俺は死によって肉体の呪縛から解放され本来の姿(狐耳ロリ)を取り戻すと思う
今やることに影響ないからあってもなくてもどうでもいいです
死後の世界というよりは死ぬ間際の意識がずっとあるんじゃね?
うちの嫁一回心停止までいったけど意識だけはあったって言ってたし
仮にあったとしても
俺たち人間は脳みそで視覚があり聴覚があり味覚や触覚があるわけで
死ぬ=体が無くなるから
仮にあったとしても何もわからないんじゃないのかなぁ
無いと思う
人間が物事を考えるには肉体とエネルギーが必要
あってほしいと願う人は信じればいい
子供に先立たれた親なんかは死後の世界の存在を願うだろ
以前はあった
ところが、世紀末以後は「この世の終わり」が近くなって「定義」というものが当てにならない
神のご加護を!
死後というか来世はあって欲しい
来世は今ほど金や知能なくてもいいから
極端な話人間以外の生物になってもいいから
異性と繁殖したい
あるわけないだろ
でも、その可能性は否定できないなぁ
人体がそもそも動いてるのが単なる機能だけではなく、宿命というプログラムを所有する
生命活動エネルギーがもたらされたもの
そのエネルギーは霊体と呼ばれる我々の真の本体とは違い、我々を誕生させるために
仕事をしている高位の霊との話し合いで追加投入されるエネルギーである
生命活動エネルギーはタイムリミットがあり、規定年数になると人体との接続が解除される
これを宿命という
文字通り宿った命の時間である
生命活動エネルギーが時間によって生命維持不可能になると肉体から消滅する
この時肉体に間借りしていた我々霊体は出ていかざるを得ない
これが死である
どんな人間も宿命には逆らう事ができない
また宿命があるのは、個別の人生プログラムに於いて霊的成長が促進されると
それ以上の生命存続が限界となるからである
この世界が高度なプログラムによって作られたシミュレーションなら死後の世界がある可能性はある
死後生には病気、怪我、事故、貧富、衣食住の不足、暴力、美醜による差別はない
逆にこの肉体というリミッターがある世界はそれらに対応していかねばならない
来世が怖いという方が頭がおかしい
死後は恐れるものではなく、元の安住する世界である
この世こそ苦行に満ちた、人によっては地獄となる世界と言える
言葉が変だったな
私の方が頭がおかしかった
来世はどうなるか
来世を作るのは自分次第
ただ平穏な来世を生きる意味はない
悩み、迷い、諦め、争うことを余儀なくされる、それを選択せざるを得ない事を
考えることとなるだろう
霊的成長しなければならない為の我々に課された呪いともいえる
来世より今世の実在を証明せよ
おまえは自分がロボットや哲学的ゾンビではないとどうして言える
死後の世界があってほしい、ないはずがないってたまに思うから人間苦しい時自然とそう言う心理になってしまうんだなって思うのでないと思う
人間は機械的に食べねば死ぬ
寒さの中、着ねば死ぬ
住まねば雨に打たれて死ぬ
そんなものだ
不自由極まりない
どうにかこうにかして用を足している
それが快適と言えようか?
意識というものがシナプスの構成によるものなら死後の世界はない