ー前略ー
■朝鮮出身の兄妹が見出した内地での勉学の道
崔香淑は日本語読みで「さいこうしゅく」、本来の読みで「チェ・ヒャンスク」という。朝鮮総督府の支援を受けて日本の大学で
法学を学んだ後、出版社で文芸誌の編集に携わる兄・潤哲(演:ユン・ソンモ)を頼って来日し、明律大学女子部法科に入学した。
まず「留学生」という言葉に触れておこう。朝鮮は明治43年(1910)の韓国併合によって大日本帝国領となっており、
現地には朝鮮総督府が置かれていた。つまり朝鮮から日本へとやって来た学生らは「内地」の学校に進学した=留学生という言葉は
適切ではないという意見もあるだろう。
明治44年(1911)に府令78号「朝鮮総督府留学生規定」が制定されたが、大正9年(1920)には府令170号「在内地官費朝鮮学生規定」
で「朝鮮学生」という言葉に置き換わっている。以降正式には「在内地朝鮮学生」といったが、その後も様々な場面で
混用されていたため、ドラマではわかりやすく「留学生」という言葉を用いていると思われる。
当時日本がそうであったように、朝鮮半島でもまた女子が勉学の道に進むことは容易いことではなかった。
潤哲が妹の将来を案じて「日本でなら女子部開設によって法律を学ぶ道が開ける」と呼び寄せたのも、
寅子の父・直言同様先進的な考えに基づく行動だ。
第1次世界大戦以降、日本での学業・雇用の機会を求めて移住者が増加していたが、それは国内の失業率の上昇等の一因にも繋がり、
政府は内地への人口流入を防ぐべく満洲や朝鮮半島の開発に力を入れていた。日中戦争開戦前の昭和9年(1934)、
時の岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定し、朝鮮半島と満洲の開発、そして密航の取り締まりを強化している。
■日中戦争と国家による取り締まり強化
昭和12年(1937)7月、盧溝橋事件に端を発して、日中が全面戦争に突入した。ただし、両国は国際的な経済制裁を危惧して
太平洋戦争開戦まで宣戦布告をしておらず、しばらく日本では「支那事変」と呼称されていた。
なぜ崔香淑と兄・潤哲が連行されたか、その理由と時代背景を理解するキーワードが「特高」と「治安維持法」である。順番に解説していこう。
まず2人を連行、尋問した「特高」とは、「特別高等警察」の略称で、戦前に存在した日本の秘密警察だ。
無政府主義者、共産主義者、社会主義者、そして反体制思想や国家に対して過激な思想を抱く者たちを取り締まることを目的としていた。
明治43年(1910)、韓国併合と同年に発生した明治天皇暗殺計画を受けて、明治44年(1911)に設置されている。
日中戦争開戦、その後の戦時下においては、反戦運動や反政府組織、新興宗教の監視や取り締まりが強められていった。
ー中略ー
昭和3年(1928)の改正でさらに厳罰化され、最も重い罰として「死刑」が加えられた。疑いがあるだけで検挙されるようになり、
やがて検挙の対象範囲は宗教団体や学術研究会、芸術団体などにまで広がっていくのである。
ドラマでは香淑の兄・潤哲の同僚が反体制集会に参加したことで、2人も反体制思想をもつ危険な人物ではないかという
疑いをかけられ、連行・尋問される。その後、帰国した潤哲は治安維持法に違反する労働争議に加わった疑いで追われる身となった。
戦時下に突入した日本は、思想や出版など様々な場面で国民への締め付けが厳しくなっていくのだ。
ー後略ー
全文はソースから
5/7(火) 16:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bf09beae1c58af1dc1ea8af2348597b2f086ce6