こういう事態になると、戦後日本が抱える病根の深さがよくわかるのではないか。
その事態とはいうまでもなく、北朝鮮による軍事的な威嚇。そしてそれに十分に対応できているとはいえない、わが国の現状である。
深刻な状態
まだしもの前進はあった。
北朝鮮が米領グアム周辺へのミサイル発射計画を明らかにした段階で、小野寺五典防衛相は、集団的自衛権に基づく迎撃の可能性に言及した。同盟国が危険にさらされることは日本の安全も危うくするのだから、当然だろう。
一歩前進ではあったが、十分ではない。北朝鮮の露骨な威嚇を前にしても、わが国では敵基地攻撃能力保有の議論が遅れている。憲法9条の制約から来る専守防衛の姿勢が、障害となっている。
集団的自衛権の限定行使を認める安全保障関連法が2年前に成立したときも、反対派は「違憲法案」などと声高に難じ続けた。憲法が、日本の安全保障の障害となってしまっている。
日本の憲法の原理の一つは平和主義といわれる。しかしそもそも、自国の平和を危うくしかねない憲法が平和主義だとは、とてもいえまい。
それなのに強固な護憲思潮がこの国には分厚く存在する。健全ではない。自らの生命を危うくしかねない病にかかっていながら、病状に気付かない深刻な状態といわねばならない。
憲法誕生直後の歓迎ムードを別とすれば、護憲の立場は、戦後のいわゆる進歩的知識人らも名を連ねた平和問題談話会の昭和25年の声明に表れている。
再軍備は「右翼」?
この声明自体、共産圏も含めた全面講和を主張するなど、左寄りのものだった。
声明が出た年には朝鮮戦争が起こり、日本の再軍備がいわれるようになった。
談話会に加わった政治学者の丸山真男は当時の文章で、再軍備を求めているのは「反動的=右翼的なグループ」とみなし、こう書いている。
「日本の政治、経済、社会全般にわたって現在『健全』と考えられているよりもずっと『左』の政策が押し進められねばならぬだろう」(「戦後日本のナショナリズムの一般的考察」)。
55年体制が始まった昭和30年前後から、一部メディアも巻き込んで護憲思潮はさらに広がった。知識人は今度は憲法問題研究会を組織し、さまざまな場で護憲をアピールした。
丸山のいうように、それは大きく左に偏った思潮だったといってよい。
それが現在も続いている。
たとえば憲法問題研究会の昭和40年の論集で、9条の解釈の変更は「もぐりの改正」と結びつけられている。安保法制の議論で反対派が「解釈改憲」と連呼していたことと、重なる。
自ら保ち守る
左という言葉を、単純に考えてみたい。革新的な立場を左と見れば、そこにはなにものかを否定することが含まれているだろう。否定するから改革し新たにする、ということになる。
じつは丸山ら進歩的知識人の仕事の多くに通底しているのは、終戦までの日本の飽くなき否定なのである。
図式的に単純化していえば、日本が戦争に進んだのは前近代的、封建的だからであり、それらが否定されなければならない、と。丸山のさきの文章でいえば、「日本の社会の隅々に巣喰(く)う封建的抑圧の機構と精神」の「除去」が必要、ということになる。
現行憲法も、いわば終戦までの日本の否定だった。何より国家の権利(国権の発動としての戦争、交戦権)を認めない点で、憲法は戦後の自己否定的な精神と、よくなじんでくる。
このようにして、戦後日本では左派やリベラルといわれる勢力が、護憲勢力でもあるという状況ができてしまった。
要するに戦争への反動から、日本は左へぶれすぎた。戦後の知的雰囲気自体が、左がかっていたといってもよい。
このような立場は、今となってはバランスを欠いた偏りとみなすべきである。
この左傾に無自覚であることは、最初に書いたように、自らを危うくする病に似て、もはや危険な域に達している。国家とは、先祖から子孫へとつないでいくべきものでもあるだろう。
ちなみに自らを保ち守るという立場は、右などではない。真ん中であるにすぎない。(かわむら なおや)
http://www.sankei.com/column/news/170820/clm1708200005-n1.html
その事態とはいうまでもなく、北朝鮮による軍事的な威嚇。そしてそれに十分に対応できているとはいえない、わが国の現状である。
深刻な状態
まだしもの前進はあった。
北朝鮮が米領グアム周辺へのミサイル発射計画を明らかにした段階で、小野寺五典防衛相は、集団的自衛権に基づく迎撃の可能性に言及した。同盟国が危険にさらされることは日本の安全も危うくするのだから、当然だろう。
一歩前進ではあったが、十分ではない。北朝鮮の露骨な威嚇を前にしても、わが国では敵基地攻撃能力保有の議論が遅れている。憲法9条の制約から来る専守防衛の姿勢が、障害となっている。
集団的自衛権の限定行使を認める安全保障関連法が2年前に成立したときも、反対派は「違憲法案」などと声高に難じ続けた。憲法が、日本の安全保障の障害となってしまっている。
日本の憲法の原理の一つは平和主義といわれる。しかしそもそも、自国の平和を危うくしかねない憲法が平和主義だとは、とてもいえまい。
それなのに強固な護憲思潮がこの国には分厚く存在する。健全ではない。自らの生命を危うくしかねない病にかかっていながら、病状に気付かない深刻な状態といわねばならない。
憲法誕生直後の歓迎ムードを別とすれば、護憲の立場は、戦後のいわゆる進歩的知識人らも名を連ねた平和問題談話会の昭和25年の声明に表れている。
再軍備は「右翼」?
この声明自体、共産圏も含めた全面講和を主張するなど、左寄りのものだった。
声明が出た年には朝鮮戦争が起こり、日本の再軍備がいわれるようになった。
談話会に加わった政治学者の丸山真男は当時の文章で、再軍備を求めているのは「反動的=右翼的なグループ」とみなし、こう書いている。
「日本の政治、経済、社会全般にわたって現在『健全』と考えられているよりもずっと『左』の政策が押し進められねばならぬだろう」(「戦後日本のナショナリズムの一般的考察」)。
55年体制が始まった昭和30年前後から、一部メディアも巻き込んで護憲思潮はさらに広がった。知識人は今度は憲法問題研究会を組織し、さまざまな場で護憲をアピールした。
丸山のいうように、それは大きく左に偏った思潮だったといってよい。
それが現在も続いている。
たとえば憲法問題研究会の昭和40年の論集で、9条の解釈の変更は「もぐりの改正」と結びつけられている。安保法制の議論で反対派が「解釈改憲」と連呼していたことと、重なる。
自ら保ち守る
左という言葉を、単純に考えてみたい。革新的な立場を左と見れば、そこにはなにものかを否定することが含まれているだろう。否定するから改革し新たにする、ということになる。
じつは丸山ら進歩的知識人の仕事の多くに通底しているのは、終戦までの日本の飽くなき否定なのである。
図式的に単純化していえば、日本が戦争に進んだのは前近代的、封建的だからであり、それらが否定されなければならない、と。丸山のさきの文章でいえば、「日本の社会の隅々に巣喰(く)う封建的抑圧の機構と精神」の「除去」が必要、ということになる。
現行憲法も、いわば終戦までの日本の否定だった。何より国家の権利(国権の発動としての戦争、交戦権)を認めない点で、憲法は戦後の自己否定的な精神と、よくなじんでくる。
このようにして、戦後日本では左派やリベラルといわれる勢力が、護憲勢力でもあるという状況ができてしまった。
要するに戦争への反動から、日本は左へぶれすぎた。戦後の知的雰囲気自体が、左がかっていたといってもよい。
このような立場は、今となってはバランスを欠いた偏りとみなすべきである。
この左傾に無自覚であることは、最初に書いたように、自らを危うくする病に似て、もはや危険な域に達している。国家とは、先祖から子孫へとつないでいくべきものでもあるだろう。
ちなみに自らを保ち守るという立場は、右などではない。真ん中であるにすぎない。(かわむら なおや)
http://www.sankei.com/column/news/170820/clm1708200005-n1.html