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【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚


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1 :旭=1002@孤高の旅人 ★ 転載ダメ©2ch.net:2016/03/08(火) 10:40:23.56 ID:CAP_USER*
国内最古級となる弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10〜17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡(松江市)に続き国内2例目。

中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。

市教委は5日午後2時から現地説明会を開く。(編集委員・中村俊介)

【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚
http://www.asahi.com/articles/ASJ2Y5R8KJ2YTLZU001.html

日本史@2ch掲示板
http://yomogi.2ch.net/history/

★1:2016/03/07(月) 19:03:19.45
前スレ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457344999/

2 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:41:46.32 ID:mD3WMsOQ0
大変です。

こんなことが現実に起こってしまっては
日本経済そのものが滅茶苦茶になってしまいます。

http://Goo.gl/5uZFga

このサイトなんですが
「申請するだけ」で毎月10万円の権利収入が
あなたの口座に入金される、ある”制度”について
事細かに記されているんですよ。yo

3 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:41:53.41 ID:jblTm1OF0
ハングル文字使ってたんだろうねきっと

4 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:42:45.75 ID:KWi1pd/j0
この頃から千回何とかと呼ばれるように

5 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:43:19.72 ID:h/usgfXJ0
別に騒ぐことではない

6 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:43:44.07 ID:7YfkUWlr0
もじもじしてたんだな

7 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:44:28.52 ID:WsQGmoDw0
そりゃ朝鮮様経由でジャップに漢字が伝わったからなあ

8 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:46:46.91 ID:E3b1IHya0
そんな昔に朝鮮なんてありませんw

9 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:48:08.33 ID:uamdPZgY0
>>1
このガワの予想図はなんだ?
事実にないものを誇示するな馬鹿

10 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:48:27.98 ID:0N5NeFif0
弥生時代には既にセンテンス・スプリングが…

11 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:49:51.72 ID:7xK3A7gu0
どんな漢字書いていたのか気になる

  

12 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:51:20.90 ID:BgxvkMwD0
>>3
弥生時代って500年前だったっけ?

13 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:51:56.50
ハングルキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

14 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:54:14.95 ID:KBL7GbPR0
<丶`∀´>世界四大文明は古代ハングル文明から派生したニダ

15 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:54:25.47 ID:+OUJ6Fr60
さっそくチョンが起源を主張してて草

16 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:56:13.70 ID:jblTm1OF0
>>12
韓国5000年の歴史否定するなよな

17 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:56:40.13 ID:WqM5jseg0
すずりだけでなく北部九州なら1〜3世紀の木簡が出土しても不思議はないな。

18 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 10:59:22.43 ID:DtKZdH+d0
やっぱ近畿の人は邪馬台国が近畿じゃないと許せないの?
自説が否定されて惨めな思いすをする研究者じゃあるまいし・・・
起源にこだわる連中がいるけど何かみっともないなあ。

19 :朝鮮独立軍第18連隊長@七生反日 ◆FuckJapGD. :2016/03/08(火) 11:00:16.05 ID:Ci9iQx2o0
※ネ卜ウヨに不都合な真実

ヒロヒトは己の保身のために、沖縄をマッカーサーに、60万の日本人捕虜をスターリンに売った

アヒル文字(爆笑)


【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚
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【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚
ネ卜ウ.ヨ 低学歴 禁治産者 脳内青年将校 偏差値よくて27 精薄児 要予防拘禁
(^ω^)ガクレキカラ イッテ イッタイ コクミンノ ナンワリガ
ワタシノ ズノウニ カテルカナ? ナア ネトウEヨ

20 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:01:11.10 ID:Iz4JI91q0
>>16
朝鮮人以外誰も信用してないなそれ

21 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:02:41.17 ID:O9PZF9P40
縄文土器 弥生土器 どっちが好き?

22 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:04:17.02 ID:8Z1STIsv0
そりゃ、中国から来た役人が使ってただろ。
なんでこんなことで騒いでんだよ。

23 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:05:16.34 ID:BgxvkMwD0
>>16
誰が作った(作らせた)文字かちゃんと記録が残ってんだから、目の前の箱で調べろよ。

24 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:06:17.38 ID:2W3D4jT70
糸島半島の遺跡は、200年前の奴国連合の中の伊都国だろ?

25 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:06:43.47 ID:PfipQzE/0
>>20
実は朝鮮人も信じてないと思うw

26 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:10:14.03 ID:8Z1STIsv0
>>21
本場九州の弥生土器はふつくしい。
尾張の宮廷式の壺もなかなか。

27 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:10:29.25 ID:FSghWQLd0
最古級のふぐり発見マダー?

28 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:11:04.48 ID:wkkagqhy0
> 弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。

福岡県など九州北部を、朝鮮が領土としていた証拠が出たニダ

29 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:11:07.37 ID:jUcUdwgw0
>>22
中国の役人は楽浪郡にいたんだよ
使者は来たが

30 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:11:30.15 ID:wVQRtmDxO
>>18
お前、起源を「探る」事と「主張」する事をごっちゃにしてるだろ。
韓国に毒されすぎてマトモな思考が出来なくなってるぞ。

31 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:12:32.62 ID:jUcUdwgw0
>>17
近畿説の学者が見つけたりしたら壊される

32 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:13:33.24 ID:1sx7950x0
弥生時代に日本人が文字使える訳ないやん

33 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:14:02.16 ID:jUcUdwgw0
>>32
使者出してたから使えた

34 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:15:45.16 ID:BmnVeO8p0
弥生のは実用的なんだろうけど、すっきりしすぎててつまらない

35 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:16:02.53 ID:8Z1STIsv0
>>29
使者も下っぱ役人だろ。
塞曹掾史とかの肩書き持ってんだからさ。

36 :p53 ★:やっと出た
p53 ver 0.43 (Perl,SJIS) 2016/03/05 FOX. [on]
元のスレ http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457401224/1
8284 -> 7587 (バイト)
p53 文句・要望・怒りはこちら http://dig.2ch.net/?keywords=p53&Bbs=operatex
p53 とは、http://p53.ozma.beer/2ch


37 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:16:52.18 ID:MEPHXF3s0
日本人が文字使い始めたのって飛鳥時代以降ってことになってなかった?

38 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:17:32.89 ID:RwyIfalm0
火巫女なんだろうよ。熊本だ。

平野だし、何も工事せずに水が豊かだったから
稲作発展も不思議は無い。
おまけに内海があって地理的にも守られてる。

39 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:18:49.85 ID:RwyIfalm0
山台国に火巫女あり。熊本の事です。

40 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:20:06.51 ID:8Z1STIsv0
>>33
使ってたのはモンゴルの耶律楚材
的なポジションの中国人だと思うぞ。

41 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:20:20.59 ID:RwyIfalm0
だいたいさ、熊本の高千穂が神話の地だろ?

42 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:20:30.94 ID:mqeU5CZr0
ハングルはパスパ文字を土台にしてるからこの時代には無いよ
パスパ文字もこの時代には存在しない

43 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:21:30.27 ID:8Z1STIsv0
>>28
どう見ても倭人と言うより海外からやって来た人間だな、使ってたのは。

44 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:22:23.01 ID:8Z1STIsv0
>>42
朝鮮文化は時空を超越した存在だから、そんな些細なことは問題にならない。

45 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:22:59.11 ID:JgG91YGx0
なぜ土器に文字が無いんだ

46 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:23:32.22 ID:lB8bBF7t0
>>37
何を文字と呼ぶかにもよると思うけどね
占いしてたなら甲骨文字がないワケがないんだけどね

47 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:23:53.97 ID:RKusek650
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48 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:25:00.13 ID:BmnVeO8p0
>>37
もっとさかのぼる。
七支刀に銘文が刻まれてて、4世紀頃とされてるから、
この頃には漢字をきちんと理解してたはず。

49 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:26:19.62 ID:vrFvxn1U0
山地平野→山台(やまと)

平野で水が豊かで、山と海に囲まれ鉄壁の守り。
神話まである。
おそらく畏怖されたであろう大火山の火巫女。

50 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:26:22.81 ID:wIe6dgb80
金印は三輪山の禁足地に埋まってそう

51 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:28:09.60 ID:9ESRahem0
漢字ならイメージだけど金文とかそのへん?

52 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:36:52.85 ID:gPW+7hHM0
万葉仮名の発明はいつ頃なのだろう

53 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:39:13.86 ID:jUcUdwgw0
>>35
伊都国にあったんただから、伊都国在住者が使ってたの

54 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:39:25.10 ID:lB8bBF7t0
>>48
七支刀も謎だらけの存在なんだけどね
石上神宮の記録では六叉鉾になってる
誰がいつ七支刀と言い出したのさえもよく分らない

日本書紀の百済の王が七枝刀と七子鏡を献上した
これから六叉鉾に当てはめただけだったりする(´・ω・`)

55 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:40:32.05 ID:8Z1STIsv0
>>48
それって誰が入れたかわからんのじゃ。
普通は隅田八幡宮人物画像鏡とか稲荷山鉄剣とかのへんじゃね?

56 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:41:30.91 ID:8Z1STIsv0
>>53
だからさ、駐在してるのもその手の肩書きの役人と考えるのが普通だろ。

57 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:41:32.25 ID:jUcUdwgw0
>>52
結構古いんじゃないかな
残ってはいないが

58 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:42:19.92 ID:jUcUdwgw0
>>56
勝手に断定すんな
習うのだけなら小学生でも出来る

59 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:42:29.83 ID:WqM5jseg0
>>45
今回すずりの出土した福岡県糸島市の三雲では以前に甕棺に刻まれた文字が見つかってるよ。

60 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:43:03.31 ID:8Z1STIsv0
>>58
お前も断定してんじゃん。頭悪いな。

61 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:43:14.78 ID:p0VkG/6+0
文字が無いのに硯を使うとは、日本人では無いやろ

62 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:44:24.06 ID:BmnVeO8p0
>>54-55
そうなのか。百済からの献上品で確定してるのかと思ってた
稲荷山の鉄剣は5世紀末だけど、近畿ならもっとさかのぼれそう

63 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:44:37.12 ID:jUcUdwgw0
>>60
は?
何を?
バカとは話が出来んな
小学生でも漢字が使える、というのは明らかな事実だ

64 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:44:51.01 ID:8Z1STIsv0
>>57
万葉集が初期は漢文調からだんだん万葉仮名に変質していってるから、そのあたりということはわかってる。

65 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:45:01.30 ID:DgrasqF00
大陸人が渡来してきたんじゃないの
その時に持参したんだろ
弥生時代に海を越えて渡ってくるとは鑑真もびっくりじゃな

66 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:45:20.77 ID:8Z1STIsv0
>>63
同感だ。バカとは話ができん。

67 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:45:45.64 ID:jUcUdwgw0
>>64
地名人名は最初から万葉仮名だろ?

68 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:46:20.05 ID:p0VkG/6+0
日本人は硯を食器と思ってたらしい

69 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:46:52.63 ID:jUcUdwgw0
>>66
分かったらこれから言葉使うな

70 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 11:47:58.38 ID:MSt7tgoy0
専門家の私からひとつ言わせていただくと、弥生時代の倭国は古代韓国の属国だった。

古代韓国からもたらされた硯でハングル文字を書いていたのが証明された。

71 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:00:45.41 ID:WqM5jseg0
三雲では以前に甕棺に刻まれた文字が見つかってるんだから
中国から来た役人が使ってたんじゃなくて住んでる人が使ってたんだ
中国系の人かもしれんが。

72 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:02:04.15 ID:p0VkG/6+0
>>71
中国人だよ

73 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:02:13.50 ID:8Z1STIsv0
>>67
固有名に漢字音を当てるのは魏志倭人伝からしてそうだろうしなぁ。
どこから万葉がなというか、そのあたりになるとわからん。

74 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:03:32.10 ID:RhfjHMlt0
>>7
で、朝鮮から「すずり」は出土してるのかい?

75 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:06:23.95 ID:2OcKw/Ky0
>>74
「すずり」はすべて朝鮮が起源なんだよ

76 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:08:10.44 ID:XC5PAEzc0
そもそも縄文や弥生時代を「原始時代」と同列に扱うのは間違いじゃねーかって、
ずっと昔から言っているんだが。

77 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:08:50.45 ID:p0VkG/6+0
>>74
昔からあるぞ

78 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:08:58.05 ID:FwpvCswp0
ウィキの魏志倭人伝のところにある拡大できる筆で書かれたやつって本物?
卑弥呼の卑の字が今と違って上の点がついてない

これって鬼子母神の鬼の点がないのと関係あるのかな

79 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:13:43.47 ID:WqM5jseg0
甕棺に刻まれた文字、硯、魏志倭人伝の記述から
伊都国では既に文字が使われていたのは確実だってことだな。

80 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:14:17.69 ID:1vv1901e0
>>70
ああ馬鹿の専門家なw

81 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:15:38.23 ID:1vv1901e0
>>79
文字だとは断定されていない
卑弥呼の上奏文は倭人が書いたとは限らない
以上

82 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:16:51.61 ID:wIe6dgb80
仁徳天皇陵から出土した鏡や刀はボストン美術館に所蔵されていて、日本からは調査できないんだよね。

83 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:17:23.00 ID:S4BApSOO0
>>19
グロチョン

84 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:17:42.95 ID:S4BApSOO0
>>83
グロ絵

85 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:20:25.84 ID:WqM5jseg0
>>81
魏志倭人伝の記述はどうする?
上奏文は倭人が書いたとは限らないとしても
倭王に文字の読み書きできる人が使えていたんでしょ。

86 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:21:10.72 ID:wIe6dgb80
ボストン美術館所蔵 仁徳天皇陵出土 環頭太刀

【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

87 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:42:31.67 ID:WqM5jseg0
卑弥呼の時代以前既に
漢に上奏文を贈った倭奴國時代から北部九州では漢字が使われてたんだろうな。

88 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:47:43.83 ID:AgpPqdhq0
>>85
>上奏文は倭人が書いたとは限らない
それも変だろ
普通に考えて第一候補は倭人だろ
仕事で必要ならば学習するのが当たり前
「限らない」って云いたい奴は天皇家支配外に文字を操る倭人国家があると困る連中

89 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:54:14.21 ID:jUcUdwgw0
今は欧米系の言語を習うのが普通だが、昔は漢文から学問は始まってるからな
江戸時代の寺子屋では素読をやってたし、一般人でも漢詩を作っていた
漢文を使うのはそんな特集技量ではない

もちろん外交慣例とか使っちゃいけない文字とかあるから特有の知識や慣れは必要だが

漢字使用というと外来人と決めつけるのはおかしい

90 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:56:14.04 ID:aVW+t0wc0
12時58分頃ISSが九州南方上空を通過して行きます

91 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:56:15.89 ID:2W3D4jT70
終戦直後アメリカ軍が仁徳陵に無理やり立ち入って掘り返して盗んだ奴だ。

92 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 12:59:47.92 ID:vHezYK0a0
>中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった

道理で福岡あたりの連中があらっぽく、沸点が低い訳だ。火病の連中とやりくりするとそういうスタイルしか通用しないのかな

93 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 13:05:29.73 ID:Ah9TjOmG0
ヒミコは朝鮮半島に行って新羅と戦って
百済平定した活躍で金印貰ってる

94 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 13:07:41.75 ID:hXUll2r10
>>70
30点

95 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 14:19:05.55 ID:+JubwB9j0
ブラタモリで発掘作業してたやつか

96 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 14:19:11.92 ID:xN9YX3hu0
57年には朝貢しているんだから、200年後の卑弥呼の時代に漢字の読み書きできる役人がいて当たり前

97 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 14:24:33.17 ID:RsdOoPLl0
そういえば「朝献」って言葉、最近は使わなくなったの?それともこれ誤用とかなのか

98 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 14:32:42.17 ID:MPKOK31e0
日本人の識字率は世界一

99 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 15:37:03.45 ID:/suvsnBd0
>>1
そう、iPhoneならね

100 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 15:41:21.67 ID:tAnut3Zs0
>>80 >>94
>>70の願望くらい言わせといてあげなw

101 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:01:37.45 ID:WqM5jseg0
>>96
だよな、倭奴國は漢に朝貢した後
漢の勢力が弱まると
地方勢力の公孫氏の配下に在った
公孫氏が魏に討たれるまで
交易が継続していたんだから
漢字の読み書きできる役人がいたはずだよな
いない方がおかしい。

102 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:08:44.30 ID:K/SKnZzc0
九州での文字の使用開始は紀元前から

畿内(田舎)での文字の使用開始は6世紀くらいからwww.

103 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:12:53.84 ID:gYquvt6F0
>>88
意味がわからんw>困る連中&普通に考えて
御礼文を届け報告する必要があり、そのため文章が必要なのはあくまで
も魏側だからな、郡使が通訳を通じて作成したとしてもなんらおかし
くない
もちろん倭人側にそれが可能な人間がいたとしてもおかしくはないが

>>101
現代の感覚で考えるから、おかしいと思うんじゃないの?
仮に交易でも通訳が通じればそれでオーケーだと思うけどな

104 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:14:57.95 ID:T5ZpMZIq0
日本にも文字の走りのようなものはあったけど、文字として確立する前に漢字を導入したんだよな。
外国でもしばしばあるパターンだから当時の日本の知識人を責めるつもりはないけど、正直残念だ。
というか、むしろ今からでも日本文字を作って欲しいな。
そういう動きもあったよな、確か。

105 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:25:38.00 ID:MTwrwdK60
金印くれるなら、皇帝余裕だから硯と墨と筆もくれると思うよ。
文字無くても漢の時代から通訳いたし魏と邪馬台国ですら官僚交換してる。

卑弥呼じゃ無くて卑弥呼の海軍が
王朝騙ったかどで朝鮮に左遷されて百済平定させられてる
同じく安曇族も上越方面から長野征伐行ってるし
これ、豆な。

106 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:34:55.65 ID:MTwrwdK60
そういえば、中国皇帝の硯とか墨って何億円とかしてただろ?

ゴミにされてんならやっぱ、
九州に左遷された下っ端官僚の硯だな。

107 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:51:46.89 ID:Ah9TjOmG0
漢字わかる官僚居たが王家は官僚の傀儡で漢字わかる王が居なかった
感じ王は順番でまわる
漢イト国主体が倭国
天照光大神は唐にあったキリスト教のパクリを使った倭国のパクリ
神社は教会のパクリが元祖

108 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 17:54:12.15 ID:40rVwh8xO
前スレから散々荒らしていたID:g2qEkSGO0がレス全部消されててスッキリ

109 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 18:01:15.38 ID:40rVwh8xO
>>106
記事を読むと破片と書いてある
落としたのか搬送中に破損したのかわからないが
割れたものを捨てたのだろう
硯は高価なものであったろうから使節の役人は任期を終えて帰るとき持って帰るだろう
完品はおそらく出ないだろうが、破片が捨てられていたという事は
硯を使っていたわけでイコールその場で文字が使われていたに他ならず
倭人伝の記載を裏付ける証拠になると言うことだ
邪馬台国の存在の可能性もあがる

110 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 18:42:50.05 ID:PNkreeTvO
今、NHK福岡でもやってるな。向こうの人が書いてた文字を弥生人が真似て書いたんじゃないかとか何とか。

111 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 18:59:01.75 ID:BK94iOF/0
当時の識字率は0.001%位だろう、読み書きなんか出来なくっても
な〜〜〜んも困らん、外交上文書作成以外使い道ねえし
インテリぶってクソキモいわ、ってなもんだろ、勇ましいね

112 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 18:59:43.46 ID:7aaWlbUK0
そりゃ弥生人そのものが外国人ですから。

113 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 19:27:28.48 ID:BK94iOF/0
>>112
弥生人=倭人は、列島縄文と半島土着の間の子だぜ
縄文人は半島に進出しながら土着酋長の娘を妾にして多くの子を儲ける
現地では勇ましく気高い縄文の血統を持つものとして崇められ
縄文との間に生まれた子供たちは高貴な倭人として
これまた土着酋長の娘と婚姻したりして、土着酋長と同等の支配層になっていたのだろう

百済滅亡後に帰化人として日本にやって来た王族というのも
そのような縄文の血を引く人々だったんだろう

114 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 19:44:54.76 ID:6/u79foa0
>>104
神代文字だよね。
古墳で見つかったりしてる。

115 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 20:35:29.88 ID:Meg5j1w/0
神代文字がハングルだと喚くチョンがいるけど
神代文字ってたくさん種類あってそのうちの一つだからな
あれが全てではない

あと神代文字は明らかな偽物も混じってるし真偽は定かではない

加えてハングルは朝鮮人が開発したのではなく、
モンゴルの古代文字にハングルそっくりなのがあるんだよ
それを拝借したのがハングル

116 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 20:43:43.13 ID:40rVwh8xO
神代文字は大半が眉唾だろう
巨石等に刻まれたヒエログリフは文字と言えるのか疑問だし
何かの象徴なんだろうけど

117 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 20:53:29.66 ID:jUcUdwgw0
>>92
元々九州の人間はあらっボイが、大陸の影響とかいうよりは風土的なもんじゃないかな
熊襲とかなどの南九州の民族のせいかもしれんが

118 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 21:02:49.51 ID:jUcUdwgw0
倭の武王の上表文なんかは、通訳とかのレベルじゃないからな
訴えたいことを書いてる
あんなのが書けるようになるまで時間が掛かったろうし、使節を出したりしてる時点でそれなりのものがかけたと思うよ
何らかの文書を持って行ったはず

当時は漢文を習わないと文明に参加出来ないぐらいだろうし、まず覚えただろう
誰か亡命者に教わればいいだけの事
そんなに特別視することも無い

119 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 21:02:52.94 ID:40rVwh8xO
>>117
現在暴力団が抗争しとるのは関西近畿だろ
荒っぽいのはどこだよw

120 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 21:20:04.47 ID:PNkreeTvO
>>117
防人の影響もあるだろうな。国防のために全国から腕っ節の強いのを北部九州に連れて来たからな。

蝦夷から大和に帰順した俘囚と呼ばれた人々もいて佐伯なんて姓を与えられてて、現在九州で佐伯姓を名乗る人は、この俘囚の子孫の可能性があるそうだ。

後の時代には蒙古襲来なんて事もあった訳だから、国防の最前線だったって事が、この地域の人々の性質の形成に影響してるんだろうな。

121 :名無しさん@1周年:2016/03/08(火) 22:52:41.17 ID:FYlz7XVT0
大陸から来た官吏がすずりを忘れていっただけだろ

122 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 00:34:55.23 ID:cvUDwG4V0
3世紀には既に北部九州では文字が使われてたことが裏付けられましたってことだろ。

123 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 04:46:07.95 ID:P2C/OMBR0
316 名前:名無しさん@1周年 [sage] :2016/03/06(日) 03:26:02.77 ID:FJAjL+Fv0
とりあえずやっつけで地図を作ったよ。
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

水行は、海岸水行ではないのだから、不弥国(大野城市)から御笠川とその支流、そして豊満川を使う。
久留米(妻郡)が投馬国だ。

そして、久留米から水上交通が発達した日田まで行き、そこから陸行。

邪馬台国は、阿蘇山の東、佐伯付近から鹿児島までを支配する広大な地域で、
陸行1月は日田から西都原付近まで、約250kmの行程という説だ。

全ての方角が概ね合ってる。

124 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 04:48:57.11 ID:N3WNsQkr0
邪馬台国は福岡、佐賀、熊本、大分あたりだと思うなあ

125 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 04:49:25.49 ID:pfs16pV20
交易とかはもっと前からあったんでしょ
全然不思議じゃない だからなにって感じ

126 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 04:50:00.36 ID:ZlpRb0oq0
ゴキチョン失せろ

127 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 09:04:33.92 ID:cvUDwG4V0
北部九州で3世紀に文字が使われていたとなると
畿内でも3世紀には文字が付かれていた形跡がないと困るんだよな
畿内説では。

128 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 09:07:03.66 ID:cvUDwG4V0
そうなると九州から畿内まで西日本全体でも文字が3世紀には使われていたことになるんだな。

129 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 09:12:35.67 ID:EIKcXV3Z0
>>16
檀君陵からハングル文字の歴史文書発見!

ぐらいやってくれよ

130 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 09:26:34.70 ID:nsnLWget0
>>124
倭人伝の行程記述と矛盾してるけどな。

>>128
弥生後期には伊勢や千葉で漢字の書かれた土器が確認されてるよ。

131 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 09:56:47.29 ID:F9QBMyLa0
考古学的に
弥生時代の始まりと弥生文化の日本列島拡散。

「Y染色体:O」タイプの日本列島出現、
「Y染色体:O」タイプの日本列島拡散は、
一致している。

132 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:19:36.25 ID:cvUDwG4V0
>>130
倭人伝の行程記述と矛盾してないけどな
3世紀には既に日本で文字が普及してたとの説ですか。

133 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:22:34.83 ID:nsnLWget0
>>132
行程なんて日数が思いっきり矛盾してると思うが。

文字普及ではなく、墨書や漢字を使っていた人物が
千葉まで行っていたのは確実だろう。
南方ではなく東方へむかっている。

134 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:24:14.56 ID:UkDWeObj0
魏志倭人伝以外の
日本側の文字資料が残ってないのが不可解なんだよね
当時の役人が文書を作成していなかったはずがない。
漢字で読み書きが出来ないと交易が出来ないのだから
その時代の中国語を話せるバイリンガルが邪馬台国にいたはず。

135 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:26:59.95 ID:nsnLWget0
>>134
魏志倭人伝は日本側の資料じゃないぞw

中国側で倭人について書かれた資料なら複数存在してるよ。

136 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:28:36.19 ID:5OqtZ5dR0
これちょっと欲しいな。

137 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:28:49.26 ID:UkDWeObj0
>>135
すまん、書き方が悪かった
当時の日本人の手による
文字資料が無いのが不可解ということを言いたかった。

138 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:33:05.34 ID:7dhf58x80
>>1002
おまえがゴミクズなのは変わらんぞ

139 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:45:33.73 ID:Gmjh1y4s0
弥生時代に文字というのも無理があるよな。文字を使っていたとすれば、
どこかに残っているはず。それにそれ程人が多かった訳ではないだろうし、
だとすれば行政や政府といった組織は必要ない。文字の必要性は無い。

140 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:46:51.09 ID:Gmjh1y4s0
硯はあるが、文字での記録が無いというのであれば、ただの贈答品と
いうことだろ。

141 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:55:31.47 ID:cvUDwG4V0
邪馬台国畿内説だと3世紀には日本で文字が普及してないと成り立たないよな
西日本全土を支配する広域国家に文字は不可欠だからな
インカでもキープ文字とかあったんだからな。

142 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 10:58:27.31 ID:nsnLWget0
だから弥生後期の墨書の文字は伊勢で確認済みだと何度言われたらw

143 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:01:27.98 ID:nsnLWget0
更にいうと近江の伊勢遺跡(これも伊勢だ)なんて
当時ありえない煉瓦構造まで既に登場してるんだからな。

今時硯位で驚くことは考古学の現状に無知すぎるとしかw

144 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:01:38.65 ID:KCIQbhJU0
>>140
その線も十分ありうる。
発表は注目してもらうために思いっきりふかしてんだろうけど、
それにのせられるバカがなんと多いことよ。

145 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:03:25.48 ID:82TTxqrn0
そりゃまあ文字は使ってただろうな
石に刻む風習がなかったから残ってないだけで

146 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:06:00.77 ID:QBhgER6x0
>>16
韓国は8000万年の歴史らしいよ

朝鮮系のティラノサウルスがハングルで交信してたという話もあるし

147 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:09:56.48 ID:8iBnUXwu0
>>146
朝鮮系のティラノサウルスって何やねんw

148 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:12:48.49 ID:nsnLWget0
大体この時代の硯なんて既に出雲の田和山遺跡で出土してるのにな。

しかも田和山遺跡は相当特殊な遺跡なのもわかってる。

149 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 11:28:20.41 ID:82TTxqrn0
>>148
住居跡が全て環濠の外というのが面白いよな
何を守ってたんだか

150 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 12:01:13.76 ID:hXKPeg3/0
近くだが…頂上には不思議な雰囲気がある。

151 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 12:13:21.72 ID:ytitE++j0
>>1
エアホッケー的なゲーム盤に見える
スイッチみたいなのは何だ?

152 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 12:13:40.94 ID:ubVx5Mm2O
実は田和山こそ王の宮に相応しいんだよな。
そこから硯も出てるし。

153 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 12:22:01.70 ID:XSiAA5Ui0
>>37
紙が無かったので板に書いてた
卒塔婆みたいなもん
その板は紙に切り替えたらほとんど捨てられた

154 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 13:23:44.90 ID:uWDBdUvQ0
>>134 木簡は雨が多く湿気の多い九州では残りにくい。 すぐに腐る。
古墳の中の木棺ですらほとんど跡形も無い。

水の中なら木その物は残るだろうけど、字は消えるだろうな。

日常の情報交換は、木の刻みと縄で表してたらしいから、敵が何人どの方向から来たとかはそう言う文字で間に合ってたのだろう。

155 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 13:23:56.84 ID:ANJ4igVH0
>>37
西暦500年代の飛鳥時代にいきなり文字使い始めたのも変だよなー

こういう交流があるんだから
当時の外国語会話も文字も読めたはずなんだよね
進んだ文明の文字を見たら持ち帰りたいと思うはずだしなー

古墳時代の木簡くらいでてきてもおかしくないよな

西暦57年 漢委奴國王印を貰った日本の王がいた
西暦107年 後漢の安帝に謁見した倭国王帥升がいた
西暦238年 魏の曹叡から邪馬台国の卑弥呼が貰った親魏倭王印を貰った

156 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 13:37:14.73 ID:WelhIch50
↑何と戦ってるの?

157 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 13:58:45.07 ID:uWDBdUvQ0
>>142 文字じゃなくて記号だろ?

158 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 14:39:23.79 ID:KXqYEZq+0
>>150
何山?

159 :名無しさん@1周年:2016/03/09(水) 15:42:46.82 ID:nsnLWget0
>>157
墨文字なんだから同じ事だろう

160 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 03:02:46.63 ID:7G1hTiPM0
>>37
文献的に確認されてないから
それ以前には勅書、詔書の記述が記紀にない

161 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:00:31.26 ID:BWP9q8d/0
>>1
漢字の伝来があんなに遅い訳ねーんだよ常識的に
日本建国に当って多分焚書が有ったんだろう
だから、文字が伝わったのが同時期だって事にしてそれ以前の文書は無かったことにしたんだろうよ

普通に考えて呉の末裔で、態々周の太白の後だと言ってるんだから
呉の王族の系統を頂点とした組織に成ってると考えるのが普通だし

だとすれば漢字は元々知ってた可能性のほうが高いだろうよ

162 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:07:55.84 ID:LHvMSLlH0
>>162
それはただの妄想

ちゃんと歴史学(考古学と文献学)を勉強して、根拠をあげ、
論理だてて書く訓練をしような?

163 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:38:39.99 ID:BWP9q8d/0
>>155
弥生人の倭人がが呉と同族だって言ってんのに
漢字しらねー方が不自然だよな

164 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:47:14.59 ID:BWP9q8d/0
>>162

じゃあ書くとだな
弥生人は呉の人間だ、だから支那大陸である呉には弥生人が呉に居る頃に漢字はとっくに伝わってた
その呉人が日本に移住しただけだから、漢字を知らない訳が無い

稲も別に種籾と栽培方法が伝わったんじゃない
長江文明人である呉人と同族の弥生人が伝えて持ち込んだ人間そのものだ

漢字の伝来は稲作の伝来と同じでその技術だけが日本に伝わったんじゃない
弥生人が自分で持ち込んだものだって言うことだよ

165 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:50:15.31 ID:Dm5W9nV/0
戦国時代の右筆(ゆうひつ)から連想するとだな、
エライ人がまず口答でしゃべる。右筆(書記)が筆をとって、紙などに書く。
その文書を、飛脚などが運ぶが、重要な文書の場合は、エライ人の家来が直接現地まで持っていく。
現地まで着いたら、封を開けて文書は読まれるわけだが、文字が読める人がその文書を読む。現地のエライ人が
直接その文書を読めれば無問題だが、読みにくい文字とかしょっちゅうあるから。
同行していった家来が補足説明もやる。「なお山本管助口上有るべく候。」とかね。
これを聞いた現地のエライ人が判断して、返事を書く。すずりを使って書いただろうね。これも
エライ人本人よりは右筆が書く。(殿様はサインだけはする) 家来や贈り物などと一緒に
返事を返す。という手順をふむ。これらの中で、文字の読み書きができる人はほんの一握りにすぎず、
貴重ではある。

166 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:54:09.50 ID:5+RHikf40
>>161
「正倉院文書」の日付の最も古いものは、大宝2年(702年)のものである。
『日本書紀』冒頭の神代紀には「一書に曰く」という表現が数多くあり、参考にした書物の存在を示している。
『続日本紀』和銅元年正月(708年) の詔に「亡命山澤。挾藏禁書。百日不首。復罪如初。
(禁書を隠し持って山野に逃亡している者は、100日以内に自首しなければ恩赦を与えない。)」とあり
この時期にはヤマト王権の「正規のイデオロギー(日本紀)」と相反する書物が残っていたことを示している。

167 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 08:57:24.97 ID:Dm5W9nV/0
日本にすずりがあるかないかの時代、ほとんど原始人の延長みたいな生活をしていた倭奴に対して、
中国本土ではすでに宮殿に住んで書物が大量に書かれていた。
見下げた蔑称の辺境の異民族扱いをされるのは仕方ないけれども、それでも貢ぎ物を持って皇帝へ
遠路はるばるやってきたのだから、最恵国待遇の金印を与えて、中国からも使節を
海のかなたの異国にまで送ったんだろうな。その超僻地に派遣された役人とは、文書の交信ぐらいは
やっただろうし、現地の倭人で優秀な奴も通訳として文字もちょっとは読み書きできただろう。以上、推測の連続だが。

168 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 09:15:27.35 ID:PDfsWHDx0
渡来人ってのは本国で役人クラスなら漢字書けたんだから
日本に来ても書いてただろうからなあ

169 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 09:48:40.84 ID:Dm5W9nV/0
>>168 だよね。それを見た倭人が見よう見真似で文字を覚えても、不自然さが残る。
というか、銅鏡のへりの文字などは、日本製の銅鏡だと、漢字の意味がわからなかったのか
字として形がだいぶ崩れてしまっているんだよな。ただの模様みたいになってる。
七支刀にしても、これは百済で作られたものだが、文字の形がだいぶ崩れている。中国本土では
漢字が使われていても、朝鮮半島などではあまり使われていなかったから、がんばって刀に刻みこんだけれども
字体が変。
つまり、日本に漢字が輸入されて存在があったとしても、通信用として使いこなしていたのは
中国本土とやりとしていた海外からの使者が用いていたと考えるのが妥当だね

170 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 09:53:59.01 ID:Dm5W9nV/0
ポルトガルの宣教師が使っていた筆記具が出土したようなもので、
当時の日本人は、宣教師が書いたポルトガル語がまったく読めなかったし、ペンとインクが出土したなら
外人が本国との交易のやりとりに使ったものと見なすのが自然だろう。

171 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:00:35.97 ID:NfoB8lDV0
わからんだろ。お歯黒が流行っていたのかもしれん。

172 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:10:20.46 ID:Dm5W9nV/0
鉄腕DASHで、リーダーがお歯黒を自作して塗ってたな。
すずりは使ってなかったよ

173 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:23:01.82 ID:5+RHikf40
糸島市が伊都国(郡使往來常所駐)である証拠にはなりそうだな。

174 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:24:19.56 ID:5+RHikf40
>>1002
ここと関係無い事を書き込むな、皆が迷惑してる。

175 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:27:19.47 ID:uDj/j83s0
>>174
それチョンだよ

176 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 10:29:25.77 ID:uDj/j83s0
朝鮮人だけあって、日本人を朝鮮人てことにしたくて仕方ないんだなぁ

177 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 14:51:46.67 ID:WwJnN4e50
>>147
エラ張ってたんだろ

178 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 14:52:18.03 ID:WwJnN4e50
>>77
昔って何時だ?

179 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:01:04.81 ID:vZQePif3O
>>166
大和政権ってとんでもない悪さしてるんだな
日本の歴史を抹消して歪めたわけだ

畿内が古墳が多く古代日本の中心とか偉そうにしてるが
そういう見方をすれば畿内ってのはとんでもない罪人の集まりじゃないか

180 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:01:55.18 ID:iVYeEfAm0
>>1
言語学者の中には「日本語の起源は西九州」という主張をしてる人も居るくらいだからね

181 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:11:29.64 ID:zLSKTarC0
日本語の起源ってどこだっけ

182 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:17:38.39 ID:vZQePif3O
天孫降臨や神武東征、あまつさえ征伐した相手から名前もらう物語を大和政権みずから編纂するくらいだから
九州から日本語が始まったんじゃないの?

183 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:20:44.68 ID:7kcLhHYE0
>>181
ユダヤ

184 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 18:20:58.91 ID:zLSKTarC0
つか縄文系と弥生系のどっちの言葉なんだろ

185 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:20:46.28 ID:ZHR0cBDO0
>>181
ヘブライ語との共通言葉がいっぱいありすぎる

エッサエッサ エーサッサとやらされたが
訳わからなかった
ヘブライだったよ
日本人は古代ユダヤ人

186 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:26:00.52 ID:rxkFL13x0
>>186
右から左にかくのも同じらしいね
前に同祖論否定者から聞いた

187 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:32:27.23 ID:XBxU6QwBO
>>185
ヘブライ語の文法は?

188 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:33:49.13 ID:CgxPQsue0
縄文押ししてた日本会議と思われる連中は弥生押しに切り替えるの?

189 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:38:15.61 ID:fqt+0DcQ0
エミシも独自の文字を持っていたが、謡のイントロだけとか
短い文章にしか使えなかった(表音文字)

外来の漢字(表意文字)の方が圧倒的に便利だったから、弥生系の大和王権は漢字を採用したんだね
(敵である蝦夷の文化伝承は、『女の文字』として非公式の時代が続いた)

190 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:40:22.10 ID:mBaMGFpK0
>>164
だよねー
西暦600年代以降の飛鳥時代になってから過去の言い伝えをもとに書き起こしたってことだもんなー

>>154
木簡が残りにくいとして、
石板、土器、青銅器とかにも文字が入ってないのはなんでだろ?

191 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:40:58.93 ID:mBaMGFpK0
>>181
日本語の起源て全く解明されてないんだってね

192 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:44:55.63 ID:yitqHHR80
>>1
どうせ交換日記レベルだろ?
きょうはてんきがよかったみたいな

193 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:46:47.08 ID:zLSKTarC0
>>191
うん〜コウチャク語族の生き残り
あたりまでは聞いてる
その後進歩あったかと思って

194 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:46:58.87 ID:RRvyqUb+0
>>7
隋書曰く、新羅にわ文字が無い

195 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:47:40.25 ID:2AcQcG5N0
>>25
金大中やクネなどの歴代大統領が公式に「5000年」のフレーズを使ってるぞ

196 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:49:50.29 ID:zLSKTarC0
縄文系の北端のアイヌと南端の沖縄が同系の日本語とすれば
弥生渡来系は自分の言葉を捨てたのか
元々文法似てたのかなあ

197 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:50:35.57 ID:RRvyqUb+0
>>193
春秋戦国時代の呉越が恐らく膠着語だと解ったけど
日本語と関係有るかどうかわ手掛かり無いんだよな

198 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:53:16.82 ID:/JuAR6/O0
想像以上に日本は進んでたかもなあ。
雄略天皇の「昔より祖禰なんとか〜も名文だからな。

199 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:53:23.99 ID:CgxPQsue0
>>190
縄文っ子大虐殺
弥生っ子大虐殺

これ知らないとかお前普通の日本人じゃないだろ

200 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:54:02.25 ID:zLSKTarC0
>>197
最近は黄河文明と揚子江文明にわけたりしてるらしいし、その辺が源流なのか?
サンセイタイあたり見てみたけど
やっぱわからんw

201 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:56:07.59 ID:/JuAR6/O0
ウマって単語はマーからきてる。
少なくともウマの語源は北系じゃないのはたしかだ。

202 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 19:56:53.84 ID:MhStwDZFO
黄河文明より長江文明の方が古いから。

203 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:00:24.94 ID:/JuAR6/O0
縄文時代後期から晩期にかけて石刀というもんがでてきてる
おそらく大陸の青銅器武器を見て作ったんじゃないかと考えられてる。
ここらへんあたりから文化交流がかなりあったんじゃないかと。

204 :みゆき:2016/03/10(木) 20:00:59.60 ID:LaLURBb80
人妻をナンパで,口,説いてエッチに持ち込,める,のかリアルドキュメント
http://dejioahsus.download/dsfsdfs225

205 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:01:23.12 ID:zLSKTarC0
それと、北方から半島経由で弥生人が来たのなら、普通九州に住みつくでしょ
近畿地方に分布してるって事は南方のほうがわかりやすいと思うんだが

206 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:01:28.27 ID:fqt+0DcQ0
>>190
青銅器の金型は貴重品で、使いまわして再利用していたよ
だから、特定の意味のある文字を書く媒体では無かったと思う
(剣の側面に金で象嵌するとか、後加工で文字は入れられた)

207 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:01:45.78 ID:G+dl93ef0
>>190 まだ漢字は外交上でしか使われていなかったからだろう。
1つの国が歩いて2時間位の距離だから、文字による伝達はあまり重要ではなかった。

邪馬台国の影響範囲が広いとは言っても、制度的に支配してたものではなさそうだし。

208 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:02:10.05 ID:NgRc08uV0
1〜2世紀ごろから既に中国大陸では航海技術も発達し
日本との交易ルートも確立されていたのだろう
米の伝来にしても出土した弥生米のDNA分析を行ったところ
朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっている点でも
中国から朝鮮へ経由せず直接日本へ到達する海路ルートが確立されていた事が窺われる

209 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:02:27.03 ID:gt68PH0P0
初代天皇は丁度この頃に大陸から渡ってきた?

210 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:02:58.00 ID:G+dl93ef0
>>191 古代語はアイヌ語の影響が非常に大きかったと言ってるよ。

211 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:05:23.26 ID:ZX9T3YwD0
水と墨と硯から真っ黒い墨汁作れるやつ居るの?
どうせおまいら解明書液を使ってたんだろ?

212 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:06:28.41 ID:RlusUFmV0
>>209
天皇は土着の血統
高天原は畿内

213 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:06:40.64 ID:ZHR0cBDO0
魏志倭人伝には馬はいないと書いてある
だが本州には木曽馬がいるんだよね
あれって日本固有種でしょ

214 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:07:16.53 ID:Dm5W9nV/0
海に身を 投げた。と、創作を最後にくっつけている時点でも、もうアウト

215 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:08:27.62 ID:fqt+0DcQ0
>>211 墨は輸入品じゃないかな?
国産の墨がレベルアップしたのは、遣唐使末期の空海が技術導入してから

216 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:10:09.71 ID:fqt+0DcQ0
>>213
木曽馬は、固有種というほど古くはないと思う

217 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:11:48.21 ID:lNvMwuOm0
>>212
土着民だったら顔が濃いはずと思ったけど
渡来人とか血が混じってるからそうとも言えんか

218 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:11:59.30 ID:ubYTUJw+0
>>214
馬は6世紀に半島からの朝貢で貰ってから増やしたのが濃厚

219 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:12:30.20 ID:ubYTUJw+0
>>213だった

220 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:12:51.18 ID:Kibi8MWA0
>>3
漢字だよ。あの当時の外交文書は漢字。というか日本にある九州周辺の国ってのが結構大陸由来の国が
多かったから中国語が普通に使われてた。それが次第に現地人と同化していったと思われ

221 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:13:08.13 ID:zLSKTarC0
>>218
元々九州縄文系だったとしても
嫁は近畿でとってたらそのうち変わるからな

222 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:13:37.46 ID:5dXV8Qdf0
600年間中国が認めてた王朝は九州なの隠すため
全部燃やして ねつ造歴史作ったのが原因

223 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:14:17.33 ID:P3dl7sIV0
>>1
その文字ってハングルだと聞いたけどマジ?
ってことは、弥生時代の日本は古代大韓帝国の属国か植民地だったという説が正しいってことか

なるほどな凄いや

224 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:16:33.52 ID:/5NabVpA0
新聞変えていったいいくつ同じ内容のスレが立つんだ。

この破片はすずりじゃない。

225 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:16:37.20 ID:G+dl93ef0
>>209 昔の天皇は諸国の王の事績の寄せ集めだろ。
とは言っても、天照大神が頂上にいる事はまぎれもないだろう。

卑弥呼かな?

226 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:17:28.28 ID:KaC/MTXd0
>>213
そこから数百年後の明の歴史書には、木の下にいた藤吉郎という者が織田信長に〜みたいな記述がある
つまりそれだけいい加減

227 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:17:58.20 ID:yP4Lvb9A0
すずりなの?
ただのお皿じゃないの?

228 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:17:59.08 ID:G+dl93ef0
>>213 いつの時代からいるんだよ

229 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:17:59.58 ID:1B91RNllO
>>21
縄文中期

230 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:18:01.19 ID:mhxITslb0
最高級かと

231 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:20:04.74 ID:OGTXNein0
>>205
イザナギは、もとは淡路島の漁民の神だったらしい。

232 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:25:57.72 ID:ZHR0cBDO0
>>228
wiki見てきたがよくわからん
モンゴル系の馬らしいが

233 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:27:24.21 ID:fqt+0DcQ0
>>223
縄文系の神代文字とハングルは同系だと思うよ
しかし、被征服民の文化が圧迫されるのは、日韓どっちも同じでした

土着文字文化の公認・合法化が早かったのは日本で、カナという形で公式化されました
ですから、カナは純正なエミシ文化とは違います    ハングルも同じ

234 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:31:06.29 ID:OGTXNein0
精霊流しとか、魂は川を下って海に行くってコト。
魂の帰る場所は海の向こうにあるってコト。
我々の先祖は船に乗って、海からやって来た。

235 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:31:51.23 ID:Kibi8MWA0
邪馬台国が魏に朝貢するまでは、朝鮮半島や遼東半島としか接触してないから
三国志知ってる人なら理解できる

236 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:31:51.76 ID:/OF8kjJ+0
だからここに居座ってる朝鮮人消えろよ
ハングル?アホか

237 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:32:45.87 ID:nZNsxUH30
>>141
そうだよな。日本史板でこれを俺が指摘しても一切議論しようとしないのが
畿内説論者。本当に畿内説論者というのは腐りきっている。

238 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:33:51.59 ID:K4/VRozX0
マルコポーロというお菓子によれば
日本は黄金の国

239 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:36:59.81 ID:RlusUFmV0
>>141
3世紀の応神天皇の治世で漢字は既に使われてるし
>>1は1〜2世紀には既に漢字が入ってたというニュース

240 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:38:05.60 ID:Kibi8MWA0
公孫淵が司馬仲達に滅ぼされたおかげで邪馬台国は魏と通交することができた。
邪馬台国はその辺りの事情どうやって知り得たんだ?当然呉とも交易してたから情報は入ってた
のかもしれんが呉経由だとかなり伝達遅くなるだろうし

241 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:40:50.97 ID:REqrP/xs0
>>240
公孫淵は呉と同盟してたじゃないか

242 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:48:43.69 ID:X401YG2z0
日本の形成に関して縄文より遥かに重要な時代であるはずなのに
なんでウヨ界隈の連中は最近縄文ばかり持ち上げてるの?

243 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:48:46.30 ID:dekFOKQ+0
>>75
そんなわけねーだろ

244 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:50:13.96 ID:NQ7t8For0
すずりって古いと価値上がるんじゃなかったっけ
ここまで古いとまともに使えるかどうかも分からんけど

245 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:50:56.28 ID:Dm5W9nV/0
>>240 対馬の住人は、食糧仕入れに半島や九州と交易があったから、
対馬の支配層なら、半島情勢のことも知っているだろう。

246 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:52:28.30 ID:ZHR0cBDO0
縄文時代は12000年続いた世界8大文明といってもいいくらいの文化
弥生なんて1000年未満だろうが

247 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:53:27.78 ID:/OF8kjJ+0
>>242
エヴェンキの文化でも研究してろ

248 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:55:27.41 ID:gPgYckg50
>>3
おい在日!釣りは華麗にやれよ。

249 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:56:33.31 ID:gPgYckg50
>>11
魏書と同じだろう

250 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:58:35.76 ID:72YdxLJd0
現代日本人はほぼ弥生人。弥生語が日本語になった。
縄文語はアイヌ語

251 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:59:00.12 ID:gPgYckg50
>>32
文字を使ってたと仮定する方が、凄く自然だとおもうんだけど。

252 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 20:59:45.14 ID:R2joAWdh0
>>54
七支刀には七支刀って彫ってあるんじゃないの?

つか関連スレでは近畿だ九州だ(あと阿波もかw)って話と罵りあいが酷かったが
ここだと朝鮮朝鮮いうアホがやたら多いな

253 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:01:11.23 ID:QQbEMkqO0
弥生時代に文字文化などない

254 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:02:11.67 ID:gPgYckg50
>>160
やはり、大和王権と反目する勢力が統治してたんだろうね。
あやふやな神話にして、誤魔化すのもその証拠の一つ。

255 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:05:49.80 ID:xX+z3k7Q0
律令制下では怡土郡と志摩郡に分かれていたが、1896年4月1日、郡制に基づき両郡を合併させて糸島郡となった

256 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:11:44.54 ID:FtsBlM/k0
何? 漢字は日本で生まれて大陸へ伝わったってこと?

257 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:12:23.81 ID:WIuHCafe0
>>240
公孫氏に使者を送ったらすでに滅ぼされてて
ちょうどそこにいた魏の役人に取り次いでもらったのかも

258 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:14:02.70 ID:WIuHCafe0
>>256
そんな朝鮮じみた発想は日本人ならしないぞ

259 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:14:34.77 ID:nZNsxUH30
>>246
「文明」という言葉の定義を真面目に考えた方がいい。

260 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:15:01.25 ID:Kibi8MWA0
>>247
魏と通交できたのは公孫氏が司馬仲達に滅ぼされたから。
その情報をどこで手に入れたんだろ?偶然というわけでもないだろうし
たまたま「中国の王」と思ってた公孫氏が滅亡した特に鉢合わせした
使者がそのまんま洛陽に連れて行かれたとか

261 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:16:02.21 ID:WIuHCafe0
>>252
ワカタケル大王とか書いてある鉄剣のことじゃない?

262 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:16:49.09 ID:ZHR0cBDO0
>>256
それ、ムーで活躍している飛鳥昭雄説

263 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:17:40.27 ID:bbsmYC6C0
ひらがなの象形文字はあっただろうに

264 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:18:02.01 ID:72YdxLJd0
4世紀の日本は史書に記述がないので考古資料にたよることになる。
4世紀の遺跡で特筆すべきは、
前方後円墳と馬具の登場である。
副葬品もそれまでは剣、鏡、玉が中心だったのに、前方後円墳の副葬品は馬具や
王冠が中心になり、表面には埴輪が置かれた。
倭人伝によれば当時の日本には馬はいなかった。それが4世紀に入ると馬具が出
土される。馬だけやってくるわけはないから人が馬と共に流入したことになる。
そしてほどなく大和王権が成立する。これは騎馬能力に秀でた集団が大和王権の
成立に重要な役割を果たしたことを示す

265 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:19:19.62 ID:xSj1B/2w0
50音しかない古代文字の類いはほぼ間違いなく偽物

266 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:34:26.90 ID:nZNsxUH30
>>263
釣りだよね? www

267 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:40:52.34 ID:CgxPQsue0
どんなに過去を持ち上げようとも、衰退しつつある現在を繕える訳はない
このことを安倍一派は理解すべき

268 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:45:51.81 ID:72YdxLJd0
てすと。

269 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:49:02.46 ID:DBy6UrPp0
>>253が正解。
仏教と書物が渡来するまでは日本に文字はない。
もし見つかれば当然大事件だ。

270 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:53:01.09 ID:DBy6UrPp0
話し言葉とは違って、文字習得はそれなりの教育がいる。
そしてその必要性が必要なのだ。
弥生の生活様式でその必要性はゼロといっていい。

271 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:53:39.98 ID:72YdxLJd0
半島から日本に渡ってきたのは崇神天皇である。崇神天皇の諡号は、

御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)

御間城:任那
五十:委奴あるいは伊都
瓊殖:神に捧げる供物。神に仕える→崇神

つまり、「任那から入ってきた九州の王」を意味する

272 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 21:55:23.00 ID:CgxPQsue0
>>270
現在の教育蔑視は弥生時代からの伝統だった!?

273 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:03:33.73 ID:DTe6tofM0
ほぼ漢文だろ
共通語として使えるの漢文しかないし

274 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:03:58.10 ID:nZNsxUH30
>>269
これが定説なら畿内説というのはトンデモ説で確定だなw 文字(と花押)なしに
遠隔地への命令伝達なんかできないから。

275 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:06:28.89 ID:OGTXNein0
ん〜、農耕には暦が不可欠だから、読めれば得だよw?

276 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:07:25.25 ID:aK7shX+r0
>>264
前方後円墳の登場は3世紀中頃〜後半、円筒埴輪の祖形である吉備の特殊器台
・壺は遅くとも3世紀前半には登場している
前方後円墳造営がヤマト王権による許可制であるとすれば、3世紀後半には既に
ヤマト王権があったということなり、4世紀初頭頃から始まった馬の流入や馬具
の登場と大和朝廷の成立とは直接的には関係がないことになる

277 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:07:30.34 ID:lJgmn2aQ0
>>274
豪族の上に乗っかるだけの王権だったんだから詳しい命令を伝える必要なんか無いだろ

278 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:08:29.80 ID:CgxPQsue0
渡来人に管理されてたの?

279 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:11:00.76 ID:G+dl93ef0

>>59 初期のものは文字と確実にいうことはできないな

280 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:11:29.76 ID:gPgYckg50
>>255
嘘こけ 怡土と志摩は最近まで別々だ
平成の大合併で糸島市という合体ネームが出来たのだ

281 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:11:40.84 ID:hu9F957v0
弥生時代に文字があったとか凄い!
じつは縄文人も文字書いてたんじゃないかと歴史のロマンが高まります?

282 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:12:06.65 ID:mBaMGFpK0
>>253
>>272
>>273

会話は通訳?
文字も通訳?

当時の支配層の中ではどれくらい語学が出来たんだろうか?

283 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:12:29.82 ID:xSj1B/2w0
中央集権体制にまだまだ移行してない時代でしょ、そもそも

284 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:13:33.59 ID:mka2bgzr0
弥生時代にも墨書土器はあるが
実際問題として、意味がわからない
まじないのようなもんだろうな。

285 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:17:58.59 ID:mBaMGFpK0
>>281
>>287
弥生時代に中国から金印貰ってんのに
文字すらないっていうのもなー

弥生時代がこんな生活じゃ中国と何回も往復できるとは思えんしなー

【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

286 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:19:55.22 ID:WIuHCafe0
>>253
土器に見事な紋様付けることができるくらいだから
文字があればそれらに残っていてもいいよね

287 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:21:18.26 ID:OGTXNein0
>>285
農民と支配階級が同じなワケないw。

288 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:22:53.95 ID:WIuHCafe0
>>285
その金印に使用実績があったかどうかが気になる

289 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:26:41.74 ID:DTe6tofM0
>>285
庶民と支配者層同列に語る馬鹿www

290 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:28:10.98 ID:lDM9DYVFO
発見された硯は、本当に弥生時代のものなんだろうか。実はねつぞ…ケフンケフン。失礼、喉の調子が悪くなってきたようだ。

291 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:31:03.13 ID:WIuHCafe0
>>284
硯や筆があっても文字を書いていたとは限らないわけだな

292 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:34:16.00 ID:ZHR0cBDO0
>>291
文字も理解できる通訳はいたはず
魏国側だろうけどね

293 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:35:11.46 ID:5+RHikf40
>>288
漢委奴國王の印は漢に上奏文を出す場合は倭王の証として必要だから
使用実績はあっただろう
卑弥呼が魏に使者を最初に送った時も倭王の証として使ったんじゃないのかな。

294 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:38:11.42 ID:aK7shX+r0
>>290
最高学術機関で学問の薫陶をきちんと受けた考古学者や行政内研究者は
ねつ造が無意味であることをよく理解している
また、層位学的発掘をよく理解しているので、間違えることもほとんどない
というか、ねつ造するという想像すらつかなかっただろうな
あの、ただの考古オタのおっさんが事件を起こすまでは

295 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:48:03.01 ID:WIuHCafe0
>>293
それじゃ、文字を書くことができたということかな?

296 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:50:05.81 ID:pvXmwMGt0
チョンコロどもは5世紀に朝鮮半島から日本に渡った王仁博士が漢字を伝えたと
自慢して毎年、大阪の墓でイベントまでやってるのに、こんな事実が
明らかになったらアイツら発狂するぞ。

297 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:52:04.48 ID:OGTXNein0
そりゃ、支配階級は文字書けただろ。

298 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 22:55:48.77 ID:lJgmn2aQ0
外交文書やら金石文やらを書くためだけに渡来人が雇われてたんだろうよ。
まとまった数の日本人が文字を覚えて行政に使うようになったのは飛鳥時代になってから。

299 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:01:30.52 ID:OGTXNein0
スサノオは胸毛があったとある。
支那人朝鮮人には胸毛ない。

300 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:04:32.11 ID:+R5F9eIm0
日本語日本文化センター卒だけど
日本は奈良時代より前は文字がなかったと教わったよ

301 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:05:00.84 ID:5+RHikf40
>>298
雇われて定住したとかな。

302 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:07:29.30 ID:5+RHikf40
>>300
それはないだろ
奈良時代より前の記録文書はないだな
700年代の初頭に焚書があったらしいから
奈良時代より前の記録文書が残っていない。

303 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:21:33.02 ID:ylDuinkF0
ハングルができたの15世紀だろw
捏造しないと歴史を語れない韓国ってw

304 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:21:58.25 ID:UxPVBXJl0
レス削除多いな
なんかマズイことに触れてるのか?

305 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:24:05.00 ID:jpMVL1qE0
紀元前から日本と漢の国交が有ったのが事実だろ?
漢書、魏書?

そんな事より紀元前1000年から水稲栽培有ったんだろ?
それ、弥生人の始祖、呉の太白本人が日本に来ててもおかしくないんだよ?

歴史直視するって凄いね。

306 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:24:08.20 ID:lJgmn2aQ0
>>300
×奈良時代
○飛鳥時代

7世紀からぼちぼち木簡が出てくるようになる。

307 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:26:17.22 ID:q9wftV980
>>298>>301
国の最重要事案である外交の、その文章をチェックする機関の
担当役人が字の読み書きが出来ないわけないし、
他国の人間に担当させるのなんか危険だから
当然倭人から選び、その中でも家柄や当人の素行も
太鼓判押された超エリートがやってるに決まってるじゃん。
他国の人間に外交やらせて、当の倭人は裸でアババアババ言って
火の周りで踊ってましたみたいな認識ってなんなのかね?
外人に外交やらせるくらい平和ボケしてたら2000年前に倭国は
シナチョンの植民地になってるつーの

308 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:28:35.08 ID:REqrP/xs0
この時代に文字が使われていたと言う証拠になるね
とは言っても文法も違う外国語だからあくまでも外構専門用語だろうけど
隋書にあるように一般人には文字が無いというのは真実なんだろうな
こんだけ文字資料が見つからないわけだし

309 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:34:38.90 ID:QztwP3AU0
当時の墨では竹に乗らない 墨が作られるのは大和に朝が建ってから
博多では輸入の唐墨が主流 形の似ているボラの卵巣を乾物にして面白がって食べていたから、付いた名前が「カラスミ」ね
ほんとのようなホラ話

310 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:36:06.55 ID:REqrP/xs0
師升の時代から通訳付きの使者を送ってくるのが100余国もあるくらいだからな
外交を意識してその知識を蓄えているのが分かる
交流の痕跡ならもっと大昔の縄文から大陸と関わってるのが分かってるし
言葉を理解して使いこなしている人がいるのはむしろ道理
その証拠の一つが今回見つかったと言う事だな

311 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:36:11.44 ID:lJgmn2aQ0
>>307
島国の日本から中国(それもたいてい南朝)への朝貢なんて外交のうちに入らん。
関東の豪族との関係の方がよっぽど重要だったろうと思う。

312 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:37:09.80 ID:CgxPQsue0
>>299
日本原人って無いけど、日本人は何処から来たのかな

313 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:40:39.54 ID:REqrP/xs0
実際、漢字だけで日本語表現するのは凄い苦労してるからな
古事記でも太安万侶が大変だったと愚痴ってるくらいだし
独自文字が出来る前に中国語が入ってきてそれが使われ出したから出遅れたな

314 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:49:47.67 ID:ZHR0cBDO0
>>312
最近、ネアンデルタール人のスレが立っていたのを知らないの?

315 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:54:30.32 ID:3yX/d9r70
もう伸びないねこのスレ

316 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:56:27.26 ID:jpMVL1qE0
一般人に文字が無いのは封建社会の常識。

名字すらない日本は江戸中期まで農民には名字も漢字も無い。
平安期の漢文の読み下しと、ひらがなの発明で 日本語だろ?

700年かな? 空海って漢文も日本語もインド語も、それ以前から知ってたんだよネ?
すげ〜〜 と思ったけど紀元前から日中に国交有ったんだから余裕だよ。

朝鮮半島なら日本帝国の併合まで、庶民に文字は無い。
てか、漢字文化なわけで日本の文字文化は仏教伝来からだし。

漢字文化からハングルに変われるってコリアン天才だよ、すごいねwww
古代ハングル象形文化とか有っても意味ないからやめろよ???

317 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:57:21.39 ID:CgxPQsue0
>>314
全く知らんのだが、
南北米大陸にもネアンデルタール人が行ってたの?

318 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:57:42.68 ID:KhZ8ON2w0
漢字は東偉民族の韓国人王仁博士が、私たちたち日本に千文字を
教えあげたんだよね

この記事はアジアを貶めて、私たち日本があたかも自力発展したかのように
ミスリードしようと悪意的に必死ですね

私たち日本はない、歴史を改ざんしてまで、歴史を長くしたいのは
歴史にコンプレックスがあるから

319 :名無しさん@1周年:2016/03/10(木) 23:59:11.93 ID:FNiZpn390
むしろ漢字って日本起源なんじゃないかなあ。

320 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:00:18.10 ID:EXXoJcys0
>>317
日本人の半分ちょいがネアンデルタール人のDNAらしい
フランスかどこかの外国の研究所が調べていた

321 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:03:51.63 ID:rl9U4ooZ0
>>312
イザ"ナギ"、イザ"ナミ"ってくらいだから、海の神様。
日本人の祖先は船に乗って海から来た。

322 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:06:23.43 ID:+WgSxkOe0
GOD HAND 〜第2章〜

323 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:06:43.24 ID:bct+Exjy0
>>259
文字の有無は必要十分条件ではない

324 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:08:04.81 ID:bct+Exjy0
>>321
3-4万年前に東南アジア方面から葦船に乗って黒潮を北上して淡路島に流れ着いた

325 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:08:08.69 ID:j11FhQUl0
>>318
まず、日本語を勉強しようw

326 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:10:47.46 ID:j11FhQUl0
>>319
可能性は高いよね

327 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:11:44.20 ID:+Z3gGwCc0
>>319
実はそれはあながち与太話では無いんだよ

日本は呉と同族でその呉の王族は周の皇族出身

と言うことは、漢以前の、漢字の原型を作った正に本人の可能性が高い

稲作が伝えられたものでは無くて、正に日本人が創りだしたものである様に

実は漢字も周の王族の末裔である天皇家が創りだした張本人の末裔な訳

328 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:11:50.91 ID:r9+BhnRf0
江戸時代初期ですら庶民の識字率はほぼゼロなんだが。

329 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:13:33.09 ID:EXXoJcys0
>>324
そんな出鱈目をいうのは宇野正美だけ
あんな難しい海流をどうやって?
黒潮に乗ったのは確かだがまずは鹿児島だろう

330 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:14:56.26 ID:bct+Exjy0
>>327
周王室と日本皇室は遺伝子が違うので繋がって無い
所謂弥生人と言われてる存在が周→呉(春秋)の末裔

331 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:14:59.63 ID:gIszRkCg0
朝鮮と日本の文明度合いが、いつ逆転したのか気になるな…。
江戸後期には完全に逆転してたのは知ってるが。

332 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:16:03.08 ID:+Z3gGwCc0
日本人は、中東に起源を持つ東アジア最古の現世人類の古モンゴロイドの縄文人
支那大陸最古の大河文明の長江文明の弥生人
そして黄河文明の担い手の周の王族の末裔

縄文、長江、黄河の東アジア三大文明の担い手の末裔が日本人

だから、東アジア文明は全て日本人が作ったと言っても、はっきり言って唯の事実

333 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:16:48.74 ID:j11FhQUl0
っていうか、全然関係ない朝鮮人が湧くのはなんでなん?

334 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:17:45.02 ID:r9+BhnRf0
文字・漢字を使用していたのは朝鮮のほうが先だぜ。

335 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:18:37.33 ID:bct+Exjy0
>>329
黒潮は鹿児島にぶつかるよりも、屋久島から大きく東に逸れて四国南部を通過する流れの方が大きい
それが紀伊水道を通り淡路の渦潮へと流れ込む

336 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:19:53.13 ID:lukcxUlD0
>>310
>>師升の時代から通訳付きの使者を送ってくるのが100余国

当時の日本列島に100ヵ国ってこと?

国といっても2000人とか村みたいな単位だったのかな・・・
でもそれにしては中国へ漢やら呉へ派遣するには費用負担、技術負担とか大きすぎるな

337 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:21:49.38 ID:r9+BhnRf0
>>335
けっこう当たっている。黒潮にのって日本に上陸するとすれば、
九州は容易ではなく、実は和歌山辺りが上陸し易い。
和歌山は南方顔が結構多いのがその証拠だろう。

338 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:22:17.79 ID:EXXoJcys0
>>335
そんな簡単なら神武はわざわざ瀬戸内海ルートを選ばない

339 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:24:08.59 ID:lukcxUlD0
>>302
日本書紀とかってその100年前の西暦600年頃に書かれた紛失した書物を記憶で書き写したんじゃなかったっけ?
大化の改心で燃えたんだよなー
なんか、日本人は昔からそういう公文書保存に無関心なのかもな

>>293
スイショウが貰った金印を数十年あとのヒミコが使ったってことか
そう考えると血筋、家筋、連合王国としての世襲みたいなのがあったのか

340 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:24:55.18 ID:bct+Exjy0
>>338
簡単だとも言ってないし、イザナギイザナミと神武は時代が違いすぎる
神武の時代は既に日本列島を知っているのだから、瀬戸内の助けを借りたり、畿内に親族がいたりしてる

341 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:25:02.12 ID:+Z3gGwCc0
>>336
だからエヴェンキが何で日本人の話に首突っ込む訳?

342 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:25:24.80 ID:lukcxUlD0
>>324
ミクロネシアから縄文土器が見つかったんだよね
しかも、東南アジア→日本→ミクロネシアの順番らしいね

343 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:27:26.85 ID:r9+BhnRf0
>>338
瀬戸内や山陰経路は対馬海流経路だろう。
朝鮮半島からの渡来だ。近畿でいうなら
黒潮:和歌山奈良大坂=南方系
対馬:京都滋賀など北朝=朝鮮系

344 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:29:28.69 ID:chxBdONc0
>>320
なるほど
ネアンデルタール発祥と言われている土地と連続した分布になってるの?

345 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:29:34.05 ID:bct+Exjy0
>>342
ミクロネシアへの拡散は、ミクロネシアと同じ遺伝子タイプC1系が日本で確認される1.2万年前以降だろう
これが遠洋航海技術(連結丸木舟)を用いて縄文文明が拡散している

346 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:29:36.01 ID:EXXoJcys0
>>340
淡路島の説はどう考えても無理
あの恐ろしい海流を知らないから言える
そもそも記紀にはイザナミとイザナギが淡路島を
つくったとか書いてない
ただのオノコロ島だ

347 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:30:07.55 ID:chxBdONc0
>>321
全然あると全然ないという言葉に違和感覚える?

348 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:30:57.70 ID:bct+Exjy0
>>346
イザナギとイザナミが国産みで最初に産んだのが淡路島だぞ
あと、オノコロ島と推測されてる島は淡路島のすぐ近くにあるからな

349 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:32:13.82 ID:HKHgMK/N0
>>336
後漢書曰く

倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである
。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。
その大倭王は邪馬台国に居る

朝鮮は2千年前にすでに滅んでいる

350 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:32:23.75 ID:+Z3gGwCc0
>>343
これもな
日本に朝鮮系なんか居ねーよ
お前が朝鮮人なだけだろ

351 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:34:17.96 ID:EXXoJcys0
>>344
そこまで詳しく書いてなかった
日本人の51%はネアンデルタール人の遺伝子とだけ
髪の毛や目が茶色い人はそういう事なのだろう

352 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:34:57.78 ID:273tbo/N0
>>299
八坂神社「スサノオは新羅の神様だよ!」

353 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:36:59.14 ID:bct+Exjy0
>>352
正確には「新羅でも祭られてた」
スサノオの子である大年神の祭祀分布は日本、朝鮮半島、中国沿岸部まで至ってる

354 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:37:10.87 ID:mO9aAck40
印綬は普通王朝が変わったら返して新しいのを貰う
当たり前だけど滅んだ国の印綬を持って新しい国と国交が出来るわけがない
だから「親魏倭王」印が無いのは当たり前
継続して使節を送ってるのだから新しい後継王朝の印と交換してるはず

漢倭奴国王の印が見つかったと言う事は、逆に言うと奴国は既に日本の主体として中国と交渉する地位に無い事を意味するかと

355 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:38:31.36 ID:EXXoJcys0
>>352
違う
元々は秦氏系の神社

朝鮮人てのっとるよね
歴史も神社も

356 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:39:53.86 ID:lukcxUlD0
>>345
>>351
西暦1900年当時の日本人って西暦500年頃にはできあがってたのかな?
三内丸山とかに紀元前6500年前からいた原日本人、紀元前500〜西暦300年くらいの渡来人、とかが混血して西暦500年ころにはほぼ完成してた?


ちなみに今産まれてきてる日本人って外国系混血率50%だけで3%いるんだってね
これが50年続くと計算上どうなるんだろう?
99%くらいがクォーター以上の血筋になる?

ってことは数千年かけて混血してできた日本人が100年で別人種になるってことか・・

357 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:40:29.96 ID:+Z3gGwCc0
>>352
新羅の王族は日本人なんだが?
百済と違って新羅は王族が日本人そのものだぞ

それに古代の半島は日本支配下
日本の神様祀って当たり前

358 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:40:42.11 ID:273tbo/N0
>>319

ウヨ「ちょっちょーせんはぁぁ中国人がぁあl!衛氏朝鮮をぉぉ!忘れるなぁ!」

後漢書曰く 武帝が朝鮮を滅ぼして

滅びたのウヨが大好きな衛氏朝鮮なw

359 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:42:09.25 ID:Tq0Gkyl4O
やっぱり邪馬台国は九州だったんだな
個人的には邪馬台国は無かった説派推しだけど

360 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:44:14.90 ID:bct+Exjy0
>>356
日本人の割合と渡来年代
D1b系、3-4万年前、30-40%
C1a1系、1.2万年前、5%
O1b2系、2800-4000年前、30-40%

後の約20%がそれ以降の渡来人、O2系やC2系など

361 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:44:34.44 ID:273tbo/N0
>>357
それw
んでそうだとしたら神功が攻めたのって自国民が王の国になるがいいのかw?

362 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:45:06.01 ID:+Z3gGwCc0
>>361
そうだよ

363 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:47:45.45 ID:chxBdONc0
>>351
その程度でその説を成す人を信じちゃうんだ・・・
最近の幼稚園生はITスキルに長けてるね
61歳児でもまだまだなのに

364 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:48:41.22 ID:EXXoJcys0
>>356
混血になっても縄文時代の遺伝子が削除されるわけでないが
恐ろしい事を書くなよ

365 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:49:34.73 ID:mO9aAck40
倭人伝や隋書の記述の一つの証拠になる発見だな

・倭人は文字を使わず木に印付けたり縄の結びで連絡していた
(一般に文字は広まっていない)
・通訳できる使節が漢代から各国にいた
・使節が逗留する場所にある筆記道具

外交の為に漢文を用いていた

と言う事だな
外交文書とか見つかると面白いな

366 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:49:42.46 ID:r9+BhnRf0
>>360
>O1b2系、2800-4000年前、30-40%
O2b1系だろう。
古代中国南部地域のO2bが日本渡来後にO2b1に進化した形。
その後はO3がやってきた。
O3は今の韓国人。(血液型はO型かB型)

367 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:50:36.37 ID:bct+Exjy0
>>366
2015年11月にISOGG系統樹が改訂されて、O2bはO1b2となった

368 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:51:04.84 ID:chxBdONc0
>>364
はいはい
縄文縄文

369 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:52:07.37 ID:EXXoJcys0
>>363
>その程度でその説を成す人を信じちゃうんだ・・・

説ではなくてDNA解析の研究結果ね
61歳にもなって恥ずかしい事かくなよ

370 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:52:14.30 ID:r9+BhnRf0
>>367
そっか、その件は知らなかった。

371 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:54:27.24 ID:bct+Exjy0
>>370
分岐が繰り上がってコロコロ変わるからなぁ
O3はO2になったよ

372 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:59:08.13 ID:lukcxUlD0
>>360
>>368
>>369
詳し過ぎるだろw
NHKスペシャルでも俺にも解るようにやって欲しいわ

>>366
いや俺も国際結婚と混血率のニュース見てたら
5年前の時点で公立小学校で1学級1人以上の割合でハーフがいて、クオーター入れたらもっと凄いらしいよ

373 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 00:59:46.41 ID:mO9aAck40
日本語発展の歴史の裏付けにもなるかな

漢文→万葉仮名→ひらなが、カタカナ→日本語文字

とまぁこんな変化をしてるわけだけど
筆記用具があるのに、文字が無いと書かれてると言う意味は日本独自の文字はないと言う事になるかと
そうなると神代文字とかを使ってたと言う話が薄くなる
ローカルな地域が独自の文字として使ってたと言う可能性は捨てきれないけど

374 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:00:06.55 ID:jnpLhM2E0
>>1002
だいぶ病んできたな
ざまぁww

375 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:01:43.83 ID:EXXoJcys0
>>372
鳩山の子ども手当時代に産まれた子供と重なるね

376 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:03:30.08 ID:Tq0Gkyl4O
>>373
縄文時代にも文字あるよ

377 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:05:40.23 ID:273tbo/N0
すずりが発見された
文字があったという発見じゃないわけだよ。

倭原人「うほうほ!海の向こうから人来た!これ置いてった!何に使うか知らんけど!」
倭原人「おたからおたから!何の役に立つかしらんけど!」

海の向こうから来た人「それで墨をすって文字を書くんだよ」

倭原人「うほ!すみ?おいしいの?もじ?何?」

378 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:13:26.15 ID:chxBdONc0
>>369
小保方に熱くなってた人かな?
俺が61歳児だと読んじゃうぐらいの読解力だからしょうがないか・・・

379 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:15:45.12 ID:QTwutG3x0
>>372
るるぶとかじゃらんで格安チケットでお一人様旅行する女が旅行先で男引っ掛けてくるからな
男はそのずっと前からじゃぱゆきさんとかと偽装結婚国際結婚してたけどな

380 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:19:09.54 ID:EXXoJcys0
>>378
はい、老人の妄想病
小保方とかの詐欺師に興味ない
スレも見た事ない

縄文文化は素晴らしいよね

381 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:22:52.39 ID:j11FhQUl0
明らかに黄色人種ではない子が要るのは確かだな
名前もキラキラじゃなく変だったり(カタカナでかつ長い)

382 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:23:45.30 ID:+jHHPLYV0
日本は漢字取り入れる以前から
文字とマークの間みたいなやつを使っていた
名前は忘れた

383 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:26:27.48 ID:j11FhQUl0
どっちかっつーと、外でどうこうっつーより、国内に来てる
外国人と結婚してるケースが多い気がするが…

384 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:29:32.10 ID:QTwutG3x0
>>356
どこまでを渡来人ととらえるかは意見分かれるだろうが、
古墳〜江戸時代の鎖国まで継続的に外人は日本に移民してきてるよ
三韓、高句麗滅亡時は静岡以東へ大量に朝鮮人は移民した
静岡〜多摩〜埼玉〜群馬らへんの関東だけで2500人以上、
東北には合計すると人口比で10〜20%の数万と言われている
元寇の時、多少の生き残りが九州の山間部に逃げ込んだ伝承
秀吉の朝鮮出兵のあと200人程度の陶工が佐賀や鹿児島に

あとは鎖国してる間ずーっとお休みして
朝鮮併合の後で日本中に

385 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:35:00.09 ID:chxBdONc0
>>380
日本会議かな?

386 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:37:49.20 ID:EXXoJcys0
>>384
朝鮮出兵で朝鮮から焼き物師を連れてきた事になっているが
韓国が今泉今右衛門を同胞ニダと言い続け今右衛門さんが
私は日本人だ!と言った事はあまり知られていない

387 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:43:25.53 ID:QTwutG3x0
>>386
太平洋戦争開戦時の外務大臣の東郷茂徳(朴茂徳→東郷家に養子)も陶工の子孫

388 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:45:29.04 ID:273tbo/N0
>>386
今泉氏だけが陶工ではなかろうに。

389 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:46:15.43 ID:j11FhQUl0
元々、朝鮮半島には日本から渡った人が多く住んでたんだろ
今の朝鮮人や在日と呼ばれてるのとは別のw

390 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:48:40.78 ID:273tbo/N0
>>387
乃木さんもそうだったな。
あと松下村塾ってのは朝鮮陶工のいた村で

391 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:49:28.72 ID:Vv9sH4qZ0
男女多黥臂點面文身、沒水捕魚。無文字、唯刻木結繩。

男女の多くが臂(肩から手首まで)、顔、全身に刺青をし、水に潜って魚を捕る。
文字はなく、ただ木に刻みをいれ、繩を結んで(通信)する。

392 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:55:16.20 ID:EXXoJcys0
百済は日本であった事は確定している
今のエベンキ族とは何の関係もない

393 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 01:59:17.82 ID:EXXoJcys0
>>391
志賀島の安曇族に入れ墨文化があった
長野の安曇に残ってない?
これ重要な案件

394 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:12:50.76 ID:j11FhQUl0
おそらく入れ墨って海洋民族の個人識別用だよね
持ち物や服装とかは流されてしまったりするから

同じように飛脚とかも入れ墨してたっぽいし

395 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:18:35.86 ID:oOO++YkG0
韓国の本当の国名は

大穢民国だよ

396 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:21:30.34 ID:chxBdONc0
>>395
韓国は漢字を解していたの?

397 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:26:47.05 ID:EXXoJcys0
長野の人いないね
おそらく自分らと関係ないと思って開かないんだろうけど
安曇野は志賀島から移動した人達が築いたんだけどね
なんで移住したんや?

398 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:34:38.45 ID:1oASkRNs0
朝貢してたのなら文字くらい大陸とのやり取りに使ってただろ。
一人や二人くらいはな。

399 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:38:12.80 ID:QTwutG3x0
>>394
騎馬民族の辮髪と一緒で縄張り外での活動時の部族識別の為だろ
他には成人識別とか、霊的な力があると信じてたとか
実際敵に恐怖感を与える効果くらいはあっただろうな
チンピラやくざがグラサンやパンチパーマしてるような感じで

400 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:43:09.19 ID:QTwutG3x0
>>397
律令制〜平安末の頃なら信濃や甲斐は、軽度でも重罪でもない中程度の罪を犯した犯罪者の流刑地

401 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:46:43.47 ID:EXXoJcys0
>>400
流刑地ではない
日本の流刑地は島流しでデフォ

402 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 02:57:18.80 ID:chxBdONc0
>>1002
人は動くからね
引こもりクン

403 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:00:54.37 ID:EXXoJcys0
縄文時代がなかった事にしたい
何んか訳わからん人が必至だね
どこの国の人か知らんけど

404 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:06:27.96 ID:kWtwQPU60
>>335
和歌山辺りなら分からなくはないが、なんで淡路島に行くんだ?
海流があるか?
あと、九州には対馬海流という分流があるし、そちらからの稲作とかがはるかに早いだろう

405 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:11:32.01 ID:Zkvo+6Tw0
口頭だけの外交だと、使者が嘘ついてもわからないからな
不明瞭や誤解、行き違いも出てくるし
文書が使えるなら、そりゃ当然使ってるだろ

406 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:12:41.56 ID:8VDNmcKw0
なんだ?書き込んだ瞬間に、削除されまくるスレだな。この書き込みも即削除かな?

407 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:14:45.53 ID:EXXoJcys0
淡路島は嘘というか、誰が国生み神話の一番目にしたの?
古事記の何処にも淡路島なんか書いていない

408 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:17:34.56 ID:fWjuhHel0
福岡県生まれの福岡県育ちだけど
半島系(在日や帰化人)の人間が多すぎて欝になる。
東京・大阪はもっと多いと聞いたけど信じられない。
ウチの職場なんて石を投げたら半島系に当たると思うほど多い。

福澤諭吉が「脱亜論」で言ってるように日本人と半島人が
うまくやっていくのは本当に無理だと思う。
さすが福澤翁、先見の明が有りすぎるw

409 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:20:28.37 ID:I2IKRocQ0
>>405
文字が書かれたものが数百年後まで一切出土しないのは何で??
紙は朽ちるとしても、木、金属、石、土器などに書いた文字は遺るはずだし、
大陸では実際にたくさん遺ってる。しかし日本には全く無いのだから、
やはり文字は意図的に使用しなかったとしか考えられない。

410 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:24:35.85 ID:8VDNmcKw0
なるほど。関東地方の人にとって不快なことを書くと、即削除になるのか。

削除人が、関東人だということだけは分かった。

411 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:26:41.30 ID:oOO++YkG0
朝鮮人なんて汚物、眼中に無いってか、入れたく無いんだよな
どうでも良いし、感心なんか持ちたくないのに突っかかってくるからうざい事この上無い

逆に朝鮮人は、自分出自が秦の奴隷と穢族の混血だとは思いたくないから
日本人の持つ深くて輝かしい歴史を盗みたくて仕方がない

本当なら日本人の栄光と歴史は俺たちのもんだ!ってな

412 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:28:44.78 ID:EXXoJcys0
>>408
日本の敗戦後になだれ込んできたからな
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

413 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:30:57.08 ID:8VDNmcKw0
>>412
多分、反論した瞬間にレスが削除されてると思う。
だから、反論した西日本人は、反論を書き込む気も無くなってスレから消える。

関東人にとって不快な書き込みは、どうやら即削除っぽいよ。

414 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:36:23.69 ID:EXXoJcys0
>>413
そうなの?
削除されていたのは西の人だったけどね
どうなってんだろう

415 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:39:26.09 ID:QTwutG3x0
>>401
島流しは江戸時代の重罪人に対して
以下「流罪」wikiよりコピペ
>律令体制下では、流には畿内からの距離により3つの分類があった。
>近流は越前・安芸等、中流は信濃・伊予等、遠流は伊豆・隠岐等であった。
>江戸時代にかけて、八丈島など多くの島や遠国が中央・地方の各政権によって流刑地とされた。

以降、時代が現代に近づくほど、関東平野、房総半島→東日本→佐渡島、八丈島、小笠原諸島→北海道
と遠隔地へとヅレていった

416 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:40:28.86 ID:EXXoJcys0
関東人は縄文人なのだから
これからどんどん書いていこう

417 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:43:53.69 ID:8VDNmcKw0
>>414
俺がレスしたつもりの相手の書き込みも削除されてしまった結果、俺のレス番も変なことになってるしw
自動削除のプログラムが、自動的に削除基準に該当する言葉のレスを、自動削除しているだけかも知れないが。

とりあえず、ノシ

418 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:47:38.87 ID:EXXoJcys0
>>417
旭がついているスレは荒らし対策のスレなんですよ

419 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:52:12.22 ID:8VDNmcKw0
>>418
なるほど。教えてくれてありがトン。地名の起源について一説書きたかったんだけど、諦めます。

420 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:52:38.81 ID:QTwutG3x0
>>416
違うよ
>>384に書いてある通り、(略

421 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:55:30.54 ID:EXXoJcys0
>>419
コピペがどんどん消されるでしょ

地名の話ききたかった

422 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 03:59:49.75 ID:HKHgMK/N0
倭の読み方についておかしなことを主張する顔文字がいたんで、
論破してたらそのスレごとなくなった
あれなんだったんだろうな

423 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:09:44.27 ID:EXXoJcys0
人偏ついている倭は凄いね
虫とか獣とかついてない

424 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:27:28.32 ID:8p2wpAru0
>>423
よっぽど対応した文官の心証がいい使者が行ったんかね?
明治期の朝鮮訪れた英人女性の手記もかなり高評価してたもんな
米人牧師の手記はボロクソに書いてあったけど
あの国の人たちは儒教の影響でマザコンが多いらしいから、女には親切なのかもしれないね

425 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:37:06.59 ID:EXXoJcys0
>>424
個人的に朝鮮は敗戦後のどさくさに来て
三国人の腕章をつけて日本の一等地の土地を
奪って成金になったとしか思っていない
ソフトバンクの孫さんもそれは認めていたはず

426 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:43:39.18 ID:EXXoJcys0
縄張りっていう言葉知っているかな?
朝鮮人が戦後の一等地に縄を張って
日本人除外したのが縄張り

427 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:56:07.09 ID:GwmggoEX0
>>329
鑑真もザビエルも鹿児島の坊津に着いていることを思えばそれが妥当だ
>>335
江戸時代でも黒潮の本流に乗ってしまうと鳥島まで流される

428 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 04:58:17.56 ID:JKolAVy80
漢字が入ってくる前に日本に文字があったの?

でもそれなら石碑とかに掘ったのがあるよね?

硯で墨すって、イタズラ書きしてただけじゃないの?

429 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 05:14:41.85 ID:8brp02Sr0
◎安本美典氏 : 九州・近畿・関東の比較
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

近畿ショボすぎw
鉄器ぜんぜん無いやんww

430 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 05:18:15.26 ID:S7Z1+F9aO
>>425
っていうか紛れもない事実

431 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 05:18:45.67 ID:m9zMfFtU0
>>422
いつお舞に論破された(´・ω・`)

432 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 05:50:01.23 ID:i4b2C9B70
>>1
外交w、この時代に対等な国家関係とかないんだよ、近代世界みたいに国民国家をどれも平等だとみなす偽善な擬制と無縁だからな。
どうみても中国による日本支配の証拠が出たって事にしかならない。

433 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 06:34:47.38 ID:Usg97N9J0
我の五王のように「高句麗がいじわるするよ。助けてよ支那えもーん。
官位ちょーらい?」
とのおねだりしていることから、日本はもちろんのこと周辺国も支那
を頂点するアジアの秩序に組み込まれていたのであって、対等なんて
ありえないのは、このスレに来ている人間なら誰でも理解できている
はずだよなあ

434 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 06:35:16.63 ID:I2IKRocQ0
>>428
> 硯で墨すって、イタズラ書きしてただけじゃないの?

お正月の羽根つきの罰ゲームに使っただけかも

435 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:08:53.15 ID:Rs9Zd3KZ0
>>252 あ、ほんとだ。金碑文に七支刀と彫ってある。日本書記は七枝刀と記述だけど。
>>54の「誰がいつ七支刀と言い出したのさえもよく分らない」という誤った認識からは
誤った結論が出る、ということだな。

436 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:14:08.81 ID:Rs9Zd3KZ0
>>264 うむ。騎馬民族征服説はともかくとして、
馬具が出土しているからには、文化と人の流入があったのだろう。巨大古墳も馬具も権威の象徴だな。

437 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:15:44.06 ID:knHxVBmX0
>>425
済州島の動乱のときにもはいりこんでる
元々半島と違う国って話だが、挙動は全く同じだね

438 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:18:35.58 ID:knHxVBmX0
ま〜馬が大量に来るわけもなし、貴重品だったんじゃないか
王冠なみの扱い
牛車より普及が遅いようだし

439 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:24:40.77 ID:51bLoqpJ0
色々学んでたのに
文字だけ500年までなしなんてありえないからな

440 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:26:16.98 ID:51bLoqpJ0
>>432
邪馬台国自体が戦乱をなくすための連合同盟だったんでしょ?

441 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:27:58.20 ID:knHxVBmX0
記録なしに国家統一は難しいだろう

文字の使用を宗教的に遠慮していたか、
天皇家に焚書されたか

442 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:28:56.33 ID:Rs9Zd3KZ0
>>354 あ、そっか。漢委奴国王印 という漢の字が入ったハンコもって、魏の皇帝に
文書出して漢委奴国王印の封泥したらヘンだわな。
親魏倭王のハンコに替えなくちゃならない。
つまり、奴国の王はその後なにか断絶か滅亡でもしたのだろう。

443 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 08:42:24.17 ID:Rs9Zd3KZ0
>>423 人あつかいされているだけマシだよね。たとえ矮小な人という蔑称にしても
人間あつかいなんだから。
なお、金印は皇帝の子供にも与えられている。つまり日本の王は、皇帝の子孫と同格の扱い
という最恵国待遇。文字も読めない野蛮国とはいえ遠方から貢ぎ物を持ってきた使者を大歓迎してる

444 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:06:13.76 ID:jjSD099J0
>>409 当時使ってたのは木簡だから、雨が多く室負けの多い九州手間はすぐに腐ってしまう。
文字は長江のために使ってたくらいで、一般的な社会生活で使う程ではなかったから使える人もごく一部で残っていない。

445 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:10:12.60 ID:byrjXHrG0
>>440
ハイ、ハイ、お花畑史観ですか w

446 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:15:03.06 ID:jjSD099J0
魏志倭人伝には矢じりには骨、鉄が使われてたとあるが、鉄は小さいから錆びて残っていないんだろうな。

447 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:16:13.48 ID:knHxVBmX0
鉄か?なら九州が有力だな

448 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:23:05.11 ID:E2elDhHD0
>>445
大乱のあとの王の共立なんだから、平和同盟であってるよ
勝者が出ず戦乱が続けば誰も得しないのでそうなる

449 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:27:37.71 ID:FkTOcDjm0
そもそも中国と国交を結ぶのに朝鮮半島経由で行くはずがない。それでなくても海上経路の方が交通が容易だった時代、直接東シナ海を横断するに決まってる。

朝鮮半島は征服しに行くところだ。

450 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:28:47.82 ID:jjSD099J0
倭人が体に塗ってたベンガラは、阿蘇黄土からつくってた。
阿蘇黄土は鉄分70%で、鉄鋼の原料ともなる。 鉄も同時に作ってて当然。

451 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:29:59.74 ID:jjSD099J0
>>449 バカか? ヒント、海流

452 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:30:48.04 ID:Rs9Zd3KZ0
>>449 対馬・壱岐経由なら対岸の山を見ながら航海できるというのに、
直接東シナ海を横断といったら、夜間航行か!。潮流があるので、方位を見失ってマジ死ぬ。

453 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:31:36.97 ID:0Xo0z0hU0
アイヌに文字はない

454 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:32:10.96 ID:byrjXHrG0
>>305
>紀元前1000年から水稲栽培有ったんだろ?

  水田って、土を耕す農具がないとできないよ。たまたま湿地帯があって
 そこに稲の種を播いて収穫できても、洪水なんかで湿地帯が泥の山になったら
 それで終わり。永続的な水田はある程度発達した農具と維持管理がなければ
 すぐに消える。普通に考えて紀元前10世紀の日本に水田はないだろ。 

455 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:35:05.82 ID:dPydECOm0
>>444
土中の有機物が腐るか否かは、分解してしまう微生物や菌類が多くいるか否か(土の酸性度と、
土中に含まれる酸素量による)が重要なので、雨の多さや湿度は直接関係しない
また所謂木簡が使われるようになったのは、筆と墨が入ってきたとみられる飛鳥時代以降
それにしても誤字が多いね、長江はさすがに解読できんかったw

456 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:40:13.43 ID:qWSMkOFq0
文字があるならば、硯や木簡のみならず、
石碑などに文字が刻まれてもよさそうなもの。
文字の使用を認めるにはやはり証拠が必要。

457 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:44:35.59 ID:YoHZxjwS0
>>446
鉄鏃なんて出土例いっぱいあるだろ

458 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 09:51:40.85 ID:byrjXHrG0
>>456
石を加工するのは石器時代からやっているんだから、石に文字を刻むのは全然
難しくない。それが見つからないということは、文字を知らなかったか、あるいは
知っていても具体的な使い道がなかったかしか考えられない。情報伝達に使わなく
ても墓石に名前を刻むくらいの用途はあっただろう。ということは、邪馬台国の
時代には権力者ですら名前がなかったのかもな www

459 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:07:07.42 ID:jjSD099J0
>>458 馬鹿丸出し、墓石なんてちゃっちいもの使うわけないじゃないか。
卑弥呼の墓の大きさ知ってるか?

460 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:11:18.20 ID:RIoKFz6y0
今の所最古の鉄は糸島から出ている

糸島すげ〜wどんだけだよww

461 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:15:19.84 ID:dIqy3gX/0
>>433
倭の五王は天皇家ではないけどな。
九州にあった別の王朝というのが定説。

462 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:17:27.05 ID:byrjXHrG0
>>458
「邪馬台国の時代には権力者ですら名前がなかったのかもな」というのは
まあ冗談だが。マジメに考えると、漢字というのは表意文字であって表音文字
ではない。邪馬台国の時代の発音をこの表意文字である漢字にどう当てはめる
のかで邪馬台国時代の人間は頭を悩ませていたと考えるのが正解かも。これが
標準語として成立したのが奈良時代だったんだと。

463 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:21:38.40 ID:dIqy3gX/0
>>409
当時はまだ紙なんて普及してない。
絹か木簡に書いたのだが、どちらも朽ちて残ってない。
残るとしたら金象嵌した鉄剣ぐらいだが、鉄も錆びて朽ちるので余程保存状態が良く無いと単なる金線としてしか検出されない。
従って金象嵌鉄剣で5世紀ぐらいが最古、木簡だと7世紀ぐらいが最古。

464 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:24:15.53 ID:KsbOgRyg0
九州での文字の使用開始は紀元前から
畿内(田舎)での文字の使用開始は6世紀くらいからw



465 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:25:36.82 ID:D6Eq3x140
>>461
その定説は、なんという学会で認められてるの?

466 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 10:44:35.73 ID:jjSD099J0
このスレタイでは見つけられない

これの次スレを立ててくれないかな。 
【福岡】さあ邪馬台国へ…倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡 ★7 [無断転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457271108/

467 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:02:41.77 ID:efcP6NwN0
>>106
>同じく安曇族も上越方面から長野征伐行ってるし・・・・・・・・・・・・・・
ん?志賀島の安曇族が、武甕槌に命じられ諏訪湖の建御名方命を征伐に
出向いたと?
天竜川を北上でなく姫川を南下したと何に記されてあるの?

468 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:44:27.33 ID:pwmpcwxv0
>>449
東シナ海を直接安全にわたる技術はないだろ
だいぶ後の中国→日本だって鑑真がえらく苦労したくらいだし

469 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:50:55.06 ID:pwmpcwxv0
>>384
当時東北には蝦夷系勢力が健在なのに万単位で来れるとは思えないけどね

470 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:51:53.62 ID:Jp2vT0qa0
文字使えなきゃ金印なんて貰えんだろ

471 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:52:18.88 ID:jvrbSr2l0
日の出るところの王日の没するところに使いを出す
と書状持たせて隋の王を挑発したのは記録に残ってるので
漢文使ったのは事実で
日本書紀では大和王朝がパクって書いてるので九州王朝に記録残ってたのを
パクってた

472 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:56:14.05 ID:pwmpcwxv0
弥生人が元は中国人なら彼らは当初中国語の文法で喋ってた可能性はたかいよね

473 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:57:51.62 ID:pwmpcwxv0
600年なら近畿は人口120万、関東九州は人口80万、東北は20万くらいかな

474 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 11:57:59.44 ID:s3+OS6/90
日本人は縄文系

475 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:01:31.33 ID:Vl6GoKRt0
鯨面文身とあったから、必ずしも文字とは限らないんじゃないか?
刺青用の墨をすっていたとも考えられるのでは?

476 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:02:10.44 ID:LROWQfxR0
縄文人って見た目もあれだけど知能もなさそう

ようするに猿ってことだよね

477 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:03:26.87 ID:pwmpcwxv0
>>476
朝鮮人が日本人を猿っていう理屈か?

478 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:04:03.21 ID:BvXxmiuY0
>>476
縄文人と弥生人
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

479 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:06:23.75 ID:fdQNSFbu0
大海を渡れる船があった→巨大建造物が作れる→登呂遺跡の藁葺き生活ではない

480 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:11:27.22 ID:4AnpVU/7O
単に大陸の人間が土人の生活をうかがいに来ただけだったりするかもよ
交流とかそういうレベルにしたいんだろうけど

481 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:14:03.90 ID:JbjubgrZ0
おい調子に乗るなよ炭鉱土竜の末裔共よ
はっきり言っておく
福岡のうどんはマズイ

482 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:14:31.03 ID:3jQvkdX70
>>473
600年頃の人口は記録が無いから分からんが
九州の人口も120万以上はいたろうな。

483 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:15:38.00 ID:JbjubgrZ0
>>478
弥生系への悪意があり訴訟は免れない

484 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:18:13.02 ID:3jQvkdX70
>>442
卑弥呼が魏に素早く朝貢したのは
漢委奴國王の印に替わる魏の印が欲しかったからだろう。

485 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:19:19.39 ID:knHxVBmX0
縄文系って井沢元彦みたいなイメージなんだが

486 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:24:28.95 ID:pxCFcPyH0
>>178
20年前にコンクリートで作りました

487 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:24:30.96 ID:bvp4CE1R0
日本は遅れていたという決め付けがどんどん崩れていくね
いずれ独自の文字もあったとなるよw

488 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:24:52.58 ID:jjSD099J0
>>472 おいおい、あほ抜かせ。 おまえは何人だ?
言葉というのはそんなに簡単に変化するものではない。 古代語はアイヌ語の影響が強いと言われている。
まずは文法から違うものを受け入れられるわけがない。 
中国は SVO  日本は SOV

489 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:24:55.90 ID:D6Eq3x140
>>472
弥生人が支那人であるという根拠はまったくないんだけどね
水稲と灌漑技術を知っているごく一部の支那人がやってきたとは思うが、
縄文人が水稲耕作を知り、食生活が大きく変化したことから、やがて生
活・文化も身体(顔つき)も変わっていったと考えたほうが自然だと思う
浙江省・江蘇省・福建省あたりで弥生土器に似た土器が出れば話は別だけど

490 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:31:29.48 ID:VVo/jKwi0
>>437
一番入り込んだのは、朝鮮の三国動乱の時代。
4世紀から7世紀くらい。

日本列島の歴史が不明で、突如として大和朝廷が出現したのと重なる。

491 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:35:55.03 ID:3jQvkdX70
7世紀の新羅統一の影響が多きな
初期ヤマト朝廷の遺物は7世紀からだからな。

492 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:48:37.23 ID:Vv9sH4qZ0
>>488
「アイヌ 語は日本語に似たようなものか?」、私がよく受ける 質問です。結論から言いますと、
アイヌ語と日本語 は 深 い レ ベ ル で 非 常 に 異 な る 言 語 で す 。
http://www.ninjal.ac.jp/publication/ninjal-f/pdf/ninjalF005_05.pdf

アイヌ語は日本語とは別の言語です。
http://www.hokkajda-esp-ligo.jp/jek99/ajnua_lingvo/Resumo_de_ajnua_lingvo.pdf

493 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:54:31.69 ID:qWSMkOFq0
>>469
ヤマトタケルが東北遠征したとき、
何も無かった、と記録に残してるw

494 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 12:57:32.53 ID:+d9MprR60
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城のうちに満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】  

495 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:00:04.00 ID:273tbo/N0
>>393
残ってるかどうかは知らんが、百済のために出兵して神社に祭られてるな。

496 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:00:40.14 ID:HxVbGs/00
>>494
5世紀後半には、雄略天皇の王朝が九州から東国までを支配している。
雄略天皇が、自分の先祖が朝鮮半島に何度も侵攻したことを中国の王朝に上表していることからしても、
そこに出てくる一連の朝鮮半島を侵攻した倭は、近畿に本拠地を構えて九州から東国を支配した大和朝廷だろう。

497 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:01:44.44 ID:273tbo/N0
>>397
安曇野にゃ半島由来の弥勒像があるずら

498 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:02:09.32 ID:a4//Ap180
>>494
鉄器も無い畿内勢力にはムリだな

九州王朝w暴れすぎwww

499 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:05:00.64 ID:273tbo/N0
>>494
談徳は新羅を攻めた倭も、百済攻めた倭も撃退したやんw

500 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:43:27.14 ID:3jQvkdX70
>>494
卑弥呼の時代から100年経っていない時代から始まるな
邪馬台国論争の重要な点は倭が九州か畿内かで日本の歴史が大きく変わることだな
倭の歴史は連続しているので倭が九州なら九州王朝が真実の可能性が高まる
>>497
江田船山や稲荷山の鉄剣の名文は解釈が色々あって
雄略天皇の王朝が九州から東国までを支配していたは信憑性が低いな。

501 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:44:15.20 ID:D6Eq3x140
>>498
残念ながら、4世紀代に九州王朝なるものが存在した可能性は、考古
学的にみても極めて低い
そもそも4世紀初頭〜前半には、北部九州は近畿を中心とする文化圏
(勢力圏)に入っている
北部九州在住の考古学者や研究者もこれには同意するところだと思う

502 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:48:18.59 ID:3jQvkdX70
>>501
残念ながら、4世紀初頭〜前半には、北部九州は近畿を中心とする文化圏
(勢力圏)に入っているなんて証拠は全くない
君の願望じゃない。

503 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:51:29.15 ID:BPcgI8bo0
縄文人は文字を使っていた
「縄文模様は文字」で検索
黙っていれば馬鹿猿はそのまま一生を終えてくれる

504 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:51:39.57 ID:D6Eq3x140
>>502
それこそ願望だねw
考古学をやっている人間で弥生〜古墳を勉強している人間なら誰でも知っ
ていることなので、考古学を勉強すりゃわかるよ
もしくは君の知り合いの考古学者(北部在住)に聞けば教えてくれるよ

505 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:54:46.94 ID:gXqljdf00
畿内説は、九州を取り込まないと
成立しないからね。

506 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:55:51.95 ID:sRbCfBfV0
奈良あたりで土人の襲撃に悩まされてる土人国が、
九州当たりの進んだ技術力と軍事力を目当てに禅譲したのが国譲りだったのかもしれないしね

507 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 13:57:29.95 ID:I2IKRocQ0
>>463
その時代にもし文字があれば、石や土器にも書いたはず。中国ではちゃんと出土
してる。紀元前1000年以上前の墨書土器もたくさんあるよ。
土器は朽ちることはないし、彩色土器の顔料もちゃんと残ってる。しかし日本では文字
はおろか、墨自体が全く検出されない。文字が無かったのは明らか(たまたまか
意図的に拒否したのかは分からないが)。

508 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:00:32.41 ID:2fYr0b2+0
宮崎に起源があるというのは否定出来ないんだろ?
そこから東遷して奈良に入ったのが邪馬台国なのか
それとも宮崎に邪馬台国があったのか

509 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:03:24.95 ID:knHxVBmX0
邪馬台の描写みるに南方系だからなあ
東征はいつごろなのか?

510 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:05:14.89 ID:Nx9+dMoc0
>>507
その論法はおかしい
土器作りに携わる職人が文字を知らなくても、為政者クラスでは当たり前に使用してる可能性はある

511 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:13:19.31 ID:I2IKRocQ0
>>510
> 土器作りに携わる職人が文字を知らなくても、為政者クラスでは当たり前に使用してる可能性はある

紙がとても貴重だった時代に、為政者クラスが土器や粘土板に文字を書かないはずはない。
実際、飛鳥時代以降は日本でも刻書土器や墨書土器がたくさん出土する。しかしそれより
前は、中国から輸入されたと見られるもの以外には無く、国内で作られた土器には文字
は全くみられない。

512 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:16:22.24 ID:F75gxpI70
>>20
日本の歴史2600年っていうのは日本人以外の誰が信じてるの?

513 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:17:00.02 ID:v5kF4JIi0
>>512
日本人に信じてる人いるの?

514 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:17:16.19 ID:OkQQ7aud0
>>3
面白いことを言ったつもりなんだろな

515 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:23:15.31 ID:5w9mJGSg0
魏使として倭国に来たのは、建中校尉の梯雋と遣塞曹掾史の張政。
2人とも朝鮮半島の帯方郡の役人。魏とは行き来をしていない身分の低い現地人。
さらにその部下が、伊都国の郡で文書を取り扱っていた。

516 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:25:29.11 ID:wqPDuJSA0
>>476
縄文は高いレベルの文化をもってたんだよ
ロフト付き住居で煮炊きもし、美しい火焔土器を作った

517 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:28:47.45 ID:fVCFuqdv0
>>511
三重の大城遺跡の2世紀作成の土器の変な線刻を文字と認めるかどうかだなあ。
あれが文字とみとめられれば、最古の刻書土器になるわけだが
まあ、3,4世紀になっても日本の文章例は中国の漢字を意味不明な状態で写しとった例ばっかりなので、
まともに文章を書いてる形跡があるのは今んとこ5世紀からだな。

518 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:29:40.70 ID:Rs9Zd3KZ0
>>515 意外と身分が低いんだな。秀吉の朝鮮出兵のときは、交渉の使節は
正使ですらなかったが。大名クラスでもなく、文官レベル。(しかも詐称という酷さ)
でも裏方では小西行長が朝鮮と秀吉のもとを盛んに往復してる。
ともあれ古代では、海のかなたまで派遣されて行きて帰れるかどうかすらわからず、故郷の父母とは
見納めともなる可能性大とあっては、あまり偉い人は送れないだろう。そこそこの身分ぐらいか

519 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:34:41.68 ID:Rs9Zd3KZ0
西方のローマまで派遣された中国の使節もいたそうだから(しかも徒歩で)、
確か途中で抑留されて子供まで作った使節もいて、故郷の中国に帰ったのは数十年後だったか、
ともあれ危険な長旅だ。

520 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:34:46.05 ID:i5Zy1iXB0
1〜2世紀って志賀島の金印と同年代だよな
文字使って外交してたと考えるのがあたりまえじゃないの?

521 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:41:59.05 ID:Rs9Zd3KZ0
当時の中国は、すでに人口が1億人を超えてたらしい。
巨大な先進国で、大勢の受験者が科挙試験に受かろうと筆記していた。宮廷では膨大な書物が編纂されて
遠くの辺境の国々とも交易があり、帝国の威信を示すべくたくさんの品物を用意して、皇帝の文書とともに
使者も大勢付けて送り届けていた。
そんな大帝国も、辺境の騎馬民族に皇帝が捕虜にされたり首を吊って自殺されたりとか、辺境の野蛮人とはいえ
バカにできない相手がいることは確かだがな。

522 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:53:15.32 ID:s3+OS6/90
>>516
弥生は?

523 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 14:54:19.26 ID:Rs9Zd3KZ0
大震災の直後にすぐさま支援してくれたブータンみたいだったんだよ。
さっき、大地震のときの時刻だった。(3/11PM)
三国志の争いの末、なんとか勝った中国政府としては、遠方から支援してくれた倭の国のことは
感謝したんじゃないかな。
なお、ブータン王妃は美人なので、倭の国王の妻も美人だったに違いない(妄想)

524 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:03:00.80 ID:vKOgKD1q0
>>511
だからその論法がおかしい
その当時は後世まで残るように、という書を書く必要性を感じてなかったかもしれないじゃない?
紙がなかろうが、竹の皮や大きな葉っぱにだって書ける
竹の育つ北限は中日本くらいまでなので、
東日本に文字があっても土板や地面などに書くしかなかったのかもしれないが

525 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:04:22.39 ID:B6INMOJr0
>>277
少なくとも初期はサミット開いてるでしょ

526 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:05:48.04 ID:B6INMOJr0
>>295
渡来人の仕事だろうな
飛鳥時代だってそうだったようだから

527 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:09:55.62 ID:jjSD099J0
>>521 帯方郡>7000里>狗邪韓國 この距離を検証してみる。
ソールの港から出て、巨済島(コジュ島)までが約600km、釜山までが660km
これからも7000*90m=630kmは正しい。 コジュ島からも釜山からも対馬中央までは約90km=1000里。

1里=90mで間違いなし。

528 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:12:50.60 ID:jjSD099J0
>>524 中国では木簡、竹簡が主に使われていたんだから似たものを使うのが道理。
木を平に削るのは大変だったかもしれないが、竹は割るだけだから簡単に作れたはず。

529 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:14:00.03 ID:jvrbSr2l0
中国は紀元前300年ころは漢字が一般人でできた
のに日本では残ってないのは渡来人はほとんど居なかった証拠か

530 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:14:12.97 ID:B6INMOJr0
>>304
俺の王辰爾の書き込みも消えてる

蘇我氏の王辰爾関係の話から考えると
天皇家には大化の改新以後まで筆記の習慣がなく
東西漢氏を統括していた蘇我氏が
日本で最初に政治に筆記を用いこんだと考えられる
だからこの時代硯を使う人間がいたとしても渡来人だったろう

531 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:19:05.69 ID:B6INMOJr0
>>529
いたとしても外交文書のみに関わっていて
特殊技能は外に漏らさなかっただろう

蘇我氏が王辰爾に船の税(賦)について記録させたのが
多分事実を反映した日本最初の公文書の逸話

532 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:21:34.94 ID:141BAorC0
>>528
もしかして土人なの?
竹は繊維に沿ってなら縦に割れるけど、
横方向に繊維を切断するならへし折るか鉄器が必要だよ

533 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:22:44.26 ID:Rs9Zd3KZ0
>>530 このスレに書かない方がいいな。消されちゃうよ。俺も3分の1ほど消された。
内容がどうのこうのじゃなくて、自動的に削除されてるみたい。

534 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:23:11.21 ID:I2IKRocQ0
>>524
> その当時は後世まで残るように、という書を書く必要性を感じてなかったかもしれないじゃない?
だから意図的に文字を拒否したんだろ。
日本は本来言霊の国で、ことばを書き留めるような意識が芽生えたのは飛鳥時代以降だ。
そもそも記紀や様々な伝承の中にも、この時代に文字が使われていた痕跡は全く無い
(筆や紙、文字、墨、書物などや、それに類似する単語、内容が何も無い)。

535 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:24:43.90 ID:d41LgopV0
>>492
アイヌ語は縄文語とオホーツク人(ニヴフ系)の言語との合成言語

536 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:25:25.65 ID:MhdnxEAa0
文字が石板で残ってるか
石の建造物でも残ってないと
文明があったと後の世で認めてもらえない
ピラミッドとかな

537 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:32:05.09 ID:gIszRkCg0
歴史マニアがハッスルするスレ。

538 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:35:04.33 ID:141BAorC0
>>534
だから、「弥生時代の書物が残ってないから弥生時代に文字はなかった」と断定してしまう論法がおかしい

二千年の間に大規模な焚書、意図的な焚書が行われたのは何度もある
それは敵対勢力のもの、自分の勢力の存在を脅かすものであれば特にだ

従来の日本史では、仏教と漢字の伝来前の日本に文字は無かったとされていた
今回の発見で九州北部で早い時代から文字が使われていた可能性を否定できなくなった

539 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:35:32.00 ID:Rs9Zd3KZ0
日出処天子至書日没処天子
という書き出しで書いたのも、その表現自体が朝鮮半島出身の渡来人であることを
暗示している。それ以前に倭人が書いた文書は、
「天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ」とか書いて
皇帝に小馬鹿にされているから。

540 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:42:46.14 ID:o4pOFYZQ0
科挙は隋598からだし人口一億越えたのはどうやら清のころかららしい

541 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:43:28.48 ID:D6Eq3x140
>>527
ついでに倭人伝以外の魏書、呉書、蜀書に書かれた距離も
1里=90mだと証明できるかどうか検証しておいでよ
話はそれから

542 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:51:35.70 ID:2mgwjr/00
>>541 当時短里と長里が使われていて魏志倭人伝は単里が使われてるんだから他がどうだかは関係ない。
長里だと、1里443mだったかな。
帯方郡から末盧国まで1万里=4430kmとなり全く当てはまらない事位解らんか?

543 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 15:58:57.58 ID:Rs9Zd3KZ0
>>540 そうか。では俺の間違いだ。スマソ

544 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:00:45.65 ID:D6Eq3x140
>>542
一人の高官が主として書いた文書の中で短里と長里が混在することはまずない
どちらかで統一されているだろ?
だから検証する必要があるんじゃないの?
倭人伝だけが三国志じゃないんだよ?

545 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:01:16.13 ID:dgk57n2b0
>>21
縄文晩期〜弥生初期の過渡期の土器が好き
縄目がついているのに器形が見るからに弥生くさい独特の雰囲気がたまらん

546 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:03:32.25 ID:3F6Gt0SZ0
デニソワ人とかネアンデルタールとかは興味がわくけど、東アジアの最果てでもうすでに異人種混交済ませた後のホモサピエンスがどうのこうのってのに
興味がわかないわ

547 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:05:37.37 ID:Rs9Zd3KZ0
1里=90mもしくは80mくらい。
その根拠は、半島南岸から対馬まで1000里、壱岐まで1000里、九州北部の半島まで1000里、
とあり、これらは海峡を日の出から日没までに対岸が見えるうちに横切らなくてはならない、
という海ならではの制約による。横に流れる海竜を突っ切るから、夜間にでもなろうものなら
日本海中部へと流されていって遭難する。だから、1000里を一気に航海しなくてはならない。
実際の距離は、半島南岸から対馬までと、壱岐までと九州北部の半島までが
平均して70キロぐらい。舟の方が徒歩よりも速度が出るから、時速7キロとしてして10時間。
1日あたりの航海の限界ギリギリの距離である。
1000里と表示しているのだから、70キロ÷1000=70mほど。
1里400mとかにするととんでもない結論が出てしまうよ。

548 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:10:52.21 ID:D6Eq3x140
>>547
なんで、何もかも倭人伝が基準なんだろうw

549 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:14:02.76 ID:jvrbSr2l0
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page009.html
100歩で一里だと便利かもしれない

550 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:15:04.17 ID:Rs9Zd3KZ0
だって、資料が他に乏しいんだもん。
それにタイホウグンから奴国までは、交易商人などが頻繁に往復していて
現地のことにも詳しく、記述はほぼ間違いないと思われる。

ただ奴国や伊都国からの現地の倭人の聞き取り(水行きで10日で陸なら一ヶ月とか)は
方角も距離もじつにルーズ。混乱は倭人のせいだな。

551 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:19:46.68 ID:2mgwjr/00
>>548 この短里(周の時代の里だから、周里とも言う)を受け継いだ倭の国はその後、これを受け継いで次の制度を作った。
http://hanzan-hiruandon.jimdo.com/九州王朝/韓半島-福岡/歩と里の概念-周里/

[倭人は周里を用いた(歩と里の概念)]
 『日本書紀 孝徳紀』にある「五十戸を里とす」より、五十歩を里としている。『新字源』より1歩(ふたあし)は、
 六尺 。尺は、22.5cmを用いている。
 尺の実例が、下記の『史記』管晏列傅の記述です。
 *.周里:1里(50歩)=67.5m

周の時代 歩=ふたあし=1.35m6尺 里50歩67.5m
魏の時代 歩=ひとあし0.24m 里300歩72.5m

552 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:23:36.79 ID:8f1vzqHu0
短里で確定だよ。数学的優位も裏三国志では重要な戦いだったし、そこに新システムの
合理性を盛り込むのは、魏の換骨奪胎の後継政権としては当然のこと。
その里程で表示するのも当然で、掉尾を飾るにふさわしい記事。
400mで計算して酷いことになることも畿内説の偉いさんはわからず、ひたすら方位
問題だけで勝負するとは凄まじいよねw

553 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:25:11.42 ID:azzwZEMs0
>>548
唯一の心の拠り所だから
所詮、別冊でその中の一章の更に一部数行書いてあるだけなのに

それしかないと妄想もしたくなるんだろ

554 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:28:27.76 ID:3vPv/7C/0
そんな事は既に3世紀の記紀に書かれた事実なのだが。
か?って何だか?って

555 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:30:06.53 ID:m9zMfFtU0
短里でも北九州には納まらない
九州説はそもそもが距離が合わない(´・ω・`)

556 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:34:17.75 ID:jvrbSr2l0
伊都国から先は行ってない
邪馬台国と遠馬国は10倍誇張がポイント

557 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:36:18.90 ID:Rs9Zd3KZ0
ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒシワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ
人名に使う漢字も当て字だらけ、漢字は知っていても字の意味もよくわからず、という状況。有力者の知識階級ですらこうだからな。なお、金文字を刻んだ技術は渡来人によるもの。
すずりが出土したのは倭人が使うというよりは、海外からの使いとみていいだろう。

558 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:39:00.65 ID:8f1vzqHu0
>>546
関係なくも無いよ。中国南部に今でも1%存在するデニソワ遺伝子が孫権を
紫髯碧眼にしたのかも知れないし、裸国、黒歯国、侏儒国はホモ・フローレ
シエンシスの可能性が高い。現在の日本周辺なら小笠原〜ニューギニア、或
いはそういう人が最近までいたという伝説があるハワイも、船で東方1年に
当てはまるかも。
今より遙かに繋がっていた太平洋文化、そして伝承も遙かに真実でかつ重要
だった時代だから、それを記事にしたのかも知れないね。

畿内説の阿呆の一つ覚えの巻向馬鹿にはかすりもしないだろうけどねw
ただ文献を馬鹿にするだけ。でも、土器に何かを言わせるには、物をパズル
のように組み合わせるだけではだめなんだよ。

559 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:40:48.59 ID:wqPDuJSA0
>>522
家も土器も簡素になった
稲作のせいで芸術にかける時間が減ったのだろう

560 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:42:36.39 ID:m9zMfFtU0
>>559
芸術にかける時間が増えたから
侘び寂びなんじゃね(´・ω・`)

561 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:50:04.03 ID:v5kF4JIi0
>>557
音が合ってれば当て字でええよてのは江戸時代まで変わらんしな…
ちなみに記紀は日本語の音を漢字で表現するのツラすぎてぼやいてるw
それまでは全部漢文だったんやろな

562 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 16:50:36.45 ID:3jQvkdX70
>>555
1里75mくらいの短里で北部九州説だとドンピシャなんだがw

563 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:00:36.11 ID:byrjXHrG0
>>552
俺も朝鮮南端(釜山?)からマツラ国までは短里でドンピシャだと思う。
これは疑いようがない。だが、魏志の中でここだけ短里なのはなぜかという
疑問は残るらしい。倭人伝の里数が信用できないと言うなら、それ以上に
戸数が信じられないんだがw この時代国勢調査なんかないだろw 第一、
中国人はともかく邪馬台国人に「万」という数の概念があったのかね www

564 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:05:37.36 ID:m9zMfFtU0
帯方郡より女王国までの距離は12000余里
75mなら900km(´・ω・`)

565 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:06:51.17 ID:3jQvkdX70
>>504
解釈の問題だな
江田船山や稲荷山の鉄剣の名文は解釈と同じw

566 :訂正:2016/03/11(金) 17:11:23.16 ID:3jQvkdX70
>>504
解釈の問題だな
江田船山や稲荷山鉄剣の名文と同じ解釈の問題w

567 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:24:47.10 ID:D6Eq3x140
>>552
古田信者らしく九州とか近畿とか狭い範囲でしか物事を考えてないのはわかったが、
単位を変えるというのは軍事的にも政治的にもとても重要なことなのに、皇帝によ
る宣告(もしくはそれに関する起居注)や、陳寿自身が漢代とは1里の距離が異なるこ
となどが一切書かかれていないのは、短里説の大きな難点だね

568 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:27:29.01 ID:8f1vzqHu0
>>563
戸数だけは戦略上誇大の可能性あり。三国時代取り合った倭国が東の大国だったと
宣伝すれば同様に触手を伸ばしていた呉を絶望させることができる。
代替わりした晋でも「嘘」を維持する必要があった=政治的に維持される必要があ
った嘘ということか。

569 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:31:27.69 ID:/JShCdJ20
最近福岡中心に盛り上げたいみたいな空気だしてるが
イマイチ売りがないからな捏造したんだろ

570 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:36:43.95 ID:CLmsWxFT0
>>9
時計のふりこがみつかって
時計の全体像のふりこの部分って説明してるだけじゃね?

571 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:37:01.21 ID:Rs9Zd3KZ0
>> 565>>帯方郡より女王国までの距離は12000余里

1000里を100kmとすると、ざっと、帯方郡から120キロ先。ずいぶん近いな。

572 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:38:28.32 ID:Rs9Zd3KZ0
あ、換算まちがえた。小学生の算数じゃん。
100キロ×12だから、1200キロか。九州どころか近畿まであるじゃん

573 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:47:45.99 ID:gXqljdf00
>>572

唐津までで1000キロ使うよ?

574 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:48:34.52 ID:8f1vzqHu0
>>569
表面上は北部九州の教委はみんな表だって九州説を唱えているわけでは無い。
でも、掘れば弥生が出てきて、しかもいちいち重要だったりするので、保存を
放棄してる気がするw

そんな濃密エリアで売り物が無いとは。平原、志賀島、原の辻、沖の島、日向
峠、いくらでもあるやん。

575 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:56:48.69 ID:Rs9Zd3KZ0
>>573 そうか。こちら東北育ちなんで、九州あたりは距離感がつかめなくてね。スマソ
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

576 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 17:59:59.25 ID:7bXmUIEM0
>>574

できるだけ掘らないようにはしてるんだけどね。
未来の研究者に残すために。

でも、遺跡を壊すほどの建設工事が行われるなら、
とにもかくにも発掘しなきゃならん。

九州歴史資料館見たけど、うんざりするほどのプラ箱が積みあがって、
調査鑑定中の土器の破片がびっしりと並べられていたよ。

577 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:09:22.26 ID:4tFKHYeD0
>>523
倭の国王に妻がいたかな?
卑弥呼は独身だし、台与もそうだろう。
男の王は妻がいたのかな?

578 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:14:55.21 ID:t/eWKvca0
>>568
戸数は間違いないんじゃないか?
巨大な古墳群が出現するわけだから。
人口が多くないとありえないよ。

579 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:15:33.17 ID:eSitxfpF0
女王が出たってことは卓越して強力な国があったわけではなく、緩やかな連合体が
互いに牽制している状況だったことを示す。
男王だと世襲されてしまう

580 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:16:29.77 ID:/OzBw2lx0
>>318
私たちたち日本って表現は
ウリナラなんとかってのを翻訳機に突っ込んだのかね

581 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:19:18.06 ID:n0NwzthA0
墨絵を描いてたとは思わんのか

582 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:19:36.74 ID:eSitxfpF0
>>568
魏国内では司馬懿派と曹爽派の対立が先鋭化しつつあった。
司馬懿は曹爽との権力闘争を有利にすすめるため、倭を従属させた。
ゆえに倭の人口をなるべく大きく見せる必要があった

583 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:20:41.68 ID:FrDQEhSl0
神の手炸裂!

584 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:22:12.62 ID:eSitxfpF0
>>318
古代に韓国なる概念を持ち出すことからしてあれだな

585 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:23:12.63 ID:YoHZxjwS0
>>582
というより公孫淵征伐の戦果の誇大化だろうな

586 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:23:16.86 ID:3jQvkdX70
>>564
帯方郡より女王国まで900km
北部九州までぐらいだろw
>>579
戸数も略合ってるとだろう。

壱岐対馬の方400里と方300里を距離として考えれば
奴國までで丁度12000里
奴國が女王國の基点だと分かる
自女王國以北の意味は奴國以北と同じ意味と考えてよい。

587 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:23:23.41 ID:quM7wbTM0
>>269
いや、有ったよ
一部で漢文を用いてたのわ確定

588 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:26:17.21 ID:eSitxfpF0
>>585
それもある。公孫討伐とセットで出し抜こうとしたんだな

589 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:29:05.90 ID:FiHA2LJa0
>>582
呉へのけん制のために、邪馬台国の位置が月氏の対極のほうに
に書かれたっていうのはのぐらい信憑性あるの?

590 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:29:54.22 ID:bvp4CE1R0
だいたいコメつくって収穫量はかって分配して備蓄して  って文字ないわけ無いだろw

591 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:32:06.32 ID:eSitxfpF0
>>589
それもあるかもしれない。司馬懿にとって邪馬台国は内外に対する楔として利用された。
蜀は南蛮を懐柔していたからそれに対する対抗として、後背を安定させて厚みを増す、
という意図も

592 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:33:36.09 ID:eSitxfpF0
しょせん邪馬台国なんて三国志の歴史の中で踊らされていただけかもしれぬ

593 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:44:02.74 ID:Rs9Zd3KZ0
日本の建国のあたりが掛かっているし、天皇家の始祖のあたりも絡んでくるから
日本としてはうやむやにできないんだよ。
江戸幕府の家康のところが文書の記録がそっくり抜けて
空白になってしまったようなもの。

594 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:50:09.35 ID:m9zMfFtU0
福岡県に京都と書いてみやこ郡と読む場所がある
遺跡や遺物も多く豊前国の中心地の
縄文からの鎌倉までの複合遺跡の
川ノ上遺跡存在してるし

伊の都に当たるのかも知れない(´・ω・`)

595 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:54:00.93 ID:4tFKHYeD0
イトシマという地名があって、そこの帯方郡の土器が出るところで硯まで出たのに、
伊都国は糸島ではないという人がいるんだな。

そういう人は、なにが出ても、自説を曲げないだろう。
宗教みたい。

596 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:56:11.17 ID:GwmggoEX0
>>508
もう宮崎のことについてはネタ扱いだよ
地形の不利さと記紀の日向が鹿児島込みでそっちばかり話に出てきて宮崎放置
宮崎のことは髪長媛まで待たなきゃならん

597 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:56:21.56 ID:m9zMfFtU0
末盧から五百里で伊都国なら

京都が伊都国なら
末盧は宗像になる

宗像から壱岐島までなら
約千里で距離もあう(´・ω・`)

598 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 18:58:07.31 ID:Rs9Zd3KZ0
>>595 まあ、ええやないか。(´・ω・`)さんはわりと真面目な人っぽいよ。

599 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:03:29.93 ID:PxqPxbuEO
陸行一月 ありえんし

600 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:04:14.04 ID:7bXmUIEM0
自分は佐賀経由説だけと、
伊都国が仮に糸島の怡土だとすると、
奴国100里は、日向峠を越えてすぐの福岡市早良区あたり
不弥国100里で太宰府付近かな。

601 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:05:42.39 ID:4tFKHYeD0
昔の人は1月くらい普通に歩くだろ。
海も川も使えないとなれば歩くしかない。

602 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:06:13.54 ID:mO9aAck40
好き勝手な方向、距離の好き勝手な読み替えで、好き勝手な場所に誘導して

「はい、こここそが邪馬台国です」

こんな奴ばっかりで笑えるわ

603 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:09:04.84 ID:FiHA2LJa0
倭国大乱と黄巾の乱て、時期が重なるよな。

絶対に関係性がある。

604 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:09:28.20 ID:9Sn8a+fz0
邪馬台国って大宰府なんじゃね?(w

605 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:24:58.99 ID:Rs9Zd3KZ0
>>603
倭国大乱で朝貢の使節が送れなかったし、
黄巾の乱で遠来の使節を受け入れることもできなかった。
お互いに国が乱れていたという関係はあるね。

606 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:27:14.63 ID:6nqbYEmm0
ハングルとして盗まれた神代文字はハングルより古い時代に合ったことがすで証明されてる
もともとは対馬の神官が使ってた暗号文字だよ

607 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:28:12.80 ID:byrjXHrG0
>>599
へー、そうかい? 三蔵法師は唐の時代にチベットを越えてインドまで
歩いたんだけどね www

608 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:28:56.25 ID:azzwZEMs0
>>603
寒くて食料問題が起きたんじゃね

609 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:29:49.49 ID:6nqbYEmm0
邪馬台=ヤマトで
今の日本と連続性を持った国家だよ
卑弥呼は当時の皇室の誰かってことまでは特定されてる
第一日本建国から既に数百年経ってるのに他の国が外交権持つわけがなかろう

610 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:30:51.97 ID:DPc4rnXT0
福岡県民がいかに知能が高いかっていう証明にもなるよな、これ

611 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:34:36.52 ID:As+GmgXG0
九州の歴史って12世紀頃までほぼ消されてるよな
史料が消えてる
修羅の国恐ろしや

612 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:37:03.65 ID:YoHZxjwS0
>>602
記述どおりだと太平洋上になってしまうんじゃなかったっけ

613 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:37:15.48 ID:s3+OS6/90
宇佐八幡宮の比売神様って卑弥呼様?

614 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:38:55.95 ID:QqmGq3QXO
>>608
十年位の短期間の相関関係を超えて、
中国もヨーロッパも、ちょうど隋による統一・ユスティニアヌス帝が出るまで位が、グッチャグチャの戦乱状態でしょ。
四大文明成立時からの低レベルな農業が寒冷化で破綻した時代という訳な。

615 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:39:27.08 ID:YoHZxjwS0
>>609
神武天皇即位年は辛酉革命説で作った創作

616 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:40:35.35 ID:sTwz0jtW0
使い古した硯を貰っただけだろ?

617 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:43:54.93 ID:mO9aAck40
・日本各地の遺跡から2〜4世紀の土器片に漢字が書かれている物が見つかっている
・2世紀と言うかなり早い段階から「通訳を伴う使者」を中国に派遣している
・金印は文書に押すための道具
・魏の使者による休戦の為の檄文を受け取っている

等から考えて文字や漢文の使用の歴史はかなり古いだろう
今回の発見はただ文字を使ってたと言う話じゃなくて、
使者の逗留場所と示される土地から文書作成の道具が見つかり、魏志倭人伝の記述の補強になったと言う点が大切だな

618 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:47:16.31 ID:EXXoJcys0
>>599
道があった江戸時代に
九州から江戸に二か月かけて歩いたんだけどね
参勤交代で

619 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:47:25.90 ID:byrjXHrG0
>>609
卑弥呼が誰だかわからないから論争になっているんだろ、ボケ。

620 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:48:10.27 ID:a7ybrIPR0
今でも英語なんかは書く聞く話すに比べて読む方のが比較的やりやすいんだから、弥生時代も文字を読むのはできたのかもな

621 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:48:42.02 ID:byrjXHrG0
ホント、古代史って何もわかっていないアホが次から次に湧いてくるわ。
バカの見本市みたいだな www

622 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 19:57:29.60 ID:jvrbSr2l0
九州国の官僚がヤマトに行って文章書いてアスカ文化作って
九州文化全部燃やした

623 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:00:22.33 ID:SSvV+uDr0
>>621
偉そうにw
お前だって学会から無視されていた古田のフォロワーなだけだろw

624 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:12:17.47 ID:WEpt/q4O0
なんか書き込みが都合良く削除されてるみたいだな。
歴史捏造に等しい行為だと思うわ。

625 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:13:17.18 ID:k8bqV4D70
>>625
畿内説はそういう捏造で成り立ってる

626 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:14:31.24 ID:mO9aAck40
こうなるとこの時代の古い外交文書とか発見される期待が高まるな

盛んな交流をしてたのは間違いないわけだし、文字を使っていたと言うのは様々な資料から推察できる
そういう物が見つかって欲しい

627 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:19:54.19 ID:k8bqV4D70
硯があったのは、帯方郡の土器片が出てくる遺跡。
外交というより、帯方郡の役人が書類作ってただけだよ。

628 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:25:35.73 ID:YoHZxjwS0
>>627
帯方郡の使者が倭に来たときは伊都国に留まるという魏志倭人伝の記述からすると、
そこは伊都国ということになるな

629 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:28:35.39 ID:3jQvkdX70
>>628
奴國から不彌國へ
不彌國から斯馬國へ
斯馬國から已百支國へ・・・一周して奴國へ

奴國が女王ノ境界ノ盡ル所ではなく
一周した範囲が女王ノ境界ノ盡ル所

630 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:30:50.87 ID:mO9aAck40
仮に日本側が文字記録をしてなくても中国の方に記録がある可能性があるって事だからね
そういうのが見つかるのでも良いな

631 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:43:24.05 ID:YoHZxjwS0
末盧から東南五百里→伊都国
伊都国から東南百里→奴国

松浦と伊都国推定地(南雲井原)と奴国推定地(金印出土域)の地理関係を見ると、東北に東北に向かっている。
ここから察するに、倭国に関する方角記述は時計回りと反対に90度ずれていると言うことができる。
そうすると、伊都国の南と記述されている邪馬台国は、実は伊都国の東だと言うことができる。

632 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:44:48.28 ID:v4m80tAK0
【「里」の距離】
中国:560m
日本:530m
朝鮮:400m
九州説論者:77m

633 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:49:38.84 ID:mO9aAck40
中国史では日本はずっと邪馬台国のままでそれが欠かさず使者を送り続けていたとあるな
結構膨大な量の資料が残ってそうだけどな

634 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 20:58:11.19 ID:YoHZxjwS0
>>632
倭の半島側領土の狗邪韓国から対馬まで千余里とあるが、
実際には100kmも無い

635 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:01:03.63 ID:3jQvkdX70
>>631
魏の使者は玄界灘を越えられる外洋航海用の船で来ているが
当時の日本の港は整備されておらず
外洋航海用の船が接岸できる港が限られ
天然の良港の呼子付近しか船が付けられなかったので
魏使が付いた末盧國は呼子付近と推定される
呼子から南の唐津へ
唐津から東の糸島へ
糸島から東南へ

636 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:01:26.62 ID:AltC9L3C0
里ほさとって意味だからな
いくらなんでも数十メートルで里はないだろ
魏志倭人伝の距離は適当
方角も適当
でよいじゃん

無理に短里とか持ち出しても何も解決しないし

637 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:01:41.01 ID:byrjXHrG0
>>626
そんなのあるわけないだろ。あるなら発掘するまでもない。こういう幻想を
持つヤツをひっかける詐欺師が出そうだな w

638 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:04:09.73 ID:2QBMCirR0
当時は圧倒的先進国な半島や中国に朝貢してたからその下賜品だろ?

639 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:07:08.45 ID:wMI16fF80
>1
どのような根拠で、この石が硯だと言えるのだろうか。

640 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:09:21.64 ID:YoHZxjwS0
>>639
> 薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致

641 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:10:00.39 ID:m9zMfFtU0
半島→対馬→壱岐→宗像なら
大体同じ距離になる

宗像三神は海上交通の平安を守護する
玄界灘の神だし(´・ω・`)

642 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:11:47.16 ID:SSvV+uDr0
>>637
考古遺物でってことだろうに
なんで理解できないんだ?この低知能は

643 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:16:14.11 ID:3jQvkdX70
壱岐→宗像は方向がw

644 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:18:21.50 ID:byrjXHrG0
>>642
メソポタミアみたいな粘土板か、石板の発掘でも期待しているのかw

645 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:18:25.23 ID:3jQvkdX70
>>636
東夷伝の中では里は同じ長さの様だ
500m前後では合わない
80m前後だな

646 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:33:49.50 ID:m9zMfFtU0
宗像大社の社伝
沖津宮 - 田心姫神
中津宮 - 湍津姫神
辺津宮 - 市杵島姫神

イチキシマの姫(´・ω・`)

647 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 21:56:02.55 ID:pBZySdQg0
>>632

日本の里は四キロじゃね?

648 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 22:11:07.53 ID:eSitxfpF0
「海を渡る事千余里」
50kmくらいの距離である。短里でも千里は76.6kmで少し長いが、
長里であれば435kmの海を寄港もしないで渡ったことになる。
短里があったと考えなければいけないだろう。

649 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 22:12:22.96 ID:r9+BhnRf0
>>647
それは平安時代から鎌倉時代あたり。
いま議論しているのはそれよりも1000年前の話。

650 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 22:19:27.16 ID:m9zMfFtU0
宗像市牟田尻五月丘を
グーグルさんで地形で見ると
なんか四角の影ができるんだけど

バグかな・・・(´・ω・`)

651 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 22:20:17.74 ID:4cWt42+20
台与は神功皇后

652 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 22:34:53.01 ID:m9zMfFtU0
>>650
祀ってるのアマテラスが生んだ
スサノオの子供よ(´・ω・`)

653 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:06:40.38 ID:EXXoJcys0
>>652
アマテラスとスサノオは兄弟なんだが

イザナギの左目から産まれたのがアマテラスで
鼻から産まれたのがスサノオ

654 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:09:21.26 ID:wMI16fF80
日本人が弥生時代にウホウホやってた時に
ローマや中国では高度な文明が発展してたんだよなぁ。

最古の歴史書が8世紀の古事記とかって、日本の歴史の浅さに劣等感を感じざるをえない。

655 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:10:14.96 ID:HKHgMK/N0
大分県宇佐神宮は古墳の上に立っているという言い伝えがある
実際社殿の下には石棺が埋まっている。
神功皇后、応神天皇を左右に従え、真ん中に鎮座しているのは比売大神(ひめおおみかみ)
比売命(ヒメノミコト)あるいは比売皇女(ヒメミコ)ともいう
豊後大分はトヨの国

656 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:15:29.54 ID:Gtry6K+N0
>1
中国から持ち込まれたものじゃないのかな?
もし、日本で作られたとしても中国の硯を見よう見真似でパクったんだろうね
漢字もパクったわけだし
日本のパクリ文化は既にこの頃から始まっていたのかも

657 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:24:25.15 ID:G5vPHCb+0
>>653
うけいで生まれた3女神

658 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:36:38.94 ID:m9zMfFtU0
豊国は豊前国北部を言う

豊前国東部は宇佐国
豊後国北部は国前国
豊後国東部は大分国
豊後国西部は比多国

豊日別は男神だし(´・ω・`)

659 :名無しさん@1周年:2016/03/11(金) 23:43:32.03 ID:HKHgMK/N0
>>658
あいかわらずアホだな

豊国を2つに分けて豊前、豊後

豊日別は猿田彦
猿田彦はアマテラスの分身

660 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 00:05:14.30 ID:Pi2cdZow0
>>655
今でも入り口に「皇族下乗」って立て札があるんだよねw
わざわざ皇族と指定する辺り、相当気位が高そう。実際神社本庁でも頂点は伊勢だが、
出雲と宇佐は別格になっていて、参拝の仕方も他と異なっている。
近くに「熊野」もあるし、天皇家の宗旨替え問題(大仏開眼、国家仏教化)など、奈良
時代に時代の中心的役割を演じた理由が全く不明。
また、以後天皇家の参拝先が八幡(特に男山)で、伊勢にはほとんど行っていない、禁
足地なのも宇佐の位置づけの大きさを表している。天皇家でも、未だに伊勢内宮に参拝
しても庶民と同じく本殿の横の塀の外から眺めるだけwww

661 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 00:08:54.62 ID:E36n2No60
宇佐神宮は1300年続いた社家が神社本庁に乗っ取られて
裁判沙汰になっているな

662 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 00:16:37.03 ID:aUkyBXBo0
>>660
うん 謎の神社
出雲と並んで
二拝四拍手一拝
意味深

663 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 00:22:04.59 ID:EYZa2Izs0
>>654
世界で最も古いとされる城塞都市と同時期に同規模の技術と規模を持った集落が日本にはあった

664 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 00:24:32.16 ID:afQo9U4Q0
>>662
ヒメオオカミがアマテラスと混合されてるからじゃないの

665 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 01:47:14.50 ID:8mkZQoO70
阿波って釣りじゃないんだ
人骨が全力でスルーされてるのはなぜ

666 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 01:49:59.08 ID:M6RVguR80
弥生時代の国内最古級すずり出土 倭人伝の記述裏付け 糸島市
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/227990

667 :667のはず:2016/03/12(土) 01:50:53.04 ID:M6RVguR80
何が原因で削除されてるんだ?

668 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 01:53:54.30 ID:m7LoCzO30
在日工作員がまだ暴れまわってんのか
基地外野郎が

669 :671のはず:2016/03/12(土) 01:56:37.81 ID:M6RVguR80
レス4つも消されたわ

670 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 01:58:48.88 ID:M6RVguR80
>>666の西日本新聞の記事を読めば、九州北部で日本の文字文化が始まったのは一目瞭然。

671 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 01:59:55.75 ID:E36n2No60
>>669
コピペはダメなんだす

自分の考えと意見を言わないと

672 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:01:16.82 ID:+kCeR6Ge0
>>665
紅に染まってるからじゃね

少し避けても影響なさそうなのに
古墳をトンネルでぶち抜いて高速通したりもしてるし
なんかチョット変わった県よ(´・ω・`)

673 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:15:43.42 ID:M6RVguR80
>>671
オッケーわかった
>>672
そうでもないよ
ここの有明海沿岸道路(バイパス)が黒崎公園の玉垂神社の真下あたりをトンネルでぶち抜く計画だったのに、
神功皇后の史跡がある関係で迂回した
https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%A4%A7%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%B8%82%E3%80%80%E9%BB%92%E5%B4%8E%E5%B1%B1/@33.0754178,130.4256575,1198m/data=!3m1!1e3

674 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:29:24.63 ID:+kCeR6Ge0
阿波の大代古墳の話しよ(´・ω・`)

675 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:29:30.02 ID:0VFjEmZO0
むう、消されてしまったか。
邪馬台国に天皇はいなかったのだから
特に問題ないと思うのだが。
あくまで中国が邪馬台国を倭国と見なしていただけだし。
それに確たる証拠はないから、ただの想像なのにな。

676 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:47:26.25 ID:mf5USX2X0
隋書倭国伝によれば、倭国には文字がなく、ただ木に刻みを入れたり縄を縛ったりして何かを記録して
いたらしいね。
百済から仏教が伝わり、初めて文字を使うようになったらしい。

男女多黥臂、點面文身、沒水捕魚。無文字、唯刻木結繩、敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字

677 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 02:52:20.21 ID:m7LoCzO30
>>677
もう良いよ朝鮮人

678 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 03:02:35.90 ID:mf5USX2X0
>>677
王仁を知らないのか?
古事記でも日本書紀でも、百済の王仁に文字を習ったとされてるよ。

679 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 03:07:24.02 ID:+ZihE6lj0
王仁は鮮人じゃないよ
漢人

680 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 03:11:50.58 ID:mf5USX2X0
>>679
朝鮮人というのは、みんな先祖は漢だと自称するんだよ。
そんな事実はないのに。

681 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 03:23:04.19 ID:4tI/AcSF0
神道の起源の卑弥呼がやってた鬼道が、元々は中国の道教が起源ってマジ?

黄巾の乱以後に入ってきた大陸人の影響とか何とか

682 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 03:24:35.93 ID:JtR23t2u0
硯があったから文字があったなんてわからないよね
木簡みたいなものが出土されなきゃ

683 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 04:22:59.85 ID:o/aSG8Ec0
>>682
朝鮮人はエヴェンキが祖先まで読んだ

684 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 04:42:43.67 ID:qRgRuyx/0
>>681
陳寿は、倭国を呉の方向にある、全体としては支那から見て南にある辺遠の
大国だが、文化度は低く、支那にはおよばないと見せかけており、その国家
元首は怪しげな宗教を使うような土人だと蔑んでいるだけのこと
つまり、文化風俗記事を含め事実に基づいていない可能性が高い
倭人伝を詳細に掲載した目的はあくまでも、司馬懿が公孫氏を滅ぼした功績
で、宿敵呉の方向にある、はるか遠くの大国に住む土人までが、中国の徳を
慕って朝貢にやってきたのだと見せかけることだけ
そういった背景を探ろうとせず、文面をそのまま現地理や、発掘で出た遺物
などにあてはめようとするから、邪馬台国の位置論にのみ終始するようになっ
てしまった
3世紀代の出土遺物に道教の痕跡や影響はいまのところないと思われる

685 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 05:06:43.33 ID:SVOyqla80
福岡市の隣町で那珂川町がある。今度市になるんだが此処は古墳も多いし、
現人神社と言う自称最古の住吉系神社がある。その那珂川町を上流に上り
山越えして下ったら有名な吉野ヶ里遺跡にぶつかる。那珂川町と吉野ヶ里は
道が整備されていない古代でも1日あれば十分行き着く距離だな。

686 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 05:25:47.29 ID:GLbxPMOz0
◎安本美典氏 : 九州・近畿・関東の比較
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

近畿ショボすぎだろw 鉄器ぜんぜん無いやんwwww

687 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 05:29:39.52 ID:o/aSG8Ec0
>>684
古代から土人に奴隷にされてる朝鮮人てなんなの?猿なの?

688 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 06:18:44.85 ID:PTrw6+8N0
紀元300年前後、西晋で八王の乱が起き、五胡が侵入すると高句麗も圧迫されて
朝鮮半島に侵入し、弱体化した楽浪郡を滅ぼし、さらに三韓を圧迫する。馬韓・
辰韓では高句麗に対抗する形でそれぞれ百済・新羅が建国される。しかし、弁韓は
北は百済・新羅に、南は海に囲まれた不利な位置にあった。そこで辰王は弁韓での
建国を断念し、九州に渡り邪馬台国連合の王となる。そして三国からの圧迫を最も
受けにくい、倭の東端に建国する。それが大和王権である。辰王は崇神天皇である

689 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 06:48:58.93 ID:VzJ+D12l0
>>688
>九州に渡り邪馬台国連合の王となる。そして三国からの圧迫を最も
>受けにくい、倭の東端に建国する。それが大和王権である。辰王は崇神・・・・・・・・・・・・
邪馬台国連合圏の東端が、奈良盆地だったという説なの?
辰王は、弁韓人なの?倭人なの?

690 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 07:11:15.29 ID:PTrw6+8N0
>>689
邪馬台国は九州にあった。
辰王は扶余系。つまり高句麗・百済と同祖。
神武東征は東明聖王(高句麗の始祖・朱蒙)の東征と酷似する。
辰王は馬韓の月支国にあって弁辰12か国を服属させていた

691 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 07:17:14.68 ID:lPlPttYQ0
漢文の宿題してたんじゃね?

692 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 07:57:17.53 ID:Pi2cdZow0
なんだwww

1時間も経たないのに消されてるよwwwww

ここってキチガイが住んでるの?
それとも全裸水泳で国辱の阿呆共が消してるの?

693 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:07:13.06 ID:A/PvkDQ+0
>>670
日本の文字文明は仏教の伝来までない。
あると言うのなら証拠を見せるべき。

694 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:11:59.30 ID:GLit9Ock0
九州は紀元前から文字が存在したと聞く。
畿内は6世紀からだね。
そもそも、大昔は九州と本土は別の国だしね

695 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:16:22.39 ID:A/PvkDQ+0
九州縄文人の基本は大陸中国人。
縄文時代、大陸で戦乱がある度に九州島に避難した。
水稲稲作もそうやってやって来た。
ただし、文字の世代伝承は教育と用具が必要。
当時の列島にはその環境はない。

696 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:16:41.41 ID:TpbBrVLX0
朝廷から見た熊襲と百済の距離感がほぼおなじだったらしいな

697 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:17:29.87 ID:rifjnjh00
>>678
王仁が来るずっと前から漢字は使われていた
単に学者が来ただけのこと。

698 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:18:11.35 ID:A/PvkDQ+0
>>694
証拠は?
仮に文字があったとしても使用した根拠は?
ちゃんと物証主義でお願いします。

699 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:22:21.26 ID:TpbBrVLX0
>>698
しかし、弥生時代の稲作で文字がないのにどうやって作付の計画したり、石高図ったり、分配したり、備蓄したりしてたんだろうか。
誰のものとか所有の概念もあっただろうし、文字ないと難しそうだ。

700 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:24:42.45 ID:Y8k1TgYh0
何が文字を使って外交だよ、当時文字ってのは中国が統治手段として支配地に
普及させてたんだよ。
日本独自の文字が出るならいいが中国文字なら古代日本が中国の柵邦国だったことに
なるじゃないか。

701 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:26:01.28 ID:Ocmz1g1j0
>>684
呉の南にあるなんて、どこに書いてある?
帯方郡の東南の海の中と、正確に書いてあるけど。

702 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:26:37.44 ID:rifjnjh00
>>693
日本の文字文明は仏教の伝来までない。 ・・・珍説だなw
漢委奴國王の印や漢の鏡の文様等に漢字が使われてるから
紀元前には漢字が日本に入ってきてる。

703 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:29:11.35 ID:ip62QplV0
戯れに文字のない土人にボールペンを渡したようなもんでしょ

704 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:29:14.57 ID:8tDA+Jna0
>>7
朝鮮は劣化遺伝子
日本は進化したのに、朝鮮は退化する一方だからね

705 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:30:10.36 ID:v4pxPm1O0
これも証拠のひとつになるんじゃない?
【社会】弥生時代、文字使い外交か 福岡で最古級のすずり発見 ★2 ©2ch.net ->画像>26枚

706 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:31:01.45 ID:BaicTUt00
>>702
日本書紀は、仏教伝来で文字を読み書きするようになったという説だろ。
学校で習わなかった?

707 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:31:44.18 ID:mUhCkJgL0
>>703
どう歪曲してでも無かったことにしたい9cm民族哀れww

708 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:33:29.23 ID:rifjnjh00
>>700
「漢委奴國王」の印の意味分かる?

709 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:34:51.19 ID:rifjnjh00
>>706
そんな珍説教科書には無いよw

710 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:36:46.68 ID:pcg6k8iV0
>>709
高校行ってないなら仕方ないか。
中学の教科書には出てなかったのかな。

711 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:36:48.96 ID:K3G8wYhl0
地図にくっきりはっきり残ってる穢を歴史から抹消するだけの事は有る
昔から捏造民族土人で、未だに捏造土人ここでも捏造土人
掘っても掘っても恥ずかしい歴史しか出てこないって哀れw

712 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:37:00.66 ID:4QkCEz6P0
畿内説とかもういらんって言ってたよ。かなり怒ってるみたいだ

713 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:38:24.27 ID:LJ6u2Iil0
金印の文字彫ったのは中国人だからな
日本人がいつ文字を使い始めたかはまだわからない
7世紀のそれは、中国に留学させた遣○○使の影響だろな

714 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:38:50.18 ID:BoqWamM30
仏教の伝来以前に
九州に文字が伝来するほどの何かが存在したのか

715 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:39:06.16 ID:rifjnjh00
>>710
韓国の高校の教科書にはそんな珍説が載ってるの?

716 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:40:08.45 ID:A/PvkDQ+0
「倭」「邪馬台国」「卑弥呼」
を喜んで崇めていたぐらいだからなあ。

717 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:40:13.35 ID:pcg6k8iV0
>>708
貰った人は読めなかったし、書けなかったんだろ。
それか、貰ったのは、後の、百済大好きな日本とは別の王朝だ。

718 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:40:15.86 ID:PTrw6+8N0
木簡かなんかでてくりゃなあ

719 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/03/12(土) 08:40:36.00 ID:Ozz/hoxw0
失礼、曇徴は高句麗でしたね。

720 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/03/12(土) 08:42:18.53 ID:Ozz/hoxw0
あ、>>702あてに書き込んだ内容が消されてしまった。
該当する記述が『日本書紀』編纂時にも利用された『隋書』にあるという話でしたが。

721 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:42:27.03 ID:Y8k1TgYh0
>>708
あんなもの信じてるの?
あれは江戸時代に亀井南冥って儒学者が作ったものだよ。

722 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:45:14.66 ID:8tDA+Jna0
朝鮮人なんて中国の奴隷で
ろくに読み書きもできない土人だった

723 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:45:32.91 ID:4QkCEz6P0
食べかす(桃種)発掘で勝利を確信してた畿内派の人達は絶滅寸前だってよ
珍説を信じてやまない人達がすずりにケチをつけてるんだってよ。
畿内派からすると 桃種>>>>>>すずり なんだってwwwwww

724 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:48:34.44 ID:A/PvkDQ+0
・漢字が入ってきた
・使用していた
は全然意味が違うんだから、同一視するわけないじゃん。

725 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:52:30.83 ID:GCKpV3sX0
ゴッドハンドの予感
ちゃんと調べようぜ

726 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:53:06.53 ID:PTrw6+8N0
春秋時代に呉が滅亡すると半島南東岸に逃れたのが韓人。
その後、越が滅亡すると百越族は半島南岸から対馬・壱岐・北九州を強奪した。
中国は百越を蔑んで倭の字をあてて呼称した。これが倭である。
古代中国では越と倭は同音のwoだった。今でも越智(おち)という地名・人名が
みられる

727 :FJネクスト不買運動:2016/03/12(土) 08:55:59.22 ID:fwIfHOX2O
日本の越の国とは関係ありますか

728 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:56:07.31 ID:K3G8wYhl0
>>726
そして韓国人の祖先はエヴェンキ族な

729 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:57:29.59 ID:Dv9dYNc80
すげーな

福岡でも字が使えるんだ

外交で使えるのはトカレフとかRPGとかパイナップルぐらいかと

730 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 08:59:41.07 ID:rifjnjh00
>>714
倭人伝にも「皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」とある
文書の遣り取りを行っていたんだよ。
>>721
トンデモ説w

731 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:02:23.10 ID:X+aRGz1+0
>>723

桃は中国の道教の思想。

732 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:04:10.71 ID:laoxkVCu0
紀元前660年ころには神武天皇が即位していたのだから
縄文末期には、もう国の形ができていたのでしょう?

縄文人が外交して
煮炊きする技術を輸出したから
米をおいしく利用できるようになり
稲作技術を輸入できたのかもしれないよね?

733 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:04:56.08 ID:PTrw6+8N0
>>728
エヴェンキ・ワイ族は新羅。辰韓は秦韓とも書かれたように秦の移民も流入した。
新羅はワイ族と秦の移民の混成集団。新羅が統一すると半島の扶余系族は滅ぼさ
れてしまった。13世紀になるとモンゴルの要素が加わる。こうしてできたのが朝鮮族
である

734 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:05:58.94 ID:pcg6k8iV0
>>730
それ、帯方郡の役人が行なっていたんだよ。
硯が見つかったのも、帯方郡の土器が出るところ。

735 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:09:58.75 ID:LJ6u2Iil0
普通に考えたら、大陸との交流の玄関が先に栄えるのに
ほとんど無視されてたよな
奈良中心史観は間違いだった
金印は九州の端っこの小島に捨てられてたんじゃなくて、むしろそここそが文化の中心地だった

736 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:11:28.99 ID:PTrw6+8N0
そこで河内王朝がでてくる

737 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:13:14.10 ID:K3G8wYhl0
>>733
秦の移民じゃなくて秦の奴隷って事ははっきりさせておこう

738 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:14:28.32 ID:laoxkVCu0
人類の歴史の中で多くの異文化交流が行われてきたけれども
いつも権力をかさにきた歴史学者たちは
「どちらか一方の文明人が未開人に文明を教えてやった」的な捉え方をするのは虫唾が走る。
異文化と接触して何も学べないのなら、
それは文明人などではなく、ただの馬鹿だ。

739 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:15:06.29 ID:K3G8wYhl0
>>733
因みにエヴェンキ、穢族は新羅に侵入して新羅を乗っ取る前は自分の国は穢な

740 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:15:33.95 ID:PTrw6+8N0
>>737
秦の役や万里の長城の労役から逃れてきた

741 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:17:36.13 ID:A/PvkDQ+0
>>735
一般論はそうだけど、九州にそれほどの形跡はないからなあ。
だから九州人の脳内妄想の域を出ないんだよね。
証拠でれば誰もが認めるから。

742 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:19:32.96 ID:A/PvkDQ+0
硯については素材から製造地が特定されるでしょう。
それまで待ってみるしかない。

743 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:20:12.21 ID:K3G8wYhl0
>>740
それ奴隷な

744 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:20:57.17 ID:LJ6u2Iil0
>>741
形跡ってなにがあれば満足するの?
木の刻みと縄の結び目で生きてた弥生時代の日本人が
漢字を書く中国の役人とそこで出会って
魏の100年ぐらいは確実に交流してたと言うことなら
そこが日本国発祥の地でいいじゃん
文字がなければ国家は成立しないんだから

745 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:22:29.92 ID:A/PvkDQ+0
>>744
そもそも論、文字が出てこないからね。

746 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:23:51.15 ID:LJ6u2Iil0
金印と硯で状況証拠は固まった
漢字を操る中国の役人がそこに居た
100年ぐらいは確実に
文字は日本人には普及してなかったかもしれんが
役人がそこで使ってればファーストタッチはそこで決まりだろ

747 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:25:06.51 ID:J7R1BhEs0
秦の奴隷になって中国文明に接した騎馬民族が、朝鮮半島南部で威張ってたんだよな。

それが、昔の狗邪韓国あたりの任那諸国。
中でも、金氏が治めた金官加羅が、日本書紀の「日本県」らしい。
大和が日本と名乗るより以前に、朝鮮半島に日本県があった。

748 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:25:37.99 ID:LJ6u2Iil0
仮説としてはもう間違いない
だからもっと金印があった周辺を中心に
そこが日本の文化発祥の地だという目線でこれから発掘していけば
さらに見つかるだろう

749 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:26:09.08 ID:A/PvkDQ+0
証拠がでないうちは断定も否定もできないからねえ。
九州についてはみんな傍観の姿勢だよ。
畿内については粛々と調査が進んでいるから、物証主義でやってる。
近畿人は九州を攻撃しないでしょ。大人しいもんだし。

750 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:26:23.08 ID:gAjdcbvI0
>>744 大和王権と北九州王権が別かもしれんが、そうだろうね
でも、文字が無い王権も多かったと思うよ

751 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:26:23.68 ID:LJ6u2Iil0
下手すると文書には記録されてる
卑弥呼の金印も見つかるかもしれん

752 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:27:32.30 ID:LJ6u2Iil0
>>750
文字がなければ、国家への徴税もいい加減なんだから
国家の体をなしてないと思う
大集落どまり

753 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:28:31.32 ID:J7R1BhEs0
倭国って、その大集落止まりに近いよな。

754 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:29:11.00 ID:LJ6u2Iil0
だからこそ文字へのファーストタッチの場所は重要なんだろ

755 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:31:59.11 ID:J7R1BhEs0
インディアンのなんとか族となんとか族で大酋長を決めたときとか、モンゴルの部族をたくさん束ねた
チンギスハーンの国とか、文字は使ってなかったよ。

756 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:32:34.56 ID:gAjdcbvI0
>>752 そうなんだよね  国家と大集落の境目は無い   解釈の基準は無い(規模に傾向はあるけどね)

文字が無くても、充分に大きな王権があるし、何とも言えないのだ

757 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:34:30.24 ID:rS9oW++A0
チンギスハーンはそれこそ文字の書ける他部族の役人を傍に置いてたはず
自分は使わなくても

758 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:35:53.06 ID:rS9oW++A0
>>756
日本の歴史において、文字へのファーストタッチは重要だろ
その場所も重要だ
そこを無視して700年ごろの奈良に飛ぶのは奇妙な歴史観

759 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:38:40.90 ID:2GJW4TIu0
チンギスハーンも、外人に国家運営には文字が有益だと教えてもらって、それで国家運営に
文字を使うようになった。

3大文明は別かもしれないけど、多くの国が、国が出来てから文字を取り入れたんじゃないかな。
日本書紀は仏教のために文字を使うようになったとしてるけど、仏教自体、国家運営のために
取り入れたんでしょ。

760 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:38:51.67 ID:laoxkVCu0
失われた「国記」「天皇記」を見つけなければ

761 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:41:59.12 ID:rS9oW++A0
100年ごろに日本人は九州北部で漢字に接触した
自分たちが本格的に使い始めたのは700年の奈良
それでいいじゃん
それが事実なら

762 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:43:26.60 ID:rS9oW++A0
自然に考えれば、その100年から700年の間にぼちぼち使ってたこともあるんじゃないかなと
そうなるよな
まあ当然入ってきた九州北部あたりだろうと

763 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:49:24.84 ID:ptyPGpCT0
邪馬台国=やまと
卑弥呼=ひめみこ
と素直に読んでいればすんなりいくのにな

764 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:50:15.31 ID:+Jq4cMCR0
>>750
>でも、文字が無い王権も多かったと思うよ

殷なんかは王権であったけど、文字といえばせいぜい
占卜に使っていたくらいだね
周代に入って成文が青銅器に鋳込まれるようになったけど

765 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:51:32.89 ID:rifjnjh00
>>734
帯方郡の役人が文字を使っていたとしても
そこが伊都国だからな
伊都国の大勢の倭人は文字の使われるのを直接見て
その利便性に気付かないはずはないし興味だって深まる
自らも使いたい学びたいと考えるよな。

766 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/03/12(土) 09:52:01.66 ID:Ozz/hoxw0
>>763
やまたいと読んだのは本居宣長、ひみこと読んだのは新井白石だったはずで、
特に前者には無理がありますが。
現代日本語と当時の言葉がどこまで通じるか分かりませんからね。

767 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:52:16.33 ID:2GJW4TIu0
>>762
ぼちぼち使っていたでしょ。朝鮮半島動乱で漢字の読み書きできる人たちが入ってくるんだから。
ただ、大和朝廷は百済以外から入ってきたことは認めたくないんだよ。
帯方郡から倭国に入ってきたことなんてトンデモないと思ってそう。

768 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:53:14.72 ID:rifjnjh00
>>764
だから殷の国土は狭かったんだろ
口頭で命令が伝えられる範囲。

769 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:58:12.97 ID:+Jq4cMCR0
>>759
>仏教自体、国家運営のために取り入れたんでしょ。

それはそうだろうね、戦乱や疫病でいい加減
うんざりしてた頃だろうし
ただ文字と国家運営ってどう関係するかだよな
完全に外国語として運用するか、あるいは万葉仮名
のように、音訓を編み出すか

770 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 09:58:15.02 ID:rifjnjh00
>>755
文字を使って無かった頃のチンギスハーンの勢力圏なんて
馬で行って命令が伝えられる範囲
モンゴル人は騎馬民族だから農耕民族よりは多少は広いな
国土か広がると文字を使える人間を役人にて支配した。

771 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:00:41.37 ID:t8PANqj10
仏教は神道つぶすために入れたんじゃないの

772 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:01:37.90 ID:BoqWamM30
文字の伝来は
仏教伝来とセットで無いといけないのか?

773 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:01:58.78 ID:+Jq4cMCR0
>>768
>口頭で命令が伝えられる範囲。

逆に言えば文字であれば口頭で伝えられない
土地にも命令が可能になるんだよな
中国は広いので方言が多くて、川を越えると
言葉が通じないということも

774 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:02:38.93 ID:4NAOWcZB0
>>765
>文字の使われるのを直接見てその利便性に気付かないはずはない

  漢字って表意文字だろ。「かな」のような表音文字じゃない。だから漢字は
 結局は外国語であって、倭人の日常語じゃない。つまり庶民にとっては漢字を
 学ぶ実用性はなかっただろう。奈良時代になって「かな」が登場して初めて
 多くの人がその実用性に目覚めたんじゃないか。それでも江戸時代でもまだ
 文字を学ぼうとしない人間も多かったんだろ。

775 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:03:23.82 ID:rifjnjh00
邪馬壹國の邪はヤとは読めないんだよな
シャかジャ
壹もイだし
普通に読めばシャマイ國だな。

776 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:05:30.32 ID:+Jq4cMCR0
>>774
ところが日本人は訓読みを編み出したんだよな
そこが偉大なとろこなのだよ、当て字という
手法で異なる語系に属する文字を自文化へと
吸収した

777 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:05:46.84 ID:A/PvkDQ+0
>>771
逆だよ。
神道は、多神教精霊崇拝の精神はあっても体系や物質的形質が無かった。
それを形にしたのが仏教。文字と建築技術のおかげ。

778 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:06:46.97 ID:2GJW4TIu0
>>771
神道があったか疑ったほうがいいよ。

779 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:09:08.29 ID:BoqWamM30
そういえば仏教はよく倭言葉をアピールする不思議

780 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:09:27.58 ID:4NAOWcZB0
>>742
そうだと思う。最新のナノ・テクノロジーによる土の解析によって、素材の土が
どこのものかが驚くほどの精度でわかるらしい。これからの考古学はナノテクと  
DNA解析が主流でもう文系バカの出る幕はないよ w

781 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:09:50.42 ID:laoxkVCu0
こんなに文字の普及した時代でも
役人が不正な文書を作ることはよくあるのに
文字を使える人が少ないようなチェックの甘い時代に
役人が不正をしなかった保証はどこにもないよね

782 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:10:42.50 ID:5WwQoo1n0
中国は中東から来たのがメソポタミアの文字を伝えた
ので象形文字が早くからあった
秦が文字統一して漢字に近くなって
漢が漢字にした

783 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:12:37.45 ID:t8PANqj10
普通に祭器もあるし固有の神の概念はあったろう
建築物が宗教の本質じゃない

文字と文明の関係ってどの地域も記録あやふやだなw
あたりまえかw

784 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:12:43.84 ID:+Jq4cMCR0
>>780
>文系バカ
いまでも理系文系って区別するの?
人文と自然の科学に分けるかと思った
どちらにしても科学的つまり論理的な
思考が要求されるのかと

785 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:12:55.94 ID:lY5iFV5J0
インカとかも文字はないけど同じく符丁があるし統治するだけなら困らんのじゃね
そのせいで漢字使える葛城一族が偽書作りまくったりしたんだろう

786 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:15:32.71 ID:+Jq4cMCR0
>>782
>中国は中東から来たのがメソポタミアの文字を伝えた
>ので象形文字が早くからあった

いちおう武丁の時代に文字が生まれた
とされているけど、実際はそれ以前に文字が
あったと考えるのが現在の流れらしいね
なぜなら武丁が草創にしては、すでに体系
づけられていて完成していたから
たまたま武丁の時代に甲骨に刻む方法が
採用されて、しかも占いがさかんに行われた
から、結果的に武丁の代から多く出土すると

787 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/03/12(土) 10:16:57.68 ID:Ozz/hoxw0
>>759
当時の東アジアの外交上、仏典から思想・文言を外交文書に取り込むことが
必要とされていた、要は日本が本格的に国家として継続的な外交に乗り出し
ていく上でも、仏教が必要とされていましたね。
「日出処」云々も出典は仏典。

788 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:18:29.99 ID:2GJW4TIu0
>>775
それを、後にヤマトと読むにわか知識の人がいて、ヤマト朝廷は、俺たちヤマトで大倭(大和)は
ヤマトということでいいやってことにしたんだろ。

789 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:22:24.45 ID:rifjnjh00
文字の無い広域国家なんて過去に存在した例はないんだよな
ヤマト朝廷が文字無しで日本を統一なんて有り得ない話
日本を統一時点では文字を使える役人が大勢いたんだ。

790 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:30:17.88 ID:+Jq4cMCR0
>>789
それでいいのでは、歴史の時系列からして
九州で文字が使われ始め、やがて畿内へと
伝播してやがて統一国家としての足がかりとなったと

791 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:30:52.67 ID:3rGWdtRK0
だから弥生時代の硯ならすでに出雲からしてるのに。

また墨書文字なら東海の伊勢から出土していると
何度言われたら理解できるんだよw

792 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:33:17.93 ID:nPlNF8300
>>692
同じ文章何度も投稿したら消されるんでね?

793 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:33:21.09 ID:2GJW4TIu0
>>789
日本統一どころか、日本を名乗るようになったのって、7世紀でしょ。
百済から王仁が来たとされるのは5世紀初めでしょ。矛盾はないよ。

もちろん、それ以前に文字を使っていた人はたくさん入ってきてたし、日本が日本と名乗る前に、
朝鮮半島の任那諸国の中に、「日本県」というのあったけど、大和朝廷としては、文字は
5世紀に百済から取り入れましたということにしたいわけよ。

794 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:36:13.29 ID:3rGWdtRK0
>>792
>現状最も卑弥呼の墓に近いと言われている平原だけでも畿内全域の被葬
品より多い。

その中でも女王と目される1号墳が、弥生中〜後期の畿内、東海に多い
という方形周溝墓なのを無視するなよw

つまり平原は畿内方面から派遣されていた人物の墓である可能性大だから。

795 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:36:14.39 ID:t8PANqj10
文字と仏教が同時期ってのはないだろ

その後の仏教の普及が速すぎる
それなりの伝達記録手段があったんだろう

796 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:37:12.92 ID:WpVt52e20
>>791
> だから弥生時代の硯ならすでに出雲からしてるのに。
別ソースではその出雲の硯は伊都国から
もらったんじゃないか?とあった。
出雲が直接大陸と交流持ってたかわからないから、
北部九州からもらったんじゃ?と推測されたんだろう

797 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:37:25.96 ID:+Jq4cMCR0
>>793
>朝鮮半島の任那諸国の中に、「日本県」
任那日本府か?

798 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:38:02.82 ID:UbFkN+pq0
>>789
単純に日本は広域国家ではなかったというだけのことだろう
ヤマト王権が成立したとみられる3〜4世紀から6世紀になるまでは、
都城遺跡などから官僚層が使ったとみられる文字資料が一切出てこ
ないのが証拠
狭い地域の統一に文字は必要なかった

799 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:38:27.94 ID:rifjnjh00
7世紀以前にも記録は多数存在していたが
8世紀初頭に日本書紀が編纂される焚書が行われ全て記録が失われたんだな。

800 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:38:41.84 ID:3rGWdtRK0
仏教以前に三世紀以降は道教が入ってきてるだろう。
もっとも当時は道教という思考はまだなく、単に鬼道の一種だろうがな。

801 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:39:41.55 ID:2GJW4TIu0
>>797
日本書紀を読んでみな。日本県とも日本府とも書かれてるけど、日本県の方が多いんじゃないかな。

それがなくなったら、大和朝廷は国号を日本に変えたんだよ。

802 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:39:53.06 ID:+Jq4cMCR0
>>798
>文字資料が一切出てこないのが証拠

発見されないことが証拠になるか、現状そうなのかな
未来のことはわからないけどね、いつか見つかるかも
学説なんてその程度のものですよ

803 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:44:17.70 ID:+Jq4cMCR0
>>800
>当時は道教という思考はまだ
道家思想でしょ、すでに成立していたんじゃないかな
儒家と対をなしていて、むしろ表裏一体というか
孔丘、顔淵、荘周という系譜があって、最終的に
仏教の名を借りて道家的な思想が花開いたのは
日本であったかもしれない

804 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:44:22.50 ID:nPlNF8300
>>751
親魏倭王印は仮授で管理は帯方郡だったという話もあるから
国内では出てこないかもしれない

805 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:44:39.87 ID:4NAOWcZB0
>>789
>単純に日本は広域国家ではなかったというだけのことだろう

  「単純に言うと、飛鳥時代以前の日本列島には文字を必要とするような
 広域国家はまだなく、郡雄割拠状態だった。この中でヤマトが出雲などを
 制覇して統一的な広域国家を初めて造った」

  ということでいい?

806 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:45:54.25 ID:rifjnjh00
>>794
墓の形が似てるだけで畿内方面から派遣されていた人物の墓とかバカじゃねえの

807 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:48:46.43 ID:UbFkN+pq0
>>802
日本中で膨大な数の発掘調査が進んでいるのに一切出てこないのは
官僚層に漢字が普及していなかった証拠だよ
逆に、発掘例が多くないと、普及していたとは言えないんだよ
弥生・古墳の木製品は膨大な量が出てくるのに、文字を書いた木簡・
竹簡だけが消えてなくなったということはありえない

808 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:49:17.03 ID:3rGWdtRK0
弥生後期に畿内から発掘される事の多い画文帯神獣鏡、
やや遅れて出土する三角縁神獣鏡なんて神仙思想の影響下な事位
余程のバカでもない限り理解できるだろう。

はっきり魏だけでなく呉も含めた当時の中華思想の影響下にあるの
わかってるのに、何故今頃邪馬台国九州説なんて主張する奴いるんだよw

809 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:50:58.72 ID:t8PANqj10
道教はごった煮だからなあ
道家老荘のやつとは違うだろうし

810 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:51:11.43 ID:4QkCEz6P0
で、考古学的な証拠として奈良からはすずりは発掘されたの?

811 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:52:42.46 ID:3rGWdtRK0
>>806
畿内説なら北部九州に出張所的な場所は必要だろ。
その為畿内東海から人が派遣されるのは当然、
墓がそちらの様式なのは別に不思議じゃないぞ、バカじゃねーのかw

812 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:56:49.82 ID:2GJW4TIu0
>>805
多分、そうじゃなくて、任那の日本県の人は秦の奴隷が作った国で、中国文明に接していたので文字も使えた。
それが、九州の倭国は抵抗が強いので九州から畿内に移住し、日本県滅亡後、日本と名乗った。

蘇我氏の先祖は木満到といって、そっちから来たとされるけど、任那の王族の中で有名なのは金氏。
キムウジが木満到と表記したんだろう。

ところが、大化の改新で蘇我氏が滅ぼされた後、日本書紀が作られた時には、任那の蘇我氏を軽視して百済を
重視したい王朝になってた。

813 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 10:58:07.21 ID:4NAOWcZB0
>>799
>8世紀初頭に日本書紀が編纂される焚書が行われ全て記録が失われたんだな。

  何か根拠あるのか? 漢字は表意文字なので、日本の地名や人名を表わすのに
 ヤマト国と出雲国その他とでは多分いろいろ違いがあったんだろ。表意文字を使って
 日本の言葉の音を表現する違いがあったんだろう。それがヤマトが統一後にすべて
 ヤマト流の音表記になったんだろうな。コンピューターの言語だって初めの頃はいろいろ
 あったが、結局多くのユーザーが使うものが他を圧倒して行く。それと同じなんだろ。
 ヤマト国成立後に出雲流の表記などが公式文書からは消えたんだと思う。
 それは焚書とは違うだろ。

814 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:00:07.31 ID:3rGWdtRK0
>>810
奈良の黒塚古墳からは多量の鏡や丹(水銀朱)とともに
黄憧と思われる謎の鉄器が出土してますが?

815 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:00:11.94 ID:4NAOWcZB0
>>806
そう、こういう自分の思い込みを平気で書くのが畿内論者には呆れるほど多い。

816 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:01:59.84 ID:rifjnjh00
>>811
同じ近辺で円墳、方形周溝墓、前方後円墳とか彼方此方に在る
一々何処から派遣とか馬鹿丸出しw

817 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:02:40.01 ID:3rGWdtRK0
>>815
考古学の世界では既に九州説なんて殆ど誰もいないという現実から
逃避したいのですかね?

818 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:03:49.81 ID:4QkCEz6P0
>>814
それが九州説より有利な証拠としてるわけですね

819 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:05:11.86 ID:4QkCEz6P0
まだ御用学者を信じてる人っているんだねー。

820 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:05:19.28 ID:3rGWdtRK0
>>816
そりゃ平原辺りが諸国の玄関口だからなんじゃないのw
その中で女王に相応しいのが畿内、東海の様式だという事ならんだろ?

821 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:05:41.57 ID:d2ej9VZy0
硯なんて簡単に持ち運べるものがなんで持ち上げられてるの?

822 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:07:27.34 ID:3rGWdtRK0
>>818
丹山ありの丹山も紀伊半島、しかも纏向の背後が宇陀水銀で
弥生時代からその産地ですが?

823 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:08:42.13 ID:4QkCEz6P0
簡単に持ち運べない物が畿内から発掘されてるんだね。わざわざ九州に上陸して簡単に持ち運べない物を畿内まで運んだんだね
凄いねー、邪馬台国は奈良からしれんー

824 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:09:26.66 ID:rifjnjh00
>>814
鉄器がなんで黄憧と思われるの?
黄憧と硯が何か関係あるの?
>>820
絹、鉄器、中国産の朱が何故畿内で出ないの?

825 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:09:27.17 ID:Pi2cdZow0
>>813
和銅元年の大赦と共に、禁書を隠した者は死罪よりも厳しく処する、とある。
風土記がほとんど現存しない、古事記も禁書扱い、など状況証拠も沢山ある。
大規模な異民族の侵入や王朝交代などによる文化破壊が起こっていないのに
各地の古記録が極めて乏しいことも不審。丹後、尾張などごく一部のアンタ
ッチャブルな名家にだけかろうじて残されているのも、記録そのものはあっ
たという証明になる。

826 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:10:02.65 ID:d2ej9VZy0
邪馬台国が北九州なら邪馬台国は日本の田舎の弱小な一豪族に過ぎず
そんな弱小豪族がよくわざわざ魏に使いを出してたなと思うんだが
周りに自分より強大な勢力が多数ある中ではるか遠方の魏に使いを出しても
何にもならんジャン

827 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:11:39.21 ID:d2ej9VZy0
>>823
住居跡とか古墳とかは持ち運べないしな
硯なんて奈良に邪馬台国があっても通路である九州にあってなんら不思議はないし

828 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:11:39.90 ID:4QkCEz6P0
>>822
へー、さすがご都合主義の畿内説ですね。邪馬台国は奈良でもいいよ。
決めるのはゴッドバンド(新一)にも気づかない権威ある学者さんですからね。

829 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:14:28.51 ID:lY5iFV5J0
>>825
風土記は現地調査の報告書で実効支配終わった後はいらないからじゃね?
たまに◯◯風土記曰て注釈でるし故意に無くしたわけじゃないかと

830 :792:2016/03/12(土) 11:14:32.17 ID:Pi2cdZow0
また消された。他の人のレスもイミフになっちゃってw

おい運営?、いい加減にしろよ

831 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:16:07.57 ID:t8PANqj10
この板削除が多いが、ここもなのか

意味不明だな

832 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:16:11.28 ID:3rGWdtRK0
>>824
用途不明で棺に入れるものならな。それに絹や鉄器は畿内でもでてるけど?
北部九州も倭なんだから畿内説で何の問題があるんだかw

大体鉄器があるなんて記述には倭人伝にはないぞ?
骨や弓と一緒に鉄鏃とあるだけだしな、捏造はいけないw

鉛丹だってあれは仙薬として飲むものだよ、鏡と一緒にもらってるならな。

833 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:16:32.34 ID:rifjnjh00
>>826
邪馬壹國は戦国大名程度の規模だと考えてるだが
朝鮮半島南部にも領地を持ってたんで
魏の勢力が朝鮮半島に及ぶと敏感に対応したんだろう。

834 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:17:52.63 ID:4QkCEz6P0
しかし、畿内論者の感覚って2000年前も現代も同じなんだよねー
道路の整備も考えてないし、田舎とか都会とかって何なん?
なんか畿内説って宗教的だよねー

835 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:18:31.30 ID:3rGWdtRK0
>>828
考古学を否定して考古学を基に主張をするのが九州説なんだなw
そんな簡単な矛盾に気が付かないのかね?

836 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:19:09.99 ID:rifjnjh00
>>832
鉄器の出土量や絹の出土時期が全然遅いし
魏から貰ったはずの中国産の朱もでてない。

837 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:20:33.61 ID:rifjnjh00
都合の良いところだけ取って考古学では畿内説だとかいい加減にしろよw

838 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:22:21.72 ID:4QkCEz6P0
唯一リアルな文献を否定するわりにはご都合の良い文は我が物にする畿内論者よりマシですよ。
そもそも考古学を盾に邪馬台国を頂きたいみたいだけど、文献ありきの邪馬台国ですよ。無理矢理、大和朝廷を邪馬台国にする横暴は清々しいわ

839 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 11:22:50.48 ID:zt+DKJoG0
>>24
江戸時代の遺跡か?

840 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:24:24.85 ID:3rGWdtRK0
>>836
倭人伝は三世紀末の資料。鉄なら既に瀬戸内海や丹後半島で多いのだが。
それに邪馬台国伝ではなく倭人伝だと何度言われたらわかるんだよw
中国産の朱はが多いのは何世紀の物かな?
阿波だといいたいのならそれは既に畿内の範疇といえるだろう。

841 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:26:04.73 ID:3rGWdtRK0
>>838
倭人伝を否定した覚えはまったくないのだがw
なんなら論争してやろうか?

842 :792:2016/03/12(土) 11:26:55.14 ID:Pi2cdZow0
>>832
倭人伝に出てないから重要なんじゃ無いの?わからないかな。
九州説は考古学的にも地政学、文化人類学的にも補完されてるんだよ。別々の
ルートで同じ事を証明するのも大事なんだよ。弁証法って知ってる?
それに対して畿内説は大学者と呼ばれる人でも未だに恣意的な方法論に頼って
非科学的だろ?。だから理系の人に馬鹿にされる。
例えば絹や鉄器って、それは知ってるよ。問題は質と量。AD2、3Cに統一
国家を作っていたとしたら、畿内勢力は鉄器が優勢な九州に対し、戦闘上圧倒
的な鉄器と銅器や木との差をどう埋めたんだろう。
また、少なくとも弥生には絹は北九州しか出ていないし、それが畿内にも広が
ったと考えるのが普通だよね?

843 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:28:05.68 ID:UbFkN+pq0
九州だ近畿だと、固執して抜け出られないから進歩がない
いつまでも同じことばかりくりかえして、学問をしている気になってるだけ
まともな資料批判もできずに、なにが文献ありきなのだろうか?
大切なのは我田引水ではなく、学術的にフェアで真摯であることだ

844 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:29:41.05 ID:tHHqStYV0
現代の世界でも文字を持たない原住民は世界各地に居てるんだから
当時の日本が文字を持たない
いや持つ必要もない生活だったの鑑みて
出土したよく分からない石片で→これは硯に違いない→文字があった
とするのどうだろう?

845 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:29:42.58 ID:3rGWdtRK0
>>842
倭人伝は邪馬台国伝ではないと何度言ったら理解するのかなw
畿内説でも北部九州は重視してるのにいい加減にしろyp。

で、丹山は何処にあって丹生神社は何処に多いのかな?

846 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:30:22.06 ID:4QkCEz6P0
>>841
はいはい、またご都合ですか?wいつも否定されてますよ。
誰が書いたかわからん畿内説本を片手に論争したらいいじゃん(笑)

847 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:32:07.85 ID:3rGWdtRK0
>>846
君も安本とか邪馬台国の怪とかなら話にならんぞw
関なんて持っての他だしなww

848 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:32:39.16 ID:Q/Vdv9Ss0
畿内説って、いつの時代のものか不明だけど桃の種が出たからここが邪馬台国というんだよね。
この桃の種は、卑弥呼の死んだ後に埋められたに違いないって、わけがわからない。

849 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:32:46.90 ID:t8PANqj10
銅鐸の記録がすべて消されたのも焚書の結果なんだろね

850 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:34:30.08 ID:sWuHhhwf0
蘇我氏の文書が全て燃えた。燃やしたんだろ。

851 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:34:56.93 ID:muZuPaTa0
>>686
存在しなかった証拠にはならん。
むしろ権力が断絶したがためにリサイクルされず地中に埋もれたという
可能性もありうるんではないか?

852 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:35:20.74 ID:3rGWdtRK0
>>849
別にすべて消されたとは言えないよ、記紀編纂の後年に忌部氏視線で
書かれた岩戸開きでは鐸を用いた記述もあるからな。

853 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:35:45.81 ID:nPlNF8300
比定地の遺跡分布と倭人伝の記述の方角距離を照合すると
まるででたらめなのははっきりしてるんだから
あまり金科玉条のように扱うのも危ういよ

854 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:36:17.68 ID:CzgNYv7+0
>>844

シナーがくれた金印は書簡に押すものだからな。
交流ができた時点で真っ先に導入されててもおかしくない。
てか、文字を持ち帰らないと交流出来ない。

そして利用形跡のある硯の登場

855 :792:2016/03/12(土) 11:37:31.41 ID:Pi2cdZow0
>丹山は何処にあって丹生神社は何処に多いのかな?

それ言ったの俺じゃねえよw

あのな、丹生一族の伝承知ってるかい?秦から逃れて伊都国に上陸・建国した
って言うんだぜ。そこから九州、中国と探索を広げて行ったんだと。
元々が朱丹は日本じゃ珍しくも無い、魔除けや死者の送りに使ったもんだから、
それが多いから邪馬台国なんてとんでも説だってw
なあ頼むから勉強しっかりしてくれよな。

856 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:38:59.94 ID:3rGWdtRK0
大体畿内説での方角間違い説だって、
神仙思想を基にした地政学なら、半島の東側というのは神仙の住む
中国人憧れの国になってしまうんだよ。そこに邪馬台国があってはいけない。
だから沖縄辺りの国だとしてるだけだからさ。
まあこれは交霊厨の説だけどねw

857 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:41:21.38 ID:3rGWdtRK0
>>855
全くの知識不足、というかただのバカだねw
まず倭人伝は三世紀末の書物、秦から逃れて何年なんだよww

858 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:42:46.28 ID:GGTqf9w40
弥生時代の奈良では朱丹はほとんど出てこない。
福岡は輸入朱が多いだろうが
豊富に出土する。

鉄を朝鮮半島まで取りに行ってた九州勢。
紀伊や阿波の朱丹を取りに行っても
おかしくないな。

859 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:43:58.75 ID:sWuHhhwf0
弥生時代の丹の採掘跡というのは、実はまだ見つかっていない。
最近、徳島で、採掘に使ったと見られる道具が見つかったというだけ。

860 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:45:01.17 ID:GGTqf9w40
全国の八幡神社の総本社である宇佐神宮。
秦(はた)王国はここだろう。

861 :792:2016/03/12(土) 11:46:55.15 ID:Pi2cdZow0
>>857
お前がそこまで馬鹿とは。文字も読めないなら、硯など必要ないなwww

862 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:48:09.60 ID:3rGWdtRK0
>>859
阿波は採掘跡も見つかってるだろう。
紀伊半島で弥生どころか縄文末期から鉱山周辺に精製跡が多数確認済み。
まあ説に関係なく丹山はこの辺りの認識で確定してよい。

863 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:50:23.29 ID:3rGWdtRK0
>>861
で、出雲から既に硯が出土してる件にかんしてはどうなの?

864 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:50:52.22 ID:WpVt52e20
>>837
畿内説は考古学的!とさんざん自称してるくせに
ついこの前、三角縁神獣鏡で壮絶な爆死を遂げたというねw
あんな目に会えば普通、我ら畿内派は考古学的とか
言えなくなるけど今でも平気で自称してるんだからメンタル強いわww

865 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:51:51.92 ID:VzJ+D12l0
>>813
>日本の地名や人名を表わすのに
>ヤマト国と出雲国その他とでは多分いろいろ違いがあったんだろ・・・・・・・・・・・
そういう表記上の違いは、「タケミカヅチ」の漢字表記がヤマト王権公認
史書の「記」、「紀」間でも相異するくらいで問題ではない。
六国史の「日本後紀」あたりに焚書命令ではないが、「紀」と相異する氏祖
系譜等の記事を載せた豪族の家記類の破棄命令が載せられてなかったか?

866 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:52:21.74 ID:4QkCEz6P0
それがね、何年か前に邪馬台国は奈良でほぼ確定キャンペーンをマスコミを使って電波飛ばしてた
それを見たけど、本当にトンデモしかない説しかなかった
九州論者の人が畿内論者に質問を言ってたけど、完全にスルー
結論が桃の種が発掘された事と卑弥呼亡き後に権力者が変わりみんなで鏡を割ったんだと
それ見て確信したよ。畿内説はないわ。
で、司会者が完全なる証拠って発掘されます?と聞いたら
あー、半年もあれば確実に出ますよ。ボランティアの芸能人もこの場所が邪馬台国なんだから、そろそろ出ますよ。
なんて言ってたわ。あれから何年たったよ(笑)
これ見た人いないの?NHKだったと思うけど

867 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:54:42.82 ID:4QkCEz6P0
その後、馬具が発掘されましたとさ(笑)

868 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:55:43.18 ID:RqvX4Rpt0
文字を使ってたのは、支配してた朝鮮半島からの人達。
日本土人達は支配下に置かれてた

869 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:56:00.76 ID:M6RVguR80
>>860
秦氏の稲荷は動物崇拝であることからも半島から渡ってきたと断定せざるを得ない
宇佐や八幡等九州に多い神社では動物は神の使いや下僕に過ぎず、動物そのものを信仰することはない
京都より東に動物信仰が多いのは、アイヌ民族と半島系渡来人が習合された結果だろう

870 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:57:33.03 ID:3rGWdtRK0
>>866
その内容が本当なら畿内説の学者からクレームがくるわw

捏造ばかりはいけないね。
その九州説論者の質問をここでしてみたら?

871 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 11:58:42.93 ID:afQo9U4Q0
>>868
嫁が日本に逃げたった追っかけてきてボコボコにされた新羅の王子いましたね

872 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:02:18.48 ID:M6RVguR80
>>868
渡来人が為政者の地位にあったとしても、定住したのならそれはもう日本人なのでは?

873 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:03:14.65 ID:RqvX4Rpt0
>>872
近親相姦が当たり前の朝鮮半島の民族が天皇になった訳で

874 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:03:33.09 ID:+ZihE6lj0
百済って日本に朝貢してたんだろ
どう頑張っても半島人は上位に立てない
プライドズッタズタ

875 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:05:12.91 ID:zt+DKJoG0
あー なんか投稿しても消されるわ

876 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:05:29.36 ID:nPlNF8300
>>868
当事の中国は三国鼎立中で外征どころじゃない

当事の三韓は統治機構未発達で同じく外征どころじゃない
逆に倭国に半島に進出されてるぐらい

877 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:05:31.58 ID:zt+DKJoG0
■日本史の謎 最終解決  @

白村江で大敗した倭国は 唐新羅連合軍の追撃によって国が亡びるのを防ぐため、九州から畿内に遷都し
偽装国家大和朝廷を設立する。
そして倭に関する全ての記録を抹消したうえで 記紀の2書を編纂する。
わざわざ2書を編纂したのは ねつ造である日本書紀の証拠としての古事記を残すためだが、
古事記口伝自体がねつ造であった。
記紀に倭国に関する記述がないのはこのせいである。

878 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:05:38.78 ID:VzTS5yDf0
>>870
畿内論者の学者となんか役所関係者が言ってたんだけどね
九州説より畿内説が正しくあってほしいと思ってるよ

理由はそうであれば、墓は特定出来てるわけだし後は金印発掘だけですよ。
生きてる間に卑弥呼の金印が見れるからねー

879 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:05:55.70 ID:zt+DKJoG0
■日本史の謎 最終解決  A
素戔嗚尊の足跡は他の記録にある倭国軍の足跡と一致するので スサノオの尊は倭国軍を指すものと特定できる。
よって邪馬台国の位置は素戔嗚尊の発祥の地 宮崎県宮崎市阿波岐原町と特定できる。

倭の記録抹消に合わせて卑弥呼の墓も100歩の墓から大小複数の偽墓に分散されたと思われる。
(他から土を運んできて盛り土をするより 近くに分散したほうが簡単でかつ目立たない。)

白村江の戦いで敗北した倭国軍の残党は出雲に退却した。
倭であることを否定するため、大和朝廷はこれを平定したことになっているので 
各地の風土記で出雲風土記だけが残された。

880 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:07:00.37 ID:0VFjEmZO0
神武天皇は日向から東征した

神功天皇は九州で活躍した。

これらの伝説が残っているのに、
日本では何故か邪馬台国や卑弥呼の伝承が
残っていない。

日本書紀などの編纂の時に邪馬台国などを意図的に除外し、
ヤマト政権が皇族へそれらの歴史を吸収した
と、考えるのが妥当だと思う。

881 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:07:42.85 ID:RqvX4Rpt0
白村江は、はくすえと読むが、朝鮮語ではパクチェと言うのがそうなった

パクチェは百済の事だよ

882 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:09:21.07 ID:zt+DKJoG0
はくすきのえ だお

883 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:10:13.24 ID:zt+DKJoG0
>>881
中国の史書に白村江と漢字で書いてあるんだけど

884 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:11:03.67 ID:RqvX4Rpt0
>>883
音をそう書いてる

885 :孝霊厨:2016/03/12(土) 12:11:32.75 ID:GqZvGzGvO
何か私の名前が出てきてますが、神仙思想による
方角間違い説だけは故意かどうかはともかく結構自信ありますけどね。

886 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:11:40.05 ID:0VFjEmZO0
>>868
それはない。
もしそうなら中国が金印を日本に贈ったりはしないし、
日本からも使節が行ったりしない。

そして朝鮮半島の国は金印をもらってなかったよな。

渡来人として来てはいただろうが、支配されていたというのは
その後、倭国が度々朝鮮半島に侵攻していたことからも、
あり得ない。

887 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:12:10.18 ID:RqvX4Rpt0
当時の三国は中国名では、別名だもんな

888 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:12:44.04 ID:PFNWkDXW0
>>880
その理由として、なんか怖い話が盛られてたよね
天皇家乗っ取りもしくは入れ替わり説
だから歴史から排除した。
まぁー嘘でしょうけどねw

889 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:12:44.74 ID:zt+DKJoG0
>>884
あほ 朝鮮で表音文字ができるのは1300年後だ

890 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:13:15.21 ID:RqvX4Rpt0
>>886
あり得ないって証拠は?
当時の権力者は身内同士で権力争いしてたからな

891 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:13:36.10 ID:+ZihE6lj0
日本統治前の半島の識字率は10%以下
21世紀になってもまともに読み書きできない韓国人が40%
卑弥呼の時代に漢字使えた半島人が何人いるんだろな

892 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:13:48.77 ID:RqvX4Rpt0
>>889
馬鹿はどうしようもないな

893 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:14:04.92 ID:zt+DKJoG0
なんで中国の史書が朝鮮語の音で書かなきゃならんのだ?
しかも百済が同じ書に別に書いてあるのにw
朝鮮人は馬鹿
文字が読めない
表音文字は文字ではない

894 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:15:01.21 ID:JHB3PiRP0
アフリカ奥地の飛行場にパソコン
あったからって
原住民が使ってるわけじゃない
飛行場職員が使ってるだけ

895 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:15:05.11 ID:RqvX4Rpt0
>>891
李氏朝鮮できる前でも漢字だけどな、4代目がハングル作った

896 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:15:27.13 ID:VzJ+D12l0
>>869
>秦氏の稲荷は動物崇拝であることからも半島から渡ってきたと断定せざるを得ない
>宇佐や八幡等九州に多い神社では動物は神の使いや下僕に過ぎず・・・・・・・・・・・・・・
なぜ動物崇拝が、朝鮮半島文化由来と断定されるの?
動物を神の使いとみなしている九州に多い神社って、何々神社を指しているの?

897 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:15:53.51 ID:RqvX4Rpt0
>>894
そう言う事だよね、日本人は文字すらわからなかった

898 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:16:03.83 ID:zt+DKJoG0
倭の木簡は全部燃やしたんじゃね?

899 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:16:46.53 ID:RqvX4Rpt0
>>896
土着信仰だから、書物無ければ解明できない

900 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:17:16.70 ID:PFNWkDXW0
そうそう、その後も民放で奈良の邪馬台国キャンペーンを放送。畿内派も九州派も実況でやり取りしながら見てて
最後に畿内派が怒り奮闘
最後の最後に、でも邪馬台国は九州じゃないの?!みたいな締めで放送を終えた(笑)

901 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:17:22.04 ID:zt+DKJoG0
文字知らなくても 直角のつくりかたは知ってたんだが
現代のお前らが知ってるか はなはだ疑問だ

902 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:17:58.84 ID:nPlNF8300
>>893
現地の固有名詞は現地音に漢字振って表記するしかないでしょう

903 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:18:59.76 ID:d2sXv20O0
最古級のまんずりは?

904 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:20:49.03 ID:nPlNF8300
>>898
火にくべるにはちょうどいいサイズだろうから、用済みになったら
薪にされたケースも少なくないかもね

905 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:20:54.65 ID:HCr1HngR0
>>654
紀元前660年には橿原で神武天皇が即位して日本に王朝を興しているが。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-69-bf/inosisi650/folder/1571376/66/32557466/img_0

906 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:22:16.95 ID:RqvX4Rpt0
>>905
それは、中国の歳の数え方でいくからだ、当時は一年で2年歳を取ってた

907 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:23:09.36 ID:EXWLND+j0
>>905
申し訳ないがフィクションはNG

908 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:25:03.97 ID:PFNWkDXW0
>>905
それはユダヤ人かもねw

909 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:25:24.10 ID:rifjnjh00
8世紀に大規模な焚書が行われたことは確実なんだから
日本書紀に書かれてることと事実は相当違うんだろうな。

910 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:25:26.67 ID:XY2eRnRH0
逆に漢字を使わずにどうやって中国と外交するわけだ

911 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:25:40.76 ID:HCr1HngR0
フィクションというなら証拠を出しやがれ。

912 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:26:48.61 ID:EtUm1xIM0
LINEの初期バージョン使ってたんだな

913 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:27:59.54 ID:RqvX4Rpt0
>>910
何でも最初は有る、学べば出来るのは当たり前の話


どちらが覚えたか知らないが。

914 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:28:01.99 ID:rifjnjh00
>>911
事実だとの証拠あるの
ない証拠なんて悪魔の証明だろ
あった証拠を出さないと。

915 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:28:17.84 ID:0VFjEmZO0
いずれにしても、政治の中心は700年頃には畿内に移ったんだし、
畿内の人はそうムキにならなくてもいいと思う。

白村江の戦いの敗北によって
九州は大陸に対しての防衛線となった。
つまり政治の中枢にはその時点で適さなくなった。
だから畿内に移った。つまりその当時畿内の政権が
権力を取ったんだろう。それが事実だから。

勝ち負けで言ったら畿内の勝ち
その過程は吸収したか、討ち滅ぼしたかはわからないけどね。
すくなくても、歴史は吸収されたと個人的に思う。

916 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:28:36.96 ID:HCr1HngR0
>>909
その通り。
大和朝廷によって邪馬台国の木簡は焼かれた。
そして業績は大和朝廷の歴史に編入された。
因みに邪馬台国の首都は都府楼と呼ばれ、現在の太宰府である。

917 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:30:00.78 ID:RqvX4Rpt0
>>916
妄想乙

918 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:30:14.42 ID:HCr1HngR0
>>914
つ古事記
つ日本書紀

これでいいか?

919 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:30:33.44 ID:WnRkONMw0
菓子パン代わりにもらったんじゃね?

920 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:31:14.44 ID:HCr1HngR0
>>917
妄想というなら証拠出しやがれ。

921 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:32:11.07 ID:rifjnjh00
>>916
太宰府はもっと後の都だろうな
邪馬壹國の首都は伊都国だな。

922 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:33:17.53 ID:rifjnjh00
>>918
記紀に書かれてる事が事実だと証明しないとw

923 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:33:21.70 ID:nGaH8Ugv0
北九州は論外だろ

んなとこにあったのなら中国側も正確に記録できてるだろうし

924 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:33:24.81 ID:nPlNF8300
>>910
邪馬台国、狗奴国が抗争していたときには檄文を使って休戦させたらしいし、
各国に文字を理解する役人がいただろうことは推定できるね

925 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:33:31.24 ID:R6b93gq50
>>869
アイヌ系は部落になってる。渡来系はそれを差別した貴族。
融合するわけがない。

926 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:33:49.39 ID:mJVZV0zc0
>>780
今の日本で最も害悪なのが琉球史の人文バカ
紙の歴史を政治的プロパガンダに悪用しようと歴史の捏造を繰り返している

927 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:34:05.44 ID:BoqWamM30
>>909
書かれた内容(正史)と合致しないといけないから
祖先を偽ったり合わない記録を消してたのかな

928 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:34:20.33 ID:gxHndEg+O
<丶`Д´> 硯の起源は言うまでもないニダ

929 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:36:30.58 ID:mJVZV0zc0
>>881
>白村江は、はくすえと読むが、朝鮮語ではパクチェと言うのがそうなった

>パクチェは百済の事だよ

捏造すんな
白村江を韓国語では박정강→ペクチョンガンと発音すると

930 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:37:35.43 ID:5WwQoo1n0
漢字が無かったのは北陸から来た征服王朝で
九州王朝の丸パクリ伝説

931 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:38:00.85 ID:PFNWkDXW0
妄想で話すなら、
卑弥呼=九州
台与=畿内
卑弥呼さんの死後は争い激しく台与が継いでから収まったよ。今は遠い国になっちまったー
んだんだ

932 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:42:55.55 ID:aUkyBXBo0
畿内説よくわからんな
卑弥呼統一された日本の初代の王
やまとととひももそひめのみことに比定するのはおかしいだろ
大和朝廷も九州が起源としてるんだから
継承にしろ、乗っ取りにしろ、あるいは詐称にしたって、
初代王の墓は九州にある

933 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:46:07.58 ID:M6RVguR80
>>925
それは今北海道に残ってるアイヌがってことだろう
近畿関東東北の現在においては完全に習合してしまっているから区別不可能

934 :孝霊厨:2016/03/12(土) 12:49:09.56 ID:GqZvGzGvO
九州王朝なんて存在しませんよ。
少なくともワカタリシヒコの都は法隆寺辺りです。
太宰府では都とは呼べませんよ。

935 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:49:19.84 ID:V4iURWi60
大和朝廷の九州起源が捏造なんだろう。
奈良(三輪王朝?葛城王朝?)は天皇が住む以前からずっとあった。

936 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:53:17.15 ID:SVOyqla80
1.水稲稲作、奈良は唐津の菜畑遺跡より四百年年も遅れて始まった。
2.戦争や農耕に必要な鉄製品は奈良では出土していない
3.卑弥呼が魏国に献上した勾玉(大珠)は近畿や中国地方では出土していない
4.勾玉は全国で約200個出土しているが、約140個は北陸、中部、関東での出土で、
残りの約60個は九州での出土、近畿や中国地方での出土は無い(勾玉屋コレクションのHPから引用)
5.漢字の普及も北九州が遙かに早い
6.筑前町(旧三輪町)を中心とした地名が奈良の地名と同じ
7.君が代の元歌は福岡市東区の志賀海神社の山誉め祭で歌われている
8.弥生時代の北九州で最大の構造物は長さ5.6Kmに及ぶ農業用水路で
裂田の溝(さくたのうなで)と呼び筑紫郡那珂川町に存在する。
これだけ揃えば北九州から奈良に東征して大和国を創ったと考えるのが
普通だろう。

937 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:53:29.24 ID:4tI/AcSF0
当時の倭国は中国文明の一部であったのは明白なのに、ここの人間て朝鮮人と同じく真実から目をそらすよね。

倭国連合の中で、中国語話してる奴が相当数いたのは文献でも確定してるし、半島通じて後漢を後ろ盾に権威を持ってたのは明らか。
だから、黄巾で大陸が荒廃したと同時に、後漢の権威失墜した影響で倭国の中でも大乱がおきたのだろう。
卑弥呼の墓からも桃の種が出たことから、鬼道のもとが道教源流なのも一目瞭然。
中国否定して独自の文化作ったって妄想やめたら??

938 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:54:47.76 ID:HCr1HngR0
多元的古代史観で見ないと理解できないよ。

九州朝廷→卑弥呼
出雲朝廷→大国主
大和朝廷→神武天皇
関東朝廷→加多支鹵大王
奥羽朝廷→長髄彦

939 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:56:43.18 ID:M6RVguR80
>>934
ここ弥生時代後期のすれなんだけど、いつの時代の話をしてんの?

940 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:58:23.22 ID:nPlNF8300
>>937
出雲から楽浪郡の硯や土器が出てるのに
中国史書にいっさい記述がないというのも面白いね

941 :ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2016/03/12(土) 12:58:40.07 ID:zt+DKJoG0
>>937
死ね

942 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:59:34.47 ID:1RveNVwo0
>>933
違うよ。
部落の人の形質は東北人と同じだと判明してる。
畿内人は朝鮮形質なのに、畿内を含めた日本中の部落は東北型。
アイヌに倭人が少し混ざった人たちってこと。

943 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 12:59:57.87 ID:0VFjEmZO0
>>937
中国は当時、朝貢をやっていてそれは所謂中国文明の一部とする意味じゃない。
異民族と敵対することで防衛費や軍事費を負担するより、
朝貢という贈り物を交換することにより友好関係を維持することで
余計な侵略を減らすための知恵だよ。

944 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:01:03.76 ID:6aYlq+pP0
>>155>>37
文字を記録した竹木簡が保存され難いってのもあるからな
日本は火山列島だから土壌が酸性で分解されやすい

945 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:01:26.19 ID:V4iURWi60
>>936
東征はないなあ。九州、中国、(四国)、近畿を次々平定して、更に首都を奈良にするとか意味不明じゃない?

946 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:04:10.25 ID:4tI/AcSF0
>>943
別に中国の属国なんて言ってないが?
倭国の相当数の数で、中国語話してたのは確定しているし、同時は国境なんて時代もないわけだから、
日本という国が当時の中国文明からの独立と対抗として成立したことは事実だと主張しているだけ。

947 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:06:37.66 ID:GqZvGzGvO
>>939
まず九州王朝説を完全否定してるだけですよ。
また倭の都ヤマトが古の邪馬台国だとありますからね。

948 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:06:47.26 ID:SVOyqla80
倭人伝には邪馬台国が乱れて長期間戦争状態になったとの記載がある、
戦闘の遺骨が北部九州では甕棺墓の中で多数見つかっているが
近畿で戦闘状態になった形跡はまったく見つかっていない。
戦争状態は卑弥呼の出現で収まったと記載されている。

949 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:08:14.43 ID:6aYlq+pP0
>>116
文字というよりその前の記号の可能性はある
漢字も元は占いの記号を文字化したもの

950 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:10:03.40 ID:HCr1HngR0
>>116
この人、ロゼッタストーン否定してるよ。
そんな人初めて見た。

951 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:11:17.53 ID:GqZvGzGvO
そもそも九州に女王が存在したような伝承があまりないですからね。
無視されがちですが、箸墓の百襲媛瀬戸内海で
伝承を残している人物ですよ。
瀬戸内海に神武伝承は多くありませんが、
孝霊、百襲に吉備都彦に関する物は非常に多いですね。

952 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:11:25.72 ID:6aYlq+pP0
>>166
日本書紀と食い違う部分は各地で書いてねって命令したのが風土記なんだが

953 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:13:58.51 ID:6aYlq+pP0
>>185
音、というのは自分が思っている以上に、地域や民族で違う
だから日本人の「あ」と外国人の「あ」は違うしバラバラ

だから中東で話す「え」も日本人の「え」ではない

954 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:15:55.56 ID:PFNWkDXW0
倭人伝の邪馬台国って今で言うところ姉妹都市ぐらいなもんだよ
なんでもかんでも大きくしなくていいからね。芸能人の身長じゃあるまいし

955 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:15:56.27 ID:M6RVguR80
>>947
なんだか脳が湧いてる人みたいだからスルーさせてもらうわ

>>942
その倭人とアイヌと渡来人の区別はどう行ってるの?
江戸時代以前までの渡来人を倭人に含めるとそういってもあながち間違いではないが

956 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:16:56.48 ID:xN817EV60
>>935
大和朝廷が九州起源説を捏造する理由はなんだ?
正当性主張するためだろ
後漢書に倭は100余あってそのうち30カ国が中国と通商し、共立したのが卑弥呼

奈良に王朝があったかもしれんが中国から倭王の称号もらってないから権威づけにならない
どから九州を持ち出した

957 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:18:17.92 ID:+kCeR6Ge0
>>951
実は九州には
女王が存在したような伝承は
結構残ってたりする有名でないだけで(´・ω・`)

958 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:21:19.57 ID:gEScPYyu0
八女は姫だったかな?山門郡に女王の伝承が残っていた記憶があるけど・・・

959 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:21:21.86 ID:GqZvGzGvO
>>955
倭国伝にヤマトが邪馬台国と書かれてある事をスルーとか、
確かにそれじゃ君こそ話にもならんよ。

960 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:22:16.42 ID:nPlNF8300
>>945
相手が出雲北陸連合だとしたら南側を抑えるのも合理的かと

961 :792:2016/03/12(土) 13:22:37.93 ID:Pi2cdZow0
>>956
そういう点も、畿内論者は何も説明してくれないよね。
なんで筑紫神話なのか、とかさ。神武だって明らかに西から来てるし。
栄光の初代だから、もっとコナンザグレートみたいにしてもいいのに、
変に弱っちかったりするし、それがまたリアルな訳よ。
ニギハヤヒ伝説や長髄の本拠(天孫降臨神社、石切・枚岡神社、物部氏)など、
その他各地の地名など、全部地名も地形もあってる。

962 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:23:26.86 ID:xN817EV60
>>959
日本は倭種の別種なり
とも書いてるな

963 :792:2016/03/12(土) 13:25:09.97 ID:Pi2cdZow0
なんか一人吠えてるけど、倭と日本が合体したのは新唐書の方ね。
旧はそれこそ分裂状態w

964 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:25:45.13 ID:nPlNF8300
>>948
関ヶ原の遺骨すら見つからないぐらいきれいに片付けちゃうからねえ

965 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:27:11.93 ID:6aYlq+pP0
>>771
神道は土着信仰や思想団体とかMIXされてるから
また視点が違うとしか

966 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:27:28.35 ID:GqZvGzGvO
>>957
土蜘蛛の女酋長伝承なら畿内にも多いしな。
まず北部九州には伊都津彦という男王がずっと王権を
主張していて女王の影がない。
国生みに際しても女性神を持つのは四国瀬戸内海の二国しかない。
またその場所で現実的に神扱いされてるのは百襲媛だしな。

967 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:27:36.90 ID:gEScPYyu0
やっぱりね。畿内説には無理があるんだよね。別に大和朝廷でいいじゃん。なんでこじつけてまで邪馬台国にしたいんだろうね。

968 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:29:48.16 ID:2GJW4TIu0
>>951
九州の土蜘蛛は女酋長。

969 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:30:14.46 ID:6aYlq+pP0
>>801
日本が、大和と百済の連合だった、ということだろうね

970 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:31:34.94 ID:nPlNF8300
>>969
新羅や高句麗もちょっと入ってるんじゃないかな

971 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:32:26.34 ID:2GJW4TIu0
>>955
日本史板では有名な話なんだが、明治と昭和の2回、全国の部落で形質調査が行われたんだよ。

972 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:32:49.77 ID:0VFjEmZO0
>>969
もうあの国の併合は金輪際きっぱりやめたほうが良いんだよ。
流石に日本は懲りた。

973 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:33:13.85 ID:M6RVguR80
>>940
出雲からは楽浪郡の土器が出土していないはずだが?
壱岐や今回の三雲・井原遺跡からばかり
この下の記事でも紀元前の倭国が100余国に分かれていた記述
この当時にどこと交易していたかとされれば、九州北部なんだろう
それと同時に文字も入ってこなかったとする方が不自然

最古級の論語、北朝鮮から 古代墓から出土の竹簡に記述
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201005280277.html

974 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:35:44.48 ID:jAjEYhEz0
在日工作員が延々と複数回線で居座って工作してうざい事この上ないな

975 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:37:09.14 ID:GqZvGzGvO
>>962
日の本とは山背、山城地区を本拠地にする連中の事を
指していたんだろうと思う。

厩戸王子、聖徳太子周辺には大陸内陸部、ペルシャ系からのブレーンが
いた事は否めないからな。
でないと法隆寺辺りに宮を持たないし、隋に対して
日出処の天子なんて挑発はしないだろう。

976 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:37:48.34 ID:6aYlq+pP0
>>800
道教というのは国の庇護を得る課程で宗教要素を取り入れたも
仏教・儒教と並ぶもので孔子老子の時代には哲学要素が強いね
道教の前は道術、それ以前は方術だが、
「道」という哲学と方術が合わさったのが道術とも云える
ちなみに鬼道は大陸の道術の類似だが違うものへの名称

977 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:38:48.05 ID:Dmlt2lxA0
>>959
>倭国伝にヤマトが邪馬台国と書かれてある
ヤマト=伊国=阿波国=邪馬台国
オオヤマト=遷都した奈良

978 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:39:39.03 ID:nGaH8Ugv0
宗教の発生もよくわからんな

なぜか初期は生贄が好きだったみたいだが

979 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:41:22.97 ID:V4iURWi60
どっちだろうが、ヤマト王権が日本の基盤。それ以前に日本はない。
邪馬台国なんか知らない

980 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:41:57.42 ID:+kCeR6Ge0
>>977
なんだお舞い阿波説派か
( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ

981 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:43:47.71 ID:nnyhGm0A0
>>977
倭はワ wa
ヰ wi と読み間違えてもイ iにはならない
だから伊を当てることはない
何度言ったら

982 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:44:52.96 ID:GqZvGzGvO
何度も言うが、隋に対して日出処の天子と自称できるのは、
洛陽の都に対して同じ緯度にある法隆寺に宮を持つ人物だけだから。
それは当然古来からの中華の文献に接していないと
発せない文言だしな。
なので太宰府が都なんてありえません。

983 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:45:23.05 ID:Dmlt2lxA0
>>981
わしにはよく分らん
だれか代って反論しちくれ

984 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:46:10.35 ID:Dmlt2lxA0
>>982はスルーで

985 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:46:17.72 ID:jAjEYhEz0
複数回線で延々くだらねーこと垂れ流しやがってこの糞在日が

986 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:46:40.30 ID:4NAOWcZB0
日本史板の古代史スレでもそうだが、シロートの俺が読んでいてAが「これは定説」
みたいなカキコしているのにBが「それは嘘」という反論が書きこまれるのが異常に
多い。本当に古代史に興味のあるヤツには変な人間が異常に多いと思うぞ www

987 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:47:24.32 ID:GqZvGzGvO
まぁ都合悪くなればスルーしかないのも仕方ないねw

988 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:47:41.57 ID:M6RVguR80
大和朝廷成立以前の倭人の暦が彼岸から彼岸までを一年(つまり現代の一年が二年に相当)
倭人の暦を司った為政者は、二期作が可能な南方の黄河流域あたりから来てる

989 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:48:32.03 ID:+kCeR6Ge0
>>983
伊は8世紀の大和朝廷が付けたのを
気が付いてないだけでしょ

時系列が理解できてないのよ
ほっといてあげなさい(´・ω・`)

990 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:49:02.13 ID:6aYlq+pP0
>>869
>秦氏の稲荷は動物崇拝であることからも半島から渡ってきたと断定せざるを得ない
意味不明
動物崇拝なんてエジプトでもインドでも普通にあるだろ
天津神は祖霊崇拝で国津神には動物崇拝があったが、なんていうかあまりにも強引過ぎる

991 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:49:38.74 ID:M6RVguR80
>>987
とりあえずお前は、議論とか論証について勉強して物にしてからの話だな

992 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:50:39.58 ID:6aYlq+pP0
>>877
大陸国家に「倭の後継の日本です」って挨拶に行ってるじゃないか
隋書宋書

993 :孝霊厨:2016/03/12(土) 13:51:19.40 ID:GqZvGzGvO
>>991
まぁ、それはそのまま返すよ。

994 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:51:19.86 ID:gAjdcbvI0
>>988
暦の2年説より、大和朝廷が歴史ある出雲暦をパクって、無理やり整合させたのでは?
大和は新参者で、出雲や北九州の方が古かったし先進地域だった
しかし、谷戸稲作で生産性を上げた大和王権が、歴史ある国々を征服していった

995 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:52:49.13 ID:+ZihE6lj0
>>989
そんな記録はない

996 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:52:53.42 ID:ferYOqHK0
>>541
まずは韓伝から読んでみればいい

997 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:54:50.46 ID:M6RVguR80
>>990
インドでも動物そのものへの崇拝ではなく神の一つの形(化身)として。
西日本では河童や蛇や狛犬はあくまでも神の使い
東日本が半島の信仰に共通しているのは動物そのものへの信仰。
クマやトラやキツネやシカへの信仰は、半島と東日本共通。

998 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:55:17.14 ID:gAjdcbvI0
静岡の登呂遺跡が有名だが、平野の大規模稲作の方が原始的で、
谷に池を作って小規模稲作をする方が先進的なんだよ

なぜなら、池を作れば水が安定供給されるが、平野だと洪水のたびに全滅するせい
大和王権は池を作ることを組織化し、それでリッチになって抗争を繰り返したんだ

999 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:55:23.50 ID:5WwQoo1n0
日本書紀書いたころ年代測定で
インチキなのバレルと思わなかった

1000 :名無しさん@1周年:2016/03/12(土) 13:57:00.77 ID:6aYlq+pP0
>>879
>素戔嗚尊の足跡は他の記録にある倭国軍の足跡と一致するので 
足跡なら大国主では?

>倭の記録抹消に合わせて卑弥呼の墓も100歩の墓から大小複数の偽墓に分散されたと思われる。
大和朝廷は百済王家の半島復帰を支援していたが、
それが頓挫したので、百済王家とその国民達は大和に帰化した
だから日本は大和と百済の連合だが、百済の序列が微妙なのは、
元から八百万の神々の先輩達に配慮した結果

>白村江の戦いで敗北した倭国軍の残党は出雲に退却した。
畿内は?

>各地の風土記で出雲風土記だけが残され
出雲しか残ってないわけではない

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【鳥取】弥生時代に謎の大量殺戮? 大量の人骨をDNA分析、弥生人のルーツたどる 「倭国乱で何が起きたかを示す、唯一の痕跡」★3
【歴史】鳥取市の青谷上寺地遺跡から出土した大量の人骨、1世紀から2世紀の弥生時代後期に大陸から渡来か。DNAで判明
【鳥取】弥生時代のニュータウン?人骨の殺傷痕も…「魏志倭人伝」裏付けた弥生の王国の遺跡群 [樽悶★]
【古代】鳥装シャーマンの絵画土器出土 長野・東町遺跡で東日本初 西日本的な農耕祭事か 弥生時代中期後半(約2000年前) [ごまカンパチ★]
【古代】「人口増加による資源の奪い合いや人間関係の複雑化などが争いを呼ぶ」 弥生時代の人骨から探る「戦争の起源」 [樽悶★]
【考古学】青いガラス玉が弥生時代に「草原の道」を1万キロメートル! 約2千年前の交易が明らかに 邪馬台国と同時代に栄えた伊都国 [ごまカンパチ★]
【説】縄文人が日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから、古墳時代に東アジアから別の人類集団が渡ってきて → 日本人に [水星虫★]
【歴史】「中国や朝鮮半島からの先進文化などが伝わる海路の要衝だった」 兵庫・淡路で出土、弥生時代の青銅祭器「松帆銅鐸」の謎に迫る
沖縄で1万〜9000年前の人骨発見 貝塚時代で最古、「空白期」埋める(うるま市教育委員会) [少考さん★]
【佐賀】現存最古の刀剣書か 県立図書館資料から発見 南北朝時代 平安〜鎌倉の刀工収録
【国際】世界最古 ルーン文字が刻まれた石碑を発見 ノルウェー [シャチ★]
【考古学】紀元前製作の「すずり」か 福岡と佐賀の弥生中期遺跡から石片3点出土 紀元前から文字が使われた可能性
【福岡】さあ邪馬台国へ…倭人伝を裏付け、最古級すずり片が「伊都国」から出土 福岡の三雲・井原遺跡 ★7 
【古代】福岡県の出土品は国内最古級のすずりか、紀元前150年ごろ 北部九州の先進性裏付け 未完成品3点、工房か [ごまカンパチ★]
最古級の「論語」写本を発見 中国でも消失、古書店から 2020/09/26 [朝一から閉店までφ★]
【研究】人類の北米到達、定説覆す新証拠を発見 アイダホ州の遺跡 アメリカ大陸最古級の石器、日本の石器との類似点も
【福岡】弥生の硯、福岡の遺跡で初の完全形…文字使用か 
【徳島】「西日本における縄文時代の集落構造がわかる重要な発見」 縄文の「朱」生産拠点、国内最大・最古級 阿南・加茂宮ノ前遺跡
【生物】国内最古のサイの祖先「ヒラキウス」の化石が発見される - 福岡 [6/23]
【古生物】徳島)肉食恐竜の歯の化石を発見 国内最古級、勝浦町で
【徳島】国内最古級・白亜紀前期の恐竜化石の地層を勝浦町で発見 約1億3千万年前
【白亜紀前期】日本最古級の哺乳類の化石を発見‼︎ 新種の可能性/福井 [チミル★]
【古生物】最古級の肉食恐竜を発見、完全に近い姿、2億3000万年前のパンゲアに生きた捕食者 ブラジル
【研究】世界最古、骨製「手おの」発見 140万年前カバの大腿骨を加工 [富豪立て子★]
【共同】沖縄県嘉手納町の7000年前の縄文遺跡から、ブタ飼育の痕跡を発見 これまでは3000年前が最古 [みの★]
【歴史】「日韓の共同研究が進むきっかけになる」 朝鮮出身の渡来人、100年早く奈良に移住か 最古級の建物跡発見
【古生物】約2億年前の地層から、最古の首長竜の新種化石発見 「ラエティコサウルス・メルテンシ」と命名 ドイツ
【歴史】「日韓の共同研究が進むきっかけになる」 朝鮮出身の渡来人、100年早く奈良に移住か 最古級の建物跡発見★2
【古生物】最古の「子守り」か? 3億年前の新種化石を発見 子どもを尾で守るトカゲ風の生物、太古の哺乳類の祖先か
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