日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
サーチナ 2020-01-05 22:12 >記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、
違います
日本軍が強すぎたから。
その強さを、中国人なら身をもって体験したはずだろ。
朝廷、寺社勢力 我々の祈りが通じた
幕府 恩賞をケチりたい
神風のおかげにしておけば、頑張った武士以外は丸く収まるからな
人は記憶型と思考型に大別できる
日本が大陸と戦って負けたのは白村江の戦いのみ
油断をしなければまず負けない
バイキングならともかく、モンゴルに揚陸戦は無理だったんだろ。
元も江南軍はリストラ移民対象になった旧南宋の兵隊が大半で
非常に士気が低かったと聞く
むしろよく戦ったのは朝鮮軍だと
そりゃ日本は狭い国土で戦ばかりやってる軍事国家なのに
大陸の田舎もんが季節も何も考えずにはるばる海渡って
戦争仕掛けてきたからだろ
嵐で補給線もなにもかもズタボロ
ざまぁとしか言えない
・騎馬民族が船戦出来るわけないじゃん
・朝鮮人の船がボロボロで使い物にならなかった
以上
>>17
当時のユーラシア大陸から見れば日本の戦なんて局地戦のママゴトのようなもんだよ 嗾けたのは朝鮮王
それに乗った時点で元軍はジョーカーを引いたといっても過言ではない
チョンが混じってたから
日本人ならこの結論に納得してしまう
船の木材調達のために朝鮮の国土が禿山になったんだよね。
国力も相当衰退したんじゃないかな。
>>1
元寇に関してはこの板でも散々考察したけど、日本が勝った究極の理由はこれなんだよな。
「鎌倉武士が基地外だったから。」 風雨が強かったのも原因だろーね
弓矢や自慢の「震天雷」も効果をなさず
乗船白兵戦
となれば、武士の方が圧倒的
>>21
その「ままごと」に負けてりゃ世話はない。
日本とベトナムだが。 >>21
物量重視の平地の戦い方と攻撃方向限られてる局地戦が
全く違うのは当たり前なんだがw
頭弱すぎだろw >>15
そりゃ、元に屈服したばかりでさらに格下の存在を作りたかったからな
惨敗した後は元兵士とともにみんな斬首されたが >南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成
これやんな
>>1
騎馬民族の最大の武器である騎馬を大量に輸送できなかったか
馬から下りた騎馬兵()とか雑魚 >>15
そりゃ日本を踏み台にして中国人より立場向上を目指した戦いだったからなw
それで敗戦に導いたら世話ないよなw >>7
なお、朝廷と寺社が恩賞を要求し始め、後の建武新政の遠因に(ry >>21
フビライはそのママゴトに意固地になって3回目の遠征を画策してたがな。 懐かしの打順
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
>>28
モンゴルもついてないよね。
はじめての海外戦の相手が鎌倉武士なんだから。 >>21
そうバカにした物でもない。
時代は下るが、
戦国時代には割合的に、
世界の鉄砲のほとんどが日本に集中していた事になるらしいからな。 船で渡ってきて
弓矢と震天雷での間接攻撃しか出来ないのに
風雨強くて、使い物にならない
上陸戦など無理だろうし
かつ、乗船してきたら逃げるしかないという
負けるだろ
1、騎馬民族のモンゴル人が渡海して日本へ攻め込むなんて無茶が過ぎるから
2、モンゴルに征服された南宋の兵が動員されて嫌々攻め込んできてたから
3、朝鮮(高麗)に道案内を任せたから
三つ重なればそりゃ失敗するわ
マジレスすると、モンゴル帝国が征服した地域はほぼ陸続きの土地。
騎馬民族であるから船が不慣れなのは当然のこと。
実力を発揮できなかったんですな。
>>40
モンゴルも十分基地外だが、相手も基地外だとはさすがに想定していなかっただろう。 けど、執権が真空元彌チョップやってたら
確実にモンゴル大勝利だっただろうなw
ちなみに
モンゴルが騎馬を大量輸送しても
鎌倉武士は勝ったと思う
結構、機動戦も得意
元寇時の朝鮮
大東亜戦争時の朝鮮
ベトナム戦争時の朝鮮
まさに虎の威を借るキツネ目
>>48
大河ドラマ『北条時宗』再放送は期待薄だからなあ。
羽賀のうえに今度は宮迫(ry >>49
馬は水や食料を大量に必要とするから、補給線が保たないんじゃないか? というより、何故あの広大な領土を征服できたかが知りたい
狩猟遊牧民族が家畜を引き連れ一団となって移動しつつ、農耕民族を各個撃破していったということか
狩猟遊牧民族にとって農耕民は狩猟対象でしかないから、それはそもそもの生活の延長線上の行為ともいえる
だとすると、家畜を引き連れ一団となって移動できないと、その特徴は生かせない
はっきり言えば
元に勝目はなかった
ただ、暴風雨は戦況を更に優位にし
少数で大部隊を蹴散らすことができた
だから、神風
さすがに多勢に無勢と考えてただろうと思う
>>52
在日がよく言うじゃん
現地調達
それができてた時代 >>39
>懐かしの打順
> 1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
>2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
>3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
>4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
>5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
> 6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
>7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
>8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
>9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
文永の役の経験を基に、弘安の役ではかなり重いっ切った手を打っていたと聞いていたが、そこまでやってたのか。
悪魔には悪魔の手を。
現代にも通ずるね。 >>45
今、当時の地図を見てみたところ、日本はもちろんの事、台湾,キプロス,済州島すら領有できてないんですな。
唯一、海上の島で領有できたのが海南島。
なぜ、海南島だけは領有できたのかは分からん。
とにかく騎馬民族が日本を制服とか、はなから無理。 ああ1回だけ負けたか在日に。こんな侵略の仕方卑怯だぞwww.
>>53
モンゴル帝国は、侵略するけど占領しない。
燃料、食料は当然現地調達。
この方式で版図を広げたという話を聞いたことはある。 >>53
・ジンギスカンという不世出の怪物。
・四分五裂を繰り返していた草原諸部族がひとつにまとまった。
・千戸制による軍事動員システム。
・周辺諸国の弱体化。
そのほかさまざまな要因が重なって大爆発したわけで。 元軍は進軍拠点として、橋頭堡の確保を目指したが、鎌倉武士が闇討ちしまくって、拠点を徹底的に潰した
元軍は仕方なく、船に戻るしかなかった
橋頭堡を確保しなかったのではなく、確保できなかったの間違い
神風がやたらと注目を浴びるのは、防衛戦だから当然だが、幕府が褒賞、つまり土地を用意できなかったから
神風のおかげにして、祈願した京都の仏閣にカネを払って終いにした
>>64
神風と言ったの
現地の兵士じゃねーのかwwwww >>58
海南島は南宋の抵抗拠点になってたし、なんとしても潰す必要があったんじゃね? 武士は相手の船に死体投げまくっただっけ?
それにビビって上陸できなかった
モンゴル人が朝鮮人を従えて侵攻しただけだろ?
中国関係ないじゃん
どちらの時も上陸は出来たが太宰府すら落とせなかった
兵站や地理案内に難があり、もし九州の防衛軍を破っていたとしても京都まで攻め上ることは難しかったろう
>>73
太宰府の手前の水城でマゴマゴして終了だな。 >>72
いや、中国(宋)の方からも攻めて来てたぜ?
朝鮮半島と中国からの二方面作戦や。 上陸した福岡も平野だが、川ばかりだもんな
得意な野戦はきつい
そして大砲がない艦船はただの輸送船だわな
のちに火薬式艦船砲が発明されて戦闘艦の戦闘力は飛躍的に強力になる
>>67
挨拶の使者送ったら生クビになって帰って来た 元軍を撃退し神国日本を守った九州鎌倉武士団....
少弐、大友、菊池、竹崎、龍造寺、引いては鎌倉の御大将である北条を含め戦国の世を経て残った家系は皆無...
強いて上げるなら島津くらいのものか...あぁ無常なり
時代の流れ移りはあな哀しきものなり
>>77
宋はやる気なかったらしいけど
風強いしこれやってもダメだわとかで 日本の地形って厳しいしな 陸上で戦うとなると厳しいよ
>>81
高麗は優秀な指揮官を派遣してた
こいつは電撃作戦が得意で博多攻略拠点になる山岳地帯を一晩で制圧してしまう お前らアンゴルモア読んでこい
よし、次の大河は元寇で!
>>82
それ服従しろみたいなこと言ってきてからで
生かして返さなかったのは時間稼ぎじゃないん >>71
高麗王子(忠烈王)は少なくとも元寇の2年前からクビライの日本遠征に積極的な支持を表してるけど、
クビライは元寇の6年前、日本へクビライの国書を届けた使者が到着した年の
その使者の帰還よりも前からもう「朕は南宋と日本を討たんと欲するのみ」と言っているから、
クビライが日本攻めようと思ったのは高麗王子の支持表明より先じゃないかな >>87
高麗の作戦?
あの島の住民を襲い船にくくりつけたやつか? 災害の起こりうる季節を理解出来ないってのが無能の証明
中国本土ならともかく半島なら台風のくる季節くらい知っていても良いだろうにその場その場の気持ちだけで生きていたってこった
>>87
金方慶だな。
讒言で一度失脚したり、某李舜臣と共通点があったり。
まあ確かこっちは終わりを全うしているけど。 >>82
首切られたのは文永の役の後に派遣された使者だよ
鎌倉幕府もそこまで狂気ではない >>96
台風の時期は避けていたんだぜ
しかし上陸できないと船でいたら沈没しただけだぜ 弘安の役は、南宋方面軍の沈没船見ると、鍋や包丁などが多数見つかってて、
従来の学者さんは、鍋を兜に盾にし、包丁で戦っていた
南宋軍は相当貧しい農民層が主体だったと大真面目に語っていました
現在では、移住を兼ねた征服だったというのが定説です
日本人って征服されたらどうなってしまうのかについて、いまいちピンと来ないのはこういう事からもわかりますね
>>64
さらに、東西で武士の性格が違う
東国武士らは騎馬戦が得意
瀬戸・九州の水軍など西国武士は海戦が得意
東vs西で源平・承久など対立した西国武士⇒要注意として幕府から監視対象
「神風信仰」にしても
寺社勢力(西大寺など)が幕府に影響力があった、という他にも
ほぼ西国武士のみで、幕府軍の出る幕なく圧勝したから
幕府・寺社が、西国勢(要注意の勢力)の軍功を称えたく無いから、との話もあった・ >>82
そんな記録はなかったよ
むしろ記録では元寇の前の使者は6回とも生きて帰ってる
使者が首切られたのは、文永の役の直後の7回目の使者
もうこの時は先に元が攻め込んだ後なので挨拶の使者とは言えない
それとその時も首を送ったりもしてない
だから7回目の使者の斬首を元は知らずに
8回目り使者を送り、その使者も殺されてしまっている >>84
菊池はけっこう残ってるじゃん
あの西郷も自分は菊池の子孫と言っていたし >>93
北村一輝を世に出したことと、渡辺謙を復権させたのが最大の功績ですな。 元寇より少し後のイングランドもそうだったが、射程の長い長弓でモンゴル側のアウトレンジから精度高く矢を射たからだろう。
相手側の攻撃方法が分かれば、源平合戦から承久の変を戦い続けた鎌倉武士なら臨機応変に戦えたからどんな状況になっても長びけば長引くほど日本側の有利だった。
>>107
お兄ちゃん生存ルートも当時盛り上がったな。 記事を読まないレスで申し訳ないが
2002のあたりから「平和を愛する韓国民族が、わざとすぐに壊れる船を造った」というムチャクチャな説が流れ、日本のマスコミもそれにのってたのがすごかったなあw
>>95
奇襲部隊と迂回部隊の併用
日本側守備隊は防御重点を形成できずに殲滅されてしまい上陸拠点背面に海上泊地設定を許してしまう >>66
更に言うと神風は天皇ageの材料として後世で再注目されたから広まってるっていう理由もある。 >>66
よくみる
これ、たぶん1もこのへんの絵から「火薬を使った武器で日本が劣勢」
って話をしてるんやろけど、この絵には続きがあって
ようは「敵はこんなすごい兵器をつかってきた。でも勇猛果敢に倒したぜ!」
って内容。
ようは自分たちが滅茶苦茶頑張ったから勝ったんだせ!って伝えたかったんよ。 >>105
何度か日本に来た使者が日本攻めるのはやめた方がいいと発言していたのにねえ >>110
なお当の高麗の記録では、弘安の役の高麗軍の帰還率は七割 鉄砲と弓で決定的な差が着いたのは鎌倉時代よりずっとあとだもんな
>>106
内部分裂で崩れていったあとに方々に散っていった家系があるだけだよ
ちなみに最終的に滅んだのは秀吉が遣わした佐々成政と肥後国衆一揆で国人が殲滅された時
その後佐々成政が処罰され、加藤清正が肥後入りすることになる 元側に日本の情報が無さ過ぎなんだよ
これで戦争できるわけ無いだろ
弘安なんてミッドウェイ+インパールより酷いぞ
まぁ、元側の人間が瀬戸内海通れるはずも無く、高麗の情報に頼ったんだろうな
元寇は朝鮮人の情報に頼った結果だろうなw
>>117
敵が無茶苦茶非道なことをやった
それなら同じことをやれっとやった >>116
文永の役で懲りて、丈夫な船を造ったようです。 朝鮮人はこの件に関して土下座して日本に謝罪しろ
人様に謝罪を要求する前に自らの犯罪行為を反省しろ
尚、賠償金は未来永劫永久に支払え
>>21
孫氏の兵法に
反する行動をしたから負けたのだ >>117
上の方で打線を組んであるんで、それでお察しください。 神風に関しては三島由紀夫のなんていったか、短編があったなあ。
少年十字軍の生き残りが日本まで流れ着く話
その設定自体はロマンあったが、いくらなんでもWW2で日本が負けたってのをダブらせているのがわかりすぎて
だったらもっとエンターテイメントにしろよとしか思わなかった。
豊穣の海もだがw
>>123
この時ばかりは日本もやった。
なお五十年後に楠木正成もやった。 当時の洋上輸送じゃ仮に本土上陸を許しても補給路を断たれて終わり
朝鮮出兵でも兵力差で優っていても支援が続かない
>>128
高麗は第一次の帰還中に嵐(台風ではなくて冬の日本海名物爆弾低気圧と思われる)に遭遇し痛い目に遭った。
そのためか第二次では頑丈な船を造ったようで、元の指揮官やらも高麗船で逃げかえっている。 >>115
元寇直前の五回目と六回目の使者の趙良弼って人だね
「臣、日本に居ること歳余なり。その民の俗をみるに、狼勇にして殺をこのみ、父子の親、上下の礼あるを知らず、その地、山水多く、耕桑の利なし。
その人を得るも役すべからず、その地を得るも富を加えず。いわんや舟師の海を渡るは、海風に期なく、禍害も測ることなし。
これ有用の民力を以て、無窮の巨壑をうずむるがごとし。臣おもう。撃つことなきが便なり。」
と帰国した後にクビライに諫言して元寇に反対した記録が元史の彼の伝にある。
>>82
上記を見ても、元寇の前の使者はその直前の使者でも生きて帰ってるのがわかる
殺されてたらクビライに報告できないからね >>125
それも日本に何度もきた使者だったのがいったんだぜ
補給がないし風強いし勝てないと >>115
どうしようもない野蛮人だから止めとけって止めたんだよね >>119
菊池一族は南北朝の時代に南朝について、北朝に負けて九州から逃げて新潟に逃げて、そこから北海道へ、その後居着いて成功しているんだよね
菊池の家来筋の栗林商会とか
余談でした失礼 >>135
『北条時宗』にも出てたな。
食えないジジイとして描かれていた。 >>138
元の野蛮人に言われたくはないけどねえ
とりあえずこいつらヤベーから関わるのやめた方がいいとかな >>138
こう考えると、何なのだろうねえ・・・
平時はお祭りとエロいことが大好きで、有事は無駄に野蛮になれる大和民族・・・ >>126
みた
>8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
↑これなんか、戦略として意味わからんのですが、なんでしょ? >>146
幕府連署だった極楽寺北条重時の遺訓に「気に入らない奴であっても妄りに殺してはいけない(意訳)」ってのがあるそうな。
要するに鎌倉武士とはそういう人種だったということ。 >>148
1.相手の戦意を削ぐ
2.疫病狙い
他にもあるかな? 台風が来ようが
それまで上陸させない徹底抗戦の結果だろ
>>148
いや、人種民族問わず、そんなもん投げ込まれたら嫌でしょw >>148
戦意喪失
船とか離れているのに死体を投げてくるようなのがいたらビビるだろ
ウンコはそのせいで病気蔓延したとか
長期戦になったら島に上陸できないと無理なんだわ
上陸させないためにやったこと >>148
攻めてきたのは夏だから腐った肉放り込んで、船内に疫病流行らせようとしたと思う >>152
有効な戦術だと思うにょ>死体を投げ込む >>1
「元寇」はなぜ失敗した?
1.鎌倉武士が強すぎたから海上にくぎ付けにされ、
上陸して橋頭堡を築けなかった。
2.高麗(朝鮮人)の兵士が弱かった。
フビライをそそのかせて日本を責めるよう仕向けたが
士気が高くなかった。 元は大陸の覇者だと思って日本強気でいったら
日本は北斗の拳のようなとこだったという
使者はそういうのを目の当たりにして
こいつらヤベーわ・・・(; ・`д・´)となったという
元だって酷いことやりまくっていたのにねえ(´・ω・`)
>>150
>>152
いや、投げ込むのも大変だろうに、そのわりには効果が少そうだなと
まぁ気が狂ってるならそんなものなのかな 菊池とかあのとき活躍した御家人がみんな悲惨な最期を遂げて
でも元寇で戦った武士団は偉大ですわ
一時期凄く過小評価されてた時があったけど(なぜなのかな?)
>>154
今でいうBC兵器だろうね
ウンコもそうでしょ
ウンコはベトコンもブービートラップで使ってたし 有史以来朝鮮を味方にして勝ちを得たのって大陸(vs日本)の白なんちゃら村だけだろ
朝鮮が味方だとアメリカですら敗戦すんだよ
>>158
戦意喪失と疫病狙いと考えれば、十分効果があるだろ。
汚物もぶちまけたそうだし。 弘安バトル江南軍10万軍船3500艘 舟底偏平川船多く玄界灘荒れたら即沈やったらしい
>>161
あれは日本側に百済がいたという(ry
まああの時の新羅はあれはあれで振り切ってたし。 >>158
漫画ソースで恐縮だけで、キングダムで桓騎が魏国攻めで同じ戦法を取ってるよ。
あっちは敵方の補給部隊を強襲・虐殺して、惨殺死体を敵方陣地に送り返す戦法だったけど。 >>159
鎌倉武士は朝廷から権力を簒奪していたので戦前から扱いは良くない >>165
そのせいで夜も眠れない状態にされたんだよねえ >>159
だいたい「かみかぜ」のせい。
もっと単純に「武士が強かったから勝った」と言えばいいのに。 蒙古襲来絵詞って盛ってるとはいえほんと奇跡的な一級資料だよなあ
蒙古兵は陸上では強かった。
日本兵は夜襲が得意だった。
蒙古兵が上陸して野営すると必ず夜襲されるので夜間は船上で野営していた。
しかし野営する船も場所を突き止められて夜襲を受けまくった。
昼に夜に戦闘が続き疲れ切った蒙古兵の所へ台風が襲い大半の船が兵と共に沈没
残存艦船は撤退。
>>163
そっか、うんことか撒き散らすBC兵器みたいなものなのね
ほかのえろいひともありがと >>169
後はなんやったっけ?人質取られても関係なく突っ込んで来るとかwマジキチですわw 朝鮮民族がヘタレて戦線崩壊したのが事実なんだなけどね
>>156
いや忠烈王はフビライに軍船提供したり、拠点を昌原市にしてすべての補給をまかなったり、
出撃前に全軍の前で檄を飛ばしたりヤル気満々だったんだわ
軍も壱岐対馬松浦からたくさんの嫁娘子供を強制連行して慰み物にしているし と言うかこれは、高句麗が元をそそのかして侵攻させたんだろ。
>>163
第一次大戦の塹壕戦では、蛆の湧いた味方の死体にすらなれるらしいが、
短期だと、投げ込まれた瞬間に大混乱になるかと。 対馬の妖怪「ムクリコクリ」って、この辺りの話が由来だっけ。
>>176
陸上出来なきゃ、自慢の騎馬隊も無意味だべさ。
狭い船上で騎馬戦・・・ドキがムネムネするねえw 大河で元寇を扱ったのは評価するけどあれとかあれでなんかすごく残念w
戦闘シーンとかは悪くはなかったけどもっと金をかけるべきだったな
土塁がスチロールってわかるんだもん
>>174
元が武士団の士気を落とさせる為に討ち取った武士の首を晒したら、狂ったように突撃されたってのがあったな >>182
鎌倉武士相手に船上で組み討ち近接戦闘とかやりたくねえw 朝鮮でも船を建造したけど
スゲぇ手抜きで、ちょっとの嵐でも即お陀仏的な脆さだったらしい
三重底を二重底にしかしなかったりいろいろやったらしい
昔は朝鮮人が元に抵抗してわざと手抜き船を作ったなんて教えられたけど
今なら分かる
それが半島人のスタンダードなんだと
>>154
酒見賢一の「墨攻」にも(漫画版だったかも)籠城中の城内にカタパルトで病死した馬投げ込む描写あったから、昔からあった戦術じゃないかな 弓矢は数回の戦闘でなくなる。その後は刀や槍での戦闘になるが、あちらの刀は重くて切れない。
日本武士は、剣術は慣れている。だから、上陸もできずに長い間沖にいた。そこに嵐が来ただけ。
>>177
外征による動員を、国内支配強化に利用したんだわな。
その点外圧を利用した得宗専制体制と似ていなくもない。 >>186
弘安の役の高麗軍は7割帰還して、南宋船よりも沈まなかったと思われる 1.先鋒が高麗(朝鮮)兵
2.騎馬民族が日本海でヘロヘロ
3.総大将がガースー
>>151
長崎の鷹島に上陸されて、拠点を作られてた訳なんだがな。
弘安の役は、鎌倉武士団が鷹島へ逆上陸して台風で船を失った元軍10万人を皆殺しという日本史上滅多にない凶行で終わっている。 >>184
そんなことしたら首を取り返そうとして常時の倍くらい凶暴になる習性があるのにねぇ >>182
ムックリ が蒙古の訛り
コックリ が高麗の訛り
どんな国でも強大な侵略者は子供をしつける妖怪にされる
ローマに打撃を与えたハンニバルやヨーロッパを脅かしたバトゥも >>181
慣れってのは恐ろしいもんで。
戦記文学とか読むとよくわかる。
>>179
「高句麗」ではなく「高麗」です。
三韓の「高句麗」を「高麗」と呼称する例はあるけれど、逆はないんだったか? 一回目は、朝鮮製のボロ船だったから。
二回目は、朝鮮製のボロ船+南宋軍の寄せ集めだったから。
南宋の将軍がヤダって参加しなかったんだよな。
自分たちの常識を失敗として頭を切り替えて改善して作戦を練って迎え撃つって素晴らしいよね
どんな会議をしてたのか見てみたいわ
>>186
船をわざと手抜きして作ってやったから、倭奴は感謝するニダというのは、
当時から高麗が言ってた大ウソで、国力を結集して、丈夫な軍船を多数
建造し、率先して日本侵略を企てていたのが水中考古学の進歩で最近ばれたが、
真っ赤な日本の教科書会社は全く記述を改めようとしない。 >>186
雇い主が給料や飯を録に出さなかったので手抜きに直結したこれは世界共通 >>194
疑問なんだけど、
大日本帝国は第二次世界大戦でウリナラを始めとしてアジア諸国を侵略して回ったらしいが、
それらの国でイルボンが子供を躾ける妖怪になっているのだろうか? >>190
あまりの狂暴性にびびって上流できなかったからな >>183
最近の高画質化まであんなのでも分からなかったらしい
問題に感じないやる気のない作り手しか居ないってことかな >>194
フランスやドイツにはカエサルが元になった妖怪が >>189
元に屈服したと思えば、すぐにその手先になって多国を侵略する
チョンの民族性がクズなのは800年前から不変 一部だが
http://people.ucalgary.ca/~xyang/obusu/obusuT2.htm
男衾三郎、兄には一様変はりたり。「弓矢取る物の家よく作りては、何かはせん。庭草引くな、俄事のあらん時、乗飼にせんずるぞ。馬庭の末に生首絶やすな、切り懸けよ。
有事の時に馬の餌になるから草むしりなんぞすんな
修練場に生首絶やすなよ >>204
媚びうるためだったのか、それとも日本を巻き添えにするつもりだったのか。
まあどっちでもええか。 そろそろ当時の鎌倉武士や少し後の赤松則繁みたいにシナチョンを扱う日本人が
たくさん出ないと、やられっぱなしでは面白くない。
>>197
日本人は平時は色々な意味で変態だが、有事においても変態だったか・・・ >>200
中国では日本兵を精兵と呼んで大人も怖がっていた
直近の出来事なんでまだ妖怪になってない >>204
元が左前になると明に媚びて、清が台頭すると馬鹿にして明に義理立てしたけど
ホンタイジに助走付きでガチ殴りされたら尻尾を振って、清末にはロシアに媚びを売って
日本にキレられる
まあ元寇以後だけでコレだからねw >>192
フビライが捕虜変換交渉に応じるわけないし、
灰燼となった九州で10万人もの捕虜養えるわけないだろ
現在でもいきなり10万人人口が増えたら対応できる国は少ないと思われ 蒙古襲来絵詞リアリティが凄い竹崎季長氏歴史その名を刻む
>>207
当時の高麗王は元の属国になるまで、
家臣の傀儡に等しい存在、
それを元の支援により、権力を取り返してる、
地位を安定させる為にも元の介入を欲したのかも。 >>212
>脱出した則繁は室津から船で筑前守護の少弐教頼を頼って落ち延び、さらにその助けを得て李氏朝鮮に渡った。朝鮮では一州において暴れまわって制圧する勢いだったという
草 >>208
じゃあ現存する花畑左翼を潰せよ
どれだけ正当な理由があっても相手殺したら誹謗中傷するヨーロッパサヨクとか
日本が慎重なのはバカサヨが喧しいからじゃないぞ、他国の左翼が鬱陶しいからだ >>214
捕虜にでっかい穴掘らせよう。
そして捕虜ごと埋めよう(提案 >>217
いわゆる武臣政権時代ですからね。
その残党が三別抄だったか。 >>218
この何ヶ月か、貴様につくレスの数圧倒的に減ってるの気付いてる?俺もこの忠告以外のレスはしないしまた壁打ちか >>192
皆殺しにはしてないよ
元史によれば2、3万人の捕虜が出て博多に移送され、
その捕虜のうち南宋人は助命されてる
元々弘安の役は10万人が南宋人だし高麗人は7割帰還してるし、
これも過半数が南宋人だったと思われるのでかなり助命されてるんじゃないかと >>215
絵巻物は武功報告の最上級アイテム
絵師を雇わないといけないので高級品だった >>226
南宋人は、先に日本に逃げてきた南宋の連中が、
幕府に彼らの助命をしたからと思うが、
生き残った高麗人は皆殺しに。 手弁当で参陣与する恩賞無し只勇みか不満が激しかったみたい
高麗王がアホだった
クビライにとってはどうでも良かった
>>211
鎌倉時代だろ?
日本にも男衾なんちゅうイカれた武士が居たしな >>192
郷土史まで読まないと物語を信じてしまう
(郷土史が必ず正しいとは言ってない)
鷹島に10万人も収容するキャパがあるわけねぇっての
福岡ですら全部で数十万も人口いない時代だぜ? >>228
博多の商人謝国明(北大路欣也)とか、亡命僧無学祖元(筒井康隆)とか。 >>114
何で寡兵の鎌倉武士団は夜襲かける元気があったの?
波状攻撃仕掛けられるのは普通に考えて大群の元のほうだろ。 >>231
男衾三郎は男衾三郎絵詞という物語の登場人物であって、実在の人物ではないよ "職業軍人" だからなあ>鎌倉武士
源氏は化け物だらけだし。為朝とか
>>233
船の残骸が相当数あっただろうしろうから、
比較的マシな船に分散していた可能性もあるんじゃないかな
帰国できるほど無事だった船は将軍たちが乗って帰ってしまったけど >>235
元軍は徴発された兵で
鎌倉武士は職業軍人
鎌倉武士はしょっぱなで
「ははあ、ルール無用の残虐ファイトでええんやな?」ってリミッター解除した >>235
初見の土地だから暗い内に攻撃に出ても帰り道を間違う可能性が高い
あと、夜襲は経験豊富な兵じゃないと行動できない >>233
最近出た中公新書『蒙古襲来と神風』だと、別の場所と取り違えてるって主張してたな。
>>227
まああの絵巻は、恩賞ゲットして懐が豊かになってから描かせたんだろうけどね。
恩賞くれた恩人(かつその後非業の死を遂げた)安達盛宗と少弐景資に感謝する意味もあったそうな。 神風(駆逐艦)がタイムスリップして日本を救った説をですね
ああ、艦艇じゃなくて艦娘でおながいします
当時の高麗は元の属国で、王はモンゴル人としか結婚出来ないし、
子供たちは人質で北京で過ごしてる。
その人質使って、元に日本を攻めようと工作したのだよ。
当時、こいつらモンゴル名使ってたんだよ、今と変わらない化石動物みたいな物。
元が支配する以前、北京付近は僻地の貧農の村だった。
元の支配後、北京〜その周辺地域が栄えた
元の支配以前、中華は長安〜黄河や長江流域〜寧波あたりが栄えてた。
当然ながら朝鮮半島はそれら地域からは超僻地な地域。
>>244
『蒙古襲来絵詞』の中に、武者姿に神風を描いてやれw >>248
着物の主張が激しいからうまくいきそうw >北京付近は僻地の貧農の村だった。
ん?ワイヤンアクダが金国を作ってる。ワイヤンコウレツだったかも。
金を攻めたのが元。
>>249
ちなみに。
和歌の世界において「神風」は、「伊勢」「五十鈴」などに掛かる枕詞です。
『万葉集』には七首ありますが、多くが「伊勢」とセットです。 漢民族にとって最大版図が異民族支配下であったって言うのは大きな屈辱なのであろう
>>215
子孫は断絶しているけどね
その点、鎌倉から幕末まで続いた薩摩の島津氏や人吉の相良氏とは対照的だ 武士にとっては恩賞をもらう大チャンス、やったー!
てなもんだったからw
元軍は夜は博多湾の軍船に引き返して過ごしたが、恩賞狙いの小舟がわんさかやってきて戦闘w
恐怖と不眠で元軍に厭戦気分が蔓延w
台風がきて、博多湾に打ち上げられた侵略者たちを浜辺で2万人くらい撫で斬りされた。
博多湾は侵略者の血で真っ赤っか。
1回目でさえ武士が半年粘ったゲリラ戦の上での嵐だろ
上陸して橋頭堡築けなかった大陸軍の戦略負けだわ
>>1
戦勝国(勝) :敗戦国(負)
元寇 日本(勝) : 元+高麗(負)
文禄の役 明(勝) : 日本+朝鮮(負)
慶長の役 日本(勝) : 明+朝鮮(負)
明滅亡 清(勝) : 明+朝鮮(負)
日清戦争 日本(勝) : 清+朝鮮(負)
日露戦争 日本(勝) : 露+朝鮮(負)
シベリア出兵 ソ連(勝) : 日本+朝鮮(負)
大東亜戦争 アメリカ(勝): 日本+朝鮮(負)
ベトナム戦争 ベトナム(勝): アメリカ+朝鮮(負)
朝鮮(韓国・北鮮)が毎々、戦犯国(敗戦国)(負)だろ! 漢民族という認識があったかどうかは別にして
現代からふりかえれば、多民族が混血しつつ、中原に居座りつづける人々のことだろ
まぁ同様に日本列島に居座りつづけるひとびとが大和民族?なわけだが・・・
そもそもホモサピエンスの歴史考えれば純粋な民族なんていう概念が妄想なのはあきらか
あの時代に日本取ろうとか土台無理だろ。
船も大陸はボロいし。
日蓮大聖人が鎌倉幕府の執権北条時頼に宛てた国家諌暁書が立正安国論。
この中に 他国侵逼難が書かれている。薬師経に法華経に背く行いをしてると他国からの侵略に
苦しめられる事が書いてあり北条時頼に予告していた。
一番の要因は兵力。
中国だって朝鮮戦争で経験済みだろう。
最強のアメリカ軍だって、朝鮮兵と一緒にやるとあんな結果。
それは中国にも言えるかw
>>266
もうちょっと国内を固めてたら秀吉にもワンチャンあったかもな
あるいは信長が光秀に討たれなければ...
現に朝鮮出兵から40年程で明は実質、満州族に支配されてるわけで >>82
殺されてないけど、最初の使者の国書ですら
挨拶というには兵を動かすことをチラつかせてたり
あいさつ程度の手紙というには結構疑問がある >>96
海流が弱くなるのが夏だから仕方ない
よって台風は避けられない いまの中共の設定は
過去に中原を支配した異民族の故地はすべて「中国固有の領土」
特亜にかかわるということはそういうこと・・・
なーにが神風だ
ろくに航海もできない馬鹿が敗北したのを風のせいにしてるだけ
日本>>>>モンゴル帝国
なのを認めたまえよ
日本を侵略するのに元寇まで遡らないと参考にならない支那チンクw
惨めな民族やなー
数にまかせて攻めてこいよw
そんなこともできんヘタレが習チンピラ率いる解放軍♪
>>82
ニュー速+のスレと合わせると、もうこのニュースのスレだけで
一日も経ってないのに十回も、日本が文永の役の前の使者も殺したと思ってる
書き込みがあるのな…
本当にこれ、誰が言いだしたり広めたりしてるんだろう チンギスハーンを中国の歴史上の人物
と定義するのは正しいのだろうか?
>>41
内戦による殺し合いと命の軽さにかけては世界有数のキチガイ国家だからな。戦開期もあるから断続的ではあるものの伊達に1500年近くも内戦してないし西洋のように人質で金銭ってのも基本無くて首寄越せだったし
そもそも人質の目的が西洋のそれとは全く違うし
…こうして見ると見事な修羅の国だよな、本当に… >>276
中国は歴史上日本に迷惑をかけた事は無いアル!
チンギスハーンは中国の歴史上の人物アル!
連中はこう言ってるw >>280
フビライは中国人の評価はどんなものなんだろうね
南宋を攻め滅ぼした時のハンでもあるけど これ確か神風ってのもあるけど
当時の武士は人質ごとヒャッハーしてて
こいつらヤバイって元軍の記録に残ってたな
>>140
米国は海洋勢力だぞ、一応
ほぼ大陸だけどw 神風って言葉これが由来でしょ
台風関係ないというなら神風という言葉が生まれてないはずだよな
そもそも優勢なら船に戻って待機する必要ないしねw
陸戦でボロ負けして船へ逃げたら台風っていう泣き面に蜂状態だった
戦闘民族鎌倉武士に喧嘩売ったのが間違いよ
ずーっと前にKBSの日本向け日本語放送で、朝鮮人のサボタージュで船の建造が遅れて侵攻時期が台風の季節になったおかげ、って言ってたよ
モンゴル人ってこれ以降はまったく振るわないのはなぜ?
フン族とか含めて昔はかなり戦闘能力高かったのに
>>7
元の戦史記述からみてもそれが定説になってきてるね >>289
女真族=清とかもいるからなぁ
あと朝青龍とか白鵬とか >>283
西洋相手なら兎も角鎌倉武士相手に人質なんて意味無いからな。むしろこのまま辱めを受けさせる位なら殺してやるのが武士の情け位にしか考えて無かっただろうし >>283
まぁ半島に攻め入ったときも、相手が多数でも切り込んでくるわで
死を恐れて無いのにビビってたからなぁ。 >>279
武士って世界史的には相当に早い 職業軍人 だからねえ
つまり軍人による戦争歴が長い >>287
だって虎の子の「てつはう」はこけおどし手投げ弾で、初手で馬がパニクったくらいしかなかったし
射程に優れる日本側の弓に元は対抗できないし
徴発兵と職業軍人でエゲツナさの差が激しいもの
見張りも立てず夜に寝てたらそら手柄のバーゲンセールよ 水車すら作れない高麗にまともな軍船を作る技術などなく、手抜き工事以前の問題だった。神風と呼ばれる暴風雨なくともいづれ撤退せざるを得ない状況になっただろう。
元が無双できたのは騎馬隊を縦横無尽に走らせられる平原がある地域のみだろ。
ジャングルや森が生い茂るベトナムやジャワでも負けてる。
上陸が出来ても山地がほとんどの日本じゃ勝目ないな。
>>15
元の侵略パターンは全部同じだよ
周辺を襲って男を兵奴にし
それをモンゴル弓兵が後ろから追い立てて戦わせる >>296
そのまま陸戦モードに入ったら入ったで
地の利と射程のスナイプゲリラに皆殺しにされる元軍が見れる
という 詰み >>79
厳密には、ちと違うな。
文永の役では、1日で撤退という俗説がまかり通っていたが、近年の水中考古学などの研究によってそれは覆ってる。
後世に神風史観で書かれた歴史書を排して
当時の資料のみ調べると実際は7日間戦ってること、
何よりも現在の新暦に直すと11月中旬で、台風の季節ではない。
冬の日本海の寒冷前線に耐える備えがなかったことが原因とされてる。
冬の玄界灘を舐めたら死ぬぞマジで。
不慣れな軍隊が長居できるはずもない。
痛い目を見た元軍は、2度目は5月末に攻めてきてるが、強固な防塁の備えなどがあって元軍がなかなか上陸できない
長期戦。あれよあれよという間に9月まで戦ってりゃ、台風も来るわな。
幸運とは言えんよ。日本の備えと、武士たちの奮戦、それに加えて
日本海の気候を知らなさ過ぎた元軍の無策が敗因よ。 >>297
地球を輪切りにして比較すると
大陸から見たら 日本列島は 針
だからな 鎌倉武士の訓戒がこれだからな
家を継いだからには心がけねばならない。戦時に馬の餌にするのだから庭草はボーボーにしとけ。調練場の端には生首を常に絶やすな、人殺しも忘れるな
門前を横切る乞食や僧侶、修験者はとても有益なものだ、すばしっこく逃げるため弓の標的として活用せよ
武士と生まれたからには殺しまくれ
>>302
職業軍人すぎる
鎌倉武士 VS 元軍 って
バブリーズPL VS ニコニコ動画でTRPG視聴エンジョイ勢
くらいのもんか
初心者に容赦しないマンチキン >>283
元は外交で侵略してたらしいし、本格的な侵略戦をしたこと無いんだろ
初期とは言え結構深くまで進行したのに拠点すら作らず船に帰るとか、外交+遊撃でなんとかなると思ってたんだろう
あっちじゃ都市を荒らして原っぱに逃げる山賊スタイルは通用したが、日本じゃ逃げ道限られるから上手くわけないし >>1
鎌倉武士がヤバいレベルのバーサーカーだったから
あとは事前情報による事前準備 そもそも射程に優れた長弓持った重装弓騎兵なんて世界的にもキチガイじみた代物の集団が主力張ってたのが鎌倉武士だしな
まあ、弓騎兵自体維持コストがべらぼうに掛かるから勝っても幕府に報酬ケチられて散々だったから反感が高まるのも当然ではあったんだけどな
そもそも侵略戦争じゃなくて防衛戦争だから、報酬を払えて言われても幕府の持ち出しくらいしかないんだよなぁ
武士が待ち構えてるところで長居するより、他の地点に上陸すればよかったんじゃないの
せめて人質でもとって身代金要求でもできればよかったんだが
西洋と違ってそういう習慣無いのが痛かったな
人質=金と交換じゃなくて人質=生き恥だから自決orさっさと殺せって文化だものな
そういう所でも命の価値が軽い
上陸したが日本刀が怖くて船に逃げ戻り強風に耐えられない粗悪な船が沈没
鎌倉時代の刀は日本史上最高らしいし
>>21
そうだな、ベトナム戦争でアメリカ軍+韓国軍が惨敗したが
局地戦のママゴトみたいなもんだな >>305
現在の山口県辺りに兵を派遣
近畿に最強の部隊を配置
しかし九州の武士が余裕で勝ってしまい褒美を寄越せと言い出したので金の無い幕府が困る事態に にしても、フビライはけっこうしつこく第三次侵攻計画を練っては消し、練っては消ししたんだね。
信じて送り出した十数万人が水漬く屍では悔しいわな。
笑っちゃうのが日本にも元寇の詳細な記録が残ってるから
パヨちんどもや韓国人、中国人が「神風」くらいしか
歴史改ざんできないところだな
日本が陰湿だったんだろ
人質なんか関係なく弓を射るし
睡眠妨害や汚物を投げ込むとか
日本には海賊上がりの武士や武装集団が多かったんじゃないの?
大陸の陸戦しか出来ない連中が海の上で海戦専門の奴らに勝てるわけないだろ
徴兵されたやる気も練度も低く海超えてきた元と士気高い武士じゃ勝負は火を見るより明らか
>>315
敗因分析出来てたら止めるんでね?
上がってきた報告がおかしいから、2度負けたわけで 鎌倉武士の実態は武装した開拓民
土地に対する執着は異常だった
この頃のモンゴル軍のほとんどは外人部隊
徴兵は義務ではなく権利
海は最強の城塞ってことだな
多少やられても補給が続かない
>>323
そもそも敗因になってるようなことは元寇の前から、
直接日本に行って日本の武士の気質や日本の地形、海の危険を見聞きした
元の使者が理解して、詳しく説明して止めている
が、クビライはそれでも文永の役を起こしてる
ぶっちゃけ、元寇に関してはクビライは杜撰すぎる
またはコストと失敗の確率を顧みないほどに日本征服したがってるかのどちらか >>300
>>何よりも現在の新暦に直すと11月中旬で、台風の季節ではない。
11月中旬は台風シーズンでこそないけど、たまに台風がくることもある時期ではある
それに、台風とまではいかない暴風だった可能性はあるけど、
高麗の歴史書でも「大風雨」があったことは記されている >>318
国家存亡の時に陰湿も糞もあるかよwwwwwwwwwwww
壱岐対馬北松浦からたくさんの妻娘子供を虐殺強姦強制連行した元高麗軍の方が陰湿だろうwwwwwwwwwwww >>329
五輪みたいな大きなスポーツ大会では、ウリナラ民族は相手選手のホテルの外で一晩中騒ぐよねw
いやあ、陰湿だなあwwwww >>327
朝鮮出兵のときも似た感じの価値観の違いがあるんだっけ
将兵が城塞からすぐ逃げ出すわ、それに乗じて奴隷が城塞に入って略奪、破壊するわ
将兵はもとより防衛戦のあり方も全然違ってたんだろうな >>332
大陸は逃げる場所はいくらでもあるけど、海に囲まれた本邦じゃそうはいかんからな 高麗が手加減することを同盟国に進言したからなんとかクソジャップは亡びずに済んだんだよ、それが韓国では常識。
カムサハムニダ。
>>319
多いも何も、松浦党や九鬼水軍が参戦してるし >>334
侵略側が手加減とか意味が分からないんだが
それで負けてりゃ世話ねえな(大爆笑) >>334
バカ?
そもそもフビライに日本への進行を唆したのは朝鮮の王族だっての >>334
手加減じゃなく単純に日本の国力兵力を見誤った
文永の役ではたった4万、船員引くと3万3千で攻め入ったけど、
疲労して戦い続けることが難しくなってるし、
一方日本は戦場は九州でもその先にはまだまだ
疲労してない武士が援軍に駆け付けてきていた
そのままでは疲労した少数の元高麗軍VS元気満々の大軍の日本軍
という状態になると察知したから撤退した
当然こんな状態で橋頭保なんぞ維持できるわけがない
作っても疲労した状態では守り切れず多数の武士に奪い返される
そして撤退の途中に台風または暴風にあった
高麗の記録を参考にするとそういうことになる 蒙古ユーラシア軍は規模がやべえ
日本に来たのは末端の下級兵士と雑魚の高麗軍だから弱かったんだな
>>236
悪党とかは?
物語とはいえ小領主があの描写じゃね。 え、元が失敗した理由は常識だと思うが、「法則」でしょ。
事実上朝鮮軍だろ。
元を侵略に引き込んだんだ。
悪魔に味方すると酷い目に合う。
泥舟に乗るは韓国起源だったか
>>1通りで負けるわけだ >>元寇の失敗
海上輸送で戦力不十分、征服地徴収人ばかりで士気低、目論見甘すぎで長期化、日本側の抵抗、待ってましたの
台風と冬の嵐でしょ今更まだ何か有るの?あぁ朝鮮人だけは一生懸命略奪に性出したって言いたいのかな?
どーでも良いよ
手先になる部隊が無能な働き者。
日中戦争の朝鮮棒子
ベトナム戦争の虎部隊
元寇の高麗軍然り
虎の威を狩るミミズ
神風云々は枝葉末節
細部を全体のように語るのが間違い
上陸戦の戦闘ドクトリンが確立してなかったからであろうw(^o^)
異アマだって研究開発してる国はあるのか
アメリカ海兵隊以外にそんな部隊はない、、、武士団にやられたんだな
だから鎌倉武士団にやられちゃうんだよw
米海兵隊と米陸軍の編成は全然違う
第一、弘安の役ではモンゴルが攻めて来るのがわかっていたから
水城という防壁を海岸に何kmも作っておいたから上陸すらできなかった
後の細かな戦術と戦略は陸軍の参謀本部かどっかが本を出しているよ
高麗の力を借りず、黄海をはじめっから横断、済州島を占領して拠点として
長崎から佐賀平野に侵攻する作戦がよかったと思う
佐賀平野なら大会戦でモンゴル軍の優位を発揮でき、鎌倉軍を殲滅できる
>>172
夜襲されるので船上でってのは資料無かったような
元が勝ってたと言ってた学者さんが思いつきで言っただけで
文献では、文永は軍議で撤退が決定したあと船に戻った。
ふつうに上陸戦失敗しただけやね。
弘安は、志賀島で元5000人が敗退して本陣の中まで切り込まれて
危うく総司令官が斬られそうになったので撤退。
夜は海上で夜襲を受けた。こっちも負けて船に戻ってる。 >>352
そうなれば東軍の勢力は確実にそがれていただろう
応仁の乱も起こってなかったか
小規模な小競り合いで終わっていたかもしれないね 演習を繰り返していた鎌倉武士にとっては
夷狄相手に実戦できるっていう最高の展開が来たわけだから
そりゃウキウキしただろうな
この頃の高麗人はその後滅亡したのかな?
日本併合前の朝鮮人なんか野良犬と一緒になって地面に背中擦り付けてたのにね
>>158
モンゴルも南宋の都市を攻略するときに投石機でやってるから。
死体やら汚物の投げ込み。 >>114
劣勢やないやん
先駆けは被害担当だぞ
竹崎5騎が的になってるうちに白石60騎他が無傷で射程に着ける
だから先駆けは恩賞の査定が高い 収穫して出兵する時期と台風シーズンが同じなんだもん
冬は海に落ちたら死ぬし、春になったら大陸で忙しくなるし
陸の遠征ならともかく
十万を超える軍馬を輸送して海を渡るってのは、戦略上の困難は飛躍的に増す
中世以前で、そんな大遠征は、ローマ帝国のカルタゴ遠征とか
日本の朝鮮遠征など含めても、数得る程度だよ
幾ら蒙古帝国であっても、そうそう簡単な事ではなかっただろう
軽騎兵によって統一されて、迅速さをもってなる蒙古軍も、海を渡る戦いなど
ほとんど経験が無かったでしょうしな
1ヶ月も上陸させなかった時点で日本の勝ちでしょう!
しかも日本側は九州の軍だけ、まだまだ余力はあった。、
地理的に日本が有利だったのと
当時は戦国時代で侍がイキってたから防塁とか作って全力で防御した結果
>>110
俺、小学生の時にそんな感じで習ったぞ
日本への侵略をよしとしない人達が、自らの命を顧みずに壊れやすい船にしたってさ
今思えば、んな訳あるかって話だが、割と長いこと騙されていたなぁ。因みに2002年より遥か前だがね 当時の鎌倉幕府には三十万の動員力があった
蒙古側の十万の戦力では、もとより対抗できなかったのよ
草原で騎馬を走らせるならともかく
海を渡って上陸では、蒙古帝国も十万程度の兵力を送るのが限度だっただろうしな
最新の歴史だと日本の武士の基地外(良い意味)ぷりがよく分かられている
台風で全滅したのは間違い無いが洋上から陸にあげなかったのは基地外武士のせい
>>290
「恩賞をケチりたい」は所謂サヨク学者の思いつき
「武士は負けた」が言えなくなったので「けど、鎌倉幕府も元のせいで滅亡したよね」に切り替えた
ところが恩賞はきっちり出たうえ恩賞を差配した安達安盛は求心力を高めた
定説的には、恩賞をケチりたいではなく
寺社に恩賞を出すことで幕府が寺社への権限を獲得する狙い
御恩奉行の安達安盛は寺社系の武士を従えたうえ、寺社に影響力を持った 10万もの兵力の糧食は船で運べるものなのかね
馬に食わせる草だって必要だろう
>>1
上陸したところで後続の部隊や補給が台風で木っ端微塵なら
孤立じゃんwww
村とか襲って食料を得たところでたかが知れてるわけでw
敗因はそこじゃない
攻めたことが最大の要因w >>300
>実際は7日間戦ってること
九大の先生だったけ、これ間違ってるよ
太宰府の報告書の「戦役終了」を根拠にしてるんだけど、
太宰府は管轄の対馬を奪還するまで戦役の完了を宣言しない
だから博多湾は1日、対馬奪還が7日 >>364
その年代以前なら日教組全盛期の頃だしその手の教師に教わったんじゃね 兄の韓国が弟の日本を助けようと元に反乱したから未開な日本でも勝てたんだよ
>>2
教科書()にはなんかそう書いてあったからあながち間違いでもないやろ 中東やヨーロッパにまで侵略してたからなモンゴルは
それと戦った鎌倉の武士たちと当時の日本人たちも大陸と深く関わるべきでないと身に染みただろうな
親族従軍させてなかったしな
モンゴルにとってはあくまで局地戦
モンゴルね
良識的なコリアンは日帝国みたいにめちゃくちゃ侵略してないからね
日帝みたいに奪いつくし焼きつくし殺しつくすみたいな暴虐をすれば勝てたのにね
>>373
そんな史実はない
当時の高麗は完全に元に忠誠を誓ってた >>356
高麗人は国が滅んで埼玉県に逃げて来た
https://www.city.hidaka.lg.jp/tourism_environment/4/9/6734.html
日高市では、「高麗(こま)」という地名や、「高麗神社」や「高麗川」などの名称を目にします。
これは、古代朝鮮半島「高句麗(こうくり)」と深い関わりがあったことを表しています。
716年(霊亀2年)に、「高麗郡」が置かれ、高麗人たちが移住しました。
「郡」とはいくつかの町村をまとめた広い行政区画のことです。
江戸時代の末頃には、日高市・飯能市・鶴ヶ島市の全域と、狭山市・川越市・入間市・毛呂山町の一部を含んだ範囲を「高麗郡」と呼んでいました。
その高句麗は、唐(今の中国)や新羅と戦っていましたが、戦いにやぶれ、668年(天智7年)にほろんでしまいました。
国がなくなってしまったため、高句麗から海を渡って日本に来る人たちが多くいました。その人たちを日本では「高麗人」と呼びました。 >>379
おろっ、おったやん。
めげずに書き込まんとおれんか。がんばりやー文盲君。 >>383
島国は大陸での生存競争に負けて逃げたゴミの吹き溜まり、ゴミ箱だからな
だから劣等感から常に大陸に戻りたくて侵略してやろうという本能が働く >>383
時代が違うだろ
高句麗と高麗を混同するなよ 当時のチョーセン人は爆弾を抱えて自爆する戦奴にも劣る扱いだったんだろ?
>>383
高麗人は京に住むこと許されず
離れた関東僻地に開拓民として行かされたんだよなあ >>385
イギリス「いっぺん本物の植民地支配したろか?」 >>341
男衾三郎は架空だけど、モデルはちゃんとおっての。
武蔵国男衾郡の領主、畠山忠重。
一ノ谷では馬を背負って崖を駆け下ったという伝説を持つ剛勇の士で、坂東武者の鑑と讃えられた男。
まぁ、誇張はあるにせよ、当時「武士たるもの斯くあるべし」って意識があった事は間違いないしのよね。 >>387
英国は、負け犬の吹き溜まりの真逆で、
大陸での優勢部族が勢いで侵略する最終ステージ
そして、勝者が度々入れ替わってる
中国中原のミニチュア版的性格がある >>390
それで何回も負けて取れたのはイングランド領だがのところだったから弱いんだよな… >>385
半万年も属国やってる朝鮮人に言われてもw >>300
(=゚ω゚=)ノ ああなるほど
昔で言う「台風並み低気圧」爆弾低気圧にやられたかw
冬の日本海というか、マジ台風より酷いもんな。何より、寒いし。 馴れない海戦・上陸戦で負けた相手より
連戦連勝の大陸戦でヨーロッパ目指す方が良いもん
割に合わない
>>385
今の中国朝鮮を見てると負けた方が正解だとわかる
中華文明は中国よりむしろ周辺の日本、台湾、香港の方が上手く継承してる >>385
そういうのは劣等感ではなく復讐心という 朝鮮人って今も昔も日本人にぶち殺されるためだけに存在してる劣等民族なんだなあ
縄文人ですら日本と大陸を行き来してたのにモンゴル人ときたら
大陸の常の量で攻めれば恐れて逃げると
思ったんだろうが見くびったのが原因だ
>>395
性格な観測資料がないのだから、台風と台風並み低気圧の区別に意味はないと思う
今の台風でも、その台風の性格とコース次第で被害が大きく違うのだから、
台風っぽかった程度でOKかと ヒトラーは英本土進攻を試みることもできなかった
失敗した理由は海だろ
朝鮮から九州は遠すぎるので、事前に港と都市を丸ごと手に入れとかん限り侵攻できんよ
高句麗がサボタージュしてくれたから日本が勝てたのに感謝が無い
感謝を忘れ、加害の歴史も忘れ、何でオレが的な逆ギレだけは一人前、それが日本
現代でも天気予報が当たらない国。
800年も前じゃ、祈祷師が占ってたんだろう。
「韓国人は他国を侵略したことがない!それにひきかえ日本人は・・・」という言説が90年代あたりにやたら目にしたな
ライダイハンのラの字も知られてなかった時代とはいえ
朝鮮の船だぞ
とにかく船に引き上げさせたらセウォルかもしれん
と鎌倉武士は考えた訳だな
>>385
ほう、そしたら逃げて逃げて日本まで辿り着けなかったんが
朝鮮人か。
はて、どっちが逃げ切って安堵できた人等だろうか。 >>399
モンゴル帝国と朝鮮はなんの関係もないぞ >>405
占うというより、望みの天気を祈祷で引き寄せる >>403
ヒトラーの主敵はソ連でイギリスじゃなかったからでしょ
東のポーランドに行ったら西のイギリスが背中から撃ってきて始まったのが第二次世界大戦 >>412
味方になった処に負けを引き寄せる、古来からの伝統の正当後継者w >>411
(=゚ω゚=)ノ 一方
鎌倉武士は血の雨を呼び寄せた >>404
負けた言い訳ですかァ?
加害は元と手先の高麗の側ですが
謝罪と賠償まだですか? >>412
韓国は前政権を全否定して破壊するという中国の悪い部分を継承してるから何も残らない
高麗人をずっと保護し続けてきた日本人と対照的だね
韓国人は今も前政権(日本)を全否定し続けてるね 夏場の日本で橋頭堡を築かず、毎朝敵前上陸して夜になったら船に引き揚げて行くって、そりゃ孰れ台風が来て全滅ですわな。アフォですわな。
日本の武士が怖くて橋頭堡を築けなかった、日本軍が橋頭堡を許さなかったって言うことだろうけど。日本の武士は夜襲の切り込みが得意だからな。怖くておちおち寝てられんだろう。
>>399
もっとおぞましい何かだろ
そんな可愛げのあるもんじゃねえよ 元軍の士気が低かった筈がない、新たに土地が手に入るのだから高かったはず。武士の軍事力に屈しただけ。
>>404
サボり気味の侵略者に感謝する住民なんて
いるかね。指揮系統がどんだけダルダルでも
被害者には関係ないだろ >>403
だから陸地抑えられて町乗っ取られて利用されないように
福岡を先に燃やしたんだよね
そこ鎌倉武士による略奪と変換されてるけど 同じ島国の台湾やスリランカはモンゴルの侵攻を受けたのだろうか?
>>418
前政権(日本)どころではないしな
大統領の任期が終わる度に逮捕されたり、謎の死を遂げたり・・・ 終戦に際し「我が身はどうなってもいい」と言った昭和帝と
保身しか考えていない北の将軍を較べると
日本人に生まれてよかったとつくづく思う
>>425
クネちゃんの時に慰安婦問題で日韓合意した当時の担当者たち全員逮捕されたらしいね >>421
元軍(モンゴル軍)も居るにはいたが大部分が高麗軍と南宋軍の生き残り。
高麗軍は要するにチョン、今も昔も戦争不適格者。南宋軍は廃品処理に連れて来られただけ、この連中に士気もヘチマも。
ゴミクズの兵隊をモンゴル軍の指揮官が率いて攻めてきた。日本に勝てる訳が無い。 この時に韓国軍が元軍と真っ向から戦った事により後に元は滅亡したんだよ
>>410
世界史(東洋史)は全く勉強してない子なんだね。ボク。 >>385
>大陸での生存競争に負けて逃げたゴミの吹き溜まり、ゴミ箱
まさしくどっかの半島のことじゃん これも捏造の歴史です
夜海がアレて撤退wwwwwwwwww
>>389
それ高麗人じゃ無いぞ。百済や高句麗の夫余人。高麗は高句麗の名前をパクっただけ。関東に多い高麗という地名や苗字は高麗とは無関係。 自虐史観にかかるとこれも日本を過小評価して台風のお蔭だと思考停止に陥るからマジメな歴史考察が出来なくなる
日本では、この時の記録はもちろん日本語で書かれているから
高校生でも本気出せば読めるよね。
モンゴル(元)はモンゴルの言語を使ってたのかな。
さて
高麗は?
高句麗人はスキタイ人(モンゴル系トルコ系)が東方に向かって混血し顔がモンゴル人に近づいた
青銅器文化の影響で騎馬民族化 現ウラジオストクは高句麗人の土地でもあった
スキタイ人は南ロシア〜黒海北岸ノブゴロイド国以前のロシアの歴史から始まる
高句麗から日本に来たものたちは今の関東から北の東北あたりに居住した
>>57
船に牛馬の死体投げ入れるってどんだけの猛者揃えてるのよ
モンゴルから女連れて攻め入ったって?
ずいぶんやな >>366
この時代の武士なんて控えめに言ってもキチ○イだよ
そもそも武士の起源は平安時代に貴族が自分のところの荘園の用心棒としてその辺の野盗や山賊みたいなゴロツキどもを金で雇ったのが始まり
鎌倉時代なんて武士が生まれてそれほど時代が経っていないから中身はゴロツキのまんま
武士が日本社会の支配階級としてふさわしい品性や武士道のような教養、道徳を備えるのは江戸時代になってから >>82
元寇前はころしてないよ
時代が違う朱元璋と勘違いしてね?
あれは確かに殺した
日本国王って舐めたこと書いたから
朱元璋も怒り狂って日本侵略を
計画したけど、日本に
勝てないからと計画を断念
サイコな朱元璋でさえ
日本侵略は海の壁があるから
無理と判断したんやで >>443
織田信長「上洛する前に、皆に茶道を覚えさせたりとかwww」 事実上南宋軍は日本攻撃にはほぼ参加してない。松浦湾で待機してた状況。
元寇自体、高麗がモンゴルを唆して始めた、事実上高麗による日本侵略戦争。虎の威を借る狐戦争。
南宋軍の残党の処分と言うモンゴル帝国の思惑とも一致した。南宋軍はとばっちりを食らっただけ。
鎌倉幕府もその辺り分かってて、捕虜にした高麗兵は全員死刑、南宋兵は全員送還。
>>442
女や農民がいたし
完全に侵略し住む気満々だったが鎌倉武士は九州を先に焼き破壊
住めない状態にした >>440
猫は中東では神聖な存在で神殿を守る
失われた10支族の末裔は≻441と来てる可能性があり
猫を朝鮮人に置き換え侮辱するのは
宗教が絡んでる だからデマを流すのに必死 >>441
高句麗の一派が南下して百済を建てた。百済が滅んだとき百済の王族たちが日本に亡命してきたのよな。
この人達も高句麗に因んだのか高麗を自称してる。高麗神社の神主家とか。 >>443
元の戦い方を分析したんだよ
最初に残虐なのやったの元の方で会議し分析し同じやり方で戦うことにした 元軍の主力は東路軍、つまり高麗軍(朝鮮人)と、江南軍、南宋の敗残兵だもんな。指揮官始め一部モンゴル兵がいたにせよ、クズの寄せ集め。
台風が来ようと来まいと日本軍に勝てる訳が無い。
水先案内と兵站部隊が朝鮮人だった
モンゴル兵は水上での戦闘が苦手だった
>>447
馬鹿チョン人、農具とかもって来てたらしいしな。モンゴルバックに日本を侵略する気満々。
鎌倉武士は九州の破壊なんてやってないぞ、今日もホルホル妄想うんこが美味いか??? 一回目はともかく二回目の原因がなぁ あの時点で元朝って「もうダメポ」だろうにw
東海海鮮で元軍を退けた韓国軍が強くて神々しかったから日本はまるで神風の様だと韓国軍を称えたんだよ
>>452
当時の日本の戦争のやり方は名乗り合っての個人戦が主流、モンゴルは集団戦法。日本も元寇以降は集団戦術を学んだらしいな。 >>455
鎌倉武士は分析能力の高さな
上陸させない為にやったんだが >>457
今朝の朝食のウンコに何入れたんだ。頭が飛んでるぞ。馬鹿チョン。 >>304
寧ろ山あいの村ならわざと引き入れて囲い込んで殺すって手もあるからな
これを京都で行うこと提案して却下されたのが楠木正成 >>459
文永の役の経験から博多湾を取り囲む「水城」を作ったんだよ。 >>457
東海海鮮丼が如何したって。原発廃棄物混じり糞入り朝鮮海苔とかか。 >>457
しかしまあ、そんなアホな妄想、よく出来るなあ、感心するわ、馬鹿チョン気狂い低脳児。 >>162
モンゴルに強制徴用されたニダ
日本に謝罪と賠償を要求するニダ >>457
>>466
モンゴルに攻められたとき、高麗王は民衆放ったらかしにして江華島に逃げ込んだ。今も昔もチョンはチョン、李承晩とセオウル号のパンイチセンッチョさんの国。 >>467
300年以上前に死んでますがなWWWWWW >>467
明を攻めるから通せと言っただけですが。黙って通しておけば、人夫賃とか食料売れて儲けになったのにね、昔も今もアホはアホ、馬鹿チョン。 >>196
何年か前に元寇の時の高麗軍の沈没船が発見されて、調査したら長期の外征にも十分耐えられると言う結果だったそうな。 >>470
そう言えばあれ、GHQは文句付けなかったんやね。 太宰府落とすまでは良かった。
その後の侵攻が日本特有の険しい地形に阻まれてどうにもならなかった。
また、モンゴルからの補給も恐らく無かったのでは?
兵隊は殆どが戦士ではなく徴用された奴隷。
かたや鎌倉側は久々の戦に燃え上がる侍。
つまり無理だった。
元寇は韓国の平和的な武装文化使節団だったのに血迷った未開な日本人が韓国人を虐殺した
>>467
ヒデヨシは明を攻めようとしたのであって
チョンじゃないよ >>474
日本は勝つには勝ったが所詮が国土防衛戦争。領地が増えた訳でもなく戦死者は無駄死に、不満の渦。結局あれが鎌倉幕府崩壊の原因になった。 >>475
チョンがいっぱい死んでザマアアアアwwwww >>475
平和的武装使節団WWWWW 来週あたり、自衛隊が馬鹿チョン国に平和的武装使節団送って良いか??? >>477
そうですね。鎌倉武士は頑張ったのに領地は貰えず。
領地とるなら朝鮮半島に侵攻するしかないが
そこはモンゴルと陸戦になる。
結果鎌倉幕府は傾いてしまった。 >>475
高麗国からの平和的武装使節団はとっ捕まえて全員打ち首、一方南宋からの武装使節団は全員無事送還。 >>480
特に最前線になった九州周辺の武士たちに不満が強かった。鎌倉幕府打倒から南北朝、多くが足利方に着いたよな。 >>479
未開な日本近海は海賊が居るから武装してたんだよ >>475
漢字を捨てたらワケワカメになるんですね。侵略戦争を平和的と表現するんだWWWWW馬鹿チョン。 敗因は朝鮮人を手下にしたからだろ。
朝鮮人志願兵を使って日本も大東亜戦争で敗北
法則は生きてる
>>161
新羅は高句麗を釘付けにするためにサンドバックにされてたから不参加っす… >>483
倭寇が始まった経緯、知ってるか。元寇で高麗軍によって拉致された壱岐対馬の住民の奪還作戦が発端。
一区切り付いて終了、これを前期倭寇と言う。これは武士だからメッチャ強い、高麗軍の手に負えるものじゃなかった。
これに目を付けたのが馬鹿チョン土人の海賊ども。倭寇の振りして半島沿岸を襲った、これが後期倭寇。日本に取っちゃ知らんがなの世界。
自分の悪さを他人に転化、謝罪と賠償を事もあろうに被害者に請求。今も昔もチョンはチョン。 >>474
どこから太宰府を落としたとかいうトンデモ話が出てくるんだ?
文永の役ですら元軍は、現在の大濠公園の辺りまでしか進めていない。
その辺で鎌倉武士団が散発的に仕掛けただけで潰走してて、太宰府にたどり着くとか夢のまた夢というレベル。 >>483
他国に侵略して他国民を拉致しておいて被害者面、伝統芸ですなあ、馬鹿チョン。 >>443
そういうのもいたけど源氏や平氏は皇族の臣籍降下だよ
んで北条は伊勢平氏の一族だし上杉は藤原氏の支族、足利は河内源氏の一族
毛利は和泉式部なんかを生んだ大江氏の支族 数百年後の戦国時代ですら、10万人規模の補強線を
確保出来る国なんて、世界でごく僅かだったはずなのに
20万人規模の補強線を日本海を越えて確保とか
どのみち無理ゲー
>>474
>>489
そのうち、高麗軍は元寇時、一時「東京」を占領したとか言い出すんでしょうね。連中の妄想は時空を超える。 >>124
舟を沈めたのは日本ニダ
賠償を求めるニダ スレタイが神風なんで一応…。
もはや再上陸も出来ず、洋上に浮かぶだけになった時点で詰みですが、朝鮮人たちは帰ることができなかったのです。
モンゴル人は脳筋なので
「勝者には全てを」です。
日本侵攻をモンゴルに提案したのが朝鮮。
「ならお前がやれ。装備はやる」
帰れません。
「敗者には死を」ですから。
>>492
モンゴル帝国は世界を席巻するのもあっという間だったけど、
滅びるのもあっという間だった たかが鎌倉武士程度に負けたモンゴルに手も足も出なかった
当時の支那人が不甲斐なかっただけでは?
>>495
モンゴルの圧政に苦しむ韓国人を日本に受け入れてあげなかった日本が悪いな >>492
そこなんすよね。補給線。
広い中原を騎馬で駆けたモンゴル人が補給線の重要性を理解していないとは考えにくい。
割とナゾ。誰か何か知らないかな? >>491
武士の主力は武装農民でしょ、ゴロツキは仕事しないつまり当時の農村社会でゴロツキを養う余力はなかった。
武装農民が自分の土地の権益を守るために集団化して、権威付けのため源平藤橘なんて貴種をお神輿にしたんでしょ。
事実、戦国期まで兵農一致が実情、一領具足なんてね、刀を田んぼの脇の松の木の枝に掛けて農作業が普通の光景だったらしい。 >>500
武装を横に置いとかないといけないなんて
いつ集落が襲われるかわかんなかったんだろうな…恐ろしい世界だわ >>499
そりゃ単純な話で、遊牧民族には補給線という概念自体が稀薄だから。
農耕民族と違って決まった策源地が存在しないし、移動する時は一族家財ごと丸々移動するのが当たり前。
だからモンゴル帝国は人類史上最大の帝国になった。
元寇が失敗した理由の一つは、船と馬の移動は似ているようでいて根本的に違う事を、元の人間が理解してなかった事。 >>499
江南軍は南宋の敗残兵の処分のために派遣された。これはどうも事実らしい。
東路軍は高麗の要請で高麗軍中心の部隊。行かせてくれと言うからじゃ行けよ、見たいな。
言って死んでこい、あわよくば的なものじゃなかったのかな。南宋人は処分したい。高麗人が死のうとそれが如何した的な。
要するに不要人材一掃セール。 まあ、馬鹿チョンの酋長が適当な嘘吐いて騙されたと言う可能性はある。 >>499
攻めたら負けないんだよ
現地で略奪で常に解決 >>505
マルコポーロ「拙者のジパング与太話は、関係ないよねw」 チャンコロは今頃元寇の失敗を検証してるのか?
今の大赤チャンコロは習キンペイ皇帝のもと南シナ海で同じ様な事をやっている。
ちっとも勉強していない。鄭和が通ったと言うだけでてめーの領土だった抜かしやがる
輩だからな。マゼランより前にその辺を通り、インド、アラビアまでいっただけ。
そのうちに南アジア、インド、アラビア迄テメーの領土だなんて言い出しかもな。
チャンコロのやっている事は昔の帝国主義国家がやっていた事を今やっている。
てめーの国が弱かったためやられ放題だった恨みを今はらそうと同じ事をやっている。
ちっとも歴史に学んでない。
チョッパリは、チビで体力も無く知力も無い。
ただ、台風によって救われたチョッパリども。
運がいい奴ら
>>503
元は結局、海を超えた遠征は全部失敗したな >>507
モンゴルは兵站を重視してたらしいよ。不足分を略奪で補填するのは有ったらしいが。 >>503
なるほど!常に基地ごと移動する遊牧民だから補給の考えが薄かったと。
勉強になりました。 >>510
朝鮮半島に男は例外なく身長180センチって国があってだなあWWWWW >>507
んなこたーない。
もっと後の16世紀頃のヨーロッパの戦場ですら略奪による補給の限界は明らかで、都市を包囲する側の方が餓えて撤退した話には事欠かないし、まだ略奪していない場所を求めて放浪するもんだから、大軍になればなるほど戦略的な機動は不可能になった。 >>512
そうなんだ
降伏しなければ皆殺しと略奪の、略奪で解決がデフォかと思ってた 連戦連敗、万年奴隷民族のチョン猿に鎌倉武士が負けるはすないやろ
>>502
そう言う意味じゃなく、お城、屋形で太鼓が鳴ったら、文字通り押っ取り刀で駆け付けるためだよ。
いつ何時なりとも、主君から召集が掛かれば駆け付ける。 >>505
戦争終結後に余剰兵力をすり潰す目的で軍事行動が行われることはままあるけど
一回目はともかく二回目は話半分でも10万人超す渡航させてんだから
簡単にすり潰していいような陣立てではないけどね
10万人の軍隊を動かしそれも渡航上陸なんてさせるのはちょっと思いもつかない程の手間も金もかかる >>515
羊の群れ引き連れて軍隊が移動したのかもな。連中、羊だけで生きてられるらしいし。住居はパオ、ポータブル住宅。 >> 510
そんなチョッパリ相手に無抵抗のまま征服された無能ミンジュクがどっかの半島にいたんだってさー
ゼロって集英社のマンガでは、朝鮮人がわざと台風の季節に攻めたとかって描いてあったなw
>>519
状況証拠に過ぎんけど、江南軍は端っからやる気なかったみたいだしな。松浦湾で様子見。
高麗軍は農具持参でやる気満々。元に頼み込んで日本侵略に来た。戦費は誰が出したのか。
元帝国が全額出費したのだろうか。 その前に、隋との戦争から話を始めないと、全体像はわからない
>>1
元軍は強くて陸戦では勝てなかったけど、
海戦そのものはド素人だったし、水軍が朝鮮人の軍なので負けて当然だったな。 >>519
第三次日本攻めの話も有ったようだしね。立ち消えになったが。
モンゴル自身も日本に興味はあったようだ。 幕府軍は太宰府まで後退してゲリラ戦も考えていたのに
水際作戦で食い止め夜襲で疲労させるだけで済んだ
しかも主力は無能なチョンとヤル気のない南宋
台風が来なくても幕府軍が負けるとは思えないんだけどな
NHK高校講座「日本を攻めるのに高麗は積極的ではなかった」
とか昔ほざいてた。
>>525
毎日敵前上陸して夜になったら船に引き揚げるって、異様過ぎる戦法。鎌倉武士の夜討ち切り込みが怖かったとしか思えん。 >>523
確か元寇で水軍作り過ぎて朝鮮半島が全て禿げ山になったとか。
高麗軍は人員を強制労働で船を作った。
船は全て高麗軍、兵員は全て元軍だと思う。 >>527
神風は戦前の軍国主義、皇国史観教育でやたら誇大宣伝されたからな。
夏場の日本近海で三月近く船上生活してりゃそりゃ台風も来るわさ。弘安の役では3ヶ月近く船上に釘付けした日本軍の勝利、これに尽きる。 >>505
ああ、不要人一掃セールあわよくば日本とれたらラッキー的なアレでもあったのか 朝鮮人が「いつも被害者は自分たち」みたいなふりしているが、
実際は「虎の威をかって他国に残虐行為を行うクズども」と認定しているだけ正しい歴史認識と言える。
対ベトナムしかり。
朝鮮人こそ加害者という正しい歴史教育を世界に広めよう!
朝鮮南宋の人材資源を消耗させることには成功しとるし
元としては東アジアの大陸支配を盤石にできただろう
日本侵攻失敗なんて大したことじゃない
南宋の人間も何の因果で船に乗せられて首狩り族のひしめく島に送り込まれたんだろうね
慣れない海上移動をしたあとで即時開戦とか
素人考えだが相当無理あるだろ
元軍の戦法は騎馬戦だろ?
日本に上陸しても騎馬戦に向いたところ、あるかな?
水田だらけだよ。
>>530
日本遠征の失敗でモンゴル帝国は全水軍の2/3を失ったなんて試算もあるそうな。 >>528
実は高麗(朝鮮)側の侵略が積極的で、南宋軍は逆らえず
元は反乱の芽をすりつぶせればおkってところか。
日本は大迷惑だわな。
半島人は被害者ヅラしたがるけど。 >>530
東路軍50000人前後は高麗軍も相当数、水夫は多分全員が高麗人だろうから総数の半分近くが高麗人。軍としてはモンゴル軍と宋の残党が主力ではあったようだが、ここでも宋の敗残兵にやる気が有ろう筈も無し。元、宋軍の割合は知らん。
当時の人口、多分半島は500万未満、から見て高麗軍が主力は無理だろう。 >>523
やる気なかったのはそうなんだろうなあ
まあ実際に北九州一円を支配下にでも置く状況になったらまた旧南宋軍の戦意も変わったと思うけども
金は南宋に出させたんだろうけど搾り取りすぎたり戦力を間引き過ぎたりすると逆に治安悪化で内乱とか起こしやすいし
3回目が実行されなかったのはいろいろ割に合わなくなったからじゃないかなあ
九州の豪族に大した調略もかかってなさげなんで
モンゴル帝国側に明確な戦略目的があった訳ではなく行くとこあるからとりあえず行ってみよう的な舐めプと
多分モンゴル帝国の隆盛を良く知らなかった日本人の蛮勇がうまいこと噛み合っての防衛成功 無敵騎馬軍を使えない遠征してもな
勝ちすぎて驕ったんだろ
船だけ建造したらお役御免で戦争は蒙古兵のみなんて有る訳ないし、自分達が乗せられる軍船をわざと脆く造る
なんてあり得ないよな。
>>539
弘安の役では敵軍は水城から一歩も内陸には進めなかった。水際だけで終わってる。 モンゴル人の日本の情報不足もあるよね。
使者は斬られてるし、
軍隊は帰ってこない。
モンゴル人が唯一得た日本の情報って
朝鮮人の口頭による「倭寇」だけなのでわ?
つまり倭寇を日本の主戦力と考えてしまったのでわ…
>>544
元寇の時期には南宋はすでに滅亡してたんじゃなかった??? >>549
倭寇が始まったのは元寇の後。拉致された壱岐対馬島民の奪還作戦が発端、一区切り付いて国営の作戦は終了。
後期倭寇は、前期倭寇の強さを騙った偽の海賊、支那チョン人が中心、日本人が混じっていたか不明。 >>551
えマジ?
侍崩れのならず者が海賊やってんのかと思ってた。 水城って,福岡と太宰府との中間にあって,満々と貯めた水が常に上からあふれ出している高壁の堰なんだよな。
近くまで攻めてきたら堰を切って水攻めにするぞといわんばかりの。
>>544
九州によらず日本は山ばっか、平地は河原か田んぼ。江戸時代に大規模な堤防が築かれて新田開発がされたけど、この時期は平野と言えば氾濫原の河原だっただろう。
日本の地形で騎兵に出番は無いよ。 >>551
そうそう
倭寇の発祥には、元寇に対する復讐の意味もあったと知れば
時期は間違えなくなるはず >>552
そもそも当時は兵農分離もまだだったはず。
兵農分離が韓セするのは秀吉の刀狩り令以後だと思う。
あと取り返すのもあるが、交易が理由のこともある。
シナとは国家間では朝貢貿易しかなかったため民間での交易になるが、
交易の交渉が失敗すると海賊に変わることもあったりするw(特に後期倭寇) >>552
倭寇の親分が日本人女性に産ませた子が鄭成功、倭寇も後期倭寇は日本に関係ない。 >>498
国をさっさと売り渡して奴隷の平和に甘んじる属国民族なんぞいらね
死に絶えろ 元軍撤退そのものは日本の防衛戦の勝利といっていいが、元軍にとって真の問題は
敗北それじたいではなく元軍の人的被害がけた外れ(一晩で核兵器級の人的被害)
だったことで、その原因が暴風雨だったという側面はやはり無視できない
文永では4万弱の派遣軍のうち1万3,500人が難破により溺死、弘安の役では14万の
うち、じつに8万4,000人が溺死、さらに暴風雨を命からがら避難して、鷹島という
島に武装も糧食もないまま上陸した3万人が捕虜となり、おそらく過半数は処刑され
ほかは奴隷とされている。死者数10万を越えている
私見だが、元寇は戦史上および歴史上において、一か所の戦場で最大最悪の海難死者
を出している点こそが、特筆すべき惨劇といえる。さらにいえば、ここでの死者数の
凄さが以後、中国からの日本遠征が起きなかった原因という点に歴史的意義がある
ゆえに「神風」という観念は、やはり当時として必然だったということができる
海の難所に囲まれる島国は無料不休の百個師団、天然の原爆を持っているに等しい
元寇防の外側で不退転の戦いを行った
河野水軍の功績を誰も知らない。
島津はびびって内側にいたことも
>>559
鄭成功の父親は清に寝返ったけど
母親の方は抵抗を貫いて死んだんだよな、カッコいい
だから鄭成功は台湾に根拠地を築いた後の父親の降伏勧告には耳を傾けなかったし、父親はそれで清に責任を問われて死んだ
因果応報 >>558
信長が強かったのは信長軍がすでに兵農分離やってて専業の軍隊になってたからって話もあるよね。
如何も日本人は自虐史観が強過ぎる。水軍を海賊と呼んだと言う事実も悪影響してるのかも。
まああれも、通行税払わなけりゃ略奪するんだから、今風な海賊と言えなくもない。 >>556
指揮官にモンゴル人が混じってる程度で高麗と南宋の敗残兵の連合軍みたいなもんだし
モンゴル騎兵ってもそもそもまとまって戦力にするほどの数いなかったはずだが
よく弥生期に半島から騎馬軍団がやってきて蹂躙したとかいうのが居るが
人だけでも海渡るの大変なのに軍団なんて呼べる数の馬を連れてくるとかどんだけ大変だと思ってんだか そりゃ台風の季節に2ヶ月も海の上に止まってる方が悪い。
武蔵ウンコ杉
>>561
ソースは示せないが捕虜になった敵兵、支那兵は全員送還、蒙古兵、高麗兵は全員打ち首って見たことがある。
鎌倉幕府は戦争の発端を承知してたんだろう。 >>566
伝統的なモンゴル人の価値観からすると水は病気の元なんだよ
これは近現代の話だけど、草原に水が出た地域を渡るのも嫌がるという
なので虎の子のモンゴル兵をあまり使わなかったのは間違ってはいないんじゃないか
つーか、日本にとっては国の存亡を賭けた120%の抵抗だったけど
ユーラシアの大部分を支配するモンゴル・ウルスのクビライハーンからすれば
この当時世界最大級の海軍編成も新規のお試しのようなものだったということだろう モンゴルのトラウマで西欧日本の大陸国封じ込め思想は現代に受け継がれてるぽいな。
大英帝国のロシア封じ込め植民地産業革命から続くグレート・ウォー現代アメリカのアングロサクソンの政策は一貫してる
昔に習った教科書だと、元軍は最新鋭の武器と統率された軍隊で、いちいち名乗り上げる間抜けな武士と旧式の弓しか無い弱い日本が神風に救われたみたいなディスりを刷り込まれた記憶。
何で令和2年になって740年前の元寇の反省会やってるのよ?何かあるの?
>>572
名乗りとか戦争のスタイルとしてはその通りなんじゃ無いかな。火薬以外の武器については如何なんだろ。
陣形を組むなんてことは元寇で学んだらしいし。 >>572
文永の役だけについてならそう間違ってはいないよ
ちゃんと典拠もあるし そもそも騎馬民族が九州に上陸してどうすんだよと
しかも大陸では通じた大群でつぶす作戦も一気に上陸できないから意味ないし
時間だけすぎて洋上はただの兵糧攻めされてるようなもんだし
>>524
なんで13世紀ごろの話するのにを6世紀まで遡らなきゃいけねぇんだ? >>1
どのような大国も朝鮮が関わると負ける
WWUの日本、ベトナム戦争の米国
まぁ、作戦に重要な気象を考慮しなかったからでしょ 壊血病で戦闘力半減してたのと違うの?ゴーイングメリー号みたいにオレンジの木を土ごと乗せないと。
弓=長弓、長射程。射程外から、恐ろしく重い矢がズドンと飛んでくる。
刀=日本刀、軽くて長く恐ろしくよく切れる。接近戦では勝てない。
結局、勝てなかった。
>>573
戦前の皇国史観教育で神風が圧倒的な位置を占めてしまって、元寇の実際のところが内外共で隠されてると言うかあやふやだからな。本当は如何だったんだろってね。 一回目は南宋は元に侵略されてなく、日本と南宋は貿易で仲良かったよ。
二回目は元が南宋を落として、南宋の参加を強要したが、南宋は
将軍が引退して寄せ集めで編成したために、参戦が遅れた。
>>573
米国-イランの間で、そろそろ火薬の臭いがしてきてるのだろ
もし着火すれば、日米-イ中露の大戦が勃発するかも >>573
おまえは歴史に興味もたなくてもいいんじゃないか? >>574
個人の考えとして、日本の弓は長弓でモンゴルの弓は短弓だから
射程距離は日本の弓の方が長かったと考えるのが普通だと思うんだが
日本側の史料はモンゴル弓の方が射程距離が短いと述べ
モンゴル側の史料では日本の弓の方が短いと述べているので
実際のところは不明
(※wikiなどは日本側の史料中心に述べられているので注意) 元とはいいつつ、主兵力は、朝鮮人、あるいは、主でなくて朝鮮人が参戦w
そりゃ負けるw
>>576
戦争は地形と気象がモノを言う。見本みたいな事件だね、元寇。 >>586
都市伝説レベルだけど、1回目は日本側は、短弓レベル。
馬上から撃ちやすい短めで、射程は負けてたとか。
2回目は、これを教訓に長弓で重い矢を用意したとか。 >>585 そういう仲間外れにするのは良くないと思うわ。私も話に入れて。 >>573
アホか、支那が歴史批判をやりだしたら、それはリベンジを画策している証拠ww
いずれ古寧頭戦役批判しだすだろうが、そうなれば尖閣諸島はマジでヤバいww 確か、二回目の南宋軍は寄せ集めとは言え
日本人と繋がっていて、安全な入り江に誘導されていて、
高麗軍とは合流してなかったと記憶してる。
>>589
魏志倭人伝の時代から日本の弓は長弓、7尺(約2メートル)ほどとある。Wikiによれば。 >>589
それだと整合性がつくね
何か出典があるなら知りたい
>>573>>591
これ別に環球時報とかでなく、ただの民間ポータルサイトのコラムやで >>593
江南軍は東路軍との合流場所を間違えたとも、わざと間違えたフリをしたとも。現実的に松浦湾でぼんやり。 >>594
あと矢に関してはモンゴル側も日本の方が長いとは記してる
長いけどさほど届かない、と >>592
593は自爆
江南軍は東路軍との合流場所を間違えたとも、わざと間違えたフリをしたとも。現実的に松浦湾でぼんやり。 >>592
江南軍の将軍たちは蒙漢軍や高麗軍と合流してるよ
そして鷹島で台風で大被害受けて、高麗船より多くの被害受けて
将軍たちは兵を置き去りにして無事な船で逃げ帰ってしまい
残った兵はその上に武士の掃討戦で壊滅、2、3万の捕虜以外全滅した
その捕虜のうち南宋人は助命されたとはいえ、とても安全な所ではないし
内通してたにしては被害が大きすぎる >>579
壊血病は数ヶ月以上無補給で大西洋横断するときの病気。
東南アジア方面は近海航行メインだし、沿岸は友好関係良かったから壊血病そのものは珍しいよ。 >>575
その典拠が八幡の神の威光を宣伝するためのものなら、
そのために話盛ってるというか武士の活躍は割引いてるんじゃないか、
という見方もあるし、名乗りは味方へのアピールという説もある
よく考えたら言葉の通じない外国軍相手に日本語で名乗る意味ないしな >>582
神風のおかげにしないと報奨の支払いで鎌倉幕府が破産するからな 2回目の元弘は鎌倉幕府から完全に分析されてて陸にまともな陣もしけず
それどころか船を夜襲されて泣き叫び糞尿たれまくして溺死していった朝鮮人
日本はそれまでの戦は1対1の戦いで名乗りを上げて戦ってたらしが
元が来た時もそのままの戦い方をしてしまって
名乗ってる間に元軍5人くらいにやられたらしいね
それから学習して次に来た時はグループ戦で挑んだみたいね
>>590
令和の時代だからといって歴史の検証に懐疑的なやつにこのスレ読む必要ある? >>549
使者を斬ったのは文永の役後だから、文永の役前の使者は偵察してかつ帰ってきてる
>>135にもあるけど
ただこの人も他の元寇の前に来て生きて帰った使者も
日本は九州から先へは行かせなかったので、
日本全体の国力、戦力、面積や地形は把握してなかったと思われるので
過小評価したというのはありそう >>600
「名乗り」は恩賞を得る担保だって聞いたが。誰が誰を討ち取った、恩賞を得るには、上司若しくは同僚の証明が必要なんだと。
今から俺は誰それと戦う、皆んな見てくれよ。終わったら討ち取ったり〜〜。 詳しい解説ないね
残念
正解は上陸後の拠点つくれなかったから
つくらせないほど日本側が押してたのが正解
寝ないで食わないで戦いつづけるか船に帰って侵攻進捗リセットするか
上陸したあと右往左往してるから戦略目標が曖昧かどうにもならなかったぽい
船が台風に襲われ大打撃
もうこの時点でおかしいと思わないと戦略眼はないでしょ
侵攻して博多焼いて僅かな間とはいえ占拠してたのに夜に寝るのは船の中
つまり日本の攻撃を恐れて地上でキャンプできなくて船で沖合まで戻って寝てたんだよ
橋頭堡以前に制圧そのものに失敗してないとこんな状態にはならないから単純に押し掛けたは良いが日本人に武力で押し返されただけ
・同じ陣営に朝鮮人
・陸に拠点を作らせなかった
・台風前に既に撤退の相談をしていた
まぁ勝てるわけが無いなw
>>601
神風のお陰にしたのは明治政府じゃ無いの、神州不滅。日本には神様が着いている。 ジメジメ暑い
水田だらけでロクに馬も走れない
地平線が見えない
なれない海の上で待機とか
モンゴル兵も喜望峰周りでヘロヘロでやってきたバルチック艦隊みたいに帰りたかったやろね
日本の歴史で一番刀の切れ味が良いのは鎌倉時代に造られたモノらしい
侵略でなく防衛戦で恩賞を得る為には手柄首が必要な鎌倉武士は元軍兵士の首を求めて、毎夜禁止された夜襲を繰り返した
>>400
行き来は元寇も二回ともしてるよ
もともと南宋船は日本まで貿易で来れたし
>>44
なんかネットだと、元寇の前に日本が使者を殺して、
それが元を怒らせて戦争になったーみたいな嘘解説が結構出回ってる
ようつべでもそういう動画が複数あった
単なる書き込みじゃなく、いかにも歴史を解説します、
って体で語られてるから信じてしまうんだろうなあ 神風のお陰に祭り上げて、武士と言うものの働きを軽視する。明治政府らしい発想。
>>1
>>23
それと
元寇防塁に鎌倉武士たちによる夜襲で
船上の元兵が地味に削られていって
とどめ暴風雨だからな ユーラシア大陸を席巻して漢民族をも支配した大モンゴル帝国元の二度に渡る日本侵略だからな。
世界最強のモンゴル軍をほぼ全滅させて撃退したお陰で、世界は震え上がり、その後も日本が独立を保てたのは間違いない。
日本人は当時世界最強民族だろ
>>617
それを何か神風のお陰のラッキーに貶めてしまったのはまずかった。 >>246
北京は結構な寒冷地だからな、遊牧民族との交易でシルクロードの重要拠点になるまでは価値の無い地域 >>618
マズくないよ。一時のロシア帝国を除けば外国勢が日本侵略に来なくなった。
上出来だw >>1
そりゃお前、朝鮮半島を味方に引き入れたから負けたんだろ >>616
夜襲、夜陰に紛れての切り込み、日本人好きだものなWW2までそれやってた。
照明灯がない時代なら結構効果的だったんだろ。西南戦争で政府軍が勝てたのは新兵器のお陰でも何でもない。勝因は警視庁抜刀隊の切り込みだもんな。柳生新陰流対薩摩示現流。 >>618
日本中の寺社が敵国調伏の加持祈祷してて
その手柄のアピールが神風だよ 一説には日本が滅ぼされそうな強軍が押し迫り、日本軍は何もできず震えていたところ神風が噴いたというが。実は違う
北条武士軍団や御家人戦闘団が大いに奮闘し、元軍が接近できずに沖合で待機していたところに神風が噴いたというのが史実だ。
>>620
日本が独立を保てたのは元寇での勇名のお陰じゃない。
幕末時点で日本の公務員は全員軍人、200万人程いた。これを武力で抑えるには膨大な人数の大軍が必要。ヨーロッパから運べる数じゃない。
取り敢えず内戦起こさせて兵力減さにゃ、この手に乗らなかったから。 地の利を生かした戦争技術は
ほぼ正解の選択肢を知ってたからな
やる気のない江南軍と船に乗った経験ほとんど皆無の東路軍
これでよく島国を侵略しようと思ったな
旧南宋勢力を一掃するための方便という説もあるけど
負けるにはそれなりの理由がある
元寇 モンゴル帝国+韓国 VS 日本 = モンゴル6回負け
太平洋戦争 日本 +韓国 VS アメリカ = 日本負け
ベトナム戦争 アメリカ. +韓国 VS ベトナム = アメリカ負け
朝鮮戦争 アメリカ +韓国 VS 北朝鮮 = 68年間未決着(仲間割れにつきアメリカ撤退予定)←Now
明治期日露戦争までは新兵器、新式銃と言ったところで元込め5発、いちいち薬莢飛ばしてリセット。
その都度接近して最終的には肉弾白兵戦、つまり、斬り合い、突き合い。
鎌倉時代も江戸時代も基本は同じ。日本刀に勝てる敵はいなかった。チョンの軍隊に南宋の敗残兵が加わったところで何ができるかって話。
一度目の襲来の際に、相手側が迅速に上陸して拠点作っていたらヤバかったのかな?
というか、どういう筋書きだったのだろう
朝廷と話し合う気はあったのだろうか
>>627
ベトナムにも攻め込んでやられたよな。あれこそ口減らし作戦じゃないかな。モンゴル軍が本気になればベトナムぐらい一捻りのような。 >>631
一次(文永の役)は強襲偵察だったと言う説を見たことがある。 世界ふしぎ発見だか、知ってるつもりだったかで、
朝鮮人がわざと船を弱く作ったから
日本は救われた。韓国さんありがとう、っていう番組をやってた。
珍説すぎてワロタ
>>625
結果として徹底抗戦して撃退出来たからだろ。
5世紀に渡って外国の侵略や干渉を受けずに18世紀の豊臣、徳川の天下統一まで時間を稼ぎたのは大きい。
おかげで江戸期には江戸は世界最大の都市にまで成長出来た。 >>572
ちゃうよ
鎌倉武士は元の戦い方を学び
集団軍隊で動く兵隊にまでレベルアップした 兵站伸び切った先をうまいこと叩けたって部分は確かにある
ただ日本海海戦もそうだけど、勝ちゃ官軍なんだよね
>>636
なわけない
朝鮮王がそそのかして日本に攻めてきたわけやし
帰り道に嵐にあい沈んだだけ
南宋 >>573
温故知新。
このスレ勉強になるわ。
おまえら思慮深いわ。 >>631
敵地で拠点を作る程の資材も人員もいなかったから無理だね。
そもそも日本の戦力がどのくらいか分かんなかっただろうし、1回目で戦力を計った上で
10万以上っていう数が必要だって結論がでたから、その数を2回目に送り込んだわけで。
一度目の襲来の人数は不足すぎるから、そのまま居座ったら遅かれ早かれ全滅。 >>639
そこも元も理解していたが朝鮮が簡単に倒せたからなあ 日本刀は首切りに使うものであって
戦闘の基本は槍でしょ。
>>644
いや弓
というかこの時代は槍は普及してない。
戦国時代までは薙刀がメイン >>645
ゴメン、もちろん16世紀末から17世紀だw 太平洋戦争以前にも朝鮮諸国家が日本を何度も攻撃している。まあ学校で教えないから
知らない人が多いのだろうが、奈良時代から新羅の入寇、貞観の入寇、寛平の入寇、
長徳の入寇、刀伊の入寇などいっぱいあります。当然ですが、全て日本軍が徹底的に
殲滅しています。
元寇の時もモンゴル元が支配下においた朝鮮高麗兵の士気の低さや不味い攻めや指揮統制、元が高麗に発注した
軍船の出来が悪く、日本軍の夜襲や嵐に耐えられず次々に炎上沈没し元軍の大群は2度とも敗退
しました。
>>636
高校ではマジでこう教えてた
ストーリーありきなんだよなあ >>649
実は高麗の船は風雨に耐えて、全然沈んでないらしいな >>644
文永・弘安の役の時代は、長巻や薙刀が主流で
祭事目的以外の武器としての槍は未だ本邦では発達してない
主流になるのは応仁の乱から騎馬が主力となった戦国期 >>649
九州の大宰府が日本防衛の要である理由を、何故か教えないよね >>650
朝鮮が日本攻めましょニダだったのに嘘ばかりだよね
やる気なかったのに
元の力で朝鮮が侵略しに来たんだぜ >>636
テレビまでそんなん取り上げてるのか…
むしろ生還者の人数まで書いてる高麗の史書の記録を参考にすればこそ否定されるのにな
・文永の役では元高麗軍の疲労や日本軍の増援によって元高麗軍の方が少数不利になりつつあることから撤退、
台風または暴風が吹いたのはその後で、台風で元高麗軍が損害を受けたから日本が救われたわけではない
・台風の吹いた弘安の役では高麗軍は七割が生還している
・江南軍よりも先に到着した東路軍(蒙・漢・高麗軍)は台風の前から日本軍と二か月間戦っており、
また軍内に疫病が流行っていたので、台風の前から戦死者や病死者多数出ており、
台風からの生還率はさらに高かったと思われる
・沈没船の調査でも多く発見されるのは南宋船の方 >>651
南宋船の方が被害が大きかったり、高麗船がボロかったからが原因だったら
なんで南宋船も沈んでるんだよってなるわな
弘安の役の造船は高麗だけじゃなく南宋でも行われてるのに >>654
元に侵略された南宋の兵だし
元と朝鮮のためとかやる気でないやろ
遠くにいて動かなかった >>656
小学校中学校高校と3回も繰り返し同じように
朝鮮様やる気を出さないでくれてありがとうございますって教えてた時代が戦後から多分ここ数年までずっと続いてたんだぜ
装備で劣ってる間抜けな日本軍が神風で運良く勝っちゃったのが戦前戦中の日本の勘違いの原因だという日教組のストーリーによく馴染むからだろうな >>658
本当のことを言うと何故か発狂してチョン認定とか
お前が朝鮮人じゃん、火病っていうんだっけ?お大事にな >>663
日本語読めないならやっぱり朝鮮人じゃん
あ、民族学校ですか? >>663
流石に一隻もってほど被害がなかったとは読み取れない
けど高麗史には弘安の役の参加人数と生還者数まで記されてるから、
帰還者が七割なのはそれで算出できる
それも上に書いたように、3割の損害は戦死や病死含めてだし >>651
それと士気の低さにも疑問
高麗史の文永の役の撤退前の軍議の様子だと、高麗人将軍金方慶はまだ進軍すると主張してる
それを却下して>>656の理由から撤退を決定したのはモンゴル人将軍で総司令官の忽敦 >>651
なんでそんなバカみたいな妄想垂れ流すの???馬鹿なの???気狂いなの???チョンなの???多分チョンだね。 人糞犬食いチョンが事実を言われて火病w
最期まで正体をばらさず日本人に偽装しなくてはならない悲しさw
高麗に騙されたモンゴル
そもそもモンゴルなんて島国に興味ないだろう
>>666
チョンは状況判断が出来ないからな。歴戦のモンゴル人将軍からしたら、此奴馬鹿か???だろ。 やっぱり命令していたモンゴルと中国(元)が悪いのか
>>666
朝鮮戦争の時と同じ思考だよな
向こう見ずの思い上がり >>1
ぶっちゃけまともに上陸も出来なかったじゃん
単に武士より弱かったんだろ
無防備に近かった刀伊の時の方が被害受けてる >>1
日本では、元は支那じゃなくてモンゴルって認識だが >>669
クビライは日本にかなりの興味というか、征服意欲を燃やしてるよ
元々日本を討つとか征服するとか言い出したのもクビライの方
高麗王は積極的にそれに協力はしたけど、
クビライの日本への興味と征服意欲そのものは
何から出たものなのかわからない
南宋と日本を討つ、征す、と語ってたから、
南宋攻略の一貫として日本を合わせてみてたのかもしれないけど
別に日本征服しないと南宋征服できないわけじゃなし >>676
フビライとマルコポーロの与太話を真に受けたとか? 朝鮮と組んだからだろwww
あいつらを尖兵とか前衛に使うと総崩れになるんだよ。
朝鮮戦争時に沢山記録が残ってる
>>674
文永の役ではちょっとやられたけどな。何故か一晩で忽然と消えたらしい。 >>666
高麗史ってチョンが書いたんだろ???事実を書いてある筈が無いじゃない。 >>650 >>660
このスレでも>>82で言ってる人いるけど、
元寇の前から日本が使者を殺していたって間違いも
学校や塾でそう教わった、という書き込みも何度か見かけたなあ…
これも歴史書の記録を参考にすれば可能性が低いどころか完全否定されて
元寇の前に殺された使者なんかいないんだけど
そんな完全な虚構ですら教師が教えることがあるとかもうね… 日清戦争でも中国は日本に負けたし中国は負け続きだなあ
>>295
日本の弓矢は狙撃だからな。
将だ!と思われたら狙われ続ける。ww >>683
一度目の元寇の後、二度目の元寇の前に、ね
単に順番を混同したにしては、間違えてる人めちゃくちゃ頻繁に見かけるんだよね…
ニュース速報の方にもこのニュースのスレがあるけど、あっちでも何度も書き込まれてた
中には使者を殺したって間違いだけじゃなく、
使者を殺したから元が攻めてきたというものまで… >>633
騎馬隊でジャングルに攻め込んでもベトナム戦争での米軍より惨い結末を迎えただけ。
モンゴル軍といえどユーラシア大陸で常に無敵だったわけではない、
ヒマラヤ山脈に阻まれ大規模騎馬隊を送れないインドでは小競り合いの後撤退だし
山岳地帯なため騎馬戦ができないアフガニスタンでは敗退、
対日戦に限らず騎馬戦向きではない地域での戦いはトホホな結果で終わってる。 >>1
研究により日本が強かったとの成果が出てる。 古代から巨大帝国のすぐ隣におって同化もされず延々と生き残るすごい国があるのです。
700年もの間、弱い中国の属国だった韓国はザコナメクジ
戦国時代の日本の鉄砲の保有数は全世界で一番だった位なんだが?wwwwwwww
しかも当時から日本でモディファイしまくってるし
文永の役及び弘安の役の東路軍にモンゴル兵は、1名も参加していない。全て朝鮮人である。朝鮮人は、1000年後も恨みを忘れないと言う。だったら、元寇の謝罪と賠償をするべきだ。
>>685
これも野蛮な日本人ってストーリー前提のミスリードが広まったもの
流布しやすいんだろうな >>635
そういう説もあるけど、それはどうだろう
文永の役の時、元はまだ南宋攻略の途中で、
次があるとしても何時になるのかは南宋攻略の戦況によるし
史実では弘安の役は文永の役の7年も後で、
南宋攻略が遅延すればもっと遅れてた可能性もある
文永の役が偵察で弘安の役の方が本格的な侵攻だったとしても、
何時本格的な侵攻ができるか不明な状態で偵察するかな
しかも間が開けば開くほど、偵察目的でも一度攻められた側は
警戒して防衛準備を整えるし、実際に日本がそうしたことで
弘安の役の元軍の不利のひとつにもなった
偵察から何年も準備整える時間を与えて不利になるって大失敗では >>683
文永の役前に来た使者達が日本の国情を探る間諜を兼ねてたらしく元軍は日本側の情勢にかなり対応した布陣を敷いてたらしい。
で情報漏洩を防ぐため弘安の役前に来た使者は殺したという説がある。
(実際弘安の役の方が大軍だったのに元軍は弘安の役よりはるかに苦戦してる。) >>691
1名も参加していないってことは流石にないよ
司令官はモンゴル人(最近は異説もあるが)だし、
弘安の役後の鷹島掃討戦の捕虜について、
蒙古人、漢人(先に元に征服された北部、旧北宋)、
高麗人は処刑されたが南宋人が助命された、
と書かれているのみても捕虜にも蒙古人がいたことになるし >>686
元は確かベトナムだと川の戦でボコボコにされてたよな
何れにせよ機動力が最大の武器だから、生かせないとこだと勝てないんだよな >>694
結果として強襲偵察になったし、最悪それで良いと思ってたんじゃないかな
楽にいけたらそのまま征服しちゃうが
ダメでも力を見せとけばその後降伏したりするから、最初から全力で来るよりコスパが良いんじゃないかな。
降伏しないときは必要な数を揃えてまた来れば良いし。 モンゴルはともかく
シナやチョンが強かったって歴史は
聞いたことないわ。
それまでは強気でも
イザとなると真っ先に逃げるからね
朝鮮人が絡むとロクなことないね
>>693
ネットだけかと思ったら本でもこんならしい
338名無しさん@1周年2019/10/14(月) 13:20:51.09ID:eekq0/ho0
>>314
学研の子供用?の歴史の本は内容がピンキリで、本によってはあまり…
たとえば「人物学習事典」の北条時宗の項なんて、
>国書を受け取った幕府は、要求を無視する決意をかため、十八歳の時宗を執権職につけて、
>幕府内部の体制を新たにして、危機にのぞむことにしました。
>その後、何回か元の使者が来ても、時宗は、求めをことわり、
>使者を追い返したり殺したりしました。
>そして西日本の御家人たちを九州にまとめ、守りをかためました。
>一二七四年、フビライは兵力二万五千人をこえる大軍をおくってきました(文永の役)。
とあるけど、文永の役の翌年、一二七五年に七回目の使者・杜世忠が殺されるまで、
時宗が使者を殺したことはないのに、文永の役の前の記述で
『使者を追い返したり殺したりしました。』と書いてしまってる。
この本は『学研まんがNEW日本の歴史』という歴史漫画シリーズの一冊で、
シリーズのうち鎌倉時代を描いた『武士の世の中へ 〜平安時代末・鎌倉時代〜』では
『翌年以降、さらに4回の使節がおとずれたが、時宗は返書をおくらなかった』と
ちゃんと書いてるし、古い方の学研の歴史漫画でもこの点の間違いはないんだけどね…。 >>693
あとネットのだけど塾でもこんなの
165 日本@名無史さん ▼ 2019/11/26(火) 17:32:48.10 [0回目]
日本が文永の役前に使者切った、それが元寇の原因って誤解、
ちょっと調べたら授業や解説系にいくつも出てきた
・トライイットという中学生・高校生向け映像授業サービス
【中学歴史】「元寇 文永の役と弘安の役」 映像授業のTry IT (トライイット).html
https://www.try-it.jp/chapters-2878/lessons-2898/point-2/
>日本に興味を持ったフビライ・ハンでしたが、いきなり軍隊を送ったわけではありません。
>まず日本に使者を送り、降伏して元の支配に下るよう要求しました。
>当時の執権である 北条時宗 は、フビライの要求を拒否するだけでなく、元の使者を処刑してしまいました。
>この行為に激怒したフビライが、日本に大軍を送ってきたわけです。ついに戦いが始まります。
・無料WEB予備校・塾 チノポスの授業動画
竹内睦泰 元寇と得宗専制政治
>元の皇帝フビライは、日本に服属要求。家来になれといいました。
>日本側は北条時宗、家来になれと言ったモンゴルの、フビライの、使者を、二人の首を刎ねます。拒否。元寇でございます。
>まず文永の役。元高麗軍三万人が来ます。博多湾に上陸。
と、戦いが始まる前に使者処刑した、文永の役前に使者の首刎ねたかのように解説しちゃってるな
ネット塾のようなものとはいえ、『授業』として公開してるものにまで広まってるとは
しかも下の動画、閲覧数がつべだけでも2万ある人気動画なのに… >>704
チョンが味方になるとアメリカですらベトナムで負けたしな
法則は絶対ニダ 日本兵は一機倒1000だったらしいし。
1000倍までは戦えるんだろうな。
>>707
ベトナムはモンゴルにもアメリカにも勝って世界最強 >>693
更に歴史解説系のHPや動画にまで蔓延してこんな状態
【ゆっくり解説】 モンゴル軍について
>モンゴル軍が世界を席巻したのは有名ですね
>ええ 日本にも攻めてきたわね
>…あれは外交を知らなかった日本が圧倒的に悪いんですがね
>そうなの?
>はい 亡命したきた中国人に騙されたとありますが、実際は鎌倉幕府の暴走です
>何が暴走したの?
>モンゴル軍は戦争をするかしないかはまず和平の使者を送って確かめます、これを殺害すると容赦しません
>ああ 皆殺しになるのね
>そうです
>で、日本も使者を死者にしちゃったと
>ええ 話も聞かずに切り捨てました
3分でわかる鎌倉時代(鎌倉幕府)〜成立から元寇後に滅びるまでのダイジェスト版 BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/tomorrow/2019/05/21/110579/2
>これに対し、ときの執権である北条時宗はかなり強気で
>【返答しない&使者を切り捨てる】
>などの対応で、対決姿勢を明らかにします。まぁ当たり前ですね。
>かくして(#^ω^)ピキピキ状態になった元が日本へ侵攻してきます。
ぐだぐだ歴史講座
https://lineblog.me/wapdjgto/archives/572255.html
>1268年に元(中国)が「俺の配下になれよ!」と要求してきました。
>時の執権、北条時宗は「はあ?お前バカ?」と使者を斬り殺しました。
>それにまじギレしたフビライハンが2度に渡って軍を派遣したのが世に言う元寇です。 よくよく考えたら大東亜共栄圏って信長がやろうとしていた唐天竺までと同じことか。
>>711
フランスを追い出しただけだから。
ベトナムと戦ってはいない。
第二次大戦後、フランスはベトナムにまた手を出そうとしたけど、結局、追い出された。 血に飢えた鎌倉武士が恩賞目当てに必死にやって来るんだから
元も堪ったもんじゃないと思うよ〜 某物の腐乱死体を船に放り込まれて
業気が蔓延するしwwww 世界最凶の侍を相手にしたんだからな〜
北斗の拳の修羅の国のモデルは日本だよ
>>713
フランスに占領されてるじゃん
アメリカとも共産圏としての戦争だしベトナムを殊更持ち上げるものでもない お前らに研究する資格ないやろ。
モンゴル人がやったんだモンゴル人が。
ヨーロッパ無双した戦士を送り込んできたけど日本が丸ごと退治したから国が滅びたんだろ
アメリカに勝つ方法は補給を得ることと核武装だろうな。
硫黄島ですら補給があれば∞できただろうし。
>>715
陸戦でしかもアジアでモンゴル退けたのベトナムくらいだろ
まあ、あまり真面目に反論されてもというのもあるが、結局、フランスも追い出したし。 >>720
元寇は大宰府まで攻め込まれてる
九州の武士がボコボコにした
あいつら人間じゃないって元の記録に残ってる スキタイ人は内陸アジアの遊牧民に騎馬戦術を伝えた
遊牧民を騎馬民族化させたのがスキタイ人(南ロシア黒海北部)
武士の原型かな
>>718
アメリカはベトナムでも朝鮮戦争でも勝ってないしな
ソウルが一時陥落されて北朝鮮国家を存続させた事実上の敗北
韓国が味方になると絶対勝てない法則 >>722
>武士の原型かな
で、それが、ず〜〜〜っと流れ流れて、ロシアのコサックに >>628
足軽は馬に乗ってりゃ必要なんだよ
ユニットで個 >>711
枢軸側に宥和的なヴィシー政府が仏領インドシナを運営していたから
日本は軍を駐留させてた 朝鮮人を味方にした方が戦いで負ける。
歴史がそれを証明している。
>>723
そりゃ最新装備与えても敵が来たらそれを捨てて逃げ出すような連中が味方にいたら勝てませんわ(笑) 2回目は、1っ回目の失敗から学んだ北条時宗が優秀でした。
だから・・・・本州から援軍が到着するまでもなく、九州勢で追い返した。ようつべCGSの番組でやってたぞ!
>>730
ようつべの歴史動画って、まあ動画によるけど
信憑性低いものや真っ赤な嘘並べてるものもあるから
あまりそのまま信じると恥かいたりするんだよなあ
>>710の上のやつなんてこんなだし
完全に間違ってる使者殺害が原因って話を鵜呑みにして元寇を鎌倉幕府のせいにして、
コメントで正確な事実を反論されてもこれ
>プーちゃんのママポンちゃん
>1 か月前
>それから日本は別にモンゴルからの使節をいきなり切り殺してなんかいませんよ!
>一度目の元寇である文永の役の前までに来日してきた使節は全て国書に対する返答こそしませんでしたが、無事に帰国させていますよ!
>使節を処刑したのは文永の役翌年に来日した杜世注一行とその4年後に来日した周福と欒忠一行のみです。
>屋村要
>1 か月前
>鎌倉武士についていろんな人にネットで聞いてください
>それだけで十分です >>695
>(実際弘安の役の方が大軍だったのに元軍は弘安の役よりはるかに苦戦してる。)
? てか>>710の『【ゆっくり解説】 モンゴル軍について』ってニコニコにもあったけど、
使者殺害についてかなり突っ込まれたコメされてたせいか、そっちは消してるのな
でも一件しか突っ込まれてないつべの方は残してる この島国で1000年以上殺し合いしてきた戦闘民族
穏やかな顔の裏に秘められた闘争本能は数世紀で消えるものではない
>>1
どっかの半島国人の作った船が欠陥品だった説が有力 >>30
共通するのは実際は地形による補給線の限界だったって事だな
ユーラシア大陸は攻めやすいが
例えば海とか巨大な山脈、ジャングルがある地域はほとんど攻め込んでいないか
撃退されてる >>721
大宰府まで進軍したというソースをどうぞ
寡聞にして存じ上げないのだが >>733
間違えました、スミマセン…
→(実際元軍は弘安の役の方が大軍だったのに文永の役の時より苦戦している。) 遊牧民や山岳民族の中には勇猛で知られる民族は時々いる
ネパールのグルカ兵とか
すこぶる単純な話で
主力がコリアン兵だったと言う事につきるだろ
高砂族も勇敢だぞ!台湾ね。
朝鮮人は高麗棒子とか前線放棄して逃げ出すとかでKING OF 屑
今の在日も朝鮮戦争等で逃げ出してきた奴が多数。
朝鮮人は斥候・尖兵・前衛・盾兵は絶対ダメ。役目果たさず逃げ出してばっかだからなぁ。
日帝では朝鮮人一人につき2人の日本人管理ユニットで運用とかだった。
あとは捕虜監視兵とか後方の保安運搬兵とかね。
大陸じゃ敵が攻めてきたら逃げれる事もできるかもしれないが
日本は島国なんで自分達で何とかしなくちゃいけない
その辺の覚悟の違いもあるだろうね
上の腐乱死体投げ込んだとかどういうところで知識得てるの?
おすすめの本ある?
>>1
あの国アノ法則が発動しただけ。
それを忘れた日本人も数十年前に同じ過ちを犯した。 仮に、山々の木々を全部燃やして、焼畑農業&草地にして、羊を放牧したら、どれだけ養えるのかなあ。
990 名無しさん@1周年 [sage] 2020/01/07(火) 21:26:34.50 ID:81SqagRG0
>>972
対馬は山がちで数万を養えず消費地にしかなれないから
補給元が疲弊していって失敗に終わるんじゃないか >>718
お互いに補給があると、第一次大戦の西部戦線の塹壕戦のような膠着状態になり、戦線は殆ど動かないのに、数百万単位の犠牲者が出る。 >>709
アフガニスタンが最強だよな。
ベトナムは長期間フランスの植民地になったけど、
アフガンは英国の5度の植民地化戦争をも退けたぞ。 宋は元に負けて降伏してるからな。
退けた日本が妬ましいんだろうよ
>>728
敵のいない後方に配置すると、民間人を虐殺レイプするしな。 >>743
(=゚ω゚=)ノ インドが英国の植民地だったころ、それを利用して分断統治していた。
と、今朝の朝日新聞に解説してありましたね。
グルカ兵とシク教徒が戦闘民族とか。
ひんぬー教徒連隊
↓ヽ(=゚ω゚=)ノ >>718
アメリカと中国大陸でやりあったら大分いい勝負できたって言われてるしな >>753
そうか?
アメの支援があったからソ連と戦えたけど、無かったらやられてたんじゃね >>743
グルカはマジでやばいな
何年か前も、電車を襲った40人の銃を持った武装強盗集団を相手に
たまたま乗り合わせたグルカ兵が1人でククリナイフだけで戦って
11人死傷させて撃退とかいう映画みたいなことをリアルでやってるからな… 二度の日本侵攻失敗のあと、クビライは三度目の正直を狙って、
過去二回のような高麗人メインの兵じゃなく、東欧を制圧したような精鋭部隊を派兵しようとしてたようだが、
もし実際にそれが実現したとして、果たして上手くいくものか?
彼等の真骨頂は、大平原を馬で疾駆しての電撃戦にあるわけだし。
>>94
マルコ・ポーロがクビライと謁見したのはいつの頃だろう? はっきり言って費用対効果マイナス
黄金の国があると期待して海を渡ったら、マルコ・ポーロは大嘘つきとわかった。
なので、2回目で大損害出した時点で大ハーンの日本への興味がナッシング。
>>134
あ、アメリカを負かしたのは、ベトナム戦争時の南朝鮮の方かw 尚、2回目の敗戦で死にまくったのは属国人たちなので、これまた大ハーンにとってはどうでもいい話
東の果ての蛮族(日本人ね)に負けるような使えない奴等は逝ってよしとな
パンダはチベットの動物
チャイナドレスは満州のドレス
真実の歴史をシナ人は知らない
>>114
それにしても今見ると元軍兵士の格好、どうみてもただのロングコートにしか見えん >>763
それが正規軍使ってでも、3度目の正直狙ってたって言うんだからねえ。
日本以外の国の反逆やらその鎮圧のための派兵やら、
トドメは自分の死でオジャンになったけど。 陸続きじゃなくてほんとよかったわ
同じ軍事政権だった朝鮮は30年間くらい抵抗して人口が7〜8割方減るくらい虐殺されただろ
統計とってないから数字が分かんないけど
半島全土が元寇の対馬壱岐状態なのを6回は食らってるはず
>>761
陸戦であれば弓騎兵対弓騎兵の大規模戦闘になる。ただ機動力生かせる程広い場所で戦えるのかって問題と地の利が無いって問題が元側にあるけど >>768
まあ、大帝国が本気出したら鎌倉幕府はひねり潰されただろうがね。
極東の島国へ敢えて進軍する優先順位は低かった。
それにしても、ハチのひと刺し受けてる間に本国が滅んだって、日露戦争とおんなじ構図じゃね? 捻り潰しは不可能だろう
大陸の戦とゲリラ戦法含んだ戦の違い
防衛としての海の存在はありがたい
>>538
「攻者3倍」「上陸作戦5倍則」(海図も地図もろくにないからそれ以上)
元が渡海作戦のみで勝てた相手
1・アイヌ
新参のアイヌ(北方オホーツク系との交雑で、13世紀に登場)が他先住民を駆逐し拡大中
まず、アイヌ(加害者)が、樺太・大陸のニヴフ(被害者)を渡海侵略
⇒ アイヌに害うけた地元民が元朝に訴え
⇒ その訴え聞き、元軍がアイヌに対して何度も防衛出動
⇒ 押されたアイヌは元に臣従
⇒ 以降、アイヌは歴代中国王朝に朝貢 (※山丹交易は、歴代中国への朝貢交易)
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
> 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
> アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26]。
2・シンガサリ朝(?勝ったのち追い出されたが戦利品は持ち帰った)
3・三別抄 政治家の私兵であり、「抗モンゴル派」を粛清して役目を終えて解体命令出され
失業対策で反乱
1〜3どれも日本よりはるかに格下 日本刀の元、高麗の皮の鎧なんかでは防げない切れ味。 びっくりして逃げ回ったらしい。
>>771
鎌倉幕府を過小評価し過ぎ。簡単に捻り潰せる程弱くはない。そもそも海越えが必要だから大規模な兵力を用意するのにも輸送出来るだけの船団を造る所から始めないとならないしな
そして主力を出す=弓騎兵隊を運ぶ、だから船なんていくらあっても足りないし >>761
無理
陸上ならまだしも海上では逃げ場なし >>1
・高麗兵のサボタージュ
・元軍の司令官の内輪もめ >>771
本気で来てたらたぶん朝鮮戦争と同じ事が起きるわ
海戦だから資材も兵士も兵站も海岸線に集中するから内地が手薄になって・・・ 当時の船を考えれば上陸できたとしても兵站の問題があるな
暴風雨なんかなくても撤退していただろう
>>700
兵力2万は全力だわな、だいたい1万で侵略してるし
半島南部に農場作って長期戦の体勢作ってるし
戦後も九州大きい、端が見えない、あれ島なのか?兵力10万いるぞって2万で落とす気だったようだ
むしろ負けてもいいとか偵察なんて根拠がどこにもない 当時は今より海を渡るのが大変だったな
それに武士をはじめよく戦った
つか上陸戦とか無茶ありすぎだろ
ノルマン人じゃあるまいし
補給とかどうしたんだろう?
>>45
海挟んだらいまいちなのも実力だろ
学力に例えたら国語が得意で英語が苦手なのが人がいるならそれが実力だ
国語が得意なのに英語のテスト受けたから実力が出せなかったとか言わない!
国語で点数が出て英語で点数がいまいちという実力なのだ
陸海を合わせて軍事力であって
モンゴルは陸上戦に偏った実力なのだよ 朝鮮人だからさ。
もしも朝鮮ではなく和寧という支那属国を選んでいたなら
歴史は違ったかもしれないな。
日本は運がいいだけで、本当は弱いんだ
という風に思わせたいが中国人の言うところの運がいいというのは神威でもあるので
敵の運がいいということは人智を超えた畏怖対象となる
>>770
反論でててビックリ笑
まあどっちが強いは置いといて、俺の言う大国の本気は二度の元寇のようになめきったのでなく準備万端で襲来すること。
しっかりした造りの船、軍隊の規律w
まず対馬を拠点にするとか戦略使うこと。
一度目は元が負けたのではなくちょっと脅して帰っただけ。幕府の武将はヤアヤア我こそはとやってひねり殺された。
二度目の元の敗因は台風だけでなく戦やるのに当たり前が当たり前でなかったw
もしかしたら、残虐のあまり東欧を恐怖に陥れた正規軍が来るかもしれないんだぜ。武士はビビらなくても朝廷はビビったかもねw
それでも結果として日本が滅ぼされなかったのは、単にラッキーだけとは言い難くこの国は何か特別なのかもね。 >>760
にわかに信じがたい話だ
時代劇より派手なことしてる
車内という狭さと遮蔽物の多い空間的利を利用して一人ずつ削ったんだろうか >>791
神風の仕掛けなんてバレるといいことないじゃん
台風の通り道を読まれてしまったら損
神風ってことにしとくのは当然の自己防衛だな
問題はその先人の知恵を本気で理解してないアホがいたのかもしれないということ >>792
お前のいう当たり前は当時の当たり前じゃないし
メタだから知り得る情報が多い
対馬なんて狭すぎて拠点にならない
現代知識で元軍無双みたいなラノベの中だけにしててくれ >>797
最近まで思ってたぞ
というかずっと学校でそう教えてたし、大体の人は思ってるんじゃないか? >>792
しっかりした作りの船って、手抜きして建造したと言うのは通説で根拠ないし、どっかの大学が発見した
沈没船を調べたら長期の外征にも十分耐えられただろうとの事だが?
それに騎馬隊が山勝ちの日本でどれだけ驚異になると? 多くの人が勘違いしているのは、モンゴル軍が無敵の強い軍隊だと思い込んでいること。
モンゴルが強いのは騎馬を駆使できる平坦な土地での戦いだけ。
日本に攻めてきたときには一匹の馬もつれてこれなかった。逆に日本の武士が馬に乗って
蒙古の兵を蹴散らかしていた。
モンゴルは当時湿地帯で騎馬の戦いができなかったベトナムでも負けている。
>>743
台湾高砂族も日本統治時代に学校の運動会襲撃して首狩って行ったらしいよ そもそも拠点作る前に海戦仕掛けるだろう
朝鮮まで大軍が来て、そこに拠点作って海兵隊でも作らなきゃ、騎馬隊輸送なんて無理でしょ
>>793 それだろうなあ、開けた場所で取り囲まれたら流石に1対40じゃ勝てないだろうし。
強盗団側も40人で列車乗っ取るためかなり人を散らせた配置を取ってたろうし。 朝鮮人がそそのかしたんだよなー
日本にとって厄災でしかないのが朝鮮人
>>793
強盗が絶賛金品強奪中で
たまたま隣に座ってた18歳の少女が裸にひん剥かれたタイミングでの反撃開始のようだから
強盗側も丸腰だったのもいるかもな
狭い車内だと銃なんて使えないだろうし
40人全員が車内に来てることは無いだろうしな 「鎌倉武士がやあやあ我こそはってやって馬鹿みたいにやられまくった」
とかいまだに信じてるやついるんだなー
戦争はいつの時代もリアルだし、鎌倉武士なんて
殺し合い上等の日本史上一番凶暴だったかもしれない
連中なんだぞ
負けない為に何でもやる人間が相手が異国で何してるか
事前に情報も取らなかったとか思ってんのかね
神風史観は江戸期や明治期に歪みまくって伝えられてるから
鵜呑みにするのは恥を晒すぞ
>>429
だからチョン国とモンゴル帝国を一緒くたにするなという話 >>806
小学校でそう習ったわ
でも本当にそうなら、船の上でボサっと待って嵐にあう前に
さっさと上陸して勝ちにいってるわな >>796
台風が近づく数日前から高まる土用波。
博多視点で、北→北東→東→南東→南と、時計回りに変化する風向き。
こういう事象を敏感に観察していれば、神風をもたらす神様の結界の中心域が、玄海灘を今通過しつつあるのだ。
神様は、今博多湾のすぐ北西側の海上を通過中だ。
神風は、結界の東側(危険半円)の方が、荒ぶる力がより強くて、西側(可航半円)は、比較的神力が弱い。
この位は、近代的な気象学の知識がなくても読めそう。
さらに、台風が近づくと気圧の変化で、こまくが張って耳鳴りがしたり、頭痛がしたりする人間も居たはずだ。
近代的な気圧計による観測がなくとも、こういう変化を捉える事は当時でもできた。 >>806
まあ、そういうのも、全く無かったとは言い切れない。
鎌倉幕府軍の後家人は、目の前の元軍相手の戦いもあるけど、その前に、後家人同士での、褒賞をめぐる武勲争いもあったからね。
ある意味、鎌倉武士にとって、最大の敵は、元軍ではなく、同じ鎌倉武士だった。
その為、武功が誰であったのか、後で揉めると困るので、現場の証人が必要だった。
その為に、名乗りをあげる風習があったんだろう。 一部を全体のように説明するエセ歴史学者が問題なので
使者(地形などのスパイ)を斬って返さなかったこと
沿岸に船を横付けされなかったこと
朝鮮を利用しようとしたことがすべての失敗
大日本帝国と同じ
彼らは役に立たないどころか足を引っ張る
>>800
蒙古襲来絵詞に騎乗する元軍兵士が普通に描かれてるんですが >>200
中国ではテレビとかでしょっちゅう反日映画やってて、悪役の日本軍人の影響で中国人は現代日本人が激怒してるのを目の当たりにするだけで小便ちびるくらいの恐怖を覚えるとか >>622
好き嫌いでやる様なもんじゃねーよ
補給の途絶えた海上じゃ何れ撤退していたし
まあ負けて逃げて帰っても
処刑されるだけだったんだけどよ わざわざ乗り慣れない船に乗って疲弊しながら日本に来ても
待ち構えた勇猛果敢な鎌倉武士軍団に勝てるはずも無い
弘安の役って11月だったろ。
台風の時期じゃないよ。日本の武士が強かったことを
認めたくない人がいるんだよ。
>>819
いや去年も時期外れでけっこうなの来てただろ
プレイボール直後はやられたが、鎌倉武士団がえげつない反撃
そして海上に退かせて未練たらしくしてたら、台風が遅刻遅刻―とトドメ刺しにきただけじゃね >>814
高麗は鎌倉幕府と同じで軍事政権が成立してて
30年間も元に抵抗してたけどな
元の主将を討ち取ったりもしてるから、当時の高麗軍はかなりやると思うぞ 神風なー
やはり専守防衛のが気質的に向いてるのかもしれんな
>>821 >>819
平成初期には11月末にも台風着てるし、台風シーズンから外れてはいても
絶対ありえないってことはない
それと高麗の記録で風雨で船が被害受けてるのは書かれてるから、
台風かどうかはともかく大きな風はあった
がこれ撤退中に吹いてるから、台風であれそれ以外であれ、
撤退の決定そのものには影響しない
ので神風のおかげではないんだよね >>800
具体的な数は知らないが馬連れて来てるよ
文永の役では元軍副将は日本の武士に射落とされてその馬は日本に捕獲されてるとか、
弘安の役では台風にあった後、残った僅かな将軍たちは船に乗って兵を捨てて帰ってったけど、
将軍の中には貴重な馬を鷹島に捨ててその分だけでも兵を連れて帰った人もいたとか、
馬の記録は日本、元の両方にある 台風じゃななかったとしても嵐が起きることはあるだろうし
>>771 >>792
軍隊の規模といけど、大軍を運ぶにはその分の船がいるから、
弘安の役以上の大軍を運ぶには弘安の役以上の造船が必要になる
けど元がいくら大国でも船を造れるのは限られててほぼ旧南宋と高麗中心になるし、
それをフル稼働させたのが弘安の役
だから三度目の時にさらに無理して造船しようとしたけど、
重臣は「民衆が疲弊してるから止めてください」と言ってるように、
それ以上の造船って元でもそうそうできることじゃない
そして南宋は征服されたばかりの反乱多発地域で、
過剰な負担は反乱の火種になるし、
大軍を日本に向けたら当然大陸にある軍が減って、
しかも精鋭を日本に向けたら本国の軍は弱体化するから
その状態で反乱が起きたり他国と戦争になったら
元は弱体化して減った軍で対応する破目になる
要するには元は日本だけに本気出せるような国情じゃないし、
仮に本気出したら造船の負担と、反乱や他国との戦争リスクが上がりまくる >>767
あれは裏に鉄の小さい板が沢山貼ってあるからちゃんと防御力あるよ
>>763
2回目の後も臣下の反対があってもやろうとする程度にはクビライの日本への興味は継続してた
ただし反乱や地続きのベトナムの方が興味というか重要だから後回しにされてるうちに代替わり 侍が相当頑張ったんだよ
簡単に上陸させなかったんだから
元寇は事前に 天気予報を確認してなかった元軍がアホじゃね?
元にとって不幸だったのは朝鮮人を味方にした事、日本にとって幸運だったのは朝鮮人が敵だった事
gohst of tsushima 早くでないかな
>>806
このデマ考えた人もなんだかな、だよな
まるで名乗りを上げて正々堂々とやるのが馬鹿で
不意討ちでも勝った方が賢い、みたいな
自虐史観ここに極まれりだよな
こういうこと宣伝していい気になってる奴馬鹿みたい
無理矢理馬鹿みたいな状況を作り出して武士を貶めてるだけ なにをやってもいいから体中にオイル塗りまくって格闘技をやってもいいわけじゃないんだぜ
イクサで名乗りを上げてる間に言葉の通じない相手にやられたら馬鹿だけど
いくらなんでもそんなサムライがいたわけがない
平家物語で那須野与一が水上の的を矢で射て
それを称賛する舞を舞う敵をさらに続けて討って倒してしまったという話がある
戦いの機微ってのはそんなに単純なモンじゃない
そのデタラメな逸話を真に受けて子供達が全員試合の前に全身にオイル塗るようになってしまったらどうするんだよ
いかにも戦後バブル老害サヨクっぽいデマだな
>>357
都市攻略で投げ込むのと船上に投げ込むのは難易度に差がかなりある。普通に火矢じゃ駄目なのか? そういえば戦闘が1ヶ月と長きにわたってもWW2の日本軍みたく餓死はしなかったのかね。
>>846
奴等人食いの習慣持ちだからな
対馬を侵略して
島民の手の平に穴を穿ち
縄を通し船縁にぶら下げて
干し肉にして食ってたんだと 文永11年10月5日、蒙古人と漢人からなる混合軍2万人に加え、
金方慶(キムパンギョン)が率いる8千人の高麗軍を乗せた900隻の元軍船団が、
最初に対馬(つしま)を襲いました。それに対し、手勢80騎で立ち向かった宗助国(そうすけくに)は
奮戦むなしく、多勢に無勢で討ち死にし、日本軍を打ち負かした元軍は
対馬島内に侵攻し、老人や子供までことごとく斬り殺し、
地獄のような有り様となりました。女性は生け捕りにされたうえ、
手の平に穴を開けられ、そこに綱を通して船ベリに結び付けられたといいます。
この時の様子が、蒙古来襲関連資料『伏敵編』(山田安栄編)の中の
『高祖遺文録』(日蓮の遺文を集めたもの)に次のように記録されています。
去(さる)文永十一年太蔵甲戌(こうじゅつ)十月ニ蒙古国ヨリ
筑紫(ちくし)ニ寄セテ有りシニ、対馬ノ者カタメテ有シ、
総馬尉(そうまじょう)等逃ケレバ、百姓等ハ男ヲ或(あるい)
ハ殺シ、或ハ生捕リニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生捕リニス、
一人モ助カル者ナシ。壱岐(いき)ニヨセテモ又如是(かくのごとし)」
.
百姓とは一般人のことであり、この記録にははっきりと一般人の男は殺されたり生け捕られ、
女性は手に紐(ひも)を通されて船に結わえ付けられたり、生け捕りにされて一人も助かるものはなく、
壱岐でも同じだったと書かれています。さらに編者の山田安栄氏はこの部分に、
次のような解説を加えています。
去(さる)文永十一年太蔵甲戌(こうじゅつ)十月ニ蒙古国ヨリ
筑紫(ちくし)ニ寄セテ有りシニ、対馬ノ者カタメテ有シ、
総馬尉(そうまじょう)等逃ケレバ、百姓等ハ男ヲ或(あるい)
ハ殺シ、或ハ生捕リニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生捕リニス、
一人モ助カル者ナシ。壱岐(いき)ニヨセテモ又如是(かくのごとし)」
百姓とは一般人のことであり、この記録にははっきりと一般人の男は殺されたり生け捕られ、
女性は手に紐(ひも)を通されて船に結わえ付けられたり、生け捕りにされて一人も助かるものはなく、
壱岐でも同じだったと書かれています。さらに編者の山田安栄氏はこの部分に、
次のような解説を加えています。
.
「索ヲ以テ手頭ト手頭トヲ連結シタルニ非ズシテ、女虜ノ手掌ヲ穿傷シ索ヲ
貫キ舷端ニ結付シタルヲ謂フナリ。日本書記天智帝二年紀ニ、
(百済王豊璋嫌福信有謀叛心以革穿掌面縛)トアリ以テ證スベシ」
.
つまり編者は、「百済(くだら)王豊證(ほうしょう)が、
福信に謀叛(むほん)の心があるのを嫌って、革をもって
掌(たなごころ・手の平)を穿(うが)ち縛る」という記述が日本書記にあることから、
古来より朝鮮半島には手に穴を開けて革や縄を通すやり方があり、
捕らえられた女性たちは縄で手を縛られたのではなく、
手に穴を開けてそこに縄を通されたと断じています。
それが朝鮮半島の伝統的行為である以上、壱岐・対馬での残虐行為は当然、
高麗兵の仕業(しわざ)だったのです。
.
その後、博多湾に上陸した元軍は、日本軍の激しい抵抗に遭って、
わずか1日で退却し、博多湾を出たとたんに暴風雨にあって大半の船が沈没しました。
それでも逃げ延びた元軍は帰途、再び壱岐・対馬に上陸して
童男、童女二百人あまりを捕らえてフビライ王に差し出しました。
せめてもの戦功としたかったのでしょう。『元寇』(監修白石一郎、元寇七百二十年記念事業実行委員会発行)
.
古来より朝鮮半島には手に穴を開けて革や縄を通すやり方があり、
捕らえられた女性たちは縄で手を縛られたのではなく、
手に穴を開けてそこに縄を通されたと断じています。
それが朝鮮半島の伝統的行為である以上、壱岐・対馬での残虐行為は当然、
高麗兵の仕業(しわざ)だったのです。
.
高麗は、蒙古の庇護のもとで、お情けで国家として存在していた。
高麗人は、大国と一緒に行動すると勇猛果敢に戦い獰猛に殺し回ったが、1人になると極端に弱くなり発狂したように泣き叫びなが逃げ回った。
その姿は、惨めとしか言いようがなかった。
・ ・ ・
日本は、フビライに強制されて攻めてきた高麗に同情する必要は全くない。
高麗軍は、蒙古軍の先頭に立ち先陣を切って攻めてき、日本人を見付けしだいに惨殺し、日本人女性を強姦して殺し、日本人の子供達を拉致したのである。
日本人が、高麗人の残虐行為を憎み、復讐を誓った事は正当な権利であった。
だが。一部の日本人は、日本人が被った惨劇をを知った上でなを、高麗に同情し弁護した。
全ての原因は、フビライの勧告に従って臣下の礼をとり属国とならなかった、国際常識を知らない日本にあると。
むごい(酷い) 語源
「むごい」の由来・語源
■酷い(むごい)
【意味】
・見るにたえないほど痛ましい。残酷である
・思いやりがなくひどい。無慈悲だ
・程度が限度を超えている。はなはだしい
【由来】
元寇が壱岐・対馬の人々を捉え、女性の掌に穴をあけて船ばたに吊るしたという記録が残っており、「むごい」という言葉は「蒙古(もんご)い」からきたという説がある
参考文献:『戦略的思考とは何か』(著者:岡崎久彦 中公新書)
日本人は俺たちより弱いって半島の連中の言ったことを鵜呑みにして抵抗にああい待機中に嵐に巻き込まれたからな
>>860
まあ実際当時の高麗は相当抵抗したからな
南宋を滅ぼすのと同じくらい時間が掛かったし 鎌倉幕府は元が武士道にも劣る行為で一人対多数で攻撃したからと、再び来襲時には同じように槍兵で囲んで確実に仕留める戦法に変えたんだよ
また、船での上陸阻止の為に海岸の水際に杭打ち込んだ
いつ来てもいいように、監視体制整えて訓練してたんだよ
台風や高浪は二次的なもの
まあ、ヘタレ朝鮮人が大部分だったのも余裕で勝てた一因
対馬侵攻もヘタレなド素人朝鮮人兵だから、留守守ってた少数の対馬武士の前では敵ではなかった
戦闘のプロフェッショナルにして儒学を修めてた対馬武士と字も書けない農民兵では相手にならなかったわけだが
>>854
その賠償を要求しなくっちゃ
国連人権理事会でも韓国人のやった残虐非道の数々の証拠として文献を提出してその残虐行為を糾弾しなければならない >>1
なにもかもグダグダだったからに決まってるw それにしても、この元寇って、中国語表記では元日戦争って言うんだな。
日本人が見たら誤解しそうだ。
日本の武士が強かったから。
弱かったら博多に上陸され橋頭堡を構築されとる。
海上の船に足止めしていたからこそ暴風雨で壊滅した。
この元寇の後の、日本国内の戦でも、やり方が変わったんかな。
海戦だからな
大陸の平原だけで言えばモンゴル軍の強さは桁外れだった
相対的には今のアメリカよりも強い
でも海では普通の人
てつほうという武器を使ったのが面白い
このあと西方では200年後にオスマン帝国が大砲をガンガン使う
日本の武士も強かったが大陸の進化は半端なかった
モンゴルという異常に強い敵の相手をしたことで一気に底上げされたんだな
だがヨーロッパはヘタレだった
16世紀当時のイギリス軍は鍋島藩一軍と同等の規模だったという記録がある
>中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試み
元てモンゴルじゃないの?中国では中国になってるの?元はモンゴルじゃなくて中国なの?
>>869
モンゴル人の作った中国王朝
清は女真族の作った中国王朝
隋は鮮卑の作った中国王朝 実際北京を作ったのはモンゴルだしな
中国人の中には北方民族の血がめっちゃ入ってる
モンゴルもめちゃくちゃ混血してる
中国人が自分をなんだと思ってるのかは永遠の謎
ただ一応言っておくけどモンゴル人は中国人のことが大嫌い
日本の中国通みたいな奴は「中国は偉大なんだ。侵略に来た者達はみんな中国人になりたがってみんな取り込まれてしまう」とか言いたがる
これは中国人自身も言ってることだが、
ある学生の集まりで中国人が複数、日本人一人とモンゴル人一人がいた
モンゴル人は無口だがいつもにこやかで愛想がいい
中国人はよくしゃべる
こんな集団である日中国人グループが「誰でも中国人になりたがる」の話題になって
日本人にも『君も中国人になりたいだろ?』と言われて日本人は苦笑
モンゴル人の学生に『あんたも中国人になりたいだろ?』と言ったら
それまでにこやかだったモンゴル人が急変、激怒して殴りかかった
モンゴル君いわく「あんなに腹が立ったことは人生無い」と言っていたそう
中国人の態度は一般に傲慢で知られているそう
実は朝鮮人が調子こいて日本に大挙押し寄せて
対馬壱岐でも強姦略奪悪事の限りを尽くした
歴史を忘れた民族に未来はない
謝罪と賠償を要求する
謝罪は毎年1000年続けろ
中国は歴史を取り戻すとの方針で侵略を進めているが
歴史を戻せば今の中国は全てモンゴルのもの
中国は歴史に忠実にモンゴルに侵略され直すべき
中国は何を言ってるだかよくわからんが
北方防衛線である万里長城は明らかに中国から北方へ進行しており
侵略してたのは中国の方であったことが明白
元々は黄河付近まで北方民族の土地で漢族はその南にしかいなかった
数千年かけて北上し続けて今や満洲モンゴルまで飲み込む勢い
モンゴルは防衛のために中国を征服したにすぎない
>>872
<ヽ`∀´>つまりウリ民族になりたいニダね? 原因は2つ
1 気象予想師がいなかった事
2 高麗の製造した船に欠陥があった事
これに尽きるでしょう。
大陸性の天候なら読めたが島国の天候は読めない。
兵隊が泳げないのに救命道具を高麗の船には搭載されてなかった。
日本は平地が少ない上に、その平地も沼や水田、湿地が多い
干拓が進んでいない中世は、今よりもっと足場が悪い土地が多かっただろう
新田義貞とかも、田んぼに馬の脚を取られたところを弓矢で狙い撃たれたんだっけ?
騎兵にとって条件悪すぎだよなあ
>>867
鎌倉時代頃まで、武士の長柄の武器は薙刀・長刀(なぎなた)が主力だったが
集団運用に向き、刃筋を気にせず素人を戦力化しやすい、「槍」の普及は
元軍の槍衾に「あんな使い方が」と触発された説があるし
元寇で奮戦した菊池一族が
後の世で、「菊池千本槍」の槍衾やったのは何か関係あるかも >>681
学校を思想コピーの場所と勘違いしてる先公は実際にいるからなあ
インチキ中国人てあだ名がついてるのがいたわ
あいつらはただの教員
師だの先生だの呼ぶから増長するんだよ 昔あこがれて尋ねたことのあるシルクロードのサマルカンドの街を作ったチムールって
残虐極まる王だったらしい。チンギスカンの部隊長の子孫らしい。
今トラブルが絶えない石油産地は昔はオスマントルコの領土で、多民族が平和に
共生していた。サウジアラビア地区の領主がアラブの独立を英国に持ち掛けて、
列強のトルコ侵略が進んだ。独立はしたが今に至るも列強に介入されまくり。
トルコもエジプトも今は大人の対応をしている。立派だ。
実際には二度の上陸以外は
弓矢で撃ちまくって寄せ付けなかったってのが実情と聞いた
>>879
水車も作れない奴らに船なんか作らせたら… >>858
同情されたのは南宋だけ
元と高麗は嫌われ皆殺しになった >>886
オスマンが治めてる間は安定してたのに
バルカンもクリミアもみんなそうだな >>858
自分から属国になってないのは高麗も同じだし南宋だったそうなのに
国際常識が属国になることってなんやねん
小国と大国だからってことにしても
南宋だって大国だったけどそんなこと要求しなかったし >>1
中国は行くなと言った側でしょ?絶対書いたのバカチョンだろ?これ >>891
「国際常識」と云われているモノは基をただすと
大陸の習慣・因習から始まっているモノが大半だったりする
但し日本だけはその習慣・因習から解き放たれた地だった
理由としては帆船が無きゃ日本列島にたどり着けない地でだったが
その中で紀元前4万年前に海を渡ってきた小集団が複数いる事
それらの集団はある特定されたの民族では無く寧ろ雑多で
別の共通因子につまりそれが
大陸の習慣・因習と決別した人間達だったて事 元寇の時の国際感覚の話で
4万年前の話するのはアホすぎだろう
中国地域における戦乱が起こる動機てどう見ても
食料問題の解消なんだけど漢民族をモンゴル人が嫌っていた理由の一つに
人食いの習慣があったんだ
基本家族で移動しマンモスを狩猟するネアンデルタール人達も
気温上昇の影響で森林部が増え草原が減った為マンモスが減り
中型の哺乳類(虎などの肉食獣が増えて)
その影響で人食を始めたら滅亡が更に早まったとも言われてるんだな
Kの法則が発動しただけそれ以上でもそれ以下でもない必然
オスマンにしてもモンゴルにしてもそうだが
民族や人種の概念が異なる
彼らはそもそも白黄混血が主体で"完全なコーカソイド"や"完全なモンゴロイド"といったものが元々ない
宗教に頓着しないのは言わずもがな
極め付けは民族主義の根底というべき"言語"まで基準となりえない
彼らの基礎となる突厥帝国は支配層がアルタイトルコ諸語、商人は印欧系古ペルシャ語ソグド系、そして唐と二重帝国を作りシナ語族の漢字の官庁に出入りしていたという多重言語族
言葉の違いは職業の違いであって遊牧部族を分類する基準にはならない
あくまで擬似血族である氏族が中心である
この辺は日本の武士に似ている
>>862
台風シーズンに来たのが一度目の失敗の要因。
二度目は日本軍が反省を活かして上陸すらさせなかったという事と、宋軍が最前線で使い潰されるのを嫌がってあれこれと理由を着けて来なかったのが原因。
なので一度目に限れば台風やら波浪は無関係ではないよ。 >>878
まともな人間に対しては
まともな対応をすべきだが、
例えば路上でキチガイが
突然襲いかかってきたら
どうする?
話合いをするか?
いや、こっちも防戦で
殴るなり、逃げるなり
の対応をとるだろ?
キチガイ韓国人には
まともな対応ではダメ!
向こうが卑怯な手段で
日本を攻撃するなら
日本もどんな手段を講じても
それを潰すべき! しろうとの俺から見ると、日本の歴史家は軍の補給に対する視点がなさすぎる感じがする。
元寇だって、まず研究すべきは元軍の補給のはずなのに、誰も真っ向から研究していない。
クレフェルトの「補給戦」を読めば、完全補給の軍など20世紀からしか存在しないのがわかる。
とすれば、元軍は日本に上陸して徴発する以外食力確保はできない。
なのに、元軍は上陸できなかった。負けて当然ではないか。
>>32
虎の威を借りて気に入らない日本人を殺戮しようとして元に東征を吹き込んだら
短期間で何百隻も船舶の建造を命じられた挙げ句、先方として送り込まれるとか
ホント今も昔もマヌケな事ばかりしてるんだよな 2回目の元寇は負けて当たり前。
日本側は防衛線として防塁を海中と海岸に設置済みだったから。
だから上陸苦戦するのは当然なわけで。
元側が上陸戦をあまり知らなかったのが敗因。
モンゴル寒いんだしベーリング海峡またいでアメリカ行けばコロンブスより先だったろうに
>>901
上陸は出来てる
その後の日本側の抵抗で追い払われただけ
2回目に至っては「奪われるくらいなら」と日本側が先に現地で略奪してた >>901
海上に釘付けじゃ飲み水にも事欠いたろ
それ等軍事物資の灯をともす真木やらも
夜襲で海に捨てられていただろうし >>1
朝鮮の甘言に騙された元が愚かだった
朝鮮人はいつも大国に戦わせ漁夫の利を得ようとしてきた
朝鮮戦争も結局は中国とアメリカの戦いになった
盧武鉉や文在寅はアメリカ大統領に日本攻撃を進言していた >>771
強さと表裏一体の弱点を無視した設定は無意味
★ 遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため
> 争いが頻発し,いずれも分裂したり,短命国家に終わることが多かった。
・ 遊牧民の慣習:「領地領民の分割相続」により、君主の弱体化や内乱を招く
・ 征服した各地の文化に染まり、モノを持たない遊牧民の文化が薄れる
・ 「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 とあちこち反乱
要は、戦争で広がった後は、無理な疲弊、各地の叛乱、王族同士のガチ内戦ほか
ボロボロ弱って消えるのが遊牧国家の宿命 >>910
ノムタンが「日本を仮想敵国に認定してください」と色んな国で言って回ってた事を言ってるんでね? >>900
狂人の真似とて大路をはしらば、即ち狂人なり
朝鮮人の真似とて、同じ振る舞いをしたらつまりおまえも朝鮮人 大陸から見たら、僕らのご先祖様は結構な狂暴蛮族だったのだろうか
>>892
まったくの無防備だったからね
地方官庁の大宰府に丸投げ
永らく外敵が攻めてくる事が無かったから中央の連中は国防や軍事を忘れてしまった
やがて実権を失ってしまう訳だ そもそもモンゴルは正面きった戦闘は強くはないの。
情報戦と心理戦と機動戦で相手を内部崩壊させていく。
当時の日本にはそこまでの隙はなかった。
北九州で普通に戦闘になって強い方が勝った。それだけ。
日本の前にモンゴルに征服された国が二つばかりあったね。
何か問題があったんだろ。それとも弱すぎたか。
>>917
残念でした。
平安時代にも「刀伊の入寇」があった。
太宰府長官の藤原隆家が跳ね返した。 欧州侵攻もウクライナやボーランドやハンガリーのような草原地域で人口密集地には侵攻していない。
マムルーク朝への侵攻は失敗した。
インドへの侵攻も失敗した。
ビジネスと娯楽なので「征服しやすい地域」に攻めこんで住民を奴隷にして種付け。
つり目でエラがはったDNAを植え付けていくんだよ。
>>918
実はモンゴルは攻城戦が得意なんだよなあ
でも正面切った戦いめちゃくちゃ強いだろ >>914
日本人の俺から見て
おまえは韓国のスパイか
真正のバカとしか思えん。
チョンと一緒に殺したろか?ww 朝鮮人は格下と判断するとナメて油断するのは今も全然変わっていない。
>>908
結局ソースはなかったのね。レス乞食すらまともにできなくなったここに以外居場所もないゴミ林らしいコピペだったね。 >>923
格下だと判断する基準がガバガバでチョンを管理してる国に迷惑かかってるだけだがな >>918
南宋のことなら武官冷遇、文官優遇した上に
窮地に陥ってる前線の危機を肯定に隠蔽して
救援や物資送るのも滞った上に
やっと救援送ったかと思ったら
一行目をやらかした宰相の縁故出世しただけの
無能将軍に任せて惨敗降伏した
ちなみにそいつは元寇にも参加したが
台風の後兵士を見捨てて逃げかえった >>899
一度目の台風や波浪は撤退中に吹いてるから、
元高麗軍が受けた被害の大きさには関係してるけど、
撤退そのものには関係してないよ 東に向かって攻める、昇る旭日に弓引くのはご法度。
大東亜戦争の敗因もこれだ。
騎馬民族が馬の代わりに船に乗り換えた時点であかんやろ!
>>897
>Kの法則が発動しただけ
それだよなあ。あの国を味方にすると負ける
無能な味方は有能な敵より恐ろしいというやつだわ >>586逆なんじゃないかな
モンゴルの短弓の方が射程長いと思うが
複合材料なので粗悪品はダメかも
また湿気に弱い
長弓は重く長い矢を速射出来る 台風のない時に来て台風の来る季節まで海沿いで足止め食らった結果じゃねーの?
>>933
チョンの船で冬の日本海を渡るとかどんな罰ゲームだよ 船からの上陸だと巻狩りの手法は使えないからな
馬連れて来れなかったし
元寇の結果は
元朝の攻撃可能な全戦力が、日本の地方軍に壊滅させられた
>>917 平安時代は
刀伊の入冦の略奪軍:約50隻(約3,000名)にすら日本は大苦戦で略奪されまくった
>>918 「戦闘で何度かモンゴル帝国に勝つ」だけなら、女真などの他に
例:イヴァイロ (豚飼い→第2次ブルガリア帝国皇帝)が
モンゴル帝国・東ローマ帝国、の両帝国軍を相手に勝ち続ける敢闘→ただし反乱で失脚
日本の場合は、ブルガリアと違い
情報戦や周辺諸国などの政治的な圧力を感じる状況ではなかった 元寇で悪逆非道な行いをした朝鮮人
太平洋戦争で悪逆非道な行いをした朝鮮人
ベトナム戦争で悪逆非道な行いをした朝鮮人
>>937
女真なんか数百年の間に何百回も来てるんだぞ
争いを起こした者もいれば交易に来た者もいる
日本海側とか東北の歴史あんまり詳しくないだろ?
そこら中に遺跡が残ってる >>920
モンゴルにはコーカソイドみたいな顔も昔からいる >>916
義務教育課程で武道が複数あるって、今もたいがい >>917
刀伊の入冦では、主犯が半島説もあるが
どちらにしても、約三千の相手に九州は実質圧倒されて略奪された
平将門の乱の合戦でも、兵は多くても両軍合わせて数千名程度
そういう平安時代中期レベルの動員力の頃に
大陸から数万〜十万以上の大軍勢でこられると非常に困ったことに >>498
ケツを掘ってやれって言ってる?
お断りするわ >>613
禁止されたって
誰が誰に禁止したんだ
既に国際条約でもあったのか 朝鮮と組んだら負けるの法則。
厳戒もきっちりレッドチーム入り
たのんまっせ。
>>625
現代でも事務官や技官が自衛隊にいるように
武士だけど文官ってのが普通にいる
武官だからって事務をやらないわけでは全くないが 鎌倉武士がヤバいくらい準備をして対策を打っていたから。
やっぱ事前の段取りって重要だなって。
朝鮮人の情報(笑)に乗ったモンゴル人が悪いがな。現代でさえこのいい加減さの民族の情報よ?
>>932
和弓の方がモンゴル弓より射程は長かったはず
杉山正明って中央ユーラシア研究者の本で読んだ
当時は強襲揚陸艦なんてないから、沖合に止めた船から
手漕ぎボートで上陸するわけだから、日本側は高所から弓で狙い放題だったろうと >>901
朝鮮半島の森を調べれば、元寇の時代辺りの年輪に斧傷がついた木とか、伐根した切り株の跡とか、結構見つかるかもしれないね。
前線基地がどこで、後方の支援体制がどうなってたのかとか、興味深い。 >>933
冬の玄界灘の気候ってどうなん?イメージ的に穏やかな気はしないんだけど。 >>914
アンタの考え「今の韓国人が事実を捏造したりして
不当に日本人を貶めている。
それに対して、日本人も同じことでリベンジするのを
韓国人と同じ賤しい行動」と批判するのは、
つまり、「元寇の時、鎌倉武士が日本式にのっとり
【やあ、やあ我こそは、、いざ、、、】と名乗りを
挙げているうちにモンゴル・高麗軍に集団でボコられて、
「ひ、卑怯だ!」と言っているのと同じ
(それが史実でないにしても)。
卑怯だろうが、なんだろうが勝たなければならない!
今、マジで韓国にはケンカを売られているんだ!
どんな手段を講じても、韓国は潰す! >>613
夜討ちは戦国時代とかにもあったけど禁止ってなぜ? 朝鮮が台風に耐えられない
不良品の船つかませたんだよな
日本の武士が強かったから。
補給が無く現地調達しかない元軍が
上陸しても橋頭堡を構築する事も出来ず追い払われ
船に釘付け余儀なくされれば水の調達すらままならない。
神経を消耗する夜襲繰り返されれば厭戦ムードも蔓延する。
神風無くても日本が勝っていたよ。
元は3回目も計画していたが西方で反乱が起き、日本に構う余裕はなくなった。
刀伊の入寇や元寇など度々侵略受けているが
豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮や大陸に日本の強さを思い知らせたおかげで
江戸時代は対馬も壱岐も大陸や朝鮮の侵略が無く、平穏だった。
現代の日韓関係もそんな歴史を鑑み同じように対処すれば良きものとなると思う。
モンゴル軍の強さは、戦闘の強さよりも、戦争の強さ
つまり、戦闘突入の前に諜報・調略の徹底により
敵の弱点のあぶり出し、裏切りの誘発などを済ませて戦闘自体は最低限
戦闘がうまく行き過ぎて突出した場合、モンゴル軍が負けたり泥沼化することも多かった
元寇の場合は、日本相手に諜報も調略もまともにやれてない
ノルマンディー上陸作戦的な徹底調査どころか
地図・海図もろくなのが無いし
味方にすれば道案内役にもなる九州の水軍を襲い、本気で怒らせた
調査した人間から、日本相手の渡海作戦は分が悪いと進言されてるのに無謀な作戦強行
完全な戦略ミス
>>912
はい分かりました日本を敵と見なします
で
敵の敵は見方の振りしたネズミコウモリの敵ですよね >>952
確かに和弓の方が飛距離あったとあるね
速射も得意とあった
アーチェリーの経験あって30m50m70m90mと射ってたが
飛距離は矢にもよると思う
現代のカム滑車のついたコンパウンド弓なんて恐ろしい飛距離出そう
引き始めが一番重くて力のない人は動かないが
引ければ途中からカクッと軽くなって軽くホールド出来る
アメリカじゃ狩猟で使われたりとか 元軍が宋や高麗ではなくガチで日本に攻め込んでいたら
応仁の乱は起こってなかったかもしれないって
if史実面白いな
もうすこし鎌倉武士の伝統が残っていたかもしれん
>>962
棄民とも言われてるからな
モンゴルにとって好ましくない高麗兵や南宋兵を
日本に送り込んで追放しただけ モンゴルは、強敵の南宋は騎兵の戦術では攻略できず
騎兵は少数に留めて、主力はモンゴル兵に漢人の歩兵部隊を動員した「蒙古・漢軍」
文永の役だと、兵力は蒙漢軍2万5千、高麗軍8千
>>49
モンゴル得意の短弓騎兵に対し、非対称形にして長弓を馬上に持ち込む変態進化
朝鮮出兵の頃でさえ中華鎧が意味をなさないというほど異常な切れ味の日本刀の全盛期が鎌倉時代
勝手に木が生えまくる湿潤な気候と峻険な地形で平原の戦術が不可能
大会戦は何とかなるがゲリラ戦を展開されたら確実に泥沼 >>962
さっさと寝返った方が重用されるって結構エグいシステムだよな
九州と本州が朝鮮海峡くらい離れていたら
そこに居合わせたのがたまたま松永久秀みたいなのばかりだったら
どうなっていたかわからん >>969
ロシアの前身たるモスクワ公国なんてまさにそうで
真っ先にモンゴルに恭順したことで弱小国から成り上がったんだってね 全くくだらんスレだな、蒙古襲来を真面目に議論しているのかと思ったが、見てみると相変わらずいつもの『東アジアNews』嫌韓スレに過ぎなかったな。
クソスレなので近いうちに抹殺(強制終了)します。
完走しそうやないか
20万の兵を運ぶとなると、その為の補給船もかなり必要になるな
これだけの兵力を上陸阻止するのは相当な事前準備要りますな
その兵力を運ぶために船を四千艘って…想像を絶するな。
しかもそれに見合った結果が得られていないという
鎌倉武士からしたら外人ぶっ殺せて楽しくてしょうがなかったと思う
日本ってそんな侵攻するほど
当時魅力があったんかしら
>>84
>>119
本家自体は阿蘇や大友から当主が入った時点で実質的に滅んでるしな
島津も残ったとは言え、正確には分家筋だね
あまり知られてないけど、大友は高家として江戸時代初期まで嫡流を残してたりする wikiより。弘安の役に出征する際の漢詩。
原文は見つからない。
『また、高麗人の定慧寺の禅僧・冲止は、東路軍の威容を前にして以下のような漢詩を詠み、クビライと東路軍を讃えた。
「皇帝(クビライ)が天下を統御するに、功績は堯(中国神話の君主)を超えた。
徳は寛大で断折を包容し、広い恩沢は隅々にまで及んだ。
車は千途の轍と共にし、書は天下の文章と共にした。
ただ醜い島夷(日本)だけが残り、鼎魚のように群れをなして生きていた。
ただ大海を隔てていることを頼りにして、(元と)領域を分けることを図った。
日本は苞茅(朝貢)にかつて入ったことがなく、班瑞(朝貢)もまた聞いたことがない。そこで帝がこれに怒って、時に我が君(忠烈王)に命じた。
千隻の龍鵲(軍艦か)の船と10万の勇敢な軍兵で扶桑(日本)の野において罪を問い、合浦の水辺で軍を興した。
鼓声が大海に鳴り響き、旗は長い雲を揺さぶった」
さらに、冲止は元軍の戦勝と戦勝後の天下太平の世を想像し、以下のように詠んでいる。
「元軍は一瞬のうちに日本軍の軍営を打ち破り、勝報は朝夕のうちに伝わるだろう。
玉帛で修貢を争い、戦争で紛争を解決する。
元帥は宝玉と酒器を賜わり、兵卒は田畑へ帰れるだろう。
三尺の快剣は剣箱に、百斤の良弓は弓嚢に。
四方に歌声が響き、世相の音楽に満ち溢れる。
辺境の警備で、戦争を告げる狼煙が収まり、辺方に風塵(騒乱)の気が絶たれるのだ。
聖なる天子(クビライ)を拝見し、万歳まで南薫太平歌を奏でよう」』
Kと組んで戦争に勝った国が歴史上一度も存在しないだろ
日本もアメリカも元もKのせいで負けてる
第三次世界大戦はロシアと中国の赤組に参加してくれよ
半島人の目論見は、元に日本を占領させて置いて自分らが日本へ移り住む。
そうなればチャイナの圧力から逃げられる。
下心を持ってフビライを説き伏せたのが半島の三流王家。
>>965
その場合、南宋が元に侵攻して日本に軍を出してがら空きの元の領土が削れたかもなあ
元の領土は元々北宋だった中国北部を含んでるから >>965
けどまあ、高麗にも南宋にも攻め込まないってことは、
舟を造ったり動かしたりする人員や技術のある地域が元には少ない
ってことだから、その場合ガチで日本に攻め込むのはそもそも不可能だと思う
軍を出すための港だって高麗や南宋にあるし >>965
何度も出てるけど、「ガチで日本に攻め込んだら」という仮定は
その前に「どうやって海を越えて日本に攻め込むのか」
「ベトナムなど他国や征服地の反乱への抑えはどうするのか」
という問題がある >>962
諜報が不十分だったのは、日本が九州から先へ使者を行かせなかった為でもあるから
元のミスだけじゃなく日本の努力の結果でもあるね 小学館のまんが日本の歴史における文永の役では、元軍がなぜ忽然と消えたのか、ぼかしている描写になってるな。
その漫画、50年ぐらい前からあるような?
今でも売ってるのかな?
>>990
それ、人物伝みたいな感じになってしまっていて、昔のとは内容違うよ
昔のは歴史の流れがわかったけど
今のはぶつ切り なんで「神風」なのか誰も考えないのか?
日本側に悪天候の被害が出てないのに元軍が綺麗さっぱり消え去って、二度と攻めてこなかったからこその超常現象「神風」
ただの暴風雨だったらそう記述するだろ普通ww
高麗ボロ船が沈んだだけだから ww
>>1
孫子を読んでいなかったからじゃないの
遠来の敵を充実した状態で待つ軍は勝てるみたいなことが書かれていただろう。
あと朝鮮人を味方にしたのが敗因だろうね >>148
武士にはお前にはない教養が有ったみたいだね
古事記を読めば馬の死体を投げ入れる本ネタが出てくるよ 蒙古は強かった。
だが、日本を侵略は出来なかった。
オレはその事実だけでいいや。
>>994
文永の役の総司令官忽敦(クドゥン)は撤退を将軍たちと議論した時に
「小敵の堅は大敵の擒なり」と孫子を引用して撤退を決めてるから
少なくともクドゥンは読んでる >>148
生物兵器
そのせいかは知らんけど、弘安の役の時には元高麗軍には病気が流行って
それで亡くなった兵士も多数あったらしい lud20220926063004ca
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/news4plus/1578319086/ヒント:5chスレのurlに
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