に政治を進めたから結局、農民出身者ばかりの軍部に主導権を握られる無様な態をさらけ出して敗戦に突き進んだ
>>249 いやいや徳川幕府が悪いよ
力がないってことだから
力がない政権を存続させることがすでに悪でしょ
あの時代
そんな脆弱な政権を存続させていると
日本各地で幕府に逆らう藩が続出するだろう
そんな状態になれば列強のいい餌食になるのは目に見えている
>>1 >もし戦っていれば日本の国が消えていた可能性があった」と述べ、日本を救った行動だったと解説した。
>>236 だったら戦いを仕掛けるな、の一言で終わるな
自身は禁門の変を起こした長州を糾弾し叩きのめしておいて
討薩の令を携えた大軍で御所を恐喝しようとか考えられない
家臣と紀州藩に死ぬまで戦えと言って逃亡したのも最低
慶喜さんの回想録は全部読んだけど、勉強は出来るが自己保身の強い小物って印象を受けた
西郷は征韓論者だったのか、遣韓論者だったのか
今後の大河ドラマでは、どちらになるのだろうか
>>24 それは微妙なところ
新規で取り立てられ引き上げられた人は己の能力が見込まれたという意識を強く持ち、家への帰属意識が強い累代の家臣に比べて藩主個人への忠誠心をより強く持つようになる
>>271 だから、大政奉還して新体制に協力してただろ、幕府も
徳川潰しに躍起になってたの薩長だろ。もう大政奉還で目的は果たしてるのに
まあまだ完全に終わったわけじゃない
たかが150年
徳川を始めとする大名の末裔たちは全国に散らばっているしまた出番が来るかもしれないだろ?
歴史とはそういうものだ
>>272 あれは長州に問題あるやろ
薩摩が幕府見捨てた時点で終わっていたんだろうな
慶喜は徳川のためにやるつもりないし
あの時慶喜が逃げ出したせいで薩長テロリストの自民党に支配されて
太平洋戦争で国民無駄にしにまくった日本人ってバカでしょ?
(-_-;)y-~
西郷隆盛が島津久光を嫌っていたという証拠はないねんなぁ。
命令系統の違いで、渋い顔するのが誤伝されるねん。
国父様がそのような捨て身はいけませんという思いもあったやろな。
島津久光もそれがわかっていて、西郷、お前とは俺も同じ志士じゃとして接していたんよ。
西南戦争で出陣する時、西郷は島津久光の居る磯庭園の門前で、雪の上に土下座して暇乞いをした。
これが全て。こういう忠節を尽くしてくれた西郷家に対する島津家の計らいもまた尋常ではなく今に続いている。
>>278 大規模な内戦で英国やフランス植民地にされていた可能性が高いわ
アジアはそんな感じで植民地にされていたからな
大東亜戦争のときの軍部の指導者は幕府側についた出身者が大半。賊軍の汚名を晴らそうとして張り切ったのが原因
>>249 国の存亡がかかる状況で、異国船打払令以来半世紀何もせず、朝廷を騙して不平等条約を丸呑みにして庶民を苦しめ参預会議も失敗させ
挙句の果て新政府に武力強訴に出た世襲制軍事独裁政権に、あと何十年チャンスを与えてから革命を起こせば許されるたんだ
>>276 200年恨み続けるキチガイ長州土人と幕府の誇り高い武士たちを一緒にするなよ
水戸藩は内紛で自滅
一致協力気概なし
派閥ごと敵対どうしで
つぶしあい殺し合い
昔じいちゃんから聞いた話
(-_-;)y-~
旗本八万旗の腰抜けっぷりは、慶喜を殺して新将軍を立てなかったことなんよ。
そのために、上野寛永寺にスペア将軍の宮様を抱えておくという、
家康秀忠の戦略を忠実に実行できんかったんよ。
幕軍の正解は、慶喜を殺して新将軍をたてること。
>>4 明治の世に代わっても内ゲバの報復合戦だしなあ
> 専門家が「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」と論戦を交わした。
これ、結局のところ史料がないのだから想像しかできない
本人の後日談から後者をとってるだけだから、前者についても議論になっているだけでしょ?
>>8 その江戸時代の体制のままずっと何の進歩もなく今の日本政府という
徳川って凄い無能なんだなとつくづく思うわ
>>283 そういう訳ではない。そもそも平民出身者ばっかだし
ただ、薩長閥の追放は目指していた。だってあの当時でさえ維新なんか70年も昔の話だぞ
新政府は大名の資産を返還してる
幕府側が、最後まで薩長側と戦争してたら、大きな傷を国内に残した
これを避けたことは、懸命な判断だった
アメリカの南北戦争という内乱では、南部連合側への厳しい措置で
いまでもその影響が残っている
悪影響がな
一つだけ言えることは日本はモノマネ大国。
純粋ちゃー純粋。
坂本龍馬は売国奴として徳川の刺客に暗殺された(´・ω・`)
御幼帝を擁し奉りて、政権を盗まんとしているのであるまいか!
>>296 それを言うなら、当時の列強はイギリスのモノマネ大国だなw
坂本龍馬なんて、慶喜は名前すら知らなかったんじゃないの?
>>286 お前は何を勘違いしているんだ?
俺は民衆が薩長テロリズムに飽々して江戸時代の大名を担ぎ上げるときがくるかもしれないと言ってるだけだ
井伊直弼が勝手にやって反対派を弾圧から始まるわけやし
あれがなければまだよかったかもな
坂本龍馬が売国して武器を調達して薩長に流してたから、坂本が暗殺されて薩長がキレた(´・ω・`)
関ヶ原で西軍が勝っていたら今頃は敗戦国にならなかったな
>>15 だからこそ、泥沼に落ち込む可能性があった
国内で激しい内戦状態になり、社会秩序が崩壊し
国内に遺恨を残すことにもなりかねなかった
それを避けたことは僥倖だった
ギリギリのところで、幕府が折れ、新政府に政権を渡した
ただし、資産の没収はなし、処分もなし、貴族に取り立てた
士族には厳しい時代になったが
英断と思う
>>303 当たり前だろ
弾圧やった幕府嫌いに決まっているやん
>>305 坂本さんは各方面から邪魔者扱いされてたんじゃね?
彼を恨んでた奴多過ぎでしょ
>>283 大正時代の軍縮と昭和の粛軍で、
陸海軍の薩長閥は(特に陸軍では)駆逐されたよ。
その反動で、特に陸軍では将官の権限が形骸化され、
佐官クラスの将校が軍を牛耳り、軍の統制に重大な問題が出たがな。
>>305 坂本は別にそこまで活躍してないぞ
薩摩が長州のかわりに買っていただけやし
(-_-;)y-~
土方歳三が、新選組ではなく、もっと高い身分にいたら、
鳥羽伏見の戦いで将軍慶喜を最前線に立たせて薩長に殺してもらって、
新幕府新将軍を立てたはずや。
鳥羽伏見で慶喜が戦死しなかったら、死ぬまで慶喜を最前線に立たせたやろな。
これが政戦両略というやつ。
薩摩の保険は、寺田屋事件方式で、万が一明治新政府樹立に失敗、幕軍に敗北した場合は、
西郷と精忠組が勝手に藩兵動かしました、藩主は知らぬ存ぜぬ、
最悪は島津久光の首を差し出して幕引きやろな。
江戸幕府は260年戦らしい戦なし
薩長テロリスト政府は80年弱で死者300万人を出し敗戦
これが現実
幕府としては銃が出回るのはマズイと考えてて、坂本が勝手に武器を売ってるぞみたいな事になって(´・ω・`)
ただのへたれから家臣を置いて逃げ出したのか
血気にはやる家臣を抑えられないと踏んで、自分が逃げ出すことで戦を強制的に終わらせたかったのか
何とも言えんな
>>309 いろは丸は酷いからな
巻き込まれた大洲藩から殺されても
(-_-;)y-~
違うね。重工業、殊に造船でリストラしたくなかったから、軍縮条約に賛成できんかったんよ。
山本権兵衛の軍縮をくじいたのは、リストラしたくない臣民やったんよ。
勝ち目がないならやらないほうがいい
その意味ではアメリカに戦争しかけた昭和のエリート参謀よりは遥かに賢い
>>313 世界情勢が全然違うのに比べるのがくだらない
>>29 物事は結果が全て
それに不満を感じる者達が、いちゃもんを付ける
あれは、あれで正しい判断だった
幕府もそこまで馬鹿ではない、黒船が来る前から
来ることは予測していた
外国での、英仏の行動パターンも知っていた可能性が高い
政権を放り出したというのは、悪意を持った表現に過ぎない
政権移譲が正当な表現だと思う
旧幕府側も、明治新政権側も共に、天皇陛下からの支持
の元、国家運営を任されただけで、最高権威は動かなかった
これも大きい
薩摩は勝手にご禁制の品を扱って、朝廷と交渉してたから幕府が怒った(´・ω・`)
>>315 あのままいても戦うのやめろといっても無理だっただろうな
西郷もあれくらいズルさと冷血さあればあんな最後にならなかっただろう
西郷は見捨てられなかった
>>271 イギリスの支援を受けてた薩長にも力は無かったよ
慶喜が、偽の錦の御旗にビビって逃げ出さなければ強いのは幕府の方だった
>>313 これが全てだよなあ
ぶっちゃけ大日本帝国滅ぼした原因の一つである皇道派とかアンチ薩長だし
戊辰戦争が本当に余計
明治維新の意味不明の暴力革命が昭和軍部の傲慢と暴走を生んだ
大政奉還しているのだから、後は徳川と親藩の力を削いで、
体制に組み込むだけで何の問題も無かった
>>319 情勢次第でお前は戦争で死んでも構わないと?
ずいぶん潔いことで
まともな海軍があったのは幕府だけだし、
戦えば絶対勝てたんだよな。
>>1 モノは言いようだな。徳川のロビー活動もなかなかなもんやのー
秀吉だってボケてて朝鮮出兵させたんじゃないみたいだしな
お陰でバカチョンに気づいていた英雄たちは侮辱されたようなもんですし
徳川はクーデターしただけの人らなんじゃないかな、とも言えるわけで
徳川は賊軍なのだから
薩長が征夷大将軍になるのが筋
天皇に政治をさせると言いながら実権を簒奪したのが罪
>>318 アメリカに戦争しかけた昭和のエリート参謀の生き残りが
戦後の日本を主導したんだよな。
彼らの中には岸や正力や緒方のように第二次世界大戦後の日本社会の有力者になったり、
それぞれの分野で相応に一定の社会的地位を築いたりした者もいた。しかし、
アメリカ合衆国政府が機密指定を解除して公開した中央情報局(CIA)の文書によって、
岸・正力・緒方らは日本を親米化するためのアメリカ合衆国政府の協力者として
位置づけられていたことが確認された。
>>38 >>42 勝海舟の日記を読むと戦前に決着が着いていた感じがする。
斥候に行くように命じても誰も行かないので勝海舟自ら京都に斥候に行っている。
薩長側の薩摩・長州以外は様子見を決め込んでいたので、実質2千対2万だった(数字はあやふや)。
なのに、ぼろ負けかよ・・・みたいな内容だった。
>>322 元々西郷と大久保が島津をペテンにかけて動かした薩摩軍、
薩摩・島津の利益の為という嘘が剥がれた時、
誰かが清算しなければならない。
西郷は自らを清算の支払いに差し出し、大久保はペテン師のまま島津にシラを切った。
それが西南戦争の一面
>>335 偽の錦の御旗でのビビりっぷりを考えるとそうだな
>>336 そいつらアメリカに命乞いして戦後に特権的な地位を得た奴らやろw
>>330 戦国時代という長い争いやっと徳川幕府ができた
徳川があれだけ静かに終わったおかげで混乱なかったわけだし
戦争とか終わった後もすぐに経済回復できたのも奇跡的なんだが
>>341 命乞い仕様が何だろうが先見の明があり過ぎやw
歴史小説家だから戦わない人が嫌いなんだろうがな
戦だけで物事が進んでるわけでもないんだぞっとそいつに言いたい
>>328 時代ごとにその時代の概念は変化する。
ひょっとして、貴方は過去の価値観を現代の価値観で断罪しちゃう人?www
水戸の人間を将軍にしたのが失敗の元。
水戸は御三家のくせにおかしいんだよ。
>>342 時代背景で言ったら関ヶ原の後島津征伐にいくのは当然なんだが?
280年早まる西南戦争起こっても仕方ない対応島津してるぞ?
維新で恭順しようとした徳川やら会津とはまるで違う態度示してる島津をしっかり徳川抑えてるけど?
安倍チョン勢力が、増えて
この国は、腐ったから
今こそチョン排斥しないと
天狗党が同郷だったのが不幸の始まり、その中には慶喜の知り合いとか幼なじみとかもいただろうしそいつらを自分の手で殺す事になった時点で幕府に対する思い入れは完全に無くなったんじゃないかな。だから世の中の流れを優先して無血開城って判断をした。
>>293 違うだろ
例えばペリーもなんだかんだ言って不便なところでの接岸のみで交渉まとめられてるし、あれは決して言いなりじゃないぞ。
明治政府の旧幕府へのイメージ操作が行われてるわ。
一方新政府は、日清、日露、大東亜太平洋戦争を繰り返し疲弊させた挙句なんの恩恵ももたらさないという超愚策しかして来なかったからな
あのときはああいう情勢だったから戦争で死ぬのも仕方なかったよね
そりゃそうだ
で?
最近、漫画で異常に聡明な慶喜を見た。『俺が戦えば100%勝てるが国内が滅茶苦茶になる』と。そのための降伏だと。ちょっと見方を変えてみようと思う。
>>348 今の価値観なら戦争はしない方が良い
百年後、、、いや十年後には価値観が変わり、
君のような「現在の尺度」でしか考えられない輩に今度は、
「ヘイワヘイワを囀ずるだけのオカマの国賊野郎」と
君の価値観が歴史的に断罪されるかもしれないぜ?
関東系が思うような国の形態では無くなってるわな
恐らく、京都が名目も実務も首都機能を有してるわ
薩長への恨みも1000年は消えないだろうからこいつらが降りない限り日本に平安の世は訪れないよ
>>356 そっちの方が良いと思えば冷静冷酷に判断する人だからな
[幕末新聞第7号]薩摩藩主の率兵、国元に慎重論 在京首脳陣と“温度差”
https://373news.com/_kikaku/meijiishin150/bakumatsu_shimbun.php?storyid=8899 【京都・薩摩】新たな政治体制の樹立に向けて薩土盟約を結んだ薩摩藩だが、武力改革を進めつつある在京首脳部と、
国元との“温度差”が浮き彫りになっている。慶応3(1867)年7月初旬ごろから「武力対決論(討幕論)」について、
鹿児島城下では懸念の声が噴出。最大の懸案となっている藩主・島津忠義の率兵上京に「慎重論」も根強い。
失敗時の危険性や藩財政逼迫(ひっぱく)を理由に、藩主弟・久治らが反対。
京都滞在中の国父・島津久光を中心に武力改革を進めようと動きだした藩首脳陣と、国元の出兵反対派との溝が深まる。
四侯会議の破綻を受け、家老の小松帯刀を筆頭とする西郷隆盛や大久保利通ら在京首脳部は5月下旬、
平和的手段による幕政改革から、武力を背景とした改革路線への変更を決定。
「八月十八日の政変」(文久3=1863年)のような武装蜂起(クーデター)を想定しているとみられ、
状況によっては藩主率兵上京もあり得ると国元に伝えた。
これを受け、藩主率兵について、国元では反対論が広がった。
その主な理由として、(1)700年続いてきた島津家の存続が揺らぐ可能性がある
(2)国父・島津久光の上京など度重なる出費で藩財政は火の車
(3)一時は戦火を交え、朝敵にもなった長州と手を携え改革を図るのは「国家の大難」を招く―などが出ている。
とりわけ長州との「心情的なしこり」は深刻なもよう。
長州の冤罪(えんざい)晴らしを目的に秘密裏に結ばれた「薩長同盟」(慶応2=1866年)について知らない国元の藩士も少なくない。
長州との連携は「自らを逆賊におとしめる行為」と指摘する者もいる。
出兵反対派の筆頭が国父・久光の次男で、7月に家老に就いたばかりの久治だ。
出兵賛成派の弟・珍彦(うずひこ、久光三男)との対立は深く、
在京の久光は手紙(8月3日付)で「兄弟中の不和は良くない。よくよく考えてほしい」と長男忠義に伝えた。
藩の“最高権力者”である久光自身も、国元では早期出兵論が巻き起こるものと考えていただけに、認識のずれに驚いたようだ。
久治のほか、欧州帰りの町田久成も8月の時点で、西郷隆盛による出兵要請は「児戯に等しい」と反対の意を示した。
城下士を中心に反対や慎重論を唱える者が多く、外城の郷士層に出兵賛成が多いのが国元の特徴で、
忠義をはじめ鹿児島に残る上層部の舵(かじ)取りが注目される。
島津久治(右)と珍彦とされる写真。兄弟で意見が対立しているという=黎明館所蔵
>>23 ひょっとしてアベガー!って叫びながら極左暴力組織の共産党に投票しちゃう人?
日清戦争で清国の軍隊は大日本帝国以上の近代兵器をそろえていたが
戦ってみると日本の圧勝だった
清国軍の兵士はとにかく戦意がなくて、すぐに逃げ出したそうだ
これはどうしてかと思うと、清国のような国家体制は貴族のものであって
兵となる民衆には愛国心が皆無であって、自分たちの支配者が貴族から日本に変っても大差ないという意識があったため
対する当時の日本の民衆は戦争に勝つと大歓声を上げる愛国心を表している
この愛国心がときには政府に対して重圧になっていたりする、たとえば日露戦争後の日比谷公園焼き討ち事件など
もしも明治維新が起きて国民国家とならずに徳川幕藩体制のまま武家支配国家体制のままだとすると
日本軍の兵士は清国軍なみに士気が低く、とても対外戦争で勝てるような軍隊になり得なかったと思う
日清戦争はともかく、日露戦争はボロ負けになっていただろう
>>180 【国際】「中国とのすべての合意を再検討」 親中派破ってのモルディブ大統領選勝利で野党党首発言
http://2chb.net/r/newsplus/1537889750/ 日清戦争は、戦死者よりも病死が多かったんだよ
双方ともにな
だいたいヨシノブが逃げたから負けたのではなくて
負けたから大阪城に逃げ込んできたんだろ
3倍の兵力を持ちながらボロクソに負けた姿が天下に
さらされているのだからいまさらよしのぶが指揮をとって
戦ったところで大勢に影響はないよ
>>196 参勤交代と大規模普請へのリソース徴発が元凶
>>364 何か関ヶ原の時と似たような構造だなー
上方(義弘)と国元(義久)で方針が違うの
ネタバレするようで申し訳ないが、ご隠居さんの正体は水戸光圀公。
幕府軍は圧倒的な戦力があったのに
蒸気軍艦12隻、スクーナー63隻
新型銃、洋式訓練兵、炸裂弾
さらにアメリカから購入した
甲鉄にガトリング砲などの
最新式兵器が来日中。
フランス人傭兵部隊に
プロシア制兵器。
小栗上野介に指揮を任せておけば!
>>374 小栗にまかせておかなかったから
日本は滅亡しないで済んだ
>>77 お前の頭がお花畑なのは間違いなさそうだな
人民解放軍は人々を解放する正義の軍隊!とか思ってそうで草生える
ガチでやり合ってたら日本は欧米列強のお狩り場にされてた(幕府の圧勝であったとしても)ので「適度にやり合わせガス抜きつつ退却」ってのは神手だったろうと思う
あそこでガス抜かずに全面撤退だったら江戸は戦火を免れなかったろう
…ただまぁ犠牲になった幕府側の兵が心底気の毒だし慶喜はど冷徹鬼畜だなぁとも思う
ほんと幕末は綱渡りよ
>>366 その場合は日本は今みたいに防衛に徹してたから日露戦争も日米戦争も無かったろ
日米戦争が無かったという事は今みたいな悲惨な属国支配も無かったという事だよ
小栗上野介は、フランスから軍資金を借りるために
四国を担保に借金しようとしたという説がある
幕府にとっては、徳川直轄地以外はもはや外国みたいなもので
その外国が借金の担保に取られても痛くもかゆくもない、そんな感覚だったのだろう
>>368 似たような話、ノモンハン戦争でのロシア側は、戦死者よりも自殺者のほうが多かった
>>378 そらまぁしゃーない
江戸に日本の中枢機能が集中しすぎとったからな、江戸が壊滅したら必然的に日本全体も滅びる
維新が軟着陸できたのは江戸の機能をそのまま幕府から引き継げたからよ
結果的に最終的には、上手く言ったんだから、それがすべてなんだろう。
>>379 逆に清国のように日本各地に列強の疎開地ができて
なし崩し的に植民地にされていた可能性も
そして有色人種の国は白人には敵わないという諦観がアジア諸国すべてに広がり
未だにアジア、アフリカは白人の奴隷のまま、独立戦争も起こす気概のない民族になっていた可能性がある
>>380 これが通ってたらまずかったよなぁ
慶喜はこれがわかってたから内戦化を避けたと思う
結果的に納得いかない幕臣とその一部が戦ったけど、泥沼の内戦は避けれた
>>385 慶喜(と勝)はど鬼畜だけど少なくとも薩長よりは冷静に現実を見てたように見える
勝つだけならできたかもしれんが、大事なのはその後の舵取り。人材の差は嫌でも耳に入ってたろ。その後は全て勝海舟に任せてたし。
>>386 海外の情報をよく知ってたのはあると思う
慶喜なんかは水戸学の影響で朝廷敵に回した時点で戦いたくなかったかもしれんが
当時、
国内内乱を利用されて
植民地にされて分割されたって前例はあるの?
長州を一次征伐で亡き者にしなかったのがバカ
なにのほほんと逆転されてんだよ
ヤムチャかよ
>>366 古代王政の民衆を徴用する軍隊が廃れ、封建制の武士・騎士の時代になり、
、国民国家皆兵の時代に推移した歴史的理由がそのままだね。
古代を引きずる清帝政と国民国家の日本帝国では、
民衆の兵士という意味では同じだが、その意味合いは全く違うしね
それより、200以上の藩があったのに、水戸、会津、長州、薩摩以外の藩は何してたの?寝てたの?
ほとんどの藩がどっちつかずの日和見主義というのがおそろしい。
>>389 清国、インドなど、植民地にされた国は殆どそうだろう。
「分割統治」がイギリスの植民地支配の基本戦略だった。
>>393 官軍側に着いたのも幕府側に着いたのも日和見なのもいたよ
もともと天皇崇拝の人物だが、公家の主導権争いに巻き込まれたのだろう
公家は働かず、プライドだけで人々を翻弄してきた、
戦うのは勇気ではないな。慶喜の場合は情勢がな。まあ良かったんだよ、アレで
慶喜が脳筋じゃなくて、優柔不断な知識人で良かったよ
>>393 基本、徳川だけど、旗があったから素通りさせたらしい(´・ω・`)
相模湾で挟み撃ちにすれば勝てたのに最後に慶喜だけしぶって敗戦したんだっけ?
で、鳥羽伏見で戦った兵は大将がいなくなったので、徒歩で国元へ帰ったのかな。
>>393 全然恐ろしくない。イスラムの大義みたいに自爆テロで戦い抜けばいいのかw
大東亜戦争時の日本人よりも、よほど幕末日本人の方が賢い
>>393 外様最大の藩・加賀藩前田家が動かなかったってのもすごいよね。
目の前の越前が大戦争の折に、華麗にスルーだし
アメリカの南北戦争みたいに、片っ端からやっつけていったみたいのじゃないらしい
実際見てないけどね(´・ω・`)
>>404 むしろ平和でお家安泰のために牙抜き過ぎたからだろうな。今の状態がずっと続いてくれれば
それでいいんだもん。変化は悪、とり潰しの元w 徳川幕藩体制の超優等生だな
>>393 そら関ヶ原っつー前例があるからなぁ…
戦後処理含めて、ありゃカオスだった戦国時代だったからできたことであって、戦慣れしてない状態で家臣・領民・ひとつの島国としての機能を維持しようとするなら日和見が最善手よ
むしろ未曾有の国難の時に軍事クーデターおこした側がけっこう無謀(あしらい加減間違えて大事にした幕府もだが)
結果的に軟着陸できたから結果オーライだけど
生きる勇気 普通にこちらの方が必要だよな
並べるなら 死ぬ勇気 ではなくて
死ぬ気でやる勇気 で勝算がないとダメ
まとめると 何とか生きようと工夫する勇気で
自殺的行為は勇気ではないよなぁ フム(´-ω-`)
なぜ大阪城脱出の時点だけ英仏の代理戦争の危険性を強調するのかがわからない。それ以前にも
以降にも同じようにその危険性はあったわけで。
おまいらとこうやって歴史論議が出来ることが幸せだわ
戦ってた方が今の日本領土は広かっただろうな
千島、パラオ、台湾あたり
中国は分裂状態、半島は世界最貧国
恥ずかしいんではあるけど、
ただの敗軍の将にならなかったのは
「この国のため」という大義名分があったから。
戦っていたら勝っていただろ
何で負けていたと考えるんだ?
>>水戸藩では天狗・諸生の戦いがあり、「水戸は優秀な人材を失い、明治維新の果実は薩摩長州が握った」
よく言われる説だけど実に疑わしい。
茨城県と言えばワーストクラスの知性と県民性として知られてる。
県民性なんてそう変わるもんでもないだろう。
まさか戦で優秀な人材だけ100%失われたわけでもないだろうし。
尊皇は当時の知識人の常識だからな。外国勢力云々とか、カッコつけてみるけど、
ぶっちゃけ慶喜は、尊氏になりたくなかったんだろうな。歴史に逆賊として残りたくない
>>4 みんな蕎麦食ってるのにあいつらだけラーメン
>>396 幕府についていたが部下ね反乱で新政府についたりな
>>416 士気が奮わず
連戦連敗だったからな
今逃げないと逃げるチャンスが無いと
思ったんだろうな
結局、篤姫が凄かったってことだろ
しっかりと、まとめあげた
>>297 >>305 >>307 龍馬は幕府、薩摩、長州、土佐とどこにやられたかわからんね
以前みた番組では、薩摩、長州、土佐の思惑が絡んだ、3つの連合にやられたことになっていた記憶があるが
>>394 英国はエグい
反乱につき認めさせて叩きのめしたり
他民族連れてきて特権認めたりで団結させないようにした
フランス植民地時代の方がマシだったと言われるくらいキツイ
働いても借金まみれで
新しい財源の無い
徳川の為に投げ出さんわ
勝手も、薩摩と長州、土佐を分割して
貰っても何にも成らんわの
>>416 勝ってもフランスの介入が激しくなるし、あとのなくなった薩長が形振り構わずイギリスに頼るようになり英仏代理戦争のできあがり
あの状況になった時点で幕府的には色々と「詰み」状態だった
>>423 案外、勝海舟の仕業だったりしてと思うことがある
植民地になってた〜っていうけど、極東の島国にどれだけの価値があったかって話
英仏も本気じゃなかったろ。遠い上に特に産業もなく、米作ってる奴がほとんどで、行列
横切っただけでなげー刃物で斬りかかってくるオッサンがいる国なんて危なくてしょうがねぇ
慶喜が薩長と戦えば日本中が焦土になり英仏の餌食になるから戦うのをやめたというのは大嘘
戊辰戦争で会津以北が焦土になるのを傍観して英国の傀儡政権になるのを許した
本当に慶喜が日本を憂いていたなら奥羽越列藩同盟や榎本新政府に戦うのをやめるように勝海舟なり誰なりを派遣して周旋したはず
それをせずにただただ謹慎してた慶喜は母親の親類である有栖川宮から助命を条件に鳥羽伏見の戦いを放り出して逃げ出した
英国の傀儡政権の薩長藩閥政府はユダヤから莫大な金を借りて英国の指導のもと日露戦争へ
それは事実だと思う
内戦なんてやって疲弊したら列強に食われるだけ
よくまあ危ない橋渡ったし幕府方も維新方もよく心得ていたと思う
>>4 慶喜は立派な人物だったと思うが、水戸藩士がクソすぎて茨城の印象はどうにも悪すぎる
働いても借金まみれで
新しい財源を持たない
徳川の為に命を投げ出す
価値は無かった
薩摩と長州、土佐から
何もしなければ、どちらからも
攻められないよ
と言われたら、適当になるわな
>>429 バカなの?
あの当時は海が目的だったのに
家康の時代から、欧米の卑劣さは知れ渡っていた
だからこそ鎖国をしていた。
。
あんな難しい時代の国の舵取りなんてやってられん。
長州でも薩摩でもやりたい奴がやれ。
>>428 興味深い
結局、長州はうまい事やったな
総理大臣の政治家も多い
薩摩はあまり偉くなってないよな
日本人って土壇場であっさり腰砕けになるよねw
先の大戦のときもそうww
廃藩置県は殿様の借金棒引きにするどころか藩の財産の1割を殿様に債権として与えて県知事に横滑りさせるなど名誉を与えた後で全員家臣と引き離して東京に住まわせて鹿鳴館などで贅沢三昧させて骨抜きにするとかこれを考えたやつは天才
>>438 直接フランスや英国じゃなく内乱者と組み勝たせてとる
インドや清は完全に分割されたし
>>418 人工都市つくば以外の惨状を見ればある程度わかるよな。
福島浜通りと北関東の悪い部分を凝縮した感じか
>>441 英仏の手口はすでに知れ渡ってたからなあ
薩英戦争で、イギリスは負けたけど、遠すぎて援軍なんて出せないよって話じゃなかったけ(´・ω・`)
>>446 フランスや英国は他国にいき代理戦争やっていたわけやが
日本も同じようになるとこだった
>>439 西南戦争であらかた死んじゃったからな。やりすぎて斬りかけられたりもしてるし
新八さんだけは惜しかった
>>434 バカなの?クジラの港が欲しいって時代なのに
太平洋が重要になるのはもう少し後。需要になったのもアメリカと勃興した日本のおかげだし
日本国憲法9条のルーツがここにあり。
薩摩藩の奴らが江戸で大暴れして南京大虐殺のミニチュア版
をやらかしたんでなかったけ
結局孝明天皇を暗殺されて明治天皇という玉を取られたのが命取り
慶喜は頭良すぎていくら幕府軍の数が多くても熱意に欠けていて負けるであろうことが見えていたんだろう
第二次長州征伐で勝てないのに薩摩まで加わった相手に勝てるはずないからな
奥州列藩同盟なんかも同盟内の諸藩の熱意の違いからボロボロ欠けていき結局負けた
一番戦意の高いところを見て大戦争になるといっても現実はそんなもの
負けた会津の連中が、北海道をドイツにくれてやるのを条件に武器援助をもらおうとしていたろ。
結局、そういう事になるから戦わずに逃げて正解なんだよ。
幕府が勝ったとしたらフランスの権限や土地を渡さないといけないし
薩長は英国頼りになるし
この時代は勝てばいいわけじゃないからなあ
逃げたことでフランスは何も手を出せなくなり
英国介入をさせなかったのは結果なのか
偶然なのか
慶喜は政治から離れ趣味に生きた
武器を売りつけてその借金のかたに植民地を増やすのが常とう手段だったから
その手には決して乗ってはいけないという共通認識がすでに出来上がっていた
単に徳川の人徳も何も無い状態
大坂の商人も無視してたから
財源も無く
籠城も出来なかっただけ
今で言う、夜逃げ
>>453 島津家は立派でも下が不躾な土人だったからな、維新側へのヘイトが全部薩摩に向かってしまった感じがあるね。
>>456 プロイセンすら相手にしなかったからな
慶喜なら対応したかもしれん
>>456 ドイツはちょうどその頃統一で忙しくてそれどころじゃなかったからな
まぁ時代がよかったよね。あと20年維新が遅かったら英仏どころかアメリカもドイツも国外に
目がいく余裕もつから、維新とか出来なかったかも知れないけど、やっぱり刀もった
オッサンがゴロゴロしてたから簡単にはいかなかったろうな
可能性だけで言うなら
戦ってたら朝鮮人が消えてたかもしれないな
神武天皇の世から現代の今に至るまで日本という国も日本人もずっと存続していることを思えば
日本が歩んできた道は間違いじゃなかったんだよね。
>>465 なぜ植民地にされなかったかは結局英国やフランスのやり方を日本人が理解し
内戦を終わらせ介入させなかったとこかな
慶喜は徳川を残したが神輿にならなかった
幕府は何のために戦うのかわからなくなり
部下にこんなことをやっても意味はないと説得されてやめたのもいるからな
109名無しさん@1周年2018/09/27(木) 05:05:48.49ID:hSESLRIn0
>>111>>112
明治政府になって、日本は、海外から買おうにも売るものが無い、
だから、最初に代金として明治政府が支払ったものは、女だったのではなかったか?
↑↑
オマエ、朝鮮人・韓国人か、朴槿恵の父親は仕方なく、売春で外貨を稼いだ。
日本の農協の団体がキーセン観光を行っていた時代だ。
明治期の日本国に、そのような観光政策は無かっただろう。
もちろん、女衒の活動はあり、娼婦の活動、五島列島の女性たちの、
慰安婦活動は海外までも及んだことは有名な話です。
映画『女衒』(明治後期から昭和初期にかけて東南アジアを舞台に活躍した女衒・村岡伊平治の半生を描く)
松方デフレは、明治維新期とは異なり、西南戦争の後始末ですから、時期がずれます。
松方デフレで、貧富の差が拡大しました。
狼が危ないって言って皆殺しにするようなバカな民族だけどな、日本(´・ω・`)
龍馬が殺されずに生きておれば、今の三菱の元祖は、岩崎家ではなく、
坂本家になりました。
元々、龍馬は、四国で一番の豪商の才谷屋の分家の息子です。
>>183 頭の固い幕閣まるごと外遊させればよかったんだよ
小栗はアメリカを見てきているからな
結局維新後に薩長ら政府高官がこぞって欧米外遊するハメに
温度差の違いだろ
平和な時代が続いてた中の中心人物なんだから
戦うとか逃げるとかそんな考えすらないと思う
>>470 まぁそれは十分有り得るわな。
明治維新の英雄には違和感あるけど武器商人の活動は間違いない
小松帯刀が生きてたら全部持って行ったかもしれんがな
奇兵隊は、雑多の層が加わってるから、戦場での振る舞いに、
武士としての自覚がありませんから、今でも、福島県人に、山口県人は嫌われております。
奇兵隊の雑民が、会津の一般の民に対して、強姦や惨殺を行ったのでしょう。
太平洋戦争も、日本軍は皇軍ですが、米軍は雑民軍ですから、
日本兵や日本人に対して、酷いことと言うか、言葉の領域を超えたことを行ったおりました。
猟奇的なことを行っていたのです。
武田信玄っていうのか、天皇家と結びつきがあってちょっとしたアレなんだよ(´・ω・`)
江戸の鬼門である水戸出身の慶喜が最後の将軍になるっていうのも偶然とは思えないんだよな
>>356 薩長を箱根で駿河湾の海軍と陸軍で挟撃しましょ、って小栗が献策したんだけど、慶喜はガン無視
後でこれ聞いた大村益次郎が「それやられてたら俺ら全滅やったわwww」ってのは有名な話
>>7 圧政で庶民は一揆をおこしても処刑されるし、だれの子供かで一生決まるし
貧しいと食えないし
結局、強硬派は攘夷とかいってたが文明開化。
錦の御旗じゃーって言って徳川は怯えたわけじゃなくて、弓を弾くのはマズイと考えた兵が多数いた(´・ω・`)
>>482 日本人は「山椒は小粒でもぴりりと辛い」といって
小男が頑張りを見せて大男を凌駕するような話を好んだ
背丈以外何の取り柄もない朝鮮人はいつも背丈で日本人を馬鹿にして憂さ晴らしした
しかし、今の日本の体たらくを見たら、慶樹はあの時潰しておけば良かったと思うだろうね。
>>482 土着の日本人である縄文人は背が低いんだよ
優秀な人材を失いって言っても殆どが自爆テロで勝手に衰退していっただけでさ
薩長が政府の要職を独占したみたいな言い方はおかしいと思うの
単に水戸が後先を考えない頭の悪い狂戦士だっただけじゃない
これ言うとアレなんだけど、反乱分子を減らす為にとか(´・ω・`)
薩英戦争以降は日本を植民地にする気なんか全くなくなってたと個人的には思うけど
本腰いれたら列強が戦争には勝つだろうが、自分で腹を切るは死を厭わず戦うは、武士がすんなり支配を受け入れるとは思えない
利益考えたらそんなリスク負うよりも貿易で利益を得る方に自分だったら舵を切る
世界から見ても当時の武士は異質すぎるよ
今現在の水戸って駅前ですら衰退してる
マイム丸井ですら今秋で撤退する
まじ水戸って終わってる
>>491 異国人と揉めた責任を取らせるための切腹に異国人を立ち会わせたら十文字にかっさばいて自分の腸を引きずり出して投げつけてきたらしいよな
徳川斉昭の正室は有栖川宮織仁親王の娘・登美宮吉子(吉子女王)
その七男が徳川慶喜。
実母が宮家の出で、京都の守護職もいままでは幕府がやっていたのに
逆賊になりたいかって言われるとな
こんなことやっている場合ではない。
支那のスパイがつかまったり覚せい剤戦争仕掛けられたり土地が買い漁られたりしていて本当の存亡の危機というのに。
<<各機関が直接に天皇に繋がっているが、天皇は基本的に政治には関わらない
<< だから誰が最終的に決めるのか?全く分からないってシステム
数名の実力者が、天皇の名のもとに支配しようとしたシステムだが、
その数名が死んだ後、支配中枢が空白になった。
フランス対イギリスの仕掛けた代理戦争と見切った慶喜の英断
>>293 無能だったら日本は明治を迎える事なく植民地になってたよ
>>491 攘夷、異人斬りは馬鹿げているけど、結果オーライだったって事だな
日本はそこらのアジア国と違って、恫喝だけだとムリだしめんどくせーっていうw
薩摩と長州に勝てば幕府が官軍だろう。幕府が勝っても日本の先は無かっただろうけど
地租改正が無ければ農村の余った労働力を使った工業化すら出来なかったからな
富国強兵なんて四文字熟語さえ教科書に載ってはいなかった
勤王思想だから
天皇担いだ薩長とは戦いたくなかったんだよ
武断派の暴走をとめられないなら
せめて自分の意志じゃないと証明したくて江戸に引き上げた
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版
http://bit.do/exrpD 続・法窓夜話私家版
http://bit.do/exqgG 高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
部長までつとめた筆者が、外国にいる若者が外国語を習得する
困難さを正面から取り上げ、正則(期待されるような)
語学教育の重要性を指摘する、英語教育のための基本書。
外山正一『英語教授法』
http://bit.do/exqgw dne
>>481 江戸には薩摩藩邸に出入りしていた反幕府の浪人が多数いたからそうはならないと思う
あの当時の幕府は庶民にかなり嫌われていた
この事実を伏せている
そもそも長州征伐の敗北そして鳥羽伏見の敗北で幕府軍の志気は低下していた
大村は幕府を憎んでいた
上野戦争では作戦会議では、西郷隆盛は大村の意見を採用したが、薩摩軍の配置を見て「皆殺しになさる気ですか」と問うと、大村は「そうです」とにべもなく答えた
西郷はかなりいい奴で山岡鉄舟や勝海舟との交渉の中で江戸を戦場にすることを避けた
だから江戸では小規模な戦いしかなかった
あと西郷隆盛を憎み必要以上に悪く言う奴いるけどどうにかならないものか?
まじで歴史までしつこく何度も書き換えているし
薩摩が行ったよくない点は必要以上に天皇と皇族に権限と金を与えたこと
西郷隆盛はバカ真面目で生前いろいろな人に騙されていたこと
田舎に引っ込んでからもまた子弟の引き起こした事件に巻き込まれて死んだ
水戸藩は本当は新政府の中核に名を連ねるところだったがいろいろな戦に巻き込まれて人材を失ったことが大きい
会津の人はもう少し冷静になり戊辰戦争を見返してほしい
薩摩藩が命を助けたのに今やっている事は真逆
礼を欠いている
庄内藩主の酒井氏はその点で優れている
まじで人格者
そもそも、徳川幕府が内向きの政策をした所為で、
産業革命や海外進出が遅れたんじゃねえか
最低でも、樺太や台湾くらいは分捕って、カトリック以外の国とは
もっと貿易や人的交流しとけ
織田信長が天下統一していれば、更に中央集権化も進んで
その子孫も優れていたのなら、もっと強大な帝国になれたのに
水戸藩の藩士は水戸藩内の内戦で大半が死んでるという。
妻子まで皆殺しをやっちまってるからもう、血みどろ。
戦っていたら日本は独立維持できてたとしても
日の丸が日本国旗でなくなっていた可能性はあったかな。
薩摩が行ったよくない点の追加
江戸にいた反幕府の組織の人々や戊辰戦争に加わった下級の武士たちに十分な報酬や地位を与えなかった事
> 専門家が「戦う勇気がなかった」
これ何の専門家なんだ?
会津、長岡、雷神隊、新撰組残党は良く戦った。全く無意味ではなかったはず。
慶喜は人間としてダメ。
慶喜の出身水戸潘が勤皇の総本山だから天皇に弓を引くのが嫌だった説が一番説得力がある。
水戸藩自体が、路線闘争で滅茶苦茶になったからね。
それを知る慶喜にしたら二の舞は避けたかったような気がする。
それに水戸藩の生き残りたちがクズ過ぎた
長州藩の上級武士は三河武士
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
徳川と毛利は裏で繋がっている
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、
結果論では有るけど徳川慶喜がヘタレだったお陰でスムーズに新しい時代に移れたとも
西郷隆盛だって西南戦争では助命嘆願してるし
最後は自軍から抜け出し投降しようとしたという
頭でっかちで度胸のない将軍がテロリストに屈しただけだよ
あの時の薩長に、いかに正義も大義もなかったか、その後の戊辰戦争での悪行を見れば分かる
関東、東北で犯罪行為を繰り返し、庶民は「きんぎれ」を悪鬼のように恐れた
それに、あの当時は欧米各国は資源がない国での植民地獲得競争はセーブしていた
生糸くらいしか魅力のある商品を持たない国は、植民地にするより不公平貿易で儲ける方が得策だった
維新後の静岡を自転車で悠々と走り回る慶喜を見て
生活に困窮する元幕臣は「情の無い御人」と
言っていたと
徳川政権自体が豊臣政権へのクーデターでできた政権だけどな
当時の尊王攘夷派って一種の国学カルトなんだよな
今で言えば右翼過激派テロリストみたいなのばっかり
結局、「記紀によると朝鮮は日本領」って主張が明治の日韓併合につながっていくわけだし
, ;,勹
ノノ `'ミ
/ y ,,,,, ,,, ミ
/ 彡 `゚ ゚' l
〃 彡 "二二つ
| 彡 ~~~~ミ はいはい、わしのせい わしのせい
,-‐― |ll 川| ll || ll|ミ―-、
/ |ll | ヽ
/ z W`丶ノW ヽ
/ \\ / / |
/ 天 \`i / / 狗 |
徳川は血を流さず政権を返上した。それなのに、薩長の暴走で、
鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争へと無益な戦いに突き進んだ。
もし大政奉還だけで平和裏に徳川政権が終わっていたならば
蛮勇がなかった、ということは名君以外の何物でもない
幕末に幕府には仏ロスチャイルドが、薩長には英ロスチャイルドが金を貸したように、
対立する両勢力をけしかけ金を貸すことによって、どちらが勝っても必ず儲かるというのが
ユダヤの常套手段である。
だから国内戦争はユダヤの思うつぼなのである
それまで天下取って世襲してたんだから、下手したらフランスやロシア革命みたいにぬっころされるし
江戸の市民も無事では済まないところ
日本の場合は幕府のほか、形式的にミカドも連綿と続いていたため
将軍から大政奉還したのに、やっぱ戦うわー、ってならなかったんだろうな
頭でっかちで口先だけ革新唱えていざとなれば逃げ出すクソ野郎って腐敗した権力の末期に往々にして現れるよな
今で言う小泉進次郎みたいな奴だったんだろう慶喜
会津で一番強かったのが西郷頼母
3ヶ月間も白河口の戦いで薩長軍を足止めした
一番弱かったのが会津藩主
薩長軍を見ただけで逃げた
城に逃げ隠れ降伏した
もし大村が生きていればすぐに総攻撃して藩主は打ち首だった
穏健派の西郷がいたから生き延びられたのが会津城主
日本中が慶喜の計略にまんまと嵌められたんだろうな
脳筋どもとは考えてる事が違過ぎる
>>4 水戸どころか昔から茨城自体がヤバい。そのヤバい伝統は今も引き継がれてる。
明治維新は平安時代まで遡って考える必要がある
三河の源頼朝縁者による阿吽の呼吸だ
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む
会津城主が一番のヘタレで口先悪口野郎
東北で無駄な血を流した
慶喜にはまだ先を見通す知力が存在した
本当は仙台藩も薩長側で薩長に合流するところを
会津藩主らに騙されて美味しいところを食べる事ができなくなった
>>1、15代将軍、慶喜(よしのぶw)には単戈う勇気が無かった?( ^ω^)w
ヴァ○を言っては行け無いわねえ、慶喜は1864年の禁門の変では、歩兵に
カロわって参単戈し、長州藩の藩士に車斤り込んで行ったと言うのに(^∀^)ww
1867年に行った大政奉還も、土イ左藩が江戸幕府と藩を合併した新政権を
樹立し様とする戸斤までは良いとしても、その束頁みの糸岡(つなw)の土
イ左藩が土反本龍馬ら含む土イ左勤王党に分裂して言寸幕イ可て図ってる
よーでは、とてもじゃ無いけど、徳川政権の維才寺イ可て無王里だと考えた
からでしょう⊂( ^ω^)⊃ブゥーンww
大政奉還の1ヶ月後に、土反本龍馬は近江(おうみw)屋で新選糸且に日音
殺されたけど、新政権である日月治政府樹立への流れは変えられ無かった
わねえw
1868年の江戸開土成にしても、良く無血開土成を決断したと思うわw
こんな風に、退くべき戸斤は退くが兵(つわものww)、徳川慶喜には全くブッ
ちぎれた戸斤が無いのよねえw
文武両道でありながら、蛮勇に陥る戸斤が全く無いと言うかww
71歳没と、徳川将軍の中では最も長生きした人だし(^∀^)ケラケラw
ああ、イ可かこんなゲームあったわ( ´,_ゝ`)プッww
ぷぎゃwww
SEGA 龍が如く 維新! ストーリートレイラー
会津の松平容保を騙してこっそり脱出とか
生きてて恥ずかしいレベルの卑怯者
全然違う
おまえら全員間違ってる
俺は真実を理解してる、でもそれは教えない
もっと勉強しろよ
中韓が維新の時期に欧米に搾取されまくる中、朝廷のもとで雄藩が古き体制を一新して欧米と渡り合ったという事実は本当にホルホル案件だわ
維新戦争の同時期に一番狂暴なアメリカが内戦で外のことまで手が回らなかったという時運もよかった
>>544 俺が心を病んでカウンセリングで先生に言われ救われた言葉を君に贈ろう
「人間間違いはある。しかし善かれと思ってやったことは全て最善手だ」
小栗忠順の作戦を受け入れなかったんだな。後で大村益次郎が聞いて青ざめたとか。
日本が消えてれば世界もより良い道を進めてただろうな
慶喜はものすごく手際いいんだよね
部下に「最後まで戦う」と嘘をついたのは本音を言うと殺されて前面戦争になるから
松平かたもりなどを連れて行ったのは残すと慶喜の代わりに戦うから
まずアメリカの軍艦で一泊してから徳川の軍艦で戻ったのは江戸城内の情報を知るため
江戸で徹底抗戦を唱える小栗は解任
切腹と投獄とかじゃないよ
「徳川より日本国が大事」と言っていた勝は前から辞職願いを出していたが辞めさせず江戸城内に留めさせる
帰ってきたらすぐ後始末の全権を勝に任せる
恭順のためお寺に籠る時も勝の部下が行う
他の部下に任せると殺されて前面戦争になるため
大阪から江戸まで軍隊が来るには時間がかかるからそれまで徹底した説得工作で江戸攻めを止めさせる
慶喜はマジで半端ないと思う
大迫より半端ない
中国バブルの崩壊
「習近平氏はもう友達でないかも」トランプ氏が中国批判:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL9W2SMJL9WUHBI018.html 友達でない=敵である
これは最後通告だ
徳川家茂が死ななくて将軍のままだった方が幕府は続いたかもしれないな
慶喜は敵を作りやすい性格
慶喜の時代も交戦派がいたんだよ
その献策を元に戦い長州征伐そして鳥羽伏見での敗北
もう慶喜の心は折れていたから小栗の献策でも勝つことはできない
「勝つことができる」「負けるはずがない」「慶喜のへたれ」
と悪口ばかり言っていたのが実戦に弱い会津藩主周辺だった
だから慶喜の判断に間違いはなかった
慶喜は勝海舟とともに江戸を救った大恩人なのは間違いない
会津藩主の子孫の戯言に耳をかすな
歴史の判断を間違える元になる
最初から戦うつもりだったら徳川潰れてないでしょ勝ってたよ
>>549、かなり豆頁の回る将軍よね( ^ω^)w
世小青を良く才巴才屋して居ると言うか、政治に長けて居ると言うか(^∀^)プケラww
>>542の土反本龍馬日音殺だけど、王見在の歴史学としては、日音殺したのは新
選糸且では無くて、幕府の京都見廻(みまわりw)糸且とされているわね⊂( ^ω^)⊃w
まあ、新選糸且が起こした事イ牛とては、1864年に池田屋事イ牛イ可てのも在った
し、そんな説が有力だったのも含頁ける事かしらん(^∀^)ケラケラww
そー言えば、池田屋事イ牛では、後の木戸孝允(たかよしw)こと桂小五郎も襲われ
才卦けたけど、到着が早過ぎて文寸馬(つしまww)府中藩の戸斤にでフラフラして
たら、僥倖(ぎょうこうw)にも新選糸且の襲撃に遭遇し無かったよーね( ´,_ゝ`)プッw
ぷぎゃwww
戦ってたらもなにも幕軍は戦ってたろ
総大将が逃げただけ
会津藩主の周辺には勘違い野郎や嘘つきが多かった
だから彼らは会津での戦いでは地の利があるので勝てると豪語していた
慶喜への悪口も出処はこいつら
でも実際に戦うと一番弱かったのが
会津藩主とその取り巻きだった
「もし、江戸と京の間で戦が起きた場合躊躇う事無く京に見方せよ。」水戸藩初代頼房、二代光圀からの秘命ですが…。慶喜はその秘命を父斉昭から聞いているわけですが…。
日本中が安倍さんの計略にまんまと嵌められたんだろうな
脳筋どもとは考えてる事が違い過ぎる
こないだまで幕府の役職やってた、
すなわち同輩格だった慶喜の言うこと、
諸大名が聞くわけないのよ。
ましてや実際の領地も、直参家臣団すらない一橋、なんて。
将軍は、あくまで御曹司なトップじゃないと。
カリスマ性に欠ける。
結果的には良かったよ
流石に徳川は自分ちが日本を作った自覚があったんだろ
日本作ったのは天皇家なんかじゃない、徳川だから
★★パチンコ換金営業は明白な刑事犯罪(賭博罪)です!
警察官OBは定年退職すると
パヨク(在日韓国人)パチンコ屋に天下りして
年金が出るまで3〜5年ほど雇ってもらいます
警察の風営法検査の日時情報を漏らしたり
ヤクザから店を守る手伝いをします
そんな警察官OBは、最も卑劣な売国奴です
パヨク(在日韓国人)パチンコ屋の犬です
パヨク(在日韓国人)パチンコ屋の社長(金持ち)は
そんな警察官OBをトコトン馬鹿にしています
「警察官OBは使い捨ての犬ニダ!」なんて言ってます
それでも警察官OBは文句が言えません
年金が出るまで、ひたすら我慢です
その分、日本人には威張り散らしています
警察は自分たちの利権(天下り先)を守るために
重大な犯罪行為(賭博)を「見て見ぬフリ」しています
パチンコ換金営業は明白な刑事犯罪(賭博罪)です
今すぐパチンコ換金営業を全面禁止すべきです!
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)に甘い「親韓政治家」は
次の選挙で「普通の人」になってもらいましょう
自分の選挙区の政治家さんたちが
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)に対してどんな姿勢でいるか
次の選挙のために、冷静に観察しましょう
★★パチンコ換金営業は明白な刑事犯罪(賭博罪)です!
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
水戸出身だし、朝敵になる事にかなりの抵抗があったんだろな
家茂が将軍だったら、また展開は違ったかも
幕臣にはかなり慕われてたみたいだし
その後の日本の発展と今を考えたら結果オーライでいいんじゃないか
>>553 無理だよ。
自前でアームストロング砲の改良版を量産できる肥前鍋島藩が維新側だったからね。
たとえ鳥羽伏見の戦いの戦いで一時的に幕府側が勝ったとしても無理。
時間の問題だったよ。
>>4 水戸は坂東武者の本場だから今も昔もやばい
新羅系移民の子孫とも言われてるが、あんなDQN集団が京に攻め込んだら平氏も逃げるわw
明治維新はフランスとイギリスの代理戦争だし
慶喜が戦争起こしてたら、泥沼だったよ
徳川の金全部搾り取られて明治維新が達成していても
富国強兵ができていたかすら怪しい
源氏の家人だった大江氏が三河に逆らうかつーの
本気で三河と対立すれば、混乱は100年以上続く
だからこそ、日本国伝統の国譲りだ
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
>>44 規定路線
薩長や坂本龍馬のバックはイルミナティ。
>「戦う勇気がなかった」
事実
>「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」
結果論
慶喜は頭はいいけど無責任な男だったというだけの話
不思議なのは、革命で王政を打倒したフランスが幕府側に付き、王室を擁するイギリスが薩長に付いたんだよな。
>>556 会津でやりたかったのは西郷隆盛
こいつが手を引いていれば会津での戦闘すらなかった
「俺が本気で気を放ったら日本はなくなっていたかもしれない」
>>571 それ世界史あるある
イギリスは現地で革新政権を後押しし、
フランスは現地の保守政権につく
>>556 家臣や民の犠牲は厭わず、自身は生き延びて日光の宮司になった会津藩主自身が1番胡散臭いんだが。
慶喜が水戸藩出身というだけで、佐幕の大名は不信感を持っていたのに
敵前逃亡したから、一気にやる気が失せた
慶喜がその後も陣頭指揮して戦う姿勢を見せていたら結果は違ったはず
そもそも、大政奉還でスムーズな政権交代ができたのに、薩長のテロリストどもが無益な殺生をしたんで、
代理戦争なんて大政奉還で避けられたはず
他の国の植民地化の経緯見てるともう・・・。
内乱を避けようとした慶喜こそ、明治維新の最大の功労者だよ
>>4 桜田門外の変はまじで歴史を動かしたけどな、最初は赤穂浪士のように討ち入りしようとしたが無理で急遽登城中を襲うことにしたという場当たり的行動を実行してしまう異常な情熱と無謀さ、現代日本人とはまるで違う精神構造
>>578 へたれだろうが、きちんと幕引きしたのにな
もし慶喜が戦っていたら,日本は英仏に分割統治されていた,という
ことだな。
そしたら今ごろ,東日本の公用語はフランス語,西日本の公用語は英語
になっていて,日本人の国際感覚は飛躍的にに高まっていただろう。
海外に出て活躍する人も多くなるだろうし,旧植民地出身の市民として,
EU市民権を取るのも簡単だったと思う。
惜しいことをしたね。
>>509 内巻きではないがキリスト教の脅威がわかって追い出しただけ
>>336 吉田茂や白洲次郎のような英米派にとっては
第二次大戦はクソみたいな時間のロスだっただろうよ
>>583 分裂してもいいよ西日本なんか一切行かないもん
>>583 アフリカやインド人や中国人みてそう思うの?
ほとんどがイギリスの植民地になって東北、北海道がドイツ領だったろうな
戊辰戦争による東北の本当の被害はその後の処遇にあるよ
自治構造を初期の奈良時代に落とされて戦後GHQが改革してくれるまでそれが続いた
なるほど、当時の欧米列強は内戦をさせて弱体化したところをあとで難癖付けて植民地化するというやり方だからな
日本もそうなっていたかもしれん
が、そうなっていたほうが面白かったはず
もっとイケメン美女が増えるし、日清日露、太平洋等のあほな戦争もなかったはず
>>583 母国語で全ての高等教育を受けられ世界中の文献が母国語に翻訳されている幸せが分からんか?
英仏の対決の場ともなれば、スーダンやタイを想起できる。インドなどは非対称すぎるからな。
この両国を引き込んだ時点で日本は勝ち組決定であり、植民地とはならない。
現在のイデオロギー上は米9ソ中1の分断状態よりマシな話かも知れない
>>589 ところが最近の研究では、
日本を見た諸外国はその人口が多さに驚いて
早々に植民地化を諦めてたんだとさ
幕末の混乱で日本が植民地になる危険性について、可能性がなかったことは証明されている。
イギリス、フランスとも貿易が目的で、日本で大規模な軍事行動を起こす考えがなかった。
日本に来たときイギリス、フランスとも予算が尽きていたのです。
>>596 南北戦争あったからだろ
インドや清でやったわけだし
>>1 慶喜の母親は皇族出身、錦の旗見で戦うのを辞めたのは可笑しくない
>>601 だから、それでもう予算が無くなった。
イギリス艦隊はイギリス議会から日本での大規模軍事行動を禁止されていた。
>>592 日清、日露はやらなきゃしょうがない
太平洋ですらハルが戦後に、日本がうんと言わないの分かってるから俺は満州撤兵は要求しなかった
なのに、ハルノートの本稿には何故か満州を除くという当初あった文言が消えて中国から撤兵となってた
って、回想してるレベル
>>604 NHKの歴史番組ではもうそれ当然のように解説してたな
慶喜ははじめから朝廷側の人なんだよね
>>603 それをいったら他の国や規模なら清の方が凄かったのを
シマシマ分割したんだぞ
関東は日本の被害者だよ地方の人間は言い訳してるだけ
>>596 人口の多い中国は半植民地化してる
完全な植民地化は無理だったかもしれないが、中国のように軍閥が割拠して半植民地化はあったかもしれんよ
徳川幕府が徹底抗戦だったらと考えて
その後の歴史を想像すると背筋がひんやりする
正直最近色々幕末史見てて思うが、あんだけ朝廷に恭順示してたのに、御所に鉄砲放った長州や、戦始める口実のために江戸を無法状態にした薩摩が錦の御旗しかも偽物出されて、周りに寝返られまくったら、慶喜以外だって何も出来んかったろ。
少なくとも彼の決断が日本の為にはなったし、勝海舟が明治時代外野から明治政府に批判論評寄稿出来る立場にはなったし。
まあある意味新撰組にしろ会津にしろ、被害者だよ。彼らの立場としてしごきが真っ当な仕事したら反逆者扱いなんだからさ。
幕末のポイントは日本製の生糸。
そのころヨーロッパに病害が起きて良質な生糸の生産が激減した。
ヨーロッパ以外で良質な生糸を生産していたのは日本だけでした。
イギリス、フランスともその生糸が欲しかったのです。
>>613 慶喜は朝廷側やし対立したら朝廷につけといわれていた人
慶喜は徳川を綺麗に被害なく終わらせることだったのかもな
回りの連中が好き勝手言うこと聞かなくてやる気なくなったんじゃないの
錦の御旗を立てられたんだから
戦わなくて良かったんじゃねえの
ペリーは早い段階で国勢と地理を考えて、日本を植民地にするのは無理と言っている。
>>612 日本は統率された陸上戦力が中国より多いからな、表面上は。武士=兵隊で将校になってるから
>>614 だから西日本のためになってもこっちはなんの意味もないんだって
>>618 官僚が腐敗して、財政が最悪なら
やる気もなくなるわな
佐賀藩はよくやった
>>620 ペリーは殆ど何も残せなかっただけや
アメリカが南北戦争に入ったからな
現実的に徹底抗戦できるような状況じゃなかった。
参勤交代が廃止され、長州征伐に各藩が出兵を渋ったことから、もはや幕府が諸侯を統率できないのは明らか。
鳥羽伏見で敗れたのも、近隣の藩が幕府軍への派兵・協力を拒んだから(あろうことか現役老中を出している藩まで!)
内戦を避けるためとかそういう高尚な理由じゃなく、ボロ負けしてどうしようもなくて、慶喜としては逃げるしかなかったよ。
>>610 東北から関東だよ、満州は
31年に冷夏で壊滅したのは東北の農家。販売は関東。恐慌も合わさって東北は餓死者が出る寸前
恐慌対策に口減らし兼ねて満州へ投資して移民させてる
>>625 勝つためにはフランスの言うことをきき植民地化になるだけだろ
他のアジアはそれで植民地化されたんだよ
>>625 その状況で徹底抗戦と死守命令を出してたらってことね
結果オーライってなんもねー田舎からしたらそうかもしれないけどちょっと無神経にも程がある
>>633 インドや清みたいに内戦激化し結果切り売りし植民地になったわけだが
徳川を守るために日本切り売りするしかなかったから慶喜は徳川を切り捨てたんだよ
なんだかんだいっても
幕府が参勤交代をあの時期のまた言い出す時点で全国の大名は呆れていたんだよ
時代遅れというか何も考えていないというか
>>634 だから関東以外行かないから別にどうでもいい
>>625 幕府直轄の兵で江戸で押し返せるが、やると日本終了
慶喜や勝海舟や西郷はやはり優れた人物だった
江戸を戦火から守った行為は評価に値する
馬鹿なのは戦えば勝てると豪語していた会津藩主ら
一極集中が嫌なら新幹線とか地方側から止めてもらってもいいし
慶喜は単に戦う勇気がなかっただけでしょ
> 同会理事の但野正弘氏も「仏は幕府を支援し、英国は薩摩を支援していた。
>仏からの武器弾薬の支援申し出を慶喜は断っている。
確かにあえて断ったんだったな
たがそれも戦う勇気がなかったからでしょ
>>159 いや普通に活躍しているんだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/天狗党の乱
>慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発すると、金次郎ら天狗党の残党は、
>長州藩の支援を受けて京に潜伏していた本圀寺党と合流し、
>朝廷から諸生党追討を命じる勅諚を取り付けた。
>天狗党と本圀寺党(両者を併せて「さいみ党」と称した[24][25])は水戸藩庁を掌握して報復を開始し、
>今度は諸生党の家族らがことごとく処刑された。
ここらへんの歴史複雑すぎてよくわからん。
手塚治虫の漫画でやっとちょっとわかった。
>>638 会津藩は新政府軍との戦費調達のために
プロイセンに「蝦夷地を買ってくれ」って手紙を送った売国奴
結局は三河が勝利した
日本の上流階級は三河に支配され、長州は乗り越えられずにいる
細川護煕氏墓参記念碑
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html 現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
>>641 未だに大日本帝国に占領されてるのは東日本だけってこと
会津藩は最後に薩長とじかに戦えたのだからよかったじゃないか?
あれだけ大口叩いておいて大敗北
慶喜をあれだけ侮辱しておいての敗北なのに反省もせずにまだ慶喜の事を悪く言うのかい?
>>638 西郷は糞だぞ
明治維新にお仲間が多かったのと既に死人だったから祭られただけ
坂本竜馬もおんなじ
俺の田舎は悪くないっていう地方大名の言い訳合戦でも俺はそんな田舎とか無関係だ
もう100年以上もたってんのに未だにこんな議論されてて笑える
慶喜
>>638 参考資料
「一外交官の見た明治維新 下」(1960)
192
>勝は、慶喜の一命を擁護するためには戦争をも辞せずと言い、
>天皇の不名誉となるばかりでなく、内乱を長引かせるような苛酷な要求は、
>必ずや西郷の手腕で阻止されるものと信ずると述べた。
>勝はまたハリー・パークス卿に、天皇の政府に対する卿の勢力を利用して、
>こうした災いを未然に防いでもらいたいと頼み、
>長官も再三この件で尽力した。
>特に、西郷が四月二十八日にパークス卿を横浜にたずねた時には、
>卿は西郷に向かって、慶喜とその一派に対して苛酷な処分、
>特に体刑をもって望むならば、ヨーロッパ諸国の輿論はその非を鳴らして、
>新政府の評判を傷つけることになろうと警告した。
>西郷は、前将軍の一命を要求するようなことはあるまいし、
>慶喜をそそのかして京都へ軍を進めさせた連中にも、
>同様に寛大な処置がとられると思うと語った。
このように慶喜・勝・西郷だけでは戦争になりそうな所を
イギリスの圧力で阻止したたんだよ
>>646 でも、坂本龍馬や西郷隆盛ほど立ち回れた奴はいないんだよねえ
西郷の征韓論も明治後に中国、韓国と外交官送って国交申し込んだら
中国はあっさり面会してOK出したが、韓国は外で地面に正座させて面会すらしなかったのgs発端
>>627 小藩揃いの大阪周辺諸藩にもともと出兵要請は出てないし、唯一比較的大藩の山城淀は殿様が江戸で殿様の許可なく兵は出せず。
陪臣しかいない淀は傍観せざるを得ず、家臣が独断で敗走する旧幕軍の受け入れ拒否したのは錦旗が出て官軍対徳川一味という構図が確定してから。
幕府に忠義は尽くせても、朝敵容疑のかかった徳川に忠義は尽くせない。
そもそも幕府が消滅してるから徳川の命令に従う法的根拠がない。
御三家のうち水戸は朝廷の側に立つことになっていたとかいうのは噂止まりなんかな
そもそも鳥羽伏見の戦いすらどうなったかわからん。
最終的に幕府という体制は倒れたにしろ
列強はその間に色んなところを租借したりしたろうな。
揉め事起こるのは西日本になに人が居ても一緒でしょなんで東日本が大陸との揉め事に関わる必要があるのか
>>655 幕府があればあくまで徳川の利益不利益が優先されるからね。事実開国するのだってまず徳川の保身だ。阿部正弘ですらだ
ロシア(外国)が侵攻を狙ってる時に「どう対応するか」ではなくてどうしても「まず徳川の体制が」になる
どうしたって倒幕がベストの選択
>>657 そういう考え方は大戦時の陸軍と海軍の国内の対立と同じで、戦争に負けたら意味がない。
日露戦争に負けてたら朝鮮半島はロシア領で北海道割譲。日本陥落まであと1つになってた。
>>653 追記、最初鳥羽伏見で薩長不利との報が御所に伝わった時に徳川と薩長の私戦にしようと主張した公家がいたと伝わってる。
幕府対薩長の戦ではなく徳川と薩長の私戦。当時の公家にも徳川がこの時点で日本の政権を担当してるとの認識はない。
実権のない手続きだけで支配者階級に返り咲いた俺らは徳川の上との驚くべきお気楽脳ではあるがなw
本当に薩長負けてたら親幕派の公家が浮上して戦勝を嘉する勅書が慶喜に出てたろうよ。
西日本てのは必ず誰かしら上陸してきて攻めてくるのは規定路線だろつまりなに人がいても一緒なんだよ
いや、あれだろ
よくシラねえけど
江戸時代は平和すぎた
だから幕府が弱くなった
そしてそのスキを薩長がついた
薩摩がとにかく幕府にケンカ売りたかっただけで売られたほうが責められるのはなんなの
>>666 そーだねー。明治後に銀行、金融、保険制度整えて経済を牽引し
人材は男子だけじゃないよと女学校作ってたの西日本だからねー
その後、WW1の特需で調子にのったカントンが恐慌で経済壊滅させて、冷夏の飢饉に対策打たず、東北を滅ぼしかけたんだよね
慶喜ってヘタレの小物でしかないからな
セゴドンでボスキャラみたいに描いてもらったの有難く思っとけ
水戸か 水戸は渋谷区役所の四ツ倉颯斗みたいな悪質クズ公務員を生産する穢れた忌地
>>592 明治維新は概ねイギリスの要望通りに推移したんだが
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新 上」(1960)
186
>大君には条約を勅許を得る力がないのか…
>そこで、わが方としても、もはや全く大君を見捨てなくてはなるまいと考えるに至ったのである。
>もし大君が自分より上位の権力に支配されているならば、列国はこの権力との直接の交渉に
>乗り出さなければならぬ
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新 下」(1960)
41
>イギリスの考えは、まず日本の皇帝が政権を掌握して諸大名をその下に置き、
>政体(あるいは国体)を万国の制度と等しいものに制定するにある
104
>それは慶喜と、その供奉の人々であった。
>私たちは、この転落の偉人に向かって脱帽した…
>その途中、大君を一目見ようとやって来た長官
>――力の及ぶかぎり大君の没落に貢献してきたところの、
>私たちの長官に出会った。
※大君→徳川将軍
日本の皇帝→天皇
長官→駐日英国公使、ハリーパークス
このように条約を結ぶこともできない徳川将軍をイギリスは見捨てて
天皇中心の国家にしようとして徳川将軍を追い落とすに全力を尽くしたんだ
>>1にあるように「明治維新は英仏の代理戦争」と見るのが正しいだろう
ただし
>>1にあるように仏の代理になるのを徳川側が拒否した所はある
徳川御三家の格付け
尾張>>>>紀州>>>>>>>>>>>>>>>>水戸(←カス
> 仏からの武器弾薬の支援申し出を慶喜は断っている。もし戦っていれば日本の国が消えていた可能性があった
意味不明、なんで?借金盾にフランスに統治されるの?超思考だなぁ
自称水戸史学者の言うとおりならアメリカ合衆国も存在してないからw
>>676 当時の列強は微妙に強い国に対して内紛をけしかけ同士討ちさせて戦力削ってから、なんくせつけて戦争して利権ぶん捕ってる
支那は国際法理解してなさすぎるバカを対外交渉に当たらせたから、何とも言えんがw
スレからズレるけど。「徳川埋蔵金」が本当に存在してたら、それに深く係わってたのが小栗忠順らしいから
全力で武器買って薩長相手に徹底抗戦してたな。故に徳川埋蔵金など無い。
>>680 水戸が勤皇なのは黄門様の影響。錦旗に弓を引いたらそれこそ激おこ。
>>682 水戸は徳川最底辺だったから
尊王思想に逃げてコンプレックスを誤魔化そうとしただけ
戦ってても普通に幕府軍はサクッと負けてただろうし、幕軍が本気で抵抗しても日本が消える可能性はなかった
薩軍が緒戦で幕軍を破ったことにより、諸藩も雪崩を打って薩軍に味方したから幕軍を圧倒したわけだしな
大坂城まで下がって決戦するかどうかになったのはその後で、当然勝てるべくもないから徳川慶喜は逃げた
しかも、こんなことをやってりゃ江戸に帰っても更に諸藩で味方するやつは限られる
もう詰んでたわ
>>653 「徳川が大政を司っている」というのは、
ただの俗説が後から公式採用されただけだろう
徳川政権が最初できた時は特に天皇の許可を得てできたものではないし
それでも政府として機能していた
ただ武力上最強のやつが統治するだけのことだ
明治維新時もそうなってもおかしくはなかった
ただ徳川の武力が相当低下しているので従うやつがいなくなっていただけ
長州も何度も朝敵になっていても倒幕方は結束していたし
朝敵であるかどうかは重要じゃないだろ
↓参考資料
このように就任の段階で慶喜は相当に権威がなかった
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新 上」(1960)
227
>(西郷)「昨日は乞食のような浪人大名に等しかった男が、
>今日は征夷大将軍です」
240
>大名の中には、将軍の叙任の式にわざわざ京都まで出向いた者はなく、
>いずれも出先の留守居役を主人の代理として参列させたという
水戸は天狗党の内ゲバで既に壊れた
人が殺されすぎたり逃げたりで既に人物自体がいない
ポルポト政権後のカンボジア状態
幕府は直轄の旗本、御家人とその家来だけでも八万いたからな
全員は戦えないが、会津や東北諸藩徹底抗戦呼び掛けて
江戸で迎え撃てば十分勝機自体はあった
ガトリングガンとか防御用の武器も充実してたし
やったら双方二度と立ち直れなかったと思うが
>>441 >>448 自公アベノミクス政府、安倍晋三首相がまんま>1だなww
つ日本をトリモロす
つ道半ば
大山鳴動、鼠一匹w、竜頭蛇尾w
針小棒大w
近未来小説「2025年 日本の死」のオチ。
201X年、
国際平和治安維持武力行使のはて、
軍国化した日本が、
核兵器製造施設を、北海道山中に建設した。
だが、中共軍の精密誘導弾で、北海道の山中に建設した
核兵器製造施設を破壊され、
>1みたいに、日本は速攻で中共に降伏w
>>676 薩長もイギリスから武器弾薬を買ってたし
会津もロシアからの支援を得ようとしていたから
どこも一緒だよ
残念な事に日本人同士でまとまるより
様々な大国に媚びて分裂する方を選ぶのが日本人
朝鮮半島と同じだな
>>690 尾張があまりに強大だったんで、その反発で吉宗が生まれた
ちな倒幕に参加してるからな尾張徳川は
しょんべんちびって逃げた慶喜と違って圧倒的な勝ち組や
東北民だけど九州に出張いってちびっこばかりだから驚いたわw
そして日本は英米の植民地となり
ロシアと戦わせられた
いまでも英米のスパイの安倍が支配している
勝は自分を大きく見せるために色々書いてるが、江戸城で幕軍が戦ってもサクッと負けてたわ
勝てるとしたら函館政府をおっ立てて海軍主体に新政府軍の渡航作戦を邪魔し続けるしかない
陸上戦力ではもう話にならない
>441 >448
日本人って土壇場であっさり腰砕けになるよねw
江戸幕府崩壊 将軍 徳川慶喜敗走、夜逃げw
日中太平洋戦争 日本本土決戦 忌避。
自公アベノミクス政府、安倍晋三首相がまんま>1だなww
つ日本をトリモロす
つ道半ば
大山鳴動、鼠一匹w、竜頭蛇尾w
針小棒大w
近未来小説「2025年 日本の死」のオチ。
201X年、
国際平和治安維持武力行使のはて、
軍国化した日本が、
核兵器製造施設を、北海道山中に建設した。
だが、中共軍の精密誘導弾で、
北海道の山中に建設した核兵器製造施設を破壊され、
>1みたいに、日本は速攻で中共に降伏w
腰砕けっていうと、日本では薩英戦争レベルで負けただけで、ほぼ全ての利権を献上してた支那と
そもそも戦争すらせずに列強に下座りまくって、支那倒して日本倒してロシアやっつけてって利権売り飛ばしてた朝鮮
>>656 そんな話はじめて聞いたぞ
いわゆる「戊午の密勅」事件を勘違いしているのでは?
魯迅の阿Q正伝が書かれた理由は、ロシア兵に支那人が処刑されてるのを
同じ支那人が見世物にして一人殺されるたびに拍手喝采してるのを
日本人と一緒にニュース映画で見て支那人は恥ずかしい。民族として欠陥があると感じたため
全く伝わってないがw
内戦が長引くと即諸外国に付け込まれるってのが
陣営を問わず当時の指導者層の共通認識って聞いたけど
関ヶ原以上に消し飛ぶくらいの戦いになって焼け野原になるわな
>>15 戦えば‥。という仮定はよく聞くけど、実際戦うと結局新政府軍が勝つのでは?
兵器の質と実践経験が違うし。
海軍力の差は気になるとこだが。
あまり話題にならないけど庄内はかなりの悪玉だよ
薩摩藩邸焼き討ち事件の前に「攻撃できないなら江戸市中警備の訳から降りる」といってる
警視庁が「大使館を攻撃できないなら治安守りません」っていうようなもの
酷い脅しだよ
支那兵はまるで山賊か盗賊の集まり
勝つと調子に乗って暴行、略奪、虐殺の限りを尽くすが
ちょっと負けると腰砕けになってパン一大脱するクソの集まり
米軍顧問団の評価
>>702 そんなのは後付の笑い話
どんなに苛烈に戦っても内戦は長引かない
そういう認識があれば第二次長州征伐なんて起こらなかった
そして、それで分かったことは旧来の侍は名ばかりで弱く、まず戦力にならないこと
公務員の事務員が俄に武装しても戦えないよ
>>706 でも日中戦争では結局粘り強く戦った国民党軍が勝ったよな‥。
共産党じゃないよ。
日本が消えるって慶喜は大量破壊兵器でも持ってたのか?
>>703 ないね
関ヶ原の頃は一国一城制をとっておらず、そこらの庄屋層が城持ち武士で戦闘の主体だった
>>709 粘り強く戦ってはいないかな
重慶に引きこもって英米の支援を受けて、太平洋でアメリカが圧倒的優勢になってから
ようやくちょっとだけ日本に勝ったこともある、ぐらい
>>592 お前みたいなバカ政治家がその当時ボロクソにされたんだよなあ・・・
多分に結果論だろうけど南北朝時代みたいな泥沼になってたら植民地化は避けられなかっただろうね
慶喜があっさり引いてくれたのは良かった
当時双方がどこまで考えてたかはわからんけどね
水戸出身の将軍が御門に楯突く自体があり得ないこと
水戸徳川出身を忘れてはいけない
第二次長州征伐以後に幕府軍はフランス式の軍事改革をしているからな
何とも言えないところだが、幕府軍が勝つ公算は低くなかっただろう
当時の欧州最強の陸軍国はフランスだし
>>714 外国の植民地を免れても実質日本の植民地になったから意味ねえよ
ヨシノブ「は、話が違う 鳥羽伏見のいくさ ざ、惨敗じゃないか!!」
桜田門や天狗事件とか薩摩のためによく頑張ってくれたよな
水戸藩には損なのに凄い自己犠牲だよ。薩摩の大ファンだったんだね
なまじ学があったから錦の御旗を見て戦意を喪失したのか
フランス陸軍が強かったのは国民国家にして国民皆兵にしたからだよ
そんな要素は幕府には全く無い
庶民はなるべく軍事には近づけずが基本
幕領の庶民も幕府を守る気などない
しかも、幕領の庶民を皆兵などしたら、それこそ幕府の否定、つまりは幕府の瓦解に繋がる
火消しを少し入れるくらいではどうにもならない
>>721 ナポレオン戦術さえあれば薩長などおそるるに足らなかっただろ
薩長だって国民国家ではないし、資金力と動員力は幕府が圧倒してんだから
>>698 徳川慶喜は水戸学の影響もあり、将軍になっても江戸城には入らず、
心に決めて大阪城入りをしたんだよ。そして、京都二条城で、朝廷への
大政奉還の儀式に臨んだ。彼は平和的にことをすすめるつもりだったが、
幕府側の諸藩と薩長土肥の討幕側の戦いを誘発してしまった。
だから、急遽、大阪湾に停めてあった幕府海軍の艦で江戸を目指した
ということだろ。逃げたわけではない。
>>709 日本の無条件降伏を聞いて中国戦線で戦っていた日本軍将兵は
え? 俺たち全然負けてないじゃん なんで?
と思ったという
>>723 ねえよ
薩州は元々武士自体が多い
しかも使い物にならない都市生活者と違い、多くは農村に住まわせた半農のようなやつら
長州は庶民軍で防戦した
そして、それには芸州から付き従った毛利家の元武士の庶民が多く含まれてる
一体感、鍛えられ方が全然違う
戦闘で効力を発揮する頭の柔軟性もあるしな
判断力に乏しいお役人ではどうにもならんよ
全て妄想にそこまで熱くなれるのはロリ好きと変わらないよね
慶喜は先のことなんて考えてなかったろ
ただびびって逃げただけ
幕府が勝つには鳥羽・伏見の戦いの緒戦で薩摩に勝つ必要があった
戦闘で負けて幕軍についてた諸藩が一斉に寝返った
もう、どうしようもない
後の祭りだ
歴史の転換点となる戦争はプロレスだったと考えるのが自然
戦争はルールのあるゲームだからね
彦根城のお堀に水戸藩との仲直りのシンボル黒鳥が居心地悪そうに浮かんでたわ
白鳥じゃなく黒鳥贈る所が水戸藩の陰湿さ
日本神話に無縁のクソゴミ地域とか切り捨てればよかったのにな
>>1
これのどこが速報性のあるニュースですか?>樽悶 ★ 鳥羽伏見でも、幕府軍の一隊が京都に入ろうとしたが
ただ武士がちょろっと集まってたのを斥候と勘違いし
向こうには大部隊が居る、と判断して逃げ帰った隊もあった
京都に入りさえすれば、薩長の兵はみんな街道に出張ってて居なかったから
余裕で占領出来てたのに
とかく幕府側に運が無かった
>>726 そのわりには第二次長州征伐でろくに長州は勝ててないが?
戦う勇気とか馬鹿じゃないのか
長州あいてにまともに戦えない侍でどうやって戦うんだよ
近代戦ができない戦闘集団では戦いようがない
長期の内乱に突入するだけだ
>>738 22日のニュース…確かに少し遅いね、狂犬ニート
幕軍の主力遅れてるのに会桑がひゃっはーしてるしそりゃ帰るわ
>>729 諸藩が一斉に寝返ったというより、鳥羽伏見の戦いの緒戦三日目に、
薩長側が伏見で、天皇の勅許を得た錦の御旗を掲げたから、その瞬間
から官軍対賊軍の戦いになり、幕府側は戦う大義名分を失う。あとは
維新のごたごたで小説の材料ぐらいに思えばよい。大政奉還で徳川家
は将軍家ではなくなり、幕府は終ったのだ。世は明治時代。
(戊辰戦争の戊辰は明治元年=慶応4年のこと)。
馬鹿なことをいう
錦の御旗で勝てりゃ世話ないわ
そんなので勝てれば最初から出してる
出されても理解できる人間もそういないし、薩軍が負ければ出されたことすら歴史には残らない
薩軍に負けて撤退した
そろだけのこと
大河で錦の御旗は笑ったわな
唐突すぎてあれ誰も理解できてないやろw
会津はあまりにも自己中心すぎる
だから自分を過大評価しすぎ
慶喜さえも腰抜け呼ばわりだし
いつも勝てる勝てるで実際の戦闘になると会津城主は薩長を見るだけで逃げた
3ヶ月間も薩長の侵攻を防いだ会津唯一優れた指揮官の西郷頼母にさえ悪口ばかり
山川も佐川も惨敗なのにこっちは褒める
とにかく会津藩主子孫は悪口ばかりでちゃんとした状況分析はゼロ
慶喜の冷静な判断さえも批判してばかり
周りは会津以外はもう幕府に見切りをつけているし慶喜ももう薩長との和解を望んでいるのに
小栗の策を受け入れれば勝てたとか妄想ばかり
会津はわがままっ子
しかも薩摩に命を温情で助けられたのに感謝もせずに子孫は悪口ばっか
何様のつもりなのか?
子供のわがままがすぎるわ
庄内藩の酒井氏の大人の態度と判断を少しは見習え
天皇の勅許を得た錦の御旗を掲げたから幕府軍が負けたという言い訳は嘘だからな
幕府軍が調子に乗り大敗北
それで天皇側が薩長についたのが本当のところ
慶喜は勝てる勝てるのうるさい会津に見切りをつけて会津を切った
会津がいなければ戦う必要さえなかったのに
会津はガキだから自己中心主義
俺が本気を出せば勝てる
俺が俺がで話し合いにならない
慶喜が俺の言うことを聞いていれば
小栗の言うことを聞いていれば
勝てたのに
実際には会津がいなければうまくまとまっていた
ただそれだけのことだ
関東は部外者、何故対立を避けたのか
当事者たる三河人に聞け
内戦は三河人が勝つまで、100年続いただろう
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
部外者たる関東に聞いてもしょうがない
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年)
天皇の勅許を得た錦の御旗もはじめは幕府軍はなんなのかわからなかった
薩長が無益な争いを避けるために歌にして説明して初めて理解した
幕府側の致命的なミスは一旦取りやめにした参勤交代をまたやらせようとしたこと
これで諸大名が腹を立てて全部薩長側についた
会津城主などわずかな藩主だけが周りの大名の怒りに気がついていなかっただけ
明治時代に一気呵成に日本が近代化して
アジアの盟主になった事実を会津藩の子孫は見てみぬふりをするんだな
命を助けられて職も与えられて余生を楽しんだはずなのに
天皇に列強公使が謁見するために
大阪湾に列強艦隊が集結してたからな
大阪市街戦になってたら
間違いなく列強介入してた
江戸に引き上げるのにワザワザ、アメリカ公使の船に便乗したのも
将軍がいなけりゃ大阪湾から列強退散するしか無かったからだし
江戸に戻った慶喜は列強公使集めて念押ししてるんだよな
これは内戦ゆえ万国公法に基づき
厳正中立でお願いしますって
これがなけりゃ
間違いなく列強介入してたよ
フランス公使だけは食い下がったけどな
会津藩主の勝てる勝てる中二病のせいで
東北全体の名誉を汚し、死傷者まで出したのにそれを反省することはない
仙台藩や他の藩は本当は薩長の仲間で鳥羽伏見の戦い後は官軍側として要職につくはずだったのに
会津藩の事実無根の悪口のせいで東北に災いをもたらした
それが今でも続いているのだから呆れる
>>749 だから、大急ぎで申請した途端に出してるし、偽物まで作っただろ
フランスは明治初期辺りにベトナムを植民地にしてるんだけど
フランスがやった方法は
慶喜に手を貸そうとした手口そっくりなんだよね
あのまま慶喜がホイホイフランスの口車に乗ってたら
日本はフランスの植民地になってたかもな
>>766 だから関東以外行かないからどうでもいいって
>>760 そんもんがあるわけない
当時はパックス・ブリタニカの時代
英軍が動かなければ他の列強がどう思案しようが、何も動かない
動いても何の旨味もない
それに慶喜は国際条約に調印できる権限なし
後の函館政府にも列強の本格的支援はなし
遅れてきたドイツが少し興味を持ったくらい
本当は戦わなきゃいけなかったんだよ
まるで、大阪から逃げた 負け犬みたいじゃないか
今後も、形を変えて また 何回でも 同じような事象はおこるよ 逃げてるかぎりは
徳川の時代が続いてたら、原爆落とされる事も無かったんだろうなぁ・・・
>>768 フランスのベトナム侵略史を見てみ
これは慶喜がフランスの口車に乗った場合の日本の姿だ
ってすぐに判るから
会津は水戸藩諸生党の悪い部分そのもの
傲慢でわがままで他人には厳しい
自分の事しか考えない言わない
だから世界の情勢を把握しつつ議論し合った慶喜や勝海舟や西郷の見識を理解できない
ただただわけもかわらず子供のように相手の事を理解せずに悪口をいうだけ
だからいつまで経ってもまともな結論が出ない
南はニュージーランドから北はハワイまで
皆同じ
原住部族が部族間闘争で強力な武器が欲しくて
最初は黄金を列強に渡し
次は土地を列強に渡した
みんな欧米の植民地になった
そのドミノ倒しを唯一止めたのが慶喜
万国公法で厳正中立でお願いしますね
で
人は記憶型と思考型に大別できる
薩長 「倒幕だ!」
↓
慶喜 「大政奉還」
↓
薩長 「政権を返上しても徳川は倒す。戦じゃ!」
↓
慶喜 「戦なんかできるか、江戸に引き上げる」
↓
薩長 「くそーー!江戸まで追いかけて江戸城を総攻撃じゃ」
↓
慶喜 「戦なんかできるか、江戸城を引き渡す」
↓
薩長 「んん。。こうなったら会津じゃ!分家でも徳川は徳川だ」
↓
慶喜 「会津君、戦は止めとけ」
↓
会津 「しかしそれでは武士の面目が・・・・・」
↓
薩長 「行けーーーーー会津じゃ!」
↓
会津 「えええええ!!!」。・゚゚(ノД`)
>>604 あんなテキトーにこさえた錦旗で衝撃をうけるのかね
>>773 会津藩主側近の間違い
実際には会津藩の人々は官軍側だった
そしてどうしてここまで薩長今まで憎まれているかというと
明治時代以降の選挙で薩長政府の腐敗を自由党などの選挙活動で利用されてきたから
そこからありとあらゆる悪口を言うようになりそれが戊辰戦争のことにまで飛び火した
それだけのこと
>>771 その弱い弱いおフランスごときに侵略されるなら、日本はペリー来航以前にとっくに侵略されてる
当然ながら、後の函館政府が北海道の土地を売り出したときにドイツより真っ先におフランスが名乗り出てる
しかし、そんなことはなかった
勝も慶喜も維新の当事者が粗方死ぬと、待ってましたといわんばかりに物書きに励んで嘘八百
何一つ信じるに値しない
生起した事象のみしか信頼できない
>>272 アホwww
戦いを仕掛けたのは薩長だwww
上野戦争が1日で終わったところを見ると、やはり幕府軍は弱かったと言わざるをえない。
大軍を率いていたにも関わらず長州征伐での幕府側の負けっぷりは異常
あれで見切りをつけられて鳥羽伏見の戦いで親藩大名にすら見放された
>>777 の続き
江戸幕府の最後は鎌倉幕府が倒れるときと似てるんだ
鎌倉が楠木正成を倒すことができなかったことと江戸が長州を倒すことができなかったことが重なる
幕府に動員力があっても求心力が既に失われていたんじゃね
>>786 んだ
現実として薩長の作り上げた政府は滅んでいるんだけど
>>787 の続き
尊王攘夷は水戸から出た考え
んで慶喜は水戸だろ
慶喜が将軍になった段階で幕府は次の時代のレールを既にしいていたことになる
>>789 南朝も滅んだしな
>>764 誰がどうやって作るとか決まってるわけじゃないので錦旗に偽物とか無いよ
仁和寺宮嘉彰親王が征討大将軍に任命され
その印として錦旗と節刀が与えられた時点で錦旗は本物
官軍の印ということに意味があるのであって旗自体に効果があるわけじゃない
大東亜戦争の時のリーダーが慶喜みたいのだったら
あんな馬鹿な終わり方にはならなかったのでは
仮に幕府側がフランスにすがったところで長州一国に敗北して求心力落ちた後では
勝てるところまで持っていけたとは思えないな
勝てないと一番わかってたのが徳川慶喜だからこそ逃げたわけで
新選組のやつを旗本にするくらい徳川は人材難だ
書類書きの事務員はいても戦うやつがいない
仮に慶喜が徹底抗戦を掲げても下に人材がいないのでは戦えない
まぁ北米やその他の国のように、文化破壊されて植民地にならなかっただけ日本はマシだったな
>>793 >大東亜戦争の時のリーダーが慶喜みたいのだったら
>あんな馬鹿な終わり方にはならなかったのでは
この文章はあんな馬鹿な終わり方が
慶喜による江戸無血開城を指しているのか
太平洋戦争を指しているのかわかりにくいね
まぁさすがに泥沼の内戦を好む人も少ないので後者だろうけど
その場合軍において東北閥よりも薩摩人が中枢に居続けたほうが良かったりして
薩摩は豊臣秀吉の九州征伐や薩英戦争で分かるように
相手が強いとわかるとあっさり負ける
>>583 もし日本なかりせば・・・
非白人は今でも白人の奴隷だろうね
>>659 無能な怠け者だろ
無能な働き者よりはずっと有意義
>>753 官軍たる理由があるから薩長は錦の御旗を勅許されたのだ。
当たり前のことだわ。歴史は史実どおりにうけとればよい。
変にこねくりまわすのは脳みその徒労だと思うが。
幕府側というが、すでに幕府はなくなっている。徳川慶喜は二条城
にて征夷大将軍職を返上し、徳川家は一臣民たる意を天下に表明
しているのだ。徳川恩顧の藩はいわば徳川への義理にこだわってい
たにすぎない。だから、錦の御旗が掲げられ旗幟鮮明たるをもって、
諸藩は官軍に従うほかはない。賊軍の汚名をかぶりたくはない。
それは最大の恥辱であることは、日本民族が本能的に知るところ
であった。
会津がなぜあのようになったかは武士道の話として、別に論ずるべき
ことであろう。
慶喜はチキン野郎だったかもしれんが、負けを認めて
退いただけマシ。
クズなのは蝦夷をプロイセンに売り渡そうとした庄内と
会津を中心とする東北の旧幕の奴ら。
戊辰戦争の頃は、丁度アメリカも戦争してたろ。
全力介入して、日本を焦土化する能力は列強に無い。
へんな仮定すんなよ。
>>34 冗談言うなよバカ。あんなもんが「学」?単なるテロリズムを生んだだけの檄文じゃねえかよ。
やれ「維新」だの「国体」だの、結局最後はくだらねえ陸軍の連中が戦火拡げて、日本をどん底に落としただけのもんだ。
チョンマゲは無くなって本当によかった。
国際会議の場で浮いた格好をしている人たちをみていて思う
>>805 体制に後に大きな影響を与えるのは
革命期の初期の過激な思想と若い奴らの情熱であって
歴史に対する"作用"としてそれらを否定してしまうと言うのは間違ってると思う
必要な装置の一部だよ
お前らが必死にテロリズムと呼んでるもの
君が問題にしているのは革命が成った後の話だろ
慶喜の避戦の動機と、戦いの有無が列強の介入有無を左右したかどうかは、全く別の話だから、論理がおかしい議論。
慶喜が臆病で優柔不断だったということと、戦争にならなかったので列強の介入も無かったという結果論は、両立し得るじゃんか。
戊辰戦争が長引かずに終わったあとでも、日本の植民地化の危機はつづいていたわけで。
井の中の蛙の思考で日本は主権国として自立できる強さがあったという想定でみてると、
明治になってからはこんどはイギリスの借款とインフラ事業に支配されそうになった事態を
予想できない。
薩長と幕府の違いはイギリスに売国するかフランスに売国するかの違いにすぎない。
それ以外に道がないということを当時の人もなかなか受け入れがたかったから攘夷という
発想を簡単に捨て切れなかったんだろう。
戦ってる味方見捨ててこっそり夜逃げした行為に
どんな大義があるってんだよ
会津藩主子孫はどうしても会津藩主も褒めてもらわないと気がすまないらしいから
褒めるわ
「写真かっこいいね」
薩長に好戦的で常に薩長の志士の身分の低さを持ち出し常に見下しバカにする
これが会津の態度だったんだけどね
坂本龍馬も当時は無名の志士だから、見下されていた
見回り組に暗殺命じたの、誰だっけ?
だから会津藩主が処刑されなかった事に怒りを感じる志士は多かったんだよ
会津藩の人々の多くも当時は官軍側だったから
今思うと鹿児島と山口県が東京大阪名古屋をフルボッコて凄くね
会津藩の西郷頼母は強かった
会津藩主サイドの藩士や小説ではボロクソ叩かれているが
現実を見れば会津藩で唯一薩長と互角の戦いを3ヶ月間もしたのが西郷頼母
山川や佐川じゃないからね
しかし噂というのは恐ろしい
事実を捻じ曲げるから
ちなみに会津藩主も薩長軍と交戦したけど30分も持たなかった
傀儡売国明治維新と西周と田布施システム
本居宣長・平田篤胤・関孝和あたり見ると欧米には劣るとはいえ江戸の学問レベルもバカにしたものでは無かろう
尾張は水戸以上の尊皇だから戦う前に恭順よ逃げてた天狗党匿ってたし
まあ会津戦争は無駄死にだなあ
未成年の白虎隊は死んで松平容保・西郷頼母は明治まで生き延びてる
そして容保は重税を課し町民から嫌われ実際は開戦に際しても城内・城下で温度差が凄まじかった
美談でも何でもねえwww
>>817 水戸光圀公は、叔父の尾張敬公に影響されたそうだからな。
徳川家が主導権を握る「列侯会議」方式でも明治維新並みの変革はできたのか疑問。
統一ドイツのヴィルヘルムやビスマルクは、どうやってバイエルン王とかザクセン王だとかを抑え込んだんだろう?
>>258 > 賠償金を幕府に肩代わりさせて幕府に反抗とか、倫理的にも狂っている
たしかに。そこら辺は偽善がいっぱいだ。
賠償金に関連していうと、その結果関税の引き下げを迫られることになって、1867年
(慶応3年)から日本の貿易収支は赤字に転落し、国富が海外に流出した。このとき
決まった低い輸入税率は、明治以降の貿易収支の赤字基調の一因にはなってるだろう。
また薩摩藩が起こした生麦事件は、他の攘夷事件とともに、英仏横浜駐屯軍という
外国軍の駐留を招く原因になった。
薩長が明治維新で日本の危機を救ったみたいなイメージが流布してるのは一面的すぎで、
安政条約のあと、さらに関税引き下げと外国軍の駐留に至る原因をみずからつくって、
植民地化の危機がいっそう深まったところで武力政変を起こしたといったほうがいい。
水戸黄門の格さんは実際には歴史学者
あんな武芸の達人じゃありません・・・
>>813 都市なんか流入した田舎モンが支えてるんだから、あんまり関係ねえw
まあ結果よしでいいだろ
徳川を豊臣みたいに殲滅してもよかったのかもだけど
(歴史の因果のながれとして)
あくまでも結果オーライ
>>10 歴史をむしするな
そんなのなら桃山の豊臣政権倒したのも徳川の乱だから
慶喜は、フランスの援助も断っている訳で、外国から支援を受ければ
植民地にされる事は理解していたでしょう。
そして、錦旗が出た時点で、自分に正統性が無くなった事を
理解して、戦を止めたのでしょう。
「戦う勇気」と言うのは、国際情勢も国内情勢も無視して、
正統性の無い戦にやみくもに突入して、最後は、「野となれ、
山となれ」で、自殺することじゃないでしょう。
>>826 そう考えると凄まじく冷静な判断能力やな
歴史を正しく理解し、状況を正しく判断し
この時期に彼が将軍であったのは、ある意味奇跡なのかもしれん
>>1 中国植民地化という世界情勢急変も伝わっていて
もう徳川家は求心力を失っていた。
最初に脱落したのが将軍だっただけで。
>>829 「戦う勇気が無かった」「戦えば勇気だった」と言う視点だけで
慶喜を見るのは、間違いだと思います。
やみくもに戦う事だけが、勇気では無いと思います。
慶喜は恭順の姿勢を示しましたが、恭順しても命の保証は無い
訳で、戦国時代も、降伏した大名は、半分位は切腹させられています。
やはり、慶喜は水戸藩の出身で、勤王の思想が強く、正統性の
無くなった戦は、したくなかったのだと思います。
>>804
アメリカ 南北戦争(1861年〜1865年)
日本 戊辰戦争(1868年〜1869年)
アメリカは4年間の内戦疲れで、さすがに日本にかまう
元気はなかったが、内戦での使用済み、不用になった
大量の武器を日本に売りこんだ。これは戊辰戦争でも
その10年後の西南戦争でも日本は使用した。 >>101 そう思うんだよね
始まりは生麦事件
あれで「侍怖い、侍邪魔」ってなったんだと思う
で、侍を無くす方法を考えて
「江戸幕府が無くなればいい」という結論に達した
「朝廷と江戸、どっちが日本の政府なんだ!?」とかいう話は
たんに無能っぽい朝廷を残したほうがやりやすいと踏んだんじゃないかな
>>815 西周は日本人初のフリーメーソンの会員だな
明治帝のとりまき連中や薩長がルール無視して問答無用の攻撃仕掛ける羽目になった時点で、
慶喜の外交的勝利じゃん
あれがなかったら徳川家き皆殺しにされてたぞ
徳川を滅亡させてこそ真の明治維新が達成された。
幕府と戦闘になっても、官軍が圧勝し
国力はいっそう高まる。
日本が外国に滅ぼされるなど、寝言を言うな
慶喜さんは近所に出来る山手線が嫌で巣鴨から引っ越したそうな
巣鴨民としてはちょっと複雑
慶喜は、屈辱的な恭順をしたが、明治政府は後に、屈辱な恭順が
出来なかった。
「戦う勇気」をアメリカに示して、国民を300万人殺した。
「アジア諸国が独立できた」と言う人がいるが、本末転倒だろ。
自国民を300万人死なせて、隣の国を助けても、意味が無いだろ。
徳川慶喜さんはチバラキのDQNだったの?ヘタレてるのが理解できたよ。
>>839 東條のハゲほか東北人が率いてるからだよ
慶喜が好戦的な英雄だったらどうなったかというのをシミュレートしたのが河井継之助の長岡藩
戦わなかった慶喜はヘタレだというのは違う
朝敵として征討の対象にされた慶喜が首をはねられる可能性は高かった
命が惜しかったらむしろ戦っただろう
鳥羽伏見で一杯地にまみれたといっても
戦闘準備もしてない徳川方が不意打ちに有ったせいであって
なにしろ兵力は徳川1万、会津桑名5000の1万五千
薩長は5000人
どちらもライフルで武装、旧幕府歩兵5000は最新の元込めスナイドル銃で、
先込め式ミニエ銃が中心の薩長より装備で勝っていた
大阪湾は圧倒的な幕府海軍が制圧
慶喜が大阪城にいてで薩長に対抗したら軍事的には負けるはずがない
あるいはその後、江戸に進軍する西郷率いる官軍を迎撃撃破するのも十分できた
ところが朝敵とされた時点ですべてを捨て去って
首を取られるのを覚悟で一切の抵抗を止めて謹慎閉居
慶喜の行動の是非や、何を考えてのことかはともかく
腹の座った人物だったのは間違いない
世界の内部分裂からの植民地や
代理戦争からの国家分裂からの統合とか経て
その後いつまでも泥沼の内戦から抜けられず
国の発展ができないところをみると
戦わなくて良かったとしか
>>70 江戸幕府のままだと、他のアジアの国みたいに
中途半端になっていたと思う。
多分、歴史教育がそうなっているのではないかと思うのだが、
戦う勇気とか戦っていたらとか、なんのために誰と戦っていたらなのか?
よく将軍や幕府を、京都の朝廷と相対化するような言説をなす者がいるが、
完全な間違いである。この考え方は、戦後のGHQによる歴史教育の指針
からかどうか、「菊と刀」の影響なのか、そこまでは知らないが、ここの書き
込みを見ていても、気になる点である。
戦後の小説、映画やドラマには、当たり前のように、徳川がかつての日本の
支配者のように描かれている。徳川幕府も、足利幕府も、鎌倉幕府も豊臣家
も天皇家から権力を与えられていた、というより、預かっていたにすぎない。
だから、永久的なものでは勿論ないし、時期がくれば、将軍職であれ、
関白職であれ、皇室に返上しなければならないものなのだ。
これは、現在でも全く変わらない。内閣総理大臣といえども、天皇に承認され
て就任出来るものである。必ずそのような儀式を経ていることは、国民は知っ
ていることである。これが我が国の国体であって、それがなければ、もはや
この国はこの国ではない、日本ではないのである。憲法問題とかなんとかの
以前のことなので、そこを勘違いしてはならない。
>>817 尾張は吉宗が御三卿作った時点で紀州将軍家を見捨てた。
イギリス、というか国際金融資本は、薩長連合と幕府との間で内戦を起こさせ疲弊させ、
日本を植民地化する戦略を実行していたからな。
幕府側はフランスからの進言でその戦略を知り、鳥羽伏見の戦い以降の正式な戦闘を放棄した。
植民地政策を遂行するイギリスと対抗するフランス、という世界史が見えてないと、
幕末史は理解しにくいだろう。
水戸は徳川御三家にして水戸国学という尊王思想の最強シンクタンクだったからな。
朝敵にはなれない。
徳川終わらせるには丁度良かっただろうしな
将軍継承権すらない名ばかりの御三家水戸藩
世の中の殆どの権力者が最後の最後まで権力にしがみついたまま死ぬ事を考えると
理由はどうであれ、そこで権力を放棄してベタオリ出来る慶喜は凄いんじゃないかと思うが
慶喜を将軍たらしめたものは血筋家柄。
そして、日本で血筋家柄を突き詰めて行けば全て天皇家に行き着く。
天皇を蔑ろにして盾突くならば、自分が同じ事をされても文句は言えない訳だ。
だから慶喜は構造的かつ心理的に天皇に逆らう事は出来なかった。
天皇を押さえられた時点で試合終了。
そこ行くと薩長の下級武士は口では尊皇を唱えても天皇なんか屁とも思ってなかった。
天皇を拉致って自国へ連れて行こうとか平気で考えてたんだからな。
幕府と慶喜が負けたのは歴史の必然、ペリー来航で天皇家に話を持って行った時点で詰んでた。
>>17 パヨクの会津プロパガンダ洗脳者は消えろよ
仮に幕府が勝っても、
薩長がイギリスから購入した大量の武器弾薬の支払い義務は
幕府が背負うことになり、植民地化は回避不能。
薩摩と長州がイギリスに籠絡された段階で江戸時代は終わったんだよ。
薩摩も長州も基本的に私利私欲のために動いており、
自分ら特権階級になって良い生活を送るためなら、
日本や日本人なんてイギリスに売り払っても構わない、
という人たちだったのが日本の不幸だね。
>>833 > たんに無能っぽい朝廷を残したほうがやりやすいと踏んだんじゃないかな
イギリスは開港地が幕府直轄地にしかないことや、旅行の範囲が十里に制限されてることに
とくに不満をもっていたんだよね。イギリス産品の競争力に自信があったから、幕府にコントロ
ールされて自由にお客さんを開拓できないことに苛立っていた。日本のいろんな需要者に直接
アクセスできれば絶対にもっと売れるというわけ。
密貿易をやってる薩長も、自分たちがもっと利益をあげるために幕府による貿易ルートの独占
体制を壊したがっていたので、いまの制度をぶっ壊すという方向性はイギリス産品の日本浸透
をねらう英国の思惑と一致した。
ちなみにたとえばイギリスの工業化された綿製品が入ってくれば、その分日本の伝統的な綿織
物産業にかかわっいた農家や職人は廃業する。同じ道はインドも辿った。
>>852 > 植民地政策を遂行するイギリスと対抗するフランス
フランスもイギリスと同じだと思うな。
ただ1860年代当時、フランスは産業革命がはじまってからまだ30年くらいで、産業化の先頭を走って
いたイギリスと比べると商品の競争力が弱かった。
フランス産品を他と比べてもらえれば絶対買ってもらえるという自信はなかったので、むしろ幕府による
管理された貿易のなかで特権的な地位を認めてもらうことで、フランス産品の日本浸透を図ろうとしたと
みるべきだろう。幕府に対して、生糸の国家独占貿易をもちかけたり、日仏の交易組合をつくっていわば
カルテルで貿易を行おうと提案したりしたのは、そういうことだと思う。幕府の役人と仲良くなればフランス
はイギリス産品に負けないで有利な貿易ができるというわけだ。
慶喜は大政奉還し朝廷は王政復古を号令した
そう歴史で習う
しかし、王政復古とは何か?
平安時代に戻るというのか?
そうではない
王政復古とは後醍醐天皇の建武の新政をやりなおすという意味なのだ
そして大政奉還した慶喜は王政復古の第一の功労者なのである
慶喜はその立場で大政奉還後も朝廷から政権を委任され続けたし
西周らに新しい政治体制について出案させ
天皇の一番の功臣徳川家が大統領になる体制を作ろうとした
途中までは慶喜の構想はうまく進んだ
ところが薩摩の西郷大久保そして公家の岩倉らの工作でそれは頓挫し鳥羽伏見で慶喜が望まない軍事衝突に至った
>>844で書いた通り軍事的には徳川が勝さっていた
禁門の変で総大将として長州軍と戦ったように慶喜は戦争ができない人ではない
にもかかわらず朝敵として征討された慶喜は首を切られる覚悟で謹慎閉居したのである
ここに慶喜の一貫した思想を見ることができる
王政復古、つまり新たな建武の新政で朝敵となり帝に弓を引いたならば慶喜は、
勝ったとしても足利尊氏と同じになってしまうのである
そんなことは水戸学を叩きこまれた慶喜には絶対にできない
慶喜の行動はこういうメンタルしか考えられない
>>860 綿?
日本の外貨獲得のための主産業は絹だ
これで重工業も整えた
この状況は米と海戦するに到るまで続く
>>864 幕末の日本の2大輸入品は綿織物と毛織物なので。綿織物はイギリスの主力製品でもある。
輸出はもちろん太宗が生糸。
父方は徳川家だけど、水戸黄門の時代から尊王思想だし、
母方はお公家さんの血筋だから朝敵になる選択するわけがない。
>>867 水戸は「もし幕府と朝廷が争いになった場合、朝廷側について どちらが勝っても徳川が生き残る」
家康が置いておいた保険
なのに間抜けにも将軍になってしまった
これが敗因
北条は一族滅亡まで戦って最後だけはかっこいいわ
徳川はだーれも切腹すらしないし女々しすぎ
260年も支配したなら倒されるときぐらい誰か死ねや
あわよくば新政権にも入ろうとして入れもしないしかっこ悪すぎ
長い太平の時代を経て武士でも何でもなくなっていましたとさ
>>861 佐竹伝説かw ちょっと朝鮮の逸話にも似てるな
>>851 徳川御三家筆頭の尾張徳川も戊辰戦争では
新政府の薩長側に寝返ってるもんな
親藩の越前福井も
譜代筆頭の近江彦根も
新政府側に寝返ってるけどさ
>>84 逆。
慶喜は日本随一の尊皇家だったか錦の美旗がひるがえった瞬間に勝負を
あきらめたんだよ。
幕末の倒幕運動は結局のところ天皇を味方につけられるかどうかという政治的
闘争だったのですな。
武力衝突はおまけ。
>>841 明治と昭和の日本軍は別の国の軍隊かと思えるほど違うという理由だな
明治と昭和初期の指導者の思考に明確な違いがある
明治日本軍は戦果のあった軍人を登用し(秋山兄弟など)海軍大臣の山本権兵衛は中途半端な知識しか持ち合わせていない軍人をリストラして
専門知識を持ち、実力のある軍人を次々に登用した。
そして軍事システムが未熟な為、有能な若手の幹部候補生を次々海外に送り出して語学や国際知識、戦術をどんとん取り入れた。
戦闘で不利になったら司令官判断で撤退できた
このように、組織の柔軟性や実力主義なのが明治の日本軍
昭和の日本軍は、実力主義は無くなり年次によって人事が決まる制度になった
そして実力ある人材を立ち枯れさせ軍を劣化させた
戦闘で不利な状況でも精神論で引けない
明治は開戦前から用意周到で日英同盟結びアメリカに講和の仲介を依頼し革命勢力に武器を供与し優勢な時に講和に持ち込む
昭和初期の日本の指導者は夜郎自大
>>839 犠牲者300万人は少ない。
中国は無謀な戦争で3000万人の犠牲者出した。
この学者馬鹿じゃね?「日本」って何を指してんのさ。
国はバラバラで統一日本など無い、天皇は機内周辺限定のお天道様みたいな
感じの天子様、英米が薩長に変わっただけじゃねえかよw
それよりむしろ、反植民地戦争をくぐった方がその後の日本にとっては良かった
んじゃね?実際の歴史は為政者だけが官僚エリートを再生産して結局は国を滅ぼ
したんだからな。アホでも何でも、そういう攘夷の英雄とかの庶民の血をもっと
入れるべきだった。未だにクズの官僚が仕切ってるって笑いも出てこんわ。
>>875 明治も初期はちゃんとした軍作る気があったの
でも途中から「軍に貧民入れないと国が潰れる」になっちゃったの
(秩父事件後全国的に犯罪者が激増。山田顕義だったか
「このままじゃ国民の半分が刑務所行くぞ」とか発言してた)
そこで軍に貧民入れて不満が溜まったら戦争させる
という具合にコントロールするようになったのさ
それが日清・日露・シベリア出兵と続く戦争の実態
だから優秀も糞もないの。ゴミ置場だから
優秀にして実力主義なんてなったら国が崩壊してます
>>875 日露戦争の醜態から見れば日本軍はだいぶ進歩しているが・・・?
>>876 同じだろ、10億人国の3000万人と1億人国の300万人
>>882 ソ連は人口二億で5000万人ぐらい死んだぞ
>>883 ソ連の5000万人はほぼ味方に殺されてるだろ
知るかよって話さね
戦国時代の戦闘指揮者は年齢関係なく実力主義
近代の軍の指揮者は、必ずと言ってよいほど年長者しかいない
戦国時代は寿命の短さも関わってくると思うが
30歳つったらもう後半生だぞ
>>885 チンピラゴロツキと大差ない戦国時代の軍と比べて何がしたいんだ?
>>870 まあ200年も太平が続けばな
戦後半世紀そこそこの今だって「口だけ闘争心旺盛」な奴ばかりなくらいだし
>>504 結果的には幕府の敗北と見なして主戦派がいきりたつだろうなw
>>527 イギリスは自国の綿織物を保護するために、
ベンガルのダッカのマルマル(木綿のモスリン)の職人たちの手首を斬ったよ
>>881 日露戦争の醜態?
大東亜戦争の時の日米の国力差より
日露戦争の時の日露の国力差の方が大きかったんだろ
優勢勝ちとはいえ、よく戦ったと思うよ
日露戦争で五大国の一員と言われるまでになり
幕末に江戸幕府が、欧米列強と結んだ安政五か国条約などの
不平等条約を改正できたんだから
徳川慶喜と昭和天皇って似てるね
最初は威勢が良かったけど具合が悪くなると腰砕けて
負けたら敵の言いなりになって生き延びた
鳥羽伏見の時って大政奉還後だから大君制の目論見で徳川宗家の力を温存したい時なんじゃね
戊辰戦争は西南戦争と同じで時代に遅れた人らの発散の戦だろうし不可避じゃね
徳川幕府は戦えば勝てたというけどな。勝海舟も水軍使えば勝てると断言してる。
ただ民百姓、江戸の町を滅ぼしてまで戦うこともないと。英断だと思う。
むしろテロリスト薩長こそ非難されるべきだけどな。
平和な国をわざわざ戦乱興して奪ったんだから。
倒幕、佐幕のいずれにせよ大前提として尊皇攘夷があった以上
御所を倒幕派に押さえられた時点で戦略的に既に敗北していたのだよ
明治維新は文字通りの無血革命だから、日本人にとって誇りとなる歴史的快挙。
徳川慶喜は、動機がどうであれ、大政奉還により日本が英仏の植民地になるのを避けることが出来たので、結果的にかれの行動は正しかったと言える。
イギリスに踊らされて無理やり内戦を始めた売国薩長
日本のために自ら身を引いた慶喜
慶喜が身を引かなければイギリスの思惑通りに内戦が数年継続し、
イギリスの植民地にされていたろう。
日本の金銀を収奪してボロ儲けするのがイギリスの狙いだった。
維新の「英雄」なんて虚像だぞ。今でいう半グレ集団のクソガキどもと大差ない。
慶喜が腰抜けなのは事実だろ
戦えないならその前に国を譲っとけ
何だかんだ大政奉還後も主導権を握ろうとして一戦したら逃亡とか
大阪でも逃げ出す前はさんざん戦いをアジってて何も言わずに
船に自分だけ乗り込み一目散とか
大阪で全て政権は譲ると降伏交渉して名誉ある敗戦するならするべきだった
慶喜が惨め過ぎて結果的に幕府は完全に消滅して良かったが
慶喜がゴミ過ぎて幕府に再建や復活の目が完全になくなったのは良かった
慶喜が卑怯ものの馬鹿で最低の屑なのは譲れない
慶喜の最大の功績は惨め過ぎて幕府が完全に愛想をつかされたこと
こんな腰抜けはいない
高杉晋作なんて威圧だけで外人おっぱらったのに徳川マジだっせぇよな
まだ薩長VS徳川幕府だと思ってる連中が多いな
尾張VS徳川幕府の戦いで
漁夫の利を得たのが薩長
色々と面倒臭いじゃん、戦争になると。
好きなことやって自由に遊べなくなるのこまる
、、、って事じゃね?
>>896 >明治維新は文字通りの無血革命
第一次長州戦争から西南戦争まで内戦続きで死者多数
無血なんてアホいうな
御所を取られた時点で負け確定なんだから
慶喜のせいではなかろう
徳川家が国賊の汚名をきる事になっても日本を守る。
慶喜は立派に将軍の職責を全うしたじゃないか。
これぞ水戸学の本懐。
近代日本の創設に当たって最も身を切ったのは、水戸藩と長州藩の二つだと思う。
>>903 南紀派vs一橋派なんて時点から徳川幕府は内部崩壊してた、とみるのが自然。
慶喜がカッコつけたところで
薩摩が居なかったら日本は何処かの外国の植民地になってただけ
この当時世界中の諸民族が、部族間闘争で武器を求め、武器買うために白人国に土地を売り
結局植民地になった話ばかりなんだよ
そのなかで慶喜だけが白人国の公使に
「戊辰の戦は内戦ゆえ、万国公法に基づき厳正中立でお願いします」
こう言って植民地化を避けた頭ひとつ抜きん出てた
蛮勇を勇気と言ってるだけだろ
>>910 よく薩長は孝明天皇の御意に背いて開国へ、との言い方をされてるが
攘夷なんて薩英戦争と長州戦争以外に行動で示した例ないよな。
血の教訓で国際情勢の現実を得たからこそ、明治維新の主宰者になった。
>>905 無血はおかしいけど世界史だと桁変わっちゃうからな
ロシア革命とかフランスなんて数日間のパリコミューンだけで
日本の幕末期の戦死者より多い
征夷大将軍の責務は字の通り日本に敵対する異人を討伐する事。
その責務を放棄して不平等条約を結んだ時点でコ川幕府の正当性は消滅してんだよ。
>>423 龍馬はとばっちりだよ
暗殺者は中岡を殺りにきた
いっしょにいたのでついでに誅殺しちゃったのが本音だろ
中岡は急進派だったので土佐や幕府から相当恨みを買っていたはずだからな
>>897
おまえガチで無知無学の馬鹿だな
イギリス含めた欧米列強と不平等条約を結んだのは、幕府の大老だった井伊直弼や
幕府の外国奉行達だ
江戸幕府は外国との金銀交換比率の違いを知らずに大量の金を海外に流出させ
そのせいでハイパーインフレになり国内は大混乱
江戸の日本での金銀交換比率 金1 : 銀5
海外での金銀交換比率 金1 : 銀15
江戸幕府が海外の1/3の値で金取引できるとなれば欧米のカモにされてたの知らないとは クレバーは武器を撃って日本に内乱を仕掛け、弱体化した日本をイギリスの植民地にしようと
画策してた。西郷や坂本はそのパシリ。
ハルノートを受諾して日米戦が避けられたとしたら同じようなことが議論されたろうね
日本人は戦う勇気が無かったとか
知らないままにいきなりもぬけの殻になってた光景を見た守備軍の絶望を考えたら,
どんな擁護も通らないと思うけどな
クーデターの立役者が水戸光圀なんだけど、そのイメージアップのために作られたのが水戸黄門なんだってね
新撰組や見廻組、会津藩みたいなややこしい連中抱えてたんだからな
徳川慶喜の気持ちがわかるのは80年後の昭和天皇だけかも知れん
錦の御旗
朝敵
な点で、考察にズレが生じているのと
その点で争ってる
ってな話
この話に限らず
圧政
島津の
斉彬
は、無かった事に
>>907 長州なんて一番恩恵を受けたろうが。犠牲を出したのは水戸と薩摩だよ。
水戸は言うに及ばず、薩摩も倒幕の中心だったのに大久保が諸改革を実行して
西南戦争で薩摩藩士壊滅、さらに大久保も殺された。
そして調子に乗った長州閥が我が物顔でのさばり大日本帝国を滅ぼした
タラレバでは本能寺の変で信長が殺されてなかったらどうなってたか興味ある
>>929 尾張が一番悲惨だろ
散々貢献したのに
後で敵扱いにされて
中央政府にほとんど登用されなかった
下級武士は北海道送り
昭和の戦争主導したのは東北軍閥だろうが。こいつらは負け戦しかできん。
会津の悲劇を日本中に撒き散らした。
慶喜の戦わない決断が腰抜けと言う人間が居るとはな。
戦うことで沢山の人が死に、国力は疲弊し、弱ったところを諸外国に侵略されるとかもあるんだよ?
本当の意味で新時代を綺麗に作った男に対して失礼なヤツらだ。
オレは慶喜にあったことあるから間違いない!子供の頃一緒に遊んでた。
>>896 新撰組「・・・」
白虎隊「・・・」
咸臨丸「・・・」
西郷ドン「・・・」
>>918 岩瀬忠震か
逆に輸入関税20%で欧米各国並みの
関税だったけど下関戦争の責任取らされる形で5パーセントに引き下げさせられたのは
長州の落ち度
ケーキさんは静岡では豪気な遊び人として知られています。
>>702 >>649参照
内乱を長引かせることはイギリスが反対していた
イギリスの目的は結局「日本と自由貿易すること」
「開国の条約を誰からも文句言われずに承認できる天皇による政府ができること」だけだった
>>704 僕も勝てるとは思い難い
おなじみ「一外交官の見た明治維新 下」(1960)
123-124
>私は会津の傷病兵と仲よしになろうと思った。…
>彼らは、こう言った。もし適当な援護があったら敵を破ったであろうが、
>藤堂は最も大切な防御地点山崎で寝返りをうつし、
>慶喜方の総指揮官竹中も淀で敵に投じた。
>それに、洋式訓練歩兵は何の役にも立たず、
>一人が逃げ出すと、他の者もみな羊群のようにあとを追う始末だった。
>彼らの見たところ、薩摩の軍勢はわずか千人ぐらいだった
133-134
>ちょっど吉井と寺島が話に来ていたところだった…
>彼らは…伏見、鳥羽の事件の経過をいろいろと私に話してくれた。
>それによれば、薩摩兵は最初から連戦連勝であった。
>彼らは「袋の中のねずみ」同然の状態にあったので、
>死にもの狂いの戦争をしなければならず、
>そのためにかえって勝利をうる結果になった。
※吉井、寺島はともに薩摩藩士
このように数的にも装備的にも徳川方が勝っていたにも関わらず
薩長方に負けてしまった
「一人が逃げだすと皆逃げ出す軍隊」では
数・装備で勝っていても勝てない
どうせ降伏するならさっさと降伏しとけばよかっただけ
戊辰戦争の発端の何日間かの戦いを鳥羽伏見の戦いというが、
この時はもう幕府はないから、新政府軍(官軍)vs.旧幕府軍(賊軍・朝敵軍)
と正史的には呼ばなくてはならないかと思う。戦場となった処は、京都市南区、
京都市伏見区のあたり。なぜあの辺なのかというと、大坂から淀川を三十石舟
で登って下船する中書島ターミナル地域一帯だからである。交通の要衝である。
戦端が開かれた直後は朝廷は、薩摩と旧幕側の私闘ぐらいに思ったのだが、
岩倉具視はことの重大さに気付いて、朝廷として薩摩側をオーソライズすべき
ことを助言、決断をうながした。かくして薩摩長州は官軍の資格を得、旗幟鮮明
たるの象徴として錦の御旗を高々と掲げることとなった。伏見においてこれが現
れるや、旧幕府側はおののいた。これで勝負は事実上ついていたのである。
もはや明治元年、新しい日本の夜明けであった。
なお、これに先立つ、旧暦12月16日、慶喜は大坂城黒書院にフランス、イギリス、
イタリア、アメリカ、プロイセン、オランダの公使を集め、新政府の政体が定まる
までは、外交を慶喜が掌握すること等を伝えていた。これで、無用の混乱や列強
の干渉を避け得たので結果的にはよかった。彼の功績であろう。
錦の御旗を高々と掲げる官軍が現れたら、戦意を無くしたという話が
ピンとこない人のためこれを張っておく。
藤堂藩は戦闘はするなとの方針だったが幕府側の使者がスゲーいやな奴だったので
現場の指揮官がブチ切れて薩長側に立って攻撃開始してしまった
>>946 いや、津藩の場合は小御所から来た勅使が
「旧幕府は賊だから、あなたは日本国の軍なら旧幕府軍と交戦する義務がある」
と説得し、津藩の現地司令官が旧幕府軍への砲撃を指示した。
あと、時間は前後するが淀藩の場合は、
新政府側に錦旗が掲げられたと確認された時点で、旧幕府軍への支援を停止した。
旧幕府軍は淀城内での籠城交戦を期待したが、淀藩は受け入れず、
旧幕府軍は淀城下を焼き払って撤退した。その後に新政府軍が入城した。
>>938 本当はよしのぶじゃなくて、よしひさなんだっけか、そういえば
紀伊が不戦
尾張藩が裏切ったら
薩長軍に挟まれた藩は終わり
東海道素通りできた
大阪からの敵前逃亡や江戸無血開城は国内の視点だけじゃなくて、慶喜や勝海舟、さらには
西南雄藩の実力者たちが、戊辰戦争の一昔前に起きていた清の太平天国の乱とアロー戦争
をどう語っていたか、という角度からも光をあててみたらいいだろうね。彼らは清の情勢を多か
れ少なかれ知っていたはずなわけで。
戊辰戦争が長引くとしたらその条件は何か、長引いたら日本はどうなるかは太平天国の乱に
よる清の動乱期が示している。
1851年に起きた太平天国の乱の広がりが1853年に上海にも迫ってくると、列強はそれぞれ
中立または不介入を決めた。日本でも1865年(慶応1)に英仏米蘭の四国共同覚書によって
幕府と長州の戦争に対する中立が決められた。
太平天国の乱に際して、当初清朝を助けることを検討していたイギリスの現地外交代表は、
それが戦闘を長引かせるだけだと判断して中立へと考えを改めたあと、逆に太平天国に接触
して通商の権利や特権が得られないか指導者に問い合わせた。しかし太平天国側の回答は
思わしくなく、むしろ中華秩序を押し付ける内容にとどまったので失望させられた。
この点、日本の薩長はイギリスに対して、外国商人にとってより自由な(売国的な)貿易の
可能性を提示できたという違いがある。
さて、内乱が長引けば国の政権の力は弱体化する。清では太平天国の乱のさなかに、イギ
リスとフランスが船舶臨検をめぐるもめ事を理由に武力行使をはじめ、首都を略奪したあとに、
領土の割譲やさらなる開港を定めた条約を清に受け入れさせた(アロー戦争)。フランスは
清の属国のベトナムに侵攻して領土を蚕食した。
一方、戊辰戦争時の日本には横浜に英仏駐留軍がいたので、もし居留地に戦乱が迫れば
自衛したのはもちろん、戦争が膠着して権力の空白ができ騒擾事件でも起きれば治安維持
のために江戸占領ということは少なくとも考えられる。
>>932 開拓はほとんどの藩で採用されてた侍再雇用の手段だよ
尾張藩は成果ほぼ出ずに熊の木彫り土産定着させただけで全員帰って来た
>>791 の続き
赤影
飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ
水戸の国から慶喜を呼んだ
家康の読み通りっちゃ読み通りだったよな。
幕府が危機になるときは朝廷がキーマンになる。
まあまさか薩摩と長州とは思わなかっただろうけど。
>>956 長州薩摩も想定内。
想定外は尾張と紀州の対立。
政治家としては優秀で
国民の利益にはなったと思うけど
上司としては最低だ
部下はやってられないだろ
慶喜は今で言えば鳩山ルーピーみたいなもんだからな。
>>957 あれ藩の対立てより松平乗邑にいじめられて反将軍家になった感がある
吉宗と宗春は仲よかったみたいだし
>>959 ルーピーは足利尊氏とか
本気出せば戦は強いけど
>>961 鳩山由紀夫は後醍醐天皇だろうな。
やることなすこと非現実的で、畠山にも北畠にも楠木にも「バカだがアレが帝だから」と言われていた。
佐々木や赤松はさっさと別の武家の棟梁を模索し、当人自身は後醍醐天皇支持者だった足利尊氏を棟梁にすえてしまった。
水戸藩が幕府に協力していたら兵力バランス的に薩長を圧倒していた気がするのだが
>>817、
>>873 アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新 下』(1960)
105
>尾張候(訳注 前藩主徳川慶勝)、
>越前候(訳注 前藩主松平慶永)、
>芸州候(訳注 藩世子浅野茂勲)、
>薩摩候(訳注 藩主島津茂久)
>土佐候(訳注 前藩主山内豊信)が
>議定に任ぜられた
108
>京都に集まった諸大名の中には…五大諸侯
>(訳注 尾張、越前、芸州、薩摩、土佐)の厚顔さに面食らっている者もあるという。
112
>大君の主権返上を認めない藩がかなりある…
>かの五大雄藩が急速に行動を起こそうとしている理由は、
>このような主張者が京都へ到着する以前に
>計画を実行したいからだ
118
>第二五章 伏見の戦争
124-125
>慶喜は…大坂の城と町とを越前と尾張に明け渡すことを決意した。
128
>彼(慶喜)が越前と尾張の二候の行った勧告に従うことを拒む場合は、
>薩摩、芸州、長州、土佐などが武力で屈服させることに決したというのである。
>道理で、慶喜は逸早く遁走したわけだ
つまり伏見の戦い以前から、
倒幕方に尾張はいた…ということだ
>>963 内戦を起こさせて国力を疲弊させ、ついでに武器等を売りつける。
これは当時のイギリスの常套手段。
薩長は馬鹿だからイギリスにいいように操られた。
慶喜は頭いいから、その程度の計略は見抜ける。だから、内戦回避のために幕府正規軍を引いた。
英仏の世界戦略という視点から見ると、明治維新は日本で列強のそれまでの均衡がくずれて戦争になり、
その結果イギリスのプレゼンスが高まった事態だが、一方、同じような時期に東南アジアでは英蘭の均衡
のなかにフランスが食い込んできてベトナムでプレゼンスを高めていったわけだから、
ベトナムはフランスの手に、その代わり日本はイギリスの手にという取引に見えなくもない。
いずれもこの地域の超大国である中国の清が太平天国やムスリムの反乱で一時的に内乱状態に陥り、
勢力が弱まった時期とその直後に、中国の周辺の国で起きた勢力地図の書き換えである。
>>964 長州征伐のゴタゴタで喧嘩してるししょうがない
従兄弟殿だけは助けるけど将軍家は助けないよって
>>1 それなない。水戸藩は代々バカ殿だった。
天狗党は関係ない、優秀な人材など水戸藩にははじめからいなかった。
将軍親衛隊として250年間高禄をむさぼっていた旗本一万騎は
徳川家の危機に寝ていただけで何もしなかったのである
歴史上まれに見る無駄飯食いだ
幕末の歴史ってのはなんだか闇に包まれてるような
GHQがかなりの数の資料を燃やしたんだろうな
>>973>>974
新撰組は郷士だね。武士と農民の境ぐらいの。
実戦では一番強かった。対する坂本龍馬なんかもそうだから、
明治維新で活躍する志士はそういう人たちだった。彼らの方が
青年で自由人だったから、新しい時代に入っていきやすかった。
大阪維新の会は挫折したけど、うまくいけば大阪を首都とする
新しい日本をつくれる可能性はあったんだよ。
英国が薩長支援したからって幕府を擁護すんなよ
敵前逃亡だよ。取り残された幕府軍が気づいて総崩れになった
マッカーサと違うのは、末端にとって置き去りは同じでも、
残された部下に託し脱出を告げたこと、戻ることを約束したこと
残された者の士気が全然ちがう。
最後の将軍は一緒に逃げる側近衆にだけ告げ
末端〜部下たちには黙って敵前逃亡した。戦線なんざ維持できるはずがない
幕末期の水戸って学問的の進んでたと言うより
思想的に小さくまとまり、新しきものを受け入れない古いイメージしか無い
本気で戦ったら薩長は敗北、後の明治天皇は隠岐に島流しで死ぬ
>>24 俺もそう思う。
>>274 もう組織が固定して250年経ってるこの時代に、そういう個人崇拝的な感情が入ると、忠誠心が斜め上に走って碌なことにならん。
実は、会津の松平容保の失敗もこれ。孝明天皇=朝廷だと思い込んじゃった。
結局、彼は(慶応4年にはもうとっくに崩御した)孝明天皇に殉じて身代わりの謎戦争をやっただけ。
>>980 藤田東湖が大黒柱だった・・・・・(´・ω・`)
まあ、島津久光による徳川慶喜の復権以降は、
水戸藩では幕府に拠る人々と尊皇攘夷派閥との反目が強まり、和解もないまま内部戦争に至ったわけだが。
藤田東湖は地震による圧死だから、誰がやったということにはならない。
>>370 昔の戦争はそんなことはない。
最新の武器といっても旧日本軍の方が圧倒的に上なんだからさ。
その旧日本軍なんてのもあの程度なんだから、最新兵器の利点が地形なんかを利用しておびき出せば充分殲滅できただろうよ。
次は水戸のクソさを勉強させてくれる大河ドラマが見てみたいね
良い物語よりも、クソさのほうが見たい
>>370 大坂城に逃げ込んだんじゃなくて、忘れ物でも取りに行ったんだろw
水戸藩は優秀だったと思うがあいつら極端すぎたんだよ
大阪城にいるのは京都退去命じられたから異動したんでなかったか?
>>943 「水戸が生んだ偉人と言えば鈴木奈々」は「龍ケ崎が生んだ痴呆と言えば鈴木奈々」
と書き直すべき
>>989 優秀なのに内乱。それも根絶やしの殺し合いをする水戸藩w
水戸藩も薩長も過激な家臣は大勢いたがそれを統率出来る人物がいたかどうかが
分かれ目だったな、薩長には強いリーダーがいたが水戸藩にはクソしかいなかった
と言う事だろう。
>>976 明治維新にはたくさんの間違いがあった
それが後々の歪みにつながっていった
慶喜公は昭和天皇の100億倍は立派な人だよ
慶喜の目には昭和20年の焼け野原になった日本の姿が見えていたんだろう。
>>998 最後の将軍が亡くなられたのは、その昭和20年のわずか30年前なんだよね。
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 3日 13時間 39分 40秒
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/ ▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php
lud20250214022449caこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/newsplus/1537986907/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「【茨城】「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」 徳川慶喜の大坂城脱出で論戦 水戸でシンポ YouTube動画>4本 ->画像>7枚 」を見た人も見ています:
・【大学/教育】 東京女学館大、閉校に「待った」 数人が留年の可能性
・【ヒアリ】大阪港で「女王アリ」の死骸を発見。国内に定着して繁殖していた可能性★2
・【アフガン襲撃】中村哲医師死亡 襲撃後に男らは「誰も生きていないな」と殺害確認 ロイターが中村さんが標的になっていた可能性伝える
・【悲報】旅館以外でも、安倍総理のために赤字覚悟でやっていた可能性
・【速報】安倍昭恵夫人、塚本幼稚園から報酬を受け取っていた可能性が浮上 ★2 [無断転載禁止]
・【高畑裕太氏釈放】「高畑さんは合意があるものと思っていた可能性が高い」「裁判になっていれば無罪主張をしたと思…」弁護人発表★15
・【京都】市営住宅女性殺人事件、消えたスマホと鍵が示す犯人像 「周辺住民も知らない元同棲相手がいて、合鍵を持っていた可能性もある」 [樽悶★]
・【高畑裕太氏釈放】「高畑さんは合意があるものと思っていた可能性が高い」「裁判になっていれば無罪主張をしたと思われ」弁護人発表★2
・【高畑裕太氏釈放】「高畑さんは合意があるものと思っていた可能性が高い」「裁判になっていれば無罪主張をしたと思…」弁護人発表★18
・【AERA】上昌広「緊急事態宣言は全く不要だった。東京の感染は2〜3月にピークを迎えていた可能性がある」★4 [Toy Soldiers★]
・【研究】テキサス州の洞窟から、”1万3000年前の地球急冷化”の原因を発見! 「火山の噴煙」が太陽光を遮っていた可能性あり [しじみ★]
・【toto BIG 不正疑惑問題】運営元「偶然です。システムを変える必要はありません」専門家「システムに不備があった可能性がある」 [無断転載禁止]
・河野外相、日ロ平和条約締結時に2島返還されていない可能性認める
・【海外】バリ島で約50年ぶりの噴火可能性に警戒高まる
・【麻生財務相】「女性記者にはめられた可能性」発言を撤回
・【核問題】韓国外相、北朝鮮の完全非核化待たずに制裁緩和の可能性示唆
・【ビットコイン】一時100万円割れ 日本でも規制が強まる可能性がある
・【大雨】佐賀市で80代女性が川に流された可能性。夫から「就寝中に目覚めたら妻が見当たらない」と通報
・【テレビ】玉川徹氏「桜を見る会」で反社会勢力の出席が発覚で「局面が変わった可能性があります」 ★2
・【ETC】いまのETC車載器、使えなくなる可能性 2022年には一部がNGに 判別はココを見よ
・【速報】ニューオータニの見積書も「ない」 見る会前夜祭存在しなかった可能性浮上★3
・ノートルダム大聖堂火災 捜査当局 出火原因を捜査【放火の可能性は否定】
・【EU離脱】イギリス、2度目の国民投票の可能性高まる=ドイツ法相
・【パンパカパ〜ン♪ また撤回しました】麻生副総理「はめられた可能性否定できない」発言撤回し陳謝
・【衆院選】民進のリベラル系、新党結党の可能性も 「排除」に不満★3
・【海外】ロンドンの車突入、イスラム教徒を狙ったテロの可能性。英首相が声明
・【速報】パリ9区のパン屋が爆発、負傷者多数との報道 ガス漏れの可能性 ※動画・画像
・【“エアガン虐待”死亡の1歳児】栄養状態悪化で肺炎発症か、育児放棄の可能性も
・【暑すぎる】週末は5月としては ここ10年ほどはなかったような暑さに 35℃超え猛暑日の可能性も
・【社会】熊谷事件で妻子を殺害された遺族男性「娘への許されない行為」をテレビ証言へ。死刑の可能性がなくなったことを受け★4
・【輸出優遇除外】韓国高官ら支援求め訪米も、米は依然消極的 米国側は『介入しない』という意思を日本にそれとなく伝えた可能性 ★2
・【裁判】側溝に蓋が無かったので落ちました770万円ください → 裁判官「足元に注意を払えば落下は避けられた可能性が高いが‥」250万円ね
・ブラジルのメディアが 軍が新大統領を指名した可能性がある と報告
・【社会】大地震の可能性のある16の活断層を追加
・中国人にビットコインを詐欺られた可能性があります
・【考古】大坂城跡の下層、古代王宮が埋もれた可能性
・【社会】東大地震研教授 「余震で再び強い揺れの可能性も」
・【社会】埼玉県加須市「この地域にゲリラ攻撃の可能性があります」
・【中東情勢】イスラエル、イランに先制空爆の可能性高まる
・【異次元のSPEED感】#今井絵理子防災大臣 誕生の可能性
・【ルノー】早期支援なければ消滅の可能性 [マスク着用のお願い★]
・【STAP問題】小保方リーダー 自己破産の可能性も
・【衆院選】公明・山口代表 今秋以降解散の可能性に言及
・緊急事態宣言による失業者、専門家「1か月で36・8万人発生の可能性も」
・ALS嘱託殺人事件、医師の1人は医師免許を不正取得の可能性 [記憶たどり。★]
・JR西日本 “運転取りやめの可能性” 18日早朝から大雨見込み [少考さん★]
・航空業界、最大12兆円減収 金融危機時に匹敵する深刻な事態の可能性
・【沖縄】縄文時代も犬は「家族」? 沖縄で全身骨格2体発見、人が埋葬の可能性大
・【医療】 男性器を切断された場合の苦痛と結合可能性、機能はどうなるか
・大・発達障害の原因遺伝子特定 新たな治療薬の開発などにもつながる可能性も
・【社会】中国から輸入の化粧品にステロイド…緑内障など副作用の可能性
・【社会】女子小学生アイドル撮影会で「抱っこ」 児童福祉法に触れる可能性も
・【トカナ】研究論文が話題 抗体依存性増強(ADE)が起こる可能性★64 [神★]
・妊婦はコロナで重症化の可能性 妊娠28週以降は要注意 [蚤の市★]
・全国のコメ事業者らが意見交換会“さらに価格上昇の可能性も” ★2 [首都圏の虎★]
・【トランプ前大統領】2024年の大統領選再出馬の可能性に言及 [ばーど★]
・新聞社、ドワンゴ漏洩情報を基に一般社員宅に突撃取材…懲役刑の可能性も [お断り★]
・【コロナ】肺炎、1人から3人以上にうつる 感染力、WHO見解上回る可能性 ★3
・【現役世代自己負担割合の引き上げ?】75歳以上の医療費どうなる 現役世代負担増の可能性も
・【コロナ研究】「新型ウイルスは実験室で生まれた可能性もある」とする論文が登場 [ごまカンパチ★]
・【自粛貧困化】コロナショックで「非正規切り」…過去最大の被害を及ぼす可能性★2
・【北方領土】プーチン大統領 米軍配備の可能性と懸念=北方領土引き渡しなら
・【米疾病対策センターが警告】オミクロン株が医療崩壊を引き起こす可能性がある [影のたけし軍団★]
・【長野】3匹の飼育ブタ相次ぎ消える…仕掛けたわなでクマ2頭捕獲 豚舎の壁に足跡、襲った可能性も・須坂市 [愛の戦士★]
・【悲報】学者「すまん、これもう感染経路の把握が不可能な状態にある可能性がある。国内でもう「見えない感染」が始まっている」★2
01:14:14 up 45 days, 2:17, 0 users, load average: 8.81, 7.87, 8.57
in 0.0883629322052 sec
@0.0883629322052@0b7 on 022715
|