【坂本龍馬も教科書から削除される可能性が(写真:AFLO)】
暗記重視の歴史教育を見直すため、教科書の収録用語を現在の半分程度に減らすよう「高大連携歴史教育研究会」(会長=油井大三郎・東大名誉教授)が発表した歴史用語の「精選案」が波紋を広げている。坂本龍馬や吉田松陰、上杉謙信などが削除対象となっているからだ。実はこれまでも、歴史教科書の“人選”は、一般的な知名度と必ずしも一致していたわけではない。たとえば昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』の主人公・真田信繁(幸村)は教科書には登場しない。
幸村の末裔、仙台真田家13代当主・真田徹氏が語る。
「高校の履修時間内にすべてを教えられない、というのは先生方の言い訳に聞こえます。中途半端に世界史の知識を入れるぐらいなら、まずは日本の歴史をちゃんと教えてほしい。『真田三代』や『真田十勇士』は、講談や物語ですが、それを楽しむには武田信玄と上杉謙信の拮抗した関係やその後の関ヶ原の合戦など、時代背景を知っている必要がありますから」
“教科書から消される”ことに憤る末裔もいれば、“教科書に載せてほしい”と願う末裔もいる。問題はなかなか複雑だ。
関ヶ原で西軍から寝返った戦国武将・小早川秀秋の末裔、小早川隆治氏は“ご先祖は教科書に載らないままでいい”という立場だ。
「子孫の私だって小早川秀秋についてそこまで詳しくはありません。教科書や授業での暗記項目が多すぎると、“歴史の流れを理解する”という大事な部分が抜け落ちてしまいますから」
その小早川秀秋の離反によって命を落とした武将・大谷吉継の末裔・大谷裕通氏も「好きな人は自分で勉強してもらえればいいと思っています」と同意見だ。
精選案を出した高大連携歴史教育研究会の運営委員長である桃木至朗・大阪大学教授は取材にこう答えた。
「今回の歴史用語精選案は、すべての生徒が身につけるべき必須事項として、教科書本文に記載すべきと提案したものです。そこから漏れた人物を削除すべきという主張でもないし、注記や図に含めることを否定もしていない。目的は、あくまで歴史を“暗記科目”ではなく、考える楽しみを味わえる科目に転換すること。2022年には高校の新課程がスタートし、歴史の時間が減ります。現状でも時間が足りず、教師も生徒も、暗記教育に陥っている現状を改善しなければ、歴史離れはさらに深刻になると懸念しています」
教科書に載っていないところにこそ、面白い歴史ドラマは眠っている──そんなふうに考えるのがいいのかもしれない。
NEWSポストセブン 2017.11.30 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20171130_632903.html 家康だって豊臣を裏切ってるわけで
気にする必要がない
そもそも秀吉も然り織田を裏切ってるし
>>1
小早川はもともと東軍
戦いの最中に裏切ったわけではない いや、そういう雑魚じゃなくて議論に上がってる坂本龍馬や吉田松陰、上杉謙信の直系の子孫に聞けよ
小早川と言えば、ジャニの生公開処刑で脚光を浴びとったな。
さよならを言うのは、わずかの間死ぬことだ
レイモンド・チャンドラー
坂本龍馬なんて小説のモデルになる前は知る人ぞ知る的な人物だったんだろ(´・ω・`)?
>>13
別にいまでも松下村塾も吉田松陰も本文にないし >>1
>暗記重視の歴史教育を見直すため
暗記だけじゃ太刀打ちできない試験問題を出せば良いだけなのでは?
なぜ知識の量をわざわざ減らす必要があるんじゃ? >>7
裏切りというか下剋上だな
力がなければ、君、君足りえず
織田は足利を、足利は北条を、北条は源家をと因果は遡っていく 裏切り者のアル中だもんな。載らないほうがいいよな。
同級生は こはやがわ だったから こばやかわ とは違うと思う
KOEIのゲームやってて思うけど、戦国時代はカメラがなくてよかったよな
正確な顔がわからないから、みんな異常にイケメンになってるww
>>20
>暗記だけじゃ太刀打ちできない試験問題を出せば良いだけなのでは?
>なぜ知識の量をわざわざ減らす必要があるんじゃ?
暗記じゃ太刀打ちできない問題ってなによ?
そもそも知識量が多すぎるから暗記するしかない、って話になにいっとるんや 小早川隆治氏は毛利公爵家の子孫だから思い入れはなかろう
>>25
大村益次郎みたいに本人見ずに描いたリアルな肖像画があるせいで、
そんな頭だったと誤解されてる人もいるんだぜ そりゃ超絶美少年だった二代目片倉小十郎のケツ追っかけ回して
東福寺に逃げ込まれ、あげくは伊達政宗に「あんなのとは一晩でも絶対嫌だ」と
必死に拒否られたなんて黒歴史は暴露されたくないよなぁw
有名な日本の裏切り者w
大日本帝国時代に歴史の修正せかんから末裔がおるんやな
どっちかっていうと
織田有楽斎とか信雄の
子孫の方が自分だったらいやだw
>>1
必須で無いなら、覚える必要は全くない
それが今の効率重視、結果重視の勉強法ってもんだ 三国志演義や水滸伝楽しむのに中国の正史に詳しくなきゃならんってこともなかろう
忠臣蔵だって教科書には出てこんのだろう
いやいや 小早川さんは必要でしょw
これ400年以上も続く、鹿児島県民が歌う歌詞
5、東軍威望の恃みあり 西軍恩義によりて立つ
二十余万の総勢の 勝敗何れに決戦や
6、戦い今やたけなわの 折しも醜(しこ)の小早川
松尾山をかけくだり 刃(やいば)返すぞ恨めしき
>>36
土肥氏を名乗った子孫がいる可能性がある
>>1の小早川隆治氏は毛利宗家の元昭氏の孫なんで、血縁関係はない
だから、全然末裔じゃない 小早川秀秋に子孫なんていたのかよ
無嗣断絶したのに
小早川隆治さんは「小早川隆景」の流れで明治時代に毛利家から分家した家の子孫だから、
秀吉のごり押しで養子に入った秀秋とは、まったく無関係だと考えていると思う。
秀秋の墓は岡山だけど、小早川家嫡流の墓所は三原市にあるし
小早川はむしろ原哲夫の影武者徳川家康で
「朝鮮出兵の時に抵抗できない女子供の首ばかり取ってたクズ野郎」
と描かれていた事の方が問題だろ。(ちなみにそんな史実はない)
関東ローム層とかスッカスカなところからやらずに
明治からこっちを1学期からやって
その後、飛鳥時代くらいから江戸までやって
年明けくらいから縄文、弥生を流せばいい
戦国時代のラストを飾る天下分け目の戦いで勝負の行方を逆転させた裏切り者だろ
歴史だけじゃなく道徳の教科書にものせていいぞ
教科書に乗らなくても日本人全員
お前のこと忘れないから問題ない
>>11
>坂本龍馬や吉田松陰、上杉謙信の直系の子孫
いねーよw >>13
> 吉田松陰とか消したら明治維新とかどう教えるんだ?
英国の傀儡となった朝鮮人士族クーデターだよ
普通に歴史を詳しく勉強すればそれ以外に説明しようがない >>37
関ヶ原の戦いで東軍に決定的な勝機をもたらしたからな
一行で十分なので載せたほうがいいですぅ 実は西軍は小早川もそうだけど、毛利、吉川、小早川とこの3家共にカス扱いしてるのなw
立花宗茂、島津義弘は相当にブチ切れてる
>>41
へえ、怨みを持ってるんだな
でも関ヶ原では島津も似たような立ち位置じゃね >>43
ほんとこれ
お取り潰しになったのには?子孫?ってなった 大谷はともかく
小早川、てめーはダメだ
裏切り者の代名詞くらい知っておくべきだろ
上杉謙信はそれだけで教科書1冊分の価値はあるけどな
本家筋の毛利が
徳川から離反して明治維新を為したんだし
小早川が何しようがどうということはない
>>54
島津の関ヶ原への怨みは半端ないよ
敵中突破して鹿児島に帰ってきた島津義弘は捨てがまりした豊久の母ちゃんワンワン泣きつかれ、めっちゃ殴られたんだとw そっから義弘は精神的におかしくなったし 小早川って若いのに関ヶ原から数年で死んだだろ?
心労かね?
>考える楽しみを味わえる科目
結果に対する原因をどんどん追いかけていくことになるから必然的に覚える人物の人数はふえいてくだろ
>>53
志村けんのコントそのものだからね
「ここに3本の矢がある…。1本だと簡単に折れるが3本だと…あれ?w」 教科書を読んでも授業で取りあげるのは
全ページの中から50ページもやらない
せいぜい20ページ
【日本史三大裏切り者】
源頼政
足利高氏
明智光秀
小早川秀秋
>>69
アルコール依存はあるかもな
酒に逃げるしかなかったのかも
自分から裏切っといて何を今さらって感じだけど 明智君は信念をつらぬくとか色々美化されてるのに小早川さんは‥
>>56
>>65
実は関ヶ原には続きがあるんだよ
毛利軍は無傷で大阪城にいた。
ここに遅れた立花宗茂軍が到着。
敵中突破してきた島津も合流。
ここで籠城して家康迎え撃つ計画だったのに毛利輝元があっさり開城。
立花と島津はぶち切れて帰っていった >>68
おそらくほとんどいない苗字なのだろう
今までの人生で周りでそんな苗字聞いた事も見たこともない >>63
アル中らしい。秀吉の後継者から外されたり、朝鮮半島に渡ってチョンと関わったりとストレス溜まるわなり >>12
よく言われるけど小早川が西軍についてたとしても徳川が負ける可能性は
ほとんどなかったよ 子供なしで早死にしたはずなのに
なんで末裔がいるんだ!?
小早川を裏切り者とだけ言うのは、歴史を知らないから。
日本人は武士集団というのは、忠義を尽くす集団だという見方をするが、
実際は猛烈な日和見主義。論功行賞があったのだから当たり前。
かえって、どうして徳川家康が小早川を東軍側に引き寄せられたのかを、
研究するべき。
>>76
宗茂の義兄弟だった
毛利秀包の立場がかわいそうで 当たり前の意見だろ。
石田三成の子孫がこんな事言ったら英断だが。
>>79
なんで?
小早川の裏切りがなかったら、吉川、長宗我部が動くでしょ >>70
まぁ400年経っても日本国民の大半が知ってる
ってのは案外悪くはないけどな
この世には歴史に名を残す為だけのために
アルテミス神殿焼いた奴も居るから
そいつは望み通り「ヘロストラトスの名声」と言う慣用句の中で
2000年経った今もその名を語り伝えられてる > 幸村の末裔、仙台真田家13代当主・真田徹氏が語る。
>
> 「高校の履修時間内にすべてを教えられない、というのは先生方の言い訳に聞こえます。中途半端に世界史の知識を入れるぐらいなら、まずは日本の歴史をちゃんと教えてほしい。
> 『真田三代』や『真田十勇士』は、講談や物語ですが、それを楽しむには武田信玄と上杉謙信の拮抗した関係やその後の関ヶ原の合戦など、時代背景を知っている必要がありますから」
何言ってんだコイツ
履修時間を無限に確保しろとでもいうのかね?
講談を楽しむために日本史を教えろとかアホじゃね?
ほんとうに必要なことが教えられていないのではないだろうか
で、載っらたら載ったで売国日教組とかお前ら叩くんか?
>>13
それよりもジャンプだよ
銀魂の松陽先生の元ネタが誰だコレになるじゃないか 日本の精神的支柱を消して日和見主義を載せるとか、主導してるのは何者?
中学生位の歴女のブログで「小早川の小倅」呼ばわりされてるの見た時は流石に気の毒になったな
でも、思うんだが、
そもそも、教科書に載ってるからって、暗記しなきゃいけないっていう画一的な教育が問題なんじゃないの?
暗記が辛いから名前消すって流れなんだろ
>>62
大勢が決まるまで動かなかったくせに何言ってんだか・・・としか思えない。 >>84
生涯レッツパーリィだった伊達政宗の中二病っぷりはもっと評価されるべき
>>91
大谷吉継の子孫がゴニョゴニョした答えなのはそういうことでしょ
ハンセン病だなんだとあらぬ方向で騒がれるなら表に出ない方がまだいいと んhkのヒストリーで鼓舞する末裔はメンドクサイすぎ・・・
島津義弘の敵中突破撤退から島津家がほぼおとがめ無しで生き残り、
子孫が倒幕果たした流れは教えるべき。
江戸時代に一般庶民が皆知っていた
武田上杉や小早川や真田という名前を
歴史の教育から除くことは
日本人のアイデンティティを奪うようなものだ
日本史の中で一番おもしろい部分を教えないでどうする
>>93
日和見主義が大半で、三河武士が特殊だったんですよ。 >>103
まぁ江戸時代の人が皆知っていた曽我兄弟とか山中鹿之助なんて
今じゃそこそこの歴史ヲタクしか知らんし(´・ω・`) >>100
知れば知るほど天才としか思えない伊達政宗 自分のご先祖様は殿様から虐められて
川から落としたお金を探させられて
見つけるまでお金をさがさせられたらしいから
原因があって拾わされたにしても、そんな土地に昔から住んでるわけだ
>>99
島津は動けなかったが正解
1200しかいないんだよ?
関ヶ原クラスで動いたら瞬殺さるわ 小早川の裏切りは歴史の分岐点だから載らないわけねえだろアホか。
歴史が変わった行為じゃねえか
島津こそ日和見じゃねえか。
催促されたのに動かず、偉そうな態度で様子見てて逃げ遅れただけじゃねえか
じゃあ変わりに小野木縫殿助を乗せよう!
小から始まるしフルネームで五文字だし丁度ぴったり!
>>101
こんばんは、松平です。
歴史を大きく動かした「その時」には、
その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。
今日の「その時歴史が動いた」は、
私がタクシー運転手を蹴り殺そうとした「その時」をご紹介します。 小早川秀秋が誰と血縁関係があるか知られてないのが一番不思議なんだけど。
小早川秀秋は毛利とは血が繋がってない
秀吉の妻高台院(おね)の家系で養子
毛利が裏切り者扱いされるのは腹立つ
とりあえずチンピラ坂本龍馬を教科書から消すのは正しい
小早川はもともと居た西軍の武将を追い出して松尾山を乗っ取って
その時点でもう西軍じゃなかったんだよなあ
今でいうところの一円硬貨らしいけど
口は災いのもとだとは思う
よく一円を川からさがさせて拾わせたな
>>107
我に七転八倒を与えよとか願ったスーパーマゾな山中鹿之助はもっと有名になるべきだよな。
籠城戦で5倍の敵を倒したっておまけもあるし。 >>116
なあに、吉川広家だって内通していたじゃないか >>9
一時資料に基づく
最新の研究では
小早川は合戦当日の早々に東軍の立場を示して
東軍諸将達と示し合わせて
機を見て一気に西軍を壊滅させた功労者らしいな
若輩ながらもかなりの戦略家だったらしい
「死人に口なし」で
後に悪者にされたんだな >>116
両川のもう片方も裏切ってるしいいじゃん しかも歴史の書物に書かれてあったらしく
今もご先祖様がさらされてる
>>104
三河武士なんて日和見主義の典型だろ?
一色が不甲斐なかったこともあるが、松平、織田、今川、武田と徳川まではぶれまくりw >>1
ポストセブンよ、そういうプロパガンダって良くないと思う。
上杉謙信や武田信玄で地域活性化され、経済が回っているのに。
東大の圧力か。
キタネーな、東大、学閥。
何処の圧力だよ、それを書け。暴け!!
メディア人は風通しをよくしろ!! 小早川は最初から最後まで徳川方だったのになぜか味方だと思い込んだ石田方が悪い
>>112
関ヶ原の前に島津軍が石田三成になにされたか知らないだろ? >>123
海軍乙事件の福留繁も驚異のクソなんだけどマイナーなんだよなあ 載らないってのはホントに丸々記載しないのか?
テストに出さないとかでなく?
事件とかの説明のとき色々不都合がありそうだけど
慶長の役に参加してたとか万が一チョンにバレたらまずいもんな
一番裏切り者は黒田長政だよ
あいつが福島正則や加藤清正を家康派に取り込んだから秀吉恩顧の大名が二手に別れてしまった
関ヶ原の功績で福岡の土地を手に入れた
長政の教え?が浸透してるのか福岡は今でも大阪や関西を敵対視し東京になびく
西日本の裏切り者の土地 それが福岡
小早川秀明・・・西軍を勝利に導いた英雄として後世まで語り継がれる。
>>139
中津城の捏造天守はどうかと僕も思う・・・ 小早川は戦後処理でいじめに合ったようなもんだよ。
東軍をまとめるためのいけにえだ。
戦果的には小早川に関ヶ原のVIPをやっても良いくらいだ。
くされ家康が
当たり前だろ。
小早川クラスのマイナーキャラを一々教科書に載せてたら何百ページあっても足りんわ。
先祖代々カスしかいない土地柄だったのは間違いない
コップの中の争いは見苦しい
>>62
職場放棄した義弘だから同情できんわw
それが通じるなら、三成、吉継、秀家、行長の
方が、よほど泣きたいわな >>128
俺のご先祖様は信長の野望で爆弾代わりに使われてる・・・ お前ら日本史なら名前が出るかも怪しい
陶晴賢とか山中鹿之介とかメジャー武将みたいに語るよね
何処で情報仕入れてんのよ?
小早川は東軍だったけど、三成に「関白にしてやるよ」と言われて揺れた
だから、秀秋はむしろ東軍から西軍に寝返ろうと考えたというのが正しい
「やっぱやめた。治部嫌いだし」と大谷吉継を攻めたところで戦いの帰趨が決した
そういえば関が原の小早川陣中には柳生五郎右衛門宗章が
新陰流逆風の太刀で敵をバッタバッタと斬り殺したらしいね
柳生五郎右衛門宗章の大活躍でも載せとこうかw
日本の歴史の偉人・著名人の中でその知名度と共に『最も嫌われている』人物だと思う
小早川秀秋に勝る奴は誰一人として見当たらんわ
>>151
その二名なら毛利関連の本読めば必ず記憶に残る >>151
信長の野望だろ
令制国名も、各地の主要大名も、ゲームで簡単に覚えられる
マンガ日本の歴史を読めば歴史の流れも分かる むしろ大谷や真田よりもよほど小早川の裏切りは歴史を左右してるだろ
高大連携歴史教育研究会
こいつら怪しいわ。
メディアと連携してるような感じもする。
真実が益々奥に潜んでしまう訳でしょ
それを意図的にやろうとしている違和感。
関ケ原の戦いはさすがに教科書に載るだろう。
でもって、その戦いの結果に重大な要因になった小早川も教科書に載るのでは?
俺の歴史認識だと
・西軍と東軍が5分の戦い
・西軍の小早川が東軍に寝返る
・東軍圧勝
のはずだが
そもそも関ヶ原ってかなりの武将が
西軍、東軍の両方と内通していてどっちつかずだったから
決めてになった小早川が悪者にされただけ
>>110
大谷吉継は、1500人で最前線を支えたけどな 俺、波多野とかいう武将と関係があるらしいんだけど、どんな武将なの
小早川ヒデアキ
黒髪ツインテールのドジっ子キャラじゃ
自分は道長の末裔の者だけど、同じ藤原さんに遭遇するとシンパシー感じて
話も盛り上がるし人脈も増えたよ
庶民にはわからんかもしれんけど
>>154
柳生一族は歴史小説のおもちゃにされ過ぎだから
もっとちゃんと史実を教えてあげた方がいいと思うんだがな
ハンターチャンスが「裏柳生なんてものはない!」って怒ってるらしいしw
ただ友矩と家光の件はそっとしておいてあげようw 関ヶ原を一度観光したいと山に登ったら上で弁当売ってたんだけどw
やっぱこの弁当ってアレを狙ってるんだよなw
チョンが敵視してるのは明治政府と秀吉
必然的に徳川方に肩入れすることになるわけだ
>>156
信長人気や政宗人気の高まりで、
光秀や二本松義継も結構嫌われてまっせ >>25
二階堂盛義と隈部親永って一度見たら
忘れられないインパクトあるよね (´・ω・`) >>164
最初は秀忠の遅参もあって西軍有利が俺の認識 だから楽しみは別にやれっての、人物偏重で異常なんだよね歴史って。
ほとんどやくざの親分でしかないのに。
>>134
秀吉に島津家が取り潰されようとした時に
必死にかばったのが石田三成だけどな 島津って東軍に参加するつもりで伏見にきたけど
鳥居に疑われて門前払いされたから仕方なくメシ食ってたら
石田方がきてなんだおまえ暇そうじゃんってなって
あーうっざ、なにこいつって適当にあしらってたら
気がついたら西軍になってた悲劇の軍隊だろ
>>159
うん、傷付くけど
実は俺自身もめちゃくちゃ活用してるんだ
小笠原爆弾(´・ω・`) 最近のある研究では、実は小早川秀秋こそが関ヶ原の主役だったんじゃないか?って
説があるのな。
裏切ったんじゃなくて、最初っから果敢に東軍として戦ってたんじゃないか?っていう。
あと、今石田三成が陣を置いてたとされる場所って、実は発掘?しても何も出なくて、
実は陣を置いたのはそこじゃなく、なんとか崖とかいう縁起の悪い名前の崖(昔
、事件起こしたなんとか皇子が死んだ場所)じゃないか?ともいう説。
信ぴょう性あるっぽい説だったよ。
>>99
それは徳川への恨みの感情とは関係なくない?
もしも島津が石田三成を恨んでいたとしたら、最後まで動かなかったくせに何言ってんだ?って言葉は納得できるけど >>148
三成、吉継辺りは西軍の中心人物だからまだしも、それにのせられた秀家や特に行長はホント可哀想 >>166
大谷の名前をだされたら何もいえないw
島津の文献みると、大谷吉継はめっちゃ評価されてた。義弘は関ヶ原で敵中突破する前に大谷吉継を誘ったらしいよ。でも病人だからと断られたんだって。 >>169
????
そんなん本物なら堂上会でお仲間と顔合わすやろ
パーやな >>87
小早川が西軍につくようなら家康が関ケ原に陣を敷くこと自体なかった
家康は小早川が東軍に寝返ることは最初からわかってた 歴史は人が、どの様に判断して行動したか?だから、
後生の人の生き方にもプラスに成ると思うけどなあ。
理数系や英語に偏重しても人間性がバカだと世渡り出来ない
>>1
ぶっちゃけそういうのは好きな人がドラマなり歴史書を紐解けばいいので、
さらっとでいいんじゃないか。
むしろ、江戸以降から明治にかけてもっと学習すべきでは? >>167
赤鬼と青鬼を使役して明智光秀とか羽柴秀吉とかと戦ってたよw >>1
当時はどの殿様め今で言うと北朝鮮の将軍様と似たようなもんだから気にすんなw
そうじゃなきゃ生き残れない時代だったんだしw >>175
有利ではないよ
鶴翼の陣が効けば西軍必勝だけど、松尾山と南宮山が内通してたからね
むしろ、圧倒的に兵力が上のはずの東軍が西軍を押し切れなかった 昔の歴史の人物も悲惨な人もいるかもしれないが、
毎日毎日馬鹿が作る和製英語を、意味も本来とかけ離れているのに、
覚えなきゃいけない子孫達が
一番悲惨
そもそも明治維新と東インド会社やキリスト教(イエズス会)との関連を
意図的に教えないのがおかしいんだよ。
以上(笑)
お前ら島津をネタにし過ぎだろ
一番悲劇でバカなのは佐竹じゃん
マジで何もやってないのに処罰されてるしw
>>180
山中だっけ
前号の歴史群像という雑誌に、一次資料から
読み解く関ヶ原の記事があって
今に伝えられているものとは全く展開が違ってワロタ やる夫は徳川家康になるようですで知ったんだが
小早川秀秋にも裏切る動機が十分あったっぽいんだよな
>>27
「1600年に起きた戦争って何?」って問題出すから
教科書に載ってる「1600年関ヶ原の戦い」ってのを暗記すればいいってなっちゃう
トップが死んで残った10人の幹部達が独自に勢力を拡大、牽制しあってギッスギス
それでもなんとか調整役をやってた幹部連ナンバー2の長老まで死んで一触即発
金だけは持ってるナンバー1幹部はどうしても跡目がほしい
そこで自分と対立する派閥をぶっ潰すために一計を案じ
雑魚を利用して頭の固い対立幹部を焚き付けて起こした戦争なーんだ?
って問題にすれば暗記だけじゃだめじゃん?
ちゃんと何が起きたのかを理解してないと 史学科でアナール派の社会史を学んだ立場からいうと日本の歴史学(特に日本史)もようやく西洋の歴史学に近づいたなあという感じがする
講談や物語の類いは客観的史料からはほど遠いので学問としての歴史学とは言いがたい
>>192
宇喜多のやる気がスゲーよな
あの功績があるから、明石全登が大坂入りしたときの
豊臣方の喜びは凄かったんじゃないかと思ってる 日本3代裏切り仕事人
1位 明智光秀
3位 小早川秀秋
>>194
みたいな学会に相手にされてないアホ大学のアホ教授が、自分の趣味の入試ばっかつくるからこうなったんだけどな >>7
その裏切りと小早川のは卑怯さの程度において全然違うな >>198
えー、関ヶ原時の日本では、家康は野戦上手って
評価だったじゃん >>197
あれ名作だよな
あれ読むまで石川数正なんて知らんかったわ >>173
政宗人気で嫌われてるのは最上でねえの? >>206
ええええ 酷くね?
佐竹めっちゃ切れてたやん
何も悪いことやってないのに >>182
秀家は結構乗り気だったみたいよ
秀吉に可愛がられた恩もあるし 小早川は面倒な立ち位置に居たからな。
高台院の生家・木下家の出身で、高台院は徳川に好意的中立の立場。(積極的に西軍への勧誘をしなかったし、
大阪城に入ることもしなかった)
高台院がかつて命を救った黒田が豊臣恩顧の大名の切り崩しを図って高台院と縁の深い前田・加藤・福島などを
軒並み東軍に引き入れてるから、どう見ても高台院は徳川に裏で協力してたような気配がある。(黒田の行動が高台院の
意向のように見えるし、命の恩人の意向に反することをするとは思えない)
それを見れば、親類の小早川も東軍に付きたいところだが、養子先の親戚筋は西軍側だから、簡単に東軍に回れない。
決戦場まで行ってから東軍に付くという形になって、歴史に名を残す裏切り者になってしまった。
>>199
頭に何年に起きたが付いた時点で要領良い奴は飛ばすだろ
まさかと思うが早押しクイズみたいに、その戦争は…○○の戦いですが
それを起こした人物と戦った相手を答えろとかにするのかw >>186
南北朝の北畠顕家と
奥州から畿内に遠征して
華々しい最期 >>215
三成寄りの中立だったからなぁ
東北に秀康を残してきたのも上杉佐竹への抑えだし >>215
中立は味方じゃないからね
一応、東軍に400人くらい加わってたけど、上杉とも連絡取り合ってたし 秀秋の裏切りは仕方ない。
あんなに冷遇されて石田にも馬鹿げた空約束されて
ふざけんなよって思っても仕方ないないからな。
佐竹って東軍に味方についても処罰されてたよなw
佐竹の場所って家康にとってはめっちゃ邪魔だしw
佐竹は動いて秀忠を背後から襲うか、上杉に味方したら変わってたのに
良いところが何もない、裏切った結果次のステージで主役になったんじゃなく単に使い捨てられただけ
藤と山のつく名字の人と菅原みたいな名字やその親戚だという人物から絡まれなければ
人生が素晴らしく思えるだろうけど、藤の付く人に絡まれるのが宿命らしい
菅原みたいな人を嵌めるようなところがないから藤の付く名字のほうがマシ
直接的な意地悪が酷いのが藤の付く名字の人
実際、縄文や弥生は要らんよな、この辺りに無駄に時間使って、時間足りなくなり
学年末、1日で明治あたりから教科書一気に読んで終わりとか
この小早川秀秋だけは
実は出来人で、裏切りは嘘だった〜みたいな覆る説が一つも出てこないよな。
>>180
三国志の鳳統が死んだところみたいな名前? >>107
三大仇討は忠臣蔵、三大合戦は関ケ原くらいじゃないのかなあ
筑後川の戦いなんか、湊川の合戦より知られてなさそうだ >>235
日本史って、もっと近現代を教えなきゃダメだよな
俺も縄文弥生は軽く流すだけで良いと思う いちばん教えるべきは
戦後の在日朝鮮人の犯罪と
マスゴミへの各界への侵食と画策
小早川秀秋の裏切りの本質は秀吉の身内が裏切ってるって事。
小早川の末裔が木村と言う苗字に変わったのは明治以降か?
>>178
w
なし崩し的に西軍参加して、あんな悲惨な退却戦やるハメになって
踏んだり蹴ったりだったよな。 日本の歴史史上最大クラスの裏切りをしたからな
しかも家康に威嚇されてビビって裏切ったとか恥以外の何者でもない
寝返り表明したとき重臣の一人に
こんなことしても悪名しか残らん、最初から東軍として参加しとけ!
と怒られたんだよな
>>230
領土差し出せば家康は大喜びで仙台辺り与えられたかもしれん。政宗は米沢行き。 >一番悲劇でバカなのは佐竹じゃん
関ヶ原で一番悲惨なのは小西だ
会津討伐に従軍しようと兵を率いて上方へ昇ったら家康にお留守番を命じられて残留していたら
石田がクーデターを起こしたら致し方なく組み込まれてしまい
覚悟を決めて関ヶ原で戦っていたが大谷隊が小早軍の一撃で崩壊したせいで小西隊まで壊滅
クーデターに巻き込まれただけなのになぜか首謀者の石田・安国寺とまとめて処刑されるという悲惨さ
飛鳥時代とか鎌倉時代とか面白くねえからカットでいいわ
で、戦国時代と近代を増やせ
江戸時代は今のままでいい
これでしぶとく生き残ったらよかったのに
すぐ死ぬからあかんわ
>>1
どさくさに紛れて名前を消そうってかwwwww 歴史なぞ流れだけで十分
個人の武将がどうとかいらん
何が必要なのか?理由を述べられる奴は誰もいない
>>244
親父の直家も、毛利から離反して秀吉側に付いてからは、裏切りとか暗殺とかしてないんだぜ 近代日本史を載せると先生が革命的戦士であることことがバレるので日本史は全スルー
柴田勝家の子孫はプロレスラーで、高坂昌信の子孫は世界のTKか
織田信成とか集めて大河やらないかな
ただの恥ずかしい裏切り者なんだからそりゃ載せられたくないだろ
>>230
まあでも佐竹が秋田へ改易になったおかげで
美味しいあきたこまちや稲庭うどんが食べられていると思えば…
江戸へ呼ばれるたびに政宗の横に並ばされて
隣でホラ吹かれるのは大層なストレスだったに違いないがw >>199
福島正則「おれいっつも治部少憎しのアホな猛将みたいに言われるけど、内治では
それなりに名君って呼ばれてるし、そこまでアホじゃなかったんだよ!」
治部少「いや、お前が内府に味方しなかったら、徳川の天下はなかった。やっぱおまえアホ」
刑部「同意」 日本の歴史なんかよりも中国の歴史を教えないとダメだ
なぜならことわざが死んでしまうからだ
隗より始めよや臥薪嘗胆、鶏鳴狗盗など誤用や
そもそも知らない若者がすごく増えている
携帯で調べれば良いでは済まされない状況だ
>>232
もっとも、小早川秀秋は早世しなければ大大名として家が続いていた可能性は高い。
跡継ぎもなく早くに死んだことで、それじゃ悪いところを全部かぶってもらおうと
悪いイメージを全て乗っけられた印象が強いな。
もしも生きてたら、同じく裏切ったにも関わらず毛利への忠臣振りを評価されて
優遇された吉川広家クラスの評価を受けていたのかもしれない。 >>257
信長の見方が変わるかもな
実は部下に甘いって部分が全開に出てるからな この前歴史番組に明智光秀の末裔の爺さんが出ていたが
子供の頃(戦前)は「こいつの先祖は主君を裏切った不忠野郎」と教師に言われてたとか言ってたな
鍋島の動きもおもしろいね。
直茂は天才的だ。勝茂もその息子だけの事はある
>>247
気がついたら西軍って多いんだよな、これが。
徳川とガチでやる気だったのは石田、小西、宇喜多、大谷ぐらい。
西軍方も外交努力で改易逃れたり大名に復帰した家がある中、長宗我部の徳川に対する嫌われっぷり(´・ω・`) >>266
領地の内政とか、上手かったみたいだよね >>247
しかも薩摩本国の義久は家康に詰問の手紙送られて
「え、義弘西軍だったん?知らんかったわー、じゃそういうことで」
で返す鬼島津 気にすること無いんだけどなあ
君主本人どころか家臣とその家族の命運がかかってるから
当時は生き残るのに必須のスキルだったんだから
>>91
日教組が教科書を書いたり検定を通すわけでもあるまい。 小早川にしてみりゃ、朝鮮から帰ったらなにやら三成に密告されて秀吉の機嫌最悪
筑前の領地取り上げられて大減封が決まったところでで秀吉が死亡
家康の取り計らいで領土安堵してもらったんだから
いくら秀吉の親族といえど東軍につくのが当然なぐらい
そういえば平蜘蛛の茶釜は
柳生石舟斎の弟の松吟庵?とかいう人のところに
伝わってるってのを幾つかの小説で呼んだけど本当かな?w
>>260
織田信成はガセ。あれは織田家とはなんの縁もない、下手したら在日朝鮮人の
背乗りだろと言われてるうさんくさいタマ。
信じるなよ。あいつの織田家末裔説にはまったくエビデンスがないよ。 歌舞伎で散々盛られて大悪人に捏造された吉良上野介に比べれば大したことはない
>>268
庶兄信広も謀反未遂許してるし
信行の息子津田信澄も
有楽斎よりいい扱いしてるし
身内にもかなり甘い >>7
小早川は裏切っても後悔したり悲惨な末路なわけで。
宇喜多直家や松永久秀のように裏切りこそ我が正義とまで開き直ればそれはそれで潔い。 弾正が英雄でコイツが裏切り者という扱いなのは解せぬわな
裏切りや謀反なんて日常茶飯事の時代だし、関ヶ原の西軍なんて裏切りと徳川に媚びてまともに戦闘にも参加しなかった怠慢武将だらけじゃん
ことさら小早川だけを責め立てる意味合いはねぇだろに。
大谷吉継はアレだから子孫はそっとしておいて欲しい罠
>253
いや源平から南北朝統一までは
朝廷vs武士、モンゴルvs日本、武士による朝廷vs朝廷とか
混乱と激動の歴史って感じで面白いだろ
>>270
じゃあ藤堂高虎も
戊辰戦争で真っ先に宮方に寝返って、「藩祖の薫陶著しきや」と言われたんだぜ、もっぱら皮肉で 小早川秀秋なんぞ載るわけないだろう
こいつがいなくても結果に大差ない
吉良上野介は実は良い領主だったとか
田沼意次は実は貨幣経済の先駆者だったとか
再評価はあるが
小早川秀秋はそういうのも全くないwwww
>>284
毛利元就も負けないほど外に対しては鬼畜だよな。 >>1
裏切り者の末路を知るべき。
子々孫々がこんな目に遭うとな。 天下分けめの戦の趨勢を決めた人物なんだから悪名高かろうが載せないといけない人物だろ
言っとくがこんなヤツが一時でも我が故郷を治めてた事すら恥ずかしいわ
>>268
ねねに送った秀吉浮気癖の手紙とかはもっと評価されていいと思うんだがな
ちゃんとどちらの顔も立てていて瞬間湯沸かし器じゃないことが分かる 戦前だと足利尊氏は極悪人
個人的には大河の真田広之で
悩めるカリスマって印象だったが
>>237
とんでもない。そもそも朝鮮出兵でも内政でもハイレベルな実力を見せつけていたんだぞ。
それが猜疑心の塊のようになっていた秀吉に警戒されて、いきなり処罰されかける状況になり、
結果としてそれを回避できたが、そもそも秀頼ならまだしも、石田三成に付く理由などなかった。
秀秋に限らず、図らずも徳川勢に合流前に大阪側に接触し、やむなく西軍に加わったのも多いし、
そこから東軍に鞍替えしたのもまた多くいるわけでな。 >この小早川秀秋だけは
>実は出来人で、裏切りは嘘だった〜みたいな覆る説が一つも出てこないよな
小早川裏切り者説はそれこそ何十年も前の司馬遼太郎あたりの古い古い説だぞ
最近の学説では小早川秀秋は松尾山城を占拠した時点で明々白々たる東軍だ
だいたい人名を覚えるのが歴史の授業の本質じゃないだろ
戦国武将なんぞどうでもいい
のぶニャがとかでまでネタにされてる
子孫の都合でどうにかなるものではない
>>265
母国の歴史もまともに知らない人間に外国の歴史詰め込んでも
諺の誤用どころじゃない変態しか出来ません 大河で小早川秀秋が重要な役で出てくればまた評価変わるんだろうが。
>>289
佐々木道誉とか
北畠顕家とか
北方健三のおかげで
南北朝好きになった これって、「子孫」じゃなくて家督を継いだ家の当主ってことじゃないの。
広い意味では子孫だろうけど、血のつながりが無いなら現在の〜家の当主って表現
の方がしっくりくる。
>291
藤堂高虎って裏切った事ないだろ
7回転籍しただけ
このスレ見ても、小早川裏切り者説があまりにひどいから
小早川秀秋はむしろ載せて裏切り者ではないことを学校で教えるべき
>>289
平安末期から江戸までは本当にヒャッハーな時代。 載らなくてもいい
金吾の治世の恩恵を受けた地域もあるし、武家がガチのボンクラを中納言にはさせない
そしてどんなに偉くても秀次のように悪評がきっちり遺るのが「歴史」ンゴねぇ
評価が低すぎるのは現代人の知能の低さが起因なことを自覚した方がいいやで
当時の賤民でさえ読めてた草書を読めないアホは死んでいいと思う
心配するな、木村拓哉裏切り事件の一件から小早川は再評価されたんだぞ!
>>292
おいおい、金吾のおかげで東軍は勝ったんだろ。
もし金吾が居すくんだままで、あのまま西軍が勝ったとして、中山道から真田にひっかかってた
徳川本軍3万が来る。大阪からは毛利の本軍四万が来る。
非常に面白い第二次関ヶ原大戦になったたろうが、金吾のせいで、一日でおわった。
九州では黒田が面白い動きしてたし、戦国の世の最後の大いくさがはじまったかもしれないのに、
小早川の裏切りで、すべて潰えた。 >>307
秀秋の子孫も隆景の養子になった小早川秀包の子孫も途絶えてるはずだからな >>282
一般人のお岩さんが一番可哀想だよw
産後の肥立ちが悪くて帯状疱疹になっただけなのに(´・ω・`) >>1
偉いな。
趣味知識と必要知識を
きちんと分けて考えられる人たちなんだな。 そう言えば昔の大河で香川照之が小早川秀秋を演じてたな。
その時の三成が伊武雅刀でこれが憎いのなんの。
うーん、小早川と言えば裏切りのイメージ
もし自分が子孫だったら自分が子孫だとは名乗り出たくないなぁ・・・
>>221
ん?
言いたかったのは、極端に言えば
固有名詞や数字、年号を問題に使っちゃうと
暗記だけで対応できちゃうからやめればいい
ってこと
起きた出来事をだけを問題にすればいい へうげものの小早川はマシに描かれてたな
どちらかというと鬼武蔵みたいな感じだった
坂本龍馬がなんでここまで英雄視されてるのかさっぱりわからん
そんな詳しくもないけど
郷土観光のエサとして教科書に載ってるような歴史上の人物は削除すべき
>>282
高師直「そのジジイの悪行?をおっかぶせられた俺もかわいそうじゃね?」 >>9
じゃあ何で西軍側に陣取ってたのに攻撃されなかったんだよ 川の中洲の小高い山に築城して岡山城!
川の中州の広い島に築城して広島城w
小早川秀秋の肖像画は他にないのか?、なんかヘボくて可哀想。
>>309
元々嘘か覆る可能性ばかりの「戦後に構築された定説」を教育されてきた馬鹿が産んだ馬鹿にはどうせ理解できないやで
そもそもそれを教える教師がボンクラすぎるし無駄や 日光・月光菩薩はどっちかや中宮寺・広隆寺弥勒菩薩はどっちか
みたいな問いを無くした方がいい
>>69
大谷吉継「三年のうちに祟りをなさん」
→二年しか耐えられず死亡 >>313
関ヶ原が1日で終わったのは東北も九州も大誤算。
ついでに言えば輝元があっさり大坂城退去したのも。 >>313
実はそれも微妙ではあるんだよなあ・・・
吉川軍が毛利と長宗我部を抑える形になっていたので、
決して東軍不利な状況にはなっていなかった。
もっとも戦が数か月単位で長引いていた可能性はあったけどね。 >>325
まあ関ヶ原で19歳くらいだから。
浅利陽介に似てるよな。 関ヶ原は大混乱してたようだからな
三成達とかが家康台頭警戒して起こった
悪いのは勝手なことしてた輝元
>>323
西軍が再調略をかけたから
よく知られた「西軍に味方すれば関白にしちゃうぞ」ってやつ >>317
あれがドラマデビューだったはず。
葵徳川では宇喜多秀家に出世してたな。 歴史の授業やめて大河ドラマでも流しとけよ
小中高12年間見せときゃ歴史の流れくらい嫌でも身に付くだろ
>>321
たまに出る
「尊敬する人 坂本龍馬」 ってのも、かなり意味不明だよな。
伝聞でしかも時代すら違ってあったことすらないくせに
尊敬ってwwww と、笑いを禁じ得ない。 いやだから受験に沿った教育内容なんだから
教科書が先に変わることはないって
>>282
吉良は浅野にやった賂がめつすぎ、意地汚いってのが浅野以外では記録で残ってる
更に上杉にもあいつ金を貸しても返さず次の借金要求してくる、マジうざいって言われてる
このせいで最近の忠臣蔵は上杉が大石を裏で援助してた何て話まで出る始末
そして朝廷では吉良が死んだ後、天皇が嬉しそうにあちこち歩いてすれ違う奴に
綺羅死んだってマジ?綺羅死んだってマジ?いや、死んだらしいんだよねって言って回ってとか
何やったのか知らんが、何やったらこうなったのかが知りたいレベル
ちなみに赤穂浪士は処分で悩んだ綱吉が上皇に相談した際に
英雄はいつまでも英雄でいられるとは限らない英雄として死なせてやれと助言されてる また間違えてるこの記事
仙台真田家は真田信繁の次男の系統だから合ってるけど、
小早川隆治氏は毛利家の筋で、小早川秀秋は秀吉の妻おねの系統にあたる
杉原家の出身で小早川家へは養子に入っただけ
小早川隆景も子がなく、毛利家から養子をもらっているし、
杉原小早川家は秀秋の代で断絶している
毛利が1番悪だろ。
西軍の総大将でありながら、安国事え恵と小早川・吉川、で戦争を起こした。
地域活性化で経済を回す為の他に、正直者が馬鹿を見るような世の中を作らない為にも、歴史は重要。
>>305
皮肉じゃなくてほんとそうですな。
俺の小早川イメージは「葵3代」でできてる、その程度しか知らないし
NHK大河の劇中ほとんどが創作ものだということもわかっているのに・・・ >>315
昔やってた「知ってるつもり?!」だったと思うが、お岩さんの子孫(直系か傍系かは忘れた)が出てて
「自分たちがお岩さんの子孫だと分かると誂われたりバカにされた。鶴屋南北マジ許さねえぶっ殺す(意訳)」とマジギレしてたな 高校の日本史B(山川出版)の教科書に小早川秀秋なんて載ってないぞ。
この子孫の人は、消してくれって言ってるんじゃなくて、
このままで良いっていってるんだ。
五奉行の一人で豊臣政権を存続させようとする石田三成と家康との対立が表面化し、
1600年三成は五大老の一人毛利輝元を盟主にして兵をあげた(西軍)。
対するのは家康と彼に従う福島正則・黒田長政らの諸大名(東軍)で、
両者は関ヶ原で激突した。
天下分け目といわれる戦いに勝利した家康は、西軍の諸大名を処分し
>>338
会った人間以外尊敬しちゃダメとかいう変態の方がキモい 講談物語ドラマと歴史研究を分けて考えないからおかしくなる。
小早川は関が原でキーとなる人物だから載せてもいい。
だけど真田は教科書で別に無くていい。
歴史は思想とかの流れも重要だから、そっちもあらましは知っとくべき。
だから吉田松陰を無くすのはおかしい。
幕末の愛国イデオロギーの流れからすると最後の辺りの人物でも
要はルターとかと同じで、頼山陽とか藤田東湖とか平田篤胤とかあの辺の国学愛国儒教系の流れのなかで
まとめて教えりゃいい。思想的に賛同しなくても、客観的に知識として持っておくべき。
でもみんなよく考えろ。西軍が勝ってたら日本の標準語は関西弁になって
国民食はたこ焼き串カツホルモンになってたよ。
嫌だろそんな世界。周りはチョンやナマポばっかりなんて。
そういう意味では小早川はいい仕事した。
>332
界の商人で顔だったから信長の内政に深く関係
侘び寂びを広めた
今の形の茶室の雛形を作った
歴史的には武田信玄よりも影響でかい
>>321
日本初の貿易会社を作った男だろ
商人、とくに財閥企業務めは元祖なんだから尊敬すべきだよ >>332
大友宗麟の文書の
公儀のことは宰相(秀長)
内ヶのことは宗易の影響かな >>323
元から東軍と言うと微妙ではあるが、そもそも西軍として参加する予定ではなかったという説が。
通り道に大阪城があったから、そこで島津と共になし崩し的に組み込まれたと・・・
だから西軍の方針に反して山に陣取り、東軍、西軍双方からの調略を受けることになった。
あえて言うなら、どっちかの主力にもなれるが、逆らった方からは裏切りと言われる立場ではあったがな。 坂本龍馬がアメリカと通じてたら
全然違う歴史になったかも
>>342
そのあたりは裏切らないと小早川隊の横撃受けて壊滅してた可能性が高いから
純粋に生き延びるためでしょ
小川と赤座は東軍に事前接触してなかったから、裏切っても結局領地没収されたし >>328
お家取り潰されたし、良くまあ子孫が生き残ったなw
20代前半で狂って死んだ金吾ちゃん… 小早川秀秋って子供いなかった気がするが、本物の方の小早川氏の末裔かな
>>346
利家とまつの佐々成政、軍師官兵衛の荒木村重くらいの主要人物ならかなり評価変わるかと。
三成を主役にするなら小早川秀秋を重要人物で描くことができるかと。 >>348
もう文章じゃ無くて年表で良いやんってレベル >>317
春日局だったっけ
香川照之を覚えたのがその小早川秀秋役だったよw >>349
逆だよ。
リアルタイムでいるなら、まぁあったことなくともわからなくもないが。
ただの伝聞のみで、人となりを知って気になってるバカの方がキモい。 関ヶ原が再映画化されたけど、
秀秋の扱いは元のままだったしね
定着している関ケ原会戦の布陣図と戦闘経過は
近年の研究ではほぼ否定されているんだろ?
なんか嫌味な一味だな
俺達みたいな百姓の末裔は犯罪でもしないかぎり無理な話だわ
天皇や貴族、武士に搾取されまくってた俺らの先祖はかわいそうだよ
>>361
西軍のまま勝利すれば関白やらせてやるという話もあったのになw >>309
学生「へえ小早川秀秋って徳川に早くからみ方してたのに
西軍のフリして戦いのクライマックスで背中から西軍討ったんだ。なかなかの池沼だな」と再評価は受けるかもな >>350
ちゃっかり
若年寄とかに後になってる
脇坂が あれ?関ヶ原後数年して亡くなったんじゃないのか
子孫いたのか
教える内容減らすことするなら、
英語教育やプログラミング教育の導入で、
既に子供たちは忙しくてアップアップしてるので、
全教科的に削減すべき。
たぶん、今の子供達が、詰め込み教育まっ盛りだった俺の頃より、
更に詰め込み状態になってる。
ゆとり教育の反動的な心理状態(ゆとり反対・詰込み賛成)が今も続いてるようだが、
もういい加減止めた方が良いと思う。
暗記をやるから基礎が出来る。基礎があるから論述も出来るようになる。基礎がなければ思考できない。目的は一般国民の愚民化。その方が騙しやすいし管理しやすい。
たしかに、小早川は小学生入学したときに ちゃんといじめられるwww
でも、小早川はちゃんと先に勉強して回避している
しかし、今と小早川という時代錯誤が生み出したのは、やはり世間の傲慢
>>357
イメージ的には石田と大谷にビビって西軍に付いたが
元々寧々さん大好きっ子で、寧々さん冷遇してる淀君嫌いなので
家康に誘われたらホイホイ付いていった感じw >>78
呪いとかストレス関係なく
関ヶ原に参戦した時点で重病人じゃないか
そんな死にかけの病人が歴史変えたのか 歴史と兵法は違うかもしれんが、裏切り者がいる事によって変わる歴史も有るという事実は重要
>>321
ネゴシエイターとして優秀なんじゃ無いか?商売人としては、普通に成功したけれど。
薩長同盟の立役者。
IS国とアメリカを和解させたようなもん。
明治維新はそれで成った。 >>323
小早川軍が松尾山城を占拠したのが9月14日だ
そして西軍が大垣城を出て松尾山方面へ移動して布陣したのが15日
小早川を排除しようとして押さえの南宮山毛利軍が役立たずのせいで東軍に襲い掛かられたという説もあれば、
大谷・脇坂らで小早川に備えておいて東軍に決戦を挑んだという説もある
いずれにせよ小早川は山の上の城に陣取る大軍なんでそうそう手出しはできんのだよ >>376
土岐頼遠
佐々木道誉
高師直は3大バサラ大名 関ヶ原が1日で終わらず多少長引けば立花宗茂らも関ヶ原に間に合った
長期化しても結局徳川の世になるとしても東北も九州も混沌としてあそこまですんなり家康の天下にはならなかったし、大阪の陣すら起こってたか怪しい
結果的に秀秋はいい意味でも悪い意味でも関ヶ原では重要人物でしょ
幕末ですら膨大な資料があるからな
あと鎖国のイメージと鎖国しながら色々外国と接触あるのは面倒臭すぎる
秀吉末期もぐちゃぐちゃやしな
>>367
主観的な判断しか出来ないのも間抜けだがな 小早川は徳川に関ケ原以前に領地戻してもらった恩があるからなぁ
三成の読みが甘かったのかね
ご先祖はこう言ってるぜ… >>322
>>376
観応の擾乱は複雑なので授業でやらない
歴史教師も理解できてないし
中国の歴史教師だって、八王の乱の説明なんてできねえだろ ちなみに坂本龍馬は教科書でこんな感じ。
幕府はふたたび長州征討(第2次)を宣言したが、
すでに開国進取に転じていた薩摩藩は、ひそかに長州藩を支持する態度をとった。
1866年には、土佐藩出身の坂本龍馬・中岡慎太郎らの仲介で、
薩摩藩は長州藩と軍事同盟の密約を結び(薩長連合、または薩長同盟)、
反幕府の態度を固めた。
このため、第2次長州征討の戦況は幕府軍に不利に展開し、
>>378
ゆとり以前も含めて、ぜんっぜん詰め込めてない気がする
鍛錬を減らして将来の可能性を減らすことになんの意味があろうか そもそも秀秋が「裏切った」ってのが大きな誤解なんだよなあ
西軍の総大将は毛利輝元で石田三成じゃないし、小早川秀秋は元・5大老の小早川隆景の
後を継いだ大老の後継者で、そもそも三成とは格が違う
命令系統も毛利輝元の同格かその指揮下(他に吉川広家、安国寺恵瓊等)で、
別に輝元を裏切った行為は一切していないし、三成視点で裏切るというのは大きな誤解がある
>>379
マリー・アントワネットからフランス革命の流れも削除するんだっけ?
庶民はお上に逆らうな文句を言うなを徹底させたいのかねぇ >>46
朝鮮出兵した時点で極悪人だネトウヨ
>>385
俺たちも国民の裏切り者である日本政府を注視していかないといけないんだよな >>343
赤穂浪士の全員切腹は素晴らしい決断
まあ当然なんだけど
助命したら絶対晩節汚した
全員切腹したから美しく物語が完結した >>43
当初小早川家は隆景の弟が継ぐ予定だった
もっとものちに毛利姓に変えている >>390
秀忠軍もやってきた
彼我の戦力が大垣に集結しつつあるが、時間的にどちらが有利になるか分からない
そんな中で関ヶ原に進軍した家康の決断
ここを見てもらいたいね >>347
>「知ってるつもり?!」
あれは良い番組だったね。
俺的には、ケネディの親父(超やり手)と梶原一騎と小池重明(将棋指し)が印象深かった。
今の「行列が出来る法律相談所」(「知ってるつもり?!」をやってた放送時間)などさっさと終わらせて、また復活して欲しいもんだな。 >>342
脇坂…お咎めなし
朽木…減封されるも後に大名に復帰
赤座…改易になるも前田家に再就職して有力家臣に
小川…改易後、武士に見切りをつけて商人に転職して大成功
小早川以外なんだかんだ成功してる 教科書とかはまだいいほうで、「まんが日本の歴史」とかだと
小早川秀秋のキャラ造りとかマジで酷いからな
ブサイク、小心、優柔不断な裏切り者と、全くいいとこ無し
対象的に石田三成が、大抵イケメンで誠実真面目なキャラとして描かれるものだから余計にな
「なるほど、小早川秀秋ってやつが悪かったんだな」って、普通に刷り込まれちまう
小早川さんは小説の風評被害を受けてるよな
史実だと初めから東軍で猛将だったのに
>>392
主観的判断しか出来ない(笑)
そもそもで 尊敬する 侮蔑するってこと自体主観的www
客観的な判断で、尊敬する ってなによwwww >>342
脇坂安治
賤ケ岳七本槍の一人であるが、両加藤、福島、あと誰だっけ、そうそう片桐かみたいな感じで
一般人には思い出してもらえない森の石松的存在
しかし、韓国では、偉大なる李舜臣と激戦した武将として高く評価されているのであった
母国よりよその国で有名なペリー提督みたいな位置づけの男なのである >>413
とりあえず森蘭丸をお耽美系美少年に描くのはいかがなものかとw
あのゴリラ一族なんだからどう考えても「乱丸」だよ(´・ω・`) >>266
吉川広家は毛利内ではかなり嫌われたみたいだよ >>413
関ケ原の後に多くの東軍の武将からも嫌われてたけど >>402
「パンが無ければ、ケーキを食べれば良いのに…オーホホホwwww」
で、「きぃぃぃぃ!!!!」と成ったフランス大衆が、王様・王妃を首チョンパしましたとさ。
で終わっちゃうのか?フランス革命もw >>411
ああいう番組はもう数字が取れないのかな でもまあ、あの斎藤から3発だからね
記録は消えても記憶には残るよ
>>428
「米がなければ犬を食え」で江戸町民を激怒させた町奉行も覚えよう >>413
それで信じ込んじゃう人たちも多いと思うんだよねぇ
おれも基礎知識スカスカだからイメージや感情に訴える式の
ドラマやマンガでイチコロにすり込まれちゃう。
過去の歴史ロマンならともかく、現代(現在)の政治などいろいろな意味で怖い 石田三成とその一族もバリバリ武闘派なのに語られないし
能登の畠山義綱に至っては智謀で傀儡から専制君主に返り咲いたのにマイナー中のマイナーだしな
>対象的に石田三成が、大抵イケメンで誠実真面目なキャラとして描かれるものだから余計にな
石田三成は中央政界復帰のためにクーデターを起こして日本全土に戦乱を巻き起こした大奸臣なのになぁ…
>>424
むしろ裏切ったというなら一番叩かれてしかるべきなのは吉川広家だろうな
でも輝元らの怒りは戦に負けたことより戦後の家康との本領安堵交渉が上手く行かなかったせいだと思う(笑) 祖先と言っても直径じゃないだろww
後継ぎが無くて御家断絶になった小早川家。
>>413
戦国BASARAなんか
家康:イケメン。仲間と部下を大事にする、拳で語る熱い漢
石田:ネクラだが美形。友達は大谷と元で家康。家康が自分達を裏切ったことが許せない
小早川:小太りの虐められっ子。食い物しか頭にない
石田と大谷に虐められる日々。家康に俺の仲間にならないかと声をかけてもらって、東軍に寝返る
こんな感じだからなw 小早川は東軍側だったけど
西軍とも通じていたし、そもそも秀吉の甥にあたるんだから
豊臣家一同からすると身内の裏切り者と呼ばれても仕方ない部分がある
でも、突然裏切ったみたいな扱いはやめてやって下さい
ずっと裏切り者のレッテル貼られ続けるのも可哀想だな
>>407
21か22で死んでる。子供居なかったっんじゃね
御取り潰しだったような。直系は居なかったっんじゃね >>266
小早川は家康か秀忠に難癖付けられて取り潰されるのは確実だと思う。 >>422
考えてみれば、蘭丸が美少年って設定がおかしいかもな。
信長の好みは、猪武者系の尻穴だったかも知れぬw >>353
関東の言葉を中心して標準語を採用したのは
結局西日本の連中。
たこ焼き串カツホルモンなんてただの軽食だから
関西以外の方が多い。生保在日もわずかしかいないんだよアホ >>449
〜丸ってのはごつい筋肉ゴリラの名前だしな! >>321
第二次長州征伐で晋作達の海戦砲台攻略に参加した英雄なんだよ >>441
秀吉との血縁は関係なし。秀秋と血縁関係あるのは従兄弟の浅野幸長とか浅野家。 >>440
伊達政宗だけは史実がキャラ並みに濃いから困るw >>377 直系の子孫はいない
毛利秀包(小早川元総)が一時期、兄、小早川隆景の養子に入っていて、子孫あり
長州藩14代目毛利元徳の子2人が小早川家をつくり、華族に >>428
フランス革命が無かったら
今のバカウヨが言うような「愛国心」「売国奴」も存在しなかったんだから
現代社会にははずせない >>25
子孫から抗議のあった二階堂盛義を忘れないであげてください >>447
寧々の父筋の系統だからね
輝元の養子にされそうになったけど隆景が機転を効かせて、
自分で引き取って主筋にあたる毛利家の血筋は守った >>413
その系統の漫画だと大体池沼顔でアウアウアー(^p^)な扱いだしなぁ >>453
でもまあ、腐女子さん達の支持も得られないから、
蘭丸美少年設定は永遠に不滅と言う事にしておかないと。 >>448
真田信繁は長男の大助以外にも2人息子が居て、
この仙台真田家は片倉家の養子に入った次男の系統だよ >>457
焼鮭の皮が大好物で「糞でかい鮭を釣ってきた奴には大判小判山盛りでやるわ」って言ったのは政宗だっけ? 酒が全部悪い、張飛といい日〇富〇といい、酒だよ酒。
>>412
朽木なんて、よくあんな山奥で大名してたな >>424
結果的には毛利家は取り潰し寸前まで行ってしまったのでねえ・・・
毛利本家からは恨まれたらしいが、果たして裏切らなかった場合
毛利はどうなっていたか。
吉川広家は別に小さくはあるも領地を与えられた上に、幕府からは
「大名」扱いされるという好待遇。
それが幕末まで続いたのだからなあ・・・ >>17
ちょっと前に坂本龍馬の子孫って紹介されてる人がテレビに出てたで
まあ実際は姉ちゃんの子孫なんだけど >>460
あれ、逆に「二階堂ってどんな人なの?」って皆調べて
鎌倉以来からの名族っぷりを知るいい機会になったのにね そりゃそうだな武士のくせに最後の最後まで恥しかない
>>414
小説以前に
肖像画見ると、到底猛将って顔していないけど? 暗記重視を是正するのと歴史人物減らすのは一致しなくね?
流れを重視するならその流れや状況や背景を作った人物が出てこないと逆になんでそんな流れになったのか理解しにくくね?
>>416
PL学園の4番
夏は牛島ードカベンの浪商に負けて甲子園に出られず >>353
標準語はなあ。
明治維新で新政府が出来た時、幕閣の江戸言葉+官軍の敬語(ですます調)が
混じって自然成立した言葉なんだよ。
つまり標準語は中四国九州のエッセンスが多分に盛り込まれ(軍隊の「〜であります」とか)
そっちの人間が上京したらスンナリ標準語を喋れる理由だよ。 悪者扱いだけど、その後のなん100年も続く平和の立役者の一人じゃね
>>457
攻撃特化、防御超弱い
格ゲーだと本人クソ雑魚でサポートの片倉が優秀すぎと
分かってる奴が作ってる感じはあるw >>452
安国寺恵瓊と吉川広家が読み違えたせいかな
輝元は当初からやる気無さそう >>465
すまん間違えたので訂正
片倉家に養子ではなく、片倉姓に改名が正しい >>465 信繁
貧乏人の子だくさん
秀吉と対照的 末裔とかどうでもいいし
わしだって、かの有名なアウストラロピテクスの血を僅かだが、ひいてるぞ
>>197
やる夫スレならちゃんと小早川秀秋が主人公のやつあるよ
クッソ長いけどかなり名作 >>463
まともに議論できないなら引っ込んでろカス 当時の武将はは男色やっても、普通はバイセクシャルで、子どもも作ったんだが
隆景はどうも女には関心がなかったようで、正室とも仮面夫婦だった疑いが
もちろん実子はいない
>>468
朽木って一万石なかったような
交代寄合の大身旗本だったとおもう 毛利の迷走っぷりと小早川の麓に居た数名の便乗ももっと叩かれるべき
>>7
裏切り方にしても
戦が始まるまでの事前交渉の段階から「ワシは徳川方に付きまっせ」と宣言した後で勢力替えするのと
戦が始まってから相手を裏切るのとでは
後者の方が印象が悪くなってしまう >>485
今は人類の祖先とは別枠扱いだぞそれw
その血を引いている時点で人間じゃねえww 先祖って行っても20代近く前じゃないのか?
2^20で100万人以上子孫がいる計算だが
>>464
沖田総司も別に美青年だったわけじゃないらしいしな
天草四郎は美少年じゃないと酒蔵が困るだろうな >>470
あのお姉ちゃんも「乙女」じゃなくて「お留」だよねw
174cm・112kgって… >>486
あれはかなり史実を捻じ曲げているとはいえ面白かったな。
もっとも長い連載の中でいろいろと「企画倒れだったんだろうな・・・」と思われる伏線もいろいろあるが。 >>495
謙信、信長は知的な感じの顔立ちに見えるけど
小早川秀秋の肖像画は、意思の弱いニートみたいな顔にしか見えないじゃないか? >>449
利家は若い自分は美少年だったろ。
森家も男前の家系。
蘭丸父は織田家中でも一番の美男子で女にモテモテ(なのに奥方一筋) >>489
朽木氏が治めてた朽木谷って当時は北陸と京都を結ぶ交通の要衝で重要視されてて、
関所とか交通整理で稼いでるんじゃなかったっけ >輝元は当初からやる気無さそう
輝元は火事場泥棒をやる気まんまんだったよ
・大友義統に軍資金兵糧を与えて九州に上陸させる
・阿波の加藤領に侵攻。土佐の長曾我部留守居にも伊予出兵を命じる
・讃岐(生駒領)と阿波(蜂須賀領)を無血接収
・水軍を紀州沿岸や伊勢湾に派遣して掠奪狼藉
>>488
謙信はどうなんだろうね
毘沙門天うんたらは言い訳っぽいんだよなぁw おまいら厳しいな
兄貴があんな最後だった事も考慮してやれよ
>>500
結構イケメンじゃん
大谷刑部の祟りに怯える秀秋
>>479
金吾ちゃんが狸爺に鉄砲撃ち込まれ、「何しやがんだ!!クソ爺!!」って、
逆切れして、狸の本陣めがけて突っ込んでいたら歴史はどー成ったか?
狸の本陣8000 主力の3万は信州で引っかかっていて、戦場には居ない。
金吾軍1.5万がヒャッハー!したら、日の本は平和に成ったとは思う。
大阪中心に栄えて。
歴史にifは無いけれどもw >>494
かといって沖田総司の例の肖像画は写真ではなく
親戚の証言によって適当に描かれたものだから実際の顔は不明と言われている
これは西郷隆盛も同じ そんなものよりテスト無くせよ
テストなんてなんの意味があるんだ?
戦国時代とか幕末は大きな流れが分かればいいだろ
もっと近代やっとけよ
>>483
幽閉時代、セックスくらいしかやる事無かったしなw >>502
なるほど、こんど道の駅朽木新本陣できいておくわ >>500
浅井長政の肖像画も秀秋に似たり寄ったりなんですが 歴史は大人になってから、学べばいい。子供の頃に知ったって、そんなに記憶に残らない。
むしろ興味があれば、自分で調べて勉強すればいい
>>502
信長が朝倉攻めで長政に裏切られピンチになったときや
12代将軍義晴が京を追われた時など
小領主の割にはけっこう表の歴史舞台に立つ機会が多かった朽木 >>509
適当に描かれたといえば、まず大村益次郎をだな・・・ そりゃ小早川の子孫はなるべく触れないで欲しいだろ
てか寧々ん家のせいでれっきとした小早川の血筋や隆景までなんかイメージ悪くなってる
(木下)にしてやれよw
斎藤一は爺さんになってからは斎藤一っぽい顔になってて、
それ見て安心した。
>>139
黒田は秀吉に見捨てられて信長に殺されかけてるからな。
元々、豊臣恩顧というほど親しいわけでもなく、播磨からの外様だし。
むしろ、福島や加藤の方が、秀次見捨てて、三成を口実にして裏切ったようにも見える。 >>518
歴史は繰り返すというしな
感性豊かな子供の時から知っておいたほうがいいぜ ひたすら人物の名前覚えないといけなかったからな いい傾向だよ
時代背景をしっかりやってほしい
>>509
適当では無く、沖田家の親戚の子供二それっぽい服着せてモデルにして描いた >>504
謙信と細川政元も、婦人を近づけずに、実子がいなかったことでは同じなのだが
この二人は男色よりも宗教的理由(修験道)によるものじゃないかなと思う >>503
まああわよくばといったところはあったかもね >>520
甘利明という政治家の顔を見たら
大村益次郎も正確な肖像画なんじゃないのと思えるけど >>525
そもそも何で名前を意識して覚える必要があるんだ?
テストのためだろ
馬鹿馬鹿しい >>509
近藤勇は写真が残っちゃってるんだよな(´・ω・`) >>506
関ヶ原前後の清正の動向はもっと描かれるべき。
ただ単に脳筋親徳川に描かれているのがなぁ・・・・・・ >>508
一時撤退して立て直すんじゃないのかな
三方ヶ原でも経験してるし、家康は撤退は慣れたもんだろう
結果こうだったから天下分け目と呼ばれているだけで、一度の合戦ですべて決まるほうが珍しいのでは
黒田如水も当面は決着つかないと考えていたというしさ >>532
医学生が骨の名前を全部日本語と英語で覚えるのもテストのため この小早川ってねねの家系で秀吉の身内だよね?
毛利系は小早川の古い家系でこの子孫って秀秋かすってないし全然違うよね。
秀秋子供いないし
小早川秀秋って初見で嫌いだったけど大人になって調べてみると、そりゃ秀吉の味方するわけないよなって思えたわ。小早川は悪くない。
>>299
太平記よく大河ドラマになったわ
今じゃ無理 松陰と龍馬は重要人物だと思うが
精神的支柱と調整役、二人がいなければ明治は訪れなかったかもしれない
がっかりご先祖とはいえ十分自慢できると思うがな、ほとんどは名もなき農民の子孫なんだから
今年の大河で今川氏真の株が上がったから、小早川秀秋もいつか変わるかも知れんよ
>>546
今年の大河見てんのかwww
むしろ今川義元が良かったが >>535
家康ですらここまですんなり行くとは思ってなかっただろう。
毛利が大坂城からあっさり出ちゃったのが一番デカかったかも。 >>494
沖田総司が美青年とか
今の若い子意味不明だろ というか子孫である自分がいる時点でご先祖様の選択は間違ってなかったって事だろ
あの時代はそういう時代だ
もっと胸張って先祖の名誉を称えろよ
いつか仙石権兵衛みたいな綺麗に持ち上げてくれる漫画家が出てくれるさ
>>542
農家の血からよくあんな美形が生まれたもんだ
そりゃ祇園で名を轟かせるわなぁw >>535
築城名手の藤堂さんも家康敗退の時、籠もる城を用意していたそうだし、
やっぱ歴戦の兵は撤退も戦術の内だわなw 信長さんに蹴鞠勝負を持ちかけて断られた氏真さん株上がったのかww
>>544
テロリストを削除ってことじゃね?
あ、でも博文もそうかw >>550
弓月光の漫画でも沖田君って出てこなかったっけ 東軍につく気満々の平岡や稲葉が居た割には、決断が遅かったイメージだが。
木下の兄弟もそんな感じで、煮え切らない行動してたし。
>>199
その答えが一つだけであることを誰が保証できるんだよ 資料統計の方を充実させときゃ
興味あるやつは自分で勝手に勉強する
美少年が白血病で死ぬってパターンは沖田から来てるのかね
昭和天皇が、小早川秀秋を卑怯者としてよく罵ってたんだってな
>>79
え?
あの状況で1万以上の軍勢が家康に襲いかかったら、他の様子見していた武将まで一緒に攻めかかるんだが?
吉川広家も背後から攻めてきて家康の勝ち目なんてゼロなんですけど。 >>125
風見鳥であったのはたしかだろw
どちらか優勢の方につく腹つもりだったのだろwww 小早川秀秋は、筑前名島36万石の大名であったが、朝鮮役で秀吉の怒りを買い、越前北之庄16万石に国替えさせられた。
しかし、秀吉の死後、家康は、大老の職権で、秀秋をもとの石高で筑前に復帰させ、しかも、関ヶ原のあと、備前・美作の2ヶ国52万石に加増した。
>>553
祇園どころか10代で奉公先の三越で女沙汰て首になってるw鬼の副長 小早川秀秋
統率39
戦闘38
知略33
政治29
>>199
「1600年に起きた戦争って何?」
80年戦争のニーウポールトの戦い >>1
さすがに真田はずうずうしいなw
大谷もイメージとあうコメントでうれしいw 親族なのに東軍についた木下延俊は特に批判されてなさそう
秀秋はたぶん鈍くさい無能だったんだろ、こいつなら何言ってもオッケーみたいな
>561
いや断絶だろ
後に毛利家から再分離しただけで
>>1
武田信玄と上杉謙信の拮抗した関係なんて
地方の争いだから天下の行末には関係ない。
両者とも戦上手ではあったが戦略性に欠けていたよなwww 幕末で削られるの
龍馬 松蔭 高杉 新撰組か
銀魂どうなっちまうんだ?見たことないけど
斎藤一にしても
こっちが証言による肖像画
晩年だが実際の写真
所詮、肖像画とリアルでは我々が想像している以上の乖離が生じている 真田丸なんて習う必要一切ない
世界史で流れを理解する方が、よっぽど重要
ガキの頃はよく「教科書に載るような人になれ」と言われたものだがなあ
小早川秀秋ぐらいならいいだろ再評価の動きや同情する人だっている
本当にどうにもならんってのは牟田口廉也みたいなのを言う
世界史を削れ。
日本史はまるっと残して世界史の近代より前を削ればいい。
世界史のそんな時代こそ、好きな奴がやればいい。
旅行した先で知ればいい。なんだよ。
>>582
新選組の徹底した実力主義と鉄の規律は、
松坂屋での体験から生まれたとも言われて
います。
松坂屋ってそんなに体育会系だったのか 進学校の先生方は英語数学重視で歴史なんか本当に軽く扱っている。
パソコンの時間なんか受験の勉強だけしてなさいって命令するからパソコンの授業はレベルの低い奴派遣させて
派遣されてきた奴を職員室に留めてパソコン室に絶対案内しない。
上から削減案なんか出さなくてもすでにやっているんだから余計なことするな。
>>551
吉良上野も井伊直弼も松永も見直されたりしてるもんな
ほとんどの小説であしざまに書かれている鳥居耀蔵もいつかは実は、的な日が差すことがあるだろうか 政策とか外交とかがどういう背景で選択されたかとか
それが成功・失敗したのはなぜかとかそういうのが大事なのに
流れとか無視して暗記だけさせるから駄目なんだよ
>>580
眉と帽子みたいなもののせいで変に見えるけど、顔自体はかなりよく似せてるじゃん >>580
当時はヒットマンがワラワラ湧いていた京都だから、やっぱ暗殺恐れての、
ミスタースポック肖像画なんじゃなかろうか? 学生の時は歴史が苦手だった。
その時は興味が無かったし、暗記が多かったから。
でもふと姫路城の特集を見たんだ。
それからお城好きになって、じゃあ建てたのは誰?城主は?って調べていくうちに戦国武将にくわしくなった。
苦手だった歴史の暗記した人名が、そこでいっちしたな
>>589
ワイは中高一貫の進学校やったけど、
歴史も詳しく習ったで 歴史苦手な人でも織田信長の肖像は一生覚えてるし
文字と何やりましたってだけより
やっぱ絵とか絡めた方がいいんだろうな
小早川秀秋の末裔が恥ずかしいのなら、小早川隆景の末裔って名乗れば、誇らしいだろ
>>590
鳥居は厳しいかも。虎の威を借る狐というだけで、寝返るのも早かったから、どうだろう? 真田は徳川秀忠の軍を足止めして関ケ原に間に合わせなかった の1行しかいらないだろw
>>591
いっそのこと
歴史は徹底的にマルクス史観の視点で説明してほうが面白そう >>584
すごいな、その両巨頭の並べ方。
やっぱ牟田口の方が金吾中納言より勝つねぇ。
ただまぁ、
・金吾の裏切りは日本史を変えた。
・牟田口の無能は日本人を無駄に殺した。
違いはあるとは思う。 >>600
秀秋にも隆景にも子孫はいない
だから末裔って言うのがそもそも僭称 >>580
鼻が少し違うぐらいで特徴は出てるのでは >>8
教えている教師自体のレベルが低い
黒板に教科書の内容を箇条書きにして終わりのが大半w
歴史をロジック的に解説できる教師なんて公立レベルだと
ほとんどいないだろうよwww
ダイタイサ社会科目なんてIQが高い生徒なら
自分で学習できるしなw 秀秋は身内に見張られていたらしいけど、その状態でも寝返らせた黒田長政の力量
歴史の暗記も一定の意味あるけどな
そもそも歴史上の人物と何をしたか知っていないと
歴史物の漫画やドラマにすら入り込めない
だから一定の暗記は必須なんだよ
その後の事は個人の資質次第だから気にする必要もない
素質がある奴なら勝手に詳しくなる
>>590
奸臣として残ってた小野政次なんかも、まさか大河なんてもので見直しされたしな 日本は、なまじ歴史が長くて、しかも植民地になったことのない(戦後占領されたけど)島国だからコレだけ教えればいいって言う「建国の歴史」が無いからな
アメリカはワシントンから独立戦争や南北戦争
フランスは革命の歴史さえ押さえれば、後は緩くても国体の根幹である建国の歴史を学べる
イギリスも微妙だけど、産業革命から女王さまを押さえればいいかな
>>13
吉田松陰 て仮に明治維新まで生きていたら
イランのホメイニ師的位置付けになったかいなwww >>602
本能寺の変以後の真田の右往左往は、
中小企業のサバイバルに参考に成りそうな気がしないでも、無いけれどもw 子孫が胸を張れない
そんな生き方はいかんよなあ
な?どう思うよ秀秋!
>>589
実学重視の結果が今の日本になってしまったのでは? 秀秋と全然関係無い、明治になってから毛利家から新しく作った小早川家でしょ?
>>590 >>601
末裔が慶応義塾塾長として悪い意味で名を残しているので
汚名返上はなかなか難しいかと…
次の東京ガス安西一族があまりにひどすぎて結果的に評価されつつあるがw >>610
重臣の平岡って、黒田の親族じゃなかったか?
秀秋の周囲は、徳川や黒田に親しい奴ばかりだった気がするが。 つか暗記主体やめて楽しむっても、これこれこういう事件があってこういう人物が関わってとか
結局名称は覚えてなきゃどうにもらないないような
>>606
それいうと、相当数の大名家で血が切れてるもんなあ
後期は養子縁組が多くなってさ
殿様が完全に赤の他人で、まだ家臣のほうが開祖の血を引いていたりとか >615
松陰は日本のロベスピエールとかあだ名になったと思うw
おれが答えを言ってやろうか?
結局流れを暗記する教科
信長の野望やるまで、罰ゲームみたいな能力値の一条兼定、知らんかった。
>>621
真田家はシンプルにせこい家なだけ。
兄貴は徳川につけて、弟は秀頼につけて、あわよくば、という計算をしてたおとっつぁんが汚い。
真田の武はたいしたものだが、真田の生き残り戦略は、わりと汚いよ。 >>622
怪しいから暗黒寺が見張らせたんじゃなかったっけ
うろ覚えです >>627
なんでも一条兼定の子孫があんまりな能力値だとコーエーに苦情を申し出たらしい >三河
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
>>628
汚いか綺麗かよりも、生き残ることが体節ってことだな >>590
鳥居だけは絶対に無理
絶対に盛られる講談や小説、時代劇がちょっと鳥居に気を使ってないか?と見えるくらいのキングオブクズが鳥居
無理矢理ほんの一つでも良い部分を挙げられないってのが凄い
なのである意味傑物ではある >>126
田布施システムはチョンが広めようとして失敗したデマだよ。
その説が嘘だと断定できる証拠は揃っているから。てか、本当だと言える証拠がない。 >>624
ハプスブルグ家と同じ感じだよなw
やっぱ物理的に血は外から入れないと。
田分けの限界かな。 すいません叡丙さんのニオイがしたんで
違いますか..すいません。
>三河武士
鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田)
>>596
自分の場合は戦艦大和や零戦のプラモの説明書に書かれてた艦歴や経歴で興味を持って
小学校の図書館で「漫画世界の歴史」を読んで大まかな歴史の流れを覚える→町の図書館で太平洋戦争の戦史漁りって感じだわ
プラモにハマってなければ歴史自体に興味無かっただろうな そのうち歴史そのものが全否定され、学校では歴史=天皇神話だけ教えればいいって
方向に行きつきそう。この国は北朝鮮にどんどん近づいていってるな。
小早川秀秋はは平成になって知名度がアップしたからね
受験生にとっては教科書に載っていて欲しい人なんじゃないの?
暗記以外の歴史の試験問題ってどういうの?
応用問題の例をおせーてくれw
>三河武士
室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動
数学や理科を知ってても仕事で役に立たないから
小学校からこれらを減らせよ
歴史は年寄りの管理職とコミュニケーションがしやすくなる
>>616
スカパーではまさにそういう視点で真田親子を取り上げた番組を流してるぞ >>628
あの時代 それ普通だし
真田位だと、まあ普通だし ほぼ土豪か野武士程度の家格だし。 実態は地方では、中央につながっている人間に
ちくちく報告するだけで、探偵みたくしてりゃ
公的機関の人間になれたわけだからねぇ
>>1
幕末オタや戦国オタの見本の意見
はっきり言ってガチの歴史オタからしたら、有識者会議結論と同様で幕末戦国の将や志士は歴史を教育観点で捉えると上無意味
削除バンバンする事で他国の歴史教科書と比べて既に有意義な日本の歴史教科書がもっと有意義になる
他国は神話やら捏造やらバンバンしとるからね 荒木村重を悪く言うやつあまり居ないね
クズ中のクズなのに
小早川秀秋は合戦後病んだ。
石田三成に名指しされ裏切り者となじられたが、
秀秋なりの大義があるわけで。石田三成はなんか陰湿な官僚チックで嫌だ
明治天皇から直々にお前手癖悪いなぁ流石家柄の血は争えんって言われた人の子孫よりはええやろ
歴史や国語で道徳や人のある道を教えようとするのは左翼でも右翼でも勘弁。
歳を重ねるほど、数学、物理、化学よりも日本史、世界史、国語の方が人生を豊かにする事がわかってくる
理系科目マンセーの10代、20代前半では気づかない事実
>>639
歴史上の偉人、織田信長ってベンキョより、歴史小説なんかで入って、
隣のヤンキーが、織田信長と言う感じに成れば、歴史は好きになるw 三成がいくさに弱くて人望が無く調略が甘かっただけなのに過剰に悪役扱いされた人
戦国時代は言うほど下克上ってないよな
秀吉ぐらいじゃないの
>>609
解説できる知識のある先生がいたとしても
小学校の授業でそれやるのはほぼ不可能やからな
どうにもならんぜよ 良く恥ずかしくもなく小早川秀秋の子孫とか言えるもんだな
>>644
理科は教えないとアカンやろ
水の入ったペットボトルにドライアイスをシュート!とか密閉された部屋で七輪でサンマ焼く馬鹿ばかりのその中でも困るだろ たぶんお前ら先祖はその時関が原にいたとしても後ろの方でダンゴ食ってただけだろな
>>590
あやかしあやしで実はいい人扱いやったやん >>642
高校の試験で、大政奉還前後における幕府方の動きを説明する設問があったなあ
維新の嵐やってたから設定の点数満点にプラスして加点もらえたけど 坂本竜馬を消すのは道理が分からない
真田とは違うでしょ
>>603
純粋に間違いが多くなるから止めたがマシ。
カルトとかイデオロギーでこじつけようとするから変になる。
無理やり江戸時代を貶めようとしたりしてゆがんだりするだろ。
封建制だから仕方ない点もあるけど、例えば八丈島かどっかの島民が足元見られて
江戸かどっかで米をまともに交換してもらえなかったのを
介入してちゃんと適正に交換させたりとか「民を抑圧して搾取する権力」みたいな図じゃ見えてこない。
鎖国で国富の流出防いだ面もある。かといって「素晴らしい歴史を」とか美化してもおかしくなるし
ウヨサヨ問わずイデオロギー入れると歪む >>657
松平(家康)も吹けば飛ぶよな三河の少豪族だし >>642
たとえば京と琵琶湖と北国街道と中山道を記した地図を示して
信長がなぜ安土に築城したかという理由を考えさせる問題とかね >>656
石田軍は島左近に任せてたから弱くはない >>656
歴史から学ぶとすれば
経理畑出身のやつを社長に据えたら会社はダメになる
ってことやな 離反したことだけ書かれても、いい気はしないだろうね
それに至った経緯だとかも書かれないと。
>>652
その家、開祖と血が切れてるんだよな
血は争えないんじゃなくて、当家の家風ですって言い返せばよかったんだよ >>657
織田信長も下克上の体現者だよw
家督相続時点で、尾張国のNO4からのスタート。 >>651
内府違いの条々なんて今なら「嫉妬女の怪文書乙w」並の陰湿さだしな 若いころは、松永弾正 汚しとか、思っていたが
最近 あれはあれで止む無しと思うようになってきた
まあ 武将も色々大変だよね
そもそも直系じゃないだろ小早川w
小早川秀秋は子供居なくて断絶したのに
>>605
牟田口は牟田口で、制空権が取れてて物資さえ輸送出来てれば
あの状態ですら英軍は対応しきれてなくて、前線の日本軍が勝手に撤退しなければ英軍は抜かれてたって話は出てる
というか、その英軍の記録を以て牟田口は自己弁護してる
抜いたところでその先の補給が続かず終わってるだろうって?ごもっとも >>646
普通じゃないよ。悪知恵が働くレベル、だよ。
じゃあなんで長曾我部家が改易されたり、石田一族が皆殺しにされてんだよ。
徳川にしょうもないちょっかい出し続けた真田安房守が真田の家を後世まで全うしたのは、
小細工しまくったからだよ。 日本人全員をゆとりにしようと企む陰謀にしか思えなくなってきた。
>>296
子孫が残ってるなら勝ち組な気もするな
今なら政治家が刺されることもほとんどないし
今から帳尻合わせようと考える奴も出ないだろうな むしろ戦国時代って下克上以外の何物でもなくね?
鎌倉・室町以来の名族で生き残ったほうが少ない
>>682
でも、前田だって家中で東西分裂してたじゃん 細川や京極を叩くのに大軍割かなければ、小早川関係なく、関ヶ原では総崩れも無かったろうに。
東軍は秀忠の到着まで耐えないといけなかったからな。
>>652
皇室は明智光秀の子孫でもあるんだがな。 >>672
石田三成はいくさに弱いというのは当時の確かな評価だったらしい
絶対有利の城攻めだったのぼうの城の戦いで失敗してそういう格付けになってた
関ヶ原での調略失敗もその影響があったに違いない 西軍が「豊臣秀秋様」って呼んであげてれば離反されなかった説
>>681
牟田口は当初インパール作戦には「補給が続かないから無理。絶対やらん」と否定的だったんだが
中央から「お前ならやってくれると信じてるぞ」みたいに言われて担がれたって話があるから一概に悪人とも言えない気がする >>691
忍城攻めだね
でも、あのとき攻めたの石田が大将じゃないんだよなあ ・21歳にして転封・国替え5回(丹波坂本→丹波亀山→筑前→北庄→筑前→岡山
・養子に出されること3回(木下秀俊→羽柴秀俊→豊臣秀俊→小早川秀秋)
・初陣で総大将なのに旗本だけで敵の本陣を突き崩す(帰国命令で帰国中に加藤清正の危機に駆けつけるという臨機応変ぶり)
・敦賀転封の際に小早川隆景の旧臣を全て毛利家に返上、毛利家との実質的関係を切って自分で家臣を集め始める
・筑前(九州)なのに上杉征伐で1万5千もの大軍で上洛、しかも国替えしてわずか4ヶ月でこの動員力
・三成の方針には基本耳を貸さない。てかそもそも実は西軍ですらない
・でも鳥居元忠の態度にキレて喜々として伏見城に攻めかかる
・伊勢路進んでたのに急に大垣に押しかける。1万5千で
・三成を無視して勝手に松尾山に布陣、東西を品定めする
・三成が「どっちの味方なんじゃ?」的な書状送ると「知るかボケ」的な書状を返す
・三成が「味方したら関白にしたる」の書状になぜかブチギレ
・宇喜多の旧領2カ国半丸々貰ったのに「足んねーぞ、もう2国だろ?」と家康を強請る
>>673
広報畑の方が結構危うくしてるイメージだが。 >>686
応仁の乱であれだけ権勢誇ってた山名や細川、畠山がたかが100年経つか経たないかで見るも無残な没落ぶりだもんね >>676
まあ、江戸時代も戦前も血筋よりお家の時代だから
蜂須賀侯爵が宮中参内のときにタバコを失敬したのを明治天皇に見つかって
「蜂須賀、先祖は争えぬのお」と言われてしまった話
蜂須賀侯爵は開祖の小六とは血がつながってない徳川家斉の孫なのだが 小早川と逆に、関ヶ原扱った創作物だと必ず善玉にされる大谷良継
さすがに悪玉に書きようがないとは思うけど
>>646
家康に気にいられて
土豪から大名になったようなものだからな
井伊にしても亀姫もらった山賊とかな >>671
暗記問題じゃないか
全く架空の地図を見せて
築城に適した箇所を記しなさい。ってならまだ分かるが
それは「歴史」の問題じゃなくて地理問題だろう >>666
その手の馬鹿はテントで暖房のために炭火を暖房で使って子供を死なせたりするから必要。 >>25
あの時代は馬に排気筒付いてたかもしれない
写真がないから検証出来ないが >>690
そうだっけ
尾張の百姓の血が流れているのは
歴史的事実だけどなw >>657
武田信玄
毛利元就
今川義元だって兄2人を暗殺した疑惑がある >>691
どっかの歴史家の受け売りだけど忍城攻略時の光成の配下って関が原でもみんな光成の味方してるんだよね
忍城の戦いがいわれるように無様なものだったらそうはならないと思う >>699
細川は一応大大名になったろ。
分家筋だが。 >>706
受験レベルの数学も暗記で乗り切れるからねぇ >>123
日本人を減らしたんだから誉められるべき 坂本龍馬 吉田松陰 高杉晋作 新撰組が削られるのはまあ妥当だろ
そういう人が知りたければ小説でも読めばいい
>>703
独ソ戦時の「補給品を運ぶトラックの部品を運ぶトラックの部品を運ぶトラックが必要」みたいなことはワンチャン直ってた可能性が? >>693
というか、何百年も前の個人の能力なんて測れないというのが現実。
織田信長の名のもとに偉業がなされたのは事実だけど、個人個人がどれだけ寄与したかなんて詳細は不明と言うだけ。
だから、織田信長が優秀だった「可能性」は高いが、断言することはできない。 >>673
雪印、東京電力
不祥事起こした時の社長は経理出だなwww >三成がいくさに弱くて人望が無く調略が甘かっただけなのに過剰に悪役扱いされた人
・中央政界に復帰するために地方軍閥=毛利の力を借りてクーデターを起こし日本全土に戦乱を巻き起こす
・筆頭大老たる徳川家康の退陣を要求し秀吉の遺命である政治システム=五大老五奉行制を木っ端微塵に破壊する
・淀殿は石田・大谷一派のクーデターを鎮圧するよう家康に依頼している
・徳川家の大躍進、五大老五奉行制の破壊、豊臣家の収入源である蔵入地の大幅減、などの豊臣家の大幅弱体化を招く
どう考えても日本史上最大の奸臣だろう…
>>686
今川とか山名、伊達とか南部とか佐竹とか
細川、北畠、本願寺、京極、小笠原 高校以下の歴史、社会学はマークシートだけにすれ
人名とか発生年とか細かいことはどーでもいいつーの
得点もセクション5問全正解で10点満点以下9,7,4,1みたいな理解度試す非線形でさ
>>1
歴史上の偉人達が地域活性化に役に立ち、それで経済が回っている事も視野に入れよ。
東大からの依頼なのか、圧力なのか、工作員達が偉人降ろしをしているようだが、こういうプロパガンダは良くないのでは?
★【小学館】が【プロパガンダ】をしてはいけないな〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >>726
ほんと、近代史以外はたいしてやる必要もない
完全に趣味の世界だし >>704
大谷吉継くらいしか戦場で死んでないからな
みんなさっさと逃げちゃったんだよ >>722
家康を放置したら乗っ取られるのは明白だったわけで、
それをもって奸臣と言うのは明らかに論理の捻じ曲げだ。
秀吉の目的は豊臣家の繁栄であって、五大老五奉行制はそのための手段。
逆ではない。 >>706
本来歴史を学ぶなら地理の知識が前提だろ
オタクは歴史を暗記科目だと認識しているから
そういうレスになる >>673
ロックフェラーがライバルにミリオネアになれたのは
簿記係出身で経理に明るく、ライバルとの競争に役立てた点もあるらしいよ。
島津も幕末まで富蓄えられたのは三成が「経営」を教えてやったからだろ。
それ無かったら田舎大名で終わってたと思うわ >>692
そんな感じで石田三成が西軍につけば秀頼が成人するまで関白の地位につける
って言われたけどご覧のように蹴ったよ
だってこの約束自体、秀頼が成人したら難癖つけてまた追放されるだろうし
生涯不条理な境遇に晒されて命狙われて
そんな人に石田三成は空気も心も読まずに条件を出し、秀秋から見透かされている
若者だからって褒美をやればホイホイと来ると思ってる石田三成の浅はかさよ >>669
>吹けば飛ぶ
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 難問奇問が作りやすいよね暗記科目。
龍馬の兄弟を年長順に並び替えろとか
誰得の問題やねん
歴史なんてコロコロ変わるしもういいわ
そんないい加減なもの好きな奴に勉強させとけ
>>726
赤松は他の足利守護大名と違って名族とは言えないと思うよ
いちおう村上源氏ということになってはいるけど
開祖の赤松円心はどこの馬の骨ともいえない悪党の一人 >>732
最近何気に秀頼が以外に優秀なので、秀忠だと秀頼が成長し自分が死んだ後は対抗できないって思ってたとも言われてるよな
だからサクッと豊臣を乗っ取って潰そうとしてたとか >>734
地方記事スレにわいてくる、鳥取と島根、群馬と栃木がどっちがどっちだか知らんわw
地方を知らない自慢は、たいてい歴史にも無知 >>669
>吹けば飛ぶ
足利尊氏は家康が生まれた岡崎城から直線距離で約1.5キロ離れた上杉氏の屋敷で生まれた可能性大
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の屋敷、大門屋敷(三河県岡崎市)の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 関が原の戦いでは、西軍側で実際に戦ったのは半分程度であり
東軍側の切り崩しによって、多くの大名が寝返ることは確定済みだった
小早川秀秋もその一人だったわけでね
結局、石田光成は、有能な人物であったのは疑う余地はないが
おさなくして人質に出されるなど辛苦を嘗め尽くした家康には、戦略家として
大きく劣っていたわけだな
>>736
島津は琉球支配して琉球を中継して実質明と密貿易して栄えたから
石田三成のやった太閤検地のおかげってわけでも無さそう
というか石田三成のやった検知で島津が70万石にされているけど
米がほとんど取れない土地で70万石って、ふっかけられすぎな気がするけどな 仕事で知り合った人に牟田口って人がいたが
最初にあの牟田口ではありませんって言われた
人生苦労して来たんだろうなと思ったw
高校生物も久しぶりに最新の資料集アマゾンで購入したら
えらいことになってた。これは鬼だなーと思うぐらいてんこもり
>>741
何が不自然かって、
三成ファンの歴女は例外なく「秀吉は大嫌い」だからな
三成の立場が無いわw >>732
司馬遼小説のチート家康じゃないんだからあの当時の家康は自衛がせいいっぱいで明確な簒奪の意志なんぞないよ
石田がクーデターを起こさなければ大名鉢植政策も太閤蔵入地の大削減もなく秀頼成人まで安泰だったさ ◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
地理と歴史は切り離せない
同じ土地の上で何千年も同じことを繰り返すのだから
>>755
そう?
前田を屈服させて、次は上杉征伐でしょ
どう見ても自分以外の大大名に因縁つけて叩き始めてないか? 小早川自身は悩んで悩んで、ギリギリまで悩んでいた。
イライラした部下が「敵は本能寺にあり!」と叫んで突撃した。
その部下は、春日局の元旦那。
>735
大谷吉継といえば病だろ(ハンセン病という説)
病を患ってから周りが近づかなくなったが
光秀は変わらずに接したという逸話
ハンセン病で周りから恐れられたから
小早川秀秋への呪いという逸話も作られた
>>694
インパールと台湾航空戦辺りは陸海共に破綻してきてたのもあるな
ただ無能なのは変わらんけど >>734
そうなると地理も郷土史的な知識から
イチイチ各国の統計の取り方の差異を学ぶとこからはじめないといけなくなり
もう入り口で三年かかる
言い出したらきりがない ジジイになると歴史が面白くなるね。
受験生の時はスッゲー苦痛だったが
おっさんが電車の中で時代小説読んでる率は高い。
というか
歴史教育は小早川や大谷の末裔が決める事でも何でもない
さらに末裔たちに一市民以上の意見の重さなんてないよ
ちょっと完全に勘違いしちゃってるね・・・
最新の研究だと後詰めの毛利軍を徳川主力が攻めようとしたらビビって中立という条件で勝手に講和
しかしそれを知らないで救援に来た三成とかをこれ幸いと包囲殲滅にしたって事らしい
>>753
エロジジイの秀吉が好きって女は少ないだろうし
タヌキオヤジの家康が好きって女も少ないだろう
でも、真面目で頭脳明晰なのに対人スキルがダメで失敗する石田三成が可愛いと思うのが女という生き物だからな >>32
その美少年の嫁の弟が、
>>1に書いてる仙台真田家の始まりだったよな確か。 >>709
光秀の娘が細川家に嫁いでる。(細川ガラシャ)
細川家レベルの名門ならあちこちと縁戚関係が生じるので、
その中に孝明天皇につながるルートがある、詳しくは検索してくれ。 >>755
三河政権たる室町幕府、足利将軍家の家臣団は何処にいたのか?
答えは三河と北関東だ
家康の関東転封は、その三河と北関東の家臣団の合体させ、強靭化させた
しかも、関東は三河マンセー文化も有した
物を知らない尾張の田舎者は、その事が分からなかったわけだな
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼 学校の勉強は丸暗記でよくね?
教えなければいけない量が多すぎるからどうかんばっても歴史の楽しさなんて教える時間がないし
それなら割り切って知識詰め込むだけでいいよ
少なくとも俺は大人になって自分で色々歴史の本読むようになって
義務教育で知識詰め込まれていてよかったなあと感じてる
>>764
歴史小説と時代小説は違うからな
時代小説っていうのは、江戸時代の話だぞ
鬼平とかね >>79
小早川が東軍についたから即日開戦したんだが
小早川が西軍のままなら秀忠の到着を待つ >>768
対人スキルがダメで失敗する武将がかわいいなら福島正則だって… 小早川の末裔と大谷の末裔とで対談させたら面白そうなのにw
>>760
杯を回して飲む時、大谷が飲んだら顔の膿が垂れて酒に入った、他の大名は杯を回すのを止めたが、三成だけはそれを飲み干して仲良くなったってやつか >>755
豊臣政権の最大勢力なんだけど?
自衛が精いっぱいは言い過ぎ。
まあ関ヶ原がなければ、そしてそれ以外の政変もなければ秀頼が継承できた可能性もあるが
そんなに高い確率じゃない。 >>709
秀吉の姉ちゃんのことだね。
しかし、皇室って、歴史上の有名人の血が流れまくってるよな(秀吉除く)
織田、徳川、明智、細川のみならず、
佐々成政や丹羽長秀ら戦国武将や、
紫式部の血まで流れてるんだもんなあ >>774
必要ないものは必要ない
今のようにネットで大量に情報が得られる時代はなおさらだ
近代以前の歴史の知識なんて、おまえらみたいなゴミと雑談するぐらいの役にしか立たない iTunesのオーディオブックで三省堂の日本史、世界史、政経
を買って暇なときに聞き流してる、結構おもろい、すぐ忘れるけど
できれば倫理も出して欲しい。
>>20
東大二次試験の日本史とか
ただあれは採点者が死ぬ。東大は教員の数が多いからああゆう入試が可能なだけ。 >>739
その場で考えて四苦八苦すれば答えられる問題ならまだしも、暗記するしかない問題でそういう難易度の付け方されるとクソだな。 >>755
その辺はねえ
あんだけ用意周到なんだから全くその気はないはないよ >>750
だからそれで三成に泣きついてたから、
簿記経理、経営の仕方から教えてもらって
やっていけるようにしてもらえてたろ?
ある程度なら大目に見るから貿易でも儲けられるとかも
アドバイスもらって。
ただの農耕・領土拡張じゃない視点、
さすが経済重視の信長秀吉のそばにいただけはある。 日本統治は三河人以外は無理
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
小早川が裏切ったわけじゃなくて
三成が離反し家康が小早川についただけ。
小早川以外の戦場全体が陣営を反転したんだろ。
>>758
掘家や最上家が上杉に謀反の疑いありとひっきりなしに通報して来るし、
噂を打ち消そうと上杉を呼びつけたら無視して上洛してこないし、
上杉家臣の藤田を国元へ返したらすぐ出奔してきて上杉謀反と騒ぐし、
せめて形式的にでも弁明してねと使者を送ったら直江状(今日伝わるのは偽書だが内容が挑発的だったのは事実でしょう)
ここまでやられたら戦いたくなくても筆頭大老なら出兵せざるをえんでしょ 「次の問題は、、小早川君答えて」
「弁当を使っております」
教科書で教える歴史に講談めいたストーリーは全く必要無いからな
戦国のエピソードなんて嘘ばっかりだし竜馬なんて載せる事の整合性を問うたらそれこそ幕末4大人斬りとかまで教えなきゃいけなくなりかねない
>>765
数字こそAIが高度化したら無用だからねー
文字に数字を置き換える必要が無くなる >>762
台湾沖航空戦は海軍の大本営発表体質の集大成だと思うわ そもそも小早川って教科書に必要ないだろ
鎌倉中期から応仁の乱まで重要人物でもマイナーで
戦国はどうでもいいやつまでみんな有名だからな
>>139
黒田家は秀吉創業から天下トリまで支えた功臣なのに、
天下統一後は政権中枢から遠ざけられて九州の小大名で冷遇されてたし、
秀吉死んだら家康につくのも納得だけどな。 >>633
だからこそ反面教師としては教えるべきだな。
都合の悪い人物を教えず隠すというのが一番朱子学的発想。 歴史が暗記科目じゃないアメリカでは、歴史の教科書は日本の3倍くらい分厚い。
暗記しなくても良いなら、教科書の分量を3倍にするべきだろ
その方が流れがよく分かるし、興味を持つ対象も格段に広がる
遅刻で400年以上失笑され続けてるオレよりマシだよ…
日本なんてずっと中世やってて今も中世なんだから日本史なんか覚える必要なんかないだろ
>>801
やっぱ遅刻は絶対許されないんだな秀忠さん… 日本史って記述式の試験問題って別解多すぎない?
歴史上重要な同一人物も色んな通称あるから
採点官ははあくしてないといかん。
森鴎外と回答する答えは森林太郎でも点あげていいだろう?
戦国時代で国に影響を与えた重要な人物を3人挙げるならば
惣無事令で紛争を収束した豊臣秀吉
豊臣をのっとって長期政権を築いた徳川家康
大寧寺の変を起こして貨幣経済を壊滅させた陶晴賢
この3人だとおもう
>>799
筋からいえば歴史を受験科目から外すか,東大二次みたいな完全論述問題オンリーにするかだよな。
教科書の用語を減らせば歴史に対する興味はますます薄れるだけ。 >>801
あなた、大坂には遅れたくなくて急いできて、またお父さんに怒られたんですってね うちの父方の祖先は家老。
大河では悪い殿様と一緒に私利私欲を肥やした事になってた。
確かに、父の実家は武家屋敷をリフォームした広い家。
神社もあったり道場まである。
が、悪家老だ。
歴史もそうだが今や地理だって20年も経てば役に立たない知識ばかりになってる
たとえば万元戸とかアジア四小龍とか
それ以前ならコルホーズ、ソホーズとか
>>788
いや島津は豊臣臣従以前から
貿易はしていたんだよ
島津義久の父の貴久は
アラブ種の馬を輸入していたくらいだからね
アラブ種という馬は現代でも競走馬として使われているほど
日本の在来馬とはくらべものにならないくらいスピードを持っている馬ね
サラブレッドも、もともとはアラブ種の馬から優秀な馬を掛け合わせ続けて
つくられた馬だからね
それくらい海外通な大名家だったんだよ 歴史は大事だよな
光秀の弟が化物になった信長と戦ったり
槍の名手秀康が剣で化物になった秀吉と戦ったり
何故か乗ってる馬は皆サラブレッドだし
武将は超イケメンか可愛い女の子が大半だし
義だの愛だの宣うクセにやってる事は人殺しだし
忍者は裸が一番防御に優れていて素手で首刎ね飛ばすし
歴史って大事だよな
>>700
女系でつながっているだろ
まったくの血のつながりのないのを家臣が
主君として崇めないだろ
例えば上杉。吉良上野介の子供がついだけど
母親は上杉出。
上杉鷹山が殿様になったが
上杉の娘は知恵遅れでガキ産まず
養父にガキができたからそのガキに殿様の座を譲っている。
妾にガキ産ませてそれに後をつがせるのは雰囲気的にできないわけよ。
ちなみに上杉鷹山じたいが元を辿れば上杉の血が流れているしなw 真田の昌幸パッパは同じような事何度もやってんだけどね
秀秋は、心の優しい青年だったのかな
平和な時代ならそれは美徳になるんだろうけど、戦国時代にはいらない性格の一つなんだろうな
秀秋に子孫はおらんだろ
毛利本家が小早川家を再興したから秀秋とは無関係
日本史の勉強って明らかに北海道民と沖縄県民には不利だよな
学校の授業以外で触れる機会がないし
上杉謙信や吉田松陰くらい覚えとけばいいじゃん
今の時代、習わなかったら知らないままになることもある
>>613
だから古事記がアイデンティティになるんだろうけど。
でも日本人的気質の形成考えると聖徳太子、墾田永年私財法、保元の乱〜承久の乱、御成敗式目、江戸幕府の成立。
これは絶対に外せん。 >>812
日本人が歴史を知らなくなれば
韓国とか中国に都合のいいように捻じ曲げられた歴史観を押し付けられても
素直に信じてしまい、日本がものすごく不利になる
だから歴史の勉強は国家にとって重要 >>801
隆慶一郎の「影武者徳川家康」でのおまいは恐ろしい謀将になっててめちゃ好きだよ >>816
やったか?
主家を裏切るようなマネはしてないはずだが >>782
お前らだって皇室の血はきっと流れているぞ >>814
マジレスすると川が増水したからだね
秀忠軍は中山道の制圧が任務だったので真田攻めは間違ってなかった
岐阜城があっさり落ちて東軍優勢になったので、家康が方針転換して美濃表まで秀忠に来るように使いを出した
その使いが増水で川を渡れなくて遅れた
秀忠が家康の指示を知った時点で、もう間に合わなかった >>799
むしろアメリカがーはやめるべき
ゆとりをまた再生産するだけ 歴史は不要とぬかす奴に限ってアイドルあたりの無教養をフルボッコにする滑稽さよ
そんな極論に走ると人生失敗すると歴史を深く学んでれば分かることなのにな
>>782
お江与で知ったことだが
マジ驚愕したわw
血筋の継承自体が徳川の世のときに行われて
天皇家の血筋に豊臣の血がながれたわけだろ
よく徳川は許したよなw >>823
徳川家から離反したことを言ってんじゃない >>821
右にせよ左にせよイデオロギストがそういう歪んだものを歴史jに持ち込むからなおさら不要なわけだ
近代史だけを一通りやっておけばいい。
国家の役に立つ人材を育てるにはもっと学ぶべきものがたくさんある >>827
あれだけ見事なホームラン打たれたらしゃーないわ >>758
前田利家は隠れ三河、家康とグルだ
伊賀越えの際、家康の匿われた碧南の寺には前田利家の先祖と伝わる墓があって、この墓は元々一色町にあった
前田利家は元々は足利一門に仕えていただろう三河武士
加藤清正は、尾張の鍛冶屋のカトちゃんの息子
家康とやらにしてみれば、前田利家は仲間だが、加藤清正は縁もゆかりもない鍛冶屋の息子
これが前田と加藤の処遇の差の裏事情だ
家康が伊賀越えの際、三河に上陸し滞在した寺には前田利家の先祖の墓伝わる鎌倉時代の墓があり、その事情を家康とやらは把握していたんだろうな
この清浄院の隣の寺には前田利家とやらの伯母さんの墓もあるらしい
前田利家の先祖の墓がある清浄院(三河県碧南市)
http://s.webry.info/...1406/article_10.html >>9
そうなんだよな、風評被害者の上位に入る人物
戦前から調略済みで、あとはタイミングを見ていただけっていう
秀吉に世継ぎが生まれてからは、疎まれ苛められ、最期にアル中で早死
死後も裏切り者の烙印を押され、語り継がれ、汚名返上が出来ることがない哀れな人 >>830
許したよな、って…
「よー天ちゃん、お前の血は豊臣の血だから絶やすわ」なんてできるわけないだろ >>822
そういや、最近はどの歴史創作モノでも秀忠有能説取ってるケース大いな。 >>752
一番爆発的に進歩しつつある分野だからな 高校時代小早川って奴いたけど、体育のサッカーでオウンゴール決めたときはヤジが凄かったわ
>>832
昌幸自体は敵対こそ何度もしてるが一度たりとも徳川に付いた事ないのに離反と言われても 秀秋はちゃんと勝ち馬に乗ったのに裏切り者扱い
ま、西軍から見たらそうなんだろうけど、勝てば官軍でこの辺塗り替えられそうだけどね
>>746
福島原発に近いのが栃木だよ
野菜買う時の主婦の知恵だわ
鳥取、島根は合弁しろ、どうでもいいわwww 明治天皇の晩餐か何かの時に、蜂須賀家の当主も士族として招かれ、
食事がおわり、銀のスプーンを懐にしまったところ
(当時、記念品として、持ち帰ることが許されていた)
天皇から、血は争えぬな とネタにされ、笑いものにされてしまった逸話がある
蜂須賀家は東海の小豪族の家柄であるが、江戸時代の軍記物では盗賊あがりの武将という
風な脚色を受けており、まあ盗賊の末裔だと現代でも思われている
馬鹿みたいな庶民の娯楽の盛りまくった講談が日本の真実の歴史みたいなポジションになってるのほんとアホくさいわ
>>812
さすがは天海どの、まこと聡明であられる。 >>846
んなもん簡単だろ
字が長幼の順を示してんだから >>818
俺の田舎北海道のさらに田舎だが、有史以来戦いが全くなく、歴史に残るイベントもない
アイヌの戦いさえめっちゃ遠くて、歴史というと縄文文化→屯田兵→現在に至るだった わざわざ反発食らうようなところ削らんでも。
削るところ山ほどあるだろうに。
寧ろ、関ヶ原や明治維新はもっともっと細かく教えるべきだろう。
歴史なんて最初の方の藤原氏だの曽我氏だのやってるときに時間掛けすぎて
幕末とかすっ飛ばしになりがち。年表順に教えるから興味がわかないんや。
いきなり関ヶ原や大政奉還からやった方が絶対興味沸くのに。
家康脱糞から始めるのもいいぞ。
関ヶ原なんて豊臣政権の内部分裂なんだし、裏切りも糞もないわなw
馬良。字は季常。弟は馬謖。字は幼常。他の兄弟は三人(いづれも名は不詳)。
問題
明智光秀はなぜ織田信長を殺したのでしょうか?
こんな感じのテストになれば?
>>841
そして医学やバイオに欠かせないのに未だに物理受験で生物選択がない
アホな駅弁大学があるらしい
かけいとかよりこのアホな感覚をかえろよと思う >>565
そんなタラレバあほくさい
東軍に荷担するって分かっていたから桃配山に家康は陣を構えた
小早川は西軍には黙ってな
もし家康ほどの戦略家が小早川が怪しいと思ったら、秀忠の到着を待てば良いだけ
家康には何枚も切り札があるので、結末は変わらない 武田→織田→北条→徳川→上杉→豊臣
大きく見れば昌幸はこの順で従属先変えてるだろ
>>858
そんなもんで臣従扱いなら、自分の城自分で建てた大名なんてそんなに多くないはずだが
当の徳川だって >>763
ダイタイサ
歴史を日本史、世界史にカテ分けしているのが不合理。
日本視点でいいが歴史は世界史と日本史をミックスさせて
時系列で進めないと意味ないわw
例えば古代なら中国、朝鮮のとのからみ
南蛮人渡来のときはその時までの欧州の情勢とかさ >>855 www
シャクシャインの乱とコシャマインの戦いぐらいしか思いつかん >>857
三方ヶ原はあそこまで面白いように負けたのに徳川が崩壊しなかったってのがな。
むしろ崩壊の危機は長篠の後にやってきた。 >>791
上杉系はプライドが高過ぎるからなあ
他家と揉めたらお前んとこが身内でさらに揉めてんのにねちねち直江状みたいなの来たら家康激怒で会いに行ってやらあ!!
はほんと草
上杉征伐に向かったら関ヶ原やし >>862
それだと「答えが1つにならないから公平性ガー」とか言い出す馬鹿が出てくるからダメ 東大二次2009年第2問
豊臣秀吉が戦乱の世をしずめ,全国統一を実現したことにかかわる次の(1)?(4)の文章を読んで,下記の設問A?Cに答えなさい。
(1) 1585年,秀吉は九州地方の大名島津氏に,次のような趣旨の文書を送った。「勅命に基づいて書き送る。九州ではいまだに戦乱が続いているのは良くないことである。国や郡の境目争いについては,双方の言い分を聴取して,追って決定する。
まず敵も味方も戦いをやめよというのが叡慮である。もしこれに応じなければ,直ちに成敗するであろう。」
(2) 1586年,島津氏は,「関白殿から戦いをやめるように言われたが,境を接する大友氏から攻撃を受けているので,それなりの防戦をせざるを得ない」と回答した。
(3) 1587年,島津氏は秀吉の攻撃を受けたが,まもなく降伏した。一方,中国地方の大名毛利氏は,早くから秀吉に協力した。秀吉は島津氏に薩摩国・大隅国などを,毛利氏に安芸国・備後国・石見国などを,それぞれ領地として与えた。
(4) 1592年に始まる朝鮮出兵では,島津氏も毛利氏も,与えられた領地に応じた軍勢を出すように命じられた。
設問
A 秀吉は,戦乱の原因をどのようにとらえ,その解決のためにどのような方針でのぞんだか。3行以内で述べなさい。
B 秀吉は,自身の命令を正当化するために,どのような地位と論理を用いたか。1行以内で述べなさい。
C 秀吉による全国統一には,鎌倉幕府以来の武士社会における結合の原理に基づく面がある。秀吉はどのようにして諸大名を従えたか。2行以内で述べなさい。
簡単だよ
伯常、仲常、叔常、季常(馬良)、幼常(馬謖)で五常だ
>>866
臣従なんて言ってないんだが…
>>816の本意は分からんから憶測でしゃべっただけだよ
ていうかさっきから言葉がブツ切りなのなんで 変な話だが日本史を変えるような重要な裏切りだったのが不味かったな
あの時代コロコロ主家変えるようなのなんて沢山いたのに
たった一度いい仕事したせいで裏切り者の代名詞みたいな扱いw
>>767
そのとき徳川主力は信濃、木曽、美濃の山中をさよまっていましたけどねwww >>848
日本刀の展覧会で蜂須賀家の刀見たけど見事だったなあ
国宝だった >>1
そらそうよ。吉田松陰や坂本龍馬が問題であって >>877
そのおかげでそれほど歴史に詳しくない人にまで
名を残せたという意味では、勝ち組 >>44
そういや小早川家も毛利に乗っ取られたんだったな。
当主を隠居させてその妹に隆景が婿入りだったか。
その妹(隆景の嫁)の少女時代を大河ドラマでは三船美佳が演じてたな。
当時15か16歳で、そのすぐあとに高橋ジョージと結婚したんだったな。 >>764
若い時は、娯楽に興味持つけど、年をとるにつれ、娯楽に飽き、歴史に興味持つようになるんだよ。 >>881
小早川秀秋は関ヶ原の戦いで決定的な役割を果たしたので、
関ヶ原を舞台にした映画やドラマなどで必ず出てくるからね >>867
膨大な量になるが、必要だと思う
「歴史とは自分を知り相手を知ること」とまず教えてむしろ、取捨選択を繰り返すべき
不変であることに意味はない
むしろ行く川の流れは常に変わるのだから中身も変わるべき >>884
年寄りの歴史なんて学問じゃなく娯楽だろ、文献無視してカス小説読んで喜んでるのばっかじゃん そもそも秀秋は西軍に入りたくて入ったわけじゃないからな
通せんぼくらって仕方なく属してたフリをしてた
関ヶ原は豊臣対徳川じゃなく、豊臣内の内戦だからね
あえて裏切りとするなら、毛利本家への裏切りくらいか?
これも養子の秀秋にはあんま思い入れないだろうしな
隆景も全然構ってないし
>>62
それは知らなかった。
豊久って甥っ子だな。身代わりになった。親父は家久(善)だったっけ。
マンガ「ドリフターズ」の主人公か。 >幸村の末裔、仙台真田家13代当主・真田徹氏
う、うさんくせえ
朝鮮戦争時の武勇伝がなかったことにされて
浅利陽介みたいなテンプレ小早川が根付いたのは何でなんだろう
>>893
いちおー、信繁の二男の大八の子孫ってことになってる >>891
昔はそういう善悪を決めつけた歴史観が主体だったけど、
今は様々な角度からの検証が主体だからねえ・・・
そりゃ人間、擁護しようもない悪人も非の打ちどころのない善人はそうそうない。
ましてや歴史に残るような影響力のある存在ならなおの事・・・ この行為を松尾山という、みたいな慣用句になってもよさそうなんだがな
山崎の合戦の洞ヶ峠とか天王山みたいな感じでさ
柳寛順や李舜臣だの載せてるくせに
吉田松陰や坂本龍馬は削除かよ?
関ヶ原や大政奉還を教えろと言ったら嘘と言われる。
関ヶ原や大政奉還ってなかったん?
それを言うなら、殆どの歴史が怪しい。見たやつは誰もいない。
決戦の舞台や最重要な要所というわけでもないからねえ・・・
単なる陣取った場所と言うだけでは結構きついかもしれない。
せめて松尾山自体で攻防戦があったのならともかく。
小早川秀秋が寝返ったっても、元々が東軍だからなぁ。
上杉責めに参陣する途中で三成が挙兵しちゃって、半ば無理矢理西軍に組み込まれただけで。
だからこそ、初めから寝返りが懸念されてた訳で・・・。
秀秋が松尾山に強引に陣取った事、あのタイミングで1万5千もの大軍を西軍側面に叩きつけた事が、西軍が短時間で崩壊した最大要因。
謂わば関ヶ原の戦いの最大殊勲武将なんだがなぁ。
全て輝元の責任よ
勝手に血判までやってて
吉川小早川が裏切った形だけど家を残そうとしてのことだし
>>902
洞ヶ峠なんか実際に筒井順慶が陣取ったわけでもないのに
日和見の代名詞になっている、と筒井康隆が小説に書いてたが
今のところこれが定説みたいだな ただまあ、秀秋が完全に西軍なら西軍の布陣は完璧なんだよか
鶴翼で完全に包み込んでる
東大二次日本史2013年第4問
明治維新の過程ではさまざまな政治改革の構想が打ち出された。
次の文章はそのもっとも初期の例で,1858年,福井藩士橋本左内が友人に書き送った手紙の一部を現代語に直したものである。
これを読んで下記の設問A・Bに答えなさい。
__________________________________________________
第一に将軍の後継ぎを立て,第二に我が公(松平慶永),水戸老公(徳川斉昭),薩摩公(島津斉彬)らを国内事務担当の老中,
肥前公(鍋島斉正)を外国事務担当の老中にし,それに有能な旗本を添え,そのほか天下に名のとどろいた見識ある人物を,
大名の家来や浪人であっても登用して老中たちに附属させれば,いまの情勢でもかなりの変革ができるのではなかろうか。
__________________________________________________
設問
A 橋本は幕末の公議政体論の先駆者として知られるが,この構想は従来の政治の仕組みをどのように変えようとするものであったか。国際的背景を含めて,4行以内で説明しなさい。
B この後,維新の動乱を経て約30年後には新たな国家体制が成立したが,その政治制度は橋本の構想とはかなり違うものとなっていた。主な相違点をいくつかあげて,3行以内で述べなさい。
>>844
いんや。
期間は短いけど、家康の家臣になってるよ。 >>905
いや、洞が峠は筒井が行かなかったから慣用句になってるわけでな
明智が洞が峠でいくら待っても来なかったって話だぞ
陣取るもクソもない。行かなかったから価値があるw 歴史なんて全て怪しい。
古文書や文献が残っていたとしても、それが嘘か本当か分かったもんじゃない。
今だって、後世の人間が朝日新聞を見つけて読んだらそれが歴史になってしまう。
そう思ったら怖いわ。
真田なんか教科書にいらないだろう
多くの有力大名に影響を与えたけど
影響を与えただけ止まりだもんな
>>864
タラレバってあんた、上のタラレバに返信してるんだけどw
ちゃんと読めよw
あと、もっと関ヶ原の状況を勉強しような。
家康の思惑通り西軍で戦ってる兵力は少なかったけど、これが思ったよりも手強くて押されてたのよ。だから小早川もずっと様子見をしていた。
それと、秀忠を待てばいいって、そんな単純なことなら家康もそうしてる。
東軍も寄せ集めで血気に逸る武将をこれ以上抑えたら暴発しそうだから一か八かやるしかなかったんだよ。 少弐も福岡、小早川も福岡、麻生も福岡
福岡を制するもの日本を制す
>>902
これだけメジャーな行為だから一言で表せる何かが欲しい
湊川だ、といえばああって行為や心情がよくわかる、みたいにさ
今だったら、秀秋るとかになっちゃいそうだが 小早川が裏切らなくても西軍の主力やる気なかったのがなあ
毛利とかなにやってたのよ
>>903
東軍の中にも無理矢理組み込まれた人も沢山いたし、西軍のある武将なんか東軍に加勢に行く途中で行く手をさえぎられてそのまま西軍についちゃった不運な人もいるよw
そんなんだから関ヶ原本戦でも敵か味方かわからない武将があちこちにいた。 ご先祖様ホント参ったよなぁとか言っておいて
実はお前子孫じゃなかったよ?ってなったら手のひら返すんだろうなぁ。
子孫にさせてくださいって。
>>917
南宮山の毛利にやる気があると見たなら
家康も本陣をあんなに進めることはなかったはずだ
包囲陣のまっただ中に突っ込むようなもんだし >>914
元寇では竹崎季長の蒙古襲来絵詞よりも
上司の少弐資能・少弐景資のことを取り上げるべきだな >>917 だよね、1番の戦犯は大将の毛利だよなぁ 世界史的に言うと関ヶ原って、裏切りレベルでマンジケルトの戦い?それともハッテンの戦い?
>>1
裏切っただの、馬鹿だっただの、臆病者だっただの、
本当か嘘かわからないようなことを、歴史小説家という馬鹿どもが、
金儲けのために面白おかしくご先祖様を脚色するのは、
子孫として堪えられないだろう。
証拠もなく無根拠に貶められるなら書かれない方がいいよな。 まあ結局関ヶ原で負けた毛利や島津が明治維新で意趣返しを成し遂げて
その後も西日本が総理を排出し続けてるあたり歴史の面白いところである
>>903
上杉討伐軍に加わるために移動中の大阪あたりで
三成がクーデター起こしたもんだから
それ以上東進できなくなって嫌々西軍のフリしてただけだもんな
最初から裏切ってなんかいない 政治は西軍、商人も近江
働かされてる奴が東軍というのが今の日本
東京という土地だけ利用してるだけ
>>893
この頃の武士は今のヤクザとスポーツマンをミックスさせたような
性格だからな
俺と互角に戦った大将の末裔を俺の家来に抱えたいとかさw
島津との外交パイプが井伊直政なのも
死闘を演じた縁からだからなw井伊も島津に敬意を払う心情になるしなw >>920
毛利秀元は戦う気だったというのが定説だよ。吉川広家に邪魔されたけど。 裏切りに至った経緯は余り語られない人
あんなのただのなるべくしてなった結果なのにな
景勝は裏切りというよりもただのヘタレな気がする。
信長が本能寺の変で死ななかったらあっさり信長の下についてたと思う。
小早川秀秋については相当ゆがめられて伝えられてる。
問鉄砲はなかったし、それ以前に小早川秀秋は徳川方につくことに迷いはなくさ開戦直後に徳川方として戦っている。
そして「関ケ原の戦い」も従来伝えられているよりずっと短時間で決着がついている。
研究に基づいて確かめられた事実の記述なら相当有能な武将といっていい。
母方の祖母が新潟の大谷系だった
厨房の頃に話を聞いたよ
「人に言っちゃ駄目だよ」とも言われた
当時、刑部のことは聞き齧ってたし、自分もああなるかもしれないって怖くて夜寝れなかったな
小早川は許さん
中途半端な裏切り方がね。
結局、彼は西軍陣営からも恨まれ、かといって家康に近づけるわけでもなく。
数年後には死んで、家名も領地も失ってしまうわけだ。
でも18やしな。もう少し人生経験を積んでればなあ。
>>927
あの状況で西軍についてたら西軍が間違いなく勝ってたでしょ。
何時間も互角に戦っるところに疲れてない1万5千の兵が雪崩れ込んできたらひとたまりもない。 >中途半端に世界史の知識を入れるぐらいなら、まずは日本の歴史をちゃんと教えてほしい。
いやいやいやw
戦国のドンパチなんかよりも
世界史を教えるべきだろw
>>1
最近の明治維新おとしめ本は本当に酷い。
ほとんど証拠が書かれていない。
あってもそう思うという著者の推測のオンパレード。
こんなものでは、批判している薩長史観と同じどころか、
それ以上の捏造史観だ。説得力の欠片もない。 >>931
小早川秀秋は家康の股肱の臣である鳥居元忠を攻め滅ぼしてるんだが? >>935
宰相の空弁当ぐらい知ってるわ
でなくて家康は広家の内応を知ってたから、南宮山より奥まで本陣を動かしたということだ >>920
偶然とはいえ西軍の布陣はほぼ完璧だったんだよな
普通に戦ってたら家康がまず負けてるよね >>949
素人が見ても西軍の布陣は完璧だね。
三成も勝ったと思っただろうなぁ。 >>941
そう簡単ではないよ。東軍は二段構えだから
西軍の宇喜多、小西、石田と当たっていたのは東軍の福島らの先陣で
当時最強と思われていた家康の本隊3万がまだ戦わずにいたから 大谷吉継って誰よ
日本史受講してた奴には有名なのか?
関ヶ原の戦い自体、ほとんど江戸時代につくられた創作。小早川は早めに死んだから汚名を着せられてるだけ。
>>953
日本史ではやらんよ。歴史マニアが好きなだけで 戦の内容なんて教科書にほぼ載せないから問題ないよ
何おこがましい事言ってんの
1600年9月豊臣政権下の五大老徳川家康と五奉行石田三成が西軍と東軍に別れて
関ヶ原で戦った、これ位しか載らない
むしろ無名の偉人一覧が欲しいくらいなんだが
この時代にこういう名前の人が何処の何をしてた人かくらい軽く書いてないと
人名を発見出来ないし勉強する切っ掛けにならない
>>952
家康はぐるっと敵に囲まれた陣形の真っ只中にいたんだよ。
小早川秀秋が西軍についたら、それまで様子見をしていた他の武将まで一気に攻めかかってくるでしょ。
家康本陣がいくら精鋭でも持ちこたえられない。 明治に再興した小早川家を秀秋の子孫って言うのは何か違うと思うわ
>>957
伊達政宗も足ぺろぺろして簡単に寝返るからな何が伊達男なのか意味不明 小早川は乱世うぜえから引っ掻き回してやろうかって思惑があったのかもしれない
真田は幸村ってのが浸透しちゃって親父や息子が広まらないのが何とも
写真のない時代の史実なんて勝った側が都合良く伝えられるからなあ
最近の研究やらで教科書から消えたり鎌倉幕府みたいに年号変わったりしたのもあるからどっちでもいいよ
>>943
明治維新の登場人物、殆ど日本人のなりすましと家の乗っ取りだよ
吉田松陰なんて朝鮮テロリストじゃねーの まあ小早川秀秋が悪く言われるのは、秀吉から散々恩顧を被りながら、豊臣家を崩落させた原因の戦いで大殊勲を挙げちゃったからだろ。
>>848
蜂須賀氏の自出は諸説あって定かではないが、国衆であったことは間違いなさそう。
だが、正勝は川並衆の一つを率いていたとする説もあるから、その説が正しければ「盗賊上がり」は正しい事になっちゃう。
>>913
横から、しかもそっちの本題とズレててごめん。
>これが思ったよりも手強くて押されてたのよ。
うーーん、正面戦力はほぼ互角か西軍優勢。陣形は明確に西軍有利。
毛利軍が西軍として動けば、東軍敗北ほぼ確定。毛利軍が動かなくても、小早川軍が動かなければ混戦必至な状況だぞ。
毛利は動かない。小早川は味方。という確信がなければ、あんな所に布陣出来ないw
>だから小早川もずっと様子見をしていた。
んー・・・。
秀秋が早いうちから東軍として戦闘に参加しても、あれ程決定的な役割は果たせなかったと思うぞ。
逆に早いうちから西軍として参戦していれば、西軍有利は容易には覆らなかっただろう。
福島正則軍が消し飛んじゃうからねw
勝ち馬に乗ろうとしたと考えるよりも、東軍勝利の為に最も効果的なタイミングを計っていた、と考える方が自然だと思うが。 >>961
見せ掛けだけでやらんから伊達男だぞ
ぴったりやんか >>961
上杉謙信も義とか言いつつ、自分に関係ない戦いにもしゃしゃり出て
戦利品として住人を奴隷として売り払ったりとか、
直江兼続も自分の部下に殺された、農民の家族の要求にキレて
代表者をぶった切ったりと、見方によってはいろいろあるよね。 >>964
陣形の有利は毛利、長宗我部、小早川が動けばの話なので、
動かない以上は陣形的な有利はないのよ。
そしてそれ以外の戦いが拮抗していたからこそ、吉川も小早川も動かなかった。
というか、そもそも小早川には裏切りのタイミングを東軍も西軍も狼煙などを上げて
知らせていた以上、効果的なタイミングを狙っていたという事はないと思う。
やはり、どちらに着くかを最後まで決めかねていたのかもしれん。 >>965
>>966
結局は地元崇拝者が地域復興のために作り上げた虚像であり史実でもなんでもないんだよね
ホトトギスなかぬならーとか誰が言い始めたんだよ まあ輝元は元々柴田羽柴でも中立だし
上杉征伐からの三成征伐なだけだろう
しかし大阪から家康追い出すにはこれしかないからな
>>270
戊辰戦争のころは弟の家系になってたんじゃなかったか 西軍が勝ってたら太平の世があったかどうかはさておき
日本の首都は京都か大阪か
少なくとも東京ではないだろうな