http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40822826
ニュージーランドで政党の新党首に就任した政治家が、「子供を作る予定はあるのか」と繰り返し質問されたために立腹し、話題となっている。
ニュージーランドの野党・労働党党首に選ばれたジャシンダ・アーダーン氏は1日、2017年にもなってこのような質問が出てくるとは「受け入れがたい」と話した。
女性が政治家になると、女性だからというだけで男性政治家よりも厳しい目線にさらされるのだろうか。そしてそれとは裏腹に、子供がいる女性政治家は、母親としての立場を利点にして活用できるのだろうか。
「わざと産まず」
政治家の中には、子供がいないからと、深刻な政治攻撃を受けた政治家もいる。
たとえば、ニュージーランドから海を隔てたオーストラリアの前首相、ジュリア・ギラード氏がそうだった。
豪紙シドニー・モーニング・ヘラルドはかつて社説で、「メディアに登場するギラード氏は、一部の有権者の期待に沿わない。人生を仕事に捧げた、子供がいない独身女性だからだ」と書いた。
これはまだ優しい方だ。オーストラリアの首相を務めていた間に、ギラード氏は「わざと産まない」(他党の上院議員)、「元共産主義の子無し無神論者」(同党のライバル議員)とまで呼ばれていた。
こうした個人攻撃にギラード氏は反撃した。なかでも、野党のトニー・アボット党首(当時)への反論は辛辣で、「現代オーストラリアの女性蔑視の形を見たければ、(アボット氏は)鏡を手にするといい」と痛罵したこともある。
ただし、有権者の期待については確かに、シドニー・モーニング・ヘラルド紙に一理あるのかもしれない。
英ロンドン大学バークベック・コレッジの政治学者、ジェシカ・スミス氏は、親としての政治指導者や、政治家の性別について研究している。そしてスミス氏は、社会における女性の役割が変化しているにもかかわらず、未だに「女性=母親」という捉え方が圧倒的に強いと指摘する。
「(他人の)面倒を見るのはまずは女性だというステレオタイプ」は今でも根強く、「私たちはそのレンズを通じて女性を見たがっている」とスミス氏はBBCに話した。
「また、キャリアウーマンについては、つい言ってしまいがちな決まり文句がある。つまり、子供がいない女性については、キャリアを優先したに違いないと」
有権者が以前よりも「政治家の人間性に関心を持つ」ようになる中、政治家の家族関係も重視されるようになった。しかし、「男性政治家は家族の話題を避けても許されるのに、女性はそうはいかない」とスミス氏。
ドイツでは少し事情が違う。
ドイツ人の多くがアンゲラ・メルケル首相を、愛情をこめて「Mutti(ムティ、お母さん)」と呼ぶ。しかし、血がつながった子供はいない。
メルケル氏になぜ子供がいないのかは、周知の事柄ではないし、マスコミは特に話題にしない。ドイツのプライバシー関連法制は強力で、政治報道は他国と比べてはるかに政策重視だからだ。
しかしだからといって、政局の難しい局面で、攻撃材料にしようという政敵はいる。
メルケル氏がゲアハルト・シュレーダー前首相に対抗して出馬していた2005年のことだ。前首相の妻ドリス・シュレーダー・ケプフさんは、メルケル氏は「その経歴からして、大方の女性が経験してきたことを、経験していない」と発言した。
メルケル氏に子供がいないことの言及だと言うのは、明らかだった。
将来への「具体的な利害関係」
このやりとりは、昨年の英保守党党首選を覚えている人には、聞き覚えのある内容だろう。昨年夏にアンドレア・レッドソム氏とテリーザ・メイ氏が、保守党党首の座、すなわち英国首相の座を争っていた時の話だ。
3人の子供がいるレッドソム氏は、自分は母親なので、英国の将来に自分は「実際に具体的な利害関係」があるのだと、日刊紙に話していた。これは子供がいないメイ氏への当てこすりだと解釈された。
発言は非難され、レッドソム氏は謝罪したが、これを機にレッドソム氏は党首選から撤退することになった。
しかしそれでも、子供のいない女性政治家に対して、子供がいないという事実がどうやって攻撃材料に使われるのかを示す、一例ではあった。
(リンク先に続きあり)
ナリーナ・エガート、BBCニュース
(英語記事 Female politicians and babies: a lose-lose situation?)