ピーター・バラカンが「ユーミンの声は生理的に受け付けない」と言って
渋谷に「メロディメーカーとしての才能は評価しませんか」と聞かれても黙っていた
伊藤政則もBSで頑張っているが
小林克也はそれ以上に長い
笑える
今のヒット曲でこの人たちが好きそうな曲なさそう
海外じゃもうロックはオワコン
渋谷のジャンルはまだ新陳代謝ありそうだけどマサ伊藤のジャンルはもうジジイの同窓会的な感じしそう。
嫌いじゃないけどね。
2020年現在のロックを語れるだけ詳しかったら尊敬するけどな。どうせ昔話しでしょ?
>>13
渋谷陽一は普通に最新のヒップホップとか紹介するぞ >>16
渋谷陽一と大貫憲章は最新の英米について語って伊藤政則がそれにたいして浦島太郎的なコメントをする番組やで 小林克也とかもそうだけど、この人らは古今の洋楽を多ジャンル知るからマジの化け物
渋谷陽一主催のカウントダウンジャパンは今年もやるのか?
渋谷は今野ととうよう二人と論争して二人とも自殺した
うわっ、こういうのめっちゃ懐かしいなw
昔ラジオの大晦日の年末ロック大賞みたいな
>>18
渋谷ケンドリックラマーが好きだって言ってたなw
というかこの人はもうロックはあまり聴いてないんじゃないの >>15
マサのはまだ若手が出てきてる
大貫のは本当にジジイの同窓会 >>28
というか21世紀に入ってからずっとブラックミュージックが好きみたい >>20
そなんだ
ヒップホップとかちゃんと流れるん? ==2019年==
伊藤政則セレクト
THE MAGPIE SALUTE
VOLBEAT
DREAM THEATER
ALTER BRIDGE
CYHRA
大貫憲章セレクト
THE BLACK KEYS
TEMPLES
LIGHTNING BOLT
KHRUANGBIN
NICK CAVE AND THE BAD SEEDS
渋谷陽一セレクト
THE WHO
BILLIE EILISH
VAMPIRE WEEKEND
TYLAR THE CREATER
REX ORANGE COUNTY
==2018年==
伊藤政則セレクト
JUDAS PRIEST
GRETA VAN FLEET
THE STRUTS
COHEED AND CAMBRIA
SLASH FEATURING MYLES KENNEDY AND THE CONSPIRATORS
大貫憲章セレクト
ARCTIC MONKEYS
MUDHONEY
FANTASTIC NEGRITO
JO PASSED
NOVO AMOR
渋谷陽一セレクト
JACK WHITE
THE LEMON TWIGS
POST MALONE
BLOOD ORANGE
EMINEM
>>30
ロッキングオンが売れる前からPファンクやレゲエの批評書いてた >>31
なんか勘違いがあるのかもしれないけど渋谷陽一は80年代以降のイギリスのロックなんてほぼ好きじゃないぞ
逆にエミネム蟹江ケンドリックラマーあたりは全部アルバムが出るたびに番組でながしている 今の音楽を聴いてる人らはこの3人に興味無いけど
この3人に興味ある人は今の音楽に興味無いという
大貫憲章
もう発表されたの?さすがNHKつーかロッキンオン?(笑)ヨロシコです!
テントウムシ
今年のベストはAC/DCでしょう!(私はオジー)
大貫憲章
それはイトーちゃん、いや、 GOD MASA ですね
テントウムシ
AC/DCは文句なしですが、ヘヴィ・メタルにこだわればオジーでしょう。2月の思い出と重ねて良いアルバムです。
大貫憲章
ワタシの担当外デス(笑)
渋谷陽一。。2浪明治学院中退
周りは大学の話はしないらしいw
Eminem「Music to be murdered by」は今年凄かったアルバム
渋谷さんなら必ず入れると思う
>>39
在学中から借金までしてロキノン作ったから、学校はもうどうでもよかったんだろ 洋風阿波踊りと退屈な環境音楽しかねーじゃん今の洋楽
渋谷大貫セーソクが満足できるようなメタルパンクラウドなら邦楽のみ
2020年の洋楽シーンなんてどうでもいいだろ
ゴミばっかりじゃん
>>3
おまえら本当バラカンの言ったことを嬉しそうに話すよな。楽しいのかよそれ ワールドロックナウ昔ちょっと聞いてたけど
パクリ晒し企画だけは面白かった記憶がある
伊 今月の上旬にメタリカが結成30周年を迎えまして。サンフランシスコのフィルモアという1200人くらいのクラブで4回コンサートをやったんですよ。それを観てまいりまして。その時にラーズ・ウルリッヒ、まあメンバーとも話したんですけども。ルー・リードとメタリカが一緒にアルバムを今年作ったんですよ。これがまたね、すっ…
大 ルー・リード知ってたの!?
伊 俺、解説書いたこともありますからね。
渋 (笑)
大 失礼しました(笑)。
伊 ひっどいな!
大 失礼しました(笑)。ルー・リード、畑が違うかなって思って(笑)。指がすっごい太い人だよね。
伊 そこまで知らないよ(笑)。
大 お前見たじゃん。
伊 どこで?
大 あれがルー・リードだよ。
伊 どこでだっけ。
大 昔某音楽専科って雑誌が。無くなっちゃったからいいようなもんだけどさ。そこでさあ、あの編集部出た時にほら、ルー・リード来てて。ルー・リードの彼女っていうか彼氏っていうかさあ、一緒に出たもん。お前一緒についてったじゃん。そしたらすぐ近くのゲーセン入ってさあ、何やってるんだろうって思って見たら、なんか一生懸命ボタン押してんだけど指がとにかく太くてボタンいっぺんに押しちゃってるみたいなことやってて笑ったじゃん2人で。うわすっげ〜みたいなこと言って。
伊 記憶力いいねえ。
渋 よく覚えてんなあ…。
大 いやだってそれだけは。指がだってねえ。
渋 年寄りは本当昔のことよく覚えてるよね。最近のことは全部忘れちゃう。
大 おとといのこととか10日前のことは忘れてっけどね。
伊 すいません。アカデミックなアルバムなんだよ。
大 ああそうかアカデミックなね。
伊 アカデミックなアルバムなんだよこれは。
大 アカデミック・ロンソン。
伊 (苦笑)…もうダメだね。2枚組だからね。凄いよね。
大 そうなんだ。聴いたことねえや。
伊 そうなの?
渋 いいアルバムだよこれは。
伊 ロックの殿堂入りを果たした時に…
大 うちにはないね。
伊 聴けよお前(怒)。
大 わかったわかった(笑)。
>>24
老人ホームに入っても介護士にオムツ替えてもらいながら喋ってそう 渋谷さん70歳くらいでしょ?仕事とはいえ今だに若い人の音楽かけるのは凄いですよ。
>>39
昔の老人がそんなのって親が金持ちのお坊ちゃんだったのかね プログレ三昧をやってくれよ。
政則の番組はメタル三昧でなくレギュラーの番組でもプリーストとかメイデンばっかりで回していて退屈。
>>61
今年はあれだけどフジロック3日参加で朝から夜中までライブ見てるぞ 30年前も似たような企画やってなかったっけ?
まだやってることにびっくり
洋楽評論界の時が止まってる
>>7
酒井は長年の横暴が祟ってクーデター起こされて今では社史編さん室だとか >>28
渋谷はもう80年代中盤でロックには飽きてる。
プリンスとかそっちに行って個人音楽好き
ストーンローゼズもあれ60年代の焼き直しだよねと乗らなくて
増井に全部任せた。当然ブリットポップもスルー 最近何がびっくりしたって水上はることロキオン創業前の渋谷陽一が同棲していたって暴露話だな
ジャン・ジャック・バーネルとも付き合ってたらしいしどんな女だ
年齢的にもう お爺ちゃんだから
年金もらって 優雅な老後だと思っていたら
いまだ 仕事やっているんだね
番組名はともかく35年前にはこのメンツでこんな内容の番組やってたよね
録音出演の伊藤に対して他の2人が「この人毎年HMの新たな1ページがって言ってるね」「もう5ページくらい進んでんじゃない?」とか冷やかしてた
ここに書き込んでる連中も50代のじじいだろ
おれはギリギリ40代
今レギュラー回やってるよ。今日渋谷が紹介してんのはグリーンデイのビリージョーのソロとスマパンの新譜
>>1
渋谷と山下達郎の対談、またやってくれないかなー
この年齢になってからの相互ディスり漫談聞いてみたいなあ そんなのより70年代80年代を大総括するワールドロックエンシエントの方が聴きたい
>>23
渋谷と言うかロッキンオンね
お客さん減らしてやるみたいだよ
他人事ながら大赤字にならないか心配 >>39
明治卒のチバユウスケは面と向かって「卒業してない奴は先輩じゃない」つってたぞ ブルルンという上から目線の音楽雑誌で講釈たれてたグラサンチビだから
セーソクは元は手広く色々とやってたんだよな、ヘビメタ専業になる前は
狭いけどそのジャンルを完全に自分の専用領土にしたから生き残るためには結果的に正解だった
伊藤“僕は箱根アフロディーテでピンク・フロイドを見た”セーソク
>>34
まぁそもそもジャーニー、TOTO、フォリナーあたりを産業ロックという一過性のものと評価してた時点でセンスなかったんだよ。
もともとロックには向いてなかったんじゃないかな >>96
その3つは一過性のものじゃない
ロックの歴史になんの影響も与えていなくね >>96
センスあった証拠じゃん
実際、その辺って老人のノスタルジア以外で今語られることないよね
後のシーンにつながってない >>77
ええええええええ
だから渋谷ミュージックライフ毛嫌いしてたのか?
水上はるこの評論集昔買ったが
なんつーか大物ミュージシャンと親しく話している
できる女アタシ臭がものすごかった 当時のセーソクはメタルを日本で普及させたのは俺だくらい天狗になってた
メタリカが誕生日サプライズする日本人が俺以外にいるのかと
俺を無視したら日本じゃ売れないくらい横柄になってた
伊藤政則はライナーノーツを芸術にした第一人者だろ
「泣くがいい。声をあげて泣くがいい。 その涙は新しい時代を呼ぶ水晶となって、 アルカトラスの許に届くことだろう。」
これホント好きだわ
渋谷陽一ってレッド・ツェッペリンしか知らないジジイでしょ
新しいロックのことなんかわかるのかな?
オアシスとか知ってる?w
>>58
憲章やっぱ最高だな
昔今泉恵子とやってた全英トップ20を振り返るポッドキャストを今2人でやってるけど記憶力も滑舌も良いぞ そういや鳥居ガクってまだおるんか
山川健一とよくつるんでたなあ
て山川もまだ小説家やってんのか不明だが
ちなみに大貫憲章が褒めてた今年のアルバムは「サイケデリック・ファーズ」の新作な。
おそらく年末のこの番組でも選出するだろう
おまえらも覚えておくがいい
サイケデリックファーズ
もう一度言う
サイケデリックファーズw
その昔ネオサイケなるものが流行ってなエコバニのイアンなんかは少女マンガの主人公のモデルにもなっていて…
てか渋谷陽一元気にしとったんかワレ
>>108
今でもフジロック現地でマメに見てるらしいからな
あの年で化け物だ
普通50歳になったらもう野外フェスとかキツイだろうに
それもあんな山奥で歩きまくるところ 今日やってたプロ野球珍プレー好プレーみたいでなつかしいな
>>97
歴史に影響を与えるものが良いものなのか?まぁでも実際にロック史の一部であり時代を越えて各世代に愛される楽曲を残した。十分影響を与えたよ 産業ロックだってコーポレートロックのパクリだし
結局は輸入業者じゃんね全部が
>>110
うわーそりゃ好きじゃなきゃ出来きません
ロキノン関係は学生の頃よく読ませてもらったわw >>103
結局その時流行ってるものになびくだけのやつなんだよ。ヒップホップが廃れたらまた次のに乗り換えるだけ。職業評論家だからそれで良いんだけどな ウィークエンドなんか80年代回帰の出してるから
じじいでも意外と聞けるんじゃないか
今の洋楽チャートなんて
R&Bとhip-hop足して割ったようなのが
1位から10位までだろ、知らんけど
それかEDMか
>>112
歴史に影響をあたえなかったら一過性のものなんじゃないかな >>110
>>>108
>今でもフジロック現地でマメに見てるらしいからな
>あの年で化け物だ
>
>普通50歳になったらもう野外フェスとかキツイだろうに
>それもあんな山奥で歩きまくるところ
50歳なら普通にフェス楽しむけどなあ
健康なら60でも大丈夫だろ >>1
この人達っていつまで業界のトップにいるのよ?
若い世代の評論家っていないの? 渋谷も屋外フェスないときついんじゃないか
洋楽もヒットないし
>>118
EDM?
ここ3年はチャート上位から消えてるはずだが?
ジジイってなんでEDMと言いたがるのか >>120
それだとほとんどすべてが一過性のものだな 産業ロックとレッテル貼ってけなすくせに自分とこのフェスに客を呼べるならアイドルやらなんやら訳のわからないものも平気で詰め込むのはなんなのか
橘川幸夫
2016/01/01 14:05
大学生・渋谷陽一
渋谷陽一は、1972年4月に明治学院大学に入学した。2年間浪人していたことになる。ロッキングオンの創刊準備をしている時期なので、僕らは「これからやるぞ!」と意気込んでいたのに、わざわざ大学に入る渋谷の気持ちが分からなかったが、すぐに学校には行かなくなった。ロッキングオンの仕事で忙しいこともあったし、資金稼ぎのバイトなども忙しかった。だいたいが渋谷は勉強が嫌いであった。
浪人時代の渋谷も、受験勉強に熱心だったわけではないだろう。レボリューションの関係やソウルイートなどのDJをやっていた関係で、音楽業界との付き合いが始まり、ライナーノーツや雑誌の原稿書きの仕事をしていた。結成されたばかりのブルースクリエーションの竹田和夫さんとは仲がよかったみたいで、渋谷が浪人の時に行った、ブルースクリエーションのミニライブみたいなところに行ったことがある。10代から自立して、勉強より働くことが好きだったようだ。
渋谷の実家は目白のお屋敷が並ぶ一角にあり、父親は東京大学を出て大和銀行に勤めるエリートであり、母親は北区の大地主の娘であった。(26-27頁)
どうして赤羽かというと、渋谷陽一の母上の実家がこのあたりの大地主だからだった。叔父さんの一人は優に小学校くらいの敷地がある幼稚園を経営していたし、その続きの土地で別の叔父さんが駐車場と喫茶店をやっていた。(144頁)
音楽の世界で仕事を始めたのは、大学時代(立教大学)。1970年、1年生のとき、その頃平凡出版社(今のマガジンハウスの前身)で新雑誌(当初は平凡パンチの女性版的な構想をしていたらしいが、結局女性誌アンアンとなる)を立ち上げるための準備室が六本木にあったんだ。友人の付き添いでそこに行ったときに、編集者に「君、どんな音楽聴くの? なにか原稿書いたことある?」と聞かれ、「音楽大好きです。学校の作文くらいはあります」程度のやりとり。それがすぐに連絡があり、創刊時に本文ページ下の1段を使って、4枚のLPを50文字で紹介する仕事をもらうことになる。それが評論活動の出発点になった。
「アンアン」創刊号にも寄稿した。
そこで出会った松山猛さん(フォーククルセイダースのヒット「帰ってきたヨッパライ」の作詞家でエッセイスト)が、新興音楽出版社(シンコーミュージックエンタテイメントの前身)の人気音楽誌「ミュージックライフ」編集部を紹介してくれたんだ。星加ルミ子編集長や東郷かおる子氏に引き合わされ、その場でEL&P(エマーソン・レイク&パーマー)のデビューアルバムを800字でまとめられる? と言われ、即答イエス!
内心50文字から800字、こりゃ大変だ! と思ったけど、書いた原稿を見てもらったら、好感度!! いいんじゃない! ということで、それ以降ブリティシュロックが好きだった俺はキングクリムソンなどの原稿を書くようになったわけ。
評論家人生の最初の節目となったのは、俺が日本人で最初に目を付けた、当時無名のイギリスのバンド、クイ―ン。日本でデビューするだいぶ前、1973年夏にイギリスに行って彼らを知ったが、音も聴いてないし、ライブも見てない。けど、名前からして「女王」なんてイギリスっぽいし、何よりピンとくるものがあったね。
その年の冬に、彼らのデビューアルバムのマスターテープがレコード会社に届き、聴いて「こりゃすごい! 絶対日本で売れる!」それまでにもひとりで大騒ぎしてたから、一気にクイーンの大貫なんて言われるようになったね。そもそもブリティシュロックの大貫だし。ただ彼らのデビューアルバムのライナーノーツの巻頭文は、俺じゃなく福田一郎先生。オレは2番手だった! 当たり前だよね(笑)。でも、そのライナーの締めのフレーズ「神よ、女王にご加護を!」は、大いにウケたよ(笑)。
大学卒業後は部活で広告研究会に入っていたので一応就職活動してインターパブリック博報堂(現在のマッキャンエリクソンの前身)に入社。コピーライターを志望していたが違った部署に配属。会社の規定でショクナイ(内職の意味)はご法度だったが、俺はもうその頃になるとかなり名前も売れてきて、会社の受付に入れ替わり立ち代わりにレコード会社のA&Rマンが原稿依頼で来るようになる(その頃は、当然携帯もパソコンもないから対面依頼だ)。
上司から懐疑的にみられ「大貫! なんだ? 次から次と仕事とは関係ない人が来るみたいだが」と言われたな。機会あるごとに「そろそろクリエイティブ部門のコピーライター、やらせてくれませんか?」「うんもうちょっとな」「いつになったらなれますか?」「うんそうね、もうちょっとね!」の繰り返し。
それで、キッチリ入社10か月で退社したんだ。
それから本格的な音楽評論活動に入ることになる。数多くの雑誌、ラジオDJなど仕事をこなしてきたが、大貫憲章を語るうえで、いわばそれまでの音楽活動が第1章であれば、ここからが第2章と言ってもいいかもしれない。
昔、横浜そごうのスタジオに伊藤政則の番組収録見に行ったら伊藤が海外取材行ってて代役が大貫憲章だったときのガッカリ感たらなかった
>>129
渋松対談で渋谷が泉麻人が目白生まれって言ってるけどあいつ下落合だぜってめちゃくちゃバカにしてたな 今、若手の音楽評論家、てのが存在しないから、結局この3人なっちまうのかね
しかし、この3人がカバーする領域って2020年になんかあった?特に伊藤さん
セーソクも親が東北の教師で裕福で、親のお金で
イギリスに行ったりした
>>134
ていうか渋谷が書いていたけど、俺らが最後の音楽評論家って世代だったと
そこから下の世代はみんな音楽ライター
時代が変わったと >>138
えーそうすると渋谷の前だってそんないないし
洋楽の音楽評論家自体が幻みたいな感じだ 萩原健太なんて若手や
1951年2月22日 大貫憲章
1951年6月9日 渋谷陽一
1951年8月20日 ピーター・バラカン
1953年7月10日 伊藤政則
1956年2月10日 萩原健太
>>141
1951年はプロ野球でいう松坂世代かマー君世代みたいな当たり年かw 当ててみせる
大貫憲章が選ぶのはサイケデリック・ファーズ
大体日本のロックジャーナリズムって間違えてないか?
酩酊したような売文で詐欺同然の音楽叩き売りをしてきただけだろ連中は
リズムを文章化してみろ、ビートを想起させてみろ