例えばの話、ネコ科の動物は感知能力も解析能力も極端に低いそうな。目の前に獲物がいても敵がいても静止してればその位置がわからない。嗅覚で感知してはいても、漠然とこのへんにいるとしかわからないわけさ
ネコ科の動物は獲物も敵も動かないと感知できない
それにたいして、鳥はたいてい感知能力も解析能力も優れている。見ただけで敵も獲物もくっきり認識できるわけだね
これは逃げる動物な感知が優れているが解析は苦手、襲う動物は解析が優れているが感知が苦手って法則に繋がる
さっきネコ科は視認では感知も解析とは言ったけどさ、いざ動いた獲物には正確な距離感とか適切な対応が取れる反射神経と反応速度を兼ね備えていたりする
でも同じスペックの人間同士なら。習慣によって鍛えられる部分と衰える部分が明確に差が出てくるのに、万人が自分と同じスペックと思い込んでしまう
これが人間関係のトラブルに繋がる
例えば精神病かつ被害妄想をかかえる俺は周りの気配に病的に敏感なわけよ
常に誰かが自分に危害を加えてくることを前提に警戒していて生きてる。頭ではそんなわけないと思ってても俺の本能がそういう仕様になってしまったからどうしょうもない
そうすると
周りの視線 物音 話し声 臭い 匂い はたまた風の流れにすら異常に敏感になり反応する。普通の人が気にしないようなことも気にしてしまう
でも俺のコンセプトはそれらから無条件で逃げる、だからそれの詳細には興味ないわけさ。自分の感知範囲内に誰か入ったらその場を逃げるかストレスを抱えて耐えるしかない。そして、逃げるときと耐えるときも解析能力はガタ落ちしている。
お前らだってガラスを引っ掻いた音とか解析しないだろ?そんなん
つまり俺はいろいろ過剰に敏感だけど、感知したものの詳細がよくわからないという特性をもつ
年を取るにつれ、ビビリ感知は鍛錬されて解析能力は衰えていくからその差は如実になっていく
それにたいして、良くも悪くも人に興味を持って生きてる人間は俺と真逆の存在になってくわけさ
興味のある対象以外は見えなくなるし聞こえなくなるカクテルパーティー効果を頻繁に起こす。そして解析能力をあげて興味のある存在だけの情報を拾ってくわけだね。その際は敵が近づいてもまったく認識できなくなる
そうすると、ビビリタイプと粘着タイプに認識のズレが相当でてくるわけだ
粘膜タイプ(あいつはこの話を聞き耳立てて聞いてるに違いない。さり気なく情報流してやろう)→ビビリタイプ(範囲外ギリギリのいろんな物音聞かなきゃ)
とか
ビビリタイプ(暗闇から人が見てる。真面目に仕事してるふりしなきゃ。あの人にも教えてあげよう)暗闇に視線チラチラ→粘膜タイプ(あいつどこ見てんだ?やっぱりおかしいわ)
ってお互いの親切心すら空回り
一事が万事でさ、マウントの取り合いとかにも全部逃げるタイプと追うタイプはズレが生じる
例えば一流のスポーツ選手
ある選手は集中すると周りが暗くなり、自分と対象物以外のほとんどの情報がシャットダウンされて景色がスローモーションに見えたり
ある選手は集中すると敵の思考や自分の見えない位置にいる者の思考まで頭にイメージしたりするそうな
例えばビビリタイプの俺とかは自然音に溢れたところで過ごすのが異常に落ち着くわけだ。なぜなら誰かが近づいたら虫の音がやんだり、水の音が違って聞こえたりして自然環境が天然のセンサーになるから
逆に粘膜タイプはカクテルパーティー効果の妨げになる予測のつかないものを嫌ってストレスになったりする