番組復帰は「ない」
キャスターの辛坊治郎氏(64)が来年4月、ヨットで単独無寄港、無補給、無伴走による太平洋横断に挑戦することが報じられ、大きな話題となっている。
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様々な記事が報じられたが、辛坊氏が早稲田大学に在学中、ヨットの同好会に所属していたり、読売テレビ時代もヨットに乗り続けてきたりしたことは、意外にもほとんど紹介されていないようだ。
辛坊氏は2013年、ヨットでの太平洋横断に挑戦し、失敗した過去を持つ。それにもかかわらず、人気のレギュラー番組を降板し、再挑戦するというのだ。
なぜ、そこまで執念を燃やすのか、ご本人に取材を依頼した。まずはヨットとの出会いから振り返ってもらおう。
「大学1年の時、体育の実技でヨット講座を履修しました。乗ったのは1人用の『ディンギー』と呼ばれるヨットで、動力は風のみ。そしてキャビン(船室)はありません。オリンピックには、このディンギーを使う競技があります」
気軽な気持ちで選んだ授業だったが、ディンギーで海を帆走すると、たちまち「気持ちいい!」と魅せられてしまった。2年生になるとヨット同好会に入り、ディンギーのレースに出場する機会にも恵まれた。
「ところが、僕はレースが苦手だと分かりました。もっとのんびりと、海を帆走したい。そしてヨットが好きな者なら誰でも、太平洋横断に憧れを持つものです。1962年に堀江謙一さん(82)が、小型ヨット『マーメイド号』で単独無寄港の太平洋横断に成功した時、航海日数は94日間でした。つまり太平洋横断に挑戦するなら、約3か月の自由な時間が必要になるわけです」
岩本光弘氏との縁
1980年、辛坊氏は読売テレビにアナウンサー職で入社した。当時は年に2回、1週間の休暇を取ることができた。とはいえ、約3か月の休暇となると話は別だ。
「局アナとして働きながら、ヨットには継続して乗っていました。読売テレビで『ディンギークラブ』を作り、仲間とクルージングを楽しむこともありました。太平洋横断に強い憧れを持ちながらも、挑戦するなら会社を辞めなければならない。現実問題として、そんなことは不可能でした」
それでもサラリーマン時代に、外洋を航行できるヨットの「クルーザー」を購入した。「ヨット好きのアナウンサー」としても知られるようになり、専門誌「月刊Kazi」(舵社)でコラム「なんぎな帆走月報」の連載も始めた。
「2012年の1月号から始まったのですが、筆者名の横に『いつかは太平洋横断を目指す』と書いてもらいました。この連載が、僕と岩本光弘さんを結ぶきっかけになったのです」
ブラインド・セーリングというスポーツがある。視覚障害者が、同伴者から風向きなどの情報を得て、後は自力で帆と舵を操って帆走するというものだ。
岩本光弘氏は、ブラインド・セーリングの第一人者として知られる。日本代表として世界大会に出場するなど輝かしい経歴を持つ。
2013年の失敗
この岩本氏がヨットによる単独太平洋横断を計画したのは、お笑いタレントの間寛平氏(71)が1つのきっかけだった。
間氏は08年から11年まで「アースマラソン」に挑戦。マラソンとヨットによる世界一周に成功した。
その際に使われたヨット「エオラス号」の記事が「Kazi」に掲載された。文末で、エオラス号の所有者が「クルーズに出たい夢を持つ人には貸与したい。場合によっては無償でいい」という意向を持っていることが伝えられた。
編集部も、希望者はプロフィールや航海計画をメールで送るように呼びかけた。これに「Kazi」の読者だった岩本氏が応募。ブラインド・セーリングによる単独無寄港の太平洋横断に挑戦したいという意思が伝えられた。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff56b60927d38077144cd5619c9fe94de231c53c
キャスターの辛坊治郎氏(64)が来年4月、ヨットで単独無寄港、無補給、無伴走による太平洋横断に挑戦することが報じられ、大きな話題となっている。
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様々な記事が報じられたが、辛坊氏が早稲田大学に在学中、ヨットの同好会に所属していたり、読売テレビ時代もヨットに乗り続けてきたりしたことは、意外にもほとんど紹介されていないようだ。
辛坊氏は2013年、ヨットでの太平洋横断に挑戦し、失敗した過去を持つ。それにもかかわらず、人気のレギュラー番組を降板し、再挑戦するというのだ。
なぜ、そこまで執念を燃やすのか、ご本人に取材を依頼した。まずはヨットとの出会いから振り返ってもらおう。
「大学1年の時、体育の実技でヨット講座を履修しました。乗ったのは1人用の『ディンギー』と呼ばれるヨットで、動力は風のみ。そしてキャビン(船室)はありません。オリンピックには、このディンギーを使う競技があります」
気軽な気持ちで選んだ授業だったが、ディンギーで海を帆走すると、たちまち「気持ちいい!」と魅せられてしまった。2年生になるとヨット同好会に入り、ディンギーのレースに出場する機会にも恵まれた。
「ところが、僕はレースが苦手だと分かりました。もっとのんびりと、海を帆走したい。そしてヨットが好きな者なら誰でも、太平洋横断に憧れを持つものです。1962年に堀江謙一さん(82)が、小型ヨット『マーメイド号』で単独無寄港の太平洋横断に成功した時、航海日数は94日間でした。つまり太平洋横断に挑戦するなら、約3か月の自由な時間が必要になるわけです」
岩本光弘氏との縁
1980年、辛坊氏は読売テレビにアナウンサー職で入社した。当時は年に2回、1週間の休暇を取ることができた。とはいえ、約3か月の休暇となると話は別だ。
「局アナとして働きながら、ヨットには継続して乗っていました。読売テレビで『ディンギークラブ』を作り、仲間とクルージングを楽しむこともありました。太平洋横断に強い憧れを持ちながらも、挑戦するなら会社を辞めなければならない。現実問題として、そんなことは不可能でした」
それでもサラリーマン時代に、外洋を航行できるヨットの「クルーザー」を購入した。「ヨット好きのアナウンサー」としても知られるようになり、専門誌「月刊Kazi」(舵社)でコラム「なんぎな帆走月報」の連載も始めた。
「2012年の1月号から始まったのですが、筆者名の横に『いつかは太平洋横断を目指す』と書いてもらいました。この連載が、僕と岩本光弘さんを結ぶきっかけになったのです」
ブラインド・セーリングというスポーツがある。視覚障害者が、同伴者から風向きなどの情報を得て、後は自力で帆と舵を操って帆走するというものだ。
岩本光弘氏は、ブラインド・セーリングの第一人者として知られる。日本代表として世界大会に出場するなど輝かしい経歴を持つ。
2013年の失敗
この岩本氏がヨットによる単独太平洋横断を計画したのは、お笑いタレントの間寛平氏(71)が1つのきっかけだった。
間氏は08年から11年まで「アースマラソン」に挑戦。マラソンとヨットによる世界一周に成功した。
その際に使われたヨット「エオラス号」の記事が「Kazi」に掲載された。文末で、エオラス号の所有者が「クルーズに出たい夢を持つ人には貸与したい。場合によっては無償でいい」という意向を持っていることが伝えられた。
編集部も、希望者はプロフィールや航海計画をメールで送るように呼びかけた。これに「Kazi」の読者だった岩本氏が応募。ブラインド・セーリングによる単独無寄港の太平洋横断に挑戦したいという意思が伝えられた。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff56b60927d38077144cd5619c9fe94de231c53c