●『日本のサムライは姑息で卑怯者で弱虫だった』と韓国総合ニュースが報じる
2004年に公開された映画『ラストサムライ』や日本の漫画などではサムライが国家や主君のために喜んで命を捧げる正義の使徒として描写されている。
名誉を重視する上に切腹も躊躇しない志高い武士として美化されたりもする。
実際のサムライの姿はそうではなかった。
強い敵に出会えば命を懸けて最後まで戦うのではなく早めに投降したり、主君を裏切ったりする事例が多かった。
大半のサムライは相手が油断した時に不意打ちで殺すことを好んだ。手段と方法を選ばずに勝つことが重要だったからだ。
明成皇后殺害、清日戦争、露日戦争、中日戦争、真珠湾空襲、太平洋戦争などは一様に卑怯な奇襲攻撃だった。
力の弱い所を選んで集中的に叩くこともサムライの特徴だ
弱者を群衆で苦しめる集団仲間外れ(イジメ)が日本社会に蔓延していることも卑劣なサムライの伝統と無関係ではない。
サムライ精神で武装した日本軍が国家と民族のために喜んで命を捧げるという宣伝は虚構だった。
戦地で玉のように砕けるという玉砕作戦を口癖のように叫んでいたが、1945年の日王降伏以後、自殺した日本軍将校の数はドイツ・ナチの将校と似ていたという。
1970年代ベトナムのボートピープル約10万人が東海で漂流しながら必死に救助を要求した時、残酷な冷血漢が姿を現した。
日本政府は彼らを救わずに全て死の海に送り返したのだ。
南方の海などで死闘を繰り広げたベトナム難民を韓国が受け入れたのとは対照的だ。
第二次大戦が終わった時はサムライ精神で武装していた指導者たちの仮面が剥がれ落ちた。
サムライどころか町内のチンピラにも劣る三流の殺し屋が彼らの本来の姿だった。
カミカゼ(自殺攻撃)を強要した東条英機総理は死にたくないと足掻いて、戦争責任を日王などに押し付ける醜態を見せた。
2017/06/22 08:11
http://www.yonhapnews.co.kr/digital/2017/06/21/4907000000AKR20170621122400797.HTML