つまり非常なるーるだ
だが人間はこれに対抗することができる
科学力をもっているからだ
自然環境の方を自分に都合良くかえ
適したものにすることすらできるのである
人間は神に近くすでに進化論の理屈をこえつつある
都合よくしたつもりの環境に振り回されて
結局神の御業である進化の罠に落ちる人類であった
>>5
関係ある
自然そのものを変えられるからだ
つまり人類に対しては自然淘汰はおこらない 自然淘汰の「自然」はnaturallであってnatureではないの
>>10
だから自然環境にしろなんにしろ
人類にはもう自然淘汰はおこらないんだってば
人為的に存続できるから 人類は人為的に自らを存続させることができる種なの
その時点でもう進化論からはみでているんだよ
つまり>>1はニートだが仕方ないって言いたいだけか 人類は自分の意志すら自由にできないよ
自然に与えられた欲望に振り回されるから
>>11
いや、自然淘汰は起こるよ当たり前だろ
自然環境を変えるとかなんの関係もないから
英語圏の人間なら間違えようがない
日本語がややこしいだけ
つか、俺のIDすごくね? もう人間の活動は
ナチュラルでもネイチャーでもないの
わかったか?
人間は自らの意思だけでもう存続できる特別な種だってこと
環境の変化に人間の身体の変化が着いていけず滅亡する未来しか見えない
>>17
それは違うよ
明確に意思が働いたら自然のうちじゃない >>19
人間は環境を科学力で変化させることができるから
大丈夫 人間はもう進化論の範疇に収まらないってことは確か
自然の驚異も
また自然の流れである自然淘汰も超越しつつある
そのうちほんとうに永遠に存続するようになるかもね
>>16
人間の行動がナチュラルかどうかなんてカンケーねーよ
ナチュラルに起こる淘汰のことをナチュラルセレクションっていうんだよ
セレクトされる側が自然か人為かなんてなんの関係もない 人の意思など欲望を合理的にかなえるためだけのもの
人は欲望の奴隷
欲望は自然の与えた生物の法則
物理法則と何も変わらない流れ
人は法則にしたがい転がる石ころなのさ
>>23
なにいってんだこいつ?
自然淘汰というのは
「人為的でない淘汰」のことをいってるんだが? 縄文人と現代人の脳のスペックは同じ
人類様の科学力は進化の必要性を太古の時代に置きざりにした
人類はもう進化論からはみだしている
やがて神にいたるだろう
>>25
根本的に勘違いしてるだろ
じゃあクロマニヨン人が新人に絶滅させられたのは
自然淘汰ではないと? >>29
すでに根拠はしめしました
これ以上議論はしません
自然淘汰とは「人為でない淘汰のことです」 人為淘汰ってのは人間が淘汰「する」側だから
人為淘汰っていうの、淘汰「される」側がどうのこうのじゃないの
馬鹿にはなにをいってもわからないらしいけど
クロマニョン人をホモサピエンスが滅ぼしたのは
「人為淘汰」ではない
単なる対等な生存競争だ
人為淘汰とは圧倒的に上の力を持った存在が意図して生物の淘汰を操作することを
言います
そして人為淘汰は自然淘汰ではないため、進化論には含まれないんです
人為淘汰と自然淘汰の違いもわからないで進化論を論じてほしくないな
進化論とは「人為的によらず」
生命が進化してきたことを意味します
そこに作為が人為があったらそれは進化論ではなくID論といいます
>>33
つまり現代人は人間を圧倒的に越える力を持った存在によって意図して操作されてると?
こわっ
ID論はカンケーねーだろ
っていうかお前の言い方だとお前はID論者ってこと?
こわっ しかし自然淘汰が人為をふくまないことを知らないやつがいたとはな
たとえば誰かが意図して宇宙を作り意図して生命を作った場合
それは進化論ではなく
その世界では進化論はあやまりとなる
進化論とはあくまで人為によらず自然淘汰と適者生存によって生命が進化してきたことを
言うんだぞ?
何が言いたいのかさっぱりわからなくなってきたぞww
お前は進化論派なのかID論者なのかどっちなんだよww
つまり人間の活動のすべてが進化論なわけでもないし
進化論的に説明がつくわけでもありません
人間の活動はそもそも19世紀の時点で進化論から大きくはみだしています
まあもっと大きくいうと遙か以前からですか
自然選択説は進化論に含まれるけど
進化のメカニズムは自然選択に限らないぞ
>>41
きちんと読みました?
以下のナチズムの主張は進化論とは全く相容れない。
人為的に他民族を絶滅し、固定化する→分化、多様性や変異の否定
優等人種であるアーリア人と劣等人種であるユダヤ人の生殖では前者の形質が後者に劣ってしまう→適者生存の否定
進化の原動力は意志→適応や順応などの否定
進化論ではないとはっきり書いてあるでしょう 進化論は貼り付けたように「人為的淘汰」を含みません
これについては勉強してくださいとしかいいようがありません
もし進化論が人為的淘汰を含むのなら
そもそも聖書の創造論を否定する根拠になりえません
ID論と進化論の対比で検索してください
>>42
ナチズム云々は進化論だと言ってるわけじゃなくて
自然選択にあらずは進化論にあらずは間違いだと言ってる >>43
その辺になるともはや言葉遊びだな
ダーウィンが自然淘汰と言ったのは
家畜などの生死と野生動物を比べて言ったのであって
それ以上の細かい定義など考えてない
普通は「お前が」説明した通り、淘汰する側が圧倒的な力によって
操作した生死ではないことを言うのであって
人間が人間を圧倒的に超えてるとか語義矛盾が生じる こういう馬鹿見てると生物学の学生に完全論破してほしくなるけど
まともな学生はまあこんな時間に起きてないわな
>>45
だから自然淘汰でなければ進化論ではありません
そのことはもう証明しました >>45
人為淘汰を進化論に含めるなら
当たり前ですが
ナチズムも立派な進化論になります
人為淘汰も進化論にふくまれるわけですから
民族浄化を否定する理由がなくなります >>47
私はきちんと根拠をあげて主張していますよ
大丈夫ですか? >>49
>民族浄化を否定する理由がなくなります
科学的にどうであるかと物事の良し悪しは別の問題 >>53
人為選択が自然選択に含まれないことは
自然選択でなければ進化論でないということを意味しない 進化論は人為淘汰を含みません
何故ならそれを認めてしまうと
神の創造も認めてしまうことになるからです
さすがにこれだけいったらわかっただろうな
>>56
それは自然選択の定義であって
進化論とは自然選択をいう、ということにはならない >>58
まだ分かってないのかw
何度同じことを言わせる
進化論は人為淘汰を含みません
何故ならそれを含めると神の創造も認めてしまうことになるからです
わかったw
どうしようもないなこいつら http://d.hatena.ne.jp/fish_t/20100102/1262396512
ここを読みなさい
ドーキンスも
化という科学的真実の残酷さ、というか、科学的真実は人間的倫理的温かみなど持って
いないということが述べられている。弱いものが淘汰され、より生存に適したものが「自然
の無意識」に選び取られる進化の過程の理解は、優生学的な考え方に直結してしま
うものでもあるわけだ。ドーキンスは科学者としてはダーウィン主義を完全に肯定しなが
ら、同時に「この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの先制支配に
反逆できるのである」
とのべています
つまり人類が「進化論」を超えていく存在であることを認めているんです
大丈夫か?こいつら
なんでちゃんと貼り付けた根拠を読まないんだ >>59
進化論は生物が進化してきたという過去に関する主張のみならず
進化のメカニズムなど生物進化に関する様々な研究も含めた理論だから
人為選択が進化論に含まれても必ずしも神による創造を肯定はしない ヒトという種は、ダーウィン主義的血も涙もない自然淘汰の世界に生きてきた。それが今
自分を育ててきた進化という枠組みを内包できるところまで成長したのだ、とドーキンスは
言う。我々だけがこれと戦うことができるというわけなのである。
はいドーキンスも人間が進化論をこえていけることを認めています
勘弁してくれよこいつらw
つまり1で主張していることはドーキンスも認めている事実です
これ以上はドーキンスにでも文句をいってくれw
自然淘汰って結果論でしょ
人間で自然淘汰が起こるとしたらパンデミックくらいなんかね想像できないけど
2chが不思議なところは進化論の科学者が主張していることを
そのまま言ったとしても反論がくるとこだよなw
ほんと不思議なところだわ
ドーキンスも進化論じたいがどうしよもない悪魔の理屈であることを認めています
そして人間は倫理の力によって進化をこえていけることをはっきり認めています
わかりましたか?
1で言っていることは進化論科学者ドーキンスの主張そのものです
わかりましたか?w
勘弁してほしいわ、まじでw
でHなんたらは
人為淘汰が自然淘汰にふくまれるとかあほなりくつをいっていました
なちゅらるとかねいちゃーとかいって
それに対しては「対語」でありふくまれないと完全に証明しました
2chってほんとしったかが多いよねw
ダーウィンもドーキンスも進化の説明としてまず家畜化や品種改良の話から始めているけど
>>68
自然選択に含まれないことは進化論に含まれないことを意味しない これ以上はドーキンスに文句をいって
1は別に俺の主張じゃないから
ドーキンスは自然選択にあらずは進化論にあらずとは言っていない
>>69
だからどうしたの?
生命は別の生命に進化するという論証としてそれを持ち出してきただけであって
人為淘汰が自然淘汰にふくまれるとか
人為淘汰が進化論そのものだとかはまったく言ってないよ
進化論はあくまで自然淘汰と適者生存であって
人為淘汰のことはふつう含まない
何度も言うようにそれを認めちゃうと
「神の創造」を認めちゃうことになるから
進化論はふつう「人為的なもの」を一切排除して考える もう俺が正しいことは完全に証明されてんだろ
なんで無理のある反論してくるの?
ここで問題にしてるのは1が正しいかどうかであり
1の正しさはドーキンスが太鼓判を押している
そして自然淘汰に人為淘汰がふくまれないことも何度も証明している
何が不満なの?
>>73
進化論には進化のメカニズムなど生物進化に関する様々な研究も含まれる 私が1で主張したいことはただ一点
人間は進化論をこえた偉大な存在だってこと
これはドーキンスも認めている
ゆえに最初から私が正しいことは証明されている
以上、終了
>>75
進化論には自然淘汰と適者生存しかふつうふくまれない
何故なら人為的淘汰までふくむと
神の創造まで認めてしまうことになるから
なんでわからないんだ?こんなこと
一般的に進化論という場合「人為的でない淘汰」のみを指す >>77
進化論は生物が進化してきたという過去に関する主張のみならず
進化のメカニズムなど生物進化に関する様々な研究も含めた理論だから
人為選択が進化論に含まれても必ずしも神による創造を肯定はしない すくなくてもHなんたらがいった
人為淘汰に自然淘汰がふくまれないことは理解できたな?
ダーウィンの進化論は自然選択説であり
すなわち人為的なものを含まない
さすがにこれだけいえば理解できたよな?
自然選択説とは
自然選択説(しぜんせんたくせつ、英: natural selection)とは、進化を説明するうえでの
根幹をなす理論。厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し
、進化に方向性を与えるという説
で、そこに「人為」はありません
これだけきちんと論証すれば理解できたかな?
人為を進化の中に認める説を「ID論」と言います
>>79
理解できたなも何も最初から突っ込んでるのはそこじゃない ダーウィンの進化論とは進化のシステムそのものを言うわけではなく
自然選択に中心的主張があります
すなわちそこに「人為」を含めてしまうと
ダーウィンの進化論そのものが崩れます
たとえばSFみたいに宇宙人が人類を生み出した場合は
その時点でダーウィンの進化論は崩れてしまいます
おそらく君はダーウィンの進化論についてあまりよく理解してないんでしょう
ダーウィンの進化論の特徴は生物の進化から神や人為を排除するところに特徴があります
>>81
ダーウィンが唱えた自然選択説は進化論に含まれるが
進化論は自然選択説だけじゃない もしそこに人為を認めてしまうと
繰り返し言っていますが
神の創造を認めることとなり
ダーウィンの進化論そのものが崩れます
もう一度言いますが
ダーウィンの進化論が他と違うところは
自然選択を強調するところなんです
進化論じたいはダーウィン以前からキリスト教世界にありました
神が目的に応じて生命を作り進化させたというj説はふつうにあったんです
ダーウィンが画期的だったのは
人為を完全に否定したところだったんです
これだけいわばわかるよな?
なぜ進化論が人為淘汰を含まないのか
>>82
なんだこいつわけわからんw
ふつう「進化論」という場合、ダーウィンの進化論を指すんだがw
なんだとんでもさんだったのかw
あいてにするんじゃなかったw >>84
中立進化説(や遺伝的浮動)は自然選択ではないから進化論には含まれず
自然選択ではないそれらを含むネオダーウィニズムも進化論ではないのか 一般的に現在進化論という場合ダーウィンから生まれた進化論をさします
そして一般的にダーウィンの進化論という場合
自然選択のことを指し、人為的淘汰のことを指しません
これは確かなことです
だからふつう進化論を論じる場合人為的淘汰のことは除外して言います
もういい加減あきたんでここで終わり
どちらにしろ1の主張がドーキンスの主張である以上
現代科学からいえば私が間違っている道理がないのだがw
ドーキンスも中立進化説(や遺伝的浮動)は自然選択ではないから進化論には含まれず
自然選択ではないそれらを含むネオダーウィニズムも進化論ではないとは言わないだろう
>>89
1で言っていること
我々は進化論を超越して
弱肉強食も適者生存も自然選択もこえて
永遠に存続できるってこと つまり進化論そのものが過去の遺物になるだろうってこと
>>90
永遠には無理じゃね
いつか地球もなくなるし 人間のイジった自然環境が有害なものへ成長し対策もままならないまま爆発的に繁殖して人を駆逐した場合は何なんだろう
人間だって事件事故で何人も死んでるじゃんそれも適者生存だぞ
筋肉に例えれば分かりやすい
適応と馴化の話だな
適応とは環境に合わせて、筋肉が大きくなること
馴化とは適応しきっているので、筋肉に変化が起こらないこと
で、進化論とはなにを意味しているのか?
人は永遠に進化し続けるのか?
この疑問は、進化し続けたいという願望と、進化なんて嘘だと言いたい悲観主義の泥仕合になる
答えるならば、適応に迫られるなら進化する
これだけだ
ダーウィンの自然選択説の自然とは生命の置かれた生存環境すべてのことを
言っているので人為環境も当然そこに含まれなければならない。
人間が環境に与える影響が大になれば、人間自身の変異も含めて地球上の生命の
変異もその環境にフィットする方向へと選択されていく圧力が高まるだろうね。
でもそれは危うい淘汰だな。人類が創りだす環境というのは短期間で変動しやすい。
生命がそれに対してフィットすればするほど、リスクも高まるというわけだ。
例えばペットや家畜たちがそうかもしれない。
人類の中で農耕社会が広まったときに猫も人類に需要されて人類との共進化を遂げた。
しかし彼らはいま人類から必要とされなくなっている。
細菌やウイルスの類いは世代交代が速いので環境な急激な変動にも耐えられるだろう。
変異を生みだす頻度も個体数も多い。
しかし高等な動物になればなるほど、環境の急激な変動への耐性は低いと考えられる。
人類も含めてだ。