ここに書き込むといいよ、って教えてもらったので
ここに書き込みたいと思います
よかったら見ていってください
書き溜めは少しあります
今の自分の状況について整理したくなったので良かったら付き合ってください
私の人生がおかしくなったのは小学四年生の頃
それまで通えていた小学校に通えなくなった
理由は度々起こる頭痛のせいだ
今思えば、本当に頭痛を起こしていたのかわからない
でも、当時は何かと理由をつけて小学校を休んでいた
母親が心配して、あらゆる病院をたらい回しにされた
その結果、診断された病名は「起立性調節障害」
私はわかっていた
この診断が間違っていることに
でも、何も言わなかった
お金をたくさん使って、診断された病名を否定する気はなかった
母親は病名がつくと、小学校を簡単に休ませてくれるようになった
これが小学四年生の頃の出来事です
次からは小学五年生の話になります
小学五年生になってすぐ、私は少しずつ学校に通うようになりました
しかし、やはり私は学校というのに馴染めず、休みがちになります
この時の担任は熱血で昔ながらの考えをする人でした
「学校には来るのが当たり前」「休んだらお前の家に迎えに行く」「これまでの生徒にもそうしてきた」「学校を休むときにはお前が俺のところに電話をかけろ」などなど...
>>1はscに迷い込んでた人だな
良かった、こっちにこれたようだな そしてとうとう私は学校全体、親を心配させる事件を起こします
おめでとう君はこっちの世界に導かれたんだ
これからの人生も好転する
私はその日、学校に行くと母親に伝え、家を出ました
しかし、私は学校に行くことなく、街をぶらぶらして時間をつぶすことにしたのです
昼頃に帰って「早退した」と母に伝えればいいや、と安易な考えをしていたのです
お昼過ぎ、家に帰りました
母親は私に大きな声をかけました
母は私の肩を大きく揺さぶって言いました
母「あんた何してるの!色んな人に迷惑かけて!
奥の部屋で待っときなさい、今から先生達が来るから」と
私には考え至りませんでした
学校に来ていない生徒がいると、親方に連絡が行くことを
母が学校に電話をかけてからすぐ、担任と教頭先生が家に来ました
担任はバイク、教頭は車で
教頭は家で母と話をしていた
担任は私を外に呼び出し、話をしようと言いました
担任「心配したんだぞ」
私「ごめんなさい」この繰り返しだった
担任「今から学校行くか?」
私「行きません」
担任「わかった」
このときばかりは担任も無理は言いませんでした
先生たちが帰ると、母は言いました
母「先生たち心配してたよ
もう行方不明まがいのことをするのはやめて」
私「わかった、ごめんなさい」
この日から、誰にも学校に行くことを強制されないようになりました
しかし、父は私が学校に行ってないこと、病気と診断されたこと、何も知りませんでした
母と父は私が小学四年生になった頃から不仲になりました
なんと、ちょうど私が不登校気味になったときと時期がかぶるのです
>>21
ほんとにそうです…
これを見てる子供がいる親には仲良くするようにしてほしい
それか、子供の前では嘘でも仲良くあってほしいです 順序で言えば
親が仲悪くなる→私がしんどくなる→不登校になる→病院通い、です
私の病気は両親のせいなんだ、と今は思っています
でも、当時は学校に行っていると父に思わせなければいけませんでした
父も学校に通うのが当たり前、という考え方を持っていたからです
そのウソをつくことが、私を追い詰めていました
父はどんどん帰りは遅くなり、酒を飲みまくり、家で暴れるようになりました
暴力とかはなかったですが、私にはとてもこわかったことを覚えています
「殺されるんじゃないか」「暴力を振るわれるんじゃないか」などなど
そのことで余計に私は病みました
>>25
これは約十年前の話です
現在まで書こうと思っているので、かなり長くなりそうです… 父はろくに母に生活費を与えず、母は夜に仕事をするようになりました
怪しい仕事ではないです
しかし、父はそれをよく思いませんでした
本当にゴミみたいな父です
そのことで両親が直接喧嘩をすることはなかったですが
私は両方からお互いの愚痴を聞かされるようになります
さらに私はしんどくなりました
ある日、父が酔いつぶれて寝て、次の日の会社に遅刻してしまいます
このことで父は母を責めました
「なんで起こしてくれないんだ」「給料が減る」
全部お前が悪いんだろうが、と私は思いました
私は全面的に母の味方でした、母が好きでした
母は育児をこなし、休みの日には遊びに連れて行ってくれて
働きながらもよく面倒を見てくれました
父は育児には無関係でした
父は、休みの日には昼から酒を飲み、母に当たり、母は私達子供を必死に守ってくれました
ある日の土曜日
父はリビングで酒を飲み散らかし、父以外の家族はみんな私と弟の部屋に集まりテレビを見ていました
するとリビングから大きな音がしました
父は暴力こそ振らないものの、物によく当たる人でした
その時、私達はその当たる矛先がこちらに向くのではないかと悪い予感がしていました
予感は的中します
酒に潰れた父が私達の部屋に来ました
大きな声で、何を言ってるのかはわからなかったけど
私はとても怖かったです、実際泣いていました
母が無理やり部屋の外に出し、なにか話をしていました
しかし、父は耳を貸す訳もなく、怒鳴り続けていました
ちなみにこの頃は小学五年生の1月ごろでした
その日のことを忘れることは有りません
その後父は酔いつぶれ熟睡してました
父は酒に酔わなければ温厚な性格だったので(クズには変わりないが)
明日、起きたときには普通に戻っているだろうと願いながら私達も眠りにつきました
しかし、父が朝起きてきたときにすぐに分かりました
まだ父は酔っている、と
ドアを力いっぱい閉め大きな音がなります
ちなみに、このせいで私は今でもドアが大きな音を立てて閉まることが怖いです、心臓がバクバクします
大きな声を出すことはなかったですが、明らかに酔っていました
ふらふらしながら、機嫌悪そうに換気扇の下でタバコを吸っていました
その後、父はふたたび眠りにつきました
昼過ぎに起きてきた頃には、酔いも冷めていました
昨日の出来事を悪びるように、父は母の機嫌取りをしていました
もともと、この頃は仲が良かったわけではないので、機嫌取りを母は気持ち悪そうにしていました
それからも、同じような週末を過ごしていました
週末が怖かったです
ある日、父が酔って帰ってきました
深夜に大きな声でリビングで叫んでいます
相変わらず何を言っているのかはわかりません
しかし、このとき私はいつも以上に、殺されるのでは、と思っていました
なぜなら、母が夜の仕事でいないのです
私のことを守ってくれる人がいないのです
しばらくすると、姉が私達の部屋に逃げ込んできました
姉も怖かったのです
そして、眠れない夜が始まります
父はずっと訳のわからないことを大声で叫んでいる
ずっと私はビクビクしていました
そして父は眠りにつきます
すると私も姉もやっと寝ることができます
ちなみに弟は熟睡してました
あと、姉と同時に猫二匹も私の部屋に逃げてきました
それから数日して、私は母方の祖父母の家に引っ越すことになります
理由はもちろん父です
私が父を見るたびに怖がっていたので、母は私を祖父母の家に預けました
このことに関して父が私になにか言った記憶は全く有りません
そして、二月の初め、私はど田舎の祖父母の家に引越しました
私はそこでゆっくり過ごすことができました
父のことも考えなくていい、学校のことも考えなくていい
そんな生活が、三月末まで続きます
そして私は選択を迫られることになります
このまま祖父母の家で生活するか、元の家に帰るか
もちろん私は前者を選びました
母とは八月まで会えませんでした
なので、電話での出来事になるんですが、祖父母の家で生活すると決めたことを伝えました
私「こっちで生活する。そっちには帰らない」
母「私と離れ離れになるんだよ?大丈夫なの?しばらく会えないんだよ?」
私「会えなくても、そっちに帰って私は生活できない、帰りたくない」
母「わかった」
そんなこんなで私はど田舎の小学校に転校しました
ちなみに祖父母はこのことをよく思っていなかったみたいです
子供の頃にはわかりませんでしたが、大人になってから祖母がそのことを教えてくれました(T_T)
人生最後の大人の階段は親を見送ることらしい
親っていうのは子供にとって最大の枷だし敵になる存在だからそれがなくなる瞬間が最後の一段らしい
俺はむしろ一切敵に回らない親の方が不健全なんじゃないかとすら思うね
対して祖母とか祖父ってのは孫に寄り添ってやる印象が強いよね
親に潰されちゃいけないと思う
それが不健全とか考えるお前が不健全ってことでいいか
辛い環境だったんですね
それと1さん、名前欄に#と好きな文字列を入れてみてください
例えば#abcdefgh
と入力すると
◆/Pbzx9FKd2
という風に表示されます
これで成り済ましを防げるのでこれからも書き込むようだったら付けてください
潰されちゃいけないのは分かっているけど、一人で抗う力を持った子供なんてそうそういないよ。
>>41
親ってのはあれがダメこれがダメって子供を抑圧するもんなんだよ
逆に子供のやること全肯定の親なんてなかなかいないだろうし怖いだろ
その子の親である手前それくらいいいんじゃねと思っても叱らなきゃならない状況だってある
多分親はそれを避けられずにはいられないけど
だからといって子供は「あれもこれもダメなんだ」と受け入れてそのまま親の言う通り育っていけばいいってもんじゃないと思う
別に1人で耐えなきゃいけないわけじゃない
祖母でも友人でもおじさんでも親に抗える味方をみつけるべきだし
もしそういう存在がいなさそうなら逆に周りの大人がそういう存在になってあげるべきだっていう話 体験談ネタを元に誇張してフィクションてんこ盛りにぶちかますオナニーストーリー多すぎ
10年前の出来事を月で覚えるやつはほぼいない
もし日記を振り返ってるなら元ネタがあるので途中で破綻せず完遂させたいはず
かまってちゃん多すぎ創作板でやれよ
毒親からは早く離れた方が自分のためになるよ
早めに外の世界を知って自分を振り返るといい
そして小学六年生になりました
初日から私は早退しました
しばらく学校に行ってないと、なかなか普通の人のように登校するのは難しいものでした
クラスの人数は私含め12人ほどでした
みんな優しくて、休んだら次の日の時間割に、一言コメントを書いてくれる
そんな優しさに時々涙を流しました
学校を休むことが増えたとき、校長先生からある提案がありました
職員室に登校してみないか、ということだった
私はそれから職員室に登校するようになりました
そして体調がいい日には教室に行ってみんなと一緒に授業を受けました
職員室にいるときは、だいたい自主勉強
たまに仲のいい先生と、雑談
基本的に何しても良かったから、漢字ドリルして、算数して
たまに校長先生がクイズ出し合おうと言ってくれたので、プチクイズ大会とかしてました
特に書くことないので、このまま、変化のあった八月まで飛ばします
八月、それは夏休みがある素敵な月です
しかし、このときはそんなワクワクしてなかったです
父を除く家族がここに来る
ついにその日を迎えます
母の車が見えたとき、母の姿が見えたとき
私はダッシュで母に抱きつきました
母も私を抱きしめてくれました
六ヶ月ぶりの再開でした
姉も弟も変わってなくて、父がいなくて
父がいないだけでこんなに幸せなんだなと思いました
離婚してこっちに戻る
母はそう言いました
私は父が嫌いだったので、離婚という言葉を聞いても何も思いませんでした
そうして、八月中にバタバタと母たちの引っ越しも終わり弟、姉も転校ということになりました
このとき姉は高校生、弟は小学生でした
もちろん弟は私と同じ小学校でした
ここからは特になにもないかな
元父と話したのがいつなのかもわからないくらい時が過ぎました
これから使う家族という表現には元父は含まれませんので、理解しておいてください
そうだ、書き忘れてたけど、母たちは住むところが見つかるまで私が生活していた祖父母の家に引っ越しました
姉は高校に転校する際に面接がありました
無事合格しました
弟もすぐに学校に馴染んで、よく職員室から、校庭で遊ぶ弟の姿を見たのを覚えています
これから、1月まで飛ばします
突出すべき点がないので
ちなみに、母は八月の時点で新しい仕事を見つけて働いていました
一月になり、母は新しい住居を見つけます
ボロい、アパートの一室です
ここで問題が起こります
そのアパートは祖父母の家から遠くて私と弟は転校を余儀なくされます
姉はもともと高校が遠かったので大丈夫でした
私にとっては約一年、弟に関しては四ヶ月お世話になった学校です
私はあと少しこの学校に通わせてほしいと母に言いました
母は快く私の意思を尊重してくれました
しかし弟は、何も言うことなく転校しました
今思うと、弟は祖父母や母に気を使っていたのかもしれません
私より大人だったのです
それからまた家族と離れた生活を送りました
弟は相変わらず、新しい学校で友だちを作って楽しそうに生活していました
私は特に変わりなく、日々を過ごしていました
家族とも頻繁に会っていました
そして、私は小学校卒業です
これから中学生編に突入します
書き溜め終わりです
これからはゆっくりになりますが許してください
父の暴力で住む場所が大変だった物語
10年前が小学生なら現在30未満だろ
それで人生と言い切るあたり甘え思考かバカのどっちか
>>60
暴力はないと書いています
30超えたら人生語れるってのも面白いですね 続き書きます
中学に入学して、普通のように学生生活を送れると思っていました
しかし、私には無理でした
私の世代はなぜか、ヤンキーが多かったのです
大きな音を立てるヤンキー
私は怖くて、やはり中学に行かなくなりました
少し書きたいのですが、私は美術部に入部していました
一学期はなんとか学校に通っていたので、部活にも出ていました
ここで、私は先輩から目をつけられます
悪い意味ではないです
男の先輩が3,4人、私のことを気に入ったみたいで、部活中、美術部じゃない先輩も私のところに来ました
私一人、先輩4人とかで下校していました
これがほぼ毎日でした
ある日、私達が下校していると、先輩3人が他の道から帰っていきました
私と先輩、2人きりでした
あー、と私は思っていました、この関係が終わるなと
そして、好きだと伝えられます
私は彼氏を作る気がなかったので、振りました
そしたら、予想通り、先輩たちは絡んでこなくなりました
これも中学校に通わなくなった原因の一つだと思います
不登校になって、先生からの提案で別室登校になりました
その別室には、私のように学校に通えなくなった人が3人いました
中学卒業まで、その人達と仲良くなることはありませんでした
その別室では、中学の先生が代わる代わる来て、私達の様子を見ていきました
私達は自主勉強です
特に楽しくはなかったですが、なんとなく別室には通えていました
卒業まで飛ばしていいですか?
同じような生活しかしてないので…
私はこの中学の同級生と同じ高校に行きたくなかったので、
あえて遠い高校を選びました
その高校には、同じ中学の人が一人いたけど、とても優しい女の子でした
それは私にとって負担にはならなかったので良かったです
そして、無事中学卒業、高校入学を終えます
書き忘れていたけど、私は中学の頃に自傷行為を覚えます
パン切り包丁で、二の腕を切っていました
少し血が出るくらいでしたけど…
傷痕は少し残りました
高校は楽しかったです
最初は休み休みでしたが、友達もたくさんできて、毎日普通の高校生のように高校に通っていました
高校一年の頃から日常を書いたほうがいいですか?
それとも、私が語りたいことを書いたほうがいいですか?
>>70
では、私が聞いてほしいところだけ書きます 高校一年の頃、電車の中で私は同じ高校の3年生に一目惚れしました
帰宅部だったので、毎日同じ時間に帰るその人も帰宅部なんだ、と思いました
何も起こることなく、1月をむかえました
友達経由でなんとかしてLINEをゲットしました
そして、私は、一年の○○です、よろしくおねがいします
と、送りました
結果は既読無視でした
落ち込んで次の日
なんとその人が教室まで来て、○○ってあの人?と私の友達に聞きました
そして、返事が来ました
機能は既読無視してごめん、誰かわからなかったから
でも、今日姿見てわかったよ!いつも一緒の電車だね
私は内容なんてどうでも良くて、返事が来たことが嬉しかったです
それから毎日、LINEで中身のないことを話し続けていました
それでも、私はこの人と連絡が取れることに幸せを感じていました
ちなみにリアルで話したのはこの後書き込む時だけです
そして三月、三年生の卒業のときです
私は想いを告げられないまま、その人は卒業してしまいます
もう会うことはないだろうな、と思っていました
しかし、会うチャンスができたのです
その人は、三月末に行われる先生たちの離退任式に来るということを知りました
そこで私はLINEを送りました
離退任式の日、会って話せませんか?、と
メンヘラ作文は駄作しかない定説
今回も当てはまったか
こういうスレはまとめに吸収されて終わるよな
グッバイイッチ
結果は既読無視でした
離退任式の日、私はパン切り包丁を持って、その人を待ちました
『RUST(ラスト)』
シーズン7/ファイナル(第6話)
『RUST#26(視聴者参加)決戦。vs.dcN』
(21:20〜放送開始)
>>78
なりすましにしても出来が悪いな
ダセェぞ メンヘラ、駄作、等言われてますが
本当にそのとおりなので特に反応はしません
見ていてくれてる人のために続きを書きます
続きです
返事はいいよ!と来ました
私は告白することを決めていたので、その日から毎日ドキドキしてたのを覚えています
そして、ついにその日を迎えます
待ち合わせ場所は図書室でした
私が図書室に行くと、その人はすでに待っていました
○○ちゃんだよね?
はい、そうです、ごめんなさい、急に会いたいなんて…
ぜんぜん大丈夫だよ!どうしたの?
えっと、、
告白の言葉は考えていたのですが、全部吹き飛びました
なのでその場で、話しながら考えていました、がついに告白する時が来ます
私は告白しました
電車で一目惚れしました
すごくかっこよくて、好きになりました
私と付き合ってください
私はこれしか言うことができませんでした
相手の返事はこうです
嬉しいな、そんな事言われたの初めてだ
ありがとう
でも、お互いのことまだあまり知らないから
ごめんなさい、でもこれからもLINEしようね!、と
私は初めて失恋しました
その後はただただボーっとしてました
失恋ってこんなにしんどいんだ、振られたんだなーって
でも、これからも連絡とろうね、と言われてまだ終わってないんだ、とかすかに希望があるんだと思っていました
関係ないですが、その日の晩ごはんはすき焼きだったのを覚えています
もちろん傷心中の私は一口も食べませんでした
これで私の高校一年生は終わります
その後も連絡は取り続けていました
ある日、ジャージ貸して、とLINEが来ました
いつもはもっと優しい口調なのにどうしたんだろと思っていたら
ごめん!弟と間違えた!!笑
と追加でメッセージが届きました
私はその人の私生活が垣間見えた気がして嬉しかったです
しかし、その後、その人のLINEが消えていました
友達に相談したところ、機種変したらしいよ、と
あー、本当に終わりなんだな、と思いました
それ以降その人のことが好きなまま、一切関わることはなかったです
次から高校二年生編に突入します
>>85
その時図書館には人が私とその人だけだったので、他に告白する場所も思いつかなくて告白しちゃいました 高校二年生になると文理選択がありました
私は謎に頭がよく、先生の言われるままに理系を選択しました
授業は楽しかったです、理系を選んだ人は少なかったですがみんなで一緒に勉強したり課題教え合ったり、勉強面は充実してました
友達も多くて、逆に話さない人のほうが少ないくらいで、困ったときには誰にでも相談していました
そして、五月、母が紹介したい人がいると家族に話しました
その男の人はとても優しくて、家族はすぐにその人に懐きました
でも私は、また父親関係で悩まされるのか、とその人のことを好きになれませんでした
家に帰ったらその人がいる、そんなのが嫌で母に言いました
早くその人帰らせて、と
でも母は、私達に良くしてくれてるから、私も言いにくい、と
まあ、当たり前のように母はその人と再婚しました
私も再婚する頃には、その人がいることに特に何も思わなかったので再婚にも同意しました
新しい父の話はこれくらいでいいかな
今となってはとてもいい父です、この人で良かったと思いました
たまに夫婦喧嘩してますが、その時はやはりトラウマでとても嫌な気持ちになります
決して子供の前で喧嘩するわけではないのですが、雰囲気でわかるんですよね、今喧嘩してるなあって
そして高校の話になります
六月、文化祭があります
そこで私は友だちに誘われました、文化祭で一緒にダンスしよ!
私はダンスなんかしたことなかったけど、興味本位でOKしてしまいました
それからはほんとに充実していたと思います
放課後はダンスするメンバー10人と毎日練習
なんやかんやで、文化祭の日を迎えました
続きです
文化祭当日、私は緊張していましたが、ダンスが始まりました
思ったより見に来てくれる人が多くて、恥ずかしかったです
ステージの前には、沢山の人、歓声
なんだか嬉しくなりました
文化祭が終わってからの学校生活はなんだか変な感じでした
私は急にアイドル的な存在になっていたのです
嬉しかったけど、あの人が1のこと好きだよ!とか
そういう私を好きな人がいるという噂をどこでも聞きました
でも、私はまだ先輩のことが好きだったので、告白されても振っていました
こういうことで私は誰とも付き合いませんでした
そして高校三年生になります
私は就職する予定でしたが、自分で言うのもなんですが、優等生だったので、担任から大学に行ってほしいと言われ、ほぼ強制的に進路が大学になりました
両親は私の成績が良かったのを知っていたので、大学も反対されませんでした
私は成績こそ良かったものの、大学入試ように勉強したことなかったので、あまりの難しさに正直嫌気が差していました
そして、また文化祭でダンスをしました
これも大好評で嬉しかったです
しかし、文化祭が終わった日の放課後私は一人、教室で勉強していました
そこで、ある男の子に声をかけられます
私はこの子と付き合うことになります
先輩のことを忘れるために、と思っていましたが忘れられるわけなく、二人を好きでいる状態でした
>>95
私はアイドルとか興味なかったので、あんまりわかりませんが、乃木坂?の曲だったと思います >>98
はい、全員で色を揃えて、スカートひらひらさせてました 続きです
私は大学入試をなめてました
勉強は程々に、デートしたり友だちと遊んだり…
次の模試の結果はもちろんE判定
私はやはり両親を心配して、学費の安い国公立を志望していました
私は焦りました
そして8月、夏休みです
高校三年生の夏休みは勉強だけでした
補習を受け、家に帰って勉強
補習がない日は図書館に行って勉強
もう勉強のことしか頭にありませんでした
九月に入り、推薦入試の話が出ます
私はもちろん推薦を受けることにします
今は推薦のシステム嫌いですけど、当時は推薦で受かればラッキーと思ってました
彼氏も同じ大学の推薦を受けます、あと私の親友も同じ大学の推薦
3人で合格しよう!と、面接練習、受験科目の勉強を頑張りました
11月だったかな推薦入試が終わりました
そして同じ月に合格発表
私だけが不合格でした
>>106
はい
それについても書き込んでいきます 続きです
このときばかりは泣きました
普段泣かなかったんですが、失恋ぶりかな、泣きました
彼氏も親友も励ましてくれましたが、正直なんの励みにもなりませんでした
お前ら受かってるからそんなこと言えるんだろ、と内心思っていました
11月の模試ではD判定、滑り止めを受けろと言われていたので、そこの判定はA判定でした
流石に焦りました、私は滑り止めの市立を受ける気はなかったので、志望している国公立がだめなら浪人すると決めていました
落ち込んでいる暇もなく、時間は止まってくれません
すぐに12月が来ました
このときはほんとに自己肯定感がなくなって、自分なんか死ねばいいとか思ってました
中学生以来の自傷行為が始まります、おなじみのパン切り包丁で
そんなことをしても何も変わらないのはわかっていました
しかし自分を責めることしかできませんでした
もう模試はない、次の判定が出るのは、センター試験の自己採点でした
底辺高校だったので、ほとんどが推薦でした
一般を受けるのは、私含めて2人でした、お互い話さずひたすら勉強
寝る間も惜しんで勉強、ただひたすらに勉強って漢字でした
もう進学先や就職先が決まってる人は、免許を取りに行ってました
親友も彼氏も
それを見て、また泣きました、ほんとに悔しかったです
そして冬休み、家で勉強、集中できなくなったら図書館へ行きました
年末、家族は祖父母の家で過ごしていました
私は部屋にこもって勉強
国語の現代文を解いてる内に、年は変わってました
そして、センター試験当日をむかえます
試験会場は家から近い大学でした
会場には高校の先生がいました、が私はそれを無視して音楽聴きながら勉強していました
なんといっても、周りがうるさい
他の高校の人たちが騒いでいる、それを音楽でかき消しながら精神を保っていました
そして試験が始まります
試験中は超集中していました
周りの音なんて聞こえない、自分だけの世界でした
試験の間には、あの問題どうだった?とかいう他の高校生が喋っていて、聞きたくないから相変わらず音楽を聞いて勉強していました
センター試験は2日連続であって、2日目も同様にして過ごしました
そして、センター試験を終えます
手応え的には、普通でした
自己採点してわかるのですが、緊張からか普段は起こさないような些細なミスが結構ありました
そして、センター試験自己採点の結果は、A判定でした
A判定は正直、とても嬉しかったです
でも、一般が残っているので、それにむけて猛勉強
一般は英語と数学と理科科目から一つ(化学、物理、生物)でした
特に手を入れたのは、数学でした
過去問を解いていて、やはり一般だけあって難しいなと思いました
ちなみに理科科目は物理選択にしました、生物は習ってなかったので、化学は単に苦手でした
そういえば、彼氏とはいつの間にか別れてました、勉強ばっかりで覚えてないです
これからは勉強だけなので一般試験の日まで飛ばします
一般の日、志望校で受験です
さすがにセンター試験の日より、周りは受験モードでした
このときは何故か冷静でした、試験も普段どおりに解いていくことができました
ですが、数学は手応え的に5割くらいで、どうしよどうしよ、と焦りました
英語と物理は苦手ではなかったから、試験終了時間より20分くらい早く終わってずっと見返してました
数学は時間一杯やって、終了時間を試験官が伝えます
私は帰って、数学だけ解き直しました
大問4つあって、大問1問25点だと予想していました
わからないところは、始めから捨てていました
でも自分が解いたところは、家で何度解き直しても、正解でした
そして、合格発表をドキドキして待ちました
と言いたいところですが、前期試験で落ちたら、後期受けなきゃいけないので、また勉強の日々でした
>>116
スケベ話はしません
ただ、高3の夏休みに初めてを喪失しました >>117
元父は離婚して一年位で再婚してました
子供もいるようです、見たことないですが 続きです
三月になり高校卒業です
卒業式を終えて最後のホームルームです
みんな一言ずつ言おう、と担任の先生が言いました
そして、みんな涙を流しながら、思い出を語っていきました
ついに私の番、私は言いました
今までありがとうございました。
誰よりも短く、簡単に
みんな私が受験中であることを知っていたので、大きな拍手をくれました
そして、ホームルームを終え、みんなが卒アルに書いたり、写真撮ったりしてる中、私は一番に教室を出て、高校の図書室で勉強してました
こんな日にも勉強か…となんだか、騒いでる同級生達が鬱陶しく思えました
卒業式の後、クラス会をするらしかったですが、もちろん行きませんでした
一番早い電車で帰り、その日は寝ました
次の日からも後期にむけて勉強勉強
寝て、起きて、勉強、その毎日にも慣れていました
なんだかんだで前期の合格発表の日をむかえました
結果は
合格
>>123
全く会わないし、なんとも思いませんでした 応援してくれた人に合格を伝えました
一番は母です
母は合格発表の日を知っていましたが、普通に仕事があったので家には私一人だけでした
母に電話すると、頑張ったねえ、もうゆっくりしていいんだよ、と
私はなにか吹っ切れて、電話しながら大泣きしました
母も電話越しで泣いてるのがわかりました
その後も応援してくれた人に連絡しましたが、涙は止まっていました
その日は久しぶりに笑った気がします
それだけ追い込まれていたのです
もちろん父にも連絡しました
みんな喜んでくれて、私は合格した喜びより、みんなが喜んでくれたほうが嬉しかったです
元父の祖父母とは連絡をとっていたので、合格を伝えると誰よりも喜んでくれた気がします
みんなが祝ってくれたこの日を私は忘れません
合格祝いと言って、友達が焼肉おごってくれたり、ケーキかってくれたりしました
友達ともやっと遊べるようになって、もうたくさん遊びました
でも、遊んでいるときに、あれもう勉強しなくていいのかな、とか不安になったりしました
勉強しないといけない身体になってました、入学まで勉強しなかったけど
スーツを着て、伸びた髪も整えて、入学式に行きました
人が一杯でびっくりしました
私は特に誰とも話すことなく、入学式を終えました
母がたくさん写真撮ってました
そして、念願の大学生活が始まります
これから大学生編が始まります(今も大学生ですが、現在まで書きたいと思います)
>>127
今年で21になります
大学3年生の歳です 大学が始まって、最初は人間関係とかどうなるかなとか思っていましたが、あっさり友達もたくさんできて
そして、講義も友達と出て、空きコマには遊んで、毎日が充実していました
大学生となるとバイトをみんな始めるんですが、私はコンビニでバイトするようになりました
これは友達の紹介でした
本当に大学生やってるなあと感じていました
でも私はある日身体にだるさを感じました
その日は大学に行きませんでした、寝たら治る、それくらいに考えていました
でも数日経ってもだるさが消えることはありませんでした
そうはいっても、講義に出ないと単位がもらえない…
無理矢理大学に足を運びました
そして、講義中、涙が出てきました
私は泣いてることが周りにばれないように保健室に行きました
これが7月くらいでした
保健室に行って、私はここに書き込んだように、全てを話しました
元父のこと、小学校のこと、中学校のこと、高校では元気だったけど受験勉強で笑顔も忘れて勉強したこと
保健室の先生は言いました
今まで頑張ってきたんだねえ、今生きててくれて、私に出会ってくれて、私は嬉しいよ、と
私はまた大号泣してしまいます
そして、先生は更に続けました
心が傷ついてるんだよ、ゆっくりする期間を作ってあげなさい
精神科に行ってみるのも一つの手だよ、と
そして、友達にも両親にも誰にも言わず、私は精神科に行きました
ちなみにこの頃私は自傷行為をしていました
いわゆる、リスカっていうやつです
もうパン切り包丁ではありませんでした
カミソリです、切れ味はパン切り包丁の何倍もよかったです
精神科は初診の時、二時間くらい話をしました
そして、もうわかりきったことでしたが
病名は「うつ病」でした
もともと上で言われたようにメンヘラっぽかったので、この診断も別に否定しませんでした
その日は精神安定剤をもらって帰りました
それから大学復帰しようと思ったのですが、やっぱり無理でした…
ある日、とても深くリスカして大学に行きました
手当てはしたんですけど、深すぎて授業中に大量出血してしまって、これも誰にもばれないように私の味方の保健室に行きました
保健室で応急処置をしてもらったんですが、血が止まらくて、先生と相談して病院で縫ってもらうことにしました
もちろん、家族は何も知りませんでした
家では一人で何もできずにぼーっとして、気がついたらリスカしていて、もうどうにもなりませんでした
この頃にはもうバイトも辞めていました
病院に通うお金も限界が近かったです
二回目の受診
とうとう抗うつ剤をもらいます
これが、高かった…余裕で1万円超えてくる…
そして、両親にも話すことにしました
両親は次から一緒に行くからね、と
この時はもう全部どうでもいいやって思ってたので、両親がついてくることに対しても何も思いませんでした
保健室の先生と話して、せっかく頑張って講義受けたんだからもったいないということで、保健室で休みながら、単位は取れました
なんだか
ただただ自己憐憫に浸る救いようのないメンヘラって感じがしてきたぞ
自傷行為は止まりませんでした
みかねた主治医は入院しろといいました
親もその意見に同意しました、私は自分の意志がなかったので、なにも言いませんでした
その頃には、夜も眠れなくなっていたため、睡眠薬もりもりでした
そうして、夏休みは病院で過ごしました
退院して、学校が始まる頃です
色んな人と話した結果、休学することになりました
本当にどうしようもなくなっていたのです
毎日死にたい死にたい
自傷、処方薬OD、市販薬もOD
自殺未遂
私の人生は壊れました
ちょっとしんどくなったので
スレ残ってたらまた明日書き込みに来ます
では
女ってどんな容姿でもどんな性格でも必ず彼氏がいるよね
あなた達のような人が周りにいなくてよかった☺
私は聞いてほしいと言っただけ
何も知らないのにそんな事言う人たちは、もう来なくていいですよ☺
私は見ていてくれる人に聞いてほしいです
いやまあ同情して欲しいのはわかるけどこんな匿名掲示板で身の上話をするってことは
こういう反応されても文句言えなだろ…
掲示板っていうのはそういうところだし
可哀想だから誘導したのに
他にも候補地だったなんJに送り届けるか
きついと思いますが、雑音はできるだけ無視してください。
少数の、ほんの一部の雑音が声を荒げているだけで、その他の大多数は大人しく静かに聞いています。
明日も待っています。
>>147
こんなにやさいい人がいてくれて涙が出そうです 皆さんすみませんでした
すこし感情的になってしまいました
これからは雑音は無視して書きたいと思います
それでは、また明日おやすみなさい
質問があれば受け付けます
明日答えます
>>144
半年Romるか、まとめ見てこいよ
びっぷらなんてこんなもんだぜ しかし女ってどんな容姿でもどんな性格でも必ず彼氏がいるよね
同情や擁護しようがからかおうがどちらも根の部分は変った反応を楽しむおもちゃいじりに本質はそう大差ないよ
匿名板はどこも似たようなもん
本人も覚悟の上でやってんだろうから周りがお互いをとやかく言うのは野暮だろ
それぞれがそれぞれのやり方で関わればいいよ
だからこそもし俺がメンヘラの身内ならネット暴露は厳しく禁止すっけどな
病み子をネットに逃げさせてしまった理由も猛省してな
>>131
リア充満喫してそうだけど鬱になるまでの経緯がわかんね。これと言ったキッカケがあったのか? 女は「女」ってだけでブランドになるしアホみたいにオス共から需要が出るからね
チラシの裏にでも書いてろゴミが
そもそも読ませる文章じゃねえんだよお前は
甘えんなカス
まあ、そうは言ってもスレタイが聞いて下さいだからな
煽ってるヤツはある意味主に釣られてるように見えるわ
>>153
私は知らず知らずのうちに、爆弾を抱え込んでいたんだと思います
子供の頃の元父のこと、書いてなかったけど高校時代に同級生の男に私が勉強してる姿見てイライラしたのか暴力を受けていたこと、推薦入試の失敗
これが大学生になって、爆発したんだと思います
私は嫌なことがあると、自分の中で消化できない性格なので… 目覚めてしまったので続きです
もうそろそろ書き終えます
読んでくださっている方、ありがとうございます
結局私は、一年生の後期、二年生の一年、合計一年半休学しました
その間も入退院を繰り返していました
そして、この春から復学しました
病状は変わらずですが、今はなんとか大学に顔を出しています
大学一年生の頃に比べると、少しはマシになった気がします
講義も受けて、テストも受けて、頑張ってもとの元気な自分に戻ろうとしています
以上です
質問があれば受け付けます、なんなりとお聞きください
>>130
推薦に落ちなければこんなことにはならなかったとも思いますが、一般で入れたのは私の自慢です 抱え込んでた爆弾が爆発して症状として表に出て、今は落ち着いてきたからその整理のために振り返ってるって感じか?
どうしてネットに書き込もうと思ったん?
人に聞いてもらうだけで発散できることもあるからね。
それで溜め込んでた鬱憤を爆発させずに晴らせるならいくらでも書き込めばいいんじゃない?
聞いてもらって、自分で書き込んで、それを見て自分の状況整理にはなりました
解決にはなりませんが、過去を振り返ることができてよかったです
トラウマやPTSDはどうにもなりません
なにか私のこれからを変えることができることができるものが見つかればいいですが
>>162
なんでですかね…
でも、やっぱり誰かに聞いてほしいっていうのはありました
話せるところがここしか思いつかなかったので(T_T) >>167
好きな人はいないです…
男の人は恐いです、大きな声を聞くだけで心臓がバクバクします 頑張れよ!人生まだまだこれからだ!社会人になったらやりたい事やりなさい
>>169
ありがとうございます!
とりあえずは大学卒業を目標にします☺ >>168
日常生活の中で人生の楽しみ的なものないの?美味しいもの食べたり? 生きがい的な楽しみと目標を持つといいよ。
好きな人でも物でも
それで卒業後は何したいか考えてる?
また事切れるぞ
>>172
生きがいがないんですよね…見つけないと
食欲あまりなくて、食に興味を向かせるのも難しいです
好きな人、できるといいですね…穏やかな人で
卒業後は何も考えてません(T_T)
これも早めに見つけないとですね、 もう少し休学して実家に帰って母と一緒に過ごすという選択肢は?
まだあまり頑張らない方がいいんじゃないかと
>>174
スマホからです
その選択肢もありました…
でも私自身がこれ以上休学して、周りに遅れをとる、劣等感が嫌でした
まだあんまり頑張らない方がいい、その言葉は私の心に響きます
大学のあらゆる制度を受けて、配慮してもらいながらなんとか通ってます😌 >>176
元彼は穏やかな人でしたので、恐くなかったですよ
怒ることもなかったです >>1
いろいろあったんだね、辛かったろう
君にぴったりがあるよ、俺の肉便器にならないか
最高の山芋を用意するからさ >>173
鬱の人にがんばれとは言えないけど
時々あるつらいことも長いスパンで楽しめよ
こんな状況で受験乗り超えられたら大概の事は大丈夫だと思うけど >>166
溜め込む体質なのも相まって自分の衝動に鈍感なところがあるんかね
なんでも理由がないとだめってわけでもないけど >>182
辛いことは楽しめません(・・;)
受験はこれまでの人生で一番頑張りました! >>183
溜め込んで溜め込んで、気づけなくて、気づいた時には手遅れって感じです…
今もそんな感じなんですけど、いつまた爆発しちゃうか恐いです >>184
良くも悪くもないですね、
これからまたどうなるかわかりません(・・;) >>187
あんま先のことは考えずに
1日1日無理せず着実に生きていこうずw >>187
つまずいたっていいじゃないか
だって人間だもの
みつを >>188
はい、そうします😌
ありがとうございます! 特に質問もないみたいなので、終わります
見てくださった方、ありがとうございます☺
これからもゆっくりゆっくり頑張っていきたいと思います
では、皆さんに幸あれ!!
おつかれ
また何かぶちまけたくなったら書きに来てくれ
いい人に出会えるといいね
友達でも彼氏でも
気兼ねなくお互いに話ができると楽だからね
両親の仲が悪かったのが根本的な原因てことなのか?
おれもかなり夫婦仲はよくないから子供に悪影響あるってことか
でも仲良くなんかできねえぞ今さら