あのブータンなんか
支那との国境線が少しずつブータン側に後退させられている
第二のチベットのなるかもしれない
■中国軍がチベット人を無差別に射殺してる動画(日本語字幕付)■
6歳から10歳のチベット人少年僧を無差別に射殺する中国軍
目撃した欧米人…「チベット人を野犬を狩っているように撃ち殺している」
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■『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著 (講談社インターナショナル) ■
初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる。既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする。
これが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、
死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。
-それはさながらこの世の地獄だった。
1956年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、
チベット人にとって忘れられない年だった。 民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩?
それらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。
それが中共の共産主義への道だった。チベットを乗っ取り、完全にわが物にするのが中共側の
目的だったのだ。これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、
尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦
との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と
嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。
おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。 (本文より)
中共のチベット侵略と占領は二十世紀最大の悲劇の一つである。百万人以上のチベット人が殺され、
仏教建築物、書籍、芸術品などほとんどが破壊し尽くされた。 (ダライ・ラマ十四世・序文より)