始まりは20代の若手社員が出した、たった1行の提案。「落としても壊れない丈夫な時計」――。その1行が仲間を引き寄せ、会社を動かし、のちの大ヒット腕時計「G-SHOCK(ショック)」を生んだ。1983年4月に発売したGショックは2017年8月末の時点で、世界累計1億個を出荷するロングセラー商品になっている。ここに至るまでは決して順風満帆ではなく、むしろ何度も座礁しかけた。初代Gショックの生みの親、カシオ計算機アドバイザリー・エンジニアの伊部菊雄氏と取締役専務執行役員で時計事業部長の増田裕一氏、2人の証言から振り返る。
■ソフトボール大になった実験サンプル
81年のことだ。カシオ計算機で腕時計の外装設計を担当していた伊部氏はその年、来る日も来る日も東京都羽村市の技術センターのトイレにこもり、ある実験を繰り返していた。
役員が審議する月に1度の提案会議に「落としても壊れない時計を作りたい」という1行だけの企画書を出して通ったものの、どうすればそんな時計が作れるのかはわからなかった。そこで社屋の3階にあるトイレの窓からサンプル時計を自由落下させ、どれくらい厚みのあるゴムを貼り付けたら壊れないかを調べていた。
テープでゴムを巻いた時計を落下させては1階へ。「今度こそ」。期待に胸を膨らませながら、地面に落ちた時計を拾って調べると「だめか……」。心を落ち着かせながら階段を上り、3階のトイレへと戻る。実験している間、彼は一度もエレベーターを使わなかった。
「落とすたびに、次は大丈夫だろうという期待値が膨らむ。そのワクワク感を楽しみたかったんです。だけど、壊れているのを知った後の階段を上る足取りの重さったら、なかったですよ」(伊部氏)
1枚、また1枚と、時計の周りに衝撃を吸収するゴムを貼り付けていった。ようやく落としても壊れない状態になったと思ったとき、サンプルはソフトボールほどの大きさに膨らんでいた。「成功確率は50%だな」と伊部氏は思った。
■若手3人がチームを組んだ
伊部氏と同じ時計事業部で企画を担当していた増田氏はそのころ、日々、フラストレーションを溜めていた。当時はまだ20代の若手社員。年齢は伊部氏より2つ下だ。
「カシオのものづくりは伝統的にバトンタッチ方式で、開発本部、技術本部、生産本部、営業本部と順番に仕事が流れていく。当時はLSI、つまり半導体の進化が著しく、次々と新しい技術が生まれていました。だからほとんど、商品開発イコール技術になってしまう。企画といっても実際はプロジェクトを進行するためのコーディネートが中心です。技術ありきで仕事が降ってきていたため、全く違うやり方で商品を開発してみたいと思っていました」(増田氏)
そんな折、伊部氏から「壊れない時計を一緒に作らないか」と声がかかった。伊部氏は基礎実験をしている間、しょっちゅうトイレに様子を見に来る増田氏のことを覚えていた。ほかの社員がいぶかしがって声もかけずにいるなかで、「何をしているんですか?」と興味を持って話しかけてきたのは、増田氏だけだったからだ。
「時計は感性が必要とされる商品です。中身を作ってからデザインする手法ではいいものは作れない。落としても壊れない時計を作るプロジェクトは、新しいやり方を試すいい機会だと思いました」(増田氏)
「当時、そんな言葉は使っていませんでしたけれど、今でいうところのコンカレント方式で進めていくのがいいと思ったんです」(増田氏)
コンカレント方式とは、設計、試作、生産などの各工程を担当する部門が情報を共有し、複数の工程を同時並行で進めていくものづくりの手法だ。増田氏は当初、伊部氏をリーダーにと考えていたが、「全体のコーディネートをするのは企画の人間がいいだろう」という声が社内からあがり、増田氏がプロジェクトのリーダーになった。
>>2以降に続く
配信2017/10/19
NIKKEI STYLE
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO22179580S7A011C1000000?channel=DF190720172684&page=3
★1が立った時間 2017/10/20(金) 11:28:06.96
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1508466486/ >>1 続きです
■袋小路を抜け出せた、意外なきっかけ
時計の心臓部を5つの緩衝材で保護する「5段階衝撃吸収構造」を考案するところまでは、比較的順調だった。これでソフトボール大だった実験サンプルは実際に発売された初代Gショックと同じサイズにまで小さくなったが、問題はそこからだった。
「サンプルを3階から落とすと、電子部品が1つだけ壊れるという現象にぶつかりました。壊れた部品を強化すると、今度は別の部品が壊れる。まるでモグラたたきのようで、らちがあかなくなってしまったのです」(伊部氏)
いっこうに解決策が見えず、伊部氏は内心、「90%ダメかもしれない」と感じたという。だが、壁にぶつかって悩んでいることを、チームメンバーにさえ正直に打ち明けられなかった。
「基礎実験もしないまま企画書を出した負い目がありましたから、うまくいかなかったら会社を辞めるしかない、と思い詰めていました。けれど、ほかの2人はそんな私の気持ちを知らないから、『いつになったらできるの?』とか、『もうそろそろなんじゃない?』とか簡単に言うわけです。悪気がないのはわかっていたのですが、ささいな言葉が気に障り、毎日、けんかばかりしていました」(伊部氏)
袋小路を抜け出せたのは、ある偶然のおかげだ。伊部氏が続ける。
「実はそのころ、どうやってこの企画を終わらせるべきかと考えるようにもなっていました」
月曜日の朝、実験サンプルを自宅に持ち帰り、日曜日の朝までと期限を切った。
「土曜日の晩になったときにはこのまま眠らなければ朝がこない、とさえ思いました」
それでも、朝はやってきた。いよいよ期限の日曜日。週が明けたら会社に謝りを入れて辞表を出そうと決心し、部屋を片付けるために休日出勤をした。
「それでも諦めきれなくてですね。未練たらしく実験をしていました。社員食堂が開いていないから、お昼を食べに外出したんです。そうしたら、会社に戻りたくなくなってしまいました」(伊部氏)
公園のベンチに座ると、女の子がゴムボールをついて遊んでいるのが目に入った。「自分がしている落下実験と、どこか似て見えたんでしょうね」と伊部氏。魅入られるようにじっとボールの動きを見つめていると、ふと、中に時計の心臓部が浮かんでいるのが見えた。「その瞬間、頭の中でピカーッと光ったんです」と伊部氏は言う。
心臓部を宙づり状態にすれば衝撃は伝わりにくくなり、落としても壊れない。ひらめきは間もなく確信へと変わり、Gショックの構造設計が完成した。
■最初に売れたのは米国市場だった
伊部氏が完成させたサンプルはあまりにも構造上の制約が多すぎて、デザインする余地がほとんどなかった。それでも二階堂氏は悩みながら、黒と赤を基調にしたコンセプトに合ったデザインを編み出した。もう1人のメンバーである増田氏は、この時流に逆行した製品を「どう売るか」で悩んでいた。
「当時、腕時計の主流は薄型でした。売るためには営業の販売計画に入れてもらう必要があるのですが、国内はいくら説得しても『こんなもの売れない』の一点張り。唯一、興味を示してくれたのが、米国の販売部門にいた現地のセールスマネジャー。彼がおもしろがって販売計画に入れてくれたおかげで、なんとか出荷することができました」(増田氏)
初代Gショックの発売は83年4月だが、それから約10年間、国内では泣かず飛ばずの状態が続いた。先行して売れたのは米国だ。
「米国では最初から動いていました。というのも、発売の翌年、テレビCMを流したんです。Gショックをアイスホッケーのパックに見立てて、たたいても壊れないことをアピールした。すると視聴者から『誇大広告ではないか』という声があがり、現地の人気番組で検証することになりました」(増田氏)
ホッケーの選手がフルスイングしてたたいても、大型ダンプカーにひかせても時計は壊れなかった。結果的にそれが宣伝となり、消防士や警察官など野外で働く人たちを中心にユーザーが広がっていった。
続く >>2 続きです
■道路工事で働く人たちに使ってほしかった
開発の途中から、伊部氏は心の中で、ある明確なターゲットを思い浮かべていたという。
「実験をしていたころ、道路工事の現場を見たら、作業している人たちが全員、腕時計をしていなかったんです。壊れるからでしょうが、屋外で時間がわからないのは不便だろうなと思いました。だから、その人たちに使ってもらえる丈夫な時計を作ろう、と思っていました」(伊部氏)
国内でGショックが売れ始めたのは、90年代に入ってからだ。米国西海岸のスケートボーダーの間で流行し、それが日本に逆輸入され、ストリートファッション誌で取り上げられるようになった。情報をつかんだ増田氏が幹部を通じて取締役会に販売促進を働きかけたが、当初はなかなか理解してはもらえなかったという。
ブレークスルーのきっかけは、取締役の息子が発した「お父さん、Gショック買ってよ」のひとことだった。それを聞いて、上層部もようやくGショックが若者の間で流行していることを知った。当時も今も、開発者たちの苦労はそれほど大きくは変わらないものだ。
おわり 昔は安い電卓の会社のイメージだったが、たいしたもんだ。
汗で経年硬化して割れるって末路がお粗末なGショック
Gショックを床に叩きつけて液晶部分が簡単に壊れたのは苦い思い出だ
信用したらあかん、
>>10
安い電卓メーカーから安くてベルトがすぐ切れる腕時計メーカーへの変貌 宇都宮線 間々田駅で人身事故 「目の前で何か吹っ飛んだ」
ホームや付近に肉片が散乱
https://t.co/mjEOLpHGIx
ソフト 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) 時計屋が電池交換したがらないんだよね
古いやつだと作業中にあちこち割れる可能性があるから
>>15
わざわざ叩きつけなくとも普通に使ってるだけで壊れるのに なんかごちゃごちゃ付いた昔のスパイグッズみたいな時計あったら教えてくれ
>>10
今でもそうだよ。一度何かを開発したらそれをベースに延々と類似商品を売り続ける。
そういう会社。 まりつきする幼女が足上げてパンチラしたの見て大リーグボール2号を思いついた星飛雄馬
Gショックって83年からあったのか。初めて知ったわ。
81〜83年頃だったと思うけど当時は
ダイバーズウォッチブームでみんな防水性能を自慢してた記憶はあるけど
Gショックを聞くようになったのは80年代末だった気がするんだが俺の勘違いかな。
でもカシオの時計ってほぼ使い捨てだろ。モデルチェンジが早いから壊れた時には
部品がない。
Gショックが丈夫なのは分かるけど、液晶部分はどうなんだろ。
安いデジタルと違って液晶の寿命が長かったり精度が良くて遅れたり進んだりしにくいとかあるのかな?
腕時計は5年前くらいに壊れてからガラケの時計だけを使ってる。
仕事などで無いと困る場合もあったりするのだけど買うのが面倒臭いという理由でいままで通してる。
時間に縛られた人生を続けるなどはもう潜在意識が完全拒否しつつあるのかも知れない。
何故か不思議と食指が湧かないのだよねぇ・・・
必要なのだけどどうでもよいという感じ。
山内の親分に、
窓から投げて強度試験をされたとか、
戦場で焼け焦げたのに、
ちゃんと起動したとかいう、
初代GAMEBOYとどっちが強いんだ?(´・ω・`)
>>32
俺が持ってたGショックは月に30秒〜1分くらいずれたよ
溶接の電磁波とか影響する仕事だったからかな? >>34
その前から象が踏んでも壊れない筆箱とかあったよ ヤフオクで試しにカシオのデジタル腕時計6本で1000円落札したら、GショックとベビーGは樹脂バンドがボロボロと崩れ、結局、データバンク一本しか残らなかった。
「お、初代FROGMANの使って無いのあったな。売ったろ」
ボロボロむけよる…(´・ω・`)
これも燦然たるブランドの一つだよ。
タフな時計という立ち位置で圧倒的なブランドを築いた。
時計でセイコー等メーカー名は立っていても、一商品企画でここまで世界で名を売れたものは中々無い。
>>18
カシオだと、メーカーに送って交換するって言ってたな
しかもなかなかのお値段。
百均でメガネ用ドライバー買って自分で交換したわ 飛行機に何回か乗ったら壊れたから捨てた
保証で直せたらしいが
そろそろ人体に時計や計算機くらいの機能がついてもいい頃
俺は、Gショックじゃないチープカシオのファン(?)なんだが
本体は何ともなくても
樹脂のベルトが3年と持たない
換えのベルトが、本体より高いもんで
結局、またチプカシを買うのが賢明ということになる
おかげで、チプカシのコレクターとなってしまったw
>>44
横だけど自分でやったよ
フタ開けて交換するだけだから簡単な方だと思う >>44
うん。防水が難しいと脅されたけど簡単だったよ
電池は百均に合うやつがなかったからネット通販で取り寄せた。 >>29
1000円でおつりくるチプカシって30年前から仕様かわらんのだぞ >>46
電気シェーバーみたいだな。
あれも替え刃が高くて、アマゾンなんかで同じ替え刃を使ってる低グレードの本体買って、刃だけ残して本体棄てたりしてる人がいるんだよね。 >>8
土建屋が良く高価なこれ使ってるけどベルト切れては嘆いているよ
電池交換で裏蓋を開けて、バネが散乱して戻せなくなった人
ノシ
チープカシオでもかなり丈夫じゃね
農作業中に使ってる
>>5
自分達の国の企業が作って販売したのに、
アメリカで流行り始めたら日本も真似して買うようにやるとか、属国気質丸出しで滑稽ですねww
アメリカ人が顔に汚物塗り始めたら、真似して自分達も顔に汚物を塗りたくりそうなレベルwwwwww >>51
アマは刃だけ抜いて本体だけ売ってるアホおるな
950円とかで売ってるな、替刃購入したらその辺の家電量販店で売ってる値段と比べたらマイナスの価値もないもんを
インク抜いたプリンター本体売ってるのと同じやつだろうが 裏蓋はプラスネジで止まってるだけだから電池交換は簡単なんだけど
色々な理由で自分でいじるのはおすすめしない
2万円として1億個販売で売上2兆円か
やるじゃんカツオ
ビンラディンもチプカシ付けてて、テロリストの時計とも呼ばれてるね。
gショックがどうのこうのって定期的に出るが、
もう他に売る物ないからコレしか宣伝できねーんだろw
40年近く前の話を何回も何回もw認知症かw
壊れにくいのに売れるってのはTPPに応じて着せ替えしようという需要、つまり
コアなファンを獲得しているってことだろうから素晴らしいよな
( ̄ ̄< / ̄>
\ ヽ / /ソ
プ ロ ジ ェ ク ト\ ヽ P r o j e c t X
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挑戦者たち /|_/ /\Challengers
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>>34
任天堂もやたら丈夫だよね
逆にセガのハードは接続部がすぐダメになったり、
サターンはフタが閉まらなくなったり脆弱だった そういや電池切れたガウスマンが部屋のどこかに転がったままだわ
>>74
細かいバネを無くすと、音が出せなくなったりしますね。
今は、機種で検索したらばらしてる画像や動画が見られるけど、ネットが無かった頃、「電池交換くらい楽勝でしょ?」と予備知識も無しにばらして、細かいバネやらボタンやら散乱しちゃってダメになっちゃいましたよ。 >>74
ヤフオクでゴミみたいな激安の落札して、試しに分解してみては? たしかにこんだけ低コスト化が進めば誰でも買うわ
機能も一応信頼性あるし
基地や艦艇一般公開で感じる自衛官が着けている時計のG-shock率の高さ
>>80
なるほど、しっかり覚えておけば大丈夫と思ったけど、
バネが散乱すると素人だと分けわからなくなりますな〜
ありがと。聞いて良かった。
自分、絶対やらかすとこだったわ >>74
裏蓋開ける時に蓋を変形させてしまって防水性能が落ちるとか
微小な異物を閉じ込めて壊れるとか
静電気飛ばして壊れるとかメーカーの保証が切れるとかいろいろ 初期の文字盤スッキリした5600あたりが一番好き。
いまになってみれば、数字がもう少し大きい方がいいかな。他社製品みたいに。
GとphysとPRO TREKとW735振動アラームを愛用してる。
>>51
Amazonだと本体買って刃だけ抜きとって返品するやつがいる。 今後来るであろう未曾有の大災害や戦争の時にiPhoneや韓国スマホは耐えられるの?
津波や爆風や衝撃に耐えられるの?
そういう時の為に頑丈堅牢な京セラ製のスマホTORQUE G03や京セラ製のガラケーTORQUE X01みたいのをさ、
一家に一台持っておくべきじゃね?
まあ最もそういう時に一番持っておいて損は無いのは各キャリアから発売されてる衛星携帯電話だけどね
未曾有の大災害などの時は通常の携帯電話回線はほとんど繋がらないからね
そんな時にこそ衛星を使った頑丈堅牢な衛星携帯電話
>>97
衛星携帯電話はもっともっと普及していいね。
シェルターの設置が一部で流行ってるようだけど、そういう層、
企業や事業所、公署、幹部職員は持っておくべきだ。
学校長もだな。
カシオについていえば、
アクションカメラ関係でもっと頑張って欲しい。 >>94
返金、もしくはポイントに還元で得するのですか?でも、泥棒だよね。 >>90
なるほど、怖いと言えば怖いな
まあ自分の物だし、最悪壊れてもいいかという気持ちはあるかな
どうせならメーカーは容易に電池交換できるような設計まで
考えてもらいたいな >>1
>頭皮がピカーッと光った
これじゃ爺ショックだろ 13年使ってベルト切れたのは1回。
ソーラ電池だから交換もなし。
>■道路工事で働く人たちに使ってほしかった
文字盤へGを加えると破損する欠陥品
サファイアガラスくらい使え
俺ならゴムを減らしていくけど、何で増やしていくのかね?
Gショックスマホ復活しねえかな。
今は京セラのトルクを使ってるけど、やっぱりカシオが良い。
>>108
オシアナスにすれば解決だな。
ゴムベルトがすぐ切れるという問題もメタルバンドで解決だ。
ちょっと高いけどな。 >>87
思いついた技術者より、一緒にやらないかと声をかけられた人の方が出世したみたいだな。>>1
>初代Gショックの生みの親、カシオ計算機アドバイザリー・エンジニアの伊部菊雄氏と取締役専務執行役員で時計事業部長の増田裕一氏 >>111
同意
カシオじゃなくてショックだったわ
時計店に置こうとしたらセイコーに圧力かけられた話が好き
誰か貼ってくれ >>106
すぐ修理できなくなるし、加水分解でボロボロになるし、そうは思えないな >>40
セイコーはSEIKO5が世界で圧倒的に売れてるし
カシオもG-SHOCKよりチプカシが桁違いに認知されてる 機械式の自動巻きのオモリが回ってる感覚が好きなんだ
>>110
それで耐衝撃などは維持できるんだよね? 逆輸入のDW-5600Eなら、昔は2980円で買えたのに、今はその倍はする
ずいぶん高くなったものだが、高くなった分客はチプカシに流れているような気がする