https://bunshun.jp/articles/-/60350
電子音楽の先駆けとなった伝説的バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」は、なぜ大ヒットしたのか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「当初は奇抜すぎるといわれてうまくいかなかったが、米国でのコンサートが大成功した。そのとき心がけたのが、アメリカ人が日本人に対して抱いている典型的なイメージを逆手にとることだった」という――。
1978年、僕の企画事務所であるシロ・プランニングはキャンティの3階を拠点にしていた。そのとき事務所で村井邦彦と話をしていると細野晴臣がやってきた。〈イエロー・マジック・オーケストラ〉という新しいプロジェクトを構想しているという。
ニューミュージック系のセッションミュージシャンの親分である細野がオーケストラというのだから、僕たちはてっきり大勢のミュージシャンを集めて演奏するのだろうと想像した。村井邦彦は「細野に全部任せる!」と言って細かいことは気にしていない様子だった。
数カ月後、村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。
細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。
兎にも角にも打開策を見つけなければいけない。ラジオは、どこの局でも扱ってもらえなかった。当時のラジオ局の番組編成では音楽はすべてジャンル分けされていたのだが、YMOの音楽はどれにも当てはまらず、またサウンドが奇抜すぎるということで断られてしまう。当時TBSで、飛ぶ鳥を落とす勢いの例の音楽番組プロデューサー・渡辺正文のところに持って行き、テレビに出してくれと頼んだが、「ショウタロウ、これは無理だよ。テレビでなにを撮ったらいいんだ?」と言う。
プロモーションが成り立たず、案の定まったく売れる見込みのないま時間が過ぎていく。
続きはソースをご覧下さい
大麻とかシャブとか監禁とか暴行とか逮捕歴はんぱないよなこいつ
新しいものは最初はまず拒絶されるのは世の常
その中から次の世代が生まれてくる
>>1
>音楽プロデューサーの川添象郎さん
この人自身も、けっこうな有名人だねw
飯倉のキャンティのおぼっちゃんで風吹ジュンの元夫
婚歴すごい仕事の経歴もすごいし逮捕歴もすごいw >>6
そんなことより成し遂げた偉業のほうがすげいからな
このおっさんやおっさんの実家のキャンティや財産・人脈がなかったら、YMOもユーミンもここまでの成功はなかった
それくらいすごいおっさんなんだよ >>9
いちばん最近のプロデュースヒット作だと
15年ぐらい前の、
青山テルマ『そばにいるね』だな こういう逸話を40年越しで知らされる身としてはどうなんだろうか
おじさんたち萎えないの?
自分の優れたアンテナがキャッチしたと思っていたYMOも
こういったおぼっちゃま権力たちに提供された消費財だったってことが
高橋幸宏は秀才だが
その両脇に天才と鬼才が居たのは仕方ない
これらの映像をまあ一度見てみ
川添のすごさがわかる
YMO初期の有名なLAグリークシアターのライブ映像も、川添が「これは記録しておいたほうがいい」と急遽現地で機材を集め録画させたもの
その映像がパイオニア音楽館って番組や全国のレコード屋店頭で流されて、YMOの大ブームにつながった
川添は天才的なエグゼクティブプロデューサーであり興業師だよ
↓
川添と村井のYMO対談
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川添が語るYMOヒットの技術
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YMO大ヒット時に11PMに出た川添細野
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川添が急遽撮影させた1979年のYMOグリークシアターライブ
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音楽が良かったからだろ
俺が仕掛けたみたいに語る奴多いけど
「川添象郎のやってきた仕事は、すべてメジャー中のメジャーなのに、
存在はアングラそのものです。表に出しちゃいけない人。
フィクサーのような制作者。
だって、表に出したらすぐ逮捕されちゃうんだから」
>>1
アメリカに帰ったトミー・リピューマは、酒の酔いも覚め果て頭を抱えていたらしい。オフィスのスピーカーでYMOの音源を聴きながら「いったいこれをどうやって売れというのだ!」と。
そこへたまたま〈チューブス〉という人気ロックバンドのマネージャーがやってきて、聞こえてくる音に興味を示してきた。
トミーから日本のユニークなバンドだと説明を受けるとますます気に入った様子で「今年の夏に行うチューブスの3夜連続コンサートに出演させたい!」と言う。
↑
これでLAグリークシアターでチューブスの前座を3夜やることになったわけだが、第一夜目で肝心のチューブスを食うくらい客の反応がよかった
それで次の日に急遽映像を撮影することになった
ちなみにチューブスのキーボードプレーヤーのマイク・コットンはステージ脇からYMOの演奏をずっと見ていて、坂本に対して「君は僕のグル(師)だ」と言うくらい感銘を受けたのは有名な話
高橋は演奏してテンションが上がって、楽屋でガムテープで体をぐるぐる巻にした有名な写真を残した この記事を読んで一つ分かることはラリってYMOを聞くと気持ちが良いらしいということだな
トミー・リピューマにワインをしこたま飲ませてYMOを売り込んだ話
>>22
というかミュージシャンにハゲは少ないな
音楽が髪の毛に良い作用をあたえるのかもな アメリカでウケた理由は、アジアンエスニックな音楽と、ユキヒロのぶっ飛んだファッションセンスと、渡辺香津美のギターテクニックだわな
ジョンレノン・ポールマッカートニー・リンゴスターみたいなもんか
リアルでは聴いてないけど、3人の実力はよく分かる
あっさり言えば、この御三方はメロディメーカーとして優秀だったということでしょう
テクノロジーが二の次なのは、当時最先端のコンピュータなどスマホの1/10も満たないスペックで証明
今年1月の頭に文化放送でこの人の特番やってたな
中々面白かった
好きなら好っきとー
言えないこっこぉろーに
人はいつもくるしーむのー
コレは破壊力あったな
79年にあの赤の人民服姿で家路ママドントクライに出てる
>>1
川添さんはいろいろお騒がせな人だけど
このymoと村井さんの間に立って上手く立ち回って仕掛けてくれたから売れたんだよな この人の話面白いよ
僕らはいわゆる「歌謡界」ってところに所属してなかったから
寧ろそこからは嫌われてたから、どうやってプロモーションをかけるか頭を捻った
っていう
浮気なぼくらのLPの帯が細野さんに被っててそこだけ白黒で細野さん死んだみたいになってるんだよw
プロデューサー、川添なのかよw
(「アッコちゃんの時代」で話題になったボンボン)
こないだ、夫婦でテレビ出てたけどなw
ゴダイゴとかYMO出る前からシンセ使ってテレビ出てたし
細野晴臣を叩いてるレスがずーっとあったような気がする
あれは誹謗中傷?
同じ叩きをずっと繰り返すとキチガイにしか見られないのに頭悪いよね
海外でのファイヤークラッカーのヒットまでは林立夫でも同じだったと思う
YMOの3人も奇跡なんだけど、SOFT BALLETの3人も奇跡だと思う
シンセがメインのバンドでもここまでサウンドが違うのかと驚愕した
最初に坂本を発掘してきたのがティンパンアレーのマネージャーだった長門芳郎だから
細野と坂本の出会いは偶然だけというわけでもない
知らない名前だなと思ってwikipedia見たら、捕まりすぎ笑
華麗なバックアップだな
>>14
それ知らんかっとってんちんとんしゃん
だと思ってた >>28
テクノとお薬は親和性があるからなw
電気グルーヴみたいなのもいる訳だしwww 逮捕歴
逮捕歴その2
>>3
はんで押したように必ずクラフトワークというやつが現れるけど
木を見て森を見ずの典型で恥ずかしい
ほんとうに音楽聴くセンスがないと思う YMOに最初に飛び付いたのは
当時インベーダーやブロックくずしなどの初期TVゲームに嵌っていた小学生
70年代のロック世代だった大人は拒絶してた
アメリカ初お披露目で現地音響スタッフにカネ握らせて爆音セッティングにしてもらってなかったらここまで成功しなかったかもだと
>>53
バンドは特にそうだけど偶然の様に見えて後から見ると
実は必然的に必要な事が必然的なタイミングで起こる
っていう様な事が良くあるからきっとそういう事が起こってたんだろうね
結果としてYOMも林さんも佐藤さんもその後それぞれの活動で上手くいったし
もし林さんと佐藤さんだったら随分音楽も変ってただろうね >>68
これは分かる
新しくて新鮮に聴こえたけど違和感は無かったんだよね
だからすんなり入って行けた >>70
林がドラマーだったら、YMOがヒットすることもなかったし、林がアムウェイのクラウン・アンバサダーDDになることもなかっただろうな 今YMOを認めている古株の音楽評論家たちは当時初めて聴いたとき受け入れたんだろうか
例えば小林克也とか
>>21
グリークシアターLIVE今きくとチープなシンセ音でバンドもスカスカの音だなw
この程度の音楽で当時はカリスマと持ち上げられたのか >>19
アホか。知ってたわ。キャンティという文化のるつぼを背景に、天才達をイカれたプロデューサーが見つけてマトをついたプロデュースをして跳ねる。サイコー。
会議やマーケティングでは絶対出てこない。 YMOがなければユキヒロも細野さんも
坂本龍一でさえ売れてなかったかもな
坂本龍一なんて一生大衆に迎合しない変な音楽だけやってたろうという気がする
>>77
おじいちゃん
5ちゃんねるで句読点を使うと
お客さんだとバレてからかわれるよ >>1
※哀悼ハラスメント自粛のお願い
共働製作を中心に故人の交友関係の広さから
「あの人は追悼コメントを出した・出てない」というレスがあります。
こうした動きの無い人に対して'追悼警察'とも揶揄されるような勘ぐりをしたり、
追悼コメントの件数を背景にして
有名名無しを問わず、他の方に哀悼の意思を求めるような同調圧力は控えましょう。
その気持ちは故人の作品に末永くアクセス出来るような
環境作りを求めること(リイシュー等要望)に振り替えれば良いのではないでしょうか。 >>82
横並びが何より大事なthe大衆なオマエにはそれが重要なんだろうなw >>17
今、聞いてみると大したことないな
もの珍しかっただけだな
平成や令和のグループの方が巧いわ >>10
ある意味バブルの時代を象徴する人でもあるよね
金と女まみれ >>86 胸キュンのときはもう解散話がでていて、CM依頼で歌謡曲風シングルを作った
YMOの活動としては、オマケみたいなもんだw >>68
当時厨房だったが水魚のポーズやりながら聴いたっけ >>73
関係無いけど小林克也のお母さんが
高校時代担任だった >>92
スネークマンショウみたいなのもやってたな >>79
ディスコとテクノがしのぎを削っていた時代だったな この川添さんって麻布台飯倉キャンティの?
すごい豪華
>>91
そこそこってどういうそこそこだw
細野は自分でトロピカル三部作を作ってる時は四畳半に住んでたと言ってる でも今は聴かれてないんだから所詮はその時代で流行っただけ
別に教授の何があれだというわけではないけども
スケッチショウがより好きだ
林と佐藤だったらヒットしてない
細野と坂本だけだったら超マニアックなアルバム2枚だして喧嘩別れ
川添象郎って、覚醒剤等薬物で何度も逮捕されて傷害事件とかも起こしてるね
>>102
今でも十分聞かれてるだろ
時代を超えたマスターピースとして評価は間違いなく定まってる
君が無知なだけだよ ライブの衣装と舞台セットがナチスがモチーフで普通に引くわ
幸宏の考案なのかね
しょっちゅう殴り合いの喧嘩をおっぱじめてた教授と細野をなだめてた幸宏がいちばんサドだったのかもな
>>35
ハリーはメロディメーカー
教授はハーモニーメーカー
幸宏は雰囲気メーカー >>108
あの頃はそれにポリコレ的な批判はまずなかったんだよ
サポートドラマーだったイギリス人のデビッドパーマーが何も言わずあのコスチュームを着てたのがその証拠
あとはあの衣装とセットはナチのプロパガンダ装置に対する皮肉を入れたパロディ的な演出でもあるしね
まあとにかく、何にせよ今の基準で過去を一方的に断罪するのはフェアじゃない 音数少なくてチープというヤツは音楽体験が少なくて固まったアタマでっかちで残念。
>>11
バブル期の日本で大ヒットが出ないわけがない
人脈を一から築いたならすごいが
この人がやらなかったら誰か他の人がやっていた >>113
頭の悪そうなレスだなw
YMOとユーミンというそれまでの邦楽からしたら異色の音楽を売ったって話なんだからバブル期のヒットなんか全く関係ないだろ
70年代の邦楽の革命の最重要人物の一人が川添象郎なのは間違いない事実
川添が何回逮捕されようが人間性がどうだろうかこの業績は消えない 円盤権盛ってるのは川添?
こいつだけずっと金に困ってないしなぁ
>>102
YMOもソロもリマスタリングされて現行品で売られてるよ
3人ともアルバム出し続けてる(た)し
この年代のミュージシャンではやはり一握りの存在だね >>108
あの頃UKでナチズムを風刺するようなビジュアルやデザインが流行ってたんだよ >>86
それは無い
YMO関連のアルバムは海外の音楽サイトでも高評価されてる
坂本龍一なんて数年前のアルバムがイギリスのサイトの年間ベストに選ばれてる
でも今のリアタイJPOPは全く相手にされてない >>82
改行
するのが
ここの
やりかた
なんですね
勉強に
なりました >>102
119さんが書いてるけど実はCDが廃盤にならずに現行品として出続けてるのは結構凄い事なんだよね
CDは常に一定数のバックオーダー(CDショップからの注文)が無いと直ぐに廃盤になる
40年前にリリースされてた作品でどれだけ廃盤にならずに今現行品でリリースされてる作品があるかを知ると驚くと思うよ ポール・マッカートニーはYMOをホイホイ受け入れていたがジョン・レノンやジョージ・ハリスンの感想が知りたかった。
特にジョージは電子音楽や冨田勲に興味を持ってその手の変なアルバム作ってたから余計気になる。
ジョージハリスンが電子音楽をやってたのは冨田勲がシンセを使い始める前だよ
>>108
あのステージセットは、演出の佐藤信と、舞台美術の妹尾河童が仕掛けたもの
テーマが「プロパガンダ」だったから、ナチスの演説会場風になるのは割りと必然だった
散開後に公開された映画のエンディングで、館山の海岸で燃やされて、YMOが終了したオチにしている
後年YMOの3人は「あの演出はまずかった」と語っている ああいう効果音から入るオープニングは当時としては型破りだったのかな
ゲームオーバーのメロディがドラムとリンクして、ファイアクラッカーに入るという導入
まるで今のDJミックスみたいなね
>>73
小林克也はスネークマンショーでYMOとコラボした仲だから好き嫌い言う前に盟友だろう >>102 最近のNHKの番組でも、あらYMOやんって時あったな 以心電信だったかな
録画してなくて番組名が思い出せないが…
ちなみに、最近CCBのドラム、ボーカルの笠さんも亡くなったが、幸宏さんのが先にヘッドセット型マイクつけて
叩きながら歌ってたのな
筒美京平氏ははやりのテクノサウンドをやってみたかったらしい 松本隆氏は細野さんのもとバンドメイトだから
もちろんYMOもチェックしていただろうし。
沢田研二のトキオより先に、テクノポリスの曲を出してるし
その後のJpopに影響力あったのよ
髪型もテクノカットって言ってはやったw 沢田研二もモロにナチスのコスプレで歌ってな
当時はナチス関連ってオシャレアイテムだったんだよなあ
いまでもナチスっぽいのはおしゃれだよ
◯◯坂もナチスコス取り入れてるし
なによりああいう軍服コートはいつの時代でもかっこいい
YMOのナチスは最後にセットごと燃えて跡形も無く滅びる
そして少年もYMOのことを忘れていく・・というストーリーに組み込まれてるから、
正常な脳味噌の持ち主だったらYMOがナチスを賛美してたなんて思わないだろう
鳥山明
堀井雄二
すぎやまこういち
奇跡の3人といえばこれ
>>137
あの少年も一瞬ヒトラーユーゲント?ってなるけど、それだけの事。YMO全体主義ってプロモでも謳われてたような >>136
まあそうなんだけど、当時はポリコレとか関係なく大っぴらに出来たでしょ 再生するまでは「いいかげんYMOのことなんか忘れたら?」と細野さんがよく言っていた
ヒトラーユーゲントのような少年がプロパガンダのラストでYMOの銅像にアカンベーをして去っていくのは
当時の細野さんの願いでもあったのだろう
YMOのオリジナルアルバムは持ってるけど
アーチスト表記がYellow~でなくYMOと書き出してからは
普通のポップスになってちょっと微妙に
悪いのではないけどね
ナチスがモチーフなのはその通りだけど、単に流行っていただけではなくてそこまでの流れもあるよね。
タキシード→人民服→学生服→迷彩服→軍服(赤いスカーフ、クメールルージュ?!)→パステルカラーのセーター。
>>135
あれはあの時代でも問題になって早々に辞めた >>137
過去のこういった物が叩かれるかどうかの線引きがナチスを賞賛してたかどうか?
にあるみたいだよね
YMO散開と同時期にアニメ版のコブラを放映してたけどあれも最終的には
悪行を尽くしてた海賊ギルドの親玉=ヒトラーを倒す事で丸く収まってる的な部分がある
YMOもその辺書かれてる様に映画で決着を付けてるからそこまで含めて出せば一応今でも大丈夫だと思う
問題はそういう全体の話を知らなかったり知っていても意図的にナチス的な部分だけを切り取って喧伝する人がいる事かな >>146 ヨーロッパだと多分、いまでも服装だけでも厳しいと思う
YMOよりかなりあとでも、どっかのサッカー選手のハイルヒトラーポーズだけでも大問題になったり
英ハリー王子がまだ10代の頃、パーティーにナチスぼいコスプレしたら、メディアに撮られて批判され
入隊内定していた軍上層部もおかんむり。
向こうはやはり、収容所の生存者らがまだたくさん存命だったり、家族が亡くなったとかも多く住んでいたしな
沢田研二もさすがに批判きて、ずっと着たわけじゃなかったって何かでみた
日本は逆に、戦中世代がまだたくさんいたから、ナチスに共感持ってる人も結構いたみたいだからな 今でも高須クリニックとかそうだと思うが
学校や公的スポーツ大会で、ナチス式ぽい敬礼で行進したりを広くやっていて、欧米ではドン引きされるというのを
国民もいまいち理解していなかったのはあった
映画をみないとどういう事かわからない、っていうのは、課金誘導みたいなもんだし、まあ今ならできない事だったかも。 YMOは宣伝を全くせずに世界の頂点に立った唯一のオーケストラ
>>108
舞台装置は、舞台監督の劇団黒テントの演出家・佐藤信によるもの
映画のタイトルもプロパガンダだし、アイロニカルな意味としても、ナチがモチーフなのは間違いない >>148
いや、海外公演などでかなり持ち出しでやって、プロモーションしていたが
チューブスの前座公演の費用も全額アルファレコードだし >>111
それより前に沢田研二がナチス風の衣装でうたっていたが、
批判があって衣装を変更したが >>146
悪役として取り上げるならナチスもナチス風のモチーフやイメージも問題なし >>144
坂本が「YMOもナチス風衣装だったり、映画出演も軍人役だけだし、なぜか軍隊がつきまとう」とぼやいていたな ナチスは衣装が格好良かったり、アウトバーンやワーゲンや、
最先端のテープレコーダーやマイクやPAやらあったからややこしい。
軍服はヒューゴボスか。
>>113
バブルはYMO解散後の1985年のプラザ合意が発端で、
80年代後半から90年頃なので、
YMOもユーミンの売り出し時期も関係ない >>62
なんだコイツwやってる事は今の半グレより酷いじゃん
そりゃ覚醒剤食ってたら常態では出てこないようなアイデアが湧き出てくるんじゃねーの
コイツがいなかったらYMOが成功してなかったというならちょっと見方を変えざるを得ない あの電子音に被せて入ってくる幸宏さんのドラムがかっこいいのよ
コンピューターゲームって曲だろ
あの時代そのまんまだよ
テレビゲームはあの年に始まった
ゲームセンターに登場したのがこの曲で使われてるシーソーゲームのやつと
ブロック崩し。そして翌年、あのインベーダーゲームが登場した
>>58
大瀧詠一のレコーディングが細野と坂本の出会い
坂本が一所懸命、細野にアピールしていたとは、
大瀧の証言 細野さんまだ埼玉の朝霞市にいた頃に、
インベーダーゲームにハマって、
小学生に混じってゲームしていたとか
その関係性やイメージのまま、
YMOはインベーダーゲームブームにも乗って、
子供に受けた
川添さんワシのFacebook友達や
なぜかある日あちらから友達申請が来た
毎日のように投稿しているけど昔話とか濃くて面白い
一般人のコメントにも丁寧にレスしている
>>163
東上線沿線住人としては山下達郎と細野晴臣に妙な親近感があった理由が判明したw
幸宏や佐野元春も東上線で立教まで通ってたんだよなあ 78,79,80年、この三年間はほぼ時系列で克明に覚えてる
日本の音楽の流れがここでガラリと変わった
ソリッドステイトサバイバーが発売される直前、FMでクラフトワークの特集があった気がする
>>162
なぜ坂本が大瀧のレコーディングに参加することになったかと言えば
坂本が長門に見出されてシュガーベイブのサポートメンバーになっていたから。 埼玉の朝霞なのは米軍基地のハウスにいたからかな?
まあそういうヒッピー文化の終わりかけにテレビゲームとか出てきて、
そこからYMOにつながると
細野個人も世間も
>>167
なるほど
坂本は新宿の飲み屋で友部正人に会わなければどうなっていたかね?
YMOもないか >>34
ポール、リンゴ、ジョージマーティンみたいなもんだな。ジョン役としてジョニー大倉あたりが加入したらすごいことになってたな YMOが出てきた当時は洋楽だとボストンとかビリージョエル、
ディスコだとブロンディとかが流行ってた
ニューウェーブだとディーボとかもいた。カーズなんかもいたな
曲も書けて歌も歌えるリンゴスターか
芝居や笑いのセンスは負けるが
ニューヨークパンクのブロンディもハートオブグラスやコールミーでディスコ、テクノ風に
当時はミュンヘンサウンドとか言ってて、
ジョルジオモルダーが花形プロデューサー
ピコピコのシンセの打ち込みを、
パーカーレーターサウンドとか言ってて
>>173
パーカーレーターでなくパーコレーターです 今になってみるとYMOってのはその名の通り、
ブラックミュージック、つまりロックであることを絶対的に避けていた気がする
ニューウェーブの時代だったがアメリカはやはり黒人音楽が根底に流れていた
YMOは音階も東洋、日本ではなく中国や東南アジアなどにこだわっていたんじゃないかな
アメリカで適当にライブやって映像とって
それ使って日本スゴイ!でヒットした
なお世界的には大して売れてないし有名でもない
その頃、加藤和彦は例えば岡崎友紀にDo you remember meなどを書いていた
この曲から生まれたのはAKBのカチューシャであると最初に発見したのは俺。
竹内まりやのピーチパイも加藤だった
>>163
当時の多くの子供には1stよりライディーンのが先に耳に入ったと思うけど
ライディーンの間奏?にもゲームの対戦中のような音はあるな
まあゲーム音なくても曲で子供にじゅうぶんウケただろう >>177
加藤和彦さん良い曲沢山書いてるんだよね
凄いメロディメーカーだと思うわ >>179
加藤は女性に書いたときに本領発揮するね
白い色は恋人の色とか。
この時期テクノやデジタルサウンドに逆らうようにウォールオブサウンドに傾倒したのが
加藤と大瀧詠一。加藤のシンガプーラもすごくいい音に仕上がっている >>179
自分は三部作より「あの頃、マリー・ローランサン亅がいっとう好き ドイツ人のクラフトワークやイタリア人のジョルジオモロダーがアメリカで売れるなら日本人の俺らもイケるんじゃね?
な発想もありそう
クロスオーバーやフュージョンもブームで、インストなら英語下手でもイケるし
>>178
自分もその口
小学生でゲーム少年だったけどある日テレビから流れて来たライディーンを聴いて
なんだこの音楽って衝撃を受けた
曲自体も良かったけどサウンドもそういう背景があったからのかな?
違和感なくすんなり入って行けた >>180
カネボウだか資生堂のCM曲のコンペで、
加藤和彦作曲の60s風の不思議なピーチパイと、
YMO作のテクノポップの
シーナ&ロケッツの浮かびのピーチガールが激突
ピーチパイに軍配
そんな時代 >>73
小林克也はYMOの補欠メンバーみたいなもんだぞ >>184
当時資生堂のCMソングは100%ヒットしていた
その法則を壊したのが吉田拓郎。時代と言うのは恐ろしいと言える >>168
細野さんが米軍ハウスに住んでいたのは狭山に移ってからだと思う >>187
かもね
何かで朝霞でと読んで、細野さんが朝霞?と戸惑ったわ
私の記憶違いかも 宇宙戦艦ヤマトやスターウォーズのSFブーム
インベーダーとかのテレビゲームブーム
それとものすごくマッチして
YMOが何の違和感もなく突然現れてウケたという印象が強い
あとソニーやトヨタとかの日本のテクノロジーの世界制覇とかもリンクしていたな
メンバー全員ヘッドフォンしてライブしてな
ソニーのウォークマンともイメージが被ってな
それがなんか未来的でした
日本が世界の先端なんだ!みたいな感じもして
当時はライブでクリック聴きながらライブやってなかったもんな
>>189
あとアメリカでテレビドラマ「ショーグン」が大ヒットしたな
「ジャパンアズナンバーワン」がベストセラーとか
そんな時代の空気にもマッチしたか >>171
幸宏が来日したディーボとミュージックマガジンで対談
「ミカバンドのレコード持ってるよ。
音もビジュアルも新しかったね」と言われた ピストルズと同じでファッションや各種ビジュアルも大きいな ゴダイゴみたいなダサい感じだったら存在感が違うかも
3人とも楽器の演奏が超一流とか聞いたな
グループで下手な奴が居ないって珍しいらしい
>>196
三人とも売れっ子の一流スタジオミュージシャン
学生時代の仲間で作ったバンドとかとは違うからね 日本人はポップこういうカッコつけ方しか無理だしね
ニルヴァーナみたいなカッコいいロック不可能だから
日本語だし日本人の見た目だから
教授は二つの手でメロディラインとベースラインとコードが同時に弾ける人だった
3人とも必死に練習するってタイプじゃないから
センスはあるけど演奏ミス多かったりするよね
でも坂本龍一はセンスが筒井康隆や宮崎駿並みにオンリーワンな感じだからな
文春もさ、こんな奴に取材して記事を書くなよ
川添象郎82歳
これまでの逮捕歴
1982年11月・41歳のときに大麻取締法違反で逮捕。
さらに自宅から覚醒剤を染み込ませた米ドル札が発見されたため、覚せい剤取締法違反で再逮捕。
1997年12月・56歳のときには自社の元社員に手錠をはめ、縄で縛るなどして社長室内に20時間監禁。
「お前のせいで4800万円損したんだ。3000万円に負けてやるから、きっちり払え」「この野郎、ぶっ殺してやろうか。俺たちはセメントだって用意してるんだぞ」「わからねえなら、指詰めさせてやろうか」などと脅し、
顔面をエアガンで撃った他、全身を木刀で殴打して全治2ヶ月の重傷を負わせた監禁暴行の容疑で全国指名手配。
逮捕後、1998年3月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決。
この執行猶予期間中、1999年7月下旬・58歳のとき、東京都千代田区の路上で、覚醒剤数グラムを車内に所持していたところを職務質問で発見され、覚醒剤取締法違反(使用・所持)現行犯で逮捕(覚醒剤2回目)。
起訴され、1999年10月、懲役1年6箇月の実刑判決。
2013年6月下旬・72歳のとき、東京都港区内のコンビニ店で万引きをしたとして、窃盗で逮捕された際に、言動に不自然な点があったため、尿検査を実施したところ、覚醒剤の陽性反応が出たため覚醒剤取締法違反で再逮捕。(覚醒剤3回目)
保釈中の2013年10月、遡る9月15日に都内港区のホテルで乾燥大麻1.7グラムを所持していたとして大麻取締法違反容疑で逮捕(大麻2回目)。
覚醒剤取締法違反ならびに大麻取締法違反の罪で起訴され、2014年1月8日、東京地裁で懲役2年(求刑懲役3年)の実刑判決。
>>68
その小学生達も今や還暦or還暦近い爺なんだな
所謂新人類世代、色々と一番痛い世代かもしれない >>102
今でも聴かれてる
何故なら今マスメディアの重役にはYMOピコピコ世代のキッズ達(バブル期入社組)が揃ってますから
やたらあの世代が喜びそうな音楽がcmなんかでリサイクルされてるのもそれが主な理由 >>202
彼らの昔のインタビュー読むと結構演奏力のコンプレックスが垣間見えるな
後年は評価したり実は結構聴いていた事を話しているけど昔はフュージョンをやたら目の敵にしていた時期もあった
YMOのファンの中にまでそれをトレースした様な事を言ってる輩がいたりするのには苦笑せざるを得ないが まあでもフォークやニューミュージックと同様にその世代が死ぬとあっさり忘れ去られちゃうんだよな
大衆音楽だから仕方ないけど
>>196
テクノ系の人がリミックスアルバム依頼された時に、使ったパートごとのバラバラのトラックを聴いて
「手弾きのトラックがけっこうあって、こんな上手い人達だったのか」
とか驚いてたな。
初期の頃は手で弾いたの多かった。 そりゃ元々スタジオミュージシャンだし当時の箪笥は熱暴走もあったから
>>257 主にアルバムで売れた
1980年のオリコン年間ランキング、2位、9位、10位と30位がYMOで
今日本ですごく売れてるバンド と、アメリカの人気音楽番組
「ソウルトレイン」にも生出演して紹介された。
日本人では同番組初出演となり、その後久保田利伸が出たのが20数年ぶりだったとか。
米ブラックミュージック界隈にも記憶されたりしているのは、自分も知らなかったな
インスト曲を中心にしたり、ネイティブに英語詞を依頼したりは、細野さんが2人に声をかけた最初から
世界をターゲットにするとぶち上げていたので
Pもその路線で知恵を絞ったんだろう
当時、ニューミュージックと言われた人たちもアルバムが主に売れていた 45年前?中学の時だな。横浜の関内駅そば羽衣町のヤマギワという電気店。登って行くと4階?5階?がオーディオフロアで、その奥に黒幕が。
覗くと、そこが 当時珍しかった MVフロア で。YMOが上演されてた!以来の付き合い。
教授の流し目にやられて
ガッツリ一重なのに真似した時期
目付きが悪いと担任からぶん殴られた
懐かしい青春
今日は川添象郎さんの誕生日です。
Facebookでお知らせが来ました。
テクノからポップスまで幅広くこなしてたが
それがYMOを良くわからな存在にしてしまったと思う
君に胸キュンが出たときのガッカリ感は無かったね
あれで急にYMOから覚めていった
>>220
なんでがっかりしたの
歌謡曲だからかな
俺は好きだったよ君は胸キュン 音楽性の幅が広いのがYMOの魅力を奥深いものにしてると思うけどね
いろんな感想の人がいるもんだね
>>220 >>205
1960年代、反戦ミュージカル「ヘアー」のプロデューサーを
やってた頃の大麻での逮捕歴が抜けている 初期のYMOはホントOパーツだよなぁ。
それ以降同じ系統で超えるどころか並ぶ人すら居ないし、本人達ですらw
「浮気なぼくら」で「えぇ・・・」となったのは胸キュンだけで
他の曲はそうでもないだろ?
>>207
アルバムセールスアーティストなんだよ
1980年に一番アルバムを売ったアーティストがYMO
山口百恵、井上陽水、ピンクレディーよりもアルバムを沢山売った
アルファレコードはYMOのおかげでビルを建てた
だからこそYMOブームとまで言われた 胸キュンは幸宏氏のふわっとしたボーカルの良さが出ている感じ
YMOのシングルでは1番売れたが、アルバムとかまでチェックしない一般民に
(歌謡曲ぽい)胸キュンを出した人たちだよね?って言われちゃうけどな
>>225
浮気なぼくらは音楽的には実はテクノデリックと地続きなんだと細野さんは言ってたな
フォーカスなんか、ラップ現象につながるような細野さんお得意のお神楽テクノ
だから今も海外のレコードおたくの間でノーティーボーイズ(浮気なぼくら)は人気があるよ
幸宏さん追悼で海外のいろんな人がTwitterに投稿してたけど、浮気なぼくらのレコードの写真を上げてる人もいた >>39
自分は
東風と中国女
テクノポリスとライディーン
ビハインドとサバイバーが
それぞれ坂本と高橋って最初に
知ったときすごくしっくり着たわ 浮気な僕らでガッカリした口だけど邂逅、音楽とワイルドなんちゃらはイイと思ったな。この時期は宝島ばっか読んでてインディーズ追っ掛けてたからYMOが歌謡曲ねえ…へーって感じ。
幸宏は「イントロからバーンっていくポップな音楽が好き」とよく言ってたが、YMOにポップセンスを一番持ち込んだのは間違いなく幸宏
作曲した曲にもそれが現れてる
細野坂本だけでは陰気な理屈っぽい音楽で終わってた可能性が高い
人間関係的にも空中分解しただろうね
YMOを音楽的にもビジュアル的にもポップにし、人間関係を円滑にしてグループを前に引っ張ったのは実は幸宏
偉人だったよほんとに
俺もWild Ambitionsが一番好きだな
後から見たTVの演奏動画の印象もあるのかもしれんが
終わりに向かっているYMOみたいな感じがたまらん
尾崎紀世彦はこの人のパーティーに出たあとに民家の軒先で裸で空手っ!をやっていて病院に担ぎ込まれて志望だよね
しかし>>1を読むと、やっぱりインストには冷たいんだな。
ベンチャーズが死ぬほど売れた国なのに。 YMOやシティポップ、昭和アイドル(プロディースが一流アーティストのもの)など今になって再評価されてるね
それにひきかえ四畳半フォークソングはダサいままw
初めてパリに行った時、シャンゼリゼ通りの大きなレコード店でYMOのコーナーがあるのを発見
日本盤の「浮気なぼくら」や各々のソロなんかもあった。
>>236
> シティポップ、昭和アイドル(プロディースが一流アーティストのもの)
大学の頃にその辺を中古盤屋で掘っていたな
YMOのメンバー、大村憲司あたりの名前をインナースリーブに見つけると買ってた 王立宇宙軍?オネアミスのツバサ?
教授の黒歴史ってやつ
あれ洗浄のメリーさん位いけたんじゃないの?似てる曲だし
>>236
四畳半フォークと同じように90年代の幸宏の軟弱ラブソングも再評価されることは無いだろうな バリ島ってなぜか日本人アーティストの曲ながれてるね
車で移動中もラジオで森高やザードや櫻坂なんかががんがんながれててびっくりしたわ
この人がアメリカをうまいこと利用したのが成功のきっかけ
あのグリークシアターのライヴ映像には衝撃を受けたよ
その頃はまだクラフトワークも知らなかったし
79年にクラフトワークの曲がテレビCMに起用されててかっこいいと思ってシングルを買った
同じようにフジカセットのCMを見てテクノポリスのシングルを買った
海外展開とかは知らなかった
達郎のライドオンタイムのシングルを買ったのもテクノポリスと同じ頃にマクセルのCMを見て
>>232
あんだけ仲が悪かった細野さんと教授の共作だもんね。
ある日、幸宏さんが遅れてスタジオ入りしたら
二人が一緒に曲作ってるのみてビックリしたとか。
次にサービスも出るけど、上記のエピソードがなんかもう終わるんだ、って感じで泣ける。 教授ってやっぱカッコええな
>>205
てかまだ生きてたことに衝撃やわ >>176
世界中の音楽マニアに受けたのであってマイケルジャクソンみたいな万人受けな売れ方じゃないから イエロージャップとテクノロジーイメージのギャップがよかったんでしょ
まさに「ゴリラがシンセを弾いた夜」だよ
春咲小紅の録音時の写真で、
床に置いたプロフェット5を、
細野と坂本がいじってるのがあるな。
矢野顕子いわく、この間この二人は全く無言だったとか。
暗いとか寡黙でなく不仲のせいか?
>>240
制作側と揉めたらしいけど、楽曲は素晴らしいの一言だよなあれ
和音の流れだけで記名性、作家性を表現できている
地味だけど教授の音楽の本質が出てる
逆にメロディ主体だとあまり個性が出て来ない
不思議な作曲家だと思うわ >>205
覚醒剤は他人に迷惑かけ無いなら好きにすればって思うが、監禁暴行はヤバいな
ラリっていた故の所業かもしれんが 川添さん
家柄も交友関係もキャリアも婚歴も逮捕歴も派手すぎる
毀誉褒貶清濁の塊みたいな
日本人ビルボードシングルチャート
1979年 KISS IN THE DARK ピンク・レディー 37位
1980年 Computer Game YMO 60位
1981年 Walking on Thin Ice オノ・ヨーコ 58位
1981年 Love Light YUTAKA (横倉裕) 81位
シングル
1978 Computer Game
UK Singles Chart 17位
US Billboard Hot 100 60位
US Dance Club Singles 42位
US R&B Singles 18位
アルバム
1978 Yellow Magic Orchestra
US Albums Chart 81位
1980 X∞Multiplies(アメリカ編集ベスト)
US Albums Chart 177位
>>252
歌謡曲なんかに提供した適当に書いた曲とか
メロディが童謡みたいに単調だったりな
坂本さん子供の頃から鼻歌も歌ったことないし
ロックを聞いても音楽とは思わなかったとか
幸宏とその辺は対極だね >>196
最初のアメリカツアーを聞く限り、細野、高橋、矢野、渡辺香津美と比べると坂本が相当落ちるな
アドリブ弾かせるとすげーつまんない >>251
春咲小紅が1981年発表で、「BGM」もその頃だからだからちょうど険悪になってる時期だねw >>236
ニューミュージックと四畳半フォークはユーミンの造語だっけ?
そう自慢したら坂本龍一が「テクノポップは俺だ」と自慢し返したとかw >>259
坂本さんのアドリブはなんかノッペリしているよね >>236
四畳半フォークと言って蔑まれたフォークだけど
その代表作である神田川は今も古びることなく親しまれてる >>257
坂本はアレンジャーとしては一流だが作曲家としては大したことはないな 白々しい
既に当時ドイツがハードコアプログレからテクノやニューウェーブに
移行し始めてた頃だろうよ
>>62
監禁暴行で執行猶予が付いたのは怖いわ
尤も期間中にやらかしてて笑ったけど >>1
1stって松武さんはまだ参加してないんだっけ?
たった3人で録ったってことは無いと思うけどね
東風のUS版なんかは女性ボーカルも参加してるし 基本的に坂本はポップスの作曲家ではないからな
一番売れたエナジーフローもクラシックの歌曲だったらしっくり来るけどポップスにしたら回りくどすぎて変になる
くちびるネットワークには坂本らしさが微塵も感じられないし
いや参加してたはず
裏ジャケにタンスが写ってたと思う
Wikipedia見ればがっつり書いてあるようなことを質問してくる奴なんかほっとけよ
「検索なんかめんどくせえから聞いとけ お人好しが教えてくれるだろ」ていう乱暴な思考なんだから
>>268
同意
コンポーザーであってソングライターではないな
良くも悪くも 川添は両親が当時としたらとてもアレだったのが振る舞いに影響してるんだろうね
両親の離婚当時のマスゴミは今以上にゴミだっただろうし
そうか、BGM版千のナイフのソロとかプレッシャーのTHE END OF ASIA後半のソロとかはある程度作り込まれたフレーズなんだな。
幸宏がネタ出しして、 坂本が形にして、細野が仕上げる
チームとしてはこれが一番機能したんだろな
機能したのは2ndだけだけど
>>102
それを言うと信者が発狂するからやめておけw
ずっと売れてるってのはないからな。
YMOなんて90年代後半には忘れられてたよ。
完全に過去のバンド扱い。
坂本もアカデミーの影響が薄れてきてすっかり馬鹿にされるネタにすらなってた。
どんなバンドも地に落ちた時代がないなんてないよ。
美空ひばりも893絡みで大バッシングの時代で消えそうな時があった。
みんな復活してるだけ。 >>271
そんな川添みたいな言い方しなくてもいいじゃねえかよw ちょっとググればわかることを聞いてくる人いるからなw
>>236
陽水はどうなってんの
あの人の世界は宇宙くらいデカいから宇宙フォークかな >>282
「拓郎は可愛いからいいけど陽水はブスだからイヤ」ユーミン談 ググればわかることを、というのもわかるが、
知らないフリして問いかけて話のキッカケにすることもあるわな
>>264 セールスでいえば坂本ソロはかなりあるぞ
戦メリ、ラストエンペラー、レヴェナントなど映画音楽で活躍してるから
日本人初の米アカデミー作曲賞ね
マイケル・ジャクソンとエリック・クラプトンにカバーされたYMO時代の作品、ビハインド・ザ・マスクも坂本作曲だし
(当初は幸宏も共同クレジットだったがなくなったとか)
生ピアノのみの曲、エナジー・フロウはインスト曲初のオリコン1位
あんまり歌もの重視してない人といえばそうなんだけど。ご本人がキーボード奏者だから…
Jpopでみんながよく知る曲を書いたのは細野さん 松田聖子のガラスの林檎とか、天国のキッス
中森明菜 禁区 イモ欽トリオ ハイスクールララバイ
天国のキッスがチャート1位だったとき、YMOが2位で自分の作品に1位を阻まれた細野さん Wild Ambitionsを聞いてビートルズのLET IT BEかこれは
てすぐ思ったもんだ
>>90
シンセサイザーという共通点はあるけど全く似てないが?
具体的にクラフトワークのどのアルバムのどの曲パクってるの? 川添の自伝が出たので買おうと思っているが高いので躊躇している
>>264
大したことないやつでもアカデミー賞の作曲賞獲れるんだね ビートルズとか拓郎とか出してくる辺りで老害にはまるで分からんのだろうなとせせら笑っている
>>286
細野さんはBGMとかテクノデリック作りながら並行してアイドルのヒット曲連発だったんだよな
化け物だろ >>290
>>1の記事のソースが、その自伝「象の記憶」の抜粋だよ
めちゃくちゃ面白いからおすすめ
買えないなら図書館に仕入れてもらったら? >>291 いっちょかみださい…
ビハインド・ザ・マスクのカバーがマイケル・ジャクソンのスリラーにもし入ってたら
超貴重な米国メガヒットアルバムへの日本人作品だったのに 権利関係で実現しなかったみたいだけど
戦メリなんて今年のフィギュアスケート試合でもかかってますよ
GPF女子優勝者のショートだかで >>293
YMOの他にアルファのアーティストのプロデュースしてさらにアイドルに曲提供
超多忙なのでアイドルへの曲はスタジオで急いで書いたとか 笑いのセンスもレベル高いよな
あのシュールな空気感はYMOしか出来ない
>>65
うるせえよ?
ライディーンにしろ古臭えんだよ?
エニグマからだボケがぁ? >>73
スネークマンショーの小林克也はYMOと曲もやってるし仲良しだよ
スネークマンショーのアルバムには桑原茂一さんと連名で細野さんもクレジットされている 先にベストヒットUSAで認識してたので
赤い服のMCが小林克也と知って驚いた
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@YouTube
デビュー当時から知っているけどつまらない音楽だと思っただけだな
今でもつまらない音楽だなと思う
関係ないがSHOGUNのイエローマジックって曲、めちゃめちゃかっこよかった
>>282
フォークブームに乗って出てきたけど、
陽水はフォークじゃないよな。
もともとビートルズが好きだったし、
「氷の世界」なんか、スティービーワンダーの「迷信」みたいな
ファンクを作ろうとして作ったそうだし。 >>307
デビューしてフォーク歌手達とツアーして、
自分だけディランやPP&Mみたいなアメリカのフォークを知らなかったとか。
それまでビートルズしか聴いてなかったとか。 YMOの登場した79年あたりから日本の音楽界はガラリと変わっていった
正確には80年からそれが形となって表れた
陽水は象徴的だった。叙情派路線からポップ路線へと変貌したのは
79年発売のスニーカーダンサーというアルバム
高中が多くでアレンジやギターを担当。
フォークどころかニューミュージック自体が過去のものになったのが80年。
シティポップやニューウェーブ、テクノの時代になる。RCもニューウェーブ的位置づけだった
>>303
あの甲高い声って小林克也だったって初めて知ったわ 小林克也はスネークマンやってたから
ベストヒットUSAでポールにインタビューしたときに
ポールが見たことないくらい攻撃的な受け答えだった
あれは絶対スネークマンのポールマッカートニー取調室のこと知ってる感じだった
陽水も高中もキティだね
武道館だかでジョイントライブもやったな
>>305
音楽を知ってるからつまらないのか、知らんからなのかどっちなの?