>>87 長井長義
明治時代における日本薬学の進展に寄与した。
漢方薬の研究と成分抽出は特筆すべき業績である。マオウ属(麻黄)からのエフェドリン抽出に成功し、のちに大量合成が可能であることを証明した。これは、多くの喘息患者の苦痛を取り除くことになった。エフェドリンは、現在でも誘導体 dl-塩酸メチルエフェドリンという成分名で、気管支拡張剤として市販の感冒薬(風邪薬)にも配合されている。
日本薬学会の初代会頭に推挙され就任し、終身、心血を注いだ。また、東京帝国大学(現東京大学)医学部薬学科教授、大日本製薬合資会社(半官半民、後の大日本製薬株式会社、現在の大日本住友製薬株式会社)技師長を務めるなど、日本の薬学・化学の先駆者の一人である。日本薬局方の整備にも尽力し、それまで「質が悪い」と敬遠されてきた、日本製医薬品の大幅な品質向上に寄与した。さらに、日本各地の薬剤師に直接指導も行った。医薬分業と薬専(薬学専門学校)の官立化にも大きく貢献した。日本薬学の父たるゆえんである。
自身の研究だけでなく、テレーゼ夫人とともに女子教育にも力を入れた。日本女子大学や雙葉会・雙葉学園への設立協力と化学教育の推進など、女子教育の向上にも貢献した。
日独協会の理事長、教学研鑽和仏協会の委員を務めるなど、明治時代における日本社会の国際化に大きく貢献した[4]。また、第一次世界大戦後のハイパーインフレーションにより危機に陥ったドイツ薬業界の救済のために義捐金を募り、200マルク(当時)を贈った。