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ダース・シコリアン卿 ★@無断転載は禁止
2016/07/28(木) 19:43:24.80 ID:CAP_USER
5日間の休暇を終えれば、朴槿恵(パククネ)大統領は再びテレビによく姿を現すことだろう。彼女は自分が利口でゆっくり仕事をしていると考えているようだ。実は反対なのに。朴大統領を見ていると、ぞっとする時がある。なぜなのか。
その日以来、頭の中を駆け巡っている言葉がある。朴大統領が7月21日、国家安全保障会議でしたいくつかの話だ。
「ここにいらっしゃる皆さんも召命(王が臣下に下す命令)の時間まで、義を通すことには非難を避けず、苦難を友として堂々と所信を守ってください」
「召命の時間」、「義を通す」、「苦難」とは聞き慣れない表現だ。召命は人が神の仕事をするため神の御呼びを受けることを指す。義を通すという言葉も聖書によく出てくる。義人が10人いればソドムとゴモラは滅亡しなかっただろう。
マスコミは朴大統領の言葉がウ・ビョンウ民政首席の信任を再確認したものと解釈した。チョン・ヨングク報道官はそれを否定している。「国家安保の安全を守らねばとして召命と言った」という。
そうだろうか?国家安保が召命、義、苦難と何の関連があるというのか。いくら聞き直しても牧師の説教に思えてならない。
<味方には善意という寛大な心情倫理を適用し、相手には厳格な法律の規定を示すだけでなく、はなはだしきは悪意があるという前提で見る場合が少なくない。こうした考え方の背後に潜んでいるのは善悪二分法の白黒論理だ。>
一時は朴大統領を補佐したユン・ヨジュン元環境部長官が2011年に著書「大統領の資格」で指摘した内容だ。今の朴大統領を予想していたかのようだ。
朴大統領の宗教的な考え方はどこから来るのだろうか。
それはまず、死であろう。彼女の人生にはいつも死が見え隠れする。母が銃に撃たれて亡くなったのが22歳、父が銃に撃たれて亡くなったのが27歳の時だった。
彼女自身も顔をナイフで切られ死の危機に瀕した。2007年に出版した自叙伝「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」の序文で2006年の襲撃事件を詳細に記している。
<これから先の人生は天が私にくださったおまけと思った。まだ私には言いたいことが残されているため、続けることができた命が与えられたと思えば、これ以上失うものも、これ以上欲を出すこともないという気持ちが自然に湧いてくる。長いといえば長く、短いといえば短い私の人生は2006年5月に第1幕を降ろした。>
実に悲壮だ。余生は課題だというのだから。
韓国語原文入力:2016-07-27 21:34
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/754136.html訳Y.B
韓国ハンギョレ新聞社 2016.07.28 08:40 ソン・ハンヨン政治チーム主任記者
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/24769.html
朴槿恵大統領
ソン・ハンヨン政治チーム主任記者//ハンギョレ新聞社
つづく
その日以来、頭の中を駆け巡っている言葉がある。朴大統領が7月21日、国家安全保障会議でしたいくつかの話だ。
「ここにいらっしゃる皆さんも召命(王が臣下に下す命令)の時間まで、義を通すことには非難を避けず、苦難を友として堂々と所信を守ってください」
「召命の時間」、「義を通す」、「苦難」とは聞き慣れない表現だ。召命は人が神の仕事をするため神の御呼びを受けることを指す。義を通すという言葉も聖書によく出てくる。義人が10人いればソドムとゴモラは滅亡しなかっただろう。
マスコミは朴大統領の言葉がウ・ビョンウ民政首席の信任を再確認したものと解釈した。チョン・ヨングク報道官はそれを否定している。「国家安保の安全を守らねばとして召命と言った」という。
そうだろうか?国家安保が召命、義、苦難と何の関連があるというのか。いくら聞き直しても牧師の説教に思えてならない。
<味方には善意という寛大な心情倫理を適用し、相手には厳格な法律の規定を示すだけでなく、はなはだしきは悪意があるという前提で見る場合が少なくない。こうした考え方の背後に潜んでいるのは善悪二分法の白黒論理だ。>
一時は朴大統領を補佐したユン・ヨジュン元環境部長官が2011年に著書「大統領の資格」で指摘した内容だ。今の朴大統領を予想していたかのようだ。
朴大統領の宗教的な考え方はどこから来るのだろうか。
それはまず、死であろう。彼女の人生にはいつも死が見え隠れする。母が銃に撃たれて亡くなったのが22歳、父が銃に撃たれて亡くなったのが27歳の時だった。
彼女自身も顔をナイフで切られ死の危機に瀕した。2007年に出版した自叙伝「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」の序文で2006年の襲撃事件を詳細に記している。
<これから先の人生は天が私にくださったおまけと思った。まだ私には言いたいことが残されているため、続けることができた命が与えられたと思えば、これ以上失うものも、これ以上欲を出すこともないという気持ちが自然に湧いてくる。長いといえば長く、短いといえば短い私の人生は2006年5月に第1幕を降ろした。>
実に悲壮だ。余生は課題だというのだから。
韓国語原文入力:2016-07-27 21:34
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/754136.html訳Y.B
韓国ハンギョレ新聞社 2016.07.28 08:40 ソン・ハンヨン政治チーム主任記者
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/24769.html
朴槿恵大統領
ソン・ハンヨン政治チーム主任記者//ハンギョレ新聞社
つづく