毛沢東の秘書を務めた中国共産党幹部で政治の民主化を唱えた李鋭氏の葬儀が20日、北京の八宝山革命公墓であった。外国メディアを排除するなど警戒態勢下の葬儀となった。
李氏は1958年に毛沢東の秘書になったが、「大躍進運動」を批判し農場労働に送られた。文化大革命期も投獄され、その後、地位を回復。1991年に創刊された改革派の雑誌「炎黄春秋」を支持し、改革派の論客として活躍。16日に101歳で亡くなった。
李氏は晩年、言論統制を強める党指導部に懸念を示していた。2010年に他の引退幹部らと言論の自由を求める公開書簡を発表したほか、昨年の米メディアのインタビューでも習近平(シーチンピン)政権の統治を批判した。
米国在住で李氏の娘の李南央氏はネット上の声明で李氏の日記を紹介しつつ「父は八宝山での葬儀も党旗に覆われることも望んでいない」と主張、不参加を表明した。だが、党は組織部副部長などを歴任した李氏を高い格で扱い、党・政府幹部を葬る場として権威のある八宝山革命公墓で葬儀をした。参列者によると、棺に党旗が置かれ、習氏や李克強(リーコーチアン)首相名義の花輪が並んだ。
招待者のみ参列が許され、李氏とともに活動した言論人らの入場を認めなかった。多数の私服警官が現場周辺を監視し、外国記者に立ち去るよう指示した。外務省関係者は「党の重要行事であるため部外者の参列は断る。取材も認めない」と語った。(北京=冨名腰隆)
https://www.asahi.com/articles/ASM2N4R66M2NUHBI012.html
朝日新聞デジタル 2019年2月21日15時21分
李氏は1958年に毛沢東の秘書になったが、「大躍進運動」を批判し農場労働に送られた。文化大革命期も投獄され、その後、地位を回復。1991年に創刊された改革派の雑誌「炎黄春秋」を支持し、改革派の論客として活躍。16日に101歳で亡くなった。
李氏は晩年、言論統制を強める党指導部に懸念を示していた。2010年に他の引退幹部らと言論の自由を求める公開書簡を発表したほか、昨年の米メディアのインタビューでも習近平(シーチンピン)政権の統治を批判した。
米国在住で李氏の娘の李南央氏はネット上の声明で李氏の日記を紹介しつつ「父は八宝山での葬儀も党旗に覆われることも望んでいない」と主張、不参加を表明した。だが、党は組織部副部長などを歴任した李氏を高い格で扱い、党・政府幹部を葬る場として権威のある八宝山革命公墓で葬儀をした。参列者によると、棺に党旗が置かれ、習氏や李克強(リーコーチアン)首相名義の花輪が並んだ。
招待者のみ参列が許され、李氏とともに活動した言論人らの入場を認めなかった。多数の私服警官が現場周辺を監視し、外国記者に立ち去るよう指示した。外務省関係者は「党の重要行事であるため部外者の参列は断る。取材も認めない」と語った。(北京=冨名腰隆)
https://www.asahi.com/articles/ASM2N4R66M2NUHBI012.html
朝日新聞デジタル 2019年2月21日15時21分