2021年6月10日 8時20分
https://www.cinematoday.jp/news/N0124001
次々と名作を生みだし、名声をほしいままにしてきた映画監督ウディ・アレンが事実上映画業界から追放されようとしている。きっかけは#Me Too運動の時流に乗った養女への性的虐待疑惑の再燃だ。ウディはいま新たな作品を発表することもできない。猿渡由紀著「ウディ・アレン追放」文藝春秋刊(6月10日発刊)では、一連の報道でつくられたウディ像、被害者の言い分、ウディの言い分、起こしたとされる性的虐待についての報道など、事実を客観的に伝え白黒の判断は読者にゆだねている。
本書によると、ウディ・アレンの元交際相手で一時は彼の映画のミューズでもあった女優ミア・ファローは、路上で保護され施設にいたスン=イー・プレヴィン(本書ではスン二・プレヴィン)を養女にした。しかし、ウディはミアとまだ交際中に大学生だったスン=イーと男女の仲になる。このことがきっかけとなり、ミアはウディがミアのほかの子供で、ウディが特にかわいがっていたディラン・ファローにも性的虐待をしていたとウディを糾弾しはじめる。一方のウディは、現在は彼の妻であるスン=イーとの愛は真実のもので、ディランへの虐待などまったく身に覚えがなく、それどころかミアが子供たちを心理操作して無理やり言わせていると主張し、両者の争いは刑事捜査と親権裁判にまで発展していく過程が子供たちやウディの発言、そして報道からつづられていく。
本書は、この騒動をセレブの単なるゴシップとしておもしろおかしく書いたものではない。希代の映画監督であるウディ・アレンが、映画の世界から消え去ろうとしているいま、ウディの映画に共感や感動をしたことがある人たちや映画を愛する人たちに、いま一度彼が何ものだったのか考えるきっかけを与えてくれる。
著者の猿渡氏は渡米して30年近くなる第一線で活躍する映画ジャーナリストだ。猿渡氏がウディのオフィスで彼と対面したさい、ウディは「ストーリーのアイデアは常にたくさんある」と述べていたことを明かしていて、そのときすでに75歳だった彼を目の当たりにし、「1年に1本のペースで映画を作ってきた。そんな芸当は働き盛りの監督でもなかなかできることではない。しかし、ウディにすれば『全然大変じゃない』ことだ」とそのまったく枯渇するおそれのないクリエイティブな感性に触れたことを述懐している。
しかし、最近になってハリウッドで ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラが暴露され#MeToo運動が盛り上がるなかで、一度無罪になったウディの「性的虐待疑惑」が再浮上。ウディが撮ったばかりの『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』がアメリカで公開中止になる。そのあと本作は日本のみで公開されることが決まったのだが、そのとき、猿渡氏がさまざまな意見を耳にしたことが本書を書くきっかけにもなったという。
ウディの作品に影響を受けたという猿渡氏にとっても、静観していられる問題ではなくなっていたのではないだろうか。しかし、決してウディを擁護した内容ではなく被害者がいる事案として真実を追究する姿勢は崩していない。本書は当事者の発言やマスコミの報道など事実を客観的に表したノンフィクションなのだが、その事象の中で次第にもつれ合っていく人間同士の感情のようなものが読み取れドラマチックな内容になっており、映画を1本見終わったかのような読後感である。(編集部・下村麻美)
猿渡由紀著「ウディ・アレン追放」文藝春秋刊は2021年6月10日刊行
https://www.cinematoday.jp/news/N0124001
次々と名作を生みだし、名声をほしいままにしてきた映画監督ウディ・アレンが事実上映画業界から追放されようとしている。きっかけは#Me Too運動の時流に乗った養女への性的虐待疑惑の再燃だ。ウディはいま新たな作品を発表することもできない。猿渡由紀著「ウディ・アレン追放」文藝春秋刊(6月10日発刊)では、一連の報道でつくられたウディ像、被害者の言い分、ウディの言い分、起こしたとされる性的虐待についての報道など、事実を客観的に伝え白黒の判断は読者にゆだねている。
本書によると、ウディ・アレンの元交際相手で一時は彼の映画のミューズでもあった女優ミア・ファローは、路上で保護され施設にいたスン=イー・プレヴィン(本書ではスン二・プレヴィン)を養女にした。しかし、ウディはミアとまだ交際中に大学生だったスン=イーと男女の仲になる。このことがきっかけとなり、ミアはウディがミアのほかの子供で、ウディが特にかわいがっていたディラン・ファローにも性的虐待をしていたとウディを糾弾しはじめる。一方のウディは、現在は彼の妻であるスン=イーとの愛は真実のもので、ディランへの虐待などまったく身に覚えがなく、それどころかミアが子供たちを心理操作して無理やり言わせていると主張し、両者の争いは刑事捜査と親権裁判にまで発展していく過程が子供たちやウディの発言、そして報道からつづられていく。
本書は、この騒動をセレブの単なるゴシップとしておもしろおかしく書いたものではない。希代の映画監督であるウディ・アレンが、映画の世界から消え去ろうとしているいま、ウディの映画に共感や感動をしたことがある人たちや映画を愛する人たちに、いま一度彼が何ものだったのか考えるきっかけを与えてくれる。
著者の猿渡氏は渡米して30年近くなる第一線で活躍する映画ジャーナリストだ。猿渡氏がウディのオフィスで彼と対面したさい、ウディは「ストーリーのアイデアは常にたくさんある」と述べていたことを明かしていて、そのときすでに75歳だった彼を目の当たりにし、「1年に1本のペースで映画を作ってきた。そんな芸当は働き盛りの監督でもなかなかできることではない。しかし、ウディにすれば『全然大変じゃない』ことだ」とそのまったく枯渇するおそれのないクリエイティブな感性に触れたことを述懐している。
しかし、最近になってハリウッドで ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラが暴露され#MeToo運動が盛り上がるなかで、一度無罪になったウディの「性的虐待疑惑」が再浮上。ウディが撮ったばかりの『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』がアメリカで公開中止になる。そのあと本作は日本のみで公開されることが決まったのだが、そのとき、猿渡氏がさまざまな意見を耳にしたことが本書を書くきっかけにもなったという。
ウディの作品に影響を受けたという猿渡氏にとっても、静観していられる問題ではなくなっていたのではないだろうか。しかし、決してウディを擁護した内容ではなく被害者がいる事案として真実を追究する姿勢は崩していない。本書は当事者の発言やマスコミの報道など事実を客観的に表したノンフィクションなのだが、その事象の中で次第にもつれ合っていく人間同士の感情のようなものが読み取れドラマチックな内容になっており、映画を1本見終わったかのような読後感である。(編集部・下村麻美)
猿渡由紀著「ウディ・アレン追放」文藝春秋刊は2021年6月10日刊行