自分が入れない話題は冷笑してプライド保とうとする層
VIPの中だけだろ バカは話についてけないから茶化して馬鹿にするしかないのよ
>>4
そういうスレならバカにはされないと思うよ
ネタスレみたいなところで話し出すからバカにされるだけであって 冷笑主義と相対主義はポスト構造主義の時代である現代の代表する風潮であり、ある意味で人類が成長した証であり、ある種の病理
>>9
ネタスレで哲学的なのって例えばどんな?w
俺には馬鹿にする理由探しにしか見えん タレス・デモクリトス・ヘラクレイトス・パルメニデス・アルキメデス・ピュタゴラス・ソクラテス・プラトン・アリストテレス・デカルト・へーゲル・ヴィトゲンシュタイン他
哲学者というのは天才揃いだぞ学べば分かる
ここは言いたい事を書く場所だから
書く人みんなが読む人みんなにとって哲学的なんだよ
知性による教導なんてもう絶望的な時代だよ
結局のところ大衆にとって中身のある知性などはどうでもよく、飯の種になる卒業した証の為に教科書クイズをいかに上手く出来るかを争っているか、愚にもつかない“情報”をポケットに詰め込んで「俺は時代の最先端を行く識者だぞ」って顔をしている
まさに百姓が学問をした結果のアホ臭い時代
>>15
これだな
哲学を学んでる者と哲学者を学んでる者の違い >>16
デカルトやベーコンに代表される演繹法と帰納法の戦いを終わらせた挙げ句、人間の先験的な哲学の範囲を科学的に規定した偉大な哲学者じゃん
カントより前と後では哲学とは何かということがそもそも変わってる 冷笑主義と相対主義が流行ったのなんて20世紀末までで
今世紀になってからは相対主義を当然のように折込んだ上でどう決断するかみたいな風潮
>>15
先人の思想を学ばないと知らずに同じ思考を繰り返すだけになるかもしれんけどね
名前覚えるだけじゃ意味ないけど >>20
ソクラテス以前以後に比べたら二番煎じもいいとこ
はい論破
だいたいギリシャ哲学知らずに限って近現代哲学を美化したがるから困る
はい論駁 >>1 が香ばしい自称哲学者(笑)を集める為に建てた巧妙なスレ >>23
ソクラテスを持ち上げる割には話し方はソクラテスから何も学んでいないんだな
お前はただの権威主義者だよ エーリッヒフロムとかは大学時代レポート書いたけど今はもう名前しか覚えてないわw
中二病は思考停止を正当化する言葉だから真に受けたらダメ
>>25
ソクラテスが権威?笑
プラトン全集を読んで出直して来い(嘲笑)
>>26
西周(にし あまね)という日本の学者がPhilosophyを希哲学と訳した後に略された物
愛知学と訳した学者もいる
まあどうでもいい話 ぶっちゃけ哲学なんか学んでも得るもんねーでな
ねーちゃん口説くときに弱冠役立つかくらいだ
>>30
ソクラテスがじゃない
“お前が”ただの権威主義者
ソクラテスの威を借る狐
今、ソクラテスだけでなくプラトンも加わったな >>33
いやいやソクラテスは著作が残っておらず、弟子のプラトンがソクラテスと誰かとの対話を書いたなんて哲学の最初に習う事じゃん。 >>34
「一般認識としてのあるいは共同認識としての、端的に言えば偉大なギリシャ哲学者としての」ソクラテスの威を借る狐
近現代の哲学者をソクラテスの二番煎じだと言い放つ分相応な傲慢さ
それは自らの力量ではなく、ソクラテスの名前を出したことによって相手がひれ伏すことを狙った卑小な言論法
これを権威主義と言わずして何と言う? >>35
いやそうじゃなくて
君が「(カントは)デカルトやベーコンに代表される演繹法と帰納法の戦いを終わらせた挙げ句、人間の先験的な哲学の範囲を科学的に規定した偉大な哲学者じゃん。カントより前と後では哲学とは何かということがそもそも変わってる。」って言ったから
そんなの最初に実践して終わらせたタレスの偉大さに比べれば屁だし
ソクラテスより前と後では哲学とは何かということがそもそも変わってる。なら分かるが
カント以前以後なんて聞いた事ねえよって話 >>36
じゃあギリシャ哲学ばかり専らにやっているせいか哲学史が俯瞰出来ていないってことだな
「哲学者を志すなら純粋理性批判くらい読んでから言え」はわりとよく使われるフレーズ
ま、難し過ぎてなかなか読破出来てるやつはいないんだがな そういう話は2chより、ツイッターとかで同好会作って情熱をぶつけ合うのが良いのだと思う
それか専門板 こういう大衆的なところにおいては否定される傾向が高いのは分かるだろ
ま、ぶっちゃけカントが科学的に証明したと言った2000年前に釈尊が同じようなことを言っているんだがな
>>37
もう二十年前に読んだ
難解で有名なのはヘーゲルの小論理学の方な
>>38
ウザ絡みしてこられて大人気なかったスマソ >>40
読んでそれなら文字を追っただけで理解はしてないってことがわかった 多分、過去の偉人を引き合いにだして自分の考えは一切出さないという
それでいて哲学最強みたいな浅い哲オタが多いからその反動があったんじゃないか
って自分は思う ネットにおいてはな
マルクスガブリエルっていうドイツのヴォン大学の教授のいうような話とか
面白いじゃん 影響は受けて過去に同じようなものがあったとしても
自ら編み出したものなのだとしたら多分惹きつけられるものはあると思う
>>46
カードゲームみたいなもんだよね
デカルトはスピノザで返せるとか
プラトンはニーチェでひっくり返せるとか
自前で本かいてないソクラテスはチート
釈迦やキリストや孔子も言行録だけだからチート
このスレでもやってるけど本人たちはそれが楽しいんだろうな 元より哲学なんてのは古代インドからして厭世家の世捨て人達がしてたようなもんだから、一般人が聞いてもろくに相手にされないのが常
>>48
最初はみんな真似事から入るさ何の世界でも >>51
ああやたら主義を多用する>>21みたいなレスしか出来ない君から見たらそうなんだろうね 著名な哲学者の考えをより深く知ってて、それで自分は哲学に明るいと宣う人はそもそも哲学に詳しいというか哲学者のミーハーなだけ
哲学は哲学を馬鹿にすることだ
っつーのはパスカルの言説だっけ
哲学とはある種の人々が大衆を馬鹿にするために装う古い流行である定期
>>58
いやどう見てもそれを受けての話だろう
だいじょうぶか レスあまり読んでないけど
哲学でマウンティングする奴がいるから
厨二病とマウンティングし返す奴もいて表と裏の関係なんじゃないの
この程度の相対化は踏まえろよ
論破とか言ってるの1?
だったら互いにマウンティングしてるだけだろ
反省くらいしろよ
弁証法による自身の改善と言い換えてもいいけど(笑)
論理的に返せずたかが2つの連投をあげつらって
罵倒で返す時点で頭が悪い
要するにお前自分は哲学的存在じゃないんだよ
かなりの馬鹿
>>12
それは哲学的な側面じゃなくて
他の分野で実績を残した奴の云うことでないと
聴くにも値しないだけだろ >>66
相も変わらず頭を使わずに済む罵倒でマウンティング
論理で返してみたら?
その能力ないだろうけど(笑) >>68
国語力がヒクスギ
公文式からやり直したらどうだ? 哲学者の名前並べるだけってのもまた安易なマウンティングだし
作家や本の名前だけ詳しくて内容は読んでない、みたいなハリボテの知性
一人の全集読破したことあるの?
>>70
どこがどうなぜ国語力がないのか具体的に指摘しないと論にはならんのよ こいつはかなりの馬鹿だぞw
こう言うとそこらのVIPPERでもがんばって論で返すのに
その能力がないからあくまで頭使わずに済む罵倒や煽りに逃げる
日本人に哲学なんかできねえだろ
だからせいぜい西洋哲学者のエピゴーネンになるのがせいぜい
大学教授もほぼみんな「哲学者研究者」
日本における哲学は夢がなく悲しいもんだ
すぐ上で読解力の致命的ななさを露呈しながらの国語力発言
ほんと芸達者だな
哲学者の名前丸暗記で優位に立てるようなら世の中楽でいいね
暗記じゃなくウィキペディア丸写しの可能性すらあるがw
論で返してみろよホレホレ(冷笑)
>>77
だから具体的にどこがどうなぜ読解力がないのか指摘しろっての
議論できない馬鹿じゃんこいつ >>79
(お前に言ってないんだが…ちゃんとID見ろよ) >>76
わかったようなこと言うなよ
日本の哲学者もむちゃくちゃ頭いいぞ
吉本隆明とか俺なんかが努力しても及びも付かないよ >>80
IDはあまり見てないけどそんなんあげつらうのは揚げ足取りだろ
論で返せホレホレ >>83
いやあれはあんたのレスバ相手へのレスだと思うぞw >>83
見ろよ
俺はお前が戦ってるやつと別人だし
その戦ってるやつをディスってるというのに ここでここにいる人に聞きたい(´・ω・`)
ヨブ記のヨブは最初 疑いと嘆きを神に投げかけた それはなぜか?(´・ω・`)
そして途中で神への疑いと嘆きの投げかけをやめた それはなぜか?(´・ω・`)
ヨブはこの心理変化の中で 一体なにを見たのか?(´・ω・`)
>>81
それはただお前が馬鹿なだけ
吉本隆明が頭良いのと日本人に哲学ができないのは何も関係ない
哲学ってのはその本質からして西洋哲学であって、その思考法の文化相対性からして日本人にはできないって言ってるの
まあ西田や和辻を「哲学者」と考えている人なんだろうけど >>86
疑いを神に投げたのは人の限界で
やめたのは限界を乗り越えた信仰の回復なんじゃね
きっと神を見たんだよ自分の中に
とかてきとう 頭が良ければ哲学ができるなんてそもそも哲学を知らないんだろうなぁ
日本人に哲学ができないなら
できないことをこのスレにいる日本人は分かるのだろうか?
>>87
お前の方がまだ会話になりそうだな
>哲学ってのはその本質からして西洋哲学であって、その思考法の文化相対性からして日本人にはできない
これの根拠言ってみ >>92
理解度とか信仰を維持する精神力とかそういうのの限界 分からないだろうよ
ホワイトヘッドが言うように西洋哲学全般が「プラトンの注釈」であるなら、日本人が真の意味でイデア論を理解できるのかって話
頭良いとか関係なしに難しいもんがあるだろうよ
なぜならあれは極めて西洋的な文化相対性に支えられた思考法だから
>>87
西洋哲学に対して 東洋哲学ってもんがあるんやないか?(´・ω・`)
無知の知 に対する 無用の用
ギリシャ神話のプシュケ に対する 荘子 の胡蝶の夢 学問をちゃんと味わう経験をしてみたいね
日々の生活に手一杯でロクに読書も出来てないが
>哲学ってのはその本質からして西洋哲学であって、その思考法の文化相対性からして日本人にはできない
こんなんあいまいで論になってないよ
どこがどうなぜそうなのか詳しく説明してみ
>>94
アプリオリな認識 を人は入れ子状態のように振り返って再認識し直すことは可能なんかな?(´・ω・`) 聖書の プシュケ の翻訳論 なんかもギリシャ語との関係みないと完全な翻訳はできないわけやろ?(´・ω・`)
>>93
哲学が西洋哲学であることは常識なのでクリアだよな?
でも日本人でも頭の良い哲学者がいるじゃないか、日本人だって哲学はできる!
という主張が前提であるなら、まず日本の「哲学者」が哲学として体系化した哲学書を数冊挙げてくれ
そもそもそれがないという話だからそれで証明できる 日本は狭い島国で文化相対性はかつてなかったけど
現在はどの国の哲学書にもアクセスできるし
脳の構造の話をしてるのか?
>>101
それは諸子百家の体系を網羅すればええだけやないか?(´・ω・`) >>99
先験的に既に認識してるものを捉えなおす意義は何だろう
認識の解体と再構築による分析詳細化だろうか
それには先験的な認識が認識として不十分であったという前提が必要になるけど
カントの文脈からだと先験的な認識は自明のものだからそこで矛盾が起きそうに思う
自己の中の神の再発見という文脈にのった面白い考えだとは思うけど >>100
100とったど〜〜〜〜(´・ω・`)n >>97
推薦図書
〜基礎〜
『14歳からの哲学 考えるための教科書』(池田晶子/トランスビュー)
〜応用〜
『プラトン全集 第1巻 エウテュプロン→ソクラテスの弁明→クリトン→パイドン』(プラトン/岩波書店)
〜発展〜
『プラトン全集 第11巻 クレイトポン→国家』(プラトン/岩波書店)
〜展開〜
『ソクラテス以前哲学者断片集』(岩波書店) >>101
お前は的外れなことを言っている
日本人が西洋哲学ができるかどうかと
哲学を体系化した書物を書けるかどうかは別問題だろ
ズレてるんだよ
大雑把な体系化なら高校倫理の教科書でおkだろ
詳しく学ぶならやっぱり哲学書を読む必要があるけど
倫理の教科書も体系化はしてある >>104
忘れていたものを思い出すような ユング的な超越的ひらめきについてどうおもう?(´・ω・`) >>103
うーん、それは東洋思想なのよ(*^_^*)
東洋哲学なんてないのよねぇ(๑・̑◡・̑๑) >>104
先駆的な認識なんか自明ではないよ
科学的な研究成果にしろ思想にしろ何にせよ最新の研究成果により
正反対に転ずることは多いじゃない
最新の認識にアップデートしてくことだよ
その技法の一つが分析や認識の解体 >>107
あれ、体系化の意味分かってる?
例えばカントの三批判書は体系化された哲学だけど高校倫理の教科書が哲学の体系化???
西洋哲学全体を体系化って無理ぞ
網羅と体系化は違うぜ 体系化は哲学史を勉強して俯瞰したらできるもんだけど
自前で西洋哲学的な思考できることと全然別の話じゃん
>>111
検索したら
「体系化」は「別々の情報をある原理に従って論理的にまとめること」という意味です。
簡単に言い換えると、「ひとつにまとめてわかりやすくすること」となります。
俺がなんか間違ってるならどこがどうなぜそうなのか具体的に指摘せよ >>109
東洋の中庸に対して 西洋の メソテース (´・ω・`)
こういったものは思想であり 哲学ではないんかな?(´・ω・`) >>108
ユングは中学の頃よくわからないまま文字追っかけただけで
覚えてないんだよなあすまん
>>110
先駆的じゃないよ先験的認識
「経験に先立って認識される自明の認識」の事で
研究成果や思考による思想といった経験的認識に先立って認識されるものを
カントがそう呼んだ 倫理の教科書も「「別々の情報をある原理に従って論理的にまとめ」られてますが
>>113
横レスだが
高校倫理で学ぶのはあくまで「哲学史の体系」であって
彼が言いたいのはおそらく
「哲学者自身が自己の思想を体系化した書物」
ってことなんじゃねえかな >>113
まず言い換えが全然違う意味になってるのはまあ論外なので置いといて
高校倫理の教科書は何の原理に従ってるの?
ただの西洋哲学の事実の網羅だろ 普段関わらない層と議論すると言葉の意味からいちいち確認しないといけないから疲れる
じゃあ朝飯
>日本の「哲学者」が哲学として体系化
哲学として体系化って>>117が言ってる意味? >>121
あ、レスきた
それ以外ないよ
まずレス見返していつ「哲学史」の話をしているんだい
哲学の話しかしてないから「哲学の体系」以外ないじゃないか >>119
事実の網羅でもあるし、描く哲学の内容を平明に要約したものでもあるだろうね まあそうか俺が西洋哲学ってのを強調したから哲学史の話だと思ったのか
それはごめんな
>>122
そういう意味ならそっちの話をするけど
本人はどういう意味で言ったの? >>123
うん、そうだね
でも例えば功利主義の後に急に実存主義の紹介が来て日本書紀や古事記の話があってって、そこに原理を土台とした論理的な繋がりはあるかい?
「別々の情報をある原理に従って論理的にまとめられて」あるかい?
それは体系化とは言わないのだよ普通 >>126
それ以外ないって言ってるぜ
まあ一旦朝飯
またレスするわ >>127
「哲学の歴史を俯瞰」でも原理とは言えるが
でも哲学的に体系化するって話だろ たとえばカント思想もデカルト思想も別々の情報だし
それを「哲学史を大雑把に俯瞰」という原理のもと執筆されてはいるが
哲学的な意味で論理的にまとめてはいないかもしれないね
倫理の教科書はとにかく歴史に沿っての羅列だからな
たとえば構造主義って思想的基盤のもと知識をまとめるとかそういう意味?
哲学的な原理に基づく体系化って
ヌミノーゼ を体感した人にとっての ヨブに起きたこととの対比において
ヨブ はなぜこんなにも優越的な存在になり得たのか?(´・ω・`)
>>108
ユングは覚えてないのでおいていて
思い出しと超越的ひらめき(天啓)という言葉から勝手に思考してみると
ひらめきであるからには自己にとっての新発見であり
それが過去の記憶であれば新しくはなくそこに矛盾が生まれる
但し記憶の価値は場面によって左右されるのであるから
同じ記憶も違う状況では自己にとって意味が違ってくることはありうる
過去のものが新場面によって新たな価値物に昇華するわけだ
ただ超越的と呼ぶほどであるにはより高い飛躍がいるのかもしれない
神の再発見という文脈から考えると
表層意識で意識されてなかったアプリオリな認識の掘り起こしと浮上
ということかもしれない
そういう意識の重層化を考えれば、先のアプリオリな認識の再認識も可能かもしれない
なんてとこまでは考えてみた
あんたすごいな >>134
ひとはただ思い出しているに過ぎない って誰かが言ってた(´・ω・`)n >>131
そこまで自分で出てて
それは「体系化された哲学」と言える? >>132
ずっとその話しかしてないつもりだったけど、分かりにくかったらごめんな
カント哲学の原理が超論的観念論であるように
そういう意味で体系化された哲学書は日本にあるかい? >>136
「体系化された哲学」ってそういう意味ならその話をするが
そういう意味で体系化された書は俺は知らん 構造主義を基盤としてる書がこの中にあるかどうかは読むまでわからん
・・・・・・・・・・・・(´・ω・`)