今春のセンバツを制した東海大相模(神奈川)の門馬敬治監督(51)が、今夏限りで退任することが30日、分かった。健康上の理由としており、この日の練習後、部員に意思を伝えた。後任は、同校OBで元巨人捕手の原俊介氏(43)=現東海大静岡翔洋監督=が決定的。センバツ優勝監督が同年夏に退任するのは異例中の異例。春夏通算4度の甲子園優勝に導き、低迷していた母校を立て直した名将が、史上9校目となる甲子園春夏連覇を目指して最後の夏に挑む。
史上9校目となる甲子園春夏連覇を目指す名門に、大激震が走った。東海大相模を大阪桐蔭と並ぶ“東の横綱”にのし上げた門馬監督が、今夏限りでの退任の意思を固めた。この日の練習後、部員を集めて直接報告。保護者にもメールで同様の報告を入れた。
退任の理由は、健康上の理由だ。99年にコーチから監督に昇格し、00年にいきなりセンバツ初優勝に導くなど、20年以上にわたる長期政権だったが、大きな注目を集める名門を率いるのは常にプレッシャーと背中合わせ。心身ともに計り知れない負担がかかっていた。
首と心臓に持病を抱え、今年5月には練習中に首に送球を受けて緊急入院。春季神奈川県大会準決勝・日大藤沢戦を欠場した。翌日の桐光学園との決勝には復帰したものの「試合が終わってからガクンと来た。昨日は立ちくらみとめまいがひどかった」。試合後の取材は椅子に座って受けたほどで、この時もセンバツを戦い抜いた精神的な疲労の大きさを指摘する声が上がっていた。
残した功績は大きい。00年のセンバツ制覇後もコンスタントにセンバツに出場。さらに、10年には77年を最後に33年も遠ざかっていた夏の甲子園出場に導き、長い呪縛を解き放つと一気に準優勝。70年代に原貢、辰徳の父子鷹で一時代を築いた名門の完全復活をアピールすると、翌11年春にはセンバツを制覇。15年にはエース・小笠原慎之介(現中日)を擁して45年ぶりに夏の甲子園制覇を達成するなど、全国屈指の強豪との地位を揺るぎないものにした。
今春、次男・功(3年)との父子鷹で日本一を成し遂げた。神奈川県内でも19年春から前人未到の6季連続優勝を達成。「原貢の野球が相模の野球」と公言してはばからず、攻守に積極的に仕掛けた恩師の野球を進化させ、強打に機動力を絡めた「アグレッシブ・ベースボール」を標榜。横浜、慶応といったライバルを力で圧倒し、県内連勝記録は41まで伸びている。
後任が決定的となっている原氏は、東海大相模から95年ドラフト1位で巨人に入団。原2世として脚光を浴びた。現役引退後に早大に通って教員免許を取得。16年から指揮する東海大静岡翔洋では甲子園出場こそ果たせていないものの、海外のパーソナルトレーナー資格を取得するなど勉強熱心で、情熱的な指導には定評がある。
◆門馬 敬治(もんま・けいじ)1969年12月18日、横浜市生まれ。51歳。東海大相模では主将を務め、3番・二塁手で3年夏の県大会準優勝が最高成績。東海大では腰の故障などで2年からマネジャー。東海大コーチ、東海大相模コーチを経て、99年に監督就任。甲子園に通算12度出場し、30勝7敗(優勝4度)。社会科教諭。家族は夫人と2男1女で、長男・大は東海大野球部主将。
◆原 俊介(はら・しゅんすけ)1977年8月30日、神奈川・秦野市生まれ。43歳。東海大相模では3年センバツに「4番・捕手」で出場。2回戦で敗れたが、2試合で8打数4安打と活躍し、同年ドラフト1位で巨人入り。1軍初出場となった03年3月29日の中日戦、代打でプロ初打席初安打初打点をマーク。翌30日の同戦でプロ1号を放った。06年限りで引退。プロ通算68試合出場、打率2割2分4厘、3本塁打、10打点。16年に東海大静岡翔洋監督に就任。右投右打。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fa1d70ed18bcdab7079987eebee54b17a4fe233
福留の外れ1位で中日と巨人が重複して巨人が獲得、外れた中日は荒木獲得
の原俊介か
息子と親子鷹で優勝したし、もう思い残すこともないな
(51)程度で体力的に限界って見た目でわかるからな
予選直前にこんな発表をするのは今日明日にも静養しないといけない常態なんだろう
東横綱ノックバット置くとなると推定150キロ西横綱どうするかな高嶋さん68越えるまではノックバット置けないかなあ
殺人スライディングのイメージしかないわ
あれはたまたまスパイクが入ったんじゃなくて普段から教えてないとできない蹴り込み
学校の売名や功名心を追うのは自由だが、長時間勤務問題も表裏なんだろ
学生野球回復者かる〜く1000人超えてるのに
高校野球の悪口言うけど一向に資格回復しようとしない桑田
コイツまじであかん
選手時代落ちこぼれてマネージャーまでやらされたのによく監督まで這い上がったよな。
裏で相当アコギな政治力駆使していまの立場掴んだろうにかわいそう。
馬鹿にしてるとかふざけてるとかじゃなく、真面目に体落ち着いたら渡辺&門馬のワクワクYouTubeチャンネルを開設して欲しい。
元プロ監督増えてるねえ
でも指導自体はさほど変わらないんだよねえ
原俊也は東海大静岡翔洋で1回も甲子園経験なし
甲府とか菅生とかから昇格は無かったのね
>>26
元プロってだけで高校生は言うこと聞くからねえ
上手い子ほどプロの壁がわかってるから名門校とか甲子園目指してる学校は効果的 健康上言うけど他の監督は高齢でも普通でやってるわけでw
>>11
高知の名物監督が大阪の太った監督のいる学校倒すには差し入れ贈りまくって体調不良にさせる方が早いかもしれん(笑)って言ってたわ
最近ちょっと足踏みしてるよね >>30
甲府の村中(相模前監督)、菅生の若林は門馬の先輩だから無理。 清原が一塁手だった時代に原俊介が一塁を守った事があるんだが、清原との守備範囲の差に驚いた。完全に一二塁間抜けたと思った打球に飛び付いて捕球してたわ
>>26
トーナメントだからプロの監督より能力問われるだろか >>30
個人的には門馬教え子2000年選抜優勝メンバーだった現浦安監督瀬戸が母校戻ると思ってたわ
余談だがこの時準々決勝で1979年春以来21年ぶりに甲子園出た作新と対戦したんだが作新セカンド守ってたのが現監督小針だった 体型見るからに不健康そうだもんな
大阪桐蔭の監督もヤバイんじゃね?
ただ、デブは自己管理出来ない無能説をひっくり返すデブの希望ではあったなw
年齢的にはまだまだこれからなのに
体がヤバイんだろうな
野球は知らんけど他の部活だとカリスマ指導者居なくなったら生徒が集まらんようになったとかあるけど
野球の場合ってどうなの?名門も代替わりしてるんでそうでもないのかな?
ラフプレー、悪態のイメージが大きいわ
甲子園とか注目が集まる場面だと出さないけどね
とりあえずお大事に
ドラフト1位なのに3年くらいしかいなかったのか?
まったく記憶に無いな
横浜も監督変わって弱くなったからな
こりゃ我が母校の津久井高校の天下だな
卑怯な野球の大阪桐蔭と東海相模と早稲田実
クリーンな野球の履正社と横浜と二松学舎
やっぱ卑怯な野球のほうが強いんだよね
隠してるけどもっと厄介な病って事はないのかなー
なんやかんやで古豪になりかけてた相模をここまでにした人だし お元気で!
>>23
大学野球のマネージャーは指導者のエリートコース
油谷さん? あの監督の元で野球がしたい
って全国の中学生が集まってたんだから
渡辺、門馬といなくなって
神奈川の戦国時代到来かな
下剋上はじまるよ
本来なら一二三が犯罪者になった時点で退任して欲しかった。
原俊介は打てる捕手みたいな感じになれそうだったけどやっぱ阿部の壁は高かったかね
>>57
拓大紅陵の監督の小枝さんは2016年に高校代表監督しまして
2018年に67歳でしたからなあ
9番で終われば次の回は1番からだから有利
1回に球数を投げた数×9で、相手ピッチャーに球数を投げさせる
1回20球なら、×9回で180球
相手に考えさせて、相手の頭を疲弊させる
返してはいけないランナーに神経を引き留める 横浜渡辺監督はいろいろ特別なことやってる感じがしたが
門馬監督は太ってて謎ピッチャー選択する人としか
西谷とか門馬とかいくらなんでも太り過ぎだろ大丈夫か
門馬や西谷は毎晩関係者から接待漬けなんだと皆想像してる
教師として学校に居るんだろうから無縁にはならんだろうな
>>61
原辰徳の実父原貢氏は7年前鬼籍入りした
今は国際武道大岩井美樹監督が東海大グループ総帥
後任に元巨人原俊介を翔洋から異動させるから岩井氏の意向かも(岩井氏夫人が元巨人監督故藤田元司氏の娘) >>76
なんかドロッドロやな
この勇退も何か裏があるんじゃないかって勘ぐっちまうわ 横浜のなべさんが引退したのもつい最近なのに早すぎね?実績引っ提げて幹部かな?
>>53
11年いたぞ。2軍で燻ってるうちに阿部慎之助が入団してきたせいで1軍正捕手にはなれなかったが、2003年シーズンは阿部の控え捕手兼代打としてそこそこ活躍した。 >>28
あの時の指示はルールを熟知した最高の采配で、
中継の解説も良かった。 >>86
その位置にカトケンが来てクビって感じだわ。 首の怪我で立つのもしんどいんじゃ厳しいな
夏の大会終わるまでは痛み止めガバガバ飲んで耐えるしかないな
夏の甲子園2010年に33年ぶりというのに凄い驚いた
大相模って関東大会でやらかす時は全国で強いし
関東無双してる時は全国でやらかす印象
>>48
野球も同じくそういうのはあるよ
ただかつてのPLとか東海大相模とか横浜とかは別格なのかもしれないけど 原俊介って覚えてるわ
引退した後大学行って教員免許取ってって、結構頑張ったんだな
>>90
1977年最後に33年間夏無縁だったがその間神奈川大会決勝戦7度進出して全て敗北喫した
1981年 3-9 横浜(原貢監督)
1987年 2-4 Y校(田倉雅雄監督)
1998年 2-10 平塚学園(村中秀人監督)※西神奈川大会
2002年 0-2 桐光学園
2006年 7-15 横浜
2007年 8-10 桐光学園
2008年 6-8 慶應義塾※延長13回 >>74
大阪桐蔭倒すには西谷君にさしいれ送りまくって体調不良狙う方がいいと高知の有名監督がおっしゃってました(笑) 有望なのがプロ目指してて大学で研きたくて東京六大学行きたいってなったら学校は許してくれるのかな
原俊介今のどうなってるか検索したがギットリした顔そのまんまおじさんになった感じだな(笑)
横浜の渡辺元監督も最終的に引退する前に何度もダウンしていたからな
駒大苫小牧とか常葉菊川とか甲子園で優勝するなどある程度学校の名前が売れたら
野球部の強化を停止もしくは縮小して監督もいなくなるケースもあるよね
指定校推薦でそこそこの大学に行けることなどを条件に勧誘してると
一般生徒や保護者から不満も出るから長くは続けられないのかな
>>65
桐蔭、横浜商、横浜商大、日藤、法政、武相あたりが復活すれば面白いんだけどねえ 首に送球を受けてってどういう状況だよ
ボールから目を離したなら本人のせいだけど
>>90
それだけ天敵のナベ横浜にやられ続けたということ
あと慶應義塾を苦手にしてた どんなに日大藤沢や桐光学園が厳しい神奈川予選を勝ち抜いてきても、決勝で東海大相模に吹っ飛ばされる悲劇…
108名無しさん@恐縮です2021/07/01(木) 21:57:32.10
>>32
首と心臓に持病あるから
流石にもう門馬は無理 150キロ超えの投手を左右揃えるってどんだけかき集めてるんだか。名将でも何でもない。モリシと大差ない
岐阜商の鍛冶谷といい強い高校の監督はデブばかりやな
殺スラと言えば東海大相模
東海大相模と言えば殺スラ
この場合は悪意はないんだろうが
ある程度うまいやつなら返球でミスるふりしてむかつく監督狙うなんて簡単だよな。
メットぐらいは被るほうがいいのかもね
>>90
力が落ちて甲子園から消えてしまうのは珍しくないが、33年間選抜優勝1回、準優勝1回だからね 1995(平成7)ドラフト
1位 原俊介
2位 仁志敏久
3位 清水隆行
4位 大場豊千
5位 大野倫
6位 小林聡
>>118
逆指名じゃない3位で清水獲得なら強奪云々の批判される謂れ無し。
それと、悲劇の甲子園エース大野倫。何だかんだでプロ入り(契約金げと)。
良かったじゃん。 >>118
原は高校生で仁志は逆指名だから、実質的には仁志がドラ1なんだよな。 >>61
相模が一番格上なのかい?
昔、原辰徳が話題になっていたころ、
相模が選抜出場逃し、東海大一が甲子園に出場した。
東海大一の主将がインタビューで「相模、相模いわれるけど
「学校の格ではうちのほうが格上だから悔しい。」と話していたけど。 >>121
歴史は一高の方があるけど、相模は大学のメインキャンパスに近いから本家扱いされてる感じかね。 原辰徳と菅野以外活躍した選手少ないな
選抜優勝投手で近鉄2位の吉田もあかんかった
中日の内野手と日ハム行って活躍した人ぐらいか
>>122
付属高校のナンバリング校を一斉に校名変更したから東海大のメインキャンパスに一番近い相模が旗艦高校扱いになっている >>99
プロ志望で進学なら東海大内進で事足りるし、この方法ならドラフト結果待ちもできる
相模から東都や六大学は少数派で東海大硬式落ちして進学するケースすらある
硬式入部断念なら内進はできるので、内進セレ落ちの時点でプロの道をあきらめて東海大でふつうの学生生活に戻る選手が多い >>103
大阪桐蔭は裏金騒動のときにもっと騒ぎになって終焉になるかと思ってたが結構しぶといな
球場で恫喝的な演奏をするあの200人ヤマハプロモデルブラバンも含めてどう見ても金の使い方がおかしいからな
昨年の佐藤薬品での明石商業戦なんかどうみても試合の妨害をしているようにしか見えなかった
今春の選抜はコロナの影響で恫喝ブラバンが認められなかったせいかアッサリ敗退した >>126
内進で事足りるとかドラ結果待ちもできるって話じゃなくて、プロ行く前に六大学で野球したいってなったら東海はどう反応するかって話なんじゃね? >>126
東海大内進は5名まででそのほとんどが入学時に確約を取って決まっている
夏に全国優勝した時の4番打者らは系列の国際武道大学に進んだ
ベンチ入りの選手の大半は大学でも野球やりたいので他大学へ進学する >>129
そんなに少ないんだ
系列校多いから相模からばかりとは
いかんのか >>129
日大三から大学経由でプロ入団した選手は以下の通り
有力選手は日大なんて行きたくないと思ってるのか?それとも日大の系列も門戸狭いのか
大橋穣 日大三高→亜細亜大→1968東映1位
佐藤道郎 日大三高→日本大→1969南海1位
畑野実 日大三高→日本大→1971阪急3位
古賀正明 日大三高→法政大→丸善石油→1975太平洋1位
吉沢俊幸 日大三高→早稲田大→1976阪急3位
荒木郁也 日大三高→明治大→2010阪神5位
吉田裕太 日大三高→立正大→2013ロッテ2位
山崎福也 日大三高→明治大→2014オリックス1位
高山俊 日大三高→明治大→2015阪神1位
関谷亮太 日大三高→明治大→JR東日本→2015ロッテ2位
横尾俊建 日大三高→慶応大→2015日本ハム6位
伊藤裕季也 日大三高→立正大→2018DeNA2位 >>131
戦後の財閥解体で日大本体から分離した三高は特別附属という別法人だし、かなり権限持ってるであろう小倉監督が六大学志向なんでしょ。
進路が日大優先でないことが中学生をスカウトする時に有利に働いてるんだろうしね。 >>129
門馬の息子たちは内進確約組で東海大へ進める
長男は東海大野球部に在籍しているし、次男も今3年だが確約が取れているはず >>132
そもそももともと日大の付属じゃなかったし、小倉は日大保体審OBじゃないし
日大は日大でスポーツ特待生を独自の基準にのっとって系列以外からも大量にとってるから系列から無尽蔵に受け入れるキャパが無い
日大は内進の制度もある程度学力要求されるし、付属が多すぎるとこういう問題もある >>122
大学を含む東海大系列の野球部は東海大相模が「本家」
三池工で甲子園優勝監督になった原貢氏を松前総長が招聘。
東海大相模で夏を制した後、息子の辰徳と父子鷹で話題となり
辰徳の進学とセットで東海大学野球部の監督に。東海大野球の
総帥として系列校に教え子を送り込む。高校への有力選手スカウトも
まずは「本家」の相模が最優先で有力選手を集め、他の系列校に流れて
いく構図といわれている。だから東海大系列の中で突出して強いのは
ある意味当然といえば当然。監督の手腕は分からん。