◆新極右「オルト・ライト」も結局は低迷
■カウンター勢力の活動と相次ぐ暴力沙汰で急失速
「ハイル、トランプ!(トランプ万歳)」――男は部屋を埋めた聴衆にがなり立てた。
「国民万歳! 勝利万歳!」
16年11月、米大統領選がドナルド・トランプの番狂わせの勝利に終わって程なく、リチャード・B・スペンサーは、ワシントンで白人至上主義者たちに熱弁を振るっていた。
スペンサーは、白人ナショナリズムの新極右勢力「オルト・ライト」の名付け親とも言われている論客だ。
ネットに拡散された演説の模様は、多くのトランプ批判派が最も恐れていたシナリオを裏付けるものに思えた。
トランプの登場が人種差別主義の極右勢力を勢いづけ、社会の主流に押し上げたように感じられた。
それから約1年半。
3月のある日、スペンサーはミシガン州立大学で演説したが、聴衆の数はワシントンの演説よりはるかに少なく、スペンサーも意気が上がらないように見えた。
「真の運動になるには、今のような生みの苦しみを乗り越えなくてはならない」と、スペンサーは述べた。
会場の外では、支持者が反差別活動家に数で圧倒されていた。
この日、最も衝撃的だったのは、そこに誰が来ていないかだった。
まず、講演の実現に尽力した弁護士のカイル・ブリストウの姿が会場になかった。
ブリストウはこれに先立ち、運動からの離脱を表明していた。
さらにスペンサーの盟友で、しばしばポッドキャストでユダヤ陰謀論を展開していたマイク・ペイノビッチ(通称マイク・イノク)もいなかった。
やはり盟友のエリオット・クライン(通称イーライ・モズリー)は、イラク戦争への従軍に関して嘘を述べていた疑いが2月に報じられて以降、公の場に現れていない(クラインは本誌の取材要請に返答していない)。
スペンサーの演説を拡散する上で大きな役割を果たしてきたネオナチ系ウェブサイトのデイリーストーマーも、この講演を取り上げることを拒んだ。
代わりに、映画のアカデミー賞を嘲笑する記事を大きく載せた。
<潮目が変わった昨年夏>
オルト・ライトはつまずき、社会の主流に受け入れられるには程遠い状況に見える。
運動は内部分裂し、ネット上での存在感も小さくなった(ツイッターなどのオンラインサービスが、差別的な書き込みを理由にオルト・ライト系アカウントを凍結したためだ)。
反差別活動家との暴力的な衝突により、マイナスのイメージが染み付いたと指摘する論者もいる。
■白人至上主義は分裂するのが普通
昨年8月の時点では、状況はまるで違って見えた。
バージニア州シャーロッツビルで行われた白人至上主義の集会「右派団結」には、1000人もの白人男性が集まった。
しかし、大勢の反差別活動家も現地に駆け付け、両者の間で小競り合いが起きた。
そして、極右思想の持ち主である20歳のジェームズ・フィールズが自動車で群衆に突っ込み、抗議に来ていたヘザー・ハイヤーの命を奪ったとされる。
大半の主流メディアはこの事件に衝撃を受け、共和党政治家もほとんどがオルト・ライトと距離を置くようになった。
逆風はまだ続いた。
昨年10月には、スペンサーがフロリダ大学を訪れた際に起きた発砲事件で、支持者3人が殺人未遂で逮捕された。
同じく10月にテネシー州で行われた集会は、抗議グループの半分しか参加者を集められなかった。
32歳だった白人女性、ケイト・スタインルの死をめぐる問題も見落とせない。
スタインルは15年6月、不法移民のメキシコ人男性が発砲した銃の流れ弾に当たって死亡したが、男性は裁判で無罪になった。
その評決に抗議してネオナチと白人至上主義者がホワイトハウス前に集まり、スペンサーやペイノビッチのようなオルト・ライトの大物たちもスピーチをした。
選挙中のトランプが事件に言及したこともあり、オルト・ライトが勢力を誇示する場になっても不思議ではなかった。
Yahoo!ニュース(ニューズウイーク) 2018/4/20(金) 19:18
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180420-00010006-newsweek-int
※続きます