裕氏によると、日本政府は1910年代、台湾でのコーヒー栽培を奨励。東河郷には、文次氏が台湾で経営していたコーヒー会社の農園があったという。9歳で祖父と死に別れた裕氏は、両親らの口を介して文次氏の台湾での仕事ぶりを知り、3年前にルーツを求めて同地区を訪れ、コーヒーの木を発見した。この事情を同郷公所(役所)に報告したことが、記念碑設置につながったという。木には「百年コーヒーの老木」という看板もつけられた。
同郷では現在、ブンタン(文旦・ザボン)やオレンジの栽培が盛んで、コーヒーの栽培は行われていない。葉啓伸郷長は、裕氏を通じて初めて木の存在を知ったと語り、これを機に観光推進や環境保全に力を入れるほか、案内員も育成してこの歴史を語り続けていくと意欲を示した。
(盧太城/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201908220004.aspx
中央社フォーカス台湾 2019/08/22 13:57
![【台湾】日本統治時代のコーヒーの木、台東に今もなお そばに記念碑建立[8/22] YouTube動画>2本 ->画像>2枚](https://rz.anime-tube.win/pic.php?http://i.imgur.com/OWPqt82.jpg)
柴田裕氏とコーヒーの木。奥右は赤い布で覆われた記念碑