「こんにちは〜!」
前田遼一は軽やかな表情で迎え入れてくれた。約束の時間より30分も前なのに、すでに彼は到着していた。現役時代の取材といえば、練習後に身体のケアを済ませてから行われるのが通例だったから、待機の時間がいつも長かった。「写真撮りますよね?」と言いながら、前田が持参したいくつかの私服から、着るものを選ぶ姿も新鮮だった。取材嫌い、取材陣泣かせ……そんなかつての形容詞は、もう彼からは感じられない。そして、実際そうだった。
彼の発言からは現役時代には「言えなかった」想いがあったのだろうと理解できた。口外することを良しとしなかったのかもしれないし、選手時代には気づけなかった感情もあるだろう。プロアスリートとしての矜持から解き放たれたかのように、寡黙で無口だったはずの前田は饒舌だった(全2回の1回目/#2に続く)。
新しいオファーも「身体的にも気持ち的にもキツイんで」
――現役引退は、いつ頃から考えていたんですか?
「決断をしたのは、今年に入ってからです。FC東京との契約が切れた時(2018年末)にも、チラッと頭に浮かんだことはあったんですが、FC岐阜からオファーをいただけたのでもう1回チャレンジしようと思ったんです」
――昨年末にFC岐阜との契約が満了した際にも、いくつかのオファーを受けたと聞きました。皆さんきっと「遼一はまだサッカーをやりたいんだろう」と思ったんじゃないでしょうか?
「だからか『結構、身体的にも気持ち的にもキツイんで』とお伝えすると驚かれる人が多かったですね。『遼一がそう言うんだったら、相当だったんだな……』って。僕ってどんなふうに見られているんだろうって気になりましたけど(笑)」
――「ボールさえ蹴られたら、どこでもやります」みたいな感じですかね。引退だって撤回するんじゃないかとさえ、思ったりします。
「僕も『やっぱりもっとやりたい』という気持ちになるのかなって思ったりもしたんですけど、意外とそうはならなかった。ただキャンプが始まったとかいうニュースを目にすると、寂しい気持ちは出てきますけどね(笑)。岐阜に移籍した1年目から、『今年が最後になってもおかしくない』という気持ちでやってきたので、ある程度の覚悟ができていたんじゃないかと思います」
「また1年頑張れるか?」と自問自答して
――先ほどおっしゃっていた「心身ともにキツイ」というのは、ケガが続いたりしたからですか?
「というよりも、勝利に貢献できないことですかね。自分なりに努力して、練習をやっても貢献できないというのは、いいプレーをしていないということじゃないですか? 練習は良くても試合ではダメっていうのは、結構キツかったですね。『こんなんじゃ、練習はいいのに試合で結果を出せない若手選手と同じ。僕のプレーに説得力がないだろう』って。自分なりに練習するのも大事ですけど、プロとして大事なのは試合で結果を出せるかだと思う」
――やはり試合で仕事をしてこそのプロアスリートということですね。
「試合で活躍するという作業ができなくなっていたと思います。そんな自分に対して悔しかった。練習を重ねて、試合でいいプレーをして、活躍できれば、また練習も楽しくなるし、キツイことでも頑張れるし、全然苦にならない。でも、岐阜へ行ってからはそんな風に思える時間が本当に短くて、期待や求められているものにも応えられなかった。そこで、また1年頑張れるか? と思ったら、やろうというふうには考えられなかったんです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/362be351effc574f4dd6990382d94c209598dc75
3/6(土) 6:01配信
――プレーヤーとしてのモチベ―ションや納得感などは、人それぞれだと思いますが、前田さんは自己満足では許せなかったんですね。
「そうですね。じゃないとプロとしての評価は得られないから。サッカーは楽しいけれど、結局は生活していかなくちゃいけない。それがプロであり、仕事に対してあるべき姿勢だと思うんです」
「これじゃあ、ダメでしょうって思っちゃったんですよね」
――岐阜では得点もごくわずかしかあげられていませんでした。ご自身で理由をどんなふうに考えますか?
「自分の仕事は何? と考えたとき、FWだったら『点を取る』というシンプルな目標に向けて、自分のできることを逆算しながらプレーしてきました。でも、岐阜での去年と一昨年は、チームのために、これもあれもやらなくちゃいけないみたいな感覚になってしまっていたところがあったかなと」
――自身に対する焦燥感と成績が芳しくないチームに何かをという気持ちもあったのかもしれません。
「でも、実際体力は落ちてきているじゃないですか? だから昔のようにはできない部分もある。本当なら、そういうことも考慮したうえで、今の僕に何ができるかをしっかり考えて、整理してプレーすべきだった。でも、当時はただただ必死で、クビにはなりたくないし、試合には1試合でも多く出たかったし……。今もその理由はうまく説明できないけれど、結局結果は残せなかった。これじゃあ、ダメでしょうって思っちゃったんですよね」
――まさに引退を考えている時期(2020年12月)、同じ歳の松井大輔選手はベトナムへ移籍し、佐藤寿人さんが現役を引退しました。
「カンボジアのチームからもオファーはいただいていて、大輔の移籍でまさに『面白そう』って気持ちが動いたこともありました。でもその後に話が進展しなかったんですよね(笑)。ハネ(羽田憲司。現セレッソ大阪コーチ)の『やれるところまでとことんやり切れ』っていう言葉もかなり響きました。実際僕も(試合に出られないで移籍や引退を考える)若い選手に相談されるといつもそう言っていましたから。だからこそ、とことん考えて、最後は自分で引退を決めました」
ると、膝を怪我したのもこの時に抱いた感情の罰なのかなって思うんですよね(笑)」
――2002年6月のヤマザキナビスコカップ仙台戦での負傷(右膝外側半月板縦断裂)のことですね。
「怪我から復帰しても身体が思うように動かなくて、ドリブルでさえイメージ通りにできなくなってしまって。その時に初めて『あ、本当にクビになる』と強い危機感が生まれました。もう、どこのポジションだろうが試合に出たいと思うようになって、起用されたのがFWだったんです」
18歳で黄金期の「ジュビロ磐田」へ
――前田さんと言えば、ジュビロ磐田時代を想像する人も多いと思います。前田さんが高卒で加入した当時は黄金時代と呼ばれ、メンバーは中山ゴン、高原直泰、藤田俊哉、名波浩をはじめ、日本代表クラスの選手ばかりでした。
「そうですね。すごいチームに入りましたね(笑)。でも『ここなら絶対うまくなれる』と信じていたし、『ここでサッカーをしていれば、先輩みたいになれる』と思っていた。みんなの練習での熱量は非常に高くて、厳しさもあるけれど、本当に楽しそうにプレーしていた。だから、僕も楽しかったし、つらいとか大変だと思ったこともありません。
僕もその中で、毎日一生懸命に練習していたけれど、それだけじゃダメだったんですよね。もっと貪欲さが必要だったんじゃないのか、もっといろんなことを感じ取るべきだったんじゃないかと、あとから思うようになりました」
「膝を怪我したのも、罰だったのかなって」
――ただ、前田さんもプロ2年目の20歳でフィリップ・トルシエ率いるA代表の候補合宿に初選出(2001年10月)されます。候補に入ったときのことは覚えていますか?
「前の年も2点取っていただけで全然試合に出てなかったのに『なんで俺なの? 』という疑問しかなかったです(笑)。それでも、合宿へ行けばジュビロの選手ばかりで、居心地もよくて、危機感を抱くとかそういうこともなかった。本当ならそこで、何か感じ取っていくべきだったのかもしれないのに。
もちろん、ジュビロへ戻ればいつも通りスタメンにはなれない。当たり前のことなんですけど、当時は『何で出れないんだよ』と、練習で不貞腐れるようなこともありました。今振り返ると、膝を怪我したのもこの時に抱いた感情の罰なのかなって思うんですよね(笑)」
――2002年6月のヤマザキナビスコカップ仙台戦での負傷(右膝外側半月板縦断裂)のことですね。
「怪我から復帰しても身体が思うように動かなくて、ドリブルでさえイメージ通りにできなくなってしまって。その時に初めて『あ、本当にクビになる』と強い危機感が生まれました。もう、どこのポジションだろうが試合に出たいと思うようになって、起用されたのがFWだったんです」
「ジュビロにいたからこそFWとしてプレーできた」
――そこからジュビロ、日本代表のストライカーとして成長していくわけですが、もともとMFよりも適性があったと思いますか?
「うーん。僕は、パスサッカーを軸に置き、選手が流動的に動く当時のジュビロにいたからこそFWとしてプレーできた選手なんだろうなと思っています。足も遅かったし、FWとして生かせる身体的能力も何一つ持ってなかったから。
実際、アテネ五輪代表(アジア地区最終予選)のFWで起用されて、いきなりDFラインからロングボールが飛んできたときも『え? 』ってびっくりしちゃって何もできませんでした。パス回しもなく、そんな適当なパスが前線に入ることは、ジュビロではなかったので。どちらのサッカーが良い悪いじゃなくて、単純にこんなにもジュビロとはプレースタイルが違うんだという衝撃でもありました」
――とはいえ、2003年以降は2トップの1角として先発に定着します。この頃にはFWとして生きていく手ごたえも掴めていたのではと思うのですが……。
「手ごたえ? そんな強いものはなかったですね。FWというのは『ここへパスを出せ』みたいな意識なんだと思うんですけど、僕は『みんな何を考えているんだろう』『あの人今、何をしてほしいんだろう』という意識で生きてきた。だからこそ、ジュビロのサッカーという組織の歯車、駒にはなれたけれど、ここから何かを示す、見せるには、プラスアルファがないと厳しいだろうと感じていました」
「やっとレギュラーになれた」と思った瞬間
――そしてジュビロ磐田を取り巻く環境も変わっていきます。完全優勝の黄金時代を経て、時とともに選手や監督も入れ替わり、徐々に優勝争いから残留争いに参加していくことになります。
「黄金時代を良く知る人たちから『今のサッカーじゃダメだ、もっとこうすべきだ』という声が上がることはよくありましたけど、僕自身は黄金時代を振り返ることはなかったです。その当時レギュラーでもなかったですしね。それ以上に監督が代わり、サッカーも変わっていくなかで、どうやって自分のポジションを掴み、試合に出るかってことばかり考えていました」
――サッカーのスタイルが変わり、前田さんのプレースタイルにも変化が感じられるようになりました。その後、どの監督も前田さんをFWで起用していましたね。
「実は山本(昌邦)さんのとき、開幕戦はトップ下で起用されたんですけど、全然上手くいかなくて。その後FWで復帰してから、やっぱりこっちなんだと実感しました。
それから2006年途中にアジウソン監督が来て、ファーストチョイスで僕を起用してくれた。それが僕にとっては初めての経験でした。その後も僕を使い続けてくれて、ようやく期待に応えられる結果が出せた時に『やっとレギュラーになれた』って思えましたね。それまでは競争の真っ只中にいたので、レギュラーとしての手ごたえなんて感じたことなかったです(笑)」
シーズン最終戦までに引退決めてくれると本人も見送る方も引退セレモニーとかで綺麗に止めれると思うんだけど、これだけの選手がひっそり辞めるとなんか悲しいな
それとも岐阜かジュビロで改めて今シーズンに引退セレモニーやるの?
チームへの貢献を考えての引退、
責任感の強い人間だな。
貢献も出来ない、ギネス記録狙いのカスとは大違い。
勝利に貢献できないから辞める、てのは潔いな。プライドもあるんだろうけど。
もう完全に周囲から浮き上がってるのにいつまでも自己満足の為に現役やってる
横浜のオッサンとは偉い違いや
>>9
今節はジュビロのホーム開幕戦だったかな。
今ジュビロのコーチか何らかのスタッフになったはずだし、試合前に引退セレモニーをやると聞いたよ。 >>13
それは良かった
やっぱなんかないと寂しいよな 代表でも活躍してたねー。
なんかスルっとDFと入れ替わって置き去りにしていくのが印象的だった。
柿谷大迫に最後の最後でまくられてブラジルワールドカップ逃したんだよな
元祖セスクみたい
FWじゃないのにFWやってたみたいな
ザック時代は前田外して終わった
めちゃくちゃなアンバランスを超絶マルチタスクで支えてくれてたのに
スペで個人トレーナー雇うまでどうにもならなかったけれどなw
>>22
そりゃあ日本語が得意だからって外国語が流暢にしゃべられる
訳じゃ無いし >>20
アテネ予選で食中毒騒動あったのに
平然ともりもり食ってた人だから >>22
佐藤寿人辺りから怪しい
昔より海外移籍しやすくなったのもあるかもしれない
95年 福田
96年 カズ
98年 中山
00年 中山
02年 高原
09年 前田
10年 前田(ケネディと同数)
12年 佐藤寿人
13年 大久保
14年 大久保
15年 大久保
17年 小林悠
19年 仲川(マルコス・ジュニオールと同数) 前田さんは頭もいいから球団経営できるだろ 五郎丸もカッコいいが前田さんもモデルかと☆
前田さんは頭もいいから球団経営できるだろ 五郎丸もカッコいいが前田さんもモデルかと☆
岐阜は前田が引退で柏木を取るのか
次は大島とか高橋とか指原とかそんな苗字の人をとるかな
>>12
横浜の場合はおっさんがおらんとスポンサーが集まらんのや
客寄せパンダとわかりながらパンダの中に入ってパンダに徹するおっさんの気持ちも考えたれ 緩急自在のランでのポジション取りが地味にエグい人
万能型フォワードとしては一つの完成型と言っても過言ではないはず
>>20
キャンプで地元から贈られた牛一頭たいらげたって話を聞いたことがある 高原ってもっと得点王獲ってるイメージだけど
Jだと前田遼一の方がジュビロに貢献していたのか
暁星だから頭良さそうなんだが眼窩が窪んでいるから遠目から見ると死神みたいだったな
降格するチームからしたらまさに死神だったろう
>>26
基本的には連携を生かして点を取るタイプが多いんだよね
代表では練習時間少なくて点取屋として合わない 「勝利に貢献できないことですかね。自分なりに努力して、練習をやっても貢献できないというのは、いいプレーをしていないということじゃないですか? 」
いつまでもスポンサーに泣きついてチームに寄生してる自称「キング」が
↓
前田の全盛期はマジで凄かったな
消える動きからのゴールで何度やられたことか
代表では心から応援できたが
このゴール最高だった、本田も長友も前田も皆いいプレー
前田のいた頃のザックJAPANが一番良かったな。
結局替わりは見つからなかった。
いくらデスゴールとか言われてても流石にガンバは降格しないだろと思ってたから
降格したのには驚いたな
>>41
若手の手本になってるし慕われてるじゃん
どこが老害なんだ? >>39
いつ見てもキ・ソンヨンの背後からのタックルがムカつくな ある時期の日本代表には不可欠だったな。
ブラジルワールドカップの1,2年前から急にだめになった感じ。
いきなり2連敗で昇格諦めたからゴンと前田の2トップで消化試合やってくれ
潔いいね。まだまだやれると勘違いしてる
横浜あたりの誰かも見習ってほしい
>>17
W杯イヤーなのに
降格した磐田に残留しちゃったからな
柿谷も調子落としてたから再逆転の目はあったろうに
その可能性を自ら潰してしまった
いい人なんだろうけど
サッカー選手としてはエゴが足りなかった >>48
いいよね
これこそが本当の「俺達のサッカー」だと思うんだよ、絡んだ全員が持ち味発揮してる
粘って頑張って、相手よりほんの少しだけ先へ行ってそれが繋がるという 強くないジュビロで2年連続得点王になって凄い。
ジュビロにこだわらないでもっと早く移籍してれば、もっと得点やタイトルとれただろうな。もったいない。毎年毎年オファーはきてたのに。
>>54
トルシエのときにやってたやん
ジュビロが勝った もっと活躍出来るはずの才能あったと思うけど、ガツガツしない性格と膝の怪我が足引っ張ったかな?
内田もそうだったけど自己犠牲出来て頭がいい選手がいなくなるのは痛手だな
前田遼一大食い伝説
・名波宅の炊飯器をお新香ひとつで空にした
・本人曰く「食べるのが趣味」
・キャンプ中、監督から「食べる量は他の選手の2倍」と言われる
・人間力「グループの中では唯一というくらい、内科的トラブルを起こさずスタミナがあった」
・勝つと肉がもらえる鹿児島デーには決まって大活躍
・あまりにも食べる量が多いのでチームメイトから「気持ち悪い」とよく言われた
・U-23で皆が下痢に悩まされ下痢止めを飲んだら、前田だけ便秘になって逆に苦しんだ
・試合前後日の移動中必ず何か食べている姿を多数目撃(新幹線で弁当5つ抱えて笑顔・横浜でステラおばさんのクッキー購入即開封等)
・配られたおにぎり数個を光速で食べ終えた後、他の選手が食べていない分を悲しそうに見つめ続け、ついに「これ食えよ…」と分けてもらい笑顔で完食
・食べ盛りの大卒ルーキーが大食い対決に挑むも撃沈
・食べ放題のカレー屋で出禁になった
・小学校訪問をした際に小学生から「大食い!大食い!!」と言われた
>>54
練習試合でしょっちゅうやってたやん
奥のミドルでジュビロが1-0で勝った試合はハイライトもあったから良く覚えてる 日本代表対トッテナム
日本代表対バイエルン
日本代表対PSG
日本代表対ユベントス
日本代表対インテル
日本代表対レアル
みたあな試合も昔はかなりやってたのに
今は皆無だよな
高校生の前田遼一と阿部祐太郎を見たとき、日本代表のFWを任せられると思ったりした若き日