1/1(月) 12:27配信
Web東奥
東京・中野のキリスト同信会に保存されていた機関紙「おとづれ」。大正2年の大凶作時の記憶が静かに閉じ込められていた。左ページ3段目に「浅田又三郎」の名が見える
1913(大正2)年の大凶作に際し、青森県の状況を記した新聞が、東京・中野のキリスト教団体「キリスト同信会」で新たに見つかった。当時、藤崎町出身のキリスト者で実業家の長谷川誠三(1857〜1924年)が大量の救済米を購入したという逸話が知られているが、記事にはこの救済米が伝道とともに県内各地に配布されていった様子が克明につづられている。凶作史の一端として注目され、長谷川の事績を具体的に裏付ける記録にもなっている。
大正2年凶作の各種史料を所収する、県史資料編「近現代3」によると、同凶作の際、県内の米の収量は平年の2割程度。損失額は当時の県の総生産額3千万円の3分の2に当たる2千万円に上ったとされ、経済、産業はもとより、政治などあらゆる分野に影響が及んだ。
行政による救済活動のほか、日本メソジスト弘前教会などが救済組織をつくり、外米の廉価販売などを展開した当時の記録が多数残るが、県外からの民間の救済活動については、これまであまり知られていなかった。
見つかったのは、同信会の機関紙「おとづれ」。明治学院大学キリスト教研究所協力研究員の岡部一興さん(76)の調査の過程で、存在が明らかになった。同会の伝道者浅田又三郎(1878〜1944年)が、凶作の翌年の14(大正3)年3月から7月ごろにかけて、長谷川の協力を得て米や衣類、慰問用の新聞を配布して歩いたことを、浅田からの音信記事として伝えている。
「おとづれ」や「キリスト同信会100年史年表」(1989年、同信社)によると、伝道の期間中は合わせて約5800人が各地の役場や学校、公会堂などで行った伝道の集会に集まった。このとき、長谷川は私財20万円(現在のおよそ2億円相当)を投じて外米を用意したとされる。
このうち、4月の1日から20日までのことを記した7月の「おとづれ」の記録を見るだけでも、浅田の集会は「大鰐温泉西重旅館」「石川村役場」「浪岡小学校」など延べ35カ所で開かれ、米は計8トン以上を配布。長谷川は計27トンを用意していたと伝えている。
窮状の描写も生々しい。2月の現地視察の記事を見ると、浅田が長谷川の地元藤崎から浪岡、青森付近などを歩いたことが記されており「食するものもなき上に此寒中に小供に綿入を着する事を得ざる人もあり」「四日も何も食ふを得ずして飢に泣きをる老人などもあり」などと伝えている。
「縣下(けんか)にて最も悲惨に陥れる處(ところ)」とされた三戸郡では、松の木の甘皮を細かく
削って煮たものに、そば粉などを混ぜて塩で食べる「松皮餅」や、わらの柔らかい部分を細かくしていり粉にし、野菜や麦粉を少量混ぜて煮て食べる「藁(わら)こうせん」などを食べていたと記述。これらは「獣も厭(いと)ふほどのもの」で、実際に食べた人からの伝聞として「藁こうせんの方は喉(のど)にひりつきて呑(の)み込むさへ困難を感じ松皮餅は丸で半紙をかむが如(ごと)き由に候」などと書き残している。
県県史編さんグループの中園裕主幹は「大正2年の凶作は、青森県はじめ東北地方の疲弊を招いた。当時の悲惨な状況や、それに対応した県外からの慈善活動の様子が具体的に分かる『おとづれ』は、凶作史の一端を語る新出の価値ある史料」と評価している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180101-01122759-webtoo-l02 ネプチューンの3人組が旅館に泊まりにいきました。
料金は一人1万円とのことなので、3万円受付の人に払いました。
その受付の人が女将さんに3万円を持っていくと
「3人ならサービスで25,000円なのよ!!5000円返してきなさい!!」
と女将さんにしかられました。
受付の人は急いでお客さんに返しにいきました。
ですがここで悪魔がささやいたのです。
「ちょっとならパクってもばれないよ…」
と。
そこで受付の人は2000円を自分のポケットにいれ、ネプチューン達には一人千円ずつ返しました。
さてここでおかしなことが起こってます。
一人1万円払って1000円帰ってきたので9000円払ったことになります。
つまり3人で27000円払ったことになります。
それで受付の人が2000円もってます。
?
残り1000円はどこにきえたのでしょう?あ
ブルー フォレスト
ウェー クライ
ワラ デイ クゥフクゥ
シー ノー イーダー
タイ ショウ ダイ キョウサャク
>>3
>残り1000円はどこにきえたのでしょう?あ
きえてない 東北のやませ 飢饉のときは同時進行で魚もとれません山の幸もないです
>>3
元々3人で27,000円しか出してないよ。
そのうち2,000円を受付に女将に25,000円を渡しただけ。
なんで1,000円が消えたことになるのか? >>3
なんで残り1000円なんだよ。勝手に決めるなタコ! なぜ米を植えた?
小岩井牧場ができたのは明治だぞ。
百姓は教育を拒否したのか。
100%お上が悪いでいいのか。
いや、なんとかしようと人がいたけど失敗したのも知ってるけど。
ヤフー知恵袋は ブサヨやチンクさんの工作員がたくさんいるな
江戸時代にあった元禄の飢饉
元禄8(1695)年〜元禄9(1696)年
東北地方での冷害で
死者は11万人
食糧難になると食べれる物の争奪戦になるんだろうな
四川省の松葉サラダみたいなんあるし、工夫が足りないアル!
まあ、朝鮮半島では、
日本が統治するまでは毎年飢饉で大量に死人が出ていたけどな
日本が統治してから、朝鮮人の数がドンドンうなぎ登り
日本は朝鮮半島を併合なんてすべきではなかった
>>25
バカだな。
そうしたらロシアが南下して半島を植民地化。
半島の南部にロシア海軍の基地が出来てたぞ。 朝鮮は明治政府肝いりで近代農業、近代都市が成し遂げられていた。
いっぽう東北は終戦まで牛馬が耕し荷物を運んでいるような状況だった。
Summer Institute Summaries
ソウルは、全く同時に電気、トロリー式市街電車、水、電話と電報システムがある東アジアの最初の都市でした。
“Seoul was the first city in East Asia to have electricity, trolley cars, water, telephone and telegraph systems all at the same time.”
https://web.archive.org/web/20151121123530/http://orias.berkeley.edu/summer2007/Summer2007Summaries.htm
アジアを救った近代日本史講義: 戦前のグローバリズムと拓殖大学
韓国の経済社会の持続的な近代化にあったことはいうまでもありません。まずは農業の近代化でした。朝鮮総督府は、 ...
https://books.google.co.jp/books?id=gvVIBwAAQBAJ
3、日本における農業機械の歴史
戦前は牛馬耕が中心であり、耕うん機など圃場で移動しながら作業する機械は皆無であった。…
戦後の農地解放により農家の大部分は自作農となり、増産技術の導入を積極的に行なうようになった。
http://ageng.agr.hokudai.ac.jp/envit/2005/robot/robot%5B2%5D.html
随想・東北農業の七十五年 |馬飼育の衰退と馬肉、馬乳
農耕はもちろん運搬作業も当然のことながら牛だった。
それでも馬は市内でけっこう見かけた。
馬車引きの人に手綱を握られて重い荷物を積んだ車を引いてコンクリート舗装の道路をパッカパッカと足音高く歩く姿は今でも目に浮かぶ。 >>3
1000円は消えておらんよ。
計算が間違っているだけな。
女将さんは25000円受け取った。
返金は5000円。
そこでフロントがネコババして2000円懐に!。
残りの3000円を客に戻した。
つまり客は1人9000円払ってネコババされて
25000円を女将に渡っただけのことだす。
9000x3-2000=25,000円が女将さんが受け取った。
帰る時の挨拶で客が女将さんにサービスして貰ってありがとう。
ほんとに9000円でよかったンですか〜?とのたまいて見ろ!!。
フロントがネコババした事が知れ渡るぞ。ww >>25
同意。歴史を学べば朝鮮なんて価値がないことくらい分かるのにね。
チベットやウイグルまで征服した中国ですら手を触れない地域。
【論説】 憲政史研究者の倉山満氏 「朝鮮人を人間扱いしたから大日本帝国は滅びた」★2
日本人はハタと『半島と大陸は陸続きだ』と気づくのです。日本人の悪い癖に『問題を解決しなければならない病』があります。
日本は帝国臣民である朝鮮人の権利を守るため、中華民国と対峙することになり、満洲事変、支那事変と戦線を拡大し、大陸経営へと深入りして破滅していったのです。
http://2chb.net/r/newsplus/1385184274/
中国人「今日は日本と朝鮮がひとつになった日」「鬼子と棒子がひとつになった日」「笑えるw」「そろそろ第二次日韓併合条約かな?」 ( `ハ´)中国の反応ブログ
6.とある中国人
日本は経済と軍事は優秀だが、政治と外交はからきしだからね。
外交オンチが大韓帝国を併合してさぞ嬉しかったことだろう。
7.とある中国人
なぜ古代中国は近くにある朝鮮とベトナムを併合しなかったのか?
それより辺鄙な新疆、チベット、雲南ですら併合したというのに。
9.とある中国人
併合するには防衛線の拡大というデメリットもある。要らないんだよ。
15.とある中国人
朝鮮は植民地にする価値すらない。
20.とある中国人
「緩衝地帯」という概念を理解出来なかった人類史上最大の大馬鹿者が小日本だ。
21.とある中国人
笑えるw
今の韓国だけじゃなく、北朝鮮も含めて飲み込んだんだよな。
どれだけ朝鮮半島が好きなんだよ! もともと熱帯の産物であるイネが今のような植物になったのは大正10年の陸羽132号以降だからな
それに江戸時代があまりにも長く平穏無事であったせいで日本は生産力に比べて人口が過剰
昭和になっても日本は統治下の台湾と朝鮮半島から大量のコメを内地に移送してそれでようやく足りる状態だった
>>27
だから、緩衝地帯として、
朝鮮は国として独立したさせながら、
属国として日本抵抗に朝貢させて、
軍事基地とか農地、工業地帯、貿易地帯として使える所だけを
日本帝国の永久租借地にしとけば良かった
無理して存在自体が無駄で害悪の朝鮮人を直接に支配する必要は無かった 土粥を食べなかったのか?
土の中の栄養分を粥にして食べるやり方、松も藁も無い場所で飢饉を生き抜く究極の方法。
豊かな土壌だと太るぐらい栄養分を取れる。
>>35
漢字変換がおかしいな
独立したさせながら→独立させながら
抵抗→帝国 >>37
お前ならそれでも生きていけるだろうがな
遺伝子にミミズ成分が8割超だからな 😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♪
◇ 日本経済には60年の長期周期がある ◇
昭和の約60年は前半が経済周期の下側、後半が上側だった。
平成の約30年は下側だった。次の30年は上側の明るい時代。 現代は物流が発達して、
世界中の飢餓救済が行えるハズ、なんだが、
戦争やナワバリ意識の他に、
慈善を掲げて救済のために資金を募っておいて懐にしまう輩や、
慈善で支持や人気を集めて社会的地位を高めようという輩が多く、
大きく遅滞しているのが実情である。
掲載された内容が正しいとは限らない
マスコミ様がそう教えてくれた
その中を生き抜いてきたのがお酒に強くて中性脂肪を貯め込める遺伝子の持ち主
それが仇となって現代の飽食社会では短命となる
鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ (2015年時点)
ド ト ー ル グループ エ ク セ ル シ オ ー ル カ フ ェ 、星 乃 珈琲
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
vhbんんkんんっっっっっっっっじゅ
元旦と思えぬ、東北のわびしさを伝えるニュース
こんなんだから東北は過疎になってくんだと思われ
もっと楽しく生きろよ
飢えが怖いので、今はカップラーメンを毎日食ったり、
塩辛い物を食って短命に
戊辰戦争で官軍に逆らった罪で援助も名ばかりだったんだよな
温暖な地域の植物である稲を寒冷地で育てようとしてたからな
今は品種改良により冷害に強い稲が作られるようになったけど
八戸藩
東北、南部藩の支藩であり、南部藩領よりも北方に位置し小藩である八戸藩は本藩よりも深刻で
江戸時代中期の天明3年の収穫は実高から9割5分以上の減
翌4年も8割を超える減となった。南部本藩も困窮しており援助は期待できず、
天明5年の調査で藩人口6万5千あまりのうち、3万人が餓死していることが判明
その直後に伝染病が蔓延、さらに数千人が死亡
娘は身売りに出された時代
女衒という人身売買業者も存在した
東北の厳しい現実
こういうの見聞きする度に食べ物を粗末にしてはいけないなと思う
故にお残し出来ず太るのであります
>>37
現実に土粥が食べられるかどうかは証明されていない。大躍進政策時代の中国で、腹痛を訴えたのち死亡した者を医師が解剖したところ、消化器に泥が詰まっていた複数の例があり、土をなんらかの方法で食べようとして死亡に至ったものと推定されている。 >>1
わかるか?
こんな悲惨な状況に東北が陥っているのに、売国奴自民党の祖先どもは朝鮮半島に日本の予算をドカンとぶち込んでたんだぜ?
ふざけんなって思うだろ?
その癖が今も続いてんだよ!!! マナは?うずらの肉は?
信仰があれば神が養ってくださったのに
キリシタンは多くの移民先に謝罪するべきだよな
死刑が移民、開拓に成功すればさらに減刑っというのは、キリシタン側の都合だろ?
わたしたち日本人は飢えをしのぐためと理由を付けて豊かな中華人民共和国や大韓民国を侵略したのではないでしょうか。
中華人民共和国から公式に発表されているわたしたちが大虐殺した数は身元が判明しているだけでも数千万人。
記録にない方々を含めると数億になるのはありませんか。
そんなかわいそうな人たちを強制連行して飢えをしのぐため食べたのではないでしょうか。
想像しただけで恐ろしい。
>>53
この前も速攻で逃げたやんw
まあ俺でも逃げるけどさ 熊崎式の姓名判断によると、青森県って画数がよくないんだよね
いまさら青森、弘前とか変えられないだろうけど、あだ名、
ゆるキャラ、新名所、区画改変なんかの新地名に
大吉、大吉と狙って名づけていけば力になってくれる。
東北地方は北欧みたいにライ麦やじゃがいも文化になってれば飢饉も無かったと思うんだがな
江戸時代以前は難しくても昭和大正の飢饉は何とかできた
東北地方にパンを普及させればよかったんだがパン食は東京・大阪・京都のような都会で普及して田舎ではサッパリだった
青森県青森市で、母親を包丁で刺したとして、佐々木圭容疑者(22)が殺人未遂の疑いで逮捕されました。
恵さんはその後、搬送先の病院で死亡が確認されました
日本人は白米が好きだからパンは難しいのかもしれん
日本人に一番合う麦食は多分スパゲティだな
タラコやらイカやらタコなら海産物と相性良いし醤油味もイケる
東北地方は醤油と漬物大好きだからスパゲティ普及させれば良かったかもしれない
19XX年イーハトーブは気候の冷夏に包まれた
米は枯れ山野は死にあらゆる生命は消え去ったかと思われた…しかし人類は死に絶えてはいなかった
「ほいほいほほーい!」「返せー!」
>>41
商品作物の栽培が中心になっているのが飢餓の一因とも言われている。
ローマ時代からの問題だな。
おまけに昨今は燃料作物なんかもあるからな。 東北民にライ麦パスタとじゃがいも料理を普及させてれば飢饉は防げた筈
西洋化大好きな明治政府が何故それをやらなかったのが不思議
朝敵になった地区だから半分冷遇されてたのかもな
>>66
じゃがいも文化の欧州北部では18世紀に芋が大規模な疫病にやられて相当な餓死者を出しているので、
そう上手くはいかないと思われる >>72
大規模地主による土地の占有下が進行して商品作物ばかり植えていたのが原因。
ローマや漢なんかの滅亡や飢餓もそれが原因。
ソ連の飢餓輸出みたいなもんか。 一方当時の半島には湯水の如く金を使ってだな…
で、100年後の今も盗人しにくるわじゃたまったもんじゃないわな
失業率が20%超えるような事態になれば
非正規がこの状況になるんじゃ...
その時はもう社会保障で何とかなる時代では無いだろうし
>>72
明治政府も農薬、肥料の輸入、品種改良、土壌改良などで生産性を上げようとしたり
さつまいも、じゃがいも、かぼちゃのような冷害に強い品目の作付けやったり
はしてるが難しかったみたいだな >>37
岡山県の史料にレシピあったわ…岡山の土は栄養があるんだろうか
東北でもない瀬戸内なら草とか生えそうだけどな >>1
風間とおるは石食ったとか聞いたんだが
ワラの方がマシじゃね? ■ チョーセン
日本が併合してやるまでの朝鮮半島は、アフリカの土人以下の生活レベルだった。
1910年(明治43年)日本が朝鮮半島を併合し、毎年 日本の国家予算の3分の1もの莫大な資本を朝鮮半島に投下し、全てのソフトとハードのインフラを整備して近代化した。
全国に小中高大学校を設置し教育を普及させた。
民法刑法を作成した。
司法立法行政機関設置。
全国に電気ガス水道を整備。
全国に道路 鉄道 港湾を整備。
身分制度廃止。 戸籍が無かったので作成。
などなど
いまの金額に換算すると 30兆円X30年間=900兆円
これが太平洋戦争の遠因となったのである。
人類史上 最も鬼畜外道な民族がチョーセンなのである。