産経新聞
政府が「帰属未定」と主張する南樺太について、13日に実施された大学入試センター試験の日本史Bで「他国を植民地にしたり領有したりした」とする記述に関連付けた出題があり、旧住民や研究者から「古くからロシア領と読み取れ不正確」との疑義が出ていることが24日、分かった。
センターは取材に「(日本は1905年の)日露講和条約で南樺太を領有した」と回答したが、日露国境は江戸時代から変更が繰り返されており、条約締結時を切り取ったセンターの出題は議論を呼びそうだ。
この問題は、世界遺産に関する会話文から日本の近代化を読み解く内容。「近代国家となった日本が、軍事的にアジア諸地域へ侵攻し、他国を植民地にしたり領有したりしたことも忘れてはいけない」の一部に関連するとして(1)1906年の日露国境画定標石(2)関東都督府−の写真2点と白地図上の位置の組み合わせを選ばせた。
(1)と(2)は日露講和条約の翌年、それぞれ樺太と旅順に設置された。同条約で、ロシアは旅順を含む遼東半島南部(関東州)の清からの租借権や、北緯50度線以南の南樺太などを日本に譲渡した。
センターの大塚雄作試験・研究統括官は「設問は近代日本の大陸政策についての理解を広く問うた。特にここでは日露講和条約の帰結として生じた境界の変更を問うている。南樺太を領有し、関東州を租借地として獲得したことは、小中高校で学習する」と説明した。
これに対し、「知られざる本土決戦 南樺太終戦史」の著者、藤村建雄氏は「当時の感覚は『取り返す』。文脈から同条約時だけを切り取って『他国を領有』としており、あいまいで不完全な問題だ」と指摘する。
樺太では条約による国境変更が繰り返され、講和条約では日露合意の上で南樺太が日本に移った。江戸時代には松前藩や幕府が施政下に置き、明治政府も行政機関を設けていたが、問題文はこうした歴史に言及していない。
岩田温(あつし)・大和大専任講師(政治学)は「大陸政策を広く問う内容になっていない。問題文は日露講和条約の年を指しておらず、古くからのロシア領と刷り込まれかねない。教育基本法の『わが国と郷土を愛する』という観点から適切ではない」と話している。
樺太(サハリン) 北海道・宗谷岬沖約40キロの島で、北海道の面積に近い広さ。日露間で国境変更が繰り返され、現在はロシアが実効支配している。江戸初期の「正保御国絵図」に記載され、江戸後期の探検家、間宮林蔵が島であることを確認。ドイツ出身の医師、シーボルトによって世界に紹介された。日露戦争後の南樺太では最盛期に約40万人が居住した。先の大戦終結直前、当時のソ連が日ソ中立条約を無視して参戦し南樺太に侵攻。サンフランシスコ平和条約で日本は南樺太を放棄したが、ソ連は条約に参加しておらず、日本は南樺太を「帰属未定」と主張している。
![【歴史】センター試験の設問、「南樺太は他国を領有」に疑義 日本史B 「古くからロシア領」刷り込み懸念...政府は「帰属未定」と主張 YouTube動画>2本 ->画像>6枚](http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/a/2/a242a_368_9c02b55bf594a574dfcd4205c515eec6.jpg)