http://www.topics.or.jp/articles/-/66375
淡路島銅鐸、朝鮮半島の鉛使用か
2018/06/27 19:45
兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった青銅祭器「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期―中期)の成分を分析した結果、含まれる鉛は、朝鮮半島産とみられることが分かり、兵庫県教育委員会などが27日発表した。銅鐸の素材の流通や入手先を解明する手掛かりとなりそうだ。
銅鐸は古い順に菱環鈕、外縁付鈕、扁平鈕、突線鈕に分類され、松帆銅鐸は菱環鈕1個と「外縁付鈕1式」が6個。
鉱山ごとに異なる鉛の特徴を比較する鉛同位体比分析による他研究者の成果では、菱環鈕と外縁付鈕1式は朝鮮半島の鉛、外縁付鈕2式以降は中国・華北地域の鉛を使用したと考えられており、今回の分析結果も一致した。
7号銅鐸から見つかった「舌」の3次元計測図(南あわじ市教育委員会提供)
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非韓三原則を守りましょう!!
「関わらない・教えない・助けない」
右翼活動家の百田尚樹、朝鮮半島の女に稼いだ金を流用か
百済民族な今のチョンの先祖じゃないオマエ等は滅ぼした方
青銅の鋳造技術が日本で発祥したなんて考えてるバカはいねえだろ
任那に日本人が入植してたっていう説もあるからそこまでおかしくもないだろう。
前方後円墳も日本から朝鮮に渡ったっていわれてるぐらいだし。
>>13
中国の祭祀用楽器が、祭祀そのもののシンボルになっただけだよな
青銅祭器「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期―中期)の成分を
朝鮮半島からの輸出品が日本で使われていて
良かったじゃないですか
>>17
韓国が今一番返して欲しいのはシチシチトウ
奈良の石上神宮に1500年以上眠っていた
倭国に献上した百済の宝刀 そもそも銅の国内産出って奈良時代なんだからそれ以前だと海外から入っていてもなんらおかしくないわけだし
一方で、日本でしか捕れないヒスイの勾玉が百済・任那・新羅で大量に見つかってるよ
アボジとは、朝鮮語で「父」と言う意味。
淡路島とは、父島と言う意味
朝鮮鉱業と日本工業との間で取引が有った訳ですね分かりました
>>26
僻地辺境最下流どん詰まりの吹き溜まりも威張れたもんじゃないけどな 洛東江付近にある2世紀の鉄鉱石採掘跡。
日本列島の土器しか出ない採掘跡が見つかっている。
弥生時代後期には、鉄を求めかなり活発に半島に進出し、日本列島に鉄をもたらしていたと考えられる。
銅鐸はもっと古いが、日本列島から朝鮮半島進出していたんだろう
魏書東夷伝韓条に韓(馬韓、弁韓、辰韓)は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と隣接していると記されている。 この記述が気になる。
朝鮮半島南部の沿岸部は、元々倭の領域だったのかもね。卜骨も出てるし、倭人の活動範囲だろうね。
>>38
淡路島は古くは「あはぢしま」と呼ばれていたので、朝鮮語のアボジとは一切関係ありません >>13 そうは考えて無いけどクオリティは当時から日本>中国>(或いは無い壁)>朝鮮だった 群馬で古墳時代の遺骨が見つかったとき
その人物は長野県の伊那谷出身で渡来系の骨格
という情報だったのに
毎日新聞は、
渡来人のリーダーシップ
みたいな記事を書いてた
朝鮮人って生きてるだけで恥だ
福岡の宗像あたりは昔操船技術に長けた海の民の支配地で船で半島や瀬戸内あたりにまで出ばってたらしい
鉄と同じように鉛も朝鮮半島に取りに行ってたんじゃないの
朝鮮半島に、鉄を求めて中国本土や日本列島から人々が進出していたと考えられている。
鉱石の採掘目的の植民地みたいなものだな
>>13
稲作の技術を日本が朝鮮に伝えたという人もいるんですよ!! ニダ━━━━━━<丶`∀´>━━━━━━!!!!
狛江、駒澤、などコマが付く地名は高麗(こま)からの移民の入植地が起源
銅があったということは紀元前にチョンちゃんランドに国家があったと考古学者は考えてるのか?
石器時代の可能性ならかなり高いと思うけど弥生時代にチョンちゃんランドに銅があったとかねーわw
鉄のルートは研究が進んでいて、
朝鮮半島→出雲→播磨東部摂津西部→淡路島らしいな
>>44
>>46
>>48
朝鮮カルトお疲れ様
そこまでの軍事力が縄文人にあったら
当時からすでに中国は縄文帝国だったろうに
倭人=在日朝鮮人
倭人の正体はキミたちが大好きな朝鮮人な
倭人が日本の先住民ということは
1億%あり得ない >鉱山ごとに異なる鉛の特徴を比較する鉛同位体比分析
鉛ってものすごく不安定なのか…
もともと古代朝鮮半島南部は日本の植民地だったからな
>>54
朝鮮に水稲栽培を教えたのは日本じゃないの?
朝鮮はもともと陸稲栽培でしょ 古事記によると淡路島は日本発祥の地
つまり日本人のルーツは朝鮮半島であるのが確定した
現代朝鮮人って顔をじっくり見ると
見分けがつくよね?
在日でも帰化人でもよく見ると
違う
当時の朝鮮人はわりと区別が付きにくかったのかな
京都の八坂神社は新羅系。
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/
八坂氏は朝鮮渡来系。
実は金姓は昔から日本にいた。
山城国 諸蕃 新羅 真城史 史 出自新羅国人金氏尊也
新撰姓氏録(1200年前に作られた日本の姓氏の集まり)
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokusiragimimana.html
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/syoujirokumokuji.html
ヤマトの国は奈良県だが、すぐ近くの山城国(京都)には新羅国王の子孫の金氏が住んでいた。 天皇には新羅王子の血が流れている
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事 記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播 磨国風土記』には神として登場する。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の 子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理 (たぢまもり・田道間守{日本書紀})であ り、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神 功皇后 )の母、葛城高額比売命であるとされて いる。
しかし日本書紀において結婚したのはアメノヒ ボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)とされている点で異なる。
また古事記ではアメノヒボコの話は応神天皇の 段にあり、応神天皇の治政を述べるくだりで出 現する。
日本書紀では応神天皇は神功皇后の子であり、 神功皇后の母はアメノヒボコの末裔の葛城高顙 媛(かずらきのたかぬかひめ)であるため、
古事記と日本書紀では系譜(アメノヒボコが出 てくる話の時系列)が逆転している。
銅鐸は中国南部だろう、中国南部に同じような鐸が見つかっている。下戸遺伝子の分布とも重なるしね
国生み神話のモチーフも中国南部に多い
下戸遺伝子や銅鐸の分布の中心環大阪湾は、遺伝子的にも中国南部由来の人が多い
>>63
●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。
●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には
当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているよ
うです。アボリジニの先祖Y-DNA 「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同
じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。
●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維
持し続けた、と考えられています。 アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を 守ってきてくれているのです....感謝!
出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保 護しなくてはなりません。
●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩っ たり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。
●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。
●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火
を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、 木への落雷によって引き起 こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。
●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族 民がイギリス人の海軍に殺されました。
●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。
日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島 先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。大反省....です。
イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、 文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、 インド亜大陸やビルマ(カレン族)か らの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、
1927年には100人の生存者 だけになったそうです。 1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復してい るそうです。
その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先 住民 Y-DNA「D*]が絶滅する前に、
同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行 えるといいですね!
https://web.archive.org/web/20160223020324/http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-6.htm モンゴルと女親族の血の方が圧倒的に濃いのが
いまの朝鮮人だろうけど
昔の朝鮮人は朝鮮南部の人たちみたいな
顔つきだったのかね
盧武鉉みたいなかんじの
弥生人のルーツは朝鮮半島南部の原住民だからな
当たり前の事実だ
日本の弥生時代だと中国は漢の頃か
ということは朝鮮半島(の北部?)は中国の領土だった時代?
遺伝子的に朝鮮半島色が強いのは山陰、奈良、関東
山陰は地理的に近いから当然か
シラ、白、
新羅も本来はシラなんだな
白根、島根、鳥取→新羅、神奈川、埼玉
こんな人々の移動があったのかもね
朝鮮半島由来のの何か銅製品を溶かしてリサイクルしたかも知れんし、
なんともはや
当時から日帝が搾取していた証拠だな
謝罪しる賠償しる
ξ´・ω・`ξ で、神戸やまぐちぇ組のチョーセン井上が、
粘土で型を取って本国に売ってたりするんでしょ?
淡路島タマネギの生姜焼きから銅鐸まで、全て話が唐突だこと。
>>88
中国の史書によると新羅の語源は秦らしいぞ
新羅人が秦人の子孫を自称したからだとか。 >>95
弓月←これを現代韓国語でクダラと発音する 「多婆那国」とは、「三國史記」卷第一 新羅本紀第一 脱解尼師今の段に出てくる「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」にある国名で、日本の学者は元より朝鮮半島の学者も現在の「日本国」と解しているようである。
日本(倭)人が新羅の王とは娘婿(新羅第二代王南解次次雄の長女の夫という)とは言え穏やかならざることだが、当時の新羅は韓人と倭人が入り乱れていたようであり、韓人の勢力が強いときは韓人が王となり、倭人が優勢になると倭人が王となっていたようである。
したがって、王家も三家(朴・昔・金)あったと言う。そのうち昔(ソク)氏が日系の王家で八名が王位に就いた。
諸子「百」家 と 「斉」の王 が「?」(さんずい=海・水)を渡ってやって来た国 = 百済
>>65
新羅と戦うために百済が倭国に同盟を求めただけ
植民地という認識は誤り >>81
モンゴルの痕跡は意外と薄い
ほぼ漢族と同じだよ >>32
> 倭国に献上した百済の宝刀
お前はアホか
大事な宝刀を献上するわけないだろ
仏像もそうだが、自分達が一緒に渡ってきたと考えるほうがつじつまが合う
返すも何も、所有者たちはもうとっくの昔に日本人になってる >>101
そのために倭国に百済王子まで人質に出すってのは属国ってことなんだよ >>102
モンゴル系や渤海の人達は、樺太経由や直接船で日本海へやって来てるし、
そもそも長白山の爆発の時にはみんな日本へと渡ってきてる 百済の王家も倭人と言われているな
日本列島で権力争いに負けると、東北に逃げるか朝鮮半島に逃げるかしてたんじゃないかな
>>107
逆
中国大陸や朝鮮半島で破れたり、天災に遭うと、樺太経由・朝鮮半島経由・直接日本海沿岸
などのルートで日本へと渡ってきてる
そもそも樺太は冬季は海が凍っているので大陸と陸続き 日本があるのは朝鮮のおかげやで。足向けて寝られへん。
>>107
百済王家の先祖は高句麗人のチュモンだろ? 七支刀は百済の献上品。
文献からも該当する項目がある。
百済を単なる通り道だったってのはアメリカをヨーロッパ文明の通り道だったってのに近い
位置的に百済が繁栄してた理由が中継貿易しか考えられないから交易してたはず
百済は斉から逃げてきた人の国なので、朝鮮半島はただの通り道、仮の宿
最終的に日本へと渡った
百済の支配層も漢人や倭人と言われている
中国本土や日本列島は朝鮮半島に比べて当時は圧倒的に人口が多いからな
なぜ山東半島から海路で「百済」となる場所へと渡ったか?
陸路だと恐ろしい北方民族がいるから通れない
この恐ろしい北方民族は、とっくの昔に一部は樺太経由で東日本へと移住している
後から船で半島・九州経由で入ってきたグループと対立した
これは記紀にもイヤというほど書いてある
ようは中国と東北と南が対立し、
朝鮮半島では北と南が対立し、
日本では東と西が対立した
全部 北方騎馬民族系vs南方海洋系民族 の対立
>>117
桓武天皇の母系先祖は高句麗人のチュモン 朝鮮半島の稲作の痕跡は日本よりも千年くらい後の物しか見付かってないんだし
文明的な生活はずっと後だから、それは無理が在るんじゃないの
銅鐸については、長らく使用方法はわからなかった
もちろん幾つもの説はあったが
どれも決め手に欠けていたからな
楽器や鐘として使っていたとの説がその中でも有力だったが
舌が発見されたことで、銅鐸は鐘だったことが決定的になったわけだ
>>122
そもそも縄文人は、東日本へと北方民族が大量にやって来た時に支配下におかれており、
中国からすれば日本は匈奴の国扱い
倭国や邪馬台国が成立したのはもっと後 鐸は鈴
中国では教令を伝える時に使われていた
日本書紀かな、蘇我氏が祭祀の際に鳥の格好で舞って、それを見ていた物部氏が笑う
「鈴がなればもっと上手く舞うことができるのにな」
みたいなやりとりがあったな
銅鐸が祭祀の際に鳴らされていた伝承でもあったのかもね
>>129
さらに、
日本で突然古墳があちこちで作られ始めた
そういう民族がやってきたってことだよな >>1
たぶん瀬戸内海の海賊が朝鮮半島から略奪したんだよ。
返せよ、韓国に。 >>88
関東は江戸時代になるまで沼と湿地ばかりの田舎。
江戸、明治、戦後の3回にわたって地方から人が集まって大きくなった都市だから、そんな昔のはわずか。 >>105
そんなこと言い出したら、日本書紀に高句麗を神の子と書いている
国力の差がそれだけあったということ >>133
倭寇は、瀬戸内海も含む、対馬海峡の両岸をもテリトリーにしてたんだよ
陸で考えるのでなく海で考えろ
半島にも日本にも中国にも拠点がある >>129
大和を含め畿内は銅鐸文化圏の中心だろう
初期の大和朝廷の主体は、畿内を征伐した出雲や東海の勢力 ついでに書くと
崇神も応神も神功皇后も存在を確認できていない
考古学的には実在していなかったというのが現在の見解
雄略からが天皇
戦後、日本が政治的問題になるとして忖度した「古代朝鮮属国説」は
事実だ。
中国の古文書には、古代朝鮮は倭国の属国である事を示す記述が多い。
高句麗は、中国の属州で高句麗県がやがて、冊封国となり、その後、滅ぼされる。
その末裔が日本まで逃れてきて建てたのが、埼玉の高麗寺。
百済は百済王とその一族、百済人まで百済滅亡で日本に逃げ延びている。
古代朝鮮族の多くが日本に逃げ延び、古代朝鮮族はその後、北方野蛮人
エベンキ・ワイ族により滅ぼされる。今の「チョン」はエベンキ・ワイ族の末裔。
だから、文化的に劣る。
>>139
聖徳太子の時代でも、倭王なんだが。
隋書倭国伝。
俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌
しかも男の王 渡来人が西から一気に白河まで侵略した
彼らは鉄器と米作を持ち込んできた
縄文人は石器で対抗したから相手にならず、簡単に混血
一部の縄文人は東北の山中や蝦夷へ渡った
山中に逃げ込んだ縄文人は、昔話の鬼というキャラで登場する
渡来人によって米作が根付き、石高による財産という概念が生まれた
まあ、財産の奪い合いという殺し合いが日常になってしまうのだが・・・
邪馬台国の時代には狗邪韓国(伽耶)が倭の領域だったから不思議なことでもない
むしろ、資源を求めて半島諸国に攻め込みまくってた
>>54
少なくとも済州島以北で栽培出来る稲を伝えたのは日本
近代農法を伝えたのも日本 >>144
9、10世紀に北朝鮮の白頭山が大噴火している。富士山大噴火の100倍以上。ここ2000年間では地球最大の噴火。
中国北東と朝鮮北部にあった渤海国が滅んだのは、この噴火の影響かと思われる。 百済、新羅、高句麗の難民は一部王族を除いて、奈良時代〜平安時代初期に関東に移配されている
*14年・・・倭人の船団100余艘で海辺に侵入
*59年夏5月・・・倭国と友好を結んで使者を派遣しあった。
*73年・・・倭人が木出島を侵略したので羽烏(うう)を派遣して防衛させたが戦死してしまった。
*121年夏4月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*123年春3月・・・倭国と和解。
*158年・・・倭人が訪問。
*173年・・・卑弥呼の使者が訪問。
*232年夏4月・・・倭人が金城(新羅の都)を包囲する。
*233年5月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*249年夏4月・・・倭人が干老(新羅の一等官)を殺害。
*287年夏4月・・・倭人が一礼部(場所不明)を襲う。
*289年夏5月・・・倭人が攻めてくるというので戦船と鎧を修理した。
*292年夏6月・・・倭人が沙道城を攻め滅ぼす。
*294年春・・・新羅王いわく「倭人がしばしば攻めてくるので百姓が安して暮らせない。百済と共に
海を渡って倭国を攻めようと思うが?」
家臣の弘権いわく「私たちは海戦に慣れていません。遠征は危険です。まして百済な偽りが多く、私たちを
呑み込もうと野心があるので難しいです。」王は納得した。
>>152
それ朝鮮の三国史記だよなぁ
百済も新羅もずっと倭国に侵略されてたんだよなぁ >>146
弥生時代は紀元前4世紀– 後3世紀中頃まで。最近はもっと昔からという説も有力。
つまり、すごく長い。日本へ来た人達は異なる時期に何集団もあった。 >>146
> 縄文人は石器で対抗したから相手にならず、簡単に混血
対抗したのは縄文人ではない
すでに北方民族が樺太・蝦夷経由で東日本へと渡って支配していた >>146
最初に山陰と東海の勢力(縄文系&弥生時代の始まりの頃の渡来人)が近畿地方を征伐して大和朝廷を作ったんだよ
倭国大乱、記紀にも描かれているヤマト征伐
四道将軍で関東東北を征伐したのも彼ら。
西日本の縄文系勢力が東北の縄文系勢力を征伐したとも言える。 これで淡路島が韓国領であることが確認されたわけだが
朝鮮半島から人が来た
少なくとも朝鮮半島西南部を経由して人が来て弥生時代が始まったのは間違いないと思う
渡来人が来たとしても、支配階級になれたとは限らない
お前らだっていくらPCスキルが高くても、転職先では便利屋として重宝されるだけで社長にはなれないだろ?
>>157
現在の大阪府の大部分が海の底とか思ってないか?
海の底だったのは大阪市の一部だよ >>157
嘘はあかんで
河内湖はあるが、海の底ではない
大阪にも縄文遺跡はあるし、弥生時代の遺跡も大量に見つかっている 日本の方が稲作に適しているから米の生産量が多く、人口も多い
朝鮮半島から攻め難かったのはこのため
キムチ銅鐸つまり略してムチ銅 ちがうだろーちがうだろ
>>160
そもそも古来の日本人という人種は実際には既に存在しないに等しい
樺太・蝦夷経由の渡来や半島経由の渡来、船で直接日本海沿岸への渡来してきた
グループ同士の争いの歴史=日本の歴史
つまり俺たちのほとんどは大陸・半島から渡ってきたあちこちの民族の子孫 この図は酒に弱い下戸の多い地域。赤が濃い地域ほど下戸。
中国の広州と福建、台湾、日本の近畿地方に下戸が多い。 >>158
人類が滅亡して1億年後、宇宙人が地球に来る
アメリカで日本車の残骸を見つけ、ここは日本の領土だったと言う 持ち込んだ連中も子孫がここまで
腐るとはかわいそうに。
半島が大陸王朝時代に南部から半島に移住した連中が倭人なんだよ。その後の王朝変遷に遊牧民やらツングース系が入り混じり三韓時代に其々が百済、新羅系へと勢力図が拡充されたんだろ。
倭国も統一国家じゃなかったから其々の大王に与する半島勢力が存在し、後に倭を利用した政権争いに発展したんだろうな
やっぱ天皇は縄文人から国をのっとったチョンかよ
天皇を日本から叩き出せ!
>>173
残念ながら、別人種とは言え、俺たちの多くも大陸から半島か樺太か知らんが
移民してきた人間の末裔で、ほとんどは縄文人ではない
そもそも縄文人はもっと毛深い >>174
てめえに流れてなくても俺には縄文の血が流れてんだよ! 今の朝鮮人≠朝鮮民族だからな。大昔の朝鮮民族と日本人は普通に貿易してたんだし、当時の朝鮮のものがあっても不思議じゃない。
>>168
九州やチョンを通過せず
直接近畿に上陸してるよなあこれ >>178
長江河口→東シナ海海流→大隅半島南の黒潮→潮岬
海流に乗れば1カ月もかからず潮岬に到達する
戦乱の大陸を陸路で朝鮮半島まで移動するのは、かなり困難だろうな >>133
半島南部は、和人のテリトリーだった。
だが新羅と百済に侵略された。
返せよ、日本に。 >>167
その当時の海辺に縄文遺跡や弥生遺跡があるんだよ
もっと勉強しろ 精錬技術がなかったから輸入した銅や渡来人が持ち込んだ銅を溶かして作ったって小学校で習った
朝鮮の鉛なのは別に不思議ではないのでは?
>>179
大陸の南との交流が増えたのは倭の五王から
銅鐸は弥生時代でその前じゃね 銅鐸の時代に朝鮮人との交流は無理があるわ
中国の王朝と交易してて危害加えられてた記録はあるけど
昔から弥生時代後期ぐらいから日本で作られる青銅器には
朝鮮半島南部産の鉛が使われてることがあると同位体分布で研究されてた
もちろん同時代日本産の鉛で作ったものもある
しかしどうやって持って来たんだろ。
秘伝の航海技術とかあったのかなぁ。
/ ̄ ̄ ̄Y ̄ ̄ \
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ヽ,,,,,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽノ
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>>66
>>149
今の中国語やハングル語は、先に外来語を漢字に翻訳した日本語の影響を受けているかも知れないけど、日本が漢字を発明したわけじゃない 低学歴クソウヨがこういう学術的な話しを語ろうとしてんなよwww
おまえら頭悪いからwww
鉛同位体を用いた成分・年代調査は
アメリカの石油メジャーが嘘ついて売りまくった有鉛ガソリンのせいで
完全に不可能となったって聞いたぞ
空気に触れてる世界中のありとあらゆるモノが汚染された
>>122
でた日本スゴイの人w
ハイ現実
↓
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/4022
「日韓における穀物農耕の起源」 山梨県立博物館調査研究報告 399頁(416/421)
>(5)朝鮮半島における稲作の出現
今回の一連の圧痕調査では、燕岐大平里遺跡B地区およびC地区、金泉松竹里の青銅器時代の土器からイ
ネの圧痕が検出された。朝鮮半島の当該期の稲作の開始に関しては、この時期を定点としてさらに古い時代
に遡及するかが今後の課題となろう。同時にアワ、キビなどの雑穀類がこの時期でも引き続き検出され、新
石器時代の早い段階から栽培が開始されたアワ・キビが、青銅器時代前期に稲作が導入された後も、重要な
食糧の構成要素としてイネとともに定着していることがうかがえる。イネ・アワ・キビがセットで検出され
ていることは、イネの水稲農耕と雑穀の畠作農耕が複合した当該期の農耕形態を裏付ける有力な手がかりと
なりうる。
金炳燮は、青銅器時代の前期においてもアワ・キビなどの雑穀が主体的で、水稲作は一部の地域や集団に
よって選択的に受容されたという重要な指摘を行っている。両者の生業に占める位置づけは、今後の課題と
言える。
いずれにせよ、紀元前1300 年頃の韓国では、すでにイネ、アワ、キビなどの農耕が成立していたことになる。
日本列島への波及、伝播は最新でデータでは、紀元前800 年以降の突帯文期とみられ、両地域の穀物栽培の
開始期に5百年ほどの時間的ギャップが認められる。縄文時代晩期の穀物伝播の存否が今後の課題となろう。
↑日韓共同研究で日本の研究者が韓国で調査した研究報告書
2014年のもの
朝鮮半島南部の稲作 紀元前1300年頃(3300年前)
日本列島の稲作 紀元前800年頃(2800年前) ネットで聞きかじって水稲は〜って言ってる人がいるが
菜畑遺跡・板付遺跡でみつかる農具や土器が
朝鮮半島の影響を受けてるのが明らかだから
時系列を動かしようがないんだよ
ここら辺は日韓の研究者で争いはなくて
あとは土着の方が主導だったのか
渡来した集団が主導で稲作をおこなったのかみたいな話だよ
>>198
倭人が支配したのが半島だからな
中国の文献にも朝鮮の文献にも日本の文献にも
朝鮮を支配したのが倭人と書いてある やはり朝鮮半島は古来から日本の領土だったという事
取り戻そう 父祖の遺領の 朝鮮半島
/  ̄ ̄ ̄ \ 銅鐸作るから
/ / vv 鉛献上しろよな
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倭王 百済王
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| ヽ.__ノ ヽ._ ノ レ⌒ヽ
ノ o 6 |
/__ \ _ノ
> ノ
<、___ イ
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朝鮮半島は、日本人に近い集団がいたんだろう
10世紀に入れ替わった可能性がある。
白頭山の大噴火により撃滅し、断絶した。
そこに今の朝鮮半島人がロシアあたりから入り住み着いた。
糞喰い朝鮮半島がそもそも日本の領土であった証拠だな
糞喰い朝鮮ヒトモドキが支那畜生と結託して日本国民を虐殺して乗っ取った証拠だ
>>161
「陸が大阪市の一部」のほうが正しい気がするが。
上町大地が河内湾に突き出してる感じでしょ? >>146
渡来人の正体は奴隷貿易だろ、大陸朝鮮は奴隷社会、内戦で大量の奴隷発生。倭国では圃場開発やらで労働力不足、その証拠に渡来人とやらの文化、言葉、文字、風習が残っていない。 >>64
鉛はウラン238が壊れて最終的に残る残骸だから壊れる過程が時間軸的に異なると各地の鉛の状態が異なるのも分かる 日本国の歴史は淡路島から始まってたと思うけど、やっぱり朝鮮から逃亡してきた集団が居たっちゅう事なんやろ
しかし、何でまた日本海沿いじゃなくて淡路島みたいな所に流れ着いたんや?
島流し?
この銅鐸文明が狗奴国だろ。
出雲に繋がるんだろうけど
北九州は紀元前既に吉野ヶ里に国家が有ったしな
刺青してない大陸の逃亡民か
新羅も秦から逃亡した民がいたから
極東の果てに追いやられた集団だろうな
想像以上に海上交通が発達してたんだろうね
瀬戸内海の要所の淡路島で作ってたのかな
淡路島が日本の最先端だった時代が有った、とか歴史ロマンやな
>>1
そもそも弥生時代に朝鮮半島なんて言葉使われてたの? >>198
朝鮮半島というと頭に浮かぶのはトーテンポールみたいな感じのモノくらいしか浮かんでこないんだがなぁ… >>226
そらもう瀬戸内の古代業界人の間では、ジーアワで入手したタクドー、うちに聴きに来る?
とかナンパしまくりよ 縄を見るとムラムラして女を縛りたくなるおれのルーツは確実に縄文人
>>186
倭は魏以降、一貫して東晋の後継の南朝と交流してるな >>6
奪っただけでなく文化を破壊したニダって来るに決まってるやん >>226
淡路島は大陸から文明を吸収していた九州の影響下にあったからね
北部九州の海人たちが淡路まで進出していたから、本州エリアでは最先端だったといえる
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 >>235
銅鐸は滋賀や愛知が中心地、九州は銅矛文化圏
因みに古墳時代は銅鏡が中心。
今でも神社は銅鏡がご神体だな。 >>236
銅鐸は九州でも出ないわけじゃない
多分海伝いに淡路島まで行った安曇族が対岸の勢力と交易してたんじゃないかな >>198
おまえ水稲と陸稲ごっちゃになってるだろカス マジかよ。日本の歴史や文化はすべて韓半島由来と言っても言い過ぎでは無いな。
白村江で勝っていればなぁ
コリアンはすぐに何かに助けを求めて呼ぶ
自力で勝ったこととか有史以来一度でもあるのか?
そら新羅の王だって倭人がなってたんだから鉛ぐらい運んでくるわな
淡路島名産のタマネギも朝鮮由来だし、淡路島は完全に朝鮮の領土
文字を持たず銅鐸の音で通じ合ってたわけか
海運や森林地帯だと鐘の音で存在もアピールできるしな
つまり昔は大陸から鉛を輸入してたってだけの話じゃね?
>>249
大陸と半島を一緒にするとまたネトウヨが発狂するぞw >>244
人質の王子旗頭に返したらいきなり百済の将軍斬り殺して百済敗走
倭軍ついた頃には決してて囲まれてフルボッコとかわけわからん戦争だわな 鉄も任那日本府からインゴットにして日本に運んで加工してたから鉛も任那日本府から運んでたんだろ
何の不思議もない
弥生時代だから日本府も何もない
金属器の材料からの国産が始まるのはずっと後
この時期は大陸や半島から青銅器やクズを輸入してたから当然その辺の地域が産地となるだろう
銅鐸は日本独特の物だから材料の輸入のみで政治的な影響力はないと言える
>>243
銅鐸はカウベルの一種、それが日本では巨大化したものね。
銅矛も銅鏡も皆巨大化して居る。
実用器から祭具になった事による。
そう言えば古墳も異常に巨大化したな。 >>216
まず、陸を中心に考えることを捨てろ
海の民は、海と川を基点にして考えなければ理解できない
つまり、対馬海峡の両岸、瀬戸内海を支配下においた海の勢力が存在したということ
鉄道が整備されるまでは、陸路よりも、海路のほうが物流が容易だった。
だが、当然その海路の支配権を巡って争いが生じる >>256
中国大陸→朝鮮半島→淡路島と拠点を移したグループがいる
正確には、中国大陸沿岸→朝鮮半島沿岸→瀬戸内沿岸と拠点を移したグループ 元々家畜用の鈴を人間につけてたんじゃね。
つまり開拓に流された奴隷
近畿が言葉を持たず人口だけ増えた理由がこれだろ
兵役や生口に間引かれてたんじゃね
馬の鈴が原型と言う説をよく言う人がいるが、日本の銅鐸は一応鈴の形式はしてるが最初から全く違う物として成立、発展してる
半島にも大陸にもその変化過程を見いだせないしその後の発展も何もない
日本で作り出されて日本で発展したものであるのが分かってる
なので青銅の材料を輸入に頼っていたと言うだけで、政治的な背景は一切見いだせない
>>199
菜畑遺跡等の縄文時代晩期遺跡で見つかってるのは縄文土器だからな
渡来人が大量に来たのなら縄文土器なんか使うはずもないし
「影響を受けた」土器も作るはずがない
もともと故地において作っていた土器をそのまま作ればよいわけだからな 分析したのは地球化学の人だろう。考古の人間はデータの意味もよく解っていない。
>>235
鉄の加工が盛んだったのは、丹後半島。
それに遅れて1世紀には淡路島や池上曽根遺跡でも鉄工房が始まっている 華南じゃ文字がなくて楽器を自軍に渡して命令書の代わりにしてたんだからそういうモノじゃないの?
>>266
どちらにせよ九州からの海上ルートでの普及だよ
なにせ弥生時代じゃ鉄がまだ国産されてなかったんだから
中国側の記録にも半島南部に倭人が来て鉄を採ってると書かれているから当時の鉄は半島から来てる
そうなると地理的にどう頑張っても九州が有利すぎるわな 銅鐸に似てるのは教会の鐘だろうけど
まー独自じゃないか
寺院でも鐘は使うし、誰でも思いつくともいえる
どこの材料で作ろうが勝手じゃないか
交易あったんだし
百済に知り合いいたんだろうし
また日本文化の起源は韓国にあることが証明されてしまったか
そもそも日本に独自の古代文化など存在していない
例のゴッドハンドの一件以来 従前の日本古代史などというものはすべて否定されてしまった
古代日本の成立の実態とは8〜9世紀ごろ朝鮮半島から渡来したいわゆる「高麗神族」が
それまで文字も道具も言語も持たず火すら使えなかった倭原人を領導して
日本を建国したというのが現代の世界的共通認識であり
それ以前の遺跡遺物や伝承のたぐいはすべて偽物偽史だとみなされている
つまり当時の力関係は朝鮮半島>日本列島ってことだな
まあ当たり前だけどな
なぜか低学歴のネトウヨは発狂するけどw
倭猿がシルラから古来より受け継ぐ神器を奪ったという言い伝えの銅鐸か
大和民族を落としたい奴らの策略に嵌ったらダメ
環大阪湾は国生みの舞台
中国南部からの渡来人と縄文系の人々が仲良く共存しいち早く混血が進んだ地
すなわち大和民族誕生の地
Y染色体ハプロタイプを見ても、日本全国皆同じ
同じ日本民族
八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀と書かれてある。なぜ大阪で行うのか?
後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。
○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば 津守経国
八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。
○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば
淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ 仁徳天皇
難波の崎からオノコロ島、淡路島見えるとある。
古代の人々は国生み神話は、大阪湾の話であるのを当たり前のように理解していた。
>>275
その時代の朝鮮人は滅ぼされたか日本に亡命してるからなあ >>278
軍事国家ではない文化国家だったんではなかろうか とりあえず鍵のかかるところに保管してカメラ設置しろ
高槻の山砂利に埋まってた奴か
残りは生コン業者が採石場で潰して無かった事にしてたっけ
環大阪湾やなにわは日本人皆の故郷
和歌にもそう歌われている
古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども
>>152 の朝鮮側の記録を見て解るとおり、倭国はかなり好戦的。
卑弥呼の時代の前後にも頻繁に半島出兵してる。 九州王朝は西進と東進両方やったのかね
・・・それか朝鮮人がひたすら西進か
>>278
仲良く暮らしたのは九州の方の遺跡に多いんだが・・・
九州には甕棺が発達していたので人種が良く調べられているんだよ。
一つの遺跡で弥生系と縄文系が混在している事が報告されているんだが・・・ 銅鐸は出雲勢力だろ。
近畿から東にかけて広範囲に出てくるのは
神話通り同族縁者の分散された勢力圏があった証拠
出雲自体半島との繋がりもあった様だし
記紀は大和主体の記録になってるが、国譲りで融合される前の出雲伝承もそのまま流用されてるんだろ
>>253
インゴットでの輸入ってのは考えられないな、インゴットが産出してない。
一番考えられるのは貨幣の輸入だよ。 中国大陸での戦乱の結果、敗者が半島経由で島国日本へと渡った
それを追って、大陸から島国日本まで行くのは非常に困難
(そもそも大軍を船で輸送するにしても、大量の真水の確保が容易ではない)
よって、半島の朝鮮を蹂躙し、そこでとどまった
逆に朝鮮に残った勢力は蹂躙されまくった
その結果、火病国民が大量に発生した
物部、と書くと普通に歴史知ってる人は「もののべ」と読むだろうが
淡路島には物部(ものべ)という地名があるそうな
むかしむかし物部氏の所領だったのだと学校の先生が言ってたな
ネットで見ると物部氏は百済の黒歯氏と関係が深いとか何とか
歴史の縦糸に横糸が加わってくみたいで面白いなと
>>235
淡路島まで九州勢力が来てたのか
ということは瀬戸内の国々はほとんど九州の傘下だったんだろうな 南朝鮮までが日本だったんだよ
日本海が瀬戸内海みたいな感じで国家が出来てた
>>295
通りすがりですまんが、あんまり「傘下」という感じじゃないと思う。
アヅミやムナカタなんかの海人の膨張は、獲物を求めて浦や浜を
移動していく感じだから、そもそも「版図(領土)」への執着がないし、
特に故地との間の兵站が必要なわけでもないのだ。
糸が切れた凧みたいなもんかなとw ニギハヤヒとナガスネヒコみたいな重複権力基盤がデフォ
>>76
関係ないけど三国志に出てくる曹操の子孫が大阪に渡ってきてるね 淡路島は朝鮮半島の物を使っていたのは事実なのだから、
淡路島は朝鮮半島の領土だ!
九州と本州では埋葬方法が全く違うので同一民族とは言えない
本州の埋葬法は韓半島で行われていたのと同じ。
半島南部も九州、本州も開拓したのは徐福で
稲作も製鉄技術も銅鐸も徐福の技術者集団が起源なんだろ
>>277
このY染色体とかハプロとか言ってる奴って自分が何言ってるか分かってるんだろうか
Y染色体とか減数分裂とかって中学だったよな?
ハプロとか主張したのは生物学の基本を知らない門外漢が適当ななんたら学とか作っただけだし >>304
現在、サムスンギャラクシーを販売している地域はすべて大韓民国領土であると世界にアピールすればいいと思うよ。 銅鐸は日本独特の物で中国にも半島にもない
また九州の銅鐸は西日本に遅れて現れる
銅鐸は最初畿内、淡路周辺で出現して広まっていく形になっている
青銅器の祭祀を見ると弥生時代の各地域の文化や勢力的な範囲が見えてくる
よく言われる銅矛、銅鐸文化圏というのも九州で独自の銅鐸が出るなどの発見はあったが、
九州の銅鐸は西日本に少し遅れた形で現れ分布の規模も限定的な傾向を示しており出土の傾向は変わっていない
>>292
元の金属貨幣は金属そのものの価値で値打ちが保障されてたから
地金と考えてもいい >>305
琵琶湖沿岸で出土した遺跡の埋葬方法なんかも、まるっきり半島式なんだよな
半島から渡来した人たちは九州ではなく、畿内方面に多く入植しているようにも見える >>319
貨泉なんてその代表だね
貨幣として使ったのではなく鋳つぶして銅鏡や銅鐸にした >>272
笑えるw
どこの低偏差値校を出れば、そんなとんでもない妄想ができるんだ?
キチガイと大差ないじゃないかw >>320
具体的に近江のどこの遺跡と半島のどこの遺跡で、いつの時代での同じような埋葬方法が発見されているのかを書いてみなよ >>320
渡来とか入植という表現は誤解を招く
それらの実態は虜囚や戦争難民だよ
半島からの亡命貴族や降将に対し、そのような人々を労働生産者として与えた
だから生活様式が同じであるならば、分散して奴婢として扱われたのではなく
一定地域でまとまって、集団で緩やかに統率されていたということだろう >>325
時代は下るが、弘仁新羅の乱なんかは典型的な例だな
東国の新羅人が反乱起こしたやつ と言ってもまだこの一帯が今のアマゾン密林奥地の様な場所でそこで暮らす裸族と同じ様な規模の集落なんだろ。
>>317
今も昔もチョンは密入国と言ってんだよ
違うのは昔は許可を出した
お前らには許可を出してない この系の考古学ネタはすぐに半島ネタを喚き散らすバカが湧いてくるからまともな話にならんな