島根県竹島問題研究会研究委員 藤井 賢二
島根県に甚大な被害を及ぼした1963(昭和38)年の「三八豪雪」を覚えている人は多いだろう。山奥の雪は7月まで消えなかったといい、過疎化に拍車をかけた。その最中の1月8日、隠岐・西ノ島町の浦郷港に、韓国鬱陵島警察所属の警備船が入港し、救助を求めた(1月10日付『島根新聞』)。
「竹島付近で大シケにあい船体が転覆しそうになり、竹島を前にしながら上陸もできず鬱陵島へ引き返すこともならず漂流した。漂流中は飲料水もなく生米をかじって飢えをしのいできたが風雪の中で5日間こごえそうになった」「もう1日救助が遅れたら6人とも凍死するところだった」。船内には竹島の警備隊に渡す小銃13丁と弾薬10箱があった。8トンの小型船で冬の日本海に乗り出す勇気に驚く。
韓国外交史料館に残る1969年の韓国政府の文書に、竹島警備の状況が記されている。「(1)警察要員20名が常駐している。(2)灯台があって要員の滞留のための宿舎がある。(3)警察の巡視船が1カ月に1回、水と食料などを補給。(4)独島内の水は少ししか出ないので20名のための給水には不足する。日照りが続けば水は出ない」。よって、警備はすでに限界という意見が付けられていた。
60年代の二つの記録で浮かび上がるのは、厳しい環境に耐えて竹島不法占拠を維持しようとする韓国の執念である。この執念は経済的利益によるものではなかった。韓国が日本をまねて竹島周辺でのイカ釣り漁を始めたのは70年代だった。65年まで続く李承晩ライン問題での日本漁船拿捕(だほ)の主舞台は、対馬から済州島にかけてで、竹島周辺での拿捕は確認できない。60年代末まで竹島周辺での大規模漁業は盛んではなかった。
65年、韓国政府は竹島領有の根拠を記した3年前の日本政府の文書に回答した。具体的反論はなく、表書きに「独島は大韓民国の領土の不可分の一部であって大韓民国の合法的な領域管轄権の行使下」にあるとあった。日本に反論できない韓国が執念を燃やしたのは、竹島不法占拠を既成事実として強調することだった。
国際法に基づいて争ったとき、紛争発生(竹島問題なら韓国の李承晩ライン宣言とそれに対する日本の抗議のあった52年)後に、当事国が新たに開始したことや自国の立場を有利にするためにことさら行ったこと、しかも相手国から抗議を受ける中で行ったことは証拠にはならない。
しかし、この常識が通じない。不法占拠開始から60年以上過ぎた今日では、なおさらである。数年前、韓国に竹島領有の根拠はないと説く私に、ある韓国人大学院生が「それじゃあ、あそこを支配しているのはなぜ韓国なんですか」と得意げに聞いてきたことがある。
日本ができることは、竹島不法占拠は日韓関係だけでなく韓国の名誉をも傷つけている事実を突き付けることである。韓国の執念に根負けしない人たちは確実に増えている。
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ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。日本安全保障戦略研究所研究員。著書に『竹島問題の起原−戦後日韓海洋紛争史』(ミネルヴァ書房)がある。
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山陰中央新報 2020年4月13日