11/19(土) 10:48配信 デイリースポーツ 寺尾聰 俳優・ミュージシャンの寺尾聰(75)が19日、読売テレビ「あさパラS」(土曜、前9・25)に初出演。1981年にレコード大賞を受賞し、最近では動画に特化したSNS「ティックトック(TikTok)」で若者にも大人気の「ルビーの指環」を作った意外な理由を明かし、MCのハイヒール・リンゴらを驚かせた。 【写真】「西部警察」“リキ”を演じる寺尾聰 大ヒットした「ルビーの指環」について、リンゴに「LPとかレコードを出そうっていうのは自分で決めはったんですか」と聞かれた寺尾は「ええ。売れると思ってないですから、俳優の遊びの一つだと思って。仲間に先輩で石坂浩二さんが絵がうまいとかいろんなことやってる人がいたんで。オレは何できるんだろう、これかなって」と涼しい顔。 一方で切実な思いもあったという。当時体調を崩し、胃袋に穴が空く内臓破裂。「もう俳優辞めようと思ってて、最後に何か出せるもんという、そのへんからですね」と振り返った。 だが、「胃袋の5分の4ぐらい」を切除したものの、「偶然なんですけど小っちゃい悪いもんがポツポツッとあったのも丸ごと取っちゃったんですよ」と、幸いに悪い物も見つかったという。寺尾は「結果として今こうして生きてるのはそのおかげなんですけども。だから酒飲みすぎたのも悪くはない、結果としては。いまだに飲んでますけど」と笑った。 https://news.yahoo.co.jp/articles/e44a9796246774e26add8610a73d90e719e869d2 カッコいいわけでも泣けるわけでも歌詞が良いわけでもノレるわけでもない 単なるミドルテンポの地味な曲 でも不思議と聴き終わるともう1度聴きたくなる魔力を持ってる恐ろしい曲
当時はまだ子供だったからわからなかったけど、冒頭の歌詞から松本隆ワールド全開だったんだな
石原プロ・小林専務「こんなお経みたいな歌、売れる訳ねーだろ」
あれ凄い長い間1位だったな ベスト10で特別なシートとかできてた
TikTokは何が流行るかわからんな。うちの子があのねのねの曲歌ってたからどうしたんだ?と聞いたら、TikTokでバズつまてるんだよ、と
>>9 wiki見てきた そんな歳になったんだなパルムおじさん 確かベストテンに3曲ランクインしたな。あとはチェッカーズくらいか その中で、タバコを咥えて窓を開けたらー ようやく自分に戻った気がするぜーって曲が好きだった
紅白もこういう人を呼べばいいのにね 若い子は古臭い曲と思うのかな
>>17 オマエも、オヤジに間違えられないようにヅラ付けて 『ザ・ベストテン』とか普通に再放送すれば面白いと思うのだが、権利関係とかで難しいのかな
>>9 歳をとるごとに、宇野重吉に似てるな、やっぱ親子だな、 って思うわ。 宇野重吉の息子だったのをこのスレで知った ヒットしたのは音域が狭いから歌いやすかったからでは
子供の頃アイドル目当て歌番組見てたのにこのおっさんがちょいちょい出てきてイライラしてた思い出
めちゃくちゃ音域の狭い歌だから誰にでも歌えていいよw
そこらのオッサンでは意外に歌いこなせない何かしら違う 味なのかねえ
ホンマにtiktok で若者に人気なのか 検索しても出てこない
こういう曲なら歌詞の直接的な世界観とかは別にして尾崎紀世彦のまた会う日までとこの曲の音はいつ聞いてもとにかく好きだわ こういう曲に限定しなければ幾らでもあるけど自分が日本語を分からない外人だったらもっと楽しめてそうみたいな感じで音が好きな昔の曲も多い
>>13 奥襞慕情って大人のおもちゃがあったの思い出した 歌詞見ると悲しい別れ話のはずなのに、本人はグラサンで笑いながらノリノリで歌ってる映像が多い 自分の好きな曲トップ10に入るぐらいいい曲
覚えてなくてつべで聞いたらあーまあ聞いたことあるかなって感じ あんま古さは感じないな 低いキーが続く部分歌いづらそう
>>42 ワイは出航さすらい派 ちょっと前に法律事務所かなんかのCM使われてて 懐かしくてじ~んとした サングラスを外して歌うとまるでコント タレ目が受ける受ける あまりもしまらないもんでサングラスで隠すことに そしたらすんごい売れたな
ルビーの指輪しか知らんけど、それ以前の曲も普通に売れてたんだな
そういえばルビーの指輪してる人って ここ何十年も見てない気がする
この人と同じバンドにいた黒澤明の息子から 頬にほくろがあるからぼっぺと呼ばれてたエピソードを思い出した
>>42 トゥルントゥーントゥルントトゥー♪自分もこれが1番好きかな >>58 それオリーブの首飾りと違う? ポール・モーリアの You Tubeで昭和の曲簡単に聞けるからな 時代を制した歌なら相応の訴求力持ってるし
最低に近い曲だと個人的には思う これ以下はお嫁サンバくらいしか思いつかない
リアルタイムで聴いてたけど良い曲だと思うけと何故あそこまで売れたかわからない
寺尾聡がビリージョエルの「ストレンジャー」をパクった「ルビーの指輪」 カンがビリージョエルの「アップタウンガール」をパクった「愛は勝つ」 みんなパクッたって言うけど加減が難しいんだぞ どんなにいい曲パクッたって売れないものは売れないんだから
何でコイツの歌がウケてんの? コイツの歌声ってスカスカのヘナヘナで聴いてると力が抜けちまうんだよ
当時クリスタルキングとかもんた&ブラザーズとか高い声を張り上げるのが主流だった中で低い声で渋く歌うのが斬新だった
>>76 ストレンジャーのパクリは美樹克彦 VIDEO この人の曲の世界ってみんな孤独の男が歌った独特の哀愁とか渋さがすごくいい 回転扉がお気に入り
通行禁止になってる訳でもないのに道路で長々撮影してやがったからクラクションでどかしたらこいつがドラマかなんかの撮影してたわ
>>80 は、まんまストレンジャーだが、 ルビ指とストレンジャーは似てなくね? >>1 ラガーこと渡辺刑事殉職時の半分以下だな ひとごとじゃないけど 胃を切ると食えなくなるんだろうな〜 ルビーの指輪は名曲だが 出航-SASURAI-もすげー名曲
ベージュのコートとかルビーの指輪とか目印にしなくても元恋人なら区別つくやろ
当時33歳って、今なら岡田将生や佐藤健の年齢なわけだな 曲はビリー・ジョエルのパクリでルックスイメージ的にはボズ・スキャッグスのパクリ
>>6 軍団ごと最初は反対で裕二郎が「いいじゃないか」と許したから出せて売れた後に手のひら返すどころかコバマサは「軍団に印税入れろ」 で揉めて呆れた寺尾は石原軍団を去るんだよな ■1981年3月30日付オリコン週間シングルランキング 1↑ ルビーの指環 寺尾聰 2↑ ヨコハマ・チーク 近藤真彦 3↓ 街角トワイライト シャネルズ 4← ツッパリ High School Rock'n Roll (登校編) THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 5← 春先小紅 矢野顕子 6← 奥飛彈慕情 竜鉄也 7↑ シャドー・シティ 寺尾聰 8↓ スローなブギにしてくれ (I want you) 南佳孝 9↑ 驛舎 さだまさし 10↓ ペガサスの朝 五十嵐浩晃 11← チェリーブラッサム 松田聖子 12↑ 17才 河合奈保子 13← サンセット・メモリー 杉村尚美 14↓ 横須賀Baby THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 15↑ 悲しくて 雅夢 16↑ 出航 寺尾聰 17↓ FOXY スーザン・アントン 18↑ 恋=Do! 田原俊彦 19← スニーカーぶる~す 近藤真彦 20↑ バイバイ子守唄 桃井かおり ■1981年6月1日付オリコン週間シングルランキング 1← ルビーの指環 寺尾聰 2← 夏の扉 松田聖子 3← 長い夜 松山千春 4← サンセット・メモリー 杉村尚美 5初 ハリケーン シャネルズ 6↑ 抱かれたい、もう一度 (LOVE THAT WAS LOST) 矢沢永吉 7↓ 奥飛彈慕情 竜鉄也 8↑ お嫁サンバ 郷ひろみ 9↓ シャドー・シティ 寺尾聰 10↓ ブギ浮ぎ I LOVE YOU 田原俊彦 11↓ 渚のラブレター 沢田研二 12← セクシー・ミュージック ノーランズ 13↑ 出航 寺尾聰 14↓ ヨコハマ・チーク 近藤真彦 15← シンデレラ サマー 石川優子 16← ドント・ストップ・ザ・ミュージック ヤーブロウ&ピープルズ 17↑ 9 to 5 (モーニング・トレイン) シーナ・イーストン 18↓ ブランデーグラス 石原裕次郎 19初 青空オンリー・ユー ひかる一平 20↑ 夏の恋人 長渕剛
自分もウォシュレットやりすぎてウンコするとき出血するようになって病院行ったら、痔だろうけどせっかくだからカメラ入れてみましょうかと言われて入れてもらったら見立て通り痔だったんだけど、ついでにデカくなった大腸ポリープがいくつも見つかって切除してもろうたわ。
当時は小学生だったけど、テレビで何度も流れていたから覚えて歌えるくらい流行っていたね。 今聞いても少し前のめりに入る歌い方がかっこいい。
>>102 全然好きじゃない世界だけど 音楽産業に活気があって良かったなこの頃は >>102 ゴミみたいなジャニ曲ばかりでないのが良い時代を表してるな 昔、データハウス出版の暴露本に ルビーの指環は一般人が作った作品で なかなかいい感じの出来だったのでシングルで販売したら大ヒットした。そのお礼にというか口止め料として高価なステレオをプレゼントしたらめちゃくちゃ喜んで それで何もトラブルにならなかったんだとさ。
芸能人の息子 バンドで1発当てる ソロで2発目当てる 俳優で3発目当てる 申し分のない人生だな
寺尾聰は、あの声なんだよな。 美しい声でもない、通る声でも渋い声でもない 変な声なんだけど、何故か聞いてしまう不思議な歌声
サンセット・メモリーという曲が地味に長く売れてたんだな
あんだけ名曲を連発しておきながら何故ぷっつり続きが無いのかなあ ってのはみんなが思ってきたこと
CMの映像が残ってないみたいなのが残念 最初に聴いた時絶対売れると思ったけど話題になるまで割と時間が掛かった
良くこの曲はあの曲のパクりだとかどや顔で言う人多いけど全くのオリジナルな曲なんてあるかね?それこそ中世のクラシックまで遡らないとダメなのでは?演歌でさえあのパクりだとか言ってる人も居るぐらいだしな。
昔は「ルビーの指環は盗作」とかいうまことしやかな嘘がネットで流されてたな でもよく考えたらそんな訳はなくて、史上最高レベルの売れる曲を書けるなら レコード会社が頭こすりつけて作曲の依頼をするに決まってるんだよ それが、その盗作作り話では「ラジカセを貰って満足した」ってことになってた 子供が考えたような話だ
あれ使ったミュージシャンが一流ぞろいだったんだよな。
46のおっさんだけど人生で最初に好きになった曲だわ
名曲に声質がうまくハマった例 マイラバのハロー・アゲインと同じ
寺尾聰って特にかっこよくもないし地味な感じだけど なんかすごく好きやわ 今日あさパラ見てよかったわー
曲だけじゃなくてアレンジがいいんだよ すごくうまくマイナー下降クリシェのキメを使ったイントロとか
泣ける 一家離散する前カーステレオでこれ入ったアルバム聴いていた その後すぐ父がなくなり、今年母が亡くなった
寺尾聰というアーティストは非常にユニークな存在である。1947年生まれなので、大滝詠一(1948年生まれ)と同世代、山下達郎(1953年生まれ)や竹内まりや(1955年生まれ)といったいわゆるシティポップの第一世代よりも少し年上だ。音楽活動は、1965年にグループサウンズのバンド、ザ・サベージに参加したことから始まっている。その後脱退し、ザ・ホワイト・キックスというグループに加入。1970年にはソロアルバムを発表している。 寺尾聰の父は名俳優として知られる宇野重吉であり、父の影響もあり1968年に公開された石原裕次郎主演の社会派映画『黒部の太陽』でデビュー。そのまま石原プロモーションに所属することになり、ホームドラマから時代劇まで数々の映画やテレビドラマに出演して実力を付けていった。特に『大都会』や『西部警察』といった刑事ドラマでのクールな佇まいで人気を博し、1970年代末には俳優としての地位を確立している。 80年代以降は黒澤明監督の『乱』(1985年)や『夢』(1990年)を筆頭に、『雨あがる』(2000年)、『博士の愛した数式』(2006年)などの大作や話題作に主演し、日本アカデミー賞を始め数々の賞も受賞している。今や日本を代表する名優のひとりであるのはご存知の通りだ。 70年代はそれほど大きな動きはなかったが、1980年に入ると8月に「SHADOW CITY」、10月に「出航 SASURAI」を発表する。この時点ではそれほどの反応はなかったが、翌1981年2月にリリースした「ルビーの指環」がじわじわと売れていき、3月19日にテレビの歌番組『ザ・ベストテン』に9位で初登場。 その後は破竹の勢いで首位に上り詰め、オリコンチャートでも3月30日付で1位を獲得。『ザ・ベストテン』では4月9日放送から12週連続1位という番組での最長首位記録となった。オリコンのシングルチャートでも10週連続1位、年間チャートも当然1位。とにかくこの時期は寺尾聰旋風が巻き起こり、彼のことを知らない人はいなかった。
>>129 西部警察のリキはなぜか小学生男子にものすごく人気で 男の子からのファンレターがものすごく多かったんだって 鉛筆書きの手紙とかハガキが毎日たくさん来て 非常に嬉しくて毎日楽しみに読んでいたそうだ でもなぜリキが男子たちの人気を集めたのかはわからないんだとか く~もりガラスを手で拭いて~あな~た~明日が見えま~すうか~
こないだ誰か他の人が歌ってるのを聴いて寺尾聰の声だから良い曲に聴こえてたんだなと
>>19 再放送はCM料金安いからゴールデンでやりたがらないんだよな。 >>124 そのまんまじゃなければいいんだよ 遺伝子の繋がりと一緒 >>142 実はてぃーんずぶるーすはザ・ベストテンに入ってない。キャンディから >>64 なら、「恋のトランスコスモス」とかもお好きでは。 有川正沙子の作詞。「回転扉」の詞も書いた。 「HABANA EXPRESS」も彼女だ。 ファーストアルバムのぜんぶに松本隆が書いていたら、ああも売れなかったのではないか。 ナイトスクープで昔の片思いの相手に告白するみたいなやつでサベージの曲が使われてたのが 何か印象に残ってる
>>116 マルパクリというつもりはないが、イントロが似てるのはストレンジャー これ入ってるアルバム今聴くとめちゃいいよな 捨て曲なし
煙草をくわえて窓を開けたら ようやく自分に戻った気がするぜ
何が売れるか分からないよな 歌唱力抜群というわけでもないし それでも名曲
今、なんとか法律事務所のCM曲歌ってない? 夜明けの~風さ~♪とかいう曲 ラジオで頻繁にかかるんだが
そのような大病をして手術していたから痩せていたのか ガリガリだったもんね この時代の若者ってなんか貫禄あるよね 寺尾さんもだけどギターの今剛さんとか 当時20歳そこそこなのに渋いギター弾いていた印象
>>162 出航 VIDEO ルビーの前のシングル。 ルビーが売れてブームになってその前のシングル2枚も火がついた ルビーの指輪は、作曲寺尾聰名義になってるけど実際はゴーストが作ったってのが定説だろ
>>22 やはり似るものなんだね 佐藤浩市も昔は三國連太郎に全く似てなかったのに 今年の大河ドラマ見てたら父親にそっくりになってきて驚いた 曇りガラスの向こうは ルビーなの 問わず語りの心が ルビーなの 枯葉一つの重さも ルビーなの ルビーを失ってから
悪い曲じゃないが、なんであんな大ヒットしたか意味不明だな。 上手く時代の空気に合ったのかね。
え、今人気再熱なの? それでこの間nhkで女性歌手が歌ってたのか いまだに良さが分からないや
>>80 似てますね。 パクリといえば、竹内まりやの「駅」はこの曲に酷似しています。5ちゃんねるのほかのスレッドに書かれてました。 VIDEO てゅっるてゅっるてゅっるてってー 今夜ーも酒が旨い~、
>>175 山下達郎が元ネタの歌手のファンらしいね …あれ?作詞作曲竹下まりやなんだけどな… >>1 ハッと思ったよ お父さんの享年超えてるやん アルバムのジャケット写真、 タイトルのReflectionsの文字は寺尾聰が咥えたタバコの炎でほんとに描いたものをそのまま写したらしい
>>23 井上鑑自身のアルバムも超カッコよかったんだよな ただ本人歌唱のボーカルが致命的にどうしようもなかった 寺尾聰みたいな人が歌ったものは当時としては本当にカッコよかった 今聴くと気取り過ぎでいささかこっ恥ずかしいけど 井上鑑の編曲はベースの旋律が独特 音大出身者だから和音の使い方が面白い
>>175 >>179 トータルでは明菜バージョンのほうが小さな鳩っぽいかな まりやの駅は1番のサビからマーチになる、達郎もノリノリでギター弾いてるしw >>11 ハバナはベストテン入りしてない ①ルビー ②出航 ③シャドー 「お誕生席ならルビーだね♪」 爺ちゃんの若い頃の歌は意味分かんね
>>186 「予言者の夢亅は自分の中で3枚のベストアルバムに入る。あと一枚は大瀧詠一の「ロングバケーション亅で、あと一枚はうーんなんだ(;^ω^) 懐メロとして未だに聴かれるのはわかる でもぶっちゃけそんなにいい曲か?と当時から思ってた イントロから出だしからリズムから何故か笑えてくるほど変な曲 く〜も〜りガッのとこ あれほどの大ヒットはアイドルへの反発層かね
>>194 予言者、俺も持ってていまだにときどき聴くよ でも本当あれを上手い人が歌ったらどれほど素晴らしいものになっただろうかと思うとそれだけが残念 松本隆はルビーの指環の翌年にスターボー「ハートブレイク太陽族」か
ルビーの指環のB面『シネマホテル』は名曲だからみんな聴けよな、じゃな!
>>96 柄本佑とか柄本時生とそう歳が変わらないと考えると納得いく >>191 シャドーシティ本当好き。松田聖子verも良い しかしルビーの指環スレで達郎がまりや絡みで出て来たのも何かの因果か 指に光る指環そんな小さな宝石で
あのアルバムはハバナエクスプレスとさすらいがいいよ
あなたを失ってか「らー」 この部分が確か一番低い音域でlowG(低いソ)なんだよね これは普通の男性ならギリギリ出せない音域らしい、女性はまず無理らしい
まだ30歳そこそこだったのか 歌も風貌も落ち着きすぎだわ
何年か前にLIVEでルビーの指輪歌ってたけど 歌詞を覚えてなくて後半ほとんどルルルルルーって 歌ってて悲しかったよ あれだけ歌っても忘れるものなのね
>>19 CSのTBSチャンネルで2ヶ月にいっぺんの頻度でやってる。しかし、1981年の再放送はやってない。原因は、ジャニーズかシャネルズじゃないかと言われている 寺尾聰は宮本に「歌うまいね」「バンドやりなよ」と言ってくれたオッサンだからあまり悪くは言えない
AメロのようなサビとBメロのようなAメロの繰り返しが面白いね
寺尾聰のラストダンスは私に、をフルバージョンで聴かせてくれよ めっちゃカッコいいのにさぁ
2、3年前某掲示板でオジサン俳優にナンパされて抱かれたと書き込みに パルム?とレスが付いて そうw 私もwww とあったなw 仙人みたいな雰囲気だが遊んでんのかね
>>7 ザ・ベストテンで不滅の大記録12週連続1位 番組12年間603回の総合ランキングでも3位に入る超大ヒット曲だった お経みたいな周波数出てるのが心地いいんだよな いい声だわ
>>219 マジか! ちょいワルおやじだもんな有り得るわ >>208 あのアルバムの肝は、ハバナと4曲目の二季物語 特に二季物語の冬から夏に切り替わる時のテンポが変わる瞬間 オウム麻原の「超越神力」は HABANA EXPRESSのパクリ
ハイヒール二人して失礼なぐらいジジイ扱いして不快だった 本人は気にも止めずだった
石原プロ辞めるとき何かゴタゴタがあったような記憶あるけどなんだっけ
シングルもアルバムもミリオンでレコード会社がビル作った伝説 その割にそれ以降サッパリ売れなかった
>>102 昔は良かったと言うけど アイドル全盛期で邦楽は聞いてられなかった だからこの時代は洋楽が凄い中高生に人気あった気がする >>169 原案 B.ジョエルって書いてあるんでw >>232 何を言ってるんだ?! この時期こそ邦楽のレベルが一番高かった頃だろ YMO、山下達郎、オフコース、サザン、ゴダイゴ、矢野顕子、もちろんユーミンや ジュリーや西城秀樹や世良公則もんたよしのりクリスタルキングシャネルズ始め男性歌手の歌唱力はオールタイムでもベストの時期 編曲がいいね シャッフルにドラムとベースとピアノ あのイントロのギター
>>102 半年の間 寺尾の三曲ずっと ランクインしてたのか ルビーの指環って結局何を歌ってるの 不倫?別れ?よくわからん
究極の弱起ソング。リズム感のない人が歌うとかっこ悪くなる
>>234 山下達郎、オフコース、ユーミンはテレビに出てないから違う。 そのザベストテン見てみろトシちゃんとかマッチとかクソみたいな歌ばっかりじゃないか >>219 街角クラクションかと思ったがあれはもっと前か パルムで正解なんかw これ録音した頃はまだ林立夫さんアムウェイやってなかったかな?
こないだのうたコンで女性歌手と一緒にこの曲をカバーしてた元男闘呼組の成田昭次が出ててびっくり イケオジになっていた
>>1 この曲、素人がディレクターに送ったテープをそのまま流用したらいしな 制作者はステレオ一台上げたとか 噂の真相あたりに書いてあったで >>3 詞の世界観、アレンジ、レコーディングミュージシャン どこをとっても凄く良いシティポップだぞ。 まずはハバナエクスプレス聴いてみてよ。 >>234 歌唱力だったら町田義人が図抜けていたような 戦士の休息 全盛期見てたけどなんか小汚くて好きじゃなかったな この人がテレビに出たびにばあちゃんが宇野重吉!と一言
子供の頃、意味も分からず歌ってたな~ 俳優も上手でビックリした 博士の愛した数式は本当に良い映画だった
>>51 めちゃくちゃいい歌だね 大人になってから、カラオケの最後で良く歌ってた >>76 言われてみれば似てるな 当時は全く気付かなかった ビリージョエルは天才すぎる >>102 8歳の時の懐かしい 春咲小紅やチェリーブラッサムがすごく好きだった 聖子の歌は名作揃いよな >>232 といってもそのアイドルも当時はソロが中心で今と違ってひとりでも勝負になる人が多く、今みたいに数で勝負みたいなのとは訳が違った アイドルのクオリティも昔の方が上だよ 石川秀美さんの「もっと接近しましょ」もシーラEのグラマラス・ライフとか。
>>272 60-80年代のアイドル歌謡曲は詞も曲もアレンジもプロ中のプロがしっかり作ってたからな ザ・ベストテンの頃は山口百恵も現役だし 松田聖子も出てきて歌謡曲のレベルも非常に高かった 寺尾聰はグループサウンズ上がりだしね 昨今のシティポップのブームは遅すぎるくらいだよ マッチは感心しないが田原俊彦の曲とアレンジは非常に凝った曲が多い もちろん歌唱力は酷いが 失恋ソングは当時、男女とも色々あったが、淡々としているようでリズム感が必要な歌だったな 本人がバンドやってたんだね ルビー以前のシングルのバックだかを、ミッキー吉野(のちにゴダイゴリーダー)が担当した事があり ミッキーは当時知り合ったタケカワのソロデビューLPを寺尾聰に聴かせたら、コイツと(バンド)やったら良いよ!と後押ししたと ゴダイゴにとったら良い助言をしてくれた人でもあったそう。 ルビー…の編曲も実力者では ぐぐったら、父は昔の有名なチェリスト、教授でびっくりした
アルバム買って聞いたら都会のおしゃれな男女の別れとかそんなんばっかで気疲れした記憶
>>156 Reflectionsはファーストアルバムではない 寺尾聰の曲は洋楽カヴァーも含めて全部良いけどルビーだけは子供の頃から嫌い 大抵スキップする
この人ちょくちょく関西ローカルの番組に出るなあと思ってたら 吉本新喜劇にいた大御所の芸人達と仲がよくてよく遊びに来てたそうだ それで割と大阪に知り合いが多い
>>152 曇りガラスを手で拭いて あなた明日が見えますか >>278 田原は下手くそヘタクソと酷評されることが多いけど、あの激しいダンスを踊らながらの生歌歌唱でしかも当時は今みたいにイヤーモニターも着けずバックは生演奏だったりする 実はかなり凄いことで、今のアイドルで真似できる人は少ないと思うよ >>70 猫ニャンニャンニャンってやつを子供達が歌ってた >>112 一般人部門だと武田鉄矢か。沢田研二は俳優として??? >>228 ・寺尾がレコード出すときにコマサが強硬に反対、歌手は裕次郎と渡哲也の二人でたくさんだ ・といいながら、寺尾が東芝EMIからレコード出すときにコマサが契約金要求 ・当時の東芝は、いかなる歌手にも契約金出さないルールがあったが、寺尾を担当していた武藤プロデューサーが何とか交渉して稟議切る ・出す前のお経騒動 ・ベストテンに自分のバンドを連れて行って歌うことに寺尾がこだわり、金がかかるとコマサとケンカ ・寺尾がバンドメンバーのギャラを自腹切る ・売れた途端に「印税権は全て石原音楽出版に管理させろ」と言い出し、寺尾と大喧嘩 ・怒った寺尾が裕次郎に直訴して、コンサートツアー回るからと西部警察降板 ・印税管理する事務所を別に作ることも認められず、コンサートグッズを独自に作って売り、それもコマサとケンカになる ・成城の裕次郎宅に呼ばれて話し合い、1981年の売上金を全て石原プロに渡すかわりに、印税権をもらって独立→当時は「破門」と報道 寺尾聰が出た後に舘ひろしが石原プロ入りしたが、その騒動があった後なので、渡哲也がコマサと入社条件について直接交渉した話は有名。 >>38 演歌の方がそうだったわw でも覚えちゃうんだよな 色んな中継だったり変なスタジオセットだったり こういう同じメロディを繰り返してるだけでヒットした曲って他に何ある
>>3 どちらかと言うとAOR ドナルド・フェイゲンとかのイメージ >>219 寺尾聰はその辺がキーファ・サザーランドと似てる 親子関係も含めて >>294 81年の売り上げ全部! 売れた年の全部じゃねーかよ こりゃヤクザ これがヒットしてるとき小学5年生だったけど子供心にあんまり好きな曲ではなかった 今でも良さがあんまりわからない 可もなく不可もなく
>>306 石原プロは金の管理をコマサがやらないと即倒産 コマサは石原裕次郎の為にのみ働いてる その石原裕次郎は黒部の太陽で寺尾聰のお父さんに大恩を感じてる 宇野重吉の息子の寺尾聰も石原裕次郎には恩義を感じてる コマサは石原裕次郎以外はどうでも良いと思ってる この三すくみ状態だったからコマサに石原裕次郎は文句言えなかった。 コマサは小煩い嫌われ者だが石原プロには無くてはならない存在で 大願の映画を作る為には何でもやるヒットマンみたいなヤツ。 だから寺尾聰は手切金払って辞めた。石原裕次郎も困らせても仕方ないし。 後に石原プロ作品に客演してるし。 >>308 専務は屋台骨を支える嫌われ者の番頭だったんだな 最後には事務所を追い出されたみたいだけど >>308 なるほどねぇ一概に悪とも言えないんだなコマサって人も >>294 みたらなんてがめつい奴だっ!なんて思ってしまうけど…難しいね >>310 コマサは石原裕次郎の狂信的なファンで「石原プロの映画」に拘ってた。 だから黒部の太陽のソフト化に大反対してた。映画は大スタァを映画館で観るものだから。 コマサが手に負えなくなってクビにしてカネの為に黒部の太陽を公開したけど時既に遅し。 カネも尽きて石原プロは解散した。 大スタァが作ったプロダクションで、ここまで保ったのはコマサのおかげ。 ジブリで云う鈴木プロデューサーみたいなもの。 ジブリだって悪徳マネージャの鈴木が居なかったらとっくに無くなってる。 >>309 新日本プロレスの猪木と新間みたいな関係か 寺尾三分作にハズレナシ なんだけどある日、突然作曲の才能が失せたからって 「いつか戻るだろ」と作曲活動放置してるのが勿体ない 1番訳が分からないのがトランスコスモスのアレ 曲名と歌詞の中身がどうやっても合わないw
ビリージョエルのパクリとか言ってるバカが大勢いるが実際は谷村新司の曲のパクリなんだぞ これは寺尾聰本人も認めてる事実だからな
>>304 ジョー・コッカーの「You Are So Beautiful」って歌は、 延々「You Are So Beautiful,to me〜〜〜♪」って歌ってるだけなので、 歌心が無い人間が歌うとお経 以前、野口五郎がカバーしてる音声をYouTubeで聴いたら、 コブシ回しながら歌ってて面白かったw >>1 ルビーの指輪でギター弾いてる今剛は宇多田ヒカルのAutomaticでもギター弾いてる。これ豆な。 ルビーの指環のヒットの要因は明らかに井上鑑のオシャレアレンジの力が大きいが、これが売れてくれたおかげで音に関するミュージシャンの要求が通りやすくなったらしいな この時期から大瀧詠一のロングバケーションとかも売れ始め、井上鑑だ大瀧詠一だ松任谷だと例の一派がどんどん席巻していく この時期からアイドル歌謡でも、ちょっと前の都倉俊一とかの歌謡曲っぽさがほとんどなくなり音がどんどん洗練されていく このように、ルビーの指環のヒットの功績は計り知れないものがある
>>322 あとは演奏者のチカラだな パラシュートの林立夫、今剛&松原コンビを従え、日本のキースエマーソン難波弘之を弾き倒し、好き勝手にアルバムを作れたのはエレキ歌合戦〜グループサウンズ時代の財産 >>321 ギタリスト今剛の弟がアニメ監督故今敏 これもマメな >>322 ルビーの指輪の数年前に、沢田研二がヒットを何曲も飛ばした時期があったが ある時期まではもとスパイダースのギター、井上堯之ががっつりバックについていてロックテイストの演奏ができ 良い味になっていた気がする 何かで離れはしたみたいだけどね フォークから、エレキギター使用のロック曲に人気が移っていった時代て感じ スパイダースはリアルタイムではわからない世代だけどさ… そして、熱い感じのロックだけでなく、淡々としたテクノポップもはやったから、ややあっさりと流れていく曲も需要あった感じはしたな 歌ってる時はちょっとキーが高いよね あれなんでだろう?
>>331 アルバム版のキーはアレンジし難いからと井上鑑が転調した 井上鑑と今剛が今福山雅治のバックにいるのもすごい 福山の周り相当実力者で固めてるもんな
>>119 ブロンズの風の中とか、今私はコバルトの風とか、 あの当時の風は随分と金属チックだったんだろうなと思っちゃう >>291 三波春夫がそれ言ってたわ 歌いながらあれだけ踊れないって あさぱらは毎週見てる 出演理由はコンサートやるのでその宣伝とかいいつつ 完売したので、その必要なくなったと正直に話してた。 そういうこともあって、私服みたいなので出演してリラックスしてた。 あと大阪城公園でのラーメンフェスのラーメンがスタジオで配られてたのを食ってたね。
>>308 コマサに映画制作する気なんてなかったんだよ。 裕次郎の本当の遺言は「自分が死んだら石原プロはたたみなさい」だったと、奥さんが解散前のコメントで話した。 奥さんが版権管理で細々暮らそうとしてたのに、コマサが「それじや、社員が路頭に迷うから」と言い出し、裕次郎の遺志を継いで映画制作を!と毎年言い続けたが、本当は作る気さらさらなく、法要ビジネスで稼いだ。 スタッフも昼間から麻雀ばかりしていて、それに疑問感じた裕次郎派の石野憲助さんらが別の事務所を作って出た。その石野さんの映画に客演したのが、寺尾聰と高品格だった。 コマサは確か、テレ朝から出向していた女性プロデューサーと軍団内を私物化し、西部警察のりメイク版の事故や裕次郎の23回忌の法要で20億円使い、奥さんが激怒。 コマサと女性プロデューサーを追放し、奥さんが会長についた。 しかし、「まだ稼げる」とか言い出す残党が出たり、裕次郎死去後に石原プロ入りした人達が、舘ひろしを担ぎ出した?とかで、最後に渡哲也が再登板して幕引きするしかなかった。 それでようやく、解散した。 コマサは後年、「大昔、映画で失敗したのがトラウマになり、映画を撮る気はなかった」と白状していた。 >>312 そもそも、三船プロが「黒部の太陽」の権利放棄してくれてたから、軍団の虎の子みたいにして、法要の時期しか見られない映画にしていた。 熊井景監督が亡くなったときに、どっかで追悼映画祭があり、監督の奥さんが貸してくださいと頼んだのに、コマサが断って、奥さんが悲嘆に暮れたって話もあった。監督なのに、完全版の映像を、一度しか見れずに亡くなった。 >>314 来年か再来年にアルバム出すらしい噂がある >>317 帰らざる日々のバクリだって言うんなら全然違うし 大体帰らざる日々は荒木一郎の、君に捧げるほろ苦いブルースのパクリ これは聞けばすぐにわかる >>322 井上鑑はアレンジでヒットさせられる稀有なタイプのアレンジャー 泰葉のフライデーチャイナタウンも井上鑑のアレンジ 井上鑑のアレンジでヒットした奴はその後ヒットが無いことが多い >>343 だからこそ予言者の夢を誰かちゃんとしたボーカリスト起用でリメイクしてほしい ほんと惜しいわ この人の仕事の途切れなさはやばい。もうパルムには出てないかもだけど
>>346 俳優の仕事は営業してなくて、来る仕事をやるだけだってさ。 今年亡くなった渡辺裕之みたいに、仕事が来なくなる不安を抱えてた人もいれば、この人みたいにマネつけないでマイペースって人もいるとは。 ま、それもこれも、アルバムのReflectionsがいまだに売れてて印税が入ってくるからだろう。 >>278 たのきんが出てきた辺りから アイドルの質が低下した どの曲かタバコを吸いながら歌っていませんでしたか シブいというのか少々やさぐれたイメージがあったな
ルビーの指輪とチャンピオンが息の長い曲だったと記憶してる
この人を聴いてからPARACHUTEを知った Re-Coolをサポートしている金原千恵子ストリングスは素晴らしい
>>42 最初に聴いた時いつまでトゥットゥルトゥーンが続くのか不安になった 范文雀との結婚生活は結局アキラとひばりのパターンで終ってしまった
Re-coolじゃなくて、元音源をリマスターしてほしいんだが
子供の頃に聴いて今も聴いてる アルバムはジャケットも曲順も全てが完璧 計算されたってより 全力で作ったら完璧なのが出来たって結果 子供の頃は幸せじゃなかったが あの頃を思い出す
>>359 Re-coolは余計なことしすぎなんだよな オリジナルのままリマスターでいいのに余計な味付けをしてぶち壊しにしてる そもそものベースが80年代AORなんだから余計なふりかけをかけたらかえってクソダサくなるだけ そのままでいいんだよ この曲はなんでそんなに大ヒットしたか分からんかった 今でもこれはシティポップ言われて高評価なのも謎 地味なムード歌謡みたいにしか聞こえんのよな こういう世の中では大ヒットかつ高評価なのに自分ではピンとこないのはドリカムのラブラブラブと米津のレモン
>>33 確かに似てる。 すくらっぷぶっくにも似たキャラがいた。 >>369 シティポップじゃなくAORな AORなんだからムード歌謡に近いっちゃー近い ムード歌謡にオシャレエッセンス(笑)を塗したのが日本のAOR この辺はロックン演歌なエーちゃんとかもそうだけど、日本テイストが色濃いからこそのヒットだと思うよ リアルタイムで知ってないと 何がいいのかわからないよ その時代の空気とか
>>369 いや私もこれがシティポップとは思えんがwikiのシティポップでは 1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた[24]。 だそうだ まあこれはAORとも思えんのよな 日本のAORだとオフコースとかサーカスが思い浮かぶ 若い頃はそうでもなかったが、今は父親そっくりな容姿になった。
>>284 ご指摘ありがとう。 そうでした、うっかりそう書いてしまいました。 >>359 元音源のMQAは良かったけど聴いたか? >>377 出航を作るキッカケが「歌物のワルツと云えばずっと星影のワルツ。いい加減他のワルツの曲無いの?無いなら作るか」 イントロはWikipediaにも書いてる様に急須からお茶を入れるイメージ。 ボリューム奏法が流行ってた頃の名演奏。あのイントロでご飯3杯食べられる。 1980年頃は真夜中をイメージする曲が流行ってたせいかreflectionsは真夜中〜夜明け前に聴くと嵌る。 20代後半にイタリアをひとりでうろうろしたけど日本語喋れないストレスもあってジェノバの港に座り込んで暮れゆく海を見ながら大声で出航唄った思い出
>>252 やっぱその噂あったよね まあ割とよくあるストレンジャーのパクリ歌謡曲だけど サザンも思い切りビリー・ジョエルのパクリ曲があったが、似過ぎてビビりました。あれは、あれでいいのか。パクリ上等の人達みたいだし(;^ω^)