2017.9.24 18:50
安倍晋三首相は28日召集の臨時国会冒頭で所信表明演説を行わずに衆院を解散する。所信表明演説などを行わない国会冒頭での解散は戦後3回あり、いずれも自民党が勝利している。
戦後初の冒頭解散は、昭和41年12月、安倍首相の大叔父の佐藤栄作首相が決断した「黒い霧解散」だ。自民党議員や閣僚に汚職や公私混同の不祥事が相次いで「黒い霧」と表現され、野党が国会審議を拒否したことから、事態打開のため通常国会冒頭で解散を打った。翌年の選挙で自民党は486議席のうち過半数の277議席を確保。佐藤首相は、その後の長期政権の足がかりをつかんだ。
61年には中曽根康弘首相が、野党が夏の衆参同日選を警戒する中、通常国会閉会後の同年5月27日の閣議で臨時国会召集を決め、6月2日に衆院本会議を開かないまま解散。準備が整わない野党を横目に、自民党は512議席のうち追加公認を含めて304議席を獲得した。
中曽根氏は後に、解散を同年正月から考えていたが公には否定するために「寝たふり、死んだふり」をしていたと回顧し、「死んだふり解散」と呼ばれるようになった。
3例目は小選挙区比例代表並立制の導入後、初めてとなった平成8年9月の解散だ。橋本龍太郎首相は住宅金融専門会社(住専)処理と米軍普天間飛行場返還の日米合意を実績に、臨時国会の冒頭で解散した。
自民党は28議席増の239議席(定数500)を確保する一方で、連立相手の社民党と新党さきがけが改選前より議席を減らした。両党は閣外協力に回り、3年3カ月ぶりの自民単独内閣を発足させた。
今回の臨時国会冒頭での衆院解散について、民進党の前原誠司代表は「6月から、憲法53条に基づき(臨時国会の)開会要求を行ってきた。ようやく開くと思えば議論もせずに冒頭解散するのは戦後初の暴挙だ」と批判する。しかし、平成8年の臨時国会は野党第一党の新進党から召集要求が出ており、今回が初めてではない。(清宮真一)
http://www.sankei.com/smp/politics/news/170924/plt1709240034-s1.html