日本史の教科書にも書かれている、卑弥呼のいた「邪馬台国」は日本のどこにあったのか、いまだに意見が大きく割れています。
今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では、編集長の柴田忠男さんが「そもそも卑弥呼や邪馬台国など存在しない。魏志倭人伝は中韓の捏造だ」と主張している衝撃の1冊を紹介しています。
『高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する』田中英道・著 勉誠出版
田中英道『高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する』を読んだ。日本の神話と考古学の結合を図った七つの論考が収められており、一生懸命読んでみたが、その殆どがわたしの手に余る。
かつて多くの素人も参加して、あれこれ珍解釈を繰り広げた「魏志倭人伝」の邪馬台国、卑弥呼騒動があったのを覚えているので、「なぜ卑弥呼神社がないのか 日本のどこにも存在しない『邪馬台国』」の章はすんなり理解できた。
あの騒動からは何も結論は出なかったし、いまも議論が続いているようだが、著者は日本国土に卑弥呼神社が一社もない=邪馬台国の痕跡がないことを以て、「魏志倭人伝」は日本に来たこともない魏の陳寿の想像だと断じる。
「魏志倭人伝」の記述はもともとおかしい。日本の「魏志倭人伝」論争を読むと、どんな解読の仕方も可能で、九州説、関西説が繰り返し論じられているのだから、誇大妄想の古代史などと非難しても仕方がない。
この記述の「距離」の想像性をみれば、最初からフィクションを書くことを意図していたとしか考えられない。
中韓の政治的捏造による「歴史認識」問題の提起は、昨今に始まったものではない。この歴史論争の根源に関わるものが「邪馬台国」論争である。
「邪馬台国」とか「卑弥呼」という「蔑称」がいつのまにか歴史用語になり、教科書にまで載せられてしまったこと自体が、歴史家、教育者のレベルの低さを示すものである。
今日、「邪馬台国」の信憑性が学界やマスコミでも(中韓でも)確実だと思っているなら、その伝承が残り、それを祀る神社や祠があるはずなのだから、その面での追及をすればいいのに、やらない。最初から諦めている。
そのこと自体が、「邪馬台国」不在の証ではないか。存在に確信があるなら、日本のどこかで、その伝説なり、神社なりを調査してもいいはずだが、ないからできない。
「日本の各地の伝説にも、土地の記憶に一切ないということは、このことで、そのもともとの不在が問われなければならなかったはずである」という判断はじつに明解である。
鹿児島に日本唯一の「卑弥呼神社」があるのだが、一般にも無視されている。郷土史家が昭和57年に建立、その由来を書いた看板がトンデモお笑いレベルだ。
「ある『国』の支配的な『首長』的存在であるならば、鎮魂の意味でも、そこの地元の人々が祀らないはずはないのである」。
神々はもとより鬼の類でも神社がある。聖徳太子、柿本人麿、菅原道真、平将門、楠木正成、新田義貞にも神社がある。神道の神でも日本人でもない徐福でさえ神社がある。「卑弥呼」にはそれらしい存在の痕跡もない。万葉集にもそれを推測させる歌が一切ない。
地方の歴史や文物を記した地誌である「風土記」にもない。民俗信仰、民間伝承、昔話の中にも「卑弥呼」系は見いだせない。とにかく日本には「魏志倭人伝」の様相を伝えるものは全くない。
「邪馬台国」の不在はすでに定まっていたのだ。「魏志倭人伝」は、日本史において検討に値しない。わたしは今後「偽史倭人伝」と書く。「倭」という「蔑称」が気に入らぬが。
編集長 柴田忠男
http://news.livedoor.com/article/detail/13522116/
前スレ
【書評】まさに「偽史倭人伝」 あの邪馬台国は中韓が捏造した?[8/26] [無断転載禁止]©2ch.net
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2017/08/26(土) 14:41:36.06 高天原は関東常陸国にあったと初めていったのは確か新井白石であったねw
韓国の歴史と言うけどそもそも三韓の時代というものがあったかどうかも
元ネタは日本とシナの文献からで……
>>1おつです。
>「魏志倭人伝」は、日本史において検討に値しない。わたしは今後「偽史倭人伝」と書く。
つまり魏国否定、中華否定ですね。わかります。 まず、韓国なんて存在しない
唯一の文献資料によれば、あそこに有ったのは
漢の楽浪郡
魏史にはクヤ韓国って倭人の国が朝鮮半島下腹部にあったとしてるけどな
魏に陳寿なんておらんぞ。
陳寿のオトンは巴蜀にいたし陳寿自体は黄皓に潰され
ニート生活後は西晋に再就職だし。
卑弥呼のあとを継いだ『台代(とよ)』でわかるとおり『邪馬台』の読みは『ヤマト』なんですね
バカウヨは古代日本が中国の魏や南朝に朝貢していたことを無かったことにしたいようだ
歴史の韓黒面に堕ちたバカウヨらしい、まさに韓国人にそっくりw
>今日、「邪馬台国」の信憑性が学界やマスコミでも(中韓でも)確実だと思っているなら、
>その伝承が残り、それを祀る神社や祠があるはずなのだから、その面での追及をすればいいのに、やらない。最初から諦めている。
>そのこと自体が、「邪馬台国」不在の証ではないか。存在に確信があるなら、日本のどこかで、
>その伝説なり、神社なりを調査してもいいはずだが、ないからできない。
よくこんな無知が評論できるね
宮内庁が古墳のあらゆる科学的調査を禁じてるということを知らないのだろうか
日本の歴史がわかるのも、中国様が書き残してくださったおかげやのに、バカウヨはどうしようもないなw
中国様が、孔子だ韓非子だの言ってる時にどんぐりを拾ってたのが日本人の祖先です
>>13
奴国王の事か?
そりゃ当時は国がいっぱいあったんだから
周りを出し抜こうと外国で権威付けする奴も出てくるだろう 要約
数十年の歴史しかない中韓が
悠久の歴史を誇り他国の侵略を受けつけなかった日本の生い立ちが羨ましい
何とか介入して背乗りしたい
韓国で前方後円墳が発見されると、韓国人は「前方後円墳の発祥は韓国ニダ!」とホルホルした
ところが、その古墳が末期のものだと証明されると、そのようなものは無かったことにされてしまった
つまりバカウヨは気に入らない歴史は無かった事にしたいわけだ、あの愚かな韓国人どものように
チョンが日本の下僕だったと書いてあるからチョンには都合が悪いのね
>>18
儒教は民主制度と相容れないよな
支那チョンが奇妙な民主制度をやってるのはその辺が原因だろ 孫子 百戦百勝は善の善なるものに非ず!!
ジャップ
どんぐりの木は切り倒して薪にしないでおくと
来年もどんぐりが食えることに気づいた!俺すごくね?
<丶`∀´>歴史とはウリナラをホルホルさせるものでなければならないニダ
スネちゃまって本当ド停脳だなwww
アレで39歳ってwww
>>23
チョンモメンタルクリニックから書込ですか >>29
ちなみに韓国人は今でも文化としてドングリ食べてるぞ
日本でもドングリケーキ食わせてくれるとこはある 720年の日本書紀に引用が有るらしいが。。で、誰が捏造したって??
>>23
神話と歴史と考古学をイデオロギーで語るな。 >>23
逆に考えるんだ。
バカウヨこそ韓国人だと。
無能な味方を装えば敵の評価下げ放題だと。 >>30
どんぐり自体はアクさえしっかり抜けば美味です。 >>26
日本では縄文時代の集落の周りに植林してドングリを収穫していた
廃れたようだけどね
美味しくないから 卑弥呼が気に入らないって?
安心しろバカウヨ、当時の大国のササン朝ペルシャの王族のペーローズも
「卑路斯」なんて字を当てられているから
>>30
渋味を抜けば食べられないこともないけど
美味しくないよね
北チョンの本場の冷麺はドングリだっけ? 檀君朝鮮は、檀君王倹が紀元前2333年に開いたとされたという国の名前。
朝鮮半島ではこの年を起点とする記述から計算して檀君の即位した年を紀元前2333年とし、
これを元年とする檀君紀元(檀紀)を定め、1961年まで公的に西暦と併用していた。
一部では現在も使用されている。
この時代日本は縄文時代の土人だったと韓国人曰く
その後日清戦争まで現在の中国の属国だったと言っている
徹底的に抹消されていると言う事は、
この国で唯一 唯一の正統な国家だったと言う事。
邪馬台国が無かったなら
平安も鎌倉も江戸も 創作でしょ?
明治維新 あれも興業かな?
で あんた達 誰の許可を得て
邪馬台国に住み着いてるの?
ヒミコに「卑弥呼」をあてたのは悪意を感じるが中国はみんなそんな感じ
軒並み獣へんを当てられてる中で人べんの倭は珍しい
アマテラスオオミカミと宗女のトヨの2人を、伊勢神宮にまつってる。
アスカのヤマト政権の前身は、九州宮崎のヤマト国だろうが、
旧ヤマトがシナ政権の属国になっているのは、容認できない。
アスカヤマトは、聖徳太子の時から、やっとシナと対等の立場を
とれるようになったのか。
前ヤマトは、アスカヤマトにつながっていない、とするしかないな。
>>43
ドングリって言っても、カシ,楢,シイ等
樹種が、いろいろありますからねー
美味しいのは、小さい実のシイノキ。 卑弥呼=日御子(日巫女)という日本語の音読風漢字表記では?とか言うのは前に何かで読んだな。
日御子(日巫女)は固有名詞じゃないんじゃね?
ん?陳寿って 正史三国志を編纂したオッサンだろ
魏志倭人伝も書いてたのか?
シナ人の史官なんていい加減なもんだから、
誰も興味がない異民族の歴史なんて
適当に書いてるのが明らかなわけで、
倭人伝の記述をもとに邪馬台国の位置を
特定しようなんて言う国史の連中は
アホで、大和できまりだろって宮崎市定が言ってた。
中韓って。。。
ごめん、韓の入り込む余地が分からない。
>>26
現代日本人 ラーメンうめえwww
現代半島人 ドングリ麺うめえwww にしこり「へへーヤマト国からヒのミコの使いで来ました!たぢからでこぜーますだ」
魏の官吏1「どういう字を書くんだ?」
魏の官吏2「こいつら蛮族だから文字なんて書けないですよ」
魏の官吏1「じゃあ適当に当て字で書くか、蛮族ジャップらしく侮蔑表現を入れて邪馬台国、卑弥呼、都市牛利と、」
割とマジでこんなんだったんじゃないかと思う
異民族を服属させたというのは王朝にとって功績だからそれを記すわけでそんなとこ偽造なんかしないよ
朝鮮と違って史書に一定の埃を持ってたのが中国人だし
邪馬台国は魏があってほしい国を想像だけで描いたという説があるよね
呉を牽制するための国が欲しかった
>>1
邪馬台国と言う国名が物語ってるやろ
邪馬台国が大和に通じるんだよ
そんな事も判らんで物書きしてるんか? >>1
三国時代に韓なんて国ないだろが
そもそも半島には独立国もなかったのに「中韓」てなんだ
「欧米」みたいにヨーロッパとアメリカを一緒くたにするようなもんだろ 沖縄の事って説が一番しっくりくるけどな〜
ヤマトと邪馬台国の繋がりも違和感あるし、卑弥呼をアマテラスにするのもな
倭人伝を余りに間違いないものとしすぎだろう それしかないんだから仕方ないとでも思ってるのかね
古代日本には原始人しかいなかった
韓人が文化を与えた
何にしても真実はタイムマシンで見てこないことにはわからないさ
まあ魏志倭人伝なんて捏造した伝説レベルだし
ウェルギリウスの世迷言とか聖書の黙示録と同じレベルっすよねw
と韓国人は言ってるってこと?
ヒメゴソ社とかヒメ神とかそれらしいのは幾つかあるけどな。
筆者が知らないだけだろう。
本当の考古学にとっては、邪馬台国がどこにあってもいいのだよね。
発掘調査で邪馬台国レベルの国は、いくつもあったのだから。
関東にも邪馬台国レベルの王朝はあったようだけど、それなら富士山がもっと記述があっても
いいのだけど、あれだけ目印になる富士山がないということは論外ということにもなってしまう。
邪馬台国 (やまたい)⇒大和(やまと)の関係あるし、存在はしただろう。
訳が分からんな
卑弥呼神社が無いというが安本美典のように天照大御神に比定する考えからすれば
日本全国卑弥呼神社だらけだろう
>>1
筆者は近代日本史も知らないのだろうか?
そもそも神社の祭神でさえも、明治以降に記紀に名前のある神に名前を変更されているのに
記紀のどこに「卑弥呼」の名前があるんだよw
それに「倭神社」って結構あるのにね。筆者が馬鹿すぎて話しにならない。 つまらんなぁ 今のチュン・チョン・テヨンに魏志って無関係だし意味ワカメだろうにw
シナ人が周辺民族に悪い漢字を当てるのは伝統じゃないか
匈奴とか
日本人が記録を残してないんだからしょうがないよ
字を持ってなかったんだし
日巫女かもしれないし
邪馬台国について語る人が女性が王位に就いたのを強調したくて゛姫御子゛と言うのを聴いて固有名詞と思ったのかも知れない
いずれにせよ伝聞の書き取りであって
漢字は当て字でしかない
そのままズバリの卑弥呼が奉られて無いのは当たり前
たぶん、アマテラスの天の岩戸の話が大和の成立をあらわしている
逸話なんじゃないかな。スサノオが暴れたせいでアマテラスは
引きこもるけど、八百万の神がみんなで引っぱり出すところ。
史実として本当かどうかはわからないけど
後の世の人たちはその文脈をもとにしていろいろ影響は受けているよね。
というか一応箸墓古墳がその可能性あるといわれてるし
天岩戸ってたぶん皆既日食だよね?
太陽信仰の古代人が皆既日食を体験したらビックリして語り継がれたんだと思う。
>>80
一見説得力ありそうだが
結構すぐ出て来るしなあ日食って
まーでもこんなことあったけどアレはワイがお願いしたら出てきてくれたんやで!
って調子乗りが話しまくってたのかもしれんな >>73
字の記録だってあてにならないよ
真実はそれをみないとわからない >>82
明史日本伝の記述はメチャクチャだからなw >>68
邪馬台国という名前が、魏史には全く出てこないということすら知らないんだろ。 >>65
違う。
すでに、邪馬壹國他数カ国以外は検証ごほぼ終わっている状態。
だから、位置によって、その時の女王の権力基盤によって、その後の日本の歴史の考え方が具体的に変わってくる。 >>54
その割には途中までは具体的だし、そもそも男も女も刺青入れてる野蛮人と書いているように基本呉を牽制できるような存在としては理解していない。 >>80
鬼界カルデラの大噴火じゃないか?
噴煙で太陽の光が閉ざされた。 >>65
残念ながら、弥生時代終わりごろの関東は遺跡が出てこなくてほとんど無人だったと言われている
縄文時代後期からはじまる寒冷期の真っ最中だったからね 邪馬台国=ヤマタノオロチ
ヤマト王朝にとって元々ヤマトは敵国の尊称だった
中国における清のような文化的には劣る武力に長ける勢力がのっとり
日本武尊という尊称を譲り受け
ヤマト王朝となった
神話の時系列グチャグチャにしてみたけど
ロマンチック
とりあえず中韓のねつ造ってってのがよーわからん
なんで韓ごときが入ってくんだろ
>>1
在日朝鮮人だらけの朝日新聞
朝日新聞=ハフィントンポスト=バズフィードジャパン
卑怯にも、媒体名を変えながら反日捏造でディスカウントジャパンを繰り返す朝日新聞だけは信じてはいけない。
問題を引き起こしたのは、靖国問題の捏造を始め、日本をおとしめるために活動している反日朝日新聞だ。
社内は在日朝鮮人だらけ。
そして、さっそく朝鮮人寄りの報道を始めている
この反日捏造アカヒ新聞は、新聞発行ではなく不動産で稼いでる。
まずは、朝日新聞が保有する不動産をすべて把握することから始めようや。
●●● 朝日新聞(=ハフィントンポスト)の真実 ●●●
http://asahi.kirisute-gomen.com/
. >>88
弥生土器の弥生ってどういう由来で付いたか判ってる? w
縄文時代の終わりで無人なら、一時その説は流行ったけどね。
納得できないのは、関東でも同じ遺跡から縄文から弥生、古墳と遺物が出るんですよ。
弥生人が居なくなった縄文人の集落場所に新しく集落を作るとは考えにくい。 卑弥呼の「卑」も、邪馬台国の「邪」も、中国での
日本に対する蔑称なんだと思いますね。
「卑」は、「老」「子」+名前(日本の「日」かもとも思うけど。)
なのではないでしょうか。
邪馬台国なんて、大和国だと思えるし。
今でも、漢字を当てて貶めて呼ぶのはありと聞いています。
「老」は老王さん=目上に対して使う。
「小」の小王さん=目下に対して使う。
このような呼び名で、貶めて「卑」を使ったのでは?
或いは、日本の巫女で、日本を貶めて「卑」と。
>>93
弥生市で見つかったから弥生土器なんだっけ なんで 中韓 なんだ?
中国と韓国の共同作業? そんな仲良しの国じゃないだろw
>>97
楽浪郡とかは、半島にあったから
まあ韓国も関係してたといえなくもない
ただの中国の地方拠点だったわけだけど 偽史とかそうヒステリーを起こさなくてもよさそうなもんだが。
そもそも邪馬台国を大和説とか北九州説を有力視したことが間違っているのではないか。
虚心に魏志倭人伝を読めば邪馬台国が琉球から徳之島の線にかけて存在していたことが
解る。それを何故か学者先生が北九州とか大和などとねじ曲げたことがそもそもの間違い
だろうと思う。魏志倭人伝が模写する風物はどう見ても琉球から北端でも鹿児島県。
多分、沖縄本島、奄美大島、屋久島、種子島のどこかに卑弥呼の墓もあるのだろうよ。
字の記録なんて誤解や偏見や嘘のないものを探す方が難しいだろう
当時の当事者にしかわからない真実は沢山ある
詩歌以外の字の記録はそこまであてにできるものでもないと思う
卑弥呼、邪馬台国、これ中国人、それも文学者、歴史学者なんかが
見たら、はっ、と分かるんじゃないんですか?卑だの、邪だのねー?
>>103
中国は外国にはいつも侮蔑的な文字を当てる。
中華思想の賜やね。 >>68
うーん、そもそも田中英道って、西洋美術史家なんだよな。 正月の御節に入れる栗きんとんってさ
稲作以前に栗を炭水化物源にしてた頃の名残なんじゃね?
当時の韓国エリアは日本領と書いてあるのに
中国はともかく韓国には不都合な記述
>>47
魏志倭人伝というのは
三国志魏書30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条のこと 田中英道は美術史だけやってりゃいいのに。
卑弥呼は大陸王朝が不正確な外国語の聞き取りに漢字を当てただけのものだし、外国の別文化の政治組織を正確に理解できて
いたかどうかもわからん。
そのものずばりな神社があるわけなかろう。
まぁネッシーみたいに
邪馬台国←これを、ヤマタイこくと呼んだ奴が原因だなちゃんとヤマトのくにと呼んで今に伝えてりゃこんなややこしい事にはならなんだ
>>101
魏志と隋書では対馬から壱岐に向かう方角が南と東で違う。
大陸王朝の伝統的な方位概念は任意の一点ではなく分割した範囲なので、単に東だ南だとしていても巾が広いと思われる。
後、海上の船は舳先の方角が対して必ず進行方向というわけではないしね。
船の運用の専門家ではない使節の主観による報告だろうことを考えると、現代の欧州起源の方位概念で文献を読まない方が
いいだろうかと。 >>112
日本国内で邪馬台国をヤマタイコクと読んだのは近世以降だよ。 >>113
修正
海上の船は舳先の方角が対して必ず進行方向というわけではないしね。 → 海上の船は舳先の方角が必ず進行方向というわけではないしね。 卑弥呼って、つまり「日神子(もしくは巫女・御子)」だろ。
ヤマトの皇族がアマテラスの眷属としてそう名乗ったとしても違和感ないが。
いや、あるいは「卑弥呼」は「姫皇子」か。
ヤマトのヒメミコ=邪馬台国の卑弥呼
うん、ありそうだ。
伸びないと思ったら、参加者が常識人だからだろうな。
マヌケなチョンが加わったらすぐ大盛況だ。
みんなで殴りつけるからな。
マヌケなチョン、ウェルカムだよ。
あと、経度で見れば壱岐は対馬の東であり、緯度でみれば対馬の南である。
国と国の間の方位が全て悉く同じ基準と精度で観測したものかどうかもわからん。 治世者が神社作るなら安部神社も作らなきゃならなくなるな
>>119に追記。
魏人の観測精度が現代人並なのなら、壱岐へ向かう方角は直線距離で対馬の東南になるだろう。
魏人も隋人も記録に残したものはそうではないのだから、そういうもだと文献の方角を見ないとね。 別に中国民族なるものが5千年続いてきたわけでもないのに
しょせん中国地方だよ
邪馬台を素直にヤマトって読まないから変な論争になっただけだと思うな
>>113
そういう仮定を否定する材料はないが、かといって文字通り南は今の南、東も今の東である
ことも否定する決定的材料はないでしょう。
邪馬台国探しは多くの仮定を設けれるところが難解であり楽しいところなのだが、魏志倭人伝
をそのまま読めば琉球列島のどこかが疑わしいという結論になる。
また倭人伝で描写された風俗はどう考えても亜熱帯を思わせる海の民。
琉球を疑わない方がおかしいと思う。 現在の大和は大宝(持統)の律令から呼ばれるようになった。
それ以前を記紀で探ると、神武紀の倭国造の記載が初出。神武の都ではなく近辺の一地名だった。
という事は大和朝廷とは律令を発した天武からって話で、その天武は古事記を編纂してる。
ただ後の日本人の大和民族意識を形成したのは、律令の名称からではなくて「ヤマトは国のまほろば」の日本武尊の歌からだと考える。
日本武尊の記載は景行紀だから、この歌のヤマトはどこを指すかというと、景行帝の都、巻向宮を指してると考える。そうすると神武紀の倭国造の倭の位置は巻向近辺を指す事になる。
神武紀をまったくの創作だとしても、この倭国造記載は、任命された倭氏の家伝伝承からだと思われる。革命政府天武朝とはいえ、構成する豪族は機嫌を損ねると知るかボケで国に帰るから無視できないのです w
さて景行紀・日本武尊も創作だといわれてますが、この2つの創作の中に倭と邪馬台が九州説も含めて隠されているという議論は昔からありましたが、それは現在巻向遺跡の調査で一部解明されるかもしれません。
<<122<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@無断転載は禁止2017/08/27(日) 02:30:44.31ID:F0z7AqJh
<<天照が卑弥呼ならすんなり理解出来るが
ちーがーうーだーろー
それなら、現朝廷の開祖女帝は、シナ国の属国外交してた売国奴ことになるだろーが。
だから、神武以前の邪馬台国は、別の国にするしかない。
>>卑弥呼神社が一社も無い
単に神社って概念以前の巫女だからでは?
神は祀られても巫女は祀らないんじゃねーかな、昔の日本なら特に
>>128
つまり畿内の大和は思いのほか新しい可能性もあるわけだ
何百年も前に北九州にあった国にちなんで付けた地名が広がりも広がって日本全体を指すようになったのかも 卑弥呼に関する伝承が無いって言うけどさ
古事記のスサノオノミコトの大暴れと天照大神の天の岩戸隠れと、岩戸からの復活ってエピソードは
卑弥呼死亡→男王が後を継ぐが国が乱れる→台与が女王として復活し国が治まる
これを神話化したもんじゃね?
韓国から対馬までで距離の大半を使ってて
畿内までいけるわけがない、と見えるんだよね
個人的には九州説が可能性高いと思う 七万戸もある大都市に書いてるのは
シナ特有の誇張だと思う
>>131
自分は天武帝が倭と漢字表記を許した点に引っかかってんだよね。
天武の時代でもヤマトと発音されいたし当時多くの人に認められていた。
その場合、山門でも良い訳でしょ。当時の倭の表記は国名でもあり音はヤマト。
ところで、大和民族の形成は平安期に出来上がってる。源氏物語で他文明に対しての大和魂が出てくる。 平安時代くらいには蝦夷など他の民族もいて討伐対象だったからね
崇神帝から景行帝に推定される日本の統一期は、ヤマトって呼ばれていたんだろうな。
九州にしても関東にしても、ヤマトンチュが来るぞ!だったと思う w
それで全国的に定着したんだろうね w
邪馬台国も卑弥呼も中国の当て字だよ。
本来は大和国」と「日巫女」。
歴史書ってのは遺跡やほかの文献なんかと照合して検討される対象であって
無条件に信じ込むためのものじゃないぞ
三国志でも日本書紀でも同じ事。
>>132
和辻哲郎説だね
魏人に日本神話を聴かせたところ、通訳の不備もあって、それが歴史であるかのような印象を与えたのでは、と
個人的には中国と親好のあった九州の小国なのかなと思う
中国の威光を利用して周辺国を支配していた程度のね そもそも現代から将来の歴史は昔の文献のみの歴史学者が推論すべきものじゃないと思う。
生物学や医学は基より地質学や化学、物理学などの自然科学を総動員し、なおかつ民俗学
や抗争が起る訳なども考察する社会学なども動員して歴史の1ページがやっと決まる。
単なる小説みたいな歴史は野蛮人のなすところで実証と科学に基づいた推論のプロセス
こそ歴史の本流だろ。今までの邪馬台国比定論は全てを疑って科学的に推論した方がいい。
そもそも卑弥呼の時代から大規模な火山噴火や地震がどの地域でどの規模で起ったかさえ
確定出来ていなおのに、北九州説とか大和説とかを勝手に講釈するのって、まるで隣国の
野蛮人の歴史とそう変わらない。小説はもうたくさん。
ヤマトタケルのタケルって負けた敵から奪った名前だよね。
力が強いとか尊敬するから名前をコピーするってのは、欧米の通り名などに見られ特に朝鮮韓国などは全ての都市名を支那風にコピーしたり、現在の支那の日本地名を商品名登録したりもある。
タケルも力が強く尊敬するからは同じだが、負けた側から取るという点が違う。
これは関東の高麗名、大阪の堺、江戸の大阪に見られる地名の命名にも出てると考えていいかも。開拓殖民名という点はあるが基本は敗者の移設。
欧米韓国朝鮮は負けた方の名を自己支配権のため徹底して抹消する。韓国朝鮮は三韓・百済・高句麗地名などがそれに当たる。
これを考えると、ヤマトも負けた側の名を残していたのではないか?という可能性も出てくる。
九州勢がヤマトで勝ってヤマトをそのまま受け継いだ。その新ヤマトが九州征伐をして各地の名前を奪ってヤマトの各所に付けた。
百済の池とかの命名も案外、勝者的気分があったかも知れない。
>>1
俺も、「邪馬台国など実在しなかった。」という説の支持派だわ。
あんなにいい加減でメチャクチャな方角や日数の行程で、目的地にたどりつけるわけがない。
昔の測量で誤差があるにも限度がある。
魏志倭人伝の行程日数・方角は信頼できるのは博多湾まで。その先はデタラメで確定だと思う。
つまり、使者のカラ出張報告書を元に書かれている。
行程や日本の政情や習俗については、使者がどこかの誰かから伝聞で記述したものだろう。
だからいい加減なものになっている。
卑弥呼についてもそう。
邪馬台国=ヤマト王権説では、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命を有力視してるが、
そもそも、使者は邪馬台国の”国王”に謁見しに来たはずなのに、
実はただの皇女を王と間違うなんて、ドジにもほどがある。全然使者の役目を果たしていない。
カラ出張したスチャラカ社員が、上司が確認できないことをいいことに、
適当に嘘八百を書いた出張報告書。それが、魏志倭人伝。 >>117
魏志倭人伝には、ハッキリと卑弥呼は女王って書いてあるんだから、
その説を取り入れると、 「女王 姫皇子」
という何とも矛盾に矛盾に満ち満ちたマヌケな事を真面目に言っちゃってるというお話になるわけで。 広大な筑紫平原を持ち 大陸との窓口で先進的文化や道具 日本ではまだ造れなかった鉄器…鉄その物も輸入品、を手に入れられる福岡政権
狭い大和盆地に閉じこもり 大陸からの文物は福岡か出雲を経由しなくては手に入らない…ド僻地の大和政権
何方が 周辺の豪族を味方に付けて 覇権を手に入れられるか議論するまでも無い、
日本の古代には天下分け目の大決戦の跡も 謂れも無いんだよ、残っているのは…ヤクザの喧嘩か お家騒動かな…な程度の話 普通は手柄だから針小棒大に書くもんだよ、
古代日本の大城砦は太宰府を護る水城のみでね…しかも博多湾を向いた面のみなの、側方後方の守りは無し、
アト神護石…砦あと、
日本は 小競り合いだけで大きな戦のない 平和な島だったようだね、
日本列島は争いの少ない 豪族達のソフトな連合国家だったんじゃないかと思っている…江戸時代風かな、平安も鎌倉も室町も似たようなものか、
大和は大陸からの圧力が高くなって 大和盆地へ豪族達が避難して出来たんじゃないかと思う、
で無ければこんな僻地に 天下に号する国が出来るはずがないだろ、
戦国時代になると 京の都に近いのに最後まで完全なモブ扱いだつたのが証拠だね
流れ者(侵略者)は 土地への愛着が無いから
遷都セント 元伊勢だらけになる。
邪馬台国は 千年も万年も ず〜っと
吉備だった。
狗奴国(大和政権)に食い尽くされるまでは。
日本は呉と東晋みたいな豪族連合政権国家
豪族に推戴された王が卑弥呼やヤマト大王
邪馬台国と書いてヤマト国と読む
現在の奈良県三輪にあったとされる
狗奴国とは吉備国のこと
縄文時代から ず〜〜〜っと
邪馬台国は中国地方です。
伊都国も代々服属していた。
漢の時代から 大陸と書簡を交わしていたはずなのに
「弥生時代まで文字がなかった」と?(怒!)
大和政権になって 日本人は文盲になったのですか?
>>153
大和朝廷が古事記や日本書紀の編纂を理由にして、各地の記録文書を集めたが
都合の悪い記録は抹殺したため、古墳時代以前には文字がなかったことにされてしまった
その後古代の日本に文字が無かった事に憤った連中は、いかにも韓国的方法でそれを解決しようとした
それがいわゆる神代文字の捏造というやつで、恥知らずにもハングルをもろパクリしたものまである >>146
気持ちはわかるけど、この文書はいやしくもシナ王朝の正史だぞ。
簡単に切り捨てるにはそれなりの作業が必要だろ?
つまり、文献批判だ。なにが許容できなにがダメなのか。できないなら、黙っていろ。 >>1
マジレスさせてもらうわ。
ここで一番重要な点は九州にあった文化の中心がいつ、どのように畿内に移ったという点だ。
ちょうど起点は卑弥呼の時代で九州か畿内かモメているし、吉備や出雲だって関係があろう。終点は倭の五王だ。
文献である記紀の成立は7世紀で、それから400年前の歴史になる。今で言うとちょうど徳川政権の時代になる。
古いだろ。
この空白の4世紀の百年にいったいなにがあったのか? 全くわからない。
いや、考古学が細々と物語ってくれてはいるが、全貌はベールがかかったままだ。
だから面白いんだ。
面白いことに、レガリア(権威の象徴)が銅鐸から古墳へ移行するのもこの時期だ。
高地性集落もこの時期(学問テーマとして古いね)だ。
こういう状態だから、プロは何もいえない状態だ。シロートだけがかまびすしい。この著者もそうだ。
文献からは新発見はもうナイだろう。あとは考古学と民俗学の頑張りだろうな。
アンタラはこの文化の中心の東遷をどう説明する?材料がないから推測するしかないけどな。 日本書紀が「紀元前から日本は日本で天皇もいたよ」ってフカしてるから、ここらへんの事は謎なんだよね
複数の豪族の連合地域みたいになってたとは思うんだが
>>157
三種の神器が畿内で埋葬されるようになって時代が変わった。それ以前の銅鐸の時代は出雲が大和を支配していた。
中国から鏡をもらったのをおすそ分けするのが邪馬台国の権威につながった。
倭の五王の時代は現在の天皇家。つまり、台与の次の男王から倭の五王の間にパラダイムシフトがある。
この期間に神武東征のようなものがあった。 1500年以上も昔の古墳発掘を拒む宮内庁。ここに大鉄槌を下さないと古代史なんぞ推論
しても時間の無駄。推測というのは現在の情報が完璧であって意味があるが、ヤル気になれば
完璧に近づけるものを放棄して何が科学的推測なのか。アホらしいにも程がある。
もう1000年でも1500年でもいいから年代測定である線よりも古いなら学術調査を優先させる
べき。それに異議を唱えるバカな皇室がいたなら更迭してしまえ。日本国にあっては主権は国民
であり国民の意思が全てに優先する。
『台』これは ダイと読みますが かつてはモトとも 読んでいたのです。
今はモトと 読んではいけないことになっています。
皆さんには 覚えていてほしいのです、この字をモトと読んでいたことを。
邪馬台国はヤマモトコク やまもとのくにと 読む。
山本姓は 西日本に多い。
なぜ いつからモトと読んではいけなくなったのか
もう 質問もできないけど
「先生 ちゃんと覚えています」