地域の歴史を伝える大阪コリアタウン歴史資料館を訪れた。
![ドラマ『パチンコ』が描いた大阪のある街の歴史と“今”。コリアタウンがある背景知らない人も…。学べる場所を作る意義 [12/1] [仮面ウニダー★]->画像>2枚](https://img.huffingtonpost.com/asset/672820b91d00001a004d108c.jpg)
AppleTV+「Pachinko」シーズン2より、大阪・猪飼野の路地での宴会のシーン
4世代にわたる在日コリアンの家族と歴史についてのドラマ『Pachinko(パチンコ)』のシーズン2が今年、Apple TV+で公開された。
第二次世界大戦前後のストーリーの舞台となったのは、主人公・ソンジャが日本の植民地下にあった朝鮮から海を渡って辿り着いた、
大阪・猪飼野(いかいの)の地だ。
同名小説を実写化したこのドラマでは、戦争の動乱の時代を貧しさや差別と闘いながら猪飼野で生きた、
ソンジャとその家族を中心とする在日コリアンの人生が描かれている。
今では「猪飼野」の名前は地図から消え、生野区の大阪コリアタウンとして多くの人が集まる。
2023年には、この土地の歴史を記録する資料館が開館した。
ー中略ー
今、大阪コリアタウンがあるメインの通りには、1925年にできた鶴橋公設市場(猪飼野公設市場)があり、
日本人による商店が並んでいた。
その通りの裏路地で、朝鮮半島から大阪に渡ってきた人たちが生活に必要な朝鮮の食材を売り、戦後は表通りにも出店し始めたのだ。
日本の植民地支配下で困難な生活を強いられた朝鮮の人々は、生活の道を求めて日本へ渡った。
しかし戦後も、帰りたくても帰れない人たちの方が多かった。
猪飼野は、そのような在日コリアンの人たちが多く暮らし、商売を営む場所であり続けた。
ドラマ『パチンコ』でも出てくる猪飼野という地名は、1973年の住居表示の変更で使われなくなった。
1980年代には、観光客の呼び込みや地域活性化に繋がるような「コリアタウン構想」が打ちだされ、その後、整備が行われた。
韓流ドラマやK-POPの流行に伴い、商店街は大きな賑わいを見せるようになった。
・歴史を“記録”する場所をつくる意味。コリアタウンがある背景知らない人も
引き続き在日コリアンの集住地区としてあり続け、在日コリアンの商売人たちが食材店や飲食店を切り盛りする一方で、
時代の移り変わりと共に、商店街を訪れる人たちの中には「なぜそこにコリアタウンがあるのか」を知らない人たちも増えていった。
そんな中で、地域の在日コリアンの商店主や生野で活動する研究者など多くの人が
「大阪コリアタウンの歴史や大阪に渡ってきた在日コリアンについて学べる場所を作るべき」という思いを募らせていったという。
東京には在日韓人歴史資料館(港区南麻布)や高麗博物館(新宿区大久保)、京都にはウトロ平和祈念館(宇治市伊勢田町ウトロ)が
ある一方で、「日本で一番在日コリアンが多い地域なのに資料館がない」と、大阪でも資料館をつくろうという動きが広まっていった。
大阪コリアタウン歴史資料館の館長で、この土地で生まれ育った在日コリアン2世の髙正子(こぉちょんじゃ)さんは、多くの人が訪れ、
賑い続けるコリアタウンを見て喜ばしい気持ちがある一方で、「韓国を追体験するような商店街を見ていると、
在日コリアンの存在が『なかったこと』にされてしまうのではないかと感じる時もあった」と話す。
ー後略ー
Sumireko Tomita
全文はソースから
HUFFPOST 2024年11月30日 16時44分 JST|更新 2024年11月30日 JST
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_673d98ffe4b0060e54da6bb3