トルコはロスケと組んだり、敵対したり、米帝と組んだり敵対したり、ISとくんだry)
忙しいな
さすが、バランサーw
むしろ米国に反対してる国と地域、団体だけを教えてくれればいいよ
オバマがグダグダにしてきた世界秩序の再建の始まりだな
これでアメリカとロシアの関係修復は難しくなったな
ロシアは欧米に経済制裁を解いてほしいわけだが制裁解除はありえんだろう
サウジのように財政破綻が間近まではなくとも制裁継続は苦しいんじゃないのか?
特権階級様がリアルTRPGで戦争ゲームでもやってんじゃねぇかな
シリアと長大な国境を接するトルコは昔からシリアと仲悪いし、小競り合いなんかも起きてる
困ったことにトルコにしたらシリアは、政府軍も反政府軍もどっちも敵なんだよな
さらにはISやらクルドやらイラク難民やらいるから、それらをすべてまとめてふっ飛ばしてほしいんだろうな
やはりトランプだ。お馬鹿とは違う。北とシリアとロシアをまとめて整理してもらいたい。そうすれば北方領土も解決する。
ロシア孤立しすぎw
トルコにあれだけ関与してたのに
イランしか話を合わせてくれないw
クルド人の独立運動
第一次世界大戦期まで、クルド人はトルコ人、そしてアルメニア人を初めとする他の多くの民族とともに「クルディスタン」の地に共存し、ときに争うことはあっても、長きにわたって相互に依存しながら
暮らしていた。また、オスマン帝国やサファヴィー朝では、政府の要人として活躍するクルド人も多く存在していた。
とくにオスマン帝国においては、18世紀末から19世紀にかけての西欧由来のnation(国民)概念の流入によって、クルド人も「民族」としての自覚を強め、その言語および文化的発展を目指す諸組織が
つくられたが、それはオスマン朝の存在を前提とした活動であり、帝国の存在を脅かすものでも、利害と対立するものでもなかった。クルド人としての民族的自覚とその文化的発展は、ひいては
「オスマン国民」の地位の向上と発展につながるものだったからである。
当時の代表的なクルド人組織の一つである「クルディスタン復興協会」の規約にはこうした考え方の一端が表れている。協会の目的は「クルド人の一般的な幸福を保証し、示すこと」であったが、規約には、
その目的に賛同する人であれば、クルド人に限らず誰でも協会のメンバーになることができることが明記されている。
「クルディスタン復興協会」は1918年12月に中央政府より公式に認可されて設立されており、オスマン政府が第一次大戦で疲弊し、国力を弱めていく中、「オスマン国民」としてのクルド人の発展を支援し、
彼らを帝国につなぎとめるため、組織に期待を寄せていたことが感じられる。
しかし、結果的に1918年がクルド人にとって転機の年になった。1918年は、オスマン帝国と連合国との間でムドロス休戦協定が結ばれた年でもある。ムドロス休戦協定の成立は10月。「クルディスタン
復興協会」が中央政府から認可された12月には、第一次大戦におけるオスマン帝国の敗戦が確定していたのである。
すでに第一次大戦の初期から、クルド人の中でオスマン帝国の存在を危ぶみ、西欧、とくに英国の支援を受けて「独立」を目指すべきという意見と、あくまでオスマン帝国を支援し、その中で
(従来から得てきた)「自治」的立場を確立・強化すべきだという意見が存在していた。
ムドロス休戦協定の成立によって、前者の立場をとるべき、と考える向きが強まったのは言うまでもない。皮肉なことに、オスマン帝国の公式認可を得て設立された「クルディスタン復興協会」の
設立集会では、クルド人知識人であるホジャ・ハムディ・エフェンディが、「偉大なオスマン帝国の壊疽した部分を切り取って破棄する必要がある。この点において躊躇することなく、急いで
クルディスタンを壊疽から救わねばならない。」と述べて、オスマン帝国からの分離を主張した。
このように、初期の「独立運動」は極めて現実的な対応から発生している。今まさに滅びようしているオスマン帝国と運命を共にすることはできない。そうした思いが当時のクルド人たちを
独立運動に向かわせた。もちろん、そこには迷いもあった。数百年のあいだ共に暮らしてきた「トルコ人」を裏切るのか。その思いは多くのクルド人を、オスマン帝国に代わるムスタファ・ケマル
率いる祖国解放運動に向かわせることになる。実際に、クルド部族の大半はムスタファ・ケマルを支持し、トルコ独立戦争に協力している。
ただいずれの立場をとったにせよ、20世紀の初頭まではクルド人の中で、民族的権利の主張とそれに付随する独立国家建設の要望は、ほとんど存在していなかったと言ってもいいだろう。
その意味で、今日のクルド問題とクルド人の民族独立運動は、第一次大戦後の英仏による中東分割と、その結果生まれた各国での抑圧の結果生じた、非常に現代的な事象だと言える。
クルド人としての民族意識、一体感は、各国で少数派として抑圧されたゆえに今日のレベルにまで高まっていった。
第一次大戦後のクルド人の状況
先に述べたように、現存する各国で、最大のクルド人人口を抱えるトルコでは、第一次大戦後の国家建設の過程で、熾烈な「トルコ人化」が推進され、クルド人は「山岳トルコ人」と称され、
その存在までもが否定された。
オスマン帝国時代末期から、キリスト教徒をはじめとする様々な「民族」の離反と「裏切り」を経験してきた「トルコ人」にとって、新生トルコ共和国を「トルコ人」という一つの「民族」意識の
もとにまとめることは急務だった。そして、共和国成立からわずか2年後の1925年に発生した「シェイフ・サイードの反乱」で、その思いが強まったことは疑いない。
反乱を率いたのは、クルド人の宗教指導者シェイフ・サイードであり、独立戦争を共に戦った「クルド人」の反乱に、政府は大きな危機感を覚えた。反乱の要因については、共和国建国後の諸政策に
対する反発や、それまでの自治的立場を含む既得権益の喪失に対する危機感など、必ずしも民族的な要求に基づいたものではなかったと考えられる。
しかし 、この反乱を契機として、反乱に関わったとされる有力クルド部族や一族のクルディスタンからの強制移住や、クルディスタン地域への教育の必要性と整備、すなわち「トルコ化」が推し進められた。
政府による調査報告書に「クルド人」に代わって「山岳トルコ人」の表現が使われるようになるのも、1930年代前半からである。
このような「トルコ化」の波は、必ずしも「クルド人」だけに押し寄せたのではない。現在のトルコ共和国に相当する地域には、古来より多くの民族が暮らしていたが、「トルコ化」が進められる中で、
ときには反発しながら、またときにはとくに抵抗なく、自分たちの民族の上位概念として「トルコ人」としてのアイデンティティを受け入れていった。
その中で、「クルド人」はトルコ人に次ぐ規模の民族集団であり、かつ独自の文化や民族の出自に対する自負もおそらく手伝って、「トルコ化」の圧力とそれに対する抵抗の双方が目立って大きかった。
1930年代に頻発したクルド人反乱、そして1960年代から70年代にかけての左翼思想とクルド・ナショナリズムに基づいた民族闘争、さらにそれが武力闘争に発展した80年代、90年代の状況はそれを物語る。
そうして、1999年に武装闘争を通じたクルド人の国家の独立を掲げていたPKKの指導者オジャランが逮捕されると、2000年代、2010年代前半までは駆け引きを伴いながらも、クルド人の権利・主張を認める方向で
融和的態度が取られていたが、2015年に政府とPKKとのあいだの停戦は破棄されてしまった。
この原因は、様々に求められるが、一つには、ISの台頭とそれに対するクルド人勢力への世界からの注目、支援に対する政府の警戒感があるだろう。また、2015年6月の総選挙で与党であった公正発展党が過半数の
議席を獲得できなかったのに加え、「クルド政党」とされる人民民主党がクルド人以外からの票も獲得して躍進したことも大きく影響している。これらの出来事は、政府のクルド人に対する態度を見直させることに
繋がった。そうして、現在に至るまで、様々に形を変えながらも、政府による「トルコ化」の要請とそれに対する反発は続いていると言える。
今日の状況の中で
上述したように、クルド人の民族的権利の主張と独立国家建設への要望は基本的には現代的な事象であると言える。しかし、そうはいっても「クルディスタン」が分割され、
クルド人が抑圧的な状況に置かれてからすでに100年程の年月が経っており、「独立」という手段を取るかどうかは別としても、事態の打開を求める声は当然強い。
そして、「IS(イスラーム国)」との戦いやイラクにおけるクルディスタン自治政府の活動によって、クルド人の国際的立場はかつてなく高まっている。欧米からのクルド人支援も
過去に例を見ない規模で、かつ公然と行なわれている。
ただ、「クルド問題」が生まれた経緯に想いを馳せるとき、今日クルド人が置かれている状況の好転を願う一方で、国際社会、とくに欧米各国の対応によって、「第二のクルド問題」が
生じないことを願うばかりである。
クルド人たちも過去の歴史から、今自分たちへの支援を打ち出している欧米諸国が、あるとき何らかの事情で手のひらを返して去っていく可能性があることを重々承知している。
現在の中東の諸国家が現実に存在している中で、クルディスタンの独立は必ずしも自分たちの身の安全を保証しないだろう。それでも彼らはやはり、民族の権利と独立国家を夢見て戦うのだろうか。
トルコは、PYDがトルコ国内の非合法武装組織であるクルディスタン労働者党(PKK)と同一の組織と見なしており、PYDおよびYPGがシリア北西部のアフリーンからコバニを経てシリア
北東部のカーミシュリーに至る北部地域一帯を確保することを懸念している。これを防ぐため、PYDが支配するアフリーンとコバニの間の地域、アアザーズからジャラーブルスに至る地域を
押さえることが必要であるとトルコ政府は考えている。
転機となったアンタルヤ会議
トルコ軍はまず、ジャラーブルスにおいてISを駆逐し、その後、南進しマンビジュに進攻した (注:10月にはチョバンベイから第二陣が入り、ISの要地の1つであるダービクを奪還した) 。
マンビジュは元々ISが支配していた地域であったが、2016年6月から8月にかけて、アメリカがPYDを支援する形でISとの戦闘が展開され、8月中旬、PYDはマンビジュをISから奪還していた。
そのため、マンビジュではISの残党を掃討するだけでなく、PYD、YPGおよびシリア民主軍(SDF)とトルコ軍は衝突することとなった。
3月初旬、トルコのメヴルット・チャヴシュオール外相はクルド勢力がマンビジュから撤退しなければトルコは彼らの支配地域に進攻すると発言した。その後、今度はアメリカ同様に
IS掃討のためにPYDを支援していたロシア軍が、PYDがマンビジュから撤退し、アサド政権軍が同地域の占領を引き継ぐと発表した。
潮目が変わったのは3月7日にトルコのアンタルヤで行われたアメリカのジョセフ・ダンフォード統合参謀総長、ロシアのワレリー・ゲレシモフ統合参謀総長、トルコのフルシ・アカル
統合参謀総長による3者会談であった。
この会談でISの本拠地であるラッカへの軍事作戦は反体制派およびそれを支援するトルコ軍ではなく、PYD、YPG、SDFを中心に展開することが発表された。このアンタルヤでの会談で、
トルコ軍のシリアへの介入継続の道は事実上絶たれたと判断できるだろう。
PYDも事態をよく把握しており、マンビジュを政権軍に引き渡すだけでなく、アフリーンにもロシア軍を駐留させ、トルコ軍を抑止していると言われている。
ロシア軍はアフリーンへの軍事施設設立は否定している。また、3月12日にクルド人中心のマンビジュ市民委員会はマンビジュの自治を宣言した。クルド人が支配する
ジャジーラ地方、コバニ、アフリンに次いで4つ目の自治区となることを宣言した。ただし、この自治に関してはPYDとクルド国民評議会によって設立されたクルド人
最高委員会の許可を得ていない単独行為と見られている。いずれにせよ、トルコ軍の撤退により、マンビジュは政権軍およびPYDの影響力が高まることは確実と言える。
各国の思惑
それでは現状でシリアに関与している各国の思惑はどのようになっているのだろうか。
まずアメリカの思惑はPYD・PYG中心のIS掃討と中東へのオフショア・バランシングである。上述したアンタルヤ会議にダンフォード統合参謀総長が参加したのに続き、
3月末にはレックス・ティラーソン国務長官がトルコを訪問し、エルドアン大統領、ビナリ・ユルドゥルム首相、チャヴシュオール外相と会談した。トルコ側はアメリカに対してPYD・YPGへの
援助を止めるよう説得したがアメリカの方針は変わっていない。
一方で、オバマ政権期から進めてきた中東から一定の距離をとりつつ、地域大国を中心とした同盟国への影響力を行使する戦略―オフショア・バランシング―をより一層進める可能性がある。
ただし、中東においてどの国もしくはアクターがアメリカの利益を請け負うのか、中東におけるロシアの影響力の高まりをどこまで許容するのかといった問題の答えは見つかっていない。
ロシアの思惑は現体制の存続と、ISおよび反体制派の一掃である。ロシアはISと並んでトルコなどが支援する反体制派の中にもテロリストが含まれていると見ている。イラン、レバノンの
ヒズブッラーと共にアサド政権を支えているロシアは現体制(必ずしもバッシャール・アサド大統領の存続にはこだわっていないとも言われている)の維持、存続を最重視している。そして、
その最大の障害がISと反体制派と見ている。
現場の画像を見ると現場は何のガスが漏れ出したのか知ってたとしか思えない。
なんだ?幸クズは何でこっちに来て荒らしてんだ?発狂はテメーのスレでやれよゴリラ
やっと全部終わったが、残り35KBしか残ってないw
世界最強の地上軍を持つロシアと世界第二位の地上軍を持つイランがいるんだから空爆意味なくない?
トランプは地上軍まで出すつもりないだろうし泥沼が長くなるだけだと思う
今回のサリン疑惑の黒幕はトルコだからな。
サリンは国境を接するトルコから運ばれた。
イドリブの工作員へサリンが渡され、アサド空軍の爆撃地点へ散布された。
イスラエル、アメリカの軍産複合体とトルコのエルドアンはつるんで
アサドへ罪をなすりつけようとした。
トランプがこれを知っていたかどうかそれは分からない
アメリカの巡航ミサイル攻撃のあと、サウジとトルコが攻撃は正当だと
発表したときに、すぐピンときたわ。
トルコが黒幕だってね。
■ 国際法上無理がある米の空爆
トランプ大統領が化学兵器で苦しんでいる一般市民や子供の姿を見てそれまでの不干渉の態度を変えたことは知られているが、これがアメリカの安全保障に
どのように関係があるのかである。
国際法上自衛権の行使のための武力の行使は認められているが、シリアでの化学兵器使用はシリア国民に向けられたものであり、アメリカを狙ったもの
ではない。従って、アメリカの空爆を自衛権の行使で説明するのには無理がある。敢えて自衛権につなげるのであれば、化学兵器禁止条約で禁止されている
化学兵器の使用に対し何等の国際的対応がないと、このこと自体が化学兵器の拡散や使用に繋がり、それがいずれ米国の安全保障にも影響を与えうるという
方が説明になる。ただ、それだけの議論で本当に米国の一方的な武力の行使が国際法上正当化できるかどうかということになると、懐疑的な見解が多い。
4月4日の化学兵器使用の報告があった後、米英仏の常任理事国3か国は、化学兵器攻撃を非難し、化学兵器禁止機関(OPCW)の事実調査団に対して調査結果を
早期に報告するよう要請する安保理決議案を用意していた。この調査は2015年8月に設立されたOPCWと国連による共同調査メカニズム(JIM)によって行われて
きたシリアにおける化学兵器使用の有無をさらに調べるものであった。
シリアに対しては、この共同メカニズムの調査に協力して情報を提供するよう要請するもので、協力しない場合には、2013年にシリアの化学兵器撤廃要求を
含む安保理決議2118号で言及したように、憲章第7章の強制行動の発動を促すものだった。
これに対しては、ロシアが対抗案を提示し、調査団に化学兵器使用の証拠を提出させるといった内容で、強制行動などには言及するものではなかった。
両者の相違を埋めるべく、安保理の非常任理事国の10か国が集まり、妥協となる文言を用意したが、結局進展は見られず、3つの決議案は平行線を辿った。
その中で、アメリカの一方的空爆が起きたのである。このままでは安保理で何等の進展も期待できないため、実力行使に踏み切ったものと思われる。
■ もたらされた中東における米の政治的回帰
トランプ大統領は、それまでのシリア内戦不介入の立場を転換したが、この軍事介入はトルコやサウジアラビア、イスラエルなど中東諸国の親米勢力の間では歓迎され、
また、ロシアに対してもアメリカの力を鼓舞する結果になった。その意味では、アメリカの外交政策にとっては中東における、そして対ロシアの面でもより強い姿勢を
示したことになる。
トランプ大統領は、議会への書簡の中で、地域の破局的人道状況がさらに悪くなるのを防ぐ意図もあったと言っていることから、シリアの化学兵器条約違反に加え、
人道的介入も視野に入っており、コソボでのNATOによる人道的軍事介入の前例があるので、アメリカの今回の軍事行動は、親米諸国だけでなくアメリカ国内でもより
広範な支持を得たものになっている。また、今回の軍事行動が米中会談中に行われたことにより、中国と北朝鮮へのアメリカの強い意思を示したことにも繋がった。
問題はこの次のシリア政策である。一回の空爆でシリア問題が解決する訳ではない。グテーレス国連事務総長も、安保理の結束を促し、政治的解決を求めるよう
促している。2015年9月のロシアの軍事的介入以来、シリア情勢はロシア主導の下で動いてきたが、今回の軍事行動でアメリカの政治的回帰がもたらされた。しかし、
アメリカはアサド政権下では平和は訪れないとの立場を表明していることから、ロシアとの緊張も暫く続くものと思われる。
ロウハニがアサドを支持しているのは大きい。あれはなかなかの偉人。
英国留学の経験があるインテリの穏健派だが非常に厳格で曲がったことが
大嫌い。アサドに何らかの非があるなら決して支持しない。
幸豚が来なければマトモな書き込みあるのに。
反トルコの願望コピペで荒らすから人が来なくなる
顔も年齢も本名もニートなのもバレてるのによく平気だなキチガイ
249名無しさん@1周年2017/04/12(水) 03:16:54.51
幸ちゃんはまだ国際情勢を読み切れていないねw
トランプ政権は今回の攻撃では痛みなんかないよ
この攻撃で痛みが出てるのはEU内だよ
スウェーデンでことがおこり、今まさにドイツでまたおこったね
前にも言ったけどニュースのつまみ食いだけでは国際情勢は読み取れないよ。
トルコは反アサドなのか、そういやロシアとも仲悪かったしな。
この地域は複雑すぎてわけが分からん。
アメに付いたりロシアに付いたり
イスラエルに擦り寄ったり忙しい国ですなあ
こんなんだから蝙蝠国家と呼ばれる
まあ生き残り策なんだけどさ
イランのぶれない姿勢に比して、トルコの
右往左往振りは対照的だなww
今のトルコは中東の盟主としての能力はあるまいw
アラブが部族の分裂に難儀し、トルコがクルドに手を
焼いているうちにイランはどんどん台頭していくだろう。
ペルシャ人の統治能力は中東では頭一つ抜けている。
トルコって観光が主要産業だと思うけど、ここ数年かなり打撃受けてるんじゃないのか?