お前が先に死ねば回避出来るぞ
カーチャンは経験する確率が低い経験をする事になるがな
お前が先に死ねば良いだけ
俺も体弱いし無茶して寿命調節してる
おまえは父ちゃんが密教呪術で練り上げた泥人形だから気にしなくて良いぞ
トーちゃん、死んだ時は
カーチャンを守りたいっておもたよ
一昨年死んだわ、病気だからある程度の覚悟はあったし喪主やってると悲しんでる場合じゃなくなる
1年かけて田舎の実家を処分して兄妹が集まる家が無くなって虚無感を覚えた
その前にカーチャンがボケて、俺の顔を見て「どちらさま?近寄らないでください!」とか言い始めたらキツイよな
子供を作って仕事忙しくすればダメージを減らせるぞ
昨今のガキ共は親と仲良くしすぎなんだよ
ボケたり介護が必要になったりしたらその考えは絶対に変わるよ
仕事で忙しいからママからの電話無視してたら後日泣きながら電話してくれたの思い出した
やっぱ子供のことは心配なんだなって
じーちゃん、ばーちゃん、とーちゃん
そして最後に…
俺の母ちゃん白血病じゃないけど髪が抜ける薬使い始めたから近いのか?...
精神をボロクソに破壊された程の毒親だから死んでも悲しまないわ
本当に考えるだけでド鬱になるから逆に不仲の人が羨ましい
俺より発達障害酷いし反応が明らかにおかしい所あるしかなりのクズだからなあ
2017年に乳がんやった時は大変だったわとにかく抗がん剤で味覚障害だけは
残って欲しくなかったから点滴中に氷を舐めさせたらしたわ今なんとか
再発とかなくすんでるがな
最後に会ったの5年くらい前だったかな
帰省は15年くらいしてない
どんな声だったかも忘れた
介護辛いぞ
あの怖くて頼りにしてた親がすごくか弱く見える
晩年は軽く頭ぼんやりしてたから聞き分けもなくて、何度か手を上げた
自分が地獄に落ちると確信しながらも止まらなかった
食事の時、俺の好物を人に貰って二人で分けてたべたけど、それまでは俺に「好きやろ?半分食べ」て感じでくれてたけど
頭ぼんやりしてから、俺にあげようって感覚がなくなったのかニコニコ全部食べて、もっと無いのかな?て感じで聞いてきたから、半分あげたわ
今まで好きだったのに息子にあげてたんだなぁと涙出た
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
うわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ
母ちゃんが死ぬより今飼ってる犬と猫が死んだ時のがダメージありそう
俺の母親は障害のある俺を見捨てて失踪した しんどい
35歳位までにはさっさと自立して結婚して自分の家族作っとけ
早死にも悲しいが長生きして介護は地獄