独立したいなら中国様の許可を得てください、ということだな
中国がまともになるまで、台湾を国連の保護地域にしたらどうだろう
無理?
事前に手を打てば戦争は起きない
まー言葉の選択もなってないし、そもそも内政干渉だろ、この発言。
こう言う奴らに政権取らせちゃダメだな。
一つの中国を支持した上で米国は関与している
日本も同じだが今の自民も立憲も朝鮮半島には介入する気だがこれは圧倒的差があるから気が楽なんだよ
しかし台湾に介入するなら核保有しかない
米国が保有させないならこんな発言になる
米国の顔色を見ながらなんにも出来ない二大政党
>>1
チャイナとしては、独立云々の声がなくても、現状維持されるだけで国際社会が実質独立と認識するので焦っているんだよな。
それにしても台湾人も日本人も個人の感想を言う権利ぐらいあるわけだが、またしても左翼革命政党の立憲民主がファシズム行為をやったのかよ。 米国は本土が離れてるから良いけどな
日本はそうは行かない
>>21
支持はしてないぞ、お前の考えは理解するって言ってるだけだ。
裏には俺は違った考えだけどお前も理解しろよってのがある。 独立したら岡田と末松の身柄差し出すから
お好きに処刑なさってください
だから立憲支持者はアホばっかり。
頭悪すぎるんだよな。
「台湾の独立には反対する。中華民国の後継政府として、支那大陸とチベットウイグルモンゴルその他の地域を不法占拠する共産党とその私兵集団からの開放に努めることを期待する」くらいいえよ
自統の政策は日本人の命を軽くする政策
これは自統ネトサポのアンコン
自統ネトサポは何かだよな
そもそも民主党から独立したゴミ党が何を言ってんだよ
そのくせ在日に外国人参政権を与えようとしてるしめちゃくちゃじゃねぇか
自由と民主主義を愛する立憲民主党(笑)の本意は
台湾独立は認めない
↓
中華人民共和国と統一
↓
中国共産党を打倒
↓
現台湾政府による民主主義国家の樹立
これでしょ
金門島駐留の台湾軍大佐
中国に忠誠を誓い中国が攻めてきた場合には降伏するとの誓約書を交わす
台湾人は他国を非難せず先ず自分達の事をするべき
かつて日本は台湾と国交を持ってたから、今更独立を云々するのはアホらしい
今現在国交がないだけの話でしょ
台湾は、選挙で与党がつい最近負けている
戦争を嫌がり経済重視の人が多いということ?
実はいま、ドル高コロナ流行で経済苦?
台湾が中国と一緒になりたいというなら、日本は自国の防衛だけをしっかりし、口を挟むべきではないが、どうなんだろう
反日中国人や韓国人の情報をどんどんリークしてください
>>41
だから台湾行ってやらないとだめなんだよな
中国は関係ないし 中国で一族が大々的に商売しとるさかい、中共様々なんやろ。
台湾が独立するのも中共と一緒になるのも台湾人が決める事で日本の国会が独立を阻止するだの認めないだのことさら言う事ではない。
人権や生存権に関する重大な侵害や迫害があった時に非難すればいい
日本の国会議員は粛々と日本の安全保障と国益を考えればいい
>>342
台湾独立宣言したら完全に戦争です。外交で平和を構築すべき我ら日本人がそれを表立って支持するのは危険ですし、中国との平和のための交渉ができなくなります。よって立憲の言ってることは正しいですね。 そういえば名古屋の焼肉店で脱糞した参議院議員どうしたんだ?
台湾が独立する動きを封じるってそれこそ内政干渉だろ
>>53
そもそも台湾は独立国だが?
独立国の定義すら知らないんじゃ無理。
日本政府も認めてるしね。 >>1
そういや立憲の連報さんはご出身が台湾だったと思いますけどこの件についてコメントは出しているのですかね? 岡田「中国の許可を得たんですか!?得てないでしょう!!」
岡田「台湾独立に反対する、総理はこれをなぜ言えないのか!!」
>>53
まあ、いつかはやらなきゃいけないし、
何度もやるのだから
今やっても変わらないし、
長い目で見たら問題ないよ。 >>1>岡田氏は10月17日の同委で「(台湾の)独立は支持できないと米国も言っている。その表現を口にできないのか」と述べ、末松氏も11月29日の同委で「台湾が独立する動きは封じていかなければいけない」と訴えていた。
すげー…よくここまでチャンコロの戌って表明できるな >>61
「シナ様の許可取ってるんですか?」の奴だもんな。 立民は、自分から民進党に擦り寄って行って選挙に負けたら掌返すから油断出来んな
>>1
別に立憲の肩を持つわけではないが、台湾の地方選挙結果を見ると
台湾自身も独立する気なんか端から無いだろうw
それどころかむしろ、現状よりも中国側にシフトしたがっているようにさえ見えるぞww >>61
岡田もよくここまで曲解できるな、アメリカは理解するとだけしか言ってねーよ。
お前の中ではそうなんだろって奴だよw >>66
じゃあアメリカが日本の核武装を望んだら賛成すんのかって思うw >>60
逆にいうとあまり遅くなると中国側の軍備がより整って被害が増えるかもしれないので早い方が良いという考え方もある。
ただ、最近の状況見てると時間稼ぎしとけば中国が内側から瓦解しそうな目も出てきてるんで何とも難しい所だが。 立民、この件に関する説明はまだか?
またお馴染みの知らんぷり、逃げか?
まっ、この二足三文の、それこそイオンの特売品のような
安物弱小政党では逃げるしかないかw
イオンの年末セールのコーナーに
泉、岡田、末松の3バカで並んでるのがふさわしいな
めちゃくちゃ積極的に中国の犬として動くんだもんなあ
日本の議員なんだぜこんなのが
立民の腐り具合がひどいな。連合系の議員を突いてみるか。
んでも統一教会政治部は支持しますってか?
自称愛国者の考える事は理解出来ねーなw
殆どニュースになっていないのが怖い。マスゴミの報道しない自由の行使か。
岡田は独立が戦争の引き金になるからとか言い訳の余地はあるが末松はアカンだろ。
「封じていかなければならない」は台湾の独立を妨害しろとしか読めんよ。これは中国の狗と呼ばれても仕方がない。
立憲勃起は正直だからね
岡田は同定だよ バカノドウテイ
>>1
アメリカは口先で一つの中国とはいうものの、
台湾に軍事顧問団を送って防衛武装を出して中国の侵略から台湾を守るべく活発に活動をしている
岡田と末松は、中国の飼い犬だな、きんもー >>32
外国人参政権を全力で推進しているのは、日韓議員連盟の自民党だぞ
クソツボ自民は日韓議員連盟の会長が自民の額賀福志郎、会長代理も自民の衛藤征士郎で、
外国人参政権を絶賛推進している 在ザコはさっさと帰国しないとだめだぞ
韓国のパスポート持ってないだろ?
ミンスはチョンの手先かシナの手先かで分裂したって事だなw
>>84
戦後の野党がグダグダ過ぎて、自民内に擬似複数政党制みたいなもんが出来ちまった事も知らないようだ。 独立させるのも干渉なら、独立を阻止するのも立派な干渉。
まあ、立憲民主なんて存在自体が風前の灯だから、実効性はまったくないけどなw
せいぜい支那朝鮮に尻尾でも振ってろw
>>88
自民がアレコレやらかしても民主党系列の政党には決して投票したくならない不思議 >>87
その外国人参政権を推進する一番手が、文鮮明を大教祖と礼拝する安倍晋三だったからな
いかに朝鮮ツボの自民党が売国奴の政党かよく分かるだろ >1
でも、東ウクライナな、日本本土決戦は、やりたくないなw
鄭 克塽
1670年8月13日 - 1707年9月22日は、
鄭氏政権 (台湾)の、
3代目の指導者で、鄭成功の孫、鄭経の次男である。
1683年、中台統一を目指す、
清朝帝国海軍の、水師(提督)
施琅率いる、清帝国海軍 主力艦隊は、台湾沖 澎湖海戦
台湾 鄭軍の主力艦隊を、完膚なまでに撃破する。
両軍はそれぞれ200隻以上の軍艦を所有していた。
台湾軍 鄭氏側の将軍 劉国軒は、
3倍の数で勝る、
清帝国海軍 施琅艦隊より数で劣っていた。自身の旗艦が
攻撃手段を失い台湾に逃げると、劉は降伏した。
清帝国軍が、澎湖諸島を、占領すると、台湾 鄭軍の主将 劉国軒は、
台湾に逃げ戻った。
馮錫範は、鄭克塽に、台湾本土決戦を回避し、
清帝国に、降伏することを勧めた。
7月5日、馮錫範は鄭徳瀟に命じて、
降伏文章を書かせた。
7月15日、
馮錫範は、将である鄭克塽を施琅に送った。
8月13日、施琅は台湾に入り、
台湾本島の、無血開城、降伏を受け入れた。
その後、鄭克塽は、北京に赴き、
漢軍正紅旗に組み入れられ、海澄公に封じられた。
康熙46年(1707年)、鄭克塽は病没した。爵位を継ぐ者はいなかった。
台湾加油!!
台湾の未来は台湾人のみが決めるべきで
日本やアメリカがどうこう言うものではない
ただし日本の安全保障に影響があるのは間違いないので備えは必須ではある
立憲 岡田克也 シナポチ
岡田卓也 死体水 松坂マーム 閉鎖
中日新聞 高田昌也 シナポチ
>1
でも、東ウクライナな、日本本土決戦は、やりたくないなw
鄭 克塽
1670年8月13日 - 1707年9月22日は、
鄭氏政権 (台湾)の、
3代目の指導者で、鄭成功の孫、鄭経の次男である。
1683年、中台統一を目指す、
清朝帝国海軍の、水師(提督)
施琅率いる、清帝国海軍 主力艦隊は、台湾沖 澎湖海戦
台湾 鄭軍の主力艦隊を、完膚なまでに撃破する。
両軍はそれぞれ200隻以上の軍艦を所有していた。
(江戸幕府に、巨額の資金支援、武器支援を受けていた )
台湾軍 鄭氏側の将軍 劉国軒は、
3倍の数で勝る、
清帝国海軍 施琅艦隊より数で劣っていた。自身の旗艦が
攻撃手段を失い台湾に逃げると、劉は降伏した。
清帝国軍が、澎湖諸島を、占領すると、台湾 鄭軍の主将 劉国軒は、
台湾に逃げ戻った。
馮錫範は、鄭克塽に、台湾本土決戦を回避し、
清帝国に、降伏することを勧めた。
7月5日、馮錫範は鄭徳瀟に命じて、
降伏文章を書かせた。
7月15日、
馮錫範は、将である鄭克塽を施琅に送った。
8月13日、施琅は台湾に入り、
台湾本島の、無血開城、降伏を受け入れた。
その後、鄭克塽は、北京に赴き、
漢軍正紅旗に組み入れられ、海澄公に封じられた。
康熙46年(1707年)、鄭克塽は病没した。爵位を継ぐ者はいなかった。