文・取材=森朋之
2022.10.09 12:00
1981年にCHAGE and ASKAのアルバム『熱風』で作詞家デビュー。その後、安全地帯、工藤静香、BOØWY、氷室京介、郷ひろみ、MAX、V6、平原綾香、坂本冬美など幅広いアーティストに作品を提供してきた松井五郎は言うまでもなく、日本の歌謡曲、J-POPを作り上げてきたクリエイターの一人だ。
ここ数年は、藤澤ノリマサ、中江有里、中村萌子のプロデュースを手掛けるなど、活動の幅を拡大している松井。代表作をピックアップしながら、ヒットと普遍性のバランス、時代の空気の取り入れ方、サブスク、SNS時代への対応などについて語ってもらった。(森朋之)
メロディや声、アレンジと重なったときに活きる言葉は何か
ーー40年以上に及ぶ“作詞家・松井五郎”のキャリアから何曲か選ばせてもらい、歌詞の背景についてお伺いしたいと思います。まずは「悲しみにさよなら」(安全地帯/1985年)。松井さんにとって初のオリコンランキング1位の楽曲ですが、どういう経緯で安全地帯の制作に関わるようになったんですか?
松井五郎(以下、松井):81年にCHAGE and ASKAの『熱風』で作詞家としてデビューしたんですが、当時はYAMAHAにマネージメントしてもらっていて。安全地帯と関わるきっかけは、特にドラマティックな話はなく、仕事として依頼があったからです。
安全地帯は「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」など井上陽水さんの作詞による楽曲で注目を集めていましたが、陽水さんはご自分の活動があるし、事務所としては「メンバーと同年代の作詞家と組ませたい」という意図もあったようで。実際、僕はメンバーと同じくらいの年齢なので、バンドの一員のような感じで制作に関わらせてもらいました。
最初に採用になった歌詞は、「マスカレード」。2ndアルバム(『安全地帯II』/1984年)のデモテープを聴いたときに、玉置(浩二)さんの声やメロディライン、バンドのサウンドを含めて、琴線に触れるものがあって。頼まれもしないのに全曲の歌詞を書いたんです(笑)。その熱意を汲んでくれたのかもしれないですね。
ーー安全地帯にとっては、本格的なブレイクに向かう大事な時期でした。ヒットする歌詞を求められるところもあったのでは?
松井:結果を求められる部分は確かにあったと思います。シングル表題曲「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」「恋の予感」の歌詞はすべて陽水さん。「真夜中すぎの恋」「恋の予感」に関しては、じつは僕もチャレンジさせてもらったのですが採用されませんでした(笑)。
その後、完成した陽水さんの歌詞を読んで、「なるほど、こういうことなんだな」と答え合わせができた気がして。それまでは紙の上で言葉を構築していたところがあって。そうじゃなくて、メロディや声、アレンジと重なったときに活きる言葉は何か? という考え方が必要なんだなと。
それが上手くハマったのが、「熱視線」であり「悲しみにさよなら」だったのかなと。玉置さんの声でどういう言葉を聴きたいかを意識した歌詞ですね。
ーー“歌い手の声やメロディに映える言葉”は、松井さんが手掛ける歌詞の特徴かもしれないですね。
松井:ボーカリストが、その人の情緒のなかで、いかに気持ちよく歌えるかが大事だと思っていて。言葉や文章はどうしても理屈で構築しがちですが、ため息や“あぁ”のような感嘆詞であっても、歌手の表現によって意味が生まれますからね。玉置浩二、CHAGE and ASKA、氷室京介など、いろいろなタイプの歌手との出会いのなかで、その意識はさらに強くなりました。
80年代から多様性を意識していた
https://realsound.jp/2022/10/post-1140133.html
2022.10.09 12:00
1981年にCHAGE and ASKAのアルバム『熱風』で作詞家デビュー。その後、安全地帯、工藤静香、BOØWY、氷室京介、郷ひろみ、MAX、V6、平原綾香、坂本冬美など幅広いアーティストに作品を提供してきた松井五郎は言うまでもなく、日本の歌謡曲、J-POPを作り上げてきたクリエイターの一人だ。
ここ数年は、藤澤ノリマサ、中江有里、中村萌子のプロデュースを手掛けるなど、活動の幅を拡大している松井。代表作をピックアップしながら、ヒットと普遍性のバランス、時代の空気の取り入れ方、サブスク、SNS時代への対応などについて語ってもらった。(森朋之)
メロディや声、アレンジと重なったときに活きる言葉は何か
ーー40年以上に及ぶ“作詞家・松井五郎”のキャリアから何曲か選ばせてもらい、歌詞の背景についてお伺いしたいと思います。まずは「悲しみにさよなら」(安全地帯/1985年)。松井さんにとって初のオリコンランキング1位の楽曲ですが、どういう経緯で安全地帯の制作に関わるようになったんですか?
松井五郎(以下、松井):81年にCHAGE and ASKAの『熱風』で作詞家としてデビューしたんですが、当時はYAMAHAにマネージメントしてもらっていて。安全地帯と関わるきっかけは、特にドラマティックな話はなく、仕事として依頼があったからです。
安全地帯は「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」など井上陽水さんの作詞による楽曲で注目を集めていましたが、陽水さんはご自分の活動があるし、事務所としては「メンバーと同年代の作詞家と組ませたい」という意図もあったようで。実際、僕はメンバーと同じくらいの年齢なので、バンドの一員のような感じで制作に関わらせてもらいました。
最初に採用になった歌詞は、「マスカレード」。2ndアルバム(『安全地帯II』/1984年)のデモテープを聴いたときに、玉置(浩二)さんの声やメロディライン、バンドのサウンドを含めて、琴線に触れるものがあって。頼まれもしないのに全曲の歌詞を書いたんです(笑)。その熱意を汲んでくれたのかもしれないですね。
ーー安全地帯にとっては、本格的なブレイクに向かう大事な時期でした。ヒットする歌詞を求められるところもあったのでは?
松井:結果を求められる部分は確かにあったと思います。シングル表題曲「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」「恋の予感」の歌詞はすべて陽水さん。「真夜中すぎの恋」「恋の予感」に関しては、じつは僕もチャレンジさせてもらったのですが採用されませんでした(笑)。
その後、完成した陽水さんの歌詞を読んで、「なるほど、こういうことなんだな」と答え合わせができた気がして。それまでは紙の上で言葉を構築していたところがあって。そうじゃなくて、メロディや声、アレンジと重なったときに活きる言葉は何か? という考え方が必要なんだなと。
それが上手くハマったのが、「熱視線」であり「悲しみにさよなら」だったのかなと。玉置さんの声でどういう言葉を聴きたいかを意識した歌詞ですね。
ーー“歌い手の声やメロディに映える言葉”は、松井さんが手掛ける歌詞の特徴かもしれないですね。
松井:ボーカリストが、その人の情緒のなかで、いかに気持ちよく歌えるかが大事だと思っていて。言葉や文章はどうしても理屈で構築しがちですが、ため息や“あぁ”のような感嘆詞であっても、歌手の表現によって意味が生まれますからね。玉置浩二、CHAGE and ASKA、氷室京介など、いろいろなタイプの歌手との出会いのなかで、その意識はさらに強くなりました。
80年代から多様性を意識していた
https://realsound.jp/2022/10/post-1140133.html