立ててはすぐ消えゆくスレ
こんなところで、こんなスレを立てていると
チラ裏でやれだの、ツイッターでやれだのと文句を言ってくる奴がいるが
そういった反論は全く受け付ける気がない
なぜなら我が家にはチラシはないし
ツイッターの垢もないからだ
ツイッターのアカウントを作れば良いのではという意見もごもっともだ
だがツイッターで投稿したものは人目に触れ、何かの拍子に拡散してしまう可能性がないわけではない
それゆえあまりツイッターでは無謀なことはできないのである
無論、ここで書き込んだ内容も何かの拍子にまとめられたりする可能性はある
だが特定のアカウントに結びついていないことは大きい
ここでなら好き放題に叫べる
万が一他人の目に触れたとしても知らないふりをしていればそのうち風化する
ツイッターで拡散炎上しても知らないふりをしてれば良いのでは?
確かにそうかもしれない
だが知らないふりをしてもアカウントは残り続けるし
そういったことがあるたびにアカウントを作り直すのも馬鹿馬鹿しい
要はここでなら、後腐れなく楽に心情を吐露できるわけだ
100円均一でコピー用紙でも買ってきて書くのも悪くない
だがもし身内の人間に読まれでもしたら恥ずかしくて堪らないだろう
しばらくは布団の中でジタバタと過ごし
家族と顔を合わすたびに「この人はあのメモを読んだのかしら」と疑心暗鬼に過ごさねばなるまい
実に精神衛生上、よろしくない
そういったやむえぬ事情でここに書き連ねているのである
いや、やむを得ぬというより好都合なのである
そう、ここは好都合なのだ
憂さ晴らし、馴れ合い、えっちなつぶやき
いろんな不都合なことに好都合なのだ
ここで書き込んだ内容もいずれ消え去っていく
特に刺激的なことでも書かない限りはまとめられることもないだろうし
ここにまとめられて都合の悪いようなことを書くつもりもない
そのうち、自分自身でもここに書いたことを忘れてしまうだろう
なぜこんなことをしているのだろうと自問自答する
これは実のところ自分自身の思考アウトプットの練習だったりするのである
私の頭の中はいつもとても混沌としている
無駄なことが無秩序に思い浮かぶ
正常な思考、普通の人間が持っていてしかるべき思考回路を持っていないのではないか
そんなネガティヴな妄想に駆られている
自分の考えを瞬間的に、嵐のように言語化することで
非言語的な私の頭の中をクリアに解釈しようという魂胆なのである
この企みは数日前から始まった
どうにか腑抜けた自分から脱却できないかと考えた結果の行動である
私は日頃から頭を使っていなかったのではないか
先日職場で「頭を使って仕事をしろ」と注意された
私自身はそれまで自分で頭を使って、考えて、仕事をしていると思っていた
しかし他人から見ればそれができていなかったのである
頭を使え?頭は使っているが?何を言っているんだ?
でも毎日のように頭を使え、考えろ、と言われる
流石にもしかすると何かが違うのかもしれない
自分が「考えている」と思っているその行為は実は皆の言うところの思考とは異なるのではないか
そんな疑惑が生じた
考えて行動しない人の特徴、という記事を見つけた
よくある情報系のアフィリエイトサイトの類であったが
そこに書かれていたことの全てが自分に当てはまるように思えた
意思決定ができない
責任を取りたがらない
ミスが多い
受け身である
などなど、これはまさに自分自身を表しているとしか思えなかったのである
発達障害なのではないか、という疑念を抱いたこともある
確かに発達障害と思しき症状にはたくさん当てはまる
もしかしたら本当に発達障害なのかもしれない
だが自分のことを発達障害とは認めたくなかったり
現実的な話をすると生命保険の心療内科に通院して既往歴などに影響が出るのが嫌だったり
単純に病院通いが面倒くさかったり
病院に行ったもののただの無能だったと判明したらどうしようなど
いろんな雑念があって病院には行っていない
病院に行く前に、自分でできることはあるだろう
それに発達障害だと診断されたからといって努力しなくていい免罪符になるわけではない
診断がどうであろうと自分が「考える必要がある」状態であることには変わりない
だから考えることの第一歩として、まず思考を言語化することに取り組んでいるのだ
今日はこれくらいで寝ることにしよう
あまりたくさんの文章を考えていると頭が疲れてくる
それにあまり楽しい話題でもない
こんなことは毎日通勤中にでも考えていることだ
朝からこんなことを毎日悶々と考えているのだから全くつまらない人生である
明日もきっと何かを書くだろう
明日はもっと楽しいことが書けるといいなと思う
もっと人生を前向きに捉えたいと思う
このネガティヴなスレはそのための第一歩である
人は無駄だと笑うかもしれない
だが今私は今までの人生で最も努力していると思っている
この程度の努力で一番と言えるということはこれまでいかに頭を使ってなかったかということだ