京都銘菓「八つ橋」を製造・販売する老舗「井筒八ッ橋本舗」(京都市東山区)は4日、のれんや商品説明書などに「創業元禄二年」と事実と異なる記載をしたとして、別の老舗「聖護院八ッ橋総本店」(同市左京区)に不正競争防止法に基づき記載の差し止めと600万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。
聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」とコメントしている。
訴状などによると、井筒八ッ橋本舗の創業は1805年。聖護院八ッ橋総本店は元禄2(1689)年の創業としているが、八つ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はないと主張している。
【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/idJP2018060401002251 全裸にパンストだけで1時間ほど近所を歩いた 途中でオナニーもした
すごく幸せ
生八ツ橋ってなんかイヤらしいよな
今日家行っていい?
じゃあ生八ツ橋もさせてくれる?
創業が何年だろうが別に困りはしないが嘘は良く無いな
どっちにしろ八ッ橋はマズイから嫌い
どっちでも良いよ美味しければ
どっちもまずいんだけど
井筒の息子が不遜な態度で記者会見してたのはいただけないな
爺も95歳で耄碌したんちゃうん
そういゃあ京都といえばエビ芋使ったいもぼうで元祖本家問題起こしてもめてなかったか?
元禄2年と表示したときから異議を言ってなければ元禄2年でないことは異議を言った方の証明が必要だろ。
>江戸中期にあたる1689年(元禄2年)に、聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店にて供されたのが始まりとされる。
wikiにこのように書いてあるので井筒の負けな
>>訴状などによると、井筒八ッ橋本舗の創業は1805年。聖護院八ッ橋総本店は元禄2(1689)年の創業としているが、八つ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はないと主張している。
コレは井筒親方が悪い
貴乃花親方が正しい
なんだよ、八ツ橋って起源不明なのかよ
京都名物とか信じて損した
八つ橋戦争とかかっこいいな!
もし広島なら「もみじ饅頭戦争」だな
秀吉の北野の大茶会にでたという長五郎餅とかの方がずっとありがたいのか
>>26
名物には違いない
餃子だって宇都宮で生まれたわけではないが宇都宮名物だ 東山区 対 左京区
左京区の圧勝なんだろ京都的には
西尾のほうも同じようなこと言ってるのに訴えられないのは、聖護院のほうだけ嘘だと思ってるのか?もしくは
聖護院は、昔は言ってなかったとか?
本家西尾八ッ橋
元禄年間に聖護院の森の黒谷参道に八ッ橋屋梅林茶店として創業し、1689年(元禄2年)に八ツ橋の原型が誕生。
差し止めはともかく損害ってなんだろうな
「そんなに古い創業の記載がなければ、ウチの方が売れたはずだ!」って感じ?
八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日(1685年7月13日))
八橋検校の琴が由来だと思っていたが、西尾は変なエピソードを由来としている
>>38
井筒は八つ橋を世界に広めた西尾には敬意を払ってるけど
西尾に断りなく勝手に起源説唱え始めた聖護院のことは昔から嫌っとる 京都で老舗、それも17世紀を巡っての論争・・・・
関東民から見れば、マヌケに見えます。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ええかげんにせい!
欲ボケ。努力なくして儲かる利権を守ろうとする業界そのものが腐ってる。
バカな消費者の責任でもある。
ネットで見ると西尾が一番うまそうだな
あんこ詰めてないペラペラの生八ツ橋とおまんがうまそう
以前、オーストリアでどっちがザッハトルテの元祖かが争われた裁判があったな。
どこから損害賠償が出てくるんだろう
「ウソつくな!」
話じゃないの?
なんの文献に載ってるんだ
文献の名前出したらOKだろ
>>61
【京都】八ッ橋の老舗製造会社が老舗ライバル会社を提訴
http://2chb.net/r/newsplus/1528100650/841
841 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2018/06/04(月) 21:04:17.48 ID:TTf0uTfp0
実際の歴史は、
1889(明治22)年 西尾為治が八ツ橋をパリ万博に出品し、銀賞を受賞。日本でも八ツ橋が有名になる。(西尾八ツ橋ホームページ)
1905(明治38)年 聖護院八ツ橋発売(山本候充,2004「日本銘菓事典」東京堂出版,p.173.)
1943(昭和18)年 井筒八ツ橋発売(前掲書,p.155.)
1946(昭和21)年 おたべ創業(社名は違う)(前掲書,p.155.)
1966(昭和41)年 おたべ発売(前掲書,p.155.)
1969(昭和44)年 社名をおたべに変更(前掲書,p.155.、今は株式会社美十) >>61
【京都】八ッ橋の老舗製造会社が老舗ライバル会社を提訴
http://2chb.net/r/newsplus/1528100650/853
853 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2018/06/04(月) 21:09:02.86 ID:TTf0uTfp0
江戸時代の八ツ橋の記録を簡単に探したけど見つからなかった。たぶん無いのだろう。
そもそも江戸時代の聖護院村なんて、単なる農村。菓子の需要は無い。
もし江戸時代の記録があるのなら、西尾さんのホームページに載せるはず。 八橋検校とやらが作ったんだから
その子孫が決めたら良いじゃない
>>61
鈴鹿家が借金のカタに西尾から経営権を取り上げたことなんか井筒のオーナーの親世代の話で普通に公文書に記録されてるだろ 京都の土産物産業界隈は今群雄割拠だからな
古都に来てハッタリの偽物買ってく奴多いから笑える
>>21
wiki
アハハハハハハハハハハハハハハハ 裏表があって排他的な京都人らしい争いだなww
京都人て日本一性格が悪いイメージ。
だから京都は大嫌いだ!
>>38
茶店始めた年であり自分ところが
八ツ橋作ったとは言ってないよ。
その文章だと。
八ツ橋って命名に近いところは
井筒が関係してるところは濃厚
聖護院のサイトの説明がいかに
も自分ところでって誤解しやす
い説明だね、創業年自体具体性
無いし。不誠実な内容だな 「本家西尾八つ橋」一択ですわ
清水寺門前の店で八つ橋食い放題で湯茶を配って無料休息できる
そこまでされたらここで買う 其れが人情というもんです
ええっ?聖護院と西尾って、遠戚だかなんだかで両隣並んで聖護院の門跡の通りで八つ橋売ってるじゃん。
明らかに八つ橋パクった新参者の井筒がなんでイチャモンつけてるの? 聖護院の跡取りが女性だからナメくさって因縁つけてるんだろうか?
一澤帆布の骨肉の争いもそうだけど、京都人の意地汚さがわかって面白いから外野的はとことんやってw
>>81
「奉納
文政七甲申歳壱月
聖護院村 八ツ橋屋 為次郎」
ですか。
八つ橋「屋」というのも違和感がありますね。
文化文政の頃は、八つ橋商 西尾屋 であって、八百屋とか乾物屋というのは一般的ではなかったのでは?
とすると「八ツ橋屋」というのは「駿河屋」とか「蔦屋」と同じく屋号であって、八つ橋を売っていた証拠にはならない。 >>74
石川県にはおまん小豆という特産の小豆がある
4ミリ程度の小粒なお豆で表面は黒々とした艷やかな皮で覆われているが
ひとたび皮を剥いてやれば予想外にうす色の可愛い中身が飛び出てくる >>79
キューベーが何とかしてくれるはず
>>44
西尾の八ツ橋は愛知の知立市の無量寿寺で売ってるときがあるよ。ここが八ツ橋の発祥? >>83
七味家本舗のとんがらし
大安のべったら
松葉のにしん 岡山の吉備団子も本家と元祖が隣同士でいまだにけんかしてる。
どっちもまずくて地元民は大手まんぢゅうばかり食ってる
>>69
すげえな、聖護院=門跡の格式も知らないニワカが京都語ってるwwwww >>83
色々あるけど、自分的に一番嬉しかったのは京美人のLINEのID
東男に京女というからな 京都は意外と良い手土産がない
生八ツ橋はありきたりだし 近年の抹茶○○ラッシュもうんざりさせられる
残るは阿闍梨餅と麩まんじゅうくらいか
>>92
伊勢物語で男(在原業平?)が東くだりした時に、三河で
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
で詠んだのが、知立市の八橋かきつばた園付近だそうです。 >>83
美玉屋のくろみつ団子
それ以外の餅菓子もおいしい
あそこの餅生地はクニュクニュした食感で好き >>79
将軍でも京都にはあんまり厳しく言えなかったんじゃないの? >>100
阿闍梨餅アゲも多過ぎて食傷気味
ステマ入ってるレベル 京都駅でやる気のない売り子のオバハンが、低い声で「夕子でーす」って店頭声掛けしてた。
あれから、夕子と言うと場末のスナックのママのイメージしかない。
>>101
かきつばたの句が有名ですが、八つ橋が出てきます。
伊勢物語 第9段
むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
「京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに」とて、行きけり。
もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。
道知れる人もなくて、まどひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭におりゐて、乾飯食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、
からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。 なんだかんだいっても小豆使った食べ物はたい焼きが一番美味しいな
帝都物語の加藤は、八つ橋が大好物だったって知ってた(^ ^)
>>107
聖護院門跡や熊野若王子もあって江戸時代も参拝盛んだったから土産を売る茶店があってもおかしくないだろ 八つ橋がそんな昔からあるとは
ニッキはどうしたんだろか輸入してたんか?
>>116
自己解決
ググッたらこんなんが出てきました
江戸時代にシナニッケイの樹木が伝来し日本で栽培が始まった 餅だけならなんとか食えるが
いろいろ具を入れれれると不味くてかなわん
>>1
はぁ?
会社の創業年って、別に八ツ橋製造開始年と関係ないだろ。
任天堂の創業が1947年で、
「そんな昔からテレビゲーム無い」
と言うのと同じじゃん。 八ツ橋うまいだろ
俺は好きだ
むしろ東京の雷おこしがクソマズい
俺東京者な
創価学会、警察と在日マフィアによる集団ストーカーの証拠動画
(警察車両ナンバー入り.)
怖ろしくてお漏らししそう´・ω・` あぶり餅も向かい合って、我こそは本家と張り合ってるわ
記録が残ってる方が勝ち
幕末に京都は焼けてるけどその辺をきっちり資料だせば簡単に決着
明治以降に書いたものは捏造ばっかり 神社とか相撲協会とか全部インチキ
信玄餅と安倍川もちも、元祖をはっきりさせて欲しい。
>>122
聖護院八ッ橋総本店は、HPで元禄2年(1689年)現在の本店の場所にて八ッ橋を作り、
販売をはじめ、以来三百二十年余りに渡り八ッ橋を製造し続けています。
って内容ちゃんと書いてるから。 ふたばの豆餅も八つ橋もゲロマズ。
美味いもんは大阪に行けばなんぼでもある。
>>125
でもあれプロレスみたいなもんなんやで。
年末休みの日も二軒で合わせてたわ。 >>132
名物には美味いもんは無いで
八つ橋と比較するなら昔からある大阪名物の菓子「岩おこし」な >>126
明示より前の記録が残っているのなら、本家争い、元祖争いをしているわけだから、
西尾さんか、聖護院さんがホームページに資料を発表するはず。
それが無いのだから、資料は残っていないと判断するのが妥当。
東洋文庫の近世菓子製法書集成 1、2に
古今名物御前菓子秘伝抄、古今名物御前菓子図式、餅菓子即席手製集、菓子話船橋、
南蛮料理書、鼎左秘録、古今新製名菓秘録
という江戸時代の料理、菓子についての翻刻がある。
まともな索引がついているので見てみたけど、
外郎、かすていら、葛粽、鶏卵素麺、コンフェイト、薩摩羊羹、塩瀬という感じで色々でてくるのに
八ツ橋は出てこない。
江戸時代に八ッ橋という菓子は無く、西尾さんが八ッ橋屋と名乗っていただけでは? 八ツ橋程度の安価な土産物にいつの創業とか地元でも誰も気にしてないわ
漬物屋みたいに仲良うせいや
昔からの利権絡みの遺恨に決着をつけたい。ということやな。
京都の土産もの物産業界は昔、商工会議所、ロータリー、ライオンズ、JCとかあらゆるところを二分して西利井筒グループと大安聖護院グループとが激しい戦いをしていたのだよ。
ああ懐かしいなあ。
でもね、京都のお土産なら、なんかトタン屋根みたいな焼き菓子が美味いと思うんだ
>>119
肉桂について >>139 の「近世菓子製法書集成 1、2」の索引をみると
椿餅という蒸し菓子と、錦浜という練り菓子が出てくる。他はポルトガル料理。
で、錦浜というのは、求肥に肉桂と白檀の粉を練り込んで、形に切って、上に紅砂糖を塗って仕上げる。
錦浜は生八つ橋に似ているように思う。
でも焼いた八ッ橋に似た菓子は出てこない。
ということは、肉桂を使った焼き八ッ橋は江戸時代にはなかった可能性が高い。 生八つ橋はどこでもいいけど
ノーマルの焼いた八つ橋は聖護院の方が好き。
でも創業とかどうでもいい。
どっちのお店の商品も食べられるかたちで収まってくればそれで。
>>145
前スレで画像たっぷりで紹介されてた(;´Д`)ハァハァ
男はみんな聖奴院の味方 >>150
こっちも京菓子の専門書出してきたけど八ツ橋の記述がないw
「門前菓子」の章もあるんだけどね つまり八橋検校由来ではないということかあ
残念無念
>>156
八ツ橋は、明治時代のパリ万博の時に、西尾さんが創作した菓子の可能性が高いですね。 生八ツ橋を最初に作ったところはどこなの?
八つ橋はたいしたことないけど、生八ツ橋はすごくおいしいよな。
>>157
西尾さんは江戸時代に「八ツ橋屋」という屋号だったので、伊勢物語の八ツ橋の段とか、八ツ橋検校に関連付けて、八ツ橋という菓子を売り込んだのかも知れません。
菓名の由来が、検校さんとか、在原業平さんとかで、菓子を作った訳では無いのかも。 >>159
あれはもともと隠しメニューみたいなもんで
店のはしっこでりっぱな包装もされず無造作に包まれて売られてた >>159
戦争中の食糧難の時に、八ツ橋は代用食として重宝されたみたい。だから、井筒さんやおたべさんは昭和20年ぐらいの創業。
その頃から焼く前の八ツ橋は売られていたみたい。
餡を入れた生八つ橋は、1966年発売のおたべが最初。 >>162
切り離さずにシート状で売られていたという話もありますね。 スーパー行ったけど八ツ橋売ってなかった
そりゃそーか
>>164
そのとおり
家に持って帰るとくっついて塊になっていたりする >>168
清水寺の参道などに行くと店頭で実際に焼いているぞ >>125
あぶり餅めちゃうまいがめちゃ高い
中に落ち着いた座敷があるのは観光タクシーの運転手さんに教えてもらった
京都は観光タクシー最強 唐菓子にも茶の湯にも出てこない
米粉の前に原型が無いのも不自然だろ
いきなり米粉の焼き菓子かよ
何より何処かに献上品になってたのか?
無名菓子がそんな歴史ある?w
>>174
宮中で供された有職菓子でもないし
大名屋敷や公家屋敷に出入りできる菓子司だった記録もない
裁判所で全否定されたらどうするんだろうな 創業年を気にして買う客がいるんだろうか
損害賠償を求めるのは無理があると思うが
八種唐菓子が訛って出来た呼び名がヤツハシだろ?
それ売ってる店がヤツハシ屋
八種菓子ではヤツハシと読めないから八つ橋に変えた
こんな感じだろ?
パンの消費率全国一とかでもわかるように
何気に京都は大陸の文化を最も色濃く残してるとこだよな
>>163
各社のサイトによるともっと古いらしい
井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生 かたことの日本語で八種唐菓子売り出した菓子やが
菓子を発音できずハシ連呼してたんだろ?
日本人売り子 「八種菓子いかが〜!」
三国人売り子 「ヤツハシイカガアルョ!」
こんな感じだろ?
>聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」
「弊社先祖代々の古文書や聖護院や京の有力者の文献に記録が残っており、
創業年も320年絶えず八ツ橋を作り続けていたことも証明できますビシッ!」
じゃないの?何故?根拠示せばいいだけやん?
>>183
おたべの先代社長によると、餡入りの最初はおたべ。
>井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
夕霧を商標登録した年を調べてみたら、シロクロがはっきりすると思う。今の商品名は夕子でしたっけ?
>聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生
商品名が書いてないのが不思議。現在の商品名は聖かな? 聖護院八つ橋は悪質。本家八つ橋から賢八つ橋の販売を委託されたのを勝手に自分で作って売ってた前歴がある。1698年創業なんてウソ。生八つ橋でも井筒のパクリ。訴えられて当然。
夕霧は饅頭みたいなもんだからカテゴリーが違う
あん入り三角形は「おたべ」が最初
>>186
記録があるんだったら各社のホームページで紹介しているはず。
紹介していないと言うことは記録が無い。
江戸時代の菓子についてまとめた江戸時代の文献を見てみたけど、八ツ橋は出てこない。
八ツ橋は明治時代に西尾さんがパリ万博に出したのが最初では? >>179
>>184
八ッ橋は「八橋検校」(やつはしけんぎょう)っていう箏の音楽家からつけた名前だよ。
あの瓦みたいな形は八橋検校の箏の形からとってる。
箏をやってる人なら知ってるけど「八段の調べ」とか作曲した人で、バッハよりも古い。 >>1
これ聖護院がねつ造と主張するならその立証をするのは井筒だろ
ただ単に文献がないという指摘だけで立証になるのか >>194
根拠が無いのに歴史があると主張するのは優良誤認につながる。
ホームページで製品の歴史の古さを宣伝しているのなら、古さを立証する責任は製造業者側にある。 でもねでもね、
井筒さんのHPでは、八橋検校が亡くなって彼を偲んで作られた堅焼き煎餅が八ツ橋だって書いてあるんだよ?
亡くなったの1685年だよ?
八橋検校由来と主張しながら、そんなに古くないはずって訴えるのは合理性がとれないんじゃないの?
聖護院という名前からして井筒より断然古そうだけどな
そこの寺院の僧侶が茶席で出したのが発祥だろ?
>>197
茶の湯に出すような菓子なら御用達の看板挙げてるだろ?
何処の御用達なの? 井筒八ッ橋は地方のデパートで売ってる印象しかないわ
雑魚が争うも、観光客は「おたべ」しか買わないですから!残念!\(^o^)/
当事者同士やりあうのは好きにすればいいけど
八ツ橋のイメージダウンになると思う
聖護院は「驚いている」とか言ってるが、今回の訴えの前から八つ橋協会が表記の撤回を求めていた
簡裁を通じて聖護院に調停案も出されていたので唐突でもなんでもない筈
記録もないのに300年以上作り続けたという法螺を吹き続け、指摘されても開き直っていた聖護院
かたやそのことをネチネチと指摘し続け遂に法的手段に訴えた井筒
ほんま京都の人間は性格悪いな